2013-04-30
目次: (このページをPDFに変換したドキュメント▼i)
1. はじめに
2. マミヤ シックス 使用書
3. ミカサ写度計 説明書
4. 日本写真機械工業協会の丸札(通称「マル公」)
5. 考察
5-1. このカメラが購入されたのはいつ頃か
5-2. このカメラの値段は
5-3. ミカサ写度計
5-4. 持ち主は
6. カタカナことば(敵性語)
7. カメラは超高額商品
▼i: Webページを簡易にPDF変換したものであり、ブラウザーの表示と異なるカ所があります(文字のサイズやカラー、ラインの有無など)。
1. はじめに
発掘作業
2013年3月最後の土曜日に新大阪のチャリマ(中古市)へ行きました。小高い丘の一角で営業しているお店の前に立った時、何か面白い物がありそうな予感がしたので、足元の段ボール箱に入っていたものを一つ一つ手にとって観察しました。そして、歴史を感じさせるものを発掘しました。それらはカメラに関連する取り扱い説明書です。
具体的には、次の3つです(上の写真の左から順に)。
- マミヤ シックス使用書(取り扱い説明書のこと)
- 日本写真機械工業協会と書かれた直径3.5センチの札
- ミカサ写度計の説明書(たぶん露出計算尺)
これらが小さな菓子箱にまとまって入っていました。
説明書に書かれている言葉づかいや内容を読むと、太平洋戦争中のものであることが判りました。そして、この説明書に書かれている内容を掘り下げて調べると、当時のカメラの価格が驚くほど高価なものであることが判りました。
このページでは当時の世相が判る文面やカメラの値段のこと、そして、このカメラの持ち主は一体どんな人物だったのか空想したこと、などを書きたいと思います。
2. マミヤ シックス 使用書
今回私が手に入れたマミヤシックスの使用書(取扱い説明書)は、本文の内容からマミヤ シックス III型の説明書のようです(Fig.2-4)。[説明書の全文はこちらに載せておきます(PDF)]
マミヤ社のWebサイトによると、マミヤ シックス III型が発売されたのは1942年(昭和17年)ですから太平洋戦争中です。
説明書には戦争を意識させる文言
そして、説明書の1ページ目には次のように書かれてありました。
・ 写真報国、防諜協力
・ 法を守って楽しくパチリ
・ 記念撮影バックはよいか
・ レンズ通した機密はこわい
この「報国」や「防諜」とは、何のことか辞書で調べたところ
・ 報国(ほうこく)とは、国家のために力をつくすこと
・ 防諜(ぼうちょう)とは、スパイの活動を防いで機密が敵国に漏れないようにすること。
と、書いてありました。従って、この説明書に書かれている写真報国、防諜協力とは要するに、国家に都合の良い写真を撮れ。都合の悪い写真は撮るな。と言うことなのでしょう。
緊張感をあおる
また、実際には民間人が撮影した記念写真に機密情報が写りこんで、それがスパイを通じて敵国に漏れるようなことは非常に稀なことに思われます。しかし、あえて『記念撮影バックはよいか』、『レンズ通した機密はこわい』と記述するのには、民間人へ戦争に対する緊張感をあおる政府の意図があったものと思われます。
間宮精一氏のメッセージ
説明書をパラパラめくって行くとマミヤ シックス生みの親である間宮精一氏のメッセージと思われる文言がありました。それは、「マミヤ シックスをあなたの愛機としてお選び下さったことに対し厚く御禮(お礼)申上げます。」という表題のページ(Fig.2-6)で、次のように書かれてあります。
マミヤ シックスは「操作簡便」を主眼として設計されたカメラであり、操作点の合理化および簡潔なるメカニズムによって「高性能、複雑化」の難関を征服すると同時に、故障絶無の理想へ近づくことが出来ました。
このページで面白いところは、この頃のマミヤはレンズを自社生産していなかったので
カメラの生命はレンズ及びシャッターにあるのは申す迄ありませんが
とサラっと流し、カメラの機械的な優秀さを強調している事です。もちろんレンズの性能については一切書かれていません。
なお、説明書の3ページ目(Fig.2-4)にマミヤ シックスを正面から見た写真が載っていますが、レンズの銘板部分を拡大して(Fig.2-5)観察すると K.O.L Special F=7.5cm の文字を読み取ることが出来ます。なお、K.O.L とは、上代(かじろ)光学研究所(= Kajiro Optical Laboratory)のことです。
Fig.2-1 マミヤ シックス使用書 表紙
Fig.2-2 マミヤ シックス使用書 1ページ目
Fig.2-3 マミヤ シックス使用書 2ページ目
Fig.2-4 マミヤ シックス使用書 4-5ページ目 拡大
Fig.2-5 Fig.2-4のレンズ部分を拡大したもの
銘板に K.O.L Special と書かれています
Fig.2-6 マミヤ シックス使用書 6ページ目 拡大
3. ミカサ写度計 説明書
謎の露出計算尺
ミカサ写度計についてインターネットで検索しましたが情報は無く、どのような形をしたものかも判りません。ただ、説明書の内容からセノガイドの様な露出計算尺と推測できます。
また、実用新案番号が書かれていますが、その番号を特許庁のホームページで調べても見当たらなかったので具体的な内容も判りません。
これにも戦時中を意識させる文言が
この説明書にも時代を感じさせることが書かれています。たとえば次のような文言です。
- 時局柄フイルムのむだを省きませう!
