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ファミコン版FFⅡ、座談会で聞いた30年前のエピソード
ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか?…これ4年も前のブログ記事なんだけど、バズるとか、全く馬鹿らしいなあと思いつつ、4年前に書こうか迷って書かなかった、このマルカツの座談会であった『FFⅡ』のエピソードを残しておきたい。

どうして書こうか迷ったかというと、歪んだ読み方をすれば、Disっているようにも見える話だったからだけど、こんなこと覚えている人はもうほとんど残っていないだろうから、ここにこうして残しておくことにした。

さて。
『FFⅡ』のシナリオは、寺田憲史さんが関わっているのも有名なのだけど、その座談会で寺田さんのシナリオについて坂口さんがしゃべり始めた。

「寺田さんのシナリオ、かっこはいいんですけど、あの人、ゲームのことなんか、な~んにもわかっていませんからね」
と坂口さん、断言。
全員「エエエエッ!」
「シナリオあがってきて、みんなで『うわーかっこいいんだけどさあ、これどうするんだよ…』の嵐で「もう、全然ゲームにならないんですよ! 本当に困りましたよ!」

もちろん、僕ら(黒田さん、ポニーキャニオンのプロデューサーの方、そして僕)は大爆笑したわけだけど、今から考えれば、坂口さんが寺田さんのシナリオの何に困って、どのように解決したのかとても良くわかるので、少し書いておきたい。

実はFFⅡはゲームの歴史的にシナリオから見るとかなり重要なゲームなのだけど、その重要さのかなりの部分は、前述した「うわーゲームにならないよ、どうすんだよ」から来ていたのだ。

この「うわーゲームにならないよ」とはなんだったのか?
今ではわかるのだけど、端的に書けば「当時のゲームのルールから逸脱している」ということに尽きる。
では、何が当時のゲームのルールから逸脱していたのか?
大きく3つの要素があった。

1つ目が「必敗バトル」(イベント戦闘などとも表記される)があること。
2つがプレイヤーキャラクタがしゃべること。
3つ目がパーティに新しい人間が入ったり、勝手に抜けたり、それとも死んだりする」ってこと。

このそれぞれについて、なぜ当時大騒ぎになり、そしてそれがゲームの特に歴史的に見て大事だったのか、説明していきたい。

■必敗バトル

まず一つ目がイベント戦闘。
ゲーム開始直後に必敗のバトルがあるのだけど、これは当時(88-89年)は、極めてラジカルな代物だった。
当時の常識では、バトルはプレイヤーの腕前や技術やで勝敗が決まるもので、バトルそのものがイベントで強制的に負けるなんてゲームの常識からはかけ離れた代物で、ぶっちゃけアリエナイ、当時の感覚からしたら「なんだよ、これ反則だろ?」って感じの代物だった。
そしていうまでもなく大変な議論になり、極めて賛否のある問題になった。
つまりとんでもない革命だったわけだ。

ただ、そうは言っても、FFⅡはまだマニア向けのゲームだったので良かったのだけど、本当に再度大騒ぎになったのが『ドラゴンクエストⅣ』だった。
『ドラクエⅣ』の「第四章 モンバーバラの姉妹」のラスボス、キングレオ相手の戦闘は必敗イベント戦闘だったのだけど「倒せない」という苦情や質問で雑誌は大騒ぎになった(そして当然それに答えることはできないので、編集部はとても困っていた)。
ところでイマドキと違って当時のゲームマシンはリセットからの復帰がメチャメチャ速かったから、当時のユーザーはバトルに負けるとペナルティを回避するためにユーザーがリセットするプレイが当たり前だったので、これが問題になったところは間違いなくあると思う。
当時のファミ通の座談会で、この必敗戦闘についてはネタバレを避けるためもありつつ、困らされたらしく、奥歯にものが挟まったような微妙な表現をしつつも「これはなあ」と言われていた。

