近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
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村松常雄、名古屋大学就任: 『愛知県精神病院史』 その7 <新シリーズ・小林靖彦資料 84>

杉田直樹の後任として、1950(昭和25)年に新制・名古屋大学に赴任したのが村松常雄(1900-1981)だった。
杉田時代からの「(一高→)東大閥」はなおも続いたことになる。
村松の前職は、国立国府台病院院長である。
前任者・杉田のもとで助教授だった岸本鎌一は名大環境医学研究所の教授へと栄転。
村松のもとで助教授になったのは堀要、講師は田原幸男である。

村松の就任挨拶は、「単に名古屋の、単に日本の大学という狭い視野にとらわれずに、世界に於ける1研究者グループとしての自覚と抱負とを持たねばならない」という自負に満ちたものだったという。

村松の精神衛生(いまなら精神保健福祉だろう)分野への貢献は大きく、とりわけ東海地区から広がるMSW/PSW(医療/精神科ソーシャルワーカー)の専門職業化に果たした彼の役割はもっと評価されてもよい(僭越ながら、そのあたりは以下の論文を参照:橋本明「わが国における精神科ソーシャルワーカーの黎明」『愛知県立大学教育福祉学部論集』 61: 113-122, 2012)。

以下は小林のアルバムから。

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村松教授

 先生は明治33年4月12日、生粋の「江戸っ子」として日本橋に生まれ、東京府立一中、一高を経て、大正14年3月東京帝国大学医学部を卒業された。卒業と同時に東京帝大医学部精神病学教室に入局、ひきつづき東京府立松沢病院にも勤務された。昭和8年より2年間、Rockefeller 財団の Fellow としてアメリカ合衆国、及びドイツに留学された。

 昭和11年に東京医専、仝14年には聖路加女子専門学校の教授を夫々嘱託され、仝15年には松沢病院副院長に就任、仝12年には東京医大教授を嘱託、仝23年には国立国府台病院長に就任された。かくして、昭和25年3月31日付をもって、名古屋大学教授として赴任された。

 先生は夙に、精神衛生への関心が深く、既に昭和5年に「精神衛生」の著述があり、日本に於ける此の領域の開拓者として、昭和11年より東大脳研に児童相談所を開設し、又終戦後は、監獄法改正調査委員、中央刑務委員会委員、中央児童福祉委員会委員、矯正科学審議会委員、司法保護事業審議会委員、精神衛生審議会委員等として活躍され、名古屋大学赴任後も、国立精神衛生研究所顧問、日本福祉大学の名誉学長等々の委嘱を受けて居られ、国際的には、昭和26年アメリカ精神医学会連絡委員に推され、また本年5月には World Health Organisation よりの WHO Expert Advisory Panel on Mental Health の Member に推薦せられた。

(注:以上の記述は、名古屋大学医学部精神医学教室の『教室五拾年史』昭和33年、からであろう。)







(つづく)

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