- 光国の功敗この一選にあり
- 国策写度計の出現
- 資源愛護の国策に
- カメラ報国の第一歩
- 東郷元帥が日本海の海戦で
Fig.3-1 ミカサ写度計 説明書 表紙 拡大
Fig.3-2 ミカサ写度計 説明書 裏面 拡大
4. 日本写真機械工業協会の丸札(通称 マル公)
直径3.5センチの厚紙の周囲に日本写真機械工業協会と印刷され、中央の上に朱色で「公」と印刷されています。そして、「公」の下に4類7号と書かれています。4と7は手書き文字です。
Fig.4-1 日本写真機械工業協会 丸札 直径35mm 表面
Fig.4-2 日本写真機械工業協会 丸札 直径35mm 裏面
マル公、統制価格
この丸札は通称「マル公」と呼ばれるもので、戦争によるインフレを抑えるための価格統制品であることを示すマークです。そして、「マル公」は、公定価格つまり、商工大臣又は知事の指定した価格や査定場で査定した査定価格の品であることを示すものです。
「マル公」以外にも、「マル停」、「マル協」、「マル許」、「マル新」があったとの事です(この時代に生きていなかったので詳しいことは判りません)。
この統制価格に関してはリコー社のWebサイト、カメラライブラリ、コラムルームの戦争とカメラのページ▼4-1に次のように書かれてあります。
1939年に政府はインフレ防止のため、9月18日付の価格をそのまま停止する命令を出した「停止価格」である。
そこで各社とも少し変えて新製品を発売、停止価格から逃げる算段をした。
そこでこんどはカメラをいくつかの品種に類別し「公定価格」が設けられた。
これがまた品種を増やす要因になった上、物が足りない場合のヤミ価格の横行がはじまることになった。
日本写真機械工業協会
日本写真機械工業協会についてインターネットで調べましたが、情報はほとんど無く、ただ一つだけ富士フイルム社のWebサイトの富士フイルムの歩み 1943(昭和18年) その頃、社会は・・・▼4-2というページに
1943(昭和18)年5月 日本写真機械工業協会 発足
とだけ書かれてありました。
この協会に関してはこれ以外の情報は無く、何の目的で設立されて、どのような活動をしていたのかは判りません。もしかしたら、上に書いた公定価格を決定するための機関だったのかも知れません。
なお、この協会が発足する一年前の1942年(昭和17)年5月にもよく似た名称の日本写真機械工業会が発足しています。
▼4-1: http://www.ricoh.co.jp/camera_lib/column/war-camera.html
▼4-2: http://www.fujifilm.co.jp/history/s1943.html
5. 考察
マミヤ シックス使用書、『マル公』マークが入った丸札、ミカサ写度計の説明書の3点から購入時期や値段、そして、購入した人物について考察します。
5-1. このカメラが購入されたのはいつ頃か
3点は同一人物のもの
中古市で手に入れた3点は一つの菓子箱に収められていたことから同一人物の持ち物と思われます。そして、日本写真機械工業会の札はマミヤ シックス III型を買った時に付いていたものでしょう。
1943~1945
マミヤ シックス III型は1942年(昭和17年)の発売ですが、日本写真機械工業会は1943年5月に発足しています。そして、説明書の文面が太平洋戦争中であることを示す文言があることから、1943年(昭和18年)5月から戦争が終わった1945年(昭和20年)の間に購入されたものと推測できます。
5-2. このカメラの値段は
税抜きで110万円
このカメラの価格は当時いくらしたのか調べると、マミヤ社のWebサイトに公定価格¥384円(ケース付)とありました。384円という値段を見たときに「安すぎるので誤植ではないか」と思いましたが、現代とは貨幣価値が異なる事に気づいたので現在の価値に換算すれば幾らに相当するのか調べてみました。その結果、当時の384円を現在の貨幣価値に換算すると110万円位になることが判りました。
さらに前述の富士フイルムのWebサイト、「富士フイルムの歩み 1943年その頃、社会は・・・」には
1943(昭和18)年3月 写真感光材料・カメラの物品税、50%から80%に改訂
と 書かれてありました。
税込みで198万円
つまり、公定価格384円のカメラに80%の物品税が上乗せされて691.2円になり、これを現在の貨幣価値に換算すると198万円にもなることが判りました。なお、現在の貨幣価値に直す方法は、日本銀行が公表している企業物価指数を基に算出しましたが、当時の庶民感覚からすればこの2倍以上だったかも知れません。