加えて書くと『ドラクエⅣ』の当時は、僕は天外2のプロジェクトに入っており、桝田さんとこれについて使えるか否かについて議論していた。
というのも、僕は当時『ドラゴンスレイヤー英雄伝説』でのオートの便利さと、さらに敵のHPを表示することによるメリットの大きさを見て、それをそのままパクって天外2ではHPを表示するつもりだった。
そしてHPを表示すると、言うまでもなく必敗戦闘はやりにくい。あとイベントによる必敗戦闘は僕は良くないと思うよと桝田さんに言っていた。つまり必敗戦闘否定だった。だから天外2には必敗戦闘がない。なお、桝田さんは必敗ではないイベント戦闘を作るのが恐ろしくうまい人で、百貫丸と戦わせておいて、吹雪御前を出すわけである。

なお、今でもイベント戦闘はあまりやらない方がいいと思っている。なぜなら普通に戦闘をやらせると様々なリソースを消費した挙句に負けることになり、ユーザーにとってだまし討ちになっていただけない。
また戦闘自体は普通にやるが、そのあとのイベント(ムービーなど)で負けさせるという方法もあるが、これまた戦闘での強さとイベントの強さが乖離することが多く、そこらへんをうまく処理しないとどうにもモニョることになる。
これを回避するためには、結構なコストが必要で、それだけの効果がある演出かというと、よほど特殊な状況下以外ではメリットは薄い。だからイベント戦闘をやるなら最初からムービーなりなんなりで処理した方がより結果がいいと僕は思っているわけである。


■プレイヤーキャラがしゃべるだって!?

二つ目がプレイヤーキャラクタ(PC)がしゃべること。
これはRPGがどのようなゲームとして、日本で受け入れられたかと関わるのだけど、日本ではCRPGがゲームとして紹介されるとき高度なごっこ遊びと表現され、PC=自分であると説明されることが多かった。
だから名前を入力することは重要だとされた(今でいうアバター設定みたいなもんだ)し、自分だとするとプレイヤーの意に沿わないことを喋る訳にはいかない。だからPCは無言になり、選択肢で「はい・いいえ」を選ぶ程度の表現になった。
そして、プレイヤーが主人公の名前を入力することと、PCがしゃべらないことの二つは「良いRPGとしての基本」とされていた。

こういう構造ではPCの感情をゲームで表現できなくなって、ストーリー展開が苦しくなるという問題点が発生する。だから、これを回避するために「PCの横にはやたらとお喋りで、PCの言いたいことを代わりにいう役」をPCの親友だったり相棒だったり執事だったりといった形で用意するが定石になったわけだ。
「なんて、ふざけた野郎だ! 許せない! …PCもそう思うだろ?」とか「このような非道を許すわけにはいきませんな、PC様もそう思われませんか?」ってな具合だ。

ところが、FFⅡが主役格が平気でしゃべる。
まあファミコン版では、寺田さんが書いたとは思えない迷セリフもいろいろしゃべるのがご愛敬なのだけど、これまた当時のCRPGの「よい」とされていた、常識をまるでぶっ壊したとんでもない代物だ。
PCに喋らせるのなんてのは、プログラム的にはもちろん1ミリも難しくないが、これをやったのは全く衝撃的だったということになる。

ところで、上に書いたような「RPGはプレイヤーが主人公だろ」というような、古色蒼然たる過去の遺物としか言えないようなRPGの定義を現在でも得意げに振り回す信じがたい人間が企画会議にいたりすると面倒ばかりが起こるので、マジ注意だ。日本では本当にいるんだぞよ。

■そして三つ目が「パーティメンバーが強制で入れ替わる&パーティキャラが死ぬ」

全く衝撃的と言わざるを得ない事で、大変な騒ぎを引き起こしたのだけど、今の人には、当時なぜこれが衝撃的だったのかわからないと思うので、ちょっと書いていきたい。

当時は『ドラクエⅢ』の時代で、パーティプレイというだけでピカピカに「スゲー!」って感じだったのだけど、このパーティはプレイヤーが組むものだった。
だから、パーティにキャラが加わるのは話の都合ではあり得ても(『ドラクエⅡ』なんかその典型だし、この手のシナリオの古典的な先生である『ウルティマⅣ』もそうだ)、シナリオの都合で勝手にキャラクタが抜けるだの、なんてありえないって話だった。

