ブログ記事を書くたびに、災害見舞を言わなければならない状況は、とても悲劇的であり、危機的だと思います。こういうときこそ冷静さが必要ですね。自然災害は予測できないところで起きますが、政治的に社会不安を解決できる要素があるなら、それに向けて努力すべきです。国民の我慢強さにも限界があります。
おおよそ1年後に、公明党がもっとも熱心な消費税も増税される予定ですが、延期していただきたいというのが率直な感想です。庶民レベルの、年収400万以下(「年収ガイド」)の多くの国民が、さらに生活への不安を抱いていることに、政治家は思いもよらないのでしょう。公明党は国民を苦しめる悪党に変わり果て、いつから庶民レベルから高級志向になったのでしょうか。
また不気味に続く災害を、相変わらず安倍首相のせいだとする会員の記事があり、狂信もここに極まれりというところかしら。創価の邪宗ぶりと自分だけ唯一正しいとする偏狭な考えは、創価が歩んできた歴史がそもそもウソにまみれているという証拠。会員の醜さは創価の未来を暗示しております。もうこういう人間は相手にしないこと、無駄に人生を消費しないように戒めなければなりません。
スピリチュアルなアンテナを持っているわたしは、このごろの天候や気象のせいなのかわかりませんが、ときどき、虚しい気持ちがわきあがってきて、本を読む気もおきない。半年に一回とか、不意に学習意欲を喪失。わたしは勤勉さをずっと継続してきたと思ってきたのに、どういうわけか、虚脱感があるみたいだ。苦しいなかで勤行唱題して思うことは、創価に信仰の純粋さはないということ、教団経営があまりにも政治的な思惑とともに運営されていること。権威について十分な検討がなく、当然会員同士の議論は皆無だということ。
ウイルソン教授が言っていたこと。
『人生は決定すべきことで満ちており、したがって、人間は経験的事実に基づく知識以上のものを必要とします。人間は解釈を要求しますが、解釈には、情緒的な対応と価値観が必然的にともないます。宗教の教えの深さが発見されるのは、まさにこれらのレベルにおいてなのです。そして、宗教が、他の知識体系よりも幅広い範囲の体験に関与するのは、まさにこのためです』
創価も世俗的な志向に満ちており、論理的に堅固に、宗教にふさわしい清浄明瞭さであっていただきたいと考えますが、高い理想と進路を高唱しながら、個人の可能性を最大限に実現できるアドバイスを心掛けているのか、いつも疑問に思います。宗教は空想でなく、日常という現実の再生行為です。精神を呼び覚ますものであり、わたしが異論を唱えるのは正統の単なる異型に過ぎないのに、むりやり形式的に型にはめようとする。宗教によく用いられる普遍的という定義は、再解釈への議論と変化への機会を、普遍的に保障するものという意味であってもらいたい。創価は、言論の自由を保障すると何度も言ってきたのではありませんか。批判や異論を許さない言論の自由はあるのでしょうか。
理想は完全であっても、実践は矛盾と失敗が常につきまとい不満足な形にしか収束できないけれど、その欠陥を補佐してくれる組織は、寛容と慈悲に満ちていなければならないでしょう。
8月24日の聖教に、いわゆる「靖国神社提灯奉納事件」の告訴をした旨の記事がありました。すでに厳密な意味での謗法を容認している創価にあって「謗法厳誡」と恥ずかしくもなく言うところに、苦笑を誘うようなおかしさがあります。日本全国の市町村には、伝統的な祭礼が独自の形態で存在しますが、それらはほとんど神社を中心にした信仰に由来しています。創価では、これらの祭礼に寄付し、参加する姿勢を、地域友好の必要な行動として積極的に承認してきました。同じ町内や隣人に、聖教啓蒙や選挙支援をお願いしなければならない活動上の理由から、町内のイベントや行事に対し、消極的なスタンスは禁物です。
