暮らしの質を守る 生活再建の道、イタリアで見た
今夏、豪雨で50人以上が死亡した岡山県倉敷市。初めは蒸し風呂のようだった避難先の体育館で、男性(70)は扇風機の風向きを巡り、つい他の被災者に声を荒らげた。「次はわしじゃ!」。食事はパンやおにぎりが中心。夜も誰かが歩くたびに目が覚めた。
避難生活の過酷さは仕方がないものなのか。2年前の熊本地震では、避難中に体調を崩して亡くなった「関連死」は200人を超え、直接死の4倍以上だった。日本は、幾度もの大災害から教訓を学んできたのではないのか。
「日本の常識は世界の非常識ですよ」。防災に関わる研究者らにそう言われ、同じ地震大国のイタリアを訪れた。
2年前に大地震に襲われた中部のアマトリーチェ。中世の街並みを誇った中心部はいまもがれきの山だが、周辺には黄色い壁の木造仮設住宅が並んでいた。どの家もポーチや窓を花で飾り、庭を家庭菜園にしているところもある。
国の市民保護局によると「10年住める設計だが、実際はもっと長く使える」。広さは60~80平方メートル。家具、電化製品、食器まで必要なものはすべて備わっている。住人のエレオノーラ・タルターノ(30)は「自宅という感じはしないが、大した不自由はない」と話した。
ボランティア中の賃金、国が補償
この国では、避難中でも一定水準の暮らしの質は保たれる。
未明に地震が発生して約半日後、ある避難所には、長さ10メートル以上あるキッチンカーが現れた。大型テントにテーブルを並べた食堂が直ちに設営され、できたての食事が被災者に配られた。
5000人に食事を提供できるというキッチンカーは、ボランティア団体「ヴァルトリーニョ」のものだった。隣の州にある本部を訪れると、救急車、発電機、大きなピザ用のオーブンまである。代表のサベリオ・ディフィオーレは元警察幹部。被災地では料理の腕をふるう。「ツィーテ(管状のパスタ)にはトマトベースで柔らかい子羊のソース……」。料理を語れば止まらない。
団体は計約300人の登録ボランティアや有給スタッフが、本部と15支部で活動しているという。平時は所有する25台の救急車による救急搬送や高齢者支援など、様々な業務を自治体から請け負い、その収入が活動を支える。会社員のボランティアが災害で出動すれば、その間の賃金は国が会社に補償する。
イタリアでは1980年のイルピニア地震で約3000人が死亡。その2年後、災害対応の権限を集中させた国家組織が発足し、現在の市民保護局に至る。ボランティアも早くから組織化されていたが、今年の法改正で、警察や軍などと並んで、国家による市民保護システムの一部に組み入れられた。
アマトリーチェ地震では発生から数時間内に、国や地方に登録しているボランティア組織から、消防や軍を上回る約1000人が被災地に入ったとされる。家族単位で避難できる大型のテント、ベッド、エアコン、トイレなども各地に備蓄があり、2日間でおおむね行き渡った。
さらに、イタリアでは被災した個人の住宅も、基本的に国の負担で再建される。日本では「私有財産に公金は使えない」との考えが根強く、国の「被災者生活再建支援金」は最大300万円だ。
「イタリアがやっていて日本にできないことはない」。阪神大震災から災害復興に関わってきた神戸大名誉教授の塩崎賢明は言う。東日本大震災の復興に日本政府があてた予算は32兆円。このうち20万世帯近くに支給された生活再建支援金は計約3500億円と1%ほどだ。東北の沿岸部では地形を変えるような工事がいまも続く一方、助かった命が避難所で失われる悲劇は後を絶たず、購入した家を失って二重ローンに苦しむ被災者も多い。「まったくアンバランスだ」と塩崎は言う。
「耐震化にこそ予算を」の声も
もちろん、イタリアにも問題はある。2009年に大地震に遭った中部ラクイラの人口は、宮城県気仙沼市に近い約7万。巨額の債務を抱えるイタリアだが、この復興にかけた費用はこれまでに126億ユーロ(約1兆6000億円)超とされる。「建物が壊れないよう耐震化にこそ予算を割くべきだ」との議論もある。
歴史的な建物はそっくり元の姿に戻さなければならず、再建には時間も果てしなくかかる。ラクイラの中心部は、9年経ったいまも工事中の建物だらけだ。市内に1500軒ほどあった店舗のうち、再開したのは1割ほどだという。
それでも市民のまちへの愛着は強い。夕方になるとほとんど何もない通りは、かつてと同じように、そぞろ歩く家族連れや、グラスを片手に持った若者たちであふれていた。
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〈イタリア中部地震〉2016年8月、イタリア中部で大地震が発生し、最も被害が大きかったアマトリーチェなどで計300人が死亡した。この地域では、2カ月後にも2回大きな地震があり被害は拡大した。同じ中部のラクイラでは、09年4月に300人以上が亡くなる地震が起きている。