5-3. ミカサ写度計
ほとんど世間に知られていなかった品か
ミカサ写度計についてはインターネットで検索しても何も出てこなかったのでサッパリ判りません。誰もこの露出計について書いていないと言う事は、ほとんど売れなかったか、精度の低い商品だった可能性があります。
それは、上に載せたこの写度計の説明書(Fig.3-1,Fig.3-2)に記載された文面を読んでも低レベルであることが判ります。
なぜこんな物を買ったのか
腑に落ちない点は、高価なマミヤ シックスを買う程の人物がなぜミカサ写度計というものを買ったのかと言うことです。私の知る限りでは、同時代には玄光社から発売していた関式サロン露出計(Fig.4-1,4-2)が有名だったので普通はそれを使うはずです。このことから、これを買った人物は、写真撮影について知識は乏しく、単に道楽の一つとして購入したのではないかと思われます。下の写真は、戦前型の関式サロン露出計です(ミカサ写度計ではありません)。
Fig.5-3-1 玄光社 関式サロン露出計(戦前型) Seki's Salon Exposure Calculator 表面
この露出計算尺は2012年の暮れに新大阪の中古市で手に入れました(100円).
Fig.5-3-2 玄光社 関式サロン露出計(戦前型) Seki's Salon Exposure Calculator 裏面
5-4. 持ち主は
上に書いたようにマミヤ シックスは現在の貨幣価値に換算すると198万円(物品税込)もしました。こんな高価なカメラは一般庶民はとても買うことが出来ないでしょう。しかも戦争中に。持ち主は一体どのような人物だったのか空想してみました。
日本軍の関係者かそれ相応の地位の人物と想像できますが、手に入れた説明書には手がかりになるような住所や名前などは一切ありません。
官の持ち物ではない
日本軍や警察の備品として購入されたものであれば、国家予算で購入されたものですからカメラ本体や説明書も菊や桜のマークの刻印やハンコが押される筈ですが、私が手に入れた物にはありません。
新聞社でもない
新聞社のカメラマンの持ち物であれば、彼らは露出やピント(目測距離)に関しては十分トレーニングされていたのでカメラと一緒に露出計算尺を購入するとは考えづらいです。また、当時のカメラマンはライカIIIcやコンタックスIV型などの35ミリ判を使っていたと思うのでこの時期に報道用としてマミヤのカメラを使うのも考えづらいです。
そのようなことから
- お金持ちが道楽で買ったもの。
- 街の写真屋さんが営業目的で購入したもの。
と推察できますが、
露出計算尺から推察
マイナーなミカサ写度計を所持していたことから、営業写真を撮るような人物が購入したとは思えません。従って、高級将校の様な庶民の感覚とはかけ離れた人物が道楽の一つとして購入したものだと思われます。
6. カタカナことば(敵性語)
戦争中は敵国の言葉、つまり、カタカナ言葉は使うことを許されず、日本語に置き換えて表現した。と、たしかNHKの野球解説者がラジオの番組で話していたのを聴いた記憶があります。
説明書では普通に使われている
しかし、手に入れたカメラと露出計算尺の説明書には シックス、カメラ、レンズ、メカニズム、ノブ、フィルム、フィルター、ファインダー、F(絞りの値)などの語句が平然と使われています。
おそらく、政府はカタカナ言葉を使うなとは一切言っていないが、上司に良く思われようとしたコッパ役人が勝手なルールを作り、それが一人歩きしたのでしょう。
7. カメラは超高額商品
年配の方から「当時カメラはものすごく高価なものだった」とか「当時はライカ1台は家2件ほど建てることが出来る価格だった」とお話を聞くことが良くありますが、今回現在の通貨価値に換算して、やっと理解ができました。
間宮精一氏の著書、ライカの使ひ方では、ライカを数台バラして研究したと書いてあったので、かなりの研究開発費をつぎ込んだことも判りました。
以上 新大阪の中古市で手に入れた説明書類から私が始めて知ったことなどを書いてみました。特に当時のカメラの値段にはビックリしました。
貴重な資料
中古カメラ店巡りをしていると戦前・戦中に造られたカメラを見たり触らせてもらったりすることはできますが、その説明書の現物は滅多に見かけることがありません。その意味で今回たまたま手に入れたマミヤ シックスの説明書はとても貴重な資料と思いました。
Apr. 30, 2013 YOSHIDA