交番システムで住民を守る!

 マクマスター大佐は、市内に29ヵ所の小さな前哨基地を設けました。FOBと違って、プールもアイスクリームもありません。

 反乱勢力はこれを嫌い、猛烈な攻撃を繰り返し、マクマスター大佐の部隊は多くの犠牲者を出しました。でも、FOBに逃げ込むことはせず、小さな前哨基地を守り抜き、日々のパトロールを欠かしませんでした。まるで日本の交番のように。

 数ヵ月後、事態は劇的に改善します。住民の協力者が増え、穏健派は武器を置き、過激派は逃げるか住民によって引き渡されました。みな、女性や子どもまで使って(*10)テロを繰り返す過激派を、匿いたいわけではなかったのです。

 アメリカ軍の勝利はテロリストたちの殲滅によってではなく、テロリストによる報復から自分たちを守ってくれると住民たちが確信した瞬間に、訪れたのです。

 マクマスター大佐は、指揮命令を無視したかどで叱責を受け、みずからも爆破によるケガで股関節置換手術を受けました。それでも、方針は変えませんでした。

命令でなく作戦マニュアルで行動を変える!

 後に司令官となるペトレイアス大将自身も、従前の厳格な指揮命令系統をかいくぐっての変革を現場で断行していました。

 彼の率いる第101航空師団は2003年、イラク北部最大の都市、モスルに駐留しその治安維持に成功していました。上官の命令を無視し、法の隙を突き、本国当局の反対を押し切った独自施策を連発してのことでした。

 そして左遷された先が、戦場から1万㎞離れた駐屯地での訓練・教育担当。しかし彼はここで、新しい組織によるボトムアップでの変革を目指します。

 選んだ手段は「対反乱作戦マニュアル」の改訂でした。それを、異分子にあふれた柔軟な組織で行い、できたマニュアルを勝手に、インターネット経由で軍内外に広めていったのです。

 マニュアル作成にあたって、彼はまずチームとして異分子たちを集めました。マクマスター大佐始め軍内部の異分子たちはもちろん、アメリカ軍への過激な批判で知られるイギリス人将校、CIA職員、ジャーナリスト、さらには人権擁護活動家まで。

 みずからを批判する人々を求めたのです。

 そして現場の(試行錯誤の果ての)成功例から練り上げられたマニュアルは、現場の兵士や指揮官から歓迎され、ダウンロード数は最初の2ヵ月だけで200万回を超えました。


*10 2008年2月に99人が殺された自爆テロは、知的障がいのある女性2名によるもの。爆弾は携帯電話によって遠隔操作された。