2009年11月05日

歴史的瞬間

光の塔の最上階へようやく到着することが出来たオルフェは、すぐさま現状を把握した。

ドルチェに対して魔物をけしかけていたフィアナ・・・。

右頬の傷を見て・・・、オルフェの瞳が氷のように冷たくなる。

オルフェの顔が冷徹な表情に変わりフィアナを一瞥すると、メガネのブリッジを指で

押さえながら前に進み出た。

それに反応するかのように、levitra ・・・フィアナが後ずさる。

オルフェから放たれる威圧感におされ、フィアナ自身にはまだ攻撃の手が伸びていない

にも関わらず・・・フィアナの顔には苦渋が滲み出ていた。


「張り切るのもいいが少し度が過ぎたようだな、フィアナ・・・。

 お前が憎むべき相手はこの私・・・、ドルチェは関係ないだろう。」


 全く笑みのない顔でオルフェが言い放つ。

その言葉を聞き・・・、フィアナは嫉妬にも近い感情で声を荒らげた。


「そいつがいけないのよっ! そいつが存在するせいで、あたしは・・・っ!

 ・・・・・・うぐっ!? な・・・っ、なに・・・っ!?

 う・・・あ・・・っ、ああああぁぁぁあぁぁああーーーーーっっっ!!」


 突然フィアナが絶叫し、オルフェが投げつけたホーリーランスがかすった脇腹を

押さえて苦しみ出した。

喉が張り裂けんばかりの勢いで喚(わめ)くフィアナを見ても、オルフェは眉すら全く

動かすことなく・・・冷ややかな視線でじっと窺うだけである。


「苦しいか・・・? そうだろうな。

 さっき投げたホーリーランスの刃先には、たっぷりと毒を塗り込んでおいたから・・・

 ようやくその毒の効果が現れたようだ。

 お前を殺す気はないが、このまま自由にさせておくわけにもいかない。

 これは仕置きだと思え。」


「ああああぁぁあーーーっ、くぅ・・っ! こ・・・んの・・・っ!!

 うぅ・・・っ、どう・・・してっ!? 

 どうし・・・てっ!? うあああぁあーー・・・・っ、あああぁあ・・・っ!!」


 体内の臓器全てを無数の鋭い針で、深く突き刺してはえぐる・・・というような激痛に

耐えることで精一杯になっているフィアナは、うまく言葉を紡ぐことが出来ずに・・・

ただ悶え苦しむ他なかった。 

床の上を這いずり回るように苦しんでいるフィアナの姿を、その目で見たドルチェが

一歩・・・フィアナに歩み寄ろうとしていた。

しかし・・・、自分がなぜ今・・・フィアナに歩み寄ろうとしたのか・・・。

そんな自分の行動が理解出来ずにいたドルチェは、すぐさま足を止めた。

ドルチェは至って冷静なままのオルフェを見上げると・・・、不思議そうに尋ねる。


「大佐・・・、なぜ?」


「あれが本物のフィアナであろうと、そうでなかろうと・・・。

 彼女が犯した過ちは、口だけの謝罪で済むような問題ではありませんからね・・・。

 このまま生かしておいても私達にとってプラスになるようなことはありませんが、

 一応ルイドの手前・・・殺すわけにもいきません。

 これまで犯した罪に関しては、この程度の措置で十分でしょう。」


 オルフェの言葉に、私的な感情は一切なかった。

犯した罪に対する贖罪、そして情勢を考えた結果・・・これが妥当だと判断した

行動である。

ふと見えたオルフェの横顔から・・・『獄炎のグリム』という冷徹な顔が、覗いていた。

数分程悶え苦しんでいたフィアナは精神的な面と体力的な面から、・・・どうやら限界に

達したようで、気絶したかのように突然静かになるが・・・わずかに体が痙攣している。

それを確認するとオルフェは、ようやく安全になったと判断してフィアナの背後にあった

祭壇の間の方へと歩いて行く。

大きな扉に手を触れて暗香 ・・・、どこかに開閉する為のドアノブやスイッチがないか探した。

しかし観音開きの大きな扉には何も付いておらず・・・どうやって開閉したらいいのか

わからない。


「恐らく光の神子に反応して扉が開閉する・・・、といった具合でしょうね。

 光の塔の出入り口となる扉の鍵さえあれば、割と誰でも出入り自由になっているみたい 

 ですから・・・ここだけは厳重に、というわけですか。

 ・・・これは中尉達がザナハ姫を連れて戻るまで、待つしかなさそうですね。」


 そう呟くと、オルフェはフロアの壁にもたれかかりながら、小休憩を取った。

ドルチェもオルフェの隣に座ると、先程ダメージを受けたベア・ブックの背中の処置に入る。

長い沈黙が流れる中、オルフェは床に倒れたままのフィアナから決して目を離さなかった。


 


 時折時計を確認しながら休憩を取っていたオルフェは、最上階のフロアに到着してから

約1時間後に・・・下方から奇妙な音が聞こえて来たことに気付く。


がしょん・・・、がしょん・・・、がしょん・・・、がしょん・・・!


 金属で出来た巨大な物体が、まるでスキップでもしながら階段を駆け上がって来る

ような・・・そんな軽快な音。

その音がだんだん近づいて来て、オルフェとドルチェは立ち上がり・・・一応警戒した。


がしょん・・・! がしょん・・・! がしょん・・・! がしょん・・・!


やがて・・・。


「うらぁーーーーーっ、到着したぜこんちくしょーーーーっ!!」


 大きいサイズの機械人形のてっぺんに乗っているアギトが、両手を振りかざして

喜びを表すようにガッツポーズしている。

よく見ると機械人形にしがみつくように、ミラとザナハが・・・。

そしてこともあろうにルイドとサイロンまでもが、機械人形の背中部分にあるわずかな

スペースを足がかりにして乗っていた。


 がっしょん・・・と、最後の段差を上りきった機械人形はそのままシューッと煙を

噴き出して停止する。

そんな不可解で奇妙な光景を、オルフェは白い目で見つめていた。

機械人形から全員が降りると・・・、アギト達はすぐさまルイド達から距離を離す。

ルイドは扉の前で倒れているフィアナをすぐに見つけて・・・、壁際に立っている

オルフェを睨みつけた。

しかし一瞥しただけで特に何か言葉を発することもなく、ルイドは倒れているフィアナに

歩み寄ると生死を確認し・・・そのまま溜め息を漏らす。


「これがお前の仕打ちか・・・、ディオルフェイサ。」


 怒りを表に出さず平静のまま、ルイドが静かな声で尋ねた。

オルフェもまた・・・、笑顔のない顔で答える。


「えぇ・・・、あなたの部下は随分とやんちゃが過ぎたのでね。」


「この程度で済んだ、それだけでも・・・かなりの温情をかけられたと言うべきか。」


「ところで・・・、私の視力が確かならば・・・。

 あの機械人形に皆さん全員・・・、仲良く搭乗していたように見えたのですが?

 この旅が終わったら、私はメガネを新調した方がいいと思いますか!?」 


 早速回りくどいイヤミが飛んで来る。

なぜ今の言葉がイヤミになるのか・・・、答えは簡単だ。

視力の悪い人間は軍人になれない、つまりオルフェがかけているメガネには度が

入っていないのだ。

それを以前聞いたことがあるアギトは、オルフェのあからさまなイヤミに表情を

歪めて嫌悪感を露わにしている。

すぐにミラがオルフェの側に駆け寄ると、叱責を覚悟するような表情で質問に答えた。


「申し訳ありません大佐、これは私が彼等に申し出たことなんです。

 奈落の底に落ちた我々は・・・、一時的に共同戦線することになりまして。」


「敵に頭を下げたのですか? それは軍人として恥ずべき行為ですね。

 それに関してはまた後ほど追及するとして・・・。

 では今、私達の目の前にいるルイドと若君は・・・敵か味方か、どっちなんです?」


「・・・若君はあくまで中立だと言い張ってますが、ルイドは・・・。」


 ミラがそう言いかけて、ルイドの方を窺う。

その視線に気付くと・・・、ルイドは微かに笑みを浮かべただけだった。


「敵・・・、でよろしいですね?」


 含み笑いを浮かべたオルフェが、そう判断した。

それが合図だったかのようにViagra 、アギトとドルチェに緊張が走る。


「待って!」


「待った!」


 ザナハとサイロンが同時に叫んだ。

思わぬハモリに、ザナハが唖然としてサイロンの方に注目する。

しかしサイロンは全く気に留めていない様子で、扇子でぱたぱたとあおぎながら

悠々とした表情を浮かべていた。

てくてくと・・・、オルフェ達とルイドの間へ割って入るように立ち塞がる。

まるで自ら中立を意味するかのように。


「双方共、武器を収めるが良い・・・というか誰も武器を手にしておらんな。

 ・・・結構!

 では、しばし皆の時間を余にくれぬか。

 族長の喪中の最中(さなか)、余がはるばるここまで来た理由を述べようぞ。」


 サイロンの言葉に、全員が怪訝な顔になる。

時間をくれ・・・と告げられて、オルフェ達が相談する間もなく・・・サイロンは

双方が返答する前に、ちゃっちゃと理由を話し出した。


「実はこの開戦に関しては、龍神族側の結論は全て元老院が下したことなのじゃ。」


「・・・了解を得る気、皆無じゃん。」


ぼそりとつっこむアギトだが、当然サイロンの耳には届かない・・・永遠に。


「龍神族次期族長という肩書を持っておって、余は何と情けないことか・・・。

 そこで余が色々考えた結果・・・、ようやく覚悟を持って結論したことがあるのじゃ。

 この光の塔へ赴いたのも、その覚悟を全世界に伝える為に必要だった。」


サイロンの言葉の筋道が全く見えず、アギトは首をひねるばかりだ。


「全世界に伝える・・・って、どうやって?

 つーか、何を?」


アギトの問いかけに、先に口を開いたのはルイドだった。


「まさか・・・、『あれ』を使う気か!?

 無茶だろう・・・、まだ誰一人として上位精霊と契約を交わしていないというのに。

 いや、交わしたとして・・・それが可能かどうか誰にもわからん。

 何を伝えるつもりか知らないが、少し待て・・・。

 お前の話はいつも唐突過ぎるぞ。」


 ルイドの動揺から察するに、サイロンがやろうとしていることは・・・どうやら相当

無謀なことらしいと窺える。

そんな時・・・、ルイドの言葉からヒントを得たのか・・・オルフェが何かを理解した

様子だった。


「あなた達が言っているのはもしかして、古代空母フロンティアにも搭載されていた

 であろう・・・、例の装置のことですか!?

 以前、師から聞いたことがあります・・・。

 この光の塔から世界に向けて、言の葉を発信することが出来る装置が隠されている、 

 という話を・・・。

 しかしその装置を起動させるには、特定の精霊の力が必要だとか・・・。

 残念ながら、どんな精霊が必要だったかまでは・・・私にもわかりません。」


 オルフェの言葉からアギトは、この光の塔が巨大なスピーカーになる・・・という

想像をした。

しかしここはレムグランド、異界の歪みの位置関係にある他の国・・・。

アビスグランドや龍神族の里へどうやって音声を送るのか、全く想像出来なかった。


「勝手に話を進めてるとこワリーんだけど、・・・何? 何でみんな乗り気!?

 いつの間に馬鹿君の意見を中心に展開が進んでんだよ、わけわかんねぇんだけど!」


 唐突な展開に全くついて行けないアギトは、たまらず文句を口にする。

いつも置いてけぼり、いつも説明不足、・・・こんな扱いにはもううんざりしていた。

しかしオルフェは平然とした顔でキッパリと告げる。


「安心しなさい、私にもさっぱりなんですから。

 ここにいる全員がアギトと同じ立場ですよ、何が何やらわけがわかりません。」


 オルフェは肩を竦めるように・・・、そしてどこかサイロンを相手にすること自体に

諦めを感じているかのように、お手上げ状態という仕草をした。


「なぁ~に、心配するでない。 誰一人として困らない提案じゃよ。

 実はのう・・・ここに、ある人物からの密書がある。

 正体を明かすわけにはいかんが、そうじゃな・・・本人曰く『黒衣の剣士・レイ』と

 呼ぶように書かれておる。

 とりあえず、この者のことはレイと呼ぶことにしよう。」


 サイロンが明かした人物を聞いた途端、オルフェは思わずガクッと体勢を崩した。

慌てて冷静さを保つかのようにメガネの位置を直すフリをして、咳払いしている。

その横ではアギトの瞳が突然輝かしい光を放って、どこかわくわくしていた。


「それでVVK ・・・、その密書には何て書かれていたんだ?」


ルイドが静かな口調でサイロンに尋ねる。


「衝撃的なことが書かれておった。

 奈落の底でルイドにはすでに話したことじゃが、親父殿の死後・・・里は

 てんやわんやで、一時的にディアヴォロの監視がおろそかになってしまった。

 恐らくその隙をつかれたんじゃろう・・・。

 その時期を境に、ディアヴォロの眷族の存在を感知するようになったのじゃ。

 レイの話によればレムグランドでも複数の目撃証言や実害があったようでの。

 中でも一番注目するべき点は、ディアヴォロの眷族の一人が・・・ガルシア

 国王に接触している可能性が高いことが判明したのじゃ。」


「・・・・・・っ!!」


 全員が息を飲む。

オルフェに至っては少なからず推測していたのか、驚いたのは一瞬だけだった。

しかしアギトを始め・・・、特にザナハはショックが大きかったようだ。

全員の反応を窺いながらサイロンが続ける。


「もしそれが事実なら、これまでの国王の乱心ぶりに合点がいくことになる。

 ならばガルシア国王から眷族を引き離し、正気に戻すことが出来ればこれまでの

 暴虐行為に終止符が打たれる・・・、という希望が出て来る!

 しかしこの眷族、相当頭がキレるようでの・・・なかなか尻尾を出さんらしい。」


「なるほど・・・、そこで餌をまく・・・というわけだな。」

 

 ルイドが小さく呟いた。

サイロンの思惑が見えて来たところで、結論を言う。


「眷族を釣る為に、いい作戦を思いついたから・・・それを実行する為にここまで

 来たというわけなのじゃ。

 今は開戦状態、余が一人で国同士を行き来しても・・・きゃつらに悟られるのがオチ。

 そこで光の塔に存在すると言われておる、先程グリムが言った装置を試してやろうと

 思った次第なのじゃよ。

 どうじゃ、お主達も少しは協力する気になったかの!?

 今戦うべきはレムとアビスではない、・・・諸悪の根源であるディアヴォロじゃ!

 以前・・・余は、年端も行かぬ小童に説教されたわ。

 中立という立場にいながら、なぜ何もしないのか・・・とな。

 確かにその通りじゃ、余はレムとアビスの間にある確執を理由にするだけで・・・ 

 自ら動こうとしなかった。

 龍神族次期族長という肩書を持ちながら、他の者に比べれば武器になりそうな身分や

 権力があるにも関わらず・・・そんな立場にいる己が嫌で、反発して・・・。

 ・・・逃げていただけじゃ、己の現実からのう。

 しかし、今となってはそんなワガママを言ってられん所まで来てしまっておる。

 親父殿がいない今・・・、余が一族をまとめ上げ・・・導いて行かねばならんのじゃ。

 その第一歩として、ここにいるお主達にも協力を仰ぎたい。

 ・・・頼む、余に力を貸してはくれまいか!?」


 サイロンが・・・。

あの高慢ちきで、高飛車で、他人の言葉には耳を傾けないような気高い男が・・・。

オルフェとルイドに向かって頭を下げていた。

それだけ必死になっている・・・、そんな姿を目の当たりにした二人は・・・しばし

沈黙を保っていたが、やがて互いに笑みを浮かべる。

それが答えだった。


「友の頼みだ、聞かないわけにはいかんだろう・・・。」


そう言って、ルイドはサイロンの肩をぽんっと叩いて頭を上げるように促した。


「そうですね・・・、私も元々アシュレイ殿下から密命を受けていましたから。

 どのような方法を取るつもりなのかはわかりませんが、出来る範囲でなら

 協力しますよ巨人倍増。」


 レムとアビス・・・、オルフェもルイドも国の権力者というわけではないが・・・、

重鎮と言っても過言ではない地位にある。

その二人が手を組む・・・、こんな日が来るとは誰が予想出来たであろうか。

長年の間互いに憎しみ合っていた国同士が、共通の敵と戦う為に協力し合うなど・・・。

まさにレムとアビスの歴史的瞬間でもあった。


(せっかくリュートが勇んで架け橋になろうとしているのに、思いがけない所で

 勝手に実現してしまいましたね・・・。

 まぁ・・・、こちらとしては完全に信用しているわけではありませんが。

 あくまで陛下にまとわりつく虫をおびき出す為・・・。

 その足掛かりとしては、・・・まぁ十分でしょう。)


 一見感動的な場面だが・・・、オルフェは笑顔の裏で腹黒い考えを巡らせていた。

そうとは知らず、感激に満ちているサイロンのテンションは一気に最高潮に達しており

早速計画を実行に移そうと張り切っている様子だったVOV催情粉

 

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2009年11月07日

お昼寝

アンパンを2個と食堂のラーメンを食した俺は、教室へと戻ってきた。


自分の席窓際へと向かうと、キョン子と二人の女子が机を合わせて各々の弁当を突いていた。


邪魔しても悪いし昼休み終了までブラブラしとこう。絶對高潮

俺は何と無くだが校舎から出て風来中。


ふと立ち止まると人気が全く無い場所に出た。


そこは風通しが良く適度に入る太陽の日差し、自然か人工かは分からないが芝生が生えている。

真ん中辺りにはでっかい木がたっている。




「こんな所があったのか・・・昼寝に最適だな」




俺は木の側に寝っころがる。自然と目をつむる。


寝てしまえ・・・


???Side




あら?アレは誰でしょうか?


こんな人気がない場所に来るなんてどんな変わった人なのだろうか・・・、それを言うなれば私も変わった人ですね。


ちなみにココは私が1番好きな場所です。どんなに仲が良い人達でも自分から教えるつもりはないです。


そんな場所に入られたことが少しばかり嫌になった私は、ムスッとしてでどんな人か見てみようと近づいた。


木の側で寝ているのは男の人。中々の身長で顔は前髪が目にかかってよく分からない。

そのあとの行動は自分でもビックリした。

私はしゃがんで彼の髪を指でどけるる、すると現れたのは綺麗に整った顔一瞬女の子ではないかと思ってしまうくらい。


しばらくの間彼の顔に見惚れていた。時間いっぱいまで見ていても罰は当たりませんよね?


私は芝生に腰を落として座り込み、背中を木に預ける。




昼休みが終わったら起こすとしましょう。


Maine、Side




「起きてください、昼休みが終わりますよ?」




んあ?誰の声だろうか・・・・・とりあえず起きるか。


目を開けて上半身を起こすと、目の前には可愛い少女の顔がっ!って。




「うわ!!!」




ビックリした、いきなり人の顔がドアップとか痔命が縮んだなぜったい。

そんな俺の姿を見てクスクスと笑っている少女が話しかけてくる。SPANISCHE FLIEGE D5 媚薬




「すみません、そんなに驚くなんて思ってもいなかったもので。」




「い、いや別にいいよ。起こしてくれたのは君だろ?ありがとうございます。」




「いえいえ、なかなか良いものを貰いましたから」




「???」


良いものって何のことだろうか。それより見ず知らずの人にあげたものなんて無いんだが・・・




「いえ、何でもありません。あっ!自己紹介がまだでしたね。私は小泉一姫です。いっちゃん、と呼んでください。」




小泉・・・小泉!?まさかお前も女になってるのか!!ん〜、この世界は俺がしってる「涼宮ハルヒ」の世界と少し違うのか?




「どうしましたか?」




「ん?あー、何でもない。えっと俺は響谷秋五。今日転校して来たばかりで、何かと迷惑をかけるかもしれないけどよろしくな。いっちゃん!」


忘れず笑顔、第一印象はよくするべし!だ。




「・・・へぇ?は、はい////」




??何で顔朱いんだ?風邪かな?


そんな事を思いながらいっちゃんの顔色を窺っていると、昼休み終わりのチャイムが鳴る。




「あっ!ヤバイ、午後の授業に遅れる。行こうぜ、いっちゃん。」




立ち上がって右手をいっちゃんに差し出すと握ってくれた。それを確認して右腕を引いていっちゃんを立ち上げる。

いっちゃんは「有難う御座います」と笑顔で告げると校舎へと歩き出す・・・事はいいのだが。




「いっちゃん、手・・・」




「ん?嫌ですか?」




「嫌じゃないけど、周りの人に誤解やら何やらが・・・」




「ふふ、いいじゃないですか。」




「よくないだろ・・・」




いっちゃんに分からないように溜息をついて繋がっている右手を見る。あったかいな~、何て思いながらにぎにぎと握ってみると返事のようにいっちゃんからも握り返してきた。


そんなことを続けながらいっちゃんの教室の前に到着。周りの視線が痛かった・・・・。


時刻は飛んで放課後、俺は今自己紹介もしてない少女・・・まぁ涼宮ハルヒなんだが、その子に左腕を抱えられて連行されている。




「あのー・・・事項紹介もまだしてない男をどこに連れて行くんです?」




「?あんた朝に自己紹介してたじゃない。」




「そうですが、俺は貴方の事を知らないんですが・・・」紅蜘蛛赤くも催情粉


本当は知っているけど。




「そうだった。涼宮ハルヒ、これで良いわよね?」




「え?あ、ああ・・・」


それだけかよ!もっと何かないのかよ、俺は聞いてないぞ!!普通の人に興味が無いとかどうのってやつ。


「あんたは―――「ちょっと待て」・・・何よ」




「せっかく友達になったんだ『あんた』じゃ嫌だな。それでも続けるなら俺も『お前』って呼ぶよ」




「・・・・分かった。じゃあ『アキ』ね。」




「『アキ』?あぁ~秋五の『秋』でアキか。じゃあその呼び方は『ハル』専用な。」




うお!俯いてしまった。ハルって呼んじゃいけなかったのか?訂正した方がいいのか・・・。




「『ハル』は嫌だったか?なら別の―――「嫌じゃない!!」そうか。良かった」




そんなこんなである部室の前、ハルヒが先頭で中へと入って行き俺はそれに付いて行く。

ハルヒはドアを壊れんばかりに開け放つ、ドアの前に人がいたらどうするんだ・・・。




「みんなーーーーー!!!新入部員を連れて来たわよ!!!!!」




部室の中には、向かい合いに座っている、キョン子紅蜘蛛 媚薬催情粉、いっちゃん。お茶の準備でもしているのであろう、朝比奈みくる。窓際で本を読んでいる、長門有希。SOS団全員集合していた。

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2009年12月01日

Borderline

十二月二十三日、祝日。久しぶりに草摩は桐生と揃って朝食を摂った。

「今夜、出かける予定はありますか?」

 桐生に尋ねられ、草摩は聞き返す。

「何で?」

 食後の皿を重ねながら、桐生は答えた。levitra

「今夜、クリスマスパーティをしようと思っていまして」

「……は?」

 草摩はぽかんと口を開ける。――クリスマスパーティ?

 昨日までそんな話は全く出ていなかった。何だってまた、急に。

「イブは草摩君、デートでしょう? だから、今日なんです」

「う……」

 図星をつかれ、草摩は赤面する。

「それに、別に大したことをするわけではありませんよ」

 桐生は穏やかに微笑している。

「良かったら絵音さんも誘っていただけませんか。ご都合が合えば、ということで構いませんから」

「う、うん。それはいいけど」

 草摩は頷いた。

「で、他に誰が来るの?」

「それはひみつです」

「何でだよ! 俺絵音さんに何て言って誘うわけ?!」

「そこはまあ、何とか」

「何ともならねえだろ、そこは!」

 

 いつもと変わらない日常だった。草摩も、そして桐生も。

特に桐生は、ひどく上機嫌に見えた。何か良いことでもあったのだろうか、と草摩が思ったほどに。

 

 ――その時は、まだ。

 

 

  2

  

 冷蔵庫には老舗ブランドのケーキが眠っていた。一体いつの間に買ってきたのだろうと思う。ここのところ桐生は立て続けにオペが入っていて、眠る間もないくらいに忙しかったはずなのだが。

「…………」

 草摩の背後では、包丁の音が響いている。

 桐生は料理が得意だ。一人暮らしが長かったせいもあるだろうけれど、元々手先が器用なのだろう。無論、そうでなければ外科医など勤まらないのかもしれない。

「それにしても、何だってクリスマスパーティなんて……」

「え?」

 桐生は振り向いた。眼鏡の奥の目が少し赤い。鼻をつくこの匂いはタマネギだろう。タマネギの刺激で目を赤くしている桐生がおかしくて、草摩はくすりと笑った。

「いや、なんか俺準備しとかなきゃいけないものあるかなって」

「特にありませんよ」

 桐生は笑う。

「さっきも言いましたけど、大したことをするつもりはありませんから」

「今頃から料理作ってるくせに?」

 今はまだ午前中だ。パーティを始める時刻は午後五時。

「ローストチキンは漬け込む時間が必要なんですよ。本当は一晩くらいかけたほうがいいんですが……」

「めちゃめちゃおおごとやってるじゃねえか」

「そうですか? こんなものでしょう」

 桐生は首をひねりながらレシピ本を覗き込む。草摩はその隣にすっと立った。

「手伝うよ。何したらいい?」

「え、いいですよ」

 桐生は腰を伸ばし、手をぱたぱたと振った。タマネギくさい。

「僕が勝手に言い出したことなんですし」

「いや、でも俺、暇なんだよな」

 確かに暇だった。既に大学はなし崩し的に冬休みに入ってしまっている。

「そうですか……それなら、お昼ご飯を作ってください。僕と君の分」

「ん。わかった」

 草摩は冷蔵庫を開けた。

「なあ、使っちゃ駄目な食材ってどれ?」

「ああ、それはですね」

 桐生が一つ一つ示すのを頷いて聞きながら、草摩は何故か頬が緩むのを止められなかった。彼もパーティが楽しみになってきたのかもしれない。

 ――絵音も来てくれればいいな。草摩はそう思った。

 

 

  3

  

「クリスマスパーティ?」

 絵音は声を上げる。手元の携帯電話から聞こえるのは、草摩の声だViagra

『うん。なんか桐生が企画しててさあ……俺も良く分からないんだけど』

「別に私は暇だけど……、お邪魔じゃないかしら」

『そんな訳ないよ。そもそも桐生が誘えって言ったんだし』

「ううん……」

 絵音は唸る。行きたくない訳ではない。しかし、草摩の家に上がるのは初めてのことだし、そもそも何故桐生は自分を誘えと言ったのだろう。それもこんなに急に……?

 ちらりと時計を見る。正午前。そのパーティが始まるという時刻まで、あと数時間しかない。

『いや、無理して来なくてもいいんだよ。どうせ明日会うんだし』

「え、い、いやそれは」

 さらりと言われた言葉に、絵音はうろたえる。

 どうにも恋愛沙汰に絵音は免疫がない。それは草摩も同じはずなのだが、自分に対しているときは恥ずかしげもなくそれっぽいことを言ったりしたりするから、始末に終えない。

「とりあえず母に相談してみるわね」

『うん。決まったらメールしてくれる? わざわざごめんね』

「いえいえ、お誘いありがと。それじゃね」

 絵音は電話を切り、居間でくつろいでいる母の元へと行った。


「母さん」

「何?」

 広げていた新聞を畳み、母は顔を上げた。

 絵音は一瞬躊躇したが、やがて先ほど草摩から伝えられたばかりのことを彼女に説明する。

「…………」

 考えるように眉を寄せて聞いていた母だが、やがて微笑んだ。

「いいんじゃない? 行ってらっしゃいな」

「え、いいの?」

「行きたくないわけじゃないんでしょ? だったら行けばいいじゃない」

「う……うん。でも急すぎるかな、とか……」

「桐生さんって方は、草摩君の保護者なのよね。お若いけれど、父親代わりといったところなのかしら」

「多分」

 絵音はゆるりと頷く。そういえば母は桐生とは会ったことがない。母は一体彼をどんな風に判断するのだろう。人当たりはいいのだけれど、内に何か底知れぬものを秘めた、あの男を。

「貴方がその人に会ったのは、付き合い始める前だけでしょう?」

「うん」

「だったら、やっぱり会ってみたくなるものじゃないかしら。草摩君の『彼女』としての貴方に」

「……そう……なのかな」

「そうだと思うわよ」

 母は頷く。

「私だってもう一度会いたいもの。草摩君に」

「え」

「あら、驚くことないじゃない。当たり前のことよ」

 母は穏やかに笑っていた。

「もし、絶対に長いお付き合いにならないと断言できるのなら、会う必要なんてないでしょうね。でも、少しでもその可能性があるのなら、私は会っておきたいわ」

「……そっか」

 絵音は母に微笑み返した。

「そうね。……そうよね」

 ――いつか、草摩もこの家に遊びに来ることがあるのだろうか。あればいい。そう遠くないうちに、きっと。

 絵音はそう思った。同時に脳裏を過ぎる、草摩の言葉。

 

 ――あの事件の真相は、多分……。

 

 はっきりとは教えてもらえなかったけれど、絵音も薄々気付いていた。ところどころわからない部分もある。草摩には全てがわかっているのだろうか。もし、わかっているのだとしたら――……。

 

 桐生と初めて会った時、草摩に少し似ていると思った。それと同時に、何故か妙に親近感をも感じたのを覚えている。

 その理由は、あの事件に隠されていたのかもしれない。

 

「ねえ、絵音」

 母の言葉に、現実に引き戻される。

「人のお家に、手ぶらじゃ行けないでしょう? お菓子やケーキはきっとご用意なさっているでしょうから、何がいいかしらね」

「そうねえ」

 絵音は首をひねる。

 彼女が何も思いつかないうちに、母はぽん、と手をたたいた。

「そうだ。この間お歳暮でもらった紅茶。確か結構いいところのだから、それどうかしら。確か箱入りのはずよ」

「あ、それいいかも」

「じゃあ、お昼ご飯を食べたら準備しましょうか」

 母はにっこりと笑って立ち上がる。

「それに服も選ばないとね」

「え……?」

「当たり前でしょう、そんなの。ぼろぼろの格好で行かせるわけにはいかないわ」

「いや、そりゃぼろぼろなのはちょっと」

「いいから任せなさい。悪いようにはしないから」

「……はい」

 絵音は頷いた。母が自分のために一生懸命考えてくれるのは嬉しかった。

 ――この出会いが貴方にとって素晴らしいものかどうか、ちゃんと見極めなさい。そのための手伝いならお母さんがしてあげるから。

 草摩と付き合いだした時、母はそう言っていた。感謝している。

 

 ――私のような失敗は繰り返しちゃ駄目よ。

 

その言葉には、やはり少し胸が痛んだけれど。


午後五時半過ぎ、草摩は最寄り駅で絵音を待っていた。

 昼食後も草摩はことごとく料理に関わらせてもらえず、仕方なく洗濯物を取り込んだり、アイロンを掛けたりして時間を潰した。

VVK 「休んでいればいいのに」

 と笑う桐生を軽く睨み、だがそれ以上は何も言わない。

 忙しく立ち働いている者を横目に自分だけのんびりするのは嫌なのだが、それは草摩の都合であって桐生には関係のないことだ。とはいえ草摩のその性分は、桐生も知っているはずなのだが……。

 強い北風が吹き、草摩は白のダウンジャケットの前を合わせる。手は、絵音のプレゼントのおかげで暖かい。

 ──マフラーもしてくれば良かった。首をすくめてうつむいていると、しばらくして見覚えのあるブーツが視界に入ってきた。

「待たせてごめんね」

 冷たい空気の上で弾むその声に、草摩の顔には自然と笑みが浮かぶ。

 絵音は黒のロングコートに身を包み、長い髪が襟元のファーの上で跳ねていた。ブーツにもファーがついていて、草摩にはそれがとても暖かそうに見える。

 当たり前のように差し出される手を、草摩は手袋を脱いで握った。ひんやりと冷たい。

「こちらこそ、急にごめん」

「ううん」

 謝る草摩に、絵音は首を横に振る。

「誘ってもらえて嬉しかったわ」

「桐生は気まぐれだからなあ」

 草摩は苦笑した。

 桐生を動物にたとえるならばきっと猫科だが、猫というほど大人しくはない気がする。黒ヒョウなんて似合いかもしれない。

 絵音には、きっと猫が似合う気がした。ふわふわした長い毛で優雅に寝そべっていたかと思えば、不用意に伸ばした手を引っかかれそうな。

「俺は、何かな」

「え?」

 呟いた草摩に、絵音は怪訝そうな視線を向けた。

「動物にたとえたら、の話。俺って何になるのかなあと思って」

「ああ」

 絵音は笑って、すぐに答えを出した。

「犬ね」

「犬?」

「そう」

 絵音はくすくす笑っている。

「耳が立ってて、しっぽがふさふさなの」

「……何それ」

「パピヨンとか、可愛いよねー」

「か、かわい……?」

「でも柴犬には勝てないけど」

 絵音は目を白黒させる草摩を後目に、一人でうんうんと頷いた。

「そういえば」

 草摩の顔を覗き込み、一言。

「草摩って柴犬に似てるよね?」

「…………」

 草摩は絵音の手をきつく握りしめ、無言で抗議の意を表した。




  5


 駅から歩くこと十分。草摩は家の玄関を開け、小さく首を傾げた。桐生のものではない、男物の革靴がある。色は黒で、そこそこ良く磨かれていた。サイズは桐生よりやや小さいか。

「お客さんかな」

 呟く草摩の背後で、絵音はやや落ち着かない様子である。基本的に物怖じしない性格ではあるようだが、それでもやはり緊張しているのだろう。

「ただいまー」

「お、お邪魔します……」

 絵音が草摩に続いて靴を脱いでいいものか苦慮しているうちに、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら桐生が現れた。まだエプロンをつけたままである。

「いらっしゃい」

 桐生の笑みは絵音に向けられている。

「お招き下さってありがとうございます」

 会釈する絵音に、桐生は笑った。

「こちらこそ、突然お呼び立てしてしまって失礼しました。……あ、どうぞお上がり下さい」

「失礼します」

 絵音はブーツを脱ぎ、用意されていたスリッパに足を通す。彼女の数メートル先で、草摩が何かぶつぶつ言いながら桐生をはたいていた。彼は笑ってたたかれるがままになっている。


 ──不思議なふたり。

 

 絵音は思う。


 兄弟ではない。

 親子でもなく、

 友人でもない。

 だが、それは確かに一つの絆の形だった――「家族」、と呼んでもいいような。


「絵音さん」

「は、はい」

 桐生は、まるで絵音の胸中を見透かしたかのように微笑んでいる。

「僕はもう少し準備がありますので、先に草摩君とリビングに行って下さいますか?」

「わかりました」

「なあ、桐生」

 草摩が桐生を見上げた。草摩の身長は同世代男子の平均より少し低いくらいだから、桐生とは十センチ以上も違う。

「誰か来てるの?」

「ええ」

「お久しぶり」

 桐生の背後にそっと佇む人影に視線をうつし、草摩は目を大きく見開く。軽く一礼する、壮年の紳士。

「し……」

 呆然とする草摩の顔を、絵音は不思議そうに眺めた。巨人倍増

「篠原さん……?」

「――――?!」

 瞬間、絵音の顔に走った驚愕を、桐生は見逃していなかった。

 

 

  6

  

「そちらのお嬢さんは?」

 篠原が首をかしげて絵音を見つめる。草摩は慌てて紹介した。

「こちらは雪村絵音さん。サークルで知り合った友人で、H大医学部一回生です」

「はじめまして」

 続いて絵音に向き直る。

「篠原先生、T大の法医学教室助教授」

「こちらこそ、はじめまして」

 篠原は軽く会釈を返した。いつの間にか、桐生はキッチンに入ったらしい。

「T大……って、東京からこちらに?」

 驚いたように言う絵音に、篠原は頷いた。

「実家がこちらなので、帰省のついでにね」

 柔らかな物腰は桐生に似ているようでいて、全く異質のものだった。

「そうなんですか」

 絵音は内心渦巻いている動揺を表さぬように気をつけながら、上手に笑みを作る。自分の表情を制御することには慣れていた。

「僕は草摩君のお父さんの同級生なんですよ」

 篠原はテーブルに伏せられていたグラスを手に取り、麦茶を注いだ。草摩へ、絵音へと順に手渡す。

 礼を言って受け取った絵音は、その半分ほどを一息に飲み干した。いつの間にか、喉がからからに乾いている。

「桐生君とも古い知り合いなんだ」

 淡々とした口調からは何も感じられない。まさか彼らが知り合った事情のその裏にあのような事件があったのだとは、誰も想像だにしないだろう。

「へえ、そうなんですか」

 絵音は初耳だ、という顔をして頷く。横で草摩が少し複雑そうに顔をゆがめていた。

 こんな風に平気で嘘をつける自分を、草摩はどのように思っているのだろう。快く思っていないことだけは確かだが。

 ――本当は、こんな自分を見せたくないのに。絵音は苦い気持ちを噛み潰す。嘘が下手な草摩が好きなのに、自分はこんなにも上手く感情を塗り隠せてしまう。

 一体何故こんな風になってしまったのだろう。いつから自分は自分を偽ることに慣れてしまったのだろう。

 ぼんやりと考えていた絵音の耳に、桐生の声が飛び込んできた。

「草摩君、料理を運ぶのを手伝ってもらえますか?」

「今行く!」

「そういえば」

 篠原がつぶやく。

「もう一人来るはずなんだけど……」

「まだいらしてないんですか?」

 絵音が相槌を打つと、篠原は無表情に頷いた。

「どうも、昔から時間にルーズなところがあるやつでね」

「その方ともお知り合いなんですか?」

「僕の甥だよ」

 端的な答えが返ってきて、絵音はそれ以上問うのを止める。どうせすぐに顔を合わせることになるのだから。

 ――それにしても……。

 絵音は一人ごちる。

 ――桐生さんは何のつもりでこのパーティを開こうと思ったのだろう……。

 

 草摩。

 絵音。

 篠原。

 そして、あともう一人。VOV催情粉

 彼らは舞台の観客として呼ばれたのか、それとも演じる側なのか。

 

「お待たせしました」

 満面の笑みを浮かべてローストチキンを運ぶ桐生を迎えながら、絵音は湧き上がる疑念を抑えることができなかった。


 


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2010年01月05日

狂犬の制裁

「繭子・・・」

 正面玄関を出たところで、本條は一歩一歩ゆっくりと進めていたその足を止めた。

 穏やかな口調で妻の名を呼び、大介と繭子に両脇を支えられながら、遠い目で空を見上げた。

「今日って・・・、晴れていたんだな?」終極痩身


 空は青空。

 雲ひとつ無い、抜けるような青空。


「気が付かなかったの?」

 そんな夫の横顔を見ながら、繭子が優しく答えると本條は情け無さそうに笑った。

「気が付かなかったよ。・・・全然」

 彼の目は空を見詰める。その目に、かすかに涙が浮かんだ。

「・・・こんな空・・・、見たの、久し振りだ・・・」

 呟くような小声で、彼は嬉しそうに言葉を口にする。


「さぁ、早く処置してもらおう」

 大介に声を掛けられ、彼は再び歩き出した。


 一歩・・・。一歩・・・。

 ゆっくりと。


 もう一度。新しい何かに向かって。


 青空の中を・・・。


 


「ねぇ、学」

 本條や繭子がドアの向こうへ消えたのを見送って、そこを見詰めたまま美春は学に声を掛けた。

 学は美春の後ろで同じく本條達を見送ったまま、「ん?」と首を傾げる。

「会社を再建・・・。っていう事は、御義父様は本條さんがした事を許して、彼を助けた、って事になるのかしら。『これから、がある若者だから更生させてやろう』っていう事なの?」

「・・・許してなんかいないよ」

「え?」

 学が真剣な口調になり、美春は学を振り返った。


「親父は・・・『社長』は、許してなんかいない」

 学は訳が解からないといった顔をする美春に、教えるように言った。

「考えてみろ美春。一度倒産した会社を、もう一度再建させるという事が、どんなに大変か」

「・・・」

「それも、新規の会社がゼロからスタートする訳じゃない。一度倒産した会社がもう一度スタートするんだ。・・・『失敗した会社』という先入観を持たれ、元の取引先などにも信用を失っている状態で。・・・いわば、マイナスからのスタートなんだ」

 美春は、だんだんと一が下したこの選択肢の意味が解かってきた。


「楽な道じゃない。それこそ数年、休む暇なんて無いだろう。元の取引先に、何度も何度も足を運んで。何度も何度も頭を下げて。何を言われても、冷遇されても、ただ耐えて耐えて。本当に駆けずり回って仕事をしていかなきゃならない。・・・想像する以上に、他人が言葉で言う以上に、辛い事だ」


「・・・御義父様は・・・それが解かっていて・・・」

 美春は階段の下で、田島親子と何か楽しそうに話をしている一に目を向けた。

 「不審者」にガソリンをかけ火を放った人間とは思えないほどに、穏やかで威厳ある風格を漂わせた「社長」を。


「上手く行かなくても、どんなに辛くても、あいつは会社の再建を諦める訳にはいかない。『会社を再建させ、続けてゆく』それが・・・」

 学はポンッと美春の頭に手を置いた。媽富隆

「ウチの姫が出した決裁であり、あいつが、『これから』を生かせてもらえる条件だ」

「私・・・」

 もしかして私は、本條さんを苦しめる為の選択をしてしまったのではないだろうか?

 美春はそう思うものの、一が出した選択肢は2つだった。

 「一生を塀の中で」本来ならば、罪を犯した人間に与える正当な罰。 

 しかし美春には、それを選ぶ事が出来なかった。


 恐らく一は分かっていた。

 美春が出す、答えが。


「一生をかけて、罪の償いをさせる・・・」

 学が呟く。それは、炎の中で学が本條に言った言葉。

「言葉通り、あいつは一生をかけて、一度会社を捨てた罪を償っていくんだ。・・・自分が殺そうとした、美春の決裁に従ってな」


 それが、どんなに大変でも。

 どんなに辛くても。

 生きながら、死に物狂いの人生を歩むものだとしても・・・。


 ───きっと彼は、頑張っていける。

 本條と繭子の姿を思い出し、美春はそう思った。




「生かして、殺す」

 話を聞いていた紗月姫が、そう口を挟みながらチラッと神藤を見ると、彼は紗月姫に手を差し伸べて優しく手を取り、階段の上という事を気遣ってか彼女の背を支えながら立たせた。

「生かしながらも、人生においての苦痛を味あわせる。・・・先ほども言いましたが、それが、あの方のやり方です」

 紗月姫は一に目を向ける。そして、切れ長で澄んだ綺麗な瞳を「宝刀」の鋭い眼差しに変えた。


「決して無駄な事はしない。決して、納得いかない事に一般的な常識などでは動かない。確かな自信と確信のもとに、自分の信念で動く。・・・他人に対しても、仕事に対しても、決して妥協はしない。それが、葉山一という男性ですから」


 そう言ってから学を見上げ、からかうように笑う。

「学さんも、まだ一伯父様には追いつけそうもありませんわね」

 その言葉に、美春も一枚乗っかった。

「そうよねぇ。御義父様は、奥さんを連れてきたりして心理面にショックを与えたり、一見助ける振りをして、実はしっかりと制裁を加える策をとったり・・・。大人だな〜、ってやり方をしているけど、学は『殴る蹴る』だもんねぇ」

 学はちょっと渋い顔をすると、美春にグッと顔を近づけた。

「あんな事を美春にされて、殴らずにはいられるか。っての。・・・まぁ、俺もちょっといい思いはしたけど」

 間違いなくオフィスでの事を言っている。思い出しついでに美春が赤くなると学がニヤッとする。その意味ありげな様子を見て、分かってか分からずか紗月姫が訊いた。

「何ですの?『あんな事』って」

 さっきやられた仕返しか?そう思ってしまうほどのからかい口調で学は紗月姫を見る。

「大人のハナシっ。『お子ちゃま』には教えてあげないよ」

 ただでさえ勘の良い紗月姫。何となく言葉の意味を悟り、ポッと頬を赤く染めた。

 更に、もう一言言ってやろうか。と思った学だが、紗月姫の後ろで神藤が今にも殴りかかってきそうな顔をしているのを見て、これはマズイと思い立ち、軽く咳払いをして顔を逸らした。

・ ・・やっぱり、神藤さん。「俺にだけ」キツクないか?


 


「何だ?楽しそうだな」

 美春と紗月姫は赤くなっているし、神藤は少々怒っているし、学は知らん振りを決め込んでいる。

 はたから見れば何が何だか解からない状況だが、何故か楽しそうな雰囲気を察して一が階段を上がってきた。

「一伯父様。お疲れ様です」

 紗月姫が気を取り直すように声を掛けると、一は紗月姫に笑いかけてから、美春にもその笑みを向けた。唯美OB蛋白痩身素第2代

「美春ちゃんも、大変だったね。大丈夫かい?」

「はい。有難うございます。大丈夫です」

 美春はそう返事をしてから学を見上げ、そしてまた一を見てニッコリと微笑んだ。


「学が、守ってくれました」


 一は満足そうに頷く。・・・が、すぐに学と美春を交互に見比べ、不思議そうな声を出した。

「どうして服が濡れているんだ?2人とも」

「あっ?あっ、あのっっ・・・」

 出来れば訊いてほしくなかった事を訊かれ美春が慌てる。

 学は「落ち着け」とでも言うように美春の肩をポンポンッと叩き、一にニコッと笑って見せた。

「例によって、ドラッグを打たれました。頭を冷やすために水を被ったんですよ。水で流れていますが結構傷だらけです。俺」

「スーツが裂け切れているのを見れは解かる。お前達も救急車で一応病院の方へ行った方が良いのではないか?」

「3年前と同じ物です。効果が切れた後は特に心配もいらない事は解かっていますから、大丈夫ですよ。・・・あっ、でも、一応美春は診てもらったほうがいいかも・・・」

「大丈夫よぉ。もう平気だもん」

 美春は何気なくそう言って遠慮をしたのだが、その途端、学と一、2人の声が同時に頭上から降ってきた。


「駄目だ!何かあったらどうする!診てもらいなさい!!」

 親子で同じ言葉を同時に発する。

「はっ・・・はいっ」

 美春は完全に圧倒されるものの、紗月姫はくすくすと笑い出した。


「愛されていますわね」


 学だけではなく一にまで言われると、美春としては「照れくささ」倍増なのだ。


「さて、彼の問題は片付いたが・・・」

 一はそう言うと、ただボーっと階段の隅に座り込んでいる河村に目を向けた。

「君の問題が残っていたな。河村君」

「・・・えっ・・?」毓亭

 「社長」に自分の名前を呼ばれ、今まで身動きひとつしなかった河村の体が、いきなり心臓に血液が送られたかのようにビクッと震えた。

 


 


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2010年01月13日

ハジマリ

挿絵(By みてみん)


無機質な壁と天井。何の面白みもないそれが、ずーっと続く光景。

此処はとある廃坑の中。昼間でさえ気味が悪いが、夜となればもっと気味は悪くなる。明かりはついているが、中途半端なそれは人に恐怖をそそるだけ。精力剤

普通なら誰も近づきたがらず、もし近づく者がいるとすれば、それはきっと肝試しか罰ゲームにちがいない。

 そんなさびれた場所に、とんでもない悲鳴が響いた。


「ギャアアアアア!」


この声を人が聞いたら、誰しも『何事!?』と驚いて顔をあげるだろう。

こんな、とてつもない声をあげていたのは一人の青年だった。高校生くらいだろうか、真っ青な顔をして廊下をかけている。

一体どうした。幽霊でも出たか。――いや、違った。

「待って」

青年が出した悲鳴に続き、小さな声で別の声が聞こえた。

もちろんこちらの声の主は彼ではない。彼の後ろにいた人だった。暗くて姿はよく確認できないが、確かに廊下を走る彼を追いかけている。

青年はその人から逃げていたのだ。だが、どうして逃げていたのだ?

「たすけてくれええええ! 誰か、ああああああ殺されるうううウゥ!」

その答えは、追っている人が手に持っているものにあった。

それは包丁。普通なら野菜や刃物を平和に刻むべきそれを手に持ち、振りかざして追っている。

しかも持っているのが一本ではない。いや、確かに手には一本しか持っていないが、腰にたくさんつけている。

まるでタガーナイフが何かのように、ご丁寧に袋に入れてぶらさげており、用があれば次々抜いて刺せるようになっていた。


「いやあああああああ!」

声をあげると逃げる体力をロスするだろうに……しかし恐怖のあまり叫び続け、彼は必死に廊下を走る。

追いかけている人はというと、こっちはこっちで必死に追っている。だがスピードが遅く、逃げる彼にはとても追いつかない。

だんだん距離が広がっていって、もう少しで彼は逃げ切れそうだった。

あと少し、あと少し…

 だがその刹那、追っ手は手に持っていた包丁を投げた。走るのはともかく腕は的確で、それは回転したりせず実にまっすぐ青年に飛んだ。

「ひいッ!」

とっさに右によけた彼。と、さっきまでいたところに包丁がグサリ。

硬い床に突き刺さるのを見る限り、相当な威力であるらしい。あんなのが的中したら、十中八九、死ぬ。


一本、二本、三本、四本。料理のための道具を間違った使い方で扱いつつ、追っ手はそれを投げつける。

腕は良い。しかし彼が右に左に避けるので当たらない。それに距離がどんどん広がっていく。

「はぁ、はぁ………」

どうも、彼より先に追っ手の方がバテたようだった。立ち止まる音を耳にし、彼はそれを心の支えにして、まだ懸命に足を動かし続ける。

 しかし廊下の角を曲がる時。走る勢いをやや落とした刹那、腕に包丁がかすった。

「ッ!」

幸いにも刺さりはしなかったが、鋭い刃は服を切り裂いて傷をつけた。

彼はそこを抑えつつ、よろよろと前に進み、続く階段を下り、そして下の階に行ってあいたドアから中に飛び込んだ。媚薬

荒い息をなんとか殺し、追っ手がここまで追いかけてこないことを確認し、ここでようやっと休息を得られた。


―― 何でこんな事になったんだろう。


落ち着いたところで、頭に浮かぶのは疑問符ばかり。

だがそれも尤(もっと)だ。どうしてこんな廃校の中、包丁を持った人に追いかけられねばならないのか?

一体あの、包丁を持った子は何ものだ。そしてそもそも、どうしてこんな場所に彼は足を踏み入れたのか。

 そのきっかけは些細なことだった。だがその『些細なきっかけ』に到達するまでの道のりは、彼にとって悲しい地獄の沙汰だった。


不純異性交遊もしない。悪い友達もいない。酒も煙草も万引きもしない。学校での成績はいつも平均点より上をキープ。

特に秀でていわけではないが、宿題はほぼかかさずやるし、真面目でズル休みもまずしない。

 良くも悪くも『普通』な学生である彼であったが、実は先日、彼にとってとんでもなく酷いことがおきた。

返された模擬テストが、五教科、揃(そろ)いも揃って悪い成績でかえってきたのだ。

一番自信があった数学でさえ平均点と同じ点数で、あとは全部それより下。合計点は、彼の志望校にはとても到達していなかった。

それでかなり凹んだが、あくまでこれは模擬のテスト。まだ本番までには時間がある。

だから彼は「じゃあ、これからはもっと真面目に、心を入れ替えて勉強しよう」と思った。

そして願書を提出するついでに、市役所にいって戸籍もとってきた。


そしたら…だ。驚いたことに、自分は今、自分を育ててくれている父母の実子ではなかった。

いや正確には、父は確かに自分の父だった。だが母の名前が違っていて、そして別の人の――

自分が今まで「母親だ」と思っていた人の「養子」となっていた。


相当なショックだった。すぐに親のもとにかけて問いただすと――…それが何だったかなんて、もう思い出したくない。

悲しすぎた。父親も父親だが、今まで母と思っていた人が赤の他人だったなんで。

あまりに酷い状態に追い詰められ、もういい加減首でもつろうか、それとも屋上から飛び降りようかとまで思いつめた。

 だがそんな鬱(うつ)っぽい考えは彼の性にあわず、それとはまた別に、妙に暴れたい気分になった。

つまりヤケになって、家を飛び出して夜の街をほっつきまわった。

…と言っても何をする予定も計画もなく、ついでに金もないので、ただひたすらウロウロしていただけ。

大人であれば酒浸りになろうところ、変なところで根がまじめな彼はそんな事をしようと思わなかった。

 この通りに自分がひどく場違いな気がして、逆にひどく気が滅入ってしまい…しかし、ふとした事でチラシを手にしたのが運のつき。




そのチラシは、見たところ宗教勧誘のもののようだった。

『永遠の命を手にしてみませんか? 自然界に生きる本物のフェニックス-ベニクラゲの不死のライフサイクルを利用した再生秘術。

本団体のみが有している世界最先端の科学技術に、貴方も身を委ねましょう。入会費・年会費一切不要! 詳細は以下にて…』


……なんて、ダサいというか何というか、低級なセールスさながらのあやしさ丸出しの文句を恥ずかしげもなく書いてあるそれ。

フェニックスといえば不死鳥だ。しかしベニクラゲとは一体何ぞや。鳥とクラゲに何の関係がある?

 まともな状態だったらそんなもの、仮に手にしたとしても即座に無視してゴミ箱にいれ、後はきれいに忘れていたことだろう。

だがその時の彼は鬱が半分、ヤケが半分の少々まともじゃない状態だった。またそのチラシに書いてある地図に――近いと。

彼がいた場所からほど近く、歩いて十分とかからぬ距離だった。そのことも手伝い、彼はついついそこに足を踏み入れてしまった。


そこで、だ。もし場所を発見したとしても、建物に明かりがついていなくて門がしまっていたら、彼は今こんな所でこんな事はしていなかっただろう。

しかし、夜の一時もまわった遅い時間だというにもかかわらず、建物には明かりがついていたし、門も解放されていた。

 それに、フラフラと引き寄せられるように入った彼。出迎えてくれたのは見知らぬ人が二人。

彼らは「ようこそ」と変に明るい声をかけ、彼が持っていたチラシを見て「体験希望ですか?」と尋ねてきた。

体験というのが何なのかよく分からなかったが、勢いに押されて彼がうなづくと、肩を抱くようにして建物の中に引きずって行った。

 気がつけば十二畳ほどの部屋に入れられていて、イスに座らせられ、数人の人と一緒に黒板を前にてレクチャーを受けることとなっていた。

学校の授業と大して変わらぬ雰囲気。そして時々耳に入ってくる単語は「不死」だの「再生」だの、そんなものばかり。

いったい何が何であるやら。学校でのクセが出て真面目に聞こうと努力はしたが、もう眠くて眠くてしょうがなかった。中絶 避妊 薬

その時、時刻は午前一時を回ってすでに二時。こんな時間まで起きている事は普段ないのだからしょうがないが、彼はそのまま寝入ってしまった。

思えばそれがいけなかったに違いないが、机の上につっぷして、ぐっすりと……

 


 


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2010年01月21日

「生々」的「症状」

―此処は、何処なのだろう………


気が付くと俺は地面に仰向けになって横たわっていた。

空からは大粒の涙がざあざあと零れ落ちている。

肌に当たる度に激痛が走る―その肌は自分の一部とはおもえない程に溶けて伸長しており、どす黒く変色していた。午夜妖姫

皮膚の大半は焼け焦げていて、その内側の肉や骨が露出している箇所もいくつも確認出来た。

身体が動かない為、目だけを動かして周囲の状況を確認すると、どうやら何処かの山の中にいるようだった。

あれから………無意識のうちに此処まで来たのだろうか。何故だか………何処かで見たような景色だと感じた。

―余り思い出したくない………悲しい何かがあった場所のような気がする。


………いや、それよりも状況整理が先か………俺は一体何をして……………


「―!

………そうか………思い出した」


………間もなくして脳裏に飛び込んできたのは言葉には形容しがたい凄惨な風景だった。

焼け焦げて倒壊した家屋の跡、一つたりとも原形を留めていない死屍累々、そして血の海に浮かぶ自分―


―ああ、そうか………全て俺の所業か………


はっきりと記憶している訳ではないが断片的には覚えている。

唸りをあげる炎も厭わずに縦横無尽に駆け巡った―不思議と鬼を捕食している間は痛みを感じなかったのだ。

討伐隊の人間も………確かに居た。あの女を逃がしてしまったことも覚えている。

鬼も、人間も―関係なく殺した………まぁ、仕方がないことだ。邪魔する奴が悪いのだから―。

しかし少々度を過ぎて羽目を外してしまったらしい………黒焦げになったゴム状の爛れた皮膚や外壁から晒された骨肉がそれを教えてくれた。

………どうやら自分も血の海の構成員らしい。

今になって気付いたが全身の至る所から血液が流れ出ている―返り血で染まりすぎて自分の血か判別出来ない箇所も多々あったが。

こんなに静かに振り返ること自体初めてのことだろう。今まで―あの日から自分を客観的に顧みることなんて出来なかった。する必要もなかった。


「―姉上」


左目から姉上の意識が流れ込んでくる。


「―すいません………俺はもう、駄目みたいです」


泰然と事実を受け止めていくだけの俺に、もう狂気の炎は見られない。

―それは消えてしまったのだ………いや、消されてしまった。死に瀕している肉体がそれの危うさを察知して。

先程から身体が自分のものでない感覚に捕らわれていたのはそのせいか―道理で全く動かせない訳だ。

最後に力を込め、せめて上半身だけでも起こそうと試みる………が、無駄な抵抗に過ぎなかった。

しかし、無理に動かそうとした割には痛みを感じることはなかった―つまり、既に痛みの臨界点を突破してしまった状態………後はその時が来るのを待つだけなのだろう。


そして遂に、走馬灯のように昔の記憶が次々と頭の中で再生され始めた。

手が届かないもの程美しいとよく言われるが―それは記憶も同じだ。

戻りたくても戻れない………失ってしまった過去の出来事と現実とのギャップが『美化』という形になるのだ―最初からこれ以上ない程美しい記憶なら尚更それは増幅される。

しかし、どう足掻いてもそれはもう手にすることは出来ない。それ故に人は現実を見れずに過去に束縛されてしまうのだ―勿論、俺も然り。

だが俺はそれが悪いことだとは思わない。何故なら、自分がそれで構わないと選んだ道だからだ。誰かにとやかく言われる筋合いはない。

だから俺はこの自らの終末に何の後悔もない―あるのは最後まで成し遂げられなかったという無念さのみだ。西班牙 昆虫粉


「―俺も今、そちらに………」


姉上の精神が生きている空に向かい手を伸ばす―実際は動かないのだが………動いたように感じたからだ。

左目に宿る姉上は本当の姿ではない。真の姿は空の上で俺を待っていてくれてるに違いない。

―もうすぐ本当に一つになれるのだ………死を目前にしても恐怖よりも随喜の方が大きい。

そして、ゆっくりと意識が沈んでいく感覚がし始めた――その矢先、


―心臓が激しく胎動した。


「―ッ!?」


突然の出来事に一生の眠りにかかっていた意識が強制的に呼び起こされる。

余りの激しい動きに身体が心臓に引き上げられるかのように一瞬宙に浮いた。

そしてその動きに合わせるかのように、全身の細胞が水を得た魚の如く一斉に活発化し始めた―!


「―グァッ………ウッ!」


身体の内部が別の物に変わっていく感覚―細胞単位で全てが挿げ替えられていく。

口から臓器が飛び出そうになる程その動きは素早く峻烈だ、成す術など何もない。


「………ぁ、あ……ぁア………―!?」


そしてその蠕動がようやく静まり始めた頃、矢継ぎ早に今度は外郭に変化が表れ始めた。


―ガキッ………ボキボキボキッ!


「―ッ!?ギャァァァァァァァァァ!!!!」


骨という骨が物凄い力によって圧し折られていき、皮膚の全てを覆うように蛆か蚯蚓のような何かがびっしりと密集して蠢く感覚がする。

それに伴い筋肉は弛緩を繰り返し、細胞は再び活発化し、血液は沸騰しそうな熱さで逆流を始める。

―内側も、外側も………完膚なきまでに蹂躙されていた。

手が、足が、胴体が………どんどん何かに変わっていく―赤い《・・》、肌の《・・》………生理的悪寒のする醜い《・・・・・・・・・・》、何かに《・・・》!


―嫌だッ!


それだけは止めてほしい!冗談じゃない!!

………何故自ら憎しみの対象に《・・・・・・・》――!!


―バキィッ!!


「―あッ………!!!」


それが何に変貌するのかを確認する前に、首が180度圧し折られた気がした。

バキッ、ベキッ、と骨が折られ再び構築されていく音が絶え間なく続いている。


視界がぼやける………何も見えない《・・・・・・》―

感覚が鈍くなる………何も感じない《・・・・・・》―蒼蝿水(FLY D5原液)


そして、雷撃を受けたような衝撃を感じたのを最後に―俺の意識は途絶えた。

 


 


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2010年01月28日

ライバルと言う名の

翔は自室のベッドの上で小説を眺めていた。

 普段は読書など滅多にしないので、文章を読むのに時間が掛かる。夕方から読み始めて、終わった頃には深夜を過ぎていた。狼1号

「俺は違うなあ・・・・・・」

 翔は嘆息した。

 それは本屋に売っているものではない。ドラマの台本を簡易的なライトノベル風にして台詞重視で仕上げたものだ。書いたのは売れっ子脚本家の三上。といっても、翔はその人物とは会った事がなかった。

 ドラマのあらすじは、平凡な高校生が転校して来た少女と共に悪霊退治をするという内容だ。守る男と守られる女。翔は主人公の気持ちになって曲作りをしろと命じられていた。だが、残念なことに恋愛をしたこともなければ、近くに守りたいような少女がいたわけでもない。

 これもまた当たり前だが、ドラマの主人公のモデルが翔のはずもなかった。自己犠牲を全うする主人公に共感しろという方が無理である。

「神原孝一か・・・・・・」

 翔はベッドで大の字になると、天井を眺めながらほうっと息をついた。

 あの二人はどこに行ったのだろう。

 翔はぼんやりと今日出会ったばかりの少女を思い描いたが、すぐに振り払った。自分には関係ない。近づくだけ無意味だ。そう思ったのである。

 夕方からいつも翔は時間を持て余している。どこかで歌いたい。―――しかし歌えない。

 自分の居場所。歌える場所。曲が書ける場所。馴染む空間が見つからないのだ。誰もいない場所。―――自分が自分でいられる場所。

(寂しいのかな)

 親元を離れて半年が経つ。帰りたいのに帰れないのは、何の芽を出していない自分を戒めてのことか。

(どこか・・・・・・場所が)

 ゆっくりと睡魔が襲ってくる。翔は本を手に取ったまま、目を閉じた。

 まだ東京での自分の居場所を探せていない。一番安らぐのが、将来の兄となるはずの日渡拓(ひわたりたく)と共に住むこの部屋だけだ。しかし自分が求める場所はここではない。

(どこかにあるはずだ)

 それだけは信じていた。必ずあるはずだった。そう願いたかったのだ。


 





 夢に出てきたのは、神原孝一だった。

 当時15歳の孝一がそこにはいた。




『ウィンカップ・オープン・テニス・イン東京。ジュニア予選決勝』

 会場内で放送が鳴っていた。大きなテニスコート。囲んだギャラリーは、皆それぞれ熱狂的に試合を観戦している。

『レッツ・プレイ・ザ・ベスト・オブ・スリーセットマッチ―――』

 ジュニアの部、決勝戦。

 翔は何気なくそこで足を止めた。フェンス越しを見やったのは、自分と同世代の少年たちがラケットを握っていたからだ。それが最初の出会いだった。

 そこに彼が居たのだ。―――そう、神原孝一が。


 


「どうしたの? 翔」

 隣を歩く姉が足を止めた。

 歓声が聞こえる。異質な空間だとすぐにわかったのは、カメラや照明機材を抱えた報道陣がコートの周りを囲んでいたからだ。シングルスの試合。金網に触れた指が、カシャンと音を鳴らすと、翔は眉を潜めた。Cialis

「あいつ・・・・・・誰?」

 ひとりの少年がコート内で試合をしている。走っている。茶色がかった髪。その顔立ちが一際輝いて見えるのは、鳶色の瞳に彩られていたからなのだろうか。

「すごい応援ね。見て、翔。テレビ局が来ているよ。有名な子なのかな」

 姉の由美(ゆみ)は5つ上だった。姉の彼氏がこの大会に招待選手として出場しているのだ。翔は親に内緒で旅行をする姉のために、一緒に東京を訪れていた。

 翔は小学校の卒業式が終わったばかり。今年で13歳だった。

「有名なジュニアプレーヤーかも。―――あ、私、何となくわかっちゃった」

 翔も予感した。このマスコミの数は異常だ。まだ予選段階だと言うのに、恐らく勝ち負けや選手としての魅力以上に何か別の要因があるに違いない。

「現実にいるのね、テニスの王子さまって。アイドルかぁ」

 姉は「行こうか」と翔に声を掛けた。翔も頷く。あっさりとした性質は血によるものに違いない。

「久しぶり、由美。ええと、翔くん、で良かったのかな」

 ふたりは選手の控え室まで移動した。

 ぎこちなく話しかけてきたのは姉の彼氏である。名前は日渡拓(ひわたりたく)。春から大学生になる青年だが、背も高く、体格も一際優れている。高校生の野暮ったさが全く無いのは、その爽やかな印象からに違いない。

 翔の地元でも有名な青年だった。田舎特有の閉鎖的な感じがまるで無く、完全に大人だ、と翔は認めざるを得なかった。

「お久しぶり、日渡拓さん」

 翔はこれ以上はないほどの無愛想さで答えた。あまり大きな声で言わないが、姉に彼氏が出来たと知った夜は、吐き気と嫌悪感で眠れなかったものである。

「こんにちは。こんな遠くまで会いに来てくれてありがとう」

 何とも礼儀正しく拓が挨拶をした時だった。選手用控え室のドアが軽くノックされた。

 拓が肩越しに振り返ると、しばらく間があった。拓が出迎えるその隙に、翔は声を潜めて姉の耳に囁いた。

「なあ、本当にあれが姉ちゃんの彼氏なの? 騙されているかもしれないぜ」

「あのね。いい加減にしないと怒るよ」

 姉は顔をしかめて拳を掲げた。

「だって顔が良すぎるじゃん」

「どういう基準よ、それって」

「あれ、お客さん? じゃあ俺は後でいいよ。挨拶をしようと思っただけだから」

 軽やかな少年の声が聞こえる。

 扉に集中した翔と由美の目が同時に見開かれたのは、次の瞬間だった。先程までジュニアの部で試合をしていた例の少年がそこに立っていたのだ。

「いいんだ。ちょうど良かった、紹介するよ。俺の彼女とその弟。―――由美、翔くん。こちらは神原孝一くん。15歳だよ」

「初めまして、神原です」

 先に少年が頭を下げた。

 由美も翔も揃って会釈をする。ふたりの家はしつけに厳しい。そして何より翔はしっかり者だった。

「今野翔です。初めまして。こちらが姉の由美です」

「どうしてあんたが紹介するのよ。せっかくテニスの王・・・」

「言うな、姉貴。見たことも無いくせに」

 姉弟の会話にも、少年は柔らかな笑顔を崩さない。面白そうな眼差しで仲睦まじそうな姉弟を眺めている。

「私、何か飲み物を買って来ようか。試合終わったばかりで喉が乾いたでしょう? 何がいいかな」

 由美が話しかけると、少年は「コーラ」とはっきりと答えた。明瞭な性格らしい。翔はそれが何となく鼻についたのだが、それもわずかな時間だった。

 背の高い拓が見下ろすように少年に視線を移す。

「孝一くん、寂しくなるね。今日で最後の試合か」

(最後?)

 翔は少年に視線を移すと、ハッと目を見開いた。少年の鳶色の目に浮かぶ、そこに似つかわしくない野心めいた笑みを見て取ったのである。

「そうですね。でも俺は自分の道を選びます。テニスセンスもそんなに無いし、後悔はしてないですよ」

「そうか。応援しているよ。頑張ってくれ」

 拓の言葉に孝一は強く頷いた。

「頑張ります。日渡さんもお元気で」

「自分の道って何ですか?」

 不意に間を割って声を掛けてきた翔に孝一が視線を移す。その発言に驚いたのは、拓でも孝一でもなく翔自身であった。夜狼神

「俳優だよ」

 端的に彼は答えた。その表情に影はなく、むしろ楽しそうだ。

「・・・・・・俳優? 芸能人だったんですか?」

「いやいや、まだデビューしてないんだ。でも今度端役でドラマ出演が決まっているんだよ」

「へえ。凄いじゃないですか」

 翔は一呼吸置くと、顔を引き締めた。

「俺も歌手になりたいんです」

 翔は秘密を告げた。これを家族以外の他人に公言したのは初めてだった。

 どうして新人俳優である孝一に打ち明けたのかはわからない。ただ勘が動いた。神原孝一には外見以外に、何か特有の存在感がある。芸能界をのし上がるだろう、と思ったのだ。

「またどこかでお会いできたら挨拶に行きます」

 礼儀正しい翔の言葉に、孝一は微笑みを宿す。

「そうか、楽しみにしてるよ。―――あ、そうだ。君の初プロモには俺が出演してもいい?」

「マジですか!?」

 翔のはしゃいだような顔に、孝一は少々意外そうに目を丸くする。

「・・・・・・そう。約束だ。俺も頑張るよ。だから君も頑張って。あ、歌のデモテープもらっとこうか?」

 後から考えれば、孝一の言葉は社交辞令だった。しかし翔はそれを見抜くには幼すぎた。

「いえ、今の俺はまだ未熟なんで。その前にまず、歌う場所を見つけます」

「歌う場所?」

 孝一の言葉に、翔は強く頷いた。瞳が強く輝きを増す。

「まずは自分の居場所を探します。そこでもっと努力します。そして、そこからもう少し自信がついたら、デモテープを受け取ってもらいます」

 不意に孝一の表情がスッと白く陰りを帯びた。そしてゆっくりと口元が笑いの形に変わると、やがて翔に手を差し伸べて来たのだ。

「凄いね。楽しみだ。共演とか出来たらいいね。―――ええと、翔くん?」

「そうッスね。孝一センパイ?」

 翔もその手を握った。

 これが神原孝一との出会いだった。そしてその背景を知るのはもっと早かった。

 姉が半ば駆け出すように帰って来たのは、孝一が部屋を去った後だった。いつもは無表情の冷淡な姉が紅潮している。部屋の中に孝一がいないのを確認すると、安堵のためか息をついた。安心したのかそうでなかったのか。

「びっくりしたわ。彼のお父さんって総理大臣の神原憲一なんでしょう? さっき人から聞いたのよ」

 そして。

 翔の予想通り、神原孝一が人気俳優へと駆け上がるにはそう時間は掛からなかった。実力の世界だと翔はテレビの前で思い知る。同時にざまあみろとも思った。

 そして再会するのも早かった。2年後、15歳になった翔は歌手を目指して上京した。MaxMan

 時は充ちる。―――出逢いがあった。

 


 


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2010年02月05日

GOD

「よぉ……とっ」

 俺が腰を下ろした、箒が浮かび上がる。

 正確には、浮かんでいるのではなく俺が浮かばせているのだが……正直、あまり実感はない。

「ほう……なかなか、上達が早いな」

 部長は、感心したように言った。催春迷香

 俺は取り敢えず、箒から降りて自分の足で立つ。

「そうですか?」

「うむ。天才たる私よりは遅いが、それでも早い方だろう」

 余計な言葉が付くなぁ。

 部長が本当に天才なら、今頃はとっくに全能者になっているはずだ。老師なんて十二歳だぞ。

「まぁそれは、飛行用にチューニングされた箒だからな。飛べて当たり前の代物、と言えなくもない。それで飛行のコツを掴み、普通の箒でも飛べるようになり――最後に専用の箒を持つようになって、ようやく立派な箒乗り《ブルームライダー》という訳だ」

「はぁ……」

 先は長そうだ。

 と言うか、専用の箒ってアレか? この前レーザー撃ってたヤツ。

「……しかしアユム、どういうつもりなんだい? 幽霊部員であるはずの君が、真面目に部活動に参加するなんて」

「いや、ほら。中国武術を使う魔術師とか、有り勝ちでちょっと面白いじゃないですか」

「ふむ……おっと、もうこんな時間か。今日はこの辺りにしておこう」

「……へ?」

 俺は、時計を見る。

 何時もより、随分と早い時間だ。

「この後、少し用事があってね。先生から、クラスメイトの様子を見に行くよう頼まれている」

「……? クラスメイトの様子、ですか」

「ここ数日、無断欠席しているんだ。まぁ今に始まった事ではないんだが、だからこそ早めに見に行かなければならないのさ。……ああそうだ、君も一緒に来るかい?」

 ……へ?

 何でまた、俺?

「えっと……」

「一応、会っておいた方がいいと思ってね。君のような人間は」

「はぁ……じゃあ、付いて行きます」

 良く、分からぬまま。

 俺は部長と一緒に、その『クラスメイト』に会いに行く事になったのであった。


 


 山の麓で、箒に乗り。

 俺達は空を飛んで、その中腹辺りへと降り立った。

「ここは……」

 鬱蒼とした木々の中、まるで切り取られたかのような空間があった。

 そこに、建っていたのは――

「……神社?」

「そう。こんな山の中だから、誰も人が来なくてね。彼女が無断欠席する時は、この神社で死に掛けている時なのさ」

 俺は、部長に続いて鳥居を潜る。

 死に掛けている、というのは大袈裟だと思うが……はてさて、どうなっているのやら。

「で、部長。そのクラスメイトは、どういう人なんです?」

「ん? ああ、彼女はこの神社の巫女さんだよ。一人で切り盛りしているのさ」

 部長は、社務所のチャイムを押した。

 反応はない。だが部長もそれが分かっていたようで、すぐに鍵を取り出して扉を開いた。

「って、何で鍵なんか持ってるんですか?」

「付き合いが長いからね。何しろ、私が英国《ブリテン》に旅立つ前からの知り合いだから」

「へぇー……」

 などと、相槌を打ってみる俺だったが。Yohimbinum D8II 媚薬

 正直、どれくらい昔なのか分からん。いやまぁ、結構前なんだろうけど。

 勝手知ったる他人の家、といった様子で、部長はズンズン奥へと進んで行く。

 俺も恐る恐る上がり込み、部長の後ろを進む。どうやらこの社務所、家を兼ねているようだ。

「さて、居間か自室か……取り敢えず、居間《ちかく》から確かめてみるか」

 部長は、襖に手を掛ける。

 その時。振り返って、俺の方を見た。

「――アユム。この中に死体があっても、決して驚かないようにね」

「…………」

 驚くに決まってんだろ。

 死体って……まさか、本当に死に掛けているのだろうか。

 サーっと、襖が開く。

 その向こうでは――巫女服の女性が、畳の上に倒れ伏していた。

 ……潤いが感じられない、乾燥し切った姿。頭上では、数匹のハエが円を描くように飛んでいた。

「うおぅ――ッッ!?」

 し、死体が! 本当に死体がッ!?

 取り乱す俺を余所に、部長は死体に歩み寄る。ハエを手で払うと、死体に話し掛けた。

「アズサ、生きてるかい?」

「……ォ……」

「ん、まだ息はあるな。アユム、悪いけど水を持って来てくれないか」

「わ、分かりましたっ!」

 部長は、巫女さんの口に携帯食を押し込む。

 俺は居間から出ると、来る最中に見た台所で、空のペットボトルに水を注いだ。こんな状態でも、まだ水道は繋がっているらしい。

 猛ダッシュで、居間にリターン。部長にボトルを渡した。

「ありがとう、アユム。……さぁアズサ、飲め。一気に飲むなよ、胃を慣らしながら――だ」

 少しずつ少しずつ、水が注ぎ込まれてゆく。

 するとスポンジに水が染み込むように、肌に生気が戻り始め――

「……ぷっはーっ! 生き返ったぁ――っっ!!」

 突如として、畳から起き上がった。

 ……もうホント、マジで『生き返った』ようにしか見えない。

「ありがと、マリナ。いやー、今回はヤバかったわー」

「『今回も』の間違いだろう。常々言っている事だが、いくら飢えて動けなくなっても、せめて水くらいはガッツで飲むべきだ」

「はいはい。ところで、そっちのアナタは誰?」

 巫女さんが、俺の方を見た。

 いかにも巫女さんらしい黒の長髪を揺らしながら、興味津々といった感じで目を輝かせている。

「あ、俺は遠藤アユムっていいます。赤咲高校の二年で、文芸部の部員ですよ」

「部員……? って、ええっ!? アタシが黄泉を垣間見ている間に、遂にあの文芸部(笑)に部員がっっ!?」

 驚愕する巫女さん。

 余程、あの文芸部(笑)には部員がいなかったらしい。

「――しかも、カッコいい男の子っっ!! そんな馬鹿な、アタシより先にマリナに春が来るなんて……っっ!!」

 で、やっぱりそういう勘違いをされんのな……ッッ!!

「違います、俺は――」

「ああ、そう言えばアユム。私は君に、ぱんつをプレゼントする約束をしていたな」

 ……ッッ!?

 チィ――何時か絶対そのネタを掘り返すだろうとは思っていたが、まさかこのタイミングで来るとはッッ!!

「も、もうそんな関係に……!? え、ええっと、アタシはお邪魔かしら?」

 そして、凄絶な勘違いをする巫女さん。

 ……他人の家でその住人を邪魔者扱いする程、図々しくはないつもりだ。

「まぁ、そんな冗談はともかく。アユム、彼女は豊国《とよくに》アズサ。この赤咲神社の巫女で、私のクラスメイトだ」

「えーっと……アユム、だっけ。よろしくね」

「あ、はい。ちなみに、俺は女です」

 などと、自己紹介を済ませた時。

 部長が、ふと思い出したように口を開いた。

「そう言えば、アズサ。君の保護者はどうした?」

 ……保護者?

 でもさっき、一人で切り盛りしてるって言ってなかったか? いや、だからと言って住人がアズサさん一人とは限らないが……。

「ヒコナ様は、別にアタシの保護者って訳じゃないんだけど……でもそう言えば、御姿が見えないわね」

「普通は見えないのが当たり前なのだがね……それはともかく、君を居間に放置していた事からすると、彼女の身にも何かあったと考えるべきだな」

「――ッッ!? ヒコナ様、ヒコナ様ッ!! 何処におられるのですか、聞こえたらお返事をッッ!!」

 アズサさんが、慌てて居間から飛び出す。

 後に続く部長。俺は状況が理解出来ないながらも、取り敢えず部長を追う。

「……部長、ヒコナ様っていうのは誰なんですか?」

「ああ、ヒコナ様というのは――」

 と、その時。

 廊下の先から、アズサさんの悲鳴が聞こえた。

「ヒコナ様、ヒコナ様ッッ!! しっかりなさってくださいッッ!!」

 俺と部長は、悲鳴の元へ駆け寄る。

 ……電話機の前に、ひとりの少女が倒れていた。

 この神社の危機的状況を打破するため、彼女はSOSの電話をしようとしたのだろう。だが、彼女の手が受話器に届く事はなかったようだ。

 何故なら――小さい。

 その少女は、小人としか言い様のないサイズであったのだ。とても、棚の上の電話に手が届く身長ではない。

 ……って言うか、何? ヒューマノイド系のUMA?

「はぁ、まったく……」

 部長が、小人に歩み寄る。

 そして――さっきやったように、携帯食と水を口の中に押し込んだ。

「ぶッ!? ぐぐ――や、やめい、死んでしまうわッッ!!」

 おお、小人が生き返った。

 にしても、小さい割には尊大な口調と態度だこと。

「……で、部長。この、ヒコナ様っていうのは?」

「彼女の名は、スクナヒコナ。この神社の――祭神さ」


 


「ふぅ……いやはや、危うく飢え死にするところであったわ」

 携帯食を抱え、ハムスターのように齧るミニマムゴッド。

「ええっと……アズサさん」

「ん? 何、アユム?」

「さっき部長が、このヒコナ様とやらが祭神だと言っていたんですが……」

「うん。うちが祭っている、スクナヒコナ様だよ」

「……そうですか」

 もう、素直に納得する事にした。SPANISCHE FLIEGE D6II

 最近はツッコミ所のある出来事が多過ぎて、やる気なんか出やしないのだ。

「しかしね、君達。巫女と祭神が揃って飢え死にし掛けるとは、神社としてどうなんだい?」

 部長が、呆れたように言う。

 ……この部長を呆れさせるとは、なかなか凄い。

 と言うか――アズサさんはともかく、ヒコナ様も飢え死にをするのか。

「う……そんな事を言われたって、人が来ないせいで収入ゼロだし……」

「そりゃあ、こんな山中の神社に人なんか来ないだろう。山道が繋がっているのならまだしも、それもないしな」

 ああ、だから箒で飛んで来たのか。

 山登りが面倒だっただけじゃないんだな……でもだとしたら、アズサさんはどうやって山を下って学校に通っているのだ。

 ……空を飛ぶのか、やっぱり。いやいや、そんなまさか。

「じゃあ、どうしようもないじゃない」

「道を作れ、と言っているんだ。ヒコナ様、貴方はこの国を開拓した神でしょう。山を拓くくらいは容易いのでは?」

「さて、映画の続きを見なければの」

「聞け」

 部長の言葉を無視して、テープをデッキに押し込むヒコナ様。

 うわぁ、このDVD時代にヴィデオデッキ……おお、何か内部でゴリゴリいってる。今にも壊れそう。

「……五月蝿いのう、ちゃんと聞いておるわ。妾《わらわ》とてそれくらいは考えたが、今はほとんど力が出せぬのじゃ」

「力が出せない?」

「うむ。神は、信仰されるが故に神。だが、どうにも信仰の意が集まって来ん」

「だから、こんな山の中では――」

「それは最初からであろう。最近、急に信仰が集まらなくなったのじゃ。まったく不可思議よ、別の神がこの地に現れた訳でもあるまいに……」

 ……別の神?

 俺が考えていると――部長が、こちらを見て問い掛けた。

「アユム、どう思う?」

「この赤咲町で『神様』って言えば、やっぱりあっちですよね。すると必然的に、この神社は人民から忘れられる……」

 忘れられれば当然、信仰もなくなるだろう。

 だから――

「何じゃと――ッッ!?」

「――うおおぅッッ!?」

 ヒコナ様が、恐るべきジャンプ力で俺に跳び掛かった。

 小さい者程ジャンプ力があるのは当然だが、仮にも人型でやられると相当ビックリする。

 ……一瞬前まで、国民的アニメの映画版見てケラケラ笑ってのに。切り替え早過ぎ。

「小僧、それはどういう事じゃッッ!?」

「え、えっと、この山にはおっきな猫が棲んでいてですね。最近は、そちらが山の神様と呼ばれております……」

 あと、俺は小僧じゃねえ。

 そう言おうとも思ったが……さすがに、神様の迫力に敗けて口に出せなかった。

「な、何という……」

 フラリと、ヒコナ様が倒れる。

 慌てて、アズサさんが駆け寄った。もうどっちが保護者だか。

「――ヒコナ様ッッ!!」

「アズサよ、妾はもうダメじゃ……造り上げたこの国を、高天原《たかまがはら》の連中に奪われ……ようやく鎮座したこの地さえも、新参者の神に奪われてしまった……」

「お気を確かにッ!! 高天原の傀儡《かいらい》たる皇室を滅ぼし、共に日本を獲り返すのだと――あの日、誓ったではありませんかッッ!!」

「だが今代の皇《すめらぎ》は、神々と並ぶ程の力を持つという……今の妾では、到底太刀打ち出来ぬ。否、我等国津神々《くにつかみがみ》が束になったとしても、恐らく敵う相手ではあるまい……」

「何を弱気な事を――ヒコナ様ッッ!? お身体が、お身体が消え始めて……ッッ!!」

「ふ、ふふ……アズサ、妾はもう疲れたよ。どうやら、常世《とこよ》に帰る時が来たようじゃ……」

「ヒコナ様、そんなッッ!? ヒコナ様ぁ――ッッ!!」

 ……何か盛り上がってる。

 映画の悲しげなBGMと合わさって、なかなかに涙を誘う光景だ。

「さてアユム、帰ろうか」

「……え? 部長、この流れで帰るんですか?」

「あれくらいの寸劇は何時もの事だよ。放っておいても構わない」

「はぁ……でもあのふたり、さり気なく国家転覆的な事を言っていましたが」

「昔から言ってるけど、実行されたという話は聞かないね。放っておいても構わないよ」

 成程。

 関わるとメンド臭いから、とにかく放っておけという事らしい。

 ……俺は、ヒコナ様達に目をやった。

 ホントだ。ヒコナ様の身体は確かに薄くなっているが、それ以上消えてゆく様子がまるでない。

「え、ええーっと……じゃあ、お邪魔しました」

 俺は部長追い、居間から出る。蒼蝿粉

 ……取り敢えず。

 やっぱり、神社には神様がいるんだなぁ――などと、適当に思う俺なのであった。

 


 


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2010年04月21日

男の優しさ 

松山さんは配送センターの前を通り過ぎ、私の家の横まで来てトラックをつけてくれた。

「あ、ありがとう」

ハンカチで鼻を押さえながら、私はお礼を言った。重かった心が、少し救われたような気がして、彼の横顔を見上げた。中絶 避妊 薬

エンジンを切った松山さんは、眉をひょいと上げると、前を向いたまま「いや」と応えた。

さっきからずっとぶっきら棒だが、冷たさは無く、かえって気を使っているように感じられる。


バッグを肩に降りようとすると、不意に腕を掴まれた。

「あっ」

それが思いがけないほど強い力だったので、私は驚いて彼を見向いた。外灯に浮かび上がる男のシルエットはまるで大きな熊のようだった。

「これ、絵の具?」

「え」

「この赤いの。俺、最初血かと思ってびっくりしたけど、それにしては明るい赤だからさ」

彼は私の白いブラウスについた染みのことを言っているのだ。

私がぎこちなく頷くと、納得した顔になり、すっと腕を解放した。

「ふうん」

シートに体を預ける恰好になり、松山さんはじろじろと私を見回した。肩にかけた画材の入ったバッグにもチラリと視線を向けると

「あの人か」

口元に笑みを浮かべた。


「さっき、最後の荷物を届けた場所、SHIMAアートスクールってとこだった」

私は必要以上にドキッとして、体を強張らせた。

「この前の寝言の相手、あの人だったのか」

全身が燃えるように熱くなった。

同時に、今それを言う松山さんを、無神経で、いやらしい、酷い男だと、ここまで送ってもらった恩も忘れ、思わず睨みつけていた。

だが彼は、どうってこともないように私の目線を無視して続けた。

「良い男だよな。だいぶ年上みたいだけど」ダイエット

「……」


私は顔を背けて、ドアを開けようとした。もう惨め過ぎて、何も言われたくなかった。一刻も早く、下を向いたまま、家の中に駆け込みたかった。

「元気なかったぜ、あの人」

慌てたように継いだ言葉が、ドアを開ける手を止めた。でも、振り向くこともできず、私はそのまま固まっていた。

「あの人、荷物受け取る時はいつも明るく対応してくれるんだ。それがさっきは、どっか悪いみたいに、元気がなかった」

ゆっくりと振り向き、松山さんを見た。微笑はおさめて、真面目な眼差しになっていた。

「好きな女を泣かせちまった時、あんな顔するよな、男って」


彼は車を降りると、私の側にまわりこんでドアを開けた。

「どうぞ」

そう言って、今の言葉の意味を考え呆けている私の手を取ると、半ば引っ張るようにして地面に降ろした。体がふわりと浮いた感覚になり、改めてすごい力だと思った。

「星野さんって、俺よりふたつ上みたいだけど、どうしてもそうは思えねえ」

ドアを閉めて、彼は笑った。

「男心がまるで分かっちゃいない」

私を見下ろす目には、会社で対する時のような礼節は無く、個人同士の、もっと言えば、男が女を見るような率直さがあった。口の利き方もぞんざいで、いつもの彼ではなかった。

面映くて、私は視線を逸らした。

何もかも、見透かされているような気がする。


彼はクスッと笑うと、私の頭を軽く撫ぜた。まるで年下扱いで、我ながら情けなかったが、大きくて温かな手の平に、守られたような安堵感を抱いた。

本当に、自分がふたつも年上とは思えない。彼のほうが、ずっと大人に感じられて、ずっと頼もしい。熊のように大きな体に凭れたくなってしまう。そんな頼もしさが……

私の体は無意識に揺れた。きっと揺れたのだろう。スタッド100 STUD 100 早漏防止

松山さんはその揺れを察したようにぱっと離れると、ズボンのポケットに両手を突っ込み、まるでいたずらっ子のような、からかうような調子でこう言った。

「あんな色っぽい声、俺だけが聞きたかったんだけど、しょうがねえな!」

私は顔を上げた。

年下の、26歳らしくなった松山さんが、スケベ面で笑っていた。


「もう!」

またあの寝言の話を出され、私はゲンコツで撲ろうとしたが、ひらりとかわされた。

彼はそのまま向こうに回ると運転席に素早く乗り込んだ。

そしてエンジンをかけると窓を開け、同じように回り込み窓下に立った私を悠々と見下ろした。

「男はさ、いろいろあるんだよ。それに、追いかける生きもんだからな。知らん顔してりゃいい。それである時ぱっと見てみろよ。目が合うから」

「……?」

「おやすみ」


謎掛けのような言葉を残し、松山さんのトラックは、住宅街を去って行った。

後に残った静けさが少し寂しくて、それでも私の涙はすっかり乾き、男らしい優しさに慰められ、心はほんのりと明るく、温もっていた。

私は上を向いて、家に入ることができた。EnduRx 米国 早漏のキラー

 


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2011年03月29日

現状を把握しよう

腹が減っては戦は出来ぬ。


 桂菜はまずは朝食を腹に入れてから問題の対処に当たる事にした。

 ギーギー軋む急な階段をおっかなびっくり下り、1階の食堂兼酒場に移動する。

 そこに居たのは先程の少女と宿屋の女将さんと言うべきか恰幅のいい妙齢の女性。 丸テーブルに4脚の椅子が8セット、満席状態であれば間を縫って歩くのが困難なくらいひしめき合って置かれているが、それも今は農夫らしき男性が二名だけ座り、パンとスープで朝食を取っている。VVK


「ほらほらお嬢ちゃん、席に着いとくれ。 スープが冷めちまう」

「あ、はい」


 何処に座ったものかと躊躇していたら女将さんにせかされ、カウンター席と言うか調理場に向き合う形で並ぶ席に着く。 すぐに目の前へパンとスープが並べられ、さっき部屋へ来た少女が水の入った木のコップを置く。 既にここに至るまでゲーム内世界にしては疑問点を幾つか発見した桂菜は、食事をしながら考えてみる事にした。


(そういえば、口で食事をするなんて何年振りだろう?)


 少々硬めのロールパンを千切り、シチューみたいな味わいのスープに浸して食べる。 久しぶりに使う味覚は彼女の感想を素直に述べた。


「……おいしい…」

「おやおやお嬢ちゃん、嬉しい事を言ってくれるじゃないかい」


 仏頂面だった表情を一転させた女将さんはカウンター前に肘を付き、気さくに話し掛けてきた。


「そんな笑顔になるくらい美味しいだなんて、今までどんな貧しい食事だったんだい?」

「え……?」


 知らず知らずの内に顔が綻んでいたらしい。 指摘されてから初めて自分が微笑んでいるのに気付く。 思い出せば今までの食事と言うのは、口から摂取するのは水と錠剤だけで後は点滴のみ。 事故にあってからの生活を省みた桂菜は、人として欠けた食生活を思い出し虚しさを零した。


「まぁ……、進んで食べていたいなんてものじゃ、なかったですね……」

「悲しい事を言うねぇ、食事が侘びしくなっちゃあ人生の半分は損をしてるよ! サービスだ、どんどんお代わりしとくれ」

「あ、はい。 ありがとうございます」


 肩をバシバシ叩かれた後、木皿スレスレまで更に注がれたシチュー兼スープを見た桂菜の笑いは引きつった。


(た、食べきれるかなぁ……)


 自分が思ってたより空腹だったのを自覚し、ついついお代わりをする程食べ過ぎてしまった桂菜は、食後の膨れた腹に水を飲んで落ち着きつつ、宿屋の1階を見渡した。 確かこの村は辺境だとしても白の国フェルステスと翠の国グルスケイロの境にあり、交易路として栄えていて商人が行き来する為に馬車が大挙して置いてあり、宿屋も数多く建っていたはず(の世界観設定)なのだが。 この寂れ具合はどうしたのだろうか? 


 最後にこの場でログアウトした時はあちこちにNPCが存在していたと記憶にあるし、喧騒のSEでかなり喧しかった印象もある。 顕著にゲームと違うところは、話し掛けると決まりきったセリフしか返さないNPCが、きちんと感情を伴って反応を示す実状にあった。


 ゲームであってゲームと違う世界と桂菜が認識した理由がそこにある。 問題は自分が”何処まで此処で生きていけるか?”であるという結論に行き着いた桂菜は色々調べてみる事にした。巨人倍増




 まずはアイテムウィンドウを開き、手持ちの金銭を確認する。 9桁として表示されたそこから20ギルとする少量を取り出して、使えるかどうかを試す意味で女将さんに提示した。


「あのー」

「ん? どうしたんだい?」

「しばらく泊まりたいので、これ使えますか?」


 チャリチャリンと銀色の大きめの、両面に花の意匠が彫られているコインをカウンター上に盛る。 ゲームの時は数値のみの存在であるお金だが、実際形にしてみると随分可愛いものなんだなと、桂菜は思った。


「ちょっ、あんたっ!?」


 これに予想外の反応を見せたのは女将さんとその娘さんである。 少女は目を丸くしてコインの山を見つめ、女将さんは一枚を恐る恐る取ると手のひらでひっくり返したりして吟味、溜め息混じりに元の山へ戻す。


「普通に使えるけどね、お嬢ちゃん。 こんな大金これ見よがしに広げるもんじゃないよ?」

「……は?」


 大金? これが? そんな馬鹿な。 攻撃力5%上昇の効果が30分続く丸薬が店売りで1個40ギルくらいだったはずだ。 スコップでさえも10ギルと掛からずの値段で買えたため、これ位あれば一泊に値するかと脳内換算した桂菜の目論見は逆方向へ裏切られた。


 女将さんによると4枚もあれば10泊も出来るそうで、改めて金銭感覚を磨く必要があると痛感する。 初めて会った村人Aである女将さんが誠実な人で良かったなあと、安堵した。


 それにしても……。


「前はもっと賑わってた様な気がするんだけど、この村って……?」

「賑わっていた頃と言うともう四代も前の事さ。 フェルスケイロが建国されてからは随分廃れちまってねぇ、最近はお嬢ちゃんみたいな冒険者も珍しいもんさ」


「…………ゑ?」


 初めて聞く名称になんだそれはと思考が停止した。 まるで白と翠の国を足して割った国名に「え? ここってゲームの中じゃないの?」と、再び困惑する。 自分を見失った桂菜を置いてけぼりにした女将さんの語りは止まらない。


「200年も前は7つの国が大戦を起こして、何処も大荒れだったって話なんだけどね。 あまりの醜い争いに怒った神様が人々の中から指導者を選び出し、その人達が苦労して国を3つに纏めさせ、今に至るって事なのさ」


 話し相手に苦労しているのか、食事を終えても残っていた農夫からはヤジが飛ぶ。


「当たり前の話を冒険者の嬢ちゃんに語るなよ…」

「やかましいっ! さっさと畑仕事に行ってきな!」


 迫力ある怒鳴り声に追い立てられ、農夫達は宿屋を後にする。 残った客は桂菜だけだ。


 今の会話から得られた情報だけでも桂菜の思考を更に深みへと追い落とした。 200年前の7つの国って、昨日まで遊んでいたVRMMORPG・リアデイルの世界設定そのものじゃないかと。 戦士や神官や魔術師などの固定された職種が無い替わりに、4000もの数がある技能(スキル)。 種族と装備と技能を自分の方向性に固めて、望むままの仮想媒体(アバター)として自由度の高いプレイ。 あまりの自由度の高さにネットの大型掲示板に放任世界とも皮肉られた事もある。


 7国間でひと月に一度、領地の増減を掛けた大戦争イベントがあり、ある色国がそれぞれ決められた領域を占拠すると数限定の特殊イベントアイテムが得られる特典があり。 前日にはサーバーが落ちる程の人数が綿密な戦略集会を行ったが、当日までに復旧せずに辛酸を呑んだ国もあるのは当時の笑い話にもなった。


 その白、翠、朱、蒼、茶、黒、紫の7国が存在したのが200年も前と聞かされた桂菜の常識がガラガラと音を立てて崩れていく。 かつて遊んだゲーム世界の200年後なんてどうやって生きていけばいいのか……。


 まずは世の中の常識を知る所から始めなければいけないのかと、確認しなければならない事案が積み重なっていく現状に頭を抱える。


「……にしてもそんな昔の事を聞いてくるなんて、前に此処に来たことがあるのかい?」

「え? あー、えーと……」


 まさか昨晩ログアウトしたのが此処なんですよ、と馬鹿正直に告げる訳にもいかず、答えを濁した。 しかし、気のせいじゃないか、とも言えない証拠は桂菜自身の姿が証明している。


「エルフだろう、お嬢ちゃんは?」

「はぁ、まぁ、そうですね」VigRX Oil ビグレックス オイル


 桂菜の現在の身体は、ゲームをプレイしていた時点での仮想媒体(アバター)そのものであった。 これは部屋から階下へ下りる前、手持ちアイテムから【真実の鏡】――あるイベントで配布されたアイテムであり、それ以外では役に立たない――、を覗いて確認済みである。 名前の通り、真実の姿を映すだけの機能しかなく。 病室で伏せっていたガリガリの自分が映ると思っていたら、アバターのキャラクターが映っていてそれだけで気が遠くなったくらいだ。


 前髪を摘まんで引っ張れば見えるくすんだ金色の髪は、肩にやや掛かるくらいのセミロング。 深い碧色の瞳と残る特徴は少々尖った耳だろう、隠しても髪からちょっぴり飛び出る耳は長命種である亜人の証。


 とりわけ中でも桂菜が選んだハイエルフ族は普通のエルフよりは後衛職に特化している。 INTの伸びとMPの上限が選択種族内でも最大級に増える特徴だけで選んだだけなのだ。 一部のユーザーには各種族ごとに違う戦闘モーションでも一番ダサいと言われ、リアデイルでも選ぶ者はあまり居らず、桂菜も最近ではあまり見かけない不人気キャラだ。


「そうですね、賑やかな頃に一度だけ……」


 隠す理由もないので素直に答える桂菜に女将さんは破顔した。


「そうかい、お嬢ちゃんは昔の村を知っているのかい。 そんな昔からのお得意さんがまたこの宿屋に泊まってくれるなんて、感慨深いねぇ」


 勝手にこの宿屋を愛用している客に設定されてしまい、苦笑いで凌ぐ桂菜。


「そうそう、アタシの名前はマレールだ。 この子はリット、暫くは当宿屋でゆっくりしておくれ」

「はい、お世話になります。 私は桂n……ケーナといいます」


 場を辞して部屋に戻ったケーナはさっそく自身と手持ちの全ての確認作業に取り掛かる。


 ステータスを開くと真っ先に表示される情報が『ケーナ、LV1100、種族ハイエルフ、称号スキルマスターNO.3』。


 リアデイルでの限界LVが1000、特殊クエストによる限界突破レベルが+100。 このクエストが多人数必須の困難なイベントでケーナ達でさえ所属ギルドの内外から参加者を募集、突破した時点では4パーティ24人による大所帯でやっとこさクリア。 途中でマジ泣きしたメンバーも居るところに作った主催者側の悪意が伺えるとは、通過した全員の総意である。 その後はこのクエストを通過したと言う噂も聞かないので、実質当時のメンバーがリアデイルの誇る最強であろう。VOV催情粉

 

 ハイエルフ族のメリットは自然が在る所での戦闘行為や技能行使に10%のボーナスと鷹目が効くところ。 デメリットは技術技能(クラフトスキル)の際に使用する植物系材料の自力採取不可能な点。 ケーナはギルドメンバーで手の空いた者に頼んで集めてもらったりするか、露天を開く者から買い取ったりしていた。


 称号のスキルマスターはスキル数4000個もある中(その後もデザイナーの意向により増え続けたが)、魔法技能(マジックスキル)1500個と、技術技能(クラフトスキル)2500個を修めた者に与えられる栄誉である。 スキルマスター14人中、史上3人目に当たる為ケーナの称号にはNO.3と付く。


 この称号こそケーナが好き好んでこんな辺境でログインログアウトを繰り返している理由。 栄誉と称号と共に自動取得する4001個目の問題となるスキル、【スクロール作成】。 これはケーナ達スキルマスター自身が持つスキルを羊皮紙に記して、面倒くさいクエストを経過せずに他のプレイヤーが安易に技能(スキル)を得られる便利な機能である。


 ……あるのだが、他のプレイヤーと顔合わせる度に「あれをくれ、これをくれ」と催促されまくった結果、ウンザリとしたスキルマスター一同が運営側に「なんとかしてくれ」と嘆願書を出した。 運営側が対処する頃には一人がノイローゼになりゲームから撤退してしまうアクシデントもあったが、解決策としてスキルマスター達にNPCの受け持つ1部のスキル譲渡クエストを肩代わりさせる事になった。


 その際には各自が望む拠点が与えられ、到達目標を設定し、突破してきた者に難関クエストで得られる技能(スキル)が何でも得られるという決まりで世界に浸透した。


 スキルマスター仲間の拠点は多種多様で、やたらと致死クラスの罠で埋ったダンジョンがあるわ。 水中呼吸の魔法を取得しないと辿り着けぬ海の底の宮殿、通称竜宮城があるわ(勿論途中に海類モンスター生息)。 飛行と鷹目を併用しないと発見できぬ空の城、通称ラ○ュ○があるわ。 1日ごとに所在地が変るお堂が入り口で広大な山脈地帯の何処に出現するか分からないわで、もはや半分は嫌がらせのレベルである。

 

 その辺りケーナなどは良心的で、広い森に囲まれた中央にそびえ建つ銀色の塔が拠点だ。 到達目標は塔の最上階まで辿り着ければそれで達成する、但し到達するまでリアル24時間掛かるが。 途中で歩みを止めたら即スタートの森の外まで戻されるという、仲間内では比較的温いと評価された罠だ。 最上階まで直通の鍵になる指輪もある為、所有者は移動に困らない。


 後でその拠点にも行って見なければならないと脳内項目にチェックして、アイテムや装備の点検に移る。


 現在のメイン装備、高レベルのハイエルフ女性にしか装備出来ない妖精王のローブ。 おそらく装備出来るのはゲーム内でもケーナだけ。 膝までのホットパンツと肉厚のブーツ、両方とも幾つかのステータス上昇付加の自作品。 左腕にはコマンド1つで展開する弓付きのアームガード、矢はMP消費の魔法矢を使用。 右側のみ羽飾りの付いたカチューシャ、MP消費で不可視障壁が展開される。 武器はアイテム欄の1番上に表示される雷撃の短剣、ちょっとでも傷つけられようものならたちまち麻痺効果を及ぼす、最高級クラスの短剣である。

 

「自分の事ながらはっきり言ってチート過ぎる……」


 基本の戦法は攻撃魔法でドカーンなだけにここまで武装する事も無いのだが、早々ギルド仲間と組む事も無くなった今では準備するに越したことも無い。 普通のエルフ族よりは前衛に向いてない種族でも、低レベルの者とパーティを組む場合には充分な壁役が務まる。 後は拠点の道具箱の中身と相談して取捨選択をするだけだろう。




「…………あ!」


 ふとケーナは、自身のサポートAIの存在をすっかり忘れていた事を思い出した。

 

 現実(リアル)での自立行動が困難になった桂菜に叔父が特注で造ってくれた、寝たきりでは在るが日常生活のサポートをする補助AIの事である。 病室のベットに接続された”彼”は、ベットの背もたれの上下から時には緊急時のナースコールまで自発的に行動してくれる優れもので、ゲーム内でもコマンドの補助をしてくれたり、検査の時間や見舞い客の有無などを知らせてくれたりしていた。 長い付き合いでパートナーとも言える存在に、答えてくれなかったら如何しようとびくびくしながら呼びかけてみる。


「……キーちゃん、いる?」

『ハイ、ココニ』


 過去に母親が飼っていた猫の名前を有する彼の返答に、胸を撫で下ろすケーナ。

 簡潔に必要事項だけを述べる彼は、感情を感じさせぬ声色で主に申し立てる。


『緊急ノ案件ガ二件アリマス』

「そうなんだ、何があったの?」

『一件目、病院ノシステムト切リ離サレマシタ。 二件目、リアデイルノマスターシステムトノリンク切断』威哥王

「そう、なんだ、……ありがとう」


 両方とも此処がゲームの世界であってゲームの世界と違うという事実からは予想できたことだ。

 問題なのが何故にケーナが此処に居るのかという理由である。 リアデイルというVRMMOが今日明日にでもサービスが終了するだなんて噂でも聞いたことが無い。 王都や仲間から離れた場所に居たとしてもだ、何か重要なイベントや知らせがあればログインしているプレイヤーに運営側から知らせがあるし、ギルド通信で仲間が教えたりしてくれるはずだ。


 最後の記憶を思い出してみる。 叔父と従姉妹がお見舞いに来たとサポートAIから知らせが有り、一度そこでログアウト。 お見舞いに来た二人と少し喋ってから再びログイン。 結局何かする前に睡眠欲に負けてしまい、そのまま就眠。 MMO的に離席状態と言われるままで放置したのが最後の記憶だったはず。 そこから起床となるまでに何かあって今に至ると。


「ん~……、キーちゃん昨夜何か異常はあった?」

『ハイ、一件ダケアリマス』

「あったのっ!?」


 本人(?)も緊急事態とカテゴライズ出来ないので報告する事案か曖昧だったのだろう。


『ケーナガ就寝後ニ、二秒間ノ電力カット。 先ノ二件ハ両方トモソノ時点デ発生シテイマス』

「電力カット?」

『憶測80%ノ確立デ停電ダト推測シマス』

「あ、停電ね。 ………………………停電ッ!?」


 あきらかに重要な異常事態で、恐らく確実な原因だと予測したケーナは結論に至った事実に目の前が真っ暗になった。


『ケーナ?』


  各務桂菜の身体機能は生命維持装置に繋がれていなければ生きられぬほどに衰弱していた。 それは自分でも分かっていたし、医者にも注意されていた。 なんらかの外的原因、落雷とか、によって電力が途切れた装置に病院の緊急発電システムから電力が供給されるまでの僅か二秒間。 現実(リアル)から精神だけがこちらの世界へ逃げ延びたのだろう唯美OB蛋白痩身素第1代




 ────つまりは各務桂菜と言う肉体の死である



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    2012年03月16日

    ファミリア

    いってらっしゃいませ。


     玄関でジュールに見送られる。

     両親も見送りに来てくれたが、二人とも笑顔で『楽しんできなさい』と言ってくれた。

     父は……昨日打ち明けたあの話、その後、なにか掴んだのだろうか? あの後、父は約束通り落ち着いた様子でこの家に帰ってきた。帰ってきてすぐに『マイクに連絡した。驚いていた』と教えてくれながら、あの写真を返してくれた。それだけ……。蟻力神

     教えてくれると約束してくれたのだから、なにも言ってこないのならまだフロリダのマイクが調査中なのだろう……と、葉月は思う。


    「お嬢様、お体を冷やしませんように」

    「有難う、エド」


     栗毛のエドが、白いスプリングコートを着せてくれた上に、いつも通りに膝にブランケットを掛けてくれる。

     春のよそ行きの装い。葉月は今日、あの惨劇の日から初めて、外へと出かける。


     今日の付き添いはエドを筆頭に、ジュールの直属の部下が二人。

     エドが付き添いになったのは、彼が医師だからだ。葉月はこの日、初めてこの家の外へと出かける。……なにが起こるか解らない。付け狙われている可能性がある。それでも葉月は勿論、葉月以上に純一と真一も願いを叶えてくれるような強い意志で『でかけよう』と言ってくれたのだ。

     嬉しかった。葉月が愛している父子が揃って、『葉月と出かけたい。三人で行こう』と喜んで連れ出してくれるその気持ちが。

     危険は承知の上。そしてこの家を出たかった。この家はあまりにも『過去の空気』が充満しすぎている。そんな中、あのようなこと義兄に告げる前に、葉月の方が押しつぶされてしまい言えるまでに至れない気がした。出来れば、外で、少しでも気分を和らげて……。それでも彼はそれを知れば、奈落の底に落ちるように絶望することは違いないだろう……。


     そうだ、私が受け止めてあげなくちゃ。


     葉月はそう思う。

     今まで純一が、この義兄が落ちていく葉月を受け止めながら一緒に落ちてくれたように……。ううん、彼が本当は隼人と同じように、義妹がいつかは飛べると信じていながらも、一緒にどこまでも付き添ってくれたように……。今度は、私が……。


    「さあ、行こう。葉月ちゃん」


     ふと気がつくと、真一が車椅子のハンドルを握ってくれていた。

     肩越しに振り返ると、彼がいつもの無邪気な微笑みを見せてくれている。

     でも、葉月は思った。その笑顔はもうただ無邪気なだけではない。それを見せて、葉月を元気づけてくれる頼りがいある笑顔に変わりつつある。……きっと

    真一も察しているだろう。


     今日、叔母は告げるのだと。


     コートに合わせた白いハンドバッグに、あの悪夢の写真を忍ばせ、葉月は甥っ子の笑顔に頷く。


    「どうした。早く行こう」

    「急かすなよ。ゆっくり行けばいいじゃないか」


     黒い車。その運転席側のドアを開けている純一が、まだ庭にいる義妹と息子に声をかけてきた。

     今日は『家族水入らず』。純一が運転をするその車は三人だけになる。その後方をもう一台、エドと他の二人が護るようについてきてくれるとのことだった。


    「ゆっくりね、慌てなくて良いよ。俺の肩に寄りかかってね」

    「有難う。しんちゃん」


     後部座席のドアをエドが開け、そこに乗り込めるようにと真一が手添えをしてくれる。

     この頃、真一はこういった『ケア』が上手くなってきている。側に『先輩になる医者』が幾人もいるせいか、暇を見ては話を聞いたり見学をしたり。昨日も葉月がリハビリを始めたので、ジャンヌやエドから手ほどきを受けていた。

     その成果なのだろう? 昨日、庭で付き添ってもらった時よりもずうっと動きやすく導いてくれる。

     そして、なんて逞しい体つきになったことだろう? 肩幅はしっかりしてきているし、腕は長くて太くなっているし、なによりも葉月の腰を抱えたかと思ったら、ひょいと軽々と抱き上げて、後部座席に座らせてくれるのだ。


    「痛かった?」

    「ううん、全然。しんちゃん、上手ね」


     上手に介護が出来たことが嬉しかったのか、今度こそ彼特有の無邪気な笑顔を見せてくれた。そしてもう少年の顔で葉月の隣に乗り込んできた。


    「親父、早く行こうよ!」

    「なんだ? お前は。俺に急かすなと言っておいて、この野郎」

    「うるさいな」


     そんな彼等らしい言い合いが始まるのだが、程々で二人はすぐに楽しそうに笑い出す。

     いつになく父子が楽しそうに息を合わせているのを見て、葉月はホッとし、そして微笑んでいた。


     目的は『告白』だ。

     けれどそれを忘れてしまいたいぐらい、葉月の心は軽やかに躍り始めていた。


     初めて。三人で出かける。


      「出かけたか」


     黒い車が二台。それをジュールは残った部下と静かに見送った。

     自分をサポートしてくれている『カルロ』が、ジュールに話しかけてきた。


    「エド・チーフが一緒ですから大丈夫でしょう」

    「そこは安心してる」

    「付き添いに出したジルにも注意すべきところは叩き込んでおきましたから」

    「そうか」


     無表情に反応するジュールを見て、カルロが少し躊躇った間を作ったが、彼は意を決したようにさらに報告してくれる。


    「今日も、『娘』がそこにいましたが」

    「まだ、泳がせておけ」

    「構いませんが。『父親』はどうしますか。まだ姿も気配もありませんが……。あの娘を捕まえれば」

    「今はまだだ。だが、二度目は許さない。そして、その『籠』も目の前だ」


     『さあ、幽霊の娘よ。どう出てくれるのだ』。

     ジュールは今日も何処かで彼女がこの家を見ているならばと、強い眼力を庭の外へと向ける。

     彼女はある意味、大事な『鍵』で『獲物』だ。下手に捕まえれば、幽霊が察し娘を捨てて二度と姿を垣間見せることのないやり方で消え失せていく気がする。それは絶対にあってはならない。まだ……娘がこのように危なげに泳いでいるうちは、まだこちらの手の中だ。


     彼女は、幽霊の娘は、『あの夜』、逃げ切れたと思っていることだろう。

     そうではないのにと、ジュールは密かに勝ち誇る笑みを浮かべる。


     実は、『ボウガンの女』を捕まえなかったのは『ジュールの判断』だった。

     あの夜、婚姻前夜。ジュールの手元には既に『幽霊には娘がいる可能性があり』という報告書が出来上がり届いていた。この婚姻が終わったら葉月に報告する。そうして時期を計るように待ちかまえていたら、婚姻前夜にあの騒ぎ。三便宝

     葉月の部屋にボウガンが打ち込まれてすぐに、当然の如くジュールの部下達が、手際の悪い……もとい、手際が慣れていない『若い女』を追いつめていた。


    『チーフ! 若い女です』

    「若い、女!?」


     追っているカルロから、そんな報告が耳元の無線インカムに届いた。


    『お任せ下さい。ジルがもう捕まえます』


     だが『調査書』を手にしていたジュールには『この家を狙う動機がある若い女』と『親子ほど年が離れているだろう幽霊の女房』という右京の報告や『幽霊に娘がいるかもしれない』という言葉が重なったその時、ピンと閃いたものがあった。


    「待て! 捕まえるな!」

    『チーフ?』

    「泳がせろ。捕まえずに、行き着くところを突き止めろ」

    『イエッサー!』


     ワザと捕まえなかった。

     ジュールの独断だった。

     もし、これを純一や葉月が知ったらどう思うか。そうは思えど、そこはまだ報告する気にはなれなかった。

     当然、この婚姻前夜のあの時点でボスである純一も知る由も無し、亮介も登貴子も知る由も無し、そして葉月も……。なにもかもが葉月に調査を依頼され任されたことで、ジュールだけが知ることになった為の独断だった。

     そして今も、それは報告はしていない。


     これはジュールのチーム数人で結束し動いていることだった。

     カルロはジュールのチームの中で、一番信頼している大男だ。

     ジルはここ数年でジュールが鍛え上げた身軽な男、エドとタイプが似ている若手の部員だった。

     この彼等はジュールやエドがそうしているような『事業』には携わっていない。完全たる戦闘員でジュールがなにかと用い、あちこちでその腕を生かしてくれていた。当然、ジュールの直属であるため、言い換えれば『黒猫ボス』の直属員と言うことにもなる。つまりは忠誠は確実な男達だ。

     その彼等が婚礼が無事に済んだ後も、『幽霊の尻尾』を掴もうと、地道な調査と娘の尾行を続けていた。


     その尾行なのだが。あの夜、彼女は一人暮らしをしている若い男の家に転がり込んでいたと言うのだ。明け方に彼女はその若い男と一緒に出かけ、彼の勤め先らしき『夜の店』に入ったきり出てこず『見失った』との事だった。

     『娘』は、この病院に何度もやってきているとのこと。それも病院を去っていく彼女を尾行すると決まってその若い男のアパートに入って長い間出てこないという。そして同じ事が繰り返された。男が明け方帰ってきて、一緒に出かけ、その怪しげなバーのような店に入ると消えてしまう。その繰り返し。どこか気になるが、ジュールは今のところ、『それ以上の深追いはするな』と部下達に言い含めている。何故なら、幽霊に近づくかも知れない危険な尾行よりも、まだこちらの有利となる状況が残っているからだ。それが『彼女からこちらに近づいてきている』こと。そこを攻めてみようというのがジュールの判断だ。なにより、彼女に尾行していることに気がつかれるのもまずい、そして危険だ。

     婚礼後は流石に、こちらの警備を警戒したか、この療養家には近づこうとせず、病院の敷地内からこちらを眺めていたらしい。それならば……と、彼女の襲撃で改めて固めることになった警戒網を緩めてみた。

     そうしたら、どうだろう。眺めているだけをやめて、こちらの家に日に日に足を向け、距離を縮めてきているという報告。流石、幽霊の娘か。よく見ている。父親に仕込まれたのではないかと思いたくなる素晴らしき勘と判断力だ。

     それはともかくとして……。ジュールが気になるのは、その娘があの晩にこちらの警備を解っていながら『襲撃する』という行動に打って出た心理。そしてそれだけの危険を冒し男達に捕らえられかけたというのに、また……引き寄せられるようにこの犯行現場に近づこうとしていることだ。


    (瀬川は知っているのか?)


     そこがどうしても、解らない。

     あらゆる想定はジュールにも出来る。だが、ジュールが頭に描いた想定のどれが『正解か』どれも確信を持つことが出来ない、腑に落ちないことばかりなのだ。

     ジュールの中で、『その娘と早く話してみたい』という気持ちがあった。だが、急いで捕まえては『大事な魚』を手にしている『大ボス』を捕まえることが出来ない。そう、カルロが焦っているように、『娘さえ捕まえれば、色々なことが判明する』ジュールも何度もその気持ちになった。しかし、娘が口を割るだろうか? さらに娘を捕まえ彼女から父親の話を聞きだしたとしても、娘が手元に帰ってこないと知った幽霊が逃げ出さないうちに彼の元へと駆けつけなくてはならない『スピード戦』になる。そんな準備はまだ一家も出来ていなければ、ジュールの方もそれは危険な賭となることだろう。失敗すれば二度とチャンスはやってこない気がするのだ。


     そんな事を考えていると、隣にいるカルロの顔色が変わり、そっとジュールに耳打ちをする。


    「チーフ、すぐそこに……来ています」

    「なんだって。……そうか。いいか、気がついていると悟られるな」


     ジュールはなにげなく、カルロの背をつつきながら家の中へと入る。

     二人でキッチンへと向かい、カフェカーテンをかけている小窓から手のひらサイズの双眼鏡で確かめる。


    「……あれか」

    「そうです」


     ジュールは初めて見る『彼女』。

     カルロの話によれば、今日はまたより一層とこちらに近づいてきていると言うことだった。

     いったい、何が目的か。

     もし先日のようなことが『目的』なら、彼女の攻撃は数日中となるだろう。


    「チーフ、今夜からこの配置でどうでしょう」


     カルロが警護を固める人員配置の図を記したメモ用紙を見せてくれる。

     ジュールはそれを眺め『それで頼む』とカルロに返した。彼がそのまま頭を下げ、庭へと戻っていく。


    「確かに若いな。あれで『妻』? 冗談だろう。なんのつもりだ」


     あどけない顔をしたまだ少女のような彼女。

     それを瀬川アルドは、外では『妻』として彼女を連れて歩いていたと言うではないか。

     そこにも、なにか幽霊のこだわりが? 今は全く見えてこない。


     暫く、黒髪の彼女はこの家の側にある木立の向こうの小径を行ったり来たりしている。

     しかも大胆にも『足跡を残した場所』、つまり彼女がボウガンで襲撃した位置だ。

     その場所になにかこだわりが? それとも……またそこから葉月の部屋を狙うつもりなのか。だとしたら本当に『不手際な作戦』だ。あれだけこちらの警備の気配を上手く読みとれる感性を持ちながら、それこそジュールが最初に感じたように『幼稚な対処』にしかならない。その目的は解らないが、二度も同じような手で狙うと言うならば、それだけの『理由がある』とジュールは思いたい。


     こうして彼女を影から観察しているのだが。

     そのなかなか去っていかない、何かを探している様子が気になる。


    「……お嬢様を? まさか」


     ふとそう思った時だった。


    「よ。勝手にあがったぜ」

    「右京様。いらっしゃいませ」


     また庭側にあるリビングの窓から、彼が勝手にあがってきた。

     近頃、葉月の見舞いに来る時はこんな感じだ。

     彼は既に春らしいお洒落をしている。そこに気持ちが戻ってきた分、彼の心も今は落ち着いているようだ。ただ少しだけ変化が。今まで御曹司を気取った華やかなファッションを好んでいた彼だが、ここ最近は肩の力が抜けたようなナチュラルなカジュアルを着こなすようになっている。今日もシンプルな真っ白いジャケットに下も変哲もないシンプルな生成のシャツ。そしてジーンズ。だけれどやはり彼だ。それだけなのに、とても似合っている。以前ほど目をひく格好ではないが、彼らしさをちゃんと醸し出しているし、品がよい。流石だとジュールは唸るのだ。

     彼がこうなれたのも、葉月の結婚が、彼にある程度の明るさをもたらしたのだろう。


     その右京がリビングを見渡す。


    「あー。でかけてしまった後か。間に合わなかったな」

    「今し方、出かけましたよ。夕方には帰ってきますから、その時に会えると思いますけれど」五便宝

    「うん、そうだな。その方がゆっくり話せそうだな」


     彼が腕時計を見ながら、今度はリビングのドアを見る。

     そこから誰かが現れるのを待っているのだ。


    「えっと、まだ支度をしているのかな? 見てくる」

    「どうぞ。きっとお洒落をしているとおもいますよ」

    「彼女が?」

    「ええ。先日、エドが春物を仕入れた時に、葉月様が『先生の分も見繕って』と言い出しまして。先生のお好みが分かりませんから、エドがカタログを渡したところ、いくつか選んだようですよ。二人で姉妹のように楽しそうに選んでいましたよ」

    「へえ。知らなかった! それは楽しみだな」


     右京の笑顔がぱっと明るく広がり、その彼女を迎えに行こうと足を向けた時だった。


    「あら、右京」

    「ジャンヌ」


     丁度そこに、右京が愛する女性が現れる。

     こちらも彼女らしく落ち着いた服装だが、右京と通じたように黒縁の白いアンサンブルとクラシカルなスカートを合わせ春らしい格好をしていた。そしていつも結い上げているたっぷりの金髪を綺麗に手入れをして降ろしていた。

     そこにも見たことがない花が突然しっとりと咲いたようだった。


     その彼女を一目見た右京が、彼女がやんわりと微笑むまま、その花に誘われるように歩み寄っていく。

     彼女も右京の素直な微笑みを目にして、それだけで幸せそうに頬を染めている。


    「春らしいな。似合っている」

    「有難う。貴方もね」


     向き合った二人がそっと見つめ合い、挨拶代わりなのだろうか? 軽い口づけを人目も気にせずに交わした。

     まあ、フランス人であるジュールには別に目をふさぐような光景ではないのだが、何故か背を向け『お邪魔かな?』なんて思ってしまうほどこちらもお熱いばかりの日々だ。


    「では、ジュール。でかけてきます」

    「はい、先生。ごゆっくり……」


     彼女が女性の顔で申し訳なさそうにジュールに言った。

     その顔はもう、近寄りがたいしっかり者の女医ではなかった。

     今日は患者の葉月が外出許可も出たので、エドという医師付で家族と出かける。だから、手の空いた彼女にも今日は『休暇』を。それをジュールから右京に報せてやると、少しばっかり男女関係には距離を置きすぎている今は妙に奥手そうな彼女を、右京が上手く誘ったというわけだった。こちらも春がやってきたようで、短時間のデートは時間を見てしているようだが、今日はゆっくりじっくり過ごしてくることだろう。

     そのジャンヌがまだジュールの顔を見たまま、出かけようとしないので、ジュールは彼女を見つめながらふと首を傾げた。


    「どうかしましたか?」

    「あの、私だけ休暇をいただいてしまって。貴方達が……」


     そんなジャンヌの気遣いにジュールは笑い出す。


    「先生はちっとも私のことを解っていませんね」

    「え? どういうことかしら?」

    「気にしないで出かけてくださいということですよ。私はですね、仕事をしているのが一番、楽しいのですから」


     すると彼女が『それもそうね。貴方はそうなのだわ』とやっと納得したように笑って右京の元へと戻っていった。


     いってらっしゃいませ。


     落ち着いた大人の恋人同士が、肩を並べて春の庭先を出ていった。

     しっとりとしているその後ろ姿を揃えている二人が時に目線を合わせては微笑みあっていた。

     ジュールはこちらもお似合いになってきたなあと目を細めながら、見送った。


     そうそう、俺はこうしている時が一番……。

     そう思いながら、手にしていた双眼鏡でもう一度外を見た時には、もう黒髪の彼女はいなくなっていた。


     さて、どうなることやら。


       真っ白なテーブルクロスに、真っ青なナプキン。

     窓辺から差し込んでくる日射しに、銀のフォークにスプーンが煌めき、そしてワイングラスの縁もキラリとした光を放っている。

     といっても、今日は誰もワインなど飲める状態ではないので、好みのソフトドリンクが入れられていた。


     オードブルが終わり、スープを味わっているところ。そろそろランチメインディッシュが出てくる頃、丸いテーブルでそれぞれが見えるように座っている三人は、最初はぎこちなかったが葉月の勝手な会話で、少しずつ和み始めてきていた。


    「知ってる? 今日、右京兄様デートなのよ」

    「ほんとう!? それってジャンヌ先生だよね? しかし、あのおじちゃんがね~。ついに大好きな女性に会っちゃうなんてね」

    「本当よね」


     それで照れて、自分たちが出かけた後に迎えに来たに違いないと、葉月と真一は一緒に笑う。

     その二人の間に挟まれている純一は、ミネラルウォーターのグラスを傾けながら、そっと微笑んでいるだけ。それでも葉月にはちゃんと、彼が会話に入って楽しんでいる笑顔だと分かっていた。


     純一が連れてきてくれたのは、葉月も来たことがある右京行きつけのレストランだった。

     今度は都内ではなく、横浜の郊外にある個人宅のような小さな佇まいのレストラン。客席も少なく、本当にどこかのリビングにお邪魔しているかのような小さなホールでの食事だった。

     良く聞けば、純一も右京と一緒に良く来ていたとのこと。


    「だったら、今日はこのレストランは右京と先生の為に空けとくべきだったなあ」


     ナプキンで口元を拭きながら、純一が笑った。


    「いいのよ、いいのよ。右京兄様はたくさん行きつけがあって……」

    「選り取りみどりなんだっ。じゃあ、今日は都内かもね」

    「そうそう、私達と鉢合わないコースを一生懸命に練っていたはずよ」

    「きっと、そうだな」


     三人一緒に笑い合った。

     葉月の目の前で、可愛い甥っ子と愛してきた義兄がそっくりな口の開け方で笑っている。

     ただそれだけを見て、葉月はとてつもない幸せを感じていた。

     こんな日が来るだなんて。


    「俺、あの先生なら絶対に右京おじさんを幸せにしてくれると思うな!」

    「そうだな。俺もそう思う。もうあの先生でなくては駄目だろうな」

    「うわ。それっておじちゃんベタ惚れってことだよね」

    「そう。あれはベタ惚れだ。ああいう右京は初めて見たかもなあと、思ったぐらいだね」

    「っていうか。おじちゃんって今まで何してきたの?」

    「さあなあ?」

    「知っているだろ、親父。教えてよ!」

    「さあなあ??」


     真一が、いつの間にか葉月にではなく、自然と父親である純一に話しかけてきた。

     そして純一も笑顔で息子の言葉に耳を傾け、その言葉にちゃんと応えている。

     なんだか、やっと……葉月の目の前で、二人がこの一年で培い距離を縮めてきたものと本来あるべきだった父子関係を見せてくれた気がして、今度は感激の涙がこぼれそうになったが堪える。VigRx


     顔つきがそっくりな父子。

     そして母親譲りの栗毛は、ここに座っている若叔母と同じ栗毛。

     この三人。確かに繋がっている家族なのだけれど……。


     ついに葉月の目尻から涙がこぼれてしまった。

     本当なら、ここに座っている『栗毛の女性』は『皐月姉』だっただろう。

     きっと、とてつもなく傷ついた心と身体を、ひとつの命を産み落とすためだけに、なんとか鞭を打つ思いで生かしてきたと思う。そうして生まれた目の前の男の子が、笑っている。姉が愛した男性、この子の父親と笑っている。

     その世界がもしあったのなら、葉月はきっとそれで満足だったと思う。


     それなのに。何故、その世界は奪われたのだろう?

     それ以上に、何故、姉は命を奪われたのだろう?

     どうして、あの『瀬川アルド』と再び接触することになったのだろう?


     純一は知っているのだろうか?

     どうして姉が殺されてしまったのかを。


     葉月は椅子の背もたれに挟んでいるハンドバッグにふと触れる。

     そこに、それを問うための写真が忍ばせてある。

     こんなに幸せな、穏やかな時間に包まれているこの場で、言わなくてはいけないのだろうか?

