「いくさやならんどー」 1

      『内戦の中、ある母に――
      「おまえはどの党を支持しているんだ?」
      「知りません」
      「おまえは共和党か、王党か? どっちについているんだ?」
      「わたしは子どもたちについています」』

      (ヴィクトル・ユゴー作「九十三年」から)

      「君が世界を変えていく」(池田大作・朝日出版社)にまとめられたエッセーは、聖教に掲載されたものです。ユゴーの貧しい者への慈しみを紹介した一節は、革命とヒューマニズムという小説の主題を感じさせます。ユゴー自身、過酷な環境におかれても、不屈の魂で自らの人生を総括しました。
      「もう殺戮はたくさんだ!」と題されたエッセーのなかで、悲惨なエルサルバドルの内戦を語りながら、次のような戸田先生の言葉を引用しております。

      『私は「感傷的な話」をしているのではない。母と子を救えと叫ぶのは、感傷ではない。「国際政治の現実を知らない、きれいごと」でもない。反対に、これほど現実的な話はないと信じている。この現実を救うために、あらゆる知恵をしぼるのが、真の政治だと信じている。
      創価学会の戸田第二代会長は、私の師匠である。師の会長就任は、五十年前の一九五一年。朝鮮戦争(韓国動乱)のさなかであった。就任に先立つ臨時総会で、先生は言われた。
      「朝鮮戦争の勝敗、政策、思想を、今ここで私は論ずるものではありませんが、この戦争によって、夫を失い、妻を亡くし、子を求め、親をさがす民衆が、どれほど多くなっているか、それを嘆くものであります」と。
      「昨日までの財産を失って、路頭に迷い、悲しみ苦しんで死んでいった人もいるでありましょう。なんのために死ななければならないのかと憤りつつ、死んでいった若者もいるにちがいありません。私はなにも悪いことはしなかったと叫んで殺されていく老婆もいるでありましょう。また、親とか兄弟とかが、この世にいることを不思議がる子どもの群れも、あるいはできているかもしれません……」
      「彼らのほとんどは、共産思想とはなにか、国連軍がなぜやってきたのか、何も知らないにちがいない。お前はどっちの味方だと聞かれて、びっくりしながら、ごはんが味方で、家のあるほうへつきますと、平気な顔で答える情景もあるにちがいないと思うのであります……」と。
      恩師の心は、常に、最も弱き立場の人の上にあった。
      この一点から発想しなければ、大地から足が、ふわふわと離れた机上の議論だと思っておられた。
      そういう、民衆を忘れた議論は、冷たい観念の刃で、民衆を切り捨て、切り裂いていくことを見抜いておられた』
      (「もう殺戮はたくさんだ!」)

      「小説・人間革命」の連載が終了しましたが、特に感慨はありません。基本的にフィクションであり、また先生の決意小説であり、菩薩像の一つの姿であり、励ましの小説でもあります。また、良い意味でも悪い意味でも、宗教教団の歴史の捏造という、決してやってはならないことをやりながら、真実をアピールするやり方は、会員のみに受け入れられる書き方でしょう。9月の本幹で「真実」と「事実」は違うと語っておられました。アーカイブからランダムに選ぶわけではないでしょうから、この放送はきっと、事実と違うという言い訳の理由付けが目的なのでしょう。池田先生のご指示があったのでしょうか。事実を意識的に歪めている時点で真実は失われると思う。「小説・人間革命」を象徴的に言い表しているようです。それに比べれば、上記のエッセーは、中、高校生から幅広い青年層を対象にしたものと思いますが、良質の出版であることは疑いありません。
      ものの見方について、次のような優れた表現もありました。
      『だれもが自分に問うてみる必要がある。
      自分は、与えられたイメージを「うのみ」にしているのではないか?
      不確実な情報を吟味もしないで、そのまま受け入れているのではないか?
      しらずしらずのうちに、偏見に染まっているのではないか?
      そもそも自分は、どれだけ事実を知っているのか?
      自分で確認したか?
      現場に行ったか?
      本人に会ったか?
      その言い分を聞いてみたか?
      悪意の「うわさ」に踊らされているのではないか?
      こんな「自分との対話」が大事ではないだろうか。
      「自分は、自分で気づかない偏見を、いっぱい持っているにちがいない」と自覚している人のほうが、「自分には偏見など少しもない」と思いこんでいる人よりも、異文化との対話もスムーズに進むだろう。
      自分を見つめず、自分と対話しなくなった人は、独善的になる。一方通行の道路のようになる。話を聞かない。対話もできない。
      平和のための「対話」。その出発点は、謙虚な、「自分との対話」なのである』