靖国神社への寄付行為も決して告訴するほどのことではありませんが、世法に無知な在家僧は、社会のなかでの信仰のあり方を苦慮している会員の気持ちを察しできずに、ヒステリックに、また形式的に反応します。会員の信仰問題や細部の感情などは二の次です。在家には在家特有の悩みがあるのですが、厳格さを主張し寛容をなくした聖職者は、社会の接点での教義の柔軟な解釈の必要性を認識することはありません。円滑な人間関係や振る舞いは信仰者の目的でもありますので、随方毘尼を主観的に曲解し、仏法本義さえ失わなければ容認するとしてきた創価の問題意識も、あいかわらず低級のまま。大御本尊まで否定しながら、中途半端な教義解釈に止まっているのです。
牧口先生も、国のために亡くなられた方々に感謝するのは当然ということで、靖国に参拝しました。A級戦犯合祀問題もあり、戦時中と現在では事情が異なりますが、牧口先生の信条を適用すれば、靖国だけでなくあらゆる神社に拡大解釈できる可能性もあります。お賽銭なしの初詣なんて提案したら宗門も大騒ぎになるでしょうね。謗法意識がうすれ、その分、御本尊への信もうすれたということでしょうか。世界宗教を考えるうえで、謗法の定義も見直さなければならないと考えますが、ほとんど世俗化し習慣化した信仰形態にそれほど神経質になる必要があるとは思えません。
ただこの「靖国神社提灯奉納事件」では、寄付をした本人が個人名ですれば個人的信仰問題の範囲のなかに収まっていたと思いますが、どうして創価の名前を使用したのか理解できません。祭礼に、個人がわざわざ創価の名義を持ちだして寄付しますか?
謗法など無頓着な会員は、御本尊にも無頓着な会員と思われますが、創価は会員を告訴までして問題を大きくし、この顛末をどう始末つけるつもりなのでしょうか。それなりに健全な判断力と常識ある会員は注目していると思いますが、創価がその期待に応えることはないでしょう。愚かしい会員と愚かしい職員が織りなす滑稽な事件は、創価の上も下も全体の劣化を表わしているようです。
8月24日は先生の入信記念日ですが、毎年のことなので新鮮さがありません。聖教を読む側だけでなく、編集する側もマンネリ化に襲われています。もうポスト池田が進んでいるのかもしれません。組織に必要なのは偶像化にふさわしいシンボルですが、永遠の指導者というイメージほど妥当な偶像はないでしょうね。わたしが関心があるのは戸田先生との出会いシーンですが、おそらく脚色されたものでしょう。「小説・人間革命」はフィクション部分が多いと思いますが、美化され、真実らしく作られているところに、創価の罪深さがあります。なにごとも視点を変えれば、邪も正になり、天地が逆さまになり、ウソも真実になります。
しかし、アレンジされ作られたものでも、戸田先生と出会いをはたした座談会での山本伸一の質問はとても重要です。当時の一般的な青年の関心事を反映していると思います。創価の諸運動のなかでも平和運動は突出していますが、反戦平和への最初の出会いが、この質問にあるといってもよいかもしれません。結局、どのような問題意識を持つかということです。
「正しい人生について」
「本当の愛国者とは」
「天皇について」
国家が混乱するときにあって、哲学や思想の混沌と枯渇は過渡期とはいえ青年に失望を与えるものです。真の指導者に出会う幸運は滅多にないことですが、妙法は運命的ストーリーに満ちていることは言うまでもありません。入信は昭和22年のことですので、ちょうど二年前の8月は、日本国民全体が初の原子爆弾や終戦の体験をしていました。国土は焼け野原になり、多くの青年や男子が兵士として戦い亡くなりました。そのようななかで、上記のような質問に的確に答えられる人物に出会うことはほとんど稀なことと言わなければなりません。
わたしも含めて現在の会員は、当時のことを思い描くことは困難ですが、その後の創価では、戦闘的な折伏が行われていたことが伝えられています。「折伏大行進」などという言葉に表現されるように、急激な会員増加は社会のいたるところで敵対や摩擦、確執を生みました。当時の会員が精神的な飢餓状態にあったこと、経済的な不遇にあったことは会員だけの問題ではなく、国民全体が精神的にも物質的にも貧しかったのではないでしょうか。
