「株式会社」の3つの致命的欠陥
こんにちは。
ダイヤモンドメディア株式会社の武井浩三です。
いきなりですがここ数年、「株式会社」というモノ自体を研究していました。色々文献を読んだり法律を紐解いたり、でも一番は思考実験で、頭のなかで色んなパターンを試すのが、僕の好きな方法です。
自然の摂理に反しない、それが僕の理想の企業。
すべての人が理想の企業で理想の仕事ができる。それが僕の理想の社会。
最近は「フリーランス」や「ノマド」のような働き方が増えているので、世の論調の中には「会社という組織自体が不必要になるのではないか?」という意見も見受けられます。全部プロジェクト制にしちゃえばいいじゃん!的に。
でもボク個人の今のところの意見としては、会社というものはやっぱり意味があると思います。それは共同体と言うものが、「共有資産の永続的保有」と「そこから生み出される富の公平な分配」という側面で、個人の能力を超えるからです。
そもそも社会の近代化は、1800年頃の「私有財産権の確立」から始まりました。そして「資本市場」が生まれて「科学的合理性向上による経済の成長」があって、「輸送・通信技術の発展」により「民主化」が進んできている(今はまだ通信と民主化の過渡期)。
つまり個人の財産を国や他人が侵害できない、というものが経済発展の一番の土台にあるのです。そして会社のような法人は人格を持つ共同体であり、資産を保有することが出来ます。法人に物理的な寿命はありません。だから個人よりも優れている。
と、まあ、「前提として法人が必要」という説明に結構な文量を割いちゃいましたが、その上でこれから「株式会社の致命的な欠陥」を説明したいと思います。
「株式会社」は歴史上最も優れた組織形態
株式会社の欠陥を説明するのに、最も優れたって、どういうことやねん?って感じですが(笑)、今現在存在する共同体の形としては、機能的に株式会社は最も優れていると思います。
社団法人、NPO、合同会社、LLPなど、法的に登記できる法人格は沢山あります。それ以外にも例えば、マンション管理組合のように、組合というものも自由に組成することが出来ます。組合は法人ではありませんが、任意の共同体です。そして合同会社やLLPよりも、機能的に株式会社が優れているのは、会社が3つの分業で成り立っているからです。
「労働」「経営」「所有」
この3つの分業によりダイナミズムが生まれ、一緒くたの時にはできなかったようなことが出来るようになります。例えば外部からお金を調達する、とか。
分業はダイナミズムを生みます。分業により経済が生まれて貨幣が生まれた訳で、分業は間違いなく良いことです。でもその分業が昨今の企業の凋落や不祥事を生み出してしまっている。このパラドックス。これを3つの観点から説明します。
あ、説明と言っても武井の持論なので、合っているかどうかは分かりませんし、厳密であることが重要だとも思っていません。僕は学者ではないので。なのでお取り扱いは個人の責任でお願い致します(適当でスミマセン)。
1. 情報の透明性が担保されていない
株式会社を規定する法律を「会社法」と言いますが、草案は明治時代に生まれて、2006年から今のような1円でも設立できるような形になりました。不動産の借家法とかもそうですけど、戦後間もない頃に、だいたいの法律の元となるモノが作られています。
でもその頃って、インターネット、無いよね・・・
会社法にはアナログで出来る範囲のことしか、法律で規定されていません。会社内部の情報をデータ化して共有するということを法律で担保していません。
ホラクラシーに最も必要なのは情報の透明性です。情報によって個と個が繋がって一体化します。「労働」と「経営」と「所有」を一体化させるためには情報の透明性が絶対的に必要不可欠。昔はよく「経営者は孤独」とか言われてましたが、私の知人のホラクラ系経営者達は「経営者は孤独」の意味がわからないと、みんな口を揃えて言います。
そういうことなんです。では次。
2. 意思決定の方法が多数決
会社法に規定されている意思決定は、全て多数決です。取締役会、株主総会、すべての最終意思決定は多数決で決まることになっています。
多数決とは、ビフォアーインターネット時代の意思決定の方法です。しょうがないから多数決で「えいや!」って決めていた。決めざるをえなかった。
セブンイレブンの前社長、鈴木さんの解任の時なんか、取締役会での多数決が「7票対8票」の1票差で解任が決まったらしいです。2万店舗もあって、従業員さんや関係各社、取引先なんかを含めると、おそらく数十万人。顧客を含めたら数千万人というステークホルダーがいる一流企業の、超重要な決定を多数決で決めちゃう。これどうなの?