ところが『FFⅡ』は、なんと4人のうち3人は固定なのだけど、一人はシナリオ進行に従ってガンガン入れ替わる。挙句の果てには死ぬやつまで現れる。そりゃあビックリするって話だ。
とはいっても、この時のメンバー交代に問題があったのも疑いもない事実で買った装備は持ち逃げされるわ、抜けるなんて話聞いてないよになるわでは、そりゃあまあ文句も言いたくはなるのだけど、これはまあ初代ならではのうまくいかなかったところだろう。
ところで、当時のスタッフに聞かないとわからないことなのだけど、最初の寺田さんのシナリオはもっと入れ替えたり、下手するとパーティが分裂するようなものだったのが「これじゃ困ります」と泣きつかれて、固定3人+ゲスト1人の形になったのではないかなあ、なんて思ったりもする。

だから87年発売の癖にパーティキャラが入れ替わり、傭兵なんてものまである『ミネルバトンサーガ』はスゴく革命的なゲームだったのだけど『未来神話ジャーヴァス』の失敗の痛手はあまりに大きく、マイナーなまま終わった…が『凄ノ王伝説』に強烈な影響を与えるのである。


というわけで


『FFⅡ』はシナリオ的に見ると、当時のゲームの常識を(よくも悪くも)ブチ壊したゲームで、全く革命的であったという話になるのだけど、ではどうしてこうなったのか?

「もう、全然ゲームにならないんですよ! 本当に困りましたよ!」が、まさにその理由だったということだ。

なぜなら、上に書いた要素はゲームでは大問題の話だったのだけど、寺田さんが関わってきたドラマやアニメや小説の世界では、全く当たり前のことだ。
主役にセリフがあるなんて当たり前すぎて、語る必要すらない。むしろ主役が一言もしゃべらない作品を探す方が難しい(『JAWS』でサメが主役だってのは反則)。
主役グループが敵役にシナリオの途中や最初に敗北するなんて成長物の定石中の定石。
リーダーのやり方についていけなくてパーティから抜ける・仲間割れする・強敵に敗れて逃げる/運よく助けられる・仲間うちから犠牲が出る…ドラマの上ではまるで当たり前で、驚くことは何もない。

つまりゲームでは革命的だったけど、ドラマでは当たり前で、寺田さんはドラマを作ろうとした。それが当時のゲームの文法からはかけ離れていたのだけど、スタッフは困りながらも、寺田さんのシナリオを実現しようとして、結果的に革命を起こせたわけだ。

全く怪我の功名と言わざるを得ないと思うのだけど、寺田さんがやったことによって、ゲームのシナリオが大幅に豊かになったのは間違いないと思うのだ。
|| 20:58 | comments (3) | trackback (0) | ||


コメント
これをさらに発展させたのがFF4・6でしたよね。
他のメディアでは当たり前の演出であっても、
体感させるメディアであるゲームでは、予想外に効果的だったのだと思います。

それゆえRPG全盛期はどこもかしこもこのドラマ性を取り入れてましたけど、
RPGの「育成要素」がやり込みの軸としてもてはやされてから、めっきりと減ったんですよね。
今や、ドラマ性の強すぎるRPGこそ懐古主義になってる逆転現象が起きている気もします。
| 面白かったです | EMAIL | URL | 18/08/29 00:20 | CPV7Qz1o |
桃太郎伝説シリーズにも影響が出てるような気がします。
新桃太郎伝説ともなると必敗イベント戦闘があったり、それまでの「桃伝シリーズは敗北してもゲームオーバーにはならない」を覆して「原則、敗北したらそこで終了」とシビアになったりとか。
| noname | EMAIL | URL | 18/08/28 23:09 | ShwySxLs |
RPGがシナリオ重視になってドラマを見せることが普通になり、イベント戦闘はその後色々な所で採用されましたね。抜忍伝説のイベントゲームオーバーとでも言うべき謎解き(鬼に自分の肉体を食べさせてゲームオーバーになり、ロードしますか?とまで表示されている画面でガチャガチャ適当に操作して初めて進める。ヒントなし)は今だに他に類を見ませんがw
| MW | EMAIL | URL | 18/08/28 21:22 | YR9SEBh. |
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