軍事国家の強制から解放されたのに、創価の組織形態は軍隊式を応用したことは、とても奇異に感じます。「折伏大行進」は統制された性格を持ち、軍隊式行進と言えば言い過ぎでしょうか。目的は正しくても手段の選択に妙法的寛容心が感じられませんが、現世利益を求めるあまり、折伏を強行した貧しさは、それだけ生活も窮迫した苦しみがあり、火急の願いがあったのでしょう。この当時の一人一人の思いを正確に知ることは困難です。
軍隊式は学会歌にも反映されています。歩調を合わせるように2拍子の学会歌は、手拍子も取りやすく、気持ちも前向きになる規則的なリズムです。
特に草創から愛されてきた学会歌に「威風堂々の歌」があります。創価のホームページに紹介されている通り、京都の一会員が作ったものですが、その曲は軍歌を借用したと思われます。指揮を取るときの先生の独特の舞いは、昭和40年ごろから始まったと思われますが、適当にダンスしていることは言うまでもありません。その体操のような舞いもコミカルに見えるから面白い。それにビデオでは、自分を威風堂々と「先生」と呼ぶなんて、なんという配慮に欠ける遠慮のなさでしょう。
「威風堂々の歌」は、軍歌「愛馬とともに」によく似ています。(ニコニコ動画で再生できますが、音質は最悪です)現在のように著作権など思いもよらない時代でしたので、京都の一会員が、勢いに任せて借用したものと思います。その旨を注意書きしておけばよかったのではないかと考えますが、そのような用心深さや心配りがあるくらいなら、折伏も進まなかったのかもしれません。あるいは軍歌であることに後ろめたさがあったのかもしれません。手段の強引さは、ほとんど共産思想と同じです。中国と仲が良いのはそのせいかもしれませんね。
現在、日中国交正常化提言50周年記念の一連の聖教キャンペーンのなかに、中国の非人道と宗教弾圧に関する言及は一言もありません。このような盲目的とも言える賛辞で飾る意図は、過去に畏まっていただいた多くの名誉に由来するのでしょうか。唯物国家が信奉する物量作戦に、まんまと引っかかっていると見えるのはわたしだけ?
それにその聖教キャンペーンでは、竹入元委員長の名前はきれいに削除されております。外交文書のなかでもその功績が認められているのに、歴史の隠蔽とはまさにこのようなことをいうのでしょう。池田先生の嫉妬は激しいものと感じますが、称賛の影に憎悪やいやらしい妬みがあるのは人間なら当然のこと。人格者であっても怒り狂うときもあるのが人間の本性というものです。仏にだって、餓鬼や畜生の命が充満し支配されるときがあるのですから。
ついでに学会歌を検索していたら、いろいろとヒットしましたが、今まであまりにも無知だったことを後悔しました。「同志の歌」は与謝野鉄幹作の「人を恋うる歌」と同じと思いましたが、さらにその原歌は「旧制第三高等学校寮歌」。このような使い回しは頻繁にあったのでしょうか。
学会健児とは創価兵士のことです。折伏とは戦闘的行為であり、悲壮感を漂わせて決意するその姿は兵士に似ています。戸田先生が生死の境を生きてきたからといって、妙法流布もそのようにしなければならないというのであれば、そのための訓示をしなければならないのですが、まさか軍歌が使用されるとは、仏法が求める精神的気品も威厳もあったものでありません。それにも増して、祖国を亡ぼしたうえ師の命を奪った元凶であるミリタリズムの象徴「戦陣訓」とは、戸田先生の仏法理解も限界があったのでしょうか。
歌詞は巧妙に原歌を援用しており、戦陣訓という非人間的な戦争体験をさらに強いているようです。どこに人間主義や法華経主義の生命尊重の思想が反映されているのか、はなはだ疑わしい。
都合よく変えた歌詞を比較してみると、いかにその場しのぎであるかよくわかります。
1957年(昭和32年)「大坂事件」で池田先生が逮捕されたとき、連日、拘置所の周辺では室長の無事を祈る姿があり、夜にはこの「日本男子の歌」を歌ったとの報道があったそうです。軍歌に等しい歌を熱狂的に歌う姿はときには狂気じみて、社会に恐怖を与えるくらい激しい。
