第五福竜丸から平和の願いを 被ばく後改造、元技師ら10日講演会
主催は生活協同組合コープみえ、ゴーリキなど。第五福竜丸展示館(東京都江東区)の主任学芸員・安田和也さんが講演するほか、改造船の設計などに携わった木村九一さんと吉岡雄毅さんが当時の思い出を語る。会場には、設計図や写真パネルも並べられる。
ゴーリキの強力修会長(66)は「歴史の裏側で伊勢の造船業が関わっていたことを多くの人が知って、核兵器の廃絶について考えてほしい」と話している。
第五福竜丸は一九五四年、マグロ漁船として太平洋のビキニ環礁を航行中、水爆実験による死の灰を浴びた。焼津港(静岡県)で除染された後、強力造船所に運ばれ、東京水産大(現・東京海洋大)の練習船「はやぶさ丸」として改造された。現在は展示館で見ることができる。
講演会は参加無料で、定員は二百人ほど。(問)コープみえ=059(271)8503
(関俊彦)
◆「核兵器考えるきっかけに」 現会長の強力修さん
第五福竜丸を改造した強力造船所(現・ゴーリキ)の強力修会長(66)に、当時の話や講演会への思いを聞いた。 (聞き手・関俊彦)
−なぜ強力造船所が第五福竜丸の改造をしたのか
私は当時5歳。だから当時の社長だった祖父・善次や父・辰夫から伝え聞いた話だ。
祖父は13歳で船大工の見習いとして大湊で働き始め、27歳で造船所を立ち上げた。造船への思いは日本一強かった。誰もやりたがらない仕事を引き受けたのは、傷ついた船を見捨てられない船大工としてのプライドと、育ててくれた造船業への恩返しという思いがあったのだろう。
−引き受けた当時、地元から批判もあったと聞いている
引き受けた時には除染もされていたが、一般市民には放射能の知識は今ほど浸透していなかった。造船所の周囲には反対のチラシが張られ、銭湯には入浴を断られた。それでも祖父は知り合いの医師に頼み、除染されている証明をして、周囲の誤解を解いた。
−講演会を通して、伝えたいことは
古くから伊勢神宮の造営に関わり、戦国時代には織田信長や豊臣秀吉から依頼を受け、終戦後には被ばく船の改造をしたのが伊勢の造船業。歴史の表舞台には出ないかもしれないが、その歴史は地域が誇るべきものだ。今回の講演会が、若い世代が地域の歴史に興味を持ち、今も社会的問題である核兵器について考えるきっかけになればと思っている。