     やはり、今日も言えなくなるのだろうか? そんな気にさせられるほど、今、目の前で葉月の心を安らげてくれている光景は、待ち望んだものだから。それを壊したくなくなってきた。


    「……葉月ちゃん?」

    「どうした、葉月」


     きらきらと笑い合っていた父子が、葉月の涙に気がついてしまったようだ。

     慌てて涙を拭き取り、葉月は微笑む。


    「だって。やっと兄様としんちゃんの親子の姿が見られた気がして……」


     それも本当の気持ちで。

     だけれど、涙の訳の半分はどうしようもなく消えることのない哀しみが原因。

     しかし、葉月は笑顔でそれを隠した。


    「あのね。葉月ちゃん、ずうっと前から、有難うね。葉月ちゃんだけだったよ。俺と親父は向き合える親子なんだって、教えようとしてくれたの……」

    「葉月、俺達のことをずっと見守ってくれる中、なにもしようとしない俺の為に何度も心を痛めたことだろう。すまなかった。だが、感謝している」


     その言葉、意識を戻した時にも聞いたけれど、そうして父子が揃って言ってくれると、葉月も感慨深いものが込み上げてくる。

     ついに涙が溢れてしまった。そして『そんなことはない』とそっと無言で首を振る。


    「でも、こうなれたから。なんでもないわ、もう。見たかったの、そんな二人を。だから今、私はすごく幸せ」


     涙を拭いて微笑むと、目の前の二人は顔を見合わせ、葉月が望んでいる輝く笑顔を見せてくれる。

     それが義妹が、叔母が、望んでいることだと二人の心は通じ合っているようで、それがまた葉月に涙を流させる。


     穏やかな時間の中、食事は進んでいった。


    「このあと、何処に行くの? 葉月ちゃん」

    「うん、知っているブティックとか」

    「俺、葉月ちゃんに似合う服、選んであげようか?」

    「え? しんちゃんが?」

    「ガキのくせに一丁前に。じゃあこうしよう。俺も選んでみよう」

    「よおし。どっちが葉月ちゃんに気に入ってもらえるか勝負だ!」


     純一が『生意気な』と顔をしかめたが、やっぱり最後は三人で笑い合う。

     ……もう、駄目だと葉月は思った。今日は告げられるような雰囲気ではなかったと。


    「そうだ。今度は隼人と一緒に食事に出かけようじゃないか」

    「いいね、それ。今度は四人家族だね」

    「また土曜日にでも、隼人が帰ってきたら一緒に出かけるか」

    「うんうん。いいね!」


     今度は『四人家族』。

     その言葉に葉月はハッとさせられた。

     今までずうっと隼人は蚊帳の外。今回もそれを分かっていて彼はこの三人家族の形を尊重して、距離を置くためにも小笠原に帰ってしまったのだ。

     そんな状態であるのを、そして隼人がそこを気遣ってくれていたことを、義兄は知っていたのだろうか? 純一から『隼人も一緒に』と言ってくれたことにも驚いたし、そんな父親の気持ちを直ぐに察したかのように甥っ子が無邪気にまとめた一言『四人家族』にもハッとさせられる。

     また、涙が出てきそうになる。私達はこれから、もっともっと『家族』になれるのだって。

     その時、隼人が声が聞こえてきた。

     彼の『早く義兄さんに言うべきだと思う』とか『頑張れ』と言ってくれた声が。何のために俺が今、小笠原にいるのか。葉月忘れちゃいけない。まだお前にはやらなくてはならないことが残っているのだと。そんな声も聞こえてくる。きっとここにいたら、彼はそういうだろう。

     『家族』その一言が、ここにいる誰の中にも刻まれているなら、今から起こることも乗り越えていけるはずだろう。次ぎに帰ってくる夫の心に応えるためにもと、葉月は心を強くしようとする。


     葉月はついに意を決した。

     背にあるハンドバッグを手にし、それを開け、ハンカチに包んできたあの写真を取り出す。


    「二人とも有難う。今のね『家族』という一言で勇気が出たわ」


     なんの勇気がいるのだろうかとばかりに、話の方向に合わないことを言い出した葉月を二人は訝しそうに見ている。

     だが、葉月の様子を直ぐに察した真一が、表情を固め背筋を伸ばし姿勢を正した。

     とにかく不思議そうなのは、そんな義妹と息子の様子が変わったことに気がついた純一だった。


    「義兄様に話が」

    「なんだ……」


     彼の声も構えていた。楽しい食事の席で、幸せを噛みしめる席での話で申し訳ないが、もうこれ以上は先延ばしすることが出来ない重要なことと心得えて葉月は、手にしているハンカチの包みをテーブルの中央に置いた。

     それは真一も初めて目にするもの。彼の目の前で見せても良いものか躊躇ったが、先日、真一を一人の家族として一緒に戦って欲しいと言ったばかり。きっと真一も受け止めてくれる強さはあると信じながら、葉月は赤い花が描かれている薄いハンカチの包みを静かに開いた。巨人倍増


     そこに、若き義兄と姉と……そして瀬川が写っている写真が現れる。

     既に真実を知っている真一の眼の色が変わり、両親と写っている男に釘付けになってしまっていた。その眼が燃えたようにも思えた。

    posted by NoName at 16:48| Comment(0)TrackBack(0)未設定

    2012年04月11日

    WINTER LOVER

    「初雪だ…」

     

           静かな闇の中を、綿のような雪がひらひらと舞い降りている。

     

          (こういうのを牡丹雪っていうのかな?)CROWN3000 

     

            秋吉優はカーテンに手を掛けながら、ベランダの窓越しにじっと夜空を見上げた。

     

            真っ暗な空から止めどなく落ちてくる、白く柔らかな花弁の乱舞。

     

           その景観の静かな迫力に胸が苦しくなり、優は小さく息を呑んだ。

     

          「寒っ…」

     

           二月の東京は、閉じた窓からさえ真冬の冷気が忍び込む。

     

           優は名残を惜しむようにそっとカーテンを引くと、部屋の真ん中に置かれたコタツの掛け布団を胸元までたっぷりと引き上げた。

     

           『bellamente』

     

           テーブルの上の紙袋に印刷された水色の文字。

     

           面接の時に店長が教えてくれた。『のんびり』とか『優雅に』を意味するイタリア語らしい。

     

           大学の帰り道にあった『bellamente』でアルバイトするようになって一年と九ヶ月。

     

           店長の他にアルバイト二人だけの小さなカフェだけれど、風通しが良く仄かに木の香が漂うこの店は、名前の通りとても居心地が良い

     

          のだ。

     

           (天気が悪かったせいか、今日は結構暇だったな…)

     

            店長は閉店時間前に空っぽになってしまった店内を見渡して、『もう上がっていいよ』と熱々の紙袋を優に手渡してくれた。

     

            三つ折りされた紙袋の口を開けた途端、酵母の匂いに混じってバルサミコ独特の濃厚な香りが鼻を突く。蒸し鶏とソテーしたゴボウ

     

          を挟んだ自家製のサンドイッチは『bellamente』自慢の一品だ。

     

           美味しそうな匂いに胃が刺激されたのか、優のお腹が『クゥ』と小さく鳴った。

     

           自身の子供のような反応が可笑しくて、一人きりの部屋で思わずくすりと笑ってしまう。

     

           優は注意深くサンドイッチを取り出すと、平らに伸ばした紙袋の上に置き直して『いただきます』と呟いた。

     

           自分から実家の長崎を出ようと思ったことは一度も無い。卒業後の進路を尋ねられた時も、地元の大学以外の選択肢があるな

     

          んて考えたことも無かった。

     

           だから父親に『一度地元を離れてみたらどうだ?』と言われた時は凄く驚いた。

     

           専業主婦の母親に、高校生になったばかりの妹が一人。決してお金に余裕がある家庭ではないのに、父が突然そんな事を言い出し

     

          た理由が未だに分からない。

     

           何とか志望の大学には進学出来たけれど、毎月の家賃や生活費の負担を考えれば、電話口から聞こえてくる誇らしげな両親の声で

     

          さえ少々重荷に感じてしまう。

     

           その一方で、日常の小さな決定権を与えられたこの生活が、自分にとって日増しに手放し難くなっていることも事実なのだ。

     

          「これ、どうしようかな…」

     

           今日、何度目かの小さな選択肢を前にして、優は深々と溜息を吐いた。

     

           テーブルの上には、色の違う二つの缶コーヒーがちょこんと並んで置かれている。

     

           普段は市販の缶コーヒーを飲む事なんて滅多に無い。でも、今夜は初雪の到来を知らせる寒さのせいか、店からの帰り道にどうして

     

          も熱いコーヒーが飲みたくなった。しかも、砂糖とクリームがたっぷり入った歯がとろけそうな甘いコーヒー。

     

           アパートの近くまで戻った優は、いつもは素通りする自販機の前で足を止めた。

     

           お目当てのコーヒーを見つけ、ちょっと浮き浮きした気分でボタンを押す。

     

           けれど、ゴトンと転がり落ちてきたスチール缶を見た瞬間、優の『浮き浮き』はあっという間に『呆然』へと変わっていた。

     

          「うそ…」

     

           真っ黒なラベルに書かれた『ブラック無糖』の文字。

     

           恐らく業者が入れ違えたのだろう。優の掌には、押したボタンの見本と明らかに違う色の缶コーヒーが握られていた。

     

           我に返ってキョロキョロと辺りを見回しても、無人の駐車場に設置された自販機では品物の交換を頼みようもない。

     

          「はぁ…」

     

           自分の間の悪さに軽くヘコみながらも、結局は甘いミルク入りのコーヒーを諦めきれず、優は再び小銭を投入口へ入れるはめ

     

          になった。

     

           そしてアパートに帰りついた今も、行儀よく並んだ黒と白の缶を前に、再び途方に暮れているという訳だ。

     

          (二つも飲んだら眠れなくなりそうだけど…)

     

           そうこう考えている間にも、小さな缶からはどんどん熱が奪われていきそうで気ばかりが焦る。

     

          「うん、やっぱりこっちは明日の朝に湯煎してから飲めばいいや」

     

           優がようやく決心してクリーム色の缶へ手を伸ばした時、玄関でチャイムが鳴った。

     

          「あっ、そういえば今日は一日だったっけ」

     

           指先に触れた感触がまだ熱いことにホッとしながら、急いで壁に掛ったインターホンを掴む。

     

          「はい」

     

          「こんばんは、宅配便です。お届け物に上がりました」

     

           予想通り。男性にしては少し高めの涼やかな声。もう何度も耳にしているので間違いない。  強力催眠謎幻水 

     

           ―― いつもの宅配屋さんだ。

     

           荷物の送り主も分かっている。日常雑貨が詰め込まれた月に一度の実家からの定期便。

     

           優は震えながら廊下へ出ると、印鑑を片手に玄関のドアノブをゆっくりと回した。

     

          (うわっ…)

     

           ドアを開けた瞬間、視界に飛び込んできた世界に一瞬で心を奪われた。

     

           さっきまでゆっくりと舞い落ちていた雪の花弁が、今は吹雪くように勢いを増して外の景色を白に覆い尽くしている。

     

          「長崎からのお荷物になります」

     

          「…あっ、はい。すみません」

     

           男の声に、慌てて目の前に意識を戻す。

     

           見慣れた色の帽子にスマートなセルフレームの眼鏡。

     

           CMでお馴染みの繋ぎの制服をすっきりと着こなして玄関に立つ男の姿も、もう幾度となく見慣れた光景だ。

     

          「荷物少し重いですけど、玄関の中に置きましょうか?」

     

          「いえ、大丈夫です」

     

           背の高い男の胸元にあった段ボール箱は、小柄な優が受け取った途端、視界の半分を覆い隠してしまう。

     

           足元が見えずモタモタと荷物の置き場所を探す優の様子を、男は玄関の扉を片手で押さえながらじっと見下ろしている。

     

          「受け取りのサインをお願いします」

     

          「あっ、はい」

     

          なんとか玄関の靴を潰さないよう荷物を下ろし終えた優は、急いで男の方へと向き直った。

     

         ―― クシュン。

     

          突然、目の前に差し出された伝票が揺れて、頭の上から小さなくしゃみが降ってきた。

     

           驚いて顔を上げると、男は大きく玄関の方へ首を逸らして続けざまのくしゃみを堪えている。

     

          「……すみません」

     

          「あっ、いいえ…」

     

           優は印鑑を捺しながら、男の顔をちらりと見上げた。

     

           綺麗に筋の通った鼻の頭が、少し赤くなっている。

     

          「ありがとうございました」

     

           捺印を確認した男は、丁寧に頭を下げながら扉に添えていた長い指をそっと外した。

     

           扉が閉まるにつれ、自分の部屋とは別世界の情景が、まるで男を道連れにするようにゆっくりと視界から消えていく。

     

          「あのっ、ちょっと待ってて下さいっ」

     

          「えっ?」

     

           驚いて動きを止めた男を戸口に残したまま、優は回れ右をしてパタパタとリビングへ向かった。

     

           そして急いで玄関へと戻り、先程と同じ格好のまま突っ立っている男の胸元に黒の缶コーヒーを差し出した。

     

          「これ、どうぞ」

     

          「……」

     

           不自然な沈黙に視線を上げると、こちらを見返すレンズ越しの瞳に困惑の色がはっきりと浮かんでいる。

     

          「 あっ、要らないならいいんですっ」

     

           男の表情を見た途端、頭の中が軽いパニックになった。

     

          「あっ、あの、さっき間違って二つ買っちゃったんで。それで、もし良かったらって…」

     

           しどろもどろに弁解しながらも、自分の場違いな行動が恥ずかしくて首から上が燃えるように熱くなる。

     

          (ちょっと考えれば分かることなのに―― )

     

           知らない人間から口に入れる物を貰うなんて、気持ち悪いに決まっている。

     

           大学で友人達にからかわれる度、田舎者みたいなマネは止めなくちゃって凄く反省するのに、またやってしまった。

     

          (僕はどうしてこう……)

     

           男の方へ差し出していた腕が、のろのろと下がっていく。

     

           少し泣きたい気分で『ごめんなさい』と言い掛けた時、優の掌から、そっと缶コーヒーが抜き取られた。

     

          「ありがとうございます」

     

           顔を上げると、白に霞んだ景色の中で、男がコーヒーを片手にニッコリと微笑んでいた。

     

          「あっ、いえ…ご苦労様でした…」

     

           優は消え入りそうな声で頭を下げながら、静かにドアを閉めた。

     

           扉が閉まる瞬間、小さな雪がひとひら舞うように玄関へ滑り込んで、優の靴に触れた途端にすっと消えてしまった。


    「優!」

     

           快活な声に振り返ると、陽斗が肩のスポーツバックを揺らしながらこちらへ走って来るのが見える。

     

          手を上げて応えるのが恥ずかしくて、優は人気者の同級生が近づいてくるのをその場に立ち止まってじっと待った。午夜妖姫 

     

          「今日はもう講義終わり?」

     

          「うん」

     

           あんなに走っていたのに、追い付いた陽斗は息切れ一つしていない。講義棟が立ち並ぶ大学のメインストリートを、二人は肩を

     

          並べてゆっくりと歩き出した。

     

          「今日もバイトなのか?」

     

          「うん、夕方からだけど…陽斗はハンドボール?」

     

          「あぁ、今度の土曜にM大と試合なんだよ」

     

           まるで面倒臭がっているような口ぶりだが、生き生きとした表情を見れば陽斗がハンドボールを心から楽しんでいるのが分かる。

     

          「練習が無ければバイトまでの暇つぶしに付き合ってやれるのにな」

     

          「いいよ、そんな。僕もバイトの前に髪切りに行くつもりだから」

     

          「そうなの? そんな伸びてねぇじゃん」

     

          「伸びてるよー。後ろなんて肩についちゃってるし。二ヶ月以上切って無いんだよ?」

     

          「でも、何かいい感じじゃん。そんくらい長い方が優には似合うんじゃねぇの?」

     

           陽斗の節の目立つ指が、優の少しクセのある猫っ毛をくるくると巻きつけるようにして弄ぶ。

     

           耳の辺りがくすぐったくて肩を窄めると、陽斗が真っ黒な瞳を少しだけ細めて笑った。

     

          「駄目だよ。一応飲食店のバイトなんだから」

     

          「今時、長髪のウェイターなんて珍しくもねぇよ…ってか、今日火曜日だぞ。ヘアサロン休みじゃねぇの?」

     

          「えっ? 美容室の定休日は月曜でしょ?」

     

          「それ、優の地元の話だろ? こっちじゃ火曜休みが殆どだぜ。まぁ違うとこもあるんだろうけど、俺が教えた店なら火曜が休みで

     

          間違いないよ」

     

          「―― そうなの?」

     

           メンバーズカードを確認するまでも無さそうだった。

     

           優が通っている美容室は、元々陽斗が自分の行きつけとして紹介してくれた店だ。きっと今までは、運良く火曜日に当たらなかった

     

          だけなのだろう。

     

          「優は相変わらず抜けてんなぁ。でも、これからはちゃんと予約した方がいいぜ。急に行って待たされたら嫌だろ?」

     

          「…うん」

     

           予定が狂ったことに拍子抜けしていると、いつものように陽斗のお小言が始まってしまった。

     

           本当は予約した方が良いことぐらい分かっている。でも、いつも何となくそれが出来ない。

     

           相手の表情の分からない電話は子供の頃から苦手だった。

     

          「どうする? 一旦アパートまで戻るのも面倒だろ? 少し位なら、俺、付き合おうか?」

     

          「ううん、大丈夫。他に行きたい所もあるし」

     

           横から覗き込んできた心配気な瞳に、思わず吹き出してしまいそうになる。

     

           入学してすぐの頃、全く興味の無いサークルにしつこく勧誘されているところを助けてくれたのが陽斗だった。

     

           その時は相手に向けられた視線があんまり鋭かったので、正直サークルの先輩達より陽斗の方が恐かったくらいなのに――。

     

           あれから二年近くが経つけれど、自分に向けられる陽斗の眼差しは、友達というより小学生の弟を見つめる兄のようだ。

     

          「行きたい所って?」

     

          「ブックセンター。欲しい写真集があるんだけど、小さな店だとなかなか置いてないんだ」

     

          「何? エッチなグラビアとか?」

     

          「ち、違うよっ!」

     

           ビックリして首を横に振ると、陽斗がブルゾンのポケットに手を突っ込んだまま、お腹を捩ってゲラゲラと笑い出した。

     

          「分かってるよ。そんな真剣に否定すんなよ。こっちの方が恥ずかしくなんだろ?」

     

          「は、陽斗が変なこと言うからじゃないかっ」

     

           後ろ暗い事など無い筈なのに、こんな他愛もない軽口にさえ動揺してしまう自分が情けない。

     

           真っ赤になった顔をからかわれるのが嫌で下を向くと、苦笑いした陽斗に大きな掌でポンポンと頭を叩かれた。

     

          「ごめん、ごめん。優の反応が可愛いからついさ……あ~、何か余計話し辛い雰囲気にしちゃったかな?」

     

          「…何が?」

     

           陽斗は珍しく歯切れの悪い口調で、男らしくすっと伸びた眉根を寄せて冬晴れの空を仰いでいる。

     

          「ん~、実は、麻紀に伝言頼まれててさ」

     

          「佐々木さんに?」

     

          「優に紹介したい子がいるんだってよ。麻紀の学部の友達らしいんだけど…優のバイト先にも行ったことがあるらしいぜ?」

     

          「『bellamente』に?」

     

          「あぁ。小柄で髪の長い子とか言ってたかなぁ。…悪りぃ、名前聞いたけど忘れた。心当たりあるか?」

     

           優は陽斗の顔を見上げながら無言で首を振った。思いがけない展開に不安な気持ちが広がってゆく。

     

           お互い面識はあるものの、自分にとっての佐々木は『親友が所属している部活のマネージャー』という存在でしかない。

     

           そんな彼女に更に顔も思い浮かばない女の子を紹介されても、戸惑い以外の感情など全く湧いてこない。

     

          「―― 優、どうする?」

     

          「ごめん、僕……」

     

           最後まで言い終わらないうちに、陽斗の大声がその後のセリフを遮った。

     

          「了解! だよなっ、優は話した事もない女とデートする程軽くねぇよな」

     

          「そんな事無いけど…」

     

          「困らせて悪かったな? 麻紀のヤツ、俺が伝言を断ったら、優のとこに直談判しに行きそうな勢いだったからさ」蔵秘雄精

     

          「…うん、ありがとう」

     

           佐々木に直接押しかけられたりしたら、自分はきっとその子に会うのを断り切れなくなってしまう。

     

           そんな自分の性格を、陽斗がちゃんと理解してくれているのが嬉しかった。

     

          「でも、断ったりして大丈夫なのかな? 佐々木さんとその子、気まずくなったりしないかな?」

     

          「気にする事ねぇよ。そもそも他人のデートの橋渡しなんて安請け合いする方が悪いんだからよ」

     

          「そんな言い方したら申し訳ないよ。佐々木さんは、僕がモテないこと心配してわざわざ自分の友達を紹介してくれてるんだし」

     

          「―― 優、そういう言い方すんなって」

     

           陽斗の声が少しだけ険しくなった。

     

          「お前、自分がみんなに好かれてるの分からねぇの? 今日の事だって、優に一目惚れしたって子が麻紀に紹介頼んできた話な

     

          んだぞ? 気乗りしない相手と付き合う必要なんてねぇけど、自分の事を理由もなく卑下するのは止めろよなっ」

     

          「ご、ごめん――」

     

           言われた言葉よりも、陽斗を怒らせてしまったことにビックリして足が止まる。

     

          すると、陽斗は盛大な溜息を一つ吐いて、ゲンコツを作った両手で優のこめかみをグリグリと挟み込んできた。

     

          「いっ、陽斗、痛いって!」

     

          「そうやって、よく考えもしないですぐに謝る癖も止めろって言っただろ?」

     

          「だって、陽斗が急におっかない顔するからじゃないかっ」

     

          「はぁ? 俺は元からこういう顔なんだよ」

     

          ニヤリと笑いながら日焼けした腕を首に絡ませてくる陽斗の口調は、弟をからかうようないつもの調子に戻っている。 

     

          「優、今度の試合、見に来られるだろ?」

     

          「うん、なるべくバイトの休み貰えるように頼んでみるね」

     

          「あぁ。俺、リーグ戦の得点王狙うからさ、ぜってぇ見に来いよ」

     

           正門を出たところで足を止めると、陽斗は『じゃあな』と軽く優の頭に手を置いて通りの向こうへと渡って行った。

     

          「あっ、そうだ」

     

          「何?」

     

          「さっき俺と一緒に居た野郎がさ、誰かさんの後ろ姿見て『可愛い女の子かと思ったのに―― 』ってショック受けてたぜ」

     

          「えっ?」

     

          陽斗は悪戯っぽい表情でチラッとこちらへ振り返ると、まるで風のようなスピードでグラウンドへと駆け下りて行ってしまう。

     

          「それって、やっぱり早く髪切れって事じゃないかっ」

     

           優は色白の頬を膨らませながら、眩しい親友の後ろ姿を少し不貞腐れた顔で見送った。夜狼神

     

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    2012年04月27日

    廃都未来ヴィジョン

    お前は悪魔だよ。冷たくて臭い。暖炉にくべる薪にもなりゃしないんだ。




     心の宇宙の彼方から、怨霊が唱える呪詛のように響き続けているその声を、少女は持ち前の思考で今日も無視していた。V26 即効ダイエット

     無視しなくてはならないほど苦痛を与えてくるその声は、しかし心の芯に響き続けているからこそ、今の自分を保つモチベーションとなっている。

     赤毛は満足に櫛を通せず今日もボサボサだったが、視界に影響が出る前に散髪したばかりだ。ファッションセンスなど微塵も気に掛けている余裕が無い衣服のくすみ加減も、いつも通り。

     この世界は何もかもがくすんでいる。

     腐った肉体が骨を覗かせるように。色彩が褪せて、その内側から鉄骨をだらしなく晒し、凍傷を引き起こしかねない寒風に当たって、風化していくだけの寂然とした風景。

     地方都市の片田舎も不況で随分街並みとライフラインが廃れ、貧民窟と大差無いと悪評紛々たる運営結果を叩きだしている。

     裕福なんて言葉は死語になりつつある時代だ。


     廃材が堆積するスクラップ置き場が増加の一途を辿る中、エンという名の少女が身を寄せるこの崩れかけの建物も、あと一歩で巨大なスクラップオブジェになろうかという廃校だった。

     とうの昔に極寒の脅威にさらされた生徒と教師は疎開し、残って朽ち果てるだけだったカラッポの校舎に、この街の冬災孤児が勝手に住み着いた。その様は錆びた下水道に群がるドブネズミのようでもあった。

     傍から見ればチュウチュウと鳴いて煩わしいだろうが、少女から見た廃校の中は温かさに溢れている。体感温度だけでなく、心にまで染み込んでくる温もり。

     小汚い格好をした七歳から十歳くらいの少年少女達が、『廊下を走らないこと!』とプリントされたポスターが貼られた廊下を遠慮無く走り回る。

     歓声と喚声が混ざって楽しげに戯れるざわめきが、人の気配も建物の密度もスカスカの廃校を彩った。

     そんなやんちゃな彼らへ、エンは大声をはばかることなく飛ばす。

    「みんなー! お昼ご飯が出来てますよ、早く家庭科室にいかないとご飯がなくなっちゃうかもぉー」

     間延びした呼びかけに、子供達は違う意味でざわめき、もつれ合いながら慌てて家庭科室へ走り出す。極貧生活を送っている野良の孤児達にとって、食事は何にも勝る楽しみであり生命線だから。

    「まってー、ノーラちゃんが転んじゃったー」「バカ、午後は姫様の定期検診の時間だろ。その前に早く保健室で手当てしてこいよ」「わぁーん」「ハラへったー!」「おれもう食っちゃった、あとで体育館に集合な」「なにして遊ぶの?」「サッカー!」

     厭世観もなにもない無垢な騒音がエンを中州の石にして、左右に分かたれて過ぎ去っていく。どの子供達も、エンの腕や服をタッチして挨拶代わりにするし、「姫様」と気楽なトーンで呼びかけてくるのもいつものこと。

     貴族の出などといった高尚な身分では決してなく、質素な食事に祈りを捧げるようなごく一般家庭に生まれたエンとしては苦笑するしかない。祈ったことなんかないけれど。

    「姫様、か」

     エンの両手はブリキのトレーで塞がっていた。

     乗っているのは二人分の食事、固い黒パンと湯気の立ったスープ、コップ一杯の水。スープには奮発して肉を入れてみた。カケラだけど。

     これからエンが向かうところ、そこに居座る人は典型的な機工技術屋で気を抜くと食事を忘れてしまう生活破綻者である。

     彼がスクラップ置き場から拾ってきた機械を修理したものが、小銭になって廃校の子供達の生活を支える一端になっているのだ。

     だから自分たちを金銭面で支えてくれる彼を支えるのは、同じく廃校の年長者であるエンの役目だ。二つ違いの十六歳の彼、冬災孤児としても歳がいっているほうである。

     そして、エンが自分からそうしたいと心から想うことが出来る人。

     彼こそ、姫様などという恐れ多い渾名をエンに与えた発信源なのだった。


     




     昔は生徒達が材料や道具を手に、思い思いに腕を振るっていただろう図画工作室。

     しかし割と規則正しかっただろう教室の風景もアナーキーに様変わりし、今では『彼』専用のアトリエと化している。

     作業に熱中している彼の手元を狂わせないように、そっと教室の前扉から入室したエンは、改めて室内を見回した。

     入った途端に濃い鉄錆と金物の匂いが迎えるこの教室は、彼がスクラップ置き場で集めてきた廃材で埋め尽くされていた。

     棚にはこんもりと鉄屑の山ができているし、ロッカーにも使えそうな部品と材料、工具が雑然と詰め込まれている。

     一見不規則に放って置かれているように見えるがそれは彼なりに規則性をもっており、不用意に触ると泣きそうな顔をして「やめてぇ」と懇願されるのだ。

     すっかり工作の遊び場になってしまった教室の中央から少し外れたところ、元は長机や木製の椅子があったところをすっかり撤去して、代わりに様々な部品がグループになって床に並べられている場所がある(エンにしてみれ、散らばっている、だ)。

     そこに彼は胡座を掻いて座り、こちらに背を向けて黙々と作業をしていた。

     まるで機械の残骸を従えた王様みたいに、我が物顔で熱中している。

     ボサボサの黒髪を、首の後ろで大雑把に結わいている。動物のしっぽみたいに儚くしおれた毛先が、胸の高さのあたりで服に張り付いていた。

     呼びかけるときはいつも緊張した。その人が作り上げた世界に、自分という存在が踏み込んでいく。それが彼の場合となると、腹の底に微量の高揚感が伴うのだ。


    「あのー……」

    「……」反応無し。

    「ヨルアキ。ヨルアキさーん。……ねぇ、ちょっと」

     こんなに近くまで接近して、肩を叩いているのにまるっきりスルーされるとは。

     彼の邪魔をしたくないのに、そんな努力はいつも水泡に帰す。

     だからエンは溜息をこっそりついて、トレーを脇に置く。これから自分のすることを想像すると、感情が揺らめいて、体内サーキットの放熱量があがった。

    「えい」OB蛋白痩身素(3代)

     最終手段として、彼の背中にぴったりと身をくっつけて抱きしめた。のみならず彼の髪を掻き上げ、うなじに吐息をかけて囁く。

    「ヨ・ル・ア・キ」

    「うわあああ!?」

     いつもこっちの方がビックリしてしまうほどの絶叫、狼狽、半泣き、全てがチキンのように弱虫な性質からくるオーバーリアクション。しかしこれが彼、ヨルアキだった。

     工具を放り出すまでに驚いたヨルアキは、身を捻って若干後退る。面白いくらいに引きつった表情は、よっぽど作業に高揚していたのか頬の血色がいい。

    「姫様ぁ、おどろかさないでくださいよぅ。僕、心臓が止まるかと……!」

     ビクビクと情けなく振る舞う様は気の小さい小動物を彷彿とさせる。自分たちを守ってくれているのに、思わずエンの方が守ってあげたくなる可愛い部分が彼には備わっていた。

     知らずと花が咲くほどの笑みを浮かべ、照れくさく進言。

    「あの、姫様って恥ずかしいからやめてくれませんか? もっと、ちゃんと名前で呼ぶとか……」

    「姫様は姫様だよ、みんなに愛されるようにっていう験担ぎみたいなものだし」

     蚤の心臓を持っているくせに、この部分だけは断固として譲歩しない。

     ヨルアキにしてみれば、カイロサーキットを搭載しているエンは金を稼ぐことよりも尊い存在なのだとして、事あるごとに姫様と呼ばわる。そのせいで、年少組まで真似し始めてしまった。

     自分はそんなにすごい人でもなんでもないのに。

     エンが機嫌を損ねる前に、ヨルアキは早々に話題転換を試みる。傍らで辛抱強く二人の掛け合いを傍観していたトレーに目をつけたのだ。

     これ見よがしに引き寄せ、「うわあ美味しそう」なんてのたまっている。

    「そろそろ黒パンの在庫が無くなる頃かな。配給日はいつだったっけ」

    「今日です。ヤルマリさんが定期検診にきてくださる日なので」

     各所で根城にしている冬災孤児は、自力だけで生き残るのは難しい。

     かくいう廃校の冬災孤児達も、ヨルアキの機械修理と、それからおまけにエンの小規模なハーブ作りだけでまかなえている訳ではなかった。

     タダでさえ切り詰めた生活だったところを、教会が冬災孤児たちの集まりを見つけては可能な限り保護グループに指定して、物資を定期的に配給してくれるのだ。

     世界情勢が衰弱に傾いている今、なにかと不便な環境で少ない配給物資は貴重品である。


     教会とは、旧時代では主に神に祈る信仰団体だったが、現代ではもっと現実的に困っている人を助ける慈善活動団体という概念が浸透している。

     神に祈るだけの団体だったら孤児たちにしてみれば唾を吐いているところだったが、お布施と政府の支援金を元に力の弱き者達に手を差し伸べ、孤児達のための養育施設まで建てるほど活動の幅は精力的だ。

     当然着実な実績があれば、市民の投資も力が入る。

     その活動内容の一つに、生き暮れている孤児達への物資配給制度と仕事の斡旋がある。

     残念ながら養育施設は有限にしてまだ数が少なく、全ての孤児を受け入れるには至らないからだ。

     永遠の冬によって厳しい生活を余儀なくされた冬災孤児の数は世界規模で多い。

     そのため、教会から派遣された担当の人間が孤児のグループと接触し、教会との橋渡し役になるのだ。これだけで犬の糞よりも最低な生活がグンとマシになる。

     一年中積雪がひどい世界をわざわざ足を運んでくれる彼らに、昔の宗教的胡散臭さも狂信めいた危うさもないところが、孤児達には受けがよかった。

     エン達が身を寄せる廃校を担当するのは、ヤルマリという青年で、いくら信仰心薄い教会でも、彼の場合は教会という組織にそぐわない態度の若者なのだった。

     今日その若者がくるとしたら、校庭に面しているこの教室からでも見えるはず。


    「いただきます」

     両手を合わせて極短い祈りを捧げるヨルアキ。いそいそと食事に手をつける彼の頭越しに、何気なく視線を校庭に向けてみた。

     エンが生まれる前、校庭というのは生徒達の巨大な屋外運動場だったらしい。

     白い粉でラインを幾重にも引いて、土がむき出しになった地面の上で走ったり飛んだり球を投げたり。思いっきり運動できるのはさぞかし爽快だっただろうな、とちょっぴり羨ましくなる。

     見える風景はいつもの雪景色。大人の腰の高さまで積もった分厚い処女雪と、校庭の向こう側が霞んでしまうほど白が混じった大気の揺らめき、そして静かに降り積もる白い粒。

     エンが生まれてから、雪が降らない日はあっても、地上から雪が無くなる日なんてなかった。きっとこれからも無いだろう。そういう世界になってしまったのだから。

    「今日はまた雪が降ってますね。白い妖精が踊っているみたいで、素敵ですねー」

    「い、いつも雪ばっかじゃないか。もう見飽きて感覚が麻痺してるよ」

     千切った黒パンを噎せ返し、トントンと胸を叩いてヨルアキが言う。少し水を含みながら窓の外を見る彼の表情は、確かに無味乾燥な感想しか抱いていない様子。

    「それに雪っていったら、殺人雪花ってイメージだもん」

     終わらない冬景色は、人を死に至らしめる。寒さで、食糧不足で、積雪による家屋の倒壊で……。忌むべきものという認識が社会において壁の染みみたいに当然となっている。

     それでもエンは、雪を綺麗だと思う。白く無慈悲で、天使のようだから。天使の心も白紙で無慈悲で清廉潔白だから、綺麗な微笑みを浮かべて人を殺せるのだと思う。強効痩


     姫様も食べなよ、と言われてようやくエンも食事に手をつけた。スープの温度はさすがに冷めていたが、飲めば体が血を飲んだように生き返る。そのあいだも会話は続いた。

    「この降雪模様だと、今朝から雪掻きしておけばよかったね」

    「豪雪じゃないから、きっと大丈夫です。雪掻きもこの前したばかりですし、道が塞がれて困るなんてことはないですよ」

    「だといいね。姫様、体は平気?」

    「はい! ちゃんとサーキットは稼働してます。……もしかして、寒いですか?」

    「ううん、温かいよ! 姫様のおかげ。それだけじゃなくて、姫様の体調も」

    「まだまだ動けますとも。心配してくれてありがとうございます」

     これ見よがしに、ガッツポーズをしてみる。私は薪だ、しかも簡単に燃え尽きることのない立派な薪。それを誇りとするように、体の奥で休むことなく動く機械仕掛けの鼓動を感じる。

     けれどもヨルアキは明るく笑ってみせるエンを見て、どことなく寂しげに笑い返した。

     そんな笑顔をさせるために、私は手術を受けたのではないのに。

     しんみりした空気に、どちらからともなく肩身を狭めていると。


     コンコン、とくぐもった音が大人しい空気を震わせた。窓ガラスのノック音が意味するところを、二人はすぐに理解する。もう一度、コンコン。今度は戯けるように。もしもし、人がいるのにどうして誰も出てこないの? そんな音。

     ヨルアキが立ち上がる前に、エンが強張りがちな体で素早く立ち上がる。まだまだ動けるうちに動きたいから。

     窓辺に立ち寄る。目が痛くなるほど眩しい白霞を背景に置いて、青年が立っていた。

     外套用に改造された神官服を着てもなお寒そうに肩を丸めた青年。収納箇所の多い背嚢は今日も荷物でパンパンに膨らんでいる。一眼式の雪除けゴーグルは暗幕がかり、視線の力を減衰させてなにを考えているのか読み取らせない。

     窓を開けると、室内に籠もっていた暖気が急速に外へと吸い込まれていった。雪の吐息が風に散らされてホーホーと唸り声をあげる。

    「こんにちは、ヤルマリさん!」

     風の音に負けないよう声のボリュームを若干上げる。

    「ん。どーも」

     対する青年、ヤルマリはローテンションで応え、ゴーグルを額まで押し上げた。ゴーグルが無くても彼の瞳は感情の起伏が薄い。分厚い手袋に包まれた手をいきなり室内に突っ込み、教室の空気を値踏みするように触れた。

    「そっちは見たところ昼飯か。……うん、中も懐炉力場が問題なく働いている。お前の感情が波打っている証拠、まずまず良いんじゃない?」

     えへへ。褒められてだらしなく頬が緩むのを止められない。サーキット放熱量、上昇。

     ヤルマリは嬉しそうなエンに構わず、立てた親指で校庭の向こうを指した。

    「トラックの中に配給分の物資がある。お前らも積み卸し手伝うように。手伝った奴にはもれなく俺特製のコーヒーを淹れてやろう。インスタントだが」

     淡泊な軽口にエンは微苦笑した。子供達の手と時々手伝ってくれるヤルマリの手だけでは、精々校庭を人が出入りできる道を作るので精一杯だ。そこで校庭の外に停車したトラックから校舎まで、手動で物資を運び入れる作業が待っている。

     ただし、エンはその作業に参加することができない。

     身体的な面もあるが、懐炉力場の中心であるエンが冬災孤児のねぐらである廃校から出てしまえば、たちまち廃校は凍えてしまう。

     手伝えないことを歯がゆいと思う。手伝っていないのにヤルマリはエンのぶんまでコーヒーを淹れてくれるのだから、なおさら申し訳なかった。


    「そろそろ寒さの限界だ。俺は一足先に保健室にいってる。エンも食事が済んだら検診にくるように。ヨルアキ、修理した機械で良いのがあったら見せて、こっちで買い取るから」

    「は、はい! よろしくお願い、します!」

     急に話を振られてビックリしたヨルアキの、しどろもどろしたいらえ。慌てた拍子にスープを零しそうになってさらにまごついている様子に、ヤルマリと二人で笑った。

     いつも通り、なにもかもいつも通りに過ぎ去っていく。いつかは終わりを告げる生活だと分かっていても、少なくともそれは今では無いとエンは信じていた。

     それなのに、現実はここぞというときに走り出す。人生の主人公の承諾もなしに。

     和んだ空気をピシャリと打ったのは、廊下の方から慌ただしく走ってくる足音だった。

     外で走り回るという観念に疎い子供達が、身の内側から溢れるバイタリティの赴くがままに校内を走る。それだけならばいつもの光景。

     しかし足音を聞いたエンは、嫌な予感を抱かずにはいられなかった。

     果たして教室の扉を無遠慮に叩き開けた年少組の男の子が、血相を変えて飛び込んできた。否、興奮に染まった表情にはどこか妙な期待感も混じっている。

    「姫様! ヨル! たいへん、たいへん!」

     三人のうちの誰かが何事かと問う前に、男の子は鼻息荒く捲し立てた。

    「体育館倉庫で死体が見つかったんだって! サッカーで遊んでたやつらが見つけた!」

     ……死体?

     驚き固まったのも一瞬のこと、それまでボケーッとしていたヨルアキが打って変わった俊敏さで教室を出て行った。弱虫な性格なのにこういうときはなんだかんだいってお兄ちゃんな一面を見せる。美諾荷葉纖姿

     残されたエンはポカンとしたまま、これだから彼の背中には届かないんだと思った。だって自分はこれからもずっと世界に取り残されるしかないんだから。

     

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    2012年05月08日

    煌めく王宮

    グランディーナ王国の宮殿――ロンタール宮は、王都グランディーナの最奥に位置する。

     豪華絢爛な建物と広大な庭園からなる宮殿で、いくつかの離宮を備え、その中の一つ『花の離宮』に、コンスタンツェ姫は現在滞在していることになっていた。SPANISCHE FLIEGE

     実際は二か月前から行方知れずになっており、ジークフリードが秘密裏に国中を探しているのだが、その事実は限られた人間にしか知らされていない。

     ジークフリードとモーザン、アルフレッド王子、実際に姫の身の回りの世話をしていた侍女数名。

     その他の者は、たとえ『花の離宮』の警備に当たっている衛士であっても、まさかコンスタンツェ姫が離宮を出ているとは思ってもいなかった。

     そのため、夜を縫って宮殿に入ったリリーアたちは、まず宮殿の衛士に呼び止められ、次いで離宮の衛士に呼び止められた。

     宮殿の入り口では、顔を晒したジークフリードが、リリーアのことを「私の女」だと不本意ながら紹介し、事なきを得た。

     しかし離宮の入り口では、いかに王子の信頼が厚い近衛騎士であったとしても、「ジークフリードの女」という肩書きぐらいでリリーアをも通してもらえるとは思えない。

     離宮には現在、「デモネイラの妖精」と謳われるコンスタンツェ姫が滞在している。

     もし万が一のことがあってはならないと、衛士たちは相当肩に力が入っている様子だった。

     それを見越した上で、ジークフリードはリリーアに、「ちょうどいい機会だからあいつらに顔を見せてみろ」と提案した。

    「え?」

     驚くリリーアに、少し面白がっているふうの顔で頷いてみせる。

    「いいから。絶対大丈夫だから」

     その自信はいったいどこから来るのだろう。

     内心ため息をつきながらも、いざとなったらすべての罪はジークフリードになすりつければいいと思い、リリーアは頭に被っていたフードを取った。

     現れ出た小さな白い顔を見て、衛士たちが息を吞んだ音がリリーアにもハッキリと聞こえた。

    「少し出かけておられたので、ここまで護衛して来た。すっかり遅くなってしまわれたが……」

     ジークフリードの堂々たる嘘に少し首を傾げながらも、衛士たちは彼女らが離宮に入ることを許可してくれた。

     三人が通り過ぎた後で、

    「いったいいつ出かけられたんだ?」

    「いや、俺も気付かなかったが……」

    と小声の会話が交わされているようだが、ジークフリードはまったく意に介さない。

    「ほらやっぱり! パッと見には全然バレない」

     さも自慢げに鼻高々だが、モーザンが悪気のない素振りでチクリと釘をさす。

    「問題はこれからですよ?」

    「そんなことは分かってる!」

     上機嫌から不機嫌に、一気に気分が下降したジークフリードを見ながら、リリーアはなんとなく、どうしてこの人はいつもこんなに感情の起伏が激しいのだろうと、どうでもいいことを考えていた。




    「いいか。まずはあまり表情を崩さないようにしろ。笑う時は少し目元を綻ばせるくらい。眉間にしわを寄せて怪訝そうな顔をしない。常に気品を漂わせて優雅に。声が違うんだから、極力しゃべらないように!」

    「……努力します」

     怒涛の勢いで注文を出されても、リリーアにはそうとしか返答のしようがない。

     だったら、さっさと本物を探しに行けばいいじゃないかという言葉はかろうじて呑み込んだ。

     リリーアがつつがなくコンスタンツェ姫の身代わりを始めたら、ジークフリードは本物の姫を探しに、また旅に出ると約束してくれている。

     その時ついでに、リリーアの本当の身元も探してくれるとも――。

     か弱い少女一人では、到底旅することも出来ないような所まで、騎士であるジークフリードならば行くことが出来るだろう。

     自分で旅するよりもはるかに安全なこの王宮で、姫の身代わりを演じてジークフリードの帰りを待っている方が、数段楽なことはリリーアにもよく分かっていた。

     しかし――。

    「このお方は、私がお育てしたコンスタンツェ様ではございません」

     アルフレッド王子に引き合わせる前にまずは小手調べと、リリーアに面会させてみた数人の侍女の中で、デモネイラ王国からコンスタンツェ姫に付き従って来たマーラの目だけは、誤魔化すことが出来なかった。

     ジークフリードが、他の侍女に不審がられないようにマーラを別室に連れ込み、昏々と説得する。Motivator

    「そう。そうなんだ! だから私が本物の姫を探して来るまで、どうかあの娘を身代わりに仕立て上げておいてくれないか? あなた以外にはバレないように!」

     若い女性だったらコロッと頷いてしまいそうな、ジークフリードの必死の懇願にも、マーラはまったく動揺しなかった。

    「しばらくの間だけの……身代わりなのですね?」

     気難しそうな表情は一切崩さないまま、念を押すかのようにくり返す。

    「あ、ああ……」

     鋭さが勝る灰色の瞳からゆっくりと目を逸らしながら、ジークフリードは冷や汗もので返事をする。

    「一週間後に婚姻の儀が迫っておりますが?」

    「だからそれも含めて……」

    「…………承知しました」

     マーラが軽く頭を下げると同時に、追い詰めるような視線から解放され、ジークフリードはようやくホッと息をついた。

    「それでは……コンスタンツェ様は、婚礼が済んだら離宮から宮殿へと移られる予定なので、身の周りの世話をする人間を一新するという名目で、侍女を全部入れ替えましょう。以前と様子が違うようだと噂されたら困りますので……新しい侍女は出来るだけ良家の子女で、あまり機転が利きそうにはないタイプの娘をお願いします。護衛のほうは、引き続きジークフリード様が陣頭指揮に当たられるという事で……」

    「分かった」

     綿密に身代わり計画を練り、話し終わると同時に唇を真一文字に引き結んだマーラの様子を見て、ジークフリードは実に頼りになりそうだと嘆息した。

     感心したついでに、その他のことに関しても相談をしてみる。

    「じゃあ身代わりの件は、私とモーザンとマーラだけの秘密という事で……アルはどうしよう? 言った方がいいだろうか?」

     途端、マーラは先程まで以上に表情を厳しくして、激しく頭を振った。

    「いけません! 王太子殿下がそのような秘密を、誰にも悟られないように隠し通せられるとは思いません!」

    「だよな……」

     コンスタンツェ姫がいなくなった朝、麗しい顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、近衛隊舎の自分の部屋まで供もつけずに駆けて来た従弟の姿を思い出し、ジークフリードは苦笑した。

    「アルフレッド様にはニセモノの姫様だと知らせることはなく、滞りなく結婚の儀を済ませていただきます」

    「分かった」

     マーラの主張はもっともだと思い、ジークフリードは頷いた。

    「それでは、後のことはマーラに任せる」

     そう言い残して去って行ったジークフリードの背中を、してやったりという表情でマーラが見送っていたことは、彼には知る由もなかった。




    「それでは私が、これからリリーア様の教育に当たらせていただきますマーラです」

    「はあ……」

     リリーアが気のない返事をすると、すぐにマーラは眦を吊り上げた。

    「姫様は決してそのような物言いはなさいません! 『はい』と可愛らしく。小鳥の鳴くように」

    「……はい」

     それはいったいどんな声を言うのだろうと首を傾げながら、リリーアは取りあえず小さな声で返事した。

     マーラはまだ言いたいことがあるようだったが、意志の力で呑み込んだらしく、次はリリーアの背に手を伸ばす。蒼蝿水(FLY D5原液)

    「姿勢が悪い! 姫様は常にピンと背筋を伸ばして、物腰も優雅でした」

    「はぁ……じゃなかった、はいっ!」

     リリーアは慌てて少し前屈みになっていた腰を伸ばした。

     幾重にもレースに縁どられた豪華なドレスの重みが、ずっしりと肩にかかる。

     そうでなくても、ドレスの下にバニエやシュミーズやコルセットや、これまで身に着けたことがないような物を山のように着込んでいるというのに、それで背筋を伸ばしていられるとは、お姫様の背筋と腹筋は強靭過ぎる。

     長い髪にも腕や首にも様々な装飾品を飾られ、リリーアはまるで自分自身が衣装箪笥になったような気分だった。

    「よくお似合いですよ、コンスタンツェ様」

     部屋から出て行ったマーラと入れ替わりに、室内に入って来たのは、新しくリリーア付きになった三人の侍女だった。

     中で一番小柄な印象のユディが、ニコニコと褒めてくれる。育ちの良さを感じさせる、いかにもおっとりとした可愛らしい笑顔。

     お嬢さまと言うのは、彼女のような人を言うのかも知れないなどと思いながら、じっと見ていると、ついついリリーアまでつられてニコニコ笑ってしまいそうになる。

     姫君らしく――と必死にそれを我慢しながら、リリーアは軽く会釈した。

    「ありがとう」

    「あら……お礼をおっしゃるならもっとちゃんと笑われたらいいのに」

     わざとリリーアの耳に届くように、嫌味交じりに呟いたのはシンシアという少女だ。

     彼女は王家の流れを汲む名門中の名門貴族の令嬢らしく、常に高飛車で傲慢な態度を崩さない。

    「シンシア」

     やんわりとたしなめるユディからプンと顔を逸らして、シンシアは赤みの濃い巻き毛を揺らして腕組みをする。

     本来なら王太子妃の地位さえ望めるはずの彼女は、どうやら今回急な召集で、他国の姫君の侍女を命じられたことに納得していないようだ。

     挑戦的な目でリリーアを睨みつけている。

    「まあまあ、そうカッカしないで。それより姫様……今日は何時ごろジーク様はいらっしゃるの?」

     ピリピリとした部屋の空気をものともせず、シンシアとリリーアの間に割って入って来たのは、ミランダという他の少女よりも少し年長の娘だった。

     スラリと背が高く細身のくせに、豊満な胸が自慢らしく、揃いの侍女のお仕着せを自己流にアレンジして、胸を強調するふうに着こなしている。

     色香を漂わせる声音と、鮮やかな紅が引かれたぽってりとした唇。

     リリーアの世話と言うよりは、いつも自分の爪とお肌の手入れに余念がなく、何のために姫君付きの侍女になったのかが一目瞭然だ。

    「さあ、私にはわかりません」

     なるべく頬が引きつらないように気をつけながら、リリーアが小さな声でそれだけを答えると、ミランダはくねくねと体をくねらす。

    「やぁん……待ち遠しぃ」

     襞がたっぷりのドレスの上に、何気なく置かれていたリリーアの小さな拳が、プルプルと震えた。

     どうしてジークフリードは、新しい侍女を選定する際に、家柄の良さと見た目の良さだけではなく、性格の良さも選考基準に盛り込んでくれなかったのだろう。

     堪えようもなく怒りが募る。

     しかしこれ以上腹をたてては、せっかくコンスタンツェ姫になりきろうと頑張っている仮面が全部剥がれてしまう。

    (どうせまたいつものように……面倒くさくて、適当に選んだんだわ……)

     諦め気味に心の中だけでため息をつきながら、リリーアはそう結論付けた。

     まだあまり長い付き合いではないのに、ジークフリードの悪いところを彼女はすっかり見極めってしまっている。

     達観しながらも、これは鍛錬だとばかりに無表情の練習を続ける。

     たおやかな姫君の身代わりというのも、なかなか簡単なものではないとリリーアは思ったMotivat

     

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    2012年05月15日

    彼が守りたいもの

    私を守るために銃で撃たれて怪我をしていた有翔。

     

    その傷が癒えていないのに無理を通して私を助けた彼は傷口が開いて倒れてしまった。

     

    医師の話では出血は大したことがなく、安静にしていればいいらしい。曲美

     

    当分の間は入院、少なくともこのGWの連休中は退院できそうにもない。

     

    彼との予定をしていた別荘にもいけそうにないな、残念。

     

    それは残念に思うけども、私も彼も無事だったことでよしとする。

     

    誘拐事件なんて巻き込まれたりしなければよかった。

     

    ……ホント、高篠の大バカ野郎、死んでしまえ。

     

    彼は今、警察の取り調べ中、事件の内容も徐々に明らかになっていく。

     

    単独犯ではなく、その配下にいたのはヤクザだった。

     

    以前から彼と付き合いがあったようで、そちらの調査も進んでいるみたい。

     

    今回の事件で高篠グループはピンチに追い込まれている様子だ。

     

    おバカな次男以外にも黒い噂はあったのでメディアもそこを狙い撃ち、出るわ出るわの問題でグループの株価は最安値を更新中、破産とはまではいかないものの、事業縮小は避けられそうにない。

     

    でも、これはこれで自業自得ね。

     

    誘拐事件が解決して、私は姉さんを含めて家族の皆に心配をかけた。

     

    お父様も海外から帰国してくれていて、本当に大変な事態になっていたのだと気付く。

     

    あのホテルにいた2日間は私としては大した出来事ではなかったのに世間ではかなりひどい事件になっていたギャップがあったの。

     

    護衛の皆もきららお姉様がお父様たちに話をつけてくれたおかげで解雇せずにすんだ。

     

    私の護衛失敗の責任で一度は解雇されていたらしい。

     

    ……というか、その中で私は驚く事実を知る。

     

    メイドの芽衣さんが実は女性護衛だったなんて。

     

    陰ながら私を守ってくれていた、全然知らなかったよ。

     

    有翔とよく部屋にいたのも彼を指導する立場だったからなんだって。

     

    よく誤解だって言っていたのもようやく納得できる。

     

    私はまだまだ子供だな、って思うんだ。

     

    好きな人のことしか見えていなくて周囲のことなんて目に入っていなかったの。

     

    これからはもう少し周囲を見てから判断していきたいな。

     

    有翔が芽衣さんと何も関係がなかったことにはホッと一安心。

     

    だって、やっぱりそういうところが気になるのはしょうがないでしょ。

     

    有翔は入院中でベッドに横になっていた。

     

    暇そうな顔でテレビのニュースを見ている。

     

    「事件は無事に解決。よかったじゃない」

     

    「結果としてお前が無傷だったのがすべてだ。怪我でもさせていたら『The END』だった。あの変態野郎が心奏を傷つけないように指示していたのが幸いだった」

     

    それにしても、あのホテル襲撃事件のような大きな事件を彼はなぜ起こしたのかな。

     

    私ひとりが目的ならもっと別の作戦もあったはずなのに。

     

    その辺りのことは有翔なりに推測している。

     

    「自己顕示欲。自分がすごいと社会的に認めさせる。彼は立派な兄がいる、兄と比べられ続けていたそうだ。だから、自分もすごい何かを成し遂げることができると思って、あえてあの規模の事件を起こしたんだろう」天天素

     

    「私の誘拐はおまけだったの?」

     

    「そちらが目的ではあるが、おまけなのはその事件を起こしたことによる社会の混乱だろうな。あいつが捕まって、ペラペラと自供しているのはそれさ」

     

    社会に自分という存在を知らしめる。

     

    本当に哀れな男だと私は思うが、そういう気持ちにさせられた事は分からなくもない。

     

    私もそうだ、年の離れた出来のいいふたりの姉と比べられ続けていた。

     

    誰だって人から認められて褒められたい。

     

    それに、高篠の起こした事件は富裕層と貧困層の溝を現実的に公開させた。

     

    当初は貧困層の人間が犯人だと思われていために報道もそちらを重視していたからだ。

     

    何かが直接的に大きく変わる、とまでは行かなくてもいい意味でも、悪い意味でもこの問題は表面化させられた。

     

    メディアは貧困層の報道を政府の規制もあって、これまでは大々的に報道できなかった。

     

    汚いものにはふたをする、今までは見て見ぬふりをしてきた現実。

     

    これから政府がどういう対応をとっていくのか、問題定義も現実味をおびてくる。

     

    経済の安定、格差の是正、貧困層の解消……日本は変わらなければいけない。

     

    日本がどういう道を選び進むのか、対立か共存か、それとも……。

     

    あ、ちなみにこれは全部、有翔の考えね。

     

    私はいまいち内容を理解していない。

     

    「よしっ、出来たぁ。見て、見て~っ」

     

    私はさきほどからずっと果物ナイフで切っていたリンゴを皿にのせた。

     

    「……それ、何だ?」

     

    「何って、うさぎさんだよ。うさぎリンゴ」

     

    「どう見ても未確認生命体、UMAなんだが。手先、不器用なのな」

     

    ちょっとばかり失敗して耳の部分がトゲトゲしくなっている、うぅ……。

     

    頑張ったんだから褒めてほしいのに。

     

    「仕方ないもんっ。ほら、食べてよ。あーん」

     

    「もぐっ……芽衣の方が綺麗にリンゴがむけていたんだがな」

     

    「わ、私と他の女の子を比べるの禁止っ!!」

     

    いつもの日常、有翔は私をからかって、兄妹みたいな関係を続けていた。

     

    けれども、あの事件の後から私を見る目が少しだけ有翔は変わったと思うの。

     

    どこが、とは言いにくいけれども。

     

    何だかちょっぴり優しくなったみたいだし。

     

    「傷は痛む?まだ痛いよね……」

     

    「寝てる限りは問題なしだ。この分だと早く退院できるんじゃないか?」

     

    「……そう。でも、無理しちゃだめよ。もう、誰も悲しい思いをさせないで」

     

    彼が倒れた時、私は血の気の引く思いをした。

     

    出血しているのに無理をして、私を助けだして。

     

    ……男の子らしいとは思うけども、正直、あんな辛い思いはもうしたくない。

     

    「分かってるさ。あれからいろんな人に怒られたからな」

     

    私の両親と護衛の皆からも彼は怒られていた。威可王

     

    もっと自分を大事にしろって。

     

    でも、皆が怒るのはそれだけ有翔の事が心配だったから。

     

    それに彼の両親も数日おきのこの病室を訪れていた。

     

    お互いに避け続けていた家族。

     

    ほんの少しだけ溝は埋まった様子なんだ。

     

    「……俺は退院したら一度実家に戻ろうと考えている」

     

    「えぇ!?帰っちゃうの!?」

     

    それは嫌だよ、だって一緒にいられなくなるもの。

     

    「いや、帰るって言っても話をしてくるだけだから。実際はそこまで関係修復していない。ただ、逃げ続けちゃダメなんだと思うんだ」

     

    彼が家を飛び出したのは現実を知るため。

     

    その現実を知り、自分が何をすべきかを有翔は気付き始めた。

     

    「……親父とも話をしようと思う。平行線で話にもならないかもしれないが、向き合うことが重要なんだと分かったから」

     

    彼は強くなったよ、心の成長を遂げている。

     

    「それともうひとつだけ、分かったことがあるんだ」

     

    有翔は私の方に右手を差し出してくる。

     

    その手を握ってみると、彼は笑みをみせてくれた。

     

    「守るという本当の意味を俺は知ることができた。何のために、どうして守るのか」

     

    有翔は護衛という仕事に憧れている。

     

    今回の事件だって一人前の護衛として行動していたもの。

     

    「ただ、守るだけじゃダメなんだ。命がけで盾になる、それは護衛の仕事ではない。俺は心奏を守るとき、敵を引き付けるためにお前から離れた。あの時のミスは結果的に心奏を誘拐させる隙に繋がった」

     

    「でも、あのときはああするしかなかったんじゃ……」

     

    「芽衣は俺に心奏の傍にいろと言った。それを守れなかった俺は護衛失格だった。俺は心奏を守りたい、そのための力をつけたいんだ」

     

    「それってライセンスを所得するってこと?」

     

    年齢制限はないけれど、護衛のライセンスはかなり難しいって聞いている。

     

    「あぁ。俺は目指すべき道を見つけたんだ」

     

    彼は富裕層の生まれなので護衛のライセンス所得には苦労もあるはず。

     

    それでもその道を彼は選んだ、自分の意志で。

     

    そっかぁ、有翔は護衛になるんだ。

     

    「私を守るための護衛。つまり、契約者は私?」

     

    「まぁ、ライセンスをとれたら採用してくれ」

     

    「分かったわよ。その代わり、専属にしてあげるから私以外は守っちゃダメよ」

     

    他のお嬢様を守るとか、そういう話になったら嫌だもん。

     

    プロの護衛という事はお金次第で動くということ。

     

    そんな可能性がなくはない、もちろん鏡野家の待遇は一流だという自負はある。

     

    「それは給料と待遇次第ということで」

     

    「何かいきなり現実的になった。ひどいよ、有翔」

     

    「いや、護衛が動くのはお金と……」

     

    じっと見る私の視線に彼は苦笑を浮かべていた。

     

    そんなリアルな話は聞きたくないよ。

     

    「冗談だ。でもさ、自分の能力を他で生かしたいと思うかもしれないじゃないか。そういう場合を考えて絶対は言えない。まぁ、これもすべてはプロの護衛に慣れてからの話だな。退院したら皆にいろいろと教えてもらうことにするよ」

     

    もしかしたら、彼は家に帰ると言っていたけど、その事を話すためなのかも。

     

    両親を説得して、自分の未来を突き進む。MaxMan

     

    握り返してくれる手を私は離さずにいる。

     

    「……ねぇ、有翔。退院したら別荘に行きましょう。土日でも楽しめると思うの。私は有翔と一緒に行きたいわ」

     

    「怪我の回復次第だが、予定として考えておくよ」

     

    「えぇ。だから、早く傷を治さないとね」

     

    これから先、私たちの道は一つに交わるのか、それとも離れてしまうのか。

     

    未来の事は誰にも分からない。

     

    けれども、私は有翔が好きだもの、一緒の道を二人で歩きたいんだ。

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    2012年05月24日

    愛が狂気に変わるまで

    あたしの【初めて】を奪ったのは、義理の父親だった。

     そいつは母親の再婚相手だった。どうやら最初からこちらにそういう関心があったようで、母親が出払っていたある晩、手込めにされた。

    『お母さんには内緒だよ、ダイアナ』WENICKMANペニス増大

    『……い……、やだっ!』

    『お母さんを悲しませても良いの? お前はお母さんを裏切ったんだよ、俺とね』

     そう、理由はどうであれ、これは裏切りだった。

     あたしは父親を知らなかった。子供ができた母親を捨てたクズだということ以外に知ることはなかった。

     昼は貸本屋で働き、夜は酒屋で慣れない接客の仕事をして、女手一つであたしを育ててくれた。

     そんな母親に恋人ができた。

     その人を紹介する時の母親の顔は、今まで見たことがないほどに輝いていた。

     結婚することに反対するはずもなかった。

     今まで苦労してきた母親がやっと掴んだ幸せだ。それを壊すことはあたしにはできなかった。

     だけど、必死に守り続けた幸せな家庭はあたしに子供ができたことで変わった。

    『誰の子供なの?』

    『…………とさん……』

    『はっきり言いなさい、ダイアナ!』

    『……お義父さん、よ』

     その瞬間、平手が飛んできた。

     母親は泣いていた。普段穏やかで、どちらかといえば大人しい母親が声を手を上げるのは初めてだった。

    『そんなに母さんの結婚が気に食わない……!?』

    『ちがう……そんなことない! ほんとなの……!』

    『そんな嘘を言うなら出て行きなさい!』

     泣き叫ぶ母親を宥めたのは義父親だった。そいつは母親を庇い、あたしを責めた。

     結局、子供は堕した。

     十五歳で母親になることはできなかったし、何より義父親の子供など産める訳がなかった。

     暫くすると、義父親はまたあたしに乱暴するようになった。

     痛いと言っても止めてくれない。止めてと言っても勝手に進める。

     もがけば首を絞められる。暴れれば殴られる。

     あたしが泣くと義父親は笑うのだ。

     拒絶の言葉も溢れる涙も、そいつの食欲を掻き立てるスパイスでしかなかった。

     そう理解したから、あたしは泣くのも抵抗するのも止めた。

     抵抗しなければ殴られることはない。望まれるままに衣を落とし、目を閉じて数十分耐えれば良い。そうすれば、少なくとも身体に痣を作らずに済む。

     学校に行けば友達がいる。少し良いなと思う異性だっていた。

     せめて外見だけは綺麗なままでいたかった。

     けれど、内側まではそうはいかなかった。あれから一年もしない内にまた子供ができたのだ。

    『あなた、本当に誰の――』

    『お義父さん……お義父さんだって言ったじゃない……!』

     年若の身でこれ以上堕胎の処置を受ければ、将来子供を産めなくなるかもしれないと医者に言われた。

     何より、妊娠に気付いたのが遅過ぎた。

     学校を辞めて、子供を産んだ。

     子供が子供を産んだ。

     産まれた子供はあたしに似ていなかった。義父親とそっくりな容姿をしていた。

     流石に母親も不審に思ったようで、子供のDNA鑑定をした。

     漸く事実に気付いた母親は義父親を刺した。そして、子供も溺死させた。

    『……エリカ……エリカ、ちゃん……』

     バスタブの中に沈む我が子を見た時、自分の中で何かが壊れたのをあたしは感じた。

     我が子が死んだというのに、涙も出なかった。

     悲しいというよりも、ただ虚しかった。

     バスルームを出てリビングへ行くと、血の海に伏した義父親を母親はまだ刺し続けていた。

    『おかあ、さん……』

    『どうしたの、ダイアナ。そんなに青い顔をして?』

    『……お母さん』

    『大丈夫よ、もう怖いことはないわ。母さんが悪者を退治したから』

     そう言って微笑んだ母親は、昔の優しい顔に戻っていた。

     真っ白な服を真っ赤に染めて母親はナイフを振りかざしながら微笑んでいた。

    『ごめんなさいね、ダイアナ。母さんが悪かったわ。これからは母さんと二人で――』

    『……もう……遅いわよ……』

    『ダイアナ?』

    『もう要らない! 家族なんて……皆死ねばいい!!』

     あたしは家に火を点けた。

     まだ生きている母親も、既に死んでいる義父親も子供も全て火の中だ。

     赤く染まった母親を赤い火で隠した。

     どうせ二人殺せば死刑だった。ならば、家族が手を下しても良いはずだ。

     家族を壊したあたしこそが全ての罪を背負うべきだった。

     義父親と母親と実の娘を焼いたあたしは裁かれることになった。

     終身刑という判決を受けても何も感じなかった。

    『あたしは地獄行き。母さんたちは天国にいるから会わなくて済むかしら……』

     しかし終身刑とは建前で、実際は死刑のようなものだった。

     戸籍を消して自由になる代わりに、ある研究の実験台にならないかと持ち掛けられた。

    『ダイアナが消えるの? あたしは死ぬの?』

    『そうだ。お前は被験者として新しい人生を歩む』

    『外法とか良く分からないけど、要はゾンビみたいな奴になってそいつ等を殺せってことでしょう?』

     堪らなく魅力的に思えたのは、あたしが死ぬということだった。

     死刑になるのでも化け物になるのでも良い。この世からダイアナという人間が消えるのなら何だって良い。

    『あはは……それは素敵ね。うん、中々面白そうだわ。【わたし】、それが良い』

     あたしはダイアナという名を捨て、新たな人生を選んだ。




     処置を受けたのは一週間後だった。

     身体の検査を受け、異常がないことが分かると、契約書に署名をさせられた。

     化け物になる為の署名とは可笑しなものだ。そう笑いながら【ディアナ】という新たな名を書き込んだ。

     手術室に入ると、鎖に繋がれた女が連れてこられた。

     わたしは拘束されているので身動きが取れない。鎖女はそんなわたしの腕に噛み付いた。

     甘噛みという優しいものではない、食い千切らんとばかりの噛み方だ。

     鋭い歯が皮膚を破り、溢れた血を啜り出す。流石にわたしも後悔し始めたが、もう遅かった。

     それからのことはあまり覚えていない。

     あまりに多くの血を吸われたことで貧血になった。朦朧とする意識の中で輸血を受けたように思う。その内に眠ってしまって、次に目が覚めたのは半年後だった。

     眠っている内に色々と調整をされたようだが正直、化け物になったという実感はなかった。

    『定着にはあと半年掛かる。仕事はそれからして貰う』

     上層部下部【フェレール】に居住場所を与えられ、退院した。

     外法狩りという仕事はまださせて貰えないが、自分の生まれた地へ戻らないこと以外の行動は自由だ。

    『半年どうやって生きろっていうかなあ……』

     家を貰っても金がなければ食べていけない。

     戸籍がなければ働けないから金も稼げない。

     わたしは下層部上部【ベルティエ】の出身だ。そこへ戻れないというのはかなり厳しい現実だった。

    『生活くらい保証して欲しいよねー。事後処理が疎かって嫌だなあ』

     人殺しの犯罪者にそのような援助がされる訳はないと分かりながらも、愚痴らずにはいられない。

     もしや化け物だと不精をしても平気だったりするのだろうか。

     そう思い、飲まず食わずで三日間を過ごした。

    『…………おなか、すいた……』

     しかし、現実は厳しかった。

     化け物とはいえ、生き物だ。食は生命に直結する大切な行為なので、それがないということは有り得ない。

     二日までは耐えられたけれど、三日も何も食べていないと流石に目が回ってきた。

    (盗みでもやれって? 死人になってからも金に苦労するって何よ)

     新しい人生は薔薇色になるはずだったのに、出発点は灰色だ。

     手元にあるのは刑務所で稼いだ金だけだ。上層部の物価は分からないが、恐らく一週間と保たないだろう。Xing霸 性霸2000

     いざという時の為に自由になる金は手元に欲しかった。

     今はまだその時ではない。わたしは金を持たずに酒場に入った。

     気前の良い酔っ払いが奢ってくれたら良い、なんて夢のようなことを考えたけれど、そんなことが現実である訳がない。危機を救ってくれる王子様とか、運命的な出会いとか、そんなものが存在するのは頭がお花畑な人が考えたフィクションの中だけだ。

    (こーゆー店なら履歴書とかなしで雇ってくれるかな……)

     自他共に認める内向的な性格のわたしに接客業が務まるとは思えなかったけれど、こういう客質の悪そうな店でしか働く場所がなかった。

     精一杯愛想良く店主に話し掛けてみようか。

     そうして席を立とうとした時、隣に腰掛けてきた男が言った。

    『君、可愛いね。幾ら?』

    『え、イクラ……? 幾ら? 何が?』

    『ここにいるってことは私娼だろう。約束がないならどう?』

     後から知った話だが、この店のこの席は私娼の類が客と待ち合わせをする為に良く使う場所だったらしい。

     下心が揺れる男の目を見ながら、わたしは曖昧に答えた。

    『……あー……うん…………うん、そんなところ。でも、わたし、高いよ?』

     どうせもう綺麗な身体ではないのだから、生きる為に使えば良いと【ディアナ】が言った。

     それもそうか、と尻込みしながらも【ダイアナ】は頷く。

     これから始まる薔薇色の人生のスタートに、酒場であくせくと働くというのは地味過ぎて景気が悪い。

     【わたし】は男の誘いに乗ることにした。


    『あはは……、あはははは……! これ、なんて簡単なお仕事。あはは……!!』


     全てが終わり受け取った金を見て、わたしは笑った。

     気持ち良くなれて、金も手に入るとはなんて素敵な仕事だろう。

     外見上の年を取らないということは、こういう仕事が永遠にできるということだ。

    『薔薇色の人生ラヴィ・アン・ローズってこういうことを言うんだね』

     可笑し過ぎて、涙が溢れた。

     笑えば笑うほどに、涙が出る。

     涙が止まらない。

    『……はは…………』

     この笑いは歓喜ではなく、自虐だ。この下らない人生が可笑しかっただけだった。

     笑っていないと空虚さに捕らわれた。

    『美味しいもの食べて、忘れよ……』

     汗と唾液と精液と、あらゆる体液に濡れた汚らわしい身体を丹念に洗い流すと、わたしは宿を出た。

     その日、久々にまともなものを食べた。

     レストランで食事をするのは金が勿体無かったから、近くの店で生肉と野菜を買って適当に調理をした。

     焼いて塩を掛けただけのそれが、嘘みたいに美味しかった。

     腹が満たされると、別の不安がやってきた。

     今日稼いだ金も数日で底を突く。この生活を維持する方法を考えなければならなかった。

    『考えるまでもない、か。わたしが出せるものなんて人より少ないんだし……』

     人殺しで死人のわたしには金髪碧眼と若い身体だけしかない。それを使うこと以外、考えられなかった。

     金持ちの誰かのお気に入りになれば、金など掃いて捨てるほど手に入るだろう。

     だが貴族の銀行家、名を競う音楽家や作家などの芸術家を相手にする高級娼婦クルティザンヌになるつもりはないし、なれる訳もない。立場は飽くまでも私娼で、生きるのに必要なだけの金が稼げれば良い。

     そう、半年間耐えれば良い。たった半年、犯って食って寝る生活をするだけだ。

    『源氏名は赤頭巾シャプロン・ルージュちゃんにしようかな。狼に食べられた莫迦な赤頭巾ちゃん、なんて。あはは……!』

     わたしは笑うしかなかった。

     心の均衡を保つ為に莫迦みたいに笑って、壊れた振りをしていなければやっていられなかった――――。


     


    *☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*




     かつて地上で争いが起きた。

     核兵器、生物兵器、生体兵器、あらゆる兵器で地上は焼き尽くされ、人間の住めない土地になった。

     勝者など何処にもいなかった。敗者だけが残る無益な争いだった。

     地下のシェルターで暮らし始めた人間は新たな居住地となる希望の搭を築きながらも、再び地上で暮らすことを諦めてはいなかった。

     汚染された地上で活動をすることは困難を極めた。

     搭を効率良く建設する為、そしていずれは地上へ戻る為に人間は【進化】を求めた。

     新人類計画。そんな名前の計画だった。

     過酷な環境下でも生きられるよう遺伝子を改造した人間――後に外法と呼ばれる者の前身を生み出した。

     遺伝子改良種に地上の浄化及び搭の建設作業をさせ、また優秀な能力を持つ者を掛け合わせて、汚染環境の中でも生きられる子供を大量に生産する。その者と人間を組み合わせることで、ヒトは進化を遂げる。

     そこまでで充分のはずだった。

     しかし、彼等は更なる進化を求めた。

     人間よりも優れた種を創るのだという愚かな夢を見てしまったのだ。

     彼等は神になったようなつもりだったのだろう。そして続けられた研究によって、化け物を作ってしまった。

     己の生命維持の為なら平気で仲間の肉を食らうような化け物を生み出したのだ。

     当然、廃棄処分を望まれた。

     だが、外法は人間の優良種エリート・プラントだ。身体能力も、寿命も、全てが人間を勝っていた。

     そうして今の今まで駆逐することもできずに、最下層部に閉じ込めている。

     そのような事実を政府は何としても隠しておきたいのだろう。

     政府は国の運営に携わる貴族や、生きる値打ちのない罪人たちを使って外法狩りをさせている。そして、運悪く巻き込まれて生き残った人間は【死人】アンデッドとして監視、または処分をしている。

    「こんにちわ!」

    「……こんにちは」

     廊下で擦れ違った侯爵令息はディアナの挨拶に、起伏の少ない声で応えた。

     黒いドレスに黒い外套という裏社会に属する者に相応しい衣を纏ったディアナは愛想良く微笑む。

     だが将来得意先となるかもしれない家の息子は、そんなディアナを冷たく睨み付けた。

    「そんなに無愛想だと結婚できないよ、アデルバート・ジュードくん?」

    「生憎、婚約者はいますよ」

    「婚約者ぁ? 君ってまだ六歳くらいじゃなかったっけ」

     貴公子然とした澄まし顔に仏頂面しか浮かべないような愛想なしが、一輪の花と一編の詩と共に想いを告げたというのか。そうだとすれば、六歳にして大した手管だ。

     ディアナはからかい混じりに婚約者のことを訊ねた。

    「ねね、因みに婚約者って幾つ?」

    「先日、三歳になりました」

    「幼女趣味ロリコン?」

    「は?」

    「……ああ、君自体が幼いから良いのか。うん、ごめんごめん」

     女子が結婚できるようになるのは十六歳からだが、まさか三歳から婚約しているとは思わなかった。というよりも、三歳では婚姻の意味すらも分からないだろう。

    「まあ、人を好きだって感じる気持ちに年齢は関係ないよね」

    「? 貴方は何の勘違いをしているのですか? 私たち貴族の婚姻は政治です。私の妻は私一人が決めるのではなく、家が決めること。私はその政策に則って婚約したまでです」

     婚姻を結ぶことも、跡取りを残すことも貴族の仕事。仕事に個人の感情は持ち込まない。

     今年で齢七を数えるクラインシュミット侯爵令息は淡々とした口調で告げ、更に続ける。

    「恋情などこの世で最も不要な感情です。そうは思いませんか、ディアナ女史」

    「あはは、ばっさり切るねー。わたし、莫迦だから分かんないや」

     上層部に属する貴族は大概にして化け物のようだと思うが、その化け物の飼い犬である自分もまた化け物であることを理解しているディアナは内心低く笑う。

    「では、失礼」

     ディアナの腹の中の気持ちをうっすらと感じ取ったのか、侯爵令息は踵を返した。

     愛想を捨てきった琥珀色の瞳は中々に恐ろしくて、ディアナは思わず腕を擦った。

    「あーあ、可愛げのない子供だなあ……」

     顔は整っているのに、中身が終わっている。

     あれは人を愛することを知らない目だ。油断のない良い目をしている。

    (……どうなるか楽しみ)

     この自分の雇い主に相応しい頭がぶっ飛んだ人物に成長するか、何等かの切っ掛けで更生して情に厚い人物に成長するか。そのどちらかは分からないが、将来が楽しみだ。

     口許に笑みを乗せるとディアナは廊下を進み、突き当たりにある部屋へと入った。

    「――さて、今回は誰を始末すれば良いの? 侯爵閣下」


    「君が最後だよ」

     今回の標的は国教会に組する修道女だった。

     聖職者の身でありながら外法と通じ、彼等を匿っている。

     それは聖職者らしい慈悲深さとも言えるかもしれないが、相手は異教の者だ。

     政府から、そして教会側から見ても彼女は悪だった。

    「た……た、たす……たすけ、て……」

    「ごめんねー、こっちも仕事だから」

     生きる為には働かなければならない。その仕事がディアナにとって殺しというだけだ。

     かつてのような底辺の生活をもうしたくない。だから、人を殺して金を得る。

     力も素早さも反射能力も、化け物になった時点で格段に上がっている。非力な女の身でも裏社会で生きていけるだけの能力はあった。

    「……さて、と。一応首を落としとかないと不味いよね」

     彼等の死因は上層部を騒がせる切り裂き魔の所為にしなければならない。

     切り裂き魔。それは上層部が自らの都合の悪い相手を消す為に作った、架空の敵。

     それを構成する一人でもあるディアナは、人間である女の首を狩り取った。

    (脆いな……)

     生肉を裂く触感も、骨を断つ感触も、血脂の饐すえた臭いも慣れてしまえばどうということもない。

     ただ、どくどくと溢れて床に広がる赤い血はいつかの日に見た炎のようで、少しだけ胸がちりっとした。




     仕事を終え、私服に着替えたディアナは【フェレール】にある【アルカナ】のビルへと向かった。

     先ほどの仕事はギルドの殺し屋としてのもので、外法狩りとは全くの別物だ。

     門番という仕事がない時の騎士に求められるのは社会の秩序に則った行動と、肉体のコンディションを保つことだ。身体を鍛えるかとトレーニングルームへ向かおうとしたところで、ディアナは知人の姿を発見した。

     金茶色の髪と、忌々しいくらいに派手な顔は嫌でも目につく。

     徹夜明けなのか顔を不機嫌色に染めたその人物に、ディアナは声を掛けた。

    「やっほー、ヴィンスくん。今日のご機嫌はどう? 食中毒になってない?」

    「その挨拶もそろそろ飽きたよ」

    「だって君は病気とかならないだろうし、くたばるとしたら食中りの危険性が一番高いかなあって」

     半年前、風邪に掛かるという珍しい姿を見たが基本的に外法は身体の抵抗力が強く、病気をしない。絶對高潮

     そんな殺しても死なないようなヴィンセントをいつものようにからかいながら、ディアナはある発見をした。

    「てゆーか、その顔、どしたの?」

    「見て分からない? 殴られたんだよ」

    「うわー、派手にやられたね。でも、それって外法にやられたんじゃないよね? 女の子に振られたとか?」

    「五月蝿うるさいよ」

     外法が平手打ちのような生易しい攻撃をしてくるはずもない。だとすれば、これは日常で負った傷だ。

     【名無しの悪魔】アノニマスなどと呼ばれる化け物が非力な女性に殴られている様を想像すると何とも可笑しい。

     そうして思い切り笑ってやると、すぐに拳骨を落とされた。

    「……ったいなあ! 殴るな!」

    「お前、本当に五月蝿いよ」

    「だったら口で言いなよ。暴力反対!」

    「何でお前に指図されなきゃならないわけ?」

    「友達からの有難ーい忠告だよ。そんなことしてると一人になっちゃうんだから」

     ――暴力的な男だった。

     顔が優れていれば何をしても許されると思っている最低の男。

     ディアナはヴィンセントと出会った日に髪を引っ張られるという屈辱を味わわされている。

     こちらに悪意もあったからあまり強くは言えないものの、あれは不快だった。

     あの時――黒いドレスを纏い、赤いショールを被ったディアナは誘おうとした。

     外法狩りを始めてからあちらの仕事からは足を洗ったが、相手の顔は良いので買われても良いと思った。

     上層部のあの地区にいるということは貴族か罪人かだった。堪らなくからかいたくなって、花に法外な値段を付け、「たまにはゲテモノに手を出してみない?」と呪いめいた笑みを向けた。

     顔が良いから女に不自由してはいないだろう。簡単に靡くことはないはずだから他にも台詞を考えていた。例えそういう意味でなくとも、花さえ買ってくれればこちらとしては助かった。

     だが、ヴィンセントは花を買ったは良いが、踏み潰した。挙げ句に髪を引っ張ってきた。

     自慢の金髪が、ぶつ……っと不快な音を立てて数本抜けた。

     義父親を思わせる身勝手な男尊女卑振りとその優男口調に苛ついて、思わず足が出た。

     腹に決めた一撃は確かな手応えがあった。すっきりした。

     ディアナはそれきりヴィンセントのことは忘れていたのだが二年前、妙な場所で再会することになった。

     それから今まで、ずっとこんな調子だ。

    「どうせ、こういうことして振られたんでしょ? 自業自得なんだからわたしに当たらないでよ」

     他人の異性関係には興味もないが、二年も傍にいれば嫌でも分かるようになる。

     モテるが、続かないのだ。

     ヴィンセントはすぐに手が出る。言葉で伝えることを知らない。結果、長続きしない。

    「こっちの金と顔しか見てない癖に何が冷たいだよ。勝手に熱を上げたのはそっちの癖に……」

    「ふーん……」

     適当に聞き流しても良かったのだが、愚痴を溢されているのに無視をしては可哀想な気もして、ディアナはヴィンセントの話に耳を傾ける。

    「俺は興味ないって言ったのに、それでも良いって言ったんだ。身勝手だと思わない?」

    「それだけ君のことが好きだったんじゃない?」

    「俺に近付いてくるのは顔しか見ない、莫迦な奴だよ」

     今まで付き合ったのは顔や金や地位しか見ない女だけだ。

     その言葉を聞いた瞬間、生暖かかった心が急激に冷えるのをディアナは感じた。

    「ねえ、一回死んだら?」

    「は……?」

    「莫っ迦じゃないの。君はその程度なんだよ。見た目しか良いところないのに、何が中身見ろよ。そんなこと言って、君だって散々食い散らかしたんでしょ? 傷付けるだけ傷付けといて、自分は本当の姿を見て貰えない可哀想な奴って? 孤独な被害者振るのもいい加減にしなよ。凄くうざいから」

     やることはやっている癖に、自分が一方的に被害者のように言うのは気に食わなかった。

    『違うよ。こいつが俺を誘ってきたんだ』

     母親に刺される前、義父親はそうやって言い訳をした。

     自分は誘惑された被害者だから罪はない、と。

     決して男に全ての非があると言うつもりはないが、それでも辛い思いをするのは弱い側なのだ。

    「文句を言うなら少しは誠実に――」

    「五月蝿いって言ってるだろう」

     その瞬間、腕が伸びてきて喉を鷲掴みにされた。

     外法は肉体の一部を変化させられる。手を強化して素手で相手の心臓を抜き取るなど容易いことだ。

     ヴィンセントが本気になれば、ディアナの細い首など片手で折ることができる。

    「は…………何、殺すって? 殺せるものなら殺してみなよ」

     ピーコックグリーンの瞳の奥に窺うことができる、人間のものとは違う猫科の生物に似た瞳孔がぐっと広がった。喉を圧迫する力が強くなり、鼻や耳が痛くなる。皮膚に食い込む爪の鈍い痛みが意識を繋いでいる。

     気を失わない程度に締め付けている――苦痛を与える為――ことからしても、ヴィンセントは本気ではない。だからこそ苛ついたディアナは、気合一撃とばかりに拳を下顎に叩き込んだ。

    「…………ディアナ、本気で殺そうか?」

    「君が先に手を出したんでしょ。倍返しにしないだけ良心的だと思って欲しいなァ……」

     母親のように男に隷属れいぞくして生きるのは嫌だと心の底から思う。そうなるくらいなら手玉に取って利用してやろうとすら思っている。

     その為に力を求めた。

     あの屈辱をもう味わわないように、手に職を付けた。――殺しの技術をひたすら磨いた。

     もう男に好き勝手にされるほど弱くもなかった。

    「あのさあ……わたし、今日履いてるの安全靴なんだよね……」

    「だから何さ?」

    「蹴るよ」

     男としての人生に終止符を打ってやろうかと不穏さをたっぷりと込め、ディアナは低い声で吐き捨てる。その瞬間、喉に添えられていた手から完全に力が抜けた。

     出会った時の【あれ】がトラウマになっているようで、ヴィンセントはディアナが蹴ると言うと必ず引く。

     ディアナにとって「蹴る」という脅しは、吠える犬に「お座り」と命じるようなもので全くの罪悪感も抵抗もないのだが、効果はてきめんだ。

    (単純というか、意気地なしというか。弱い犬ほど良く吠えるって言うよね)

     犬猫の躾は最初が肝心だというが、そういう意味でディアナはヴィンセントの手綱を見事に握っていた。

    「そんなに女の子が嫌いなら付き合わなきゃ良いのに」

    「……人の気も知らないでごちゃごちゃと……」

    「あー、うざい。すっごくうざったい。痛くて背中痒くなってくる!」

     この男は自分より四十は年上のはずなのだが、この痛々しさは何なのだろう。

     自分のことを誰も理解してくれないなんていう台詞が許されるのは十代までだ。外法と人間の心身の成長や価値観が違うとしても、これは酷過ぎる。

    「何があったかは知らないけど、他人に当たるのは止めなよ。理解されたいなら理解したいって思わせてよ。大体、人のこと試してんのそっちじゃん」

     ヴィンセントは暴力を振るうことで相手が何処まで付いてこられるのかと嘲笑っているようだ。

     女という生き物が自分に何処まで食い掛かってくるのかを試している。

    「わたしに失望したら殺しても良い。その代わり、君が可笑しくなったらわたしが殺してあげる。そう約束したじゃない。……自暴自棄になるの止めてよ」

     一人は寂しいから傍にいる。けれど、互いに失望することがあったら殺し合おうと約束をした。

     まだ許容範囲だが、今の彼は途轍もなく格好悪かった。

    「悩みがあるならディアナさんが聞いてあげるから、さ」

    「悩みがあったとしてもお前みたいな低脳にだけは相談しないよ」

    「……ふうん、じゃあ仲良しのエルフェくんに泣き付けば? 二人はできてるんだもんねー。胸でも貸して貰って夜通し慰めて貰えば良いよ! あー、嫌だ嫌だ! 仲間外れはんたーい!」美人豹

     そうしていつも通り憎まれ口を叩き合うが、やはり違和感があった。

     話し掛けるといつもぴりぴりとしている。口喧嘩をしても何処か覇気がなくて、手を上げたとしても本気ではない。そして、目を合わせようとしない。最近のヴィンセントは可笑しかった。

    (友達甲斐がないよ……)

     女だという理由で格下に見られているのなら不快だし、別の理由で相談してくれないとしても面白くない。

     何でもはっきり言うのが自分たちの関係であったはずだ。

     それなのに、いつからか彼は加減するようになった。

     ディアナはそのことを嫌だと感じる。寄り添うことができない心の距離が堪らなく痛い。

    (わたしがぶっ壊れているからなのかな)

     本当のところ、ヴィンセントへ向けた言葉の大半は自分へ向けたものだった。

     中身がないのは自分の方だ。

     母親譲りの金髪碧眼と、二十歳を越したばかりの若い身体しかディアナは持っていない。

     あの仕事中をする時は気持ち悪いほどしっかり化粧をして、仕事をしない時は白粉くらいしか被せない。

     最初は使い分けのつもりだった。だけど、莫迦みたいに笑っている内に本当に莫迦になってしまった。

     化け物のディアナに、ダイアナは食べられてしまった。

     この【自分】の人格が本当に自分自身のものだったのか、今のディアナは分からないのだ。


     


    *☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*




     何があったという訳ではなかった。

     確かに悩みはあったが、話せる訳がない。その悩みの原因はディアナその人だ。

     何も想っていない相手と付き合ったのは、ディアナのことを忘れる為だった。

     暇さえあればディアナのことを考えてしまうような自分のことが堪らなく嫌で、適当な女と遊んでみた。

     だが、そうして付き合ったのは、この世で最も嫌悪を感じる金髪碧眼の女ばかり。

     ディアナと似た容姿の女ではないと遊ぶ気にすらなれず、付き合ってからも一々比べてしまい、結局は長続きしない。今回に至っては別れ際に平手打ちまで食らった。

     当然、気分は最悪だった。

     そんな気持ちも知らずにディアナは今日も好き勝手に言ってくれるので、ヴィンセントの気分は益々悪くなる。そして、いつものように手が出てしまう。

     こんなことをしたい訳じゃないと嘆く自分がいる一方で、安心している自分もいる。

     どれだけ言い争ったとしても、掴み合いをする時はディアナはヴィンセントのものだった。下らないことで口論している時だけはディアナを独占できる。その事実に酷く安心しているのだ。

     子供染みているという自覚はあったが、そういう方法でしかディアナを引き付けておけない。

     恨まれることでしか、傍に繋ぎ止めておく自信がない。

    (何でこんな奴……)

     ディアナを一言で称せば、色気より食い気の子供だ。

     女だというのに身形に拘らず、化粧もしていない。人格も破綻しているとしか思えないほどに酷い。家は必要なものしか置いていない癖に汚い。料理は見た目の悪い男料理しか作れないし、味も悪い。――何処からどう見ても最低ランクの女だ。

     変なところを気に入っているといえばそうなのだが、それはものに対する嗜好だったはずだ。

     辛いものは好きで甘いものは嫌い。普通なものは嫌いで異常なものが好き。そうだったはずなのだ。

     だが、ディアナは物ではなく、生物だ。そうなのだと気付いてしまった。

     人形ではなく人間になってしまった時点で、ヴィンセントはディアナの存在を持て余すことになった。

    「――で、エルフェさん。その女は何さ?」

     散々揉めた後、酒を飲んで忘れるということで落ち着いたヴィンセントとディアナは、エルフェを誘って酒場で飲むことにした。

     自主休講ばかりで学校に顔を出さない二人と違い、エルフェは真面目に勉学に励んでいる。

     エルフェにとって、アカデミーに通う四年は自由を許された最後の期間だ。本音としては裏社会の繋がりよりも級友との繋がりを大切にしたいところなのだろうが、律儀な彼は呼べば必ずやってくる。

     そうして遅れて酒場にやってきた彼の隣には、身形の良い娘の姿があった。

    「エルフェくんのお姉さんじゃないよね? 君の家は銀髪碧眼の家系みたいだし」

     ヴィンセントもディアナも不躾なほどに娘を見る。

     人目を引くローズレッドの髪を高い位置で結った娘は、藍銅鉱アズライトのような瞳でヴィンセントとディアナをそれぞれ一瞥してから小さく会釈した。

    「俺の幼馴染みで、メルシエという」

     姉の夫の兄弟――つまり親戚だとエルフェは紹介した。

    「メルシエちゃんかあ。そんな美人さんの幼馴染みいるなんて羨ましいなー」

    「そうだね。お前と違って従順そうで、おまけに胸もある」

    「煩いよ。セクハラはんたーい」

     隣に座るディアナが机下で足に攻撃を加えてくるのでそれに応戦しつつ、ヴィンセントは訊ねた。

    「それで、何で連れてきたのさ? 美人の幼馴染みを見せびらかしにきた訳じゃないだろう?」

     自分の日常が充実していることを自慢する為だけに連れてきたとすれば、この孫ほども年の離れた友人に対する認識を変えなければならないが、恐らくそのようなことはないだろう。

     どのような答えが飛び出してくるかと期待して待っていると、エルフェは簡潔に答えた。

    「社会勉強をさせようと思ってな」

    「へえ、社会勉強」

    「今まで【ロートレック】から出たこともないような世間知らずだ。宜しくしてやってくれ」

    「レ……レイフェル様、わたくしを田舎者のように言わないで下さい」

    「田舎者だろう。俺たちの里は葡萄畑ヴィーニュしかないじゃないか」

    「それはそうですけれど……!」

     メルシエは葡萄色の耳飾りを揺らして訴えるが、エルフェは笑うだけだ。

     エルフェとメルシエは同郷の出身のようで、アカデミーに通う為に街に出てきた彼女に庶民の暮らし振りを見せようと連れてきたらしい。

     ここは酒場といってもワインバーやパブのような店ではなく、デ・シーカ文化でいう居酒屋に近い飲食が可能なレストランのような雑多な雰囲気の店だ。

     貴族の令嬢にとっては馴染みのない場所のようで、メルシエはそわそわと落ち着かない様子だった。

    「でも、アカデミーってことは十八歳かあ。若くて良いなあ」

    「あの……、あなたもわたくしとそれほど変わりがないように見えますけど……」

    「わたし、これでも二十三だからエルフェくんより年上だよ。そうだ、君のことメルちゃんって呼んで良い? わたしのことはお姉様でも、気軽にディアナでも良いから!」

    「……は、はあ……」

    「宜しくね、メルちゃん!」

     ディアナは手を差し出し、それに応えるように怖々と差し出された手をしっかりと握った。そして、大袈裟な動作で上下に振る。

     盛大な握手に、メルシエは困惑しきっていた。

    「うわ、若い娘をからかうおばさんみたいだ」

    「中年のヴィンスくんは黙ってて!」

    「俺はまだ二十二歳だよ。お前より若い」

    「人間換算でしょー」

    「ち、中年って……。レイフェル様、この方たちは……」

    「聞き流せ。こいつ等は頭が少々残念なんだ。話の八割は聞き流して問題ない」

     そうして一方は高温、もう一方は低温な会話を続けている内に酒と料理が運ばれてくる。

     焼き鳥、枝豆、チーズ巻き、揚げ出し豆腐といったデ・シーカの摘まみに、メルシエはぽかんとする。

     麦酒ビールの摘まみといえば、ナッツやプレッツェル、酒漬けのオリーブが主だろう。

     ヴィンセントも初めにこの手の店に連行された時には見たこともない料理に複雑な気分になったものだが、通う内に慣れてしまった。

    「……あの、ナイフとフォークは?」

    「あ、これそのまま食べるんだよ。ほら、こんな感じで」

     頂きます、と挨拶をするとディアナは串を手に取り、鮮やかにかぶり付く。

     相変わらず色気より食い気。美味しそうに食べるものだと感心しながら、ヴィンセントも豆腐を取る。SUPER FAT BURNING

     やんごとなき身分の令嬢は串にかぶり付くという品に欠けることができないようで、困り果てていた。

    「箸の使い方は分かるか?」

    「……はい、デ・シーカ料理なら頂いたことがあります」

    「ならこうして串から取って食べると良い。これならあんたも大丈夫だろう」

     そう言ってエルフェはメルシエの前にある皿に鳥肉や豆を取り分けてやった。

     勝手に飲み食いを始めるヴィンセントやディアナと違い、エルフェは出来た監督者だ。

     しかし、甲斐甲斐しく世話をする姿を見て、ヴィンセントは生暖かい気分になる。

    「エルフェさんって子供を駄目にするタイプだよね。親バカになりそうだ」

    「あー、分かる分かる。目に入れても痛くないってくらい溺愛してそう」

    「……俺は子持ちじゃない」

    「序でに奥さんの尻に敷かれそうじゃない?」

    「それは俺も思うよ。エルフェさんって受け受けしいから」

    「だよねー。草食ではないけど受けっぽい」

    「ヴィンス、ディアナ……」

     エルフェは酒が入ると絡み癖が酷くなる友人二人を睨み付けていたが、最終的には嘆息した。

     この二人の相手を真面目にすると身が持たないということを、エルフェはこの一年半で学んでいる。そして、内輪の会話をしてはメルシエが居心地の悪さを感じてしまうだろうことも考えている。

     そうしてひたすら聞き役に徹しているエルフェに、メルシエは訊ねた。

    「鶏肉、平気になったのですか?」

    「脂のない部分なら平気だ。……それよりも、あんたは平気か? 居心地は悪くないか?」

    「大丈夫です。賑やかな場所は好きですし、お料理も美味しいです」

    「……そうか。では、今度は下町にでも降りてみるか」

     それは周囲のざわめきに消えてしまいそうなほどに静かで、穏やかな会話。

     他愛もない内容だったが、向かい合う二人の親密さが窺えた。

    (幼馴染みって大人になってまでつるんでいるものか?)

     貴族の付き合いは冷めたものだという認識を持つヴィンセントは不思議に思う。

     メルシエがエルフェに向ける眼差しは潤びるようであったし、彼が彼女へ向ける目もとても優しいものだ。

     婚約者と聞いても驚かなかっただろう。それほどに二人は仲睦まじい様子だった。

     だが、この二人が一緒になることは有り得ない。

     貴族は家の政策の足しにならないことをしない。エルフェの姉とメルシエの兄が婚姻を結んでいるというなら、政略結婚は既に済んでいる。つまり、二人が結ばれるということはないのだ。

    (まあ、何でも良いけどな)

     この二人の仲が良かろうが悪かろうがどちらでも構わない。この頃はそう思っていた。

     ディアナがエルフェのことを好いていると知る、その時までは――――。超級脂肪燃焼弾

     

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    2012年05月29日

    紡がれる祈り

    黒を基調とした執務室。カトラと呼ばれる肉食の動物の毛で作られた絨毯の上、その中央。二人の男が対峙していた。

     一人は薄い色素の髪の毛と碧い目。この世界共通の容姿をした男。

     一人は闇に染まる黒髪と青藍の目。アエテル唯一の存在。

     互いに険しい表情を作り、沈黙に落ちる重苦しい空気の中、一人の男が口を開く。

    「罠です。これはあきらかに挑発しています」巨人倍増枸杞カプセル

     世界共通の容姿を持つ男――オルド・オズワールは主君に警戒を促す。

     一つの書類が二人の意見を分けた。その書類は先ほど提出された今回の雨乞いで書き換えられた陣の報告書をまとめたもの。ロサが書いたそれは二人の意見を違わせる。

     誰もが感じた今回の追悼式についての疑問。用水路から溢れた水は氾濫が起こり街に溢れ返っている。そのため追悼式は延期せざるを得ない。

     人件を割かなければならないこと、そして氾濫を抑えるために出費する国費。なによりオルドが心配するのはもっと大事なもの。陣を書き換え構成を違えた犯人は捕まっていない。追悼式の日にちを業とずらす為だけに行われた書き換えは完璧だった。

     魔法を作る文字を元に書かれる陣は痕跡も残さず書き換えられ、魔法士でも見逃す個所を一文字だけ豪雨にする文字に換えられたのだ。

     そのためオルドが提案したのはこのまま続行するべきではないという意見。

     反対にアエテル唯一の存在――ラセツは臣下の警戒とは真逆の意見を述べた。

     すでに追悼式は一月も遅れを取りこれ以上延期には出来ないのだ。ラセツが襲撃され意識不明の一月、本来なら追悼式を執り行うはずだった。ゆえにラセツはこれ以上延期は出来ないと主張する。

     明らかに国王の首を取ろうとする首謀者がいるだろうという意見はラセツとオルドも同じだった。

     もしかするとその暗殺者はルーチェかもしれないと疑いが出るまで二人は根を詰める。全て彼女が来てから起こっているのだ。そう考えておかしくはない。

    「陛下、お考えください。嬢ちゃんをそんなに信頼して何になるんですか」

    「あれは私の光だ。手放す気も疑う余地もない」

    「……ではなぜそんなにも信頼できるのかお教えください」

     オルドが疑うのも仕方のないことだ。しかしラセツは頑なだった。

     ルーチェは違うと思える要因がラセツにはあった。だがそれを公言することが出来ない。言ってしまえばルーチェはこの世界に縛られ続けることになる。

     必ず帰る方法を探すと彼女と約束したこと。ミカも巻き込みその方法を模索している段階で見つかってはいない。

    「ルーチェは私の……」

     オルドは知らない。

     国の中枢にある虚実、世界に穿つ存在と繋がれた鎖。

     ラセツは現実から逃げるように瞳を瞼の下に隠した。




    「お風呂ありがとう、ラセツさん」

    「十分に体を温めたか?」

    「おかげさま、ぽかぽか」

     執務室を移動し、隣接するルーチェが使っていた来賓用の部屋にラセツとルーチェはいた。

     お風呂上りのため濡れた髪の毛を滴らせながら出てきたルーチェにラセツはタオルを片手に拭いてやる。優しい手つきで髪の毛が傷まぬよう水気を取る。慣れたような手つきに少しだけ頬を膨らます。

     他人に髪の毛を拭いてもらうことはなかったが、ラセツの手は明らかに慣れているような気がする。

     今までも誰かにこんな慣れた手つきで拭いていたんだろう。そう思うとなぜだか心の底からどろりとしたものが溢れてきそうになる。それがよもや嫉妬と言うものだと気付かないルーチェはラセツに頭を任せたまま、うとうとと意識を濁らせていた。

     今日は特に沢山のことがあった。追悼式のために早起きをして身なりを整え、彼女の出来る範囲で雨の中お手伝いをしたりと三月もの間寝るか起きるかの動作しかしていなかったせいで体力も落ち、尚のこと疲れはたまっていた。

     体を解すような湯の温かさは気持ちがよかった。その分、一気に疲れが襲ってくる。

    「ルーチェ、眠いのか?」

    「……うん」

     意識が落ちる手前でラセツの声がそれを防ぐ。しかし眠いことに変わりはなく、目を擦って必死に眠気を取ろうとする。

     そんな姿にラセツは苦笑を漏らした。

    「眠いのならあっちにベットがある。そこで寝るといい」

    「まだ、まだ大丈夫」

    「そうか?」

     意識を何とか浮上させると、ラセツから自分で髪の毛を拭くためにタオルを奪った。自分で拭くことで眠気を取ろうとする作戦だ。

     がしがしと音が出そうなほど強く頭を拭くルーチェ。そこにラセツは制止をかけた。

    「そんなに強く拭いては髪が傷む」

    「ううっ」

    「寝ればいい。私は構わない」

     頭を横に振って嫌がる。こうして二人で過ごせる時間の貴重さをルーチェは知っている。何せ王という役職、威厳の象徴、民の代表。それらの重圧を背負っているラセツと共に過ごせる時間は少ない。

     命の恩人に恩義を返すためにもルーチェは頑張って言語を取得し、話せるようになった。ラセツが早く話せるのを楽しみにしている、と言った日から猛勉強した。

     本当に拷問の一月は辛かった。それを救ってくれたラセツ、言葉では言い表せないほどの感謝の気持ち。

     国の政治に関わることはそれなりの知識がなければならない。もちろんこの世界についての情報も必要だ。何時も隣にいることは無理でも少しでも役に立てれば、とルーチェは思っていた。

     それしか自分には出来ないと。

    「ラセツさん」

    「ん?」

     ソファに横になるルーチェにラセツは毛布を掛ける。

     身を丸め蹲ったルーチェを見てラセツは猫のようだと感想を心の中で漏らす。

    「私、ラセツさん、役に立てる、頑張る……」

    「そんなことしなくていい。ただ私の隣に居てくれ」

    「……」

     返事が返ってこないと思って彼女を見ると、小さな寝息を立てて眠りに落ちたルーチェの姿があった。

     あどけなさを残す顔は彼女の年齢を思い出せる。ルーチェはまだ十八なのだ。ラセツからするとまだ子供とも言える年齢。長寿のものが多いこの世界は二百年の時を生きるのが当たり前だ。

     眠りに落ちた彼女の頬に唇を落す。

     身じろぎ一つしないルーチェに苦笑しながら、彼女の体を抱き上げベットへと運ぶ。その背中には孤独を背負う男の影があっただけだった。


       太陽が照りつける手入れされた草木の上。飛沫を上げる噴水と色とりどりの花が咲く花壇。

     長閑な午後のある日。ルーチェとロサは向かい合いながら談話していた。

    「犯人、捕まらない?」

    「ああ。相当な腕だというだけで……それ以外は全くだ」

     透き通る黄色味の紅茶で喉を潤す。花壇に咲いているイストという赤い花を蒸して乾燥させた茶葉で入れた紅茶はくすぐる花のにおいが特徴で甘いものとの相性がいい。

     ロサはそれを一口含むと喉を潤す。

     甘いシフォンらしきデザートに手を付けながらルーチェは口を開いた。

    「ロサさん、魔法使える?」

    「ああ……まぁな」

     曖昧な返事を返すロサに小首を傾げる。

     昼から非番だというロサがルーチェにお茶をしようと誘ったことで今に至る現状。この世界の歴史を頭に叩き込んでばかりのルーチェに気分転換のつもりで誘ったのだ。

     こうしてお茶を飲むのが初めてなルーチェは甘いものがあったことに喜んだのだが、食べる量が半端ではなかった。

     見ているこっちが気持ち悪くなほど甘いものを平らげていくルーチェ。ロサは口元に手を当てながら目を反らした。

    「確か魔法班、オルドさんの部隊、だから……何て言えばいいんだろう、オルドさん、副隊長?」

    「そうだな」

    「隊長の座、断ってるの?」

     無邪気に尋ねられた質問はロサにとって答えにくいものだ。

     魔法士ではなく騎士として在り続けることはロサにとって大きな意味を持つ。それは大っぴらに話すことを戸惑わせるもので、この話題になる必ず苦いものを感じる。

     紅茶を飲みながら答えを待っているルーチェをちらりと盗み見る。

    「……私の名前を言えるか?」

    「え? ロサ?」

     身を乗り出すルーチェ。全てを話してしまわなくとも簡潔になら、とロサは重たい口を開いた。

    「私の名前は、ロザリア・レイシャ・アンディルだ」

    「初めて、聞く」

    「最初が名前、真ん中が愛称、そして貴族名。私の名前はロザリアだけで愛称は入っていない」

    「なんで? ロサさん、貴族……」

     紅茶が入ったカップを手で弄ぶ。VigRx

     質問の内容がむず痒くて落ち着かないロサにルーチェは黒い瞳を向けた。

    「皆はロサと呼ぶが、間に入る名は私の母の名前だ」

    「……それ駄目?」

     苦虫を潰したような表情のロサに今さらながら踏み入った質問だったと気付いて慌てて弁解する。

    「ごめんなさい! 何にも、知らない」

     苦笑しながら目の前で手を振る。

    「それは構わない。ただ、普通は母の名を入れるのはある条件が必要なんだ」

    「条件?」

    「母が魔女だった場合、名前には魔女の名が入る」

     一瞬で固まった空気の中、ルーチェは動きを止めた。

     紅茶を口に含む手前で止まったルーチェを心配してロサは目の前で手を軽く振って意識があるか確認する。

     まるで金縛りにあったような態勢。どうしたのか心配になったところで一気に息を吐き出し、荒い呼吸のままロサに詰め寄った。

    「ええ!? 魔女、いる!?」

    「そこから来たか」

     ロサは苦笑を漏らしながらもほのかに笑みを浮かべた。




    魔女と言う存在についてルーチェが知る情報は童話や逸話に出て来るようなそういった存在しかない。実際に魔女というものは何なのか。曖昧に濁されている意味に定義はあるのか。

     とても興味がそそられる。

     実在した魔女について知る機会はこれほどないだろう、とルーチェはその話題に食いついた。

     魔法がある世界なら魔女もいる。魔女もいれば魔法生物もいる。頭の中がファンタジー色になるのを抑えるも身を乗り出す、といった行動に出たルーチェは全く抑えれてはいないだろう。

     そんなルーチェに苦笑を漏らしつつロサは話を続けた。

    「魔女とは強大な力を持った女たちのことを差す」

    「強大な力……まりょく?」

    「知っているのか?」

     まだ発音もたどたどしいものだが、魔力について意味を知っていることには違いないだろう。ルーチェの世界にはなかった力。そして在り方。意味を知っていることにロサは内心驚いた。目の前に座って小首を傾げているルーチェには全くと言っていいほどそういった力が無く、それはルーチェを異質にする一つの理由だが、彼女が魔力という意味を誰から教えてもらったのかがロサには引っかかった。

     言葉を覚える段階で聞いた単語なのだろうとは思うが、一応警戒に越したことはない。

     ルーチェに対する疑いを持つロサは、全く分かっていない本人に問いただすような声で問う。

    「魔力はこの大陸では共通の力。一体どこで覚えた?」

    「え、ミカ」

    「ミカ? あいつから教えてもらったのか」

     以外に近しい人から知識を教えられたことにロサは一息ついた。

     ミカが教えたなら間違いないだろう。とくに嘘をついているようにも見えない。

     安心する心から納得するように頷くロサに対し、何故そんなことを聞くのか分からないルーチェの頭に疑問符が浮かんだが、疑いを掛けられたとは知らないまま本題を思い出し口にする。

    「魔女は?」

    「ああ、そういえばその話だったな」

     気が取られ忘れそうになった本題にそのまま忘れてほしかった、と心の中でロサは思った。

     魔女についてすでに興味を持ってしまっているルーチェにどう説明しようか悩む。自分から言い出したものだが、名前の読み方を説明するにはどうしても母の話になってしまう。そして話題を振ったのは自分だ。

     発言には責任がある。そう結論を出すが、話すことを戸惑うロサにルーチェは声を掛けた。

    「ロサさん?」

    「すまない。少し気になる点があってな。話を戻そう」

     こうなってしまっては言うしかあるまい。

     諦めたロサはルーチェに分かりやすい単語を選びながら話し始める。

    「魔女たちは何かをする、という訳ではない。特に長命が多くてな。魔力についての知識も多く滅多に人前には現れない」

    「言葉、ちょっと難しい」

    「ようするに悪いことをするわけではないが会うことはまずない、ということだ」

    「そういうことね。じゃあロサさん、お母さん、魔女」

    「ああ、そうだ」

     乾いた笑いを零す。苦いものを感じているわけではなく、どこか呆れたような目で遠い場所を見るロサ。その様子にルーチェは不思議に思う。魔女が母ということに何らかの感情を抱いているのなら分かるが、なぜ呆れているのか。

     息を吐き出し、頭を抱え始めるロサに深い事情があるのだと分かった。

    「あの女は全く……」

    「聞きたい。教えて?」

     うぐっと喉を詰まらせるロサを見ながら言葉を待つ。

     喉まで言葉が出ては引っ込み、言いかけては止める。それを繰り返すと、溜め息を吐き出す。本人にとって魔女の娘、というだけで沢山の異質扱いや嫌味を言われてきたことをルーチェは知らない。無邪気に問いかけられる言葉はロサにとって重みを含んだ過去だ。

     だからか他人にこうして話すことは初めての経験だった。話したところで現状が変わるわけでもない。むしろ悪化するだけだと思って他人には話したことがなかったロサは、今目の前にいるこの世界のことを全く知らない赤子同然のルーチェにどう伝えればいいのか模索しながら言葉を選んでいた。

    「……私の母は『黄金の魔女』レイシャ。その、なんというか派手な女だ。それである貴族が子供を欲しがっていて赤子の私が預けられた。魔女の自分より普通の家庭に育った方が幸せだと思ったがゆえの判断ったらしい」

    「……名前、レイシャ。ロサ、預け、預けられ?」

    「そうだ。合ってる。それで、その貴族の夫婦にこう言い残して去って行った……『もし、私の愛し子に何かあれば世界丸ごと滅ぼしてやろうぞ』と」

     なんとか言葉を選んでもまだ言語を取得し始めたばかりのルーチェには難解な言葉ばかりだ。心の中で反芻しながら意味を理解するまでに時間を掛けながら呑みこんでいく。ゆっくりと意味を理解しようと真剣な表情のルーチェにロサは辛抱強く待った。

     時折聞き直しながらそれに答え、しばらく時間が経った頃にルーチェはやっとのことで全てを理解する。だが内容についてどう反応していいか迷った。

     世界の規模が違う。今までの自分が慣れ親しんだ世界との文化を思い知らされる。

     子供を捨てる母親や育児を放棄する母親、女として生きる母親や反対に血の繋がらない子を育て、母となる女。

     沢山の母親としての在り方がある中で、ロサの場合は母親である魔女の深い愛情が見えた。でなければ世界を滅ぼす等とは言わないだろう。それを実行できる実力があるからこそ畏れられる原因の一つではあるが、そこには子への愛情があるからこその発言だとルーチェは解釈した。

     ではロサに言うべき言葉は一つしかない。

     真っ直ぐロサを見つめると固い表情を崩し、口を開いて答えを出した。

    「ロサさん、愛されてる」

     穏やかな表情で告げられた言葉にロサは静かに目を見開いた。

     今までになかった言葉。予想もしていなかった言葉にロサは鼻で笑った。

    「愛? これは脅しだぞ? たかが一つの命と世界を天平に賭けるような女だぞ?」

    「それ、違う」

    「どこがだ。それを実行しうる力があるからこそ魔女なんだ。その娘である私を育てた父と母は優しかったがそれは魔女を畏怖しての偽りの愛情だ。そんなものに何がある?」

    「それでも、一つ、ない命」

     一つしかない命。

     ルーチェが出した答えを聞いたロサは今度こそ口を閉ざした。

     今までルーチェが生きてきた世界はたった一つの命を重んじることが普通だった。だがこの世界では命についてあまりにも軽く扱いすぎている。天平、という単語はまだ分からなかったが、それでもどちらかを取ることなど出来ないとルーチェは考えている。

     もし。もし、自分の兄妹達と世界、どちらを取ると言われたら間違いなく家族を選ぶというだろう。

     そしてもし、家族が犠牲に世界が成り立つというのなら、世界を憎むだろう。ルーチェにとって命は重みだ。どちらも取ることは出来ないが愛しい人たちを失ってまで生きたいとは思えないのだ。

     ロサが自分の命について軽く扱う部分があるというのはラセツとのやり取りを見ていれば分かった。忠誠を誓っているが、それは自己犠牲を厭わない忠誠だとルーチェは見抜いていた。

     命は大切だということを言いたかったが言葉が未熟で気持ちを伝えることが出来ない。その歯がゆさに唇を噛むルーチェ。

     ロサは自分のことで心を痛ませるルーチェを見て今までにない感情が心を埋めていた。

     それは一言では言い表せない感情。ロサはまだその感情の名前を知らない。だが自然と心が温かくなることだけが何となく感情の名前を思い出させる。

     このまま泣いてしまうのでは、と思うほど悲しげに表情を曇らせるルーチェを見てロサは何度か口を開きかけるが何と言えばいいのか分からず開いては閉口する動作を繰り返す。

     言葉が見つからない。五便宝

     だが言いたい言葉がある。

     目があったルーチェの瞳を見てロサは表情が緩むのが分かった。

    「そこまで考えてくれるんだな、お前は」

    「……ロサ、命、」

    「ありがとう」

     ありがとう。

     その言葉はルーチェが初めて覚えた言葉。ロサから学んだこの世界の言葉、感謝を相手に伝える単語。

     ロサから初めて向けられた感謝の言葉はあたたかい。ルーチェはこのまま泣いてしまいたくなった。滲む視界を慌てて拭えば、ロサが手を伸ばして拭ってくれる。そのことが嬉しくてルーチェは泣き笑いした。

     結局耐えきれる理性がなく、泣いてしまいロサは困ったような顔をしていたが、泣くとは別に心からルーチェは嬉しかった。

    「ありがとう、こっち」

    「ほらもう泣くな。陛下に見つかった叱られしまう」

    「ロサさん、怒られる?」

    「ロサ」

    「?」

    「さんはいらない。ロサでいい、ルーチェ」

     二人の間に生まれたのは何か。

     泣きながら笑うルーチェはこの世界で初めて友達を得られた気がした。


    保護されてからは沢山の人の手を借りて関わってはいたが、心を伴わない関係性に寂しくはなかったとは言い切れない。何の因果かこの世界に落ちてしまい、言葉も右も左も分からず流れのままに身を任せていたルーチェにとって、心を開けたのはラセツだけだった。そして今そこにロサが加わる。

     人との関わりは精神的にも作用される。オルドやミカは「保護された冤罪の少女」として扱い、目を掛けてもらってはいるがそれは「王のお気に入り」で一人の人間と扱ってはくれようとも一線を引かれていた。親しい人ではある。ミカは知識を吸収しようとするルーチェに沢山の知識を教えてくれればオルドは城内であったことを楽しく話してくれる。

     一線を引かれることにルーチェはラセツが関係していることも理解はしていた。

     最高権力者の元に集う者達はあくまで「王の命令」として接する。それがどう意味か。

     欲した答えは簡単だ。ロサのように心を開ける相手が欲しかっただけなのだ。

     それだけだが、とてもルーチェにとって大事なことだ。

    「さて、今日はこれぐらいにするか」

    「え、もう?」

     やっと得られた友という存在。しかし日は既に傾きこれから夜が空を、魔都を覆う時間が近づいてきた。城も明かりが灯り始め、鳥の囀りは聞こえず少し肌寒い気もする。

     席を立ったロサに対してルーチェは座ったまま立とうとはしなかった。まだ話していたいのだと言える訳もなく、頑なに口を閉ざすルーチェを見たロサは目を細める。

     ルーチェ同様、ロサもまだ話したりないと思ってはいた。だがしなければならないことは沢山ある。ロサはアンディル家の一人娘だ。公爵家であり大貴族として名を馳せる名家、またソルのこともある。一人にすれば何をするか分からない男を気に掛ける半分、こうしてルーチェと会話をもっと楽しんでいたいという気持ちもある。

     気持ちと心が反対の方向を向く。ルーチェの言いたいことはよく分かっているからこそロサも悩む。

     しかし、と。

    「ルーチェ、すまないが私にもやらねばならないことがある」

    「うん。分かる、分かった」

     駄々を捏ねるのは子供だ。ルーチェは残念さを隠せないまま席を立った。

    「私もお前と同じ気持ちだ」

    「ロサ?」

    「だから今夜は我が家で夕食を摂らないか?」

     相反するなら両方取ってしまえばいい。何も難しいことではない。ただ夕食を一緒にするだけなのだ。

    「ロサ、いいの?」

    「もちろん。まぁソルもいるが、気にしなくていい」

    「ソルさんいるの?」

    「気にするな」

    「?」

     強調するような言い方に違和感を感じつつ席を立つ。ソルと言えば、とルーチェはあることを思い出しながらロサの背後を追う。

     処刑されそうになって上った斬首台の上でも、夜遅くに花と一緒に見舞いに来てくれた時も、雨の中で陣についてロサと話していたときも、ソルはロサと一緒に居た。

     家まで一緒なのだろうか。

     湧いた疑問に小首を傾げる。

     ソルは寡黙で静かだ。気だるげな目と照り返す日に輝く銀髪。ラセツの弟で騎士団長を務めるソルはどこでも場所を問わず寝ているような人だが、いつもロサの隣を歩き傍にいることを以前から不思議に思っていた。なぜ行動を共にするのか。考えれば考えるほど不思議だ。

     ロサは几帳面で正義感の強い人格。

     一方、ソルは何に対しても不真面目で大雑把。そしてよく寝て仕事をしていない。

     そんな二人がなぜ。ルーチェの頭の中に満たされた疑問は大きく膨らむ。目の前を歩くロサの後姿を見ながら思惑(しわく)に耽る。

     思えばラセツと話すところも見たことがないのだ。二人が兄弟だというのは周囲も知っているようだが、ルーチェが見てきた中では二人の接点は兄弟だという事実しかない。

     左右に小首を傾げながら歩いていると、ロサの背中に顔をぶつける。

     急に止まったことでぶつかった鼻を押さえながらロサを見る。振り返らず前を見据えるロサに何事かと背中から覗くと、よく見知った顔の人物がこちらに歩いてきていた。

    「あ、ラセツさん」

    「陛下」

     立ち止まって臣下の礼をするロサに見習ってルーチェも真似て礼をする。ラセツもこちらの存在に気付いて苦笑いを零した。

    「お前はしなくていい」

    「でも、ラセツさん、王さま、礼」

    「構わない」

     元よりルーチェは保護された身なのだ。臣下ではないというラセツの主張にルーチェは頬を膨らます。

    「でも、」

    「ロサ。これからルーチェを夕食に?」

    「はい。そのつもりですが……」

     目線をルーチェに移す。目が合うとじっと見つめるルーチェの瞳は無邪気な子供そのものだ。しかしその思惑は時に子供の発言ではなく、そして時に人を救う。

     奥が深い瞳にロサは笑みを零す。

     だが本人には自覚がないため首を傾げたままだった。

    「陛下とお食事なさるのなら」

    「では私も一緒にいただこう」

    「……と言いますと?」

    「アンディル家の夕食も久々だ。だめか?」

    「だめと言う訳では」

    「では、一緒に」

     視線を移すと、二人に見つめられたルーチェは数回瞬きを繰り替えす。

     その姿があどけない子供に見えた二人は同時に吹き出し笑った。




    「……なんで?」

     暗めの茶色で纏められた室内の中、無数に立つ本棚に埋もれるような形で窓際に座っていたソルは、不機嫌さを隠さず声を発した。

     アンディル家に収められる図書はアエテル一の蔵書を誇る。初代から当代まで集められた本は移ろいゆく歴史を映し、飽きることなく足を運ぶそこはソルのお気に入りの場所だった。

     だがソル以外滅多に入らないその場所に三人の来訪者が来た。一人は最近保護された少女。もう二人はソルにとって大切で欠けてはならない二人だが、この時ばかりは首を傾げずにはいられなかった。

     日も暮れ、夕食時に三人の来訪。

     導き出される答えは一つだ。だがらこそソルは理由をロサに聞く。

    「今日の夕食は陛下とルーチェも一緒になることになった」

    「……なんで?」

     再度同じ言葉を繰り返す。そんなことはわかっている、と言わんばかりの不機嫌さを込めた声は平時より低い。眉を顰め、この時初めてルーチェの前で表情を変えたことに気付かず、気だるげだった態度も今は苛立ちに変わりロサを睨んでいる。

     必死に説得しようとするロサと口を挟もうとはしないラセツ。どうすればいいのか分からず二人の成り行きを見つめるルーチェと窓際に腰かけながら本を片手に苛立つソル。

     そんなに一緒に食事をするのは嫌なのだろうか。

     ソルと会話を交わしたのは片手で数える程しかないが、それ程まで嫌われていたとは知らなかった、と落胆を隠しきれない。ラセツの弟ではあるがどこか距離がある兄弟間や容姿その他もろもろ似ていないことも一つの要因かと考えていたが、そこまで根深いものだとは知らず安易に夕食のお誘いに乗ってしまったことを後悔しはじめたルーチェにソルは目を向けた。

     濁った灰色と黒い瞳が交わる。三便宝カプセル

     だがすぐ反らされ兄であるラセツへ視線を動かす。

    「どうしてもだめか?」

    「……それは別に」

    「じゃあ何がだめなんだ」

    「……」

    「ルーチェか?」

     指を差されたルーチェは思わず背筋を伸ばす。

    「言ってくれれば、夕食、整えた」

    「そんなことか!」

     脱力するロサを見ながら窓際から立ち上がるソル。ラセツよりも高い身長は軽く見上げなければいけないルーチェは、背筋を伸ばしたまま近づいてくるソルに身を固める。

     何を言われるだろうか。

     心臓が不規則に波打って吐き気までしてくる。緊張する一時を隣にいるラセツへ助けを求めるが苦笑を返されるだけで助けてはもらえなかった。

    「……ルーチェ」

    「はい!」

    「……夕食、共にすること歓迎する」

    「え?」

     長い足を折り、目の前で跪くとルーチェの右手を取って手の甲へ唇を落す。突然の出来事に思わず手を引くがソルの表情は変わらず気だるげに戻っている。思いもよらない展開に訳が分からずラセツやロサを見るが、当の本人たちは穏やかにその光景を眺めているだけで口を開こうとはしない。

     ソルは自分が嫌で不機嫌になっていたのではないのか。

     先ほどの態度とは違い、いつもの無表情に戻ってしまっているソルとラセツたちの顔を交互に見比べる。

    「ソルさん、一緒、いや?」

    「……全然?」

     首を傾げるソル。つられて一緒に首を傾げるルーチェ。その光景にラセツとロサは堪えきれずといったように腹を抱えて笑い出した。




    「ルーチェ」

    「なに?」

     運ばれてくる湯気が立った白いスープを前に目を奪われながら言葉に返事をする。

     正面にロサ、その隣にソルが座り、それぞれが席についた所で料理が運ばれてきた。

     どれもが見たこともない料理ばかりで食欲を誘う香草の匂いが部屋中に満たされる。今思えばルーチェが今まで食してきたものは病人食のように質素なものばかりだった。それに比べ目の前にあるスープは白い円形のさらに注がれている。

     病人食は質素ながらも優しい味のするものだった。

     贅を尽くした居間の雰囲気と運ばれてきた料理の豪華さにルーチェは感心した。思わず母国の言葉で感想を漏らす。

    「これが貴族の食事ね……」

     呟きの意味を知るのはラセツだけだ。

     正面に居るロサとソルは首を傾げていたが、ラセツは小さく笑みを零す。

     左右に並べられた食器を外側から使っていくことは何となく元の世界で知識にあるのだが、こちらの世界でもそれは共通らしい。

     端にあったスープ用のスプーンを手に取るとそっと液体を掬う。見た目とは違い、とろみのあるスープは濃厚ながら薄みの味であっさりとしてすんなりと飲み込めた。

    「気に入ってもらえただろうか」

     目の前に座るロサが顔色を伺うように聞いてくる。

     初めて食べた食感。ルーチェは何度も無言で頷きまた一口を口に含む。

     ロサは安堵に息を吐く。

    「舌に合わなかったらどうしようかと思った」

    「これ、おいしい」

    「私やソルは味が濃すぎるものはあまり好まないんだ」

    「二人、毎日、一緒に食事?」

    「まぁな」

     機嫌を良くしたロサは自分の分へ手を付けるが、ふと、隣で黙々とスープを口に運んでいたソルの手が止まった。同時にロサの手も止まり、近くにいた執事に目配せする。

     それをきっかけに執事は丁寧なお辞儀をすると居間から出て行ってしまった。だがすぐ戻ってくると、ソルの近くに立ち皿を片付けると新しい皿を置いた。同じスープが入っているそれに何事もなかったように食事を再開するソル。

     ロサと目が合い、申し訳なさそうに苦笑交じりの溜め息を吐き出すと口を開く。

    「気にするな。いつものことなんだ」

    「いつも?」

    「どこかの王様が甘やかした結果だ」

    「おう?」

     王と言えば一人しか居ない。隣に目を向けると視線を合わせないように逃げたラセツとソル、それからロサへと目を向けるが、何のことだか分からないルーチェは首を傾げる。

    「ロサ、ソルさん、近い?」

     どういう関係なのか、と聞こうとするが言葉が足りない。だがラセツは何が聞きたいのか分かったらしく質問に答えた。

    「ロサとソルは夫婦だ」

    「陛下!」

    「何も隠す必要はあるまい。ルーチェも気になっていたらしいしな」

    「ふうふ?」

     口の中で数回反芻すると、やっと単語の意味を理解したルーチェは声を荒げた。

    「夫婦!?」

    「ああもう……」

     頭を抱えるロサと食事をすすめるソルを何回も見比べるが、やっとのことで何時も二人が一緒に行動する意味が分かったルーチェは感嘆した。

     どこか似た空気を持っていることや会話のない意思疎通も納得が出来る。

     お似合いだ。

     語彙が足らない片言でも素直に思った感想を口にする。

    「ソルさんロサ、良い、良い!」

    「よせ! そういう甘ったるいものじゃないんだ!」

    「満更でもないだろう。お互い」

    「陛下も悪乗りしないでください!」

     困ったように慌てるロサだが動じないソルは近くにいた執事に目配せして次の食事を運ばせる。若干頬が赤く色づいていることが何時ものロサの印象を変え、身近に感じたことがルーチェには嬉しかった。

     どの世界も女子にとって色恋話は共通だ。

     ロサとソルを見比べ、やはりお似合いなカップルだと頷く。隣でラセツがからかいを含む言葉でロサを刺激してはいるがどこか認めているようにも見えて、尚のことルーチェは嬉しく思った。

    「どうして、一緒に?」

    「ロサ、馴れ初めをルーチェが聞きたいらしいぞ」

    「馴れ初めだなんて……」

    「別に幼馴染が恋愛対象に変わったと言えばいいだろう」

    「陛下、これ以上はお止め下さい!」

    「おさななじみ?」

    「そうだ。今でこそ上下関係はあるが私とロサ、ソルは幼馴染だ」

     幼馴染、という単語を聞き、意味を思い出すと一人の男がルーチェの頭に浮かんだ。

     それは元の世界で隣に住むルーチェ、闇の幼馴染と言う関係の男だ。ふと今まで彼の存在を忘れてしまっていた自分に驚く。

     密かに想いを寄せていた時もあった彼のことを何故忘れてしまっていたのか。

     何も言わずにこの世界に落ちてしまい、向こうでは行方不明扱いになっているとしたら、彼はきっと自分を探しているだろう。だが今まで始めのころは帰りたいと思っても最近では全く思わなくなったことがルーチェに違和感を抱かせる。

     幼馴染の存在はルーチェにとって大きな存在だ。

     想いを寄せていた時期もあって無視できないものもあるが、同じ時期を共に過ごしたことや家族ぐるみで仲が良かったのも関係している。しかし今まで家族のことを思い出すことはあっても彼の存在を思い出すことはなかった。

     ふと、隣に座るラセツを見上げる。目が合うと優しげに目元を細ませ微笑むラセツ。その瞳の奥にある感情は何か、と考えればティアレーゼの意味を思い出して頬が赤くなっていくのが分かる。

     からかわれていると思っていたのだが、今でも瞳の奥に潜む感情を見てやっとのことで現状を理解する。

     嘘だ、と思う半分、本当にそうであってほしいと願う半分。

     命の恩人である彼に恩義を感じているからそう思うのか、と考えるがどこか違う。だがそう思うことが都合がいいと、無意識にルーチェはそう思い込んでしまった。

     自分の心とは真逆の想いを手に取ったルーチェ。恩義の為だ、と心に嘘をつき、どこかずきりと痛む胸を抑え込んだ。ru486

    「ロサ、今日、夕食ありがとう」

     幼馴染について考えることを放棄し、心から感謝の言葉を言うと、ロサは嬉しそうに笑みを漏らすだけだった。




     日も高く上がる頃、軽装に着替えたルーチェは一頭の馬の前に居た。

     気が荒いと有名な馬であったが、ラセツにだけ懐いているという馬。そしてラセツだけを背に乗せるという気位の高い馬は、ただじっとルーチェの瞳を見つめ返すだけだった。

     天候は晴れ。湿気が少なく涼しく感じる日差しの下、そよ風がドレスの裾を膨らます。

     日の下で一頭と向き合うルーチェは気の荒さを隠さない黒馬と向き合う。しなやかな足は太く力強く地面に伸び、艶やかなたてがみは高貴さを纏う。

     ただ一人を主君と認める黒馬はただじっとルーチェの瞳を見つめ返すだけで身動き一つしない。どうしたものかと首を傾げる。

     今日という今日――追悼式を待ち望んではいたが些細な問題が一つだけ当日になって浮かび上がった。

     馬に乗ってアエテル唯一の教会に街を回るのだが、その馬にルーチェが乗れないという問題になった。元の世界でも馬は居たが、この世界の馬は少し気性が荒いものが多いという。ラセツの愛馬は特に気難しい性格で主君以外は乗せない気位の高い黒馬だ。誰かを同乗させることを酷く嫌う目の前の馬は、目の前の幼い容姿をした少女を見定めるように視線をはずそうとはしない。