戦時中も国家主義という熱狂に支配されましたが、師弟不二も同じ熱狂の産物なのでしょうか。悠々たる沈着さこそ必要です。
戦陣訓とは、ウィキペディアで概略が説明されています。軍人・兵士の行動規範であり、国家のために死も厭わないという忠誠を誓わせた東條英機陸軍大臣の訓令。内容は「軍人勅諭」をさらに解説したもの。その戦陣訓を徹底するために親しみやすい軍歌を作り啓蒙したと思われます。創価も、命懸けで何かを成し遂げるという好戦的な強制力を、化他行のなかに漂わせ、菩薩の闘争心を開放し会員増加をはかりました。選択肢がない手段を強行すること、ほとんど軍隊の行動力学と同じです。
今月の本幹でも歌われましたが、創価の愛唱歌の一つに「大楠公」があります。哀調に満ちたこの歌も軍国教育のなかで尊皇と忠義の精神として強調されました。信仰と儒教的道徳心、現在で言えば、モラハラやパワハラが、なぜ美徳として重ねあわされようとするのか理解できません。
学徒出陣のノンフィクションを図書館から借りて読んでいたら、次のような文章がありました。(「学徒兵の青春」学徒出陣五〇年目の答案:奥村芳太郎編、角川書店)
『兵隊たちは、天皇陛下のために死ぬことを承知して入営するが、入隊する前の思想的基盤になっているのは「教育勅語」である。そのなかに「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ……」とあり、戦争の場合は、天皇のために自己を犠牲にして戦えと教えている。
「軍人勅諭」は明治一五年(一八八二)の発布で、「教育勅語」より八年ほど早い。「教育勅語」が「軍人勅諭」の影響を受けていたことは、その内容から考えても容易に納得できる。この二つが学校と軍隊に浸透して、自発的に戦う国民をつくりあげたことになる。この二つを無視して戦前、戦中の日本人を語れない。昭和一八年(一九四三)になると、現場軍隊の天皇直属意識がさらに高揚され、服従を第二の天性として盲従するように要求されたのである。
日本国軍は神格化された天皇を頂点として一大ピラミッドが形作られている。国法を超えるものといえば天皇の大権しかなく、「建軍の本義」は天皇を大元帥として直接に服従することである。統帥権の所在はしばしば「天皇陛下の命により……」という常套句によって強調され、上意下達を支えるのは厳正というより峻烈な軍紀である。軍学校出身の職業軍人たちは、いささかの疑いもなくこの言葉を使用した。
学徒兵は従順な一般兵隊と天皇親率にこり固まった士官学校、兵学校出の将校や、野蛮な下士官の間にあって、どちらに対しても距離を置いて見るという習性を持っていた。だから、わずかな軍隊生活のなかで、その大きな組織を、表からも裏からも見ることができた。
軍隊生活に順応する第一歩は、「軍人勅諭」を真っ正直に受け入れることである。一般の兵隊たちは、「上官の命を承ること実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ」を守り、理不尽な上官の命令も天皇陛下の命令として服従する。自分で考えて行動し、自分に責任を持つ発想は許されないから、道徳的責任を負うこともないのである。無批判を習性とする部下は、上官にとっては便利な存在で、人格や人権があっては困るのである。それ故に良質な指揮官が望まれるのである。だが、戦闘中も安閑として後方で、将棋の駒のように、命令を乱発して、軍隊を動かしておれば済むと考えていた高級職業軍人たちは、学徒兵を含めた市民兵たちをどう見ていたのであろうか』
『撤退の際は「病兵は銃殺せよ」という私に対する上官からの命令を察知して「天皇陛下万歳」と遺書を残して自決した兵士がいました。その遺書には家族のことについて何一つ書いてありませんでした。彼は死ぬ最後の最後まで、本音をいわず建前だけの人生を送ったのです。私はこうした兵士たちに接するたびに「なぜ、なぜ、天皇のために死ななければならないのだ」と心の中で叫んでいました。
