五輪の巨大すぎる利権が
「ドン」たちをハッスルさせる
その真理に気づいた「ドン」たちは潔く身を引くが、中にはなかなかその事実を受け入れられないどころか、「夢をもう一度」と言わんばかりに、老体にムチ打ってハッスルしてしまう方たちがいる。
なぜ、そんな愚かな勘違いをしてしまうのかというと、「五輪」のせいだ。1964年の東京五輪と、その後の高度経済成長を20〜30代として謳歌した「ドン」たちからすれば、「五輪」は特別な思い入れがある。そんな彼らが、ケタ外れの巨大利権を前にヤンチャな若者のように大はしゃぎをして、「最後にひと花」と山っ気を抑えられないのも無理はないのだ。
平成の世にマッチしない時代錯誤的な「恐怖」や「恫喝」をふりかざせば、反感を持たれるのも当然だ。昭和の時代には抑えられたはずの裏切り者も出るし、内部告発も次から次へと飛び出してくる。
これが「五輪」のまわりの「ドン」たちが、ことごく「老害化」して、スキャンダルが噴出している構図なのではないだろうか。
いずれにせよ、山根会長のような「2020年にはもうひと花」と目論む「ドン」は、さまざまな業界で、時代遅れの強権を振りかざす「老害」として周囲を困惑させている。その中で最も意気軒昂なのが、現在「五輪のドン」として、安倍政権にサマータイム導入を猛プッシュしている森喜朗氏であることは言うまでもない。
アスリートや観客が熱中症でバタバタ倒れたり、「五輪シフト」のムチャ振りで日本中が大混乱になったりと、不安しかない東京2020。さまざまな団体のおじいちゃんたちだけが血色良くて大ハッスルみたいな、「ドンの祭典」にならないことを心から祈りたい。