     対してルーチェも目を離せなかった。本能が察するのか視線をはずしたら負け、と思い瞬き一つせずただ見つめる。

     目が乾いて痛くなる頃、出立の準備も整い、ラセツが愛馬に乗ろうと近づくとそこで無言の戦いは幕を下ろす。

     主君に懐くよう頭を摺り寄せる愛馬をラセツは頭をなでる。その隣でルーチェは目の乾きに涙を流していた。それを見て苦笑しながらラセツは声をかける。

    「何をやってるんだお前は」

    「だって……だって目を反らしたら負けだと思って」

    「まぁそのお蔭で乗ることを許してはくれたみたいだがな」

    「本当に!?」

     優しい目になった黒馬にそっと手を伸ばすと、特に抵抗することもなくふさふさの毛に触れれた。そのことが嬉しく毛を撫でると頭を振られ嫌がられたが、それ以外は許してれたようで背に触れても抵抗はされなかった。

     愛馬と心を交わすラセツは、仕方ないと諦めた黒馬のたてがみを撫でつける。

    「これから街の中を歩くの?」

     意思疎通のしやすい母国語でもラセツに伝わるため尋ねると返事が返ってくる。

    「そうだ。街を一周して追悼式を行うことを国民に伝える意味もある」

    「そっか。じゃあ大人しく馬に乗ってればいいね」

     鞍を付き始めたラセツを眺めながらルーチェは門の前に集まった兵士たちを見つめる。その中にはロサやその近くにいるソルを見て昨晩のこと思い出す。夫婦だという二人は本当に仲睦まじく、言葉がなくとも会話が出来ることをルーチェは微笑ましく思う。

     必然的に思い出される幼馴染のことは頭の隅に置きながら鞍を付け終えたラセツと向き合った。蟻力神




     

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    2012年06月05日

    愛の芽生える時

    レイリュールの首府。

    世界の中心 『聖都』 にある大神殿の一角に、ルイーラの城より運ばれたアイリスは閉じ込められた。

    そこは、種族の誇る能力者達が編んだ、最強の結界の張られた部屋だった。頂点3000

    アイリスは室内で一人、椅子に座り己の処遇、おそらく処刑であるだろうが決まるのを待っていた。

    いくらアイリスの力が惜しくとも、皆が崇め奉っているサディアスに公の場で思い切り恥をかかせたのだ。

    あれを不問にされるとは到底思えなかったし、不問になどしてもらわなくても構わなかった。

    しかし、結界で囲み、扉の外には見張りも立っているとは言え、部屋は牢獄ではなく、美しい調度で整えられた貴賓室と言っても良い物だった。

    続き間もあって、そこには寝室も浴室などもすべて設えられている。罪人に与えられる部屋とはとても思えない物だった。

    「はぁ……それにしても、本当に詰まらない一生だったわ……」

    罪人に宛がうにしては上等すぎる部屋で、アイリスは行儀悪くテーブルに肘を付いて、大きな溜め息をついた。

    良い部屋に入れられているからと言って、己の命が助かるなど、そんな事は微塵も思っていないし、それに関しては、本当にもう良いのだ。

    それでも、死ぬ前に一度で良いから、父と母のような唯一人の愛する存在というものを、持ってみたかったなとは思う。

    それを持つと、どんな気持ちになるのかを、体験してみたかった。

    己を育んでくれた世界ですら、捨ててしまえるほどの情熱を生む 『愛情』 とは、さぞ心が温かくなる良い物なのだろうなと、アイリスはぼんやりと夢見るように思った。

    その最中、唐突に、ぽん、と脳裏に青銀の瞳の可愛い子供の姿が浮かび上がり、アイリスは苦笑した。

    「いくらなんでも……誰も居ないからって、子供を思い浮かべなくても良いでしょうに、私ったら……」

    「そんな事言わずに、思い浮かべて欲しい。……その子供とは、私の事だろう? アイリス」

    声が聞こえたと思った時には、ゆらん、と空間を歪めて出現し、アイリスの傍らに立っていたカイルに、目を丸くした。

    「……カイル……ここは、レイリュールで一番結界の強い場所なのよ。どうして、入ってこれるの?」

    光の宝珠の奉られている聖都大神殿は、主神の城でもある。まかり間違っても闇の種族が入り込める場所ではないのだ。

    でも、目の前に現れたカイルは幻影ではない。生身で平然と入って来ているその姿に、呆然とした。

    「どうして……と言われても。私は、別に大した事はしていないぞ。アイリスの気配はしっかり覚えたから、どこに居てもすぐに見つけられる。……戻った後、お祖父様に報告して様子を探っていたら、なんだか酷い事になったようだから、心配で見に来たんだ」

    「心配で見に来たって……そんなに、簡単に入り込める場所ではないのよ。ここは!」

    何でも無い事のようにけろりと答えられて、アイリスは驚くばかりだった。

    カイルは子供でありながら強過ぎる。

    今がこれで、能力の最高期を迎えた時には一体どうなっているのか。アイリスは、怖ろしいものを感じた。

    「そうか? ここに入るに、そんなに強い抵抗は感じなかったが……この程度の結界が最強だと言うなら、今の光の主神は、あまり強くないのだろうな……我が方にとっては、ありがたい事だ」

    「…………」

    美しい青銀の瞳を煌めかせてくすりと意地悪く笑ったカイルに、アイリスは、これではいずれカイルが成長を終えてこちらに攻め入る気になれば、間違いなくその時光の世界は滅ぼされると確信した。

    「……アイリス。君は、寂しいなら、素直に私の手を取った方が良いと思う」

    「……寂しいって……」

    アイリスの思いなど知らないカイルは、思いも寄らない事を言って、言葉どおりに手を差し出してきた。

    真面目な顔で真っ直ぐに見つめられて、アイリスは困ってしまった。

    「アイリスの心は、寂しいと叫んでばかりにしか私には感じられない。寂しさに狂わされて、君がどうにかなってしまうのではないかと、私は心配で堪らない。光の世界は、君に苦痛ばかりを与えるようにしか思えない。こちらの住人は、何よりも異端を嫌うのだろう?」

    「…………」

    強がりたくても、すべて真実を言い当てられてしまうと、何も言葉は返せない物だった。

    大人みたいな口をきかないで、と茶化して誤魔化す事もできない。

    「アイリス……私達のヴェルリーテが嫌いなら、人間界に行こうか? そして、二人でどこか人間世界の片隅で暮らそう」

    座っているアイリスの右手を両手で持ち上げ、大事に包み込んだカイルの言葉に、アイリスはぎょっとしてぱとぱちと目を瞬いてしまった。

    「カイル、あなた……何を言っているの? 次代の闇の主神が、人間界に行くですって?」

    「そんな物より、アイリスの方が大事だ。ヴェルリーテに戻ってから、ずっとアイリスの事が頭から離れない。お祖父様も父上も母上も、君に逢いたいと皆待ち望んでる。……私も、三百年の成長なんて待てないから、お祖父様に成長の術を掛けてもらった。急いで大人になって早く君を迎えに行こうと、今一生懸命身体を成長させてるんだ。でも、それでも我慢出来なくて……何をしてるのか探ってしまった。それで結局、この姿で来てしまった。……あの時、無理にでも連れて帰れば良かったと、私はずっと後悔している。やはり、大人になるまでなんて待てない。闇の主神は、父上でも弟でも構わないんだ。二人とも凄く強いから問題無く役目を果たせる。私が居なくなっても何も困る事は無いんだ」

    あっさりと、神の位よりも自分を選ぶと言われて、アイリスは大きく首を横に振った。

    「成長に三百年も掛かるような世界の宝が、そんな事を言ってはいけないわ。一時の気の迷いで一生を決めては駄目よ。私の為に急いで大人になるなんて、そんな事は止めて。恋は、同族とするべきよ。……お父様とお母様のすべてを不幸だとは言いたくないわ。でも、生まれ育った地で暮らすことを許されず、人間界で生を終えなければならなかった事は、私は不幸だと思う……貴方を、私の為にそんな目には遭わせたくないわ」

    「何故、ご両親の幸せを、アイリスが勝手に決めるんだ? 光の世界には、言葉が伝わっていないのか?」

    「言葉?」

    不思議そうに見上げられて、アイリスは怪訝に首を傾げた。

    「ヴェルリーテには、お祖父様の聞いたマリアンヌ叔母上の言葉が伝わってるんだ。……アイリスに会えない事だけが悲しいけれど、フォスター・ローザンクレールと出逢えて、手を取れた事は幸せだって。人間界でもどこで暮らそうとも、引き離されない事が嬉しいって。……不幸なんかじゃないと、本人の言葉が伝わってる」

    「お母様が……そんな事を……」

    ルイーラにいくら両親は愛し合っていましたよと言われても、アイリスが生まれてすぐに両親は人間界に行ってしまった為、その言葉を本人達から聞くことは出来なかった。

    だから、信じてはいても、どこかで信じきれていない自分が確かに居た。

    アイリスが力を自在に扱えるようになり、人間界に行けるようになった時にはすでに、両親は人間界で亡くなった後であり、自分でその所在を探し当てて話を聞く事など出来なかったのだ。

    でも、カイルの言葉には嘘が無いと思った。

    両親は、本当にアイリスが望み、夢見ていた通りに、種族の壁を越えて互いに深く愛し合い幸せだったのだ。VIVID XXL

    それを確信出来ただけでも、心がすっと軽くなったように思う。ほんわりと温かい物で満たされた。

    「……アイリスの事を一人レイリュールに残して、自分達だけ人間界で幸せとは、何だそれはと思わないでもないが……叔母上達は、自分達が人間として育てるよりも、この世界で人間以上の存在として生きた方が、幸せになれると思ったのだろうな」

    「そうだと思うわ……」

    アイリスの手を優しく優しく撫でながら包み込んでいるカイルに、笑みを向ける。温かくて柔らかくて気持ちの良い手だと思った。

    「ありがとうカイル。最後に、最高の言葉を運んでくれて。……もし、私がヴェルリーテに生まれていたなら、誰よりも貴方を愛したわ。何をしても絶対に手に入れて、離さなかったと思うわ」

    きっと誰よりも可愛がって、最も傍に居る事を望んだだろう。

    自分の愛を捧げる相手は、目の前に居るこの優しくて可愛い子供が良い。アイリスは今、はっきりとそう思った。

    愛しいと思うことに、出逢ってからの時間など関係ない。心は簡単に決まるのだと、アイリスはカイルを幸せな気持ちで見つめた。

    カイルが、自分をレイリュールまで探しに来てくれて良かった。心の底からそう思う。

    「最後って何だ? アイリスはこれから私と人間界に行くんだ。そこでずっと幸せに暮らすんだ。これで最後なんかじゃないし、ヴェルリーテに生まれていたら、なんて言わないでくれ。今の、そのままのアイリスで愛してくれ。私は、光の種族の嫌う闇の者だ。それは変えられない。だが、アイリスの嫌がる事だけは絶対にしない。約束するから!」

    必死の様子で言い募ってきたカイルに、アイリスはにっこりと笑いかけながら己の膝を叩いた。

    「ここに座ってくれない?」

    「え?」

    脈絡の無い申し出に、カイルが首を傾げる。それにアイリスはもう一度言った。

    「私を愛していると言うなら、願いを聞いて。私の膝に座って抱き締めさせて」

    「???……そんな事は、お安い御用だが……」

    何故そんな事を突然言われるのか分からず、カイルは心底不思議そうな顔をしながらも、アイリスの言う通りに動いてくれた。横向きにちょこんとアイリスの膝に乗って座ってくれる。

    「これで、良いか?」

    「良いわ。ありがとう。カイル、あったかい……」

    問いに、満足の笑みを浮かべ、アイリスは両手をカイルの腰に回してしっかりと抱き締めると、その頭のてっぺんに口づけた。

    「私、こんな風に誰かを抱き締めた事がないの。皆私を嫌っていて、冷たい目で遠巻きに見ているだけだったから……。でも、カイルなら私が触れるのを、許してくれるかと思って……ほんの幼い時に、ルイーラに少し抱っこしてもらった事しかなくて……私、一度で良いから自分で誰かを抱き締めてみたかったの。良いものね。カイルあったかくて良い匂いがして、気持ち良いわ」

    誰かに抱き締めてもらうのも夢だったが、アイリスは、それ以上に自分が誰かを抱きしめてみたかった。自分を嫌わない、自分の腕の中で笑ってくれる存在を抱き締めてみたかったのだ。

    それが、思わぬ状況の中叶い、明日の命も分からない身でありながら、アイリスは今とても幸せだった。

    「まったく、こっちの世界の奴らは碌な事をしないな……アイリスの何が駄目なんだ。こんなに寂しがらせて腹が立つ。……私で良ければ、これからいくらでも抱き締めると良い。喜んでアイリスの腕の中に納まってるからな。……アイリスも、柔らかくってあったかくて気持ち良いな。私なんかより、アイリスの方がずっと良い匂いだ」

    アイリスの言葉を聞いて、怒ってくれるカイルが嬉しい。

    一度好きだと自覚すると、そのすべてが好ましく、見ていて楽しかった。

    しかし、互いの背に腕を回して抱き合っているのは幸せでも、ちょっと擽ったい。

    ごそごそ動いて胸元に顔を埋めてきたカイルの頭を撫でながら、アイリスは笑って言った。

    「カイル。あんまりそこでごそごそ動かないで。擽ったいわ」

    「そう言われても……凄く気持ち良いから我慢出来ない。アイリスの胸気持ち良すぎる……あぁ良いお嫁さんを迎えられて嬉しいな。早く大人の身体になって思い切り抱きたい」

    「なっ……あ、貴方何を言って……」

    あからさまな事を言ってぎゅっと抱き付き、さらに深く胸に顔を埋めてきたカイルを、アイリスは焦って引き剥がそうとした。

    「何って、結婚したら当たり前の営みの事だが……何を焦ってるんだ? こうしてるだけでも気持ち良くて嬉しいが、私は、これだけじゃ満足出来ないからな」

    まったく悪びれる様子も無く、にこっと笑って胸元から顔を上げたカイルが、上目遣いでアイリスを見つめて言う。信じられない言葉に、アイリスは目を丸くしてカイルを見下ろした。

    「け、結婚……満足って……私は、そんなつもりでカイルを抱き締めた訳じゃないわ!」

    自分とは欲の在処がまったく違うのに、顔中真っ赤にして怒鳴っても、カイルは平然としたものだった。

    「そうだろうな。アイリスは、ただ子供を抱っこしたいだけだ。……でも、私は君に深く触れたい。こんな布越しじゃなくて、直接君を感じたい」

    そうっと、ドレスの上から胸のふくらみを手で撫でられて、アイリスは固まった。

    「と、とんでもない子供だわ……貴方……」

    撫でられても少しも嫌な気持ちにはならなかったが、外見は子供でも中身は育ち過ぎている。自分には手に負えそうにない、とアイリスは思った。

    「五十年生きてるから、中身は大人ということで見逃してくれ。……はぁ、早く成長終わらない物かな。アイリスと言う恋しい相手がいる身に……子供と言うのは本当に、不自由だ」

    アイリスが固まっていようとお構いなく、そこは自分の場所だと言わんばかりにべったりと胸元に顔を埋めてぼやくカイルに、アイリスは唖然としながらも強引に引き剥がそうとは思わなかった。

    こんな事をするのも、これで最初で最後なのだ。

    胸に顔を埋められたり撫でられたりするのは、かなり恥ずかしい物があったが、もう二度と無い事だと思えば、その恥ずかしさも半減した。

    片手で、しっかりとカイルを抱き締める。

    密着するカイルのぬくもりを心地良く思いながら、もう片方の手でさらりと流れる髪を優しく撫でると、アイリスは耳元に口を寄せ、そっと囁くように言った。

    「カイル。もう二度とレイリュールに来ては駄目よ。私の事は今日で忘れて、貴方は闇の種族の為に生きるのよ」

    「アイリス? 何故、私が君の事を忘れなければならないんだ?」

    途端に、アイリスに頭を撫でてもらって気持ち良さそうに目を細めていたカイルが、眉を顰めて見上げてくる。

    その顔に、アイリスは苦笑した。

    本当に、何の憂いも無くカイルの傍に居られる存在として生まれたかった。

    ずっとこうして抱き締めて頭を撫でていたい。

    光の血など要らない。

    どちらの血も愛していた自分が、今日、生まれて初めて光の血は不要だと思った。カイルと同じ、闇の血だけが流れていれば良いのにと思った。

    父と母がその心に抱いた唯一人への愛とは、こんなにもその唯一人以外を要らなく思わせる物だったのか。己の心の変わりように、我が事ながら驚くばかりだった。

    互いを諦めなかった父と母は、人間に身を落とす事にはなってしまったが、人間界で幸せに生を終えられたのだと深く納得出来た。

    でも、自分は、父母と同じ道は取れない。ここでカイルの手を取り、共に人間界へ行く事は選べなかった。

    「私は、きっと明日にでも処刑されるわ。様子を見ていたなら分かっているでしょう? 私は、光の主神に刃を向けて嘲笑したわ。許される事ではない、自分が罪に問われる事を分かっていて私はそうしたの。……今日までは何とか堪えていたけど、今日はもうどうしても駄目だったわ。私の存在をまったく認めないのに、力だけは欲するあんな男と結婚なんてしたくないの。この世界を守って生きるのも嫌よ。言いたいことを全部吐き出して処刑されるなら、そのほうが良いと思ったからそうしたの。だから、悔いはないわ」

    「それなら余計に、一緒に人間界に行こう! こんなところで大人しく処刑なんて待つ事は無い!」

    「ここから一人で逃げられるなら、人間界に行くのに躊躇いは無いわ。……でも、それに貴方を巻き込むくらいなら、ここで大人しく殺される方が遥かに良いわ」

    生まれて初めて愛しいと思った相手を、自分の我が侭で振り回すなど、そんな事は絶対に嫌だった。

    首を横に振ったアイリスに、カイルは身を捩るようにしてアイリスの膝から飛び降りると、ドンと床を蹴って怒鳴った。ru486

    「この、分からず屋の頑固者っ! どうして、そんなに遠慮ばかりするんだ! 私の事、少しは好きじゃないのか? 独り占めしたいと思わないのか? 一緒に人間界で二人で暮らせるなんて幸せだって、どうして思えないんだ? 巻き込むなんて思うな。私は、すべて自分の意思で決めている。誰にも意思は委ねていない。種族を捨てても君ひとりが欲しい! これは、誰に決められた物でもない。私が思う、私だけの気持ちだ!」

    「カイル……」

    興奮し過ぎて涙が滲んでいる青銀の瞳でアイリスを睨みつけながら、カイルがアイリスに向かって両手を伸ばしてくる。

    座ったまま、少しそちらに身を傾けると、小さな手で頬を挟まれる。

    そして、吐息が互いの唇に触れるほど引き寄せられた。

    「アイリスは、両方の血を引いているから私を嫌わなかったのではなく、そんな事に関係なく、誰にでもあの態度が取れるのだと思う」

    「あの態度?」

    問い掛けながら首を傾げると、カイルの唇に己の唇が微かに触れた。

    その、柔らかい唇を気持ちが良いと思った時には、アイリスは自分から少し動いて、笑いながらカイルの唇にそっと口づけていた。

    アイリスのその行いに、カイルが驚いた様子で一瞬目を丸くする。

    そして、ぱあっと花が咲いたように笑うと、アイリスの首に両手を回してキスをしてきた。

    「アイリス。君は、私と初めて会った時、私が闇の種族だと知っても騒がなかった。大人しく、話を聞いてくれた。……君以外の、レイリュールで暮らしている存在は、絶対にあんな風にヴェルリーテの私とは向き合ってはくれないだろう」

    「それは……私には両方の血が流れているから……一方だけを毛嫌いは出来ないわ……」

    とん、と軽く床を蹴ったカイルが、再びアイリスの膝に乗る。しっかりと抱き付いてくるのを心地良く思いながら、その背を撫で、何度も優しいキスを交わした。

    子供相手に何を、とは思わなかった。

    それどころか、カイルにたくさん触れていたいと思った。

    欲望に忠実なヴェルリーテの血。自分にも確かに流れているのだと、アイリスは心の内でくすりと笑った。

    「……この世界で暮らす住人は、みんな光を崇める事になる。……アイリスだって、ここで長く暮らして居る。闇が嫌いになっていてもおかしくはないんだ。……でも、君は違った。……アイリスはきっと、純粋な光の種族として生まれていても、闇だから、ただそれだけで何もかもを嫌う事は無いんだと思う。君のお父様のように。……誰よりも綺麗で、両種族を受け入れられる心まで広いアイリスが、私は大好きだ。だから、絶対に君の事は諦めない!」

    「カイル。それは褒め過ぎよ。……私は、カイルの事は好きだけど、ヴェルリーテのすべてを受け入れられるとは言ってないわ」

    真っ直ぐに褒められると、酷く照れる。

    アイリスは困って眉を下げてしまった。

    片一方だけを酷く嫌うのは、自分に受け継がれている両親の血を否定しているみたいで嫌なのだ。

    しかし、だからと言って闇の種族のすべてを受け入れられるのかと言われれば、それは否だった。しかも、光の世界とて、すべてを受け入れている訳ではない。どちらかと言えば、差別が酷くて嫌いな所のほうが多いのだ。

    自分は、カイルが思っているような綺麗な存在ではない。

    「私を好きって言った!」

    「え?」

    頬を紅潮させ、満面の笑みを浮かべて感動した様子で叫んだカイルを、アイリスはきょとんと見つめた。

    「アイリスが私を好きって……はっきり言った……嬉しいっ! すべてなんて受け入れなくて良い。私だって、ヴェルリーテに嫌いな所はいっぱいある。ヴェルリーテの世界なんて愛さなくて良いんだ。アイリスは、私だけを愛してくれれば良いんだ!」

    「カイル……」

    自分に向かって見せる、キラキラと光り輝くような笑顔が可愛らし過ぎて、魂までも虜にされそうだと真剣に思った。

    「早く二人で人間界に行こう! 私は、君を愛した事を、何があっても後悔したりしない。君にも、私を選んだ事を後悔させない。大人になる私を傍で見て、もっと好きになって欲しい!」

    「…………」

    ぎゅっと、力いっぱい抱き締められる。

    そのぬくもりと、ひしひしと感じられるカイルの自分を深く想ってくれている気持ちに、心が揺らめく。

    カイルの立場を忘れ、この手を取れば自分も両親のように幸せになれる。そう思う欲望が抑えられない。

    心が激しく揺れ動いているアイリスの頬に、カイルの唇がそっと触れる。

    そして、唇に。

    これを、このまま受け入れたら、自分はカイルと人間界に行くと言ってしまう。だから、駄目、と思っても無駄だった。

    拒否するどころか、誘うように目を閉じてしまう。

    しっとりと深く唇が重なる。

    その瞬間、返事をする前に、幸せは終った。媚薬

     

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    2012年06月14日

    なんでどうして

    「せ、先生ぃ」


    沙帆子は、小さな声で佐原の背中に呼びかけた。


    いくら小声でも、この狭い部屋の中、聞こえないはずはないのに、机を前にして仕事をしている佐原は、沙帆子の声になんの反応もしてくれない。御秀堂養顔痩身カプセル第2代


    すでに十分近く、同じ状況に身を置いている。


    おかずをくすねたことが原因で、派手にとっくみあったふたりだったが、沙帆子の口から鶏の塩焼きが消えたところで、ようやく佐原は諦めた。


    佐原は、むすっとして残りの弁当を食べたが、機嫌を損ねた彼は、それから一言も口をきいてくれないでいる。


    不機嫌な佐原と一緒にいて、静まり返った部屋で、じーっとしているのっていたたまれない。


    鶏の塩焼きをひとつ盗ったくらいで…いい加減許してくれてもいいと思う。

    あまりにもおとなげないと思うのだ。


    本人に、面と向かっては言えないけど…


    「先生!」


    完璧無視され続け、むかついてきた沙帆子は、ちょっと声を張り上げて佐原に呼びかけた。が、それでも反応ゼロ。


    母との約束の時間までまだ二十分以上あるが、もういっそのこと、校門のところに行ってしまおうか?


    けど、佐原が機嫌を損ねたまま、この場を後にしたら、後で報復されるんじゃないだろうか?


    窓に目を向けて考え込んでいた沙帆子は、「ふぅ」と息を吐き、佐原の背中に視線を戻した。


    いくら機嫌を損ねていようとも、やっぱり愛する佐原の側にいたい。


    ちゃんと機嫌を直してもらってから、ここを出てゆきたい。


    こうなったら、泣き真似でもしてみようか?


    ぐすんぐすんって感じで。


    さすがの佐原も、彼女が反省して泣いていると思ったら、可哀想に思って、機嫌を直してくれるかもしれない。


    なんとか泣き顔を作り、演技をしてみようとしたが、羞恥が湧いて顔が燃えてきた。


    だ、駄目だ。

    そんなワザとらしいことなど、とても出来そうにない。


    やっぱりここは、ひたすら謝罪だ。


    「佐原先生。おかず盗っちゃったこと、心から謝りますから。もう機嫌を直して…」


    おずおずと口にしていた沙帆子は、佐原が物凄い勢いで振り返ってきて、ぎょっとして足を上げた。


    「許してやらないこともない」


    「ほ、ほんとですか?」


    沙帆子は飛びつくように聞き返した。


    「ああ。許してやるから、俺が喜ぶことをしろ」


    はへっ?


    いまなんと? よ、喜ぶこと?


    「あの、それって、いったいどんなことで…?」


    「俺に聞いてどうする。自分で考えろ」


    「で、でもぉ…」


    「芙美子さんが迎えにくる時間までにだ。俺を喜ばせられたら、鶏の塩焼きの件は忘れてやろう」


    横柄に言った佐原は、またくるりと背を向け、仕事に戻ったようだった。


    沙帆子は、困惑した眼差しを佐原に向けた。


    佐原を喜ばせる?


    いったいどうやって?

    何をすれば喜ばせられるというのだ?


    情けないことに、彼が不機嫌になるようなことなら、いくらでも浮かぶ。

    なのに、喜ばせるようなことは、なにひとつ浮かんでこない。


    悩んでいる沙帆子をよそに、佐原は完全に仕事に集中したようだ。


    パソコンのキーを叩く音が途絶えることなく続く。


    わたしが先生にしてもらって嬉しいことなら、これまたいくらでも浮かぶんだけどなぁ。


    たとえば…


    沙帆子の目は、佐原が授業中に羽織っていた白衣に吸い付いた。韓国痩身一号


    ああ、あれを、いま目の前で着て見せてくれたら、それだけで嬉しいのに…


    そんで、「沙帆子おいで」なんて言いながら、両手を広げてくれたりとか。


    そしたらわたし、気を失いそうになりながら、佐原にむしゃぶりついちゃうだろう。


    もう、喜ぶどころじゃないし…しあわせすぎて昇天しちゃうかも。


    ついでに、白衣の先生の唇を奪っちゃったりして…


    きゃはーーっ!


    いやーん、もおっ、わたしってば、恥かしぃ~。


    リアルに想像して、沙帆子は無意識に身体をくねらせながらにやついた。


    「おい、沙帆子」


    怪訝そうな呼びかけに、あられもない妄想にどっぷりと浸かっていた沙帆子は、ハッとして佐原に向いた。


    「お前…」


    じーっと見つめられ、目が泳ぐ。


    み、見られてた?

    あられもない妄想中のところを?


    「いま、何考えてた?」


    「な、な、なにも」


    白衣の先生にむしゃぶりつく妄想をしてにやついていたなどとは口が裂けても言えない。


    「何を考えていたのか、それ聞かせてくれ」


    そっけなく言われ、沙帆子は目を丸くして佐原を見た。


    「そ、それはちょっと…」


    「ふん。まさか、口に出しては言えないようなことでも考えてたってのか?」


    ギョギョッ!


    ず、ずばり大当たり。


    「そ、そんなことは…」


    動揺した沙帆子は、自分を見つめる佐原の視線を必死に避けた。


    「…聞かせてくれたら、俺はきっと喜ぶと思うぞ。鶏の塩焼きをかっさらったことも許してやる」


    「えっ?」


    許してやるとの言葉は、心が揺らぐ。


    彼を喜ばせる方法など、考えつかないでいるのだし、その要望に応えれば…


    佐原は椅子から立ち上がり、沙帆子のほうにやってきて上体を屈めて顔を寄せてきた。


    「ほら、言ってみろよ」


    凄みながら、せっついてくる。


    まともに目を合わせたままでは、さすがに言いづらく、沙帆子はおどおどと視線を逸らせた。


    「え、えっと……そのぉ、は…は…く…は…く…ぃ…を……そのっ」


    なんとか言おうとするものの、口元は強張るわ、顔は熱くなるわで、どうにも口にできない。


    白衣の先生にむしゃぶりつく自分を想像して、にやついてましたなんて…やっぱ、い、言えないー。


    「おい、さっさと言えっつってんだろ!」


    焦れたように佐原が怒鳴りつけてきて、沙帆子は顔を歪めた。

    このままじゃ、また不機嫌マンになってしまう。


    「つまり、その…は、白衣でぇ…」


    「白衣?」


    佐原が白衣と口にしたことで、沙帆子の羞恥が増した。


    やっぱり言えないし。韓国痩身1号

    ここはなんとか誤魔化さねば。


    「せ、洗濯を…するんで、持って帰って…そ、そう、アイロンをかけるところを想像してて…」


    「ああ、そういえば、そうだったな」


    佐原は白衣に目を向け、納得したように言う。


    「それじゃ、持って帰るか」


    佐原は、壁にかけていた白衣を手に取る。


    沙帆子は何も考えずに立ち上がり、佐原が手にしている白衣に手をかけた。


    「あ、あの。それ、わ、わたしが持って帰っときます」


    「お前はこれから榎原の家に行くんだ。これは俺が持って帰るさ」


    「で、でも…先生、持って帰るの忘れたら困るし」


    「忘れやしない。それに困りもしないしな。替えはロッカーにもある」


    沙帆子の気も知らず、佐原ときたら…


    ああ、でも、白衣を羽織った先生が見たくてならない。


    「あ、あのっ、先生。それ、羽織って欲しいかなって…」


    沙帆子は勢いのまま佐原に言った。


    彼女の言葉を聞いた佐原は、眉を上げ、まじまじと沙帆子を見つめてくる。


    し、視線が痛い。


    「な、なんて…だ、駄目ですよね?」


    顔を真っ赤にしつつ、沙帆子はもごもご言った。


    その次の瞬間、沙帆子の肩に白衣がかけられ、彼女は驚いて佐原を見つめた。


    「え…っと? はい?」


    戸惑いを込めて言ったが、佐原は沙帆子の手を取り、白衣を着せようとする。


    こ、これはどういうことで?

    なぜ、わたしに白衣を?


    白衣を着て戸惑っている沙帆子の全身を眺め、佐原がぷっと吹き出した。


    確かに笑えるんだろうけど…


    ぶかぶかの白衣を着た沙帆子を見つめ、佐原はくすくす笑い続ける。


    「せ、先生?」


    「似合わないな…」


    失礼すぎる言葉にむっとした。


    先生ときたら、自分が着せたくせに…


    「あ、当たり前…えっ!」


    似合わないの言葉に拗ねて唇を突き出した沙帆子は、なぜか佐原に抱きしめられていた。


    「お前、うまいことを考えたな。まったく期待してなかったから、かなり驚いたぞ。鶏の塩焼きの件は、これでチャラにしてやるよ」


    頭のてっぺんから聞こえてくる佐原の笑いのこもった言葉。


    沙帆子は呆けた顔でパチパチと瞬きした。


    うまいこと考えたって? 驚いたって? いったいどういうことなんだ?


    なんでか許してもらえたらしく、喜ぶべきなのだろうが、それがなぜなのかわけがわからない。新一粒神


    しかし…

    白衣でぎゅっが、なんでどうして逆転しちゃったのだろう?

     

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    2012年06月21日

    秋色のお土産

    愛美はブランコに座ったまま、嬉しさに胸をときめかせながら不破を待っていたが、だんだん落ち着かなくなってきた。


    ときめきの中に、不安が湧き上がってきたのだ。中絶薬RU486


    自分の身なりを意識した愛美は、不安が急激に大きくなっていくのを押さえられなかった。


    土をさんざん玩んできたものだから、ズボンや上着のあちこちに乾いた土が付着しているではないか。


    履いているジーンズも、よくよく見ればよれよれで、上着は洗いざらして色があせている。


    まさか顔に泥など…

    彼女は、どきりとして、自分の頬に手を当てた。


    どうしよう…


    頬に触れた指先が震えた。


    確めようにも、こんなところに鏡などあるわけがない。

    家に駆け込んで確めてきたい衝動を、愛美はなんとか堪えようとした。


    いまこの場を離れたら、不破と逢えなくなる…


    その思いに引き止められ、愛美は衝動と戦い、ブランコにしがみ付くように座っていた。


    愛美の葛藤のさなか、不破の車が公園の前に現れた。


    駐車場というほどのものはないが、整地されていないでこぼこした空き地があり、彼はそこに車を乗り入れた。


    愛美はブランコから立ち上がり、その場から動かずに、車から降りて公園内に入ってくる不破の姿を見つめていた。


    いつもと同じにシックなスーツを着込んでる不破は、この場にまるきりそぐわない、彼独特の雰囲気を漂わせている。


    そんな彼を意識した途端、少しばかり残っていた高揚感は完全に消え失せた。


    重い不安に取り付かれた愛美の表情は、暗い翳りを帯びていった。


    なのに不破は、愛美を一心に見つめてくる。


    彼の目に、いまの彼女はどんな風に映っているのだろうか?


    怖れに似たものを抱えた愛美は、不破の視線を避けるように目をさ迷わせながら、そわそわと身じろぎした。


    「いいところですね」


    その言葉に虚をつかれ、愛美は戸惑った顔を上げた。


    「ここが?」


    「ええ。何もかもが自然なものと思えます。…ああ、そうか…」


    不破は首を傾げておかしそうに微笑んだ。


    「貴方がいるからだ…」


    「わたし?」


    「そう、貴方の存在が…」


    不破はそういうと手を差し出してきた。

    愛美は彼の魔法に掛かったように無意識に手を上げた。


    彼は愛美の手を取り、やわらかに握り締めた。


    不破は、愛美の手を味わうように、その手にゆっくりと力を込めていった。

    その一方で、彼の目は愛美の顔を食い入るようにみつめてくる。


    愛美はまた不安が頭をもたげ、思わず自分の頬に触れた。


    「土を…」


    「土?」


    おうむ返しに不破が繰り返した。愛美は不安な面持ちで頷いた。


    「ずっと土をいじってたから…ついていないか心配になって」


    不破は空いている方の手で、不破の視線を逸らそうとばかりしている愛美の顔に、指先で触れてきた。


    調べ物をするような真剣な顔で、不破は愛美の顔の角度を少しずつ変えさせて確めた挙句、最後に指の先を、そっと唇に押し当てた。


    驚いた愛美は目を見張った。


    「…とても綺麗ですよ」


    奇妙に平坦な声で不破は言うと、驚いている愛美の唇の表面を、指先で味わうように、ゆっくりとなぞった。巨人倍増


    「ゆ、優誠…」


    「いい場所だが…欠点もあるな」


    苦笑と不平を取り混ぜたような声で不破が呟いた。


    「欠点…」


    「あなたの住まいが、すぐそこにあるからですよ。…薄暗くても、あのたくさんの窓から、私たちはよく見えるでしょう。貴方を抱きしめたいが…貴方の困るようなことは出来ない」


    愛美は背後の建物に振り返って見上げ、改めて不破を見つめた。

    スーツできっちりと身を固めている不破…


    古びたアパート、手入れの行き届いていない公園…

    色の褪めた上着によれよれのジーンズを履いた愛美…


    両者のあまりの差に、彼女はふたりの間に横たわる超えられない溝を感じた。


    「まなさん?」


    愛美はハッとして顔をあげた。


    「な、なんでも…なくて…」


    なんだか堪らない気分に襲われ、愛美は不破の手から自分の手を抜こうとした。


    「触れていたいんです。せめて手だけでも…」


    不破の言葉には懇願があった。


    その懇願の響きに、愛美はなぜか救われた気持ちになった。


    愛美の頷きに、彼女の手を離すまいと力を込めていた不破の手から、ほんの少し力がゆるめられた。


    「どこにお出掛けだったんですか?」


    「焼き物を作りに、父と…窯があるんです。そこに行ってました」


    「あなたもお作りになるんですか?」


    「はい。好きなんです」


    笑顔でそう言った愛美は、「へたくそですけど」と、クリスマスに不破に手渡すことを思って、付け足した。


    「そうだ…優誠さんのお誕生日はいつなんですか?」


    「七月です」


    愛美は問うように不破の瞳を見つめた。

    不破はなぜか苦笑いを浮かべた。


    「笑わないでくださいね。七夕の日なんですよ」


    愛美は思わず笑った。


    「笑わないでくださいとお願いしたのに…」


    いくぶん拗ねたように不破が言った。

    愛美は笑いながら首を振った。


    「ごめんなさい。でも、優誠さんが笑わないでなんて前置きなんてなさるから、笑ってしまったんですよ」


    「私のせいですか?」


    愛美は不服そうな不破を見つめて、夕暮れの中に笑い声を響かせた。


    「でも、覚えやすくていいですね。それになんだか…優誠さんにぴったりな気もします」


    「ぴったり?」


    愛美は頷いた。


    「星のイメージっていうか…優誠さんは…キラキラした天の川みたい…」


    自分で言った言葉なのに、愛美の顔から笑顔が消えていった。


    そう…手の届かない…遠い存在…


    「何を考えているのか…教えていただけませんか?」


    愛美の翳りを見たからだろう、不破の声は固かった。VigRx


    顔を上げてみると、愛美の心を推し量っているような彼の眼差しがあった。


    「…ただ、その…星は遠いなって…」


    不破がぐっと顔をしかめた。

    彼は握り締めている愛美の手を自分に引き寄せて、ふたりの距離を縮めた。


    「こうやって、触れ合っているのに…ですか?」


    愛美はその問いに答えなかった。

    不破の身体は触れそうなほど近くなり、愛美の好きな不破の匂いがした。


    甘く、愛美を惑わし、引き込むような香り…


    不破の身体に対して抱いた気恥ずかしい感覚と、いまの会話を誤魔化すために、彼女はポケットに手を入れてどんぐりを取り出した。


    「お土産です」


    愛美は恥ずかしげに微笑みながら、不破にどんぐりを差し出した。


     


    --------------------------------------------------------------------------------




    帰る不破を見送るのは淋しかったが、愛美は彼と、次の土曜日に会う約束をした。


    どんぐりを手の中で転がしていた不破が、森林公園に行かないかと提案してきたのだ。

    もちろん愛美は、即座に頷いた。


    その提案は、心から嬉しかった。


    気の張るようなところだと、不破と一緒であっても、萎縮してしまうばかりでちっとも楽しめないだろう。


    それに着る服にも困る。


    彼が連れてゆくようなところは、普通に着飾ったくらいでは足りないところばかりなような気がするのだ。


    愛美の心は沈んだ。

    彼と付き合ってゆく以上、いずれはそういう事態になるに違いない。


    不破への恋しさと、別れた淋しさと、先への気掛かりを抱えて、とぼとぼと家に帰った愛美は、持ち帰った荷物を片付け始めた。


    父は私室にいて、愛美の立てる物音を聞いて部屋から出てきた。


    「夕飯の材料は揃ってるのか?買い物に行かなくても良かったか?」


    「大丈夫。金曜日のうちに、今日の分の買い物、しといたから」


    「そうか」


    徳治は相槌を打ち、くるりと背を向けて自室に入ってしまった。


    先ほど飛び出していったことを怪訝に思って、何か聞いてくるのではないかと思ったのだが…


    愛美は気にしていた問いをもらわずに済んだことに、ほっとした。三便宝カプセル

     

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    2012年06月29日

    過去との対面

    「ないな」


    「うーん。ないわねぇ」


    真理が倒れた日から、六日が過ぎていた。

    あの後、真理は驚くほどの回復を見せ、みなを安堵させていた。精力剤


    今日は仕事が休みの詩歩の父が、つきっきりで看病している。

    詩歩は気を効かせて、海斗とともに、朝ちょっとだけ真理に顔を見せると、すぐに帰ってきた。


    家に戻ってすぐ、海斗の計画のうちだったらしく、こうして物入れの捜索が始まったのだ。


    「詩歩、真剣に探してるの?」


    物入れに突っ込んでいた上半身を外に出し、むっとした顔で海斗は詩歩に言った。

    詩歩は、手にしていた箱を慌てて置き、気まずい顔で両手を後ろに隠した。


    「さ、探してるわよ」


    海斗が、詩歩がいま手にしていた箱の中身をじっと見た。


    生前の祖父が集めていたらしい年代物の陶器の皿だった。

    開けて目にした詩歩は、色合いの素晴らしさについつい見惚れてしまったのだ。


    「僕には、真剣みがないみたく見えるんだけど」


    「そんな疑わしげな顔、海に似合わないと思うんですけど…」


    そう言いながら詩歩は、取り繕うように周りを忙しく見回した。

    いたるところ大小のダンボールの箱が重ねられている。


    「やっぱり、母が燃やしちゃったのかも知れないし、いくら探しても無駄なんじゃ…」


    「いや、絶対にある。燃やしたりしてないよ」


    そう断言すると、海斗はまた物入れの中に上半身を突っ込んだ。


    「どうして?」


    詩歩は、海斗の下半身に問いかけた。


    「どうしても…あ、このでかいのはなんだろう?」


    物入れの一番奥にしまわれていた大きな衣装ケースを海斗は引きずり出した。

    開けようとしたが、鍵がついていて開かない。


    「詩歩、ヘアピンとかない?」


    「そんなので開く?」


    そう言いつつも、詩歩は洗面台に行ってヘアピンを一本持って戻った。


    「こういう箱の鍵って、鍵の細工はけっこう単純なものなんだよ」


    そう言っている間に、カチッと音がして鍵が開いた音がした。

    あまりの速さに詩歩は目を丸くした。


    「すっごーい、海ってば、ほんとになんでも出来るのね」


    パチパチと賞賛の拍手をしている詩歩になど構わず、海斗は箱の蓋を開けた。


    「なんだ。これも違うみたいだ」


    海斗はガッカリしたようだが、詩歩は箱の中身に目を見張った。


    「これって…」


    詩歩は立ち上がって真っ白なドレスを胸に当てた。

    ウエディングドレスだった。母のだろうか…それとも真理の…


    詩歩は喜びに輝く顔で真っ白なドレスを胸にあて、海斗に「見て」と声を掛けた。

    だが、海斗は詩歩のウエディングドレス姿になど目もくれず、ひたすら箱の中をさぐっている。


    詩歩は手近にあった平たい箱を取り上げて、海斗の頭に振り上げた。


    「詩歩、あったぞ」と言う興奮した海斗の声と、パコーンという軽い音がステキにハモった。




    十分後、詩歩はぐったりとして床に伸びていた。


    頭を叩かれた海斗は、すさまじい執念で、詩歩を追い掛け回した。


    子供だましのような鬼ごっこに、逃げ続けずにはおれない必要なだけの怖さを詩歩に感じさせ、捕まる一歩手前の恐怖を与えて取り逃がす。そんな海斗の絶妙のやり口に、詩歩はまんまと嵌った。


    尋常でない体力を持っているらしい海斗は、すでに平然としてソファに座り、膝の上にアルバムを置いて捲っている。媚薬


    「く、くやしいぃ…」


    詩歩は、口の中でもごもごと文句を言った。

    海斗がパッと顔を上げた。


    詩歩はどきりとして慌てて口を閉じた。

    海斗がふっと笑った。なんだか怖かった。


    「喉乾いたな。詩歩…」


    それはつまり、…入れて来いということ…?


    「キーマンがいい」


    キーマン…ですか?

    そんなのないと言ってやろうかと一瞬思ったが、詩歩は思いとどまった。


    仕返しとしては、ひどく姑息だと自分でも思ったが、詩歩は一番大きなマグカップに、紅茶をなみなみと注いだカップを海斗の前にドンと置いた。


    気分がささやかにすっとして、詩歩は自分用に、薔薇の小花のついた可愛らしい紅茶のカップを持って、紅茶のふくいくとした香りを楽しんだ。


    「詩歩」


    詩歩は応戦の構えで海斗に向いた。


    「嫌がってないで、ほら、一緒にみよう」


    詩歩は頬を染めた。

    どうして海斗には、彼女のすべてが分かるのだ?


    「嫌がってなんか…」


    「目にして、泣いてしまわなくちゃ…」


    「そんなのじゃ…」詩歩は唇を尖らせたまま呟いた。


    「僕はね、詩歩に、ひとりで泣いて欲しくないんだ」


    海斗の言葉を胸の中で反響させながら、詩歩は手にした紅茶を飲んだ。


    海斗が上品な手つきで、なみなみと注がれたカップをすっと持ち上げたのを見て、詩歩は紅茶を味わいながら、彼の動きを横目で観察した。


    彼は、どでかいマグカップを、ありえないほどスマートな仕草で口に含み、「おいしい」と極上の笑みを浮べた。

    詩歩は白旗を上げた気分だった。


    詩歩は覚悟を決めるだけの時間を与えてもらい、最後には海斗の隣に座った。


    心の葛藤


     


    病室に入ってきた娘に気づいた詩歩の父は、不安と怯えにまみれていた表情を一変させた。


    真理の生を放すまいとするように硬く握り締めていた手を、意志の強固な力を借りて彼は離した。

    硬く強張ったその表情、彼の全身も、己に向けた激しい怒りに満ちている。


    詩歩はこれまで感じたことのない、激しい怒りを感じた。

    詩歩は父に駆け寄ると、父親の手の甲を思い切り叩いた。


    「どうして、どうして真理さんの手を放すの?」


    手のひらが痛みにじんじんと痺れた。


    一瞬詩歩の頬を叩いた吉冨のことが脳裏に浮かんだ。

    ひとを叩く痛みはすべて、自分に返ってくる。


    「お父さんは、真理さんが、このまま逝ってしまっていいの?」


    「…わたしには…権利がない…」


    詩歩の父幸太は、この場にいることが耐えられないようだった。

    背を丸くして椅子に座っている彼の全身が、わなわなと震えている。


    詩歩は辛かった。

    父の辛さを癒してやれないことがもどかしくてならなかった。


    「人を愛するのに権利なんてものがなぜ必要なの?そんなもの、いったい誰が与えてくれるっていうの?」


    「わたしがっ」


    幸太は激怒したように顔を上げて怒鳴った。だが、詩歩を目にして、瞳に怖れを浮べて慌てて視線を逸らした。


    「幸せになっていいわけがないんだ。お前に、そして…歌歩の顔に醜い傷を負わせた…。わたしは彼女を見るのが恐ろしくて、病院にも行かなかった。あの時以来、彼女が死ぬまで一度も会わなかった。最低な…やつなんだ」


    「会わなかったのは、母さんの意志だったわ。母さんがお父さんと会おうとしなかったのよ」


    違うというように幸太が緩く首を振った。

    心が苦痛を浴びすぎて、彼の身体は気力をすべて無くしたかのように見えた。


    「母さんも同じこと自分に向けて言ってた。自分は最低な人間だって…真理と幸太の気持ちを知っていたのに、自分の幸せを最優先にしたって…わたし、わけがわかんない」性欲剤


    詩歩は思わず地団太を踏んだ。


    同じ部屋にいた看護師さんが、この治療室での騒ぎを見かねて動きを見せたが、それと気づいて海斗がとめているのを、詩歩は視界の隅に感じていた。


    海斗の存在に、詩歩は少し冷静になれた。


    「どうして幸せになれるのに、なろうとしないの。心の声に従って何がいけないの。誰も責めない、誰も責める権利なんて持ってない」


    詩歩は父親に近付いた。

    父親が詩歩を拒否するように身を強張らせたが、彼女は父親の身体を強く抱きしめた。


    「お父さんは分かってない。お父さんが不幸であればあるほど、わたしも、お母さんも辛いのよどうしてわかってくれないの」


    「詩歩ちゃん、何で泣いてるの?」


    詩歩は目を見開き、真理に向いた。

    目覚めたばかりのぼーっとした顔で、真理は天井を見つめていた。


    幸太が跳ねるように動き、彼は無意識に真理に屈み込んで、その手を強く握り締めた。


    「わたしの詩歩ちゃんを泣かせる奴は、…許さないんだから」


    「俺だ。真理ちゃん、俺…」


    その声に、ほわんとした表情だった真理が、ゆっくりと眉をしかめた。

    彼女の思考は、聴覚よりもひどくゆっくりと現実に戻ってきているようだった。


    真理が目を閉じた。

    それに怯えて幸太が「真理」と叫んだ。


    再び瞼を開けた真理は、目の前にいる人物に焦点を合わせた。


    「生きてくれよぉ。頼むから…」


    前かがみになったままの幸太の目から涙が零れ、真理の頬を濡らした。


    「…幸太…さん」


    「俺の寿命全部やる、…生きてくれよぉ」


    真理は事態がつかめずにぽかんとしている。


    詩歩は安堵から、全身から力が抜けてしゃがみこみそうになった。

    そんな彼女を、海斗が後ろから支えてくれた。


    看護師が医師を呼びに行き、治療室の中がぱっと明るくなった気がした。


    詩歩は、この場に母がいるような気がした。

    きっといい方向に向かう。そう意味もなく確信を得た。


    詩歩は、真理に顔を見せ、視線を合わせて微笑みかけた。


    「素直にならなきゃ駄目だよ。わたしにはもう海がいるし、真理さん、ひとりぼっちの老後なんておくりたくないでしょ?」


    「詩歩ちゃんてば、何言って…」


    おろおろと目を泳がせている真理に、詩歩は真剣すぎる顔を向けた。


    「お父さん…頼むね、真理さん。自分を不幸にする天才だから、大変だと思うけど…」


    幸太が顔を上げて詩歩を見た。

    彼女が、父の瞳を真正面から受け止めたのは…


    詩歩は、長い月日を感じて胸がいっぱいになった。

    彼女は父に微笑んだ。

    幸太は笑みを返してくれなかったが、先ほどまでの、彼の中の煮えたぎるような怒りが溶けてきているのを詩歩は肌で感じた。


    「歌歩を見るようだ…」


    「娘だから…」


    「わたしは…許されてもいいか? 歌歩…、詩歩…」


    詩歩は黙ったまま、強く頷いた。


    「わたし、海と散歩してくる」


    震える声で詩歩は言って、踵を返した。


    海斗が手を差し出してきた。詩歩はその手を握り締めた。女性用媚薬


    これからいつでも必要なときに、わたしにはこの手がある。

     

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    2012年07月09日

     探索の前に…

    朝見の敷地内にある、和磨の祖母長子(たけこ)の住まいは、イギリスの田舎あたりの風景を彷彿とさせる。


    少し丘になった土地の上に建った、小さく古風な家を、自然な木立が囲っている。日本秀身堂救急箱


    元々この地に流れていたと思わせる、小川まであるのだ。

    そこに丸太で作った橋が掛けられ、二十メートルほどの小道の先に、家の玄関がある。


    まばらに植えられた花々。野草の数々…


    この家が出来上がった当初は、ひどく人工的な家屋に思えたが、三年を経たいまは、数百年そのままの姿なのではないかと信じてしまいそうなほど、自然さを持ってこの場に溶け込んでいる。


    敷地の少し離れた場所にあるハーブ園に目を向けた和磨は、歩みを止めた。

    大きな帽子を被った祖母が、薄暗い中で、屈み込み、なにやらやっている。


    「長子さん、こんな時間に庭弄りですか?ご精が出ますね」


    「あら…。いらしたの。珍しいこと」


    一言一言に、これ見よがしの刺があった。

    やはり歓迎されはしなかったようだ。もちろん予想のとおりだが…


    もしかすると…トシから、彼が来ているとの報告をもらっているかもしれない。


    祖母とは一ヶ月前の見合いの一件以来会っていなかった。


    それ以前も仕事が忙しく、ここに顔を出していなかったから、考えてみると会うのは二ヶ月ぶりくらいかも知れない。


    祖母とすれば、和磨に直接癇癪をぶつけられず、怒りがくすぶったままなのだろう。


    「長子さんに、折り入って、報告がありましてね」


    「そんなもの聞きたくありませんし、興味もございません」


    顎をつんとあげて、長子が叫んだ。

    麦わら帽子の紐を結んでいなかったのか、顔を上向けたせいで帽子が地面に落ちた。


    「わたくしの顔をあんな風に潰しておいて、謝罪もないまま…。あなたなんか、もう孫でもなんでもなくてよ」


    不機嫌を見せ付けるように、腕を組んで顔を逸らしている祖母に近付き、和磨は帽子を拾い上げて差し出した。


    受け取ろうとしない祖母の頭に、帽子をそっと乗せた和磨は、その場から三歩退いた。


    「それは困ったな…。孫でないとおっしゃるならば、ここにいて、お邪魔をする資格もない。それでは帰ることにしますよ。失礼しました」


    和磨は軽く頭を下げると、くるりと後ろに向き、スタスタと歩き出した。


    「ちょっと、ちよっと、和磨さん、お待ちなさい」


    慌てて呼び止めた長子に、和磨は足を止めてくるりと振り向いた。


    「どうしてあなたはそんなに気が短いの?」


    「それはもう…確かに、長子さんほど、長くはありませんよ」


    腕を組んで和磨を睨んでいた長子の肩が小刻みに震え出し、堪え切れなかった笑いがプッと口から飛んで出た。


    「上手いことを言うわね。もういいわ。許して差し上げるわ」


    仕方なさそうに長子は言った。


    別に許してもらおうとは思っていなかったが、和磨は言葉を受け入れた印に軽く会釈した。


    祖母は、和磨からのはっきりとした謝罪の言葉が欲しいのだろうが、彼が謝罪を口にするとは期待していない。


    だが和磨にすれば、長子こそ、自分のやったことがどれほど傍迷惑な行為だったか、気づいてもらいたい。


    謝罪の言葉をもらいたいのは、こっちなのだ。


    周りの皆は、和磨は長子に似て癇癪持ちだと言うが、どう考えても和磨の方が鷹揚で気も長いと思う。




    長子が手を洗っている間に、和磨は祖母の家の古風な作りのダイニングキッチンに入り、食卓の椅子に座った。


    リビングもくつろげる場だが、このキッチンの空間も癒しに満ちている。

    香辛料などの自然な香りが、彼の鼻先をくすぐる。


    真子がここを訪れたら、いっぺんで気に入ることだろう。

    彼女はこの小さな家の雰囲気に、たやすく同調しそうだ。


    結婚後は、こんな素朴な家を建てて住むのもいいかもしれない。

    それならば、真子もすんなりふたりの新しい住まいを受け入れるのではないだろうか?

    あのアパートは心地よいが、一人住まいの独身者用だろうから、いずれ家主から、出てゆくよう通告を受けるに違いない。


    真子を思った和磨の手は、無意識に携帯を掴んで取り出していた。


    手のひらに載せた携帯を見つめつつ、掛け様かどうしようか迷っている自分に気づき、和磨は眉を潜めた。簡約痩身美体カプセル


    和磨が思うより、彼は真子に魅入られているのだろうか?




    今度は五回目の呼び出しで真子が出た。


    「和磨さん」


    悦びを無理に押さえ込んでいるような声で真子に名を呼ばれ、和磨の心は満ち足りた。


    「何度か掛けたんだが、話し中でね」


    「すみません。奈々ちゃんが同じ職場の松野さんとずっと話してて」


    「松野?ああ…」


    「和磨さん、松野さんを知ってるんですか?」


    「まあ、知ってるよ。それで、なんでまた、君の携帯でふたりが話してたんだ?」


    「それが…話すと長くなるので、帰ってから話します。あの、携帯の充電が少なくて、そろそろ電源が切れちゃいそうなんです」


    帰ってから…?


    「真子、君は今、アパートにいるんだろ?」


    「それが出掛けて来ちゃってるんです。奈々ちゃんが松野さんに逢うので付き合わされてしまって…あの、和磨さん何時に帰ってきます?」


    自分の知る範囲内に真子がいないと判って、和磨はひどい苛立ちを感じた。


    「どこにいるんだ?」


    「ええっと…、奈々ちゃんに連れて来られたので、地理的にはさっぱり分からないんですけど…。お店の名前は、居酒屋 花車だそうです。あの、和磨さん、何時に帰って来ます?鍵を渡してないから、部屋に入れないですよね」


    「君こそ、何時に帰れそうなんだ?」


    だんだん責める口調が色濃くなっているのに、和磨自身気づいていたが、湧き上がる苛立ちを消しされない。


    「わたしも、出来るだけ早く帰りたいんですけど…。帰してくれそうになくて…」


    和磨の苛立ちがストレートで伝わっているらしく、真子は心底困ったように言った。


    「僕が迎えに行く。住所を店のひとに聞け」


    「分かりました。それじゃ、いったん切ります。電源切れたら困るので…」


    「分かった。なるべく早く掛けて来るんだぞ。いいな、真子」


    「分かりました」


    切れた携帯を見つめて、和磨は憤りを発散して毒づいた。


    「ずいぶん、ご機嫌なようね」


    ふいに声を掛けられ、和磨は残りの罵声を飲み込み、携帯を隠すようにポケットに入れた。


    「真子さんって、どなた?」


    「別に誰だって!」


    憤りに駆られた勢いで、思わずそう返した和磨に、理性がストップを掛けて来た。


    そうだった…


    「彼女のことを、報告しに来たんですよ。もう僕の縁談を取り持つ心配などないとお伝えしたくて…」


    「結婚なさるおつもりなの?」


    「ええ」


    「結婚の報告なら、どうして連れていらっしゃらなかったの?普通はふたりで報告に来るものではないかしら?」


    「逢わせる前に、クッションをおこうと思いましてね」


    「クッション?どうしてそんなものが必要なの?あなたがこの方と決めたのであれば、わたしは反対などしませんよ」


    「ええ。そんなことは思っていません」


    「なら、どうして?」


    彼女のためです…


    その真実の言葉は、照れに囚われ、どうしても口に出せなかった。


    「いずれ連れてきます」


    「いずれ、ね…」


    祖母はかなり不服そうだ。


    「言い出したら聞かないひとですものね。分かったわ」


    その時携帯の呼び出し音が鳴り出した。


    祖母の前で真子と話すなど論外だ。

    和磨は携帯をポケットから取り出すと、椅子から立ち上がった。西班牙蒼蝿水口服液


    「ちょっと座を外させていただきます」


    「どうぞ」


    祖母が軽く応じて言った。

    和磨はリビングに飛び込み、すばやく携帯を耳に当てた。


    「住所は分かったのか?」


    「はい。桜通りって、分かります?桜並木がとてもきれいなんですよ。電飾付けられてて…夜桜が…」


    「そんなことはどうでもいい。電源が切れそうなんだろう。早く言え!」


    「す、すみません。それで…?桜通りは?和磨さん、分かるんですか?」


    「志乃森公園のある通りだろう?」


    「そうなんですか?」


    逆に問う、真子の感心したような声。


    和磨は、未熟すぎる真子の地理感覚に、ため息をついた。

    どうやら、さっぱり自分の現在地が掴めないらしい。


    「あ、あ、か、和磨さん、携帯が鳴り出しました。切れます。どうしよう…和磨さん、何時に…」


    ブチッと通話が切れ、和磨は歯噛みした。


    先ほど真子が口にした店の名前を思い出そうと必死で試みたが、頭に血が上っているためか、どうしても思い出せない。


    携帯を意識不明にした真子にも、真子を置いてきた自分にも…腹が立った。

    もちろん和磨は、真子を連れ出した張本人の奈々子に、最大の怒りを向けた。


    「お茶が入ったのだけど、お飲みになる?」


    背後から掛けられた優越感を含んだ愉快げな声に、和磨はさらに歯噛みした。

    彼は怒りを飲み下すと、表情を改めて祖母に向いた。


    「この香りは、ハーブティーですか?いただきますよ」


    「ええ。そのほうがよろしくてよ」


    和磨は祖母の言葉に眉を上げ、視線だけで問い返した。


    「ハーブは、波立った心を沈めてくれるわ」


    そのいたわりとやさしさのこもった言葉に、和磨は自分を取り繕うのをやめた。

    和磨は頷くと、祖母の後についてキッチンに戻り椅子に腰掛けた。


    お茶を飲み、心にゆとりを得て、それから…

    手にしている情報を元に、真子探索に出かけるとしよう。




    「大切に味わいなさい」


    可愛らしい小花模様のポットからハーブティーをティーカップに注ぎながら、長子が言った。


    「お茶を飲むくらいのことで、大袈裟すぎませんか?」


    慈しみを込めた眼差しの長子が、そっと首を横に振りながら微笑んだ。

    和磨が一番好きな祖母の笑みだ。


    本当に時折しか見せてくれないが…


    「お茶ではないの。…恋しい思いを…よ」


    恋しい思いを…大切に味わう…


    この場の気恥ずかしさを消してくれるシニカルな言葉は、いくつでも思いついた。

    けれど彼は、そのどれも口にしなかった。


    「そうします」


    和磨の言葉に、長子が微笑みを深めて頷いた。西班牙蒼蝿水

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    2012年07月13日

    雪の降る夜に…

    「何泣いてる?」


    彼女はぎょっとして前に向いた。


    ね、眠ってたはずなのに…SPANISCHE FLIEGE D5


    「お、起こしちゃって、ご、ごめんなさ…」


    「だから、何泣いてるって聞いてんだ!」


    窓ガラス越しに、責めるようにそう問われ、怖れた彼女は窓から後ずさった。


    「バカ野郎!」


    そう罵るように怒鳴り、彼女を充分ビビらせてから、サンタさんはベッドから出た。


    数秒ののちに、家のドアが開き、彼が出てきた。


    「あ、あの、…ごめんなさい」


    あまりの事態に身を竦ませていた彼女は、目の前までやってきたサンタさんに恐れおののき、身を縮ませてぺこぺこと謝った。


    「なにやってんだ、寒いだろ?」


    「け、毛皮があるから…そんなに寒く…」


    彼女の言葉をサンタさんは聞いていないのか、自分が羽織っているマントで彼女の全身をくるんでくれた。


    背中に当たる彼のぬくもり…


    心臓がドカドカと、力一杯足を踏みならす勢いで、胸の中で暴れ始めた。


    「一緒に寝ようって言うのに、お前がどうしてもダメだって断るんだぞ、わかってんのか?」


    そ、そうだったか?


    「でも、…だ、だって…わ、わたしは、トナカイさんで…あなたは…サン…」


    「うるさい!」


    突然唇を塞がれ、力強く抱きすくめられた。


    へはっ!!!


    信じられない現実…


    だが、意識が現実として飲み込めない間にも、キスは甘美に深まってゆく。


    頬にあたる雪が、この出来事は嘘ではないよとやさしく囁く。




    耐え切れないほど甘い余韻を残して、彼の唇がゆっくりとはなれてゆく。

    なごりおしくて、切なさに泣きそうな気持ちで、彼女は彼の唇を見つめた。


    彼の唇が薄く開いた。


    「なんでそんなどうでもいいことを気にする?」


    切なそうな瞳で、サンタさんは静かに言った。


    彼女はパチパチと瞬きし、キスの前の会話を記憶から引っ張り出した。


    ど、どうでもいいこと?なのだろうか?


    突然ふわっと身体が浮き、彼女は驚いた。


    「な、な、何を…」


    「ごたごた言うな」


    「で、でも」


    「明日は忙しいんだ。さっさと寝るぞ」


    そうそっけなくいい、自分の家に向かおうとする。


    そう気づいた彼女は、両手足をブンブン振って、抵抗した。


    「だ、ダメです。そこには入れません」


    だって彼女はトナカイさんで、人様のベッドでなんか寝ちゃいけないのだ。


    そういう宿命なのだから…


    「強情だな」


    呆れたような吐息をつかれ、彼女の胸が切なく疼いた。


    「だ、だってぇ~」


    「また泣く」


    「だって…」


    サンタさんはさっと踵を返し、方向を変えた。


    どうやら彼女の小屋に向かうようだ。


    そう分かり、彼女はおとなしく抱かれたまま運ばれていった。


    小屋の中に入り、サンタさんは小屋の中を見回し、むっとしたように口をへの字に曲げた。


    やたら不服そうだ。SPANISCHE FLIEGE D6


    この小屋が気に入らない?のかな?やっぱり…


    気持ちが萎れた…


    トナカイの小屋…だもんね…


    哀しさと恥ずかしさが湧き、彼女は俯いた。顔をみられたくなかった。


    「あ、ありがとう…ございました」


    哀しさに胸がつまり、急いでサンタさんの腕から降りようとしたが、彼は彼女のことを降ろそうとしなかった。


    彼女の枯れ草のベッドを、何を考えているのか、じっと見つめているばかりだ。


    「あ、あのぅ?」


    「ここがそんなにいいのか?」


    そう問われて戸惑った。


    いいとか悪いとかの問題じゃないのに…ただ、ここは彼女に与えられた唯一の場所だからで…


    彼女は首を傾げた。


    そういえば…この場所…いったい誰が彼女に与えてくれたのだったっけ?


    雪の精?女神?神様?


    それとも…


    彼女は自分を抱いているサンタさんを、おずおずと見上げた。


    サンタさんも彼女を見つめていたらしく、ふたりの目が合った。


    彼女は頬が燃えたように熱くなった。


    サンタさんの瞳に浮かんでいるもののせいだ…


    なんだか混乱してきた。


    頭の中がこんがらかってどうしようもない思いでいる彼女を、サンタさんは枯れ草のベッドにそっと寝かせた。


    「あ、ありがとうございまし…へっ?」


    お礼を口にしながら、枯れ草を自分の身体にかけようとしていた彼女は、枯れ草でないものが自分の身体に覆いかぶさってきて、天地がひっくり返るほど驚いた。


    「な、な、な、なんですかぁ~」


    「決まってるだろ。俺もここで寝る」


    「は、はあぁぁ~?け、けどですね」


    「うるさい!ごちゃごちゃいうな。先に夜這いしてきたのはお前だぞ」


    よばい?


    「あのぉ~、よばいって、なんですか?」


    彼女の問いに、サンタさんの動きがピタリと止まった。


    「話になんねぇ」


    そう嘆くように言うと…


    「あ、な、な、や、やめてください。なななするんですかぁ」


    悲鳴のように彼女は叫んだが、驚きが過ぎて無様に言葉を噛んだ。


    「なななするって、なんだ?」


    彼女の胸あたりで動かしている手を休めず、しっかり彼女の揚げ足を取る。


    「そ、それは服じゃないんですよ。脱げませんってば!脱げな…」


    彼女は言葉を止めた。


    脱げないはずの毛皮が、するするっと脱げてゆくではないか…まるで魔法のようだった。


    「な、なんで…脱げ…」


    あ然としている彼女のことなど構いもせず、彼は当然の顔をして、彼女の胸に顔をうずめた。


    「ひ、あっ」


    胸の突端にとんでもない甘い刺激を受けて、彼女は甘く叫んだ。


    彼が与え続ける、とろけそうな疼き…


    世界がぐるぐると回転してゆく…


    干草のベッド


     


    カサカサと乾いた音が耳元でした。

    瞼を閉じたまま、それがなんの音なのか考えたが、全然分からない。


    徐々に曇った思考が晴れてきて、彼女はうっすら瞼を開けた。


    木の壁…とても素朴な…が見えた。SPANISCHE FLIEGE D9


    身体はぬくぬくとして心地よいのだが、何か物足りなさを感じた。


    それと違和感…


    えーと…


    うつぶせていた彼女は首だけもたげた。


    あ…そうか…ここは私の小屋だ…


    へっ?小屋?


    彼女はぴょんと飛び起き、正座をしてきょぼきょぼと周りを見回した。


    だんだん《現実》がはっきりとしてくる。


    ふわふわな茶色の毛で覆われた自分の腕を見つめ、彼女は手のひらで腕の毛並みを確かめるように撫でた。


    「ふふ」


    嬉しさが湧いて彼女は両頬を手のひらで包み、思わず含み笑いをした。


    彼女の毛並みは、やっぱり肌触りがいい。


    あの方もそう言ってくれたし…


    時々ってか…まあ、二回くらいなんだけど…


    それでも言ってもらったことには変わりない…よね?…よね?


    自分を納得させた彼女は、首を傾げて、胸に湧いた嬉しさににっこり微笑んだ。


    そして、自分の寝具である枯れ草を、もう一度寝るために掻き集めて整えた。


    外は寒いんだろうなぁ~


    風の音がしているようだ。


    いま何時なんだろう?


    彼女は去年サンタさんがくれた、真っ赤な色をした可愛らしい目覚まし時計を、枕元から手に取って、時間を確かめた。


    二時三十六分…か…


    寝る前は雪が降ってたけど…まだ降ってるのかな?


    雪が積もっているかどうかは、とっても気になる。

    なにせ明日はクリスマスイブ。聖夜だ。魔法だって起きて当たり前の日。


    雪があるほうが、ソリは滑らかに走るのだから。


    彼女も、雪があるほうがウキウキするし、足の裏でサクサクとした感触を楽しめたら嬉しい。


    彼女は立ち上がってドアに歩み寄った。


    外の世界がいま、どうなっているのか確かめておきたい。


    窓があれば、そこから外の様子を確かめるのだが、残念ながら小屋には窓がないのだ。


    頼んだら…窓を作ってくれるだろうか?


    彼女はいつも気難しい顔で、子ども達への贈り物を作っているサンタさんの顔を思い浮かべ、ブンブンと首を横に振った。


    そんな我侭言えない…


    毎日忙しく働いていらっしゃるのに…


    だからといって、窓を作るなんてこと、彼女には出来ないし…


    だって彼女はただのトナカイさんで、ひとのように、五本の指など持っていないのだ…


    彼女は自分の両手を目の前にかざし、じっと見つめた。


    哀しい思いが湧いた…


    ダ、ダメダメッ!


    自分を否定するのってよくないよ。…だよね?


    彼女は自分に向けて問い掛け、うんうんと返事を返し、ほっとした。




    ドアを開けて、外を窺うと、少し強い風と一緒に雪が舞い込んできた。


    う、うわあ~


    外は雪だらけだった。


    昼間もそこそこ積もっていたが、深夜の雪の景色は、感動的なほど美しい。


    たくさんあるモミの木は、雪の精の手でデコレーションされたかのように、幻想的な光を放つ雪で飾られていた。


    綺麗…


    彼女は一歩踏み出した。


    寒かった。


    温かな毛皮をまとっているものの、冷たい風相手ではちょっと心もとない。


    彼女は小屋に駆け戻り、冬になる直前にサンタさんからもらった、ふわふわの赤いマフラーを手にすると、また外に飛び出た。SPANISCHE FLIEGE


    首に巻いて、ふくふくとぬくもりを味わう。


    少しだけだけど、まだ、サンタさんの手の匂いがするみたい…


    ふふ


    彼女はとことこと歩み、(補足説明 二足歩行)彼女の住まいの小屋と隣接して建っている丸太で作られた洒落た家に近づいていった。


    小屋は赤い屋根だけど、サンタさんの家の屋根は緑色だ。


    サンタさんの好む色。


    茶色なら良かったのに…


    そんな思いがついつい湧いてしまい、彼女は自分の身を包んでいる茶色の毛皮を、恨めしげに見つめた。


    彼女は歩みを止めて、ちっちゃなため息をつき、肩を落とした。


    目の前にある大きな窓、その窓辺に、大きな大きなベッドがある。


    真っ白なシーツ、サンタさんの出来の良すぎる容姿にぴったりの、ダークグレーの上掛けが掛けられている。


    丸太で作られた家の中は、ほの暗く、ひっそりとしていた。


    けれどベッドには、寝息を立てているサンタさんが、もちろんいるはず…


    足音をなるべく立てないように気をつけながら近づき、彼女は窓に両手をそっと当てて中を覗きこんだ。


    ひづめがコツンとあたる微かな音が響いたが、気にするほど大きな音ではなかった。


    目の前に愛するひとがいた。


    瞼から綺麗に伸びている睫…


    綺麗だぁ~


    固く閉じられている唇を直視した彼女は、なぜか身体がぞくぞくして、ふるふるっと震えた。


    その寝顔に、胸がきゅんとした。


    瞼に掛かっている前髪を、そっと払ってあげたい。


    けど、彼女に五本の指は与えられていない…


    そう考えた途端、自分の頬に、冷たいものが伝い落ちた感触がした。Motivator

     

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    2012年07月19日

    託された手紙

    それから二日後、ビュービュー音を立てて風が強く吹き付けるそんな夜。

     ビルの隙間から吹いてくる夜風がぶつかるたびに、居酒屋にぶら下がる暖簾や提灯が忙しそうに揺れている。

     そんな気候条件の悪い夜にも関わらず、オレはちょっとしたお届け物を持参して、駅西口繁華街にある「串焼き浜木綿」まで足を運んでいた。巨根

    「おいおい、マサくん、これはいったい何だい?」

    「なになになに?もしかして、どこかのお土産だったりして。」

     オレの持ってきたお届け物をまじまじと見つめるマスター。そして、彼の隣でワクワクと胸を高鳴らせている紗依子さん。

     カウンターの上に置いた白い箱が開放されると、そこには、これまた真っ白い生地をした丸いまんじゅうが入っていた。

    「これ、大阪名物の豚まんです。」

     大阪からのお土産と聞いて、マスターと紗依子さんはどうして?と言わんばかりに首を捻っている。

    「実はこれ、実家に帰ってるあかりさんが贈ってくれたものなんですよ。」

     一昨日の朝の新幹線で帰省していたあかりさん。その翌日には、もうこんな嬉しい贈り物を送ってくれていたのだ。義理人情を重んじて、律儀な性格の彼女らしい行いとも言えるだろう。

     あかりさんからの贈り物には、オレやじいちゃんを含めた住人全員、そしてマスターと紗依子さんの分の豚まんだけではなく、住人たちに向けられた手紙も一緒に添えてあった。

     道場主である父親と会い、姉妹である真倉夜未さんと一緒に説得したことや、のんびりと骨休めができたことなど、その手紙には、帰省した当日のことが達筆な手書きの文字で綴ってあった。

    「へぇ、あかりちゃん、実家に帰ってたのか。・・・っていうかさ、オレ、あかりちゃんの実家が大阪って初めて聞いた気がするぞ。」

    「ほら、あかりってあまり素性を語らない子だから。わたしだって実家のこと、本人からじゃなくて、麗那から聞いてたぐらいだもの。」

     そんなことを口にしつつ、二人は冷凍の豚まんを珍しそうに眺めていた。この二人にとって、大阪名物の豚まんは見慣れないものだったのかも知れない。

    「マサくん、どうもありがとう。あかりちゃんにもよろしく言っておいてよ。」

     マスターはお店の冷凍庫へ豚まんを仕舞おうとする。それを見ていた紗依子さんが、両手をパチンと叩いて弾んだ声を上げた。

    「ねぇマスター、せっかくだから、それ蒸かしちゃってもういただいちゃいません?」

     紗依子さんはどうも空腹だったようで、お腹をさする仕草をしながら照れ笑いを浮かべていた。

     丁度この時間、お客らしいお客はオレ一人だったので、マスターもその提案に異論を唱えることなく、お店の蒸し器の準備に取り掛かっていた。

     ガスコンロに乗った蒸し器が熱されていくと、ゆらゆらときめ細かい蒸気が立ち昇ってきた。それと同時に、豚まん特有の食欲をそそる匂いがオレたちの鼻孔を突いてくる。

     豚まんが蒸し上がるのを心待ちにしながら、紗依子さんはオレを相手に世間話をしていた。

    「あかりがいないということは、お留守番とかどうしてるの?みんながお仕事に出掛けちゃうと、アパートはもぬけの殻になっちゃうでしょ?」

    「だから、ジュリーさんに協力してもらってます。彼女のアルバイトは、それなりに融通が利くみたいなんで。実は今夜も、ジュリーさんに留守をお願いしてるんですよ。」

     オレが一人で浜木綿に行くことを伝えるや否や、ジュリーさんは思惑通り、一緒についていこうと躍起になったが、留守番してもらえるよう頼み込んで、彼女には泣く泣く諦めてもらっていたのだ。

     そんなやり取りがあったことを耳にした紗依子さんは、それはさぞ辛かっただろうと、ジュリーさんに共感しながら苦笑していた。

     オレたちが楽しい世間話をしている間に、いよいよ待望の豚まんが蒸し上がったようだ。マスターのそれを知らせる声に、紗依子さんは一人拍手しながら喜んでいた。

     ホカホカの豚まんをお皿に乗せて、カウンターの上まで運んでくれたマスター。豚まんはほのかな香りと湯気を揺らめかせて、おいしいから早く食べてねと訴えかけているようだった。

    「いただきまーす!」

     マスターと紗依子さんは豚まんを頬張るなり、熱い熱いと言って顔をしかめるも、あまりのおいしさにご満悦な様子だった。こんなに二人に喜んでもらえると、ここまで持ってきた甲斐があったというものだ。

    「おっと、いけない。忘れてた!」

     ハッと何かを思い出したのか、マスターは目を見開いて店内の時計を見つめる。すると、彼は豚まんを一気に口に詰め込んで、慌てながら出掛ける準備を始めてしまった。

     オレがどうしたのか尋ねてみると、マスターはこれからお得意様へ仕出し料理を届けるのだという。おつかいなら紗依子さんの出番なのだが、今夜のお得意様はマスターの古くからの友人らしく、やむを得ず自ら配達することになってしまったそうだ。

    「それじゃあ、サエちゃん。悪いけど留守番お願いするよ。30分までかからないと思うから。もし、お客さんが来たら、待ってもらえるようお願いしておいて。」

    「はいはいはい、了解です。気を付けていってらっしゃい。」

     紗依子さんにそう伝言を残すと、マスターは急ぎ足でお店から駆け出していく。あんまり慌て過ぎて転ばなきゃいいけどと心配しながら、彼女は呆れるような顔で口元を緩めていた。

     閑散としたお店に二人きりとなってしまったオレと紗依子さん。オレは生ビールだけ注文すると、彼女との取り留めのない会話をおつまみに、ささやかなひと時を楽しんでいた。

    「あ、マサくん、そういえば麗那から聞いてる?」

     紗依子さんは突然、麗那さんの話題に切り替えてきた。この雰囲気からして、高級ファッションモデル雑誌の特集掲載についてのことだろう。

    「高級ファッション雑誌に紹介されるうんぬんのことですよね?二日後の最終選考で、舞姫ひかると一騎打ちするっていうヤツ。」

    「そうそうそう。やっぱり聞いてたのね。麗那のことだから、きっとあなたには打ち明けてると思ってたの。」

     実際のところ、麗那さんの堅い口からは公表したくなかったようだが、潤の軽い口から大々的に激白されてしまった格好だ。オレがそのことをそのまま伝えると、紗依子さんは重々しい吐息を漏らして顔をうつむかせた。

    「麗那は人と火花を散らし合うことが苦手だから、それだけ気が重かったのかな。・・・もしかして彼女、今でも気に病んでる感じ?」

    「いいえ、今はそんな感じじゃないです。幾分か元気を取り戻して、発表当日までがんばるって意気込んでましたから。」

     無二の親友の心情が気掛かりだったのだろう。オレの回答を聞いた途端、紗依子さんは安堵の笑みを浮かべていた。

     麗那さんとの付き合いも長く、しかもモデル業界を一緒に過ごしたことのある紗依子さんだけに、麗那さんの内面的なもろさまで見透かしていたようだ。

     豚まんを食べ終えた紗依子さんは、おいしかった感想とは裏腹に物憂げな表情をして見せた。

    「今の麗那が頼りにできる人って。・・・きっとマサくんしかいないと思うの。」

     そのドッキリ発言に、オレはとんでもないとばかりに声を上擦らせる。そんなうろたえるオレに、色恋が絡むことではなく、一人暮らしの麗那さんにとってオレが身近な男性だからだと、紗依子さんは微笑しながらそう言い直していた。狼一号

     それほど深い意味ではなかったことに、ホッと息をつき落ち着きを取り戻していたオレ。とは言うものの、心なしか残念な思いに駆られてしまう自分もいた。

    「だからとは言いたくないけどね。麗那のこと、時々でもいいから気にしてあげてほしいの。・・・忙しいとは思うけど、彼女のことを励まし続けてほしいの。」

     麗那さんのファンの一人として、そして、彼女のかけがえのない友人代表として、紗依子さんは思いやる気持ちのままに訴えかけてきた。

     このオレも、紗依子さんと同じく麗那さんのファンであり、友人として接してもらっているつもりだ。こんな非力なオレでも、麗那さんのために役立つことができればと切に願っている。

    「もちろん、そのつもりです。麗那さんは、オレにとっても、住人たちみんなにとっても大切な仲間ですからね。管理人代行という立場ながら、できる限りのバックアップはしていきます。」

     オレの誠心誠意を込めた宣言に、紗依子さんは安心してくれたのか、ありがとうと一言つぶやいて優しく微笑んだ。ちょっぴりカッコ付けてしまったオレも、恥ずかしさのあまり思わず笑みがこぼれていた。

    「そうだ、紗依子さん。発表当日の午後3時過ぎ、やっぱりお店の準備とかで忙しいですか?」

    「うーん、土曜日だからねー。でも、わたしはそんなに大変じゃないかな。どうかしたの?」

     結果発表当日、オレはアパートのリビングルームで、住人みんなと一緒にテレビで鑑賞するつもりだった。そこで、紗依子さんも都合がよければ一緒にどうかと誘おうと思っていたのだ。

     麗那さんの一喜一憂を、オレたちみんなで見届けるのも悪くないと言いつつ、紗依子さんは少しだけ高揚しながら快い返事をしてくれた。

    「ありがとうございます。当日、待ってますね。」

    「りょーかい。マスターには遅れて出勤するって話はしておくわ。」

     そんな会話のやり取りをしているうちに、配達に出掛けていたマスターが慌ただしく帰ってきた。どうも行った先で友人に捕まったらしく、彼は逃げて帰ってくるのに一苦労だったと愚痴っていた。

    「新しいお客さん来てなかったかー。マサくんが早い時間に来ちゃうと、客が寄り付かないのかなぁ。」

    「マスター、人を疫病神みたいに言わないでください。まだ開店して間もないんだから、そんなにすぐ決めつけないでくださいよー!」

     屋外では強い風が吹き荒れていても、ここ浜木綿だけは温もりのある穏やかな空気に満たされていた。

     一杯の生ビールを飲み切った後、後ろ髪を引かれる思いでアパートへ帰っていったオレだが、後日談によると、オレが帰ってからも新しいお客はやってこなかったそうだ。・・・もしかして、オレって本当に疫病神?


     =====  * * * *  =====


     翌日の朝は風も心地よく、暑さもほどよいさわやかな天気に恵まれた。

     電線で羽根を休めるスズメが甲高くさえずり、アパートの外壁の日陰では、猫のニャンダフルが目をつむってうつらうつらしている。

     そんないつもと代わり映えのしない朝に、いつもの日課である庭掃除をしていたオレは、この平穏な日常に心なしか喜びというものを感じていた。

     高級ファッション雑誌の特集掲載の発表を明日に控えた麗那さん。今朝も早くから、彼女は仕事へ向かおうとすでに出掛けた後だった。

     麗那さんの話では、今日の仕事は泊りがけになってしまうそうで、彼女は今夜アパートへ帰宅しないまま、明日の最終選考会場へ直接赴くとのことだ。

    「・・・麗那さん、いい結果になるといいな。」

     オレは晴れた青空に目を移して、麗那さんを思いやる心境を口にした。どんな結果になろうと、もう二度と、彼女が辛くて悲しい思いをしなくて済むようにと。

    「よし、こんなもんだな。」

     庭掃除と盆栽の水遣りも一通り終わり、オレがアパートまで足を向けようとした時だった。

     アパートの玄関先で、顔をキョロキョロさせて逡巡している一人の女性がいることに気付いた。そのそわそわした動作からして、このアパートに用事があるのは間違いなさそうだ。

     オレが身構えるように待っていても、その女性は一向に玄関まで近づいてくる気配がない。オレはとうとう痺れを切らし、その挙動不審な女性にそっと声を掛けてみた。

    「あの、このアパートに御用でしょうか?」

     呼びかけられたその女性は、オレの顔を見るなり一瞬たじろいだが、すぐさま行儀のよい大きなお辞儀をした。

    「これは失礼いたしました。こちらはハイツ一期一会というアパートでよろしかったでしょうか?」

     控え目な口調でそう問い返してきた女性。年齢は40代後半あたりで、銀縁のブローチをあしらった茶色い半袖ブラウスを着こなし、背丈があって品行方正な印象を受けるスマートな女性だった。

     その女性の問いにオレが迷うことなくうなづくと、彼女はホッとした顔をしながら、ここを訪ねた理由について明かしてくれた。

    「こちらのアパートに、二ヶ咲麗那さんという女性はお住まいですか?実はわたし、その二ヶ咲さんにお届けしたいものがあって、こちらまで参った次第なんです。」

     慎ましやかにそう言うと、その女性はハンドバッグから一つの封筒を取り出した。彼女の手にある封筒には、切手らしいものは貼られておらず、このアパートの所在地も記載されていないようだ。

    「麗那さんはこのアパートに住んでいます。あいにくですが、今は留守にしてまして、戻ってくるのは早くても明日になるんですよ。」

    「まぁ、そうでしたか・・・。」

     麗那さんが不在と知るや否や、その女性は溜め息交じりに肩を落としてしまう。その落ち込み具合が気に掛かり、オレは事情や経緯などについてそれとなく尋ねてみた。

     その女性が言うには、封筒を届けるためにはるばる他県から電車やタクシーを乗り継いで、ようやくここまで辿り着いたそうだ。どうして事前に電話なりで連絡しなかったのか、それには一言では終わらない深い事情があったのだ。三體牛鞭

    「実を申しますと、この封筒には、わたしの娘が書いた手紙らしきものが入ってまして。どうやら娘は、その手紙を二ヶ咲さんに直接手渡したかったようなんです。」

     切手が貼られておらず、アパートの所在地も書かれていない封筒。オレはようやく、その意図を理解することができた。

    「この封筒を二ヶ咲さんにお渡ししたくとも、麗那という名前しか書いてなくて。おまけにこちらの諸事情ですが、娘本人からも聞くことができませんでしたので、こちらのお住まいがわからず、すぐにお届けすることができなかったのです。」

     その女性は麗那という名前だけを頼りに、親族や知人、そして娘の知り合いに手当たり次第聞いて回ったそうだ。しかし、娘とは離れて暮らしていたこともあり、思いのほか有力な手がかりが得られなかったという。

     つい最近になってから、娘の職場の関係者と連絡が取れたらしく、フルネームと住んでいるアパートの存在を知ることができたとのことだった。

    「何でも、わたしの娘は二ヶ咲さんとお仕事をご一緒したということでしたので、ぜひとも一度、お礼かねがねお会いしてから、この娘の手紙をお渡ししたかったのですが・・・。」

     これまでの経緯を話し終えると、無念とばかりにやるせない表情でうつむいた女性。

     オレも哀れむ思いに顔を曇らせてしまう。遠路はるばる、麗那さんと面会するためにここまで来たことを考えると、このタイミングの悪さが不憫に思えてならなかった。

    「オレはこのアパートの管理人を代行している者なんですが、もし差し支えなければ、オレの方でお預かりしますけど?」

     少しばかりためらう仕草を見せたものの、その女性はオレの厚意に甘んじることを決心した。

    「わたしも、いつこちらに来れるかわかりませんし、お預けしますわ。娘のためにも、二ヶ咲さんによろしくお渡しください。」

     その女性から、麗那さん宛ての手紙が入った封筒を託されたオレ。この女性と娘の思いが詰まっていたのだろうか、薄くて軽いはずの封筒から、使命感という重みがオレの手にずっしりと伝わった気がした。

     念のために、連絡先の電話番号をオレに教えてくれた女性は、失礼しますという姿勢正しい挨拶だけを残して、やり切れなさそうにアパートを後にした。

    「麗那さんと一緒に仕事したってことは、あの人の娘さん、芸能関係の仕事してるのかな。」

     ”麗那様へ”と表面に書かれた封筒を裏返してみると、あの女性の娘の名前らしき”香稟より”だけがポツンと書かれていた。苗字がないので判断は難しいが、オレに心当たりのない名前であることは明らかだった。

    「さっきの女性からの伝言もあるし、どうやって麗那さんに渡そうかな・・・?」

     住人宛ての郵便物の類は、通常なら玄関に置いてある郵便受けに入れているが、今回みたいにややこしいケースの場合、麗那さん本人に直接手渡した方が無難だろう。

     だからといって、麗那さんに渡すまでオレが保管していると、万が一にも紛失といった事態が起こらないとも限らない。そうなったら、管理責任を問われるほどの大失態となってしまう。

     結局、オレが考え抜いた挙句に出した結論は、この封筒にオレからのメモを貼り付けて、彼女の自室へそっと忍ばせておくことだった。

    「それなら確実に麗那さんの目に留まるし、しかも、他の住人にも見られたりしないからね。」

     オレは自らの考案に一人納得して、封筒を握りしめたまま玄関へと急いだ。

     麗那さんの身近なところで、ありとあらゆる物事が目まぐるしく動き出している。そんな浮足立つ雰囲気の中、彼女にとって運命を変えるであろう最終選考の結果発表は、もうすぐそこまで迫っていた。男宝

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    2012年07月25日

    吟遊詩人

    ゼルガーの町。人口は約八千人でこの王国東北部最大の町である。

     かつてはこの地方を治める領主がこの町に住んでいたが、『解放戦争』以後に王国の直轄地になってからは、王の代理たる代官などの役人がこの町で暮らしている。狼1号

     西の王都へと向かう街道と、南の商業都市バルゼックへと向かう街道が交わる町であり、更に町の中央を流れるコラー川を用いて、南のオーネス王国へ向かう船便も出ている。

     いわゆる旅人の中継点ともいうべき町であるゼルガーは、日暮れ近くという時間帯であるにも関らず、多くの人で溢れていた。

     辺境の小さな村しか知らないリョウトにとって、ゼルガーは大都市ともいえる町である。

     もちろん、カノルドス王国内にはもっと大きな街が幾らでも存在するのだが。

     そんなゼルガーの街の目抜き通りを、リョウトとアリシアは並んで歩く。

     ちなみに、小さいとはいえ竜であるローは、下手に目立つとまずいのでリョウトの外套のフードの中で丸くなっている。


    「ここがゼルガーかぁ……大きな町だなぁ……」

    「そう? でも、王都はもっと大きいし、人も大勢住んでいるのよ?」

    「へぇ……僕には想像もつかないよ」


     その後、二人は一旦別行動を取る事にした。

     アリシアは仲間の魔獣狩り(ハンター)たちと落ち合い、酒場に預けてある財産を受け取るために。

     そしてリョウトは、アリシアに紹介してもらった安くて食事の美味い宿で部屋を確保するために。

     アリシアに教えてもらった宿へと真っ直ぐに向かったリョウトは、容易く目的の宿を発見した。

     「雲雀(ひばり)の止まり木」亭と刻まれた木製の看板で、ここが間違いなくアリシアに聞いた宿だと確信したリョウトは、そのまま三階建ての宿の中へと足を踏み入れる。

     宿はこの世界でよく見受けられる、一階が酒場兼食堂と主人家族の生活スペース、二階より上が宿泊客用の客室といったオーソドックスな造り。

     ざっと店内を見回したリョウトは、カウンターにいる主人らしき中年の男性へと歩み寄った。


    「部屋は空いている?」


     主人はリョウトに視線を向けると、にこりと人懐っこい笑みを浮かべた。


    「一部屋でいいかい?」

    「いや、もう一人連れがいる。だから二部屋空いていると助かるけど」

    「二部屋ね。大丈夫、空いてるぜ」


     主人のにこりとした笑顔が、にたりとしたものに変化する。

     どうやら二部屋借りたいと言ったリョウトの言葉から、彼の連れが女性であると想像したらしい。

     それ以上詳しく聞かれる事はなく、リョウトは借りた二部屋の内の一部屋に案内された。

     その室内にはベッドが一つとテーブルと椅子が一つといった簡素なものだったが、確かに料金は良心的だった。ベーリル村にある宿よりは高かったが。

     リョウトはテーブルの上に背嚢を置くと椅子に座り、腰に括りつけていた小袋の中身を確認する。

     その中には幾らかの銀貨と宝石が数個。これらは亡くなった祖父が遺してくれた遺産であり、今のリョウトの全財産でもあった。

     宿の料金を二部屋分支払った──アリシアの部屋の分は後で彼女が支払うと言っていた──ため、ただでさえ少ない所持金が更に少なくなった。

     残った金額でも王都まで行けるだろうが、やはり所持金は多いにこしたことはない。


    「ここでちょっとばかり稼がせて貰おうかな」


     フードの中から這い出て来たローにそう呟くと、リョウトは左の袖を捲り上げ痣を露出させる。


    「マーベク」


     そうリョウトが呟いた時、室内のランプに照らされた彼の影がゆらりと揺らめいた。

     風で水面が揺れたかのように、黒い影の表面に波紋が生じる。その波紋の中にリョウトは無造作に右手を置いた。

     するとそのまま右手はずぶりと影の中に沈み込む。そしてそのまましばらく影の中をかき回すように右手を動かし、そのまま腕を引き抜く。

     引き抜かれた右腕。そこにはあるものが握られていた。

     それは80センチほどの弦楽器。いわゆるリュートと呼ばれる楽器であった。

     リョウトはベッドの上でうずくまっているローに行ってくるねと一言声をかけると、楽器を手にして一階の酒場に降りる。酒場は夕食時という事もありかなり賑わっていた。

     酒場に現れた彼の姿を見かけた宿の主人が、おや、と不思議そうな顔をした。


    「なんだ、おまえ吟遊詩人だったのか? でも、さっきは楽器なんか持ってなかっただろ?」

    「大事な商売道具だからね。隠してあったんだ」


     尚も不思議そうな顔の主人に唄の許可を得ると、リョウトはカウンターの椅子の一つに腰を落ち着け、リュートを数度鳴らして調子を確かめる。

     リュートの調子に狂いがない事を確認したリョウトは、改めてリュートを爪弾いた。

     心地好く響くリュートの音色。それは酒場に居合わせた者全員の耳に届いた。

     それで吟遊詩人の存在に気づいた客たちが、一斉にリョウトへと注目する。

     次に彼らの耳に届いたのは大気を震わせる低い声。

     その低い声が唄い上げるのは有名な英雄譚。この国の人間なら誰でも知っている、竜を倒した三人の英雄の唄。

     一人は双剣を使い。一人は大剣を用いて。残る一人は知謀と弓を武器に竜と戦う。

     ありふれた物語。誰もが知っている内容。

     だが客たちは酒場の片隅で唄う青年の唄から、注意を逸らす事ができなかった。

     時に低く。時に高く。時に勇壮に。時に物悲しく。勃動力三体牛鞭

     リョウトの声は、幾つもの音程を巧みに使い分けて英雄の唄を唄い上げる。

     普段は賑やかで喧騒の途絶える事のない「雲雀の止まり木」亭の酒場。だが今だけはリョウトの声のみが静かに響き渡る。

     やがて英雄譚は終焉を迎え、リョウトの声がふつりと途絶えた。

     一瞬の静寂。そして次の瞬間、「雲雀の止まり木」亭の酒場はいつもの数倍の歓声に包まれた。

     沸き起こる拍手。打ち鳴らされるジョッキ。踏みしめられる床。

     居合わせた客たちは、突如現れた見知らぬ吟遊詩人の卓越した唄を誉め称える。

     ある者は酒を勧め。ある者は更なる唄を求めて。

     客たちはまるで旧来の友人のように親しみを込めてリョウトの肩を抱く。

     リョウトを称える喧騒は、それからもしばらく続けられた。




    「大したモンだな」

     ようやく興奮と喧騒が静まった後、宿の主人がリョウトに声をかけた。

     リョウトは彼の唄に投げ込まれた銀貨の中から、数枚を場所代として主人へと差し出した。

     主人はその銀貨を受け取ると、リョウトの前にジョッキを置く。


    「果実の汁を絞ったものに蜂蜜を加えたモンだ。吟遊詩人なら喉を大切にしなきゃな」

    「ありがとう。遠慮なくいただきますよ」


     美味そうにジョッキを空けたリョウトに、主人はできの良い息子を見るような眼を向ける。


    「いつまでこの町にいるんだ? できればあと数日はここに滞在して唄ってくれると助かるんだけどな。その間の宿代はただにしてやるぞ?」

    「別に急ぐ旅でもないし、僕ももう少し稼ぎたいところだけど……連れが何と言うかだなぁ」

    「そういや、おまえの連れはいつ来るんだ?」

    「知り合いと会ってからこっちに来る予定なんだけど……確かに遅いね」


     魔獣狩りの仲間と一旦合流し、その後はすぐにその仲間たちと別れてこの宿屋に来るとアリシアは言っていた。

     だが、もう時間も随分遅い。あれだけ賑わっていた酒場も数人の客が残っているだけ。

     いくら何でも遅過ぎる。こちらから迎えに行こうかと考えて、リョウトは初めてアリシアがどこへ向かったのか知らない事に気づいた。

     確かに酒場で仲間たちと合流するとは言っていたが、その酒場の名前を聞いていない。このゼルガーに何軒の酒場があるのか知らないが、その全てを虱潰しに当たる事は不可能だろう。


    「まあ、おまえの連れも子供じゃないし、今日は知り合いと一緒にいる事にしたんじゃねえのか?」

    「それならいいけどね」

    「今日はお前の唄のお陰で稼がせて貰ったからな。連れ分の部屋代はなかった事にしてやるよ」


     主人の親切な申し出に改めて礼を述べると、リョウトは一旦部屋へと戻った。

     部屋に戻ったリョウトを、相変わらずベッドにうずくまったローが、首だけを彼の方に向けて出迎えた。

     ローの態度に別に文句を言う事もなく、リョウトはアリシアがまだ戻らない事をローに伝える。


    「ひょっとして急に魔獣狩り(ハンター)としての仕事が入ったのかな?」

    「いや、それは有り得まい。あの娘がおまえに黙ってどこかへ行くはずないからな。……これは何かあったのかもしれんな」

    「どうして? 確かにアリシアとは王都まで一緒に行く約束しているけど、彼女だって急な仕事が入る事だってあるだろ?」

    「……まったく、この朴念仁は」


     アリシアがリョウトに向ける視線に含まれているものに、ローはとっくに気づいていた。

     いや、ローにだって気づく事ができた、と言ったほうが正確だろう。

     だというのに、当の本人はまるで気づいた様子がない。しかも、アリシア自身も自分の心境をよく理解していない節もある。

     相変わらず人間というのは面倒くさいものだ、とローは内心で愚痴を零す。


    「ともかく、あの娘が黙っておまえの前から消える事はない。例え何か急な事情ができたとしても、誰かに伝言を頼むぐらいはするだろう。あの娘はおまえがこの宿にいる事を知っているのだからな。だが現実としてあの娘はまだこの宿に戻らない。つまり……」

    「彼女の身に何かあった。若しくは何かに巻き込まれた……か」


     これはすぐにでも探した方が良さそうだとリョウトとローは判断した。

     だが、リョウトとローはこの町の土地勘がない。そんな所を無闇に捜し回っても、結局徒労に終わるだけだろう。

     ならば。

     リョウトとローが出した結論は一つ。

     幸い今は夜。全てが闇に包まれている。あいつの活動に最も効率的な時間帯なのだ。


    「マーベク」


     リョウトは再び左腕の痣を露出させ、その言葉を紡いだ。

     その言葉が紡がれた瞬間、五つある痣の一つが淡く光る。そして同時に先ほど同様、リョウトの影がゆらりと揺れた。男宝


    「アリシアが戻らない。探してくれないか?」


     揺れる影に向かってそう告げると、影は了承したとばかりにざわりとさざなみ、すぐに静まりかえる。


     しばらくじっと影を見つめていたリョウトは、窓の外へと視線を向けた。

     そこには夜の帳が降りた、ゼルガーの町並みが静かに拡がっていた。




     マーベクは夜のゼルガーの町を静かに駆け抜ける。

     一切の音を立てる事なく。誰にもその存在を気づかれる事もなく。

     リョウトに頼まれたのは一人の少女の探索。以前も、魔獣の森でその少女を探すようにリョウトに頼まれた事があったので、少女の事はマーベクもよく覚えていた。

     人が集まりそうな場所。逆に人があまり集まらなさそうな場所。

     様々な場所をマーベクは影から影へと渡って行く。

     やがてマーベクは、数人の人間が集まっている場所に辿り着いた。

     そこにいる人間たちは、一つの部屋に数人が押し込まれ、窮屈そうに床に寝具もなしに寝ていた。

     そんな部屋が幾つもある場所。その中に、マーベクは探すべき少女の姿を見つけ出す。

     見つけた。

     影の中から(・・・・・)その事を確認したマーベクは、再び音もなくリョウトの元へと駆け戻った。




     明けて翌朝。

     朝食も摂らずにリョウトは「雲雀の止まり木」亭を飛び出した。

     彼を導くのは彼の影。今、彼の影は太陽を無視して一定の方向へと伸びている。

     そんな己の影に導かれ、土地勘のないゼルガーの町中を迷いのない足取りでリョウトは進んでいく。

     時に右、時に左と影が示す方へと黙って進むリョウト。

     影は町の表通りから外れ、裏通りのあまり雰囲気のよくない辺りにある、とある建物へとリョウトを導いた。

     リョウトはその建物の前まで来ると、一切迷う事なく建物へと入っていく。

     建物の中に入ったリョウトに、受付と思しき場所にいた中年の男性が気づいてにこやかに挨拶を寄越して来た。


    「いらしゃいませ、お客様。朝早くより、当店へお越しいただきありがとうございます。して、本日はどのような商品がご入用で?」


     リョウトが足を踏み入れた建物。その建物の入口に掲げられている看板には、「ロズロイ奴隷商」という名が刻まれていた。VVK

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    2012年07月31日

    逸らしがちな視線

    最高に運がいいことに、俺達の学校は勝っていた。

     そして次の日も試合をすることができるようになっていた。

     それはまたあの声が聴こえるかもしれないということで、また村井が試合をすることができるということで。

     要するに俺にとっては最高の状態だった。

     そう、再び何かを気にするようになるまでは。韓国痩身一号


     暑苦しい気候が、何も一日で寒くなるなんて馬鹿なことは考えていない。

     だが少しぐらい涼しくなってもいいだろ、と思うほどに今日も暑かった。

     球場の熱気はもう三十度後半を迎えているであろうほどに暑苦しく、しかも見ている人間が野球部というごつい相手ということもあって、更に暑苦しい。幸い村井はまだごついというほどじゃないので、見ている方としてもまだましだったが。

     呆れ交じりの溜息をつきつつ、俺は肩にかけたタオルで顔を拭う。その様子は相変わらず親父くさかったがそれを気にしていられる暑さじゃないのも本当に相変わらずだ、それこそむかつくほどに。

     暑さのせいで少し思考能力の落ちた頭で考えながら、空を仰ぐ。

     するとそこに見える快晴は異常なほどに青い空を映していて、今までの苛ついていた気持ちが吹っ飛ぶ。ひんやりとした色を訴えるその青が、一瞬だけだが頭を冷やしてくれた。……もちろん、すぐに暑さを体感する羽目になってまたむかついてきたが。

     そう考えていると、次第に喧騒が高まるのを感じて俺はグラウンドに視線を落とした。

     どうやら、そろそろノックが始まるらしい……そしてノックが始まるということは、試合が始まるってことだ。手に持った真っ黄色のメガホンで肩を叩き、しっかりとグラウンドを見据えているとふと気にかかることがあり俺は視線をグラウンドから離した。

     そういえば、今日彼女はまた放送するんだろうか?

     またあの震えた声で、この球場を満たすんだろうか?

     放送係として、あの声はどうかと思うがでも俺はあの声が聴きたかったのでそれでいいと思うことにした。だからもうじき聴こえてくるであろう放送がいつでも聴けるように、俺は周りの喧騒をすべて無視していつか聴こえてくるであろう音に耳を澄ませた。

     耳を澄ませながら、少し考えてみる。

     彼女が何を思って、あの高くてよく通る声を震わせたのか。

     るはずのない知り合いを見たのか。

     それともやっぱり村井に気があったのか。

     ……後者の可能性が高いよな、やっぱり。

     俺はなぜか妙に沈んできた気持ちに何なんだよと毒づいてから、聴こえてきた声に顔を上げた。

    『――高校、ノックを始めてください。ノック時間は、七分です』

    「あれ……違うのか」

     緊張しているのか、少し硬い声が辺りに響くと同時に野球部員達の猛るような声が球場の熱気を震わせた……が、俺にはそんなことまったく関係ない。それよりも昨日とは違う放送の方が気になった。いや、いくらなんでも彼女がすべての放送をしているなんてことはないって分かってはいるんだが。それでも何だかここにいる意味が若干なくなったのを感じた。

     ……俺は元々村井の応援にいるってのに。自分の考えの馬鹿さ加減に呆れながらメガホンで強く頭を叩くと、随分とすかすかした音がした。その音が自分の知力の足りなさを認めているようで悔しかったから、それ以上叩かなかったが。

     七分間のノックの時間は、あっという間に過ぎていった。

     そしてその間に流れたスターティングの時間も、過ぎていく。

     プレー開始のサイレンも鳴り終え、後は思う存分応援すればいい。

     もう見ることのできないクラスメイトの雄姿を、目に焼き付けながら。

     だが、さすがに叫び続けると喉が渇くというもので。

     俺は辺りを見渡して売店を探しながらそれでも、ほとんどグラウンドに視線を移していた。

     それが悪かった。

    「あ、やばっ!」

     気がついた時には、俺の目に前に随分と熱を帯びていそうなビデオカメラが見えた。

     そしてそれをよけられないことを頭の奥で考えていると案の定ぶつかる。相手も避けられなかったらしく、ビデオカメラは何の邪魔もなく俺の腕にぶつかる。すると派手な音がして、そして派手な痛みが腕を駆け抜けた。

     だがその時に何か柔らかいものに触れたから、ビデオカメラの持ち主にもぶつかったらしい。人混みの中であるにも関わらず走っていたせいで、俺は勢いを殺しきれず尻餅をつく。

     ……いってぇな。っていうか避けろよ、ビデオの持ち主も。

     腕をさすりながら「い……てぇ」と声を漏らす自分を情けなく感じていると、真上から声がかけられた。

    「だ、大丈夫?」

    「……」

     そして硬直した、一瞬腹が立っていたのも忘れるぐらいに。

     カメラを持ってこちらを見下ろしてくる、制服を着た女子生徒は短いがそれでも暑さを和らげるために無理矢理髪の毛を二つに結んでいた。

     いや、髪型なんてどうでもいいんだ。

     俺が今この瞬間に硬直したのは、かけられた声のせいだ。

     心配しているような声は、昨日聴いた放送ほどじゃないけど高くよく通る。

     だがあの放送の声よりも、ずっと凛とした印象を受ける声に情けなくも硬直してしまったのだ。

     それこそ、今まで頭の中で何度もリピートさせていたあの儚い声を払拭させてしまうほどに、鮮烈な印象をその声は与えてくれた。

     無論、頭の中で響く声がなくなったわけじゃないが。

     ぼんやりとしているもう一度大丈夫? と声を掛けられる。だから俺もその声にはっと我に返り、まじまじと彼女を見ているわけにはいかないと差し出された手を取った。

     その際に、不本意ながら随分と不機嫌そうな顔になったのは再びぶり返してきた痛みのせいだろう。立ち上がり、今度は彼女を見下ろすように見ると向こうも下げていた視線を上げた。

     真正面から目が合うかと思った時、視界の端に村井が映った。

     あいつはラストバッターだから、まだグラウンドには姿を現さない。

     だが遠目から見ても分かるほどの険しい顔をしているのが見えて、俺は一度彼女から視線を逸らした。

     視線はグラウンドより遥か遠くのベンチへと向けられる。

     その時隣にいた彼女が困ったようにあの、と声をかけたがそれどころじゃないので黙っててと言っておいた。

     悪いとは思ったものの、村井から視線が逸らせない。

     何やら片手で頭を押さえている様子は、具合が悪いんじゃないかと思わせるには十分すぎるものだ。韓国痩身1号

     もちろん風邪とかその辺りだとは思うが、心配にならないわけじゃない。

     それにもしあれが頭痛だとしたら、集中力だってかなり途切れるはずだ。

     気合を入れなおしてやるためにも、今ここで叫んであいつに声を届けたいがそれも叶わない……というのは、ここで叫んだら間違いなく隣にいる彼女が迷惑がるだろうと思ったからだ。

     別に今この瞬間に誰に嫌われても迷惑がられても問題ないけど、彼女には何となく迷惑に思われたくなかった。意味もなくそんなことを考えながら村井を注視していると、隣からあの凛とした声が聴こえてきた。

     それはこの熱気を一瞬だけでも緩和してくれる、氷みたいな感じがした。

     もちろん、口調や声が冷たいというわけじゃないが。

    「知り合い?」

    「――え?」

    「あの人、ずっと見てるけど」

     驚き、弾かれるように彼女を見るものの彼女はさっきまでの俺と同じように村井の方じっと見ている。

     こちらとは目を合わせようともしない。

     まぁ、俺が合うはずだった視線を外したんだから文句を言う必要はないだろうが。

     真っ直ぐに前を見ている彼女は、眉根を寄せて少し不機嫌そうな顔をしていた。

     俺が村井を見ていることに、何か問題でもあったのか?

     もしかして彼女も、あいつの知り合いとか……。

     何だか、村井も隅におけないよな、まったく。

     あの放送の声の子といい、彼女といい……俺が気になった奴全部あいつの知り合いかよ。

     って、何だかこんなことを考えてたらまるで俺が彼女に気があるみたいじゃないか。

    「お前も村井の知り合い?」

    「全然。っていうか、手離してほしいんだけど」

     だからそれを悟られないように声を無理矢理絞り出すと、不機嫌そうな彼女はやはり目を合わせることなく今度は正真正銘の冷たい声で言い放った。そこで初めて俺はさっき取った彼女の手を握ったままだったのだと気がつく。

     っていうか早く気付けよ俺!

     言われて初めて、彼女の手の平の温度を知り、自分よりもずっと華奢な指先の感触を感じた瞬間。

     俺は柄にもなくかなり慌てながらごめんと一応謝りながら手を離した。

     頬をだらだらとつたっていく汗は、絶対暑さのせいだけじゃない。

     大きく息を一つつき、激しくなる動悸を抑えていると彼女が後ろに下がった。

     どうやら喉が渇いて、お茶でも飲むつもりらしい。

     まあ、ここじゃ確かに人が多いからな……。

     だが俺はなぜかその後に続くようにして、後ろに下がってしまった。

     まずい、これじゃかなり怪しまれるじゃないか。

     っていうかまずこの汗を流している暑苦しい顔をどうにかした方がいいのか? そう思い、肩にかけたタオルで汗を拭っていると彼女がそれをじっと見ていた……まさか、親父くさいとか思ってるんじゃないだろうな。

     否定はしないけど。

     でもそれを言うなら、この球場の八割以上の人間にそれを言わないといけないと思う。

     照りつけてくる太陽にあつ、とぼやくように言った時、丁度グラウンドを村井が走っているのが見えた。丁度回が変わった時だったから、あいつは自分の守備位置に行くんだろう。そう考えていると、彼女がまた村井に視線を向けているのが見えて俺は少しからかうように尋ねていた。

    「もしかして、村井のファン?」

     そうじゃありませんように、心の奥底でそう願ったことは口にはしなかった。

     っていうか別に彼女が村井のファンでも俺には関係ないことだと思う。

     俺が、好きにでもならない限り。何となくその『限り』が現実になりそうなのが怖かったが。

     俺はあの放送が聴けないせいで、何も集中するものがなくなりそんなことを考えていた。

     分散されていく集中力が、むかつくほどにもどかしい。

     そう思いながら視線を向けると、彼女は一度ビデオカメラを落としかけながらも小さく声を上げた。

     視線は、依然こちらを見ることはない。

     ……俺が何かしたっていうのかよ。

     いや、それよりも否定しないってことは肯定でいいのか?

     小さく上げた声が、何となく彼女の気性の荒さを思わせた気がしたけどそれよりも俺は彼女が自分と目を合わせないことの方がよっぽど気になった。そして、まるで嫌っているかのような態度に苛立ちを覚える。そりゃ確かにぶつかったのは俺が悪かったし、まだそれについて謝ってないし、出された手をいつまでも握ってたのは悪かったとは思うけど――って、ここまでやったら嫌われて当たり前なのか?

     だが、紙一重のところで自己嫌悪に陥りそうな頭を押さえつけ俺は苛立ちのままに言った。

     かなりの大嘘を。

    「やめとけば? どうせ相手にされないだろうし」

    「……何で」

    「何となく。お前あいつのタイプじゃなさそうだし……もちろん、俺のタイプでもない」

     そして、別に訊かれてもないことを言っていた。その瞬間彼女がかなり憮然とした顔をして、暑さと怒りが交わった赤い顔をしていたのが見えたが俺は言葉を訂正したりはしなかった。

     ついでに、自分が思ったよりもさらりと言った言葉に納得する。あぁ、そうか。気にはなるけどやっぱり俺は彼女が好きじゃなかったんだなと。大体好きな奴に、んなひどいことは言わないと思うし俺もそういう人間の一人だって信じてる。

     だから俺は無意味に安堵しながらその場をさっさと立ち去ろうと思い。

     スカートをぎゅっと握り締めた彼女の口から出てきた言葉に、心底驚いた。

    「悪かったわねタイプじゃなくて! でもお生憎様――」

     用があるのは村井くんの応援だけしてるあの馬鹿でかい声の人!

     彼女は、確かにそう言った。そして必死に頭を働かせて、うちの学校で馬鹿でかい声の奴を思い浮かべてみる。応援団長、生徒会長、生徒指導の先生、野球部に彼氏のいるチアリーディング部。色々いるけど、村井の応援だけしてる奴って……。

     俺じゃん。あいつの親はテレビ越しに応援してるはずだし、他の奴らは野球部を応援してるから村井だけに声援を送るなんてことはないし。大体そんな奴がいたら俺がすぐに気付くはずだ。

     そしてそんな奴がいなかったってことは……やっぱり俺か? 荒い息をつきながらこちらを見る彼女は、俺がぼやくように馬鹿でかい声? と言うと知ってるんなら情報を出せと言ってきた。どうやらかなりご立腹らしい……何もそこまで怒らなくても。

     ……怒らせたのは俺だけど。

     苦笑交じりに内心で呟きながら、怒っている彼女を前に俺です、とも言えず。

    「知ってるけど、用でもあんのか?」

     とりあえず用件だけでも訊いてみることにした。大体俺は彼女に何か言われる用事はないはずだ、何せ今知り合ったんだから。頭の中で小首を傾げ、もう一度ないよなと確認していると彼女はまた目を逸らしながら後ろの席に置いてある、ビデオカメラを指差した。

     その黒いボディには、熱がこれ以上たまらないようにタオルがかぶせてあったけど。じっと見つめていると、彼女がまるで言い訳みたいにして自分は放送部だから熱烈な応援をしているその人にインタビューがしたいんだと言った。

     それが嘘っぽく見えるのは、一度も合わされない視線のせいだろうか?

     まあ、とりあえず理由は分かったけど……。何となく釈然としない気持ちだ。

     ついでに、いかにも「俺はそいつと知り合い」という風を装ってしまったので、名乗れない。

     困った……ん?

     そういえば。

    「放送部?」

     ということは。

     もしかして昨日の放送の子を、知ってるのか?

     俺はふと頭をかすめた疑問に、飛びつくようにして尋ねていた。

     昨日の放送の子ではなく、あえて今放送をしている子のことを訊いてカマをかける。

     しかし彼女の反応は実に冷ややかだ。

     胡乱げな視線をこちらに向けると、芯の強い声で知ってると答えた。

     ビンゴだ!

     だがそこから先の言葉が、悪かった。

    「悪いけど。あの子はあんたを相手にしないと思うわよ。タイプじゃないし、それにわたしのタイプでもないし」

     それってまるきりさっきの俺の言葉じゃないか。自分が言い放った言葉をそのまま返されて眉根を寄せると、彼女は口の端を吊り上げて笑った。まるで馬鹿にしたような顔に、自業自得だというのにムカついてくる。だから俺は「あぁ、さっき彼女はこういう感じで怒ったのか」となぜか納得しながら肩にかけたタオルを力任せに握りしめて「悪かったな!」と怒鳴る。

     そうして自分が用があるのが昨日の放送の子だと告げると、彼女の顔が強張ったように感じた。新一粒神

     何か、その子に因縁でもあるんだろうか。

     大声を上げて疲れた俺は、かすかに目を丸くした彼女が「用件ならわたしが聞く」と言ったことに反発した。

     こればかりは、言いたくなかった。

     よりによって、人のことをタイプじゃないとか言った奴には。

    「お前に言っても分からねえよ」

     ペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲みながら、こっちの髪の毛だか何かを見ている彼女にそう言うと彼女は何も言わなくなった。だが納得できたわけじゃないらしく、何か釈然としないような顔をしていた。日焼けして熱くなった頬に触れていると、俺まで水が飲みたくなってくる。というか、こんな風に話しているくせに一度も目を合わせようとしない態度がむかつく。

     どこを見てるのか知らないが、俺を見ろよ。

     そして一度もこちらの目を見て話をしない彼女に対し、そんな風に思ってから後悔する。

     これじゃまるでどこかの独占欲の強い男みたいだ。ついさっき彼女が好きなわけじゃないと悟ったのに、随分と矛盾したことだ。自分で呟き、勝手に苛立った俺はいいから教えろよとその感情をそのまま彼女にぶつけた。

     すると彼女は俺のそんな態度が気に食わなかったのだろう。

     答えを教えることなく、不適に笑ってこう言った。

     そうして笑う彼女が初めて俺の目を見ると俺は初めて彼女の頬をつたう汗を見た。

     きらりと日の光を浴びて光るその汗の光が、頭に焼きついて離れない。

    「じゃあ、あんたも教えて。そしたら名前だけ教えてあげるから」

    「……だったら俺も名前だけ教えてやるよ」

     そのせいで俺はすぐに返答できたか謎だったが、彼女は何も気にした様子は見せなかった。

     きっと何でもない風を装えたんだろう……我ながら本心を隠すのは上手い。

     っていうか……困ったな。

     名前だけって言われても、そんな情報だけじゃ俺はあの子を見つけることなんてできないんじゃないか? 大体どこの学校の奴かも分からないってのに。目の前にいる彼女に訊けばいいのかもしれないが、彼女は恐らく名前だけ言って後は勝手に調べろという感じなんだろう。

     だがそれは彼女も同じなのかもしれない。

     野球放送をいくらしていても、俺は野球部じゃないから情報は入らないだろうし。

     もし情報を手に入れられるとしても、村井からだろう。

     あいつなら、頼んでおけば情報を漏らしたりはしない……と信じたい。

     それに。

     今こうして不適に笑っている彼女が、今から言う名前の人間が俺だって知ったらきっと驚くんだろうと思うと楽しくなってきた。

     その時彼女は俺を見て何を思うんだろうか?

     タイプじゃないと断言した男のことを見て、がっかりするんだろうか? そう考えると、名前だけ教えるのも悪くはないなと思い。俺は頷きながら「山下洸だ」とまるで自己紹介するように名前を言ってから、とりあえず応援してやろうと思い「あとは勝手に探せよ」と相変わらず可愛げのない言葉を言い放った。

     すると彼女も、最後には「せいぜい頑張って」と言いながら、俺が探すべき人の名前を教えてくれた。

    「木之元遥」

     きのもとはるか、心の中でその言葉を呟いていると彼女がくるりと俺に背を向けるのが見えて俺も同じようにした。まるで長い間仲が悪くてどうしようもなかった人間のように、相手を拒絶するように背を向ける。そうして彼女がビデオカメラを持って駆けていくのを音で感じながら、再び意識をグラウンドに向けた。

     それから、もし俺が声を出しても彼女が来ることができないほどに人混みがひどくなってから村井の応援に精を出す。出した声は自分が今まで発してきた中で、もっとも高い音を伴い自分でも笑えるほどの大声になりグラウンドへと舞い降りた。

     まるで苛立ちを吐き出すかのような声に、自嘲しながら俺は思う。

     もしあの放送の子を見つけたら、また彼女に会おう。

     そして今度は、必ず俺の方を見させてやる。

     一度しかこっちを見なかったあの視線を、今度こそこちらに向けさせてみせる。

     そう決意し、俺はあの凛とした声と高らかに伸びる放送の声を思い、手に持ったメガホンを口元に近づけて大声で叫んだ。蔵八宝

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    2012年08月08日

    大切な人だからこそ

    弘晃が死ぬのを諦めて祖父の跡を継いでから、『もうやめたい』と思うようなことは、幾度もあった。


     だが、隣の学校で頑張っている紫乃を思うことで、あと、もう少しだけ頑張ってみようという気持ちになることができた。 頂点3000


     大変ではあるものの、やりがいのある仕事を抱え、かけがえのない仲間に必要とされる日々は、とても充実していた。


     


     弘晃が、7年前に、ふて腐れたまま死んでいたら、こんな幸せは得られなかった。


     20歳からの弘晃の命も幸せも、全て、紫乃からもらったようなもの。


     どれだけ感謝しても、感謝しきれるものではない。 


     


    「……とはいえ、7年間も、見知らぬ男にずっと見られていたなんて、貴女にしてみれば、気持ち悪いだけかもしれないけど……」


    「そんなこと……」


     弱気な表情を浮かべて紫乃の反応を伺う弘晃に、彼女は、微笑みながら首を振ってみせた。


     


    「でも、見てばっかりいないで、声をかけてくださったらよかったのに……」


     弘晃だけが一方的に紫乃を知っていたことが悔しくて、彼女は、口を尖らせながら不満を言った。


     


     もっと早い時期に、弘晃と知り合いになっていたかった。


     そうしたら、もっと沢山の時間を、彼と共有できたはずだ。


     


    「そうしたら、弘晃さんの具合が悪いときには、お見舞いに行けたし、学校の話にしても、私の口から直接弘晃さんに話してあげられたはずだもの。 それから…… そうよ! 弘晃さんにばかり我慢させていたおじいさまやオババさまにも、『一言』 言ってやれたわっ!!」


    「そうですねえ。 紫乃さんなら、祖父に勝てたかもしれませんね」


     拳を握り締めて息巻く紫乃を、弘晃が笑った。


     


     


    「でも、その頃の僕は、紫乃さんに会えるなんて考えもしていなかったような気がする。 ましてや、女性と交際するとか結婚なんて、論外。 僕には、一生縁がないものだと思い込んでいた。 貴女との見合いにしても、最初は、断るつもりだった。 でも、貴女に会えるチャンスをフイにするのは惜しくて、一度だけ貴女に会うことを自分に許してしまった。 ……でも、結婚する気がないなら、やっぱり、会うべきじゃなかったんだよね?」


    「後悔しているの?」 


     弘晃を見つめる紫乃の声が震えた。「わたくしに会わなければよかった。 弘晃さんは、そう思っているの?」


    「後悔? しているよ。 何度もした」


     微笑もうとした弘晃の顔が悲しそうに歪む。 「見合いをする前なら、貴女を見ているだけで、僕は充分幸せだった。 気持ちが疲れたときには、蔵の2階の窓から貴女が造った花壇の花を眺めているだけで心が和んだ。 本当に、それだけで良かったのに……」


     弘晃が目を伏せた。


     


    「紫乃さんと別れたとき、初めは、ちょっとだけホッとした。 貴女のためを思えば、僕と別れたほうが正解だと思ったし、僕は僕で、貴女と見合いする前に戻るだけだと高をくくっていた。 でも、そうじゃなかった。 過去には戻れなかった。  数日も立たないうちに、無性に貴女に会いたくなった。その気持ちを無視すればするほど、貴女のことが頭を離れなくなった。 しかも、思い出すのは、最後に会ったときに貴女が見せた泣き顔ばかり。忘れたいのに、ちっとも忘れられない。 しまいには、貴女に全然似ていない人を貴女と見間違えたり、貴女の声が聞こえた気がして、部屋を飛び出したり…… なんだかもう、気が変になりそうだった。 ……で、他のことを考えなくてもいいようにと、とにかく仕事に没頭していたら、このざまですよ」ru486


     横になった弘晃は、「これ、この通り」というように、拗ねたような顔で自分の体に掛かっている掛け布団を叩いた。


     


    「パーティーで、貴女と一緒にいた森沢さんを見たときには、あの人がうらやましくて仕方がなかった。 森沢さんは、健康そうで、自信に溢れていて、なによりも貴女とお似合いだった。 人を羨むなんて愚かなことだとわかっているのに、どの男よりも貴女の側にいられる森沢さんに、殺意さえ覚えた」


    「弘晃さんが、『殺意』?」


    「あ、笑いましたね。 でも、本当なんですよ」


     彼らしからぬ物騒な言葉の選択に紫乃が笑うと、弘晃が、ムッとしたような顔をした。


    「ごめんなさい」


     紫乃は、笑いを引っ込めた。 「でもね。5番目……じゃなかった、森沢さんは違うのよ。 わたくし、あなたに会いたくて、あの人を利用しようとしたの。 でも、森沢さんは、お見通しで……」


    「そうだったんだ。 じゃあ、今度会う機会があったら、森沢さんに、お礼を言わないと……」


    「え?」


    「彼が、言ってくれたんです。  あなたと話すように……って」


     弘晃は微笑むと、 起き上がろうとした。


     慌てて制止しようとした紫乃に、逆につかまるようにして体を起こした弘晃は、咳払いと一つすると表情を改めて、紫乃を見た。


     


    「結婚してくれたら、僕は、一生貴女を大切にする。 それは約束します。  だけど、精一杯頑張っても貴女を幸せにはできないかもしれない。 貴女をすぐに未亡人にしてしまうかもしれないし、反対に、貴女がヨボヨボのお婆さんになるまで、こんな調子で生き続けて、看病や介護で、貴女に心配と迷惑のかけ通しになるかもしれない。 それでも、僕は、貴女の傍にいたい。 貴女に、ずっと僕の傍にいてほしい」


    『私も、あなたの傍にいたい』、と答えようとした紫乃の口を弘晃の人差し指が軽く塞いだ。


     


    「ダメだよ」


     弘晃が、紫乃のすぐ近くまで顔を近づけて微笑んだ。


    「返事は、もう少し後で。 少なくとも、僕が一応元気になって、六条さんとの話し合いが終わって、会社のことで、紫乃さんに心配を掛ける必要がなくなってから。 それまで、じっくり考えて。 それから返事を聞かせて」


    「わたくしは、決して、その場の勢いで言っているわけじゃないって、さっきも言ったでしょう。 ちゃんと考えているわ」


     


     呆れるほどの慎重さを見せる弘晃に、紫乃が焦れたように反論したが、彼は、その程度では、まったく動じてくれなかった。


     


    「悪いけど、信じてないよ。 だって、僕がひ弱だってことも、オババさまのことも、あなたにしてみれば、さっき仕入れたばかりの情報でしょう?」


    「……それは、そうだけど、そんなこと……」


    「『そんなこと』程度に考えないでください。大事なことなんです」


     不機嫌な表情を引っ込めようとしない紫乃を、弘晃がそっと抱きしめた。


     


    「何度も入院している間に、僕は、旦那さんやお子さんの介護に疲れ果てている女の人を何人も見てきました。  うちは、他所に比べれば裕福だし、介護の人手も足りているけれど、それでも、貴女に苦労させることは目に見えている。 だからこそ、簡単に『覚悟してくれ』なんて言えない。 それに、僕の体の問題だけじゃない。 いわゆる上流階級の人たちが、めったに表に出てこない僕と祖父の信仰やオババさまのことを適当に結びつけて、僕のことを面白おかしく噂していることは知っている。 僕と結婚したら、紫乃さんは、きっと笑いものになる。 貴女のお父さんも、『成り上がりの六条氏が、旧家の名につられて、あの中村本家のろくでなしの長男をつかまされた』って陰口を叩かれるでしょう。  妹さんたちの縁談にも悪い影響がでるかもしれない。 つまり、僕とお見合いしようとしたときに貴女が目論んでいたことと正反対の状況を、僕たちの結婚が引き寄せてしまうかもしれない。 貴女は、本当に、それでもいいの?」


     


    「……。 弘晃さん、ずるい」


    「知ってる。 でも、もう一度だけ、よく考えて


     弘晃が、紫乃の髪に顔を埋めるようにして彼女をより近くに引き寄せた。


     


    「僕と結婚するのが、本当に紫乃さんの幸せに繋がるのかどうか。 僕の気持ちとか両家の関係がどうとか、そんな建前は無視していい。 ただ自分の気持ちに正直に、うんと利己的に打算的になって自分の都合を一番に優先して、考え直してみてください。 貴女が、幸せになるために出した結論ならば、僕は、その決定を尊重する。  たとえ、貴女に振られても、今度はちゃんと耐えてみせるから……」


     


    「弘晃さんが、そこまで言うのなら……」


     紫乃は、渋々ながら返事を保留にした。 「でも、ひとつ、聞いてもいい?」


    「なんなりと」精力剤


    「さっきから弘晃さんが言っていること。  ひょっとしなくても、プロポーズよね?」


    「……すみませんね。 わかりづらくって」


     弘晃が笑いながら紫乃を離した。 


     


    「もっと情熱的なのを期待してましたか?」


    「期待したかったけど…… もう、いいわ、別に」


     紫乃は、諦め気味にため息をついた。


     人には向き不向きというのがある。 


     色に喩えれば風のような薄い青……そっけなさを感じるほどの淡白なイメージしかない弘晃に、『情熱的』を期待しようというほうが間違っている。


     


    「弘晃さんの望みどおり、思いっきり自分本位で身勝手に、どうするのが一番自分と妹たちにとって得になるのか、ゆっくり考えてみるわ」


     考えなくたって結論は既に出ているのに……と思いながら、紫乃は、恨みをこめて、いささか乱暴な手つきで弘晃をベッドに押し込めた。


     


    「ねえ? 結婚を考えるにあたって、他にも、まだ、わたくしに言い忘れていることはない? あったら、今のうちに聞いておくけど」


     掛け布団で弘晃を丁寧に覆いながら、紫乃はたずねた。


    「言い忘れたことですか? あ、そうだ」


     


     口を開きかけたまま、弘晃が、病室の扉のほうから聞こえてくる複数の足音を気にするように視線を動かした。


     


     ノックの音と共に血相を変えて駆け込んできたのは、弘晃の弟と葛笠だった。


     


    「紫乃さん! 逃げてください!!」


     入ってくるなり、正弘が叫んだ。


     


    「は??」


     紫乃は、きょとんとした。 


     


     逃げろ? どうして??媚薬


     

    posted by NoName at 17:47| Comment(0)TrackBack(0)未設定

    2012年08月15日

    何処からともなく、君が声す

    「お疲れのようですね?」

     目を上げると、この店のオーナー・シェフ、御園生さんが傍らに立っていた。僕の前には赤ピーマンのタパス(小皿料理)と、スライス・バケットがサーブされている。ぼんやりしていた僕は、それに気づかなかった。三体牛鞭

    「ああ、そう言えばバーゲンの期間だ」

     御園生さんはそう言って笑った。

     確かに今は夏の最終バーゲン期間中だけれど、外商部の僕は売り場担当ほどには忙しくない。そんなことを取り立てて説明する必要もないので、僕は笑みを返した。

    「何かお飲み物は?」

    「じゃあ、白のサングリアを」

     御園生さんは厨房に戻り、ほどなくオーダーしたサングリアが別のスタッフによって運ばれて来た。

     サングリアはワインに柑橘系のフルーツを漬け込んで風味を出したもので、フレーバード・ワインと言うのだそうだ。フルーツの良い香りと酸味のおかげで、普通のワインより飲みやすい。主流は赤ワインを使ったものだけれど、僕は白ワインを使った方が好みだった。気をつけていないと飲みすぎてしまいがちで、だからいつもは一回の食事でグラス一杯か二杯をやっと空ける程度に止める。

     グラスの縁にデコレートされたカット・ライムの涼しげなグリーンは、『彼女』の着ていたサマーセーターの色とダブる。

     今日の夕方、『彼女』――別れた妻の千咲と二年ぶりに会った。「ぼんやり」の原因だ。

     僕は、グラスを一気にあおった。


     




     盆が過ぎ、日差しはまだまだ強いものの、どことなく秋めいてきた。残暑は長く厳しいとの予報だったのに、朝晩の空気は夏特有の湿っぽさが薄らいで、心なしか爽やかに感じる。暦上だけではなく、体感的な秋の訪れも間近だと思わせた。

     夏のクリアランス・セールはいよいよ最終段階で、そろそろ客足も鈍くなっている。秋物仕様に変わったばかりのこれと言ったイベントもない初秋、冬の商戦計画も決まっているこの時期はデパートにとって閑散期で、基本的にバーゲン・セールのない外商部、特に僕が所属する輸入家具・雑貨の三課は静かだった。顧客担当は外回りで出払っていたし、今年の春入社の新人達はバーゲンの特設会場に貸し出されていることもあって、人気も少ない。そして買い付け・商談担当の僕はと言えば、午前中こそ昼休憩を挟んで次期内覧会についてのミーティングだったが、午後からはそこで手渡された商品資料に目を通す以外の予定はなく、定時の十七時は無理でも、十八時台には退社出来そうだった。

    ――『Retiro』で、晩飯食って行こうかな

     『Retiro』は隣町にあるスペイン・バルで、以前、佐東さんに連れて行ってもらって知った。「バル(BAR)」は、スペインでは居酒屋の意味合いらしい。日本のそれと違って一人でも立ち寄れる雰囲気から、社用の帰りに何度か食べに行った。

     帰り道とは反対方向になる。でもたまには『Retiro』に行くことを目的にして寄り道するのも良いかも知れない。僕はすっかりその気になり、残った雑事をさっさと片付けることにした。

    ――佐東さんを誘ってみようか

     午後七時くらいなら、夜型生活の佐東さんでも起きている時間だ。前に一緒に行った時はとても楽しかった。最近、大学院復学準備で忙しいようだけれど、どうだろう?

