人口増を十分に受け止められるだけの耕地は、国土の狭い日本には余っておらず、そのため、例えばイングランドで起こったような大資本による大量家畜を用いた「規模」による生産性増大ができなかったのです。つまり、人が努力と工夫によって土地の利用頻度を上げることによって、収穫高を高めることになりました。言い換えると、「1人あたりの労働投下量の増大」によって「土地あたりの労働生産性」の向上を実現した、ということです。
こうして、江戸後期の生産性増大にあたって、日本人は産業化以前に「勤勉さ」の精神的土壌を獲得した、とするのが速水の「勤勉革命」説です(※)。その後、産業化・工業化とともに明治期を迎え、厳密に言うことは難しいですが、磯川全次の『日本人はいつから働きすぎるようになったのか』によれば、「勤勉さ」を持つ国民が多数派になったのは明治30年ごろではないか、とされています。
「日本人勤勉説」の2つの誤り
残業の言い訳に使われてはならない
歴史的な議論に最終決着を付けることはここでは難しいですが、「日本人元来の特質として勤勉だ」という説は、少なくとも次の2つの点で誤っています。
(1)「勤勉さ」が日本人のアイデンティと重ねられ始めたのは明治後期以降であり、まだ100年程度の歴史しかない。
(2)また、構造的な長時間労働そのものは多くの先進国が経験してきたことであり、日本人以外が「働きすぎ」を経験していないわけではない。
製造業が発達していく際には、多くの国で構造的な超・長時間労働が観察されます。問題は、多くの先進国はそうした長時間労働を様々な方法で克服してきたのにもかかわらず、日本のフルタイム雇用世界では、そうした働き方が「温存」されてしまっていることなのです。
広く伝わる「日本人の勤勉さ」は、不変の性質でも、DNAに強固に刻み込まれているものでもなさそうです。歴史的推移と、実際の長時間労働によって育まれてきたものであり、それらの「原因」ではありません。むしろ、そうした素朴な「日本人勤勉説」によって、長時間労働が感情的に肯定されてきた側面のほうが強いのではないか、と考えています。
先ほど紹介したここ数十年の数字を見ると、少しずつですが「勤勉さ」のイメージは低下しています。時代ともにセルフイメージの変化を受け入れることができるかは、まさに今後の私たちにかかっています。
(※)速水は、ヨーロッパと異なり、日本の勤勉性の獲得に宗教的なバックグラウンドがなかったとしているが、他方では浄土真宗の教義の影響も指摘されており、宗教的な背景を指摘する学説も存在する(磯川全次『日本人はいつから働きすぎるようになったのか』)。
(株式会社パーソル総合研究所 主任研究員 小林祐児)