近代日本精神医療史研究会

Society for Research on the History of Psychiatry in Modern Japan
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名古屋大学医学部付属病院分院精神神経科: 『愛知県精神病院史』 その11 <新シリーズ・小林靖彦資料 88>

前回、名古屋大学の話は終わりと書いたが、もうひとつあった。
それは、大学附属病院の分院である。
この設立には、戦争が影を落としている。

名古屋市東区にある「名古屋大学大幸医療センター」の前身の話となる。
現在のこの大幸医療センターの隣が名古屋大学医学部保健学科で、そのまた隣に愛知教育大学の附属幼稚園・小中学校がある。

以下は小林靖彦の記述。
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名古屋大学医学部附属病院分院精神神経科。

 昭和18年9月6日、名古屋市中区新栄町3丁目29番地の陸田ビル(昭和18年5月18日、陸田志よう氏寄附)に、名古屋帝国大学医学部附属医院分室が設置され、臨時附属医学専門部の臨床実習及び一般の診察を開始した。

 精神神経科も、病床3床を持って診察を開始した。

 昭和19年2月18日、堀講師は、名古屋帝国大学医学部臨時附属専門部教授に任ぜられ、分室精神神経科医長となった。

 昭和19年3月31日、臨時附属医学専門部は、附属医学専門部と改称された。

 昭和19年5月19日、医学部附属医院分院と改称。

 昭和22年10月1日、名古屋帝国大学は、名古屋大学と改称。

 昭和24年5月31日、名古屋大学医学部附属病院分院と改称。

 昭和25年4月1日、附属医学専門部は廃止され、医学部の第2臨床病院として再出発。

 昭和36年9月20日、名古屋市東区東門前町2丁目1番地(現在の東区東桜2丁目12番地の1号)に、新築移転す。

 昭和57年7月2日、名古屋大学医学部附属病院分院は、名古屋市東区大幸町1-1-4に移転開院し診察を開始した。

 精神神経科医長は、堀要のあと、吉川洋、吉川博明、小田松夫、伊藤克彦、加藤雄一、木村明夫、大井正己と引き継がれて今日に及んでいる。


(名古屋市東区東桜時代の建物か?)


(名古屋市東区東桜時代の建物か?)


(移転後間もない名古屋市東区大幸の建物であろう)


(大幸の建物)


(大幸の建物の内部だろう)






(つづく)

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