     私用の携帯電話を内ポケットから取り出して、電話帳から佐東さんの名前を選ぶ。




    『館野さんって、可愛い人ですね』




     不意に頭の中で、佐東さんの声が響いた。

     飲みに行った帰りに彼が言った言葉。三十も半ばの男に「可愛い」だなんて、何でもかんでも「可愛い」と形容する女の子みたいだと思った。

     酔っていたし、意味なく出た言葉だとわかっているのに、時々思い出される時には、なぜだか僕の頬の辺りは熱くなる。

    「館野」

     携帯電話の液晶を見つめながら逡巡していると名前を呼ばれた。声がした方向には、都賀が立っていた。

     婦人雑貨売り場の課長で、今の時期でもそれなりに忙しいはずの彼が、売り場を抜けて棟違いの外商部事務所に来ることは珍しい。

    「都賀?」

     腰を浮かせて立ち上がりながら、「どうしたんだ」と続けようとした僕は固まった。

     都賀の後ろから、まず彼の奥さんの春香さんが姿を見せ、そして、

    「千咲…」

     僕の別れた妻である千咲が入って来たからだった。

     春香さんの会釈が目に入り、僕はやっと瞬きをした。辛うじて彼女に挨拶を返したものの、自分がどう言う表情をしているかわからない。春香さんを見ているはずの僕の目の焦点は、彼女の肩越しに千咲に合わされていた。

     背中まで伸ばされていた千咲の髪は顎の辺りで切りそろえられ、少なからず驚く。幼い頃から肩より短くしたことがないと言っていたのに。

     僕と目が合うと、千咲はぎこちなく笑った。

    「今日、何時くらいに上がれそうだ?」

     都賀に聞かれて、僕の意識は彼女から離れた。都賀も春香さんも、まっすぐ僕を見ている。都賀一人なら「遅くなる」とでも言い逃れが出来るけれど、後の二人の存在がそれを許さなかった。たとえ残業になると言ったところで、千咲は待つつもりでいる。彼女も同じ系列百貨店の社員だ。今の時期がそれほど忙しくないことを知っている。だからこそ、訪ねて来たのだろうし。

     都賀夫妻の射るような視線と、微笑んだ後に引き結ばれた千咲の唇を見て、僕は「六時半には」と答える外なかった。


     




     都賀の自宅は職場から電車で四駅の郊外にあった。家族持ちの社員には会社が用意した物件ではなく、自ら探したマンションなり一戸建てなりに、住宅手当として家賃の一部が補填されるシステムになっていた。学齢前の小さな子供が二人いる都賀は、二階建ての一軒家を借りている。

     僕が彼の家を訪ねるのは二度目だった。と言っても、一度目は酔いつぶれた都賀を送って来ただけで、玄関先で彼を春香さんに引き渡しそのまま帰ったから、訪問と言う点では今回が初めてになる。

     午後六時半に、都賀は外商部まで僕を迎えに来た。売り場責任者と一階フロアのサブ・マネージャーを兼ねる彼が、閉店前に帰宅するなんて。僕と千咲の話し合いの場所に自宅を提供することといい、今夜は簡単に帰らせてもらえないことが予想出来た。

     父親の常にない早い帰宅に、子供達がリビングと思われるドアから飛び出て来て、都賀にまとわりついた。都賀はよちよち歩きの下の子を抱き上げ、上の子の手を引くと、彼らが開け放したドアの方に先立って向う。SEX DROPS

     ドアの向こうは、やはりリビングだった。対面式キッチンには春香さんがいて、ダイニングテーブルに座る千咲と話していたけれど、僕達の姿を見ると会話は止まった。気まずさに似た空気が部屋を包む。

    「ここはこいつらの遊び場だからな。あっちの部屋に行こう」

     おもちゃが散乱する中で子供達の手を離すと、都賀はリビングを横切って引き戸を開けた。きれいに片付いている和室には、座敷机を挟んで座布団が二つ敷かれていた。

    「ゆっくり話せよ。うちは何時になっても構わないから。ひと段落したら出て来い。軽く食べられるものを用意しておくってさ」

     都賀の足下から子供達が覘いている。隙があれば中に入ろうとしているのを、「パパとお風呂に入ろう」と都賀はリビングの方に追いやった。

     春香さんが冷たい麦茶の入ったグラスを机上に置き、そうして和室の戸は閉められて僕と千咲は二人きりになった。

     引き戸の向こうでしていた子供達のはしゃぎ声は、しばらくして聞こえなくなった。バスルームに行ったのか、都賀が気を利かせて別の部屋に連れて行ったのか。途端に辺りは静かになり、時折、春香さんが立てているであろう生活音が聞こえるくらい。

     千咲は伏し目がちにグラスを見つめていた。僕もまたグラスの水滴にしか目のやり場が無かった。

     何を話していいかわからない。彼女からは聞きたいことがあると思うのに、黙りこくったままだ。でも聞かれたら、ちゃんと答えられる自信が僕にはなかった。

    「…久しぶりだね」

     ネクタイを緩め、麦茶を口に含んで――結局、重い沈黙に耐えられなかったのは僕の方だった。

    「怜ちゃん、少し痩せた?」

    「そうかな? 自分ではそうは思わないんだけど」

    「痩せたわ。ここに影が入っているもの」

     千咲は左手で自分の頬を触って見せた。薬指には見覚えのあるプラチナの指輪が嵌まったままになっている。僕の目はそれに釘付けになった。彼女は僕の視線に気づいて、手を机の下に引っ込めた。

    「きっと食生活が偏っているからだよ。髪、切ったんだね?」

     指輪に動揺した僕は、会話を慌てて繋げた。ただ触れていい話題だったかどうか。女性が長かった髪を切る行為には、理由があることが多いと聞く。もし離婚が原因なのだとしたら、軽々しく聞いて良いことだとは思えない。彼女は髪を触って「変わりたかったの」と、ごく普通に答えた。今度は右手だったけれど、さっきの左薬指の残像がチラついて、息が一瞬詰まった。

    「おかしい?」

    「いや、似合っているよ」

    「あなたは、短い方が好きだった?」

     千咲は目を上げて、僕を見た。

    「似合っていれば、ロングもショートも好きだよ?」

    「私は長い髪が似合っていた?」

     彼女が続けて聞いた。思いつめた表情に見える。髪の長い短いがそれほどの大事とは思えないのに、彼女は僕の答えをじっと待っていた。「似合っていた」と僕が答えるより先に、今度は着ているサマーセーターが似合っているかどうかを尋ねる。爽やかなグリーンのサマーセーターは、丸い襟元と七部の袖口にレースの縁取りとリボンがあしらわれていた。千咲が選ぶものにしては珍しい色と形だと思った。彼女はシンプルな形が好きで、リボンやフリルの付いたものはほとんど身につけなかった。色も青味のものは顔色が悪く見えるからと、どちらかと言えば赤や黄の暖色系を好んだ。グリーンの服は初めて見る。

    「似合う? それとも似合わない?」

    「似合っているよ」

    「本当に?」

     またさっきと同じ表情。それに違和感を覚えながら僕は頷いた。千咲は僕から目を逸らす。

    「どうしても知りたかった。怜ちゃんがどうして離婚したいって言い出したのか」

     核心の話が千咲の口をついて出たのは、五分ほど沈黙の後だった。

    「あなたはただ『全部自分が悪いんだ』って言うばかりだったから、みんなが言うように、他に好きな人が出来たのかと思ってた。でも都賀さんから付き合っている人はいないみたいだって聞かされて。だから、興信所で調べてもらったの」

     興信所と言う言葉に、僕は思わず顔を上げて彼女を見た。

    「あなたは社用以外では寄り道せずに、毎日、職場とマンションを往復するだけ。休みの日もコンビニに出かける程度で、マンションには誰も訪ねて来ないって聞かされたわ。調査料をもらうのが申し訳ないくらいだって」

     エアコンのよく効いた部屋は涼しいはずなのに、手のひらに汗を感じ太ももで滑らせてそれを拭く。実際、汗はかいていなかったかも知れないけれど、とにかく身体中が熱かった。

     調べられて困ることは何もない。興信所が調べた通り、僕はつまらない毎日を送っている。それでも自分の無意識の行動を指摘されそうで、話を聞くのが怖かった。

     付き合っている人間がいるわけでも、時間や金銭面での自由が欲しかったようにも見えない、では何が原因なのか――報告書を見ながらずっと考えていたと、千咲は淡々と語った。

    「やっぱり私に理由があるんじゃないかって思ったの。怜ちゃんは口にこそ出さないけど、私に不満があったんじゃないのかって。髪は短い方が好きなんじゃないか、服の趣味も、もっと女らしい格好が好きなんじゃないのか、料理の味付けだって。怜ちゃんはいつだって我慢していたのかも知れない。仕事なんか辞めて家庭に入って欲しかったのかも、子供だってすぐに欲しかったんじゃ…」

     千咲の言い様はだんだんと彼女自身を追い込むようなものに変わり、僕は堪らなくなった。

    「そんなこと、考えたことない。千咲のせいじゃない。君はちっとも悪くないんだ」

    「だったら、なぜ? どうして別れなきゃならなかったの? 私は今でもあなたが好き。やり直したい。あなたの子供を生みたい。離れてみて、どんなに怜ちゃんが好きなのかわかったの。だって私は、別れたくなかったんだもの」

    「千咲」

    「私に悪いところがあるなら、嫌なところがあるなら、直すわ」

     彼女の口調はどんどん感情的になっていた。それでも努めて抑えているのか、声音が大きくなりかけると言葉の最後が不自然にしぼんだ。

     小刻みに震える細い肩が痛々しかった。痩せたのは彼女も同じだ。

    「ごめん、出来ない。やり直すことは、もう無理なんだ」

     でも僕は、千咲の望む答えを出せない。彼女が僕の子供を望んでいるのだとしたら、尚更。

    「どうして?!」

     とうとう抑えきれなくなり大きくなった千咲の声に、

    「だって僕は」

    つられかけたけれど辛うじて言葉を切った。

    ――「だって僕は」、その後、何て言う気なんだ、怜?

     自分でも不確かな理由。認めるにはまだはっきりとしない、そして躊躇いのあることを、どう説明するつもりなのか。よしんば「君を抱けなくなった」と言ったとして、それは今以上に彼女を傷つけるぞ…と、頭の中のもう一人の僕が戒める。

     千咲は次の言葉を待っていた。

    「…僕じゃ、千咲を幸せに出来ない。君は、君を幸せにしてくれる人と、やり直した方がいいんだ」

     すり替えなければ続けられなかった。このやりとりは離婚までの半年間に、何度も繰り返されたものだ。

     千咲は表情を歪め、唇をキュッと噛み締めると、バッグをおもむろに手にした。中からメモのようなものを取り出し、机の上に置く。メモではなく、折りたたまれた紙だった。彼女はそれを広げ、僕の前に押し出した。

    「え?」

     僕は自分の目を疑った。冒頭には「離婚届」の文字。見慣れた僕の字で「館野怜」、彼女の字で「館野千咲」、住所に本籍、互いの両親のサインなど記入すべき欄に全て記入されている。日付は二年前。記入した後、「自分で出したい」と言った千咲に預けた離婚届だった。

     確認しようと伸ばした僕の手より先に、用紙は千咲の元に引き戻された。そして次には、一瞬の音を残し半分に引き裂かれた。

    「千咲?!」

     日焼けしていない千咲の白い手で、見る間に紙は細かく千切られて行く。彼女の手の中から落ちる紙片。僕はどんな顔でそれを見つめているだろう。

    「けじめをつけるために、これを自分で出そうとしたわ。もうあなたと他人になるんだって、自分にわからせるために。明日出そう、明日こそ、明日、明日、明日! でもどんどん日が過ぎて、出せなかったの、どうしても!」

    「千咲」

    「私、別れないわ、別れない!」

     千咲はそう言うと、離婚届の残骸の上に突っ伏して、「わあ」と声を上げて泣いた。二年前は一度も泣かなかった。離婚協議以前も泣いたところを見たことがなかった。その彼女が部屋中に声を響かせ、取り乱して泣いている。

    「千咲ちゃん」

     引き戸が開いて、春香さんが入って来た。彼女が入って来ても憚らず泣き続ける千咲の肩を抱き、背中をやさしく撫でさする。リビングでは大きな泣き声に驚いた下の子供が泣き出した。それを都賀が抱いてあやしながら、敷居のところでこちらの様子を窺っている。

     僕はそれらをただ見ていた。千咲に声をかけてやることも出来なかった。自分のことなのに実感がなく、考えることを頭が拒否しているかのようだった。蒼蝿水

     でも現実のことだ。号泣する千咲も、破り散らされた離婚届も、僕達が現実にはまだ夫婦であると言う事実も。そして全ての発端は、僕であると言うことも思い知らされた。


     




     それが都賀家での出来事。

     電車のいくつも乗り継いで帰らなければならない千咲は、そのまま泊まることになった。都賀は僕と飲みに行くつもりで出かける支度をしたけれど、それを丁重に断った。車で送ると言う申し出も、一人で帰りたいからと。都賀が一度で引き下がったのは、きっと僕がひどい顔色をしていたからだろう。千咲の身体の下にあった細切れの紙片で事情を察したようだった。あるいはあらかじめ聞いていたのかも知れない。彼の目の表情は、同情的でさえあった。

     帰る時、落ち着いた千咲が玄関まで僕を見送った。か細い声で「ごめんなさい」と言うと、ようやく止まっていた涙がまた頬を流れた。

     千咲を責める資格は僕にはない。彼女があやまることは何もない――そう言ってやりたいのに言葉にならず、僕は彼女の隣に立つ都賀夫妻に頭を下げ、駅に向った。

     長い時間、都賀のところに居たと思ったのに、実際には二時間も経っていなかった。都賀家からの最寄駅に着くとまだ九時を過ぎたところで、残業を終えたサラリーマンやOLが電車から降りてくる。二駅次には『Retiro』があった。まっすぐ帰りたくなかった。それで途中下車して今に至る。

     夕方起こったことが頭の中で反芻される。離婚届を破る千咲の白い手元の映像が、何度も再生される。彼女の泣き声が耳の中に留まっている。意識があの時間に戻ってしまう。

    ――早く酔ってしまおう

     グラスはすでに三杯目が乾されていた。とっくにふわふわとした酔う感覚が起こる量なのに、それが感じられない。

    「今日はペースが速いようですけど、大丈夫ですか?」

     御園生さんがオーダーしたアルコールのおかわりを、僕の目の前に置く。辛うじて笑って見せて、グラスに手を添えた。

     カウンターの席が僕の『指定席』で、いつもなら手の空いた時に御園生さんが話し相手になってくれるのだけれど、ちょうど同じくらいに入ってきた四、五人のグループと、その後も続いた来店客のオーダーで忙しく、厨房に入ったきりだった。時々、声をかけてはくれても、話をするほどに時間は取れない。せめて会話しながらだったら酔いも早く回るだろうに、上手く行かない日は、何もかもタイミングが悪い。

    「隣、良いですか?」

     聞き覚えのある声だったので顔を上げると、見知らぬサラリーマンが立っていた。

    「ええ」

     給料日直後のためか、ラスト・オーダーまで一時間を切ってもテーブル席は埋まっている。僕同様、彼も一人だった。夕食をここでと考えて入ってきたのだろうか。それは相手も思ったらしく、

    「あなたも一人ですか?」

    と言った。僕がうなずくと、彼は「ここは一人でも入りやすいですよね」と笑った。

    ――この人の声、佐東さんの声に似ているな

     聞き覚えがあると思ったのは、そのせいだった。

     気さくな人で、知らない人間と話すことに躊躇はないみたいだった。サービス業でありながらこの年になっても人見知り気味な僕だけれど、どんどん話しかけてくる彼のペースにいつの間にか乗せられていた。それだけではなく、やはり佐東さんの声に似ていることに親しみを覚える。話せば話すほど、似ているように思えて、傍目から見ると二人で飲みにきている職場の同僚同士に見えるくらいに会話が弾んだ。おかげで千咲とのことを思い出さずに楽しく飲めた。

     スタッフからラスト・オーダーを告げられ、帰る時間が近づいたことを知った。少し酔いは回っていたけれど、頭の芯までアルコールは染みとおっていない感じだ。忘れていた今日の出来事が蘇ってくる。このまま帰って一人になることが憂鬱だった。

     佐東さんに少しの間だけでも話し相手になってもらえれば――それは出来ない。佐東さんはきっと仕事をしている。大学院への復学を本格的に決めて、院生期間の生活費のため、臨時のバイトを増やしていた。復学審査の論文作成もあってここのところ忙しく、本当なら睡眠時間に当てているはずの昼間でも生活音が聞こえた。一人になりたくないからと言う身勝手な理由で、そんな彼に負担をかけられない。

    「良かったら、もう一軒、行きませんか? 静かな良い店、知ってるんですよ。歩いて行けますよ?」

     そんな僕の心の内を覘いたかのように、彼が言った。

    「それとも、明日の仕事に差し支えるかな?」

     明日もそれほど忙しくならないはずだった。ミーティングや商談の予定もない。

     何より、一人で過ごしたくなかった。

    「いえ、大丈夫です」

     僕はそう答えると、彼と二人して立ち上がった。

     御園生さんは厨房の中に入ったきりなのか姿が見えない。会計で応対したスタッフに「帰ったことを伝えておいてください」と一声かけて、僕は先に表に出ていた彼を追った。勃動力三体牛鞭

     

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    2012年08月21日

    エラ~ゼロ-Zero Era-

    昂月はリビングを逃げだし、後ろ手にドアを閉めた。

    どんなに感情をぶつけても、吐きだしても楽になることはなかった。

    あの日、自分が座り込んでいたのは目の前。そこにはまだ自分自身の残像が見えるような気がした。巨根




    祐真はリビングを出ると、昂月を目の前に見いだして驚き、そして微笑(わら)った。

    リビングのドアを閉めて呆然とした昂月を抱え、祐真は外へと連れ出した。車に乗せられて、どこへ行ったのかも覚えていない。

    言葉だけが息衝いている。

    「聞いたんだな」

    祐真はわかりきったことをあえて訊ねた。そうやって自分に云い聞かせていたのかもしれない。

    「おれは振り回される運命らしい……心配するな、兄妹としてやっていけるさ」

    そう云って祐真は笑った。




    昂月はその瞬間(とき)、どんなに悲しくても笑えるものだと知った。

    そんな簡単に切り替えられることではなかったはずなのに。

    それが幻想であろうと、真実であろうと――少なくとも昂月にとっては。

    けれど、祐真は答えを出した。昂月を置き去りにして。

    あたしはどこにも帰れない。

    笑うことも泣くことも同じなら、どんな感情にも意味なんてない。


     ドアを離れたとたん、高弥が出てきた。

    振り返って見上げた高弥の顔に批難は見えなかった。

    「ごめん」

    小さくつぶやいた昂月を見下ろして、高弥は励ますように小さく笑みを浮かべた。

    「謝るなよ。行こう」

    玄関を出るとき、昂月は一度だけリビングのドアに目をやった。だれもいないかのようにしんとしている。その中で自分が繰り広げた爆破は昂月の心に焼きつき、これからさき、消えることはないだろう。


     高弥が助手席のドアを開けてくれ、乗り込もうとしたちょうどそのとき、音がするほど勢いよく玄関のドアが開いた。

    「昂月、ごめんね……ごめんなさい!」

    美佳が叫ぶように繰り返した。

    追いかけて……くれるのね……。

    昂月は横顔を向けたまま、美佳に少しだけうなずいてみせて車に乗り込んだ。

    「いいのか?」

    「うん」

    高弥はドアを閉めた。


     車の中ではふたりともが沈黙したままだった。

    カーステレオからの声も耳に入らず、後ろへと流れていく夜の灯りも目に入らないまま、適当な言葉も探しだせなかった。


     まもなくホテルに着くと、いち早くホテルマンが助手席のドアを開けた。

    高弥は昂月の荷物を取りだし、車のキーをホテルマンに預ける。

    「高弥――?」

    「部屋番号は?」

    昂月をさえぎって高弥が問い返した。

    「……二一〇五……」

    「承知致しました。お預かりします」

    ホテルマンが高弥の車に乗り込んだ。

    「高弥、あたしは大丈夫だから――」

    「何が『大丈夫』なんだよ。これで放って帰ったら、おれはなんのためにこれまで昂月に付き合ってきたんだ?」

    「でも――」

    「こんなところで押し問答してもしょうがな――」

    突然、視界のなかに光が散り、高弥は言葉を切って舌打ちをした。

    「ここでは話せない。中へ入ろう」

    昂月は高弥に背中を押されるままにホテルの中へ入っていった。

    荷物を持っていくベルボーイの後ろをついていく間、また黙り込んだ。エレベーターの中は静かすぎて息が詰まるようだった。

    詮索(せんさく)する様子は露(つゆ)ほども見せず、ベルボーイが丁寧に頭を下げて部屋を出ていく。


    「高弥、ねぇ、ほんとに大丈夫だから」

    「おれを入れたくない?」

    高弥は二重の意味でそう訊ねた。

    「ううん、そうじゃない……ここはもうあたしの部屋じゃないから……」

    それが祐真の答えだった。

    「祐真兄には最期にここで過ごした少女(ひと)がいる。その時点でここはあたしの部屋じゃなくなってる。あの子の云うとおり……もう片づけなくちゃ」

    わかっていたのにここでも昂月は受け入れたくなかった。

    全部を祐真からも否定されたようで。

    この部屋を片づけられなかったのは、祐真をここに閉じ込めておくため。それは、昂月が祐真へ下した断罪だったのかもしれない。

    「それが昂月にとって嫌なことだったら、祐真がなんの意味もなくやるわけない」

    「わかってる。悪いのはあたしなの」

    「昂月……そう思うことが祐真の望みなのか? 独りでいることも?」

    「……違う……わからない……」

    「おれが入る隙はない?」

    その質問の真の意味がわかって、昂月には答えることができなかった。

    高弥を頼ってはいけない。そうしたらまた同じことの繰り返しになる。

    「整理がつかないの、まだ……ねぇ、帰って」

    「今日はこのまま独りにしておけるわけないだろ? 昂月のためじゃない。おれのためだ」

    高弥は強引に云うと、昂月は諦めたようにため息を吐いた。

    「じゃ、帰りたいときに帰って」


     高弥を置いて、昂月はベッドルームを通り、バスルームへ入った。蛇口をいっぱいに捻り、バスタブにお湯を溜(た)めていく。ラベンダーのバスオイルを落とした。

    とても疲れて、何をするにも億劫(おっくう)な気分だった。喪失感と無力感という似たものどうしが相まみえる。

    ふと見た、壁の鏡に映った自分の顔がまったく無表情なことに自身が驚いた。これでは高弥が帰れないというのもうなずける。心配させるために付き合わせたわけではないのに、そうさせることばかりしている。

    しっかりしなくちゃ。決めたんだから。

    溢れそうに溜まるのを待ってからお湯の中に身を沈めた。お湯が少し零(こぼ)れるとともにラベンダーのほの甘い香りがバスルームに広がる。充満した柔らかな香りがギスギスした感情を少し和らげてくれた。

    かなりの時間が経ってバスルームを出ると、けっして昂月の中には宿ることのない、祐真が求めた光に溢れている夜景が正面にあった。引き寄せられるように窓際に佇(たたず)み、無数に広がる灯りを眺めた。

    窓の灯りの数だけ、それぞれの人の世界がある。昂月とは無縁の世界の人かもしれないし、もしかしたら廻り合うこともあるかもしれない。

    いつか拒絶されることを畏れながら、これからどこに居場所を探しだせるのだろう。


     昂月は窓を離れ、リビングへのドアを開けた。

    高弥はダイニングの椅子に座って缶コーヒーを片手に外を眺めている。その視線が昂月に気づいて戻った。

    膝丈のバスローブの下から覗く素足と、濡れて短くカールした髪があどけなさを纏い、昂月を一層かぼそく見せていた。風呂上がりのせいか、ここに来たときの蒼白(あおじろ)さが消え、昂月の頬はほんのりと桜色に染まっている。

    それが本物であることを高弥に示すように、ドアの柱にもたれて昂月はくちびるに笑みを宿らせた。

    「まだ帰らないの?」

    高弥は少し目を細めて昂月を見返した。

    「早まってほしくない」

    「早まる……?」

    その意味が一瞬わからなかった。が、高弥の揺れる瞳を見て気づいた。

    「心配しないで。それは祐真兄がいちばん望んでいないことだと思うから。そうでしょ? それに……祐真兄が待ってるのはあたしじゃないから」

    自分が招いた結果であることはわかっていても、拒絶どころか、棄てられたことの痛みは昂月に深く根付き、そのうえでの選んだ孤独はどこへ導くのだろう。

    「昂月――」

    「あたしはたぶん……このままやっていけるよ。いまは……自立してる過程ってだけ。早まる勇気なんてない」

    どの世界を選んでも待っているのは孤独であり、怖いことに変わりない。だからせめて、あたしにできることを。狼一号


    「あの子を見つけて、幸せであることを見届けなくちゃ。それが、あたしの祐真兄への償いなの。一生かかっても会えないかもしれないけど、そのぶんこのままやっていける。気づいたの。あたしはいつも人を当てにしてた。してくれないって不満持ったり、頼ったり。でも、自分のことは自分で守らなくちゃ。人のせいにしないで」


    「なんでそんなに極端な考えになるんだ?」

    「あたしは……高弥のお荷物にはなりたくない。だれの負担にもなりたくない。こうなったからって高弥が責任を感じることない。あたしが決めたの」

    「そんなことは感じてない」

    「どうして? あたし、このままだとまた同じ失敗をするの。また甘えて頼って……全部、壊れる」

    「頼ってほしい……頼ってもらうのがうれしいと云っても?」

    「いまはそうでも、人の心は変わる。ちょっとしたきっかけで百八十度変わっちゃうことだってある。そう知ってる」

    昂月は目を逸らすことなく、ともすれば高弥を窺うような視線を向けている。

    「どうしたい? どうしてほしい?」

    「ゼロからはじめたい。高弥は違うと思ったらやり直せばいいって云ったよね。だからやり直そうとしてる。それだけ」

    高弥は昂月から視線を外すと、しばらく窓の向こうを見ていた。

    「わかった」

    そっぽを向いたまま高弥があっさり返事すると、昂月の中にあった凍りついた空洞が融(と)けだし、再び膨張をはじめ、昂月自身を脅(おびや)かす。

    その脅威を抑え込もうと、視(み)られているわけでもないのに昂月は無理やり笑みを浮かべた。

    「……うん。じゃ――」

    「まだ帰らない。しばらくいるよ」

    高弥は昂月をさえぎって視線を戻した。昂月の顔に張りついた笑みが目に入ると、高弥は目を細めて顔をしかめ、立ちあがった。

    「来ないで」

    一歩踏みだそうとした高弥を静かに引き止めた。

    「最近、いろいろ考えててよく眠れてないの。整理はつかないけど、云いたいことを云ったからすっきりしたみたい。眠れそうだからもう帰っていいよ」

    「眠ればいい。おれはもう少しここにいる」

    近づくことなく、高弥は繰り返した。

    昂月は表情を隠すように少しうつむいた。

    「じゃあ、気のすむようにして」

    昂月は柱にもたれていた躰を起こした。

    ドアを閉めようとしてふと手を止め、高弥に目を戻した。

    「高弥……祐真兄のかわり……してくれてありがとう」

    そう云いつつドアを支えていた手を放した。

    「昂月――」


     高弥の言葉を聞くまえにドアは閉まった。

    口にするのがつらくて言葉にはならなかった、さよなら。これまでの時間をいつか穏やかに思いだせるようになるのだろうか。

    ベッドに潜(もぐ)り込んで目を閉じた。高弥にはああ云ったものの、安眠には程遠い。目を閉じたまま、ふっと意識が目覚めて眠っていたことに気づいたり、そう気づいたことさえ夢現(ゆめうつつ)だったりで疲れたまま、朝の光に気づいて起きだした。

    リビングへ続くドアを開けると、そこに高弥の姿はなかった。

    表現しがたい感情が集う。

    不安と恐れが溢れ、そのなかに少しの安堵と解放感、相反してさみしさに襲われる。

    気が抜けたように何をする気にもなれず、朝食もとらないままにリビングのソファでぼんやりと過ごした。つけっ放しにしたテレビの気侭(きまま)な雑音が時間の流れを教える。

    不意にドアがノックされ、時計を見るとまもなく正午になろうかというところだった。

    真貴がまた食事の用意でも手配してくれたのかと思って、昂月はドアに向かった。

    「はい」

    給仕ならドアの外で声をかけるはずだと知っていながら、そこに気が回らなかった。

    補助ロックを外してドアを開けると、そこにいる訪問者がだれなのかを理解するのに昂月は時間を要した。


    「まただ。だれかを確認してから開けろって云っただろ? おまけに着替えてない」

    驚いて昂月が一歩下がると、高弥は部屋の中に入り、彼女を見下ろして笑んだ。

    「……どうして……来るの……?」

    そう云って昂月は深くうつむいた。

    高弥の腕が昂月を包み込む。

    「ゼロからはじめたいって云ったよな? おれも祐真の役は降りる。おれをおれとして見てほしい。今度は最初から」


    昂月の中で、かろうじて保っていたバランスがバラバラに壊れた気がした。

    「あたし……こんなふうに祐真兄を……引き止めたんだよ……っ? もう……弱いままで……いたくない……っ」

    高弥の腕の中からくぐもった叫びが響く。

    「わかってる。昂月の意思を無視するつもりはない。けど、それに付き合わせてほしいと思ってる。たとえ、納得できるまでに十年かかっても、果てがなくても」

    高弥がそうしてしまうことをいちばん畏れているのに高弥には通じない。

    高弥は昂月がしたことを知っても変わらなかった。否、強いて挙げるなら、一つだけ変わった。


    「昼、食べてないだろ? ドライブがてら出ないか?」

    高弥の腕を抜けだして、昂月はうつむいたまま首を横に振った。

    「……行きたくない。部屋から出たい気分じゃないの」

    「わかった。ルームサービスを頼むよ」

    「高弥……」


    「おれは、昂月とのことをゼロのままにするつもりはない。マイナスにはなっても。おれのことをもっと知るべきだ。諦め悪いってことは知ってるだろうけど」


     昂月をさえぎって真剣に云い切った高弥は、最後にはからかうような口調になっていた。

    「つらい……よ」

    「おれもつらいよ」

    すかさず続けた高弥を見上げた昂月だったが、ともすれば呑み込まれそうなくらいに深くなっている瞳に気づいて目を伏せた。堪えきれないように心を漏らしていた瞳はいま、隠すことをやめて惜し気もなく曝しだした。

    人の心は変わる。

    昂月自身の心がそれを証明している。

    行く末に裏切るのが高弥であっても昂月であっても、そうと割りきって流されてもいいのかもしれない。つかの間の幸(さち)を求めて。

    けれど、それと引き換えにして想いに相当した虚しさと闘わなければならない。

    そんな気力なんてない。その昂月の弱さが高弥の強さを逆手にとり、高弥を縛って挙句(あげく)の果てにめちゃくちゃにしてしまう。

    そんなことはしたくない。


    「着替えてこいよ。適当に頼むから」

    高弥が昂月の背中を押した。

    「……うん」


     昂月はベッドルームに行って、長めのチュニックと七分丈のレギンスに着替えた。クローゼットの姿見が、起きっ放しで少し縺(もつ)れた髪を映しだしているのを見ると、昂月は、どうかしてる、と音にはしないまま口にしてしばらく立ち尽くした。三體牛鞭

    軽くため息を吐いて、ようやく髪を整えているところに慧を示す携帯音が鳴った。

    『昂月、大丈夫?』

    慧はいきなり訊ねた。

    「え?」

    『講義。来ないから』

    「……あ……今日あったんだっけ……」

    そういう気分になるどころか、すっかり大学のことは忘れていた。まったく頭が働いていない証拠だ。

    『いま、どこにいるの?』

    「……英国ホテル……しばらくはここにいるから。大丈夫だよ。高弥がいま来てくれてる」

    『……そう……話したの?』

    「うん……昨日」

    『それでも高弥さんが昂月といるってことはうまくいったんだよね?』

    「慧……怖いよ」

    昂月はかぼそい声でつぶやいた。

    『昂月……』

    「ごめん、困らせて。まだ迷ってるだけ……」

    『謝ることじゃないよ。来てほしいときは云うんだよ?』

    「うん、ありがと」


     電話を切ってリビングへ戻ると、高弥は窓枠に腰を預けて地上を眺めている。うつむきかげんの横顔は触れたいと思うほど、完璧(かんぺき)なラインを見せていた。

    高弥は顔を上げて昂月を見ると、

    「来て」

    と少し抑えた声で誘った。

    けれど、見返す瞳に慄いた昂月の足は動かなかった。

    これまでに見ることのなかった畏れを宿した瞳が高弥に向けられている。そう知ると高弥は顔を伏せ、そして瞳から感情を消し去った顔を再び上げて躰を起こした。

    昂月に近寄ろうとしたとき、高弥の携帯が鳴りだす。ダイニングテーブルに置いた携帯をとると戒斗からだった。


    『高弥、昨日の祐真の件だ。曲はやっぱりまったくの新曲だった』

    「なんだ?」

    『二十七日、まさに命日に発売だ。曲名は“ONLY ONE”』

    曲名を聞いた瞬間、高弥は佇んだままの昂月を見やり、動きが止まった。

    ……祐真……?

    『……高弥、どうした? 聞いてるのか?』

    高弥は昂月から視線を外し、目を強く閉じて髪をかきあげた。

    「……ああ、聞いてる。ちょっと待ってくれ……」

    しばらく考え込むように高弥は黙った。

    『……どうする? 裏を使うこともできる』

    やがて戒斗が問うと、高弥の意向も決まった。

    戒斗が手を出せば簡単に事はすむのかもしれない。けれど、それでは戒斗の負担になる。少なくとも莫大(ばくだい)な財が動くことはたしか。

    高弥には高弥のやり方がある。というよりは応える必要がある。

    「……いや……そのまま流してくれ」

    『いいのか? 昂月ちゃんは――』

    「いいんだ。戒斗……そのかわりに頼みがある。あとで電話入れる」


     携帯を閉じると、高弥は一つため息を吐き、自らの覚悟を決めるように携帯を強く握りしめた。

    昂月は問うように少し首をかしげている。


    「祐真の曲……発売されるのは“ONLY ONE”だって連絡が入った。知ってる?」


     昂月は途方にくれて首を横に振った。

    高弥は昂月に近づいた。

    「昂月……おれは止めないことにした」

    そう云った高弥にいきなり抱き取られ、昂月はその腕に抵抗するように躰をピクリと動かした。そうさせまいと、背中と頭に回された腕がますます強く昂月を縛る。

    「昨日の今日でなんだって思うだろうけど、そうする理由がおれにはある」

    「高弥……!」

    くぐもった声で抗議すると、高弥の腕が一気に緩んだ。

    昂月は責めるような眼差しを高弥に向ける。

    「理由は……もう少し待ってほしい。これ以上、プレッシャーを感じてほしくない」

    「プレッシャー……?」

    昂月が訊ねると、高弥は首を少し傾けるだけで答えなかった。

    高弥から目を逸らすと、昂月は窓から見える空を見上げた。昂月の心とは正反対に秋を迎える空はだんだんと澄んでいく。


    「あたしは……もうどうでもいいの。もともと……祐真兄の遺産なんて、あたしが受ける理由なんてないから」

    その真の理由を理解できなかった両親への反抗という意思表示であるとともに、祐真は昂月に対しても抗議を示したのかもしれなかった。

    一方で高弥は父、伊東から聞かされた『復讐』という言葉を思いだす。

    どうやっても素直に受け取れず、そう思わなければならないほどの傷を取り除くには、もしくは取り除けなくても癒せるほどになるまでに、いったいどれくらいの時間が必要なのだろう。


     かける言葉が見つからないまま静かすぎる部屋に、ドアをノックする音が響いて給仕の声がした。応対に出ようとした昂月を制して高弥がドアへ向かう。

    食事の準備が手際よくはじめられると、邪魔にならないようにと窓際に避(よ)けた昂月は無意識で眼下を見下ろした。あまりの高さに三半規管が機能を失って足もとが揺れているような気がした。加えて睡眠不足と昨日からほとんど食べていないせいで引き込まれるような感覚に陥(おちい)る。

    ゾクッと躰が震えた瞬間、手が伸びてきて視界がさえぎられる。

    「顔色が悪い」

    「……ぅん……」

    給仕が準備を終えて出ていくと、昂月は高弥の腕に躰全体を預けてもたれた。

    「ドクターを――」

    「ううん……ただの貧血……しばらくしたら治るから……座らせて」

    昂月は喋るのが億劫そうな様子で云うなり、脱力したように高弥の腕をすり抜けてその場に座り込んだ。

    すかさず高弥は横にかがむと、うつむいた昂月の頭を引き寄せた。


    「……あたし……高い所……ちょっと苦手なの……下、見ちゃった……」

    もともと若干の高所恐怖症がある昂月は、高いところに立ったとき、平行線から見上げることはあっても見下ろすことはない。

    高弥は可笑しそうに笑った。

    「おれもまだ知らないことがあったらしいな。どうりで観覧車に乗らないはずだ。『退屈』じゃなくて怖かったってわけだ」

    昂月は抗議するように目の前の高弥の腕を力なくも叩く。

    「高弥は?」

    「なんだ?」

    「あたしが知らない……苦手なこと……あたしだけなんて不公平……」

    「はは……歌うのが苦手……って云ったら信じる?」

    少し間を置いて告白されると、昂月の躰が高弥の腕の中で揺れる。

    「信じない!」

    昂月はクスクスと笑いながら小さく叫んだ。

    「真面目に、歌うの苦手なんだ」

    高弥も笑いながら応じた。

    「……どうして歌ってるの?」

    「戒斗の強引さに負けた。戒斗とは大学に入ってから出会ったけど……おれが音楽やってたのはギター音が好きだから」男宝

    「うん。ギター、いっぱいある」


    「ああ。別にプロになろうとかそういう気はなかったけど、ギタリストと名乗れるくらい弾(はじ)けるようになりたかったし、それなりに作曲も手がけてやってたんだ。大学祭で友達(ダチ)のバンドとジョイントする予定で練習やってて、その最中にヴォーカルが喉を痛めて、結局、即席でおれが歌った」


    「友達のバンド、ほかに歌える人はいなかったの?」

    「現実、音出せるからって歌がうまいとは限らない」

    昂月はふふっと吹きだした。

    「そんとき見てた戒斗にスカウトされたってわけ。歌う気なんてなかったし、ましてや戒斗はプロ、つまり一流を目指してた。冗談じゃないって散々蹴ったけど……こうなってる。素面(しらふ)じゃ歌えないくらい苦手だった。MCなけりゃ、もっと気楽なんだろうけど……いまだに苦痛」

    「喋るの、苦手だもんね。でも……高弥の声、すごく好き。歌ってるときの低い声も裏返る声も……」

    「声だけ?」

    「高弥の声……FATEだって思うの」

    答えなかった昂月の返事に高弥は笑った。

    その笑う声が寄せた高弥の胸の奥から昂月の耳に心地よく響く。触れていることの心地よさと、FATEの馴れ初(そ)めを続けて語っている声が昂月の意識をふんわりと包んだ。


     高弥の腕の中で、昂月が不意に重くなる。

    「昂月……?」

    うつむいてもたれたまま、反応がない昂月の呼吸は緩やかな肩の上下とともに規則的に繰り返されている。

    昂月を抱く腕に力がこもった。

    夏が廻ってきたあの日、空港で腕にしたときから、触れずにはいられなくなった。それはおそらく昂月も同じこと。

    心は目の前にあるのに。つかもうとする手は昂月の心をすり抜けていく。


     三十分くらい経った頃、昂月が身じろぎをした。とたんにハッと目が覚めて昂月は躰を起こし、高弥を見上げた。

    「あたし……寝てた?」

    「寝てた」

    あっさりと高弥が云うと、昂月はイギリスから帰った日と同じ困惑の表情を浮かべた。

    「おれの腕もベッドも、昂月にとっては揺り籠(かご)になってるみたいだな」

    高弥はにやりと笑った。

    「……あの日は……待ってるのに疲れて……遅くなるから帰れって云うし……ちょっと眠ってから帰ろうって思っただけ……?」

    昂月が云い訳をしているうちに高弥の顔から笑みが消えていく。

    「……帰れ……って……おれが……?」

    「……うん……唯子さん……が……」

    「……水納?」

    高弥は訝しく眉をひそめた。

    その瞬間に昂月の中で唯子の位置が確定した。

    「ううん……間違い。あたしが夢見ただけ。あのときはびっくりして混乱してたから。ごはん、食べなくちゃ。冷たくなったね」

    昂月が立ちあがろうとすると、高弥がさきに立って彼女を支えた。

    「大丈夫。ありがと」

    高弥は昂月が打ち消した弁解に納得していない様子だったが、ふと笑みを浮かべた。

    「これでお相子(あいこ)だな」

    「何?」

    「子守唄」

    昂月は不満そうに少し口を尖らせた。が、すぐにそのくちびるに笑みが宿った。


     堪えきれない求める心は、大きければ大きいほど追い求め、深ければ深いほど逃げ惑わせる。VVK

     

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    2012年08月21日

    エラ~ゼロ-Zero Era-

    昂月はリビングを逃げだし、後ろ手にドアを閉めた。

    どんなに感情をぶつけても、吐きだしても楽になることはなかった。

    あの日、自分が座り込んでいたのは目の前。そこにはまだ自分自身の残像が見えるような気がした。巨根




    祐真はリビングを出ると、昂月を目の前に見いだして驚き、そして微笑(わら)った。

    リビングのドアを閉めて呆然とした昂月を抱え、祐真は外へと連れ出した。車に乗せられて、どこへ行ったのかも覚えていない。

    言葉だけが息衝いている。

    「聞いたんだな」

    祐真はわかりきったことをあえて訊ねた。そうやって自分に云い聞かせていたのかもしれない。

    「おれは振り回される運命らしい……心配するな、兄妹としてやっていけるさ」

    そう云って祐真は笑った。




    昂月はその瞬間(とき)、どんなに悲しくても笑えるものだと知った。

    そんな簡単に切り替えられることではなかったはずなのに。

    それが幻想であろうと、真実であろうと――少なくとも昂月にとっては。

    けれど、祐真は答えを出した。昂月を置き去りにして。

    あたしはどこにも帰れない。

    笑うことも泣くことも同じなら、どんな感情にも意味なんてない。


     ドアを離れたとたん、高弥が出てきた。

    振り返って見上げた高弥の顔に批難は見えなかった。

    「ごめん」

    小さくつぶやいた昂月を見下ろして、高弥は励ますように小さく笑みを浮かべた。

    「謝るなよ。行こう」

    玄関を出るとき、昂月は一度だけリビングのドアに目をやった。だれもいないかのようにしんとしている。その中で自分が繰り広げた爆破は昂月の心に焼きつき、これからさき、消えることはないだろう。


     高弥が助手席のドアを開けてくれ、乗り込もうとしたちょうどそのとき、音がするほど勢いよく玄関のドアが開いた。

    「昂月、ごめんね……ごめんなさい!」

    美佳が叫ぶように繰り返した。

    追いかけて……くれるのね……。

    昂月は横顔を向けたまま、美佳に少しだけうなずいてみせて車に乗り込んだ。

    「いいのか?」

    「うん」

    高弥はドアを閉めた。


     車の中ではふたりともが沈黙したままだった。

    カーステレオからの声も耳に入らず、後ろへと流れていく夜の灯りも目に入らないまま、適当な言葉も探しだせなかった。


     まもなくホテルに着くと、いち早くホテルマンが助手席のドアを開けた。

    高弥は昂月の荷物を取りだし、車のキーをホテルマンに預ける。

    「高弥――?」

    「部屋番号は?」

    昂月をさえぎって高弥が問い返した。

    「……二一〇五……」

    「承知致しました。お預かりします」

    ホテルマンが高弥の車に乗り込んだ。

    「高弥、あたしは大丈夫だから――」

    「何が『大丈夫』なんだよ。これで放って帰ったら、おれはなんのためにこれまで昂月に付き合ってきたんだ?」

    「でも――」

    「こんなところで押し問答してもしょうがな――」

    突然、視界のなかに光が散り、高弥は言葉を切って舌打ちをした。

    「ここでは話せない。中へ入ろう」

    昂月は高弥に背中を押されるままにホテルの中へ入っていった。

    荷物を持っていくベルボーイの後ろをついていく間、また黙り込んだ。エレベーターの中は静かすぎて息が詰まるようだった。

    詮索(せんさく)する様子は露(つゆ)ほども見せず、ベルボーイが丁寧に頭を下げて部屋を出ていく。


    「高弥、ねぇ、ほんとに大丈夫だから」

    「おれを入れたくない?」

    高弥は二重の意味でそう訊ねた。

    「ううん、そうじゃない……ここはもうあたしの部屋じゃないから……」

    それが祐真の答えだった。

    「祐真兄には最期にここで過ごした少女(ひと)がいる。その時点でここはあたしの部屋じゃなくなってる。あの子の云うとおり……もう片づけなくちゃ」

    わかっていたのにここでも昂月は受け入れたくなかった。

    全部を祐真からも否定されたようで。

    この部屋を片づけられなかったのは、祐真をここに閉じ込めておくため。それは、昂月が祐真へ下した断罪だったのかもしれない。

    「それが昂月にとって嫌なことだったら、祐真がなんの意味もなくやるわけない」

    「わかってる。悪いのはあたしなの」

    「昂月……そう思うことが祐真の望みなのか? 独りでいることも?」

    「……違う……わからない……」

    「おれが入る隙はない?」

    その質問の真の意味がわかって、昂月には答えることができなかった。

    高弥を頼ってはいけない。そうしたらまた同じことの繰り返しになる。

    「整理がつかないの、まだ……ねぇ、帰って」

    「今日はこのまま独りにしておけるわけないだろ? 昂月のためじゃない。おれのためだ」

    高弥は強引に云うと、昂月は諦めたようにため息を吐いた。

    「じゃ、帰りたいときに帰って」


     高弥を置いて、昂月はベッドルームを通り、バスルームへ入った。蛇口をいっぱいに捻り、バスタブにお湯を溜(た)めていく。ラベンダーのバスオイルを落とした。

    とても疲れて、何をするにも億劫(おっくう)な気分だった。喪失感と無力感という似たものどうしが相まみえる。

    ふと見た、壁の鏡に映った自分の顔がまったく無表情なことに自身が驚いた。これでは高弥が帰れないというのもうなずける。心配させるために付き合わせたわけではないのに、そうさせることばかりしている。

    しっかりしなくちゃ。決めたんだから。

    溢れそうに溜まるのを待ってからお湯の中に身を沈めた。お湯が少し零(こぼ)れるとともにラベンダーのほの甘い香りがバスルームに広がる。充満した柔らかな香りがギスギスした感情を少し和らげてくれた。

    かなりの時間が経ってバスルームを出ると、けっして昂月の中には宿ることのない、祐真が求めた光に溢れている夜景が正面にあった。引き寄せられるように窓際に佇(たたず)み、無数に広がる灯りを眺めた。

    窓の灯りの数だけ、それぞれの人の世界がある。昂月とは無縁の世界の人かもしれないし、もしかしたら廻り合うこともあるかもしれない。

    いつか拒絶されることを畏れながら、これからどこに居場所を探しだせるのだろう。


     昂月は窓を離れ、リビングへのドアを開けた。

    高弥はダイニングの椅子に座って缶コーヒーを片手に外を眺めている。その視線が昂月に気づいて戻った。

    膝丈のバスローブの下から覗く素足と、濡れて短くカールした髪があどけなさを纏い、昂月を一層かぼそく見せていた。風呂上がりのせいか、ここに来たときの蒼白(あおじろ)さが消え、昂月の頬はほんのりと桜色に染まっている。

    それが本物であることを高弥に示すように、ドアの柱にもたれて昂月はくちびるに笑みを宿らせた。

    「まだ帰らないの?」

    高弥は少し目を細めて昂月を見返した。

    「早まってほしくない」

    「早まる……?」

    その意味が一瞬わからなかった。が、高弥の揺れる瞳を見て気づいた。

    「心配しないで。それは祐真兄がいちばん望んでいないことだと思うから。そうでしょ? それに……祐真兄が待ってるのはあたしじゃないから」

    自分が招いた結果であることはわかっていても、拒絶どころか、棄てられたことの痛みは昂月に深く根付き、そのうえでの選んだ孤独はどこへ導くのだろう。

    「昂月――」

    「あたしはたぶん……このままやっていけるよ。いまは……自立してる過程ってだけ。早まる勇気なんてない」

    どの世界を選んでも待っているのは孤独であり、怖いことに変わりない。だからせめて、あたしにできることを。狼一号


    「あの子を見つけて、幸せであることを見届けなくちゃ。それが、あたしの祐真兄への償いなの。一生かかっても会えないかもしれないけど、そのぶんこのままやっていける。気づいたの。あたしはいつも人を当てにしてた。してくれないって不満持ったり、頼ったり。でも、自分のことは自分で守らなくちゃ。人のせいにしないで」


    「なんでそんなに極端な考えになるんだ?」

    「あたしは……高弥のお荷物にはなりたくない。だれの負担にもなりたくない。こうなったからって高弥が責任を感じることない。あたしが決めたの」

    「そんなことは感じてない」

    「どうして? あたし、このままだとまた同じ失敗をするの。また甘えて頼って……全部、壊れる」

    「頼ってほしい……頼ってもらうのがうれしいと云っても?」

    「いまはそうでも、人の心は変わる。ちょっとしたきっかけで百八十度変わっちゃうことだってある。そう知ってる」

    昂月は目を逸らすことなく、ともすれば高弥を窺うような視線を向けている。

    「どうしたい? どうしてほしい?」

    「ゼロからはじめたい。高弥は違うと思ったらやり直せばいいって云ったよね。だからやり直そうとしてる。それだけ」

    高弥は昂月から視線を外すと、しばらく窓の向こうを見ていた。

    「わかった」

    そっぽを向いたまま高弥があっさり返事すると、昂月の中にあった凍りついた空洞が融(と)けだし、再び膨張をはじめ、昂月自身を脅(おびや)かす。

    その脅威を抑え込もうと、視(み)られているわけでもないのに昂月は無理やり笑みを浮かべた。

    「……うん。じゃ――」

    「まだ帰らない。しばらくいるよ」

    高弥は昂月をさえぎって視線を戻した。昂月の顔に張りついた笑みが目に入ると、高弥は目を細めて顔をしかめ、立ちあがった。

    「来ないで」

    一歩踏みだそうとした高弥を静かに引き止めた。

    「最近、いろいろ考えててよく眠れてないの。整理はつかないけど、云いたいことを云ったからすっきりしたみたい。眠れそうだからもう帰っていいよ」

    「眠ればいい。おれはもう少しここにいる」

    近づくことなく、高弥は繰り返した。

    昂月は表情を隠すように少しうつむいた。

    「じゃあ、気のすむようにして」

    昂月は柱にもたれていた躰を起こした。

    ドアを閉めようとしてふと手を止め、高弥に目を戻した。

    「高弥……祐真兄のかわり……してくれてありがとう」

    そう云いつつドアを支えていた手を放した。

    「昂月――」


     高弥の言葉を聞くまえにドアは閉まった。

    口にするのがつらくて言葉にはならなかった、さよなら。これまでの時間をいつか穏やかに思いだせるようになるのだろうか。

    ベッドに潜(もぐ)り込んで目を閉じた。高弥にはああ云ったものの、安眠には程遠い。目を閉じたまま、ふっと意識が目覚めて眠っていたことに気づいたり、そう気づいたことさえ夢現(ゆめうつつ)だったりで疲れたまま、朝の光に気づいて起きだした。

    リビングへ続くドアを開けると、そこに高弥の姿はなかった。

    表現しがたい感情が集う。

    不安と恐れが溢れ、そのなかに少しの安堵と解放感、相反してさみしさに襲われる。

    気が抜けたように何をする気にもなれず、朝食もとらないままにリビングのソファでぼんやりと過ごした。つけっ放しにしたテレビの気侭(きまま)な雑音が時間の流れを教える。

    不意にドアがノックされ、時計を見るとまもなく正午になろうかというところだった。

    真貴がまた食事の用意でも手配してくれたのかと思って、昂月はドアに向かった。

    「はい」

    給仕ならドアの外で声をかけるはずだと知っていながら、そこに気が回らなかった。

    補助ロックを外してドアを開けると、そこにいる訪問者がだれなのかを理解するのに昂月は時間を要した。


    「まただ。だれかを確認してから開けろって云っただろ? おまけに着替えてない」

    驚いて昂月が一歩下がると、高弥は部屋の中に入り、彼女を見下ろして笑んだ。

    「……どうして……来るの……?」

    そう云って昂月は深くうつむいた。

    高弥の腕が昂月を包み込む。

    「ゼロからはじめたいって云ったよな? おれも祐真の役は降りる。おれをおれとして見てほしい。今度は最初から」


    昂月の中で、かろうじて保っていたバランスがバラバラに壊れた気がした。

    「あたし……こんなふうに祐真兄を……引き止めたんだよ……っ? もう……弱いままで……いたくない……っ」

    高弥の腕の中からくぐもった叫びが響く。

    「わかってる。昂月の意思を無視するつもりはない。けど、それに付き合わせてほしいと思ってる。たとえ、納得できるまでに十年かかっても、果てがなくても」

    高弥がそうしてしまうことをいちばん畏れているのに高弥には通じない。

    高弥は昂月がしたことを知っても変わらなかった。否、強いて挙げるなら、一つだけ変わった。


    「昼、食べてないだろ? ドライブがてら出ないか?」

    高弥の腕を抜けだして、昂月はうつむいたまま首を横に振った。

    「……行きたくない。部屋から出たい気分じゃないの」

    「わかった。ルームサービスを頼むよ」

    「高弥……」


    「おれは、昂月とのことをゼロのままにするつもりはない。マイナスにはなっても。おれのことをもっと知るべきだ。諦め悪いってことは知ってるだろうけど」


     昂月をさえぎって真剣に云い切った高弥は、最後にはからかうような口調になっていた。

    「つらい……よ」

    「おれもつらいよ」

    すかさず続けた高弥を見上げた昂月だったが、ともすれば呑み込まれそうなくらいに深くなっている瞳に気づいて目を伏せた。堪えきれないように心を漏らしていた瞳はいま、隠すことをやめて惜し気もなく曝しだした。

    人の心は変わる。

    昂月自身の心がそれを証明している。

    行く末に裏切るのが高弥であっても昂月であっても、そうと割りきって流されてもいいのかもしれない。つかの間の幸(さち)を求めて。

    けれど、それと引き換えにして想いに相当した虚しさと闘わなければならない。

    そんな気力なんてない。その昂月の弱さが高弥の強さを逆手にとり、高弥を縛って挙句(あげく)の果てにめちゃくちゃにしてしまう。

    そんなことはしたくない。


    「着替えてこいよ。適当に頼むから」

    高弥が昂月の背中を押した。

    「……うん」


     昂月はベッドルームに行って、長めのチュニックと七分丈のレギンスに着替えた。クローゼットの姿見が、起きっ放しで少し縺(もつ)れた髪を映しだしているのを見ると、昂月は、どうかしてる、と音にはしないまま口にしてしばらく立ち尽くした。三體牛鞭

    軽くため息を吐いて、ようやく髪を整えているところに慧を示す携帯音が鳴った。

    『昂月、大丈夫?』

    慧はいきなり訊ねた。

    「え?」

    『講義。来ないから』

    「……あ……今日あったんだっけ……」

    そういう気分になるどころか、すっかり大学のことは忘れていた。まったく頭が働いていない証拠だ。

    『いま、どこにいるの?』

    「……英国ホテル……しばらくはここにいるから。大丈夫だよ。高弥がいま来てくれてる」

    『……そう……話したの?』

    「うん……昨日」

    『それでも高弥さんが昂月といるってことはうまくいったんだよね?』

    「慧……怖いよ」

    昂月はかぼそい声でつぶやいた。

    『昂月……』

    「ごめん、困らせて。まだ迷ってるだけ……」

    『謝ることじゃないよ。来てほしいときは云うんだよ?』

    「うん、ありがと」


     電話を切ってリビングへ戻ると、高弥は窓枠に腰を預けて地上を眺めている。うつむきかげんの横顔は触れたいと思うほど、完璧(かんぺき)なラインを見せていた。

    高弥は顔を上げて昂月を見ると、

    「来て」

    と少し抑えた声で誘った。

    けれど、見返す瞳に慄いた昂月の足は動かなかった。

    これまでに見ることのなかった畏れを宿した瞳が高弥に向けられている。そう知ると高弥は顔を伏せ、そして瞳から感情を消し去った顔を再び上げて躰を起こした。

    昂月に近寄ろうとしたとき、高弥の携帯が鳴りだす。ダイニングテーブルに置いた携帯をとると戒斗からだった。


    『高弥、昨日の祐真の件だ。曲はやっぱりまったくの新曲だった』

    「なんだ?」

    『二十七日、まさに命日に発売だ。曲名は“ONLY ONE”』

    曲名を聞いた瞬間、高弥は佇んだままの昂月を見やり、動きが止まった。

    ……祐真……?

    『……高弥、どうした? 聞いてるのか?』

    高弥は昂月から視線を外し、目を強く閉じて髪をかきあげた。

    「……ああ、聞いてる。ちょっと待ってくれ……」

    しばらく考え込むように高弥は黙った。

    『……どうする? 裏を使うこともできる』

    やがて戒斗が問うと、高弥の意向も決まった。

    戒斗が手を出せば簡単に事はすむのかもしれない。けれど、それでは戒斗の負担になる。少なくとも莫大(ばくだい)な財が動くことはたしか。

    高弥には高弥のやり方がある。というよりは応える必要がある。

    「……いや……そのまま流してくれ」

    『いいのか? 昂月ちゃんは――』

    「いいんだ。戒斗……そのかわりに頼みがある。あとで電話入れる」


     携帯を閉じると、高弥は一つため息を吐き、自らの覚悟を決めるように携帯を強く握りしめた。

    昂月は問うように少し首をかしげている。


    「祐真の曲……発売されるのは“ONLY ONE”だって連絡が入った。知ってる?」


     昂月は途方にくれて首を横に振った。

    高弥は昂月に近づいた。

    「昂月……おれは止めないことにした」

    そう云った高弥にいきなり抱き取られ、昂月はその腕に抵抗するように躰をピクリと動かした。そうさせまいと、背中と頭に回された腕がますます強く昂月を縛る。

    「昨日の今日でなんだって思うだろうけど、そうする理由がおれにはある」

    「高弥……!」

    くぐもった声で抗議すると、高弥の腕が一気に緩んだ。

    昂月は責めるような眼差しを高弥に向ける。

    「理由は……もう少し待ってほしい。これ以上、プレッシャーを感じてほしくない」

    「プレッシャー……?」

    昂月が訊ねると、高弥は首を少し傾けるだけで答えなかった。

    高弥から目を逸らすと、昂月は窓から見える空を見上げた。昂月の心とは正反対に秋を迎える空はだんだんと澄んでいく。


    「あたしは……もうどうでもいいの。もともと……祐真兄の遺産なんて、あたしが受ける理由なんてないから」

    その真の理由を理解できなかった両親への反抗という意思表示であるとともに、祐真は昂月に対しても抗議を示したのかもしれなかった。

    一方で高弥は父、伊東から聞かされた『復讐』という言葉を思いだす。

    どうやっても素直に受け取れず、そう思わなければならないほどの傷を取り除くには、もしくは取り除けなくても癒せるほどになるまでに、いったいどれくらいの時間が必要なのだろう。


     かける言葉が見つからないまま静かすぎる部屋に、ドアをノックする音が響いて給仕の声がした。応対に出ようとした昂月を制して高弥がドアへ向かう。

    食事の準備が手際よくはじめられると、邪魔にならないようにと窓際に避(よ)けた昂月は無意識で眼下を見下ろした。あまりの高さに三半規管が機能を失って足もとが揺れているような気がした。加えて睡眠不足と昨日からほとんど食べていないせいで引き込まれるような感覚に陥(おちい)る。

    ゾクッと躰が震えた瞬間、手が伸びてきて視界がさえぎられる。

    「顔色が悪い」

    「……ぅん……」

    給仕が準備を終えて出ていくと、昂月は高弥の腕に躰全体を預けてもたれた。

    「ドクターを――」

    「ううん……ただの貧血……しばらくしたら治るから……座らせて」

    昂月は喋るのが億劫そうな様子で云うなり、脱力したように高弥の腕をすり抜けてその場に座り込んだ。

    すかさず高弥は横にかがむと、うつむいた昂月の頭を引き寄せた。


    「……あたし……高い所……ちょっと苦手なの……下、見ちゃった……」

    もともと若干の高所恐怖症がある昂月は、高いところに立ったとき、平行線から見上げることはあっても見下ろすことはない。

    高弥は可笑しそうに笑った。

    「おれもまだ知らないことがあったらしいな。どうりで観覧車に乗らないはずだ。『退屈』じゃなくて怖かったってわけだ」

    昂月は抗議するように目の前の高弥の腕を力なくも叩く。

    「高弥は?」

    「なんだ?」

    「あたしが知らない……苦手なこと……あたしだけなんて不公平……」

    「はは……歌うのが苦手……って云ったら信じる?」

    少し間を置いて告白されると、昂月の躰が高弥の腕の中で揺れる。

    「信じない!」

    昂月はクスクスと笑いながら小さく叫んだ。

    「真面目に、歌うの苦手なんだ」

    高弥も笑いながら応じた。

    「……どうして歌ってるの?」

    「戒斗の強引さに負けた。戒斗とは大学に入ってから出会ったけど……おれが音楽やってたのはギター音が好きだから」男宝

    「うん。ギター、いっぱいある」


    「ああ。別にプロになろうとかそういう気はなかったけど、ギタリストと名乗れるくらい弾(はじ)けるようになりたかったし、それなりに作曲も手がけてやってたんだ。大学祭で友達(ダチ)のバンドとジョイントする予定で練習やってて、その最中にヴォーカルが喉を痛めて、結局、即席でおれが歌った」


    「友達のバンド、ほかに歌える人はいなかったの?」

    「現実、音出せるからって歌がうまいとは限らない」

    昂月はふふっと吹きだした。

    「そんとき見てた戒斗にスカウトされたってわけ。歌う気なんてなかったし、ましてや戒斗はプロ、つまり一流を目指してた。冗談じゃないって散々蹴ったけど……こうなってる。素面(しらふ)じゃ歌えないくらい苦手だった。MCなけりゃ、もっと気楽なんだろうけど……いまだに苦痛」

    「喋るの、苦手だもんね。でも……高弥の声、すごく好き。歌ってるときの低い声も裏返る声も……」

    「声だけ?」

    「高弥の声……FATEだって思うの」

    答えなかった昂月の返事に高弥は笑った。

    その笑う声が寄せた高弥の胸の奥から昂月の耳に心地よく響く。触れていることの心地よさと、FATEの馴れ初(そ)めを続けて語っている声が昂月の意識をふんわりと包んだ。


     高弥の腕の中で、昂月が不意に重くなる。

    「昂月……?」

    うつむいてもたれたまま、反応がない昂月の呼吸は緩やかな肩の上下とともに規則的に繰り返されている。

    昂月を抱く腕に力がこもった。

    夏が廻ってきたあの日、空港で腕にしたときから、触れずにはいられなくなった。それはおそらく昂月も同じこと。

    心は目の前にあるのに。つかもうとする手は昂月の心をすり抜けていく。


     三十分くらい経った頃、昂月が身じろぎをした。とたんにハッと目が覚めて昂月は躰を起こし、高弥を見上げた。

    「あたし……寝てた?」

    「寝てた」

    あっさりと高弥が云うと、昂月はイギリスから帰った日と同じ困惑の表情を浮かべた。

    「おれの腕もベッドも、昂月にとっては揺り籠(かご)になってるみたいだな」

    高弥はにやりと笑った。

    「……あの日は……待ってるのに疲れて……遅くなるから帰れって云うし……ちょっと眠ってから帰ろうって思っただけ……?」

    昂月が云い訳をしているうちに高弥の顔から笑みが消えていく。

    「……帰れ……って……おれが……?」

    「……うん……唯子さん……が……」

    「……水納?」

    高弥は訝しく眉をひそめた。

    その瞬間に昂月の中で唯子の位置が確定した。

    「ううん……間違い。あたしが夢見ただけ。あのときはびっくりして混乱してたから。ごはん、食べなくちゃ。冷たくなったね」

    昂月が立ちあがろうとすると、高弥がさきに立って彼女を支えた。

    「大丈夫。ありがと」

    高弥は昂月が打ち消した弁解に納得していない様子だったが、ふと笑みを浮かべた。

    「これでお相子(あいこ)だな」

    「何?」

    「子守唄」

    昂月は不満そうに少し口を尖らせた。が、すぐにそのくちびるに笑みが宿った。


     堪えきれない求める心は、大きければ大きいほど追い求め、深ければ深いほど逃げ惑わせる。VVK

     

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    2012年08月28日

    青騎士と異界の女、そして王様

    エトルリア王国、王都グラナダ。

     国王のお膝元とも呼ばれるそこは、王城を中心として四方へと大きな通りがのびている。四つの通りにはそれぞれの特色があり、先日キリトらが訪れた酒場はそのうちの南に位置するもので、その中でも最も活気があるところだ。三便宝カプセル

     基本的に国外からグラナダに訪れる者は南側の街道から王都へと入り、城壁寄りに密集する宿屋群の中から己の懐に見合ったものを選んで泊まっていく。他国の要人などが訪れる場合には東西どちらかの街道から入ることも多いが。

     

     

     さて、そんな具合に行きかう人々で溢れる王都の南通りの入りであったが、そこに一人の女がいた。

     黒地にところどころ金刺繍の入った上等そうなローブを纏い、彼女は大きな旅荷物を足元に置いて大きく伸びをしている。目深に被ったフードで人相は見えず、一目には年齢も性別も判別がつかないような風体だが、僅かなローブの開きから覗くその下の衣服は明らかに女と見て取れるものであった。


     彼女は懐から何かを取り出し広げた。それは王都の地図で、何度も使っていたのだろう紙の端が擦れて大分よれよれしていた。そして地図を指で辿っていこうとして、視界を遮るフードが邪魔だったのか一度動きを止めて静かにフードを取る。


     果たして現れたのは、この地域ではまず見かけない黒髪に黒檀のような瞳。白い肌とのコントラストが目に付く。

     

     彼女の名はアキ。

     本名は三浦 亜紀。日本生まれ日本育ちの生粋の日本人である。


     遡ること数年、アキはこの世界へと招かれた迷い子であった。


     


     


     


     エトルリア王城の西方には、騎士団の詰め所が設置されている。

     王城の脇にそびえるそれは、建立して五十年を迎えようかという風情があり、華美な造りの王城とは正反対の雰囲気を持った建物である。建物の外観は煉瓦づくりのちょっと洒落た造りになっている。一応は屯所ということなのだが、都の隠れた名所としても知られていた。


     その外れにある王城へと直結した回廊を、キリトは七番隊隊長ユリウスと共に歩いていた。国王から直々に頼みたい仕事があると、詰め所にいた二人に呼び出しがかかったためである。ただし「他の者には悟られぬように」と隠密の者たちが秘密裏に。


     詰め所を出た辺りでは互いに無言であったのだが、しばらく歩いて周りに人影がなくなった頃合いを見計らってユリウスが口を開く。


    「キリト。今回の呼び出し、貴方はどう見ますか?」


     常に穏やかそのものといった物腰のユリウスは、やはりこのときも静かな口調で前振りもなしに本題に言い及んだ。


     ユリウスは物静かな男である。初対面の人間なら、まず間違いなく彼を「静かで大人しい人」と評する。誰に対しても丁寧な言葉遣いをし、普段から当たり障りのない上品な笑みを絶やさぬその姿だけ見たならば、確かにその通りである。それなりに濃い面子の揃うエルトリア騎士団においてはあまり目立つ存在ではない。

     だが、彼にはそれでは片付けられない「何か」があるとキリトは感じていた。その「何か」がどういったものであるかを上手く表現する術を彼は持たなかったが、いや持たないが故かキリトはこのユリウスという男を苦手にしていた。


    「私には陛下のお考えなど見当もつきません。ただ、隊長二名が呼び出されるということはそれなりの案件なのだろうと、それだけは思いますが」

    「そうですね。あの方は我々に何を望まれているのか、私にもほとほとわかりません」


     芝居がかった仕草で息をつくユリウスに、キリトは嘘吐けと心の中で悪態をつく。

     口では分からぬと言いつつも、どこか全てを見通しているかのような余裕のある態度がキリトを苛立たせた。


    (・・・どうせ全部わかってんだろうな、この人は)


     どんな騒動が起きても常に慌てず騒がず。先を見る力にかけてこの人物の右に出るものはいない。未来に行ってこれから起きることを見てきたと言わんばかりの準備のよさや、戦地における的確な状況判断などに、キリトをはじめとする各隊長らは何度も助けられた。

     だが、その分彼が敵にまわった時の恐ろしさは計り知れない。ユリウスを慕うもの達からは「静謐な湖を思わせる思慮深い静かな瞳」と讃えられる菫色の目も、彼からしてみれば生気も表情もないガラス玉のように思えてならなかった。


     


    「さて、そろそろ謁見の間ですね。我らが国王陛下がどんなことを所望されるのか、心して臨むこととしましょう」

    「ええ、そうですね」


     目的地に辿り着き、扉の脇に配置された番兵から敬礼をおくられる。二人は儀礼的に労いの言葉をかけて、謁見の間へと足を踏み入れた。


     

     入ってまずキリトの目に入ったのは、国王ルヴァイドの威風堂々たる姿であった。

     エトルリア現国王ルヴァイドは、彼の父である前王の崩御により十九という若さにして王位を継いだ男である。治世はまだ片手に収まる程度の年数しか続いていないが、元よりその類稀な才覚を買われ、王子の身分であったときより政治の中核に立ってきたため、実質的な年数はもう少し増える。巨人倍増枸杞カプセル

     碧く美しい瞳に銀糸の髪。その文言だけならばどこか遠くの御伽噺にでも登場しそうな王子さまといった風貌なのだが、切れ長の鋭い双眸は軽く見据えられただけで平伏しそうになる迫力があり、とても王子さまなどと馴れ馴れしく呼ぶことは出来ない。


     ルヴァイドはキリトとユリウスが入ると、傍に控えていた者たちを引き上げさせ、誰も残っていないことを確認してから厳かに口を開いた。


    「急な呼び出しに応えてくれたこと、まずは礼を言う。お前達も為すべきことがあったとは思うが、ひとまずは私の話を聞け」


     座した格好のルヴァイドは至極平坦でそれ故意図の読みづらい調子でそこまで言うと、キリトらを睥睨したまま声を上げる。


    「・・・出て来い、アキ。お前に会わせる」

    「はい」


     凛とした返事とともに王座後方から粛々と姿を現した人物を見て、キリトは思わず声を上げそうになった。

     つと伏せられた理知さの漂う大人びた横顔も、この辺りでは珍しい烏の濡れ羽色のような美しい髪も、彼が三年もの間追い続けたその人であったのだ。あれは間違いなく、いま自分の目の前にいる彼女だ。


    「・・・キリト、どうしましたか? 初対面の女性の顔をそこまで見るのは失礼にあたりますよ」


     たしなめるようなユリウスの声に、キリトはそこで初めて自分が彼女をまじまじ穴が開きそうなほどに見つめていたことに気がつく。はっとして慌てて視線をそらすと、どこか楽しそうな様子の国王と視線が合う。


    「キリト・・・アキに惚れたか? 確かに彼女は美人ではあるが、潔癖な青騎士ともあろう者が随分と興味深いことだな」


     口元を吊り上げながら言った。

     ルヴァイドには気が向いたなら相手が誰であれひとまずは言葉でからかおうとする悪癖があった。他人を理性的に追い詰めることが楽しくて仕方がないそうで、国王という立場上誰も反抗してこないのをいいことにやりたい放題している。ただその相手が本気で嫌がるような内容ではつっかからないようにしているようではあるが。


    「いえ、その・・・昔お会いしたことのある方にとても似ていらっしゃったので」


     冷や汗をかきながら、感情を抑えた言葉を返す。これがしょっちゅうからかわれて最早慣れきったグラッド相手なら怒鳴るところだが、仮にも自分が忠誠を誓っている国王にそんなことは出来ない。


     そんなキリトの姿が不満だったのか、ルヴァイドは残念そうに肩をすくめた。


    「まあよい。後で存分に可愛がってやろう。・・・アキ。ひとまずこいつらにお前のことを」


     アキと呼ばれた女は静かに頷き、彼の脇に立つと国王の要望に応えた。


    「わたしはアキ・ミューラーと申します。正式には家名はミウラと発音しますが、こちらでは言い辛いかと思いますのでミューラーで結構です」


     少しだけ緊張した様子で挨拶し、アキは頭を下げた。その拍子に結われていない髪が前へ流れる。


    (アキ・ミューラー・・・いや、正確にはミウラか。どちらにせよ聞いたことの無い名だな)


     キリトは内心の動揺を隠しつつ、そんなことを思った。

     エトルリアではあまり聞かない響きの姓に、他国の者かと思索を巡らす。ならばあの珍しい髪色と瞳にも納得がいく。他所出身で三年前の叙位式にも列席していたということは、かなりの地位にあったということだろうか。


     見ればユリウスも探るような視線を娘へと注いでいる。

    ただキリトと違ってもっと深層的なことを見ているようであったが。何にせよ、彼にとってもアキという女は予期せぬものだったことには変わりないだろう。


     それぞれにアキのことを考えていると、再びルヴァイドが口を開く。


    「見ての通り、アキはこの国の者ではない。・・・ユリウス、キリト」

    「「はっ」」


     王は二人へとその視線を向けた。彼らは姿勢を正して向き直る。


    「この世界には大よそ六十年周期で異界の者がやってくる。それは知っているな?」


     キリトは頷いた。

     六十年に一度、界を隔てる扉が開き、自分たちとは違う次元に生きる者が渡ってくるのだと聞いたことがあった。現象としてはかなり不可解なものではあるが、実際にそういうことがあるというのは一般常識として知られていた。RU486

     ここエトルリア王国にもそうした異界人は歴史に残っている。彼らの逸話は各地に伝わっており、キリトも聞いたことがあった。


    「ああ、その通りだ。キリトは座学の方は不得手であると聞いていたが、グラッドの法螺であったか。まことに喜ばしきことだ」

    「・・・」


     唇を緩めて笑う国王をキリトは無言で見返した。するとルヴァイドはわざとらしく肩をすくめて、


    「すまぬ、どうにも今の私は落ち着かないようでな。・・・さて、多少話が逸れたがそろそろ本題に入ろう。お前たちであれば、私がこうして異界の話を振った時点で大よそ何が言いたいのかもわかるであろうが」


     そこでルヴァイドは言葉を切り、さっきまで浮かべていた笑みも全て消し去って言った。


    「アキは、三年前に異界から我がエトルリアへとやってきた者である」


     キリトは息をのんだ。ユリウスもいつも顔面に貼り付けた笑顔の仮面が一瞬だけ揺らぐ。


    「これまでの数年は彼女の希望で諸国を旅していたのだが、先日帰ってきてな。アキがここで暮らしていけるよう、お前たちで手を回してやって欲しい。私からは以上だ。わかったか?」

    「承知いたしました」

    「・・・御意」


     二人は恭しく命令を受けた。だが、それぞれの顔に浮かぶ色は全く異なるものであった。

     ユリウスはあくまでも静かな面持ちを崩さず、常通りの落ち着いたものであったが、キリトは今なら見習い騎士相手でも負けてしまいそうなほどに狼狽し、混乱のただ中にあった。


     しかしルヴァイドはキリトの困惑に頓着することなく、淡々と話を進めていく。


    「アキは異世界人だからといって騒ぎ立てられるのが嫌なそうでな。上手くそのあたりを誤魔化してくれると助かる。この話は騎士団総長にも既に通してあり、当面はそちらの見習いとして預かってもらう手はずになっている。・・・ユリウス」

    「はっ」


     王から水を向けられたユリウスは声を上げて礼をとる。それまでの急激な展開にも振り落とされることなく、平素通りの上品な空気を纏った騎士はルヴァイドに応える。


    「情報戦はお前の得意であったな。そういった手合いから彼女を影から守ってくれ」

    「仰せのままに」


     命を受けたユリウスが最上級の礼をとったのを見届けてから、次にとルヴァイドはキリトへ目をやる。対する彼も背筋をぴんと伸ばし王命を待つ。

     何かとからかわれようがどうされようが、目の前の人間はエトルリア王ルヴァイドである。政治にも軍事にも精通するこの年若き男は、たとえ彼が王でなかったとしてもキリトからすれば剣を捧げるに相応しい人物であった。


    「キリト、お前は表に立ってアキを守れ。『探っても何も出て来ない』人間に対する遠慮のなさはお前がよくわかっているだろう」

    「青騎士の名に懸けて」


     彼が重々しく頭を垂れるとルヴァイドは満足げに頷いた。それに続き、自らの脇にずっと控えていたアキにそっと声をかける。


    「しばらくお別れだ。・・・また、会えるとよいな」

    「はい・・・短い間でしたがお世話になりました」


     

     静かに別れを交わす二人に、キリトは微かな違和感を感じた。

     


     それはまるで今生でもう会い見《まみ》えることがないとでも言わんばかりのもの哀しい情景であった。中絶薬

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    2012年09月07日

    国賓

    「ふう……」

     

     マリウスは風呂から上がるとため息を一つこぼした。

     シャワーとサウナがない点を除けば、ほぼホテルの大浴場と変わらなかった。

     獅子を象った四本の給湯口からは熱い湯が流れてきていたし、綺麗な白い石鹸と大小のタオルが用意されていた。巨人倍増


    (これで来客用っていうから恐れ入るな)


     税金の無駄遣い、とは思わない。

     他国の人間に金に困ってる、など思われたら付け込まれるだけだろうから。

     ごゆっくりどうぞ、と言われ、自分の部屋やら食事の準備やらで忙しいのだろうと見当をつけて本当にゆっくり入っていた。

     のぼせなかったのが不思議な程だ。

     脱衣場所には換えの下着がたたんだ状態で置いてある。

     元の世界で言うところのランニングシャツと黒いトランクスだった。

     妙なところで共通部分がある訳だが、着心地も共通なので不満はない。

     ローブをまとい、神竜の杖は側に置いてある道具袋へと入れておく。

     魔法使いの杖は剣士にとっての剣に当たるから、王宮内では無闇に持たない方がいいという配慮からだ。

     ただし、有事の際に備え、神言の指輪と大天使の首飾りは装備しておく。

     道具袋を持ち歩くのもあまりいい事ではなさそうだが、ローブで隠せるので気にしない事にしている。

     鏡台の前に立ち、おかしなところがないか確認すると、据え付けのベルを鳴らす。

     チリンと綺麗な音が鳴ると、間を置かず一人の侍従が姿を見せた。

     風呂場まで案内してくれた男とは別の男である。

     恐らくは、外で待機していたのであろう。


    「お待たせいたしました、ご案内いたします」


     と言ってるのだろう、とマリウスは想像した。

     ここでも言葉が通じない悲しさが出たのだ。

     もし通じるのならば色々話題をふったり、見れる範囲でいいから王宮の案内を頼んだりして時間を潰せるのだが。

     侍従の後をついて外に出ると、落ち着いた青のイブニングドレスに着替えたロヴィーサと、エマが待っていた。


    「湯加減はいかがでしたか?」


    「最高でした。お待たせして、申し訳ありません」


     微笑みながら話しかけてきたロヴィーサに軽く頭を下げると、ロヴィーサは笑みを深めて答えた。

     そして侍従に対して目配せをする。

     侍従はマリウスとロヴィーサに一礼し、去って行った。


    「こちらこそ。お気遣いいただきましてありがとうございます。おかげさまで身だしなみを整える余裕が生まれました」


     マリウスがわざとゆっくりしていた事くらい、お見通しというわけだ。

     それとも長風呂に対する社交辞令みたいなものだろうか。

     いずれにせよ、腹の探り合いに関しては自分の方が下手と見た方がよい、とマリウスは判断した。

     伊達に王女を生まれた時からやっているわけではないようだ。


    「青のドレスも似合っていて、大変お美しいですね」


     女性の方から身なりについて触れたので、褒めておいた方がいいだろうと思い口にしたのだが、ロヴィーサは微笑みを湛えながらも軽く首を傾げた。


    「マリウス様はひたむきに魔道の真髄を求められた方かと推測しておりましたが、意外とお上手なのですね」 


     何の感銘も与えなかったどころか、印象にそぐわぬ言葉をかけてしまったようであった。

     ロヴィーサの美貌と王女という立場ならば、褒め言葉の類は挨拶代わりに聞いていてもおかしくはない。

     だから感銘を与えられなくてもマリウスは残念ではなかったし、ロヴィーサの自分への印象を知れて満足ですらあった。


    (ひたむきに魔道の真髄を求めた、ね)


     どうやらいい具合に勘違いしてくれているらしい、とマリウスは思った。

     魔法使いとして腕を磨く事を魔道の真髄を求める、という表現はゲームの頃もなされていた。

     この大陸の常識に疎いマリウスは、それ程までに魔道の真髄を追い求めていたと判断してもらえたらしい。

     これはマリウスにとっても、想定しうる中で最上の結果である。

     ただ、マリウスも言葉を額面通りに受け取るような、単純な人間ではなかったが、この評価を固める努力はすべきだろう。


    「感じたままを申し上げたまでです。人の心の機微には疎いもので」


     感じたままを、というくだりに関しては嘘ではない。

     マリウスの言葉を聞いたロヴィーサは微笑みを返しただけで、何も言わなかった。

     変わりにエマがロヴィーサに対して何事か囁きかける。

     それを聞いたロヴィーサは頷くと、マリウスに対して言葉を発した。


    「準備が整ったようです。こちらへどうぞ」


     二人の美女に先導され、豪華そうな赤い絨毯の上を歩く。

     数歩ごとにランプがあり、明かりがついている。

     光熱費は一体どれくらいかかるのだろう、といった埒もない考えが浮かんでは消えた。


      案内された食堂は広大で、上等なテーブルクロスがかけられたテーブルは、優に二十人は座れそうな大きさで、真ん中に花瓶があり大輪の薔薇が生けられていた。

     上からは豆電球のような灯火が数十個並んだ、派手なシャンデリアが吊り下がっている。

     王と王妃、王子は既に席についていた。

     そして、その背後に侍従と侍女達が並んでいて、その様子は壮観とすら言えた。

     マリウスは無自覚のうちに唾を飲み込む。 

     一国の王やその家族と食事を摂るとなると、さすがに緊張してしまう。

     しかし、一方でどうせ出来る事しか出来ないという開き直りに近い思いもある。

     マリウスから見て王の右隣に王妃が座り、その隣に王子が座っている。

     ロヴィーサは王子の隣の席をマリウスに薦めると、王の隣側の席へと歩いていった。

     マリウスが指定された席に近づくと、先を歩いていたエマが黙って椅子を引いてくれた。

     椅子の前に立つと王が立ち上がり、王妃と王子もそれに倣って立ち上がった。VigRx


    「紹介しておこう。妃のマルガリータと息子のエルネストじゃ」

     

     マルガリータは金髪で緑色の目をしている、ふくよかで優しそうな女性で、エルネストは母親の面影を持ってる事がはっきりと分かる美青年だった。

     互いに一礼し、王族達が腰を下ろしてからマリウスも座った。

     椅子はふかふかしていて、座り心地がよかった。

     そして、エマはロヴィーサの背後へと移動した。


    「マリウス様、飲み物は何になさいますか? 葡萄酒、薔薇水、カカオ茶、レモン茶がございますが」


     葡萄酒とレモン茶は何となく想像出来たが、薔薇水とカカオ茶は無理だった。

     むしろカカオが存在する事に驚き、また嬉しくもあった為飲んでみたくなった。


    「カカオ茶と薔薇水……二つ頼んでもいいですか?」


    「はい」

      

     飲み物を複数頼むのは非常識ではないのだろうか。

     それとも客だから遠慮されてるのだろうか。

     マリウスの疑問への答えはすぐに出た。

     他の面子も複数の飲み物を侍女達に頼んでいるからだ。

     言葉は分からなくても、その程度の事は推測出来るし、事実全員のグラスは複数出てきた。

     大きさも形状もワイングラスそのものと言ってよかったが、銀色で中身が見えない、明らかにガラス製とは異なったものだった。

     銀は毒物に対して反応する、という説はマリウスも知っていたので尋ねてみた。


    「この容器は銀製ですか?」


    「いいえ。レブラ鋼製です。銀製では反応しない毒物も存在しますので」


     レブラ鋼製なら全て反応する、という事らしい。

     レブラ鋼がどんなものかマリウスは知らないが、銀の上位互換的存在だろうと推測した。

     続いて更に別のレブラ鋼製の容器を侍女達が持ってきて、中には淡黄色の液体が入っていた。


    「食前酒のソードシャークのヒレ酒です。酒精が苦手ならお飲みにならなくても結構です」


     五人が同時に手に取ったのを見て乾杯するのだろうと思い、マリウスも手に取る。


    「乾杯」


     王の後に三人が唱和し、手に持ったグラスを高く掲げた。

     マリウスも倣った後、一口含む。

     それだけで強い酒を飲んだ時のように全身がカッと燃えるような感覚に陥り、胃袋の動きが活発になったのが分かった。

     その効能に驚くマリウスに対し、ロヴィーサが解説してくれた。


    「酒精は弱いのですが、食欲促進効果は抜群なのです」


     なるほど、と頷きながらもう一口飲む。

     酒精が弱めだとは到底信じられない。

     次に運ばれてきたのは焼いたパン、その上にトマトとピーマンらしき野菜が乗ったものだ。


    「前菜のブルスケッタです」

     

     手で持てる大きさに切り分けられたパンを一切れ手でつまみ、食べてみた。

     味は元の世界のパン、トマト、ピーマンと同じで、塩味が充分利いていて美味しかった。

     空腹だった事もあって、あっという間に平らげてしまった。

     そうすると、侍女の一人が濡れたタオルを持ってきてくれる。

     おしぼり代わりにしろという事だろうと思い、手を拭く。

     マリウスは次にカカオ茶を一口飲んでみた。

     チョコレートのような色と風味のお茶、という表現が一番近いかもしれない。

     懐かしい風味にごく僅かながら、郷愁を感じた。

     もしかしてチョコレートもこの世界にはあるのだろうか、と思うと次の一品が出てきた。

     

    「玉ねぎとコーンのスープです」


     スプーンですくって口内へ流し込み、玉ねぎとコーンを噛む。

     元の世界と同じだが、味はずっとよい。

     王家の食卓に上がるようなものだから、ある意味では当然かもしれないが。

     スープを飲み干すと、次は薔薇水を飲んでみる。

     グラスに入った水には美しい薔薇の花びらが浮いている。

     その名の通り、薔薇の風味がついた水のようだ。

     水はよく冷えているし、薔薇の風味で甘く感じられて非常に美味しかった。

     当然と言えば当然だが、ロヴィーサは料理名を教えてくれても解説まではしてくれない。

     知りたいならターリアント語を会得して、自分で尋ねるのが一番だろう。


    「星鯛の蒸し焼きです」


     蒸し焼きにされた魚の切り身に白いソース、赤いピーマンとえんどう豆らしきものが添えられている。五便宝

     元の世界で言うところのポワレだろうか。

     ナイフとフォークで切り分け、舌に乗せる。

     その美味しさは最早、マリウスの語彙力では表現出来ない領域に達しつつあった。


    「口直しのイチゴの氷漬けです」


     マリウスは一瞬アイスクリームかシャーベットかと思ったが、どうやら単に凍らせたものらしかった。

     手づかみで口の中に放り込むと、冷たいものを食べた時特有の、頭が痛くなる現象が発生した。

     他の面子はというと、平然としてつまんでいる。


    (王族が食べる料理なのに、手づかみでいいのか?)


     という疑問がマリウスの脳内に浮かんだが、すぐに元の世界の常識を当てはめるべきではないと思い直した。

     イチゴのさっぱりした味を堪能した後、薔薇水の甘い風味を楽しむ。

     少々の間の後、新しく料理が出てくる。


    「コカトリスの香草焼きです」


     まんまローストチキンだった。


    「コカトリス……?」


     石化ブレスを吐いてくる鳥型ボスモンスターが脳裏に浮かぶ。


    「ええ。石化袋を除去すれば食べられますし、味は絶品ですよ」


     ロヴィーサが解説してくれた。

     まるでフグみたいだな、と思いながら一切れ頬張ってみる。

     鳥肉のような食感と、胡椒やハーブのような味が入り混じっている。

     メインに据えられるだけの事はある一品だった。


    「最後にデザートのリンゴのパイです」


     甘くて熱いリンゴの味がリンゴの中で溶ける。

     火傷しそうになり、慌ててカカオ茶で流し込む。

     全体的に量が豊富で、決して小食ではないマリウスも充分満腹になった。

     そこで侍女達がコーヒーカップのような形状の容器を持ってきた。


    「食後のレモン茶です」


     レモンのさわやかな香りが鼻腔に広がる。

     レモン茶を口につけながら、この国の文字や文化を学びたいと言い出す機会をうかがう。

     ロヴィーサがマリウスに説明する以外、誰も一言も口を開かなかった。

     食事中は喋らない、というマナーがあるのだろう。

     何も知らないマリウスが違反するのならば、さほど問題にならない気もするが、これ以上の恥の上塗りは避けたいという思いもある。

     どれくらいの時間が流れただろうか。

     五人のレモン茶がなくなった頃、おもむろにベルンハルト三世が口を開いた。


    「マリウス殿、今後はいかがなさるおつもりかな?」


     ロヴィーサの訳を聞いたマリウスは、渡りに船とばかりに返答した。


    「出来ればこの国に留まり、ターリアント語や文化を学びたいと考えております」


     ロヴィーサの訳を聞いた王はしばし考え、返事をした。


    「ならば国賓魔術師として王宮に留まっていただけぬかな?」


     聞き覚えのない単語に戸惑った。


    「国賓魔術師、ですか? 宮廷魔術師なら存じてますが……」


     宮廷魔術師というのは、簡単に言えば国家に仕える魔法使いの事のはずだ。

     ゲームの世界には存在していなかったが、フィクションの中では比較的見かけた肩書きだった。


    (国賓って国の費用で接待される外国の要人じゃなかったっけ?)


     マリウスは自分が知ってる国賓、という言葉の意味を浮かべる。

     外国人という点も国の費用でという点は同じだろうが、それでも何か違っている気がした。


    「国賓魔術師とは宮廷魔術師長よりも更に上の立場でしてな」

     

     王の言葉を訳すロヴィーサの説明によると、名の通り一国の賓客的な立場の魔術師だという事だ。三便宝

     俸給も高いし、潤沢な研究費用と個別の研究施設が与えられる。

     ただし、名誉職としての一面があるので、宮廷魔術師達のように軍などを動かす権限はない。

     マリウスのような人間に与えるものとしては、ある意味ではうってつけと言えそうだ。

     多額の金を使わせる代わりに国家の為に働く、というのは行く当てのないマリウスにとって悪い話ではない。

     単なる無駄飯食らいよりも利用さている方が気が楽というものだ。

     そう思ったマリウスは即答した。


    「私でよければお願いいたします。言葉を教えてくれる人間をつけてもらえるとありがたいのですが」


     さすがにいつまでもロヴィーサに訳してもらう訳にはいかないだろう。

     ただでさえ、若い男と女なのだ。


    「その点に関しては適任がおりますので、後で紹介しましょう。しかし、即答されるとは。一晩くらい考えていただいてもよかったのですよ。マリウス殿でしたらどんな国でも仕官出来るでしょう」


     ベルンハルト三世の眼光がやや険しくなる。

     マリウスの一挙手一投足を見落とすまいとするかのようだった。

     そんな態度に気づかないフリをして、マリウスは答えた。


    「私の故郷に一期一会の縁を大切にする、という言葉があります。こうして知り合い、お世話になったのも何かの縁でしょう。私はそれを大切にしたいのです」


     事実ではあったが全てではない。

     最大の理由は王女であるロヴィーサにあった。

     彼女のような美貌の持ち主とは、そう滅多に知り合えると思わない。

     頭がよさそうなのも、王女としての立場に自覚を持っているのもマリウスの好みである。

     だが、そんな事を父である国王に正直に打ち明ける訳にもいかなかった。


    「大変ご立派な心がけです。これからよろしくお願いいたしますぞ」


     ベルンハルト三世はマリウスに歩み寄り握手を求めた。

     マリウスはそれに応じ、がっちりと握手を交わした。

     かくしてフィラート王国の国賓魔術師マリウス=トゥーバンは誕生した。

     後の世において、「この出来事こそが歴史の変わり目」と多くの人間が主張する事になる一幕だった。蟻力神

     

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    2012年09月18日

    遊びの時間はこれからになるでしょう

    「さあ気を楽にして。 大丈夫、痛いのは一瞬だから、フフフフフ」

    「御母様が言うとむちゃくちゃ不安になりますからっ!」


     ケーナが指揮者のように両手を広げて構えると、すかさず娘から突っ込みが飛んだ。 苦虫を噛み潰したような不満を浮かべて、口を尖らせるケーナ。頂点3000


    「まったくもうマイマイってばノリが悪いなあ。 こういうのは恥ずかしげに『痛くしないでね?』というのが通例だそうよ」

    「そんな通例ありませんからっ。 どこからそんなヘンテコリンな話を聞いたんですかケーナさん?」

    「隠れ鬼(おじいちゃん)から」

    「誰ですかそれ……」


     疑問に思って聞いたアークが良く分からない返答に頭を抱える。 いや、たぶんプレイヤーだというのだけは分かるが、それが誰なのかまでは判別不能だ。 元凶はスキルマスターNO.12の隠れ鬼、常人の斜め上な老人である。

     


     アージェントとシュベズに出会った翌日、ケーナ達は早朝から動き出していた。 昨晩のうちにマイマイはケイリックとスカルゴに連絡を済ませ、双方から『王に進言してみる』という返事を受けている。 ケーナは緑竜を召喚し、廃都結界について昨晩の話を纏めた手紙をオウタロクエスのサハラシェードへ届けるように飛ばした。 オプスにはフレンド通信で連絡済みだが、返答はまだ来ていない。 この結果に気分を害したケーナは先程からご立腹である。


    「くそう、何か企んでるわねアノ野郎……」

    「なんと言いますか、御母様って伯父上に対して随分と毒を吐きますね……」

    「こういう時のアイツが何もしていない訳ないじゃない! これ全て経験談だから、戦争の時もどえらい無茶を吹っかけてくるし」


     戦争時に境界線エリアへ敵対国の戦力を八割以上引き付け、その場でエリアを丸ごと覆うモンスター発生イベントを起動させた時とか。 それまで拠点防衛に居たのは、ケーナを含む三人のギルドメンバーだけだ。 壁用に大量のドラゴンを召喚し、千人以上のプレイヤーを三人で四時間も相手する羽目になって、残りの半日は憔悴していたこともあった。 敵対国のプレイヤーが死に戻り(リスポーン)する中継地点もそのエリア内にあったので、参加者は残りの半日、復活→死亡→復活→死亡を繰り返していたらしい。


     他にも、予め【変装】して黒の国とは隣接していない赤の国に潜り込まされた時とか。 戦争終結時間十分前に境界線のポイント近辺へ【隕石落下(ギガ・ストライク)】をブチ込み、延々と争奪戦をしていた赤青陣営を差別なく広範囲に亘ってぶっ飛ばした。 それまで採取ポイントは戦争終結時間までの十分間にその場を支配していた陣営のモノになるので、めでたくそこは黒の国が占拠する事に。 後日、公式サイトのみならず、各所の総合掲示板でブーイングが飛び交った。 そのお陰か運営からの通達で、占拠ルールが変わったのは言うまでもない。 今思えば、ルールを変更するため(・・)に特攻をやらされたとしか思えない所業である。


     勿論非は言われるままにホイホイ実行するケーナにもあるのだが、つい言いくるめられ納得させられてしまうのだから仕方がない。 オプスに口で勝てるものなど、かつてのサブギルドマスターであるエベローペくらいなものだろう。 思い出す度に当時の怒り、というよりは脱力感が思い起こされ沈黙する。 マイマイだけはその沈黙が恐ろしいものかと誤解し、青い顔をしていた。


    「まあ、いいや。 とりあえず四人ともフェルスケイロまで飛ばすから、ちょっと集ま……」


     キュー!


     言いかけたところで南に鼻先を向けたイズナエが何かを感知。 鋭い警告の鳴き声を発した。 未だ召喚しっぱなしのケルベロスや雷獅子、ヘラウとスフルトが構えるよりも早く、警告抜きでケーナがブッ放した。


    【魔法技能(マジックスキル):氷涙轟爆(ブリランテ・アマティ):ready set】


    「ああもうっ!」


     南側へ伸ばしたケーナの左腕。 周囲に氷の結晶が舞い、氷の弾丸が数個形成される。 それがケーナが吐き捨てた言葉とともに射出された。 南側に広がる森林の中へ飛んで行った氷の弾丸は瞬く間に見えなくなり、やや近い場所で爆裂音が多重で聞こえてきた。 その威力たるや、針葉樹が並ぶ木々の向こうに鋭角に飛び出して見えるのは、氷で出来た巨大なイガグリと呼ぶべきか、ウニと呼ぶべきか。 爆裂地点から周囲を丸ごと凍らせ、氷結効果を併せ持つ範囲攻撃魔法である。

     しかし、攻撃対象は即座に対処したようで、ケーナの頭上を影が通過。 とっさに引き伸ばし、適当にフルスイングした如意棒が対象の持つ大剣と噛み合った。 かなり乱暴な金属音が響き渡って火花が散ると同時に、聞き覚えのある焦った声がケーナの追撃を止めさせる。


    「「いい、いきなり殺す気かあああああああっ!!?」」

    「……あらまァ」


     灰色の竜人族(ドラゴイド)が両手で大剣を構え防御姿勢を取っていた。 幅広の刀身と拮抗する如意棒、どちらも負けじと震えながら鍔迫り合い状態だ。 相方の女性は同時に跳び越えてきたのだろう、竜人族の横からサーベルを差込んで如意棒を止めるのに一役買っている。


    「居るなら居るって言いなさいよ。 てっきりモンスターかと思ったわよ」

    「せめて警告してから魔法使えよ! 唐突に無差別攻撃とかするんじゃねえっ!」


     エクシズとクオルケである。

     廃墟と化した漁村から、凡そ野営地に適していると思われる地点まで、移動系技能を駆使して森や川を一直線に突き進んできたのだ。 あちこちを冒険者ギルドの仕事で行き来していた経験から、旅慣れていないケーナの居る地点を一点集中で読みきったのである。 そこまでは良かったが、もう直ぐその地点に辿り着くと安堵した瞬間、見覚えのある極悪範囲魔法が目の前に飛んできた。 慌ててクオルケを引っつかんで真上に【増幅(ブースト)】込みの【跳躍】で回避。 初弾が爆裂して形成された氷塊を蹴り、ケーナの真上を通過して今この場に着地したのが彼等の経緯である。




     如意棒を縮めて胸ポケット(アイテムボックス)に放り込むケーナ。 剣を収めて一瞬の緊張とここまでの強引な旅路に疲れ、座り込むクオルケにマイマイが母親の所業を詫びる。 エクシズは何が起こったのか未だに反応の遅れているアークを見つけると駆け寄った。


    「ごめんなさいね、御母様がご迷惑をかけて」

    「ほ、ほんとに娘なんだ……。 あ、ああいえ、なんでもないさね、こっちのこと」

    「やっぱりいたっ! 姉貴ぃ!」ru486

    「なんだお前はっ!」


     否、駆け寄ろうとして、アークとの間に立ちふさがったヘラウに睨みつけられた。 剣に手を添えたスフルトもアークを庇うようにしてエクシズより背後を隠す。 第三者視点から展開を見ていれば、見知らぬ女性に襲い掛かろうとしている竜人族(ドラゴイド)の男性、に見えなくもない。

     この場で“中の人”の事情を把握しているのはケーナだけである。 里子の威圧感に何も言い出せなくなっているエクシズを見ているのも面白そうであったが、放っておくとケーナも自分の目的が果たせなくなるので、口を添えてやる事に。 まずは全くこの場の緊迫感が分からず、ぽやんとしている当事者に声を掛けた。


    「アークさん」

    「あ、はい、なんでしょう?」

    「そいつはエクシズと言って、タルタロスの別垢。 イコール昨日言ってた貴女の弟ですよ」

    「え、えええっ?」


     昨日の話を思い出したのか、「それならいいや」とばかりにヘラウとスフルトが警戒心を解く。 あっさりすぎて逆に拍子抜けする潔さである。 至近距離で対面することになった二人 ──もっともアークは見上げる形になる── が互いに見つめ合う。 なんとなく引きつったような笑み(竜人族の表情は人族から見ると分かりにくい)を浮かべたエクシズに、しばしの沈黙を挟んだアークはいきなり落ち込んだ。


    「……ロスちゃん、随分凶暴な顔になっちゃって……」

    「は? いや、姉貴?」

    「「プッ」」


     感動の再会とは程遠い一言にエクシズは呆け、クオルケとケーナは噴き出した。 「いやこれは種族的なものであってだなあ」など、わたわたと言い訳をする竜人族は見ていて実にコミカルであった。 少ししてからマイマイが間に入り、エクシズの慌てっぷりを止める。


    「はいはい、言いたいことは分かったから少し落ち着きなさい。 アークも分かってて意地悪を言うんじゃないの」

    「あら、バレました? 流石先生、お見通しですね」

    「へ? えええっ!?」


     俯き加減で震えているように見えたそれは、ただ単に笑いをこらえていただけのようだ。 一転して微笑を浮かべたアークは、悪戯が成功した子供のようにエクシズへ挨拶をした。


    「うんうん、久しぶりだねロスちゃん。 いつも通り(・・・・・)で安心した。 元気で何よりだね」

    「………………そうだ、こういう人、だったな……」


     がっくりと肩を落とし真っ白になるエクシズ。 ケーナはギルドで皆に反応が面白いからと言ってイジられるタルタロスを思い出し、『リアルでも日常茶飯事にからかい対象なのか』と納得した。 リアルとゲームでイジられれば、別垢に逃避したのも頷ける。 引退しなかったのが不思議な程ではあるけれど。


     「やー、見違えるように強そうだね、強面だね」「ほっとけっ!」等々、姉弟の絆を確かめ(?)ている二人は放置しておく。 クオルケはここに来るまでの道中でエクシズの事情を説明されたらしく、面白そうにその光景を眺めていた。 その二人へと平然と協力を仰ぐケーナ。


    「ここに来たのが運の尽き、丁度いいから二人も手伝って頂戴」

    「運の尽きって、物凄く酷い言い方じゃないかい?」

    「この程度の理不尽で首を傾げていられるならまだ幸せだと思うよ」

    「あとどれだけ理不尽が控えているって言うんだいっ!?」

    「とりあえず『廃都のモンスターを殲滅しよう』というお誘いですが何か?」

    「「スキルマスターの限界突破者が挑むような攻略戦にうちら(俺達)を巻き込むなっ!!」」


     つついっと寄って行ったケーナの提案に、クオルケと話を聞いていたらしいエクシズが全力で拒否を示す。 一応巻き込むのだから『廃都の中でモンスターが増えているかもしれない』推測と、『アージェントの障壁が寿命なこと』を交えて説明はしておく。


    「元同僚が拒否しないでよ。 まあ、矢面に直接立てとは言わないから、せめて抜けていった小物くらいは始末してくれると嬉しいな」

    「むむむ、……しかしなあ、廃都だってかなり広いぞ。 そこに蔓延してるモンスターと言うのはどれだけの数が居ると思っているんだ?」


     ゲーム当時、七国の首都はランダムでプレイヤーの出発点になっていた。 その為、首都の役割の一つには初心者をいかにサポートするかというのがあり、基礎武器&アイテム等の販売施設が充実していた。 また、各プレイヤー自身が狩りで獲って来た素材や、生産専門プレイヤーの露店も揃っていた。 各地域で採れるアイテムの違いによって特産になるものは様々であったが。 更には中級者(五百レベル帯)までが首都近郊で遊べるように、首都の地下には広大なダンジョンが備わっているのが普通であった。 そのダンジョンも都市の地下に作られた下水道であったり、首都が作られる前に埋まった古代の都市であったり。 はたまたどこぞの魔導師が趣味で作り上げた秘密基地であったり、バイオハザードが起きた為に封鎖された研究機関の施設であったりと、各都市によって設置された理由は様々あった。 中でも一番酷いのは、定期的に死神官(リッチ)が首都まで湧いて来る黒の国であろう。 地下にある洞穴には未だに虎視眈々と地上の支配権を狙う、魔王の末裔がいるとかいないとか。 初心者に厳しい国なのは言うまでもないが。


     エクシズが懸念しているのが正にそれである。 地表だけにモンスターが蔓延しているなら兎も角、地下施設まで含めると首都の敷地は地表の三倍以上にも膨れ上がる。 そこにぎっしりとモンスターが生息しているとなると、プレイヤー数人でどうやって殲滅しろというのだろうか? 勿論、エクシズと同等に廃人レベルまでやり込んだケーナもそれは承知の上だ精力剤


    「ピンからキリまでそれなりにいるでしょーよ」

    「えらく適当だなおいっ! それを三人で片付けろっつーのは無理がないか?」

    「オプスも呼んだけどね。 そこはほら、どーにかするしかないでしょ。 私だってこれ以上ルカみたいな子を増やそうとは思わないもの。 もうツテをフル利用して三国には防衛を打診中だし」

    「……手回しが早いというか、もう三国に協力を打診できるようなツテがあることに開いた口が塞がらないよ……」


     クオルケの言い分にはケーナも苦笑いをするしかない。 何故か(・・・)、里子や親族に連なる関係となってしまった者が国を運営していたり、国にはなくてならない地位にいる者が大半なのである。 それは目の前でニコニコと笑みを浮かべているマイマイも例外ではなく。


    「どうしてこうなっていた……」

    「それはもう御母様の人徳ですわ!」

    「二百年不在の人徳とか、訳が分からないわよ……」


     溜め息を吐きたくもなるというものだ。 

     そこへ更に溜め息の原因となる事態が甲高い咆哮と共に降って来た。体育館並み(Lv550)の体躯を持ち、大きな翼を広げ地面を抉りながら着地した黒竜(ブラックドラゴン)。 【ドラゴン召喚】の中では赤竜(レッドドラゴン)と同じく攻撃力について双璧を誇り、こちらは広範囲攻撃に特化している。 ケーナも戦争中には良く使用した馴染みの召喚獣だ。 そしてその背から二名の人物が飛び降りた。 真っ黒いコート姿のオプスと、何時も通りのメイド姿であるサイレン。


    「お待たせ致しました、ケーナ様」

    「なんじゃ、まだこんな所でたむろっておったのか」


    「伯父上様?」

    「オプスッ!?」

    「すっごいヤな予感がしてきた」


     上からマイマイ、エクシズ、ケーナの感想だ。 付き合いの長さが現れる対応である。


     『闘技祭の出場者が何故ここに居るのか?』という疑問をはさむのはマイマイくらいなもので、騎士達は根本の事情を知らない。 “リアデイルの孔明”と“銀環の魔女”が揃う状況に、心底から不安が湧くのはクオルケとアーク。 この二人の揃う姿が決戦直前という現場(シチュエーション)に悪寒しかしないエクシズ。 最初から闘技祭に参加するオプスの思惑に疑いしか抱かなかったケーナの不安は、今までの経験上ロクな事にならないと危険信号を発していた。 


     


     


     


     


     




     ───その頃、演者の一部が抜けたフェルスケイロでは。


     午前中に行われていた個人戦は大方の予想通り、いつのまにか参加していたオウタロクエス出身の冒険者クロフィアが勝利した。 ただその戦い方は、今までの彼女を知る者から見れば随分と堅実的なスタイルだったらしい。 そのことについて首を傾げる者はいたが、論議するものはいなかった。 あまりに圧倒的だったために試合の予定時間は随分短縮され、繰り上げで午後に予定されていた団体戦の準決勝第一試合が執り行われることになった。 しかし……。


    「こないな、っつーかいねーな」

    「だなあ……」


     個人戦にしろ団体戦にしろ、参加者は闘技場内に設けられた席がある。 早朝からそこには参加しているはずの姿が二人足りていなかった。 “凱旋の鎧”PTメンバーは空白の席を眺めて、大会進行役の判断を待っているところである。 このままの状態が続くと、彼らは必然的に不戦勝だという空気が闘技場に漂い始めた時だった。


     突然、前触れもなく闘技場の真上、晴天の大空に太陽光より煌々と輝くナニカが出現した。




     護衛役のシャイニングセイバーは咄嗟に王族を庇う位置に立つが、その行動もそこまでだった。 闘技場内の選手が、コーラルすらも例外ではなく、観客も頭上を見上げその口をあんぐりと開ける。 闘技場の真上に現れたものは王都からもはっきりと視認出来た。 それほどまでに目立つものだったからに他ならない。 住民も、旅人も、冒険者も、騎士も、商人も、浮浪者も、誰一人として例外などなく、頭上を見上げて目をいっぱいに見開き、驚愕の表情でそれを見た。


     そしてそれと同じ時にその現れたモノはフェルスケイロだけではなく、オウタロクエスでもヘルシュペルでも観測できた。 他にも各地に点在する村の直上にも出現し、大陸に住む全ての人々の度肝を抜いた。 サハラシェード女王はしたためた手紙をケーナの召喚獣である緑竜に渡した姿勢で硬直し、ヘルシュペルではケイリナが王と共に窓の外を見上げ、辺境の村では外の異変に気付いた村人達がマレールの宿屋から次々に飛び出した。


     各地で同時刻に観測されたそれ。 一対の白い翼を背に備え、石版を片手に持ち、現(うつつ)とも思えぬ美貌に微笑を浮かべた【天使】であった。 


     神々しい輝きを背に背負った【天使】を目にするや否や、大半の者は膝を付いて祈りの姿勢になる。  極々一部の者はその例外で、その行動を取らなかったのは【天使】に見覚えがあったからに他ならない。媚薬


    『告げる』


     男とも女とも言えない、音が、声が【天使】を目にした者達の脳内に響き渡る。 最初の一言からたっぷり間を置いて、次に告げられた言葉は、大陸の住民には馴染みが無いものであった。


    『リアデイル運営委員よりプレイヤーの方々へ、最後のイベントを通達致します』


     ケーナ達の頭上には何も現れていないが、その音だけは彼等の脳内に響いていた。 エクシズとクオルケは当時何度も聞いた事があるだけに、頭上を睨みつけている。 ケーナだけは企みが成功したというドヤ顔のオプスを呆れた顔で見て、肩を落とした。 始まってしまっては何を言っても無駄だと理解しているからだ。


    『数日中に廃都大結界の封印を解きます』


     国の要職に就く者達は【廃都】の名にビクリと身を震わせる。


    『プレイヤーの方々の使命は廃都からあふれ出したモンスターを殲滅する事にあります』


     コーラルとシャイニングセイバーは闘技場と観覧席の距離で視線を合わせ、互いに頷いた。 コイローグは練兵場で首につい最近まであった感触を思い出し、固く拳を握り締める。 


    『それぞれが役目を果たすのを運営委員(われわれ)は期待しています。 アナタ達の奮闘に幸があらんことを』


     空中庭園で完全武装を整えたドワーフは、自分の背丈より巨大な戦斧(ハルバード)を一振りして青空を見上げた。


     【天使】はもう一度同じ事を繰り返すと、空中に解け消えるように姿を消した。 残されたのは不安そうに空を見上げる住民達である。 辺境の村ではルカがロクシーヌのスカートを握り、目尻に涙を溜めて「ケーナ、お母さん……」と呟いていた。性欲剤

     

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    2012年10月09日

    若気の至りというやつだな

    その後、ティリーアンネの提案で、魔法研究会は城の探索をすることになった。


    規模的には、ロンクスの王城、アクリネスの実家よりも小さく、外見は城のようだが中身は高級な宿屋といった感じである。levitra


    廊下もそこまで広くなく、部屋も同様である。


    「どの部屋も同じ広さなんだね」


    「ああ、触手ちゃん曰く、居住空間の広さに格差をつけると問題の元になるとかなんとか、難しいことを言ってたな」


    探索中、廊下を歩きながらアクリネスは、実家と比べて明らかに違う箇所を口にすると、リヒードが建築当時を思い出して答える。


    食堂や遊技室などの共有スペース以外、部屋は全て同じ大きさ、同じ調度品で揃えてあり、城主の部屋らしいものもない。


    リヒードは外観には少々こだわったのだが、中身はもっぱら秘密部屋ばかり造っていた。


    そのため、この城は見た目も小さいが、それ以上に中は狭い造りになっている。


    なので、中の見える部分はほとんどが触手ちゃんによって造られた。


    しかしどうにもイメージが湧かないアクリネスは、頭を悩ませ首を傾げる。


    「あの触手・・・ちゃんが?」


    「ああ見えて、学もそれなりにあるっぽいし、料理も上手いぞ!頭に直接声を響かせることもできるし!」


    「一番最後のだけは、すんなり納得できるのはなんでだろうね」


    リヒードがまるで我が子を自慢するように、触手のいいところを上げ、アクリネスはそれが嘘ではないと分かっているのだが、大半に納得がいかなかった。


    何とかその事実を消化しようと必死なアクリネスを置いて、リヒードが城内部の説明をする。


    「まぁ、中のデザインとかほとんど触手ちゃん任せだ。ああ、部室もそうだが、ここの建材もほとんど彼女がどこからか持ってきた物だ。家具なんかも手作りだぞ。たまによく分からない技術も使っていたりもするな!」


    「何でもありか!万能すぎるだろ、あの触手!」


    あまりに見た目やらを無視した触手の規格外の優秀さに、ヴァクスが叫ぶ。


    それを聞いたリヒードは、ヴァクスを怒鳴りつける。


    「ヴァクス、ちゃんをつけろ!」


    「あ?別にいいだろ」


    何故触手に敬称をつけなければいけないか、ヴァクスは理解できないといった顔をする。


    対してリヒードは、哀れむような視線を向ける。


    「ふむ、心配して言ってやっているのだが。ちなみに触手ちゃんは、呼び捨てされるのが嫌いらしい。あと、呪いとか得意らしい」


    「触手ちゃんさん、まじで万能っすね!?」


    一転してさん付けまでするヴァクス、必死の形相である。


    素晴らしいヴァクスの変わり身に、リヒードは一つ頷くと触手について知っていることを語る。


    「うむ。ついでに本名はもちろん触手ちゃんではないのだが、レアンの本名よりやばいのでな、精神的に。なので、触手ちゃんと親しみと愛を込めて呼んであげてくれ。家事や炊事、果ては城まで造ることが可能という万能生物なのだが、同種はもういないらしく、貴重な存在だ。皆もくれぐれも切ったり、結んだりして遊ばないように!切っても時間が経てば再生するが、結ぶのは本当にやばいことになるので、気をつけろ!」


    「り、リヒード様は、む、結んだことがあるのですか?」


    マリィが興味津々にリヒードを見る。


    マリィも最初に部室で触手を見たときは、それなりにダメージを負ったのだが、うねうねとしている姿が頭から離れず、どちらかと言えば気になる存在になっていた。


    同好の士を見つけたと思ったリヒードは、嬉しそうに話す。天天素


    「若気の至りというやつだな!まぁ、必死に解こうとうねうねする姿もなかなか可愛かったのだが。その後がな」


    「どうなったのですか!?」


    先を急かすように、マリィは真剣な表情でリヒードを見つめる。


    「解けないことにストレスを感じたのか、触手が凄い勢いで伸びだしてな。危うく呑み込まれるところだった。その前に結んだところを切り落として、なんとか難を逃れたが!」


    「さすがですわ!」


    尊敬と羨望の眼差しでリヒードを見つめるマリィ。


    しかし、リヒードとマリィのやり取りを聞いていたフェイールは、困ったように一言こぼす。


    「り、理解できん・・・」


    「おいおい、フェイール、世話係がそれでどうする」


    「わ、私で決定なのか!?」


    フェイールは、驚いて自分自身を指差してリヒードに確認する。


    リヒードは大きく頷いてそれを肯定する。


    「うむ、しっかり毎日水をやるのだぞ」


    「水だけで育つのか・・・?」


    「基本、出された物は残さない主義らしい。飲まず食わずでもいいらしいが。フェイールがどうしても嫌だというなら、何も与えないという選択肢もあるぞ?」


    試すように言うリヒードに、フェイールは飲まず食わずの状態は辛いだろうと考え、思わず頷いてしまう。


    「うう・・・、分かった、世話する!」


    「さすがフェイールだ!頼んだぞ!」


    「う、うん!努力する!」


    リヒードに頼られ若干嬉しそうにするフェイールを、皆が生暖かい目で見守る。


    そうこうしているうちに、一行は城の出入り口にやってくる。


    その先には大樹が一本だけ生えていて他には何もない広場があり、その更に奥に外壁と巨大な門が見える。


    早速ティリーアンネが一飛びして、森に突入しようとする。


    リヒードは慌てずにその羽を掴むと、飛べないように拘束する。


    「な、なにするの!?」


    「森の探索は今度だ、今日はもうあまり時間もないしな」


    「えー!」


    リヒードの言葉にティリーアンネは不満げである。


    「動物や魔物などの大きい生物はいないのだが、ここと向こうは時間の流れも一緒だから、そろそろ時間的にな。別にいつでも来れるのだから、何も焦って済ませることもないだろう」


    「ううー、分かったよー。その代わり、今度一緒に探検だよ!」


    リヒードがまるで幼子にでも言い聞かせるように言うと、ティリーアンネも諦める。


    「ふははは、そのときは触手ちゃんに弁当でも作ってもらおう」


    「お弁当!・・・けど大丈夫なの?」


    「そこらの店よりも美味しいものを作るぞ」


    ティリーアンネがシェフの心配をするが、リヒードが己の事のように自身満々にその腕を自慢する。


    「それじゃあ、期待しておくー!」


    ティリーアンネは元気にそう返事をする。


    その頭をリヒードが、少々乱暴に撫で回すと目を細めて受け入れている。


    暫くすると、横から声がかかる。


    「ところでリヒード殿、ここは?」


    「ここは、ちょっと大きめの庭園でも造ろうかなぁと思ってとったスペースだったのだが、面倒になったので放置してある!あの大樹は使い魔の鳥が持ち込んだものだな、故郷の木だそうだ」


    城と外壁までの間を見て、レアンが尋ねるとリヒードがティリーアンネの頭から手をどかし、辺りを見渡して懐かしそうに答える。三鞭粒


    「ほう、しかし鍛錬には持ってこいだ な。良ければ、時間のあるときに使わせてほしいのだが」


    「ああ、もちろんいいぞ。そもそも、魔法使うときのために、ここを用意したのだからな」


    レアンの提案に対する答えを、耳を大きくして聞いていたヴァクスにも聞こえるように、リヒードは返事をする。


    「ありがとう、これで少しは魔族の魔法も練習できそうだ」


    「まぁ、あれは学校で使うのは憚られる類のものだしな。ここで思う存分練習してくれ。分からないところは教えよう」


    「何から何まで助かる。よろしく頼む、リヒード先生」


    レアンがその美しい顔に、無意識に妖艶な笑みを浮かべる。


    周りの部員達は男女問わず、思わず魅入ってしまっている。


    しかし、その天性の魅了もリヒードには効き目がないようで、いつも通り高笑いをして了承する。


    「ふははは、任せろ任せろ!・・・ん?」


    笑っている途中で袖を引っ張られたリヒードは、そちらに目をやる。


    そこには、大きな木に目を釘付けにしているラキルムがいた。


    「あ、あの木・・・空の王が?」


    「うむ、そうだが。どうした?」


    呆然としているラキルムに、リヒードが問いかける。


    「すごい量の魔力が溜め込まれてる」


    「ああ、確かに。持ってきたときよりも、大きくなってるしな」


    「普通の木なら耐え切れない」


    ラキルムは、魔力以外にも言い知れぬ何かをその木から感じ取っていた。


    「ふむ、あいつの故郷の木だからなぁ。今度時間があるときにでも呼んで聞いてみよう」


    「わ、私も一緒に!」


    珍しくかなり意気込んで、リヒードに提案するラキルム。


    「ああ、前に約束したしな」


    「今から?」


    期待に満ちた目でラキルムは、リヒードを見上げるがその口からはそれを裏切る言葉が飛び出す。


    「いや、そろそろ時間がやばいので戻るぞ!・・・いやそんな恨めしそうに見るな、ラキルム。約束は守るぞ?」


    「・・・分かった」


    渋々納得したラキルムを見て、リヒードは安心する。


    そして、どこからともなく扉を出すと地面に立て、その取っ手を回し、開け放つ。


    「さ、続きはまた今度だ。帰るぞ!」


    部員達は返事をして扉を潜っていく。


    こうして異世界から帰還した魔法研究部であったが、その部室には一つの影が待ち構えていた。威哥王三鞭粒

     

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    2012年10月16日

    ここがどこだか教えてほしい 

    「……なんだか半生を偉そうに語られた気がする」


     変な夢で目が覚めた。


     しかし目が覚めたという割には、どうにも霞がかかったように感覚がはっきりしなかったMotivat


     まずここがどこだかわからない。


     右を向いても左を向いても、見たことも聞いたことも、ついでに言うなら床すらない七色の? ともかく謎と言うのがなによりぴったり来る空間なのだ。


     そんな謎空間にふわふわと俺は浮いている。


     なにこれ、意味がわからん。


     混乱と脱力感で眩暈を覚えたが、しかし目先の衝撃はそれをたやすく上回っていた。


    「……」


    「……」


     なにがおかしいって、目の前にいるこいつがおかしい。


     見知らぬ半透明の爺さんもまた、浮いていた。


     しかも鼻がくっつきそうな至近距離でだ。


    「なんなんだこの状況……」


     はっきり言って悪夢である。


     しかも現状指一本動かせないとくれば、もうため息しか出てこなかった。


    「……夢じゃよ。ここはお前さんの夢の中じゃ」


    「そうか……嫌な夢もあったもんだな」


     どうやら爺さんも俺も口だけは利けるらしい。


     だが肝心の話し相手は、口を開いてもとことん意味不明だった。


     それでも俺は何とか、目の前の爺さんを理解しようとがんばってみたんだ。


     それしか出来なかったとも言う。


     人間観察というのは趣味ではないが、この際仕方がないだろう。


     見た目は長い顎髭に、ローブ姿という、いかにも魔法とか使ってきそうなデザインの爺さんである。


     しかし、どこか目が虚ろで、特に半透明なのが気にかかった。


     はんとうめい。


     実に不可解な単語である。


     というかなんで半透明? 近所のネコだってもうちょっと存在感があるぞ。


     俺はさっそく匙をあさっての方向に放り投げた。


     わかるわけねぇし。




     現状を簡単に整理しておこう。


     俺、紅野 太郎は何の変哲もない大学生である。


     そもそも、ついさっきまで大学で講義を受けていたはずなのだ。


     まぁ少しばかり、夢の世界に旅立っていたことは否定しないが……ともかく授業を受けていたことだけは間違いない。


     それなのに、今は七色に輝く不思議な空間で、ジジイといっしょに漂っていると。


     ひょっとしてあれか?


     ちょっと閃いた。


     守護霊とかいうやつ。


     これは居眠りした俺に、先祖のじいさまが夢枕に立って、お説教しに駆けつけてくれたんじゃないだろうか?


     だとすれば……ここは一つ、謝罪でもしておかねばならないだろう。


    「これはこれはご先祖様。申し訳ありません。私めは授業中に居眠りなどしてしまいました。

    正直に告白し、今後こういったことがないように反省いたしますので、どうか成仏してくださいませんかね?」


    「……わしゃ、別にお前の先祖の爺さんじゃないんじゃがの?」


     誠心誠意頭を下げたというのに、爺さんは気まずげにそう言ってきた。


     どうやら早とちりだったらしい。


    「あー、そうなんだ。いや、たしかに変だとは思ったんだ。顔も見たことなかったし」


    「……適当なやっちゃなー」


    「よく言われるけど、長所だと思っている!」


     爺さんの呟きに、俺は自信満々に答えておいた。


    「どうなんじゃろそれ?」


     首をかしげる爺さんだったが、今はそんなことはどうでもいいのだ。


     俺はなるべく相手を刺激しないように、気軽な口調で尋ねてみることにした。


    「まぁそれはいいよ。ところでここが夢ってことは、ようは目が覚めればいいんだよね?」


     俺としては言葉使い同様、心構えも気軽なものだったんだ。


     夢なら覚めるだろう。実に当たり前のことだ。


     しかし爺さんの答えは、俺のそんな思惑を簡単に裏切ってくれた。


    「……いや、残念ながらこの夢は覚める事はないじゃろう」


    「あー、……なんで?」


     理解出来ない答えに、動揺してしまった。


     だがそんな俺に、爺さんはどこか慈愛に満ちた表情でこう言ったのだ。


    「まぁ、戸惑うのも無理はないがのぅ。だがこれはすごく幸運なことなんじゃよ?」


    「いや、さすがにふざけるなと」


     思わず俺の言葉尻もとんがってしまった。levitra


     覚めない夢など死んでいるも同然じゃないかと思うのだが。


     しかもセクシーな美女とならともかく、こんな幽霊爺さんと永遠に夢の中などごめん被りたい。


     趣味の悪い冗談と言うのならまだよかったが、爺さんはそんな風でもないようだった。


    「正確に言うなら、今のおぬしは我が魔法の術中におる」


    「ならさっさと出せよ」


    「……せっかちな奴じゃのぅ」


     不満そうに口をとがらせる爺さんもだが、何ともファンタジーな台詞に一層うんざりさせられた。


     魔法だと?


     何を馬鹿なという感じである。


     格好が魔法使いっぽいからって、そんな設定まで凝らなくてもいいと思うのだが。


     ただ本当に頭が痛いのは、実際おかしなことになっているのも確かだということだろう。


    「魔法……はともかく、なんの目的でこんなことを?」


     現状を打開する方法を目の前の爺さんなら持っているだろうと、そう希望も込めて尋ねてみるとが、いきなり爺さんは真剣な面持ちで力強く宣言した。


    「単刀直入に言おう、わしの世界に来てもらう!」


    「え? 嫌だけど?」


     即答したら、爺さんはちょっと涙目になった。


    「……そんなすっぱり断らなくても」


    「いや、断るでしょうよ。俺、今花のキャンパスライフ真っ最中よ?」


     爺さんには悪いが、俺じゃなくても断ると思う。


     こちとら春に入学したばかりの新入生なのだし。


     つらく苦しい受験勉強がようやく終わり、束縛からやっと解放されたというのに、なぜ故にこんな、不思議爺さんの戯言に付き合わねばならないのかと。


     否、付き合う理由など欠片も見当たらない。


     だからきっぱりと拒絶したことで諦めて欲しかったのだが……。


     爺さんは諦めるどころか「残念じゃのう」と自分の髭を扱きながら、にやりと何とも不敵に笑いやがったのである。


    「ふむ……実はものすごい特典も用意しておるんじゃが?」


    「……一応聞くだけ聞いてみようか」


     思わせぶりにもったいぶる爺さんは非常に不愉快だったが、諦めて尋ねてみると爺さんは勢い込んで言った。


    「うむ、我が魔力をお前にやろうと思っておる!」


    「なにそれ、いらない」


     再び即答すると、爺さんはものすごく落ち込んだ。


     なにやらカタカタ震えていて、どうにもプライドを傷つけてしまったらしい。


    「そんなばかな……。わし、世界でもっとも高名な魔法使いなんじゃよ? 

