浅田真央と荒川静香が語る五輪とお互いのこと<上>…「真央ちゃん見て大事なこと思い出した」

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荒川  真央ちゃんを見て、やるべきことに純粋に向き合って楽しむことで、スケートに返ってくるんだと感じたから。年末の全日本選手権から、ちょっとずつ楽しくなった。トリノ五輪は心から楽しめた。

浅田  ええー、すごい。

トリノ五輪のフリーで披露した荒川静香さんのイナバウアー(2006年2月撮影)
トリノ五輪のフリーで披露した荒川静香さんのイナバウアー(2006年2月撮影)

荒川  それまでは他人と常に比べられて、比べようがない部分でも比べられて。苦しいのが当たり前。でも、楽しむことでそれを解放できる。真央ちゃんが気づかせてくれた。一緒に試合に出なければ、五輪をあそこまで楽しめなかったと思う。

浅田  私も苦しい時、「楽しかった時もあったな」って思い返してみた。でも、なかなか楽しめなかった。

荒川  何年か後、苦しそうな時に言ったよね。「真央ちゃんが楽しむことを教えてくれたんだよ」って。

浅田  すごく覚えている。でも、楽しもうと思っても、できなかった。楽しめないまま、現役が終わった。難しかったですね。

荒川  私は開き直った。もう、最後だったから。先があったらわからない。

浅田  18歳の時、まず1回目のキツイ時期がきた。

荒川  バンクーバー五輪の前のシーズンだよね。

浅田  そこからは、基本的にずっと苦しかった。常に「1番でいなきゃいけない」というか。自分も1番でいたかったし。気持ちに、自分の技術が追いつかなくなってきた。引退してようやく、「スケートっていいな」って思えるようになった。

  ――ソチ五輪はショートプログラム(SP)で思わぬ失敗があった後、フリーで素晴らしい演技をして、感動を呼んだ。(注〈2〉)

ソチ五輪のフリーで自己最高となる142・71点をマークした浅田真央さん(2014年2月撮影)
ソチ五輪のフリーで自己最高となる142・71点をマークした浅田真央さん(2014年2月撮影)

浅田  静香さんも言っていたけど、吹っ切れたというか。もうやるしかないし、どうなってもいい、と思い切った。そっちの方が後悔しないって、最後に切り替えられた。

※【浅田真央と荒川静香が語る五輪とお互いのこと<中>…今夏、十数年ぶりの共演へ「いつか一緒に滑りたいと」】に続く

注〈1〉  2005年に浅田がシニアのGPデビュー。初戦の中国杯は浅田2位、荒川3位。2戦目のフランス杯は浅田が初優勝し、荒川は3位。浅田は上位6人によるGPファイナルに進出し、初優勝した。

注〈2〉  14年ソチ五輪で金メダル候補だったが、SPで転倒して16位。フリーは、トリプルアクセルを決めるなどして自己ベストをマークし、6位まで追い上げた。

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