      偏見や先入観を持たないこと。仏教の優れた「内面を観ずる」方法は、行動を公平に評価するために有効ですが、実際に活用するトレーニングを行わなければならないと思います。信仰は最良の自己再生の心理過程をたどりますが、言いかえれば内面への深いアプローチが信仰ということ。「自己との対話」は真摯でなければできません。少なくとも、言い訳して自分さえ欺き、他に目をそらさせようとする信仰者は、妙法の正直捨方便の姿ではありません。偏見や先入観は方便に含まれるでしょう。
      仏教の平和思想のバックグラウンドに、「一切衆生悉有仏性」という言葉があります。生命の尊厳を説く仏性論と、仏国土論の理想社会の実現は、創価の平和思想の根本です。現実への果敢なアプローチは、やや疲労気味に意識が混迷していますが、それは中心をなす御本尊や三大秘法の教義に普遍性が感じられなくなったからでしょうか。柱がなくなれば家も傾きます。
      日蓮の「立正安国」は正法に帰依することを前提にしているのか、していないのか、議論の余地がありますが、現在の平和運動の基本は、悲惨の二字をなくすと宣言した、戸田先生の理念にあることは言うまでもないことです。「小説・人間革命」が沖縄で執筆開始されたことはよく知られておりますが、たぶん、池田先生は沖縄の風土にそうしなければならない理由を感じられたからでしょう。
      沖縄は、第二次世界大戦の唯一の地上戦が行われた舞台です。その国土の宿業ともいえる貧困や戦火の繰り返しは、地政学上の要所としての重要性もあり、悲惨な歴史から逃れることができない必然的な悲しみがありました。大海にある島は、紛争や戦争の舞台になりやすいことは、少し考えればわかります。戦略上の拠点を築きやすいこともありますが、島であるがゆえに征服されやすいという欠点もあります。東シナ海と太平洋を分ける線上に位置し、尖閣諸島問題をはじめ多くの領土問題を抱えていることは周知の事実です。このような複雑さは地理的な利点が国家利益に直結するからです。
      沖縄はその複雑さのなかで、いつも揺れ動いてきました。そしてそのたびに争いが起き、島民に犠牲が強いられたのです。平和を願うなら、まず沖縄からと考えるのも、その歴史を知れば、沖縄の民の人の良さとおおらかさに日本人の原風景を見ると同時に、平和を強く望むのも当然のことなのです。