    その魔力をいらんじゃと?」


     そんな焦点の合わない眼で呟かれても困ってしまうのだが。


     しかし、言うべきことは言わせてもらうとしよう。遠慮する理由も見当たらなかった。


    「いや、そもそも魔法とかわけがわからないし? 存在しないものをもらっても?」


     はっきり言ってそんなもの、通販の幸運グッズ位うさん臭い。


     速やかにお断りしつつ、一応お年寄りということもあって懇切丁寧に説明すると、どういうわけか爺さんは大いに驚き、目をむいていた。


    「なんと! こちらの世界には魔法がないのか! 不便な世界じゃのう!」


    「いやいや、そこかよ。 全然不便じゃないし。

    むしろ魔法がある方が不条理だと思うよ? 科学的に考えて」


     あくまで魔法設定を崩さない爺さんは一周して立派だと思う。


     その上爺さんは俺の言葉を吟味するように何か考え込みながら、ぶつぶつ言っていた。


    「ふむ……科学とやらがどういうものかは知らんが、それは魔力を使わぬ力なんじゃな? しかし、おかしいのぅ。お前さんからは並外れた魔力を感じるんじゃが……」


    「そうなの?」


     半ば適当に話を合わせていたのだが、気になる台詞があったので反応してしまった。


     するとすぐさま爺さんは俺の言葉に必要以上に食いついて、力強く同意してくれた。


    「そうとも! でなければ、わざわざ出向くわけがあるまいよ?」


    「いや……そもそもあんた何のためにここに来たんだよ?」


     少なくとも俺は爺さんから何か貰えるような繋がりはないと断言できる。


     だが爺さんは露骨に肩を落としてため息をつくと、何やら語り始めたじゃないか。


     なんだかまた時間がかかりそうだと俺は確信した。


    「……それはのう。これはわしの我儘なんじゃよ」福源春


    「ほう」


    「わしはな? とある世界で魔法使いをしておったんじゃ」


    「ふむ」


    「そして人並みはずれた魔力と、長年の鍛錬の結果、世界で類を見ないほどに強力な魔法使いとして尊敬を集めておった」


    「へぇ」


    「自慢ではないが、我ながらものすごーく自国に貢献をしてきたと思う。しかし、そんなわしにも死期が訪れたのじゃ」


    「……それはお気の毒に、ちなみに何歳くらいだったの?」


    「ぴっちぴちの五百歳じゃ」


    「……十分すぎるよ。天寿を全うしているよ」


    「む! おぬし何気に酷い子じゃのう。まぁそういうわけで、わしは死んでしもうたわけじゃな」


    「ご愁傷様でした」


    「……なんか受け答えに適当さを感じるんじゃが?」


    「気のせいでしょ。被害妄想乙」


    「そうかの……? では続けるが。しかしだ! わしは死ぬ直前に、ある魔法で自分の魂をこの場所へ飛ばしたんじゃよ!」


     長々と語る爺さんのテンションは頂点に達していた。


     俺も聞かない方がいいかなーとは思ったんだ。


     思ったんだけど、流れで聞いてしまった。


    「……なんでまた?」


     すると遠慮なく爺さんはぶっちゃけた。


    「だって……せっかく鍛えたのにもったいないじゃろ? 魔法もすごいの沢山覚えたんじゃし?」


    「いやいやいやいや! それこそ俺の知ったことじゃないだろう……」


     あきれてものも言えないとはこのことである。


     そんなもん他所やれと。


     主に、俺に迷惑のかからない所で。


     爺さんもそのあたりの自覚はあったのか、一瞬だけ目をそらしたが、結局は開き直った。


    「まぁそう言わずに。残念じゃが弟子達もわしほどの器はなかったんじゃよ。

    最後の魔法も伝えられんでのぅ。だからわしは死ぬ直前にすべての魔力を振り絞って、わしの魔法と魔力を受け継ぐ素養のあるものにすべてを託そうと考えたわけじゃ!」


     えっへんと、このあたりになってくると入れ歯でも飛ばしそうな興奮具合である。


     同時に俺との温度差もすごいことになっていたが、その辺りはどうでもいいらしい。


    「それで俺の所に来たと……わざわざ異世界から」


    「その通りじゃ! お前さんを探し出すのには苦労したんじゃよ?」


     何ともめちゃくちゃな話に思えるのは俺だけだろうか?


     しかし爺さんは、自分のやったことにむしろ誇らしげだというのが、いっそう始末が悪い。


     だが、俺としては爺さんの語る内容事態は少し意外でもあった。


     爺さんが俺の所に来たのは、俺自身にも少なからず原因があるらしい。


     顔立ちこそ少しハーフっぽい俺だったりするが、黒い髪も瞳も、何の変哲もない日本人の基準からそう大きく外れてはいない……と思う。


     背丈も普通だし、そんなに目立つ方でもないだろう。


     そんな俺に、魔力なんて面白スキルがあるというのがまず初耳だった。


    「……俺に魔力ねぇ」


     ひょっとして俺って伝説の勇者の生まれ変わりだったとか?


     ……なんて面白い妄想を考えてみたりして。


     うん。ないな。


     だいたいそれならそれで、面倒くさそうだ。


    「うむ! そういうわけで、おぬしは自らの魔力とわしの魔力を併せ持った、文字通り最強の魔法使いへと昇華するわけじゃな! これぞ我が願い! わしすらも届かなかった高みへと、遠慮なく駆け上ってくれい!」


     そうして爺さんは話をとても偉そうに締めくくる。


     ただしばらく黙っていると、期待に満ちた目でチラチラと俺の様子を伺っているようだった。


    「……」


     話はしっかり聞いた。


     聞いたうえで考えれば、おのずと答えは見えてくる。


     俺は結論を出すと、きっぱり言い放った。


    「帰れ」


    「なぜに!」


     涙目で俺に詰め寄ってくる爺さん。


     がっくんがっくん首を振られても、俺の答えは変わるわけがない。


    「いや、だってさ。そんな魔法とか言われても正直引くしー」


    「引くって君ね! 異世界からわざわざ来た老人を追い返すかの! 普通!」


    「いや、だから俺となんも関係ないよね、それ? ものすごく面倒そうだし」


    「むむむ、言いよるのぅ……だがもう遅いんじゃよ。言ったであろう? これはわしの我儘じゃと」


     突然俯き、しかしどこか悪い笑顔の爺さんに何やら嫌な予感がした。K-Y Jelly潤滑剤


     爺さんは最初なんと言っただろうか?


     確かこう言わなかったか? この夢は覚めることがないと……。


    「……あんた、まさか」


    「そのまさかじゃ! 無理矢理でも行ってもらうぞい! もはや後戻りなど出来はせん! この夢から目覚める時! おぬしは強制的にわしの世界に転移することになるじゃろう!」


     ビシッと爺さんは本当にろくでもないことを、目一杯宣言してくれたのだ。


    「……誘拐じゃんか」


     せめてもの抵抗で呟いてみたが、爺さんも爺さんですでに聞く耳など持っていない。


    「知らんもん! わしはこれから死んでしまうんじゃもん! そんなの知ったこっちゃないわい! せっかくだから快く旅立ってもらおうと思ったが、もう知らんもんね!」


    「この爺め……開き直りやがった」


     それはもう見事な、駄々っ子も真っ青な開き直りっぷりだった。


     呼びとめようと頑張ってみたが、爺さんは素晴らしい速さで遠ざかってゆく。


     そしてどこからか漏れ出る、神々しい光の中にゆっくりと溶けていった。


     わざわざ爽やかな笑顔でこちらに手を振りながらだ。


    「じゃ! 良い異世界ライフを願っておるぞ! よかったのう! これでいきなり世界最高の魔法使いの誕生じゃ! おぬしの完成した姿が見られんのが残念じゃヨ!」


    「聞いてない!」


    「ちなみに役に立ちそうなわしの魔法も最低限無理やりぶち込んでやるから安心せい! 存分に使ってやってくれい! ……まぁ、生きておればじゃが?」


    「だから聞いてないって……何その補足! 怖いんだけど!」


    「では幸運を祈る! なるべく死ぬなよ!」


    「祈るな! というか死ぬかもしれないのか!? そこんとこだけでもはっきりしてくれぇ!」


     俺の叫びはむなしく木霊するのみだ。


     健闘空しく、爺さんはすこぶるいい笑顔で成仏していったのだった。


    「なんだったんだいったい……」


     結局七色の空間に一人取り残された俺は、ただただ呆れて呟く。


     爺さんの言葉を丸ごと信じるなら、俺はこれから異世界とやらに行かなければならないらしい。


     そして、現状を打開する手段は皆無、叫ぼうと暴れようと全く無駄なのはここまでで嫌というほど理解した。


    「……はぁ、脱出方法もわかんないし、強制ならどうしようもないか」


     残念ながら爺さんの言う通り、異変はすぐに表れる。


     俺は意識がどこかに流されていくような、不思議な感覚を味わっていた。


     全部夢でありますように……。


     そう祈りながら――― 紅野 太郎は不本意だが異世界へと旅立だったのである。


     実に不本意だが。


     大事なことなので二回言いました。曲美

     

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    2012年10月16日

    ここがどこだか教えてほしい 

    「……なんだか半生を偉そうに語られた気がする」


     変な夢で目が覚めた。


     しかし目が覚めたという割には、どうにも霞がかかったように感覚がはっきりしなかったMotivat


     まずここがどこだかわからない。


     右を向いても左を向いても、見たことも聞いたことも、ついでに言うなら床すらない七色の? ともかく謎と言うのがなによりぴったり来る空間なのだ。


     そんな謎空間にふわふわと俺は浮いている。


     なにこれ、意味がわからん。


     混乱と脱力感で眩暈を覚えたが、しかし目先の衝撃はそれをたやすく上回っていた。


    「……」


    「……」


     なにがおかしいって、目の前にいるこいつがおかしい。


     見知らぬ半透明の爺さんもまた、浮いていた。


     しかも鼻がくっつきそうな至近距離でだ。


    「なんなんだこの状況……」


     はっきり言って悪夢である。


     しかも現状指一本動かせないとくれば、もうため息しか出てこなかった。


    「……夢じゃよ。ここはお前さんの夢の中じゃ」


    「そうか……嫌な夢もあったもんだな」


     どうやら爺さんも俺も口だけは利けるらしい。


     だが肝心の話し相手は、口を開いてもとことん意味不明だった。


     それでも俺は何とか、目の前の爺さんを理解しようとがんばってみたんだ。


     それしか出来なかったとも言う。


     人間観察というのは趣味ではないが、この際仕方がないだろう。


     見た目は長い顎髭に、ローブ姿という、いかにも魔法とか使ってきそうなデザインの爺さんである。


     しかし、どこか目が虚ろで、特に半透明なのが気にかかった。


     はんとうめい。


     実に不可解な単語である。


     というかなんで半透明? 近所のネコだってもうちょっと存在感があるぞ。


     俺はさっそく匙をあさっての方向に放り投げた。


     わかるわけねぇし。




     現状を簡単に整理しておこう。


     俺、紅野 太郎は何の変哲もない大学生である。


     そもそも、ついさっきまで大学で講義を受けていたはずなのだ。


     まぁ少しばかり、夢の世界に旅立っていたことは否定しないが……ともかく授業を受けていたことだけは間違いない。


     それなのに、今は七色に輝く不思議な空間で、ジジイといっしょに漂っていると。


     ひょっとしてあれか?


     ちょっと閃いた。


     守護霊とかいうやつ。


     これは居眠りした俺に、先祖のじいさまが夢枕に立って、お説教しに駆けつけてくれたんじゃないだろうか?


     だとすれば……ここは一つ、謝罪でもしておかねばならないだろう。


    「これはこれはご先祖様。申し訳ありません。私めは授業中に居眠りなどしてしまいました。

    正直に告白し、今後こういったことがないように反省いたしますので、どうか成仏してくださいませんかね?」


    「……わしゃ、別にお前の先祖の爺さんじゃないんじゃがの?」


     誠心誠意頭を下げたというのに、爺さんは気まずげにそう言ってきた。


     どうやら早とちりだったらしい。


    「あー、そうなんだ。いや、たしかに変だとは思ったんだ。顔も見たことなかったし」


    「……適当なやっちゃなー」


    「よく言われるけど、長所だと思っている!」


     爺さんの呟きに、俺は自信満々に答えておいた。


    「どうなんじゃろそれ?」


     首をかしげる爺さんだったが、今はそんなことはどうでもいいのだ。


     俺はなるべく相手を刺激しないように、気軽な口調で尋ねてみることにした。


    「まぁそれはいいよ。ところでここが夢ってことは、ようは目が覚めればいいんだよね?」


     俺としては言葉使い同様、心構えも気軽なものだったんだ。


     夢なら覚めるだろう。実に当たり前のことだ。


     しかし爺さんの答えは、俺のそんな思惑を簡単に裏切ってくれた。


    「……いや、残念ながらこの夢は覚める事はないじゃろう」


    「あー、……なんで?」


     理解出来ない答えに、動揺してしまった。


     だがそんな俺に、爺さんはどこか慈愛に満ちた表情でこう言ったのだ。


    「まぁ、戸惑うのも無理はないがのぅ。だがこれはすごく幸運なことなんじゃよ?」


    「いや、さすがにふざけるなと」


     思わず俺の言葉尻もとんがってしまった。levitra


     覚めない夢など死んでいるも同然じゃないかと思うのだが。


     しかもセクシーな美女とならともかく、こんな幽霊爺さんと永遠に夢の中などごめん被りたい。


     趣味の悪い冗談と言うのならまだよかったが、爺さんはそんな風でもないようだった。


    「正確に言うなら、今のおぬしは我が魔法の術中におる」


    「ならさっさと出せよ」


    「……せっかちな奴じゃのぅ」


     不満そうに口をとがらせる爺さんもだが、何ともファンタジーな台詞に一層うんざりさせられた。


     魔法だと?


     何を馬鹿なという感じである。


     格好が魔法使いっぽいからって、そんな設定まで凝らなくてもいいと思うのだが。


     ただ本当に頭が痛いのは、実際おかしなことになっているのも確かだということだろう。


    「魔法……はともかく、なんの目的でこんなことを?」


     現状を打開する方法を目の前の爺さんなら持っているだろうと、そう希望も込めて尋ねてみるとが、いきなり爺さんは真剣な面持ちで力強く宣言した。


    「単刀直入に言おう、わしの世界に来てもらう!」


    「え? 嫌だけど?」


     即答したら、爺さんはちょっと涙目になった。


    「……そんなすっぱり断らなくても」


    「いや、断るでしょうよ。俺、今花のキャンパスライフ真っ最中よ?」


     爺さんには悪いが、俺じゃなくても断ると思う。


     こちとら春に入学したばかりの新入生なのだし。


     つらく苦しい受験勉強がようやく終わり、束縛からやっと解放されたというのに、なぜ故にこんな、不思議爺さんの戯言に付き合わねばならないのかと。


     否、付き合う理由など欠片も見当たらない。


     だからきっぱりと拒絶したことで諦めて欲しかったのだが……。


     爺さんは諦めるどころか「残念じゃのう」と自分の髭を扱きながら、にやりと何とも不敵に笑いやがったのである。


    「ふむ……実はものすごい特典も用意しておるんじゃが?」


    「……一応聞くだけ聞いてみようか」


     思わせぶりにもったいぶる爺さんは非常に不愉快だったが、諦めて尋ねてみると爺さんは勢い込んで言った。


    「うむ、我が魔力をお前にやろうと思っておる!」


    「なにそれ、いらない」


     再び即答すると、爺さんはものすごく落ち込んだ。


     なにやらカタカタ震えていて、どうにもプライドを傷つけてしまったらしい。


    「そんなばかな……。わし、世界でもっとも高名な魔法使いなんじゃよ? 

    その魔力をいらんじゃと?」


     そんな焦点の合わない眼で呟かれても困ってしまうのだが。


     しかし、言うべきことは言わせてもらうとしよう。遠慮する理由も見当たらなかった。


    「いや、そもそも魔法とかわけがわからないし? 存在しないものをもらっても?」


     はっきり言ってそんなもの、通販の幸運グッズ位うさん臭い。


     速やかにお断りしつつ、一応お年寄りということもあって懇切丁寧に説明すると、どういうわけか爺さんは大いに驚き、目をむいていた。


    「なんと! こちらの世界には魔法がないのか! 不便な世界じゃのう!」


    「いやいや、そこかよ。 全然不便じゃないし。

    むしろ魔法がある方が不条理だと思うよ? 科学的に考えて」


     あくまで魔法設定を崩さない爺さんは一周して立派だと思う。


     その上爺さんは俺の言葉を吟味するように何か考え込みながら、ぶつぶつ言っていた。


    「ふむ……科学とやらがどういうものかは知らんが、それは魔力を使わぬ力なんじゃな? しかし、おかしいのぅ。お前さんからは並外れた魔力を感じるんじゃが……」


    「そうなの?」


     半ば適当に話を合わせていたのだが、気になる台詞があったので反応してしまった。


     するとすぐさま爺さんは俺の言葉に必要以上に食いついて、力強く同意してくれた。


    「そうとも! でなければ、わざわざ出向くわけがあるまいよ?」


    「いや……そもそもあんた何のためにここに来たんだよ?」


     少なくとも俺は爺さんから何か貰えるような繋がりはないと断言できる。


     だが爺さんは露骨に肩を落としてため息をつくと、何やら語り始めたじゃないか。


     なんだかまた時間がかかりそうだと俺は確信した。


    「……それはのう。これはわしの我儘なんじゃよ」福源春


    「ほう」


    「わしはな? とある世界で魔法使いをしておったんじゃ」


    「ふむ」


    「そして人並みはずれた魔力と、長年の鍛錬の結果、世界で類を見ないほどに強力な魔法使いとして尊敬を集めておった」


    「へぇ」


    「自慢ではないが、我ながらものすごーく自国に貢献をしてきたと思う。しかし、そんなわしにも死期が訪れたのじゃ」


    「……それはお気の毒に、ちなみに何歳くらいだったの?」


    「ぴっちぴちの五百歳じゃ」


    「……十分すぎるよ。天寿を全うしているよ」


    「む! おぬし何気に酷い子じゃのう。まぁそういうわけで、わしは死んでしもうたわけじゃな」


    「ご愁傷様でした」


    「……なんか受け答えに適当さを感じるんじゃが?」


    「気のせいでしょ。被害妄想乙」


    「そうかの……? では続けるが。しかしだ! わしは死ぬ直前に、ある魔法で自分の魂をこの場所へ飛ばしたんじゃよ!」


     長々と語る爺さんのテンションは頂点に達していた。


     俺も聞かない方がいいかなーとは思ったんだ。


     思ったんだけど、流れで聞いてしまった。


    「……なんでまた?」


     すると遠慮なく爺さんはぶっちゃけた。


    「だって……せっかく鍛えたのにもったいないじゃろ? 魔法もすごいの沢山覚えたんじゃし?」


    「いやいやいやいや! それこそ俺の知ったことじゃないだろう……」


     あきれてものも言えないとはこのことである。


     そんなもん他所やれと。


     主に、俺に迷惑のかからない所で。


     爺さんもそのあたりの自覚はあったのか、一瞬だけ目をそらしたが、結局は開き直った。


    「まぁそう言わずに。残念じゃが弟子達もわしほどの器はなかったんじゃよ。

    最後の魔法も伝えられんでのぅ。だからわしは死ぬ直前にすべての魔力を振り絞って、わしの魔法と魔力を受け継ぐ素養のあるものにすべてを託そうと考えたわけじゃ!」


     えっへんと、このあたりになってくると入れ歯でも飛ばしそうな興奮具合である。


     同時に俺との温度差もすごいことになっていたが、その辺りはどうでもいいらしい。


    「それで俺の所に来たと……わざわざ異世界から」


    「その通りじゃ! お前さんを探し出すのには苦労したんじゃよ?」


     何ともめちゃくちゃな話に思えるのは俺だけだろうか?


     しかし爺さんは、自分のやったことにむしろ誇らしげだというのが、いっそう始末が悪い。


     だが、俺としては爺さんの語る内容事態は少し意外でもあった。


     爺さんが俺の所に来たのは、俺自身にも少なからず原因があるらしい。


     顔立ちこそ少しハーフっぽい俺だったりするが、黒い髪も瞳も、何の変哲もない日本人の基準からそう大きく外れてはいない……と思う。


     背丈も普通だし、そんなに目立つ方でもないだろう。


     そんな俺に、魔力なんて面白スキルがあるというのがまず初耳だった。


    「……俺に魔力ねぇ」


     ひょっとして俺って伝説の勇者の生まれ変わりだったとか?


     ……なんて面白い妄想を考えてみたりして。


     うん。ないな。


     だいたいそれならそれで、面倒くさそうだ。


    「うむ! そういうわけで、おぬしは自らの魔力とわしの魔力を併せ持った、文字通り最強の魔法使いへと昇華するわけじゃな! これぞ我が願い! わしすらも届かなかった高みへと、遠慮なく駆け上ってくれい!」


     そうして爺さんは話をとても偉そうに締めくくる。


     ただしばらく黙っていると、期待に満ちた目でチラチラと俺の様子を伺っているようだった。


    「……」


     話はしっかり聞いた。


     聞いたうえで考えれば、おのずと答えは見えてくる。


     俺は結論を出すと、きっぱり言い放った。


    「帰れ」


    「なぜに!」


     涙目で俺に詰め寄ってくる爺さん。


     がっくんがっくん首を振られても、俺の答えは変わるわけがない。


    「いや、だってさ。そんな魔法とか言われても正直引くしー」


    「引くって君ね! 異世界からわざわざ来た老人を追い返すかの! 普通!」


    「いや、だから俺となんも関係ないよね、それ? ものすごく面倒そうだし」


    「むむむ、言いよるのぅ……だがもう遅いんじゃよ。言ったであろう? これはわしの我儘じゃと」


     突然俯き、しかしどこか悪い笑顔の爺さんに何やら嫌な予感がした。K-Y Jelly潤滑剤


     爺さんは最初なんと言っただろうか?


     確かこう言わなかったか? この夢は覚めることがないと……。


    「……あんた、まさか」


    「そのまさかじゃ! 無理矢理でも行ってもらうぞい! もはや後戻りなど出来はせん! この夢から目覚める時! おぬしは強制的にわしの世界に転移することになるじゃろう!」


     ビシッと爺さんは本当にろくでもないことを、目一杯宣言してくれたのだ。


    「……誘拐じゃんか」


     せめてもの抵抗で呟いてみたが、爺さんも爺さんですでに聞く耳など持っていない。


    「知らんもん! わしはこれから死んでしまうんじゃもん! そんなの知ったこっちゃないわい! せっかくだから快く旅立ってもらおうと思ったが、もう知らんもんね!」


    「この爺め……開き直りやがった」


     それはもう見事な、駄々っ子も真っ青な開き直りっぷりだった。


     呼びとめようと頑張ってみたが、爺さんは素晴らしい速さで遠ざかってゆく。


     そしてどこからか漏れ出る、神々しい光の中にゆっくりと溶けていった。


     わざわざ爽やかな笑顔でこちらに手を振りながらだ。


    「じゃ! 良い異世界ライフを願っておるぞ! よかったのう! これでいきなり世界最高の魔法使いの誕生じゃ! おぬしの完成した姿が見られんのが残念じゃヨ!」


    「聞いてない!」


    「ちなみに役に立ちそうなわしの魔法も最低限無理やりぶち込んでやるから安心せい! 存分に使ってやってくれい! ……まぁ、生きておればじゃが?」


    「だから聞いてないって……何その補足! 怖いんだけど!」


    「では幸運を祈る! なるべく死ぬなよ!」


    「祈るな! というか死ぬかもしれないのか!? そこんとこだけでもはっきりしてくれぇ!」


     俺の叫びはむなしく木霊するのみだ。


     健闘空しく、爺さんはすこぶるいい笑顔で成仏していったのだった。


    「なんだったんだいったい……」


     結局七色の空間に一人取り残された俺は、ただただ呆れて呟く。


     爺さんの言葉を丸ごと信じるなら、俺はこれから異世界とやらに行かなければならないらしい。


     そして、現状を打開する手段は皆無、叫ぼうと暴れようと全く無駄なのはここまでで嫌というほど理解した。


    「……はぁ、脱出方法もわかんないし、強制ならどうしようもないか」


     残念ながら爺さんの言う通り、異変はすぐに表れる。


     俺は意識がどこかに流されていくような、不思議な感覚を味わっていた。


     全部夢でありますように……。


     そう祈りながら――― 紅野 太郎は不本意だが異世界へと旅立だったのである。


     実に不本意だが。


     大事なことなので二回言いました。曲美

     

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    2012年10月23日

    窺見と刺客

    立派な装飾がなされた王の船に乗る一行の主に、と話をされたのは鹿夜だったが、彼女はそれを断った。


    「ええー、なんだかものすごく面白そうなのに、つまらなさそうなほうをあたしに押しつけるってわけ?」中絶薬RU486


    「おまえら、絶対に面白がってるだけだろ。先視(さきみ)をされたっていう乱のこととか、どうでもいいだろう? そもそも先視なんて、信じていないんだろう……」


     高比古は最後まで渋ったが、そうこうするうちにも高比古と佩羽矢は衣装を取り替えて、互いになりすます支度を始めることになった。


     狭霧たちが夜の訪れを待つことになった場所は、港の奥につくられた阿多の浜小屋。その小屋の中で、高比古と佩羽矢は衣服を互いに譲り渡すことになった。


     戸外の木陰に隠れつつ待っていると、やがて戸が開く。支度を終えた二人が、外にいる狭霧たちを呼び寄せたのだ。


     二人はまだ袖を通しただけといういでたちで、足結(あゆ)いの紐はほどけており、剣などの飾り物も佩き終えていなかった。それでも、戸口から中を覗きこんで化け合った二人を見るなり、そこにいた面々はほうと吐息した。


    「すげえ、似てる……っつうか、うまく混ざったっていうか。なんか、同じ顔が二つあるみたいで気持ち悪い」


     率直な感想をいった火悉海を、高比古はふてぶてしく咎めた。


    「おまえがやらせたんだ、おまえが」


    「いや、いいよ。身なりを整えろよ。髪も結い直さなくちゃな。すげえな、面白くなってきた!」


     渋々と角髪(みづら)を解いた高比古の髪を、佩羽矢が大和風に結う。それが済むと、狭霧が佩羽矢の髪を出雲風にしつらえた。袖口を留める色紐を結び、帯もきっちり結び、高比古は背に弓矢を背負って腰に銀の剣を佩き、佩羽矢は高比古の出雲剣を帯に佩き――。すると――。


     二人の姿が変わりゆくさまを狭霧は固唾を飲んで見守ったが、とうとう仕上がると、ほかんと口をあけた。高比古の鋭い目もとが佩羽矢になりきるには不似合いだったり、佩羽矢のおどおどとした仕草が高比古になりきるにはおかしかったりするものの、二人は魂を入れ替えたのではないかというほど、互いの姿に代わっていた。


     櫛(くし)を握り締めたまま、狭霧はため息をこぼした。


    「すごい……。夜に会う人は、初めて会う人なんですよね? だったら、絶対にばれませんよ。そっくり……」


     もはや火悉海は、いたずらを喜ぶふうだ。


    「なんだ、こんなに面白いことになるなら、この前の宴で入れ替わりの芸でも披露すれば盛り上がったのに。あ、次はしような。絶対に受けるから!」


    「だからおまえ、面白がるな……」


     高比古は鬱陶しそうにこぼした。


     やがて日が傾き、夜の足音がひそやかに忍び寄る。


     そこまでくると、腹をくくったのか、高比古が文句をいうことはなかった。


    「そろそろいくよ。さっきの奴は、佩羽矢一人で来いっていってたよな。異国の者にはできない話があるとか」


    「そのはずだ。頼んだぞ。しっかり佩羽矢になりきって、うまい話を聞いてきてくれ」


    「……調子がいい奴だな」


     ぶつぶつと火悉海へいうと、高比古は最後の支度とばかりに自分の姿に身をやつした佩羽矢のそばへ向かった。彼は、自分の衣装を身にまとう佩羽矢の腕から一つを抜きとる。それは、出雲の軍旗と同じ鮮やかな黄色をした染め紐だった。すこし前まで狭霧の手首にあったものだ。


     いったいなにをする気なんだ――? 好奇の眼差しを浴びながら、高比古はそれを口もとに寄せてなにやらつぶやき、それが済むと狭霧を向いた。


     狭霧は、きゅうに脅えた。前にも、彼がその染め紐をもって同じ仕草をしたのを見たことがあったからだ。


     不安は的を射て、狭霧のもとへ歩み寄った高比古は、是非も問わずにその染め紐を細い手首に結わえ始めた。


    「あの、高比古……?」


     前に高比古がその紐を狭霧の手首に結わえた後、狭霧は大和軍に浚われて、戦が始まるきっかけになった。


     あの時と同じ――そう気づくなり、狭霧の頬はこわばった。


     脅える狭霧を、高比古は苦笑して宥めた。


    「なんとなく、あんたにこれを渡しておいたほうがいい気がするんだ。渡す相手があんたなら、たぶんちゃんと働くだろうし――」


    「働く――?」


    「おれの声や、おれが聞く音をここへ飛ばすように細工をしておいた。おれは、一人で会いに来いといわれてるんだ。ここを離れて遠ざかってしまったら、おれが相手となにを話しているのか聞きとれないだろう? それに、ありのままを聞くほうが、おれづてに聞くより信じられるだろう。だから、これで様子がわかるようにしておく。……知りたいだろ? ぜんぶ」


     高比古が話している相手は狭霧ではなく、周りで彼の手先を目で追うすべての人だ。


     とくに、彼が意味ありげな目配せを送った相手は、火悉海。


     佩羽矢のふりをして敵国の使者に会いにいくことになった高比古は、たった一人で敵地に忍び込む窺見の役を、突然任されてしまったようなものだ。でも、彼に怖気づくような気配は皆無。


     冷笑を浮かべた高比古は、さらなる役目を尋ねる余裕すら見せた。


    「いま、大和の奴に一番会いたいのは火悉海、おまえだろう? ここしばらく、おまえには世話になってるからな、礼をするよ。知りたいことをいえよ。聞きだしてきてやる」


    「おまえ……」


     好敵手の腕前に惚れ惚れとするように、火悉海は軽快な笑い声をあげる。


    「知りたいことか? それなら、乱の兆し、それだけでいい。――おまえは?」


    「いまのおれにはとくにない。出雲が知りたがっていることについては、国で、すでに主が動いているはずだ。それに――いまなら、佩羽矢に訊ける」


     話が済むと、高比古はすぐに背を向けた。


    「じゃあ、いく」


    「ああ。気をつけろ」


     振り返りもせずに小屋を出ていく高比古の背中に、小心という言葉はない。


     彼に役目を押し付けた本人、佩羽矢は、高比古の毅然とした背中を見送ると、きまりが悪そうに頬を赤くした。それから、何度も繰り返してつぶやいた。


    「あいつ、すごいなあ。すごい……。怖いものとか、ないのかなぁ」


     佩羽矢の身体は、まだ時おりがくがくと震えている。


     それだけではなく、いつのまにか彼の指は狭霧の袖をつまんでいた。


    「佩羽矢さん、そんなに脅えなくても――」


     佩羽矢の背は高比古と同じくらいで高く、狭霧が佩羽矢の表情を覗こうとすれば、顎を傾けなくてはならなかった。それなのに、彼の仕草はまるで、お化けが怖いとめそめそする幼い童のようだ。


    「どうか落ちついてください。佩羽矢さんが、さっきの大和の人に会うことはもうありませんよ。もう大丈夫ですから」


    「う、うん……ありがとう、姫様。でも、なんか俺、怖くて――」


     いくら慰めの言葉をかけても、狭霧の袖をつまむ佩羽矢の指の震えは止まらない。


     ぶる、ぶるっ……と小刻みに震える指は、彼の頭が怖がっているというよりは、得体の知れない力で恐怖を感じ取って、知らぬあいだに身体が震えだすというふうだ。


    (そういえば、佩羽矢さんにも霊威っていうものがあるんだっけ)


     いつだったか佩羽矢は、自分は伊邪那(いさな)で暮らしていた術者一族の裔(すえ)で、近くの里からは占師(うらし)の一族と呼ばれるほど勘がよく当たると狭霧たちへ話した。


    (占師……。勘……?)


     出雲の事代(ことしろ)や巫女の仕組みすらよくわかっていない狭霧に、異国の術者の力は想像もつかない。巨人倍増


     青ざめてがくがくと震える佩羽矢は、決して頼もしい存在とはいえなかった。いくら背格好や顔立ちが高比古と似ているとはいえ、佩羽矢の仕草の一つ一つは、一国を背負いゆく者の影じみたものを帯びる高比古とは似ても似つかない。心のままに泣き言をいうところなどは、すくなからず情けないものがある。


     でも、それは、きっと――。


    (佩羽矢さんは、なにかを感じ取る力がふつう以上に強い人なんだろうな。だからいまみたいに、ふつうの人よりも敏くなにかを感じ取って、震えているのかもしれない)


     それは、彼のもつ霊威のせいかもしれない。仕方ないことだと、狭霧は思った。


     やがて、ある時。小さな木窓から外の砂浜を覗いていた火悉海は、小屋で身を潜ませる面々に支度を促した。


    「暗くなってきたから、闇に紛れてすこし近づこう」


     


     




     火悉海は、昼間のうちに目をつけておいた浜の奥の草影を目指した。そこに身を潜ませると、浜の様子を覗ける姿勢を探す。


    「大和ねえ――。遠目からでも、いったいどんな奴がやってくるのか見てやる」


     好奇心旺盛な彼の目は、わずかでも多く知りたいことを掴み取ってやるといわんばかりだった。


     火悉海は、丁寧に狭霧の手を引いてそばに率いた。その隣には鹿夜もつく。火悉海とつるんで悪行をするのに慣れているのか、鹿夜には躊躇がない。砂地に這いつくばって身体を低くしながら、鹿夜は大胆不敵な笑みを浮かべた。


    「あれじゃないの。あら、けっこう大所帯ね」


     鹿夜の目が気にした先は、闇に染まって暗くなった波の上だった。


     海上には、闇に紛れるようにして浜を目指す小舟が何艘も浮かんでいた。乗っているのはすべて武人の姿をしていて、白い飾り気のない服に、銀の柄の剣を佩いている。そして、その姿は――。


    「大和の服だ……」


     狭霧のつぶやき声に、火悉海は鼻で笑った。


    「大和ってのは、そうとうな臆病者だな。大勢の仲間と大仰な飾り剣と一緒じゃないと、話もしにこられないのか」


     小舟が浜に着くと、白服の武人たちはばしゃんと音を立てて海に降り、膝で海の水をかきわけながらぞろぞろと浜にあがってくる。


     歩き方や止まり方までが定められているのか、彼らが湿った砂浜を進む歩幅はみな同じだった。武人たちは、波打ち際の高比古から一番遠い場所には十人、その前には八人、その前には六人、さらに前には二人というふうに列をつくって止まり、列をなした武人すべてが足を止めてから、最後の一人が前へと進み出た。


     小勢の長らしいその武人は高比古とかなりの距離をあけて立ち止まったので、高比古の居場所まで声が届くように、かなりの大声をあげた。


    「おぬしが天若日子(あめのわかひこ)……いや、唐古(からこ)の里の佩羽矢か」


     高比古の力を移した染め紐の力をわざわざ借りずとも、狭霧たちにも届くほどの大声だった。


    「偉そうな話し方だなあ。異国の者には聞かれたくない話だとかいってなかったかよ。あいつは馬鹿か?」


     難癖をつけた火悉海のそばにしゃがみ込んで小さくなりながら、狭霧もおかしいと思った。


     気になって、背後を振り返る。そこには、浜にあげられた漁(いさ)り船や、阿多の船が何艘も並んでいる。その影には、火悉海の護衛たちが潜んでいるはずだ。護衛たちに腕を掴まれた佩羽矢も。


     佩羽矢の震えは、止まっただろうか?


     暗い浜に現れた大和の兵たちを見て、前よりもっと震えているだろうか――。


     そんなことを考えているうちに、狭霧の手首から、大和の男に答える高比古の声が響いた。


    「いかにも、そうです。佩羽矢と申します。あなたの御名は? その、おれは、どのようにお呼びすれば……」


     佩羽矢のふりをする高比古はすこし声色を変えていて、いい方も、ともすれば横柄に聞こえるいつもの感じとはちがった。しおらしく尋ねる高比古へ、小勢の長らしい武人は肩をそびやかした。


    「おぬしが知る必要はない。まずは、おぬしの知らせをせい。遠方への赴任、ご苦労だった。して、首尾は。阿多隼人は、いかに申した」


    「万事順調です。阿多の王は、大和への助力の用意があるといいました」


    「なに、まことか」


    「はい。阿多王、火照(ほでり)は、おれの姿を見て、大和の国が忍ばれる、きっと美しく気高い国だろうと褒めそやしました。とくに、背にいただいた弓矢には興味をもったようです。それで、お許しがあれば、王へ献上したいのですが――」


     高比古は嘘をいっていた。笑顔で嘘をいいながら、慎重に相手の出方を窺っていた。


     小勢の長の声が、秘密を隠すようにひそかになった。


    「それは、まことか、佩羽矢。しかし――いま、阿多の都には出雲軍がおろう?」


    「……それは、はい」


    「主は出雲の武王、大国主と、そのように知らせを受けたが……。それでも阿多王は、大和に助すると申したか」


     佩羽矢のふりをする高比古の声は、さも驚いたといわんばかりにいった。


    「なぜ、それを――。もしや阿多には、おれ以外にも大和の者が……窺見が放たれていたのですか。おれと仲間以外に大和の人があの都にいたなど、おれはまったく気がつきませんでした。隼人風に身をやつしていたのでしょうか」


    「……であれば、おぬしのおかげだろうな。おぬしが大和の身なりを貫いて、大和者とはこうだと、周りに知らしめていたから」


     高比古は、明るく肩をすくめるような仕草をした。


    「おれのおかげ? ……おれはそんなに目立っていましたか」


     手首についた染め紐から聞こえてくる声に耳をそばだてながら、狭霧の胸はどきどきと高鳴った。


     佩羽矢らしく振る舞っているが、その裏で糸を引こうとする高比古の意図がわかった。


    (佩羽矢さんが目立っていた? それに、阿多に大和の窺見が放たれていた? だったら、もしかして、佩羽矢さんがとうさまの舘に出かけたことも、もう――)


     平然とした顔を保ちながら、高比古はどこまで知られているのかを探ろうとしていた。


    「阿多に忍ばせた窺見が都を離れたのは、出雲の船が着いた晩に、宴の騒ぎに紛れたという話だが――。おぬしの姿をあちこちで見かけたと、そう申しておった。聞いたぞ。ずいぶん道楽をしていたそうじゃないか。火照王に取り入りもせず、王宮にもかよわず、朝から晩まで怠けていたと――」


     小勢の長は苦々しげに睨んだが、高比古はほっとしたふうに芝居に力を込めた。佩羽矢が高比古たちと共に出歩くようになったのは、出雲軍が着いた日の翌日からだ。いくら長の目が厳しくなろうが、最悪の事態に比べれば、それは彼にとって些細なことだ。VigRx


    「いえ、ちがいますよ。ただのんびりしていたわけではありません」


    「ていのいい嘘を申すな」


    「おれが働いたのは、夜になってからです。阿多にはおれと齢が近い若王がいます。夜ごとに王宮に誘われて、彼と飲み明かしました。すっかり打ち解けて、阿多王とも顔つなぎを――」


    「……まことか?」


    「まことです。とくに、いまはおっしゃるとおり出雲軍が阿多に来ていますので、火照王とその若王も、出雲の手前、そうだとはいいづらいようで――」


    「……信じられんな。おぬしがか?」


    「異国の者同士ということは、若者と若者には大した隔たりではないのです。では、証に、どうぞなにかをお申し付けください」


    「……おぬしに?」


    「ええ。若王も火照王も、おれの味方です。なにか大事なお役目があれば、なんなりといってください。このおれが仲だちとなって、必ずやお二人を説き伏せてみせましょう」


     手首から聞こえる高比古の声は、自信に満ちていて快活だった。


     よくもまあ次から次へと都合のいい嘘を……と、もはや尊敬まじりに聞いている狭霧にも、本当に彼が、どんな頼みも引き受けてくれそうな頼もしい存在に感じてくる。


     威張り散らすような小勢の長や、大勢の武人を前にしながらひょうひょうといい分を通して、腰低く頭を下げる高比古は、たしかに凄腕の御使いに見えていた。


     彼の様子に、小勢の長はなにかを迷うふうだった。


    「う、む……いや! おぬしには、とっておきの役目がある」


    「なんなりと。必ずやご期待にこたえてみせましょう」


     高比古がねだったのは次の役目だった。


     火悉海が気にする「乱」に繋がるような――。


     でも、小勢の長が求めたのは、高比古が求めたものとはすこし違っていた。


     小勢の長は目を細めると、ゆっくりと右手を上にあげて、背後の船へ合図を送った。


    「なら、おぬしに頼もう。まずは船へ乗ってもらう」


    「船……ですか」


     手首に結わえられた染め紐から聴こえる高比古の声が、その裏でぴんと張った。


     そう感じるや否や、狭霧も冷や汗を感じた。


     船へ乗せられたら、なにかが起きても高比古を助けることはできない。


     それに――いったいなぜ、わざわざ船へ乗せようなどと小勢の長はいったのか。


     高比古の声は渋った。


    「話なら、ここですればいかがでしょう。幸い、この浜には我らしかおらず――」


    「いいや、どうしてもおぬしを連れていきたい場所があるのだ。さあ、早く乗れ」


     狭霧の隣で膝をつく火悉海の目が、険しくなった。身を隠す壁となった草が揺れないように気を配りながら、彼は瞳だけで周囲を窺う。


    「まずいぞ。妙だ――」


     彼の視線の先には、暗い浜が。たった一人で砂浜に立つ高比古と、総勢三十人からなる武人の小勢がある。


     彼らの思惑は? その意図は――? 背中はぴくりとも揺れないが、内心では懸命に様子を窺っているだろう高比古に対して、小勢の気配は妙なふうに変わった。品のない薄笑いを浮かべた小勢の長の男と同じように、彼の背後に控える武人たちも一斉に肩をそびやかして、高比古を罠にかかった獲物のように見た。そこに生まれた薄気味の悪い気配は、殺意と呼ぶにふさわしかった。


     ぞくりと、狭霧の胸が震えた。


    「火悉海様……」


    「ああ、よくわからないが――。とにかく奴らは、佩羽矢と話をしにきたんじゃない。……乱の始まりをつくりに来たんだ――」


     火悉海はじわりといい、すこし離れた場所に立つ高比古の背中をじっと見つめる。


     歯切れが悪くなった高比古に、小勢の長の声音は脅すように変わった。


    「とっとと来い。おぬしが来なければ、なにも始まらんのだ。早く……」


     彼らの異様な気配には間違いなく気づいているはずなのに、高比古の後姿はまだ静かだった。


     きっと、この場をどう脱しようかとあれこれ考えているのだ。


     彼は策士で、出雲一の霊威をもつ事代だ。事代の技というものを駆使して窮地を脱することも、腰に佩いた剣で相手を払って逃げることも、彼にはできるはずだ。


     ある時、狭霧ははっとして火悉海の衣を引いた。


    「高比古が、合図してる――」


    「なに?」


     その時、高比古は「いやあ、その……船ですか。どうしてもですか?」などと、適当な言葉を繋げながら肘を曲げて頭の後ろを掻いたり、片脚を浮かせてつま先を砂につけたり、小さな身動きを繰り返していた。


     狭霧が見つけたのは、踵(かかと)の動きだった。足のつま先で砂を掻くような仕草をしていたが、小さく前後に動いて、見ようによっては「こっちへ来い」と合図を送っているように見える。


     その後、高比古は腰に手をあてるような仕草をした。背の後ろに回した時、指は三本立っていた。それは、急襲の合図を示していた。この指が一本になった時に出て来い、と――。


    「……そうだな、そうだよな、わかった」


     狭霧が読み解いた高比古の合図を、火悉海も解した。


     彼の指の動きを見つめて、火悉海は小さくうなずいた。


    「たぶん、脅かせという意味だ。混乱に乗じて、後ろに下がる気だ。その後、応戦する気なのかもしれないが――。とにかくいまは、あいつが……出雲の策士が、佩羽矢のふりをしたってのがばれるのが一番まずい。一番明るみになっていいのは、俺が……阿多の跡取りが、実は背後に隠れて様子を窺ってたってことだ。さっきあいつは、佩羽矢と俺が酒飲み友達だっていってるし」


     火悉海はわずかに腕を上げて、背後にいる彼の部下へ合図を送る。


     草という帳(とばり)の影にいて大和勢からは見えないとあって、さっき高比古がしたよりはあからさまな合図だった。「奴らを襲え」と示した手のひらは、やがて親指と小指を折って、三本だけになる。高比古の合図を、彼も背後へ伝える気だ。


    「狭霧と鹿夜はここで、俺たちが出るのを待て。全員出たら、後ろに下がれ。鹿夜、狭霧を守れ」


    「わかった――」


     火悉海と鹿夜のあいだで言葉が交わされた直後、高比古の指がわずかに動いた。そして、一本ずつ指が減っていく。


     三、二……一。最後まで残った人差し指がわずかに振られて、それは背後の火悉海たちへ「いまだ」と示した。


     その瞬間、火悉海が立ちあがった。


    「全員、出ろ。そいつを守れ!」


     目を丸くしたのは、大和の小勢だ。


    「何事だ!」


     浜の奥の船の隙間から、武装した阿多の若者たちがいっせいに飛び出した。五便宝


     同じ時に、高比古は一歩退いて、人差し指を口もとに当てていた。きっと、事代の技を使うのだ。


     妙なことになりかけたけれど、これで高比古は助かる、よかった――と安堵していると、腕を引かれた。鹿夜だった。


    「狭霧、後ろへ下がるよ!」


    「はい!」


     狭霧の隣を怒涛のごとくすり抜けていく阿多の武人は、彼ら特有の大きな盾を前にして、大きな跳躍で夜のひんやりとした砂を跳ねあげていく。


     でも――。火悉海が、突然大声で叫んだ。彼はその時、背後から駆けてくる部下が彼の武具を届けにくるのを待っていた。


    「高比古、下がれ! 逃げろ!」


     血が吹き上がるような、鬼気迫る声だった。


     火悉海はそれまで、佩羽矢のふりをしているのが出雲の高比古だとは明らかにしないように努めていた。それなのに――。


     火悉海の声に脅えて、狭霧は高比古のほうを振り返った。でも――。


    「……!」


     声が出なかった。


     高比古がさっきまで立っていた場所に、彼の姿はなかった。いや、彼はぐらりと揺れて、砂地へその身を沈みこませていた。


    「高比古!」


     思わず狭霧も、その名を叫んだ。


     大和の小勢の長の男は、首を傾げた。


    「高比古……?」


     しかし、それは狭霧の目に入らない。咄嗟に駆け出した狭霧を止める、火悉海の声が響いた。


    「来るな、狭霧! 吹き矢だ。盾を前にして、高比古を守れ。賊は向こうの岩場だ!」


    「吹き矢……?」


     耳慣れない言葉だが、それが武具の名であることは狭霧も知っている。


     火悉海のひっ迫した怒声が静かな夜の浜に響く頃、すでに護衛たちは火悉海より前まで駆けていて、倒れた高比古を庇う壁をつくるように大盾を縦に置いて並べている。


     来るなといわれようが、狭霧に立ち止まることなどできなかった。


    「高比古……!」


     ぐったりとなった高比古のそばにたどり着いてすぐに、そばに火悉海がしゃがんだ。彼は高比古の胸元を覗きこんでいたが、ある時怒鳴った。


    「絶対にさわるな、狭霧! 毒針だ!」


     肩布を自分の身からはぎ取ると、それで指を覆ってから、火悉海は高比古の胸に刺さった細長い棘のようなものを慎重に抜き去る。


     それから、鼻を近づけてひと嗅ぎすると、舌打ちをした。


    「この針は、熊襲(くまそ)の……? まずい、亥殺しの紫毒だ。駄目だ、動かすな。回りが早くなる。……鹿夜、いますぐ山宮に駆けろ! 呪女を全員、叩き起こして連れてこい!」


    「亥殺しの紫毒? それってなんですか。毒? 高比古は毒を受けたんですか!」


     火悉海は、引きちぎるようにして高比古の上衣をはだけさせると胸元をあらわにする。それから、ほんの小さな傷を見つけると唇を近づけて毒を吸い出した。


     周りの肌が青くなるほど吸って、ぺっと外へ吸い出しても、高比古の様子は変わらない。肌は、夜闇の底に現れた二つ目の月のように異様に白くなり、顔は苦しげに歪んだ。


     火悉海は、獣が咆哮するような唸り声をあげた。


    「紫毒は、大亥だろうが一矢でたちどころに殺せる熊襲の猛毒だ。……どうすんだ、こんなものを食らったら、時を遅めるしか、こいつを救う手立てはねえぞ!」


     火悉海は、遠くの闇を睨みつけていた。


     浜には、なにごとかと居竦まる大和の一団がいる。彼らは、高比古を囲むように現れた阿多の武人たちと、そこですっくと立つ火悉海をじろじろと見比べた。


    「その者は佩羽矢ではないのか――? それに、あなたは、もしや阿多の……」


     でも、火悉海が睨んだのは、おののいた小勢の長の男ではなく、そのさらに背後。


     そこには、浜の果ての岩場がある。木々に囲まれた岩場で、夜ともなれば、そこにあるのは闇のみ。でも、夜目が効くのか、彼が見つけた人々の身なりに見覚えがあるのか、火悉海は迷うことなく怒声を発した。


    「熊襲の針なんか使って、山の民の仕業に見せかける気だったのか? きたねえ真似しやがって――。高比古が阿多で死んだら、出雲に襲われるのはうちだ。冗談じゃねえよ。手を下した奴を全員しとめて、大国主のもとへつき出せ!」


    「高比古が死んだら――?」


     狭霧が力なく反芻したその時には、火悉海は従者たちを導いて駆け出し、狭霧と高比古のもとから遠ざかっていた。三便宝カプセル


     

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    2012年11月06日

    ラヴィニア

    ジーンの出て行った部屋で一人。

    ラヴィニアは、変わらず少女の映っている画面を眺めながら、溜め息混じりに呟いた。

    「アルピニスの統主ともあろうお方が……わざわざご自分の目で確認に出向かれるとは……」三鞭粒

    ガイアに指示を出すなり、一言下の者に命じるなりすれば、すぐにこの場に連れて来られるというのに。それを知らない人間でないのに。ジーンは手間を厭わず自らの足で人買いの場へと向かった。

    その、動揺を隠せないでいる姿に、ジーンは永遠にフェリシアを忘れる事は出来ないのだと、ラヴィニアは改めて思い知らされた。


    死者を永遠に愛する一族の大事な統主は、幸せになれるのだろうか。

    支配に齟齬を来たさないよう、その身を案じるばかりである。


    ラヴィニアとジーン、そして、もう一人の一族の中心たる当主カヤル・グレイスは、親戚でもあり幼馴染みでもあった。

    ジーンが統主として、一族全体を統べ、レイズの頂点に立つ者ではあるのだが、物心付いた頃より親交があり気心の知れている三人に、上下関係の煩わしさはなかった。

    ジーン本人が、それをラヴィニアとカヤルに強要する事を嫌っているのだ。

    長老会からは、統主として毅然とした態度を示し、ラヴィニア達にも礼を取らせるべきだと折に触れて言われているのだが、すべて無視している。

    そんな、言いたい事を好きなだけ言わせてくれる、統主となっても変わらず、自分達を手駒ではなく親友として扱ってくれるジーンを、ラヴィニアはとても大切に思っている。

    だが、何でも好きなことを言わせて貰える立場にあっても、突っ込んだ会話の出来ない事柄はある。

    それが、五年前に亡くなっている 『フェリシア』 に関する事だった。

    ジーンの癒えない心の傷である。

    話せば話すだけジーンの心を抉ると分かっている事を、ラヴィニアは出来るだけ口にしないよう努め、カヤルも同じく口にしない。

    ジーン自身も、余程の事が無い限り、自分から誰かにフェリシアの事を話そうとはしなかった。

    その、フェリシアとよく似た少女をジーンは見つけた。


    二ヶ月に一度、レイズ各地よりレギアに人間が集まり 『人間の売り買い』 が行われる。

    他大陸からは売られて来ない。


    この世界の人間は、己が生まれた大陸を離れ、他の大陸では長くは生きられないのだ。

    それが何故(なにゆえ)か、人間に知る事は出来ない。

    それぞれの大陸を創造した神の意思としか、言える理由はなかった。

    従い、観光、商談、遊興などで短期間の滞在はあっても、永住する事はないのである。

    他大陸からの移住はない。それもあるから、ロスマンテ大陸の人口は増えないのだ。

    そして、人口が少なくとも他大陸に侵略される事もない。移住できない上に、神に見捨てられた荒れた大陸を欲しがる者など誰も居なかった。


    ジーンが見つけたフェリシアに良く似た少女は、レギアに 『自主的に身を売りに来た』 人間だった。

    この 『人間の売り買い』 は、昼の部と夜の部に分けられている。

    昼夜で売買の質がガラリと変わるのだが、どちらにしても誰よりも先に、すべての身売りに来た人間の情報に目を通す事が出来るのが、ラヴィニアたち三人だった。

    ラヴィニアたちが望む、コンピュータを扱える有能な技術者となれる人間は、昼の部に集まってくるのが常である。

    その為、ラヴィニア達は夜の部の方には目を通しても、余程の事がない限りそちらでは買いはしない。

    逆に、昼の部の方では、誰よりも先に目を通せる特権を行使し、有能な人材を他に譲らず買い取っていた。

    人間は大切である。

    支配者と言えど、金も払わず無理矢理手元に置いて使う、という事はしないのだ。

    「……この辺りは、あなたのメンテナンス要員となりそうですわね。わたくし達の方に回すよう手配を」

    『はい。マスターラヴィニア』

    人買い商人に見せるな、との指示にガイアが笑顔で頷く。

    ラヴィニアは一人で情報を見続けた。男根増長素

    個人的に興味を引かれる人材は無くても (そうした人間が稀に見つかると、ラヴィニア達も愛玩物として買い上げる) 一族の役に立ちそうな人材は、毎回少数ながらも存在する。

    昼の部の身売りは、身体を売る者ももちろん居るが、頭脳労働力者が大半である。その中には、一族のそこそこ重要な仕事を任せられるような、優秀な人材も居たりする。

    それを、こうして誰よりも先にリストをチェックし、洗い出しては、ラヴィニア達は手元に引き寄せるのだ。

    人間が少ない為、どの仕事においても人材は貴重である。

    レイズでは、この場で労働力となる人間を手に入れる事を、人買いの商人達に依頼する者は多い。

    それで生計を立てている人買い商人にとっては、ラヴィニア達の行いは、抜け駆け行為でしかない。

    不満の声は多々耳にするが、こちらは支配者である。

    優先されて当然だろうと無視し、命を惜しむ商人は、面と向かって批難の声を上げたりなどはしなかった。

    「……さて……これで、人買いは終わりましたわね。日常業務に戻りますわ……」

    人さえ選んでしまえば、後はガイアが手元に引き寄せる為の段取りは整えてくれる。特に、ラヴィニアの手を煩わせるような事はない。

    「ジーンのお心が、今日のお買い物で、少しでも楽になればよろしいのですけど……」

    たとえ、その少女が頭脳を買って貰いたいと、この場に訪れていようとどうでも良い。どんなに惜しい優秀な人材だとしても、ジーンの 『遊び相手』 とするので構わなかった。

    『楽? マスタージーンは、どこかお悪いのですか?』

    ラヴィニアの呟きに、ガイアは心持ち眉を下げ、心配そうな顔を作った。

    優秀な人工知能は、少しではあるが、人間のように表情を変えたりもするのだ。

    これもジーンが、少しでもフェリシアらしくと、色々とプログラムをいじった結果だった。

    「心が病気なのですわ。……普通の病のように、医師の手で治せない分、厄介な病ですわ」

    愛する人が己の手を弾き、そして目の前で死んだ。

    その絶望が癒される術など、ラヴィニアには思いつきもしない。

    『このレイズの支配者であるのに、心が病んでいるのですか。何が不満なのでしょう?』

    ガイアに大真面目な顔で問い返されて、ラヴィニアは苦笑した。

    「支配者であるからと言って、幸せとは限りませんわ。わたくしのように権力が好きな女ならともかく、ジーンの本質は、愛する人と二人きりでひっそりと暮らすことを望む、至って平凡な男ですから」

    一族最強の 『術師』 であり、頭も良い。

    いつでも冷静沈着であり、指示も的確だ。統主として彼以上の存在は居ないと断言できる。

    前代統主である彼の父親が、母の血筋を責められようとも、長老会の人間達を何人ジーンが死なせようとも不満の声を無視し、一貫して彼を統主とすると言い続けたのも頷ける。

    しかし、ジーン自身は、一族もレイズも愛していない事をラヴィニアは知っていた。

    『私には分かりません。支配者であるのに不幸とは、マスタージーンは贅沢が過ぎるのではないでしょうか?』

    「贅沢……ふふふ……あなたに、支配者である事以上の幸せなど、考えられませんものね」

    人工知能に情緒は無い。最高権力を握る事こそが幸せと単純に考える。

    だから、それを持つジーンが幸せではないとラヴィニアが言っても理解しない。

    逆に、欲が過ぎる贅沢と言う事になるらしい。


    統主の地位など要らない。

    愛する人(フェリシア)と共に、一族(ここ)から逃がしてくれ。


    己のすべてでそれを願ったジーンの思いなど、きっとどれだけ説いても人工知能(ガイア)が理解する事はないだろう。

    『はい』

    迷い無く頷いたガイアに、ラヴィニアはにっこりと笑った。

    「そうですね。あなたは、それで良いのです。ジーンは欲深で贅沢な男。それでよろしいですわ。支配者ですもの、多少の贅沢は許しましょう」

    『はい。支配者は贅沢をする者。それは理解出来ます』

    ガイアの何の感情にも捕らわれない画一的な考えに、ラヴィニアは救われるような気がした。

    表情に少し喜怒哀楽らしき物が出せるとは言え、ガイアに人間特有の細やかな感情はない。

    ガイアはアルピニスの一族を守り、一族がレイズを円滑に支配する為の道具だ。

    そんなガイアが、人間のように感情に支配されて動き始めれば、レイズは滅茶苦茶になる。機械に感情など必要ないのだ。

    自分達人間が、ガイアのように感情を持たず、何でもこんな風に簡単に答えを弾き出す事が出来れば、何にも悩まされず、楽に生きて行けるだろうにとラヴィニアは思う。

    だが、それは人間には不可能な事だ。巨人倍増枸杞カプセル

    人間から感情は奪えない。

    そして、人間は感情があるから他人を愛し、その行動如何によっては心に傷を負う事がある。

    傷を負うのを分かっていて、誰かを愛するわけではない。

    だが、他者を愛するとは、常に幸福だけを約束してくれる物ではないのだ。

    「……でも、どんなに傷付こうとも、人間に感情は捨てられない……」

    キーボードの脇を、爪の先まで手入れの行き届いた人差し指で、軽く叩く。

    とんとんと、軽い音を立てながらラヴィニアは思う。


    死者は帰っては来ない。


    たとえジーンが、歴代最高との呼び名の高い術師であっても、死者を蘇らせる事だけは出来ないのだ。


    心に深い傷を負って苦しむジーンの許に、フェリシアが帰って来る事だけは絶対にない。


    それが、愛という感情によって恋人と結ばれた果ての、ジーンの悲惨な結末だった。


    そして、ジーンはその悲惨な結末の幕を開けた人間達を、今もなお許してはいない。

    今は大人しく、統主としての勤めを果たしてくれているが、許していないのは間違いない。

    ラヴィニアはその事が、最近しきりと気に掛かるようになっていた。

    今年は、ジーンの憎む長老会の面々が最も欲する 『神の実』 の採集期である。

    奇跡の万能薬。

    神の実は、今のアルピニスの一族ではジーンにしか採集することが出来ない。

    それを使ってジーンは、己の最も大事なフェリシアを奪った長老会に、何かするつもりなのかもしれない。

    長老会になど何をしても構わないが、問題はその後だ。

    不安が胸を過って仕方がない。

    レイズ崩壊の危機を招く事だけは、しないで欲しいと切に思う。


    『エディナ国。エラノール家より通信入電』


    「!」

    ガイアの告げる意外な名を聞いて、ラヴィニアはすっかり画面を見るよりも、己が思考の内に入り込んでいた事に気が付いた。

    はっとして、顔を上げる。

    「エディナ……エラノール家……」

    通信内容開示を命じて、画面に目を向けた。

    エディナの支配者(統主)が、こちらに向けて通信を入れてくる事など滅多にない。

    嵐の予感に頭が冴える。感傷に浸る時間は終った。壮根精華素 

     

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    2012年11月12日

    亜空、平常運転

    「さて、若は行かれたぞ。澪、いつまでそうしておる?」


    真が霧に包まれて消えた後、主人不在の部屋に巴の声が響く。


    だが言葉を向けられた黒髪の女、澪は親指の爪を噛みながらぶつぶつと小声で呟くばかり。巴も返ってこない返事を諦めたか、入り口に立つ己の分体であるコモエに向き直る。三便宝カプセル


    「コモエ、もうこの部屋の番は良い。儂も後で行くから森鬼どもと遊んでこい」


    「あ、はい! わかりました、ともえさま」


    「教えたことは覚えているな?」


    「もちろんです! きったらなおす、です」


    「よろしい。では頼んだぞ。……どうした?」


    「ともえさま、ききたいことがあります」


    「言うてみよ」


    「しゅどうってなんのことですか」


    「……いずれ教えてやろう。今はまだ早い。ほら、森鬼どもを遊ばせておくでない」


    「は、はい、わかりました! いってきます!」


    大きく頷いて外へ出て行くコモエを、巴が見送る。開かれたドアで状況の変化に気付いたのか、ドワーフとオーク、それにリザード、アルケーに話に出た森鬼までが室内の様子を覗きに来た。真の安否を気にする住人の様子を苦笑しながらも巴は嬉しく思う。森鬼まで様子を見に来た事には彼女も驚いた。全員訓練場で直立不動で待っていると思っていたからだ。ギリギリまで追い詰めていると思っていたが、まだ余裕があるのだと、巴は彼らへの訓練メニューを一部修正することにした。


    「あの、真様のお加減は……」


    オークの一人が遠慮がちながら口を開く。オークの長の娘、今やこの亜空で雑務から行政まで切り盛りするエマ嬢である。聡明で、元々折衝能力が高かったのか、彼女は他種族とも壁を感じさせること無く上手に立ち回っている有能な女性だ。何より真への忠誠が高い。巴も澪も、エマには一目置いている。


    「ああ、エマか。若なら先ほどお目覚めになられた。皆にも無事を伝えて欲しい」


    「ですがお姿が見えないようで」


    「識のいる学園に向かってもらった。詳しく診てもらった方が良いからな。何せここには人の治療に明るい者が誰もおらん。元はヒューマンの識が一番適任じゃろう」


    「……そう、ですね。わかりました。夜はこちらへはお戻りに?」


    「そうだな、今夜かはわからぬが、近くお戻り頂いて無事なお姿を皆の前に出してもらうとしよう。そこのドワーフなど、若を案じているのか装備の具合が気になっているのか怪しいものじゃがな」


    巴が顔を覗かせていた数名のエルダードワーフをみて目を細める。


    「し、心外ですな! 我らとて若の身を一番に心配しております!」


    「そうかそうか、それは悪かった。とにかく、今は若が無事じゃと各々の村に伝えよ。リザードもアルケーも、良いな?」巨人倍増枸杞カプセル


    巴の言葉に皆頷く。そして彼女の言葉通り、行動を開始して入り口から姿を消す。


    「やれやれ、困った者らだ。しかし若がそれだけ愛されているとわかって嬉しくもある」


    「若様!? 若様がいない!?」


    「……澪。やっとお目覚めか」


    「巴さん、若様は!?」


    早速取り乱す澪に巴が苦笑する。トリップから帰ってきたかと思えばこれである。主人である真の苦労を一部ながら巴も理解する。


    「学園都市に行かれたよ。……お前がぶつぶつ言っている間にな」


    「な、なんですって!?」


    勢いよく腰掛けていたベッドから立ち上がる澪。だが直後に貧血にでもなったのかふらついて額に手を当てる。


    「あ、っつう」


    「馬鹿者、あれだけの再生をした後でそうそう体力も魔力も戻りはせん。大人しく養生しておれ」


    呆れたような巴の声。だが彼女も良くみればあまり顔色が良くない。そして澪がそうしていたようにベッドの縁に腰掛けた姿勢のままでいた。


    「うう、情け無い。すぐにでも、その竜殺しとかと上位竜を殺しに行きたいのに……」


    「儂らは回復が専門では無いのだ、畑違いで無茶をすればこうもなろうよ」


    「だから識を呼べば良かったんです。アレは回復なら役に立つのですから」


    「そう言うな。大体、コモエから報告を受けた儂が急いで戻った時には、もう一人で無茶苦茶な再生術をかけておった癖に」


    「そ、それは」


    「途中で儂が傷を蝕む呪を排除してお前の術をフォローしてやったから何とか元通りになったとは言え、澪一人では若の傷を癒すのに何を代償にしておったか、わかったものではないわ」


    巴の嘆息。彼女が駆けつけた時の澪は明らかに取り乱していて、血走った目は何を代償にしても厭わない目的達成への狂気さえ感じた。


    「……何を代償にしていても構いませんでしたもの」


    反省はしながらも、後悔はしていない。澪の表情はそう語っていた。


    「困った奴じゃな。それで腕の一本も無くして良いとでも?」


    冗談めいた口調で澪を嗜める巴に、しかし澪はきょとんとした顔で問いかけた彼女を見つめ返した。


    「勿論です。それで治せるのでしたら」


    「……」


    「例えそれで達磨になっても本望ですよ? だって私は全部若様の物なんですから」


    平然と四肢を捥がれる結果でも本望だと言い放つ澪に、巴は大きく溜息をつく。


    「……お前は本当に馬鹿じゃなあ」RU486


    「な、なにがです!? それに巴さんさっきから馬鹿馬鹿言い過ぎじゃありません!?」


    「言い足りないぐらいよ。お前はそれでも満足かもしれんが、そんなお前の所業と姿を見たら、若は泣くぞ?」


    「え?」


    「考えてもみよ、儂らは若と支配の関係下にある。本来なら命令には絶対に服従だし、行動や意思さえ若の思うままじゃ。なのに若はこれだけの自由を与えて儂らを好きにさせて下さる。盟約と何ら変わらない厚遇じゃ。あの方には儂らを支配している意識など恐らく無い。仲間とか、家族。そんな風に思っておられる」


    「仲間、家族……」


    「そう。それだけ大事に思ってもらっているのだ。だから、若の為に全てを投げ打つ気構えは当然あって然るべきじゃが、その上で儂らは若に出来る限りにおいて無傷で御仕えせねばならんよ。あの方と共に在ろうとする以上、己の身も十分に案じよ」


    「……」


    「おい、聞いているのか澪。儂、今結構大事な事を言っているんじゃぞ?」


    「自分だって、自分だってどこぞの格上の竜に喧嘩を売りに行った癖に……」


    ぼそりと、俯いた澪が巴を見上げながら呟く。


    「ううっ!?」


    「ルト、でしたっけ? それに喧嘩売りに行ったじゃないですか。私に留守番押し付けて。あれは若様を心配させる事じゃないんですか? 私、若様に報告しちゃっても良いんですか?」


    「そ、それはっ」


    「ふん、相手がたまたま留守で会えなかったからって、やろうとした事は同じなんです。私しっかり報告しますから」


    「ま、待て。儂も言い過ぎた。若が心配で気持ちが先走るのは、うむ、あっても不思議は無い。じゃから、な? 密告など、粋では無いぞ?」


    「知りません。私馬鹿ですから。巴さんなんて、しばらく時代劇を封印されてしまえば良いんですわ」


    「お、おおお……お前何と言う恐ろしい事を。そうじゃ、儂は近々若が戦闘をされた場所に行く。でな、その時に竜殺しとか御剣の情報があれば澪に一番に知らせよう。その後は若に内緒で、ちょこっと暴れてみても良いんじゃないかと思ったりも」


    「……それで?」


    「それで!?」


    「……」


    「うむ、うむわかった! さらに澪の趣味の映像を編集するのに協力する。これでどうじゃ?」


    「……本当に?」


    「武士に二言は無い!」


    「なら、馬鹿呼ばわりは許しますわ。なら若様の戦った場所、早く調べて下さいませ」


    「あ、あいわかった」


    (まあ、あの小僧にもきっちり礼はせねばと思っていた所。澪に付き合ってちょいと暴れるもまた一興か)


    巴と澪の密談は、珍しく澪の逆襲が炸裂した形で終了する。真に頼まれた事を進める間に、良からぬ一件も並行することを二人の従者はお互いの秘密として。中絶薬


    ようやく体を動かせるようになった二人が外に出たのは日が高く上ってからであった。亜空は何とか平常運転である。

    posted by NoName at 16:38| Comment(0)TrackBack(0)未設定

    2012年11月19日

    魂の盟友へ

    「お疲れ様です。見事なファイトでした、クロノ様」

    退場して選手用通路に入ったところで俺を待っていたのは、やけに顔色の悪い燕尾服姿の青年だった。

    モルドレッドの執事を名乗るその男は、突然の登場に困惑気味な俺がなにかしら疑問の声をあげる前に、矢継ぎ早に要件を口にする。頂点3000

    「こちらはファイトマネーの、総額一千三百万クランとなります。どうぞ、お納め下さい。それとこちらは――」

    そこから次々と、執事の『影』から見覚えのある武器が出るわ出るわ。見覚えあるっていうか、全部、俺がついさきほど相手にした呪いの武器たちである。

    八本の無銘(ネームレス)に加え、しっかり漆黒の薙刀まで。極めつけは、ポーションの瓶詰めになっている、紫の瞳が妖しくも美しい二つの眼球。サイードの魔眼だ。

    これらの武器を一体いつ回収したのか、魔眼はどうやって採取した、っていうかポーションに漬けとけば大丈夫なのかよ。もう、色々と気になるところ満載である。

    だが、突っ込む間もなく、報酬を勝手に俺の影へ仕舞いこんだ執事――いや待て、『影空間(シャドウゲート)』を他人が開けるのかよっ!?

    「失礼、お手が塞がっているようでしたので」

    いや、確かに俺は未だにネルを抱きかかえたままではあるが、そんな驚愕の気遣いは必要なかったです。

    しかし、これが空間魔法(ディメンション)への干渉ってやつか。なんとなく聞いた覚えがあるのだが、いざ目の前でやられると驚きだ。

    まぁ、文句を言っても今更だし、とりあえず、影の中で黒化を施しておく。特にサイード、お前のは厳重に、丁寧に、右腕の恨みを篭めて。

    「それでは、医務室へご案内いたします。人払いは済ませてあるので、どうぞ、ごゆっくり、お二人の時間を心行くまでお過ごし下さい」

    「はぁ、それはどうも」

    しかし、たかだか医務室への案内ごときに、ホテルのスイートルームへ、みたいな口上だ。ちょっとネルを休ませて、あとは右腕に異常がないか再確認さえすれば、こんなところとはさっさとおさらばだ。

    と、この時は思っていました……

    「クロノくん」

    すぐ耳元でネルの優しい声が響いて、またしてもドキリとさせられる。

    白く清潔なベッドの上で、俺とネルが身を寄せ合っている――なんていえば、酷く誤解を招きそうなシチュエーションではあるが、断じていかがわしい状況などではない。

    「まだ治療中ですから、動いちゃダメ、ですよ?」

    そう、今は案内された医務室にて、ネルに治癒魔法(キュアー)を使ってもらって、復活した右腕を癒してもらっている。

    だが、アリーナからこのベッドまで成人女性一人プラス両翼の重量をもつネルをお姫様抱っこで運んできたのだから、特に問題はないはず。あくまで念には念を、という程度のものだ。

    「あ、ああ……」

    だが、こんなにドキドキしているのは他でもない、ネルがしっかりと俺の右腕を抱え込んでいるからだ。

    忘れてはいけない、今の右腕は『悪魔の抱擁(ディアボロス・エンブレス)』が破れていて素手が剥き出しのまま。

    おまけに、治療の邪魔になったらまずいということで『黒髪呪縛「棺」』も外してある。

    外す際には「ご主人様ぁ~騙されちゃいけませぇーん!」という謎の絶叫をして凄まじい抵抗を示し、えらく苦労したが。

    ともかく、俺の右腕は指の先まで完全に素手となってしまっている。

    感覚を遮るものが何もない状態で、ネルの冒険者稼業をしているとは思えない柔らかく真っ白い手のひらが腕を撫で回し、そして、厚い生地越しとはいえ、確かな重量感と暖かさを感じる胸の感触が押し付けられる。

    おまけに、ネルは頭を俺の肩に預けるような体勢。彼女の声がすぐ耳元から聞こえてくるのは、そのせいだ。

    「なぁ、ネル、その、もう少し離れた方が……」

    「ダメですよ、まだ治療中、なんですから」

    そう言われてしまえば、俺には黙ることしかできない。

    当たり前だが、どうしようもなく気恥かしくて、すぐ傍にあるネルの顔を直視できない。

    適当に視線を逸らして、意味もなくこの室内の観察に集中してしまう。そうでもしないと、別の柔らかい感覚に集中しそうで……ええい、落ち着け俺。

    そもそも、ここに俺とネルの二人しかいないのがまずいんじゃないのか?

    この医務室は、世間一般におけるイメージ通りとはいかず、無骨な石造り向き出しのままではあるが、腰掛けているベッドをはじめ、棚に収められている薬品やポーション類などの充実ぶりを見れば、十分な備えをしてあることが窺える。

    はい、観察終了。再び、密着するネルの存在が気になって仕方がない沈黙の時が流れる。

    ここ最近は毎日顔を合わせ、楽しく談笑した仲なのだが、今この時においては全く話題が思い浮かばない。治療のお礼、というのも違うだろう、それはついさっき散々言ったばかりだし。

    俺はどうすればいいんだろうか、このまま黙っていても良いのだろうか、それとも無理やりにでも何か話すべきか。ru486

    例えば、うーん、ついさっき進呈された呪いの武器の話とか?

    いや、ダメだ、「この魔眼ってどうやって使えばいいのかなぁ」とか気軽に言える雰囲気ではない。

    『紫晶眼(アメジストゲイズ)』とかいうらしい名前の魔眼は、とりあえず黒化のお陰で大人しくなっている。

    だが、黒化を解除すれば再び呪いの大発光を起こすだろうと思えてならない。そんな、不気味な感覚がする。

    これは下手に自分で使うよりも、売り払ってしまった方がいいかもしれないな。有名らしいし、一個百万クランはかたいだろう。

    そんな事を考えているだけで、やはり無言のまま時は過ぎ去っていく。感じるのは右腕から伝わるネルの体温と、その小さな息遣いだけ。

    「……クロノくん」

    白い光をぼんやりと発する治癒魔法が不意に止むと同時に、呼びかけられた。

    「なんだ?」

    流石に話しかけられればそっぽを向き続けるわけにもいかない。

    視線を右下方に向けると、そこにはまたしても熱っぽい潤んだ瞳で俺を見つめるネルがいた。

    その両目は加護の効果が切れた今となっては、元のスカイブルーに戻っている。

    この近距離で見つめると、澄み渡った青さに吸い込まれそうな錯覚を覚える、まるで魅了の魔眼だ。

    「あの、私――」

    彼女が何かを言いかけたその時、やけに強いノックの音が室内に響き渡った。

    「わひゃぁあああっ!?」

    「うおっ!」

    突然のノックに驚きはしたが、もっとビビッたのは過剰なリアクションをするネルの方である。

    一体誰だよ、というか、人払いしたんじゃなかったのかよ?

    「開いてるので、どうぞ」

    とりあえず追い返す理由はない、もしかしたらさっきの執事が「やっぱさっさと帰れ」と文句を言いにきたのかもしれないし。

    「失礼いたします」

    そう言って入室してきたのは、黒い衣装の女性であった。

    ついさっきまで戦ったサイードのデカい体が纏っていたような全身スーツタイプで、魅惑的な女性らしい体のラインがハッキリと浮き出ている。

    もっとも、手足や腰元に装着されたパーツも異なっているので、サイードの装備とは全く違った印象を覚えるが。

    「あの、どなた、ですか?」

    警戒感を滲ませて誰何を問うネルは、俺の右腕を抱く力が強くなる。

    それ以上はヤバいって、いくら巨乳に興味がないといっても、直接的に感じてしまったら意識せざるを得なくなるワケで――いや、それよりも、問題なのはこの女性である。

    その装備から見て、盗賊か暗殺者のクラスだろう。

    だが、ついさっきまでアリーナで戦ってきたかのように、その衣装はボロボロで、左手の手甲などは完全に砕けてしまっている。

    まさか俺の後に試合をした人だろうかと思うが、よくよくその女性の顔を見ると、どこかで見覚えがあった。

    鮮やかな緑の髪を後頭部で一まとめにした髪型に、涼やかな水色の瞳をもつ、如何にも綺麗なお姉さんといった風な容貌は、うん、やっぱり見たことあるぞ、この人。

    「あれ、もしかしてセリアか?」

    「はい、お久しぶりです、クロノ様」

    と、恭しく一礼する姿は、いつもウィルハルトの背後に影のように控えている護衛メイドと完全に一致した。

    「そして、このような格好で御前に立つ非礼をお許し下さい、ネル姫様」

    「いえ、貴女は確か……ウィルハルト王子のメイドさん、ですよね? どうぞお気になさらず」精力剤

    流石に王族同士、ウィルもネルもお付のメイド含めて面識があるようだ。

    「お楽しみ中のところ、大変申し訳ありませんが」

    「いや、別に何も楽しいことしてないけど。それで、どうしたんだ? ウィルと一緒に野外演習に行ったはずじゃ――」

    「野外演習はランク5モンスターの襲撃によって中断となりました」

    え、という疑問の声が二つ重なった。

    「どういうことだ?」

    「詳しくはこちらに」

    セリアが懐から一枚の紙を取り出し、俺へと差し出す。それは冒険者ならば最も見慣れた書類、つまり、クエストの依頼書であった。


    緊急クエスト・助けてくれ

    報酬・望みのまま

    期限・今すぐ

    依頼主・ウィルハルト・トリスタン・スパーダ

    依頼内容・クロノよ、汝を我が魂の盟友と見込んで頼みたい。どうか我らを助けてはくれまいか。

    ことの起こりは省く、だが、現状だけは記そう。

    我ら王立スパーダ神学校の野外演習の参加生徒全員は、現在、イスキア古城にてモンスターの大群に取り囲まれ、孤立無援の状態にある。騎士団の救援も、冒険者の救助隊も、間に合わないかもしれん。

    だが、汝ならば、きっとこの窮地にも馳せ参じてくれると我は信じている。ガラハド山中にてラースプンに追われる我を救ってくれたように。

    だからこそ、名指しでこの依頼書を託す。他の誰でもない、黒き悪夢の狂戦士(ナイトメアバーサーカー)クロノに。

    最後に、この情報だけは記しておく。

    現れたモンスターの大群を率いるのは、ランク5モンスターのグリードゴアだ。

    だが、どうやら通常のグリードゴアではなく、色が黒いことから亜種の可能性がある。そして、多種多様なモンスターの軍団を従えているのは間違いなく、この黒いグリードゴアである。

    モンスターとの交戦により、雷属性の寄生(パラサイト)能力によって操られていることが判明したが、それ以上のことは不明だ。

    もしモンスターと同じ様に操られた神学校の生徒が、いや、この我がいたとしても、一切の躊躇なく斬り捨ててくれ。

    すでに皆、その覚悟はできている。

    追伸、シモンも汝の到着を心待ちにしておる、あの可愛らしい錬金術師を泣かせるでないぞ。


    「ご覧のとおり、現在、イスキア古城は危機的状況にあります。ウィルハルト王子は、クロノ様、貴方に対して王族命令で緊急クエストを発行なさいました」

    依頼書の片隅に、王冠と二つの剣が交差したスパーダの紋章が赤インクで捺印されている。

    「まだギルドを通していない非公式クエストですが、お受けいただけますか?」

    公式だろうが、非公式だろうが、関係あるか。

    イルズ村、アルザスの戦い……俺はまた、仲間の危機に居合わせることができないのか?

    いいや、そんなワケにはいくか、もう御免だ、二度とあんな思いは御免だ、三度目なんて、あっちゃならない。

    絶対だ、絶対に助け出す、今度こそ、間に合わせてみせる。

    「当然だ、今すぐ行くから絶対に生きて待ってろ、ウィル、シモンっ!!」媚薬

    posted by NoName at 14:31| Comment(0)TrackBack(0)未設定

    2012年11月27日

    始まりの合図

    「遅い!」

    「ごめんなさい!」

     着くなり怒鳴られたので、法子は大声で謝り返した。

     約束の時刻にはまだ早い。だが陽蜜と叶已と実里は既にやって来ていて、陽蜜に至っては仁王立ちで腰に手を当て、遅れてきた法子を睨んでいた。叶已と実里はおかしそうに笑っていたけれど、法子には怒っている陽蜜しか目に入らない。友達を怒らせてしまったと大慌てで頭を下げた。精力剤

    「ごめんなさい」

    「駄目、許さない」

    「お願い。何でもするから」

     本当に何でもするつもりで法子は陽蜜に懇願した。もしも命を絶てと言われたら数秒迷う位には本気の言葉だった。

    「本当に?」

    「うん、何でもする」

     きっとこんな言葉じゃ許されないだろうなと法子は内心思っていた。自分に出来る事など高が知れている。そんな人間から何でもするなんて言われたって、嬉しくもなんともないに違いない。それでも法子にはそう言う事しか出来なかった。他に喜んでもらえる様な事、許してもらえる様な事なんて思いつかなかった。まして陽蜜の冗談を冗談だと気付き冗談のままに受け流す事なんて出来よう筈がなかった。

     法子が一心の覚悟で陽蜜の沙汰を待っていると、やがて陽蜜はにっと笑って、背後の闇に塗れた病院を親指で指して言った。

    「じゃあ、行こう」

    「うん。え?」

     どんな難題を言われるんだろうと身構えていた法子が肩透かしを食らっている間に、陽蜜達は正門の横の通用口をあっさりと潜り、病院の敷地へ入り込む。法子は慌ててそれを追った。

    「待って」

     法子が呼び止めると陽蜜が振り返った。

    「どうしたの?」

    「え? あの」

     どうして何の罰も言い渡さないのか聞きたかったけれど、まるで忘れているかの様にどうしたのと逆に問われると、切り出しにくい。もしかしたら陽蜜は罰の事を忘れているかもしれず、法子の詰問がとんだ藪蛇になるかもしれないからだ。

     けれど何も言わないでも、また相手に疑念を抱かせてしまうと考えて、法子は全く別の事を尋ねた。

    「摩子は?」

     尋ねてから、自分の言葉であるのにその言葉に喚起されて、そういえばどうしたんだろうと不思議に思った。時間を見るとまだ待ち合わせ時間に達していない。待っていた方が良いんじゃないだろうか。

    「摩子は何か来れなくなったってメール来た」

    「え? そうなの?」

    「うん。後でいけるかもって言ってたけど、無理だと思う」

     そうなのか。それは残念だ。

    「全く。今回の探検の大事さが全然分かってないよね」

     陽蜜の言葉に、法子は恐縮して体を縮こませるしか出来ない。

     陽蜜達は何ら憚る事無く病院の中庭を闊歩して入り口に向かう。法子はどうするのか分からず後に続く。そもそも探検と言って何をするのだろう。何かが起こると言われたから、この辺りを見回るんだろうか。流石に建物の中には入れないだろうし。

     病院の入口を見ると、消灯されていて真っ暗だ。非常灯の明かりだけが微かに見える。反面、入り口以外には煌々と電気の点いている部屋が多い。法子は、病院って夜も頑張ってるんだなぁという単純な感慨を湧かせた。

     陽蜜達は入り口の前で曲がって病院の壁に沿う様に歩いて行く。しばらく歩くと診察棟が終わる。外壁を見ても一様に壁が続いているだけだが、ここから先の壁は一般病棟の一つで、閉ざされたカーテンの向こうにある病室では入院患者が眠っている。

     そして陽蜜はその並ぶ窓の内の他と何も変わらない窓の前で止まった。どうしたんだろうと法子が思っていると、陽蜜はあっさりと窓を開けて、中に入り込んだ。

    「え?」

     窓に鍵が掛かっていると思っていた法子が事態について行けずにいる間に、叶已と実里も入っていく。ぼんやりしていると中から実里に手招かれたので、慌てて法子は窓枠に手を掛けてよじ登り、そして足を踏み外して病室の床に落ちた。

    「大丈夫?」

     実里に抱き起こされて立ち上がる。薄暗い病室の中で陽蜜が患者の一人と話していた。目を凝らすと同じ位の年頃で、ベッドの上に胡座をかいて座っている。

    「お、新顔じゃん」

    「法子。つい最近友達になった」

    「へえ、大人しそうだけど大丈夫なの? あんまり無茶させちゃ駄目だよ」

    「させないさせない」

    「いや、現に今させてるけどね」

     法子は良く分からないけれど、自分が紹介された様なので頭を下げた。患者が笑顔を手を振ってきたので何だか気恥ずかしかった。

    「よし、じゃあ行くよ」

     陽蜜がそう言って、静かに病室のドアを開け廊下に出てる。実里と叶已が後に続く。

     法子もそれを追う。外に出る時、「大変だねえ」という声が聞こえたので、振り返ると何だか同情する様な表情で「頑張って」と言われた。

     法子は再び頭を下げて外に出る。外に出ると仄明るい電灯に照らされた廊下があって、歩くには問題ないけれど、ところどころの隅っこに暗がりが落ちていて、清潔の限りを尽くした様な白い廊下なのに何だかはっきりとしないのが怖かった。

     怖いなぁと思う内に、そういえば勝手に入って良いのだろうかという疑問が湧いた。見つかったら怒られるのではないだろうか。

    「法ちゃん」

    「え? 何?」

    「今のはね、陽蜜の従姉妹さん。鍵を開けてくれる様に頼んでおいたの」

    「そうなんだ」

    「うん、この辺りって陽蜜の親戚多いから、もし何かあったら陽蜜の友達だって言えば、大抵なんとかなるよ」

     何それ、凄い。

     尊敬の眼差しで陽蜜を見る。後ろ姿が一層輝いて見えた。その陽蜜が急に立ち止まり、振り返ると手を払った。何かと思う内に、実里に手を引かれ、脇道に逸れて身を屈ませられる。

    「な、何?」

     法子が驚いてそう尋ねると、目の前に人差し指が一本立っていた。黙れのジェスチャーだ。

    「見回りが来た」

     そう囁かれて法子の心臓が止まりそうになる。

     やっぱり見つかっちゃ駄目だったんだ。

     見つかって怒られる事が怖くて、法子は口を押さえて息を殺す。陽蜜達も壁に張り付く様にして座り込み息を詰めている。暗闇の中に屈みこんでいると隣の体温が伝わってくる。肌寒い中に伝わってくる温かさが妙に心強く、絶体絶命の状況なのに楽しかった。媚薬

     やがて足音が近付いて来た。

     法子は息を止め、やってくる足音を待つ。

     足音はまるで焦らす様にこつこつと少しずつ歩いてくる。

     法子が自分の服を思いっきり掴んで耐えていると、隣から実里が手を重ねてきて、励まされた。

     足音は更に高く、辺りに反響している。

     法子が息を飲む。

     そしてやって来るであろう角を眺めていると、そこに足が現れた。続いて手が。そして体が現れる。

     二人組みだ。

     服装からして警備員と看護師。

     法子がバレません様にと祈っていると、二人は気付かずに通り抜けていった。足音が離れていく。

     法子がほっと息を吐き出した。吐く息の音が妙に大きく聞こえた。

     その瞬間、離れていこうとしていた足音が止まった。

     見知らぬ大人の声が聞こえてくる。

    「ん?」

    「どうしました?」

    「今何か変な音が聞こえませんでした?」

     法子の心臓の音が高鳴った。法子は慌てて口元を抑えこみ、これ以上息を吐かない様に力を込める。

    「風の音じゃないですか?」

    「ああ、確かにそう言われるとそんな気も」

     それっきりまた足音が離れていった。

     けれど今度は油断せず、完全に足音が聞こえなくなったところで、法子はようやく力を抜いて前に倒れこんだ。

    「良かった」

    「気付かれるところだったな」

     横を向くと、陽蜜が楽しそうに笑っていた。怖くないのだろうかと疑問に思う。

    「さて、探索の続きだ」

    「法子さん立てますか?」

     叶已に手を掴んでもらって、法子は立ち上がる。そしてまた歩き出す。

     そういえば、この探索の目的は何なのだろう。今更ながらにそう思った。

     今日が終わる頃に病院で何か大変な事が起こると言われたから、それを防ぐ為にやって来たのは分かっている。でも大変な事というのがどういう事なのか良く分からない。日付が変わるまで後一時間。それまでの間に何をするのだろう。

     気になって、聞こうかどうか迷って、やっぱりやめた。折角みんなの一員になったのに、ここで分からない事を晒しては、また独りになってしまう気がした。

     ここは黙ってみんなに付いて行こう。

     そう思って、皆の後ろを歩き、駄目だと自分の頬を張った。少し前を歩いていた実里が驚いて法子を見る。

     駄目だ駄目だ。ここで遠慮をして黙っていたら、そんなの友達になったとは言わない。友達っていうのは遠慮をし合わないものだ。そんな気がする。

     法子は気合を入れて、問いかけた。

    「ねえ、私達、具体的には何をするの?」

     陽蜜が振り返り

    「え? 何って……どうする?」

    叶已に尋ねた。

    「どうしましょうか?」

     叶已が実里に振る。

    「うーん、どうしようね」

     そして実里が法子を見た。

     つまり何も考えていなかったらしい。

    「法子はどうすれば良いと思う?」

     陽蜜に問われて、法子は考え、そして答えた。

    「えっと爆弾を探すとか?」

    「それは大丈夫です。病院の中に爆弾は持ち込めないはずですから」

     即座に誤りを指摘されて法子は縮こまった。

    「あ、そう、なんだ。ごめんなさい。知らなくて」

    「良いよ良いよ。うーん、何をするって言っても何が起こるか分からないし、このまま見回り?」

     陽蜜がそう言って、廊下の窓から外を見た時、突然ガラスの割れる様な音が遠くから聞こえた。

     陽蜜の顔が強張る。

    「何?」

     叶已も緊張した様子で元来た道を振り返った。

    「何だかガラスの割れる音と、あと人の悲鳴が聞こえた様な気が」

     その言葉が終わるのと同時に、今度ははっきりと高らかに、女性の悲鳴が響き渡った。


     病院というのは、まあ、とにかく人の集まるところで、診察入院見舞いは言わずもがな、医者に出入り業者に、主婦や高齢者の井戸端会議、暇を明かして涼みに来る者、何か理由を付けてとにかく人が集まってくる。病院という建屋は中にどろりと粘液質な死を孕んでいる割に、あれよあれよと人々が押しかけてくる。

     大病院ともなれば更に顕著で、こんな真夜中の草木の眠る少し前にも某か寄ってくる。

     先程忍び込んだ陽蜜達もそうだし、たった今正門に手をついて悩んでいる半渡武志もそうだ。性欲剤

     武志は病院探検の参加は渋ったものの、摩子達が本当に危険を顧みず病院へ行くのだろうかと心配に思って、とりあえず様子を見にこの正門前までやって来ていた。そして来てみると、摩子は居なかったものの、陽蜜達が病院に忍び込んで居るのが見えて、呼び止めても振り返ってすらもらえず、後を追って直接止めようとしたが鍵の掛かった通用口に阻まれ、だったらと正門を乗り越えようとして、そこに見えない壁が張ってあって入れずに途方に暮れているところだった。

     聳え立つ病院を眺めると、何だか薄っすらと照明の灯っている様子がどうにも不気味で、こんな真夜中に一体どうして明かりが付いているんだろうと思いを巡らせると、理性では夜間でも立ち働かなければならない大変さと重要さは分かっているものの、どうしてか想像の方はホラー映画のワンシーンを改造した、無機質な電灯の中で血に塗れた生臭い人体実験を行なっているという一種の馬鹿馬鹿しい様子がぼんやりと思い浮かんで、黙ってじっと無事を祈っている等という事は出来なかった。

     どうにかして中に忍び込まなくちゃいけない。けれどどうして良いか分からず武志は正門の前で悩んでいた。その時背後から声が聞こえた。

    「まだ後一時間ある。何とか間に合ったわね」

    「悲劇が時間厳守だったらな」

    「あのね、元はと言えばあなた達が」

    「二人共、喧嘩は止めてください。門の前に誰かいます」

     武志が振り返ると十人を超える人影が居た。前列にいる三人は二十代半ばの、右から男女男。その更に左に、武志と同じ位の年頃の外国人の少女が一人。その四人の後ろに付き従う十人の男達。バラバラの年格好だ。思い思いの姿で佇んでいる十四人は何だか奇妙な組み合わせで、何となく夜の闇から浮いていた。よくよく見ると前列の男の一人と少女は昼にフードコートで見た顔だ。

     前列の一人の、眼鏡を掛けた男が、値定めする様な目付きで問いかけてきた。

    「どうしたんだい、こんな夜中に。何か病院に用事かな?」

    「え? いや俺は、ただ」

     何と答えて良いか分からない。忍び込んでいる友達が心配で中に入りたいと言えば、陽蜜達が警察に連絡されて補導されてしまうかもしれない。陽蜜や叶已ならまだしも、法子さんにはショックが強いはずだと思って、武志は答えあぐねた。

     その時、エミリーが武志に近寄るなり顔を近付けて大きな声を上げた。

    「中に侵入したいでしょう! そうでしょう!」

     武志は気圧されて思わず頷いてしまった。

     エミリーがにっこりと笑って、身を引く。

    「じゃあ、一緒に入りましょう。私達も中に入ります!」

    「ちょっと待ってください、エミリーさん。流石にそれは」

     エミリーが踊る様に回りながら抗議の声を上げる剛太に近寄って、その鼻先に指を向けた。

    「彼は必要な方です。あなたは後悔をしますよ」

     剛太が思わず口を閉ざす。

     変わりに徳間が横から口を出した。

    「おい、エミリー」

    「徳間、私は言いました。あの場に居た人達はみんな集まってくるのです。この凡人も数の内に入っています」

     武志が自分を指差す。

    「え? 凡人て俺?」

    「勿論です。あなたは自分が凡人でないと?」

    「いや、そうは言わないけど」

     徳間が武志の肩を掴んだ。

    「おい、詳しくは言えないが、これからこの病院は大変な事になる。だからさっさと帰った方が良い」

     武志の表情が険しくなる。

    「大変な事に?」

     そんな武志を見て剛太が項垂れ、呻いた。

    「ああ、馬鹿真治。逆効果にも程がある」

     武志が焦った表情で徳間に詰め寄った。

    「どういう事ですか? 中は危ないんですか?」

    「ああ、理由は言えないが」

    「中に友達が居るんです! 連れ戻しに行かないと」

    「おい、待て。大丈夫だ。俺達が必ず助けるから」

     武志が徳間を見つめ、その後ろに居る人々を見る。そして不安そうな表情になる。

     そんな様子を見て剛太が溜息を吐く。

    「馬鹿ですね、真治はもう、本当に」

    「は? 何だ? 間違った事言ったか?」

    「間違いだらけです」

     剛太が徳間の抗議を切り捨てて、武志の前でしゃがみ込む。

    「ええっと、君の名前は? 私達は魔検の者です。私は角写。この通り正式に登録された、いわゆるヒーローです」

     剛太が魔検の身分証を提示する。それを見た武志の表情が和らいだ。

    「僕は半渡武志です」

    「武志君。先程も名乗ったけど、私達はヒーローです。だからここは私達に任せてください」

    「魔物が出るんですか?」

    「いえ、そういう訳では」

    「でも何か起こるんですよね?」

    「……ええ」

    「それで病院の人達を助けに来たんですよね?」

    「ええ、そうです。だから」

    「病院には沢山人が居るのに、たったそれだけの人数で」

     剛太が一瞬固まる。剛太が改めて口を開こうとした時、先に武志が後ろを指さした。

    「ヒーローが居なくちゃいけない様な事件に、俺が何か出来るとは思えないから。だからでしゃばったりはしないです。ただ友達を呼び戻す位なら」

    「危険だ。君の友達も助けるから」

    「でも病院には沢山人が居るのに。そんな一人一人逃がす様な事が出来るのかよ」

    「とにかく駄目です」

    「何でだよ! 助ける人数は少ない方が良いんだろ? 行ってすぐ戻って来るから!」

     焦りで逆上し始めた武志をどう宥めようか、剛太が考えていると、背後から真央が言った。

    「良いんじゃないの? 行きたいなら行かせれば。その子の言う通り、手間は少なくなった方が良いんだし」

    「真央さん、幾らなんでも」

    「それにフェリックスを倒すのに必要なんでしょ? ね、エミリーちゃん?」

    「はい! 彼はとても必要です!」

    「ほら。追い払うなんてあり得ない」

    「でも民間人を」

    「この期に及んでそんな事言ってられないでしょ? ここで何が起こるか分からないけど、最悪の事態を想定するなら一人や二人誤差の範囲」

    「そうですそうです! その通りです!」

     真央の言葉にエミリーが賛同する。女性用媚薬

     剛太が絶望した顔で真央とエミリーを交互に見て、それから二人の背後の男達のどうして良いのか分からなそうな表情を見て失望し、最後の希望だとばかりに徳間へ視線を送った。

     徳間と目が合う。目が合った瞬間、徳間は突然眼を見開いて空を見上げた。

    「剛太! 上だ! 避けろ!」

     剛太はその言葉に反応して、武志を抱えて前へ跳ぶ。

     同時に剛太の居た場所に何かが落ちて膨大な砂埃が舞った。

     砂埃が晴れるとそこにはスーツ姿の女性が居て、微笑みを浮かべながら詠唱した。

    『第一の蔵を開帳致そう。我が祖より伝わる宝、その身にしかと刻み付けよ』

    posted by NoName at 17:53| Comment(0)TrackBack(0)未設定

    2012年12月05日

    空も

    「やっぱり転校しちゃうんだって! 松本くん」

    「マジでっ!? つか、そんなに足速かったんだ?」

    久しぶりにみんなが集まった全校登校日は、ヒロの話で持ち切りだった。

    「なんか、休み中に参加した合宿でスカウトされたって!」VIVID XXL

    「さっき廊下で三宅理沙見たよ。チョー泣いてた。あいつ松本のこと好きだったんだ?」

    聞きたくなくても、噂は勝手に耳に飛び込んできた。

    どうしよう・・・

    ヒロがココからいなくなっちゃう・・・

    あたしの手が届かないところに行っちゃう・・・・・

    「なつみ? 何やってんの? こんなとこで」

    校庭の隅でボーっとグラウンドを眺めていたら、織田センパイがやってきた。

    「センパイ・・・」

    「なんかスゲー久しぶりって感じじゃん? なつみ最近付き合いわりーし」

    「や・・・」

    テキトーな言い訳が思いつかない。 ていうか、今は織田センパイのことを考える余裕がない。

    あたしがそのまま黙っていたら、

    「・・・なんか、オチてんね?」

    「あ~・・・ まぁ・・・」

    センパイはあたしの顔を覗き込んだあと、

    「・・・よしっ! 今日はオレのおごりだ! ちょっと付き合えよ!」

    「え? や、でも・・・」

    「いーからいーから!」

    半ば引きずられるようにして、先輩と校門を出た。


    「・・・門限7時は早すぎるだろって思ったけど・・・」

    織田センパイが辺りを見回す。「・・・スゲーな、真っ暗じゃん」

    「でしょ? 民家が少ないから、街灯も少ないんだよ」

    センパイがバイクでウチの近くまで送ってくれた。

    結局あのあと、センパイと一緒にゲーセンに行って、それからカラオケにまで行った。

    「ウチの前まで送んなくていーの?」

    「うん。 バイクの音聞きつけてお父さんが出て来そうだし。 うるさいこと言われるのやだから」

    バイクから降りてヘルメットを外す。「ありがと。センパイ」

    「少しは元気でたか?」

    「うん。 出た出た」

    って、ホントはあんまり元気出てないけど。

    でも、センパイがせっかく気を使って誘ってくれたんだから、あんまり落ち込んでたら申し訳ない。

    「なんか、色々ゴチになっちゃったね。ありがと。 今度ちゃんとお礼するね?」

    とあたしがセンパイの顔を覗き込んだら、

    「ん~・・・・・・つか、さ」

    とセンパイがあたしの腕をつかんだ。「今度じゃなくて、今は?」

    「え?」

    「今、お礼くれよ」

    急にセンパイが顔を近づけてきた!!

    「や、やだっ!!」

    思わず持っていたヘルメットをセンパイの胸の辺りに投げつけてしまった。

    ゴロゴロという音を立てて、ヘルメットが地面に転がる。 センパイは顔を歪めて胸を押さえていた。

    「ってぇ~・・・ なにすんだよ」

    「ご、ごめんっ! ・・・だって、センパイが変なことしよーとするから・・・」

    「・・・なんだよ。 変なことって」

    センパイがちょっとムッとした顔をする。

    「え・・・ だって、今・・・」

    ・・・キス、しよーとしてなかった・・・?

    あたしが戸惑っていたら、

    「いーだろ? 減るもんじゃないし」

    とセンパイがまた腕をつかんできた。

    「ちょ・・・っ セ、センパイ? 待ってっ!?」

    慌ててその手を振り解こうとしたんだけど、センパイの力の方が強くて全然敵わない!

    「何待つの? ・・・つか、なつみだってそのつもりだったろ?」

    「な、何言ってん・・・ ンンッ!?」

    乱暴に口付けられた。

    「や、やだッ! ―――ッ!!」

    思い切りセンパイの胸を押し返す。 でも、やっぱり敵わない。

    「センパイっ! やめ、てっ!」

    「オレが東京行ったら、泊まりに来たいって言ってたじゃん。 ヤリたかったんだろ、オレと」

    「そんな意味じゃ、な・・・―――きゃあっ」

    道路脇の茂みに押し倒された。 そのままセンパイが胸を触ってくる!

    「や、やだ―――ッ!!」

    「叫んだって、誰も来ねーよ。こんなとこ。 諦めな」

    「やだやだやだっ!」ru486

    「どーせ何人ともヤッてんだろ? 今さらぶってんじゃねーよ」

    センパイは笑いながら、「安心しな。 ちゃんと避妊はしてやるよ」

    とあたしのシャツを捲り上げた。

    やだ・・・ やだやだ・・・・・・

    抵抗しながら、周りを手探りした。 コブシ大の石が指先に触れた。

    「なつ・・・・・・ ッてぇ!!」

    夢中で石を振り回したら、それがセンパイの額の辺りに当たったみたいだった。

    「・・・や、やめて・・・って、言ったのに・・・」

    あたしは震えながら石を握り締めていた。 センパイはあたしの上に馬乗りになったまま額を押さえている。

    震えるあたしの頬のあたりに、生温かい液体が数滴垂れてきた。

    月明かりにうっすらと照らされたセンパイの額が、真っ赤になっている。

    ―――血だ。

    センパイの血を見て、さらに震えが大きくなってきた。

    センパイがゆっくりとした動作で、自分の手に付いた赤いものを確認する。

    「・・・セ、センパイ・・・」

    あたしもそっとセンパイの下から這い出て、センパイの額を覗き込んだ。

    「ゴ・・・ ゴメンナサイ・・・ 大丈・・・夫?」

    センパイがあたしの方を見た。 その目が氷のように冷たく光っていて、思わず鳥肌が立った。

    あまりの恐怖に、呼吸を止めて一歩後ずさった。

    ジャリ、と言う音を立ててセンパイがあたしに一歩近寄る。

    あたしは踵を返すと、全速力で走り出した。

    振り返らなくても、センパイが追いかけてくるのが分かる。

    舗装されている道路から、脇道にそれた。

    砂利道のせいで走りにくい。 その砂利道のせいでセンパイの足音が余計に大きく聞こえる。

    あたしは死に物狂いで走った。

    良かった・・・ 前に陸上やってて。 これ、普通の女の子だったら絶対追いつかれてる。

    引き離したわけじゃないけど、捕まえられそうな超近距離でもない。

    ヒロは瞬発力がある短距離タイプだけど、あたしはどっちかと言うと持久力がある長距離タイプだった。

    このまま走っていけば、センパイの方が先にダウンしてくれるかも・・・

    そうしたら、このまま秘密基地に逃げ込んで・・・

    ―――そこで一瞬躊躇ってしまった。

    もし、・・・秘密基地まで追いかけてきたら?

    あたしとヒロだけの場所を、センパイに知られてしまったら・・・?

    そんなことを考えたせいで、少しだけスピードが落ちてしまった。

    「ッ!? きゃぁっ!!」

    グイと、肩をつかまれた。

    「・・・ナメんなよ」

    「や・・・だっ、やだ―――ッ! やっ・・・」

    また砂利道の上に押し倒される。 打ちつけられた背中や腰の辺りに痛みが走った。

    センパイの大きな手が、あたしの両手を絡め取る。

    乱暴にシャツを脱がそうとしたせいで、そのボタンがいくつか千切れた。 胸元が外気にさらされ、恐怖が全身を駆け上がってくる。

    誰か・・・ 誰か助けてッ!!

    「―――・・・ッ!!」

    声が出なかった。

    あまりの恐怖に、声を出すことも抵抗することも出来なかった。

    生暖かくちょっとざらついたものが、あたしの胸の上を這う。

    ・・・なに? 何これ・・・・・・ 気持ち悪い・・・

    恐怖と嫌悪感で頭がおかしくなりそうだった。

    スカートの中にセンパイの手が入ってきて、強引に下着を下ろされた。

    自分ですらあまり触ったことのない場所に、センパイの手が触れる。

    「・・・やっぱ、まだ濡れてねーな」

    と言いながら、センパイがズボンのベルトを外す。「ま、どっちでもいいか」

    ズボンと下着をちょっとだけ下ろしたセンパイの下半身が、月明かりに照らし出される。

    「ッ!? や、やだ―――ッ!!」

    それを見た途端、あたしはまた暴れ出した。

    「いい加減諦めろって。 抵抗すると余計痛い目見るぞ?」

    「やだ・・・ やだ―――ッ!!」

    「だから、叫んでも無駄だって」

    ・・・絶対やだ・・・

    初めてがこんなのなんて・・・ やだ・・・・・・

    初めては、絶対―――・・・

    「・・・ッ ヒロ・・・ ヒロ――――――ッ!!!」

    「誰それ」

    センパイがあたしの両足を抱えるようにつかんで笑う。 いくら抵抗しても全然振り解けない。

    さっき避妊すると言ったセンパイが、そのままあたしの中に入ってこようとする。

    ―――ヒロの顔が脳裏をよぎった。

    小さい頃から全然変わってない、優しい笑顔であたしに笑いかける。

    ・・・・・・初めては、ヒロがよかった・・・

    と、あたしが諦めかけたとき。

    「なつみッ!!」

    あたしの名前を呼びながら、誰かが砂利道を走ってくる音がした。

    センパイが弾かれたように振り返る。

    「なつみっ!? なつみ―――ッ!!」

    ・・・・・・この声は・・・

    ヒロだッ!!

    「ヒロ―――ッ!!」

    あたしも力いっぱいヒロの名前を叫んだ。

    センパイが舌打ちをして、掴んでいたあたしの足を放した。 そのまま慌ててズボンを穿きなおす。

    「・・・誰にも言うなよ」

    そう言いながらセンパイがあたしから離れる。

    「言ったら、こんな狭いとこだ。 あっという間に噂されて、好奇の目で見られるのは自分だからな」

    「なつみッ!!」

    ヒロの声がすぐそばまで近づいてきた。

    「いいか。・・・絶対言うなよ?」

    そう言い捨てると、センパイは来た道ではなく林の中に走り去って行った。

    入れ違いにヒロが走ってきた。

    すぐには立ち上がることが出来なくて、あたしはそのまま地面に座り込んでいた。

    「・・・なつみ? 今、誰か・・・・ッ!!」

    あたしの姿を見たヒロが固まる。精力剤

    まるで、時間が止まったかのように、呼吸までも止まってるんじゃないかって感じにヒロが固まる。

    でもそれは一瞬のことだった。

    ヒロはすぐにあたしの方に駆け寄ってきた。

    「ヒロ・・・」

    自分でも驚くくらい声が震えている。「あ、あたし・・・」

    「大丈夫。大丈夫だ」

    ヒロはそう言うと、あたしのすぐそばに落ちていた布切れのようなものを拾って、あたしを抱き上げた。

    そのまま秘密基地まで連れて行かれた。

    ラグマットの上にそっと下ろされる。

    「これ、穿いて」

    さっきヒロが拾ったのは、あたしの下着だった。

    それをあたしに渡したあと、ヒロは基地を出て行こうとする。

    「ヒロッ!? 待ってッ!! 行かないで!!」

    「すぐ戻るから」

    「やだやだっ! 一人にしないでっ!! 一緒にいてっ!!」

    もしまたセンパイが戻ってきたら・・・ あたし、今度こそ・・・

    さっきの恐怖を思い出して、また体が震える。

    「なつみ・・・」

    基地を出て行きかけたヒロが、あたしの側にしゃがんでそっと抱きしめてくれた。

    震える体を落ち着かせるように、優しく抱きしめてくれるヒロの腕・・・

    徐々に震えが収まってくる。

    「待ってな?」

    「で、でも・・・」

    またセンパイが来たら?

    ヒロはちょっとだけ目を細めて、

    「ここはオレたちの秘密基地だぞ? 誰も知らない。 誰も来ない」

    とあたしを見つめた。「2人だけの、秘密基地だ。 だろ?」

    「・・・・・・う、ん」

    もう一度あたしを抱きしめて、ヒロは秘密基地を出て行った。

    基地の中に静けさが戻ってくる。 周りで鳴いている虫の声だけが、うるさいぐらいに響いていた。

    またさっきのことを思い出す。

    もしヒロが来てくれなかったら・・・・・・ あたし絶対センパイに犯されてた。

    なんで? なんでセンパイ急にあんなことしたの・・・?

    「泊まりに来たいって言ってたじゃん。ヤリたかったんだろ?」

    センパイが言ってたことを思い出す。

    「あんま、男ナメんなよ」

    ヒロが言ってたことを思い出す。

    ――――――あたしはバカだ。

    そのまま膝を抱えるようにして座り込んでいたら、外で物音がした。

    ジャリ、ジャリ、と砂利道を踏みしめる足音が聞こえる・・・

    ――――――センパイ・・・?

    また体が震え始めた。 思わず両手で自分の体を抱きしめる。

    ガタン、と音がして、秘密基地の戸が開いた。

    「きゃ―――ッ!!」

    思わず目をつぶって大声で叫んだ。

    「・・・・・・オレだよ」

    「・・・・・・え・・・?」

    恐る恐る目を開けてみたら、ヒロだった。 脇にスポーツバッグを抱えている。

    ヒロはそのまま基地に入ってくると、スポーツバッグの中身を出し始めた。

    「これに着替えて」

    中からヒロのTシャツやスウェットが出てきた。

    「え・・・?」

    ヒロ、これ取りに戻ってたの?

    でも・・・ 早すぎない?

    ココからヒロんちまで片道でも10分はかかる。

    そこを往復して、服まで用意して・・・ なのに、絶対10分もかかってない。

    それにしても・・・ なんで、服なんか・・・・・・

    あたしが戸惑っていたら、

    「いーから早く脱げ。 そっちはオレが処分する」

    「え? 処分って・・・」

    戸惑ったまま自分の姿を確認した。 秘密基地の中に電気はないから、微かな月明かりを頼りに・・・

    「―――・・・ッ!!」

    息を飲んだ。

    制服のシャツが血だらけだった。

    ボタンは千切れているし、ところどころ破れてもいる。

    「ヒ、ロ・・・ あ、あたし・・・・・・」

    「いい。 何も言うな」

    ヒロは目を伏せたまま、震えるあたしの着替えを手伝ってくれた。

    脱いだ血だらけの制服をヒロがバッグに詰め込む。 その間ヒロは何も言わなかった。

    「ヒロ・・・? あ、あたし、何も・・・何もされてないよ・・・?」

    ヒロが黙ったままなのがなんだか怖くて、そんなことを言った。

    「・・・・・・分かってる」

    「ホント・・・ホントだよッ!?」

    「分かってるって」

    そう言ってヒロがあたしを抱きしめてきた。

    しばらくそうしてから、2人であたしんちに向かった。

    「・・・オレ居間に行くから、お前はまっすぐ風呂行け」

    「え・・・」

    「おじさんやおばさんには何も言うな」

    「え・・・ あの・・・」

    「いーから言うとおりにしろ」

    ヒロは強い口調でそう言うと、「ただいま―――!!」

    と居間に入っていった。媚薬

    「おっ! ヒロ~♪ 久しぶりじゃねーか!」

    「おとといも来たじゃん」

    「バ~カ! 息子の顔は毎日見たっていいんだよ! おい、母さん!ヒロのグラス取って」

    「だから、お父さん? ヒロは未成年―――・・・」

    居間からヒロとお父さんたちの談笑する声が聞こえてくる。

    あたしはヒロに言われたとおり、そのままお風呂場に向かった。

    脱衣所の鏡に映った自分を見て、また息を飲む。

    ヒロが、

    「まっすぐ風呂行け」

    と言った意味が分かった。

    あたしの顔にもセンパイの血が付いていた。

    あたしはお風呂場に飛び込んで、慌ててシャワー栓を捻った。


    翌日は一日中自分の部屋にこもっていた。

    いろんなことを考えすぎて、頭も痛い。

    「なつみ。晩ご飯はちゃんと食べなさい」

    お母さんが心配して声をかけてきた。

    「おじさんやおばさんには何も言うな」

    ってヒロが言ったのは、お母さんたちに心配かけさせないためだと思う。

    ここであんまりあたしが塞ぎこんでいたら、色々勘ぐられるかもしれないし、心配もされる。

    食欲なんか全然なかったけど、仕方なく居間に下りていく。

    「ん~~~・・・ オレも何も聞いてねぇなぁ・・・」

    居間では、お父さんが腕を組んで頭を捻っていた。

    「・・・・・・こんばんは・・・?」

    お父さんの前にヒロのおばあちゃんが座っていた。 遠慮気味に頭を下げる。

    「こんばんは。 なつみちゃんでも聞いてないかねぇ」

    「え? 何が・・・?」

    お父さんとヒロのおばあちゃんの深刻そうな雰囲気に、ちょっと不安を覚える。

    「いやな。 ヒロ、東京の学校に行く話・・・アレなくなりそうなんだってよ」

    「え・・・?」

    な、なんで・・・?

    ヒロのおばあちゃんが、

    「さっき学校から連絡があって、誰かに暴力振るったって・・・」

    心臓が大きく跳ね上がった。

    「普段そんなことするような子じゃないし、なんか理由があったんだろうって先生も言ってくれてるんだけど・・・ 当のヒロが何も言わないから先生も戸惑っちゃってねぇ・・・」

    「相手の親が、もうすぐ推薦の面接があるのに、あんな顔じゃ絶対落ちるって学校に怒鳴り込んできたみてーなんだよな」

    「・・・ヒ、ヒロ、は・・・?」

    「ウチでおじいちゃんに睨まれてる。 ・・・あんなに頑固なヒロは初めてだよ・・・・・・」

    「今まで反抗期らしい反抗期もなかったしなぁ・・・」

    「東京に行けなくなったこと自体は全然構わないんだよ。ヒロがそばにいてくれるのが一番嬉しいんだから。 ただ、なんで他人様を傷つけたりしたのか・・・ やっぱり、駄目なのかねぇ。親じゃないと・・・」

    「ばあちゃん、何言ってんだよ! ばあちゃんたちはちゃんと立派にヒロ育ててるよっ! 普通の親よりちゃんとやってるよ!!」

    「だけどね・・・」

    ヒロのおばあちゃんが俯く。

    あたしはまた自分の部屋に戻ろうとした。

    「なつみ? ご飯は?」

    あたしの足音を聞きつけて、お母さんが台所から顔を出した。

    「ごめん・・・ やっぱ、いらない」

    「はぁ? ちょっとあんた、ちゃんと食べないと夏バテするよっ!?」

    お母さんの怒鳴り声を背中に受けながら、そのまま2階へ上がった。

    ベッドに寝転がり天井を見つめる。

    ・・・・・・ヒロが暴力を振るった相手は織田センパイだ。

    きっとヒロは、昨日あたしを襲ったのが織田センパイだって探し当てたんだ。

    でも、どーやって・・・?

    と、一瞬考えかけて、

    ・・・すぐ分かるか。 センパイのバイクは道端に無造作に停めてあっただろうし、そのそばにはあたしのカバンが落ちてたろうし・・・

    きっと昨日ヒロがあそこに来たのだって、偶然じゃなくて そのあたしのカバンを見つけたからで・・・

    あたしは一日たって、やっと色々考えられるようになっていた。

    なんでヒロが、制服を処分してまでセンパイに襲われたことを隠そうとしたのか。

    センパイも言ってたけど、こんな田舎の人付き合いが密なところでそんな噂が立ったら、あっという間に町中に・・・ううん、隣町にまで広まってしまう。

    そんなことになったら、被害者はあたしだって言うのに、あたしだけじゃなくてお父さんもお母さんも肩身の狭い思いをしなければならない。性欲剤

    大分前に、・・・これは別な町の話だけど、やっぱり誰かに襲われた子がいて、その子が警察に届けたらあっという間に噂が広まってしまった。

    何人にも犯されたとか、逆に誘ったんだろうとか、妊娠までしてしまってそれを堕

    posted by NoName at 21:07| Comment(0)TrackBack(144)未設定

    2012年12月14日

    解き放たれた悪魔

    幸いなことに、復活した邪神はいまだ完全覚醒には程遠いようだった。

     近くにいた悪魔を板状触手で串刺しにして干上がらせた後は、その触手を蠢かせながらもとりあえず平穏を保っている。

     動くなら今しかチャンスはない。精力剤


    (だが、どうする?)


     隠しダンジョン『封魔の迷宮』の最深部にいた裏ボス『邪神の欠片』。

     こいつは熟練の『猫耳猫』プレイヤーたちにすら絶望を与えるほどの、圧倒的な力を持っていた。

     目の前の『こいつ』もサイズこそ違うが、見た目の類似という意味ではその裏ボスとほとんど瓜二つの外見をしている。


     今の俺たちに勝つ見込みはあるのか。

     『猫耳猫wiki』にあった邪神のデータを、必死で頭の中に再生する。

     まずこいつの一番の脅威は、常識外れの攻撃能力にあった。


     


    『ジェノサイドウェーブ』


    製作者の正気を疑う技その一。

    邪神の口から放たれる恐るべき波動。


    邪神が口を開いたのが見えたらこの攻撃が来る前兆。

    一分程度のチャージを必要とするため、その前に頭部を潰せば攻撃は一応回避出来る。

    が、狙いにくい頭部の位置とアホみたいな耐久力からして狙うのは現実的ではない。


    タメが長い分攻撃範囲は広く、その効果は封印の間全体に及ぶ。

    また、障害物を貫通するため隠れるのは無意味。


    絶大な攻撃力を誇り、防御系、カウンター系スキルを無効化する貫通属性を持つ。

    たとえレベル300越えのキャラクターでも、これが命中して生き残ることはまずありえない。


    とりあえず使われた瞬間に仲間の全滅は確定する。

    プレイヤーなら縮地で抜けるか夢幻蜃気楼などの転移技で一か八かにかければ避けられることもある。


    これを安定して避けられるようになることが邪神撃破の第一関門。

    がんばれ。




    『キルビーム』


    製作者の正気を疑う技その二。

    邪神の欠片の本体である、胸の宝石から放たれる殺人光線。


    攻撃の一瞬前に宝石に光が集まる以外に予備動作がなく、発動条件も特にない。

    おまけに攻撃速度が非常に速く、光ったと思った瞬間には当たっているため回避は困難。


    圧倒的な攻撃力を誇り、直撃するとレベルが300あっても即死する。

    直撃しなくても、防具の一部にかすれば即死する。

    タイミングさえつかめれば防御することはたやすいが、防御しても即死する。


    光属性なのでアクセサリー等で軽減可能。

    もちろん軽減しても即死する。


    最低でも光属性無効以上の耐性で臨みたい。

    対策さえしていればむしろ突破口となる。




    『パラライズテンタクルス』


    邪神の身体から生えている無数の触手。

    普段はただ蠢いているだけだが、ある程度近付くと一斉に襲ってくる。


    比較的攻撃速度が速く、とにかく数が多い。

    一撃の威力は低いがHP吸収と強制スタンがついているのが厄介。


    特に後者は致命的で、当たると耐性に関係なくスキルがキャンセルされ、硬直が発生する。

    その間に他の触手がぶつかると更に硬直が発生するので、硬直地獄に陥りがち。

    簡単に言えば、一発当たるとやっぱり死ぬ。


    こいつの一撃を受けるとスキルは強制キャンセルされるが、魔法の発動予約だけは消されない。

    事前にエアハンマーを予約しておいた場合のみ、生存の可能性がある。


     


    (いや、無理だろ、これは……)


     俺は途中で首を振って、脳内再生を中断した。

     『邪神の欠片』はこれ以外にも、両腕から繰り出される魔法球やら何やら、多彩な攻撃を持っていた。

     充分に対策しているならともかく、現状の装備で勝てる相手じゃない。


     唯一望みがあるとすれば短期決戦だが、


    (あの触手が、なぁ……)


     『邪神の欠片』は部位ごとにHPが設定されているタイプだった。

     ただ本体は胸にある赤い宝石で、ほかが健在でもそこのHPを0にすれば勝利になった。

     復活の経緯から考えても、こいつも胸にある赤い宝石を倒せば死ぬはずだ。


     このサイズなら、もしかするとゲームでの裏ボスほどのHPはないかもしれない。

     まともに攻撃が当たれば、倒せないこともないとは思う。

     ただし、本体へのダメージは、触手が残っている間は全て触手に肩代わりされる。


     触手の数は既に数十を越えているが、一本一本のHPはそう高くない、というか低い。

     全体魔法か多段系のスキルを使えばすぐに触手の数は減らせるのだが、問題は触手が『腐食の呪い』という特性を持っていることだ。

     触手は倒れる度に、近距離、遠距離を問わず、自分にトドメを刺した相手の武器耐久力を削っていく。

     これも対策をしないと、本体が剥き出しになった頃には武器が全て壊れているなんて事態になりかねないのだ。


     おまけに触手の再生速度は速く、一度触手を全滅させても、ちょっと時間を置いただけですぐに復活してしまう。

     あの触手を排除するには、こちらの側にも圧倒的な手数が必要になってくるのだ。


    (俺たちだけじゃ、手が足りない…!)


     現状のまま、俺たちがこいつに勝つことは不可能だ。

     だったら、それ以外の手段を模索する。


    「ミツキ、こいつの再封印は可能だと思うか?」

    「……不可能、ではないでしょうが、難しいでしょう。

     先程迷宮の空気の流れが変化したのを感じました。媚薬

     欠片の復活と連動して、『封印の間』の扉は開いたようです。

     そこにあれを追い込み、適切な手段を講じれば封印は可能かもしれませんが、その手段を私達は知りません」


     猫耳を困ったように折り曲げてミツキは答えた。

     あまり期待はしていなかったが、やっぱり封印は無理なようだ。


    (いや、待てよ?)


     封印は出来なくても、一時的に『封印の間』に閉じ込めることは出来るかもしれない。

     うまく時間稼ぎすることさえ出来れば、こっちだって『数の力』はそろえられる。

     何しろここには、40にも及ぶ冒険者たちと、真希が連れてきた騎士がいるのだ。


    「そ、そーま!」


     思考の途中で、邪神が動き出す。

     緩慢ながら、こちらに向かって進んできた。

     だが、それはむしろ好都合。


     俺は素早く鞄に手を突っ込むと、そこから店売りのナイフを取り出して邪神の方に放る。

     もちろん、これによるダメージを期待している訳じゃない。

     邪神よりもだいぶ手前に落ちたナイフは、本来邪神にとって脅威にはならない。

     しかし、


    「わ、わわっ!」


     真希が思わず騒いだように、邪神はそのナイフに触手を突き立てた。

     無数の触手の攻撃にナイフのHPが吸い尽くされ、破壊される。


    (やっぱり、そうか)


     武器を一つ失ってしまったが、これで貴重な情報が得られた。

     復活した邪神の欠片は、個体を判別していない。

     ただHPがある相手を盲目的に攻撃しているだけだというゲームの設定が、こっちでも生きているのだ。

     これで、時間稼ぎが成功する可能性がずいぶんと上がった。


    「二人に、頼みがある」


     俺は意を決して、真希とミツキに向き直った。


    「『封印の間』に、騎士と冒険者の装備を出来るだけたくさん、集めて欲しい」


     


     一瞬前に宙に投げたみたらし団子が光線に貫かれ、瞬時に蒸発した。


    「やっば!」


     俺はあわてて後退、角を曲がる。

     黒い鞄をひっくり返して、足止め用の『お洒落な髑髏』をまいた。

     しかし俺の目の前で、黒い髑髏はどんどんと魔法球に撃たれて破壊されていく。


     最初はうまくストッパーになってくれた髑髏だが、相手も少しずつ学習している。

     この障害物は壊せばいいという認識が、奴にも出来てしまったらしい。

     だが、わずかな時間の足止めにはなる。

     俺は髑髏が壊されている間に鞄に手を突っ込んで、新たなデコイ用アイテムを準備する。


     真希には騎士たちの、ミツキには冒険者たちの所に行ってもらって、装備を集めてもらっている。

     詳しい説明はしなかったが、流石に付き合いの長いミツキには俺の意図は分かってもらえたようだ。

     説明は全部ミツキに任せ、二人にはすぐに動いてもらった。


     しかし、冒険者や騎士たちに事情を話し、装備アイテムをかき集めるにはもちろん時間がかかるだろう。

     その間、誰かが邪神の欠片を引きつける必要があった。


     誰か、と言われても、リファは論外として、冒険者に人望が厚いミツキ、騎士団を動かせる真希も無理だ。

     必然的に俺が囮役を担ったのは当然の帰結で、そこに不満はない。

     ないのだが、


    (これは、流石にきっついな)


     実際に戦ってみて分かったが、邪神の欠片はずいぶんと弱体化している。

     いや、ゲームで戦ったのとは違う欠片である訳だから『弱体化』というのとは違うのかもしれないが、とにかくゲームで戦った裏ボス『邪神の欠片』と比べれば格段に弱い。


     向こうとの差異を考えると、やはりサイズの違いが真っ先に上がるが、それと同じように耐久力や攻撃力も相応に落ちている。

     特に耐久力の低下はかなりのものがあるようで、俺が触手を払いのけるつもりで不知火を振ると、それだけで触手がちぎれてしまった。

     触手のHPはさらに少なくなっているようで、作戦を考えるとこれ自体は嬉しいことなのだが、不知火の耐久力を考えると下手に触手を攻撃出来なくなったとも言える。


     攻撃力低下については、両腕から放たれる遠距離攻撃の威力からその弱体化具合が知れる。

     ただ、流石に光線については弱体化しても充分以上に強い。

     当たったらやっぱり死ぬだろう。

     今のところデコイで何とか防いでいるが、一瞬たりとも気が抜けない。


     一番の救いは、俺がもっとも警戒していた『ジェノサイドウェーブ』を撃つ様子がないことか。

     やはり覚醒が不完全なのだろう。

     邪神の頭部はうなだれたようになっていて、その両目は開いてもいない。

     今のところ、頭の機能は回復していないようだ。


     当然、口から繰り出す『ジェノサイドウェーブ』を放ってくることもない。

     これで俺の最大の懸念は解決されたとも言える。

     しかし、一方で新たに浮かび上がった問題点もある。性欲剤


    「ッ!? 来たか!」


     振り向くと、触手を蜘蛛の足のように使いつつ、角を曲がってきた邪神の姿が見えた。

     だが、その触手の数は最初の頃の倍以上、もう100を優に超えているだろう。

     どうも、触手の吸収攻撃で回復した体力で、少しずつ機能を復活させているようなのだ。


    (これ以上、アイテムを吸収されるとやばいな)


     頭部の機能が回復してジェノサイドウェーブが撃てるようになったら、集団でかかっても一息に蹴散らされてしまうだろう。

     封印の間でもある程度はアイテムを吸収されることを考えると、これ以上アイテムをデコイに使うのは避けたいのだが……。


    「ソーマ!!」


     俺が悩み始めた時、俺の隣を雷撃が駆け抜けた。

     それは俺のまいた食品アイテムへと伸びる触手を撃ち、消滅させた。


    「リンゴ!」


     通路の奥に立っていたのは、リンゴだった。

     その肩にはくまも乗っている。


    「準備が出来ました。封印の間に急いで下さい」


     その後ろには、ミツキの姿もあった。

     ようやく下準備が終わったらしい。


    「よかった、助かった!」


     俺はそれを見て息をつき、リンゴたちの許へと駆ける。

     俺の後退を、リンゴの雷撃が援護した。


    「…いそいで」


     雷撃はうまく触手を倒しているが、その分『腐食の呪い』の効果を激しく受けている。

     いくら性能が金剛徹しだとしても、リンゴの脇差の耐久力は激しく減少しているだろう。

     俺は最後はスキルを発動して、リンゴたちの出てきた角に飛び込んだ。


    「ほかの人たちの避難は?」

    「この迷宮に残っているのは、もう私達だけです」

    「そうか。危険なことに付き合わせて悪いが……」


     俺が謝ろうとすると、


    「…いい。おいてかれたら、おこる」

    「今更な話です」

     ――トントン。


     機先を制して、そんな風に言われてしまった。

     くまだけは何を言いたいのか分からないが、たぶん気にするなということだろう。


     黒い鞄から髑髏をこぼしながら、走る。

     うまい具合に、ここは封印の間に近い。

     この調子なら、うまく邪神を誘導出来そうだ。


     などと考えていると、扉が見えた。

     確かに開いている。


    「じゃあ、あいつが入ったら扉を閉めてくれ。

     それまでは、絶対にあいつに見つからないように」


     俺が一瞬だけ立ち止まって言うと、


    「ご武運を」


     ミツキが猫耳をぺこっとさせて走り出し、


    「…しなないで」


     リンゴが一瞬だけ俺の手を握りしめ、すぐに離れていった。

     その肩に乗って手を振ってくるくまに手を振りかえしてから、


    「……さて」


     俺も最後の仕上げに入る。

     あえて道をつけるみたいに、最後に残ったみたらし団子を等間隔で落としながら、扉の中に入る。


    「うぁ、すご……」


     流石に数十人分の装備ともなると、凄まじい量がある。

     まるで山を作るみたいに、装備品が積み上がっている。

     なかなかに壮観だ。


     しかし、残念ながら見惚れている場合ではない。


    「これで、仕上げだ!」


     俺は最後に、鞄から取り出したクーラーボックスに手を突っ込みながら、勢いよくひっくり返した。

     ボックスの中身が飛び出し、地面に叩き付けられる。

     皿や瓶が割れてけたたましい音が立てたが、これでいい。


     その成果を確認して、俺は大きくうなずいた。

     いや、実のところ、食糧アイテムはHPが低いのであまり役には立たない。

     ぶっちゃけボックスの中の食料品までぶちまける必要は全然なかったのだが、景気づけにはなっただろう。女性用媚薬


     背後と前方、両方に気を配りながら、奴がやってくるのを待つ。

     こんな逃げ場のない場所で襲われたら為す術がない。

     出来るだけ早くこの場所から逃げたいところだが、すぐに移動して奴がこの部屋に来なかったら最悪だ。

     葛藤を抱えながら、その場に留まる。


     いつ襲われるか分からないという恐怖が、俺の神経をガリガリと削る。

     焦りは加速する。

     もしかして邪神はもう追ってきていないんじゃないかと疑い出した頃、


    「……来た、か」


     ようやく、復活した邪神がその姿を現わした。

     恐ろしいはずのその姿に、安堵すら覚える。


     奴はためらうことなく、部屋の中に足を踏み入れた。

     部屋の中には邪神の『餌』がたくさんある。

     これでこいつが逃げることはもうないだろう。


     邪神の胸の宝石が輝き、その光が俺を貫く、その前に。


    「夢幻蜃気楼!」


     俺はランダムテレポートでその部屋から脱出した。


     


    「うはっ!」


     プチプロ―ジョンの爆発を受け、一瞬だけ身体が強張る。

     あわてて辺りを見渡して、そこが封印の間の外、おそらく封印の間の近くの通路だったことに安堵する。

     どうやら壁抜けは一発で成功したらしい。


     流石に緊張が抜けて、その場にへたり込みそうになる。

     だが、まだ終わった訳じゃない。

     すぐに封印の間に取って返し、扉が閉まっているか確認しないとと動き出すが、


    「そちらも首尾良く行ったようですね」


     その前に、ミツキが駆け寄ってきた。


    「そちらもってことは、扉は……」

    「ええ、特に問題もなく。

     今頃中ではアレが大忙しで触手を伸ばしている事でしょう」


     その言葉に、本当に力が抜けた。

     とりあえず、作戦は成功だ。


    「これで時間稼ぎは充分です。

     私達も、すぐに脱出しましょう」


     後顧の憂いがない、とは言わないが、もう俺にやれることはないだろう。

     ミツキの言葉に従って、俺は出口へと急いだ。




     外に出ると、俺たちの帰還を冒険者たちが総出で出迎えてくれた。

     わざわざ俺たちのために、と思うと、少しだけうるっときた。


     冒険者たちを代表するように、ライデンが前に出て来る。


    「いやぁ、大変なことになっちまったな。

     ま、ここまで来たらもうオレらも腹をくくったよ。

     相手は強大だが、何、怖がることはない。

     数ってのは何よりも強い力だってことを、邪神に思い知らせてやろうぜ」


     今回、別に何もしてないくせに、あいかわらずいいことを言う。

     なんとなく釈然としない物を感じたが、俺もうなずいた。


    「とりあえず、邪神が出てきた場合の戦い方なんかを教えてくれるかな?」

    「ああ、なら……」


     ライデンの提案から、邪神が出てきた場合の対策などを話して時間を潰した。

     ライデン以外の冒険者や騎士の人まで話を聞いてくれて、それは嬉しかったような、そうでもないような。

     邪神が怖いのは分かるが、みんなちょっと緊張しすぎじゃないだろうか。中絶薬


     

    posted by NoName at 15:59| Comment(0)TrackBack(143)未設定

    2012年12月14日

    解き放たれた悪魔

    幸いなことに、復活した邪神はいまだ完全覚醒には程遠いようだった。

     近くにいた悪魔を板状触手で串刺しにして干上がらせた後は、その触手を蠢かせながらもとりあえず平穏を保っている。

     動くなら今しかチャンスはない。精力剤


    (だが、どうする?)


