自由主義経済を機能させる
「生存権」の精神とは
病気・障害・高齢その他の事情によって労働力を提供することができず財産もない人、つまり「交換に参加できない人」は、自由主義経済の中では「生きることができないという帰結」(木村氏)となる。
しかし私たちは、「自由主義経済があるから、よりよい社会を享受できる」(木村氏)のだ。だから、自由主義に基づく交換に参加できない人々のために生存権を保障する必要があった。その生存権は、25条で規定された。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
ちなみに、「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利を定めた第1項は、マッカーサー草案にはなかった日本オリジナルの条文だ。
木村氏は、「生存権を憲法に入れると、財政の不都合が起こりうるので、憲法にいれない国も多い」という。たとえば米国憲法では、自由は保障するが生存権を保障しなかった。しかし不都合が生じてきたので「工夫をして憲法に含めている」(木村氏)という。またドイツでは、憲法裁判所で生存権が認められたということだ。
ちなみに日本には、ドイツの「憲法裁判所」にあたる機関がないため、憲法に違反した法律が“つくり放題“となっている。憲法に違反しているかどうかは、個別の案件ごとに裁判所が判断できるのだが、その間にも、憲法違反の法律は既成事実をつくり続ける。
ともあれ、日本国憲法は人間の尊厳を保障する13条を当初から含んでいた。人間の尊厳を具体的に保障する仕組みとして、自由主義経済を採用したが、それだけでは足りない。労働力を含め、財の交換に参加できない人が必ずいるからだ。その人々の生存権を保障しなければ、自由主義経済は実質的に機能しない。
「日本は、そこを先読みして、憲法に生存権を入れていました。それが第25条です」(木村氏)