      創価では、反戦平和の具体的活動を粘り強く推進してきましたが、その多くは池田先生の平和提言や著名な平和活動家などとの対話から、その範囲を広げてきたものです。核兵器廃絶への国連をはじめ国際的なロビー活動は民間組織として顕著ですが、一朝一夕に信頼が高まったものではありません。
      その反戦平和の中心となって活動している主体は青年部ですが、現在では小じんまりとした縮小傾向にあり、その原因として、なにより人材不足が響いています。婦人部は、創価の草創から弘教の主力を努めてきました。平和運動も草の根の地道な活動を土台にしながら、活動の幅を広げてきました。女性の視点から平和運動を論じ行動する必要性は、女性の社会参加の観点からも大切なことですが、創価婦人部は着実にその困難な足跡を積み上げてきました。わたしが各年代の婦人部に接してきた感覚では、20~30年前に最前線に立っていた婦人部が、ずっと問題意識があったように思う。現在の婦人部の主力はまるで、意志不在の選挙要員に成り下がっているように思えて、どうしてそのようなレベル低下を招いたのか、信仰そのものに問題があるように思えて仕方ありません。
      そのなかで特筆すべき活動に、反戦出版を通して、戦争体験を歴史の証言としてまとめたことです。第三文明社からの出版は、絶版になっているようですので、非常に残念です。貴重な証言集は二度と編むことができない無二のものと認識しておりますが、多くの市民に読まれ、その価値を認められてこそ、創価の平和運動も社会の底辺に定着するものと思います。
      創価も教義上の問題を抱えておりますが、明快さが不足したその曖昧さは致命的な欠陥になる可能性があります。世界宗教と広言し、その賛同者を求めていく創価の平和運動は、他宗教の共存と共有、仏教がキリスト教やイスラム教と共存できるのかという難しい問題があります。そのためには対話が欠かせませんが、対話力に秀でたリーダーがいるのだろうか、悲観的な情勢だけが頭をよぎります。

      「小説・人間革命」の終了で、一つの区切りがつきました。現代の御書とか、教科書というわりには、会員の原動力になっていない気もしますが、学習意欲にも末法的な減衰感に似たものがあるのかもしれません。感じ方はいろいろなのですから、読んで生命力が弱くなる悪循環もないとはいえません。唱題して疲れる場合もあるし、深く集中しなければ血液も浄化されません。わたしの場合はスピリチュアルな感度が磨かれません。題目の数を自慢する人がおりますが、自慢しただけ、生命は負の方向に傾いていくでしょう。自己顕示欲と「慢」という意味をよく知らなければなりません。
      現代の御書などという形容を聞くと愚かさより感じませんが、先生の側近からそのような発言があることに、信仰では冷静さは実現しにくいものという感慨を抱いてしまいます。自己啓発は、客観的な自己診断が必要です。過剰な形容は間違いの元。
      「人間革命・13巻」に返還前の沖縄が描かれております。
      『沖縄の問題は、山本伸一が最も胸を痛めてきたことの一つであった。
      彼は、佐藤・ジョンソン会談の三ヵ月前にあたる、六七年(昭和42年)八月の第十回学生部総会で、沖縄問題について、次のように言及していった。
      「日本の一部である沖縄が、戦後二十二年間もアメリカの統治下に置かれてきたことは、沖縄の百万島民はもちろんのこと、日本人全体にとっても、忍びえないことでありました。
      したがって、名実ともに、沖縄のすべてを日本に復帰させることは、現地住民の悲願であるだけでなく、日本国民全体の願いであります。
      現在、沖縄は、米軍の施政下にあり、現地の人びとは、日本人として平等の人権が尊重されず、普遍的な国民福祉の享有が、できない現状であります。のみならず、沖縄に軍事基地が置かれている事実は、日本の運命、世界の平和にとって、大きな脅威であり、核兵器の持ち込みは、日米間の友好関係を促進するうえに、大きな障害となっております。
      私は、この沖縄の現状を改善していくために、次のように主張したいのであります」
      そして、「施政権の即時全面返還」「核基地の撤去」「通常基地の段階的全面撤去」を訴えたのである。また、産業振興対策を強力に推し進めていくために、「沖縄経済総合開発調査会」「沖縄総合開発銀行」の設立等も提案していった。
      彼の提案は、これまで沖縄に何度も足を運び、その現状を見て、さまざまな人びとと対話を重ねるなかで、練り上げてきたものであった。
      核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になつてこそ本土復帰である――それが、沖縄の人びとの思いであり、また、伸一の信念であった。
      「本土復帰」という住民の悲願の実現を盾に、核兵器や基地を沖縄に背負わせるとするならば、かつて沖縄を本土決戦の"捨て石"にしたことと同様の裏切りを、政府は重ねることになる』