     隠しダンジョン『封魔の迷宮』の最深部にいた裏ボス『邪神の欠片』。

     こいつは熟練の『猫耳猫』プレイヤーたちにすら絶望を与えるほどの、圧倒的な力を持っていた。

     目の前の『こいつ』もサイズこそ違うが、見た目の類似という意味ではその裏ボスとほとんど瓜二つの外見をしている。


     今の俺たちに勝つ見込みはあるのか。

     『猫耳猫wiki』にあった邪神のデータを、必死で頭の中に再生する。

     まずこいつの一番の脅威は、常識外れの攻撃能力にあった。


     


    『ジェノサイドウェーブ』


    製作者の正気を疑う技その一。

    邪神の口から放たれる恐るべき波動。


    邪神が口を開いたのが見えたらこの攻撃が来る前兆。

    一分程度のチャージを必要とするため、その前に頭部を潰せば攻撃は一応回避出来る。

    が、狙いにくい頭部の位置とアホみたいな耐久力からして狙うのは現実的ではない。


    タメが長い分攻撃範囲は広く、その効果は封印の間全体に及ぶ。

    また、障害物を貫通するため隠れるのは無意味。


    絶大な攻撃力を誇り、防御系、カウンター系スキルを無効化する貫通属性を持つ。

    たとえレベル300越えのキャラクターでも、これが命中して生き残ることはまずありえない。


    とりあえず使われた瞬間に仲間の全滅は確定する。

    プレイヤーなら縮地で抜けるか夢幻蜃気楼などの転移技で一か八かにかければ避けられることもある。


    これを安定して避けられるようになることが邪神撃破の第一関門。

    がんばれ。




    『キルビーム』


    製作者の正気を疑う技その二。

    邪神の欠片の本体である、胸の宝石から放たれる殺人光線。


    攻撃の一瞬前に宝石に光が集まる以外に予備動作がなく、発動条件も特にない。

    おまけに攻撃速度が非常に速く、光ったと思った瞬間には当たっているため回避は困難。


    圧倒的な攻撃力を誇り、直撃するとレベルが300あっても即死する。

    直撃しなくても、防具の一部にかすれば即死する。

    タイミングさえつかめれば防御することはたやすいが、防御しても即死する。


    光属性なのでアクセサリー等で軽減可能。

    もちろん軽減しても即死する。


    最低でも光属性無効以上の耐性で臨みたい。

    対策さえしていればむしろ突破口となる。




    『パラライズテンタクルス』


    邪神の身体から生えている無数の触手。

    普段はただ蠢いているだけだが、ある程度近付くと一斉に襲ってくる。


    比較的攻撃速度が速く、とにかく数が多い。

    一撃の威力は低いがHP吸収と強制スタンがついているのが厄介。


    特に後者は致命的で、当たると耐性に関係なくスキルがキャンセルされ、硬直が発生する。

    その間に他の触手がぶつかると更に硬直が発生するので、硬直地獄に陥りがち。

    簡単に言えば、一発当たるとやっぱり死ぬ。


    こいつの一撃を受けるとスキルは強制キャンセルされるが、魔法の発動予約だけは消されない。

    事前にエアハンマーを予約しておいた場合のみ、生存の可能性がある。


     


    (いや、無理だろ、これは……)


     俺は途中で首を振って、脳内再生を中断した。

     『邪神の欠片』はこれ以外にも、両腕から繰り出される魔法球やら何やら、多彩な攻撃を持っていた。

     充分に対策しているならともかく、現状の装備で勝てる相手じゃない。


     唯一望みがあるとすれば短期決戦だが、


    (あの触手が、なぁ……)


     『邪神の欠片』は部位ごとにHPが設定されているタイプだった。

     ただ本体は胸にある赤い宝石で、ほかが健在でもそこのHPを0にすれば勝利になった。

     復活の経緯から考えても、こいつも胸にある赤い宝石を倒せば死ぬはずだ。


     このサイズなら、もしかするとゲームでの裏ボスほどのHPはないかもしれない。

     まともに攻撃が当たれば、倒せないこともないとは思う。

     ただし、本体へのダメージは、触手が残っている間は全て触手に肩代わりされる。


     触手の数は既に数十を越えているが、一本一本のHPはそう高くない、というか低い。

     全体魔法か多段系のスキルを使えばすぐに触手の数は減らせるのだが、問題は触手が『腐食の呪い』という特性を持っていることだ。

     触手は倒れる度に、近距離、遠距離を問わず、自分にトドメを刺した相手の武器耐久力を削っていく。

     これも対策をしないと、本体が剥き出しになった頃には武器が全て壊れているなんて事態になりかねないのだ。


     おまけに触手の再生速度は速く、一度触手を全滅させても、ちょっと時間を置いただけですぐに復活してしまう。

     あの触手を排除するには、こちらの側にも圧倒的な手数が必要になってくるのだ。


    (俺たちだけじゃ、手が足りない…!)


     現状のまま、俺たちがこいつに勝つことは不可能だ。

     だったら、それ以外の手段を模索する。


    「ミツキ、こいつの再封印は可能だと思うか?」

    「……不可能、ではないでしょうが、難しいでしょう。

     先程迷宮の空気の流れが変化したのを感じました。媚薬

     欠片の復活と連動して、『封印の間』の扉は開いたようです。

     そこにあれを追い込み、適切な手段を講じれば封印は可能かもしれませんが、その手段を私達は知りません」


     猫耳を困ったように折り曲げてミツキは答えた。

     あまり期待はしていなかったが、やっぱり封印は無理なようだ。


    (いや、待てよ?)


     封印は出来なくても、一時的に『封印の間』に閉じ込めることは出来るかもしれない。

     うまく時間稼ぎすることさえ出来れば、こっちだって『数の力』はそろえられる。

     何しろここには、40にも及ぶ冒険者たちと、真希が連れてきた騎士がいるのだ。


    「そ、そーま!」


     思考の途中で、邪神が動き出す。

     緩慢ながら、こちらに向かって進んできた。

     だが、それはむしろ好都合。


     俺は素早く鞄に手を突っ込むと、そこから店売りのナイフを取り出して邪神の方に放る。

     もちろん、これによるダメージを期待している訳じゃない。

     邪神よりもだいぶ手前に落ちたナイフは、本来邪神にとって脅威にはならない。

     しかし、


    「わ、わわっ!」


     真希が思わず騒いだように、邪神はそのナイフに触手を突き立てた。

     無数の触手の攻撃にナイフのHPが吸い尽くされ、破壊される。


    (やっぱり、そうか)


     武器を一つ失ってしまったが、これで貴重な情報が得られた。

     復活した邪神の欠片は、個体を判別していない。

     ただHPがある相手を盲目的に攻撃しているだけだというゲームの設定が、こっちでも生きているのだ。

     これで、時間稼ぎが成功する可能性がずいぶんと上がった。


    「二人に、頼みがある」


     俺は意を決して、真希とミツキに向き直った。


    「『封印の間』に、騎士と冒険者の装備を出来るだけたくさん、集めて欲しい」


     


     一瞬前に宙に投げたみたらし団子が光線に貫かれ、瞬時に蒸発した。


    「やっば!」


     俺はあわてて後退、角を曲がる。

     黒い鞄をひっくり返して、足止め用の『お洒落な髑髏』をまいた。

     しかし俺の目の前で、黒い髑髏はどんどんと魔法球に撃たれて破壊されていく。


     最初はうまくストッパーになってくれた髑髏だが、相手も少しずつ学習している。

     この障害物は壊せばいいという認識が、奴にも出来てしまったらしい。

     だが、わずかな時間の足止めにはなる。

     俺は髑髏が壊されている間に鞄に手を突っ込んで、新たなデコイ用アイテムを準備する。


     真希には騎士たちの、ミツキには冒険者たちの所に行ってもらって、装備を集めてもらっている。

     詳しい説明はしなかったが、流石に付き合いの長いミツキには俺の意図は分かってもらえたようだ。

     説明は全部ミツキに任せ、二人にはすぐに動いてもらった。


     しかし、冒険者や騎士たちに事情を話し、装備アイテムをかき集めるにはもちろん時間がかかるだろう。

     その間、誰かが邪神の欠片を引きつける必要があった。


     誰か、と言われても、リファは論外として、冒険者に人望が厚いミツキ、騎士団を動かせる真希も無理だ。

     必然的に俺が囮役を担ったのは当然の帰結で、そこに不満はない。

     ないのだが、


    (これは、流石にきっついな)


     実際に戦ってみて分かったが、邪神の欠片はずいぶんと弱体化している。

     いや、ゲームで戦ったのとは違う欠片である訳だから『弱体化』というのとは違うのかもしれないが、とにかくゲームで戦った裏ボス『邪神の欠片』と比べれば格段に弱い。


     向こうとの差異を考えると、やはりサイズの違いが真っ先に上がるが、それと同じように耐久力や攻撃力も相応に落ちている。

     特に耐久力の低下はかなりのものがあるようで、俺が触手を払いのけるつもりで不知火を振ると、それだけで触手がちぎれてしまった。

     触手のHPはさらに少なくなっているようで、作戦を考えるとこれ自体は嬉しいことなのだが、不知火の耐久力を考えると下手に触手を攻撃出来なくなったとも言える。


     攻撃力低下については、両腕から放たれる遠距離攻撃の威力からその弱体化具合が知れる。

     ただ、流石に光線については弱体化しても充分以上に強い。

     当たったらやっぱり死ぬだろう。

     今のところデコイで何とか防いでいるが、一瞬たりとも気が抜けない。


     一番の救いは、俺がもっとも警戒していた『ジェノサイドウェーブ』を撃つ様子がないことか。

     やはり覚醒が不完全なのだろう。

     邪神の頭部はうなだれたようになっていて、その両目は開いてもいない。

     今のところ、頭の機能は回復していないようだ。


     当然、口から繰り出す『ジェノサイドウェーブ』を放ってくることもない。

     これで俺の最大の懸念は解決されたとも言える。

     しかし、一方で新たに浮かび上がった問題点もある。性欲剤


    「ッ!? 来たか!」


     振り向くと、触手を蜘蛛の足のように使いつつ、角を曲がってきた邪神の姿が見えた。

     だが、その触手の数は最初の頃の倍以上、もう100を優に超えているだろう。

     どうも、触手の吸収攻撃で回復した体力で、少しずつ機能を復活させているようなのだ。


    (これ以上、アイテムを吸収されるとやばいな)


     頭部の機能が回復してジェノサイドウェーブが撃てるようになったら、集団でかかっても一息に蹴散らされてしまうだろう。

     封印の間でもある程度はアイテムを吸収されることを考えると、これ以上アイテムをデコイに使うのは避けたいのだが……。


    「ソーマ!!」


     俺が悩み始めた時、俺の隣を雷撃が駆け抜けた。

     それは俺のまいた食品アイテムへと伸びる触手を撃ち、消滅させた。


    「リンゴ!」


     通路の奥に立っていたのは、リンゴだった。

     その肩にはくまも乗っている。


    「準備が出来ました。封印の間に急いで下さい」


     その後ろには、ミツキの姿もあった。

     ようやく下準備が終わったらしい。


    「よかった、助かった!」


     俺はそれを見て息をつき、リンゴたちの許へと駆ける。

     俺の後退を、リンゴの雷撃が援護した。


    「…いそいで」


     雷撃はうまく触手を倒しているが、その分『腐食の呪い』の効果を激しく受けている。

     いくら性能が金剛徹しだとしても、リンゴの脇差の耐久力は激しく減少しているだろう。

     俺は最後はスキルを発動して、リンゴたちの出てきた角に飛び込んだ。


    「ほかの人たちの避難は?」

    「この迷宮に残っているのは、もう私達だけです」

    「そうか。危険なことに付き合わせて悪いが……」


     俺が謝ろうとすると、


    「…いい。おいてかれたら、おこる」

    「今更な話です」

     ――トントン。


     機先を制して、そんな風に言われてしまった。

     くまだけは何を言いたいのか分からないが、たぶん気にするなということだろう。


     黒い鞄から髑髏をこぼしながら、走る。

     うまい具合に、ここは封印の間に近い。

     この調子なら、うまく邪神を誘導出来そうだ。


     などと考えていると、扉が見えた。

     確かに開いている。


    「じゃあ、あいつが入ったら扉を閉めてくれ。

     それまでは、絶対にあいつに見つからないように」


     俺が一瞬だけ立ち止まって言うと、


    「ご武運を」


     ミツキが猫耳をぺこっとさせて走り出し、


    「…しなないで」


     リンゴが一瞬だけ俺の手を握りしめ、すぐに離れていった。

     その肩に乗って手を振ってくるくまに手を振りかえしてから、


    「……さて」


     俺も最後の仕上げに入る。

     あえて道をつけるみたいに、最後に残ったみたらし団子を等間隔で落としながら、扉の中に入る。


    「うぁ、すご……」


     流石に数十人分の装備ともなると、凄まじい量がある。

     まるで山を作るみたいに、装備品が積み上がっている。

     なかなかに壮観だ。


     しかし、残念ながら見惚れている場合ではない。


    「これで、仕上げだ!」


     俺は最後に、鞄から取り出したクーラーボックスに手を突っ込みながら、勢いよくひっくり返した。

     ボックスの中身が飛び出し、地面に叩き付けられる。

     皿や瓶が割れてけたたましい音が立てたが、これでいい。


     その成果を確認して、俺は大きくうなずいた。

     いや、実のところ、食糧アイテムはHPが低いのであまり役には立たない。

     ぶっちゃけボックスの中の食料品までぶちまける必要は全然なかったのだが、景気づけにはなっただろう。女性用媚薬


     背後と前方、両方に気を配りながら、奴がやってくるのを待つ。

     こんな逃げ場のない場所で襲われたら為す術がない。

     出来るだけ早くこの場所から逃げたいところだが、すぐに移動して奴がこの部屋に来なかったら最悪だ。

     葛藤を抱えながら、その場に留まる。


     いつ襲われるか分からないという恐怖が、俺の神経をガリガリと削る。

     焦りは加速する。

     もしかして邪神はもう追ってきていないんじゃないかと疑い出した頃、


    「……来た、か」


     ようやく、復活した邪神がその姿を現わした。

     恐ろしいはずのその姿に、安堵すら覚える。


     奴はためらうことなく、部屋の中に足を踏み入れた。

     部屋の中には邪神の『餌』がたくさんある。

     これでこいつが逃げることはもうないだろう。


     邪神の胸の宝石が輝き、その光が俺を貫く、その前に。


    「夢幻蜃気楼!」


     俺はランダムテレポートでその部屋から脱出した。


     


    「うはっ!」


     プチプロ―ジョンの爆発を受け、一瞬だけ身体が強張る。

     あわてて辺りを見渡して、そこが封印の間の外、おそらく封印の間の近くの通路だったことに安堵する。

     どうやら壁抜けは一発で成功したらしい。


     流石に緊張が抜けて、その場にへたり込みそうになる。

     だが、まだ終わった訳じゃない。

     すぐに封印の間に取って返し、扉が閉まっているか確認しないとと動き出すが、


    「そちらも首尾良く行ったようですね」


     その前に、ミツキが駆け寄ってきた。


    「そちらもってことは、扉は……」

    「ええ、特に問題もなく。

     今頃中ではアレが大忙しで触手を伸ばしている事でしょう」


     その言葉に、本当に力が抜けた。

     とりあえず、作戦は成功だ。


    「これで時間稼ぎは充分です。

     私達も、すぐに脱出しましょう」


     後顧の憂いがない、とは言わないが、もう俺にやれることはないだろう。

     ミツキの言葉に従って、俺は出口へと急いだ。




     外に出ると、俺たちの帰還を冒険者たちが総出で出迎えてくれた。

     わざわざ俺たちのために、と思うと、少しだけうるっときた。


     冒険者たちを代表するように、ライデンが前に出て来る。


    「いやぁ、大変なことになっちまったな。

     ま、ここまで来たらもうオレらも腹をくくったよ。

     相手は強大だが、何、怖がることはない。

     数ってのは何よりも強い力だってことを、邪神に思い知らせてやろうぜ」


     今回、別に何もしてないくせに、あいかわらずいいことを言う。

     なんとなく釈然としない物を感じたが、俺もうなずいた。


    「とりあえず、邪神が出てきた場合の戦い方なんかを教えてくれるかな?」

    「ああ、なら……」


     ライデンの提案から、邪神が出てきた場合の対策などを話して時間を潰した。

     ライデン以外の冒険者や騎士の人まで話を聞いてくれて、それは嬉しかったような、そうでもないような。

     邪神が怖いのは分かるが、みんなちょっと緊張しすぎじゃないだろうか。中絶薬


     

    posted by NoName at 15:59| Comment(0)TrackBack(139)未設定

    2012年12月24日

    セレのお遣い

    執務室では当然ないキッチン兼ダイニングにも、モニターぐらいは当然ある。美耶子が盛りつけてくれたゆで卵と鶏手羽の酢醤油煮に舌鼓を打ちながら、バリっという食感が非常に楽しい生野菜のサラダを食う。こんな幸せな食卓は久しぶりだ。目の前に座っているセレが古女房の姿をしているのも、まあ、写真立てに飾った家族のポートレイトの贅沢版だと思えば、我慢できる。三便宝


    「これ、どうしたの?」

    「オイラ美耶子さんの指令で、昨日のろくちゃんおやすみタイムに、ちょこっと買物に行ったんだよ。料理時間短縮したいから、ちゃんと卵茹でて剥いとけって言われてたし。鶏も多分サバきたてだったと思うよ。鶏と野菜だけじゃなくて、卵もちゃんと耐Gケースに入れといたら大丈夫だったし」


    「……ちょっと待て。セレ」

    下品にも手掴みでかぶりついていた鶏手羽の、骨に付いていた肉片を舐めていた保志の口が止まった。

    「何」

    「一番近くのマトモなマーケットにちょっとって、まさかあれを……お買物に使ったのか?」

    「うん、使った」

    セレがあっさり言うのに、保志は眉間に皺を寄せた。

    「警邏車両を私用に使っていいのか? 法の番人じゃないのかよ、4444は」

    セレは聞きとがめた保志に取り合わず話を続ける。


    「じゃないと、ろくちゃんが起きてくる前に帰って来られないじゃない。それだとサプライズにはならないし」

    「こら、管理者のくせに、率先してルールを無視するな。あれは、官給品で、職務上の出動以外に使っちゃならないことになってるだろうが」

    「それを言うなら、この身体だってそうじゃん。固いこといわないの、どうせバレやしないし」

    「セレ……。バッパーで飯食ってる人間サマを監督してるAIが、それいっちゃオシマイすぎると思わないわけ?」

    「人間サマを監督してるだなんて、誤解を招くような言い方しないでくれる? オイラは至って誠実に、ろくちゃんの召使(サーバント)してるんだし」

    どの口がそれを言うかと、保志は憮然とした表情になる。セレの軽口の勢いは尚も快調そのものだ。


    「だって、いってみれば4444と一緒でアレもぶっちゃけオイラだし。お買物いくのに車乗るのと一緒つーより、ここでろくちゃんがチャリころがして移動するつーより、遥かに敷居が低くて、オイラが走っていくのと同じだし」

    「お買物に戦闘機でいくのは、絶対に異常だと思う」

    飛閃(ひせん)はその気になれば、小規模な後進国の二、三小隊程度なら蹴散らせるだけの性能があるし、その気がなくても人工建造物に十分な減速なしで近寄れば、それだけで壊滅的なダメージを与えられる。

    歩く――いや、飛閃(やつ)の行動範囲からいって――飛ぶ凶器そのものなのだ。


    「やだな、ただの缶詰だって使いようによっては凶器になるんだから、戦闘機だって置いとく分にはただのモノじゃん」

    「……お前、ここんとこファジー運用過ぎるんじゃないか? 妙なウィルスにハックられてないか?」

    「いやだな、ろくちゃんならともかく、敬信(けいしん)さんは優秀な技師だってば。あの人のメンテに遺漏なんてあるわけないじゃん」


     保志にしてみれば「ろくちゃんならともかく」という一文をはさまれるのは心外だ。どうしても力仕事が必要になったときに、一緒に宇宙を疾駆する、可愛い愛機を物理的にお世話しようとすると、いつも全身全霊をかけて阻止しているのはセレであって、自分が整備業務に未熟なままなのは、怠惰なのではなく、経験する機会を奪われているからにほかならない。

    それは、もちろんずーっと以前に、手入れしようと思ってスタビライザーをちょっと壊しそうになったことが最初だった記憶はある。

    けれど、飛閃(ひせん)は基本的に重力圏につれていくつもりはないのだから(人型はとにかくこけやすい。八メートル、四トン超過のブツを町中で転(こ)かさせるなんてことがあった日には、その後の対応が恐ろしすぎて想像もしたくない。直立している必要がないところにいる限り、あんなもんなくたっていいじゃないか。 因みに敬信(けいしん)というのはオルマの職員で、宇宙建造物及び可動物メンテナンスのスペシャリストの石動(いするぎ)の名前だ。調子が悪いときはもちろん駆けつけてもらうが、何もなくても定期点検にやってくる。

    多分、4444もセレも、実際にマッシブな量の情報を並行分散同時処理できる賢いAIサマなのだから、現実の人間はアホすぎて見えるに決まっている。その中で石動は、例外的に彼らから頼りにされている数少ない人間で間違いない。


    「あ、言わせてもらうけどね、ろくちゃん。食材の調達はれっきとしたオイラの職掌範囲なわけ。レトルトばっかで欠乏する微量元素類をサプリメントで足すのが侘(わび)しい単身赴任(ソロプレイ)がスタンダードだけどさ、生鮮市場が近隣にある場合、そこに調達にいくことは、ろくちゃんの権利としてあるんだぜ……」

    「あそこのどこが近場なんだよ」

    「乗り物使って六時間で往復できるんだから、近いでしょ」


     保志は絶句する。一番近くのマーケットといえば、イットリウム・ガーネットの産地、ニュー・イットルビーに違いない。あそこでは衛星イットルビアがテラフォーミング可能だったため、保志の受け持ち管区では、最も人口が密集している地域だ。


     保志にとっては最強の味方である保安官事務所ももちろんある。人口密度だけが田舎町なものの、イットルビアは洗練された都市計画がうまく機能している住みやすい町だ。


     惑星ニュー・イッテルビーで採掘されるイットリウムというのは、液体窒素温度を超過する転移温度を持っている。もっとも、高温といっても液体窒素の超低温に比べて高温というだけで、熱いわけではないのだが。

    たまたま、それほど輸送コストの掛からない場所で銅とバリウムが採取できるため、人間の可住衛星イットルビアにそれらを集合させて加工するようになったのは、当然の成り行きであった。

    イットリウム系銅酸化物高温超伝導体の生産は、もちろん辺境の小さな地球もどきを、十分に潤していて、なかなかに文化華やかといった雰囲気の小洒落た町だ。巨人倍増枸杞カプセル


     あそこまでの距離を考えると、ワープなんぞするほどでもないが、その時間で往復すると、中に生物がいたらひしゃげてペちゃんこ確実。骨は砕けるだろうし、肉は引き剥がされ、数分もあれば立派にミンチ間違いなし。

    可動官舎周りは、今のところなーんにもない空間にあるから、まあいいとして、減速せずに着地したら、はっきりいって八メートルの隕石が、直撃するのと同じことだ。買物というより、宣戦布告なしで核弾頭ぶち込むのと変わりない。総合司法庁(オルマ)の管轄下にあるバッパーの移動艇で、植民地の街を壊滅させては始末書で済む問題じゃあない。

    一応イットルビアに近付き過ぎる前にちゃんと減速するだろうから、それを勘定に入れれば、道中をアレの推進能力のいっぱいいっぱいでかっ飛ばしたことになるだろう。


    「飛閃(ひせん)のエンジン焼き切れてねぇか。だいいち、空にしちまったらエネチャージに時間掛かるだろう。エマージェンシーコールあったらどうする気だ?」


    「オイラそんなにやわじゃないし、ちゃんとその辺の計算ぐらいできるもん」

    「どーだか……。しゃーないな、一丁飛閃診てやるか……」

    酢でさっぱり目に仕上がっていたとはいえ、手掴みにしていたチキンのせいで、ねとねとと光っている指を下品に舐めながら席を立った。


     セレは盛大に抗議をする。

    「やめてよ。ろくちゃん、メカニックの才能ゼロ以下なんだから。オイラに悪戯するなんて、やめてっ。酷いことしたらダメェ……っ」

    言い方が微妙にエロいなぁと保志はあきれて脱力しそうになった。


    「お前は勝手に湧いて出た相棒だけど、飛閃はオレがオーダーした俺のマシンだ。幾らメインAIだからって、俺がいじるのにいちゃもんつける資格はねぇぞ」

    「ろくちゃんが変なことしたら、それことエマージェンシーコールに対応できなくなるってば。あんたは素直に、アバタロイドごっこしてるだけにしてよ」

    セレが必死に口説こうとする。


     飛閃(ひせん)というのは、現場に出動要請が出たとき、保志が利用するための高速軽快艇である。当然保志は出動するときにそれに乗ることになるのだが、高速移動能力を重視して特注したため、アレが能力限界までの加速をすると、中身の人間は前述の通りミンチになってしまうという、致命的欠陥を持っている。

    散歩程度の速度で、警邏(パトロール)しているときには、生身のまま乗ったりしないでもないが、あまり気密性にも信頼がおけない作りもしているし、突然の出撃……もとい、出動要請がきてフル加速が必要になった場合にフットワークが鈍る。そんなこんなで、生身で乗ることを想定してチョイスした飛閃を、結局保志は、基本的には乗らないでアレ自身をアバタロイドとして使うことが多い。


     アバタロイドとして動くことが可能な飛閃。ということは、そう、飛閃は船型ではなく、人型なのだ。スリーサイズは残念ながら保志は把握していないが、身長(タッパ)だけでいうなら約八メートルの巨体だ。子供のころの保志は、戦闘ロボットモノのアニメや3D実写映画が、男の子にありがちなことに大好きだった。

    バッパーに着任したとき、利用可能な高速移動のための備品カタログの中に、八メートルの巨体を持つロボットというか、パワードスーツというかといった、アレを見たとき、まったく迷わなかった。自分が乗るのはアレしかないと思った。

    しかし、そういうものが好きなのに、実際保志はその中身にまで全く興味を持たなかった。

    それに乗った自分が、どう颯爽とかっこよく行動するのか。悪人を退治し、あるいはとっつかまえ、ついでに自分も危機一髪で危ういところを逃れたりする。というようなのは妄想できても、そいつが飛ぶ原理そのものを知りたいとこれっぽっちも思わなかったという、ジェンダー的男女性差論は、やはり紋切り型に過ぎないよね、とでもいうような種類の機械オンチ。全高8.82メートル、重量、4.14トンというものが持つ意味を、意思決定の段階で認知しきれていなかったのは、やはり、うっかり保志の落ち度といって過言でない。


     


    型式番号:RZM-001F

    メーカー:REISHIKI

    ジェネレーター出力:2850kw(本体)

    1380kw(フライトユニット)=4230kw

    スラスター推力:52800kg

    総スラスター数:47基

    総ハードポイント数:12基

    戦闘継続時間:最大出力時150分

    通常稼働時600分

    固定武装:頭部バルカン砲

    オプション:

    マシンガン/ハンドガン/ミサイルランチャー/フライトユニット(サブジェネレーター兼用、ミサイルポッド付)/バズーカ/ガトリング/ナイフ/ブレード/シールド/レーザーカービン/ヴァリアブルビームサーベル(カタール、トマホーク、ハチェット、ピック、サイス兼用)


     


     飛閃(ひせん)の『スタート・ガイド・マニュアル』の製品仕様抜粋一覧に、ものものしく並ぶ、それらの言葉や数値の意味を、なぜちゃんと想像しなかったのか。宇宙空間歪曲航法(スペース・ワープ)へ、通常高速飛行から移行(シフト)するときの一瞬だけ達する光速。その速度に至るまでの加速に、やわな人間の体は耐えられない。


     保志が任地(にんち)にやってきたとき、その移動は人体には多大な損傷を与えるので当然、耐Gカプセルにつっこまされて準冬眠状態(ニア・コールド・スリープ)させられて、ただの荷物同然になって運ばれてきた。超高速飛行そのものはいまだに実現されていないが、もしそんなものが開発されていたら、任地(ここ)で覚醒したときには、家族はみんな数世紀も前に死滅しているという笑えない事態になる。

    光速に限りなく近い通常高速飛行速度まで加速するのに場所を選ぶというだけで、亜空間利用が、実用化されたことで、そういう意味での超高速移動手段を用いる物語は、ロマンとして燦然(さんぜん)と輝きつつも現実問題として陳腐化した。


     もっとも、生きている人間で亜空間を目の当たりにした者は未だに誰もいない。亜空間へつながる速度まで生身のまま加速することは不可能だからだ。限りなく死体に近づくまで細胞を固めて、耐Gカプセルにぶっこんで、初めて亜空間移動航法による乗客(パッセンジャー)に人はなれるのだ。中絶薬RU486

    チンパンジーで成功していたとはいえ、初めて亜空間利用方式の宇宙空間歪曲航法での人類発生地太陽系(HRB)外への旅人となった、ロシアのルバノフ大佐は偉大だったといえよう。

    まあ、一説によると、かのルバノフ大佐は、実質として狂気の時代を演出した独裁者だったらしいチュグーエフ大統領の暗殺に失敗して、その詰め腹を切らされたというのが本当らしい。人類初の有人亜空間トリップに成功したから英雄だが、失敗していれば闇に葬られていただろうと。

    そして、ルバノフ大佐の覚醒に成功させ、再冬眠させて地球へと帰還させるという、あの宇宙開拓史上でも一際(ひときわ)輝いている、栄光の旅行(トリップ)のその時から、一貫して、考え想像できる人工知能(TAI(タイ)=Thinkable artificial intelligence)は人類発生地外太陽系旅行者(トラベラー)――実際に生まれたときに持った肉体のままその地に立つもの――の、使用人(サーバント)であり、支配者(ルーラー)であり、友(フレンド)であった。


     理論的には可能だったものの、受信者がいないために検証ができず、開発者が宣伝していた成功が疑問視されていた、亜空間通信(SSC=Sub-space communication)は、その亜空間をトンネルにして超遠距離にある発信機と受信機間のタイムラグを打ち消してしまうというものだ。

    未だに大気が邪魔をして、なかなか絶滅することができない、地球上ですら起こる通信のタイムラグを無くすSSCなしに、シンクロイド・システムはもちろん、アバタロイド・システムすら絵空事だったはずだ。


     話が飛閃から激しく脱線した。つまり、端的にいえば、人口過密域(とかい)である人類発生宙域(HRB(ハーブ)=Human race's birthplace)を抜けるまでは使われる、宇宙空間歪曲航法搭載船の加速に耐えられないヤワな肉体の持ち主ごときに、飛閃の加速に付き合いきれるだけの丈夫さはないということだ。


     仕様書の数値を見て、星は飛閃(あいつ)の力をフルに活用しようと思えば、生身では扱いきれないということに、なぜ気付かなかったのだろう。



    なんでアレがカタログに載っていたのか、保志はどうにも不思議でならない。とにかく、戦闘いつでも可能な凶悪装備。どう考えても司法の持ち物ではなく、軍など戦争屋がもつに相応しいラインナップ。あそこまでゴツく複雑な機械は、絶妙にどころか普通に制御するのさえ普通の人間にはまず無理に近いと思う。

    現実的な転倒回避策として、運転者(ドライバー)は運動制御AIに何度の方向にどれぐらいの速度で進みたいかなどを大雑把に口頭で指示して、細かいところは思い通りに動かなくても気にしないことにして任せてしまうという方法がある。

    それからもう一つは、モーキャプ(モーション・キャプチャ)・システムを利用するやり方だ。モーキャプというのは、もともとはゲームに出てくるキャラクターの動きを人間っぽく見せるために開発された技術らしい。具体的にはモーキャプのステージで実際に動くことによって、アバタロイドを実際に動かしているAIに再現してもらうという方法をとるわけだ。


     実際はそんな形をしていることはあり得ないわけだが、モーキャプ・ステージの中央に立つと、球体の内側の全面がモニターになっいるため、もし自分が飛閃だったならば見えているはずの風景の中心点に浮いているような不思議な感覚になる。モーキャプ・ステージの壁面は全方向ドレッドミルみたいになっているので、走ろうが飛ぼうが自分に実感はあるものの、周りが動くだけで本人の位置は厳密に静止しているというほどではないにしろ、まったく移動しない。飛閃(ひせん)の目でみた世界を見て、飛閃(ひせん)が感じる風圧を――宇宙空間にはそんなものはないのだが――感じることができる。

    それは操作者が我に返って己がしていることの虚しさに絶望しないようにするためという親切心からではなく、アバタロイド・システム自体がゲームとして発展してきた技術だから、そもそも持っている機能なのだ。標準で搭載されている、動いている人間が、実際に運動した時に得られる快感に近い数値を、感覚器官にフィードバックさせるシステム。それを人型警邏車両に転用するときに、わざわざ金銭を余分にかけてまで、その機能を削ることに必要を見いだす様な者がいなかったと……そういうことだろう。


     


     それにしても飛閃をお買い物に使うというのは、4444は何を考えているんだろうか。データを引っ張ってきたり、高速で計算したりが専業のAIならともかく、多分妄想すら可能なTAIは、人間サマなみに狂うということもアリなのだろうか。

    現状として、我が命の生殺与奪『権』はなくても、『力』は持っている。宇宙で生き物としてはソロ・プレイをしている保志には、文字通り神様に等しい。ちょっとばかり天真爛漫すぎるガキんちょのようなセレの笑顔に、保志はどうしても背中に寒けを禁じ得なかったりするのだ。


     そんな保志に頓着せず、セレが楽しそうに言葉を続けた。


    「さてと、ろくちゃん、はやく三分の一を、三分の三にするための二つを選んじゃおうよ」


     腕組みをして,難しげに眉間にシワを寄せて、保志はセレに釘をさした。


    「人間サマをカウントするときに使う数助詞は、『人(ニン)』をチョイスするように」

    「ニンって、それって、やっぱり忍耐のニンだよねぇ……?」


     相変わらず美耶子のままで、息子の声でかららと笑うセレを見ながら、本当に総合司法庁(オマル)のTAIは真っ当なんだろうかと、日に日に濃厚になっていく疑問に、またしても保志は囚われるのであった。MaxMan

     

    posted by NoName at 14:29| Comment(0)TrackBack(147)未設定

    2012年12月31日

    追跡者

    「うわっ――!!」

     ベッドで跳ね起きたとき、窓の外はもう白んでいた。ちちち――と、鳥の声もしている。

     隣りのベッドを見やると、マリアが目を見開いてこっちを向いている。

    「何ごと?」

    「いや」

     ダリオスは汗でびっしょり濡れたブロンドを掻き揚げた。まだ、さっき夢の中で闇に落ちていった感覚をはっきり思い出せる。背筋が寒い。簡約痩身美体カプセル

    「怖い夢でも見た?」

     マリアは弟でもあやすような調子で言った。

    「変な夢だ」

     と、ダリオスは薄物一枚でベッドを出、サイドテーブルから十字架(クロス)のネックレスを取り上げた。それを首に掛ける。そして窓際に行き、十字を切って朝のお祈りを始める。

     マリアもそれを聞きながら、眠たそうに体を起こす。

     ハーフトップと短いスパッツの下着姿でベッドから立ち上がると、大きく伸びをした。まずは着替えだ。

     夕べ脱いだまま放り出してあったハイネックのシャツをかぶり、ウエストにソックスを吊るためのサスペンダーを着ける。その上からショートパンツを穿く。さらにニーソックスも穿いて、サスペンダーを留める。

     最後にシャツの上から、襟ぐりの大きめに開いたベストを着た。

     ダリオスもお祈りを終えて着替えを始めた。こちらは、いつもの紺のカソックを着た。ただし、乗馬の便のために長い裾の両脇を大きくスリットにしてしまっている。

     これをやったのはマリアの仕業で、ダリオスは最初、聖職服にハサミを入れるなんて嫌がったのだ。しかしマリアが、

    「でもその裾、馬に乗るときすごくうっとうしいじゃない。実用を優先させるのが罪だなんて聖書には書いてないんだし、神様だって許してくれるわよ」

     と、言い切った。思い切りよくハサミで両脇を切り、縁を針と糸でかがってくれた。意外と、馴れた手つきで縫い目もきれいなものだった。

     で、それをダリオスは最初しぶしぶ着ていたのだが、確かに乗馬の際足を使うのが楽で、案外重宝してしまっている。

     二人とも身支度を終えると、連れ立って宿の一階の食堂へ行った。

     朝食を二つ頼んだ。周りのテーブルには、ちらほらと今朝発つらしい客が座っている。

     ダリオスは食事が運ばれるのを待つ間、マリアに今朝見た回廊の夢について話して聞かせた。

    「へーえ」

     と、マリアは興味を持ったようで、

    「あなたって、よく意味深な夢見るわよね。霊感が強いのかな。占い師の素質あるかもよ」

     思えば二人が出会う前、前世の夢によって運命を予見していたのもダリオスの方だった。マリアの方は魔術師としては逸材かもしれないが、そういう感受性とかいうものはさっぱりらしい。

    「意味深というか、わけがわからん夢だった」

    「サングリアルを探せ――か。何だか素敵。まるで英雄物語に出てくるご神託が降りたみたいじゃない」

     うっとりと切れ長の目を細め、

    「ねえところで、サングリアルって何」

     ずる、とダリオスが椅子から落ちそうになっていた。

    「知らないのにうっとりするな」

    「何に恍惚としよーとあたしの勝手でしょ」

     ダリオスは何とか体勢を立て直し、

    「サングリアルっていうのは、聖杯のことだ」

     と、言った。

    「せいはい――?」

    「聖杯。聖なる杯(ゴブレット)」

     と手元の水の入ったゴブレットを持ち上げて見せた。

    「ホーリー・グレールとも言う」

    「何かどえらい代物なわけ?」

    「救世主が最後の晩餐で使ったと伝えられるゴブレットを、サングリアルって呼ぶのさ。聖遺物ってやつだ。サングリアルには、救世主の奇跡の力が受け継がれてると言い伝えられてる」

     無信心なマリアでも、救世主とか最後の晩餐くらいはさすがに知っている。

     へーえ、と頷いて、それからますますうっとりとした。

    「やっぱり小説の中の話みたいじゃない。救世主の聖杯を探しに旅に出るなんて」

    「まだ探すとは言ってないぞ」

    「でもどうせ行くあてがあるわけじゃないし」

    「サングリアルは所詮伝説の中の宝で――」

    「あら、腐っても元クライス騎士団の騎士がそういうこと言っていいわけ? 神と救世主への信仰はどうしたのよ」

    「それとこれとは別の話だ。信仰は信仰、伝説は伝説。人間はアダムの末裔だって教えられた正教徒は、進化論を信じちゃいけないか? だいたい、悪かったな、腐ってて」

     テーブルに肘を着いて顎を支えたダリオスは、むっと半眼になってマリアをにらんだ。

    「でもさ、面白そうじゃない」

    「一生伝説を追いかけて放浪できるような性格じゃない」

    「ロマンのない男ねぇ。夢のお告げでは、できるだけ早く探した方がいいってんでしょ」

    「お告げなんて大袈裟なもんか――」

     と言ったものの、夢の男が言っていた、

    「手遅れになれば――」

     という言葉は確かに少なからず心に引っ掛かっている。

    「できるだけ、後手に回らないことだ。手遅れになれば、おまえの血を分けた者たちが滅ぼされるだろう――」

     未だ記憶にはっきりと、男の声音まで焼きついているのだ。

     二人が言い合っているうちに、給女が朝食を運んできた。

     温かい料理の器が二人の前に供された。トースト、スクランブルエッグに油を抜いたベーコン、ハニーマスタードをかけたポテトに、グリーンピースのピュレ。白い湯気に乗っているいい匂いに、サングリアルどころではなくなった。

     結局、この場はダリオスの方が折れた。

    「まあマリアがそこまで言うなら、午前中に街の図書館にでも、少しサングリアルのことを調べに行ってみるか」

     などと言っている間にもマリアは、トーストにとろとろのスクランブルエッグとベーコンを乗せて、かぶりついている。




    2

     マリア――こと魔術師マリアンヌ=デュフォールと、ダリオスが出会ったのは、ちょうど半年前のことである。

     さる魔族の貴族に命を狙われていたマリアが、旅の途中で雇ったボディガードがダリオスだった。

     旅を続けるうち、マリアとダリオスには、何やら生まれる前の前世からの運命があることがわかったが、だから二人の仲が変わってしまうということはなかった。

    (誰の生まれ変わりでも、マリアの気の強いところや、せこいところが変わるわけじゃない)

    (前世が何だって、ダリオスのお人好しなとこや堅物加減に変わりはないし)

     と、お互い思っているし、

    (マリアはマリアでいい。前世になんて気兼ねせずに、マリアらしくしてればいい)

    (魂の転生がどうのって言われたって、あたしの目の前にいるのは、今のダリオスだけだもの)

     とも思っている。

    「ねえ――」

     マリアは、脚立に腰掛けて高い棚の本をあさっているダリオスを見上げた。

    「ダリオス、何か見つけた?」

    「これといってないな。とりあえず百科事典のサングリアルの項を見つけたくらいだ」

    「見せて」

     ダリオスが下ろしてくれた大きな事典を、背伸びして受け取る。

     半年の旅の間に、ダリオスは二十八歳になった。マリアも、もうすぐ二十一歳になる。

     そのことを考えるたびマリアは、いつまでこんな生活が続けられるんだろうと思う。

     ずっと西の故郷では、マリアは軍隊にいた。魔族に追われていたおかげで、長い長い休暇を取らされてしまったが、そこに帰る日は来るのだろうか。

     ダリオスだって、いつかは旅を終わらせ、自分の国へ帰らなくてはならないのではないか――。

     そう思うと、何とも言えない頼りない気持ちになることがある。

     マリアは床に座り込み、事典を広げた。非常に背の高い本棚が立ち並んでいるので、窓の光があっても少し薄暗い。目を凝らしてサングリアルの項を探す。

     頭上では、ダリオスが黙々と本を手に取ってはめくって見ている。

     ほどなく見つけたサングリアルの項で、まず目を引いたのは大きく載せられたゴブレットの写真である。白黒の写真だったが、実物は金銀の美しいものであろうと思われた。

    (サングリアル……)

     救世主が最後の晩餐でそれから飲んだと伝えられるゴブレット。救世主はそれを弟子の一人であったアリマタヤのヨセフに与えた。彼の子孫が代々それを守っていたのだと想像されている。

     記述の方はそれだけである。写真は、サングリアルをモチーフに作られた、美術品だそうだ。

    「ダリオス、この写真の聖杯、ゼルト教国の美術館に保管されてるのね」

    「ああ。何とかいう芸術家が教皇貎下(げいか)に贈った物らしいな。貎下がそれを寄贈して、国の民にも公開してくださったというわけだ」

    「これは本物のサングリアルじゃないんだ」

    「だからサングリアルは、伝説の宝なんだ。古い騎士物語なんかだと、聖杯城って場所があって、そこにサングリアルがあると言われてる。だが聖杯城が一体どこにあるとか、確からしい記述はほとんどないのが普通だ。たぶん作り話なんだろう」

    「ふうん」

     マリアは腰を上げ、事典をダリオスに返した。

     ぶらぶらと本棚の周りを歩き回ってみる。

     ここデミアの街にある国立図書館は、近隣諸国でも他を見ない蔵書量で名高い。

     またその造りも素晴らしい。

     各階とも、高い天井まで届く巨大な樫(かし)の本棚が、一分の狂いもなく並んでいる。古風な形の窓から柔らかく光が差し込む。まるで本に埋(うず)もれるようなこの場所は、書を愛する者にはたまらないだろう。

     マリアは、古典の騎士物語が収められている棚の前にやってきた。

     古(いにしえ)の大陸王アルテュール年代の話が多い。マリアも騎士ランスロの物語くらいは読んだことがあるし、少女時代は憧れたものだ。procomil spray

     上の方の棚の書名を目で追っていく。

    『ランスロ』

    『トリスタンとイズー』

    『アルテュール王物語』

    『アレクサンデルの死』

     ――本の間に挟まって、少し奥に隠れている小さな一冊がある。

     手を伸ばしてそれを取ろうとした。が、もうちょっとというところで手が届かない。

    (ん……)

     背伸びをしても、ようやく指先が背表紙に触るだけだ。

     あきらめようかと思ったら、すっと隣りから黒い袖の手が現れた。細長い指を本の間に差し込み、奥の紺の背表紙を取り出す。

    「この本が取りたかったのかな? レディ」

     と言って、マリアを見下ろし微笑みかけてくる。

     ずいぶん背の高い男だった。黒いピンタックのシャツに黒いトラウザーズを穿いて、おまけに髪も瞳も黒い。カラスみたいな男だった。

    (うわぁ、いい男)

     マリアが今まで見たこともないくらい、綺麗な顔立ちをしていた。面長で涼しい目元、整った鼻筋。それに声まで美しい。楽器でも鳴らすような美声だ。

     しばし見とれていたら、男がちょっと首をかしげた。それがまた様になっている。

    「この本ではなかった?」

    「あ、いや、ええと――ありがとう」

     我に返って男から本を受け取る。にこりと男が笑うと、目元がピンク色になるほどドキドキしてしまった。




    3

     悪魔に魅入られるのもきっとこういう気持ちなのだろう。

     男が去ろうとしないので、マリアもその場から動けなくなってしまった。

    「君はひょっとして外国人?」

     男はマリアの顔立ちからそう思ったらしい。

    「この国へは旅行か何かで――」

    「え、ええ。まあ。その、観光に」

    「ここの図書館は見事なものでしょう。これだけの蔵書はなかなか他にはない」

     顔を上げ、高い天井辺りを見回すようにする。

    「それに歴史もある。ここを創立した人間は大変に熱心な魔法学の学者でね、自身は魔術師ではなかったが。悪魔に――堕天使アスタロトに乞うてまで知を深めたと言われる。その知識の全てを納めたのが、初期のここの姿だった。今は魔法学に限らずありとあらゆる本を集めているが」

    「へぇ……」

     マリアは感心して、

    「それにしても悪魔に教示してもらってまでなんて」

    「アスタロトは予言や学術を与える。ソロモン以前に地水火風の四元素と精霊の理を大地に住む者に明かし、古代の魔術を完全なものにしたそうだからね」

     博識な男は、マリアの手元を覗き込んできた。

    「聖杯伝説に興味があるのかい」

    「えっ」

     マリアは紺表紙の本の題を見た。

    『ペルスヴァル』

    「ペルスヴァルは、騎士物語では聖杯探索を成功させた騎士の一人として有名」

    「そうなんだ。ちょうどよかった、サングリアルの本を探してたの」

    「騎士や聖杯の物語が好きだなんて、可愛いね」

     笑いかけられるとマリアは、ぽっと魂を抜かれたような気持ちになってしまう。

     男の人に可愛いなんて言われたのはいつぶりだろう。少なくともダリオスが言ってくれたことはない。

    「聖杯――サングリアルなんて本当にこの世にあるのかな」

     と男は言った。

    「騎士物語では、聖杯城にたどり着いているけど」

    「でもそれは、作り話なんでしょう?」

     マリアはちょっと甘えるような声を出した。女の子が好意を寄せている男性によくやる、あれである。

    「確かに作り話だ。だがモデルになった城は実在する」

    「モデル?」

    「この国から西へ行ったところに、カルラディッシュという国がある。その国のある山中にとても古い城が建っていて、魔族の男が守っている。そこにサングリアルが眠っていると一説では伝えられている」

    「一説では、ってことは、まだ他にもあるの?」

    「そりゃそうさ。誰も本物のサングリアルを見た者がいないんだから。これこそサングリアル、と信じれば、ただの古ぼけたコップでもサングリアルになる」

    「そんなものかしら……」

    「ただカルラディッシュの城の場合は、ただのコップではなくて霊的な力を持った物らしいけれど」

     ところで君、名前は? と男は尋ねてきた。

    「マリア」

    「ああ、いい名前だね。聖処女と同じだ」

    「あ、ほんとはマリアンヌだけど、みんなマリアって呼ぶの」

    「じゃあ僕もマリアって呼んでいいのかな。図書館を歩き回るのも意外と疲れるだろう、マリア? 近くにカフェテリアがあるんだ。少し休憩しないかい。サングリアルのことをもっと教えてあげるよ」

    (こ、これは――)

     ひょっとして。まさか。もしかしたら。これは世に言うナンパというやつではないのか。

    (うそー、こんなキレイな人に)

     世の中に擦れた女性なら、顔がいい上にこんな風にナンパしてくるなんて、遊び慣れてるんじゃないのか。くらいは思ったかもしれない。マリアは、そういうところは純情なようだ。

    「喜んで――」

     と今にも答えそうになって、やっと本棚の向こうにいるダリオスのことを思い出した。

    「あっでも、あたし連れがいるの」

    「男の人?」

    「ま、まあ一応――」

     心の中で、目の前の男とダリオスを秤にかけてみる。うーんと悩む余地もなく、天秤は簡単に男の方に傾いた。

    「あの、ちょっと待ってて。連れに外に出ること、伝えてくるから」

     マリアは本棚の間を抜けてダリオスのところへ戻ろうとした。

     しかし戻るまでもなく、ダリオスの方がマリアを探して近くをうろうろしている。

    「ダリオス、こっちこっち」

     と、マリアが声を上げると、背後の男は急に態度を一変させた。少し慌てた風に、

    「あ、いや、連れがいるなら無理にとは言わない」

     近づいてきたダリオスから逃げるようにして去ってしまった。

    「ごめんよ。それじゃ、またどこかで会おう、マリア――」

    「えっ」

     マリアが振り返ったときには、男はすでに背中を向けている。ダリオスが、ひょいと本棚の陰からそれを覗き込んだ。

     頭の先から足の先まで黒色に覆われた後ろ姿に、見覚えがあった。

    (まさか、な……)

     今朝夢に見た、黒衣の男の去っていく姿によく似ていたのである。




    4

     美形とお茶するチャンスを逃したマリアは、その後しばらく不機嫌にしていた。

     マリアから事情を聞いたダリオスも、なんとなく面白くなさそうな顔をした。

    「人にサングリアルのことを調べさせておいて、自分は知らない男にナンパされてたのかおまえは」

    「あたしだって本を探してたのよ。そうしたら、あの人が高いところの本を取ってくれて、それにサングリアルのことも少し教えてくれたの」

    「だからって、ほいほい知らない人間について行くんじゃない。何かあったらどうするんだ」

    「何かって何さ。子どもじゃあるまいし。あなたあたしの保護者?」

    「べ、別に、そういうわけじゃないが……」

     面白くないじゃないか。俺が一緒にいたのに、他の男と出掛けようとしてたなんて。

     ダリオスは手元のカップからミルクティーをひと口飲んだ。結局、図書館近くのカフェテリアで、二人でお茶している。

     白い丸テーブルの席が店の外に並んでいて、その軒下近くに二人はいる。

     マリアはさも残念そうに、テーブルに突っ伏した。

    「ああー、あんな素敵な人に誘われるなんてもう二度とないわよ、きっと」

    (二度も三度もあってたまるか)

     半年間一緒に過ごしてきたが、ダリオスはこんなに色気づいているマリアは初めて見た。自分は今まで男だと意識されてなかったのか。と思うと複雑な気持ちだが、ちょっと安心もした。マリアも一応普通の女の子なのだ。

     ダリオスはダリオスなりに、マリアに異性として気を遣ってきたつもりである。マリアが宿泊代をケチるから、同じ部屋に寝泊りすることはある。でも着替えのときは極力席を外し、そうでなくても見ないようにしてきた。マリアが生理で辛そうにしていれば、できるだけ優しくした。つもりだ。

    (俺ってばかなのかな……)

     どうしてこんな、せこくて乱暴で、俺のことなんて便利な盾くらいにしか思ってない女のことなんか……。

     とふいに、正面から額に皮のコースターが飛んできた。ぺちんとぶつかって、膝に落ちる。

    「いてっ」

     マリアがコースターを投げた格好のまま、こっちをにらんでいる。

    「何するんだ」

    「なんか今、あたしの悪口言われてるような気がした」

    「人の心を読むなよ。人間離れしてるぞ」

    「あーやっぱり悪口考えてたんじゃない」

     ダリオスは、むっと口をつぐんだ。コースターのぶつかった額を押さえ、なんだか難しい顔をして、

    「マリア――おまえ俺のことなんか、いざとなったら敵の攻撃を避ける盾くらいにしか思ってないだろう」

    「は?」

    「いや、いい。何でもないんだ別に。気にしないでくれ……」

     そのうち顔を上げ、ため息をひとつついた。空気を仕切り直すように声を大きくした。

    「それで、行くのかカルラディッシュ国に」

     マリアはしばし考え込んだ。WENICKMANペニス増大

     グラスのエールを少し飲んだ。そのまま手首を揺らして、中に浮いている氷をくるくる回してみたりする。氷から目を離さないまま、聞き返す。

    「あたしが決めていいの?」

    「俺はどっちでもいい」

    「じゃあ」

     ダリオスを見た。

    「行く」

    「行くか――」

    「うん」

     頷き、グラスを下ろす。

    「行ってみたい。半年前のあのときみたいに、あなたの夢には何かあるような気がするもの。サングリアルを探せ、ってお告げがあってからこんなにすぐ、カルラディッシュの聖杯のことを知るなんて、なんだかでき過ぎてると思わない?」

    「―――」

    「あたしね、最近ちょっと神様のこと信じてるの」

     だって、と語を継いだ。

    「半年前、魔族に追われてたときにダリオスと会ったのだって、十分でき過ぎてたじゃない。神様がおぜん立てしてくれたとでも思わなきゃ、説明がつかないわよ」

    「だから今度も、神の導きだろうって?」

    「そういうこと」

    「そう何度も何度も神が導いてくださるほど、聖人君子じゃないぞ、俺もおまえも」

    「悪かったわねっ、俗物で」

    (何もそこまでは言ってないが)

     ダリオスは夢の黒衣の男を思い浮かべた。あれは神の啓示というには、それこそ俗っぽかったと思う。神や天使というのは、ああいう何と言うかお茶目な性格をしているものだろうか。人をからかったりして。

    「まあいいや。とにかく行ってみるか、カルラディッシュに。そうと決まれば明日の朝には発つか?」

    「そうね。気が変わらないうちにね」

     というわけで、出立(しゅったつ)の日は決まった。

     宿に帰った二人は荷物をまとめ、明日に備えてゆっくり休んだ。

     そして明朝――

    「今日も晴れそうだわ」

     雲一つない空がようやく白み始めてきたのを、マリアは窓から眺めた。ベッドに戻り、着替えを始める。肌に触れる朝の空気がひんやりと冷たい。

     日が昇らないうちにマリアとダリオスは宿を後にし、街道へ向かった。


    カルラディッシュ国は、マリアたちの住むサンドラシル大陸の真ん中から、やや南西に位置する。

     経度はダリオスの故郷ゼルト教国とほぼ重なる。カルラディッシュから一つ小国を挟んで北に、ゼルト教国の国土が広がっている。

     午前中には街道に入ったマリアとダリオスは、一つめの宿場に着くとそこで馬を借りた。マリアが栗毛、ダリオスが青毛の馬にそれぞれ飛び乗り、さらに街道を行く。

     マリアは、ベストの上から篭手(ガントレット)と胸板鎧(ブレストプレート)が一体になった小さな鎧を着けている。背中の金具でマントが固定できるように工夫された品物であった。

     昨今、防具の類は主にミスリルという金属の合金で作られる。軽くて丈夫だ。この大陸に住むエルフと呼ばれる種族の、専売特許である。

     ダリオスの控えめなガントレットや金属靴(グリーブ)もやはり、ミスリル合金製だ。さらに腹を守るベルトから、片手持ちの歩兵剣と左手剣(マインゴーシュ)を提げている。

     歩兵剣は名をカリブスといって、古い言葉で『鉄』という意味である。ダリオスの得意な突き技に向いた細身の剣だった。

     二人を乗せた馬たちは西へ西へと進んでいく。

     カルラディッシュまでは七、八日かかるだろうと思われた。

     数日が旅の足によって過ぎ、道のりの三分の一も来たかという日の正午のことだ。二人は宿場町で休憩を取った。

     馬を休ませ、自分たちは適当な食堂に入る。

     供された鹿肉のシチューを口に運んでは、ぽつぽつ話をしていた。

    「今日中に二つ先の町まで行けるかしら」

    「何とかなるんじゃないか。馬の調子もよさそうだからな」

    「カルラディッシュの聖杯城までは、まだだいぶあるわね」

    「聞いた噂だと、入国さえすれば、あとはさして距離はないらしいが」

     食事を終えて、勘定を済ませ外に出ようとしたとき、入れ違いに駆け込んで来た者があった。

    「あっ、お客さん」

     マリアとダリオスに鉢合わせるなり、ひどく慌てて顔面蒼白になった。

     飛び込んできたのはこの店の下働きの少年だった。慌てているせいばかりで顔を青くしているのではなかった。何があったのか、額を血に濡らしている。押さえている手指の間からまだじわじわと赤いものが溢れてくる。

     マリアもダリオスも驚いた。この少年は、さっき店に入る前、チップを渡して馬の世話を頼んだ少年だ。

    「ちょっと、どうしたの」

     マリアが少年の傷口を見ると、コブができている。ぶつけたか、殴られたかした傷らしかった。

    「あ、あの……」

     少年は怪我のことなどどうでもいい、というように、すがるような目をした。

    「あの、すみません、それが……さっき俺が裏で馬に水をやってたら、ターバンかぶった男が来ていきなり角材で俺の頭を殴ったんです。それで、馬を」

    「盗られたの」

    「は、はい、あの」

     すみません、すみませんとしきりに頭を下げる少年の肩を、マリアはぽんと叩いた。

    「いいのよ。あなたのせいじゃないわ。――おじさん」

     とカウンターの向こうの店主を振り返り、

    「この子の手当てしてあげて」

     言うなり外に飛び出す。

    「それから、警察も呼んでくれ」

     と、ダリオスも後に続いた。

     さらに二人を追うように店の隅の席を立った客がいた。

    「マスター、勘定頼む」

    「は。ああ、はい」

    「釣りはいいよ。その子のチップにしてやってくれ。店に入るとき靴の汚れを払って世話してくれた」

     男が店を出るとき、揺れたマントの裾から長い剣の鞘が覗いた。

     店主は男の背をしばし眺めた。そのうち我に返った。怪我した少年を手招き、

    「おいで。手当てしよう」

     店の奥へと姿を消した。

     外へ出た男はマリアとダリオスの姿を探して辺りを見回した。

    (どこへ云った)

     まさかあいつら、強盗を追っかけていったのか。

     近くにいた人間を掴まえて、鎧を着けた女と背の高い男の二人連れを見なかったか、と尋ねてみた。

    「あっちの方に血相変えて走っていったよ。その二人にも、馬二頭連れたやつ見なかったかって聞かれたんだ」

     言われた方向に駆け出す。

     しかしほどなく行ったところで、急に強い向かい風に遭って思わず足を止めた。

     いや、ただの向かい風ではなかった。自然の風の吹き方ではない。

     まるで風の精霊が気ままに飛び回っているように、捉えどころなく吹き巻いている。

    (何だ)

     男は乱れたブロンドを掻き揚げ、前を見ようとした。

     マントが宙に舞い上がる。腰の剣と、胸に下げた十字架のネックレスがあらわになった。

     一瞬だが風がぐんと強くなり、目を開けていられなかった。腕で顔をかばう。先を走っていった二人の顔が思い浮かぶ。

    (あいつらの仕業か――?)

     むちゃをしやがる。




    6

    「あの馬、借り物なのよ。盗られたら弁償しなきゃならないじゃない!」

     そーいう問題か。とダリオスは言おうとして、思い直した。そういう問題でもあるな。

    「子どもを殴り倒して盗みを働くなんて、非道な」

    「そうよ! 磔(はりつけ)にして市中引き回しの刑にしてやるっ」

     本気でやりかねない調子だ。

     マリアは声のトーンを一段落とす。


     ラス ウェントス レガネラ ミヒルス 聖母 始祖のフラグネ ダクス ペルゼス 二の目――


     唱え始めた呪文に応えて、周囲に風が吹き込んでくる。道を行く人々が驚いて足を止めた。古い宿屋の戸がカタカタ音を立て、軽い看板などは吹き飛びそうになった。

     やがてそれはマリアの体を取り巻き、一瞬ぐんと強くなる。


      天空 後継者ウィジャール ミズ・ファルコン・アグド――


    「ヒエラクス」

     最後の呪文で風はマリアを一気に高いところへ吹き上げた。

    「マリア、むちゃするな」

     というダリオスの声は、ほとんど届かなかっただろう。風の精霊と相性のいいマリア得意の飛翔魔術(ヒエラクス)は、彼女に鳥と同じ高さを飛ばせている。

     さっき道の人に教えてもらった方向に向かって真っ直ぐ飛んでいく。

     二頭の馬が並走しているのを見つけるのに、上空からなら苦はなかった。Xing霸 性霸2000

    (いた――!)

     馬たちはそれぞれ別の人間に手綱を取られている。どうやら強盗は二人だったらしい。

    「ダリオス、あっち!」

     その声は地上に聞こえたかどうかわからない。が、マリアが腕を伸ばして一方を指差した動作に、ダリオスは言いたいことを察したようだ。走る足を速めた。

     マリアはバランスを崩さないようにしながら、新たな呪文の詠唱に入った。


     ラス ウェントス レガス ミヒルス ミズ・ファルコン・アグド――


    「ヒルンドー」

     さらに速い風がマリアの全身にまとわりつく。

     勢いよくまるでツバメの滑空のように、高度を下げる方へ空を切った。

     馬の足よりはるかに速い。

     道沿いの建物の二階くらいの高さ、高度ぎりぎりまで降下した。ちょうど二頭の馬に並んで飛ぶ形になった。

     当然、馬を駆っていた強盗二人組みは、ぎょっと目を剥いた。

    「あんたたち馬返してもらうわよ!!」

     マリアはやや先に出た。

     右手を前に伸ばし、

    「ザリアー!」

     カッ、と手の中からあふれた閃光が一帯を包む。

     光の中で、馬の鳴き声と脚をばたつかせる様子が耳に入った。馬上の二人が必死に手綱を繰ってなだめようとしている。

     しかし一人がついにこらえきれずに振り落とされた。

    「あっ」

     閃光が止んだ。

     黒馬から落ちたのはフードをかぶった輩だった。まだ興奮している馬のそばでうずくまっている。下手をしたら蹴飛ばされかねない。

     マリアは地面に降りると、馬の手綱を引いてフードの輩から離れさせた。

     栗毛の方に乗ったターバンの男が、フードの方を助けようと動こうとしたが、さっきの閃光で視力をやられたらしい。身動きが鈍かった。マリアの手が男の服を掴み、地面に引きずり下ろす。

     腰の短剣(ダガー)を抜いた。

     男が逃げようとする首筋に突きつけ、

    「動くんじゃない」

     男は大人しくなった。

     うずくまっていたフードの方が、真っ青な顔を上げて叫んだ。フードの下にいたのは髪の長い女であった。

    「あんた!」

    「いいからおまえ逃げろっ!!」

     どうもこのターバン男とフード女は夫婦者らしい。

     女が立ち上がって道を逆戻りに逃げ始めた。ところがこちら側では、抜き身のカリブスを右手に下げたダリオスが待っている。

    「ひ――」

     女は身をひるがえす。脇の路地にまで逃げ込んだが、ついにダリオスに追いつかれた。

     わずかな隙に、フードの端を剣先で板壁に縫い付けられる。そのままひねって首に刃を当てられた。

     ダリオスは静かに言った。

    「殺しやしない。素直に警察に行くんだ」

     一方外では、マリアがターバン男の襟首を掴んでにんまりと笑っている。

    「どうしてくれようかしら」

    「―――」

    「人の馬を盗んだ挙句、子どもまで殴り倒していったってんだから、ちょっと牢屋に入れるくらいじゃこっちの腹が収まらないのよね」

     馬にくくりつけて町中引き回してやろうかしら。と意地悪く言う。

    (冗談だろう)

     と男は思って、黙っていた。

     が、マリアがおもむろに腰のベルトを抜いて、男の手首をくくりつけようとしたから、慌てた。

    「わっ、やめ、やめ。誰か! 誰か警察呼んでくれ!!」

     生きた心地がしない男が声を張り上げるのを、周りの人間は遠巻きに眺めている。

     マリアとダリオスを追ってきた例のブロンドの剣士も、半ば呆れながら見ている。




    7

     そのうちターバン男の妻を連れてダリオスも大通りに出てきた。

     剣士の男は、二人に見つからないようにそっと建物の陰に入った。さっき空を飛んでいたマリアの姿を思い浮かべ、

    (あの女は魔術師だったのか)

     強盗たちを追い詰めたときの魔法は、よく訓練されたものだったと思う。あの二人の関係は、ただの色情的なものではなさそうだな。と考えた。

     もっとも、あのダリオスに情婦を連れて旅するような甲斐性があるとは思えないが。とも考えた。

     さっき料理屋で、妙なことを言っていた。カルラディッシュの聖杯城に向かうと。

    (――神よ)

     マントの下で、胸元の十字架を握る。神の御名を呼んだ。

     どういう運命なんだ。これは――。

     しばらく息をひそめるようにじっと動かなかった。

     二頭の馬がその場を離れる蹄(ひづめ)の音で顔を上げ、そっと道路の様子をうかがった。

     いつの間にか町の警察が駆けつけてきている。マリアとダリオスは取り返した馬と共に、それについて警察署に行くらしかった。

     剣士の男――ミシェル=ランベールは、二人の姿が見えなくなってから、道に出た。自分も同じところに向かおうと歩き出す。

     そのとき、正面からやってきた者と、軽く肩がぶつかった。

    「あ、失礼」

     謝られて、見上げると、かなり長身の美男子だった。髪も瞳も黒く、おまけに黒いマントで体を覆っている。黒づくめだ。

    「いえ、こちらこそ」

     こちらからも謝り、先を急いだ。

     警察署でマリアとダリオスは、警官に捕り物の事情を聞かれていた。外国人だと言うと身分証明証の提示を求められたので、旅行証を見せた。パスポートのようなものだと思ってもらっていい。

     強盗に殴られた少年の話と、馬を取り返そうとしたという二人の話は一致していた。それに犯人の夫婦者が素直に自供した。よほどマリアたちに追われたのが恐ろしかったと見える。

     事情聴取はほどなく終わった。

     自由の身になったマリアとダリオスは、警察署を後にした。

     外に出ると、あれだけ派手に捕り物をしたのだ。当たり前だが町の人の好奇の的になっていた。

     そそくさと馬に乗り、町を出て街道に入る。

     しかし興奮していた馬たちを労ってやらねばなるまい。あまり早足にならないように、ゆっくりと進んでいく。

    「今日中に二つ向こうの宿場まで行くのは無理そうねぇ」

     と、マリアはぼやいた。

     次の町へ、夕方までに行ければいい。と思うと、歩調はのんびりした。雑談をする余裕もできる。

    「にしても、今日はまた一段と派手にやったな」

     ダリオスの言った意味が、マリアは最初わからなかった。それをダリオスは察し、

    「さっき強盗を捕まえたときのことだ。飛翔魔術(ヒエラクス)や滑空魔術(ヒルンドー)はかなり目立つぞ。魔術が未発達な国なら尚更」

    「この辺の諸国は大丈夫でしょ。こないだの図書館、ほらサングリアルを調べに行ったとこ。あそこだって元は魔法学専門だったらしいし。何でも伝説じゃ、悪魔のアスタロト大公に魔術の知識を授かったんだって」

     先日、図書館で黒い服の美男子から聞いた話である。

    「ふうん。精霊魔術の祖は悪魔なのか? ゼルトであまり発達しなかったのはそういう理由かな。俺の故郷は神聖魔術は得意だが、精霊魔術はさほどじゃないから」

    「かもね。精霊魔術っていっても、いろんな系統があるけどね」

     精霊魔術は、地霊テッラ、水霊アクア、火霊イグニス、風霊ウェントスを長(おさ)とする四元素の精霊たちに祈ることで、超自然の現象を起こす。

     対して神聖魔術とは、ゼルト教国を本山とする正教の神や天使、聖人などに祈ることで奇跡を起こすものである。

     マリアの使うような飛行・攻撃等への応用は精霊魔術の得意とするところ。神聖魔術は、対魔族用の数少ない魔法を除けば、攻撃にはほとんど向かない。結界や治療への利用が主だ。

     精霊魔術には、ある程度流派のようなものが存在している。

     マリアの故郷エルドラン帝国では、古い大王ソロモンが解き明かした四元素と精霊の理を基礎にする。言わば『ソロモン派』である。これが一番新しく、エルドラン以外にも各国において現在の本流と言える。

     その他、ソロモン以前の古代魔術や、サンドラシル大陸の北方ガシュテ公国には独自の魔術も発達している。

     ぽこぽこと馬が蹄を鳴らして進んで行く先に、点々とレンガ色の建物が見え始めた。

     次の宿場町までもうすぐである。日はまだ傾き始めたばかりというところだが、まあせっかくだから今夜はゆっくり休もう。Xing霸 性霸2000

    「ゼルト教国で精霊魔術が発達しにくかったのは、研究者がいなかったのもあるんじゃない?」

     

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    2012年12月31日

    追跡者

    「うわっ――!!」

     ベッドで跳ね起きたとき、窓の外はもう白んでいた。ちちち――と、鳥の声もしている。

     隣りのベッドを見やると、マリアが目を見開いてこっちを向いている。

    「何ごと?」

    「いや」

     ダリオスは汗でびっしょり濡れたブロンドを掻き揚げた。まだ、さっき夢の中で闇に落ちていった感覚をはっきり思い出せる。背筋が寒い。簡約痩身美体カプセル

    「怖い夢でも見た?」

     マリアは弟でもあやすような調子で言った。

    「変な夢だ」

     と、ダリオスは薄物一枚でベッドを出、サイドテーブルから十字架(クロス)のネックレスを取り上げた。それを首に掛ける。そして窓際に行き、十字を切って朝のお祈りを始める。

     マリアもそれを聞きながら、眠たそうに体を起こす。

     ハーフトップと短いスパッツの下着姿でベッドから立ち上がると、大きく伸びをした。まずは着替えだ。

     夕べ脱いだまま放り出してあったハイネックのシャツをかぶり、ウエストにソックスを吊るためのサスペンダーを着ける。その上からショートパンツを穿く。さらにニーソックスも穿いて、サスペンダーを留める。

     最後にシャツの上から、襟ぐりの大きめに開いたベストを着た。

     ダリオスもお祈りを終えて着替えを始めた。こちらは、いつもの紺のカソックを着た。ただし、乗馬の便のために長い裾の両脇を大きくスリットにしてしまっている。

     これをやったのはマリアの仕業で、ダリオスは最初、聖職服にハサミを入れるなんて嫌がったのだ。しかしマリアが、

    「でもその裾、馬に乗るときすごくうっとうしいじゃない。実用を優先させるのが罪だなんて聖書には書いてないんだし、神様だって許してくれるわよ」

     と、言い切った。思い切りよくハサミで両脇を切り、縁を針と糸でかがってくれた。意外と、馴れた手つきで縫い目もきれいなものだった。

     で、それをダリオスは最初しぶしぶ着ていたのだが、確かに乗馬の際足を使うのが楽で、案外重宝してしまっている。

     二人とも身支度を終えると、連れ立って宿の一階の食堂へ行った。

     朝食を二つ頼んだ。周りのテーブルには、ちらほらと今朝発つらしい客が座っている。

     ダリオスは食事が運ばれるのを待つ間、マリアに今朝見た回廊の夢について話して聞かせた。

    「へーえ」

     と、マリアは興味を持ったようで、

    「あなたって、よく意味深な夢見るわよね。霊感が強いのかな。占い師の素質あるかもよ」

     思えば二人が出会う前、前世の夢によって運命を予見していたのもダリオスの方だった。マリアの方は魔術師としては逸材かもしれないが、そういう感受性とかいうものはさっぱりらしい。

    「意味深というか、わけがわからん夢だった」

    「サングリアルを探せ――か。何だか素敵。まるで英雄物語に出てくるご神託が降りたみたいじゃない」

     うっとりと切れ長の目を細め、

    「ねえところで、サングリアルって何」

     ずる、とダリオスが椅子から落ちそうになっていた。

    「知らないのにうっとりするな」

    「何に恍惚としよーとあたしの勝手でしょ」

     ダリオスは何とか体勢を立て直し、

    「サングリアルっていうのは、聖杯のことだ」

     と、言った。

    「せいはい――?」

    「聖杯。聖なる杯(ゴブレット)」

     と手元の水の入ったゴブレットを持ち上げて見せた。

    「ホーリー・グレールとも言う」

    「何かどえらい代物なわけ?」

    「救世主が最後の晩餐で使ったと伝えられるゴブレットを、サングリアルって呼ぶのさ。聖遺物ってやつだ。サングリアルには、救世主の奇跡の力が受け継がれてると言い伝えられてる」

     無信心なマリアでも、救世主とか最後の晩餐くらいはさすがに知っている。

     へーえ、と頷いて、それからますますうっとりとした。

    「やっぱり小説の中の話みたいじゃない。救世主の聖杯を探しに旅に出るなんて」

    「まだ探すとは言ってないぞ」

    「でもどうせ行くあてがあるわけじゃないし」

    「サングリアルは所詮伝説の中の宝で――」

    「あら、腐っても元クライス騎士団の騎士がそういうこと言っていいわけ? 神と救世主への信仰はどうしたのよ」

    「それとこれとは別の話だ。信仰は信仰、伝説は伝説。人間はアダムの末裔だって教えられた正教徒は、進化論を信じちゃいけないか? だいたい、悪かったな、腐ってて」

     テーブルに肘を着いて顎を支えたダリオスは、むっと半眼になってマリアをにらんだ。

    「でもさ、面白そうじゃない」

    「一生伝説を追いかけて放浪できるような性格じゃない」

    「ロマンのない男ねぇ。夢のお告げでは、できるだけ早く探した方がいいってんでしょ」

    「お告げなんて大袈裟なもんか――」

     と言ったものの、夢の男が言っていた、

    「手遅れになれば――」

     という言葉は確かに少なからず心に引っ掛かっている。

    「できるだけ、後手に回らないことだ。手遅れになれば、おまえの血を分けた者たちが滅ぼされるだろう――」

     未だ記憶にはっきりと、男の声音まで焼きついているのだ。

     二人が言い合っているうちに、給女が朝食を運んできた。

     温かい料理の器が二人の前に供された。トースト、スクランブルエッグに油を抜いたベーコン、ハニーマスタードをかけたポテトに、グリーンピースのピュレ。白い湯気に乗っているいい匂いに、サングリアルどころではなくなった。

     結局、この場はダリオスの方が折れた。

    「まあマリアがそこまで言うなら、午前中に街の図書館にでも、少しサングリアルのことを調べに行ってみるか」

     などと言っている間にもマリアは、トーストにとろとろのスクランブルエッグとベーコンを乗せて、かぶりついている。




    2

     マリア――こと魔術師マリアンヌ=デュフォールと、ダリオスが出会ったのは、ちょうど半年前のことである。

     さる魔族の貴族に命を狙われていたマリアが、旅の途中で雇ったボディガードがダリオスだった。

     旅を続けるうち、マリアとダリオスには、何やら生まれる前の前世からの運命があることがわかったが、だから二人の仲が変わってしまうということはなかった。

    (誰の生まれ変わりでも、マリアの気の強いところや、せこいところが変わるわけじゃない)

    (前世が何だって、ダリオスのお人好しなとこや堅物加減に変わりはないし)

     と、お互い思っているし、

    (マリアはマリアでいい。前世になんて気兼ねせずに、マリアらしくしてればいい)

    (魂の転生がどうのって言われたって、あたしの目の前にいるのは、今のダリオスだけだもの)

     とも思っている。

    「ねえ――」

     マリアは、脚立に腰掛けて高い棚の本をあさっているダリオスを見上げた。

    「ダリオス、何か見つけた?」

    「これといってないな。とりあえず百科事典のサングリアルの項を見つけたくらいだ」

    「見せて」

     ダリオスが下ろしてくれた大きな事典を、背伸びして受け取る。

     半年の旅の間に、ダリオスは二十八歳になった。マリアも、もうすぐ二十一歳になる。

     そのことを考えるたびマリアは、いつまでこんな生活が続けられるんだろうと思う。

     ずっと西の故郷では、マリアは軍隊にいた。魔族に追われていたおかげで、長い長い休暇を取らされてしまったが、そこに帰る日は来るのだろうか。

     ダリオスだって、いつかは旅を終わらせ、自分の国へ帰らなくてはならないのではないか――。

     そう思うと、何とも言えない頼りない気持ちになることがある。

     マリアは床に座り込み、事典を広げた。非常に背の高い本棚が立ち並んでいるので、窓の光があっても少し薄暗い。目を凝らしてサングリアルの項を探す。

     頭上では、ダリオスが黙々と本を手に取ってはめくって見ている。

     ほどなく見つけたサングリアルの項で、まず目を引いたのは大きく載せられたゴブレットの写真である。白黒の写真だったが、実物は金銀の美しいものであろうと思われた。

    (サングリアル……)

     救世主が最後の晩餐でそれから飲んだと伝えられるゴブレット。救世主はそれを弟子の一人であったアリマタヤのヨセフに与えた。彼の子孫が代々それを守っていたのだと想像されている。

     記述の方はそれだけである。写真は、サングリアルをモチーフに作られた、美術品だそうだ。

    「ダリオス、この写真の聖杯、ゼルト教国の美術館に保管されてるのね」

    「ああ。何とかいう芸術家が教皇貎下(げいか)に贈った物らしいな。貎下がそれを寄贈して、国の民にも公開してくださったというわけだ」

    「これは本物のサングリアルじゃないんだ」

    「だからサングリアルは、伝説の宝なんだ。古い騎士物語なんかだと、聖杯城って場所があって、そこにサングリアルがあると言われてる。だが聖杯城が一体どこにあるとか、確からしい記述はほとんどないのが普通だ。たぶん作り話なんだろう」

    「ふうん」

     マリアは腰を上げ、事典をダリオスに返した。

     ぶらぶらと本棚の周りを歩き回ってみる。

     ここデミアの街にある国立図書館は、近隣諸国でも他を見ない蔵書量で名高い。

     またその造りも素晴らしい。

     各階とも、高い天井まで届く巨大な樫(かし)の本棚が、一分の狂いもなく並んでいる。古風な形の窓から柔らかく光が差し込む。まるで本に埋(うず)もれるようなこの場所は、書を愛する者にはたまらないだろう。

     マリアは、古典の騎士物語が収められている棚の前にやってきた。

     古(いにしえ)の大陸王アルテュール年代の話が多い。マリアも騎士ランスロの物語くらいは読んだことがあるし、少女時代は憧れたものだ。procomil spray

     上の方の棚の書名を目で追っていく。

    『ランスロ』

    『トリスタンとイズー』

    『アルテュール王物語』

    『アレクサンデルの死』

     ――本の間に挟まって、少し奥に隠れている小さな一冊がある。

     手を伸ばしてそれを取ろうとした。が、もうちょっとというところで手が届かない。

    (ん……)

     背伸びをしても、ようやく指先が背表紙に触るだけだ。

     あきらめようかと思ったら、すっと隣りから黒い袖の手が現れた。細長い指を本の間に差し込み、奥の紺の背表紙を取り出す。

    「この本が取りたかったのかな? レディ」

     と言って、マリアを見下ろし微笑みかけてくる。

     ずいぶん背の高い男だった。黒いピンタックのシャツに黒いトラウザーズを穿いて、おまけに髪も瞳も黒い。カラスみたいな男だった。

    (うわぁ、いい男)

     マリアが今まで見たこともないくらい、綺麗な顔立ちをしていた。面長で涼しい目元、整った鼻筋。それに声まで美しい。楽器でも鳴らすような美声だ。

     しばし見とれていたら、男がちょっと首をかしげた。それがまた様になっている。

    「この本ではなかった?」

    「あ、いや、ええと――ありがとう」

     我に返って男から本を受け取る。にこりと男が笑うと、目元がピンク色になるほどドキドキしてしまった。




    3

     悪魔に魅入られるのもきっとこういう気持ちなのだろう。

     男が去ろうとしないので、マリアもその場から動けなくなってしまった。

    「君はひょっとして外国人?」

     男はマリアの顔立ちからそう思ったらしい。

    「この国へは旅行か何かで――」

    「え、ええ。まあ。その、観光に」

    「ここの図書館は見事なものでしょう。これだけの蔵書はなかなか他にはない」

     顔を上げ、高い天井辺りを見回すようにする。

    「それに歴史もある。ここを創立した人間は大変に熱心な魔法学の学者でね、自身は魔術師ではなかったが。悪魔に――堕天使アスタロトに乞うてまで知を深めたと言われる。その知識の全てを納めたのが、初期のここの姿だった。今は魔法学に限らずありとあらゆる本を集めているが」

    「へぇ……」

     マリアは感心して、

    「それにしても悪魔に教示してもらってまでなんて」

    「アスタロトは予言や学術を与える。ソロモン以前に地水火風の四元素と精霊の理を大地に住む者に明かし、古代の魔術を完全なものにしたそうだからね」

     博識な男は、マリアの手元を覗き込んできた。

    「聖杯伝説に興味があるのかい」

    「えっ」

     マリアは紺表紙の本の題を見た。

    『ペルスヴァル』

    「ペルスヴァルは、騎士物語では聖杯探索を成功させた騎士の一人として有名」

    「そうなんだ。ちょうどよかった、サングリアルの本を探してたの」

    「騎士や聖杯の物語が好きだなんて、可愛いね」

     笑いかけられるとマリアは、ぽっと魂を抜かれたような気持ちになってしまう。

     男の人に可愛いなんて言われたのはいつぶりだろう。少なくともダリオスが言ってくれたことはない。

    「聖杯――サングリアルなんて本当にこの世にあるのかな」

     と男は言った。

    「騎士物語では、聖杯城にたどり着いているけど」

    「でもそれは、作り話なんでしょう?」

     マリアはちょっと甘えるような声を出した。女の子が好意を寄せている男性によくやる、あれである。

    「確かに作り話だ。だがモデルになった城は実在する」

    「モデル?」

    「この国から西へ行ったところに、カルラディッシュという国がある。その国のある山中にとても古い城が建っていて、魔族の男が守っている。そこにサングリアルが眠っていると一説では伝えられている」

    「一説では、ってことは、まだ他にもあるの?」

    「そりゃそうさ。誰も本物のサングリアルを見た者がいないんだから。これこそサングリアル、と信じれば、ただの古ぼけたコップでもサングリアルになる」

    「そんなものかしら……」

    「ただカルラディッシュの城の場合は、ただのコップではなくて霊的な力を持った物らしいけれど」

     ところで君、名前は? と男は尋ねてきた。

    「マリア」

    「ああ、いい名前だね。聖処女と同じだ」

    「あ、ほんとはマリアンヌだけど、みんなマリアって呼ぶの」

    「じゃあ僕もマリアって呼んでいいのかな。図書館を歩き回るのも意外と疲れるだろう、マリア? 近くにカフェテリアがあるんだ。少し休憩しないかい。サングリアルのことをもっと教えてあげるよ」

    (こ、これは――)

     ひょっとして。まさか。もしかしたら。これは世に言うナンパというやつではないのか。

    (うそー、こんなキレイな人に)

     世の中に擦れた女性なら、顔がいい上にこんな風にナンパしてくるなんて、遊び慣れてるんじゃないのか。くらいは思ったかもしれない。マリアは、そういうところは純情なようだ。

    「喜んで――」

     と今にも答えそうになって、やっと本棚の向こうにいるダリオスのことを思い出した。

    「あっでも、あたし連れがいるの」

    「男の人?」

    「ま、まあ一応――」

     心の中で、目の前の男とダリオスを秤にかけてみる。うーんと悩む余地もなく、天秤は簡単に男の方に傾いた。

    「あの、ちょっと待ってて。連れに外に出ること、伝えてくるから」

     マリアは本棚の間を抜けてダリオスのところへ戻ろうとした。

     しかし戻るまでもなく、ダリオスの方がマリアを探して近くをうろうろしている。

    「ダリオス、こっちこっち」

     と、マリアが声を上げると、背後の男は急に態度を一変させた。少し慌てた風に、

    「あ、いや、連れがいるなら無理にとは言わない」

     近づいてきたダリオスから逃げるようにして去ってしまった。

    「ごめんよ。それじゃ、またどこかで会おう、マリア――」

    「えっ」

     マリアが振り返ったときには、男はすでに背中を向けている。ダリオスが、ひょいと本棚の陰からそれを覗き込んだ。

     頭の先から足の先まで黒色に覆われた後ろ姿に、見覚えがあった。

    (まさか、な……)

     今朝夢に見た、黒衣の男の去っていく姿によく似ていたのである。




    4

     美形とお茶するチャンスを逃したマリアは、その後しばらく不機嫌にしていた。

     マリアから事情を聞いたダリオスも、なんとなく面白くなさそうな顔をした。

    「人にサングリアルのことを調べさせておいて、自分は知らない男にナンパされてたのかおまえは」

    「あたしだって本を探してたのよ。そうしたら、あの人が高いところの本を取ってくれて、それにサングリアルのことも少し教えてくれたの」

    「だからって、ほいほい知らない人間について行くんじゃない。何かあったらどうするんだ」

    「何かって何さ。子どもじゃあるまいし。あなたあたしの保護者?」

    「べ、別に、そういうわけじゃないが……」

     面白くないじゃないか。俺が一緒にいたのに、他の男と出掛けようとしてたなんて。

     ダリオスは手元のカップからミルクティーをひと口飲んだ。結局、図書館近くのカフェテリアで、二人でお茶している。

     白い丸テーブルの席が店の外に並んでいて、その軒下近くに二人はいる。

     マリアはさも残念そうに、テーブルに突っ伏した。

    「ああー、あんな素敵な人に誘われるなんてもう二度とないわよ、きっと」

    (二度も三度もあってたまるか)

     半年間一緒に過ごしてきたが、ダリオスはこんなに色気づいているマリアは初めて見た。自分は今まで男だと意識されてなかったのか。と思うと複雑な気持ちだが、ちょっと安心もした。マリアも一応普通の女の子なのだ。

     ダリオスはダリオスなりに、マリアに異性として気を遣ってきたつもりである。マリアが宿泊代をケチるから、同じ部屋に寝泊りすることはある。でも着替えのときは極力席を外し、そうでなくても見ないようにしてきた。マリアが生理で辛そうにしていれば、できるだけ優しくした。つもりだ。

    (俺ってばかなのかな……)

     どうしてこんな、せこくて乱暴で、俺のことなんて便利な盾くらいにしか思ってない女のことなんか……。

     とふいに、正面から額に皮のコースターが飛んできた。ぺちんとぶつかって、膝に落ちる。

    「いてっ」

     マリアがコースターを投げた格好のまま、こっちをにらんでいる。

    「何するんだ」

    「なんか今、あたしの悪口言われてるような気がした」

    「人の心を読むなよ。人間離れしてるぞ」

    「あーやっぱり悪口考えてたんじゃない」

     ダリオスは、むっと口をつぐんだ。コースターのぶつかった額を押さえ、なんだか難しい顔をして、

    「マリア――おまえ俺のことなんか、いざとなったら敵の攻撃を避ける盾くらいにしか思ってないだろう」

    「は?」

    「いや、いい。何でもないんだ別に。気にしないでくれ……」

     そのうち顔を上げ、ため息をひとつついた。空気を仕切り直すように声を大きくした。

    「それで、行くのかカルラディッシュ国に」

     マリアはしばし考え込んだ。WENICKMANペニス増大

     グラスのエールを少し飲んだ。そのまま手首を揺らして、中に浮いている氷をくるくる回してみたりする。氷から目を離さないまま、聞き返す。

    「あたしが決めていいの?」

    「俺はどっちでもいい」

    「じゃあ」

     ダリオスを見た。

    「行く」

    「行くか――」

    「うん」

     頷き、グラスを下ろす。

    「行ってみたい。半年前のあのときみたいに、あなたの夢には何かあるような気がするもの。サングリアルを探せ、ってお告げがあってからこんなにすぐ、カルラディッシュの聖杯のことを知るなんて、なんだかでき過ぎてると思わない?」

    「―――」

    「あたしね、最近ちょっと神様のこと信じてるの」

     だって、と語を継いだ。

    「半年前、魔族に追われてたときにダリオスと会ったのだって、十分でき過ぎてたじゃない。神様がおぜん立てしてくれたとでも思わなきゃ、説明がつかないわよ」

    「だから今度も、神の導きだろうって?」

    「そういうこと」

    「そう何度も何度も神が導いてくださるほど、聖人君子じゃないぞ、俺もおまえも」

    「悪かったわねっ、俗物で」

    (何もそこまでは言ってないが)

     ダリオスは夢の黒衣の男を思い浮かべた。あれは神の啓示というには、それこそ俗っぽかったと思う。神や天使というのは、ああいう何と言うかお茶目な性格をしているものだろうか。人をからかったりして。

    「まあいいや。とにかく行ってみるか、カルラディッシュに。そうと決まれば明日の朝には発つか?」

    「そうね。気が変わらないうちにね」

     というわけで、出立(しゅったつ)の日は決まった。

     宿に帰った二人は荷物をまとめ、明日に備えてゆっくり休んだ。

     そして明朝――

    「今日も晴れそうだわ」

     雲一つない空がようやく白み始めてきたのを、マリアは窓から眺めた。ベッドに戻り、着替えを始める。肌に触れる朝の空気がひんやりと冷たい。

     日が昇らないうちにマリアとダリオスは宿を後にし、街道へ向かった。


    カルラディッシュ国は、マリアたちの住むサンドラシル大陸の真ん中から、やや南西に位置する。

     経度はダリオスの故郷ゼルト教国とほぼ重なる。カルラディッシュから一つ小国を挟んで北に、ゼルト教国の国土が広がっている。

     午前中には街道に入ったマリアとダリオスは、一つめの宿場に着くとそこで馬を借りた。マリアが栗毛、ダリオスが青毛の馬にそれぞれ飛び乗り、さらに街道を行く。

     マリアは、ベストの上から篭手(ガントレット)と胸板鎧(ブレストプレート)が一体になった小さな鎧を着けている。背中の金具でマントが固定できるように工夫された品物であった。

     昨今、防具の類は主にミスリルという金属の合金で作られる。軽くて丈夫だ。この大陸に住むエルフと呼ばれる種族の、専売特許である。

     ダリオスの控えめなガントレットや金属靴(グリーブ)もやはり、ミスリル合金製だ。さらに腹を守るベルトから、片手持ちの歩兵剣と左手剣(マインゴーシュ)を提げている。

     歩兵剣は名をカリブスといって、古い言葉で『鉄』という意味である。ダリオスの得意な突き技に向いた細身の剣だった。

     二人を乗せた馬たちは西へ西へと進んでいく。

     カルラディッシュまでは七、八日かかるだろうと思われた。

     数日が旅の足によって過ぎ、道のりの三分の一も来たかという日の正午のことだ。二人は宿場町で休憩を取った。

     馬を休ませ、自分たちは適当な食堂に入る。

     供された鹿肉のシチューを口に運んでは、ぽつぽつ話をしていた。

    「今日中に二つ先の町まで行けるかしら」

    「何とかなるんじゃないか。馬の調子もよさそうだからな」

    「カルラディッシュの聖杯城までは、まだだいぶあるわね」

    「聞いた噂だと、入国さえすれば、あとはさして距離はないらしいが」

     食事を終えて、勘定を済ませ外に出ようとしたとき、入れ違いに駆け込んで来た者があった。

    「あっ、お客さん」

     マリアとダリオスに鉢合わせるなり、ひどく慌てて顔面蒼白になった。

     飛び込んできたのはこの店の下働きの少年だった。慌てているせいばかりで顔を青くしているのではなかった。何があったのか、額を血に濡らしている。押さえている手指の間からまだじわじわと赤いものが溢れてくる。

     マリアもダリオスも驚いた。この少年は、さっき店に入る前、チップを渡して馬の世話を頼んだ少年だ。

    「ちょっと、どうしたの」

     マリアが少年の傷口を見ると、コブができている。ぶつけたか、殴られたかした傷らしかった。

    「あ、あの……」

     少年は怪我のことなどどうでもいい、というように、すがるような目をした。

    「あの、すみません、それが……さっき俺が裏で馬に水をやってたら、ターバンかぶった男が来ていきなり角材で俺の頭を殴ったんです。それで、馬を」

    「盗られたの」

    「は、はい、あの」

     すみません、すみませんとしきりに頭を下げる少年の肩を、マリアはぽんと叩いた。

    「いいのよ。あなたのせいじゃないわ。――おじさん」

     とカウンターの向こうの店主を振り返り、

    「この子の手当てしてあげて」

     言うなり外に飛び出す。

    「それから、警察も呼んでくれ」

     と、ダリオスも後に続いた。

     さらに二人を追うように店の隅の席を立った客がいた。

    「マスター、勘定頼む」

    「は。ああ、はい」

    「釣りはいいよ。その子のチップにしてやってくれ。店に入るとき靴の汚れを払って世話してくれた」

     男が店を出るとき、揺れたマントの裾から長い剣の鞘が覗いた。

     店主は男の背をしばし眺めた。そのうち我に返った。怪我した少年を手招き、

    「おいで。手当てしよう」

     店の奥へと姿を消した。

     外へ出た男はマリアとダリオスの姿を探して辺りを見回した。

    (どこへ云った)

     まさかあいつら、強盗を追っかけていったのか。

     近くにいた人間を掴まえて、鎧を着けた女と背の高い男の二人連れを見なかったか、と尋ねてみた。

    「あっちの方に血相変えて走っていったよ。その二人にも、馬二頭連れたやつ見なかったかって聞かれたんだ」

     言われた方向に駆け出す。

     しかしほどなく行ったところで、急に強い向かい風に遭って思わず足を止めた。

     いや、ただの向かい風ではなかった。自然の風の吹き方ではない。

     まるで風の精霊が気ままに飛び回っているように、捉えどころなく吹き巻いている。

    (何だ)

     男は乱れたブロンドを掻き揚げ、前を見ようとした。

     マントが宙に舞い上がる。腰の剣と、胸に下げた十字架のネックレスがあらわになった。

     一瞬だが風がぐんと強くなり、目を開けていられなかった。腕で顔をかばう。先を走っていった二人の顔が思い浮かぶ。

    (あいつらの仕業か――?)

     むちゃをしやがる。




    6

    「あの馬、借り物なのよ。盗られたら弁償しなきゃならないじゃない!」

     そーいう問題か。とダリオスは言おうとして、思い直した。そういう問題でもあるな。

    「子どもを殴り倒して盗みを働くなんて、非道な」

    「そうよ! 磔(はりつけ)にして市中引き回しの刑にしてやるっ」

     本気でやりかねない調子だ。

     マリアは声のトーンを一段落とす。


     ラス ウェントス レガネラ ミヒルス 聖母 始祖のフラグネ ダクス ペルゼス 二の目――


     唱え始めた呪文に応えて、周囲に風が吹き込んでくる。道を行く人々が驚いて足を止めた。古い宿屋の戸がカタカタ音を立て、軽い看板などは吹き飛びそうになった。

     やがてそれはマリアの体を取り巻き、一瞬ぐんと強くなる。


      天空 後継者ウィジャール ミズ・ファルコン・アグド――


    「ヒエラクス」

     最後の呪文で風はマリアを一気に高いところへ吹き上げた。

    「マリア、むちゃするな」

     というダリオスの声は、ほとんど届かなかっただろう。風の精霊と相性のいいマリア得意の飛翔魔術(ヒエラクス)は、彼女に鳥と同じ高さを飛ばせている。

     さっき道の人に教えてもらった方向に向かって真っ直ぐ飛んでいく。

     二頭の馬が並走しているのを見つけるのに、上空からなら苦はなかった。Xing霸 性霸2000

    (いた――!)

     馬たちはそれぞれ別の人間に手綱を取られている。どうやら強盗は二人だったらしい。

    「ダリオス、あっち!」

     その声は地上に聞こえたかどうかわからない。が、マリアが腕を伸ばして一方を指差した動作に、ダリオスは言いたいことを察したようだ。走る足を速めた。

     マリアはバランスを崩さないようにしながら、新たな呪文の詠唱に入った。


     ラス ウェントス レガス ミヒルス ミズ・ファルコン・アグド――


    「ヒルンドー」

     さらに速い風がマリアの全身にまとわりつく。

     勢いよくまるでツバメの滑空のように、高度を下げる方へ空を切った。

     馬の足よりはるかに速い。

     道沿いの建物の二階くらいの高さ、高度ぎりぎりまで降下した。ちょうど二頭の馬に並んで飛ぶ形になった。

     当然、馬を駆っていた強盗二人組みは、ぎょっと目を剥いた。

    「あんたたち馬返してもらうわよ!!」

     マリアはやや先に出た。

     右手を前に伸ばし、

    「ザリアー!」

     カッ、と手の中からあふれた閃光が一帯を包む。

     光の中で、馬の鳴き声と脚をばたつかせる様子が耳に入った。馬上の二人が必死に手綱を繰ってなだめようとしている。

     しかし一人がついにこらえきれずに振り落とされた。

    「あっ」

     閃光が止んだ。

     黒馬から落ちたのはフードをかぶった輩だった。まだ興奮している馬のそばでうずくまっている。下手をしたら蹴飛ばされかねない。

     マリアは地面に降りると、馬の手綱を引いてフードの輩から離れさせた。

     栗毛の方に乗ったターバンの男が、フードの方を助けようと動こうとしたが、さっきの閃光で視力をやられたらしい。身動きが鈍かった。マリアの手が男の服を掴み、地面に引きずり下ろす。

     腰の短剣(ダガー)を抜いた。

     男が逃げようとする首筋に突きつけ、

    「動くんじゃない」

     男は大人しくなった。

     うずくまっていたフードの方が、真っ青な顔を上げて叫んだ。フードの下にいたのは髪の長い女であった。

    「あんた!」

    「いいからおまえ逃げろっ!!」

     どうもこのターバン男とフード女は夫婦者らしい。

     女が立ち上がって道を逆戻りに逃げ始めた。ところがこちら側では、抜き身のカリブスを右手に下げたダリオスが待っている。

    「ひ――」

     女は身をひるがえす。脇の路地にまで逃げ込んだが、ついにダリオスに追いつかれた。

     わずかな隙に、フードの端を剣先で板壁に縫い付けられる。そのままひねって首に刃を当てられた。

     ダリオスは静かに言った。

    「殺しやしない。素直に警察に行くんだ」

     一方外では、マリアがターバン男の襟首を掴んでにんまりと笑っている。

    「どうしてくれようかしら」

    「―――」

    「人の馬を盗んだ挙句、子どもまで殴り倒していったってんだから、ちょっと牢屋に入れるくらいじゃこっちの腹が収まらないのよね」

     馬にくくりつけて町中引き回してやろうかしら。と意地悪く言う。

    (冗談だろう)

     と男は思って、黙っていた。

     が、マリアがおもむろに腰のベルトを抜いて、男の手首をくくりつけようとしたから、慌てた。

    「わっ、やめ、やめ。誰か! 誰か警察呼んでくれ!!」

     生きた心地がしない男が声を張り上げるのを、周りの人間は遠巻きに眺めている。

     マリアとダリオスを追ってきた例のブロンドの剣士も、半ば呆れながら見ている。




    7

     そのうちターバン男の妻を連れてダリオスも大通りに出てきた。

     剣士の男は、二人に見つからないようにそっと建物の陰に入った。さっき空を飛んでいたマリアの姿を思い浮かべ、

    (あの女は魔術師だったのか)

     強盗たちを追い詰めたときの魔法は、よく訓練されたものだったと思う。あの二人の関係は、ただの色情的なものではなさそうだな。と考えた。

     もっとも、あのダリオスに情婦を連れて旅するような甲斐性があるとは思えないが。とも考えた。

     さっき料理屋で、妙なことを言っていた。カルラディッシュの聖杯城に向かうと。

    (――神よ)

     マントの下で、胸元の十字架を握る。神の御名を呼んだ。

     どういう運命なんだ。これは――。

     しばらく息をひそめるようにじっと動かなかった。

     二頭の馬がその場を離れる蹄(ひづめ)の音で顔を上げ、そっと道路の様子をうかがった。

     いつの間にか町の警察が駆けつけてきている。マリアとダリオスは取り返した馬と共に、それについて警察署に行くらしかった。

     剣士の男――ミシェル=ランベールは、二人の姿が見えなくなってから、道に出た。自分も同じところに向かおうと歩き出す。

     そのとき、正面からやってきた者と、軽く肩がぶつかった。

    「あ、失礼」

     謝られて、見上げると、かなり長身の美男子だった。髪も瞳も黒く、おまけに黒いマントで体を覆っている。黒づくめだ。

    「いえ、こちらこそ」

     こちらからも謝り、先を急いだ。

     警察署でマリアとダリオスは、警官に捕り物の事情を聞かれていた。外国人だと言うと身分証明証の提示を求められたので、旅行証を見せた。パスポートのようなものだと思ってもらっていい。

     強盗に殴られた少年の話と、馬を取り返そうとしたという二人の話は一致していた。それに犯人の夫婦者が素直に自供した。よほどマリアたちに追われたのが恐ろしかったと見える。

     事情聴取はほどなく終わった。

     自由の身になったマリアとダリオスは、警察署を後にした。

     外に出ると、あれだけ派手に捕り物をしたのだ。当たり前だが町の人の好奇の的になっていた。

     そそくさと馬に乗り、町を出て街道に入る。

     しかし興奮していた馬たちを労ってやらねばなるまい。あまり早足にならないように、ゆっくりと進んでいく。

    「今日中に二つ向こうの宿場まで行くのは無理そうねぇ」

     と、マリアはぼやいた。

     次の町へ、夕方までに行ければいい。と思うと、歩調はのんびりした。雑談をする余裕もできる。

    「にしても、今日はまた一段と派手にやったな」

     ダリオスの言った意味が、マリアは最初わからなかった。それをダリオスは察し、

    「さっき強盗を捕まえたときのことだ。飛翔魔術(ヒエラクス)や滑空魔術(ヒルンドー)はかなり目立つぞ。魔術が未発達な国なら尚更」

    「この辺の諸国は大丈夫でしょ。こないだの図書館、ほらサングリアルを調べに行ったとこ。あそこだって元は魔法学専門だったらしいし。何でも伝説じゃ、悪魔のアスタロト大公に魔術の知識を授かったんだって」

     先日、図書館で黒い服の美男子から聞いた話である。

    「ふうん。精霊魔術の祖は悪魔なのか? ゼルトであまり発達しなかったのはそういう理由かな。俺の故郷は神聖魔術は得意だが、精霊魔術はさほどじゃないから」

    「かもね。精霊魔術っていっても、いろんな系統があるけどね」

     精霊魔術は、地霊テッラ、水霊アクア、火霊イグニス、風霊ウェントスを長(おさ)とする四元素の精霊たちに祈ることで、超自然の現象を起こす。

     対して神聖魔術とは、ゼルト教国を本山とする正教の神や天使、聖人などに祈ることで奇跡を起こすものである。

     マリアの使うような飛行・攻撃等への応用は精霊魔術の得意とするところ。神聖魔術は、対魔族用の数少ない魔法を除けば、攻撃にはほとんど向かない。結界や治療への利用が主だ。

     精霊魔術には、ある程度流派のようなものが存在している。

     マリアの故郷エルドラン帝国では、古い大王ソロモンが解き明かした四元素と精霊の理を基礎にする。言わば『ソロモン派』である。これが一番新しく、エルドラン以外にも各国において現在の本流と言える。

     その他、ソロモン以前の古代魔術や、サンドラシル大陸の北方ガシュテ公国には独自の魔術も発達している。

     ぽこぽこと馬が蹄を鳴らして進んで行く先に、点々とレンガ色の建物が見え始めた。

     次の宿場町までもうすぐである。日はまだ傾き始めたばかりというところだが、まあせっかくだから今夜はゆっくり休もう。絶對高潮


    「ゼルト教国で精霊魔術が発達しにくかったのは、研究者がいなかったのもあるんじゃない?」

     

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    2013年01月05日

    遠くの君 ~夏~

    夏、それは人を美化させる不思議な魔力を持つ季節だ。どうやら、その魔力は離れ離れになった人間にも適用されるらしい。

     俺の名前は桂木(かつらぎ)裕紀(ゆうき)。多少妄想が過ぎるのが玉に傷な、恋人もいる健全なる男子高校生だ。しかし、その恋人はもう俺の傍にいない、こう言うと語弊があるかもしれないが、その表現が一番合っているだろう。OB蛋白痩身素(3代)

     春、出会いの季節とも言われるそんな季節に俺達は別れを体験した。俺の幼馴染みであり、恋人の早川(はやかわ)遥(はるか)が遠くへ引っ越して行ったのだ。そんなわけで物理的距離こそは離れてしまっているが、俺達はある方法で確かな絆を紡いでいる。その方法というのが、ズバリ文通だ。古臭く聞こえるかも知れないが、手書きの手紙は書き手の心情を映し出す、最も心がこもる連絡手段なのだ。かく言う俺もその事実は最近になって気付いたことだ。

     初春から始まった文通はついに夏まで続くこととなった。

       朝、俺は目覚ましの音、ではなく寝苦しさで目を覚ます。上半身をベッドから起こし、自分が寝ていた場所を見ると敷布団が寝汗でビッショリと濡れている。それもそのはず、俺は掛布団として毛布を使っていたからだ。春が終わったらしまうつもりで出しっぱなしだった毛布を見て、俺は面倒臭がりな自分自身に呆れてきた。

    「ハァ、遥がいなくなってからは俺、本当にダメ人間になってきてるよ」

     我ながら恥ずかしい話なのだが、遥が引っ越すまで、俺はいつも彼女に起こしてもらっていた。まぁ、枕元まで来て優しく起こしてくれる、なんて色気のある起こし方でもない、ただの脅しみたいな起こし方だったがな。例えば、近所に秘密をバラす、という感じの文句を家の外で、俺が起きてくるまで叫んでいたりとか、時には嘘泣きもしていたっけな。

     ふと俺は、本来の目的を果たせず佇んでいる目覚まし時計に目を向ける。時計の針は九時十五分を示している。補足的に言うと、今日は平日でありまだ夏休みにも入っていない。つまりは大が付くほどの遅刻だ。

    「うわ、マジかよ?」

     俺は急いで制服を着て、昨夜の内に用意していたスクールバッグを肩にかけて外へ飛び出していく。

     自分で言うのも難だが、最近は今日の様な遅刻が続いている気がする。多分、俺の中で遅刻がデフォルメと化している、と思えて仕方がない。

     

     

     俺が教室に入った時、ちょうど一時限目の終了を告げるチャイムが鳴った。自宅から全速力で走って登校して来たため、ワイシャツが汗でベタベタになっている。俺は、椅子に座ってすぐにその気持ち悪い汗の感覚を和らげる意味合いも込めて、シャツのボタンを第三まで開ける。すると、近くにいた何人かのクラスメイトの内の関口(せきぐち)幸生(こうき)が俺の様子を見て話しかけてくる。

    「重役出勤、おつかれ」

    「……どうも」

    「なんだよ、最近遅刻ばっかじゃねぇか。恋人が遠くに行っちまったのは同情するけどよ、後引き過ぎじゃね?」

    「放っとけ、これが俺の本質なんだよ」

     他愛もない話をしていると、ふと幸生の右手の中指にはまっている、グレーに近い色の石がついた指輪が目に入った。

    「あれ? 幸生、お前いつもそんな指輪してたっけ?」

     俺の問いに幸生は答えに困っている。時折顔をしかめて、妥当な言葉を選んでいるのが感じられた。

    「ん、まぁ、これは何ていうか……訳ありでさ。多分、本当のこと言っても信じられねぇだろうよ」

    「何? 言ってみろよ」

     俺の突っ込みに幸生は渋々ながら、指輪に関するエピソードを聞かせてくれた。

    「この指輪は、俺の命の恩人のものなんだ」

    「命の?」

    「そう。こっからは信じなくてもいいんだけどさ。その恩人っていうのがオレの守護霊で、悪霊と戦った時にこの指輪に悪霊もろとも封印されてんだ」

    「おいおい、嘘でももうちょっと上手い事言えないのか?」

     幸生の中二的な話を聞いていて、思わず吹き出してしまう。普段の幸生ならば、こんなぶっ飛んだ話をあまりしない事もあって、そのギャップがまた俺の笑い袋を刺激していた。

    「ほら見ろ、信じてないだろう?」

    「信じろって言われたってなぁ」

     足を組み考える振りをしていると、廊下の方で佇む長髪ストレートの女子と目が合った。すると、彼女は気まずく感じたのか、その場をそそくさと離れてしまった。

    「――誰だっけ?」

     口をついて出てきたのはその言葉だった。

    「ん、どれ?」

     幸生が俺の視線の先を追っていくが、彼女は既に何処か別の教室に入ってしまった後らしく、その姿を確認することはできなかった。

    「なぁ、お前が見たのってどんな奴?」

     疑問が中途半端に残ってしまった幸生は、その女子の特徴を俺に聞いてくる。

    「えっと、確か黒髪で長髪でストレートで……」

    「お前、髪しか見てないの?」

     

     

     その日の放課後も、幸生はしつこく俺に質問をして来た。

    「だからさ、このままじゃ消化不良って言うか、なんか気持ちが悪いんだよ。なんか、こう、モヤモヤッとしてて」

    「そんな事言われたって、それしか見てないんだから仕方ないだろ?」

     朝と同じように、俺が椅子に座って、幸生がその近くに立つというポジションで俺達は話している。

    「開き直るんじゃねぇよ、この髪フェチ」

     髪フェチ、その可能性は否定できない。そんな考えが頭をよぎった時、朝見た長髪の彼女がまた廊下に佇んでいるのを発見した。

    「あ、いた。あの髪だ」

    「え? 髪?」

     俺の言葉の意味が一瞬理解できなかったのか、幸生は自身の髪を咄嗟に押さえつける。そして、ようやく脳がその意味を理解したのだろうか、幸生はバッと廊下の方へ振り返る。

    「あぁ、あいつか」

     一人納得した様子の幸生は俺の方に向き直り、周りに聞こえないようにしているつもりなのだろうか、小声で俺に告げる。

    「あいつ、隣のクラスの西藤(さいとう)千夏(ちか)だよ」

     西藤千夏、名前を聞いてもほとんどピンと来ない。しかし、何処かで聞いたような気がしてならない。

    「あれ? 覚えてねぇの?」

     幸生の問いに俺は黙って頷く。

    「まぁ、無理もないか。あいつは去年俺らと同じクラスだったんだけど、地味すぎると言うか、目立つ感じじゃなかったもんな」

     幸生のその説明でようやく思い出した。彼女は去年まで同じクラスメイトだった。記憶が曖昧だが、彼女は確か、暇があったら読書をする、そんな典型的な文学少女だった気がする。

    「いやぁ、これでスッキリしたよ」

     幸生は一人清々しそうに、帰って行く。ふと、廊下の方を見てみると、先程までの長髪少女、西藤千夏の姿は既になかった。きっと、俺が幸生と話している間に帰ったのだろう。俺も帰ることにした。

     

    *     * *

     

     翌日、俺は気分よく目が覚めた。目覚まし時計は六時を指している、登校まで全然余裕だ。久しぶりにまともな朝飯を食べようと考え、台所に立った瞬間、嫌な予感が頭をよぎる。

    「今、本当に六時か?」玉露嬌 Virgin Vapour

     おそるおそる俺はテレビのスイッチを入れる。すると、朝のニュース番組のナレーターが良く通る声で視聴者に時間を知らせる。

    「さ、ただいま九時を回りました。次はテレビ局前から生中継です」

     予感は的中する。これらから、状況を整理すると、目覚まし時計が止まっていたため、俺はアラームで起きる事なく、己の睡眠欲が許すまで惰眠を貪っていた、ということらしい。

    「やっぱり、今日だけ定時通りでおかしいと思ったんだよ」

     一人、ぶつけようのない怒りを発散した俺は、テレビのスイッチを切り、身支度を始める。今日もきっと幸生に何か言われるだろうな。

     

     

     俺が教室に入った時、ギリギリでまだ一時限目の授業は続いていた。授業を中断した教師は俺に小言を言い、俺はその小言を体よく受け流していく、そんな調子で授業は終わって行った。

     教師が戻った後、俺はある違和感に気付く。教室の何処を見回しても、幸生の姿がない。それどころか、幸生の机には荷物すら置かれていない。大方、寝坊か風邪だろう、そう考えていると、幸生が息を切らしながら教室に入ってきた。

    「よう、幸生、全速力でお疲れ様」

    「あぁ、本当におツかれ様だよ」

     何故だろうか、幸生の言葉には何か含みが感じられる。

    「お前も寝坊か?」

    「ま、そう言う事にしておいてくれ」

     呼吸を整えた幸生は、俺に話しかけてきた。

    「なぁ、化け物にひと思いに殺されるのと、暴力的な女に日常的にボコられるのだったら、どっちがマシだと思う?」

    「何、その究極の選択。どっち選んでも地獄だろ?」

     俺の返答に幸生は大きな溜息をつき、項垂れた様子で言う。

    「それを選択するのが俺の使命なのさ」

     よく分からないが、幸生からは憂鬱なオーラが感じ取れる。きっと、かなりの訳があっての悩みなのだろう。親友として俺は幸生の究極の選択について考えてやることにする。

    「えっと、化け物か女の子かだろう? 普通に考えたら、女の子じゃないか? だって化け物選んだ時点で死ぬんだろ?」

     俺がもし、そんな究極の選択を迫られるとしたら、きっとそんな結論に至るだろう。この答えに幸生も共感したらしい。

    「やっぱり、そうなるよなぁ……」

    「ま、ぶっちゃけ俺は女の子の容姿も考慮してから決断するけどな」

    「例えば、髪型とか、髪色とか、髪質とかか?」

    「そうそう、って俺を変なキャラに仕立て上げようとするのを止めろ!」

    「安心しろ、髪は長めだ」

    「だから、そういう問題じゃねぇよ! 第一、俺はロングじゃなくて、ショートの方が好きなんだよ!」

     そう言い放ってから、俺は後悔することになる。大声で自身の好みを叫んだせいで、周囲の視線が痛い程感じる。

    「やっぱりお前、髪フェ」

    「真面目に答えて損したわ!」

     幸生の言葉を遮り、俺は怒りを露わにした、というよりも、怒ってでもいないと、羞恥心で押し潰されそうというのが、率直な気持ちだった。

     

    *     * *

     

     次の日、俺はあえて遅れて登校した、というのも昨日の妙な暴露のせいでクラスの視線に極力当たりたくない、という切実な思いからだ。いっその事、欠席してしまおうとも考えたのだが、遅刻が多すぎて出席日数が際どいラインにある俺に、そのような決断をする勇気はなかった。

     しばらくして、学校に着く。すると、二時限目の授業が終わったことを示すチャイムがなる。そして俺は誰にも気づかれずに教室に入り込む。すべて計算通りだった。

    「あれ、裕紀、いつの間に来たんだ?」

     問いかけてきたのは幸生だ。俺の苦労の種をまいた張本人を見て、一発だけ小突きたくなったが、どうにかこらえる事ができた。

     ふと、何かを思い出した様子の幸生は、机の中を探り始める。

    「あぁ、そう言えばお前の机にメモが置いてあったぜ」

     そう言われて机を見た俺だが、机の上にメモなんて見当たらない。

    「無いが?」

    「いや、置いてあったんだけど、風に飛ばされそうだったんで、俺が預かっておいた。そして、それがこれ」

     机の中を探り終えた幸生の手には、確かにメモらしき紙が握られていた。そこで、俺はそのメモについて質問してみる。

    「なんて書いてあったんだ? つーか、誰から?」

     その問いに幸生は少し考える素振りを見せ、答える。

    「あー、誰からってのはわからん。なにせ、俺が登校してきた時にはもう置いてあったしなぁ。」

     そして、一呼吸置いて、幸生は確信を持って答える。

    「ただ、差出人は女で間違いないだろう」

    「何で?」

     率直な疑問だった。何故、幸生は差出人の性別が分かったのだろう、その疑問は次の幸生の言葉で解決する。

    「だって、メモの内容、『よろしければ一緒に帰りませんか? 正門の』前で待っています』だからなぁ。それで差出人が男だったら、俺は嫌だぜ?」

     成程、確かにその文面で男からだったら、俺は発狂するかもしれない、そんな事を考えながら、俺は幸生からメモを受け取る。メモを開くと幸生の言う通り、几帳面な字で帰りの誘いと思わしき言葉が書いてある。しかし、差出人の名前はなく誰からの物かはわからない。

    「女子、そして帰りの誘い、とくれば告白のフラグだな」

     幸生が茶化してくる。

    「茶化すなよ。第一、俺にはもう遥がいる」

    「髪質の良い早川か?」

     俺は幸生の言葉を無視する。しかし、そんな事も構わずに幸生は一方的に言葉を続ける。

    「まぁ、でもな、遠距離で会えない恋人よりも、近距離でいつも会える恋人の方が気が楽だと思うがなぁ。ほら、遠くの何ちゃらよりも近くの何たら、っていうだろう?」

    「それを言うなら、遠くの親戚より近くの他人、だろう? それに、意味が全然違うからな」

     そんな会話をしていると、次の授業のチャイムが鳴り響いた。とりあえず、メモの件は放課後まで保留にしておこう、そう考えながら俺は授業の用意を始めた。lADY Spanish 

     

     

     放課後、俺はメモが示す正門前に来ていた。しかし、そこには人っ子一人、誰もいない。状況から察するに、二つの可能性が考えられる。一つ目に、メモの差出人が単に遅れている可能性、そして二つ目に、メモの差出人ないし幸生に騙されているという可能性だ。

     仮に、二つ目の可能性だったとすれば腹立たしい事で、即刻帰りたい所だが、一つ目の可能性が考えられる今の状況では簡単に帰るわけにはいかない。そこで俺は大体五時位まで待ってみることにした。

     

     五時を回った。今までに校舎からは多くの生徒が出てきたが、そのほとんどがおれに目もくれず帰って行った。

     この待ち時間の間、辛かった事が二つある。一つが気温だ。一応、今の季節は夏であり、夏用制服を着ていてもかなり蒸し暑い、そのため今俺の体は汗でベッタリな状態だ。そして二つ目に視線だ、というのも、俺がこうして待っている間、何人かの生徒が俺のことを見ていった。それだけならまだしも、俺を見て微笑した奴が数人いたのには、心が折れそうになった。

     少しばかり傷ついた心を引きずり、帰ろうと歩き出した時、後ろの方から俺を呼ぶ声がした。

    「桂木くん、待って!」

     名前を呼ばれた俺は、サッと振り返るが声の主の姿を捉えられなかった、と言うよりかは声の主が駆け寄ってくる時に転倒したらしく、視界からフェードアウトした、と言う方が正確だろう。

    「だ、大丈夫?」

     咄嗟に俺は、メモの差出人と思われる、転倒した女子に駆け寄り、起き上がるために手を貸そうとした。だが、痛そうに顔を押さえる彼女は一言俺に「ありがとう」と言い、自力で立ち上がった。

    「えっと、俺宛てにメモを出したのはあんた?」

     今一番の疑問を彼女に問うた。彼女は転んだ際に乱れたショートの髪を整えながら頷く。そんな彼女に俺はもう一つの疑問をぶつける。

    「それから、えっと、あんた誰だっけ?」

     俺のその言葉にショックを受けたのか、彼女の顔が一瞬険しくなったように感じられる。しかし、ふと何か思い出したらしく、多少表情が和らいだように見える。そして彼女は、俺に精一杯の笑顔で話す。

    「そ、そう言えば、昨日髪切ったから、だから分かんないのかもね。髪切る前は結構ロングだったし」

     しかし、そう言われても俺には目の前にいる彼女の名前を思い出せずにいた。必死で記憶を探ろうと彼女の顔を観察していると、彼女が口パクで何かを伝えてきた。

    「え? さ、い、と、う?」

     その彼女からのヒントで彼女の名前を完全に把握した。

    「あ! 西藤千夏か」

     その答えに彼女は嬉しそうに頷く。どうやら、メモの差出人、つまり目の前にいる彼女は一昨日から俺が目撃した長髪少女、西藤千夏だったことが分かった。

     しかし、ここでまた一つの疑問が湧いてきた。

    「でも、何で突然イメチェンなんてしてみたんだ?」

     その問いに西藤は少し恥ずかしそうに答えた。

    「だって、昨日、桂木君がショートの方が好きって言ってたから」

     その答えを聞いて俺は、全身の毛穴が開いたような感覚に襲われる。話から察するに、西藤も昨日の俺の髪フェチ暴露を聞いていたのだろう。そして、俺は心の底から幸生を呪ってやりたいと思った。

     そんな事を考えている俺を余所に西藤は俺に問いかけてきた。

    「ねぇ、それじゃ帰りましょう?」

    「ん、あぁ」

     俺は相槌を打ち、彼女と共に歩き出す。歩き出してから少し経った時、西藤が話しかけてきた。

    「ね、ねぇ、さっき私の名前、本気で忘れてたの?」

    「あ、うん。い、いや、分かってた。ちょっとからかってみただけ」

     バレバレの俺の嘘を分かってか、西藤は寂しそうな笑みを浮かべる。

    「そっか。本気で忘れられたかとヒヤヒヤしたよ」

     この会話の後も何とか話を繋ぐことができた。

     

     

     会話のネタも尽きた頃、ちょうど西藤の家の近くまで着いた。まぁ俺は西藤の家が何処にあるのかは知らないから、本当かどうかわからないが、本人が言うからにはそうなんだろう。

     すると、西藤は突然立ち止まり、俺に問い始めた。

    「ねぇ、桂木君、一つ聞いていい?」

    「ん、何を?」

    「あのさ、桂木君って今付き合ってる人とかいるの?」

    「なんで?」

    「なんでって、それは……」

     西藤は顔を赤らめて、言葉を詰まらせている、と思いきや意を決したのか俺にこう言った。

    「私、桂木君の事好きなの。だから、付き合って欲しいなって」

     そう言い終えると、西藤は顔を真っ赤にして弁解を始めた。

    「あ、ご、ごめんね。こんな話突然しちゃったりして、困っちゃうよね? ホントにごめん。今の忘れてね?」

     西藤はそう言いながら、半ば逃げるようにその場から去ってしまった。西藤からの告白を受けた俺は、ふとある事に気付く。

    「西藤についてって忘れてたけど、俺の家、正反対の方角だったな」

     俺は今まで通ってきた道をまた戻っていく。家に着くのには、最低でもあと一時間位はかかるだろう。

     

     

    帰宅してから俺はずっと机に向かっていた。それは、遥へ送る手紙を書くためであって、勉強をする等という優等生のような発想ではない。

    普段ならば、十分程度あれば便箋の半分は埋まる程に話のネタが浮かぶのだが、今回ばかりはそうもいかず、机の上に置かれた便箋は真っ白なままだ。

     きっと、いや、確実に西藤からの告白が影響しているのだろう。頭の中で朝の幸生の言葉が繰り返し、壊れたオーディオのように再生されている。

    「遠くの何とかより近くの何とか、か」

     ともかく、今の精神状態ではまともな手紙が書けるとは到底思えない。今回は遥には悪いが、一旦文通を休ませてもらうことにする。思えば、俺と遥が文通を続けていて、それを中断させたことは今まで一度もなかった。

    「でも、一回くらいなら遥も許してくれるだろうな」

     

    *     * *

     

     翌朝も俺は遅刻した。理由はいつも通り、寝坊だ。今回は一時限目が終わる前に教室に入ることができた。まぁ、遅刻は遅刻だが。

     一時限の授業が終わり、休み時間に入ると、幸生が俺に話しかけてきた。

    「おい、裕紀。昨日はどうだった?」

    「何が?」

     きっと、幸生はメモの差出人が誰だったのか気になっているのだろう。しかし、俺はあえてとぼけて見せた。

    「おいおい、とぼけてんじゃねぇよ。昨日、誰と密会してたんだよ」

     お前が知ってる時点で既に密会とは言えねぇよ、そう心の中で毒づきながらも俺は正直に答えてやった。

    「西藤だよ」

    「へぇー、で、どこまでいった?」

    「どこまでも行ってねぇよ。ただ、お話をしながら帰宅しただけ。それ以上もそれ以下もない」

     まぁ、告白を受けてはいるから、ただ二人で帰っただけというのは嘘だが、幸生にそこまでプライベートを明かしたくなかったので、そう言って誤魔化した。

     だが、やはりそんな嘘などで幸生が納得するわけは無く、次のチャイムが鳴るまで質問は続いた。CROWN 3000 

     

     

     放課後、しつこい幸生から逃げるため、俺はそそくさと教室を出て帰路へ向かおうとした。すると、偶然にも廊下で西藤とすれ違う。向こうも俺の事を認識していたらしく、西藤は振り返って俺を呼び止める。

    「あ、桂木君、待って。今日はもう帰り?」

    「ん? あぁ、そうだけど」

     西藤の問いかけに俺はそう答える。すると、西藤は言葉を詰まらせながらも、俺に聞く。

    「そ、それじゃあさ、また、一緒に帰ろう? 私も今帰るところだから。それでもいいかな?」

    「あぁ、いいぜ」

     特に断る理由も無かった俺は、西藤の誘いを受けて共に帰宅する事にする。家の方向は正反対だったが、どうせ俺がさっさと帰ったところで誰が得するわけでもないし、ただ退屈なだけだ。それならば、例え家の方向が真逆でも話し相手がいるというだけで、充分な退屈しのぎになるだろう。そう考えた上での判断だ。

     

     

     今日の西藤は終始、上機嫌でクラスメイトの事を話してくれた。話の内容を要約すると、西藤のクラスメイトの男子が何を間違えたのか、姉の制服を着てきたとか何とか。西藤は思い出し笑いをしながらそんな話してくれた。あまりの馬鹿馬鹿しさに俺も思わず吹き出してしまう。

     時間はあっという間に流れて行った。昨日と比べると、西藤の家に着くまでの体感時間がまるで違う。それだけ俺は西藤との会話を楽しんでいたのだろう。

     無意識の内に俺は西藤に言う。

    「それじゃあ、また明日な」

     その言葉に西藤は嬉しそうに大きく頷く。

    「うん。それじゃあ、また明日ね」

     西藤は大きく手を振ってその場を去って行った。今日もまた小一時間の孤独な帰宅が始まる。俺は西藤との楽しい会話の余韻に浸りながら長い帰路へ向かう。

     

