今回は、連載タイトルになっている「オオカミ少女」のお話。

 みなさんは、こんな物語を聞いたことがないだろうか?

《インドの森のなかで、赤ん坊の頃から狼に育てられていた姉妹が発見された。姉妹は言葉を話すことができず、四つ足で歩き、地面に置いた皿をなめるようにしてミルクを飲んだ》

 私がはじめて聞いたのは30年ほど前。教科書に掲載されている話だ。さまざまな研究分野でも「基本のキ」のように採用されている“実話”なのだが……。

 ***

 社会学者である父の書棚には、「切腹論」「生き神信仰」「日本のシャーマニズム」「パニックの心理」など、怪しげで手垢のついた古ぼけた書物がたくさん並んでいた。難しくて子供の私にはほとんどわからなかったが、普通の平穏な生活からは見えない、知ってはいけない世界が莫大に広がっているように思えて、好奇心を煽られ、見たくて見たくてしょうがなかった。

 切腹の本は、真一文字と十文字とではその壮絶さにおいて精神的な覚悟が違いすぎるとか、後片付けが大変だからあまり重要でない人物はすばやく介錯されていたとか、うろ覚えだが、実際の切腹連続写真なんかが強烈に脳裏に焼き付いてしまっているし、シャーマニズムの本は、女性をシャーマンにするために、断食させて俵の上に正座させて延々と念仏を唱えさせた挙句、水をぶっかけ、餅でぶん殴って失神させるとか、一度読んだら忘れられない凄い話がたくさん詰まっていた。

 その数々の衝撃本のなかの一冊が、これだった。

J.A.L.シング著『狼に育てられた子 カマラとアマラの養育日記』1977年・福村出版

 

 現代では「児童ポルノ」認定すれすれの写真が表紙に使われているこの本の著者は、シング牧師という宣教師。1920年、インド東部のミドナプール教区で、伝導の旅に出ていた牧師と村人たちによって、ジャングルのなかで狼に育てられているところを発見、保護された、1歳半と8歳の2人の“オオカミ少女”の養育記録だ。

 カマラ(姉)アマラ(妹)と名付けられた少女たちは、当初、四つ足で歩いて唸り声を発し、腐った生肉を食べるという、人間とはかなりかけ離れた行動をしていたという。

 この本は、子どもの発達に関する研究材料として世界的に広まっており、日本でも大学のほか小中高の道徳の教科書などに掲載されている。私の父も、社会学の教材で使ったという。

 ところがある日、父は、苦々しい顔で私に言ったのだ。

「この本、ウソやったんや……」

 

どうして、こうなった!?

 なにが嘘だったのか。世界中の研究者が、長い年月にわたってこの本を信じて研究に取り入れてきたはずなのに、どういうことなのか。順を追って考察していこう。

 原本は、いまから76年前、1942年に、シング牧師の記録日記と23枚の写真をもとにして、人類学者のロバート・M・ジング教授が出版したものだ。

「WOLF-CHILDREN AND FERAL MAN」 (Singh & Zingg 1942)

 

 この本は、シング牧師の養育日記に、ロバート・M・ジング教授の学術的注釈や、根拠を強化するための参考文献が添えられるという形で構成されている。話は1920年9月24日、シング牧師が伝導旅行の途中、ジャングルの村で「コーラ族」なる原住民族から、人間のような手足のある恐ろしい化け物について話を聞かされ、「好奇心にかられ、その化け物を見たくなった」ところからはじまる。

 約3週間かけてシング牧師たちはその化け物を追い、ついに生け捕るまでに追い詰める。発見時、カマラとアマラの2人は狼の巣穴におり、ほかの子供狼たちと一緒になって、だんご状にからまりあって暴れていたという。

 巣穴に近づくと、母親狼がかばうようにして立ちはだかり、牙を剥きだす。その姿を見たシング牧師は、「極めて崇高な愛情を持った母親狼」と驚嘆し、「やさしい理想的な母親のすべて」を感じて打ち震え、「主の御心」に物も言えず立ち尽くすしかなかったと綴っている。動物の母性に、よほど心を揺さぶられたのだろう。

 が、それほど理想的な母性に感動している傍らから、同行の村人があっさりと矢を放ち、母親狼を一瞬で殺戮。シング牧師は、その褒美に村人らに子供狼をやり(!)、そしてカマラとアマラを毛布でくるんで縛り上げ、連れて来るのであった。