      聖教に連載されたのは2002年のことですので、16年前の「人間革命」ですが、山本伸一がいかに沖縄を考えているかというパフォーマンスに満ちております。「核も基地もない平和で豊かな沖縄」どこかで耳にしそうなフレーズが、どれだけ沖縄の人々を裏切ってきたのか。政治家と違い公約でありませんので好き勝手なことを言えるわけです。あたかも、沖縄の救世主のような振る舞いですが、どこまでも自分で自分を誉める自己評価のレベルを出ていません。
      裁判まで発展した普天間基地移設問題は、2016年12月、最高裁で判決があり県の上告を棄却しました。国の勝訴が確定はしたものの、この裁判を提訴した国交大臣が、皮肉にも公明党・石井啓一大臣です。そして、与党としての公明党を強力に支援しているのが創価なのです。その創価の理念の体現者が先生であり、「核も、基地もない」と適当なことをいって沖縄の人々を喜ばせ、新たな基地を造ることに賛成しているのが公明党の支持者なのです。
      民主党政権のとき、後先を考えず「最低でも県外」と無責任な発言をした鳩山元首相と、立場は異なりますが、責任を取らないことでは同じです。また、中国のたびたびの領海侵犯を危惧し、防衛上の必要悪として基地容認する本土の会員をよく見かけますが、沖縄の人々に言わせれば、本土都合の上から目線というところかしら。日米地位協定はもちろん日米安保条約そのものの見直しが必要です。池田先生も「人間革命」で提案しておりますが、「基地の段階的全面撤去」という具体的な進展はあったのでしょうか。そもそもその具体的な案を持っているのでしょうか。言うだけ言って後は政治の仕事だと、いつものように逃げるのでしょうか。沖縄の人々を悩ませている日米地位協定について、公明党の発言や提案は何かありましたか?
      創価と公明党、現在はほとんどダブルスタンダードで動いています。創立の理念は失われておりますが、どういうわけか、会員の公明支援の縛りは強くなっているように感じられます。その矛盾をなんとも思わない会員は、政策については何も考えていません。基地があることによって、今までの数々の悲劇に苦しむ沖縄の人々に寄り添い、平和な島にしていくという具体的な解決の進展もなく、却って政治的対立の真正面に立って争う公明党を、一体会員はどのように考えているのだろうか。沖縄の宿命転換は成就されるのでしょうか。
      大御本尊の不受持を決定し会則変更したときも、執行部は、池田先生の考えを忠実に実行したと思われます。一方で肯定し、他方で否定する。そのような行為は半狂人であると牧口先生が言われておりましたが、とどのつまり、その矛盾を放置するいい加減さは、魔の所為にあたるのではないでしょうか。あるいは、沖縄の解答不能な問題を都合よく活用し、会員の正義心を煽って選挙運動に動員し、政権内に勢力を拡大しようとする意図も、今となっては分別があるのかどうかさえもわからない先生を、巧妙に利用しているということなのでしょうか。それも、それらも妙法の正しいメソッドなのですか?

      わたしの非政治的頭脳で考えて提案すると、
      一つには米軍基地の整理統合、縮小。
      二つ目には防衛問題全体を議論し、憲法改正を含んだ自衛隊の整備、米軍撤廃を実現し、自衛隊に段階的に肩代わりさせる。
      自分の国は自分で守るという大前提に立ち、その上でアメリカとの安保条約を見直し、安全保障を考えていく。アメリカに全面的に頼り、またはその核の傘に入り、抑止力を拡大する現在の考え方は、遅かれ早かれ放棄しなければならないでしょう。