     

     自宅前にて、俺は郵便受けに一通の手紙を発見する。差出人は遥だ。しかし、俺はここで多少の違和感を覚える。今まで、俺と遥は手紙を交互に、片方が手紙を受け取ったらそれに対して返事を書く、という事の繰り返しで文通をしていたのだが、今回は俺がまだ返事を書いてないのに遥から手紙が続けて来たためだ。俺はその場で手紙を開封する。そこには、こう書いてあった。

    「ねぇ、裕紀。私たち、このまま文通を続けていけるのかな? やっぱり、直接会わないと本当の気持ちなんて分かんないよ……。それに、私の考えすぎかもしれないけど、私、裕紀のことを束縛してるように思えてくるの。だから、もし、裕紀が私で辛い思いしてるなら遠慮しないで言って、私は裕紀の意見に従う。きっと、裕紀の近くにも裕紀のことが好きな子はたくさんいるだろうし、いつまでも遠くに行った私が裕紀のこと独り占めしてるのも悪いだろうしね」

     一行のスペースが空いて、次の段落からは涙と思わしき濡れた痕が点々と付き、震えた字でこう書かれている。

    「ごめんね。急に変な手紙書いちゃって。でも、私、裕紀と離れてからその事が気になっちゃって。だから、本当のことを教えて。返信待ってます。遥より。追伸、例えどんな結果になっても私は裕紀が大好きだよ」

     手紙を読み終えた俺は生きた心地がしなかった。ただ、今日はいつもより太陽が早く沈んでいるような気がした。別れの季節はもうすぐ其処まで来ているのだろうか。VIVID XXL

     

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    2013年01月14日

    安静

    「そうですか……あれは、銃と言うのですか」

    男達が持っていた無気味な黒い塊は何であったのかと問うたセリーヌに、将軍の教えてくれた答えがそれだった。

    近年開発されたばかりの武器だという。

    その銃から撃ちだされる銃弾が、自分の右腕を掠ったそうだ。

    少し掠っただけでこの痛みと熱と出血である。紅蜘蛛 II(水剤+粉剤)

    身体の中に撃ち込まれていたらと思うと、ただただぞっとするばかりだった。

    「戦場以外での扱いは、大陸法により許されておらぬのに併せ、あの武器は、一般社会には出来る限り知られぬようしてあるからな。夫人が知らぬのも当然だ。……軍属となった段階で、あの二人にもそれは教えている筈なのだがな。まさか、ここに持ち込むとは思っていなかった。油断した俺が悪い。すまないな」

    ワルティア全国一致でなければ制定される事のない 『大陸法』。

    セリーヌはその法がある事は知っているが 『人間を奴隷として扱う』 事に対する厳しい罰以外は、何を定めているのか知らない。

    現在ワルティアでは、国家間にてどんな戦争が起ころうとも、人間を奴隷として扱う事は絶対に許されない大罪である。

    それくらい、大陸法とはいざ制定されれば国家の垣根を越えた強い力を発揮する物だが、国家間の利害と内政干渉に引っ掛かるとして、滅多に制定される事の無い物だった。

    奴隷に関する事を制定するのでさえ、何百年と月日を要したとセリーヌは習っている。

    そこに、最近になって銃の使用も新たに制定されたそうだ。

    ただ、一般社会にその事を他の法と同じように周知させれば、逆にそれで銃の存在を知った者が、秘密裏に欲しがるのではないかと懸念され、一般社会への告知は現在見送られているそうだ。

    たが、それでも今回こうして使われた。

    どれ程規制しても抜け道はあるのだ。戦場だけを限定に秘密にするなど、無理な話なのだ。

    銃の存在と大陸法の制定は、すぐにでも大陸全土の民へと知らされる事となるだろう。

    そして、緩い罰だと確実に一般社会に浸透していくだろう。あんな物を日常に置かない為には、死罪はけして厳しい罰とは思わなかった。

    左手はルークにしっかりと握られ、右腕の痛みに顔を顰めないように、笑顔を心掛けて観衆に小さく右手を振っているセリーヌを、将軍が申し訳無さそうに見ている。その目に首を振った。

    「いいえ。将軍が居て下さったから、今私達は生きていられるのです。お二人とも、私の事はもうお気になさらないで下さい。本当に、大丈夫ですから」

    「顔色が悪くなる一方なのに、気にしないでなどいられるか」

    民には笑顔で手を振りながらも、セリーヌを案じて苛立っている声に、ふふ、と声を上げて笑った。

    「ルーク。私の事がそんなに心配ですか?」

    「当たり前の事を聞かないでくれ!」

    間髪入れずに返った言葉にも、セリーヌの笑みは深くなる。

    「では、これでようやく分かって頂けますね」

    「何をだ?」

    こちらに向けられた藍色の瞳に、セリーヌは愛する想いをすべて伝えるように微笑んだ。

    「私が、あなたの怪我をした姿を見て……どれ程心配したか……その気持ちをです」

    「!!!」

    はっとして、息を飲むような仕種をするのに、セリーヌはその肩に少し頭を預けた。

    きちんとしていなければと思うのに、身体から意思に反して力が抜け落ちていくのだ。意識までぼんやりしてきた。

    周囲の観衆も歓声も遠くに霞み、消えていくように感じる。

    「あなたは、大した事はないと……それしか言いません。私も、大丈夫だから大丈夫としか言いませんから……それは、本当の事なのだろうとは思います……でも、心配で、もしもの事を考えてしまうと不安で仕方ありませんでした。……同じ気持ちなら、私にもう二度と怪我などしないようにと、ルークは願うのではありませんか? 私はその願いを聞きます……ですから、ルークも私の願いを絶対に聞いてくださいね」

    腕の傷は痛む事は痛むが、我慢出来ないほどではない。出血も止まっているように思う。

    それなのに、どうしてこんなに意識がはっきりしないのだろう。

    目に映るすべてが、渦を巻いているようにしか見えなくなって行くのに、セリーヌは自分の事なのにまったく訳が分からなかった。

    「聞くから、セリーヌしっかりしてくれ!」

    しっかりと胸元に抱かれるのに、こんな風にしてはルークは手を振れないのでは、と言いたいのに上手く口が回らない。


    「中央街道の終わりだ。護衛も御者も全速で飛ばせ!」


    強く響いた将軍の声に、少しだけ意識がはっきりする。

    本当にパレードは終り、歓声は後ろに響くだけとなっていた。

    「……もう、手を振らなくても良いですか……」

    言った時には、体重のすべてを預けてルークに凭れていた。

    「構わない。笑顔も作らなくて良い!」

    優しく抱いて身体を撫でてくれるのに、嬉しくて笑みが零れる。

    「……良かった。何だか、凄く疲れてしまって……限界でした……」

    少しでも、ルークに恥を掻かせないで済む、妻としての振る舞いが出来ていれば良いと心より思う。

    「セリーヌっ!」

    こんなに慌てているルークの声は聞いた事がない。

    大丈夫ですから、と言いたいのに何も言えないままセリーヌの目蓋は落ち、意識は闇に沈んだ。




    ◆◆◆




    城に到着するとパレードの凶事は伝わっており、治療の部屋も医師もその助手もすべてが整えられ、揃っていた。

    「幾ら銃で撃たれたとは言え、掠っただけで大した出血も無い。それが何故意識を失うのだ?」

    将軍が険しい顔をして医師に問うのを、誰の手も借りずセリーヌを運び、寝台に横たえていたルークも聞いた。

    「今は何も分かりません。とにかく治療と検査に入りますので……助手以外はすべて出てください。申し訳ございませんが、公爵様もです」

    目覚めないセリーヌの、いつもとまったく違う、温もりの感じられない手を握っているのにそんな事を言われる。反論しようとしたが、その前に将軍に強い力で腕を引かれた。

    「治療の邪魔だ。こんな時は素人は素直に医者の言う事に従え。でないと、治るものも治らなくなるぞ!」

    「ですが……」

    「黙って言う事を聞け! 俺達が出たら、鍵も掛けて治療に当たれ。こいつに邪魔をさせないようにな」

    ルークには鞭打つような声で一言。次いで医師たちに目を向け指示を出すと、そのまま強引に外まで連れ出された。

    本当に、扉に鍵を掛ける音が響く。

    閉ざされた扉の前で、ルークは自分がどこに立っているのか分からなくなった。

    足下が真っ暗で、そこからどんどん身体が冷えていく。

    全身が凍り付いていくようにさえ感じた。

    セリーヌが傷を負って死ぬなど、そんな事は考えた事もなかった。

    自分が守って、守った自分が怪我をする事なら何度も想定した。だが、自分を庇ったセリーヌが倒れるなど、そんな物は考えなかった。

    本当は、孤児院で見つけたその一目で心奪われていたのに、女性が信用出来ないからと、融資で縛って酷い事を酷い事とも思わず繰り返した。綺麗な心のままで自分を愛して欲しいとそればかりを押し付け、倒れるまで追い詰めた。

    でも、そんな身勝手な嫌われて当然のルークを、セリーヌは見捨てず愛してくれた。

    ルークが何より欲しいと望んだ美しい真心をくれたのに、自分はその人を幸せにするどころか、利権争いに巻き込み命の危機に晒した。

    守るべき人を守る所か、逆に守られる。こんな愚かな男、世界中探しても他に居ない。

    ただ立っている事しか出来ないルークの肩に、将軍の手が置かれた。

    「あれは、死ぬような怪我ではない。絶対だ。……世界中探しても、お前に夫人以上の相手は見つからない。さっきの言葉を聞いて、お前も思う所があっただろうが、俺も思った。……夫人以上に、お前の心に響く言葉を持つ人間はいない。お前の中の、俺やご両親様でも触れられない心に、夫人だけが触れることが出来る。お前にとって、やっと見つけたそんな大事な人間が、こんな所で死ぬなど、そんな馬鹿な事があって良いわけない。……すぐに目覚める。大丈夫だ!」紅蜘蛛赤くも催情粉

    「…………」

    励まして下さるお言葉に、その通りだと思う。

    セリーヌだけだ。自然体でくれる言葉がすんなりとルークの心に沁みるのは。

    他の人間に言われたなら、大して心に響かない言葉でも、彼女の言葉なら不思議と胸を打ち、感動や反省を促されるのだ。

    そんな相手が、この先他に見つかるなど、そんな事は在り得ない。彼女は自分にとって、最初で最後の愛するただ一人だ。

    亡くすなど、亡くした先など、一秒たりとも考えたくもない。

    両手を組んで固く握り締め、額に当てて項垂れた。

    執事も侍女長も、他の侍女や家人もセリーヌの身を案じ、この場に多く集まって居る。それを分かっていても、顔を上げて当主として泰然と振る舞うなど出来なかった。

    「ルーク! セリーヌさんが……」

    母の声に目だけでそちらを見る。レスターと共に後から大聖堂を出た両親がそこには居た。

    三人ともこの報せを受けているのだろう。その表情は、自分と同じく不安に曇っていた。

    「母上……父上。欲しいからと何でも欲しがらず……退いていれば良かったのですか……愚か者を見逃し、何も無かった事にしておけば……」

    無言で傍に寄り、こちらを見ている父に震えそうになる声で問うと、ぽんぽんと優しく背を叩かれた。

    今更言ってもどうにもならぬ事だ、と無言でありながらも伝わってくるのに、再び項垂れそうになったところで扉が開いた。

    助手の一人が、暗い物などまったく感じられない穏やかな顔をして、お入りくださいと先を示した。

    もちろんルークは真っ先に入室した。

    その姿を見て、寝台の側に付いていた医師が喜びに溢れる朗らかな笑みを浮かべた。

    「おめでとうございます、公爵様」

    「え?」

    一礼しての言葉に、何を言われたのか分からなかった。

    目出度い事だと祝福されたのは分かる。

    だが、ベールを外され、助手の手により婚礼衣裳からゆったりとした休むのに適した衣に着替えさせられているセリーヌは、顔色は良くなっているものの、いまだ目覚めてはおらず、意味が分からない。

    何故こんな所で今日の結婚を祝福するのだ。

    信頼する医師のあまりに信じられない行為に身が固まった。

    「奥方様は、もう少しすればお目覚めになられるかと……パレードにおかれましては悪しき事がございましたが、それを忘れさせる、大いなる喜びでございますね」

    「いい加減にしないか! 何を言っているのだ。セリーヌは目覚めないのだぞ。それが、何が喜びだ……私を馬鹿にしているのか!」

    募りに募った不安と苛立ちに我慢できず、すべての憤りをぶつけるように叫びにすると、笑みを浮かべていた医師は仰天し、真っ青になって首を振った。

    「め、滅相もない事でございます……わ、私は、ただ……」

    今にも床に平伏しそうだったが、まだ言い訳するのかと怒鳴りそうになったところで、セリーヌの目蓋が動くのが見えた。

    それと同時に、背後から将軍と母にそれぞれ背を叩かれた。

    「ごめんなさいねぇ。常識を知らない息子で……」

    「本当にな。伴侶の居ない俺でも分かったぞ」

    母は医師に向けて、そして将軍はルークに向けてそう言い、二人は揃って呆れきった目をこちらに向けてきた。

    「え?」

    おかしなことを言った医師ではなく、完全に自分が悪者状態な事に戸惑っている内に、セリーヌの目が完全に開きこちらを見た。

    「……ルーク……無事に、終わっているのですね……」

    セリーヌは、部屋に居る全員の姿を目だけで追い、安堵の笑みを浮かべた。

    その姿に、ルークの怒りに驚き戸惑っていた医師が気持ちを落ち着かせ、職務を優先して声を掛けた。

    「傷の治療は無事終りましたが、しばらくは痛みが続くかと思います。傷痕のほうは左程大きな物ではありませんので、夏頃には完全に消えているでしょう」

    「そうですか。ありがとうございます」

    礼を述べ、起き上がろうとしたセリーヌを、医師は制した。

    「奥方様は、しばらく安静です」

    「傷の治療は終ったと言いませんでしたか? 倒れてしまったので面倒を掛けてしまったようですが、今は気分も良くなりましたので、もう大丈夫です。夜会の支度がありますので、寝ている訳には参りません」

    制止に困ったように首を傾げるセリーヌに、医師はそれを聞いても寝台から出る許可は出さなかった。

    「奥方様は、今はお一人の身体ではございませんので、心が完全に落ち着かれるまでは、安静をお願いします」

    「え?」

    セリーヌが何度も目を瞬きながら医師を見た。

    ルークにしても、心臓が跳ねる衝撃の言葉だった。

    「今の奥方様は、ほんの些細な事でも、体調に大きく作用致します。それが、あってはならぬ恐ろしい目にたくさん遭われたのです。意識を失ったのは、そのせいかと……体調は安定されても、心はそうとは言えませんので、大事な夜会とは存じておりますが、御身の安静を第一にお考え下さい」

    「そ、それは……もしや、あの……」

    緑の瞳をまん丸にし、左手を頬に添えたセリーヌは感激に声を上擦らせていた。

    「はい。懐妊されております。おめでとうございます」

    『お子様ですって!』 と、背後でこちらの様子を心配そうに覗っていた侍女達が、わっと歓声を上げる。すぐさま侍女長が静かにしなさいと窘め、仕事に戻るようにと促した。

    侍女も、男の家人達も不安顔から一転、揃って祝福の言葉を残すと笑顔で仕事に戻って行った。

    だが、ルークはそれを聞いてもいきなりな事で実感が湧かず、呆然とセリーヌと目を合わせた。すると、この上なく幸せそうな笑顔が返り、これは夢ではないのだとそこで初めて喜びを実感した。

    「……普通、寝ている妻を前にして、医師が夫におめでとうなんて言ったら、まず真っ先にそれを思うものじゃないか?」

    「そうよね。それが医師を怒鳴りつけるだなんて、本当に教育を間違ってしまったわ」

    将軍がニヤリと笑って言うのに、母が片手を頬に添え、わざとらしい溜め息を吐きながら 『駄目な息子だわ』 と賛同する。その二人の声を聞きながら、子供が出来にくい血筋と諦めているから、その事をまったく考えなかったルークは医師に目を向け非礼を詫びた。

    「すまなかった」

    「とんでもない事でございます。きちんと説明しなかった私が悪いのです。どうか、お気になさらないで下さい」

    一礼した医師は、再びセリーヌに向き直った。

    「……恐らく、八週は過ぎているかと思うのですが……何か、体調の変化は感じませんでしたか?」

    「体調の変化……あ! 最近頻繁に胸や胃がモヤモヤしたり、……月の物が無いとは思っていたのですが……私は、緊張するような事が続くとよく狂うので……式前で緊張しているからだろうと、気にしていませんでした」

    正直に報告し、少し肩を窄めて小さくなって医師の顔を窺うセリーヌに、医師は穏やかに頷いた。

    「これからは、些細な事でもお知らせくださいね。もちろん私の方からも、検査に伺わせて頂きますね」

    我慢も遠慮も、黙って放っておくのも駄目ですよ。と言っていないのにそこまでしっかり聞こえてくる医師の言葉に、セリーヌは神妙に頷いた。

    「はい、すぐに相談に伺います。……あの、少し起き上がるだけでも駄目ですか?」

    「ゆっくりと起きて、寝台にて休まれるなら、構いませんよ」

    許可を得たセリーヌが嬉しそうに笑い、そのとおりにゆっくりと起き上がる。

    すると、満面の笑みを浮かべたリリーが、素早く自分達が居るのとは反対側から側に寄り、きちんと背凭れとなるようクッションを置いた。

    おなかに手をあてたセリーヌが、自分を見て柔らかく微笑む。

    寝台に浅く腰掛け、その手の上に手を置いた。

    「まさか、こんなにも早く私達の許に来てくれるとはな……ありがとう、セリーヌ」

    「嬉しいです。……でも、重要な夜会ですのに……」

    喜びの笑みを浮かべつつも目が困ったようにルークを見るのに、そっと目蓋の上にキスをした。

    「そのまま伝えれば、何の問題も無いさ。……一族にとってこれ以上の慶事は無い。それで、少し体調を崩していると聞かされれば、誰も無理に出て来いなどとは言わぬよ。皆安静にしているようにと言うに決まっている。祝いの言葉は、放っておいても後日押し寄せてくるだろうから、その時聞けば良い」

    パレードを行った事に対する貴族達の反応の件を案じているのだろうが、この事はそれから目を逸らさせる事の出来る、この上ない慶事だ。

    セリーヌは夜会に出られない事を気にする必要などまったくなく、それどころか、こちらの方が感謝してもし足りないくらいだった。

    「そうですよ、セリーヌさん。無理は駄目ですからね」

    「お義母様」

    「良かったわ。本当に良かった……あなたが私のような思いをせずに済んで……」

    涙ぐんで祝福している、後継者に関する苦労を嫌というほど味わった母が傍に立つ。優しくセリーヌの頭を撫でるのに、セリーヌはこれまた幸せそうに微笑み頭を下げた。

    「ありがとうございます」

    「私、帰らないわ!」

    「母上?」

    突然の宣言に、その場に居る全員が母に注目する。父も、訳が分からない、と言う顔を正直に見せていた。

    「医師も侍女達も充分に揃ってますから何の不安も無いとは思うわ。でも、私がセリーヌさんの体調が心配ですもの。……それに、赤ちゃんの成長も見守りたいわ。生まれて一年くらいの成長は、もうどんどん育つから見ていて凄く楽しいものですもの! 逆に、新米お母さんは色々余計な事を考えて疲れてしまうものなの。だから、そうならないよう、私がお手伝いをしたいわ。大事な娘と孫ですもの!」

    目を輝かせて溌剌と語った母に、今度はセリーヌが涙ぐんでいた。

    「本当に、側に居て下さるのですね……嬉しいです。ありがとうございます」

    この先の社交の事もある。セリーヌにとって、同じ立場を経験している母という存在は、ある意味自分よりも頼もしい存在なのだろう。

    母の宣言に目に見えて安堵の表情を浮かべているのに、セリーヌの心の平安の為にはとてもありがたい申し出だと思った。

    「任せてね。これでも年を取っている分、セリーヌさんの知らない事も知っていますからね。……余計な事に煩わされないよう、安らかに過ごせるよう守ってあげますからね」

    「お義母様……」

    ルークが腰掛けていたのを立つと、セリーヌは傷に障らぬよう左手を母に向かって伸ばした。母はその手を両手でしっかりと握り、実の娘に見せるような顔で微笑んでいた。

    「フィーネがそう決めたなら、私もこちらに残るとするかな」

    セリーヌと母の心温まる光景を一歩下がって見ていると、傍らに立った父が軽くそう言った。

    「父上」

    「良いだろう、ルーク? それとも何か拙い事でもあるのか?」

    心の内を探るような目を向けて来るのに、笑みを浮かべて首を振った。

    「いいえ、何も。部屋もそのままにしてありますし、私としましても、父上が側に居て下さる方が心強いです」

    元々両親の意思に従って地方行きを見送っていただけである。

    いまだに様々な方面に影響力の強い父が王都に居てくれた方が、面倒な案件を纏めやすくなる。父の存在はルークにとってありがたいものだった。紅蜘蛛

    「お前の尻拭いの為に残るのではない、という事だけは忘れぬようにな」

    「はい」

    考えを読まれたかのような言葉に頷くと、父は諦めの滲む様子で小さく息を吐いて見せた。

    恐らく、無茶をしていると感じれば、さり気なく手を回して周囲を宥める役を買って出てくれるのだろう。サイラスや長老達がそうした調整に長けているとは言え、父には敵わない。それが、長年メイナードを率いてきた父の力である。

    体調の問題があるのであまり無理は望めないが、それでも地方で隠居は常々勿体無く感じていたのだ。

    とは言え、今後しばらく助けとなってくれるのは、けしてルークを甘やかしてというのではない。

    自身の妻と新しい娘と、その子供を想っての事だろう。なんにせよ、ありがたい事に変わりはなかった。




    母に続いて将軍もセリーヌを祝福してくれる。次いで、執事も侍女長もと続き、リリーも感激しているのが全身から伝わってくるような姿で祝辞を述べた。

    セリーヌはそのすべてに、笑みを浮かべて感謝の言葉を返した。

    そうして、執事と侍女長も、リリーを残し、夜会の最終確認作業へと戻った。

    すると医師も、リリーに何かあればすぐに連絡を寄越すようにと指示し、助手を伴い礼をして部屋から下がった。

    部屋にはセリーヌを除くと、自分と両親。そして、将軍とレスターとリリーが残るのみとなった。

    人数が一気に減った部屋は、妙に静かな空間となったように感じたが、静かな方がセリーヌは落ち着いて休めるだろう。

    本音としては自分も夜会など放ってセリーヌの側に付いていたいが、そうも行かない。

    『余計な事は何も考えず、ゆっくり眠るように』 と言いおいて、部屋を出ようとした時、レスターがセリーヌの側に歩み寄った。

    一礼する。

    「横になられてお聞き下さったので充分でございますので、私に少しお時間を頂けないでしょうか?」

    「私は本当に大丈夫です。このままで、お聞きいたします」

    笑顔で応えたセリーヌに、レスターはもう一度礼をした。

    「ありがとうございます、セリーヌ様。……ご結婚おめでとうございます。そして、ご懐妊、誠におめでとうございます」

    「ありがとうございます。レスターさ……」

    「今日よりは、そこまでにして頂きたく存じます」

    他の人間にするのと同じように、祝福に感謝の言葉を返し、いつも通りレスターには敬称をつけて返そうとした言葉を、レスターはこれまで以上にきっぱりと止めた。

    「え?」

    納得してくれていたのでは、と言いたげな顔をはっきりと見せるセリーヌに、レスターは静かに語った。

    「本日セリーヌ様は、大司教様が見守られる中、結婚証明書に署名いたしました。そして、公爵様の配偶者として正式に認められました。もう何の力も持たないマートル家から来られたお客様ではありません。あなた様は、メイナードの一族を統べる公爵様に次ぐ位置に立たれる方となられたのです。そのようなお方が、公爵家の家臣である私に敬称をつけるなど、あってはならぬ事ですし、絶対に外に知られてはならないのです。知られれば、公爵家では主が家臣を統率出来ず、増長させているのかと家名を貶める事に繋がります。その事理解し、振る舞って頂きたく存じます。……セリーヌ様が、私をこの家にとって大切な人間であると尊重して下さる思いは、敬称などつけられずとも、充分以上に伝わっております。ですので、今後それに関するお気遣いは無用に願います」

    花嫁教育の礼儀作法を教える中で、わざとルークが抜かせていた部分をレスターは口にしていた。

    セリーヌが倒れてしまった後、あまり追い詰め過ぎると本物の重病人としてしまうように危惧を抱き 『重圧を感じるような事は、後で教育するので良い』 と後回しにさせたのだ。

    それを、式を終え懐妊まで発覚した今、もう後回しには出来ないとレスターは感じたのだろう。

    「ですが……私に力と言われましても……ルークに次ぐなどとんでもない事です」

    すべてを聞いても、納得しがたい表情でセリーヌは大きく首を横に振った。

    困惑がありありと滲む目で見つめられたレスターは、セリーヌが納得出来るよう続けて丁寧に口にした。

    「セリーヌ様は御身をずいぶんと軽くお考えのようですが、もし、本日のパレードの襲撃により公爵様がお命を落とされていたなら、次の公爵となる方が立つまでの間、その期間はセリーヌ様が、この家を統率なさるのですよ」

    「え? 私が、ですか?」

    大きく肩を揺らすほどぎょっとしてレスターを見、そうして自分、さらには両親達まで落ち着きを無くして見ている姿に、嘘ではないと頷いてみせる。

    「今の君をあまり驚かせたくはないのだがな。公爵の伴侶とはそうした存在だ。……だから、一族の者は式を挙げる前に、自分達の上に立つ事となる君という人間を見る為、その許を訪れ祝辞を述べているのだ。同じ城にすでに暮らしているから、それだけの理由で挨拶に来たのではないのだ。……もし私と結婚しても、君に何の価値も付与されないなら、わざわざ今宵の夜会の前に挨拶になど誰も訪れないだろう。祝辞など、今宵述べたので充分だからな」

    「……価値……」

    ポツリと声にしたセリーヌは、恐ろしい事を耳にしている、と思っているのが良く分かる顔をしていた。

    「もちろん、父や分家の長老の誰かが君の後見となり執務は見るだろうが、表に立つのは君だ。しかも、おなかに後継者となる子供が居るとなれば、君の存在はますます一族すべてに尊重される。子が成人するまでは、君が頂点という事で纏まるだろうな」

    能力さえ確かならば、女性が爵位を継ぐことに問題はない。その為、性別不明でありながらも、生まれる前から直系長子の花嫁であるセリーヌのおなかに居る子は、次代の公爵位に最も近い存在となる。

    「ですから、そのようなお方が家臣に敬称など付けてはならないのです」

    「そんな……」

    自分達の話す内容に身体を小さく震わせ、顔色が青くなりかけているのに、いつかは伝えねばならぬ話と思っていたので、丁度良い機会だと口にしたのを後悔する。

    「安静だと言われているのにすまない。休んでくれ。……いきなりすべてを改めろなどとは言わない。ゆっくりで良いのだ。……ただ、この事は知っていて貰いたかったのだ」

    「ルーク……」

    眉を下げ、不安を背負ってこちらを見たセリーヌに、そっとその頬にキスをした。

    「私は、君を残して死んだりなどしない。だから、それに関しては悩む必要はない」

    怯えさせてしまった事を反省しつつ、宥めるように肩を撫で、横になるようにと促す。すると、セリーヌは左手でルークの腕をしっかりと掴んできた。

    「絶対ですよ。絶対に私より先に死ぬのは駄目ですよ。……レスターさ……の事は、早急にきちんと出来るようにしますが、ルークとこの子の中継ぎとして私がこの家を統率するなど、とんでもない事です。何があっても嫌ですから! 約束して下さいね!」

    じ、とルークの目を見上げ、必死の形相で言い募るのに、今度は額にキスをして誓った。

    「約束する。君を残して辛い物を課したりなどしない」

    セリーヌの方が十以上も年下なので、余程の事が無い限りルークの方が先に天に召されるだろうが、それは敢えてここでは口にしなかった。セリーヌは、そんな天寿の話をしているのではない。ルークが今回のように襲われて不慮の死を迎える事を厭っているのだと分かる願いに、余計な事を挟むべきではなかった。

    ルークの返答にセリーヌは満足そうに微笑み、横になるとレスターに目を向けた。

    「公爵の伴侶として、至らぬところばかりと思いますが……少しでも良くなるよう努めますので、気付いた事は何でも隠さず教えてください。……レスター」

    少し言いにくそうに、それでもきちんと言い切ったセリーヌに、レスターは自分にするのと同じ礼を取った。

    「公爵様に捧げる物と同じ物をお捧げし、お仕え致します。奥方様」




    「精神の安静を保つ、とは、重圧を与えるという事ではないのよ。頭の良いあなた達にそれが分からないとは言わせませんよ。幾ら祝辞に併せたかったからと、そんな話を今する人が居ますか。明日でも明後日でも良いでしょうに……あなた達がこのまま居ては、セリーヌさんは安静などとは程遠いわ! 本当に、男というのは勝手な生き物ね。……もう出て行きなさい!」

    怒っているのがよく分かる、ぴしりと響いた母の声に逆らえる者は一人も居なかった。

    レスターははっとし、気遣いが出来なかった事を悔やみ、性急過ぎた事をセリーヌに詫びた。

    珍しいその姿に、余程、何があろうと今日という日に言うのだと決めていたのだろうと感じた。


    母とリリーを残し、皆揃って部屋を出た。勃動力三體牛鞭

     

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    2013年01月21日

    宿命と輪転

    貴雄からの連絡を受け、南條は取るものも取りあえず藍田宅へと車を走らせた。

     今朝から――いや、昨晩、美咲を家まで送り届けてからずっと胸騒ぎが続いていた。

     本当は、南條が自ら動き、美咲の側にいたかった。だが、南條も普段は仕事をしているし、どんな運命の悪戯か、今日に限って朝から多忙を極めていた。御秀堂養顔痩身カプセル第3代

     考えた末、雅通に伝言を託した。意味も分からぬまま南條に命じられた雅通は、案の定、怪訝そうに首を捻っていたが、南條自身も胸騒ぎの原因が分からなかったのだから説明のしようがない。

     その後、雅通はどのような形で美咲に伝言を伝えたかは知らない。もしかしたら、美咲もただ、戸惑うばかりだっただろう。

    (まさか、こんなことに……)

     南條はハンドルを握りながら、苦虫を噛み潰した心地で顔をしかめる。美咲を守ることが自らの使命なのだと強く誓いを立てていたのに、こうもやすやすと奪われてしまうとは。

     しかし、考え方を変えると、何故、今頃になって藍田本家が動き出したのかが不思議だ。まだ、桜姫が完全に覚醒していないなら、いつでも美咲を消すチャンスはあった。それなのに、手を下すどころか、今回のように本家に連れ去る素振りも全く見せなかった。

    (どういうことだ……?)

     南條は考えを巡らすも、当然、答えなど出てくるはずがない。

     ふと、父親の博和(ひろかず)が言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。


     藍田本家こそ、真の鬼の巣窟だ――


     確か、南條がまだ小学校に行っていたぐらいの頃だっただろうか。まだ、今の霊力が覚醒しておらず、そして幼かったこともあって、博和が口にした言葉の意味を理解出来ずにいたが、中学三年の頃、父が不慮の死を遂げたあとで全てが分かることとなった。

     教えてくれたのは他でもない、自身も本家の血を引く藍田貴雄だった。

     貴雄は次男で、元来が穏やかで優しい性格だから、本家――殊に長兄で本家当主でもある藍田史孝の手段を選ばない強引なやり方に着いていけなかったという。ただ、藍田家では当主が絶対的な存在であるため、当主から命を下されれば、異を唱えることは決して許されない。

     まだ五歳だった美咲を本家に預けることになったのも、貴雄の意思ではなく、前当主だった彼の父親に望まれたからだ。救いだったのは、両親――美咲にとっては祖父母――が美咲を心から可愛いと想ってくれていたことだろう。美咲が、桜姫の魂を受け継いでいると分かっていても、だ。

    (あいつは、幸せな環境で育ったんだな……)

     切羽詰まった状況にありながら、南條は、初めて美咲と顔を合わせ、会話を交わしたことを想い出しながら微笑する。

     美咲は、喜怒哀楽の感情を包み隠すことなくはっきりと出す。腹が立てば噛み付かんばかりに怒りを露わにし、嬉しければ、心の奥から幸せそうに笑う。

     南條は対照的に、感情的になることがあまりない。もちろん、人間だから無感動ということはないが、それでも、美咲と比べると無愛想だし口も重い。軽口を叩く男よりはいいというようなことを、美咲は南條に告げてきたが。

    (でも、もう少し美咲を楽しい気持ちにさせられたら……)

     とは言え、肝心の美咲が無事に奪還出来るとは考え難い。博和が『真の鬼の巣窟』だと表現していたぐらいだから、示談だけでは無理だろう。むしろ、何か危険な罠が仕掛けられている可能性も充分にあり得る。

    (いや、何があろうとも美咲は絶対に救うべきだ。いや、救ってやる)

     南條は強く思い、アクセルを踏み込んだ。


     藍田家に着いたのは、連絡を受けてから二十分ほどしてからだった。一台分空いている駐車スペースにバックで車を入れ、降りてから玄関先のインターホンを押すと、待っていたとばかりにドアがすぐに開かれた。

    「いらっしゃい、和海君。待ってたのよ」

     真っ先に出迎えてくれた理美は、口調こそ落ち着いているものの、やはりどこか浮足立っている様子だった。

    「とにかく入って。あの人も待ってるわ」

     南條に挨拶させる隙を一切与えず、中に入るように促してくる。

     南條は少しばかり躊躇いつつ、だが、呑気に構える気にもなれず、黙って理美に従った。

     通されたリビングでは、理美の言う通り、貴雄がローテーブルの前で座って待機していた。貴雄は理美以上に気が動転しているようで、南條を見るなり、「和海君」と縋るように名前を口にしながら立ち上がった。

    「いったい何があったんですか? まずは詳しく聴かせて下さい」

     内心は貴雄に負けず劣らず落ち着かないものの、自分まであからさまに動揺するわけにはいかないと思い、南條は努めて冷静に訊ねた。

    「そ、そうだね」

     貴雄もさすがに頭を冷やした方がいいと気付いたのか、数回呼吸をくり返してから、南條に席を勧めて自らも座り直した。

    「それで、本家からは何と?」

     未だにソワソワした様子の貴雄に、南條は改めて質問する。

     貴雄は顎を擦り、少しばかり考える仕草を見せてから、「実は」と訥々と語り出した。

    「朝霞――俺の姪から、『みいちゃんはこちらでお預かりします』と。あ、〈みいちゃん〉と言うのは美咲の愛称なんだけどね。まあ、そんなことはどうでもいい。問題はこれからなんだ。

     どうやら兄は、遠縁の娘さんにまで手を出したとか……。しかも、何の因果か、美咲とその子は友達らしい。俺もその子のことは知っていたが、情けないことに、美咲と友達だということは全く知らなかった。理美は知っていたらしいけど。だから、朝霞から聴いて仰天してしまって……」

     貴雄の話は要領を得ない。南條は少々苛立ちを覚えたが、その〈遠縁の娘さん〉なる存在も何か意味があるのだろうと思い、黙って耳を傾ける。

     貴雄は続けた。

    「とにかく、本家側では『預かる』などと言っているけど、美咲の性格上、すんなりと了承したとはとても思えない。いや、了承するしない以前に強硬手段を取ったと考えた方が自然だ。

     自分の身内を悪く言うことはしたくないが、兄は非常に狡猾な人だ。現に、こっちへの連絡も朝霞を使わせた。俺が朝霞に甘いのを見越してだろうね。それを分かっていながら、俺は何も言えなかった……」

     そこまで言うと、貴雄は口惜しそうに唇を噛み締める。オドオドしているだけのようでも、心の中では無力な自らを恥じているのだろう。

    「仕方ないわ……」

     貴雄が話し終えたタイミングで、理美がお茶と和生菓子を持って現れた。それぞれの前に、お茶の満たされた湯飲みと菓子を並べると、理美は貴雄の隣に正座し、南條に視線を向けた。

    「私だって、アサちゃんが相手じゃ『否』とは言えないもの……。

     けど、アサちゃんも気の毒よ。実の父親に都合良く利用されるばかりで……。本音を言えば、アサちゃんをこっちで引き取りたかったぐらい。ただ、アサちゃん本人がそれを望まない限り、無理矢理連れて来るわけにもいかないものね……」

     理美は哀しげに笑い、肩を竦める。

     南條は神妙な面持ちで話を聴きながら、改めて、藍田本家の存在について考えた。

     藍田史孝という男は一筋縄ではいかない。それは、漠然とではあるが感じた。何より、自分の実の娘を利用するという時点で人間らしさに欠けている。

    「――そう言えば」

     貴雄がポツリと口を開いた。

    「もうじき、博和さんの十五回忌だね……」

     貴雄から博和の名前が出てきたことで、南條の心臓はドクンと跳ね上がった。急に何を言い出すのかと、南條は眉間に深い皺を刻む。

     貴雄は少々気まずそうに、しかし、ゆったりと言葉を紡いだ。

    「博和さんは最期まで正義を貫いた。臆病風に吹かれてばかりの俺とは違って、恐れもせず、兄に真っ向から対抗し続けた。自分の息子――君が辛い宿命を背負って生まれてきたことを全て承知だったからこそ、君を守ろうと必死だったんだろう。同時に、のちに生まれた俺達の娘のことも……」

     貴雄はお茶で口を湿らせ、小さく息を吐いてから続けた。

    「君や博和さんと違って、俺には何の力もない。こうして、娘が無事でいてくれることを祈ることが精いっぱいだ。和海君には非常に情けない親父に映るだろうが、俺は君が頼りだからこそ、美咲を守り、救ってほしいと思ってるんだ……」

     居住まいを正したかと思うと、南條に向けて、貴雄が土下座してきた。これには仰天させられた。


    「貴雄さん、頭を上げて下さい」

     南條は貴雄の側に近付き、宥めるつもりで肩をそっと叩く。しかし、貴雄は頑として頭を上げようとしなかった。

    「俺は……、君のお父さんを死なせてしまった……。もちろん、手を下したのは俺以外の者だ。しかし、見殺しにしたという意味で言えば俺も同罪だ。――俺が、もう少ししっかりしていれば……、博和さんは……、今も……」御秀堂 養顔痩身カプセル

     貴雄の身体が小さく震えていた。時々、嗚咽も聴こえてくる。

     南條は貴雄の肩に手を添えたまま、口を噤んだ。

     博和の死については、母親である沙代子(さよこ)からも幾度となく聴かされた。『お父さんは、〈鬼〉に殺されたのよ』と。ただ、最初は、〈鬼〉というのは鬼王のことだとばかり思っていたのだが、鬼王と夢で対峙してから、『違う』と直感した。

     鬼王は決して、無差別にヒトを殺めたりしない。彼が心の底から殺意を覚えるのは、自らに危害を加えようとする者、そして何より、鬼王が愛してやまない桜姫に手を出そうとする者のみだ。そう考えると、むしろ、桜姫の魂を受け継ぐ美咲を守ろうとしていた博和は、鬼王に殺される謂れは全くない。

    (藍田にとって、親父は邪魔な存在でしかなかった……)

     南條は、ギリと唇を強く噛み締めながら、博和の最期の瞬間を脳裏に描く。

     博和に外傷は全くなかった。貴雄に横抱きにされながら家に戻って来た姿は、まるで眠っているように安らかで、声をかけたらすぐにでも目を覚ますのではと思えたほどだった。

     だが、どんなに呼びかけても、乱暴に揺すってみても、博和は二度と目を開けることはなかった。まだ少年だった南條と、妻の名を呼ぶことも。

     沙代子が貴雄を邪険に扱うようになったのは、博和が亡くなってからだった。よくよく思い返してみると、通夜に現れた貴雄に、沙代子は、『人殺し!』と罵り続けていた。その時の沙代子の形相は修羅そのもので、傍から見ていた南條でさえも戦慄させた。もしかしたら、そんな母親の姿があまりにも無惨で、無意識のうちに、通夜の時のことは記憶の奥底に追いやってしまったのかもしれない。

    (貴雄さんにしか、怒りの矛先を向けられなかったのか……)

     南條は瞼を閉じ、ゆっくりと首を横に振った。想い出したくもない記憶が次々と蘇り、南條に突き付けられる。

    「過ぎたことを後悔しても仕方ないでしょう……」

     穏やかで、しかし、諭すような言葉に、貴雄だけではなく、南條もハッと我に返った。

     声のした方に顔を向けると、微かな笑みを浮かべる理美と目が合った。

    「確かにこの人は博和さんを庇い切れなかった。でも、博和さんはきっと、この人が犠牲になることこそ望んでいなかったと思う。――和海君にとっては勝手にも思える解釈だろうし、もしかしたら、私達に対する憎しみが増してしまうでしょうけど……、博和さんは自らの命を賭けて、私達を――美咲を全力で守ってくれたのよ……」

     理美は南條の反応を窺うように、真っ直ぐに彼を見据える。

     南條はただ、そんな理美を見つめ返すことがやっとだった。

     勝手な解釈――だとは決して思わない。博和は南條の父親なのだから、理美以上に博和のことを分かっているつもりだ。だから、理美の言うように、美咲達を命懸けで守ったというのは頷ける。だが、沙代子がこの場にいて聴いていたとしたら、あの通夜の時同様、修羅と化してしまうだろう。いなかったことは、沙代子にとっても、貴雄と理美にとっても救いだったのかもしれない。

    「――これも、親父の宿命だったのでしょう……」

     ようやくの思いで、南條は重い口を開いた。

    「親父は正義感の塊のような人間でした。だから、理美さんの言う通り、貴雄さんに何かあれば、親父はきっと、罪悪感に苛まれながら生き続けていたと思います。もちろん、親父を死なせた人間は決して許せませんが、貴雄さんを恨むことは決してないです。現に貴雄さん達はこうして、本家からは離れて生活しているでしょう?」

    「和海君……」

     南條の言葉に、貴雄は一筋の光を見い出したのだろう。鼻を啜り、ゆっくりと頭を上げた。

    「すまない、君が一番辛い立場だろうに……。俺の方が励ましてもらうなんて情けない……。でも、ありがとう」

     貴雄が穏やかに笑み、南條も釣られて微笑した。

    「だいぶ逸れましたが、とにかく、美咲さんを取り戻すことを最優先に考えましょう。あまり悠長に構えてもいられないでしょうが、何の策も講じずに乗り込んでも、相手がすんなり応じてくれるとも考えにくいですから」

    「その通りだ」

     貴雄は大きく首を縦に動かした。

    「あっちは恐らく、美咲を軟禁同然にするつもりだろう。もちろん、学校ぐらいは行かせるだろうが、俺達と接触させないように厳戒態勢を取るはずだ。のうのうと暮らしているただの田舎当主のようでも、君と同様の能力者や部下を大勢抱えているからね」

     貴雄は表面上では本家に従っているようでも、南條を前にして本音が出てしまったらしい。本家の存在を疎ましく思っていなければ、『ただの田舎当主』などと言えるはずがない。だが、この貴雄の本心こそ、南條をより安心させる要素となった。

    「大丈夫です。他にも……」

     南條が言いかけた時、玄関先のインターホンが鳴った。

    「誰かしら?」

     理美は立ち上がり、そそくさとリビングを出て行く。

     南條と貴雄は、同時に理美の背中を見送った。

     少ししてから、理美は戻るなり、「和海君」と南條を呼んだ。

    「今、男の子が来てるんだけど……。タキムラ君、とか……」

     〈タキムラ君〉に、南條は、あっと思った。すっかり失念していたが、実はここへ向かう前、雅通の携帯電話に連絡を入れていたのだった。ただ、何度コール音を鳴らしても出なかったから、留守電に伝言だけ残し、すぐに車を飛ばしてきた。

     南條は腰を上げた。そして、理美に着いて行く格好で玄関に出ると、まだ、少年の面影を残した男が立っていた。

    「よくここだと分かったな」

     挨拶もそこそこに言うと、雅通はげんなりした様子で、「だいぶ迷いましたけどね」とぼやく。

    「でも、この辺まで来てから、たまたま近くの人に声をかけて訊いてみたら、分かりやすく場所を教えてくれましたよ。しかも、同じ通りに住む人だったみたいでしたし」

    「そうか。わざわざすまなかったな」

     微笑しながら、雅通に向けて労いの言葉をかけると、雅通もようやく機嫌を直してくれた。

    「まあ、今回の件は俺にも責任がありますから。事情が分からなかったとはいえ、南條さんとの約束を破っちまいましたし……」

    「いや、俺もちゃんと分かっていれば……。ほんとに申し訳ない……」

    「もういいですから。謝ってばかりじゃキリがねえじゃないですか」

    「そうそう」

     二人の男の間に、理美が割って入ってきた。

    「こんなトコで立ち話もなんでしょ? それに彼だって休みたいでしょうし。ほら!」

     そう言って、雅通にも上がるように勧める。

     雅通は少し躊躇っていたが、遠慮する方が失礼だと思ったのか、「では」と靴を脱いだ。

     雅通も加え、再びリビングに戻ると、貴雄は新たな客の来訪にわずかに目を瞠った。

    「和海君のお友達よ」

     理美はそう紹介したが、南條の〈お友達〉にしては年が離れ過ぎている気がする。だが、他に例えようがなかったのだろう。

    「そうか、和海君の……」

     貴雄が素直に〈お友達〉と捉えたかどうかは分からない。しかし、すぐに雅通に満面の笑みを向けた。

    「わざわざありがとう。せっかく来たんだ。ゆっくりしていってくれ」

    「あ、はい」

     雅通も釣られたように微笑し、貴雄に勧められるがままに南條の隣に胡座をかいた。

    「それじゃ、私は何か作ってくるわね。あ、どうせなら出来るまで軽く飲んでなさいな。みんな飲めるんでしょ?」

     理美は男達の返事も聴かず、一度キッチンへと引っ込み、盆に350ミリリットルの缶ビール三本とグラスを三個載せて持ってきた。

    「あ、缶だったらグラスはいらなかったかしら? ま、どうせあとで日本酒とかウィスキーも空けるでしょうし」

     そう言いながら、テーブルにビールとグラスを並べると、再びキッチンに戻った。そして、宣言通り、理美はてきぱきと作業を開始させていた。

    「じゃ、飲もうか」

     貴雄は缶ビールを二本手に取ると、南條と雅通に差し出してきた。

     南條も雅通も、少々の間を置いてから受け取り、プルトップを上げる。

     貴雄はそれを見届けてから、残りの一本を手にして、同様に缶を開けた。

    (今夜は泊まれってことか)

     そう思いつつ、南條は生粋の酒好きだから、勧められたら遠慮は全くしない。

     雅通も同様で、南條ほどは強くないものの、酒は自ら進んで飲む。

     冷蔵庫でほど良く冷やされたビールの苦みは、喉の渇きを刺激的に潤してくれる。美咲のことで深刻になっている現状を思うと、呑気に酒など飲んでいる場合ではないのかもしれないが、逆に考えたら、ただただ沈んでばかりいても時間が無駄になるばかりだ。もしかしたら、飲めない人間にしてみたら、単に酒好きが飲みたいがために言い訳しているようにしか思えないかもしれない。そんなことを考えながら、南條はひっそりと微苦笑を漏らした。終極痩身


    大人ばかりの酒盛りは、日付が変わる頃まで続いた。もちろん、ただ飲み食いして楽しんでいたわけじゃない。その間にも、藍田本家、何よりも美咲を救うための手立てを話し合っていた。とは言え、結局は何も解決策が得られずに終わってしまったのだが。

     そのうち、一番酒に弱い貴雄が先にリタイア、それに続くように、雅通までもが潰れてしまった。雅通の場合、普段よりも酒量が多いように見えたから、よけいにダウンしやすくなっていたのだろう。

     残ったのは、自他共に酒豪を認める南條と、意外に酒の強いことが発覚した理美だった。理美も、他の男達に負けず劣らず飲んでいたのに、全く酔っている様子がない。むしろ、飲む前よりも生き生きとしているように見えるのは気のせいだろうか。

    「可愛いものねえ」

     理美は微笑ましそうに、リビングで倒れてしまった雅通に毛布をかける。雅通が寝入ってから、即座に別室から持ってきたのだった。

     クッションを枕にして爆睡する雅通の寝顔は、無邪気な子供そのものだ。南條と同性だし、理美のように『可愛い』などとは言わないが、まだまだ青いな、とは思う。

    「それにしても」

     雅通に毛布をかけ終えた理美が、居住まいを正して南條に向き直った。

    「和海君はほんとにお酒強いのねえ。主人や雅通君よりも確実に量を飲んでたのにケロッとしてるなんて……」

    「いや、それを言ったら理美さんの方が……。あまり飲むイメージじゃなかったので、正直ビックリしました」

     素直に思ったことを南條が言うと、理美は、「あらあら」と頬に手を添えてケラケラ笑った。

    「確かにね、私は滅多に飲まないから。でも、お酒はこれでも大好きなのよ。ただ、娘の前じゃ何となくハメを外しづらくて……。だから今日は、いないからってちょっと調子に乗っちゃったわね。って、これじゃ、美咲がいない方がいいって言ってるみたいね。美咲が聴いてたら絶対怒られちゃうわ」

     素面と思ったが、やはり、少しは酔っているのだろうか。いつも以上に理美はよく喋る。

    「前当主だった義父の願いで美咲を本家に預けている間、私も主人も、言いようのない喪失感に見舞われたわ……。もちろん、義父も義母も美咲を愛してくれてることは分かっていたから、何も心配することはなかったのだけど……。

     美咲にもずいぶんと淋しい思いをさせたと思う。あの子は昔から芯の強い子だったから滅多に弱音は吐かなかったけど、それでも、義父と義母が亡くなり、再び私達の所に戻って来た時はわんわん泣きながら私に縋り付いてきたのよ。『おとうさん、おかあさん、あたしをすてないで』って……。どんな理由があれ、私達が娘の手を放したことには変わりないんですもの……。泣いてる我が子を見ていたら……、私も、主人も、酷く胸が痛んで……」

     そこまで言うと、理美は口元を押さえながら鼻を啜った。どんな時でも毅然としているイメージが強いだけに、弱音を見せた理美の姿に南條の胸が疼いた。

    「私だってほんとは悔しい……。出来ることなら、あの子の身代わりとなりたいぐらい……。でも、それは決して出来ないから……。だからせめて、あの子を――美咲を自由にさせてやりたい……」

     理美は、南條の両手を自らのそれで強く握りながら、涙で濡れた瞳で真っ直ぐに見据えて来た。

    「どうか、美咲をあなたの手で救って。親の身勝手だと思われるでしょうけど、私はあなたと美咲が結ばれて幸せになってくれることを望んでるの。もちろん、鬼王も救えればいいのだけど、さすがにそこまでは無理があるから……」

     言葉だけではない。両手を通しても、理美の切実な想いが伝わってくる。確かに、南條には特別な力がある。しかし、それも時よっては全く役に立たない。

     理美は自分が無力だと思っている。しかし、精神的な面では、南條とは比較にならないほどの力がある。これはきっと、子を産み、育ててきた母親の持つ強さだ。

    「――理美さん」

     南條はゆったりと口を動かした。

    「俺の使命は、あなた達の一人娘――美咲さんを守ることです。子供の頃から親父に言われたからそう思っているんじゃない。俺自身の意思です。

     確かに、もう一人の俺が彼女を強く欲していたことも否定出来ませんが、俺も――いや、俺が一番、彼女が側にいてくれることを望んでいるんです……」

     言いながら、俺も酔っているのだろうか、と南條は思った。まだ、本人にも告げていない自分の本心を、美咲の母親である理美に漏らしている。

     理美は驚いたように、少しばかり目を瞠った。だが、すぐに口元に笑みを湛え、先ほど以上に握る両手に力を籠めた。

    「美咲が、桜姫の魂を持って生まれてきたことは最大の不幸だと思ったけど、それは勘違いだったかもしれないわね。美咲の中に桜姫が存在するからこそ、和海君と再び巡り会えたのだから……」

     理美は、ありがとう、と何度も繰り返す。

     南條は理美の手の温もりを感じながら、瞳を閉じる。今、側にはいない美咲が瞼の奥で、小首を傾げた仕草を見せながらニッコリと笑っている。


     私、南條さんを信じてますから――


     ただ笑っているだけのはずなのに、幻の美咲は、南條にそう言っているような気がした。


     幾度となく目の当たりにした光景が眼前に広がっている。宵の闇に浮かぶ満月に、辺りにひらひらと舞う薄紅色の花びら。そして、その場所のシンボルとも呼べる桜の古木が一本佇んでいる。

     南條は桜の花が緩やかに踊る中で、一歩、また一歩と古木へと近付く。

     すると、南條の気配を察知したのか、木の幹からまるで湧き出るように、一人の男が姿を現した。癖のない長い銀の髪と黄金色の双眸を持つ鬼の長――鬼王である。

    「俺に何の用だ?」

     夢を通し、鬼王にこの場に導かれた理由は南條も察していた。だが、あえて訊ねる。

     南條に問われた鬼王は表情一つ動かさない。代わりに、南條の首元に手を伸ばし、グッと絞め付ける。

    「……っ……!」

     尋常ではない握力と刺すような冷たさに、南條は声にならない声で呻く。そうしている間にも、鬼王の手にさらなる力が入れられた。

    「愚か者が……」

     静かだが、鋭い口調で鬼王が言い放つ。

    「私はどうやら、そなたを買い被り過ぎていたようだ。この場に縛られている私には、身を挺してあれを守ってやることが出来ぬ。だからこそ、そなたを信じようと思った。――だが、所詮はそなたもあの者共と同じだ……」

     首を絞められているからだけではない。南條は言葉を詰まらせた。

     鬼王にとっては、南條の仕事の都合なんて言い訳にしか過ぎない。何を置いても、美咲から常に目を離してはいけなかったのだ。

     一瞬、南條は自分の美咲に対する想いに疑念を抱いた。しかし、それも理美から託された言葉ですぐに我に返る。超級脂肪燃焼弾


     どうか、美咲をあなたの手で救って――


     確かに気付くのが遅過ぎたかもしれない。だが、まだ美咲を助ける機会はあるはずだ。

    「……んど……そ……」

     苦痛に表情を険しくさせながらも、南條は口を開いた。

    「……み……さき……は……れが……まも……」

     そこまで言うと、鬼王の手の力が少しずつ緩んだ。

     南條はその場に膝を折った姿勢で崩れ落ち、自らの首元を右手で押さえながら何度も咳き込む。

     鬼王はそんな彼を、冷ややかに見下ろしていた。

    「――私がこの世で嫌いなものは二つだ」

     肩で息をくり返す南條に、鬼王は言った。

    「一つは〈アイダ〉、そしてもう一つは――自らの意思に背く弱い輩だ……」

     考えるまでもない。〈自らの意思に背く弱い輩〉とは、今の南條を指している。

     南條は奥歯を強く噛み締め、地に膝を着いたままの格好で鬼王を見上げた。

     金色の瞳が、いつにも増してギラリと強い光を放っている。南條は圧倒されかけたが、どうにか自分を奮い立たせ、言葉を紡いだ。

    「確かに俺は弱い。美咲を守ると自らに強く誓ったのに、何も出来なかった……。

     だが、今度こそ、美咲は俺が全力で守ってやる。藍田からだけじゃない。――お前からもな」

     南條はゆらりと立ち上がり、真っ直ぐに鬼王に視線を注ぐ。

     しばしの間、南條と鬼王の間に沈黙が流れる。桜の古木以外に何もない空間に風が流れ、桜の花びらをサラサラと凪いでゆく。

    「――あの時と」

     鬼王の瞳が、幾分か穏やかになった。

    「同じ目の輝きをしている。偽りなどない、強く、真っ直ぐに澄んだ目だ」

     そう言うと、鬼王は唇に弧を描く。

     今まで、冷笑しか見たことのなかった南條は、鬼王の笑みに目を瞠った。もしかしたら、穏やかに映っているだけだろうか。そう思い、表情を窺ってしまう。

    「さっきも言ったはずだ。私が嫌いなのは、自らの意思に背く弱い輩だ、と。私は長く生きてきた。だから、相手が真実を述べているか、それとも偽りを口にしているかなど、見ているだけですぐに分かる」

     それはつまり、鬼王は南條の言葉を心から信じてくれた、ということだろう。

     鬼王はやはり、ただの冷酷無慈悲な鬼の長などではない。ヒト以上にヒトらしい。いや、むしろヒトよりも純粋な存在だ。

     だが、鬼王の無垢さは南條に戸惑いも生じさせる。本来であれば、鬼王こそ封じねばならない存在。鬼王がいる限り、例え、藍田本家の陰謀を止めることが出来ても、美咲が命の危険に晒されることに変わりはないのだ。

     鬼王の望みは桜姫の復活。それはすなわち、美咲の魂の完全消滅を意味する。

    「美咲は、何があっても俺が守る」

     鬼王に、何よりも自身に言い聞かせるつもりで口にする。

     鬼王は何も言わない。ただ、先ほどと変わらず口元に笑みを浮かべたまま、自分を見据える南條を見つめ返した。SUPER FAT BURNING

     

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    2013年01月25日

    捜索

    最初に不審に思ったのは、情報班の副班長だったらしい。

    ベルタがいつもなら出勤している時間に姿を現さず、ミーティングが始まる時間になっても連絡がない。ならばと副班長の方からかけてみた携帯電話と自宅電話は、どちらも通じなかった。Motivat

    この時点で、俺と姫は会議室へ到着した。主任の周辺が妙に騒がしく、近くに座った俺たちに、とぎれとぎれに聞こえてくる情報を総合するとこうだ。

    ベルタに限って無断欠勤はありえない。渋滞や公共交通機関の遅延が起こるような天候ではないから、単なる遅刻の線も薄い。それで王都の百貨店に勤務している彼女の夫に連絡したところ、ベルタとは朝一緒に家を出て、駅で別れたという。

    「……姫、ちょっと、まずい事態が起こっているような気がします」

    事情がわからずにざわついている会議室で、隣に座っていた姫に小声で言った。

    「ああ……アーベル!ちょっといいか」

    姫は主任の方へ進み出た。俺も立ち上がり、ゲオルクに目配せする。他の護衛官たちの注目を浴びる中、主任の席の周りに三人が集まった。

    「私見だが、事故や個人的事情ではないように思う」

    「事件ということですね?」

    短く主任が尋ねた。

    「そうだ。……調査をしていて無理をしたか、敵方に目をつけられたか」

    この間言っていた、決定的な証拠になるかもしれないUSBメモリの解析結果。怖い、とつぶやいた彼女の顔が思い出される。

    「主任、実は……」

    俺は交流会でベルタと話した内容を報告した。

    「その解析結果が関係している可能性は、十分にある」

    主任はすぐに、手近にいた情報班員に陸軍情報研究室へ連絡を取るよう命じた。

    「自分が捜索に行きます」

    ゲオルクが低く、決然とした調子で言った。

    「他に、確認しておくべき場所にいくつか心当たりがあります。彼女が調べていた内容を把握しているのは、おそらく自分だけですので。許可をいただければ、すぐに出ます」

    「わかった。必要なだけ、各班から指名して連れて行きたまえ……殿下、陛下は本日、王都周辺の三市を訪問する日程で、早朝にお出かけになりました。私からご報告申し上げてよいでしょうか?」

    「頼む。それから、ベルタの家族も我々で保護した方が良いと思うが、どうか」

    姫の提案を受けて、主任が指示を出した。

    ゲオルクに同行する捜索班、駅や路上の防犯カメラから情報を収集する班、ベルタの夫と学校に行っている子供を保護する班、ここに残り情報の整理や隊の連絡統率を行う班。今出勤している護衛官を大きく四班に振り分け、全員が動き出した。

    「トーマス、君のこの後のことだが」

    姫がそう声をかけると、こわばった顔で着席していたトーマスが立ち上がった。

    本当ならば、今日の午後に彼の体験入隊は終了するはずだった。朝のミーティングでも、短い挨拶の時間が用意されていたのだ。だが今、当初の予定を実行するのはほとんど不可能になった。彼をこの後どうすべきか、決めなければならない。

    「とりあえず、君をベランタール市に帰すために護衛隊から人員を割くのは、今日はもう不可能だと思う」

    手近な席に腰を下ろした姫が、トーマスにも座るよう促す。

    「一人で帰る、ってのは論外」

    何か言いかけたトーマスに告げると、彼はばつの悪そうな顔で口を閉じた。

    ベルタの失踪に魔道政権右派が絡んでいる可能性がある以上、いくら第八使用の才能保持者としてのトーマスの存在が非公開でも、彼を一人で出歩かせるわけにはいかない。

    「現実的なのは、陸軍から人員を回してもらうか、事態が収束するまで王宮に留まるか……このあたりか」

    「そうですね。今朝まで使っていた独身寮も、もう安全とは言えないでしょうから。トーマス、君はどうしたい?」

    背筋を伸ばして腰掛けているトーマスは、一瞬考える様子でうつむいた。

    「こんな大変な時に、僕のことで患わせて申し訳ないです。より皆さんのご迷惑でない方にしたいんですが、王宮にいさせてもらうことはできるんでしょうか」

    「大丈夫だ。ロルフ、ギュンターに手配を頼もう」

    「わかりました」


     ギュンターに電話で事情を説明した後、俺たちは臨時対策本部の様相を呈している会議室で、不安に苛まれながら、恐ろしく長く感じる時間を過ごした。20分ほど経った頃、情報班の班員が駆け寄ってきた。

    「主任、陸軍情報研究室のヴィッテン大尉と電話がつながっています」

    それは待ちに待った連絡だった。問い合わせの結果、ベルタはやはり昨日の深夜、陸軍情報研究室のある王都第三基地へ行ったことが確認された。彼女に何かあったとしたら、それが関係しているのはほぼ間違いない。しかし、ベルタと会っていたヴィッテン大尉は間の悪いことに非番だった。さらに自宅に電話したところ、携帯電話を忘れて犬の散歩に出かけたと、対応した彼の妻から聞かされたのだ。福源春

    『お待たせして申し訳ありません。ヨハネス・ヴィッテンです』

    向こうの声が皆にも聞こえるよう、スピーカーに繋がれた。俺たちは一斉に、こころもち前のめりになって耳を澄ませる。

    「こちらは護衛隊主任護衛官のアーベル・ケッテだ。今朝ベルタ・ラーコウが失踪した。昨晩そちらにうかがった時の状況を尋ねたい」

    主任が前置きなしに言った内容にヴィッテン大尉は驚いたようだが、すぐ気を取り直し、話し始めた。

    『昨晩の11時頃、依頼されていた暗号化データの解析が終わったので、彼女に連絡しました。データの中身は見ていませんが、音声データでした。それから三十分後くらいに彼女が到着し、すぐに聞きたいと言うので機材を提供しました』

    ベルタは貸し出したヘッドホンで音声データを幾度か聞いたようだ。それから持参のノートパソコンにデータを保存し、大尉には解析済みのデータを陸軍情報研究室の全ての端末から消去して復元不可能な状態にした方がいいと警告した。大尉は、前回解析に携わった技術者が、魔法で暗示にかけられた結果取った行動を思い出したので、必ず彼女の言うとおりにすると請け負った。そしてタクシーを呼ぼうとしていたベルタを引き止め、部下に家まで送るよう指示した。

    『音声データを聞いた後の彼女は、青ざめて、口数が減り……尋常とは言い難い様子でした』

    顎を指でさすりながら聞いていた主任は、次に奇妙なことを尋ねた。

    「なるほど。では次に……話が前後して申し訳ないが、音声データが復元できるということをベルタに伝えたのは、どういう手段だったのだろうか?」

    『えっ?彼女への連絡ですか?』

    「ああ」

    『二日前の朝、出勤途中に私個人の携帯電話へ、退職した以前の解析担当者から電話がありました。共有データフォルダのログから復元可能かもしれないという話です。ベルタへの連絡は、その直後、これも彼女の個人の携帯電話にかけました。ささいなことでも、すぐに知らせて欲しいという要請がありましたから。通話は極力、具体的な単語を出さずに済ませたつもりです』

    「そうか……ところで、そのデータの消去はもう済んだのだろうか?」

    『はい。昨日のうちに』

    「ありがとう。協力を感謝する」

    通話が終わった。

    「ベルタは、例のデータの中身を確認していたんだな」

    姫が考え込むように口元に手を当ててつぶやいた。

    「ええ。そして、何か重大なことを知ったのでしょう」

    主任がそう答えた時、再び連絡係を担当している情報班員が電話を繋いで寄越した。

    『ゲオルク・ヘイマンです。主任、王都第三基地に到着しました』

    主任はゲオルクに、ヴィッテン大尉が語った内容を説明した。

    『データの復元ができるとわかった時点では動いていない。一方で、ベルタは基地を訪れて数時間後に拉致されている……盗聴器があるのではないでしょうか?』

    「研究室内に、だな。確かに、そう考えると辻褄が合う」

    ベルタが何か重大な情報を手に入れたことは、昨夜の段階では彼女とヴィッテン大尉以外には知りようがなかったのだ。ゲオルクすら、ベルタが陸軍情報研究室を訪れたのを把握していなかったのだから。

    『主任、自分はまだ、基地の外にいます。これから盗聴器の撤去と、昨晩の基地周辺の監視カメラのチェックを行いたいのですが』

    「私から上に話をつけよう」

    ゲオルクによると、盗聴器を確認してみないと確実なことは言えないが、昨晩起こった出来事が筒抜けになっている状況から考えて、ベルタ失踪の犯人または共犯者が、基地周辺で電波を受信していたか、あるいはごく近くに拠点を持っている可能性があるらしい。

    『それから、第三基地の東側は住宅が密集しています。周辺の詳細な地図と、空き家や賃貸住宅の情報を送ってください』

    主任は情報班にゲオルクの要請に従うよう指示を出すと、自分は何本か電話を掛けた。結果、数分後には基地内の捜索が許可され、しばらくのちにゲオルクに同行した護衛官から、やはり研究室から盗聴器が見つかったと報告があった。

    そんな風に様々な報告や指示、情報が飛び交う中、ベルタの夫と娘が案内されてきた。

    ベルタと同年配の紳士然とした男性と、十歳くらいの少女が、憔悴した様子で勧められた椅子に腰掛けた。

    「ラーコウさん、こちらがレナーテ殿下です」

    主任が紹介すると、彼らははじめて姫の存在に気付いたようで、慌てて立ち上がった。

    「こんなことになってしまって、申し訳ない。どうか楽になさってください」

    「妻のためにご迷惑をおかけします」

    「とんでもない。今、護衛隊が全力で捜索しています。きっとベルタを発見してみせます。昨夜から今朝の状況をもう一度、詳しくうかがっても?」

    「もちろんです」

    情報班副班長に交代して、夫のデトレフ氏から聞き出した内容はこうだ。

    ベルタは昨夜、日付が変わってから帰宅した。時刻は、陸軍情報研究室からまっすぐ車で移動した場合の時間と大体一致した。

    彼女は、食事を摂ったのか、着替えたらどうだ、というような夫の言葉にも上の空で、居間のソファに掛けたまましばらく何か考え込んでいたらしい。

    「おそらくベルタは仕事で使っていたノートパソコンを持ち帰っているはずですが、それは?」

    副班長が尋ねる。ベルタは複数台のパソコンを併用していて、そのうちの一台を常に持ち歩いていた。その気になれば、自宅からでも情報班へ指示を出せる状態にしていたのだ。

    「使っているところは見かけませんでしたが、帰ってきた時にいつものパソコン用バッグを持っていましたから、多分ありました。今朝も持って家を出たと思います」

    夫妻は一緒に自宅を出て、ヨルン中央駅で電車から降りて別れた。しかしこれも、彼女は規定の時間より少し早く出勤するために、いつも夫より何本か前の電車に乗っていたので、珍しく思ったという。K-Y Jelly潤滑剤

    「それでも、出勤時間には十分間に合う時刻だったはずです」

    駅へ向かった護衛官に連絡を取り、デトレフ氏が証言した時刻と場所の防犯カメラの映像をチェックさせた。果たして、その中の一本に、夫と別れた直後、タクシーを捕まえようとしているベルタに近付く人物が映っているのが発見されたのだった。

    さらに、送られてきた映像を見て俺は重苦しい失望感をおぼえた。髪を濃い色に染め、地味な目立たない服装をしているが、それは間違いなくアンジェラだった。二人は何か短く言葉を交わすと、やがてベルタを先頭に、ぴったりと寄り添うように歩いて画面から消えていった。

    「……刃物か拳銃か、脅されていたのだろうな」

    デトレフ氏に聞こえない程度に離れた場所に移動し、小さく姫がつぶやいた。

    「町なかの防犯カメラも含めて、二人が映っているもの、車に乗りこむところなどがないか探させます」

    主任が言って、すぐさま情報班に指示が出された。それを言い終わるか終わらないかのタイミングで、ギュンターが会議室へ入ってきた。

    「お待たせして申し訳ありません。滞在許可が下りるのに時間がかかってしまいました。しかし、少々手続きが煩雑でも居住区内に宿泊した方が安全だと思いましたので。それから、ラーコウ氏とお嬢さんのためにも部屋を用意しました。クリーに案内させます」

    ギュンターはてきぱきと言って、ベルタの夫と娘を送り出した。

    「お嬢さんは特に、ここにいるのは辛いでしょうから。クリーには、お二人に付いているよう言ってあります」

    「ああ、助かる。我々ではそういうところに気が回らないから」

    姫はため息混じりに言って、椅子に腰を下ろした。

    「部屋に戻りましょうか?」

    俺が尋ねると、彼女はかぶりを振って、トーマスを見た。

    「私は問題ない。それよりトーマスは大丈夫か?君も休みに行ってはどうだ」

    「いえ、そんなわけにはいきません。殿下がいらっしゃるんですから」

    彼の言い分は、護衛官候補生としても、男としてもごくまっとうで、共感できるものだった。だが、姫はそんなことは意に介さない。

    ……そのあたり鈍感なんだ、姫は。

    「どのみち我々に出来ることは、今すぐにはない。何かあったらすぐ伝えるから……」

    「姫、それならば姫も一旦部屋に戻って休憩をお取りなさい。体験入隊とはいえ、彼も護衛隊の一員です。あなたより先に休んだりはできませんよ」

    「えっ……あ、そうか」

    ようやくわかってくれたようだ。

    「すまなかった。ならば、私も少し休むことにする。それでいいだろうか?」

    「はい、それでしたら、ありがたく休ませていただきます」

    トーマスはそう言って、軽く微笑んだ。姫の面子も立てているあたり、そつのない対応だ。

    「案内は私が。荷物は持ってきているんだろう?」

    ギュンターが尋ねた。

    「はい、護衛隊の事務室に」

    「では、先に事務室へ寄ってから……」

    そう言って、ギュンターが椅子から腰を浮かせた時、会議室の扉がひどく乱暴にノックされた。側にいた護衛官が立ち上がり、ノブに手を掛けようとしたその時、これまた乱暴に、扉は開かれた。

    「ロルフ・グレンダンはいるか」

    居丈高に告げたのは、見知らぬ男だ。二人組で、いずれもダークスーツにコートを羽織っている。彼らの背後には、今朝姫の部屋の前にいた歩哨が厳しい顔で立っていた。その様子から、少なくとも男達は不法侵入者ではないことがわかる。

    「自分がそうです」

    軽く手をあげて立ち上がると、先頭に立っている四十代くらいの男は俺を睨みつけながら、懐から何か書類を出した。

    「ロルフ・グレンダン、君を逮捕する」 曲美


     

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    2013年02月01日

    スプリッタ・グリッタ

    ハングマン城に慌ただしく一台の馬車が走り込んできた。警察の所有であるそれから飛び降りてきたのは城で働く唯一のメイド、アリス・ウェーバーであった。彼女はわき目もふらずに城主、ゼロ・ハングマンの部屋へと駆け込んでいく。精力剤

    「ゼロ様っ!!」

     常のようにソファに腰掛けていた彼に、彼女は迷うことなく飛びついた。

    「?!」

     ゼロは両腕を肩の横に拡げたまま凍りつく。ぎょろりとした黒い大きな眼は、いつも以上に大きく見開かれていた。

    「う……」

     アリスの細い肩は小刻みに震えている。ゼロは体を硬直させたまま、視線だけを彼女の方に下ろした。

    「アリス……? どうかしたのですか?」

    「ゼロ!」

     アリスが開けたままだった扉から、大柄な男が顔を出した。ルイス・ブラウンである。ゼロにすがりついているアリスの姿に、ルイスは一瞬驚いたような表情を見せた。

     ゼロはルイスの顔を見上げ、尋ねる。

    「ルイス? これはいったい……」

    「アリスちゃんは、見てしまったんだよ」

     アリスはただ、ゼロの足元にうずくまり、その腰に両腕を回してしがみついている。その表情は見えない。

    「何を、ですか」

     ゼロの瞳の中に、暗い光が点った。ルイスは目をそらし、答える。

    「かなり細かく切断された人間の死体の、一部だ」

    「…………」

     ゼロは目を細め、ようやく上げたままだった両腕を下ろした。

    「アリス」

    「…………」

     顔を上げない彼女の頭に、彼はそっと掌をのせる。そのまま、そうっと手を前後に動かした。

    「……怖いものを見たのですね」

     ゼロは静かにつぶやく。

    「私はデミアンのようにうまく話はできません。でも、これは以前あなたが教えてくれたから……」

     頭を撫でるという行為を、かつてアリスはゼロに教えてくれた。その時自分にもたらされた心理的効果を、ゼロは今でもはっきりと覚えている。

     ゼロの大きな手が、不器用に彼女の髪を撫でる。――やがてアリスの体の震えが、止まった。

    「大丈夫ですか? アリス」

    「…………」

     アリスは顔を上げないまま、頷いた。

    「ごめんなさい、ゼロ様」

    「え?」

    「でも……もう少し」

     ブロンドの髪の間から、耳の端が除く。それはひどく真っ赤に染まっていた。

    「もう少し、このままでいさせてください……」

    「…………」

     ゼロはわずかに――長い付き合いのルイスにすら、本当にそうなのだろうかと思わせるくらいにわずかに――微笑んだ。

    「どうぞ」

     突然、ルイスは背後からぐいと引っ張られた。抗議の声を上げようとして振り向いた先にはこの城の執事、リデルの有無を言わせぬ笑顔がある。

    「詳しいお話は、後で伺うことにしましょうか。それと、先に――」

     ルイスが持参したはずの、「ボディ」の処理。

    「……そうだな」

     ルイスは頷き、リデルに従って歩き出す。リデルが扉を閉じるその隙間から、まだゼロがアリスの髪を撫でている光景がちらりと見えた。




     街に買い物に出たアリスは、市場から少し離れた場所で、妙に吠え猛る犬の声に気付いたのだという。不審に思ったアリスがその声の方向に足を向けたところ、一匹の犬が大きな木の根元に向かって吠え、前足で土を掘り返していた。土の中からは白く細長いものが見えていて、目を凝らしたアリスは、やがてその正体に気付いた――。

    「たぶん、女。若い女の、腕だな」

     ルイスはリデルの淹れた茶を一口飲み、溜息をついた。

    「そりゃあ、あんなもん見りゃあショックも受けるよ……」

    「そうでしょうね」

     リデルはうなずいた。

    「アリスちゃんの叫び声に気付いたひとが警察に通報してくれてな。駆けつけたおれたちも、正直腰を抜かしそうになったよ」

     掘り返して出てきたのは、切断された人体。しかも、一部分が足りなかったり、重複していたりするのだった。――それが意味するところはつまり、

    「被害者は複数人ってことだ。見たところ、女っぽかったな」

    「身元の心当たりは?」

    「まだこれからだよ。……おそらく他にも埋められているところがあるはずだから、それも探している」

    「そうですか……」

    「おれは捜査に戻らなくちゃならん。とりあえず、ゼロに伝えておいてくれないか」

     ルイスは言った。

    「とにかくヒントが欲しい。あの切り刻まれた死体から、あいつ以外に情報を拾えるやつはいないだろう」

    「わかりました。お伝えします」

     落ち着いた表情のリデルに、ルイスは苦笑した。

    「お前も、あいつといるとこういうのに慣れちまうんだな」

    「……ええ、まあ」

     リデルはつられて苦笑いを浮かべた。確かに、ルイスの言うとおりだった。先ほどから彼の語る凄惨な内容にも、自分は眉ひとつ動かさず聞き入っていた。

     しかし、それだけではない。ゼロの側にいたリデルが、いつしか気付いたこと。

    「恐ろしいのは、死体ではありません。死体を作り出す、生きている人間の方です」

    「…………」

     ルイスは一瞬黙り込み、やがてうなずいた。

    「……それもそうだな」

     カップの中に揺れる赤い水面を一気に啜り込み、ルイスは立ち上がった。

    「ゼロと、アリスちゃんによろしくな」

    「はい」

     リデルは穏やかに微笑み、一礼した。


     

     アリスが目を覚ました時、既に部屋には燭台に火が灯されていた。

     ベッドに起き上がり、額に手を当てる。じんわりと汗がにじんでいた。

     どうやって自分の部屋に戻ってきたのか、アリスは良く覚えていない。とにかく怖くて、体が震えて――でもゼロに会って、しがみついて、頭を撫でてもらっているうちに気分が落ち着いてきて――気を失うように眠り込んでしまったような気がする。その後は、良く分からない。

     ――ノックの音がして、扉が開いた。一瞬ゼロかと思ったが、姿を見せたのはリデルだった。

    「おや、目が覚めましたか」

     穏やかな口調に、ほっと体の力が抜ける。媚薬

    「さっきはすみませんでした……取り乱してしまって。ご迷惑をお掛けしました」

    「私は別に何の迷惑もかけられてはいませんよ?」

     リデルはいつものように飄々とした調子で答えた。

    「あなたをここに運んできたのもゼロ様ですし」

    「ゼロ様が?」

    「あまりによろよろしているのでお手伝いをしようかと申し出たのですけど、断られてしまって」

    「…………」

     顔に血が上る。リデルはふふ、と笑った。

    「少しゼロ様も体を鍛えなくてはなりませんね」

    「……あの、ゼロ様は」

    「今、ちょうどシャワーを浴びておられますよ」

     その返答に、アリスは体を強張らせた。――つまり、ゼロはアリスの見つけた死体の、解剖を……。彼女の脳裏にフラッシュバックしそうになった映像を、リデルの声がかき消した。

    「アリス」

    「はい?」

    「私の勝手なお願いですけれど……」

     彼は慎重に言葉を選んでいるようだった。

    「貴方には、ずっと、ここにいて欲しいです」

    「え……?」

    「貴方は、なくてはならない存在だと思うので」

    「えっと、それは、このお城にとって……ですか?」

    「…………」

     リデルはその問いには答えなかった。

    「今日はお仕事はしなくてかまいません。ゆっくり休んでください」

    「え、でも」

    「ゼロ様からの伝言ですよ。それでは」

     有無を言わせぬ笑顔で押しきり、リデルは静かにアリスの部屋の扉を閉めた。




      × × ×




     その後一週間の間に、数ヶ所から同様の切断遺体が発見された。それらはすべてハングマン城に運ばれ、ゼロの手によって丹念に調べられている。

     世間では「バラバラ切断事件」などと呼ばれてセンセーショナルに扱われていたが、身元は不明のままであった。複数人の女性の遺体が細かく刻まれ、複数の場所に分けられていたため、ルイスの言った通り警察がそこから情報を拾うのは難しかったのである。

     最後の遺体が見つかってから、二日後。ルイスはハングマン城を訪れた。

    「女性。十代後半から二十代前半程度で、若い。足をみると、バレリーナにも見えます」

     ゼロからそれを告げられたルイスは、身を乗り出して尋ねた。

    「結局何人分だったんだ?」

    「……それが非常に難しいのです」

     ゼロは困ったように頭をかいた。

    「骨格に至るまで、それぞれの特徴が非常に似通っている。切断面をあてにしようにも、損傷もひどいし……」

    「そういえば、頭部は」

    「一応三つありましたが、遺体の量は三人分以上です。そして、顔面の損傷は他の部分より激しい。まだ発見されていない部分があるのかもしれませんね……」

    「五人分ってことはないか?」

    「え?」

     ゼロは顔を上げた。ルイスは一枚の紙を彼に差し出した。五人分の名前がずらりと並んでいる。

    「実は、五つ子のバレリーナが二週間ほど前に失踪していたんだ」

    「五つ子……?」

    「ああ、まだ学生だがな。学校には故郷の田舎に帰るとの書置きを残していたらしいんだが、前日まで何のそぶりも見せていなかったし、ご両親に連絡を取っても帰ってきていないという。事件に巻き込まれたんじゃないかって、数日前に警察に届けがあった」

    「なるほど……」

     ゼロはその紙をつまみ上げた。

    「彼女らの写真か、何かありませんか。参考にしたいのですが」

    「わかった、急いで届けさせる」

    「それから、もう一度詳しく調べてみます。何か追加でわかったことがあればお知らせしますので」

    「わかった。助かるよ」

     帽子をかぶって立ち上がったルイスは、ふとゼロに尋ねた。

    「アリスちゃんは、大丈夫か? いやなもん見ちまったな」

    「ええ、元気にしていますよ」

     あっさり答えたゼロに、ルイスはたたみかける。

    「無理してるのかもしれん。夜に悪い夢を見てうなされてないかどうかとか、気をつけてやれよ」

    「はい、わかりました」

     素直にうなずいたゼロに、ルイスは拍子抜けしたようだった。

    「……お前、そういう方面は疎いんだろうなあ」

    「そういう方面?」

    「何でもない。じゃあな」

     ルイスはひらひらと手を振る。

    「はい。また」


     ゼロはルイスを見送った後、自分の膝を見下ろした。胸に埋められた彼女の髪。腰に回された腕。膝にもたれかかっていた体。彼の知らない、柔らかな感触。温度。甘い匂い。

     ――辺りの気温が急に上がったような気がして、ゼロはきょろきょろと周りを見回した。部屋のどこにも異常はない。

    「異常なのは……私ですか」

     ほう、とため息をつく。無性に、アリスの淹れたお茶が飲みたかった。


    アリスが街で切断された遺体を発見した日から、半月が過ぎた。

     彼女はあの日のことなどなかったかのようにいつも通りに振る舞っていたし、ゼロやリデルも敢えて口にしようとはしなかった。――だが、ゼロは新聞を自分で片づけるようになった。かつてはどんなにリデルに口やかましく言われても、すぐに投げ散らかしていたのに。紙面に躍る「バラバラ切断事件」の文字、それがアリスの目に触れないようにと考えてのことだった。

     人は、目にしたことをそう簡単には忘れられない。それでも、時間の力を借りて少しずつ、記憶の層の奥深くに埋めていくことはできる。そうやって、人は乗り越えていく――少なくとも、乗り越えたふりができるようになる。それを、ゼロもリデルも己の経験から知っていた。

     同時に、一度負った傷が決して消せないことも、彼らは良く知っていた。性欲剤


      その日、ルイス・ブラウンがハングマン城を再訪した。お茶を運んできたのはアリスではなくリデルで、ルイスも彼女のことは何も言わなかった。

    「写真は残っていなかったが、一枚だけ肖像画があった」

     ルイスは一枚の画を取り出した。そう大きなものではない。ひとりの娘の、ちょうど胸元から上が描かれているのだが、青い瞳はやや伏せられていて画を見るものが視線を合わせることはできない。栗毛色の豊かな髪は頭頂部にまとめられていて、幾筋かの後れ毛が白い額に、薄く色づいた頬に零れ落ちていた。赤い唇はかすかな微笑みを浮かべている。ルイスは最初見たとき画に描かれた彼女の美しさに嘆息したものだが、ゼロはただぎょろぎょろとした眼で無遠慮に眺めただけだった。やがて、ため息をついて目を逸らす。

    「ルイス。私は、顔が知りたいのではないのですが」

    「うん?」

    「顔は損傷が激しくて、わかったものではありませんでした。どちらかというと、骨格や体のパーツの特徴が知りたいのですよ」

    「そう言われてもなあ」

     ルイスは頭を掻いた。

    「庶民がそう簡単に写真なんか撮るかよ……」

    「では何故、ひとり分だけ画があったのです? 姉たちの分は?」

     シーマス姉妹は、実のところ本当の五つ子ではない。彼女らが互いに良く似ていたことから、学校内では彼女らをそう呼ぶものがいたというだけのことである。

     そんな中、末の妹、ヴァニラ・シーマスの画だけがあった理由。

    「五人揃った画もあったらしいんだけどな。妹がこの画を描いてもらった時、画家に頼み込んでその画を譲ってもらったそうだ」

    「そうでしたか」

    「ヴァニラが改めて画に描かれた理由ってのは、まあ簡単なんだ。同じバレリーナ、同時にロンドンに出てきて、学校に入った。一番若いのが将来を嘱目されたというわけ。年は上から順に二十三、二十二、双子が十九、で一番下が十七だったかな」

    「でも良く似ていたのでしょう? 五つ子と呼ばれたほどですから」

    「舞台上じゃ見分けはつかなかったらしいぜ。踊りも別に誰かが飛び抜けて上手いとか下手とかいう訳ではなかった」

    「そうですか」

     ゼロは興味があるのかないのかあいまいな返事をして、ソファに深く体をうずめた。

    「ところで、遺体の身元はシーマス姉妹と確定して良さそうか?」

    「他人同士とするには、細かなあまりにも特徴が似通っています。ほかに、同年代で失踪した血縁関係のある女性たち数名がいますか?」

    「いない」

     言い切るルイスに、ゼロはそれなら――と言った。

    「ほぼ間違いはないでしょう。シーマス姉妹です」

    「全員が、殺されたと? じゃあ犯人は一体……」

    「全員?」

     ゼロは右眉を上げた。

    「誰が、遺体は五人分だと言いましたか?」

    「え?」

     ルイスは思わず聞き返した。

    「じゃ、じゃあ、五人分じゃないのか?」

     ゼロはソファから立ち上がり、ゆっくりと窓際へと歩み寄った。その表情は逆光になって、ルイスには良く見えない。

    「切り離された身体を継ぎ合せる――まるで、パズルを組み立てるような作業でしたよ」

     静かに語られる、その内容は凄惨だった。

    「どんなにトライしても、一体分も完全にはなりませんでしたけれど……まあ欠けた部分はそれはそれとして、元々遺体が幾つあったのかは推測できました。恐らく間違いないと思います」

     ルイスはごくりと唾を呑んだ。

    「殺されたのは、何人だったんだ」

     ゼロは振り返る。いつも通りの、無表情だった。

    「遺体は、四人分です」

    「四人……?」

     ルイスは眉を寄せた。

    「あと一人分、見つかっていないと? そう言いたいのか」

    「いいえ」

     ゼロは首を横に振る。

    「確かに、四人の体の中にもそれぞれまだ見つかっていない部位はあります。しかし、四人はバラバラにされた後、互いにパーツを混ぜられた状態で埋められています。五人目のパーツは、どこからも見つかっていません」

     ゼロは言う。わざわざ遺体をバラバラに刻み、四人分を混ぜ合わせて遺棄したのは、殺した人数を知られたくなかったからではないか、と。実際、ゼロが詳しく調べなければ、一体何人分の遺体なのかは断定できなかったはずだ。遅かれ早かれシーマス姉妹の失踪が明らかになって事件と結びついただろうから、いなくなった姉妹全員が惨殺されたものと警察が決めつけた可能性は多分にある。

     確実に死んでいるのは四人。しかし、犯人はそれを五人と思わせたかったのではないか……。

    「ええと、つまり……どういうことだ? 一体何のためにこんなことを?」

     頭を抱えるルイスに、ゼロはゆっくりと説明した。

    「遺体がシーマス姉妹のものだとします。今まだ見つかっていないひとりの所在に関しては、可能性が幾つかある」

     ルイスは視線でゼロに続きを促した。

    「ひとつ、犯人によって誘拐され、今も捕らわれている。もしくは姉妹とは別の場所や時間に殺され、既に捨てられている」

    「他に、あるのか?」

     ゼロは目を伏せ、かすかに笑った。

    「ひとつ、姉妹の残りのひとりこそが――犯人である」

    「なんだって?」

     ルイスは声を上げた。

    「幾ら何でも、それは……」

    「確かに、人間の解体は女性にとって骨の折れる仕事ですね。力が入ります。でも、不可能じゃない。共犯がいたかもしれませんよ」

    「ううん」

     唸るルイスを横目に、ゼロはソファに座りなおした。華奢な足を組み、すっかり冷えてしまったティーカップに手を伸ばす。

    「まあ、私は犯人には興味がありません。捜査するのは貴方がた警察の仕事でしょう」

    「それもそうだ」

     ルイスはため息をついた。

    「参考のために、教えてくれ。もし姉妹のうちのひとりが犯人だとしたら――動機は一体何だと思う?」

    「さあ?」

     ゼロは首を傾げた。

    「でも、邪魔だったんじゃないですか?」

    「え?」

     ルイスは聞き返す。

    「バレリーナとして成功しようとしたなら、五人似たようなのがいても、頭角を表せない。かろうじて若さが武器になるか、どうか」

    「じゃあ、末の妹以外の誰かが……?」

     彼女を妬んで、と言いかけたところで、ゼロは静かに言い放った。

    「もしくは、彼女自身が」

     ゼロの視線を追って、ルイスは手元の画に目を落とす。美しく、若い娘。その伏せられた青い瞳は一体何を映すのか――ルイスはぶるりと身震いした。ゼロの示唆した可能性を否定したくて、口を開く。女性用媚薬

    「けど、こんなことになったらもうバレリーナとしてはやっていけないじゃないか。実際、学校も辞めてしまったんだし」

    「ロンドンを離れればいいだけです。たとえば、パリに行くとか」

    「全てを捨てて……か?」

     両親の元を離れ、姉妹を殺し、祖国を出奔して、そうまでしても名声を手に入れたいのか。ルイスに、ゼロは肩をすくめてみせた。

    「私にはわかりません。興味もない」

     ――そう、ゼロにはわからない。ヴァニラ・シーマスが五人姉妹の画をわざわざ画家に譲って持って帰った理由など、わかるはずもない。だがきっと、それは今でも彼女の傍らにあるのではないか。何の根拠もなく、ゼロはそう思った。




      × × ×




     数日後の昼下がり。ゼロのもとにお茶を運んできたアリスに、彼はぽつりと言葉を漏らした。

    「画を」

    「はい?」

    「画を、描いてもらう気はありませんか。アリス」

    「何の画ですか?」

    「貴方の、ですよ」

    「私の?!」

     アリスは顔を赤らめて、ゼロを見つめた。彼はいつも通りの澄ました顔で、彼女の焼いた洋ナシのパイにフォークを突き刺している。

    「写真もいいけれど、やはり色がついていた方が良いかと思いまして」

     上手な画家を知っているんですよ、とゼロは言う。アリスは面食らった。

    「で、でもどうして私の……」

    「画は、残るでしょう?」

     ゼロが、彼女を見た。虚ろにも似た漆黒の瞳が、彼女を映している。

    「でも……」

     アリスは戸惑いながら俯いた。――それは、違う。画は嫌いではない。でも、何かが違う。

     ――ゼロ様は、まるで私が去った後も画は残るから、と言っているみたいだ。

     それは、違う。確かに、この城にきて怖いこともあった。今でも死体や解剖は怖いし、この間の光景もまだ忘れられない。けれど、あの事件の後、「少しの間孤児院で休暇を過ごしてきてもいい」というゼロの提案をアリスは断った。ゼロやリデルと離れてしまうのが嫌だった。彼らの側にいる方が、きっと彼女は安心できるし怖くない。何かあっても、きっと彼らが助けてくれる。いつの間にか、アリスの心の中はそうなってしまっていたのだった。

     アリスは指先でエプロンを握りしめながら、ぼそぼそと言う。

    「お菓子もお茶も、作り立てが一番なんです。置いておいても、冷えちゃうし……固くなるし」

     脈絡のない彼女の言葉を、ゼロは黙って聞いている。

    「だから、画も……喋らないし、動かないから。それは、私じゃないと思うんです。それに」

     アリスは少しだけ、顔を上げた。きっと、今の彼女の顔は真っ赤だろう。

    「毎日顔を合わせているのに、画は要らないと思うんです……」

    「…………」

     ゼロはふ、と息を吐いた。

    「ええ、確かにそうかもしれませんね」

     ゼロは手を伸ばし、アリスの頬に触れた。

    「それに――」

     ――貴方がいなくなったら、私はとても困る。

     それはひどく小さな呟きで、聞き間違いかとアリスは疑ったほどだった。

    「では」

     ゼロがもう一度口を開き、今度ははっきりと言った。彼の瞳に吸い寄せられて、アリスは目を離せない。

    「ずっとここにいて下さいね。アリス」

    「……は、い」

     アリスは頷く。

    「ありがとう、アリス」

     ゼロが、笑った。穏やかな瞳、少しだけ朱のさした頬、柔らかな弧を描く薄い唇。いつもの硬質な印象が、あたたかく和らぐ。

     ――あ。

     アリスは息を呑んだ。今この瞬間の、画が欲しい。そう思った。

    「アリス?」

     名を呼んで、首を傾げるゼロ。アリスは慌てて目を逸らした。顔がひどく熱い。彼女はぱたぱたと手で仰いだ。

    「何だかこのお部屋、暑いですね」

    「……貴方も?」

     ゼロはシャツの首元を緩める。

    「それなら、やはりこの部屋の暖炉かどこかがおかしいのでしょうか……」

    「リデルさんに見てもらいましょうか」

    「そうですね」

     顔を見合わせて頷き合うふたり。――その頬は、確かに上気していた。中絶薬




     部屋を見に来たリデルに、おふたりでいるとお暑いのでしょう、と一蹴されるのはその数分後のことだった。

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    2013年02月04日

    子猫の湯浴み

     窓から差し込んでくる朝日が眩しい。私は澄んだ清々しい空気に包まれて、眼が覚めた。

    ……眼覚めると朝だった。一体いつの間にベットに入ったのだろう?全く記憶に無い。私が着ている服は、昨日着替えた服のままだ。服は皺になってしまっている。

     一体どのくらい眠ったのだろうか。時計が無いから解らないが、少なくとも日にちが変わっているのは間違いない。Motivator


     私はとても疲れていたのだろう。全く夢も見ずにぐっすりと眠った。おかげで今朝は気分が良いし、身体も軽く感じられる程だ。

     私はベッドの上でう~んと伸びをすると、ベッドから抜け出した。


     窓から外を眺めると、吸い込まれそうに透明な青空が見えた。窓を開けるとそこから吹いた心地よい風が私を包む。窓からぐっと身を乗り出して下の方を窺うと、昨日は気付かなかった花壇のある小さな中庭が見えた。花壇には色鮮やかな可愛らしい花が風に揺れて咲いている。ふんわりと辺りを花の香りが漂った。


     向かいには回廊を歩いている人が見える。一階部分の回廊には洗濯物を抱えた女中の様な格好をした女性や、野菜を篭一杯に抱えた料理人、騎士を思わせる服装をした背の高い男性達などが会話をしながら歩いている。

     周りからは鳥の囀りや人々のざわめき、心地良い風に乗って活気のある声と共に、トントンカンカン砦を修繕している音も聞こえてきた。


     部屋を見渡すと机の上に綺麗に畳んである新しい着替えが目に入った。誰かが用意してくれたのだろうか。


    私は用意してある服を手に取った。服は手触りが良く軽い。上等な生地で出来ている事が解る。

     これに着かえれば良いのかな?

     そう思いつつ、服を元どおりに置くと私は用を足しにトイレへと向かった。


     この部屋の奥の扉を開けると洗面台とトイレがあった。トイレは洋式トイレと似た作りで脇にある紐を引くと上に付いているタンクから水が出てきて流れて行った。

     トイレットペーパーはロールでは無く、一枚一枚ティッシュペーパーの様に取り出すようになっており、それで処理を済ませた。手を洗い、顔を洗って歯を磨く。歯ブラシは木と何かの毛で出来ていて、歯磨き粉は小瓶の中に入っていた。薄荷と塩の味がする。


     スキンケアは顔を洗うだけで済んだ。今の私は子供なので化粧水や乳液がいらない程、肌はきめ細やかだ。有り難い。明らかに、これは子供特典だろう。


     シャコシャコとぼんやり洗面台の鏡を見ながら歯を磨く。

     ――昨日はいつの間にか寝てしまったんだ。


     食事の終わりくらいから記憶が無い。美味しい食事を平らげた後、とても眠くて仕方が無かった事は覚えている。居眠りした私を誰かがベッドへ運んでくれたのだろうか。ぼんやりとだが優しい手が抱き抱えてくれたのを覚えている。


     思考を遮る様に、ノックの音が響いた。その後、「入るぞ」という声と共にヴァルサスが入ってくる。

     相変わらず、私の返事は聞いちゃあいない。


    「お早う、ユウ。どうだ、良く眠れたか?」


     そう聞くとヴァルサスは微笑みながら、私の頭を撫でた。


    「はい、おかげさまでとても良く眠れました。あの、私、昨日は食事の途中で居眠りしてしまって、ごめんなさい。ベットに運んでもらったみたいでご迷惑をお掛けしました」

    「ああ、昨日の事か。気にしなくていい、疲れてたのだろう。私が無理をさせた」


     謝るどころか逆に、反省させてしまった。あれれ。


    「とんでもないです!本当に有り難うございました」


     私は慌てて否定した。

     そんな私に対してヴァルサスは、優しく笑うと私の頭をまたもやナデナデして、返事の代わりとした。


     私、ナデナデされ過ぎている。

     ふと、唐突に自分が随分お風呂に入って無い事を思い出した。

     あ!髪べたついて無かったかな?うーん、気になる。ヴァルサスの手は大丈夫だったかな?頭、洗いたい。私、臭く無いかな?大丈夫かな?

     女なのでそういう事には敏感だ。体をすっきりさせたいし、髪もしっかり洗いたい。

     お風呂……、入りたい。お風呂に昨日も入って無いし、死ぬ前も体を拭くだけでお風呂には入れなかった。よし、ここは勇気を出して聞いてみよう。


    「あの……、お風呂に入りたいのですが、どうしたらいいですか?」


     ん?という風にヴァルサスは片方の眉毛を器用に上げると、屈んで私を見た。


    「どうした?」


     どうやらあまりの身長差に私の言葉が聞こえなかったようだ。ヴァルサスは背がとても高い。2mくらいはあるのではなかろうか。SPANISCHE FLIEGE D9


    「あの、お風呂入りたいんです」

    「ああそうか。……ん、そうだな、準備させよう。私も入ろうと思っていた」


     ヴァルサスは顎に片手をあてると少しの間、何かを思案しているようだったが、召使を呼んでお風呂の準備を言い付けると姿を消した。程なく準備が出来たのか、戻って来ると屈んで私と視線を合わせた。


    「さあ、行こうか。体はしんどくないな?」


     私の体調が気掛かりだったようだ。一言確認する。


    「はい、この通りぴんぴんしてます!気合い十分です」


     私としては、待望の入浴をここでストップなど掛けられては堪らない。この機会を逃したくは無かったので、出来るだけ元気であるとアピールした。

     目の前で力こぶなんか作って見せる。出来た力こぶはぷにょぷにょだったのだが、ヴァルサスはクッと相好を崩して笑うと、お風呂の許可をくれた。


    「おいで」


     私はヴァルサスに連れられて、お風呂に向かう事に成功した。どうやらアピールが効いたようだ。

     此処には個人用スイートの様に、部屋付きのお風呂があるようだった。

     ヴァルサスはお金持ちか身分の高い人なのだろうと思う。こんな豪華な部屋に住んでいるし、お手伝いさんの様な人もいる。随分と身なりが良いし彼には品があった。人を使う事にも慣れている。

     扉を開けるとクリーム色をしたタイル張りのフロアに、金の猫足が付いたバスタブと固定のシャワーのような物があった。シャワーヘッドはハスの花の形に似ている。

     私にとって背の高いバスタブは、陶器で出来ていて縁に金が使われている。なんともお洒落なバスタブには少し熱めのお湯が張ってあった。

     私は覗き込むようにしてバスタブの中を見た。これは、よじ登るしかないか。


     裸でバスタブによじ登る自分の姿を想像する。……間抜けな姿だ。足台になる様な物はないだろうか?

     そんな事を考えていると、突然ヴァルサスが私の手を取った。


    「ユウ、脱衣所はこっちだぞ」


     大きな手に私の小さな手が優しく包み込まれる。軽く引き寄せられた私は、そのまま逆らわずに付いて行った。

     此方の部屋は木のフローリングに真っ白でふかふかなタオル地のマットが敷いてある。

     ヴァルサスは繋いでいた私の手を引き寄せると背中のリボンを解く。私はそんな事には気付かず部屋の中を見渡していた。此処にもセンスの良い小物が置いてある。しかし、あれは何に使うんだろう?


    「ユウ、両手を挙げて」


     こう?

     私は何も考えず、言われた通り素直に両手を挙げた。


    「もう少し上へ」


     万歳をする様な格好になった。ヴァルサスは、私の服の裾を掴むとあっという間に脱がされた。いつの間にか服のリボンや釦も外されていたようで、一瞬にして上半身はスッポンポンにされる。しかも中の肌着も一緒にだ。


     ええええ――――!!ちょ、ちょっと待って。何これは!!この状況は!待て待て!!

     焦ってじたばたする。既に上半身は、裸に剝かれてしまった。ま、前を隠さなければ!膨らみなんて、ゼロだけども!


    「ギャアああ!!止め止め、大丈夫です!間に合ってます!!十分です!自分でします!!」


     そう言うと、ヴァルサスは何言ってんだ、みたいな顔をした。解りにくいが片方の眉だけ器用に上げる。

     ヴァルサスは、ほら、みたいな事を言ったと思う。逃げようとしている私を難なく捕まえると、あっさり履いている7分丈のズボンも、下着のボクサーパンツも一緒に手際よく脱がされてしまった。

     手慣れている、等と考えている場合では無い!


     ヒョエエーーー!!


     ヴァルサスは私が着ていた服を脱衣用の篭に放り入れ、自分もポンポン脱いでいく。あっという間に裸になった。う、ウワ―――!

     私はなんとか体を覆い隠す物が無いかと焦ると周りを必死で探し、近くにあったタオルを掴んだ。

     逃げよう!取りあえず逃げるしかない!


     そのまま此処から逃げ出そうとして足を踏み出した途端、ベチャリとコケた。

     見事に顔から床へと突っ込んだ。い、痛い。殆どの衝撃を顔で受け止めたんじゃなかろうか。


    「ふぎゃ!!」

    「おいおい、大丈夫か?」


     そう言いながらヴァルサスは私を起き上がらせる。逃亡計画は一瞬にして失敗に終わった。SPANISCHE FLIEGE D6


    「さ、行くぞ」

    「ど、何処へ!?」


     そう言って後ろから両脇を抱えて私を抱き上げた後、左腕だけで私を抱え、タオルを二枚掴むと浴室に入った。私はヴァルサスの小脇に抱えられ、ペットか荷物の様に運ばれて行く。


     うぎゃああああああああああああああああああああああ!!


     最早言葉は出て来ない。頭は真っ白、体は硬直。


     ヴァルサスは私を抱えたまま猫足バスタブに何かを放り入れると、私ごとざぶんと入った。しゅっと音がしてヴァニラと薄荷を思わせる匂いと共に泡が湧き上がる。


    「ん?大丈夫か?熱かったか?」


     大丈夫じゃ無い。


     ヴァルサスは私をくるりと自分の方に向け直した。背中をヴァルサスに預ける形で膝上に座らせれていた私は強制的に?真正面からヴァルサスを見る事になった。みるみる全身真っ赤になっていく私を見て、ヴァルサスはあれ?という顔をする。少し眉が動いて目を見開いた。


    「ユウは女の子だったのか。髪が短いから男の子だと思ったぞ」


     気付くの遅いよ!

     何?この刺激の強過ぎる状況は!

     私は自分の胸と下を隠そうとじたばたした。お湯が跳ねて、飛び散った。


    「こら、暴れるんじゃない」


    ヴァルサスは私をしっかり抱え直してしまい、身動きが上手く取れなくなった。


     ま、不味い。何だか意識が朦朧としてきた。身体に力が入らないよ。ヴァルサスは続けて何かを言っているのだが、何を言われているのやら全く理解がデキマセン。


     ヴァルサスは良い香りのする石鹸を泡立てている。次の瞬間には、私は石鹸の良い香りに全身包まれた。大きくて、少し筋張った手が私の頭を気持ちよくマッサージするように動く。

     大きな手は、更に耳の後ろや耳たぶ、首筋を優しく鳥の羽根が撫でる様に触れて行く。


     また何か言った。でも、頭はぐちゃぐちゃなのに真っ白ふわふわで、何を言ったか解らない。

     繊細な手つきで私の顔は泡で包み込まれた。眉毛を、瞼を、優しく指がなぞっていく。


     そのまま私は、何かの罰ゲームか羞恥プレイの様に頭から爪先まで、体の隅々まで洗われてシマッタ。


     おまけに、私もヴァルサスの体をばっちり見てしまった。引き締まって無駄の無い筋肉が付いた、豹を思わせるしなやかな体。きゅっと筋肉の付いた、すらりと長い四肢に大きな筋張った手足は、アフリカ人系の様な身体つきに似ている。肌はきめ細かくて白く、程良く日に焼けている。

     小さく整った顔に濡れた髪から水が滴ると、彼は水滴の滴る鋼色の髪を掻き上げた。指の隙間から零れた水滴が顔の輪郭をなぞって喉仏を伝い、逞しい胸まで滑り落ちて行く。

     瞬きをした伏し目がちな瞳はお風呂に入っているせいか、艶を増して潤み眼元がほんのり紅く色付いている。

    髪の隙間からは少しだけ先の尖った耳が現れた。耳の先は丸く無い。


     私、もう、お嫁に行けないかも……。まだ、一回も行って無いのに……。

     体は子供だけど、心は三十路。三十路にも、この状況は刺激が強すぎる。頭がぼんやりしているのはお湯でのぼせたのか、ヴァルサスの色気にやられたのか……。

     意味の解らない思考が私の頭の中をぐるぐると回った。


     ヴァルサスに抱えられてお風呂から上がった私は、バスローブを着せられて、ぐったりとソファーにもたれていた。

    …………燃え尽きたぜ。SPANISCHE FLIEGE D5


     ヴァルサスの方はというと、私が湯あたりしたくらいにしか思って無い様だった。

     

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    2013年02月08日

    仕えるのなら

    「弘晃さん。いったん休憩しましょう」


     話が佳境に入ってきたのを感じながらも、弘晃の息が上がってきたのを心配した紫乃が割り込んだ。勃動力三體牛鞭


      「でも、こんな中途半端なところでやめるのも……」


    「それでも、弘晃さんの体のほうが大事です」


     枕から頭を上げて抗議する弘晃に紫乃が強い口調で宥める。「少し休んだほうがいいです。また熱が高くなったら大変ですから」


     


    「でも……」


    「続きは、後でゆっくり聞かせてもらいます。ね?」


     


     2人が揉めていると、誰かが控えめに病室をノックする音がした。

     


     入ってきたのは、弘晃の父、弘幸だった。


     


    「オババさまが出たって聞いたものだから心配になってね。 大丈夫かい? 具合は?」


     老婆のことをまるでお化けか何かのように言いながら、弘幸が近づいてくる。


     


    「どちらも大丈夫です。 それより?」


     弘晃が父親にたずねるような視線を向けた。


    「うん。 葛笠さんから電話があってね。 最初の打ち合わせを、こちらの応接室を借りてすることにしたんだ。 六条社長の秘書がいきなり本社に現れたのでは、皆が動揺するかもしれない」


     


     なるほど、中村の社員は、これまでずっと六条から卑劣な嫌がらせを受けてきたわけだから、父の秘書の葛笠が単独で本社に現れでもしたら、中村の社員たちに袋叩きにされかねない。


     なんだか申し訳ない気持ちになって紫乃は、「すみません」と頭を下げた。


     


     


    「紫乃さん。 その『すみません』は、もうお仕舞いにしようね」


     弘幸は、優しく、しかし、きっぱりと紫乃に申し付けると、「それにね。 こちらのほうが断然都合がいいのだよ。 いざとなったら弘晃に相談できるからね」と、悪戯めかして片目をつぶってみせた。


     


     


    「……というわけだから、おっつけ、正弘もこちらに来るよ。 ところで、お母さんは?  何処に行ったのかな?」


    「そういえば、ずっと戻ってきませんね。 看護婦さんと茶飲み話でもしているんじゃないですか?」


     弘晃も、妻を捜すように首を廻らせる父親に合わせるように、視線だけを彷徨わせる。


     この部屋の中にいる者で、静江の行方に心当たりがあるのは紫乃しかいない。


    「あの……、おかあさまは、たぶん、気を利かせてくださっているのだと思います」


     気恥ずかしさと戦いつつ、紫乃は、声を絞り出した。


     


    「『気を利かせて……』??? ……ってことは……」


     上品そうな面立ちを不思議そうにしかめて紫乃の言葉を反芻していた弘幸は、急に青ざめると、両手で頬を挟んだ。 


    「すまない! 私も気を利かせなくちゃいけなかったんだね?!」


    「違いますわ!!  おかあさまは…・・・、その、ちょっとばかり気を利かせすぎてくださっただけなんです!!」


     あたふたと出て行こうとする弘幸を、紫乃は慌てて引き止めた。 


     


    「わたくし、弘晃さんに、昔のことをお話してもらっていたんです。 オババさまのこととか、お祖父さまのこととか……」


     努めて平静を保った声で言い訳めいたことを言いながら、紫乃は、いっそ話の続きは弘幸にしてもらえばいいと思いついた。 


     それなら、弘幸を引き止めることもできるし、弘晃も、聞き手に回ることで楽ができるはずである。巨根


     


     我ながら良い考えだと思った紫乃は、早口で弘幸に話を振った。


     


    「弘晃さんの才能を早くに見抜いたおとうさまや家庭教師の皆さまが、お祖父さまを追い落として弘晃さんを次期当主にすえようと密かに画策していたというのは本当ですか?」


     


    「ああ、そうだよ。 爺やたちは、もともと、父のことを評価していなかったからね」


     『紫乃さん。なんで勝手に話を大きくしているんですか?!』という弘晃の抗議には耳もくれずに、弘幸は、すんなりと紫乃の話に乗ってきた。


     弘幸は、近くにあった背もたれのない椅子を引き寄せると、弘晃のベッドを挟んで紫乃と向かい合わせになるように座った。


     


    「『評価してなかった』?  爺やさんたちは、おじいさまの腹心だったのではないのですか?」


     紫乃は、驚いた。


     忠義一途に心から幸三郎に仕えてきた。 だからこそ、彼らは、弘晃の見張り役として見込まれたのではなかったのか?


     


    「いやいや」


     紫乃の疑問を察したかのように弘幸がニコニコしながら首を振る。「それこそが、我が父中村幸三郎のとんでもない勘違いなのだよ」


     


    「勘違い、ですか?」


    「そう。爺やたちは、確かに忠義者だった。  私の祖父と父の2代に渡ってよく仕えてくれました。 だけど、あの人たちは、江戸の昔から連綿と続いてきた丁稚奉公制度で中村に入ってきた最後の世代だからね。 当主がどんなに嫌な奴でも、笑顔で堪忍して、一所懸命に仕えてくれるのだよ」


    「どんなに嫌なことがあっても?」


    「基本的にはね。 昔の採用というのは、完全な縁故採用制度だから……」


     言いかけた弘幸が、何を思ったのか、突然、「紫乃さん。時代劇を観たことがおありかな?」とたずねた。


     


    「ああいうのに、『伊勢屋』とか『越後屋』とかいう店の名前が出てくるでしょう? 屋号にある地名は、たいてい、その店の本拠地を示します。 ちなみに、うちの正式な屋号は『尾張中村屋』。 だから、奉公人も、そちらのほうからの伝手を頼って…… ―― とはいえ、うちは古いですからね。後の時代には、江戸の近郊の村にも、幾つかの伝手があったようですが ―― 雇い入れる。 そして、採用された者の身元保証や一人前にする義務は、同郷の店の者が引き受けることになる。 不始末を起こせば連帯責任。 同郷の仲間にも迷惑が掛かるし、場合によっては、自分の郷の、その後の採用にも影響が出てくる。 だから、迂闊に悪いことができないし、仕事が辛いからって簡単にはやめられない。 それと、主がわからず屋で理不尽なときほど逆らいづらいというのもあるね。 後で、どんな報復が待っているかわからないから」


     弘幸が、大げさに体を竦めてみせた。


     


    「……と、 まあ、前時代的で窮屈この上ないこの採用制度ですが、 別の見方をすれば、奉公人もまた、何世代にも渡って同じ店で働いてきたことになるわけでしょう?   何百年と続いていれば、当主に当たり外れがあるのも、彼らは良く承知してくれているのだよ。  嫌な奴に無理して使えるのも、特に当主を思ってのことじゃない。自分たちの店が潰れないように……自分たちの子孫も、この店で働いていけるようにするためだよ」


     


    「じゃあ、爺やさんたちが忠誠を誓っていたのは……」


    「そう。 当主中村幸三郎本人というよりも中村家……というか中村の商売そのものに対してだね。 彼らにとっても、店は、簡単には投げ出せない大切なものなのだよ。 そうはいっても、彼らに心がないわけではないからね。嫌なことをされれば腹も立つし恨みもする。 能力がないのに威張ってばかりの男に仕えるよりも、頑張ったら頑張っただけ認めてくれて、店が潰れる心配をしなくてもいい有能な人物


    の元で働きたいものだと、いつも夢見ている……」


     歌うように言いながら弘幸が微笑む。


     


    「爺やたちは、戦時中の中村財閥なら、誰が当主でも、あれぐらいの財を成すことはできると考えていた。 そして、戦争が終わった後の変化に全く対応できない父幸三郎を無能だと思っていた。 そこに、弘晃の世話係の役目が回ってきた」


     弘幸が、息子に誇らしげな視線を向けた。


     


    「そして、彼らは見つけた。 『良い主に仕えたい』という自分たちの密やかな願望をかなえてくれそうな可能性を秘めた子供を……」


     


    「お父さん。話を大きくしすぎですよ。 第一、中村の跡取りは今も昔も正弘です。それは爺やたちも承知していました」


     弘晃が、咎めるような視線を父に向けた。狼一号


     


    「うん。そうだね」


     弘幸がうなずく。「弘晃は無理の効く体ではないからね。 でも、爺やたちは、正弘には、『お兄ちゃんを立てるように』って、何度も教え込んでいたよ。 だから、あの子は、筋金入りのお兄ちゃん子に育った」


     


     それはそれとして、普通の子供なら中学生に通うぐらいの年齢になると、爺やたちは、いわゆる帝王学的なことを弘晃に教え始めた。


     


     


     弘晃が弘幸の仕事の手伝いを始めたのも、この頃である。


     


     家に連れ戻されてからの弘幸は、正弘が当主を継ぐのに相応しい年齢になる前に幸三郎に万が一のことがあった場合の繋ぎ要員として、中村物産の重役の地位を与えられ、日々、幸三郎にしごかれていた。


     


    「私は、商売にも、人を使うことにも、つくづく向いていないらしくてね」


     弘幸が、しおれるように肩を落とした。


     


     会社に行けば、何をやっても幸三郎に叱られ、『無能だ』『馬鹿だ』と罵られる。


     『馬鹿だ』と言われるのが仕方がないことは、弘幸にもわかっている。


     なにしろ、彼は、自分に統括の義務がある部課の業務内容からして、ややこしすぎて、ほとんど理解できていなかった。


     しかしながら、弘幸がどれほどの無能ぶりを発揮しようと、幸三郎は、彼だけはクビにも降格処分にもしてくれない。


     


     毎日毎日罵倒され、しかも部下からも『いてもいなくても同じ』な扱いをされては、いくら弘幸がおおらかな性格でも、さすがに、やり切れなくなってくる。


     


    「それで、僕は、オババさまがいない隙を狙って、抜け穴を通っては、弘晃の部屋にいる爺やたちに、こっそりと助言を求めに行くようになったんだ」


     


     引退したとはいえ、爺やたちは、昔の言い方でいえば元『番頭』……支社長かそれ以上の出世を遂げた元社員ばかり。


     教えを請うには、うってつけの人々である。


     


     夜毎、弘晃の様子を見がてら疲れきった表情で抜け穴から訪れる弘幸から、爺やたちは、彼が抱えている仕事の内容や、問題点や、関わっている人物などの情報を詳しく順序だて聞き出しては、次に何をしたらよいかを彼に懇切丁寧に教えてくれた。


     


    「……というよりも、爺やたちは、僕が誰にも相談しなくてもやっていけるように仕込んでくれようともしたんだけどね」


     


     だが、経済の仕組みや中村物産が行っている仕事のあれこれ、リーダーとしての仕事の進め方を弘幸に教え込むことは、爺やたちにとって、弘晃の家庭教師をするよりもずっと骨の折れる仕事だった。


     


     爺やたちが、どんなに優しく噛み砕いて説明しても、弘幸は、なかなか理解に至らない。


     そればかりか、ちょっと目先が変わっただけで、全くわからなくなる。 


     なにより、弘幸本人のやる気が欠けている。


     


     そのために、爺やたちは、何度も何度も同じような説明や助言を弘幸に根気よく言い聞かせる羽目になるわけだが、その夜毎繰り返される弘幸と爺やたちとのやり取りを、寝床で面白そうに聞いていた者があった。 三體牛鞭


     


    「それが、弘晃だった」


     


     1、2年のうちには、弘晃までもが、父親に助言する立場に回っていた。


     しかも、時々は爺やたちが思い至らなかったことまで指摘して、彼らを驚かせるようになった。


     


     そんなある日のことである。


     爺やたちが、これからは、総てを弘晃に任せることにして、自分たちは弘幸への助言を一切やめると言い出した。


     


     「その時、弘晃さんは、幾つだったんですか?」


     頭に浮かんだ疑問が、そのまま紫乃の口を突いて出た。


     


     弘幸と弘晃は、記憶のすり合わせをするように顔を見合わせた。


    「正弘は、まだ高校には行ってなかったよね?」


    「中学2年生でした。 だから……僕が15か? 16?」


     


    「15……って」


     紫乃は目を見開いた。 「そんなことして、いいんですか?!」


     


    「いいわけないじゃないですか。 ただの子供に父に代わって会社の重要な決定を任せるなんて、無茶苦茶ですよ」


     弘晃が、ふて腐れたような表情を浮かべた。


     


     それでも、爺やたちは、弘晃に、そんな無茶をさせずにはいられないほど、非常に切羽詰まった気持ちになっていたのである。


     


     そのころの中村物産とその系列会社は、末期的ともいえる危機的な状況を迎えていた。 


     


     そして、危機の原因を作り出しているのは、本来なら家と事業を守るべき中村家当代の主、幸三郎だった。男宝


     

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    2013年02月25日

    ウェディング・ブーケ

    海に近づくにつれ、濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。

     ヴァルデミールは大きく伸び上がり、心のヒゲを風に震わせた。

    「ほら、魚のにおいがしてきました」

    「わかった。わかったから、窓から頭をひっこめろ。危ない」巨人倍増

     堤防沿いに車を停め、港に向かった。

     桟橋の倉庫の床にところせましと置かれた木箱の中で、獲れたての魚介類がぴちぴち跳ねている。ここの港の名物、浜の朝市だ。

     相模屋弁当の社長と専務は、週に一度の定休日の夜明け前に起き出して、理子の運転する小型トラックで魚の仕入れにやってくるのだ。

    「あっ。この魚安い。おいしそうニャのに、どうして」

    「兄ちゃん、目利きだねえ。これは関西ではベラと言って高級魚なんだけど、関東では水臭いって捨てちゃうところもあるんだよ。煮付けや南蛮漬けにすると美味いよ」

    「買う、買う。たくさん買うから、おまけしてぇ」

    「はは、猫なで声も堂に入ってるな」

    「あんた、いい若い衆を手に入れたね」

     古くからのなじみのおばさんが、気さくに理子に話しかけてきた。

    「人当たりはいいし、ひとめで魚を見分けちまうし、あの年でたいしたもんだ。どこで拾ってきた?」

    「さあ、公園だったかな」

    「は?」

     仕入れた魚を保冷箱に入れて荷台に積むと、理子とヴァルデミールは堤防のテトラポットに並んで腰かけた。

     暑かった夏もようやく終わるのか、浜風は秋めいて心地よい。

    「今週も無事に、安くていい魚が仕入れられましたね」

     ヴァルデミールは持参の鮭のおにぎりを、幸せそうに口いっぱい頬ばった。「お弁当を買ってくれる常連さんたちが、きっと喜びます」

    「ヴァルが塩鮭を買い付けるようになってから、しゃけ弁当の売上げがずいぶん伸びた。おいしいと口コミで評判になっているらしい」

    「いい塩鮭を見つけると、自然と口の中がよだれでいっぱいにニャるんですよね」

     理子は、彼のうなじで揺れている長い後れ毛を、赤い眼鏡の奥からまぶしそうに見た。

    「おまえのおかげだ。おまえがいないと、もう相模屋弁当は立ち行かない」

    「そ、そんニャことありません」

     ヴァルデミールは恥ずかしそうに答えた。

    「いまだに一万円札と五千円札を間違えるし、せっかく立ち上げた『150円弁当』も赤字続きだし、わたくしは会社の役に立つどころか、損ばかりさせています」

    「だが、安いと言って、みんな喜んで弁当を買ってくれる。今はそれでよいのではないか」

    「はい……は……はっくち!」

     ヴァルデミールは、小さなくしゃみをした。「風が冷たいよぉ」

    「もう秋だなあ……って、おい、何をしてる」

    「猫は寒いのが一番苦手ニャんです」

     ヴァルデミールはちゃっかり、理子のふくよかな胸に抱きついて、風を避けているのだ。

    「ふわふわであったかーい」

    「こら、普通の恋人同士なら、男が『寒いだろう』と女に上着をかけ、腕の中に抱き寄せてだな……」

     理子はため息をついた。

    「ま、いいか」

     ヴァルデミールの長い黒髪をゆっくりと撫でてやる。「私たちは、普通の恋人同士じゃないもんな」

    「……社長」

    「なんだ」

    「……あんまり気持よくて、ニャんだかムラムラと」

    「ば、ばか。こんなところで何を考えてる」

     離れようとした時はすでに遅く、理子の胸元で、男もののシャツに包まった黒猫が、申し訳なさそうに「にゃあん」と鳴いた。




    「どれ」

     と天城博士は、手を伸ばした。

    「これが、ベラの南蛮漬けか。なかなか美味じゃな」

    「だろ?」

     ヴァルデミールは得意げに胸を張った。天城一家には、毎日の弁当の配達のときに、ときどき150円弁当の試食係を頼んでいる。

    「でも、原価が150円以内におさまらニャくて、赤字続きニャんだよね」

    「確かにな」

     ユーラスがひとつずつ箸の先で数え上げる。

    「ベラの南蛮漬け、野菜の皮のきんぴら、大豆の煮物の油揚げ包み。もやしとベーコンのオムレツ、野菜くずの浅漬け。大きなおにぎり二つ」

    「捨てる食材や安い食材をうまく使っていますが」

     マヌエラが嘆息した。「これでは150円に収まるわけありませんわ」

     儲かるどころか、売れば売るほど赤字が出てしまう。

     それでも、日々ぎりぎりの暮らしをしている路上生活者や日雇い労働者が涙をこぼさんばかりに150円弁当を喜んでいるのを見ると、やめることなど到底できないのだ。

    「ほんの少しでも、儲けがでればニャあ」

     彼の次の目標は、相模屋弁当で作るすべての弁当に、紙の弁当箱を使うことだ。

     だが、環境に良いと言われる紙やエコファイバーの弁当箱はプラスチックの二倍の原価がかかるとあっては、なかなか踏み切ることができない。

    「それはそうと、これはなんじゃ」

     弁当の横にさりげなく置いてあるカードに、天城博士が気づいた。

    「請求書か」

    「『寿』のシールを貼った請求書ニャんかが、どこにある!」

    「ほう、結婚式と披露宴への招待状か。でもいったい誰と誰が」

     博士とユーラスはニヤニヤと、わざと意地悪く訊ねる。

     憤慨したヴァルデミールは、さっと招待状を手の中に取り戻した。

    「博士とニャブラ王は欠席。王妃さまだけ出席」五便宝

    「おい、待て」

     ユーラスはあわててヴァルデミールの肩を抱いて、なだめ始めた。

    「余が行かなくていいのか。いろいろと助言が必要だろう」

    「シュニンに頼むから、いらニャいよ」

    「魔王は、結婚式など一度も挙げたことはないから役に立たんぞ。それに比べて余は、三回もの経験者だ」

     ひとつだけゼファーに勝てることが見つかり、十歳の勇者は気分を良くしている。

    「そ、そりゃまあ」

     言われてみると、確かにそのとおりだ。ゼファーと佐和は入籍しただけで、結婚式を挙げていない。

     主人にならってヴァルデミールも、お手軽にそうしたいところなのだが、いかんせん四郎会長がガンとして譲らないのだ。披露宴も盛大にして、得意先をたくさん招待するのだという。

    「ホテルの大広間を早く予約しろだとか、お色直しは最低二回だとか、すごい張り切りようニャんだ」

    「女にとって結婚は一生の晴れ舞台です。父親として、できるだけのことはしてあげたいのですわ」

     マヌエラは自分の華やかな輿入れを思い出し、深く同感する。

    「でも……」

     ヴァルデミールは、爆発で煤だらけの天井を見上げながら、悲しげな吐息をついた。

    「社長とわたくしの結婚は、会長を騙すことにニャらないかなあ」

     四郎会長は、「早く孫の顔が見たいのう」と口癖のように言っている。でも、魔族のヴァルデミールでは、人間との間に子どもが生まれるはずがないのだ。肝心なときには猫に変身してしまうのだから。

    「ヴァル」

     ユーラスが恐いほど真剣なまなざしで彼を見た。「ひとつ言っておくことがある」

    「ニャ、何?」

    「おまえ、披露宴のときも、その憂いを含んだ顔でいろ。いつもより百倍は男前だ」




     相模屋弁当の工場へ帰ってくると、従業員のひとりがあたふたと飛び出してきた。

    「大変です、ヴァルさん」

     『センム』と呼ばれるのが大の苦手なヴァルデミールは、絶対にそう呼ばないでほしいとみんなに頼んでいるのだ。

    「『情報まんさいテレビ』の取材が、来てるんです」

    「えっ」

     工場の中は、カメラや照明や反射板を持つテレビ局の人たちでいっぱいだった。

     その中央で、きちんと工場のお仕着せを着た若い女性リポーターから、インタビューのマイクを突き出され、理子がおろおろしている。

    「あ、ヴァル」

     理子は天の助けとばかりに、エアカーテンの中に入ってきたヴァルデミールに駆け寄った。

    「こ、この人が、150円弁当の発案者です」

    「ひえ?」

     カメラと照明が、一斉に彼に向けられた。

     晩酌のとき四郎会長が居間でテレビを見ているので、ヴァルデミールもテレビがどういうものか、なんとなくわかるようになった。

     あの四角い箱の中にこの工場が映って、たくさんの人が彼のしゃべることを聞いてくれるのだろうか。

    「150円弁当を思いついた最初のきっかけは何ですか」

     リポーターの質問に、ヴァルデミールはマイクに向かって叫んだ。

    「あ、あのっ、普通の500円のお弁当だと、公園や路上で生活する人たちには高すぎるのです。今はますます仕事がニャくって、みんニャ食べるものに困っています」

    「でも、たった150円でお弁当を作るのは大変でしょう」

    「だから、いっぱい工夫したんです」

     彼は、リポーターの女性の手をぐいと引っぱると、《全自動高速乱切り機》の前に連れていった。

    「これが、《坂井エレクトロニクス》が作った、すばらしいニンジンの機械です。野菜をすごいスピードで切ることができます。ご注文は、《坂井エレクトロニクス》へどうぞ!」

    「あ、あの……」

    「どんなすごい機械でも、野菜の皮や切りクズが残ります。それをニャんとか再利用しようと、けばけばスカートのおばさんが美味しいおかずにしてくれました」

    「それは、すごいアイディアですね」

    「それでも、150円ではまだ赤字が出てしまいます。だから汁の出るおかずを揚げで包んだり卵でとじたりして、ニャるべく仕切りやホイルカップをニャくすようにしています」

    「ニャるほど」

     ヴァルデミールの勢いについ乗せられたリポーターは、言葉が移っているのも気がつかない。

    「本当はもっとゴミを減らすために、紙やエコファイバーの弁当箱を使いたいと思っています」

    「ゴミ問題は深刻ですからね」

    「はい。あニャたも公園や路上で暮らせば、ゴミの多さにびっくりしますよ」

    「一度やってみます」

    「もし、みニャさんが相模屋の500円弁当をたくさん買ってくれたら、その儲けを使って、環境にいい弁当箱を使えるし、150円弁当をもっとたくさん作って、ホームレスの人に喜んでもらえます」

    「ほんとにそうですね」

     ヴァルデミールはカメラに突進して、レンズをかかえこむようにして訴えた。

    「相模屋、相模屋のお弁当ですよ。日本一のお弁当、相模屋。よろしくお願いします!」




     『情報まんさいテレビ』の放送があった次の日から、相模屋弁当には倍の注文が舞い込むようになった。

     普通なら、必要のない部分は編集で大幅にカットされてしまうのが常だが、日系移民らしき若い男が、たどたどしい言葉で懸命にしゃべっている様子が珍しかったのか、ヴァルデミールのインタビューはほぼノーカットで放送された。

     おかげで、《坂井エレクトロニクス》にもぽつぽつ、テレビを見たという人から問い合わせの電話が来るようになった。

    「まったく、あんたにこういう才能があったとはな」

     営業の春山は、ヴァルデミールの顔を見ると、苦笑まじりで誉めちぎった。

    「おじさんの言うとおりでした。赤字覚悟でインドパキスタンのある宣伝をすれば、相模屋弁当全体の売上げが上がるって本当でした」

     今やすっかり時の人となり、どこへ行っても声をかけられるヴァルデミールは、ちっとも疲れた様子も見せず、朝から晩までうれしそうに働いている。三便宝カプセル




     またたく間に日は過ぎ、とうとう結婚式の当日となった。

    「ど、どうしましょう」

     ヴァルデミールは、朝からうろうろと居間を歩き回っている。

    「ちょっとは落ち着け。テレビ出演のときのほうが落ち着いていたぞ」

    「突然引っぱり出されるほうが、あれこれ考える暇がニャくていいんですよ」

     理子は一見、泰然自若だが、よく見ればソファのクッションの下に隠した手の爪先が少し震えているのがわかる。

     当然のことながら結婚が初めてのふたりは、今日の華燭の典を迎えて急に不安になっているのだった。

     ガラリと引き戸が開いた。

    「もう用意はできたか」

    「あ、会長」

     ヴァルデミールは走っていき、紋付き袴の四郎会長の足元にガバとひざまずいた。

    「お父さん。長い間、お世話になりました」

    「こらこら、それは花嫁のセリフじゃ」

    「あ、間違えた。お父さん。お嬢さんをわたくしにください」

    「ヴァルよ。おまえはどうもピントがずれとるのう」

     呆れたようなため息をつく。

    「だが、おまえに『お父さん』と呼ばれるのは、うれしいものだ。今日からおまえは、わしの息子になるのじゃなあ」

    「わたくしのような者が、相模家の一員にニャるなんて、ゆるされるのでしょうか」

     ヴァルデミールはしょんぼりとうなだれた。彼は結婚すれば相模の籍に入ることになっており、そのことについて理子の兄姉は、あまり心良く思っていないらしいのだ。

    「家を出た兄さんや姉さんには、ひとことだって文句を言わせるものか」

     理子は吐き捨てるように叫ぶ。

    「なあに。付き合ううちに、きっとあいつらもヴァルのことを気に入るさ」

     四郎は、にこにこと笑みをたたえている。

    「さあ、そろそろ式場に行くか」

    「あの、その前にひとつだけ」

     ヴァルデミールは居住まいを正した。「お話しておきたいことが、あります」

     理子はその隣で「えっ」という顔をした。

    「なんじゃ」

    「実は、わたくし本当は、人間――」

     そのとき、玄関の扉ががらりと開いた。

    「社長、会長、ヴァルさん!」

     ヴァルデミールとともに専務を務めている古参の社員が駆け込んできて、悲鳴に近い声を上げた。

    「どうした」

    「そ、それが受注係が注文を大量に間違えていたのです」

    「ええっ」

    「今日の四時までに納品しなければならないのに、用意した分だけでは五十個足りません!」

    「い、急いで追加を作れるか」

    「材料はなんとかなりますが、この時間では、みんな帰宅したところです」

    「大至急、呼び戻せ。秋川のおばさんは特にだ!」

     理子は仁王立ちになって、怒鳴った。

     そして、ヴァルデミールとうなずき合うと、用意していたバッグや靴を放り出して、工場へと走っていった。




     ホテルの結婚式場の前の廊下では、ゼファーたちが新郎新婦の到着を今か今かと待っていた。

    「いったい、どうしたんだ。ヴァルは」

     ユーラスはイライラと、靴の先で毛足の長いじゅうたんをほじくっている。

    「家にかけても誰も出ないし」

    「まさか、道で迷子になってるんじゃないだろうな」

    「浮かれてドブに落ちたとか」

    「怪我した仲間の猫を見つけて、病院に付き添っているとか」

    「ヴァルさんひとりならともかく、理子さんがついてるんだから大丈夫ですわ」

     マヌエラが明るく言うが、みなの表情は晴れない。

    「もうすぐ、式の時間になってしまうぞ」

     そのとき雪羽が突然、高い声を張り上げた。

    「ヴァユは、そこの角を曲がったところだよ」

    「なんだって」

    「ほら、いっしょうけんめい走ってる。理子さんもいっしょだよ。背中におんぶして」

    「……どうして、そんなことがわかるの、雪羽」

    「今、回転ドアをくるくるって入ってきたよ。エレベーターじゃなくて、階段を上がってくる」

     彼らは雪羽の声につられて、ホールのほうを見つめた。

    「ほら、もう少し。あと五秒」

     みんな知らず知らずのうちに、心の中でカウントダウンを始めた。

     ゼロの瞬間、理子を背中に背負ったヴァルデミールが、ものすごい勢いで汗をまき散らしながらホールに駆け上がってきた。

    「お待たせしました!」




     その夜、瀬峰一家はバス停からの家路をゆっくりたどっていた。

    「いい結婚式だったな」

    「ええ」

    「正直、相模屋弁当の社長が、あれほどきれいな女性だったとは思わなかった」

    「ヴァルさんも、とても凛々しく見えたわ。理子さんのご友人たちが、何度もため息をついていたもの」

    「ナブラ王と天城博士は、最初から最後まで腹をかかえて笑っていたがな」

     ユーラスの忠告に従って、ヴァルデミールは披露宴の間、せいいっぱいのしかめっ面をしていたのだった。彼は黙って眉根を寄せていると、とても美男子に見えるのだ。

    「精霊の女王も会場の花の陰から、嬉しそうな顔でこっそり覗いていた」

     雪羽は両親に手をつながれて歩きながら、少し眠気がさしてきたようだった。

    「父上ぇ。だっこ」

    「ああ」

     ひょいと娘を抱き上げると、ゼファーはまじまじと妻の顔を見つめた。

    「すまない」

    「え?」

    「とうとうおまえには、結婚式を挙げてやれなかったな」

    「まあ、そんなこと」

     佐和はくすくす笑い出した。「私はそういう華やかな場って苦手なんです。第一、ウェディングドレスを着るような柄じゃありません」

    「いや。きっと、地球やアラメキアのどんな女よりもきれいだ」

    「ゼファーさんたら」蟻力神

     佐和は頬が熱くなるのを感じて、立ち止まった。それは、彼が昔愛した精霊の女王よりも、ということだろうか。「嘘ばっかり。本気にしますよ」

     魔王は娘を片手に抱いたまま、もう片方の腕で彼女を抱き寄せた。

    「俺が嘘を言うほど器用な男だと思うか?」




     夜遅くなって家に帰ってきた新婚ほやほや夫婦は、父親が自室に引き取ったあと、居間のソファに並び座った。

     明日からさっそく、朝四時起きの毎日が始まる。弁当工場の経営者は、新婚旅行に行っている暇などないのだ。

    「ああ、おなかが空いた」

     二回のお色直しで、披露宴のご馳走を食べる暇もなかった理子は、結んだばかりのおにぎりをパクついていた。

    「ニャんだか、すごく長い一日でしたね」

     重い理子を背負って工場からホテルまでの二キロの道をひた走ったヴァルデミールは、ほうっと疲れきった様子でソファにもたれた。

    「お弁当五十個も無事納品できたし、式にも間に合ったし」

     そして、ぽりぽりと頭を掻きながら、恥ずかしそうに付け加えた。「それに社長は、どのドレスのときも、とても美しかったです」

    「ヴァル」

     コンタクトをはずして元通りの赤い眼鏡をかけた理子は、おにぎりをごくりと飲み込むと、夫を見つめた。

    「ニャんですか」

    「その『社長』と呼ぶのをやめて、名前で呼んでくれないか」

    「え……」

    「私たちは、今日から夫婦なんだぞ」

    「はい。ノリコ……さん」

     ヴァルデミールは、おそるおそる確認するように上目遣いで理子を見た。

    「亡くなった母は、私のことを『リコ』と呼んでいた」

    「リコ」

     そのとたん、勝気な女の目からぽろぽろと涙がこぼれた。

    「大切な誰かに、そう呼んでもらえる日が来ればいいと、……ずっと思ってたんだ」

    「リコ――リコ」

     呪文のように繰り返すと、ヴァルデミールは妻のほっぺたについていたご飯粒をぺろりと舐めた。

     そして、そのまま唇まで移動した。ゆっくりと味わいつくすように、何度も口づける。

    「ヴァル……」

    「ああ、そろそろ、猫にニャりそうです」

     目をつぶって、夫の顔にヒゲやふかふかの毛が生えてくるのを覚悟していた理子は、いつまで経ってもそうならないので、いぶかしんで目を開けた。

    「あれ?」

     一番驚いているのは、ヴァルデミールだった。「猫にニャらない?」

     テーブルに置いたウェディングブーケの白バラの間から、精霊の女王が微笑んだような気がした。精力剤

     

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    2013年03月01日

    さよなら

    元雪に危険が迫る、私は森を駆けていた。

     

    「元雪は……どこにいるの?」

     

    お兄ちゃんに無理を言って呪術で感情を封じ込めた。巨人倍増枸杞カプセル

     

    『呪術は万能な力ではない。これは呪いだ、キミに災いを招く。それでもいいのかい?』

     

    私は選んだ、元雪を救うために。

     

    これで椿姫の力を弱める事ができるはずだって、彼は言っていた。

     

    「世界の色が消えていく、ってお兄ちゃんは言っていたけども……」

     

    その通りだった。

     

    私の見ている世界に色が失われていくような感覚。

     

    喜怒哀楽、感情が徐々に消えていくのを自分でも感じている。

     

    椿姫は私の負の感情に影響を受けている。

     

    それならば、感情そのものを封じ込めてしまえば力を失うはず。

     

    私だって本当は感情を失うことは怖い。

     

    その恐怖と息苦しさに耐えて、彼のもとへと走る。

     

    「……元雪を助けなくちゃ」

     

    すべては私のせいだもん。

     

    彼を守るために私の事はどうなっても良い。

     

    元雪が私のせいで死ぬのは嫌だ。

     

    嫌だ、絶対に嫌だもの。

     

    「どこ?どこなのよ、元雪っ!」

     

    私の叫びが森に響き渡る。

     

    その時だった、ご神木の方から何かが燃えているような煙が見える。

     

    「燃えてる……?まさか、あそこに元雪がいるの?」

     

    なぜか古い社が燃え始めていた。

     

    立ち上がる煙と焦げた匂い。

     

    彼はきっとあの中にいる。

     

    私は炎に囲まれている社の中に飛び込んだ。

     

    「――元雪ッ!!」

     

    熱風に驚いてしまうくらいに、社の中も熱い炎で焼けている。

     

    その中に倒れ込んでいる元雪の姿があった。

     

    「元雪!?ねぇ、元雪っ!」

     

    彼の身体を揺らすとまだ意識はある。

     

    「……ゆい、は……ちゃん……?」

     

    「そうだよ、唯羽だよ!大丈夫?」

     

    「……あっ……いたい……」

     

    怪我はない様子だけども彼は自力で動けないのか、苦しみもがく。RU486

     

    炎のまわりが早く、いつ崩れてもおかしくない。

     

    私は彼を背負って、外へと出ようとする。

     

    だけど、私達を阻むのは椿姫だった。

     

    真っ赤に燃え盛る炎の中から私達を睨みつける。

     

    「……元雪は返してもらう。貴方には渡さない、傷つけさせたりしない」

     

    『愚かな事を。自らを犠牲にしてその子を守るか、唯羽』

     

    「当たり前だよ。元雪は私にとって大切な男の子だもん」

     

    椿姫も力を失っているように見えた。

     

    お兄ちゃんの呪術の効果は出ているみたい。

     

    『影綱様の魂を受け継ぐ子を許さぬ。私は許したりはしない』

     

    「貴方の事なんて知らない。私は、前世なんて関係ないっ」

     

    『お前はそれでもいいのか?好きな男と結ばれぬ運命を望むのか』

     

    「ヒメちゃんの事は好きだから。私は、それでも……いい……」

     

    本当は嫌だ。

     

    ヒメちゃん相手でも元雪は奪われたくない。

     

    悔しさもあるけれど、今はそれを表現できない。

     

    これが感情を失っていく、と言う事なのかもしれない。

     

    「運命なんて関係ない。私は……元雪を好きだから、守りたいだけ」

     

    私の言葉に椿姫は何も言葉を返すことがなかった。

     

    充満する煙、爆ぜる炎、もう逃げる時間はわずかしかない。

     

    「行こう、元雪」

     

    私たちが炎の中から脱出すると、椿姫は追いかけてはこなかった。

     

    燃え盛る社に人が気付いているに違いない。

     

    逃げるように私は元雪を引きずりながら、森を抜けていく。

     

    「ねぇ、元雪。私ね、元雪が好きなんだよ。大好きなの」

     

    眠っているのか、意識がない彼に私は言葉をかけ続ける。

     

    消えてしまう感情。

     

    その前に私は想いを伝えておきたかった。

     

    「ちょっとの間だったけども、私は元雪と一緒に遊んで楽しかったの」

     

    子供の私は精一杯の言葉で想いを放つ。

     

    私たちに別れが近づいているのを私は感じていた。

     

    彼はもう私には近づいちゃいけない。

     

    この場所も避けた方がいいに決まっている。

     

    「……もっと、一緒に遊びたかったな。元雪ともっと一緒にいて、仲良くなって、今よりも、もっと好きになりたかったよ」

     

    神社の外までもう少し、別れが近づく。

     

    そして、私の心が失われる時間も残りわずかだと言うこと。

     

    好きって気持ちと、別れが寂しいって気持ちがまだ残っていて良かった。

     

    「ひとつだけお願いしても良い?私の事、忘れないでほしいな。私と一緒にいた時間、楽しかった思い出を忘れないで」

     

    それは無理な願いだと分かってはいても。

     

    「いつか、また会えたら……好きって言ってもいい?」中絶薬

     

    私にまだその気持ちが残っていれば、だけど。

     

    「……また、会いたいな。これで終わりにしたくないよ」

     

    私は再会を願わずにはいられなかった。

     

    鳥居を抜けると、消防車のサイレンの音が聞こえる。

     

    「ご神木の古い社が燃えているらしい。すぐに消火しないと森全体に広がるぞ」

     

    慌てた様子の多くの人が森の方へと向かっていく。

     

    燃えた社の方は彼らが何とかしてくれるはずだ。

     

    騒ぎにまぎれるようにして私たちは逃げ続ける。

     

    私と元雪はひっそりと静まる裏門の方へと出た。

     

    「……元雪、起きて。もう大丈夫だよ」

     

    私は元雪の肩を揺らすと彼はようやく目を見開いた。

     

    だけど、彼は無表情のままだ。

     

    ゆっくりと立ち上がるとこちらを気にすることなく歩き始める。

     

    「さよなら、元雪。私のせいで怖い思いをさせてごめんね」

     

    私はこれが別れだと思い、彼の後ろ姿に言葉をかける。

     

    その言葉は彼の耳に届かなくても、想いは届くと信じて。

     

    「……さよなら」

     

    彼の後姿が見えなくなる頃には私も感情を消失していた。

     

    寂しいと思うのに、寂しいと思えない事は本当に辛い事だ。

     

    もしも、私がヒメちゃんに嫉妬しなければ、椿姫を呼び起こす事がなければ。

     

    私はその、もしもを考えられずにいられない。

     

    後悔、ただ、その一言に尽きる。

     

    椿姫の呪いと炎の記憶。

     

    私達を苦しめている椿姫の怨念。

     

    彼女の“呪い”はまだ終わっていない。

     

    だけども、“運命”の方は自分たち次第で変えていけるんだ――。威哥王

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    2013年03月06日

    姉との約束

    初恋だった女の子。

     

    俺の初恋相手、従姉、幼馴染……いろんな意味で大切な人。

     

    優しく俺にほほ笑んでくれたあの笑顔は今も忘れられずにいる。lADY Spanish

     

    那奈姉との再会を心待ちにしていた。

     

    彼女がどんなふうに成長しているのか、楽しみだった。

     

    「那奈……姉ちゃん……」

     

    「もしかして、道明君?久しぶりだね」

     

    あの頃と少しだけイメージが違うことにまず驚いた。

     

    長い黒髪、清楚だった見た目も、ウェーブがかった髪型、いかにも大人の女性という感じになっている。

     

    スタイル抜群に成長なされて、そこは申し分ないのだが……あの大和撫子はどこに消えました?

