ウィトゲンシュタインという哲学者がいる。「20世紀最大の言語哲学者」だとか「哲学を終わらせた男」だとか言われている凄い人らしいのだけど、僕はウィトゲンシュタインの思想について何も理解していない。昔本を読んでみようとしたことはあったけど、全くついていけずにやめてしまった。

 だけどウィトゲンシュタインに関する本の中で唯一印象に残っている一節がある。どういう文脈なのか忘れてしまったけれど、それは「ウィトゲンシュタインは不意討ちを極端に恐れた」というものだ。なぜかと言うと僕もそうだからだ。何かが突然やってくることに異常に恐怖を覚えてしまう。20世紀の偉大な哲学者ウィトゲンシュタインは不意討ちを恐れた。そして同じく、21世紀の怠惰な凡人phaも不意討ちを恐れた。

 

 突然通知音が鳴るととても精神が消耗するので、スマホの通知はできるだけ切るようにしている。やたらと通知を送ってこようとするアプリのことは心底憎んでいる。さすがにメールやLINEなどは通知が来るようにしているけれど、いきなりだと読む気力がないことが多く、しばらく時間を置いて呼吸を整えて気を練ってから読むようにしている。

 スマホの機能で一番嫌なのは電話だ。不意に電話をかけてくる奴は全員敵だ。最近僕の番号がどこかから流出したのか「節税のために不動産を買いませんか」みたいな電話が無闇にかかってくるようになったのだけど、知らない番号から電話がかかったというだけでも苛ついているのに、何か重要な用事かもしれないと思って我慢して取ったら声が無闇にでかい不動産の営業だったりするので、死ね、と思っていきなり切ってしまう。お前が俺の時間に割り込む権利をいつ誰が与えたというんだ。もう知らない番号からの電話は取らないことにした。

 昼間に家にいると突然やってくる訪問販売や宗教の勧誘も同じように敵視している。不意にドアチャイムの音が鳴るたびに心臓がバクッとして寿命が10分くらいずつ減っている気がするのに、気力を振り絞って応対すると相手が自分の人生にとって全く不必要な人間だったときの苛立ちときたらない。全員廃業してほしい。

 一人で歩いているときに不意に知り合いに会うのも苦手だ。別に何もやましいことはないのだけど、つい反射的に避けたり隠れたりしてしまう。人と会うためには事前に精神を統一して人と会う用の自分を作り上げないとうまく会えない。

 思うに僕は、自分の中の流れを中断されるのがすごくストレスなのだ。一人でいるときは大体いつもぼーっと何かを考えていて、別に大したことは考えてないのだけど、その流れを断ち切られると自分の中で悠々と泳いでいた魚を不意にすくいあげられたような気分になってしまう。

 

 話しかけられるのが苦手なせいで、自分が他人に話しかけるのも苦手だ。他人の中の流れを中断してしまうのが怖い。いや、自分以外の他人は自分ほどは不意打ちを恐れてないらしいということはわかっているのだけど、うまく間がつかめないのだ。

 道でたまたま知り合いを見かけたときなんかも声をかけていいかどうかわからなくて悩む。複数人で会話しているときなども、人の話に割り込むのが苦手なので、自分が喋っていいタイミングをうまくつかめずに聞いてばかりになってしまったりする。

 居酒屋とかで店員さんに注文をするのも苦手だ。どのタイミングで声をかけたらいいかがよくわからない。

 飲み物を追加したいけど、今は別のことをやってるみたいだからそれが一段落してから声をかけよう。作業の途中で声をかけられるといっぱいいっぱいになってしまうからな。あ、キッチンから料理が出てきたからとりあえずあれを運ぶのが優先だな。それを出し終わって帰るタイミングで声をかけようか。そんなことを考えてずっと様子を伺っていると、全くそんなことを考慮していない他のお客さんが「すいませーん」と大きな声を出して、店員さんは「はーい、ただいまー!」とそちらのほうに先に行ってしまう。難しい。ウィトゲンシュタインもこんな風に居酒屋で注文するのが苦手だったのだろうか。

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pha『ひきこもらない』

家を出て街に遊ぶ。
お金と仕事と家族がなくても、人生は続く。
東京のすみっこに猫2匹と住まう京大卒、元ニートの生き方。

世間で普通とされる暮らし方にうまく嵌まれない。
例えば会社に勤めること、家族を持つこと、近所、親戚付き合いをこなすこと。同じ家に何年も住み続けること。メールや郵便を溜めこまずに処理すること。特定のパートナーと何年も関係を続けること。
睡眠薬なしで毎晩同じ時間に眠って毎朝同じ時間に起きること。
だから既存の生き方や暮らし方は参考にならない。誰も知らない新しいやり方を探さないといけない。自分がその時いる場所によって考えることは変わるから、もっといろんな場所に行っていろんなものを見ないといけない。