堀内社会保険労務士事務所ブログ

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ハンナ・アーレント著『暴力について』から『政治における嘘』

ハンナ・アーレント著『暴力について』(みすず書房 2000年)
訳 者:山田正行

 安倍政権が強引に進めようとしている「特定秘密保護法案」が、国会で審議されています。最終的には多少の修正はあるにしても、衆議院・参議院で多数を占める与党自民党と公明党の賛成採決で法案は通過すると思われます。確かに外交の交渉段階では全てを明かすすことはできないし、防衛問題でも必要な機密はあると思います。しかし、今進められている「特定秘密保護法案」は行き過ぎており、何よりも国民から信用されていない、国民に対して平気で嘘をつき、騙し、ごまかし、隠し事をする政治家や官僚に「秘密の範囲の決定」を任せることは甚だ危険なことではないでしょうか。

 この『暴力について:共和国の危機』という本のなかには、著者のハンナ・アーレントがベトナム戦争終戦後の「国防総省秘密報告書」の読後として、「政治における嘘:国防総省秘密報告書(ペンタゴン・ペーパー)についての省察」という論考で政治における嘘について様々な考察をしています。以下『政治における嘘』からの引用です。

 秘密(外交においては「裁量」とも「国家機密」とも呼ばれる)と欺瞞、すなわち政治的目的を達成するための正統な手段として用いられる意図的な虚偽と明白な嘘とは、有史以来我々とともにあった。誠実が政治的な徳とみなされたためしはないが、嘘はつねづね政治的な駆け引きにおいて正当化できる道具とみなされてきた。
 嘘をつくというこの能動的、攻撃的な能力は、誤謬を犯し、錯覚に陥り、記憶が歪む、その他何であれ、感覚的および精神的器官の欠陥に原因を求めることのできる間違いを犯しやすいという受動的な性質とは明らかに異質のものである。

 嘘について、とりわけ行為する人々のあいだでの嘘について語るときには、嘘が人間の罪深さから何らかの偶然で政治に紛れ込んだのではないことを忘れないようにしよう。この理由だけからでも、道徳的な憤激によって嘘が消滅することはありそうもない。意図的な虚偽は偶然的な事実と関連している。すなわち、それ自体のうちに固有の真理を持たない事柄、現在に状態のままである必然性のないことを取り上げるのである。「事実の真理」はけっして有無を言わさぬ強制的な真理ではない。
 われわれがその中で日常生活を送っている事実の織物全体がいかに脆いものであるかは、歴史家のよく知るところである。それは常に一つ一つの嘘によって穴を開けられたり、集団、国民、階級の組織された嘘によって引き裂かれ、否定され、歪められ、またばしば山のように積み重ねられた虚偽によって周到に覆い隠されたり、ただ忘却の淵に沈むにまかされたりする危険にさらされている。

 嘘をつく人は、一つひとつの虚偽をつくりだすことはいくらでもできるであろうが、主義としてずっと嘘をついてなお無事であるということはできなし相談であることに気が付くだろう。このことは、全体主義の実験や全体主義支配者が嘘の力ー例えば、現在の「政治路線」に過去を合わせるために繰り返し歴史を書き換える能力や自分のイデオロギーに一致しないデータを抹殺する能力ーに寄せるぞっとするような信頼から学ぶことができる教訓である。

 「政府はしかるべく機能しうるためには国家機密を必要とする」という病み付きになった考え方は一体どうなるのだろうかと考えさせられてしまう。
 もし政府の秘密が肝心の関係者の頭脳を煙に巻いてしまったため、彼らが自分で隠匿し、ついた嘘の背後にある真実を知らないとか、もう覚えていないとするならば、欺瞞のための作戦全体は、それがどんなによく組織された仕掛けであるとしても、失敗の終わり、逆効果となるであろう。言い換えれば、それは人々を納得させず、混乱させるであろう。というのは、嘘をついたり欺いたりすることの難しさは、その効果が、嘘をつく人や欺く人が隠したいと思っている真実を明晰に知っていることの上に成り立っているからである。この意味で、真実は、たとえ公衆のあいだに広まっていないとしても、あらゆる虚偽に打ち勝つ根強い優位性を持っているのである。

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