 2人は、シング牧師の孤児院で秘密裏に育てられることになるのだが、のちに健康状態を診断した医師を通じてインド中に噂が広まり、1926年に米紙『ニューヨーク・タイムズ』、英紙『ウエストミンスター・ガゼット』などで報じられ、世界中の研究者の注目を浴びることになった。

 1歳児のアマラは、保護から1年足らずで病気にかかり死んでしまうが、8歳のカマラはシング牧師夫妻の愛情によって語彙が30語に増え、やがて二足歩行できるようにもなる。そして、1928年、アメリカのニューヨーク心理学会から、ぜひカマラをアメリカに連れてきて欲しいという招待を受けるのだが、その直後、急にカマラが体調を崩し、そのまま尿毒症で死んでしまった――ということになっている。

 結局、オオカミ少女たちは、学会に多大な衝撃を与えたものの、シング牧師の孤児院から出ることなくこの世を去ってしまったのだった。

 

世界に広まった論文

 子供の私には相当ショッキングな本だった。まず、巻頭に掲載されている23枚のモノクロ写真が「動かぬ証拠」のように目に飛び込んできた。

出典:WOLF-CHILDREN AND FERAL MAN by Singh & Zingg

 保護時の2人は、全裸で豚のように重なって敷き藁の中に眠っているし、成長した少女カマラは、白いふんどし一丁で四つん這いになって生活しており、AppleやFacebookだったら速攻で「児童ポルノ判定」されてしまうであろうシロモノだ。地面に置いた皿に顔をつけて、生の牛乳をぺろぺろなめている様子なんかも、AppleやFacebookだったら有無を言わさず「児童虐待画像」として削除要請を下すような凄さがある。
(最近、Appleからあまりにひどい児童ポルノ判定の仕打ちを受けて、ハラワタ煮えくり返ってるんだけど、それはまた後日書く)

出典:同上

 当時、この発表に世界中の学者が驚愕し、さらに、アメリカの児童発達心理学における大権威であったイエール大学のアーノルド・ゲゼル教授が注目、紹介本を出版。これによってお墨付きを得た「狼に育てられた少女」は、世界中に重要な研究対象として広まる。

 日本でも、教育心理学、発達心理学、幼児教育学、脳科学、精神分析学、生物学、言語学などありとあらゆる学術研究の土台として取り入れられていった。人間は、遺伝によって人間となるのか、それとも、環境によって人間となるのか、その議論のベースとなったのだ。

 

カマラとアマラを見た人はいなかった

 世界中に衝撃を与えて広まった「オオカミ少女」の姿――しかし実は、「実話」として広まっているにも関わらず、当の「カマラ」と「アマラ」を実際にこの目で見た、観察したという研究者は、この世にひとりもいなかった。

 シング牧師との共著を出版した人類学者、ロバート・M・ジング教授も、それを受けて資料を引き取り、さらに研究をして本を出版した児童発達心理学の権威、イエール大学のゲゼル教授も、アメリカにいて、新聞報道に衝撃を受けて、インドから送られてきた日記や写真をもとに「狼に育てられた少女たちが存在する」という前提で論考を組み立てていたのだ。現地を調査したわけでも、カマラとアマラと接触したわけでも、遺骨を調査したわけでもなかったのである。

元イエール大学教授ゲゼル児童研究所所長アーノルド・ゲゼル著『狼にそだてられた子』(1955年2月・新教育協会)

 カマラとアマラの話にお墨付きを与えた、大権威であるはずのゲゼル教授のこの本は、いま、よくよく読んでみると、いろいろすごい。

 まず最初に「狼に育てられた子がいた!」というインドから渡ってきた伝聞を「事実」として捉えて感嘆するところからはじまり、

 《この話は、まことにめずらしい実話であるが、伝記物として十分な資料をそなえているとはいえない。カマラの幼時については誰もしらないし、彼女の養母となった母狼が、カマラを連れ去った日がいつであったか、それすらわかっていない》

 と、一応のことわりを入れるのだが、その数ページ先では、

 《それは母狼であった。乳房はふくらみ、その眼は不思議なまでにやさしかった。彼女はちょっとにおいをかぎ、あたりの様子をうかがうと、また、たしかめるようににおいをかいだ。(~中略~)
 まるで物をはさむ鉗子のように、静かに静かにふっくらとふたたび口をとじていき、赤ん坊のえり首のあたりを、そっとくわえたからである。(~中略~)
 そろりそろりと狼はもときた大きな白蟻の使に向かって歩み去って行った。あたりはすでに暗かったが、狼はちゃんと道をしっていた。そして新しくみつけたこの人間の子を、自分の生んだ仔狼のあいだに、そっとやさしくおろしてやったのである》