      知事選が13日に公示されました。「オール沖縄」が支持する候補は、ある意味、複雑な沖縄の歴史を背負った人かもしれませんが、自由党出身であり、金権政治の洗礼を受けた小沢一郎代表の影響が心配です。わたしの杞憂であればよいのですが、政治家の原点、清潔で質素なプライベートであっていただきたいと考えます。沖縄にこそ、そのような政治家が必要です。
      また、一部の革新系の勢力は、身体に染みついた反日イデオロギーは簡単に払拭できません。沖縄の独立中立の選択は、どこまでも理想論であり、現実的でありません。却って貪欲なナショナリズムの餌食になり、再び紛争に巻き込まれる事態になるでしょう。そのような脅威が決して幻想でないことは、沖縄のそもそもの不幸であり、宿命とも言えるものです。

      前知事・翁長氏は知事になる前は、沖縄の自民党の中心にあり、とても保守的な政治姿勢の持ち主だったと思います。わたしの個人的感想を言えば、知事選に出馬するとき、それまでの人生を180度転換させる決断があったのではないかと思います。真の保守は歴史から学び、歴史の修正をはかっていくところですが、これはときには、イデオロギーの堕落と批判を受けることがあります。主要な論点である基地問題を、今まで通り国政の言うがままに受け入れることができないという結論は、歴史修正主義の一つの教訓から導きだされたものと理解します。沖縄を思う心情に溢れていますが、本土の人々には理解されなかったという寂しさがありました。安倍首相には、敵と味方を峻別する独特の勘があります。この政治家の性格が悪く働く方向に、森友問題や加計問題があります。辺野古に新基地は造らせないという翁長知事の強硬な態度は、沖縄関係予算の減額という報復で応えました。
      人生には、他人の理解が得られなかったとしても、潔く方向転換する瞬間があるのではないでしょうか。変節したのではありません。理想のために、来た道とまるで風景が違う、これから行こうとする道を選択したのです。苦渋の選択と表現したければそれでもよいでしょう。沖縄のために勇気を持って踏み出そうとしたのだと、わたしは考えます。
      沖縄の経済は、主要な産業が観光に偏っているために公的支援が欠かせません。離婚率の高さの原因に経済的問題があると考えるのですが、児童の貧困率も高く、子育て・教育インフラの整備、社会全体の活性化が早急のテーマです。
      選挙を左右するのは浮動票の動向であることは、どの地域でも変わりありません。その浮動票のなかに、多くの女性票があると思います。防衛問題や基地問題は、女性にこそ考えていただきたいというのが、率直なわたしの意見です。現実的に基地が存在し、今すぐ撤去できないなら、その他の生活に直結する諸問題に目を向け、そのサービスを堂々と政治家に要求していただきたい。政治は、あなたやあなたの隣人やあなたが所属するグループや会社のためにあるのですから。主義や思想も大事ですが、それ以上に、毎日の生活が安心であり、安全であることを、誰しも望むのではないでしょうか。

      Okinawa war 1945 4 沖縄戦カラー映像(注意:残虐な場面があります)


      沖縄戦のフィルムが多く公開されておりますが、わたしには正視に耐えません。
      アメリカ軍が上陸した沖縄本島西南部・嘉手納湾一帯は米軍艦船で海が見えなかったとも言われています。1600余隻の艦艇とともに、制空権、制海権も奪われ、日本軍にすれば絶望的な戦況だったということです。また攻めるアメリカ軍も、第二次大戦のなかで、最も激しく過酷な戦場だったとも言われ、精神的な異常に陥る兵士も多くいたということです。そしてなにより、無力な沖縄県民を巻き込んだ戦闘が繰り広げられたこと。
      沖縄返還後も、占領状態は実質的に続いていると認識してもよいでしょう。アメリカ軍基地の70%が沖縄に集中している現実は、快く肯定するような正常範囲であるはずがありません。
      沖縄の人々の悲しみは、とても深く、つらいものであることを、戦争を体験していないわたしたちのような世代は、機会があるごとに考えなければならないでしょう。さらに戦争被害者であると同時に、加害者でもあることを忘れてはならないでしょう。暴力否定の十分な認識と学習と行動が、創価の新たな世代に必要です。安易な政治支援をしている場合ではありません。


