東京大空襲の最中でも
サラリーマンは出勤していた!

 そもそも、雨が降ろうと、槍が降ろうと、定時に会社に行かなければいけない、というのは日本人が何十年かかっても克服できない「心の病」だ。

 1970年代、国鉄や私鉄などで交通ゼネストの嵐が吹き荒れた時も、日本のサラリーマンたちは定時出社を目指した。バスを乗り継ぐ者、前夜から泊まり込む者、さらにはランニングで出勤する者まで現れる。定時に席につくということ自体が「仕事」となっているような印象だ。それを象徴するのが、この社会現象を報じた「朝日新聞」の以下の見出しだ。

「行くゾ この手ダ あすの朝」(朝日新聞1978年4月24日)

 当時の日本は家に帰るのが週1回なんていう「モーレツ社員」も珍しくなかったからしょうがないよ、と思うかもしれないが、実はこういう傾向は、高度経済成長期なんてまったく関係ない。

 それがうかがえるのは、終戦の半年前の記事である。

「学徒を先頭に“翼”復仇増産 空襲の度毎に上昇する出勤率」(朝日新聞1945年2月23日)

 当時はアメリカのB29やらが日本上空に現れては、市街地や軍事工場を空襲した。そんな爆弾の嵐の中でも、日本人は勇ましく「出勤」して、モーレツに働いていた。空襲前は93%だった大学高専学徒の出勤率が空襲後に94%に増えたと記した記事には、現代のブラック企業に通じる描写がある。

 『被爆直後から隊員は今年の「報復作業」生産目標の完遂に躍起せよと叫んで一人も帰宅せず隊旗のもと連日ほとんど徹宵の生産をつづけ手持時間、休憩時間も返上し航空機増産の特攻隊の姿は貴い』

 いやいや、それは別に自主的に出勤をしていたわけではなく、軍国主義のなかで嫌々、鉄拳制裁を受けながら働かされていたのだ、という声が聞こえてきそうだ。確かに、そういう方もいたとは思う。しかし、筆者は、大半の方というのは、いま台風の中でも会社に向かう多くの人たちと同様に、「ああ、行きたくねえな」と愚痴をこぼしながらも、自らの意志で出勤していた人だったのではないかと思っている。