 と、いきなり創作したおとぎ話を展開。

 しかも、このゲゼル教授の本によると、カマラが生まれたのは、インド・カルカッタ西南部にあるゴダムリという村で、「泥でできたわらぶきのちいさな家の一つで、未開のコーラ族と思われる、色の黒い印度教の女が、女児を分娩した」と母親のことまではっきり書いてある。

 家の様子も、普段の生活のことも、狼にさらわれた日、赤ん坊だったカマラが刈り株のなかにうつぶせに寝かされていたことまでかなり詳しく描写されていて、ここまで発覚しているのならば、なぜ発見後、カマラがこの親元に帰されなかったのか、不審に思えてくる。

 仮に、シング牧師が、狼少女を「めずらしい、欲しい」と感じて自分の手元に隠したのだとしても、母親のことがこうもしっかり判明しているのなら、カマラとアマラの記録を出版するにあたって、その母親や家族関係者の「人間として生まれた頃のカマラ」に関する聞き取り証言が、資料として添えられていても良い。しかし、そういったものは存在しないのだ。

 

オオカミ少女は、自閉症児だった?

 不自然な作り話が添えられ、重要な根拠となる資料が欠如したまま、カマラとアマラの話は世界中に定着してしまう。そして、1959年になって、ついに真実をその目で見極めるため、インドの現地まで足を運ぶ学者が現れた。

 野生児の研究をしていたシカゴ大学の社会学者オグバーンと精神分析医ベッテルハイムは、「カマラとアマラは現地で捨てられた自閉症児だったのではないか」という仮説を立てた。すでにシング牧師は亡くなっていたが、現地調査に出向いて一連の関係者にゆかりのある人々を徹底的に探し出し、聞き取り調査や証拠の探索を行ったのだ。その結果が、一冊の本にまとめられている。

『野生児と自閉症児 狼っ子たちを追って』Bベッテルハイム他著(1978年・福村出版)

 この本によると、調査の結果、まず、現地には、カマラが生まれたはずの「ゴダムリ村」という村が存在しないことが発覚。

 さらに、村人の証言から、カマラとアマラらしき少女はたしかにいたが、精神薄弱児で言葉数が少なく、反応がにぶい以外は、普通に2本足で歩いて人間らしく生活していたし、そもそも発見したのはシング牧師ではなく、村人であり、保護に困ったので孤児院に託したということも発覚。

 おまけに、シング牧師を知る人々を訪ねて話を聞いていくと「シング牧師は『嘘つき』で、まったく信頼できない」「おそらく基金を得るために仕組んだ『つくり話』」「まったくでたらめの話だ」「信頼できない男である」などの悪評が次々と飛び出す。

 シング牧師の孤児院に勤めていて、カマラを見たことがあるという男性教師によると、「シング牧師は彼女をほかの子供たちから引き離し、四つ足で歩かせようとし、しばしば殴ったりした」と、まさかの虐待証言。

 カマラとともに孤児院で暮らしていたという元孤児は、「彼女はふつうの人間みたいでした。ただ、上手にしゃべることだけができなかった」と話した。

 その他一連の現地調査を組み立てていくと、やはり仮説通り「カマラとアマラと呼ばれる少女は、たしかに存在したが、森のなかで迷子になっているところを保護され、孤児院に預けられた自閉症児だった」という結論が濃厚になっている。

 さらに、シング牧師の妻が金の無心をしていたという話もあり、「孤児院の経営に行き詰っていたシング牧師夫妻が、保護した自閉症児をオオカミ少女として宣伝利用するため、虐待し、ケモノのように振る舞うよう扱ったのでは?」――そんな黒い疑惑さえ浮上するのだ。

 この「狼に育てられた子」、これだけの調査をもってようやく「ウソ」と判定されるようになるのだが、もとの本をいま落ち着いて読み返してみると、“ありえへん”噴飯モノの記述満載のトンデモ本でもあった――。

*   *   *

※なぜこんな壮大なフェイクが学問の顔をして広まったのか? 次回はその分析を含め、話題書『狼に育てられた子 カマラとアマラの養育日記』(J.A.L.シング著)から、抱腹絶倒の記録をお届けします。4月26日(木)公開です。お楽しみに!

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