「そうは問屋が卸さない、というのは本当だね」と、小林は唇をかむ。17年12月のある日、早朝から商品が各店舗に届かない。それどころか、卸会社が店頭から商品を引き揚げている。

「きょう、倒産するのか?」と、ある取引先から電話で問われた小林は寝耳に水だったが、卸会社はやまととの商売から手を引いていた。協力的だった取引先からの説得もあり、この日のうちに小林は全店舗の閉店と、会社の倒産を決心せざるを得なかった。

 銀行団の姿勢とは対照的に、ここ数年、一部の卸会社の支払い要求がどんどんと強まっており、小林は神経をすり減らす日々が続いていた。

 加えて小林は「若くして県内のマスコミに再三、取り上げられた。私をよく思わない関係者も多かっただろう」と振り返る。

 社長になる前には、ライバルの県内最大手のスーパー首脳から、買収を持ち掛けられた。その時には「いつかみなさんを買収しに行きます」と啖呵を切った。その後、このスーパーによる出店攻勢が激しくなったのは言うまでもない。

 もっとも、倒産した小林を支える動きも広がった。倒産するにも弁護士費用などの資金が必要になるが、友人や経営者仲間らがカンパを募った。本部の事務所には激励の電話や訪問が相次ぎ、差し入れが引きも切らなかったという。

 小林は「地域の問題は、災害に似ているんだ」と話す。地域は大切だと誰もが言うが、普段はそこに潜んでいるリスクを感じにくい。買い物難民が実際に発生するなど、問題が起きて初めて、彼らが本当に直面している危機を認識するが、そうならなければ、ゆっくりと衰退し、やがて自壊していく。

 会社の連帯保証人となっており、財産を差し押さえられた小林は今、妻の実家に暮らしている。小林が身をもって得た経験には、全国の地方都市で共通するものが多く、得るべき教訓に満ちているはずだ。(敬称略)