僕がセブンの正社員だったらキレますね。もっと話し合え!と。
でも法律が、会社にこうさせちゃってるんですよね。これは会社の問題ではなく法律の問題。社会構造の問題なんです。
多数決とはマジョリティを取って意思決定します。マイノリティを切り捨てます。でも「リーダーシップ」って、常にマイノリティなんです。だってそうでしょ?誰もがわかっている事だったら、リーダー自体必要ないですから。
つまり、組織内で多数決を繰り返すと、組織からリーダーシップが失われていきます。そして官僚化が進みます。権力の奪い合いが始まります。派閥が生まれます。株の議決権争いのことをプロキシーファイトって言いますけど、今はその方法でしか既得権益に立ち向かえないからしょうがなくやっている。やらざるを得ない。これは明らかに法整備の歪から生まれていますね。
多数決の究極は政治システムですよね。
武井個人は、政治家の知り合いもボチボチおりますし、ほとんどの方が人格的にも能力的にも素晴らしいと、本気で感じているのですが、僕はやっぱり政治のシステムが好きになれません。多数決だから。
ホラクラシーには「意思決定機関」というものが存在しません。無くても意思決定できる人、すべき人が勝手に意思決定して進んでいくから。それでいて全体の調和が取れる。ヒエラルキーの場合、部分を変えると全体調和のために一度トップまで戻らないといけないんですね。稟議みたいな感じで。
ちょっと話が膨らみすぎてしまったので戻しましょう。では最後に3つ目。
3. 株式会社は刑事責任を取れない
これも法律的な問題です。
株式会社は人格を持っています。民事責任は取れます。でも刑事責任を取れないのです。だから会社はモラルハザードを起こしてしまうんです。言い換えると、倫理や道徳に反することをした方が会社は儲かってしまう、ということ。
過去に三菱自動車がリコールすべき問題を隠し続けて、それが原因で若い母親が亡くなってしまったという悲劇がありました。
もちろん三菱自動車は金銭的賠償をたんまりしたと思います。でもそれは民事の話。
刑事の面で、どんな処罰があったと思います?
例えばトラックの運転手が居眠りとかで事故を起こしてしまい、人が亡くなってしまった場合は「業務上過失致死」として、かなり思い刑事責任を問われますよね?
この三菱自動車のケースでは、問題を隠し続けた役員達に対して、「罰金20万円」が課されました。20万円ですよ。詳細は異なるかもしれませんが、人が亡くなっているのに、こんな程度の罰金刑なんです。
会社としてはこっちのほうが儲かっちゃうんですよね。
なんだったら、この責任をだれか一個人の役職者とかに押し付けて、トカゲの尻尾切りのように首を切ってしまえば問題解決ですよ。
いやいやいや。
責任は個人ではなく、法人に帰すべきですよ。法人として起こした事件ですから。でもそれは会社が悪いんじゃなくて、法律の不備なんですよね。だから根が深い。
最後に
ヒートアップしちゃってすみません。でも、こういう構造的な問題に目を向けて、構造自体をリデザインしないことには、世の中良くならないんですよ。だから僕は声を大にして言いたい。
そして法律の問題とも言いましたけど、そもそも法律で全てをカバー出来るとも思っていないし、すべきだとも思っていません。
法律には「自然法」と「実定法」がありますが、制定されている法律で全てを網羅できるはずもないから「自然法」があり「倫理」や「道徳」があります。組織や個人が、無理せずに自然とこの「自然法」に則って営んでいける社会システムが求められているのが、今の変革の世だと思います。
我々は今の資本主義を否定していません。しかし進化する時だと切実に感じています。そして我々がフロンティア精神を持って、新しい法人組織を描いていこうと思っています。だから失敗もあるけどw
次回のブログでは、ダイヤモンドメディアのこの自然法に基づいた経営システム、組織デザインの最新の取り組みをご紹介しようと思います。
今回はこれでオシマイ!