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      ♡Comment

      天ぱ | URL | 2018.09.16 12:45
      いつも有難うございます。
      池田氏の沖縄への想いが
      どれほど真剣だったかは、私には分かりません。
      直接お聞きした事は無いので、
      池田氏の平和思想?と、
      彼が手作りした公明が
      今、やっている事が、
      リンクしないと感じます。
      権力の魔性に取り憑かれた感が、。
      沖縄の基地問題をどう解決するか?

      アメリカは戦勝国。
      日本は敗戦国。

      日米地位協定は日本(沖縄)にとって
      不利な条件であるのは、ある意味
      当たり前で、

      池田氏の空論では
      現実的な解決策がない。対話は重要ですが、
      大人には駆け引きも必要かと。

      自発的に沖縄へ馳せ参じてる学会員は、
      どれほど真剣に沖縄県の人を想い
      選挙活動されてるのか?
      座談会で私はF100やり切りましたぁ!♪
      などと、得意満面で活動報告してる顔が
      創造 出来ます、、。
      アンナ | URL | 2018.09.16 20:53 | Edit
      コメントありがとうございます。
      F活動も、現世利益の一環です。その動機となるものは、以前、王仏冥合という言葉が使われていたことがありましたが、基本的に同じです。これは長い歴史があり、日本仏教の特徴とも言えますが、政治権力との癒着が問題を起こしました。政治と宗教はいつの時代でも深く結びついているのです。日蓮はとくに政治的志向が強く、「立正安国」に見られるように、仏法と政治が一体となる、仏法国家を肯定しました。王仏冥合という政教一致を思わせる言葉は使用しなくなりましたが、実はその思想と行動は脈々と続いているのです。
      F活動を信仰と同じように自主的に行っていると、会員の皆さまは自分自身に言い聞かせておりますが、見えないプレッシャーがかかっています。沖縄のことは沖縄の人々が選択し、決定すればよいのではないかと考えます。
      天ぱ | URL | 2018.09.16 21:58
      沖縄県知事戦において、
      我が公明が推進する方を支援することが、
      仏法上に於いて、何を意味するのか?
      普段は沖縄の事など考えもしない人が
      自発的に沖縄へ足を運び、失笑を買う、、、。

      行けない人は、
      電話やメールで
      候補者への支援を狂信的に
      お願いをする。法戦の名の下に、、、。

      何の意味があるの?って思う次第。

      駄文コメ失礼しました(^o^)
      アンナ | URL | 2018.09.17 13:03 | Edit
      天パさまはいつもお元気でいらっしゃいますね。
      コメントありがとうございます。

      沖縄県知事選について、あちこちで同じようなことを何回も説明しているので、頭の使い過ぎなのかしら、ここ数日、子どものように知恵熱が出て体調がすぐれません。大人でも考え過ぎると熱が出るのを知りました。
      女子部から真面目に婦人部に進出し、女子部時代の純真さを引きずっているわたしのような会員は、だいたい、善なるものや権威に楯突く免疫のない方が多い。わたしもその一人だったんですね。うれしいことですね。わたしって威勢がよいわりには、以外と抵抗力がないのだと感じるこの頃。台風の季節もそろそろ明け、涼しい秋の気配も感じますので、きっと悪い菌も徐々に減っていくことでしょう。

      婦人部の皆さまは、公明新聞のコピーをせっせとためこんで、理論武装も完璧でいらっしゃいます。沖縄の方々の迷惑そうな表情が浮かびます。他人さまのご都合を考えていたら弱気の虫も出てきます。選挙は強気よっ~て、女子部のときはっぱをかけられて、毎日のように報告の夢を見たことを思い出しました。ぜひ、信念を貫いてください。

