震災から 5 年
未来への記憶、未来への学び
未来への記憶、未来への学び
2011 年(平成 23 年)3 月 11 日 14 時 46 分 18 秒、
東北太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生。
未曾有の震災直後、
誰もが混乱と恐怖の中で何ができるかを考え行動した。
Google では震災から 14 分後に
クライシスレスポンスチームが始動した。
震災前
(2010 年 6 月 25 日)
震災直後
(2011 年 3 月 18 日)
被災地内の移動や被災地の救援・支援に向かう人たちのために、
過去 24 時間に通行があった道路を地図上に表示。
毎朝 9 時に情報をアップデートし続けた。
震災から 2 ヶ月後、経済活動を再開した事業者への
ビジネス支援が始まった。
「東日本、営業中!」のスローガンのもと、地方新聞社と
YouTube が手を組んで地元の商品やサービスを動画で紹介、
元気な様子を日本中に伝えた。
被災地に住む多くの人の貴重な思い出が津波によって失われた。
未曾有の震災の刻々と変わる被災地の状況を記録するために、
また後世に震災の記録を継承し記憶の風化を防ぐために、
2011 年夏 Google の「デジタルアーカイブプロジェクト」が
スタートした。
東北での将来に不安を感じる若者が多く、
Google は、若者の未来を応援するためにテクノロジーで
どんなサポートができるかを考え始めた。
東北各地に拠点を置き、若者がプログラミングを
自由に学べる「東北 TECH 道場」の第一期が開催された。
Google は、講師派遣などのサポートを行なっている。
震災の爪痕が深く残る震災遺構。地震と津波による被害を知るために
重要な震災遺構は、同時に維持・保存の難しさがあった。
「デジタルアーカイブプロジェクト」の一環として、
ストリートビューのパノラマ写真で岩手県・福島県の震災遺構の外観及び
構内を撮影、公開した。震災から約 2 年を迎える当時、
撮影した施設の中にはすでに解体が始まっているものもあった。
福島第一原子力発電所の事故により、
原子力災害被災地域となった福島県の一部地域。
事故から 2 年を経ていたが、いまだ本格的な復興に向かえずにいた。
当時、福島第一原発から 20 キロ圏内にあたる「警戒区域」と、
残り半分が「計画的避難区域」に指定されていた浪江町。
その様子を、浪江町の協力によりストリートビューで撮影した。
その後も福島で帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に
指定されたエリアのストリートビューを撮影・公開することになる。
復旧から復興へ。震災発生から 3 年目、
東北のビジネスやコミュニティの復興を加速させる動きが始まった。
東北で新規事業や町づくりなど、新しいチャレンジに取り組む人々と、
その挑戦を応援したい人々をつなぐクラウドマッチングプラットフォーム
「イノベーション東北」をスタート。ここからさまざまな人のつながりが
生まれ、東北の「今」に関わる人々が増え続けている。
東北の未来をつくる若者たちの自由な発想を形にし、
世界への挑戦をサポート。
岩手県、宮城県、福島県内の高校生、高等専門学校の 1 〜 3 年生を
対象とした「Google サイエンスフェア in 東北」を開催。
参加した「若き科学者たち」が科学やテクノロジーを楽しみながら、
自由な発想で世界を変えるアイデアにチャレンジした。
リアス式海岸で有名な三陸の沿岸地域。
海から見た陸地はまた、復興とともに様子を変えていく。
海とともに暮らす東北の沿岸地域。「デジタルアーカイブプロジェクト」の
一環として、夏から秋にかけて美しい三陸海岸の景観を海からとらえた。
復興に携わる人、地元の人、観光で東北に訪れたいと
思っている人、すべての人にとって、東北が身近に、
もっと移動が便利になるように。
震災から 5 年、多くの企業が復旧・復興活動に携わってきた。
その活動で得た経験と知見が、日本を元気にするナレッジとなるように、
将来起こるかもしれない災害時にもっと早く対応できるように、「未来への学び」を公開。
IT企業が突然やってきて、支援してくれる人をインターネットでマッチングするといわれても、現場の事業者の皆さんには分かりづらかったと思う。当初は、「御用聞き」として、現場に通い詰めた。
専任の担当者を 1 名つけ、それ以外のコアチームは 20% ルールで参加する社内メンバーと、業務委託する社外の中間支援組織とで構成し、必要な時に必要な人材が集合する形で運営した
「イノベーション東北」の初期はできるだけの多くの「お見合い」を実施することを目標とした。社内には「Fail Fast」のアプローチを大切にする文化があり、トライアンドエラーが奨励され、すぐフィードバックする習慣ができている。