ルソン島のジャングルのなかで、食糧もなく援軍もなく、「天皇のため、国家のために戦え」と部下たちを叱咤していた最高司令官たちはいち早く内地に逃避し、残された司令官や参謀たちは、安全な奥地に食糧を確保し、自分のベッドまで運ばせ隠れていました。前線に送られた私たちは、毎日、熱帯病と飢えで多くの戦友を失い、友軍同士がわずかな食糧を巡って、撃ちあい殺しあい、明日はわが身と予感しながら、何のために戦っているのか、という疑問にとりつかれていました。
守るつもりの、そのために戦おうとする家族たちは遠い内地にあり、ジャングルのなかにいる私たちにはなすべき方法がありません。それでも、そのために戦わなければならない「国家」とは何か。国家の前には一人の生命など問題にならないということを、私は戦争体験を通じて知ることができました』
体験した者の言葉は重い。わたしは天皇制への嫌悪はありませんが、自衛権を認めない現在の憲法への改正の必要性を強く感じております。
「戦争ほど悲惨なものはない」そんなことを言う前に、その戦争で使われた常套句や戦争歌を、なぜまた使用するのか。弘教する自らの姿を、戦う兵士の姿へ同化させている。
わたしはもう学会歌を歌うことはないと思うので、無知だったことを恥じてはっきり言いますが、「威風堂々の歌」にひそむ戦争犯罪者を思わせる戦意高揚の欺瞞性を、わたしの身体のなかから永久に除外する。会員はあまりにも不感症過ぎます。
あゝ紅の血は燃ゆる
「紅の歌」があるのですから、歌詞を書き変えて「創価版・あゝ紅の血は燃ゆる」があってもおかしくありませんが、「戦陣訓の歌」と同じように、この歌によってどれほどの学徒兵が死地に赴いたか、気楽な会員は思いもよらないのではないでしょうか。
そのことを少しでも考え、過去を悔いたなら、軍歌血筋の学会歌を歌うことはできません。
著しく会員登録も減っているのに、創価は平和団体などと大きな顔して恥ずかしくないですか?
〈参考〉
「戦陣訓の歌」
一、
日本男児と 生れ来て
戦さの場に 立つからは
名をこそ惜しめ 武士よ
散るべき時に 清く散り
皇国に薫れ 桜花
二、
情けに厚き 丈夫も
正しき剣 とる時は
千万人も 辞するなし
信ずる者は 常に勝ち
皇師に向う 敵あらじ
三、
五条の訓 畏みて
戦野に屍 曝すこそ
武人の覚悟 昔より
一髪土に 残さずも
誉に何の悔やある
四、
山ぬく威武も 驕るなく
海をも容るる 仁をもち
つらぬく大義 三千年
大和心の ひと筋は
これ皇軍の 大精神
「学会健児の歌(日本男子の歌)」
一、
日本男児と 生れきて
戦さの庭に 立つからは
名をこそ惜しめ つわものよ
散るべき時に 潔く散り
御国に薫れ 桜花
二、
情けに厚き 丈夫も
正しき剣 取る時は
千万人も 辞するなく
信ずる者は 常に勝つ
聖師に向う 敵あらじ
(三番は省略)
四、
山ぬく威武も おごるなく
海をも容るる 慈悲を持ち
つらぬく大義 七百年
広宣流布の 一筋は
これ学会の 大精神
「戦陣訓の歌」
一、
日本男児と 生れ来て
戦さの場に 立つからは
名をこそ惜しめ 武士よ
散るべき時に 清く散り
皇国に薫れ 桜花
二、
情けに厚き 丈夫も
正しき剣 とる時は
千万人も 辞するなし
信ずる者は 常に勝ち
皇師に向う 敵あらじ
三、
五条の訓 畏みて
戦野に屍 曝すこそ
武人の覚悟 昔より
一髪土に 残さずも
誉に何の悔やある
四、
山ぬく威武も 驕るなく
海をも容るる 仁をもち
つらぬく大義 三千年
大和心の ひと筋は
これ皇軍の 大精神
「学会健児の歌(日本男子の歌)」
一、
日本男児と 生れきて
戦さの庭に 立つからは
名をこそ惜しめ つわものよ
散るべき時に 潔く散り
御国に薫れ 桜花
二、
情けに厚き 丈夫も
正しき剣 取る時は
千万人も 辞するなく
信ずる者は 常に勝つ
聖師に向う 敵あらじ
(三番は省略)
四、
山ぬく威武も おごるなく
海をも容るる 慈悲を持ち
つらぬく大義 七百年
広宣流布の 一筋は
これ学会の 大精神