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荒川 真央ちゃんを見て、やるべきことに純粋に向き合って楽しむことで、スケートに返ってくるんだと感じたから。年末の全日本選手権から、ちょっとずつ楽しくなった。トリノ五輪は心から楽しめた。
浅田 ええー、すごい。
荒川 それまでは他人と常に比べられて、比べようがない部分でも比べられて。苦しいのが当たり前。でも、楽しむことでそれを解放できる。真央ちゃんが気づかせてくれた。一緒に試合に出なければ、五輪をあそこまで楽しめなかったと思う。
浅田 私も苦しい時、「楽しかった時もあったな」って思い返してみた。でも、なかなか楽しめなかった。
荒川 何年か後、苦しそうな時に言ったよね。「真央ちゃんが楽しむことを教えてくれたんだよ」って。
浅田 すごく覚えている。でも、楽しもうと思っても、できなかった。楽しめないまま、現役が終わった。難しかったですね。
荒川 私は開き直った。もう、最後だったから。先があったらわからない。
浅田 18歳の時、まず1回目のキツイ時期がきた。
荒川 バンクーバー五輪の前のシーズンだよね。
浅田 そこからは、基本的にずっと苦しかった。常に「1番でいなきゃいけない」というか。自分も1番でいたかったし。気持ちに、自分の技術が追いつかなくなってきた。引退してようやく、「スケートっていいな」って思えるようになった。
――ソチ五輪はショートプログラム(SP)で思わぬ失敗があった後、フリーで素晴らしい演技をして、感動を呼んだ。(注〈2〉)
浅田 静香さんも言っていたけど、吹っ切れたというか。もうやるしかないし、どうなってもいい、と思い切った。そっちの方が後悔しないって、最後に切り替えられた。
※【浅田真央と荒川静香が語る五輪とお互いのこと<中>…今夏、十数年ぶりの共演へ「いつか一緒に滑りたいと」】に続く
注〈1〉 2005年に浅田がシニアのGPデビュー。初戦の中国杯は浅田2位、荒川3位。2戦目のフランス杯は浅田が初優勝し、荒川は3位。浅田は上位6人によるGPファイナルに進出し、初優勝した。
注〈2〉 14年ソチ五輪で金メダル候補だったが、SPで転倒して16位。フリーは、トリプルアクセルを決めるなどして自己ベストをマークし、6位まで追い上げた。
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