長らく一強と言われながらも、ここに来て迷走気味の安倍政権。自他共に認める「保守」のリーダーシップは揺らいでいるように思える。一方で、今の政治には保守に対する明確な対立軸もない。にわか新党ブームの中で行われる大義なき解散総選挙を経ても、理想的な政治秩序が生まれるとは考えにくい。内憂外患の日本はいったいどこへ向かっているのか。保守派の論客として名高い西部邁氏が、今の政治や本来の保守の在り方について、想いを語った。自身の集大成となる新著『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社)を上梓した西部氏が、保守の意味を取り違えた人々に送る最後の警鐘である。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也、まとめ/ライター 大西洋平)

日本において「保守」の意味が
ここまで誤解されている嘆かわしさ

――安倍政権は国民から保守志向が強い政権と思われており、安倍首相自身も保守を自認しています。ここに来て、「一強」と言われた支持率は以前より低下。外交では米中韓との駆け引きに振り回される上、足もとでは北朝鮮の脅威も増大、国内では森友・加計学園問題が噴出するなど、まさに内憂外患の状態です。最近では、「そもそも安倍首相を真の保守と言えるのか」という疑問の声も聞こえます。保守の論客として、西部さんは今の安倍政権をどう評価していますか。

 口にするのも辟易してしまうような論点ですね。残念ながら、日本は保守という言葉の意味をきちんと理解しようとしない人ばかりのように思える。私はそうした人々に憤りを込めて、あえて「ジャップ」と呼んでいます。保守は一般に思われているように、「現状を維持する」という意味では決してありません。

 本来の保守とは、その国のトラディション(伝統)を守ることです。近代保守思想の始祖とされるエドマンド・バークは、「保守するために改革(Reform)せよ」と説いています。現状が伝統から大きく逸脱していれば、改革を断行するのが保守なのです。

 そして伝統とは、その国の歴史が残してきた慣習そのものではなく、その中に内包されている平衡感覚のことを意味している。とかく人間の意見は左右に散らばって対立するものであり、そういった分裂を危機と呼ぶなら、時代は常に危機に晒されていると言えるでしょう。