円安は政府と日銀による究極の国民イジメだった… 野党もメディアもなぜ声を上げないのか

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国民をだまし、いまもだまし続ける日銀

 いまの円安につながった大規模な金融緩和を日銀が導入したのは2013年4月、アベノミクスの「第1の矢」を担ってのことだった。デフレから脱却し、国民の富を拡大することが目的だとされ、そのために物価を対前年比2%程度上昇させると説明された。しかし、物価はなかなか上昇しなかった。コロナ禍が収束に向かいはじめた2022年以降は一転、ひどい物価高に見舞われているが、日銀は緩和政策をやめようとしない。

 ということは、金融緩和の目的が物価上昇だという説明は、まやかしだったことになる。では、ほんとうはなにが目的だったのか。一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏は「『急激な円安にもかかわらず、日銀が金利抑制策をやめようとしなかったのはなぜか?』に対する答えは、『低金利と円安が、真の目標だからだ』ということになる」と記すが、実際、ほかに理由は見当たらないし、そう考えないかぎり辻褄が合わない。

 目標のひとつの「円安」は、いうまでもなく、大企業に利益をもたらすためのもので、たしかに、史上最高益を記録する企業の続出につながった。だが、それをもって経済活性化といえるのか。野口氏によれば、2000年以降、鉱工業生産指数はほぼ100で変化がなく、企業の生産活動は拡大していないという。一方、円安のせいで輸入価格は上昇したので、企業の原価も上がったが、その分を製品価格に転嫁し、消費者に負担させたので、企業の利益だけは増大したという。その結果、大企業の利益だけは増大しても、消費者は賃金が上がらず物価だけが上昇し、実質賃金が低下したのである。

 それでも、利益を増やした大企業に、成長する余地が生まれたならまだいい。だが、なにもせずとも助けられ、濡れ手で粟の利益を得た企業は、10年以上にわたって技術革新や改革を放棄してしまった。結果、2012年にはアメリカとほぼ同額だった日本の一人当たりGDPは、いまやアメリカの4割程度にまで下がってしまった。

 もうひとつの「低金利」は、躊躇なく国債を発行して、際限なく財政出動できるようにするためのものだろう。だから、コロナ禍においても、家計や企業に給付金を大盤振舞いできたが、その結果、2012年末に705兆円と、すでに天文学的数字にふくらんでいた国債残高は、2023年末には1070兆円前後にまで膨張。金融緩和前の1.5倍になっている。

 むろん、それらは国家予算から返済すべきもので、毎年の償還額は、国債残高の約60分の1とする60年償還ルールが定められている。したがって、利息がゼロだとしても、毎年の国家予算から16兆円以上を、国債の償還に回さざるをえない。もし、いま金利が上がれば償還額は激増するので、日銀は緩和政策について自縄自縛の状態に陥っている。そう考えれば、すべての辻褄が合う。

なぜ国民イジメを野党もメディアも無視するのか

 ここで、冒頭で紹介した日銀の植田総裁の発言の意味を、あらためて考えたい。円安は「基調的な物価上昇率に大きな影響をあたえてはいない」うえに、円安による物価上昇は、現時点で無視できる範囲だ、というのがその内容であった。いまほど円安が進んでいなかった昨年、すでに消費者物価が3%を超えて上昇し、このところ異常に進んだ円安を受け、今後はさらなる上昇も見込まれる。当然、消費マインドは冷え切っているが、なぜ、それを無視できるといい切れるのか。

 消費者だけではない。急激な物価上昇で原価も高騰し、中小零細企業はこれまで以上に苦境にあえいでいる。今春は賃上げ率が高く、物価上昇とそれを上回る賃上げの好循環が生まれつつあるようにアナウンスされているが、これだけ原価が高騰を続ける以上、岸田総理がいくら発破をかけたところで、中小零細企業にとっては、今後も賃上げを続けられる状況ではない。

 それでも植田総裁がいまの異常な物価上昇を「無視できる範囲」といい切るのは、次の理由からであるとしか考えられない。すなわち、日銀にとって大事なのは大企業に利益をもたらすことと、国債の利息を押さえて償還額を増大させないことであって、それらと天秤にかけたとき、消費者が多少の物価高で苦しんでいることなど、無視してもいい――。そこには消費者の目線はかけらもない。

 いうまでもないが、消費者にとっていまの物価高は無視できるレベルのものではない。したがって、円安を放置していていいはずがない。消費者だけでなく、大企業の将来をもむしばんでいるのがいまの円安である。すでに述べたように、ぬるま湯に浸りながら利益が得られる状況が政策的に作られたことで、日本企業は世界における競争力を失った。その弊害をいまのうちに直視しておかないと、取り返しがつかなくなる。

 同様のことは、たとえばインバウンドにもいえる。いま訪日している外国人で、円高になっても日本に来たいと思う人がいるだろうか。安いのが魅力というだけの現状では、円高に転じた瞬間にインバウンドは萎む。ほんとうは日本を磨き上げ、魅力を増すための努力が必要なはずだが、円安のおかげで各地がそういう視点を見失っている。政策で誘導されたぬるま湯に浸って技術革新を怠った企業と同じである。

 また、外国人と反対に、日本人は内向きになり、海外への留学生も激減している。だが、海外で学ぶ若者が減れば、将来の国力低下に直結する。

 まだまだあるが、結局のところ、先進国では(日本はすでに先進国ではないかもしれないが)例外である緩和的な金融政策に終止符を打ち、円安を是正する以外、日本が再生する道はない。そもそも、大増税と同様の負担が政策的に国民に課せられているのに、野党もメディアもまったく無視しているという機能不全の日本に、強い憂慮の念を示しておきたい。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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