      以前、ゲーテの言葉を引用し記事を書いたことがあるのですが、意味がわからなくて、自分なりに勝手に解釈しました。
      『古典的なものは健康であり、ロマン的なものは病的である』
      その意味するところは(エッカーマン「ゲーテとの対話」)のなかにありました。

      『古典的なものを私は健全なものと呼び、ロマン的なものを病的と呼ぶ。この意味でニーベルンゲン(中世ドイツの叙事詩)はホメロスと同様、古典的である。なぜなら、両者とも健全で、力があるから。新しいものの大部分は、新しいからロマン的なのではなく、弱々しく病的で、実際むしばまれているから、ロマン的なのだ。古いものは古いから古典的なのではなく、強く生き生きとして、快活で、健康だから、古典的なのである。そういう性質に従って、古典的なものとロマン的なものとを区別すれば、事は容易に明らかになるだろう』
      ルネサンスは古典への復興運動ですが、内容はロマン的な復興運動でした。ゲーテは古典を健康と比喩していますが、病んだ体が健康を取り戻していく過程と考えれば、ルネサンスは新古典主義とも言うべきものです。
      人間はそもそも病むものです。また社会も病みながら不幸を生産します。精神が健康的だった時代は、空想のなかにしか存在しないように思います。時代はいつも病んでいたのです。これからも病み続けるでしょう。そして夢をみればみるほどロマン的になり、不健康な精神が謳歌する。現代も間違いなく病んでいます。

      最近は音楽の神に誓った言葉を忘れつつあります。天使のキラキラスティックも見えません。音楽が示唆を与えてくれないのです。それでも相変わらず、ロック少女のプライドは、頑なに持ち続けています。
      ロックではありませんが、ずっと前に買ったCDで、マリア・カラスのアリア集のなかに、グノーの「ファウスト」からの「トゥーレの王~宝石の歌」が入っていました。ワルツ風のアリアは、今のわたしにぴったりかもしれません。恋って美しい。悲しい恋も楽しい恋も!

      そんな夢みるかっての乙女も、現実に戻り、瞬きを繰り返しておりますが、エージェントの秘かな情報によれば、次のようなテキストが出回っているらしい。


      ◎沖縄県知事選 さきま淳
      劣勢をはね返す猛拡大を! 現時点で、あと5万票の上乗せが不可欠です。

      9/22(土)・23(日)は「沖縄電話デー」 
      この電話を中心に、今日から1週間の取り組み
      ①すでに当たったF先も含め、沖縄の全人脈へもう一度総当たり。期日前をフル活用して票を固める。
      ②玉突きや、家族から票を分けてもらう対話で、「新たに地区2以上の票」を固める。
      ③最後まで執念の新しいFの開拓を。
      さらに「対話のポイント」と題して
      「翁長知事の遺志を受け継ぐ」「辺野古基地の建設阻止を貫徹する」・・・出馬会見でこう言い放った玉城デ二ー氏。しかし、これは県民をだます選挙目当てのパフォーマンスであり、まさに玉城氏は大ウソつきなのです。


      そして、週刊誌ネタをならべて詳細に記しております。強調していることは、"オザワチルドレン"という言葉。

      以前、あることないこと好きなだけ書かれて憤慨していた同じ週刊誌ネタを使って、他候補の悪口を言いまくる醜さは、ほとんど正常ではありません。この熱狂さはどこからくるのでしょうか。「勝利勝利の大前進」というスローガンも、身体に染みついているようですね。集団で大挙して押し寄せる津波のような"ソウカチルドレン"が、政治を変えていく恐ろしさは、民主主義の根幹を揺るがすものです。池田先生の罪は大きいと思います。病んでいることすら自覚がありません。なのに、創価ルネサンスだなんて、バカバカしいにもほどがあるというものです。
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