情報を得る読者側にもメディアリテラシーが求められる

田端 ネット上のメディアでは、DeNA傘下の健康・医療系まとめサイトであるウェルクの問題が波紋を呼びましたね。紙の媒体にも、何らかの影響はあったのでしょうか。

新谷 あの一件は、我々にとってはすごくありがたい面もあります。「やっぱり正確な情報、価値のある情報というものはタダでは手に入らない」という認識が世間に広がったわけですから。

「情報を提供する側は相応のコストを費やしているわけだから、本当に役に立つ正確な情報を得たいなら、その対価を払うのが当然だ」と多くの人が思ってくれれば、我々のように手間ひまをかけて記事を作っているメディアがおのずと注目されます。我々はスクープばかりではなく、医療記事についてもエビデンスを重視して、じっくり時間をかけて作っています。人の生命に関わる内容ですから、責任は重大ですね。

田端 ウェブ系のメディアの話が出たので、せっかくだからあえて少々挑発的なことをうかがいたいと思います。僕自身はウェブ系を弁護するつもりはまったくありませんけど、プラットフォームとそれに掲載されている情報の真贋に関しては、紙の媒体にも首を傾げるようなことが存在している気がするのです。

 たとえば、ガン治療に否定的な見解を綴った近藤誠医師の書籍が御社から何冊も出ています。本来なら手術をすれば助かっていた人がそれを読み、信じ込んで命を落としてしまうことも、可能性としては考えられるわけですよね。それでも書籍の場合は、その出版元を訴え出るようなケースはあまり見られない気がするのです。また、雑誌広告に関しては審査がシビアで、たとえば怪しげな眉唾物の健康食品とかは掲載を断っていますよね。ところが、「○○でガンが治った!」とかいった具合に、1冊丸ごとその健康食品を取り上げた書籍はいっぱい出ていたりします。

新谷 確かに、薬事法上の抜け穴がありますよね。

田端 つくづく本という媒体は、言論の自由に関するプロテクトの度合いがスゴイと痛感しますね。万一、遺族に訴訟を起こされた場合には、著者がその責任を負うという慣習のようなものができあがっている。もちろん、出版元も内容をまったくチェックしていないわけではないでしょうけど。書籍は自分で主体的に選んで手に取るものだからということが関係しているのでしょうが、どうしてもモヤモヤした思いが消えないわけです。

新谷 近藤さんのことに関して言えば、彼は長年にわたり独自の研究を重ねたうえで、きちんとしたエビデンスのもとに発表されています。科学もそうですが、医学の分野でもまだまだ解明されていないことが少なくありませんよね。ごくわずかのエビデンスに基づきながら、1つの事象をどちらの角度から見るのかによって、当然ながら解釈は大きく異なってくるものです。近藤さんの主張もその1つで、安易なガン手術に対して警鐘を鳴らすために、バランスをとった両論併記より、エビデンスに基づく独自の解釈を強く打ち出しているということだと思います。

田端 本を通じて仮説を提示するというアプローチは、あって然るべきということですか。

新谷 仮説というより、エビデンスに基づく問題提起ですね。「肩こりの原因が幽霊」などと書いていたウェルクとはまったく異なりますから。もちろん、医学的な根拠もなく論じているのであれば、それは大問題だと思いますけど。

 世の中には1つの事象についても多様な解釈があって、その中から自分が最も納得できるものを選んでくわけです。当然ながら情報を得る読者側のメディアリテラシーがいっそう問われる時代になっていると言えるでしょう。1つの情報だけを見てそれを鵜呑みにするのではなく、ネット上には多様な言論が存在していることを認識したうえで、その中から最も自分にとって説得力があると思うものを見つけ出していく能力が今まで以上に求められていると思うわけです。自分の見たい「事実」しか見ようとしない人は、フェイクニュースに満ちあふれたタコツボから出られなくなってしまう。

田端 ちなみに、記者に対して何らかの圧力がかかるようなケースはありうるのでしょうか? 仮にそういった事態が発生した場合には、新谷さんの男気でもって記者を守るような体制が整っているとか……。

新谷 記者へのクレームはもちろんありますよ。ウチは「親しき仲にもスキャンダル」を現場でも実践させていますから。訴訟沙汰になることもあります。フリーの著者の執筆記事について、出版社ではなく、その記事を書いた個人を訴えてくるというケースもある。内部筆者はもちろんですが、外部筆者の場合でも全面的にバックアップし、ライターといっしょになって戦います。著者だけを矢面に立たせて我関せずということはありえませんね。いずれにしても、圧力やクレームによって記事を止めることはありません。記事が止まるとすれば、事実ではないことが確認された場合か、取材の裏付けが甘い場合です。

田端 そうですよね。たぶん、ウェブ上のプラットフォームにはそこまでの勇気が備わっていない気がします。まあ、どちらがいいとか悪いとは批評するつもりはありませんけど。

新谷 振り返ってみれば、週刊文春の歴史は、戦いの連続という側面もあるわけです。田中眞紀子さんの長女から出版の差し止めかけられてしまったこともあるし、名誉毀損の民事訴訟、刑事告訴を起こされることもある。他のメディアの取材攻勢に晒されることもある。そうした経験を糧にしながら、リスクは一切避けるという逃げ腰の姿勢ではなく、いかにダメージを最小限に抑えるかを考える。何より大切なのは、読者の皆さんの理解、信頼を得るための努力を重ねていくことだと思っています。

(構成/ライター・大西洋平)

最終回に続く