     

    「私の“モノ”になる準備はちゃんとしていた?」

     

    俺の知る那奈姉はこんな言葉を挑発的な表情で言うような人ではなかった。

     

    ……ていうか、“モノ”ってなんぞ!?

     

    「……」

     

    「ん?反応が薄いなぁ。お姉ちゃん的にはマイナスポイント。そこはちゃんと反応してくれなきゃつまらないわ」

     

    「あ、あの、那奈姉?」

     

    あ然する俺は反応もできずにいた。

     

    彼女はこんなキャラだっただろうか。

     

    那奈姉はそっと唇に自分の人差し指をつけたしぐさを見せて、

     

    「それとも、覚悟は既に完了?お姉ちゃんとの約束、覚えてるよね?」

     

    那奈姉の唇に視線がむかい、色っぽさにドキッとする。

     

    「約束……?」

     

    俺は姉ちゃんとそんな約束をしただろうか、記憶にはない。

     

    「ふたりとも、玄関先で話していないでリビングにきなさいよ」

     

    母さんがそう言うと、「おじゃまします」と姉ちゃんが家の中に入ってく。

     

    俺はひとり、しばらくの間、固まっていたが、ハッと気づき、リビングに向かう。

     

    リビングでは咲良が那奈姉に甘えている。

     

    「咲良ちゃんは中学2年生?しばらく会わないだけで、ずいぶんと可愛くなっちゃって。学校じゃ人気あるでしょ?」

     

    「えへへ。お姉ちゃんこそ、印象変わったね」

     

    「そう?そんなに変わってないと思うわ」

     

    いや、思いっきり変わってるし。

     

    見た目は……成長と共に変わるのは普通かもしれない。

     

    俺の好みだった清楚系から卒業し、今時のお姉様っぽくなったのは仕方ない。

     

    だが、性格まで変わる必要はないだろう?

     

    俺の記憶が正しければ、彼女は俺をモノにするなど言わない人だった。

     

    「お兄ちゃん?どうしたの?」

     

    「そうよ、せっかくの再会なのに喜んではくれないの?」

     

    「そんなことはないよ。そうだ、姉ちゃんの荷物、部屋に運んでおくから」

     

    俺は廊下に置きっぱなしのキャリーケースを部屋に運ぶことにする。

     

    「あっ、道明君!?」

     

    姉ちゃんと顔を合わすのが恥ずかしくて俺は荷物を持って彼女の部屋に歩いていた。

     

    部屋の扉を開けて、荷物をベッドの近くにおく。

     

    「はぁ……」

     

    深呼吸してからため息をつく。VIVID XXL

     

    「ちょっとギャップがあったからって俺、ビビりすぎ」

     

    俺が勝手に何も変わらないでいると言う幻想を抱いてただけだ。

     

    那奈姉は清純派路線を貫いていて欲しい、という幻想。

     

    何も変わらない人などいない。

     

    それが成長というものだ。

     

    大人しかった那奈姉があんな風に変わってしまうのは意外だったけど……。

     

    いつまでも動揺してないで現実を受け止めなければ。

     

    「――くすっ、そんなに驚いたの?」

     

    女性の微笑に俺は顔をあげる。

     

    そこにいたのは那奈姉だった。

     

    「“道明”にずっと会いたかったお姉ちゃんに、薄い反応は寂しいわよ?」

     

    俺を呼び捨てにする彼女。

     

    俺は思わずビクッとしてベッドに座りこむ。

     

    「な、那奈姉!?」

     

    「そんなに私って変わった?道明の中に残る記憶と違う?」

     

    顔を近づけてこちらにほほ笑む彼女。

     

    那奈姉は美人だ、近づいた顔に俺はドギマギしてしまう。

     

    「別に私は変わってないと思うけどね。ねぇ、道明?」

     

    「……あ、いや、その」

     

    「さっきからビビりすぎ。私は別に貴方を取って食うわけじゃないわ。その様子だと、私のモノになる準備はしてなかったみたいね。減点よ」

     

    怒るわけでもなく、彼女はそっと差し出した手で俺の頬を撫でる。

     

    色っぽさを兼ね備えた那奈姉の一つ一つの行動から俺は目が離せない。

     

    「道明は何あの頃と同じ、可愛らしい私の弟のままよ」

     

    「……那奈姉」

     

    「身長、伸びたわね。とても男の子らしく身体も成長してるわ」

     

    頬から腕、そしてお腹から太ももへと手で触る那奈姉。

     

    それだけでも俺はド緊張しております。

     

    「あのさ、那奈姉。その、那奈姉の“モノ”になるって……どういう意味?」

     

    「……約束したでしょ、当然、覚えてるわよね?」

     

    覚えておりません、少なくともそんな約束はしてない気が……。

     

    「その顔は覚えていなのかしら?」

     

    「い、いや、それは……」

     

    「覚えてない?」

     

    俺は「ごめん」と謝りながら呟く。

     

    彼女は少しさびしそうに表情を曇らせる。

     

    「……そう。覚えてないんだ?」

     

    「な、何の約束だっけ?」

     

    「道明との去り際に約束したのに」

     

    俺が彼女と去りぎわに約束したものってなんだっけ?

     

    『それじゃ、道明君。約束しようか?』

     

    『何年かたって私と会えたら、お姉ちゃんがまた遊んであげる』

     

    そうだ、あの約束は遊んであげるというものじゃなかったか?

     

    こんな風に所有権をめぐるものではなかったはず?

     

    「遊んであげるって約束はした気が……?」

     

    「遊んであげる?そんな約束だったかしら?」

     

    あれ、違った……どういうことだ?

     

    俺の覚えている約束とは違う約束?

     

    「私と道明が約束したのはね……」

     

    「約束したのは?」

     

    彼女はそれに答える前に、甘く囁くその唇が俺の唇に重ねられていた。

     

    「んっ……」

     

    初めて味わう女性の唇。

     

    今、俺は那奈姉とキスしてる!?

     

    その柔らかな感触に理性が吹っ飛びそうになる。

     

    「ちゃんと道明のためにとっておいた。ファーストキスだから」

     

    「ふぁ、ファーストキス?」夜狼神

     

    那奈姉が?

     

    恋人のひとりやふたり、絶対にいるに違いないように見えたのに?

     

    「もちろん、道明もよね?……そうじゃないと言うなら――する、わ」

     

    今、とんでもないことを低い声でポツリと言ったような。

     

    俺は「もちろんです」と答え、ちょっと怖くてキスの余韻にひたれずにいた。

     

    「そう?よかった。大事だもんね、最初のキスは……」

     

    彼女は嬉しそうに微笑む。

     

    あらゆる意味で、那奈姉には昔の面影がない。

     

    まさに俺の幻想をぶち殺す、これが噂の幻想殺しか。

     

    ……すまん、ちょっと混乱気味だ。

     

    「あのさ、那奈姉……それで約束って?」

     

    「私たちが約束したのは、将来、結婚しようっていうものよ?」

     

    子供の頃にする、ありきたりな約束No.1「将来、●●ちゃんのお嫁になる」。

     

    ま、まさかこの俺がそんなフラグを幼い頃に立てていたなんて……。

     

    「――って、えええぇええええ!?」

     

    俺は驚き叫びながら戸惑うしかない。

     

    そもそも、そんな約束をした覚えもないし、そんな約束を律儀に守る子なんていない。

     

    「……けっこん……結婚ッ!?マジですか?」

     

    「何を驚いてるの?道明から約束してくれたのに。私はその約束を守ってきたのよ?」

     

    「……お待ちくださいませ、那奈姉。え?どういうこと?」

     

    「だから、結婚するの。私と道明が。心配しないで、お父さんもお母さんも認めてくれているわ。もちろん、叔母様達もね。そのための今回の同居でもあるわけだし」

     

    「いわゆる許婚?」

     

    想像もしていなかった展開に俺はベッドから転がり落ちる。

     

    あの那奈姉と俺が……そんな……これは夢か、夢なのか?

     

    「許嫁って古風な言い方をするのね?婚約者、と言った方があっていると思うわ。結婚自体はしらばらく先だけどね。道明が高校を卒業してからだとしても、あと3年待たなきゃいけないのはとても長く感じる。貴方もそう思うでしょ?」

     

    俺が、那奈姉と結婚!?

     

    ……ぷしゅう、ただいま脳内ヒート中。

     

    俺は頭が痛くなる思いをしながら状況を理解しようとする。

     

    「ふふっ。早くお姉ちゃんの“モノ”になりなさい」

     

    那奈姉に抱擁されるのを黙って受け入れる俺。

     

    訂正、行動不能で身動きできないだけだ。

     

    過去の俺よ、お前に問いたい。

     

    俺は一体、どんなフラグをたてやがっていた!? 頂点3000

    posted by NoName at 17:14| Comment(0)TrackBack(0)未設定

    2013年03月11日

    秋風と妄想

    夏の終わり、秋の匂いを運んでくる風。

     

    人はその風を感じて、夏が終わったことを知る。

     

    全てを色鮮やかに染める秋色。精力剤

     

    秋の訪れは人に新たな景色を見せる。

     

    それは……人と人の関係にも影響を与える。

     

    長い夏休みも終了、9月に入り、新学期に入った。

     

    学校では久しぶりに会った友人達との会話に花が咲く。

     

    『恋人ができた』とか『新しい出会いがあった』。

     

    時に笑い、時に同情しあう、そんな友人たちと同じように俺もまた……この夏は言葉に出来ないほどに色々とあった。

     

    俺の初恋の相手である姉ちゃんが家にやってきたり、妹と海に行ったり、姉ちゃんに告白されてキスまでしてしまった。

     

    あれは不可抗力?

     

    キスまでは望んでなかった?

     

    俺は流されただけだったのか。

     

    しっかりとした気持ちの持てない自分のふがいなさ。

     

    俺は姉ちゃんの事を本当はどう思ってるのだろう……。

     

     

    「……ふわぁ」

     

    今日は新学期初日という事もあってか、ずいぶんと疲れた。

     

    俺は欠伸をしながらお風呂に入ろうとしていた。

     

    「あ、お兄さん」

     

    「よう。何だ、まだ風呂に入ってないのか?」

     

    いつものようにリビングで妹は飼い猫としてすっかりと定着したノゾミの身体をブラッシング用ブラシで撫でていた。

     

    気持ちよさそうに身体を伸ばすノゾミ。

     

    妹の可愛がる姿に嫉妬すら覚える。

     

    俺も妹にあんな風に大切にしてもらいたいものだ。

     

    「今日は眠そうですね」

     

    「学校ではしゃぎすぎたな。ちょっと眠い」

     

    「早くお風呂に入ったらどうです?私は後でもいいですから」

     

    「そうか?それなら先に入らせてもらうよ」

     

    俺は妹に許可をもらったので風呂場に向かった。

     

    「妹も一緒に入る?」なんて男らしい事は言えない。

     

    ……ホントは言いたいんだけどね。

     

    男には我慢する事も大切なのです。

     

    というわけで、妄想で補完しておこう。

     

    『あはっ、お兄ちゃんって背中が大きいね』

     

    泡だらけのタオルで俺の背中を流す妹。

     

    さらに、裸は恥ずかしいからとスク水を使用だ。

     

    むしろ、それがいい!

     

    『……エッチな目で見ないよぉ』

     

    そうやって恥ずかしそうに唇を尖らせる妹が可愛いなぁ。

     

    いいなぁ、妹とお風呂なんて……一生に一度でいいから入りたい。

     

    「まぁ、所詮妄想でしか味わえないシチュエーションだろうな」

     

    それが現実、悔しくなんてないよ、妄想で我慢するから。

     

    俺は鼻歌を歌いながら、風呂場のドアを勢いよく開けた。

     

    「え?」

     

    ……一瞬、意識が飛びそうになる光景。媚薬

     

    「え?……お、弟クン?」

     

    そこにいたのは姉ちゃんで、つい視線を上から下まで動かしてしまう。

     

    濡れた髪の毛と下着姿。

     

    水着で見たことはあるけれど、これはこれで……って、マジでみちゃマズイだろ。

     

    だけど、男としてここは目に焼き付けておくべきか?

     

    「きゃッー!」

     

    なんて考えてる間に女子特有の高い叫び声が響き渡る。

     

    まさか、こんな定番にして発生確率の低いイベントを起こしてしまうとは。

     

    普段はこうならないようにしていたんだが、つい忘れていた。

     

    うちの風呂に入る順番は、姉ちゃん、妹、俺、両親となっている。

     

    今までは姉ちゃんがいなかったから、つい油断していた。

     

    「えっと……白い肌がとても綺麗ですね。……すみません」

     

    「あぅあぅ……」

     

    姉ちゃんは口をぱくぱくさせている。

     

    というか、何だか薄っすらと涙が……。

     

    「……見ないでよ。弟クン」

     

    バスタオルで身体を隠す姿が……何とも言えない。

     

    「ごめん!すぐに出て行くから」

     

    俺は身を翻してと扉を開けようとする。

     

    だが、それを止めたのは我が妹だった……。

     

    「な、何をしてるんですか!?」

     

    風呂場からの叫び声にかけつけた妹。

     

    状況を改め説明しよう、タオル姿の泣きかけた姉ちゃん、それを見てる俺。

     

    どう見ても覗きの現行犯ですね。

     

    「違うッ!コレは事故。事故ですよ」

     

    「都合のいい言葉で誤魔化さないでくださいっ!」

     

    姉ちゃんよりも妹がこの状況に怒りを示していた。

     

    同じ女の子として許せないのだろう。

     

    「さっさと出ていってください!ほら、早く!」

     

    妹に手を無理やり引っ張られながら俺は風呂場を後にした。

     

    風呂場から聞こえる姉ちゃんの泣き声に俺は心を痛めてた。

     

    リビングまで連れ戻されると、俺はソファーに正座させられた。

     

    妹は未だかつてない怒りの瞳を俺に向けている。

     

    「……覚悟はできてますか?」

     

    「な、何の覚悟かな?」

     

    「兄妹として関係の破棄です。……さよなら、兄だった人。もう他人ですね」

     

    ……ふふふ、終わった……俺の恋が秋風と共に砕け散る。

     

    まるで威嚇した子猫のような顔をしながら、妹は怒り心頭のご様子で堂々とそんな宣言をしたのだった。

     

    俺は妹に嫌われて、すっかりと意気消沈していた。

     

    ……でもねぇ、言い訳なんてしたくないけど俺にばかり非はないよ。

     

    「言い訳させてもらうなら、貴方が先に行ってもいいという許可がおりていたんですけれど。この場合の過失は全て俺にだけあるのでしょうか」

     

    「……う。い、言い訳なんて見苦しいですよ。変態なら変態と罪を認めてください。私は被害者じゃありませんから、別に何も言いません。が、貴方のしたことは犯罪ですよ、犯罪!ひどい人ですね、本当に……」

     

    兄妹の絆のピンチは別問題ですか?性欲剤

     

    「お、弟クンは悪くないよ、妹ちゃん……。私がカギをかけてなかったのも悪かったんだから。そう責めないで、私は気にしてないし」

     

    そこに現れた救世主、姉ちゃんは風呂上りで頭にタオルを巻きつけていた。

     

    髪が長いって大変ですね……という、現実逃避。

     

    「本当に?こんな人に見られたんですよ」

     

    兄とはもう呼んでくれないのね、お兄ちゃんは寂しいよぉ。

     

    「別に弟クンにならかまわないもの。ちょっとは恥ずかしかったけどね」

     

    照れるようにして頬を赤く染める姉ちゃん。

     

    「……わかりました。よかったですね、お兄さん。私、お風呂に行きます」

     

    妹はそれが気に入らないのかそのままお風呂場へと消えていった。

     

    再び、俺のことを兄と呼んでくれるのか!!

     

    兄妹の絆はこの程度で切れるものではないのだ、ははは!

     

    心の中で高笑いする俺に、姉ちゃんはすまなさそうに、

     

    「ごめんね、弟クン」

     

    「謝るのは俺の方だよ、姉ちゃん。覗いてごめんなさい」

     

    「事故だから、ね。……それに弟クンもそういう年頃だからしょうがないよね」

     

    うわっ、その納得のされ方はされたくないなぁ。

     

    「そうだ。ちょっとベランダの方に出ない?話したい事があるんだ」

     

    「いいよ。あ、アイスでも食べる?」

     

    「うん」

     

    冷蔵庫からアイスを2本取り出して、俺と姉ちゃんはベランダの外へと出た。

     

    ベランダは夜空だけでなく、心地よい風が吹いてる。

     

    「風が気持ちいいなぁ」

     

    涼しい風に吹かれて姉ちゃんはそう言った。

     

    「ああ。もう夏も終わっちゃったし、秋の風だな」

     

    秋風の優しい風に抱かれて、俺と姉ちゃんはアイスを口にした。

     

    「甘い……。私、この味好きかも」

     

    「俺もこの味が好き。それで話って何?重要な事?」

     

    「ううん。ただ……弟クンと一緒にいたかっただけ」

     

    風に乗って漂うのはシャンプーのいい匂い。

     

    風呂上りの美少女って最高ですね。

     

    清潔感溢れる匂いに身を任せながら、

     

    「……姉ちゃん」

     

    俺は彼女の名前を耳元で囁く。

     

    くすぐったそうにして「くすっ」と微笑すると、姉ちゃんは俺によりかかった。

     

    それがあの花火大会のときとかぶってしまう。

     

    『待ってるから。弟クンからの良い答え』

     

    姉ちゃんは瞳を瞑ってしまう。

     

    「……答えはまだ出てないんだ」

     

    『誰が好きなのか、答えを出さなければいけない』

     

    それは俺の決意した道のはずだったのに。

     

    「いいよ。でも……」

     

    でも、俺たちにはもう時間がないんだ。

     

    「……アイス美味しい」

     

    それから先の言葉はアイスを食べることで互いにやめた。

     

    ベランダで寄り添う俺たちは秋の風を一緒に感じている。女性用媚薬

     

    「姉ちゃん……」

     

    「弟クン?」

     

    俺は姉ちゃんが何だか愛おしくなってその身体を抱きしめた。

     

    子供に甘える母のように、優しく腕に力を込めて。

     

    姉ちゃんは優しすぎるんだ。

     

    その優しさは俺に亡き母を思い出させる。

     

    ……この気持ちは……姉を思う弟のものなんだろうか。

     

    それとも男と女の想いなのだろうか。

     

    ……今の俺にはそれが分からない。

     

    分からないから、こうして抱きしめる事しかできない。

     

    「……弟クン」

     

    姉ちゃんは俺に問いかけるように、

     

    「私達は恋人になれるかな……」

     

    姉ちゃんの唇が俺に再び重なりあう。

     

    二度目のキスはアイスの甘い味がした。

     

    ふたりが求めるのは同情か、愛情か。

     

    もしも、俺が姉ちゃんを選んでしまえば妹はどうなるのだろう。

     

    俺達、兄妹は……今と変わらない関係を続けられるだろうか。

     

    秋の夜空だけが……寄りそい唇を求め合う俺たちを見ていた。 中絶薬

     

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    2013年03月15日

    弱気な兄も怒る時は怒ります

    お盆に祖父母の家に行くことになり、そのための準備として僕は桜華と買い物へ出かけることになった。

     

    夏の蒸し暑さと蝉の鳴き声がうるさい中を二人で歩く。

     

    歩く人々も僕ら同様、この暑さにげんなりしている。Motivator

     

    「……必要な物って何があるんだ?」

     

    「旅行グッズとか色々。あとはお祖母ちゃんからの頼みごと。料理の本を買ってきてって言われているの。まだ料理好きなんだ?」

     

    「数年前まで現役だったんだ、気になるんだろう?」

     

    母方の祖母は数年前までテレビにもよく出ていた料理評論家だった。

     

    今は現役を退いているけど、料理が好きなのは確かなのようだ。

     

    「3泊4日だから、持っていくものってどんなのだろう?」

     

    「化粧品とかシャンプーとか?」

     

    「……旅行に行くわけじゃないからそんなに買い揃える必要がないことに気づいた」

     

    僕がそう言うと桜華は「あれ?気づいちゃった」とにやっとする。

     

    しまった、妹の策略にハマった。

     

    どうせ祖父の家に基本的な物が揃っているのだから着替えぐらいしか必要なものはいらないというのに、わざわざ買い物に付き合う事になってしまった。

     

    とはいえ、桜華は買いそろえなくてはいけないものがあるらしい。

     

    「いいじゃなない、デートくらいしても?それとも、私と一緒じゃ嫌なの……?」

     

    「嫌というわけじゃないけど」

     

    「それならごちゃごちゃ言わずに行こうよ。お兄ちゃんは買うものがなくても私にはあるの。荷物持ち係りよろしくねっ」

     

    少し強引ながらも彼女に付き添い僕らは街を散策する。

     

    男の荷物はそんなに持っていくものはないけれど、女の子は準備があるらしい。

     

    「次は……あっ、ここで少し待っていて?」

     

    「え?何を買うつもりなの?」

     

    「……下着よ、下着。女の子にそんな事を言わせちゃダメでしょ?それともお兄ちゃんも選んでみたい?最近、メンズブラって男の人用のブラジャーもあるらしいよ」

     

    「そんな趣味はありませんから、早く行ってください」

     

    それはまずい、超えてはいけない一線を越えてしまう気がする。

     

    ただでさえ、女装させられる時のあの心苦しさがあるというのに。

     

    「男の人ってよくテレビだと女装したがるじゃん。あれってやっぱりそういう趣向があるのかしら?メンズブラっておっさんがしたがるんだって。その辺、男子の意見としてはどう?女装趣味とメンズブラについてご意見は?」

     

    「……まったくないから。ここで大人しく待ってます」

     

    「むぅ、つまんなーい。いつか通販でお兄ちゃん用の奴を……」

     

    「買わないで!!お願いだからそれだけはやめて」

     

    僕にだって譲れぬプライドは残されている。

     

    男としてそれだけはダメだって。

     

    「……あははっ、お兄ちゃん必死すぎ」

     

    誰のせいで必死になっているんだろう。

     

    義妹にはホントに敵う気がしない。

     

    からかわれた僕は妙に疲れた気分になる。

     

    「はぁ……」

     

    「お疲れ気味?荷物、そんなに重い?」

     

    「別の意味で疲れたんだよ」

     

    彼女に怒る事も反撃することもできない。

     

    「それじゃ、これ買い終わったらどこかで休もう。ちなみにお兄ちゃんの好みの色は?」

     

    「……好みって何の?一応、黒っぽいのは好きかな」

     

    「なるほど、お兄ちゃんは黒色の大人っぽい下着がお気に入り、と」

     

    「って、そんな話!?」

     

    彼女はそのまま僕がフォローする間もなく買いにお店に入ってしまった。

     

    うぅ、女性下着専門店だと僕が後を追いかけることもできない。

     

    この店の前で待つのはやめて少し離れた場所にいよう。SPANISCHE FLIEGE D9

     

    中学生の時、同じように桜華の買い物に付き添っていた時、僕は店員に女と間違えられて下着を選ばれそうになった過去がある。

     

    「まだ控え目なんですね、これからですよー」とか言われてものすごく恥ずかしかった。

     

    どうやら店員は素で初めて下着を選びにきた女の子だと思い込んでいたらしい。

     

    桜華は大爆笑、それ以来、こう言うお店の前には一秒もいたくない。

     

    「……このまま帰ったら桜華に怒られるしなぁ」

     

    僕は仕方なく少し離れた場所で待っていた。

     

    ジロジロとなぜか横を通りさる女の子から視線が向けられる。

     

    ……何だろう、僕が何かしました?

     

    少なくとも犯罪行為で顔を知られる真似はしていない。

     

    唇を触るが口紅が残っているわけでもない。

     

    気になるので、彼女達の発言が知りたくて耳をすませる。

     

    「ねぇ、今の子ってあの子じゃない?」

     

    「嘘でしょ?違うんじゃない?」

     

    「だって、目の感じとかそっくりだったし。絶対、そうだったって」

     

    ……あの、何の話でしょうか?

     

    何やら僕と誰を見比べられているような感じだ。

     

    「もしも、今の子がそうだったら可愛すぎじゃない?」

     

    「あれで男の子だって言うのは反則過ぎ。美人って羨ましいわ」

     

    い、嫌な予感……まさか、ね?

     

    僕はその直感に震えながら手近なコンビニで桜華がモデルをしている雑誌を手にする。

     

    端から端まで読みとおして……よかった、あの浴衣写真が流出したわけじゃない。

     

    一瞬、あの写真がどこかの雑誌に載ったんだと思って心配したよ。

     

    女の子達の反応がアレだったもので、余計な心配したかな。

     

    「あっ、それじゃなくて、こっちの雑誌の特集に載ってたよ、春日クン」

     

    「……え?」

     

    「ふふっ、『これだけ美人でも男の子、女の子よ負けるな』って記事じゃない?もうっ、春日クンもモデルデビューしたなら教えてくれたらいいのに」

     

    僕は雑誌のページに載るあの浴衣姿の写真に愕然とさせられる。

     

    うぅ、あの時の社長さんは流出させないって言ったじゃないか。

     

    ……って、僕の隣で声をかけてくるのは誰?

     

    そちらに振り向くと「はぉ」と声をかけてくる白雪さん。

     

    「こんにちは、お久しぶりね。会わないうちに同じ事務所からモデルデビューしちゃったの?しかも女装専用モデル、春日クンには似合っているけどいいの?」

     

    「ち、違いますよ。これは、その、僕であって僕じゃないんです」

     

    「でも、こちらの雑誌はどこの出版社からでも人気の桜華と違って、社長の押しがなければ掲載もされない。当然、うちのモデル事務所に契約している人間じゃないと載せられないはず。承諾くらいはとるはずよ?そもそも、こんなに可愛い浴衣を着ているんだから、その辺はどういう事情?」

     

    僕もワケが分からず、白雪さんに先日の社長さんにあった件について話す。

     

    彼女は「そーいうことね」と納得した様子だ。

     

    「つまり、桜華にからかわれて女物の浴衣を着せられた所を社長に気に入られたってことか。あー、それなら分かるわ。うちの社長って結構強引だからさぁ。まぁ、後日、ちゃんと連絡くらいするはずだけど……これ、桜華が承諾したんじゃないのかしら?雑誌掲載もモデル扱いじゃなくて、素人扱いだもの」

     

    よくある「街で見かけた美人」とかいう感じの写真だろうか、多分。

     

    それが僕の出回って欲しくない写真だったわけで……。

     

    白雪さんは携帯を取り出してどこかへと電話中。

     

    「えぇ、そうですけど。はい、分かりました。春日クン、うちの社長から」

     

    「……あの、春日ですけど、雑誌の件って?」SPANISCHE FLIEGE D6

     

    『ごめん、春日君の許可とれてなかったの?桜華ちゃんに聞いたらOKだって言われたからつい採用しちゃって……ごめんね?もしかして、気にしている』

     

    「いえ、まぁ……慣れてますから(嫌な意味で)」

     

    『でも、評判いいわよ。男の子でこれだけ美人なのも中々いないから。どう?この際、本格的にデビューしない?いい感じに売れると思うけど?その気になったらいつでも声をかけて』

     

    僕は丁寧に「遠慮させてもらいます」とお断りした。

     

    これ以上、女装ネタで騒がれると僕の心が折れそうになる。

     

    社長さんとの話を終えて僕は再び白雪さんに携帯電話を返す。

     

    「春日クン、桜華には注意しておきなさい。ああいうこと、何度もさせちゃダメよ?ホントに嫌ならはっきりと断る勇気も必要なの。春日クンって桜華に甘くて優しいから」

     

    「まぁ、努力します。白雪さん、ありがとうございました」

     

    「いいのよ。それだけ私にとっても春日クンが可愛いってことだもの」

     

    それ、何と言っていいのやら。

     

    僕は白雪さんと別れて、コンビニから出ると桜華がお店の外で待っていた。

     

    「遅いじゃない、どこに行っていたの?」

     

    「それより、桜華、僕の写真を流出させた件について話をしましょう」

     

    「ぎくっ……何でお兄ちゃんがそんな事を?」

     

    「ついさっき色々とあったんだ。白雪さんから社長さんに連絡してもらって色々と聞いたら、桜華が勝手に許可したって?何でその話を勝手に進めたのかな?」

     

    しかもまだあれから1週間くらいしか経っていない。

     

    桜華は気まずそうな顔をして言う。

     

    「ごめんなさい。あの時いたカメラマンさんが撮った写真がめっちゃくちゃ可愛くてつい……社長も話にのって、ある雑誌の特集記事になっちゃって」

     

    「今後、このような事がないようにしてください」

     

    「お、お兄ちゃん、何か怖い……怒ってる?」

     

    「……何も怒ってないよ。ただ、こう言う事はもうやめて?」

     

    僕は彼女に静かにそう言うと、「ご、ごめんなさい」と桜華は素直に謝った。

     

    「そうだ、これから食事に行こうよ。ねぇ?美味しいもの食べよう、もちろん私がおごるから、ね?怒んないでよ、お兄ちゃんに怒られると泣きそうになる」

     

    桜華はシュンッとうなだれてしまう。

     

    彼女はそのまま僕の手を引いてレストラン街の方へと行く。

     

    「その前に……もうしないって約束できる?」

     

    「約束します、もうお兄ちゃんに内緒でこう言う事しません。だから許して~っ。怒った顔をするお兄ちゃん、本気で怖いんだもん。ふぇーん。何でもするから許して~」

     

    嘘泣きだと分かっていても女の子に泣かれるのは苦手なわけで僕は溜息をつく。

     

    ホント、悪戯好きの義妹の行動に振りまわされてばかりいる。

     

    でも、どうしても桜華だけは憎めないんだよなぁ。SPANISCHE FLIEGE D5

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    2013年03月20日

    天使は悪戯が好き

    窓から差し込む太陽の光、爽快な目覚めだ。



    僕はリビングでモーニングコーヒーを飲みながら優雅な朝を満喫していた。



    「……朝からコーヒーというのもいいなぁ」



    コーヒーカップには黒く揺れる液体、高級感漂うコーヒーの香り。



    僕はコーヒーは無糖派だ、ハードボイルドに憧れているから。MaxMan



    コーヒーの程よい苦さと芳醇な味わい、なんと贅沢なんだろう。



    「……ねぇ、ご飯にコーヒーって食べ合わせは最悪じゃない?」



    「それを言うな、妹よ。めっちゃ、マズイに決まってるだろ」



    できれば、コーヒーは単品でお願いします。



    しょうがないじゃん、我が家の朝は和食なんだから。



    僕だってたまには洋食を作ってみたいのに、作っても反対されるんだ。



    「はい、素直に緑茶にしておいた方がいいよ」



    夢月が僕に緑茶の入ったカップを手渡してくれる。



    「心遣いに感謝する。ふぅ……やはり米にはお茶がベストマッチだ」



    「そんなに感動することでもないと思うけど。お兄ちゃんって時々、変だよね」



    義妹に変扱いされた僕ってすごく悲しい。



    「そんな事を言うなら夢月に最重要任務を与えよう。双子の姉を起こしてきてくれ」



    「えーっ!?無理、無理だって……」



    拒絶反応も織り込み済み、僕は妹に指令を与える。



    ……ホント、星歌の寝起きの悪さはどうにかして欲しい。



    「嫌だよ。こういうのは私の優しいお兄ちゃんに任せる」



    「今日は夢月が行くんだ。それとも、夜中に彼女の部屋に放り投げてきてもいいけどな」



    「それはもっと嫌~っ!ガブッて食べられたらどうするの?マジでやばいって!」



    実姉を恐竜扱いするのもどうかと思うが……よほどトラウマなのだろう。



    それだけひどいのだから、僕も否定はしない。



    「……いってきます。私のこと、忘れないでね。お兄ちゃん」



    渋々ながらも夢月は星歌を起こしに禁断の扉を抜けて部屋と入っていく。



    数分後、どうやら戦いの勝敗は決したらしい。



    「うきゅぅ~~っ!?」



    可愛い叫び声(?)が室内から聞こえてきたが気がしたが気のせいだろう。



    死して屍、拾うものなし、戦場とは悲しい結果しか生まないのだ。



    僕はのんびりとお茶をすすりながら、星歌と夢月が来るのを待っていた。



    朝だと言うのに既に疲れきった夢月の表情に同情する。



    「な、中身が出ると思ったよ、えぐっ……」



    「よくやったぞ、夢月。お前は戦士だ、頑張ったな」



    半分泣きで星歌を連れてきた夢月、今回もいつも通り、ひどい目に合ったようだ。



    星歌は頭が完全に目覚めていないようでぼんやりとしている様子。



    「おーい、星歌。起きているか?」



    「……おにいさま、おはようです。せーかは元気ですよ」



    「せーかって、まだ寝ぼけてるのか?」



    うつろな瞳で僕を見つめている星歌。



    美人はそれだけでも似合うからずるいぞ。



    「おにいさまぁ、わたしのせーふく(制服)はどこですかぁ?ここにないですぅ」



    「こっちにあるぞ。ついでに鞄の用意をしておいた」



    「ありがとうございます。だいすきですよ、おにいさま。えへへっ」



    本当に大丈夫なのかと気にかかるが星歌の事を信じよう。



    これだけは星歌も治してくれないだろうか、兄として将来が心配だ。



    「あとは任せるね、お兄ちゃん。いってきまーす」



    制服を着て登校していく夢月を見送りながら、僕は眠そうな義妹と向き合う。



    「ほら、星歌も学校に準備してくれ。そう、パジャマを脱いで、制服を着て……」



    「……んぅっ……やぁっ……」



    何やら色っぽい声をあげて、星歌はパジャマを脱ぎだす。



    パジャマのホックを上から順にはずしていく。



    あらわになる胸部、下着に隠されたぽにゅんっと揺れる弾力ある膨らみに意識が集中。



    雪のように白い肌に触れたらどうなるのやら、興奮が脳を刺激する。



    それにしても、兄の知らない間に義妹はかなりの成長を……。



    「……って、僕の目の前で着替えるなっ!(自己嫌悪)」



    「ひゃんっ!?」



    びっくりした星歌がようやく目を覚ましてくれた。



    荒療治だが、遅刻ギリギリになるよりはマシだ。



    決してやましい気持ちはございません。中絶薬



    「おはようございます、お兄様。あれ、どうして私はリビングに?」



    「おはよう。星歌、目が覚めたら着替えてくれないか?」



    「え、あっ!?私はなぜ、お兄様の前でパジャマを脱ごうとしているんですか?」



    「……それは僕が聞きたいよ」



    毎回、星歌を起こすと嬉しいハプニングがあるのは内緒だ。



    こんな悶々とした気分、妹たちには恥ずかしくて言えない。



    僕だって人並みに男なんだからさぁ……ねぇ?







    期末テストも終わり、後は消化試合的な授業を1週間ほど送れば夏休み。



    授業を終えて昼休憩になると同時に僕の携帯にメールが入る。



    『お兄ちゃんと一緒にご飯が食べたいよぅ♪』



    夢月からお昼のお誘いのようだ。



    普段は友人付き合いを考えて、昼食は別々の事が多い。



    1番の理由は学校で妹達に甘えられて、下手に学内を騒がせたくないからだ。



    たまにはいいだろうと、僕は弁当箱を持って待ち合わせの中庭に移動する。



    暑い初夏の日差しを避けて、日陰のベンチで妹を待つ。



    「お待たせ、お兄ちゃん。さすがにそっちの方が早いね」



    「場所が真下だからな。2年の教室は反対側で遠いから大変だろ。ん?夢月だけか?」



    てっきり、星歌もいると思っていたんだけど姿は見えない。



    「星歌は皆と約束してるみたい。また今度、誘ってだって」



    「そうか。それならふたりで食べるとしよう」



    妹と昼食は月平均で4、5回という所だ、うちの妹はふたりとも人気者で忙しい。



    特に星歌は先輩後輩問わずに憧れの対象だからな。



    「今日のお弁当は何かな~?」



    ちなみに3人のお弁当は僕の手作りだ。



    毎食、どういうモノを作ろうか悩むのも楽しい。



    「今日はイタリア風に仕上げてみたぞ。自慢は冷えても美味しく作り上げたトマトのスパゲティーだな。夏だからいいトマトが手に入ったんだ。新鮮だから美味いぞ」



    「うわぁ、美味しそう。お兄ちゃんって料理だけは上手だよね」



    「事実だけど、料理だけって言うのはやめてくれ。軽くヘコむから」



    妹は僕がヘコんでいようと大して気にしない。



    美味しそうに弁当を食べながら、僕の話をしだした。



    「お兄ちゃんって調理部の部長でしょ。やっぱり、女の子の部員ばかりなの?」



    「まぁな……個性的な皆をまとめるのは大変だけど」



    実は僕、高校では調理部の部長でもあるんだ。



    別名、ハーレム部……なんて言われるほど男女比率は女子の方が高い。



    ただし、ハーレムなんて甘いものじゃないぞ。



    女子ばかりだと女子の嫌な裏面すらも見てしまう事も多々ある。



    ある意味、女子高の空気の漂う部活なのだ。



    「女の子がいっぱいって事はモテるんでしょう?」



    「どうだろう?告白とかされたのは数回ぐらいだし。男と言う事で頼りにされる事はあっても、モテるって実感はないな。主導権的にも僕ら男グループは力が弱い」



    「……お兄ちゃんって、モテそうだけど流されやすい性格だから、その辺が微妙?」



    「義妹とはいえ、妹に言われるとキツイものがあるよ」



    かなり苦笑気味に答えて食事を続ける……微妙ってマジでそこが問題?



    「いや、それが妹的にはいいんだけどね。安心していられるから」



    「……逆を言えば、僕はふたりが人気者で心配になるけど」



    「安心していいよ。私は誰の告白も受けない。ずっとお兄ちゃんの傍にいてあげる」



    それは妹としての気持ちではないのは知っている。



    あの告白は僕らの何かを変えたけど、表面上はあえて何も変わらないフリをしていた。



    「……そりゃ、どうも」



    「えへへ。嬉しいでしょ、こんなに可愛い妹がいるんだから」



    夢月の無邪気さには関心さえするよ。



    ただ、彼女の場合はそれを演技している可能性もある。



    天使はずる賢いから、意外に侮れないものなんだ。



    食事を終えるとのんびりとして、思わず昼寝でもしたくなる。



    「……ん?」



    先ほどから夢月が周囲を気にしている様子に気づいた。



    「どうしたんだ?誰か知り合いでもいたか?」



    「別にーっ。気にしないで、お兄ちゃん。あ、私が膝枕でもしてあげようか?」



    「いらん世話だ。そんな事をしても、喜ばすのは新聞部だけだからな」



    うちの高校には定期的に学校新聞を作っている部活がある。



    大抵、教師や生徒の恋愛等のゴシップ記事やうちの妹達の特集などを書いてるために既に高校側からは呆れられて、公式新聞から非公式新聞になろうとしている。



    来年辺りは予算を削られて、同好会に格下げされるのではないだろうか。



    「……私達の噂って知ってる?『兄妹の関係は既に恋愛関係突入?』とか『義兄の鬼畜な振る舞い、天使の大ピンチ!?』とか言われてるんだよ」RU486



    「また妙な噂を流しやがって。対処のしようがないから困ったもんだ」



    別にそれを真に受けて、信じてどうのこうのなる問題は起きていない。



    皆は話のネタとしてしか受け止めていないから気にしてもいない。



    「でも、それが噂だけじゃないなら……どうする?」



    にやりと僕に嫌な含み笑いをする義妹。



    夢月のこの表情はこれまでの経験的にマズイと直感で察する。



    「お、おい……何をするつもりだ?」



    「私はお兄ちゃんに素直になって欲しいの。……自分の気持ちのままに」



    夢月は僕の頬に顔を接近させて、柔らかい唇を押し当てた。



    「んぅ……ちゅっ」



    他の生徒もいる中庭で、僕は微笑む夢月に頬へキスされてしまった。



    義妹のキスに動揺を見せて呆然とする。



    「なっ!?」



    僕はハッと周囲を振り返ると、無残にもパシャっという音が聞こえた。



    ……パシャ?



    「私は前から考えていたの。どうすれば、お兄ちゃんを手に入れることができるのか……。よく考えてみれば簡単なことなんだ。逃げられないようにすればいいだけじゃない」



    「な、何を企んでいるのでしょう?……夢月さん、ねぇ?」



    唇をそっと頬から離した夢月の怪しい笑顔が気になる。



    夢月は天使なんて呼ばれているが、間違いなく堕天使か小悪魔だろう。



    “天の使い”という清純なイメージとは裏腹に悪戯も大好きだ。



    悪戯好きの天使は僕に甘い声で耳元に囁くのだ。



    「ふふっ、明日をお楽しみに。私がお兄ちゃんの世界を変えてあげるよ」



    それは翌日になって思い知らされる、夢月の企みがどれ程の影響力があるのかを。



    僕はぼーっとしながら、夢月の後姿を眺めて頬に残る感触を噛み締めていた。



    美少女にキスされるのは素直に嬉しいですよ、僕も男ですから。







    その喜びは一転、翌日の僕は追い込まれる事になる。



    高校に行くと朝から何やら怪しい視線を感じまくるのだ。



    皆が僕を見ているような……僕は何もしてないよ?



    教室に入ると、僕を見て女子たちは「きゃーっ」なんて可愛く黄色い声をあげる。



    ……なんで黄色なんだろうね、無意味に気になるお年頃。



    それはともかく、僕は自分の席に座ると近くの女子に尋ねられた。



    「ねぇ、宝仙君って義妹さんと付き合ってるの?」



    「えっと、そんな事実はないんだけど?どういうこと?」



    「ほら、これ……。今日は朝からこの話題で持ちきりだよ?」



    彼女から渡されたのはゴシップ満載の学校新聞、最新号だった。



    トップの見出しは堂々と大きな文字でこう書かれていた。



    『天使のチューは誰のもの?真昼の中庭で禁断の兄妹愛が明らかに!!』



    そこには昨日のキスシーンの写真が掲載されていた。



    しかも、夢月は思いっきりカメラを意識した感じに綺麗に写真に写っていた。



    「天使って夢月のことだよな。つまり、これって……」



    や、やられた……昨日のおかしな夢月の行動はこれだったのか?



    あぁ、学校中の生徒から視線を感じています。



    憎しみや羨望、様々なモノを込められているようだ。



    僕はこれから一体どうなるのだろう。



    冷や汗をかきながら僕は周囲の連中を見渡した。



    既に皆さん、楽しそうに僕を見ています、僕に救世主はいないのか?



    夢月の仕組んだ罠にハマった僕の運命はいかに……また次回に続く!?巨人倍増枸杞カプセル

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    2013年03月25日

    発覚が招く崩壊

    ようやく11月に入り、秋風の吹く屋上はとても気持ちよかった。

     

    澄み切った青空と昼休憩の外の喧騒。

     

    実に平和ないつもの日常がそこにはあった。

     

    ただいつもと違うのは昼飯を食うメンバーに1人増えてるくらいだ。老虎油

     

    「ねぇ、いいじゃない。別に一緒にお昼食べるくらい」

     

    「あのさ、神楽坂さんって奥村さん達と食べてるんじゃなかったけ?」

     

    「そうだけど?別に強制的じゃないもん。他で友情はカバー。今は……雅史の方と仲良くしたいから……ダメ?」

     

    目の前で堂々といちゃつく……かどうかは不明の行動をしてる2人。

     

    雅史と華鈴の親友でもある神楽坂真珠。

     

    以前、俺が彼女に雅史を紹介したのがきっかけでこうなったみたいだが、事態はどうやら複雑だ。

     

    「だから……。あぁ、崇弘も見てないで助けてくれ……」

     

    友人が情けない声を出しながら救助を求めてる。

     

    なんかこの光景ってものすごく哀れだ。

     

    「……助ける理由がない。恋人なら仲良くしたっていいだろ?」

     

    俺には神楽坂が雅史に抱きついて甘えてるように見えるのだが。

     

    「恋人?全然違う、僕は神楽ざ……ぐはっ、ちょ、ちょっとごめん、ごめんって」

     

    抱きつく彼女の腕に力が入ったのか彼が苦しそうに声を出す。

     

    どうやら、さっそく尻にしかれてるっぽい。

     

    「はぁぁ……。僕達は付き合ってるワケじゃなくて……その……」

     

    「ただ照れてるだけ。私達はちゃんとした恋人よ、東君」

     

    神楽坂の言葉、頑張ってるというより力でねじ伏せようとしてる気が……。

     

    ……とにかく、どうやら予想以上に複雑らしいという事はわかった。

     

    「どうでもいいけど、飯は食わないのか?」

     

    「だから、お前もこの子をどけるのを手伝ってくれ」

     

    「ん?別にいいだろ、それくらい?何でそんな事にこだわるかねぇ」

     

    「僕は……お前と“2人っきり”で昼飯が食べたいんだよ」

     

    “2人っきり”にアクセントを置き、こちらを真剣な眼で見つめてくる雅史。

     

    ……そして、僅かな沈黙に俺は危機感を抱いた。

     

    「気持ち悪い事を真顔で言うなよ、引くぞ?」

     

    ものすごい悪寒を感じて、俺は立ち上がって逃げようとする。

     

    「僕にそっちの気はないぞ。危険回避の緊急的処置だ、わかるだろ?」

     

    「そこまで通じ合いたくもない。ったく、何でそこまでして神楽坂と食いたくないのさ。別に1人増えたって俺はかまわないぞ。何が問題だ?」

     

    「僕が……困るんだよ」

     

    なぜか困るの部分を小さく言う雅史。

     

    「……困るの?もしかして、また私が雅史を困らせてる?」

     

    黙って俺達の様子を見てた彼女がやっと口を開く。

     

    明るくてノリのいいはずの彼女にしては、何か様子がいつもと違うっぽい。

     

    「あ、いや、困るって程でもないんだけど」

     

    「それならいいじゃない。恋人同士だもんね?」

     

    「あ……うん。そーだな」

     

    どうやら雅史が妥協したみたいだ。

     

    難儀なヤツだな、いや、恥ずかしいだけなのかもしれないが。

     

    やっと俺達の昼食が始まる、限られた時間、さっと始めて欲しいモノだ。

     

    俺はいつも学校へ来る途中のコンビニで買ったパンとジュース。

     

    雅史も同じくコンビニのパン派だ。

     

    うちの高校の購買部のパンって値段のワリにはあんまり美味しくないからな。

     

    神楽坂は自分で作ってきたのかお弁当だった。

     

    「神楽坂は自分で作ってるのか?」

     

    「うん。こんな程度じゃ作るのもそう時間かからないし、簡単じゃない」

     

    彼女がそう言うなんて意外、雅史もそう思ったのか尋ねる。麻黄

     

    「神楽坂さん、料理好きなんだ?」

     

    「お弁当なんて冷凍食品の詰め合わせじゃない。私は料理なんてできないよ?」

     

    現実ってそういうもんだよな。

     

    ……さらっと男の夢を壊す事を言うなよ。

     

    雅史は彼女の弁当を見てため息をつくように、

     

    「冷食ばかりって、そりゃ母親の弁当はそうだったけどさ。女の子は違うだろ、もっと手作り感があってもいいんじゃないのか?」

     

    「お腹に入れば別にいいでしょ。美味しいし、カロリー計算だってできるもん。そういう雅史って料理ができる子が好きなの?」

     

    「まぁ、男なら誰でもそうだろ?男なら手料理ぐらいできる女の子がいい」

     

    「……ま、私は他で勝負ね。そういうのできるワケないし」

     

    「なんだ、諦め早いな。へぇ……」

     

    その発言に雅史の口元がにやけた。

     

    何かとコイツは女の扱いには長けているはずなのだ。

     

    「神楽坂さんって、料理が苦手なんだよね」

     

    「そうよ、だって今までまともに料理した事ないもの。できるのはレンジ使うくらい」

     

    「じゃあさ、賭けしないか?」

     

    賭けとニヤリと含みを持った笑みを浮かべる。

     

    「明日さ、お弁当作ってきてよ。それが美味しければもう僕は文句は言わない」

     

    「も、もし不味かったり、作らなかったら……?」

     

    彼女が少し焦った声で聞いてくる。

     

    「昼飯くらいは僕達だけで食べたいな。今まで通りに、何も変わりなくさ」

     

    「えぇ、そんなの嫌だよ。ていうか、何でそんなに拒むかなぁ。一緒にご飯食べるだけじゃない。別にそれ以上何か求めてるワケじゃないのに」

     

    「俺もそう思うんだけど。お前は何でそこまで嫌がってるんだ?」

     

    雅史がこうもこだわるなんて珍しいよなぁ。

     

    一緒にいたくないって言うわけじゃなくて、昼飯だけってこだわるのも。

     

    「と、とにかくそれが条件。別に挑戦しなくて諦めてもいいんだし」

     

    「……チャンスだけど、私じゃ無理だし。……あ、冷食はOK?」

     

    「ダメに決まってるだろ。一応、全部手作りすること。不正をしてもアウトだからな」

     

    「うぅ、厳しいよ。諦めた方がいい……でも頑張れば、いや……ダメかも」

     

    しょげる彼女と勝った気分の雅史、という不思議な光景だ。

     

    昼食を食べ終わった後、神楽坂は女の子グループの方に戻って言った。

     

    『女の子が料理できるっていう先入観、今時古いんだから……。べ、別に料理できなくたって、他ができればいいじゃない』

     

    最後まで文句は言っていたけれどな。

     

    やっと男同士になれたことにほっとしてる雅史。

     

    気持ち悪いが今日ぐらいは良しとしてやろう。

     

    「ちょっと彼女に意地悪しすぎじゃないのか?」

     

    「あ、料理の事か?でも、それくらいじゃないと諦めてくれないだろ」

     

    「付きまとわれるのが嫌ってか。それで、彼女はちゃんと弁当を作ってくると思うか?」

     

    「あの様子じゃ諦めると思うな。自分に無理するタイプじゃないし」

     

    彼はベンチに座ったままで空に向かって伸びをした。

     

    「一応、恋人なんだけどさ。だけど、僕がこれまで付き合ったことのないタイプでね。ああいう風にストレートに好意を示されると距離を置きたくなる。別に嫌いってわけじゃない。僕の恋愛のスタイルの問題さ」

     

    ハハハと乾いた苦笑をする雅史。

     

    紹介した俺が言うのもなんだが、可哀想なヤツだ。

     

    「そういう崇弘のところは?奥村さん、通称『奥さん』とはどうなんだよ」

     

    「変な言い方すんな。……こっちは上手く行ってるよ。杏の方ともな」

     

    「二股も大変だよな。あっちこっちって気を回さないといけないわけだ。愛してる方をとるか、それとも愛してくれる方をとるか選択する時が来たら、皆傷つくワケだし」

     

    「二股なんて最低なことをしたくてしてるわけじゃない」

     

    どうしてろっていうんだよ、ホント。

     

    あの状況じゃ、杏の告白を断る事もできなかった。D9 催情剤

     

    逃げたと言われたらそれまでなんだけど、正直、恋愛は大変だよなぁ。

     

    「ご苦労さん。でも、こういうのって嫌いじゃないだろ?」

     

    「青春っぽくてか?ま、ないよりはマシだろうけど」

     

    もう少しだけ爽やかという純粋な方がいいけどな。

     

    「頑張ろうぜ?こんな事してられるのも今のうちなんだからさ」

     

    変わり始めてる世界の中で俺達も変わっている事に気づかないフリをしていた。

     

    それはこれから起きる悪夢の一種の警告のようなものだったのかもしれない。

     

     

     

    放課後、華鈴と一緒に帰る約束をしていた俺は掃除が終わった後に教室に戻った。

     

    最近は登校する時だけで帰りは華鈴との方が多い。

     

    誰もいなくなっていたのか、華鈴は恋人モードにスイッチが入っていた。

     

    「ふふっ、崇弘……」

     

    甘えた声で俺を抱きしめてくる華鈴。

     

    この頃の彼女は目に見えて積極的になった。

     

    やはり、杏の存在が少し離れているからだろうか?

     

    「今、誰もいないよ?……しない?」

     

    「華鈴……。ったく、ホント2人っきりの時は甘いヤツだな」

     

    「いいじゃない?そういう私が好きだっていったのは崇弘なんだから」

     

    そうだ、こういう積極的な華鈴を俺自身は望んでいた。

     

    自分だけに笑顔を向けてくれる彼女の姿を……。

     

    「……早くキスしてよ?じゃないと、私からするんだから」

     

    「分かってるって、そう急かすなよ」

     

    なおも甘えてくる彼女に俺は優しく唇を重ねて抱きしめた。

     

    心地よい香りと温もりを感じあう。

     

    だけど、それは一瞬の物音でかき消される。

     

    ガタン、と廊下の方で物音がしたので視線だけをそちらに向けた。

     

    「きょ、杏ッ!?」

     

    扉の傍に立っていたのは……顔を覆うような仕草をしていた杏だった。

     

    驚いて俺を見て、何とも言えない顔をする。

     

    「――あぁ……あの……何してるの?……華鈴ちゃん、崇弘ちゃん?」

     

    泣きそうなその声が聞こえたこの瞬間に俺達の幸せな時間は終わりを告げた。挺三天

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    2013年03月29日

    ふたりだけの思い出

    こんなに不安で、苦しむ恋になるなんて思わなかった。

     

    『観ちゃんの恋人……?』

     

    『まぁ……そうだな。一応、俺の恋人』

     

    彩夏さんと観治が仲良くするのをみて理解した。狼1号

     

    私は観治の心に入る事はできない。

     

    『でも、逆に怖い……。今、すごく不安なの。観治が私から離れていっちゃいそうで』

     

    だから、こうなることもわかっていたのにね。

     

    諦められなかった自分の想いが悪い。

     

    好きになって欲しい。

     

    あの人より、私だけを好きになって欲しい。

     

    叶わぬ願いと知りながらも、彼が自分を愛してくれる事を望んでいた。

     

    ……でも、ふたりで一緒にいるところを見てしまったから。

     

    仲良く2人で遊んでいるところは、誰がどう見ても恋人同士。

     

    私は彼らにとって邪魔な存在。

     

    だから……。

     

    『さよなら、だね。……私……一度でいいから観治に好きって言われたかった』

     

    私は彼から離れる。

     

    一度でいいから、好きって言って欲しかった。

     

    愛してるって……、普通の恋人みたいに囁いてほしかった。

     

    でも、彼は最後までその言葉を口にはしてくれなかった。

     

    それでも、私は観治と一緒にいられた1年間は幸せだったよ。

     

    楽しい事ばかりじゃなかったけれど幸せだった。

     

    彼からもらったプレゼント。

     

    誕生石の指輪。

     

    観治は気づいていなかったけど、ちゃんと指輪をはめてもいい関係になりたかった。

     

    私は観治と一緒にいられるって、証明してほしかったの。

     

     

    目が覚めると、見慣れない天井。

     

    ここは真理奈さんの家。

     

    私は昨日、観治と別れてから再びここにお世話になっていた。

     

    窓から差し込む朝陽。

     

    夢を見ていた。

     

    私達がはじめて出会い、彼に惹かれた時の夢を。

     

    あの時、こんな結末を私は予想していなかった。

     

    観治は彩夏さんと付き合う事ができたのだろうか。

     

    今日は、12月24日のクリスマス・イブ。

     

    奇跡が起きる日。

     

    でも、今の私には……関係ない。

     

    「今年は一人っきりか……」

     

    去年のクリスマスは観治がいたから楽しい聖夜を過ごした。

     

    あの頃は想像もしていなかったのに。

     

    今度恋をするなら、楽しい恋がいいな……。

     

    もう、傷つく恋愛はしたくない。男宝

     

    コンコン。

     

    ドアをノックする音が聞こえる。

     

    「梨乃、入っていい?」

     

    「どうぞ」

     

    真理奈さんだった。

     

    「何か用ですか?」

     

    「あなたに会いたいって人がいるんだけど?どうする?」

     

    誰だろう?

     

    「誰?」

     

    やけに真理奈さんが笑顔だ。

     

    そんなに嬉しくなる人なのだろうか?

     

    「実はね、観治君」

     

    え?

     

    ウソでしょ。

     

    どうして観治が、私に会いに来たの?

     

    予想外の出来事に驚きを隠せない。

     

    「どうして……?」

     

    「それは本人に聞いてみれば?」

     

    私は私服に急いで着替える。

     

    観治に会える。

     

    それだけでもすごく嬉しい。

     

    高まる気持ちと裏腹に不安なことが胸をよぎる。

     

    どうして、会いに来てくれたのか。

     

    私と会って何を言うつもりなのか。

     

    不安と嬉しさが交じり合う中、私は過去のある出来事を思い出した。

     

     

    それは今から数ヶ月前の出来事。

     

    彼の自宅で私が暮らしていた頃。

     

    何気ない幸せが私にとってどんなに幸せだったか、私と観治、ふたりだけの思い出。

     

    その夜は私の二十歳の誕生日だった。

     

    普段優しくない彼も、こういう時にはすごく優しい。

     

    甘えさせてくれるし、文句も言わない。

     

    私にとっては幸せな一日だった。

     

    「誕生日おめでとう」

     

    観治にそう言われて私はホントに嬉しくなった。

     

    去年の誕生日も彼はちゃんと祝ってくれた。

     

    こういう事はちゃんと気にしてくれる。

     

    私はケーキを食べながら、誕生日プレゼントとしてもらった女性用の時計を見ていた。

     

    シンプルで可愛げのない銀の時計。

     

    でも、さりげなく『For RINO』と刻まれていた。

     

    値段も普段私がしているような時計の値段ではないみたいだ。

     

    「そんなに嬉しいものなのか?」

     

    時計を見て、笑みを浮かべる私をみて彼が呆れた声で言った。

     

    「嬉しいよ。すごく嬉しい」

     

    彼の傍によると、いつもは無視する彼がそのまま私を抱きしめる。

     

    「観治?」

     

    意外な行動に少し驚く。

     

    「誕生日だしな」

     

    そう言った彼は、そのまま私に唇に口付けた。

     

    彼からしてくれた初めてのキス。

     

    ケーキの甘さとキスの甘さが交じり合う。

     

    このまま溶けてしまえばいいのに。VVK

     

    そうすれば普段の私の苦しみから解放されるのに。

     

    でも、こうしてくれるってことは少なくとも私に興味を持ってくれている。

     

    そんな前向きな事も考えられる程長いキスだった。

     

    「珍しいよね。こんなに優しくしてくれるの」

     

    彼に膝枕されてる自分が、すごく珍しい事だと気づく。

     

    「最近、何かこうしてるのが楽しいんだよ」

     

    今日はホントに嬉しい事ばかり。

     

    こうして彼が自分の気持ちを口にしてくれる事も。

     

    少しだけ希望がみえてくる。

     

    私はこれが夢じゃない事を望んだ。

     

    ……あの日から少しだけ私達の関係は変わった。

     

    彼は私にちょっとだけ優しくなった。

     

    でも、その優しさが私は怖かった。

     

    優しくされたいのに、彼を信じきれていなかったのがその原因。

     

    やっぱり、口や想いでは彼の事が好きでも、彼の実際の行動には不安になる。

     

    だから、私はホントは彼から逃げたのだ。

     

    彩夏さんと一緒にいる方がいい、と言い訳をして。

     

    苦しむのが嫌になった。

     

    それでも、観治と一緒にいたい気持ちの方が大きかったのに。

     

    あのふたりを見てると私がすごく邪魔に思えたから。

     

    その逃げ道に走ってしまった。

     

    階段を降りていくと、そこには本当に観治がいた。

     

    「……おはよう、観治」

     

    一日ぶりの彼の姿を見て、ホッとする。

     

    私はまだ彼が好きだったんだ。

     

    そんな自分に安心する。

     

    自分の中から彼に対する想いが消えてしまった。

     

    昨日はそう本気で感じてしまったから。

     

    「……梨乃、話があるんだ。とても大切な話が……」

     

    彼はためらいがちにつぶやいた。

     

    「俺の話を聞いてくれるか?」sex drops 小情人

     

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    2013年04月02日

    留学生、来たる

    バルトロア帝国―――それは、鉄と規律の国。


     東大陸でも有数の力をもつ軍事国家であり、国民は規律を守り、効率的に動くことで有名だ。


     時間には秒単位で厳しく、無駄に浪費することがない。男根増長素


     ルールを順守し、法を犯した者への処罰には容赦がない。


     まさに、鉄のような厳格主義だ。


     そのような国民の気質は、国防にも強く反映されている。


     バルトロアの剣たる〈鉄十字騎士団〉と、盾たる〈鉄の煉瓦〉。


     どこまでもシステマティックに動く騎士たちは効率的に外敵を屠り、他国のものと比べ群を抜いて品質の良い魔導煉瓦は、魔物の爪牙をことごとく弾く壁となる。


     攻防兼ね備えた軍事国家。


     揺るぎなき千年帝国。


     くろがねのバルトロア。


     かの国から、留学生が来た。


     今、王立グランフェリア学園は、その話題で持ちきりだった。


     


     


    (煩わしい……)


     ドロテアは、涼しげな表情の下、内心顔をしかめていた。


     遠巻きに自分を見つめる者たちの視線も。どこからともなく聞こえるひそひそ声も。どこを向いても視界に映る、学園を彩る過度の装飾も。


     何もかもが、彼女を苛立たせた。


     仕方がないことではある。


     ドロテアの出身国であるバルトロアと、彼女が留学しているイースィンドは、二十年前までは戦争をしていたのだ。


     元敵国の、それも王女が、我が国へと留学に来る。イースィンドの貴族や騎士、その子弟たちがドロテアを見てざわめくのも、仕方がないことだといえた。


     しかし、それでも無遠慮に視線を浴びせかけられ、噂される方はたまったものではない。ドロテアは、心の中で短く、ため息を吐いた。


    「みなさん、おはようございます」


     やがて、始業の鐘きっかりに、長身痩躯の男が二年S組の教室の戸を開けた。途端に、教室の後ろで会話に耽っていた学生たちが、慌てて席に戻る。グランフェリアの学生たちはだらしがないと、ドロテアはまた、内心顔をしかめた。


     やがて、全員が席へ座り、入ってきた男が教壇に立った頃、ようやく教室には静寂が訪れた。


    「いけませんね。これでは、中だるみと言われても、反論はできませんよ」


     どうやら男は、教師のようだ。出席簿を教壇の上に置いた後、教室をぐるりと見回して、学生たちのだらしなさを咎め始める。


    「今日から、一週間の事前研修を終えたドロテアさんが、みなさんと席を並べます。バルトロアからの留学生受け入れは初の試みなので、戸惑うこともあるでしょう。しかし、それを生活態度に影響させてはいけません。ドロテアさんに、我が国の程度はこのようなものか、と失望されてしまいますよ」男宝


     針金を入れたように背筋を伸ばし、刺すような鋭い視線で学生たちを見つめる壮年の男の名は、レオン・ド・ヴィルバン。この春から二年S組の担任を受け持つこととなった、魔科学においてその名を知られる人物だ。


     自他ともに厳しい彼は、中だるみの時期にこそ相応しいと言われ、例年、第二学年を担当している。


     そのため、グランフェリア学園は、「第二学年こそ気が抜けない」と言われており、現二・Sの者たちもそれを聞いてはいたのだが……さすがに、バルトロアからの留学生受け入れというビッグ・イベントは、彼らの心すら浮き立たせた。


     それが分かっているのか、レオンも必要以上に学生たちを責めはしない。要所要所での釘刺しで十分。それで駄目なら、所詮はその程度だと評価する。それが彼の教育方針だった。


    「では、ドロテアさん。自己紹介をお願いします」


     学生たちの気が引き締まったのを確認し、レオンはドロテアに教壇前に出てくるように指示をする。それを受けて、バルトロアの姫君は音もなく立ち上がった。


     最後列の席から、一定のリズムの足音を響かせ、レオンの元へと進むドロテア。その凛とした姿は、王族というに相応しい気品をもっていた。


     やがて、教壇の前に立ち、学生たちを見回す銀髪の少女。そして、彼ら一人一人の顔を確認し終えた後、彼女は口を開いた。


    「バルトロア帝国第三王女、ドロテア・イザベル・フォン・ローザリンデ=バルトロアです。以後、よろしく」


     無駄な飾り言葉はいらないとばかりに、必要最低限の言葉のみを発したドロテア。これがバルトロア流かと、自国の文化との違いにあっけにとられる学生たち。


     それでも、無駄を好まない、という点でレオン教諭の共感を得たのだろう。彼は第三王女に拍手を送り、それに続いて学生たちの拍手が響いた。


    「簡潔でよろしい。ドロテアさん、席に戻りなさい」


     その言葉を受け、つかつかと自席へと戻るドロテア。それを見つめる、唖然とした態の学生たち。そして、どうやらドロテアを気にいった様子のレオン。


     バルトロア帝国からの、留学生受け入れ……それは、王立グランフェリア学園に一波乱を起こしそうだった。


     


     


    「……と、いった感じだったんですよ。私、何だか気が気じゃなくて……」


    「元教え子のクラスっつっても、もう担任じゃないんだから、そんなに気にせんでも」


    「そうですけど……」


     中級区繁華街に店を構える安パブで、貴大とエリックがテーブル席で酒を飲んでいた。


     時刻は十九時を少し越えた辺り。卓上には、木製のジョッキの他、雑多な料理が置かれている。どうやら食事がメインの飲みらしい。


     ぐいと串焼き肉を噛み千切る貴大に、ちびちびと炒り豆をつまむエリック。食べ物を口に入れながらも、二人の会話は進む。


    「それより、新しいクラスの心配をしたらどうなんだ? 初等部の一年生を受け持つことになったんだよな? 貴族の六歳児とか、どうせ我がままなガキばっかなんだろ?」


    「いいえ、とんでもない! みんな、躾の行き届いたいい子ばかりです」


    「へ~……そういやあ、登校中に会うけど、挨拶とかすげえしっかりしてるもんな」


    「でしょう?」


     まるで我がことのように自慢げなエリック。どうやら、高等部から初等部への転属は、彼に良い影響を与えているようだった。


    「じゃあ、次期も初等部担当?」


    「いえ、次期は中等部ですね。一通り終えた後に、どこを受け持つか定まるのですよ。でも、私としては初等部希望なんですけどね。とにかく、子どもがかわいくてかわいくて……」


    「分からんぞ~。今はまだ大人しくしているだけで、一皮むけば……なんてことも」


    「え~? 止めてくださいよ~、そんな怖がらせるようなことは~。ふふふ」三体牛鞭


     フォークをエリックに向けてくるくると回し、からかう貴大。それを受けたエリックは、ぱたぱたと手をふって否定する。


     そして、二人でわははと笑い、空になった皿を給仕の中年女へと差し出し、更に注文をしようとして……。


    「って、今はその話ではなく!」


     ハッ、と我に帰ったエリックが、貴大にツッコミを入れた。


    「も~、今はバルトロアからの留学生の話でしょう? タカヒロさんだって、無関係じゃないんですから。真面目に考えましょうよ」


     ぷんぷんと、やや怒った顔をしながら貴大を叱るエリック。対して、貴大はどうでもよさげな態度だ。


    「え~? でも、一時期バルトロアにいたことがあったけど、あの国の奴らはクソ真面目だったぞ。問題なんか、起きゃしないって」


    「でも、実際、休み時間に見に行ったら、二年S組は妙な雰囲気でしたし……」


    「そりゃあ、バルトロアから留学生を受け入れるのが初めてだってんなら、妙な雰囲気にもなるさ」


     そう言って、のん気に焼きそら豆の皮をむく貴大。危機感の欠片もない様子に、エリックは大きなため息を吐いた。


     そして、一言。


    「はぁ~……いいんですか? 二年S組って、タカヒロさんの受け持ちですよ」


    「……………………え」


     ぽろりと、そら豆が貴大の手から落ちた。


     そして貴大は、困ったような苦笑いでエリックを見た。


    「なんですか、その『え』って。まさか、まだ一年S組の担当のつもりでいたんですか? まさか。ははは……え、違いますよね?」


    「………………」


    「ちょっと!? 辞令書はお家に届きましたよね!?」


    「たぶん、ろくに読まずに放置してる……」


    「なにやってるんですかぁーーーーーっ!?」


     学園は貴大の担当を、有望株のフランソワに合わせている。よって、彼女が第二学年に上がれば、貴大も第二学年担当となる。それは、辞令書によってとうの昔に通知されているはずだった。


     だが、そこは物ぐさな貴大のことだ。てきとーに流し読み、「S」の字だけを記憶に留め、「また一・S担当か」などと思い込んでしまっていた。


     だからこそ、「バルトロアからの留学生たちが来た。しかも、王族までいる」とエリックから聞いても、他人事のように聞いていられたのだ。


    「一・Sには留学生はいねえよな? なら関係ねえわ」


     とすら思っていたほどだ。エリックの言葉は、まさに青天の霹靂だった。


    「なんで読んでないんですか!? あ、明日、一・Sに行くつもりだったんですか!?」


    「だ、だって、前書きみたいな挨拶文だけで三ページもあったし……」


    「今更ですよ! それがイースィンド流です! いいですか、手紙はちゃんと読まないと……」


    「は、はい……」


     しゅんとなる貴大に、年長者らしく説教を始めるエリック。SEX DROPS


     珍しい光景だった。


     

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    2013年04月05日

    それでも、まだ

    生徒会室から出ても寒気は止まらなかった。寒気、というよりもこれは悪寒だ。




     ヒリヒリ、ピリピリする左肩をそっと触りながら、俺はワタルさんに視線を向ける。ワタルさん自身も寒気、というか嫌な空気を感じ取ったようだ。肩を竦めておどけては見せるけど、表情に余裕は無かった。VIVID XXL


     そう、だよな。この肩の怪我、知ってるのはワタルさんと、負わせた先輩不良だけだもんな。てか、なんで知ってるんだよ。気味悪いな。 

     黙然と佇んでいたら、ワタルさんが「考えてもしょーがない」って声を掛けてくれた。何気ない言葉が心を軽くする。俺は苦笑いを浮かべて頷いた。そうだよな、考えてもしょーがないよな。


    「ま、とにかく、ケイちゃーん行こうか。病院に。生徒会長の言ったとおり、今日中がケイちゃーんのためだろうし。保険証ある?」


    「すみません。保険証は常に財布に入れてあります」


    「オーケー。んじゃ、レッツゴーん」




    「まさか、このままトンズラできると思ってンのか。テメェ等」




     カチンと俺とワタルさんは固まった。 

     ぎこちなく振り返れば、不機嫌そうに腕組みをしている舎兄と、呆れているハジメと、溜息をついている弥生。計三名が後ろに立っていた。そうでした、あなた方の存在をすっかり忘れていました。是非とも忘れていたかったです。

     「トンズラだなんてやっだなぁ」ワタルさんは俺を親指で指してきた。


    「ケイちゃーんを病院に連れて行こうとしてるんだって。生徒会長の助言もあるし、早くしないと閉まっちゃうでしょー? ねー? ケーイちゃーん」


     俺の顔を覗き込むワタルさんの目が訴えてる。話を合わせろって。俺はしどろもどろに頷いて誤魔化し笑い。


    「そ、そうですね。閉まっちゃったら明日になっちゃいますよね。それは困るなー、困っちゃうなー、おれー」


    「見せてみろ。怪我ってヤツ」


     仮病って思われてるのか、それとも今日行くべきかどうか判断したいのか。

     多分、後方だと思う。話を聞きたがってるし、大丈夫と思ったら明日にでも行けって言うんだろうな。不機嫌を含んだ声のままヨウが怪我の具合を見せてみろって言ってきた。見せてもいいけど、此処、廊下だぜ廊下。流石に廊下で上半身裸になるのなぁ。しかも生徒会室前。あんまりだよなぁ。下手すりゃ変態扱いされちまいそうだよなぁ。


     尻込みしていると、イケメン不良の眉がつり上がった。

     大丈夫なんじゃねえの、明日でもいいんじゃねえの、なんぞと視線で訴えられる。

     「おら早く」ヨウが苛立ちを込めて左肩を叩いた。肉が裂かれるような痛みが走り、場所問わず悲鳴を上げた。その場にしゃがんで身悶える。今のはない、まじで、ないんだけど。


    「よ、ヨウ。何しているの?!」


     血相を変える弥生に、「か。軽くだぞ」強く叩いたつもりはないとヨウも焦燥感を顔に滲ませる。

     そんなに酷いのか。肩の具合を見るために、舎兄が片膝をついてきた。「ちょいやばいかも」うめき声を上げつつ、シャツのボタンを上から三つ外して、ヨウに肩の具合を見てもらう。見え難いかもしれないけど、上半身裸になるよりかはマシだろ。

     さっきは色が黒っぽい紫だったけど、今はどうだろう。


    「……、なんだよこれ。ケイ、少し動かすぞ」


    「え? うごッー…イ゛ッ、イデデデデデっ! よ、ヨウ、たんまたんまたんまっ、うぁああツ!」


     おもむろにヨウが俺の左腕を掴んで、無理やり上にあげようとした。俺は廊下に悲鳴を喚き散らしながら左肩を押さえる。

     む、無理、ギブギブギブギブッ、痛いッ、ヨウ、痛いからー! 左肩が痛くて腕、あんま上がらないんだって! そうヨウに伝えたいんだけど、言葉にならない痛みに呻き声と悲鳴しか出ない。

     身悶えする俺を解放して、ヨウは眉間に皺を寄せたまま口を開いた。


    「こりゃひでぇな。骨に異常があっかもしれねぇ。俺はケイを連れて病院に行く。ハジメと弥生はワタルから事情を聞け」


    「ええぇええ?! 僕ちゃーんの役割取っちゃうの?! それはあんまりなすび。病院には僕ちゃーんが」


    「テメェは弥生とハジメにサボった理由を説明する義務があンだよ。俺はケイから事情を聞く。それで解決だろうが。どうせ病院に連れて行くだの何だの口実を作って逃げようと思ったんだろうがそうはいかねぇぞ。弥生、ハジメ、徹底的に事情を聞いて来い。ワタルを逃がすんじゃねえぞ」


     うっわぁ……、徹底的にって。

     ということは俺、徹底的にヨウに事情を説明しなきゃなんねぇのか? ハジメや弥生以上にヨウの相手は恐いっつーのに、俺、マンツーマンで舎兄に説明しなきゃいけないのかよ!


     ……オワタな、俺。 


     諦めに近い気持ちを抱きながら、シャツのボタンを留める。無事に帰れるかなぁ、俺。

     溜息をついてワタルさんに視線を送る。気付いたワタルさんは俺にウィンクしてきた。追い詰められいるワリには余裕の表情。もしかしてこの状況、楽しんでるんじゃないか?

     微苦笑を零して、俺はワタルさんに歩み寄ってこっそり耳打ち。「喧嘩。連れてってくれてありがとうございました」


     そしたらワタルさんは大笑いしてきた。

     ヨウ達が怪訝な顔を作るくらい、大笑いして俺にこう言ってくる。


    「ケイちゃーんって変な子だねぇ。あー可笑しいおかしい。ケイちゃーん変な子、変子、へんっこ~、じみっこ~」


     いつものウザ口調で俺をからかうワタルさんは、「変っ子地味っ子」って口ずさみながら軽く駆け出した。オレンジ色の長髪が走る風に靡いている。それが妙に印象的だった。目立つ色のせい、それも勿論あるんだろうけど、訳もなく目に焼き付いちまった。


     「ちょっとー!」弥生は走り出したワタルを追い駆け始めた。

     途中で捕まったワタルさんは「逃げたんじゃないってぇー」って言い訳してたけど、弥生に何度も容赦なく叩かれてる。呆れ笑いながらハジメが二人の背を追った。「逃がさないって」ワタルさんの背中を叩いているハジメの言葉に、ワタルさんはニヤニヤ笑うだけ。楽しんでるな、あの人。


     

     でも今のはワタルさんなりに、俺のお礼、受け止めてくれたって思っていいよな。夜狼神




    「んじゃ、俺等も行くか。ケイ。たっぷり話、聞かせてもらうぞ」


      そうでした。俺も、追い詰められている立場でした。

     「ごめん!」俺はヨウに向かって謝った。これは勝手な行動をした詫びじゃなくて、これからすることに対しての詫び。


    「あのさ、ちょっと寄って行きたいところがあるんだ。先に行っててもらえないか?」


    「先に、だと?」


     関節を鳴らして拳を作るヨウ。殺気を感じるのは俺の気のせいじゃない!


    「ッ……に、に、逃げない逃げない逃げねぇーから! ほんとほんとほんとに! あああっ、んじゃあついて来て下さい! 寄るところがあるんです! お願いします! お願い致します! ついて来て下さい!」


     俺の情けない声が廊下中に響き渡った。

     カッコ悪い……、そう思っても舎兄の怒りを買うよりかはマシだ! 俺は全身全霊を尽くして舎兄にお願いし倒した。


     




     美術室を覗き込むと部員らしき男女が数人、キャンバスに絵の具を塗りたくっていた。独特のニオイが何とも言えない。俺は好きになれそうになれないな。

     部員達が部活をしている中、ひとりだけ上の空になって窓の向こうの景色を見ている奴がいた。透だ。良かった、部活に来てた。

     俺は部員のひとりに声を掛けて、透を呼んでもらうように頼んだ。透は俺の登場に驚いていたみたいだけど、重たそうな腰を上げて、俺のもとに直ぐ来てくれた。俺と傍にいるヨウの姿に、透はどっか決まり悪そうな顔を作っている。


     そんな透を廊下に連れ出して、俺は取り戻した三冊のスケッチブックを差し出す。「え……、」目を見開く透に俺は肩を竦めた。ヨウは気遣ってくれてるのか、少し離れた場所で携帯を弄るフリして視界に入れないようにしてた。


    「拾ったから届けに来た。これ、お前のだろ? 大事なモンなんだろ? 中の絵、一枚だけ汚れてるけど他は無事だから」


    「拾ったって……でも、これ……これッ……」 


     上擦った声を出す透の手にスケッチブックを押し付ける。

     「拾ったんだ」繰り返しくりかえし伝えれば、透の目からボロッと涙が零れた。ブレザーで目元を擦るけど、涙が止まらないのか次から次に涙が落ちていく。「ありがと。ごめん」蚊の鳴くような声で礼と詫びを口にしてくる透は、俺に何か言いたいみたいだけど何を言えばいいのか分からないみたいだ。


     正直、何も言わなくていいって思ってるんだ。俺は。 

     だから笑ってやる。


    「泣くなって。これで解決しただろ? も、なーんも心配ねぇんだからな」 


     透と、少しだけ距離を感じた今日の出来事。

     それはスッゲェ寂しくて、スッゲェ違和感があって、スッゲェ虚しい気分になった。

     しょーがないよな、俺、不良とつるんでるんだ。一緒にいる時間が減ったなら、距離ができることだってあるし、ソイツの知らない面だって出てくるし、前まで無かった“疑われる”ことだってある。


     でも正直、疑われた時は腹も立ったよ。なんで疑うんだ。俺の性格知ってるだろ。ってさ。

     だけどやっぱ、お前といる時間、それなりに長かったんだ。これからもそれなりに付き合っていきたい。同じ地味仲間としてさ。

     そう思うのは俺の我が儘かもしんねぇけど、少なくとも俺、透から詫びとか礼とか、そういう言葉を口にして欲しくないんだ。聞きたくも無い。むず痒いっていうか、ハズイし、言わなくても分かってるから。


     だからな、透。お前が俺達にしてくれたことも、礼、言わなくていいかな。

     生徒会にチクれば先輩不良たちに何されるか、バカでも分かることを、恐怖が無かったわけじゃないだろうに、俺達のためにお前のしてくれた行動に、礼、言わなくていいかな。


     面向かって礼言うの、照れくさいし、お前だったら言わなくても分かってくれると思うから。


     「今日のことはおわりだ。な?」その言葉に、透は何度もなんども頷いた。

     明日からの俺との関係が不安だったのか(実を言えば俺もかなり不安だった)、それとも今日のことがよっぽど悔しかったのか(ボコされた気持ち、すっごく分かる。一方的に負けるって悔しいもんな)、廊下だってことも忘れて感情を吐き出し始める。俺は苦笑いを浮かべて背中を叩く。


     なあ、透。

     昼休み(さっき)は以心伝心できなかった俺等だけど、きっと今はできてるって信じてる。信じてるよ。だから礼も詫びもイラナイし、逆に俺も何も言わない。そう思ってもいいだろ、なぁ透。


       「―――…ワタルの野郎と勝手な行動しやがった上に、チャリ漕げねぇから俺に運転させた挙句、全治二、三週間の怪我。しかもテメェ、どういう了見だッ。財布に千円ちょいしかねぇって! ケイ、テメェは俺とタイマン張りてぇか!」


     整形外科の近くにある、子供ひとっこひとりいない寂れた公園。俺はアスレチック遊具(揺れる橋とか滑り台とか一緒になってるヤツな!)の上で、ヨウに怒鳴られていた。

     胸倉を掴んできそうな手を避けながら、俺は必死こいてヨウに頭を下げる。頂点3000


    「ご、ご、ごめんって! 普段から金、千円しか入れてないことスッカリ忘れててさ。いやぁ、助かった。悪いヨウ。ちゃんと返すから」


    「ッたりめぇだ! 返さなかったらぶッコロスぞ!」


    「ギャアアア! 返すッ、返します! ほんと助かりました兄貴!」 


     怒鳴り散らすヨウに何度もなんども頭を下げる。生きてきた人生の中で1番頭を下げたんじゃないかってほど頭を下げた。


     俺、田山圭太は今日ほど舎兄の怒りを買ったことはありません。

     何故ならば、怒らせた理由、


     その1:俺とワタルさんの独断で勝手な喧嘩に出た。(非常に申し訳ないことをしたと思うけど、でも後悔はしていません! …うそ! 今になって薄っすら後悔!)


     その2:生徒会から呼び出しを喰らい散々生徒会長に嫌味を垂れられた。(だけど、約束を守ったにしろ嫌味は言われたと思うんだ!)


     その3:左肩を負傷したせいでチャリが漕げず、舎兄にチャリを運転してもらった。(俺、ちゃんと『チャリ押して歩くから大丈夫』って遠慮したんだぜ! だけどヨウが『病院閉まるだろうが』って文句言ったから仕方がなく…、これって怒られ損じゃね?)


     その4:左肩の怪我が全治二~三週間、下手すりゃ1ヵ月掛かるかもしれないって医者に言われた。(これは心配してくれている故に怒ってくれてるんだと思う。たぶん)




     ファイナル:財布に千円ちょっとしかなく、舎兄に出してもらった。(ちーん)


     

     以上、5つの理由を持ちまして俺、田山圭太は舎兄を盛大に怒らせました。やっちまな、圭太! お前ならいつかやっちまうと思ってた!

     とか思ってる場合じゃなく、なんでこう……怒らせちまうんだよ。地元で名を上げております、かの有名な恐ろしい不良さまを。俺、舎弟じゃなかったらヨウにフルボッコされてたような気がする。そんな気がする。


     身震いしながら、俺はこれでもかってくらいヨウに謝った。

     だけど不機嫌そうに鼻を鳴らして、「聞き飽きた」詫びを突っ返される。こりゃ相当、ヨウのご機嫌取りしないと俺の命、危ういぞ。俺は右手を出して(左は上がらないんだ)、謝る代わりにお詫びとして俺のできることを提案する。 


    「今度、ヨウの好きなモノ奢るから。一日、お前の好きなことに付き合ったりもするから。機嫌直してくれって。あ、そうだ。俺、今からコーラでも買って来てやるよ! そんくらいなら奢れるぜ! んじゃ、いってきまッ、イテテテテ!」


    「なーに逃げようとしてんだ、ケイ? 舎弟テメェは舎兄の俺に、まず、何をしねぇとイケねぇんだあ゛ーん?」


     何をしないとイケない、そのナニは分かっています! 分かっていますけど、まず耳っ! 耳が千切れますっ、千切れちゃいますからヨウさん! 手を放してくれー!


     ギリギリ右耳を抓まんで引っ張ってくるヨウの手の強さに喚いて、放してくれるよう何度も頼み込む。

     やっと解放してくれた時には耳がヒリヒリ痛んでいた。このヒリヒリ感が地味に痛い。地味な俺が言うのもなんだけど地味に痛い。右耳を擦りながら俺は刺す視線に耐えていた。ヨウの目が訴えてる。早く説明しろって。


     説明も何も、あれだもんな。無意味な喧嘩をしてきたんだもんな、俺。本当のことを最初っから最後まで報告しても、今さらだよな。

     だから簡単に説明することにした。


    「とある先輩不良たちのせいで、友達との仲が危機になった。カッチーンきた俺は弱いくせに喧嘩を売りに出かけた。偶然俺達のやり取り現場を目撃したワタルさんは面白半分に喧嘩に参戦。そんなとこデス、兄貴」


     嘘は言ってない、全部ほんとうのことだ。すべてのことを話してないだけで。


     「さっき美術室に寄っただろ? あいつと不仲になりそうになった」ヨウに視線をやれば、淡々とした説明にまったく納得していないヨウがそこにはいた。立てた膝に肘ついてヨウは軽く溜息。「そんだけじゃねえクセに」図星を突いてきた。 

     なんで鋭いんだよ、いつもは俺の心情を全然察してくれない疎い奴なのに! そんなに鋭かったら俺が舎弟になりたくないって気持ち、察してくれてたんじゃねえの?!


     けどヨウは諦めたのか、俺にこう問い掛けてきた。精力剤


    「どーせ収穫の無い喧嘩だったんだろ?」


    「ん、収穫の無い喧嘩だったー……へ?」


    「やっぱテメェ等、ヤマト達に関係する喧嘩してきやがったな。収穫の無い喧嘩は報告しねぇ、ワタルの考えそうなことだしな」


    「え゛?」


    「あー、何となく今回の経緯が見えてきた気がするぜ。そういうことか」


     

     や っ ち ま っ た !


     まさかあのヨウに、こんな頭脳プレイ(?)で白状させられるとは。田山圭太、油断していたぜ! ……じゃなくて、やっちまったよ。俺のお馬鹿。今さら誤魔化したって後の祭りだろ、これ。

     額に手を当てる俺に、してやったりとばかりにヨウが口角をつり上げてきた。


    「残念だったなケイ。俺の勝ちだ。全部白状しちまえ」


    「説明も何も、さっきの説明とお前の言葉ですべて白状したつもりなんだけど」


    「だったらあの生徒会長との意味ありげな会話は何だ?」


    「あれはー……」




    『“おサボリ”お疲れさま。怪我の治療は早めに。特に田山くん、左肩、お大事に。今日中に病院に診せた方が君のためだ』




     会長の言葉が脳裏に過ぎる。

     俺は身震いをした。忘れていた悪寒が今になって戻ってくる。なんでアノ人、俺が怪我したって知ってるんだ。俺達の喧嘩、始終見ていたわけじゃあるまいし。

     自然と左肩に手が伸びた。ゆっくり怪我した箇所を擦りながら思案に耽る。アノ人は何者なんだろう。味方じゃないのは確かなんだけどな。


    「あいつ、疑いがありそうか?」


     口を閉ざした俺に対して、ヨウは物静かに質問をぶつけてきた。ヨウも疑ってるんだろうな。須垣先輩が日賀野達と何か関係してるんじゃないかって。

     俺は首を左右に振った。「俺もよく分かんね」


    「ただ……、会長は俺が怪我負ったことを知っていた。この怪我はワタルさんと、喧嘩した不良先輩しか知らないのに」


    「見ていた、わけ、ねぇな。誰かに監視させてたか、それとも情報を伝達してもらったか。なんにせよ、あいつは危険視しとかなきゃイケねぇってことか」


     ヨウは立ち上がってアスレチック遊具の低めの柵に腰掛けた。ポケットに手を突っ込んで思案するヨウの顔は険しい。

     ふわっと吹く風にメッシュの入った髪を靡かせて、「こっちも仕掛けてみっか」不意に物騒なことを口にしてきた。突然の言葉に俺は目を瞠る。ここでまさか、そんな言葉が出るなんて思わないじゃないか。


    「仕掛けるって日賀野達に、喧嘩を?」


    「喧嘩っつーよりも宣戦布告。あいつ等の“ちょっかい”にヤラれっぱなしなんざ、俺の気が済まねぇ。向こうがナニ企んでるか知らねぇが、このまま“ちょっかい”出されっぱなしなんざ真っ平ごめんだ」


     惨めに敗北を味わうくらいなら、こっちから仕掛ける。あいつ等にヤラれっぱなしなんて我慢なら無い。ヨウの言葉は決意の塊だった。

     これはやる気だな。ヨウ、日賀野達に喧嘩売っちまうな。ってことは、俺はまた日賀野に会うかもしれないわけで。下手すりゃ一戦、いやそれ以上、日賀野やその仲間達とぶつかるわけで。恐い思い……するわけで。


     だけど俺がどうこう言ってもヨウはやる気、止めたって無駄だと思う。付き合いの短い俺が止めても、付き合いの長いワタルさん達が止めても、無駄だって思う。

     付き合い短い方だけど、お前がそういう奴だってこと、俺、知っている。だから俺は苦労するんだよな。荒川庸一の舎弟ってのも楽じゃない。


     「まずは相手を探るのも手じゃないか」苦笑いを浮かべながら、俺はヨウに助言した。 


    「なーんも知らないまま、真っ向から突っ込んでもダメだって俺は思うんだ。痛い目見るかもしれないし、勝ったとしてもこっちも痛手を負うかもしれない。だったら、向こうの様子を探ってみるってのも手だって思う。相手を知って、真っ向から突っ込む・突っ込まないじゃ大違いだと思わないか?」


    「ケイ……まさかテメェがそんなこと言うなんて。てっきり止めてくると思ったけどな」


     俺がヨウの性格を知り始めたように、ヨウも俺の性格を知り始めている。

     まったくもってそのとおりだよ。本当は止めたい。やりたくもない。喧嘩なんて。しかも相手は、俺をフルボッコにした日賀野大和含む不良グループ。喧嘩なんて、絶対したくないさ! 舎弟だって、いまだに白紙にしたいって思ってるさ! 平凡な生活が戻って来て欲しいって片隅で願ってるさ!媚薬


     

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    2013年04月05日

    それでも、まだ

    生徒会室から出ても寒気は止まらなかった。寒気、というよりもこれは悪寒だ。




     ヒリヒリ、ピリピリする左肩をそっと触りながら、俺はワタルさんに視線を向ける。ワタルさん自身も寒気、というか嫌な空気を感じ取ったようだ。肩を竦めておどけては見せるけど、表情に余裕は無かった。VIVID XXL


     そう、だよな。この肩の怪我、知ってるのはワタルさんと、負わせた先輩不良だけだもんな。てか、なんで知ってるんだよ。気味悪いな。 

     黙然と佇んでいたら、ワタルさんが「考えてもしょーがない」って声を掛けてくれた。何気ない言葉が心を軽くする。俺は苦笑いを浮かべて頷いた。そうだよな、考えてもしょーがないよな。


    「ま、とにかく、ケイちゃーん行こうか。病院に。生徒会長の言ったとおり、今日中がケイちゃーんのためだろうし。保険証ある?」


    「すみません。保険証は常に財布に入れてあります」


    「オーケー。んじゃ、レッツゴーん」




    「まさか、このままトンズラできると思ってンのか。テメェ等」




     カチンと俺とワタルさんは固まった。 

     ぎこちなく振り返れば、不機嫌そうに腕組みをしている舎兄と、呆れているハジメと、溜息をついている弥生。計三名が後ろに立っていた。そうでした、あなた方の存在をすっかり忘れていました。是非とも忘れていたかったです。

     「トンズラだなんてやっだなぁ」ワタルさんは俺を親指で指してきた。


    「ケイちゃーんを病院に連れて行こうとしてるんだって。生徒会長の助言もあるし、早くしないと閉まっちゃうでしょー? ねー? ケーイちゃーん」


     俺の顔を覗き込むワタルさんの目が訴えてる。話を合わせろって。俺はしどろもどろに頷いて誤魔化し笑い。


    「そ、そうですね。閉まっちゃったら明日になっちゃいますよね。それは困るなー、困っちゃうなー、おれー」


    「見せてみろ。怪我ってヤツ」


     仮病って思われてるのか、それとも今日行くべきかどうか判断したいのか。

     多分、後方だと思う。話を聞きたがってるし、大丈夫と思ったら明日にでも行けって言うんだろうな。不機嫌を含んだ声のままヨウが怪我の具合を見せてみろって言ってきた。見せてもいいけど、此処、廊下だぜ廊下。流石に廊下で上半身裸になるのなぁ。しかも生徒会室前。あんまりだよなぁ。下手すりゃ変態扱いされちまいそうだよなぁ。


     尻込みしていると、イケメン不良の眉がつり上がった。

     大丈夫なんじゃねえの、明日でもいいんじゃねえの、なんぞと視線で訴えられる。

     「おら早く」ヨウが苛立ちを込めて左肩を叩いた。肉が裂かれるような痛みが走り、場所問わず悲鳴を上げた。その場にしゃがんで身悶える。今のはない、まじで、ないんだけど。


    「よ、ヨウ。何しているの?!」


     血相を変える弥生に、「か。軽くだぞ」強く叩いたつもりはないとヨウも焦燥感を顔に滲ませる。

     そんなに酷いのか。肩の具合を見るために、舎兄が片膝をついてきた。「ちょいやばいかも」うめき声を上げつつ、シャツのボタンを上から三つ外して、ヨウに肩の具合を見てもらう。見え難いかもしれないけど、上半身裸になるよりかはマシだろ。

     さっきは色が黒っぽい紫だったけど、今はどうだろう。


    「……、なんだよこれ。ケイ、少し動かすぞ」


    「え? うごッー…イ゛ッ、イデデデデデっ! よ、ヨウ、たんまたんまたんまっ、うぁああツ!」


     おもむろにヨウが俺の左腕を掴んで、無理やり上にあげようとした。俺は廊下に悲鳴を喚き散らしながら左肩を押さえる。

     む、無理、ギブギブギブギブッ、痛いッ、ヨウ、痛いからー! 左肩が痛くて腕、あんま上がらないんだって! そうヨウに伝えたいんだけど、言葉にならない痛みに呻き声と悲鳴しか出ない。

     身悶えする俺を解放して、ヨウは眉間に皺を寄せたまま口を開いた。


    「こりゃひでぇな。骨に異常があっかもしれねぇ。俺はケイを連れて病院に行く。ハジメと弥生はワタルから事情を聞け」


    「ええぇええ?! 僕ちゃーんの役割取っちゃうの?! それはあんまりなすび。病院には僕ちゃーんが」


    「テメェは弥生とハジメにサボった理由を説明する義務があンだよ。俺はケイから事情を聞く。それで解決だろうが。どうせ病院に連れて行くだの何だの口実を作って逃げようと思ったんだろうがそうはいかねぇぞ。弥生、ハジメ、徹底的に事情を聞いて来い。ワタルを逃がすんじゃねえぞ」


     うっわぁ……、徹底的にって。

     ということは俺、徹底的にヨウに事情を説明しなきゃなんねぇのか? ハジメや弥生以上にヨウの相手は恐いっつーのに、俺、マンツーマンで舎兄に説明しなきゃいけないのかよ!


     ……オワタな、俺。 


     諦めに近い気持ちを抱きながら、シャツのボタンを留める。無事に帰れるかなぁ、俺。

     溜息をついてワタルさんに視線を送る。気付いたワタルさんは俺にウィンクしてきた。追い詰められいるワリには余裕の表情。もしかしてこの状況、楽しんでるんじゃないか?

     微苦笑を零して、俺はワタルさんに歩み寄ってこっそり耳打ち。「喧嘩。連れてってくれてありがとうございました」


     そしたらワタルさんは大笑いしてきた。

     ヨウ達が怪訝な顔を作るくらい、大笑いして俺にこう言ってくる。


    「ケイちゃーんって変な子だねぇ。あー可笑しいおかしい。ケイちゃーん変な子、変子、へんっこ~、じみっこ~」


     いつものウザ口調で俺をからかうワタルさんは、「変っ子地味っ子」って口ずさみながら軽く駆け出した。オレンジ色の長髪が走る風に靡いている。それが妙に印象的だった。目立つ色のせい、それも勿論あるんだろうけど、訳もなく目に焼き付いちまった。


     「ちょっとー!」弥生は走り出したワタルを追い駆け始めた。

     途中で捕まったワタルさんは「逃げたんじゃないってぇー」って言い訳してたけど、弥生に何度も容赦なく叩かれてる。呆れ笑いながらハジメが二人の背を追った。「逃がさないって」ワタルさんの背中を叩いているハジメの言葉に、ワタルさんはニヤニヤ笑うだけ。楽しんでるな、あの人。


     

     でも今のはワタルさんなりに、俺のお礼、受け止めてくれたって思っていいよな。夜狼神




    「んじゃ、俺等も行くか。ケイ。たっぷり話、聞かせてもらうぞ」


      そうでした。俺も、追い詰められている立場でした。

     「ごめん!」俺はヨウに向かって謝った。これは勝手な行動をした詫びじゃなくて、これからすることに対しての詫び。


    「あのさ、ちょっと寄って行きたいところがあるんだ。先に行っててもらえないか?」


    「先に、だと?」


     関節を鳴らして拳を作るヨウ。殺気を感じるのは俺の気のせいじゃない!


    「ッ……に、に、逃げない逃げない逃げねぇーから! ほんとほんとほんとに! あああっ、んじゃあついて来て下さい! 寄るところがあるんです! お願いします! お願い致します! ついて来て下さい!」


     俺の情けない声が廊下中に響き渡った。

     カッコ悪い……、そう思っても舎兄の怒りを買うよりかはマシだ! 俺は全身全霊を尽くして舎兄にお願いし倒した。


     




     美術室を覗き込むと部員らしき男女が数人、キャンバスに絵の具を塗りたくっていた。独特のニオイが何とも言えない。俺は好きになれそうになれないな。

     部員達が部活をしている中、ひとりだけ上の空になって窓の向こうの景色を見ている奴がいた。透だ。良かった、部活に来てた。

     俺は部員のひとりに声を掛けて、透を呼んでもらうように頼んだ。透は俺の登場に驚いていたみたいだけど、重たそうな腰を上げて、俺のもとに直ぐ来てくれた。俺と傍にいるヨウの姿に、透はどっか決まり悪そうな顔を作っている。


     そんな透を廊下に連れ出して、俺は取り戻した三冊のスケッチブックを差し出す。「え……、」目を見開く透に俺は肩を竦めた。ヨウは気遣ってくれてるのか、少し離れた場所で携帯を弄るフリして視界に入れないようにしてた。


    「拾ったから届けに来た。これ、お前のだろ? 大事なモンなんだろ? 中の絵、一枚だけ汚れてるけど他は無事だから」


    「拾ったって……でも、これ……これッ……」 


     上擦った声を出す透の手にスケッチブックを押し付ける。

     「拾ったんだ」繰り返しくりかえし伝えれば、透の目からボロッと涙が零れた。ブレザーで目元を擦るけど、涙が止まらないのか次から次に涙が落ちていく。「ありがと。ごめん」蚊の鳴くような声で礼と詫びを口にしてくる透は、俺に何か言いたいみたいだけど何を言えばいいのか分からないみたいだ。


     正直、何も言わなくていいって思ってるんだ。俺は。 

     だから笑ってやる。


    「泣くなって。これで解決しただろ? も、なーんも心配ねぇんだからな」 


     透と、少しだけ距離を感じた今日の出来事。

     それはスッゲェ寂しくて、スッゲェ違和感があって、スッゲェ虚しい気分になった。

     しょーがないよな、俺、不良とつるんでるんだ。一緒にいる時間が減ったなら、距離ができることだってあるし、ソイツの知らない面だって出てくるし、前まで無かった“疑われる”ことだってある。


     でも正直、疑われた時は腹も立ったよ。なんで疑うんだ。俺の性格知ってるだろ。ってさ。

     だけどやっぱ、お前といる時間、それなりに長かったんだ。これからもそれなりに付き合っていきたい。同じ地味仲間としてさ。

     そう思うのは俺の我が儘かもしんねぇけど、少なくとも俺、透から詫びとか礼とか、そういう言葉を口にして欲しくないんだ。聞きたくも無い。むず痒いっていうか、ハズイし、言わなくても分かってるから。


     だからな、透。お前が俺達にしてくれたことも、礼、言わなくていいかな。

     生徒会にチクれば先輩不良たちに何されるか、バカでも分かることを、恐怖が無かったわけじゃないだろうに、俺達のためにお前のしてくれた行動に、礼、言わなくていいかな。


     面向かって礼言うの、照れくさいし、お前だったら言わなくても分かってくれると思うから。


     「今日のことはおわりだ。な?」その言葉に、透は何度もなんども頷いた。

     明日からの俺との関係が不安だったのか(実を言えば俺もかなり不安だった)、それとも今日のことがよっぽど悔しかったのか(ボコされた気持ち、すっごく分かる。一方的に負けるって悔しいもんな)、廊下だってことも忘れて感情を吐き出し始める。俺は苦笑いを浮かべて背中を叩く。


     なあ、透。

     昼休み(さっき)は以心伝心できなかった俺等だけど、きっと今はできてるって信じてる。信じてるよ。だから礼も詫びもイラナイし、逆に俺も何も言わない。そう思ってもいいだろ、なぁ透。


       「―――…ワタルの野郎と勝手な行動しやがった上に、チャリ漕げねぇから俺に運転させた挙句、全治二、三週間の怪我。しかもテメェ、どういう了見だッ。財布に千円ちょいしかねぇって! ケイ、テメェは俺とタイマン張りてぇか!」


     整形外科の近くにある、子供ひとっこひとりいない寂れた公園。俺はアスレチック遊具(揺れる橋とか滑り台とか一緒になってるヤツな!)の上で、ヨウに怒鳴られていた。

     胸倉を掴んできそうな手を避けながら、俺は必死こいてヨウに頭を下げる。頂点3000


    「ご、ご、ごめんって! 普段から金、千円しか入れてないことスッカリ忘れててさ。いやぁ、助かった。悪いヨウ。ちゃんと返すから」


    「ッたりめぇだ! 返さなかったらぶッコロスぞ!」


    「ギャアアア! 返すッ、返します! ほんと助かりました兄貴!」 


     怒鳴り散らすヨウに何度もなんども頭を下げる。生きてきた人生の中で1番頭を下げたんじゃないかってほど頭を下げた。


     俺、田山圭太は今日ほど舎兄の怒りを買ったことはありません。

     何故ならば、怒らせた理由、


     その1:俺とワタルさんの独断で勝手な喧嘩に出た。(非常に申し訳ないことをしたと思うけど、でも後悔はしていません! …うそ! 今になって薄っすら後悔!)


     その2:生徒会から呼び出しを喰らい散々生徒会長に嫌味を垂れられた。(だけど、約束を守ったにしろ嫌味は言われたと思うんだ!)


     その3:左肩を負傷したせいでチャリが漕げず、舎兄にチャリを運転してもらった。(俺、ちゃんと『チャリ押して歩くから大丈夫』って遠慮したんだぜ! だけどヨウが『病院閉まるだろうが』って文句言ったから仕方がなく…、これって怒られ損じゃね?)


     その4:左肩の怪我が全治二~三週間、下手すりゃ1ヵ月掛かるかもしれないって医者に言われた。(これは心配してくれている故に怒ってくれてるんだと思う。たぶん)




     ファイナル:財布に千円ちょっとしかなく、舎兄に出してもらった。(ちーん)


     

     以上、5つの理由を持ちまして俺、田山圭太は舎兄を盛大に怒らせました。やっちまな、圭太! お前ならいつかやっちまうと思ってた!

     とか思ってる場合じゃなく、なんでこう……怒らせちまうんだよ。地元で名を上げております、かの有名な恐ろしい不良さまを。俺、舎弟じゃなかったらヨウにフルボッコされてたような気がする。そんな気がする。


     身震いしながら、俺はこれでもかってくらいヨウに謝った。

     だけど不機嫌そうに鼻を鳴らして、「聞き飽きた」詫びを突っ返される。こりゃ相当、ヨウのご機嫌取りしないと俺の命、危ういぞ。俺は右手を出して(左は上がらないんだ)、謝る代わりにお詫びとして俺のできることを提案する。 


    「今度、ヨウの好きなモノ奢るから。一日、お前の好きなことに付き合ったりもするから。機嫌直してくれって。あ、そうだ。俺、今からコーラでも買って来てやるよ! そんくらいなら奢れるぜ! んじゃ、いってきまッ、イテテテテ!」


    「なーに逃げようとしてんだ、ケイ? 舎弟テメェは舎兄の俺に、まず、何をしねぇとイケねぇんだあ゛ーん?」


     何をしないとイケない、そのナニは分かっています! 分かっていますけど、まず耳っ! 耳が千切れますっ、千切れちゃいますからヨウさん! 手を放してくれー!


     ギリギリ右耳を抓まんで引っ張ってくるヨウの手の強さに喚いて、放してくれるよう何度も頼み込む。

     やっと解放してくれた時には耳がヒリヒリ痛んでいた。このヒリヒリ感が地味に痛い。地味な俺が言うのもなんだけど地味に痛い。右耳を擦りながら俺は刺す視線に耐えていた。ヨウの目が訴えてる。早く説明しろって。


     説明も何も、あれだもんな。無意味な喧嘩をしてきたんだもんな、俺。本当のことを最初っから最後まで報告しても、今さらだよな。

     だから簡単に説明することにした。


    「とある先輩不良たちのせいで、友達との仲が危機になった。カッチーンきた俺は弱いくせに喧嘩を売りに出かけた。偶然俺達のやり取り現場を目撃したワタルさんは面白半分に喧嘩に参戦。そんなとこデス、兄貴」


     嘘は言ってない、全部ほんとうのことだ。すべてのことを話してないだけで。


     「さっき美術室に寄っただろ? あいつと不仲になりそうになった」ヨウに視線をやれば、淡々とした説明にまったく納得していないヨウがそこにはいた。立てた膝に肘ついてヨウは軽く溜息。「そんだけじゃねえクセに」図星を突いてきた。 

     なんで鋭いんだよ、いつもは俺の心情を全然察してくれない疎い奴なのに! そんなに鋭かったら俺が舎弟になりたくないって気持ち、察してくれてたんじゃねえの?!


     けどヨウは諦めたのか、俺にこう問い掛けてきた。精力剤


    「どーせ収穫の無い喧嘩だったんだろ?」


    「ん、収穫の無い喧嘩だったー……へ?」


    「やっぱテメェ等、ヤマト達に関係する喧嘩してきやがったな。収穫の無い喧嘩は報告しねぇ、ワタルの考えそうなことだしな」


    「え゛?」


    「あー、何となく今回の経緯が見えてきた気がするぜ。そういうことか」


     

     や っ ち ま っ た !


     まさかあのヨウに、こんな頭脳プレイ(?)で白状させられるとは。田山圭太、油断していたぜ! ……じゃなくて、やっちまったよ。俺のお馬鹿。今さら誤魔化したって後の祭りだろ、これ。

     額に手を当てる俺に、してやったりとばかりにヨウが口角をつり上げてきた。


    「残念だったなケイ。俺の勝ちだ。全部白状しちまえ」


    「説明も何も、さっきの説明とお前の言葉ですべて白状したつもりなんだけど」


    「だったらあの生徒会長との意味ありげな会話は何だ?」


    「あれはー……」




    『“おサボリ”お疲れさま。怪我の治療は早めに。特に田山くん、左肩、お大事に。今日中に病院に診せた方が君のためだ』




     会長の言葉が脳裏に過ぎる。

     俺は身震いをした。忘れていた悪寒が今になって戻ってくる。なんでアノ人、俺が怪我したって知ってるんだ。俺達の喧嘩、始終見ていたわけじゃあるまいし。

     自然と左肩に手が伸びた。ゆっくり怪我した箇所を擦りながら思案に耽る。アノ人は何者なんだろう。味方じゃないのは確かなんだけどな。


    「あいつ、疑いがありそうか?」


     口を閉ざした俺に対して、ヨウは物静かに質問をぶつけてきた。ヨウも疑ってるんだろうな。須垣先輩が日賀野達と何か関係してるんじゃないかって。

     俺は首を左右に振った。「俺もよく分かんね」


    「ただ……、会長は俺が怪我負ったことを知っていた。この怪我はワタルさんと、喧嘩した不良先輩しか知らないのに」


    「見ていた、わけ、ねぇな。誰かに監視させてたか、それとも情報を伝達してもらったか。なんにせよ、あいつは危険視しとかなきゃイケねぇってことか」


     ヨウは立ち上がってアスレチック遊具の低めの柵に腰掛けた。ポケットに手を突っ込んで思案するヨウの顔は険しい。

     ふわっと吹く風にメッシュの入った髪を靡かせて、「こっちも仕掛けてみっか」不意に物騒なことを口にしてきた。突然の言葉に俺は目を瞠る。ここでまさか、そんな言葉が出るなんて思わないじゃないか。


    「仕掛けるって日賀野達に、喧嘩を?」


    「喧嘩っつーよりも宣戦布告。あいつ等の“ちょっかい”にヤラれっぱなしなんざ、俺の気が済まねぇ。向こうがナニ企んでるか知らねぇが、このまま“ちょっかい”出されっぱなしなんざ真っ平ごめんだ」


     惨めに敗北を味わうくらいなら、こっちから仕掛ける。あいつ等にヤラれっぱなしなんて我慢なら無い。ヨウの言葉は決意の塊だった。

     これはやる気だな。ヨウ、日賀野達に喧嘩売っちまうな。ってことは、俺はまた日賀野に会うかもしれないわけで。下手すりゃ一戦、いやそれ以上、日賀野やその仲間達とぶつかるわけで。恐い思い……するわけで。


     だけど俺がどうこう言ってもヨウはやる気、止めたって無駄だと思う。付き合いの短い俺が止めても、付き合いの長いワタルさん達が止めても、無駄だって思う。

     付き合い短い方だけど、お前がそういう奴だってこと、俺、知っている。だから俺は苦労するんだよな。荒川庸一の舎弟ってのも楽じゃない。


     「まずは相手を探るのも手じゃないか」苦笑いを浮かべながら、俺はヨウに助言した。 


    「なーんも知らないまま、真っ向から突っ込んでもダメだって俺は思うんだ。痛い目見るかもしれないし、勝ったとしてもこっちも痛手を負うかもしれない。だったら、向こうの様子を探ってみるってのも手だって思う。相手を知って、真っ向から突っ込む・突っ込まないじゃ大違いだと思わないか?」


    「ケイ……まさかテメェがそんなこと言うなんて。てっきり止めてくると思ったけどな」


     俺がヨウの性格を知り始めたように、ヨウも俺の性格を知り始めている。

     まったくもってそのとおりだよ。本当は止めたい。やりたくもない。喧嘩なんて。しかも相手は、俺をフルボッコにした日賀野大和含む不良グループ。喧嘩なんて、絶対したくないさ! 舎弟だって、いまだに白紙にしたいって思ってるさ! 平凡な生活が戻って来て欲しいって片隅で願ってるさ!媚薬 

    posted by NoName at 19:48| Comment(0)TrackBack(0)未設定

    2013年04月05日

    それでも、まだ

    生徒会室から出ても寒気は止まらなかった。寒気、というよりもこれは悪寒だ。




     ヒリヒリ、ピリピリする左肩をそっと触りながら、俺はワタルさんに視線を向ける。ワタルさん自身も寒気、というか嫌な空気を感じ取ったようだ。肩を竦めておどけては見せるけど、表情に余裕は無かった。VIVID XXL


     そう、だよな。この肩の怪我、知ってるのはワタルさんと、負わせた先輩不良だけだもんな。てか、なんで知ってるんだよ。気味悪いな。 

     黙然と佇んでいたら、ワタルさんが「考えてもしょーがない」って声を掛けてくれた。何気ない言葉が心を軽くする。俺は苦笑いを浮かべて頷いた。そうだよな、考えてもしょーがないよな。


    「ま、とにかく、ケイちゃーん行こうか。病院に。生徒会長の言ったとおり、今日中がケイちゃーんのためだろうし。保険証ある?」


    「すみません。保険証は常に財布に入れてあります」


    「オーケー。んじゃ、レッツゴーん」




    「まさか、このままトンズラできると思ってンのか。テメェ等」




     カチンと俺とワタルさんは固まった。 

     ぎこちなく振り返れば、不機嫌そうに腕組みをしている舎兄と、呆れているハジメと、溜息をついている弥生。計三名が後ろに立っていた。そうでした、あなた方の存在をすっかり忘れていました。是非とも忘れていたかったです。

     「トンズラだなんてやっだなぁ」ワタルさんは俺を親指で指してきた。


    「ケイちゃーんを病院に連れて行こうとしてるんだって。生徒会長の助言もあるし、早くしないと閉まっちゃうでしょー? ねー? ケーイちゃーん」


     俺の顔を覗き込むワタルさんの目が訴えてる。話を合わせろって。俺はしどろもどろに頷いて誤魔化し笑い。


    「そ、そうですね。閉まっちゃったら明日になっちゃいますよね。それは困るなー、困っちゃうなー、おれー」


    「見せてみろ。怪我ってヤツ」


     仮病って思われてるのか、それとも今日行くべきかどうか判断したいのか。

     多分、後方だと思う。話を聞きたがってるし、大丈夫と思ったら明日にでも行けって言うんだろうな。不機嫌を含んだ声のままヨウが怪我の具合を見せてみろって言ってきた。見せてもいいけど、此処、廊下だぜ廊下。流石に廊下で上半身裸になるのなぁ。しかも生徒会室前。あんまりだよなぁ。下手すりゃ変態扱いされちまいそうだよなぁ。


     尻込みしていると、イケメン不良の眉がつり上がった。

     大丈夫なんじゃねえの、明日でもいいんじゃねえの、なんぞと視線で訴えられる。

     「おら早く」ヨウが苛立ちを込めて左肩を叩いた。肉が裂かれるような痛みが走り、場所問わず悲鳴を上げた。その場にしゃがんで身悶える。今のはない、まじで、ないんだけど。


    「よ、ヨウ。何しているの?!」


     血相を変える弥生に、「か。軽くだぞ」強く叩いたつもりはないとヨウも焦燥感を顔に滲ませる。

     そんなに酷いのか。肩の具合を見るために、舎兄が片膝をついてきた。「ちょいやばいかも」うめき声を上げつつ、シャツのボタンを上から三つ外して、ヨウに肩の具合を見てもらう。見え難いかもしれないけど、上半身裸になるよりかはマシだろ。

     さっきは色が黒っぽい紫だったけど、今はどうだろう。


    「……、なんだよこれ。ケイ、少し動かすぞ」


    「え? うごッー…イ゛ッ、イデデデデデっ! よ、ヨウ、たんまたんまたんまっ、うぁああツ!」


     おもむろにヨウが俺の左腕を掴んで、無理やり上にあげようとした。俺は廊下に悲鳴を喚き散らしながら左肩を押さえる。

     む、無理、ギブギブギブギブッ、痛いッ、ヨウ、痛いからー! 左肩が痛くて腕、あんま上がらないんだって! そうヨウに伝えたいんだけど、言葉にならない痛みに呻き声と悲鳴しか出ない。

     身悶えする俺を解放して、ヨウは眉間に皺を寄せたまま口を開いた。


    「こりゃひでぇな。骨に異常があっかもしれねぇ。俺はケイを連れて病院に行く。ハジメと弥生はワタルから事情を聞け」


    「ええぇええ?! 僕ちゃーんの役割取っちゃうの?! それはあんまりなすび。病院には僕ちゃーんが」


    「テメェは弥生とハジメにサボった理由を説明する義務があンだよ。俺はケイから事情を聞く。それで解決だろうが。どうせ病院に連れて行くだの何だの口実を作って逃げようと思ったんだろうがそうはいかねぇぞ。弥生、ハジメ、徹底的に事情を聞いて来い。ワタルを逃がすんじゃねえぞ」


     うっわぁ……、徹底的にって。

     ということは俺、徹底的にヨウに事情を説明しなきゃなんねぇのか? ハジメや弥生以上にヨウの相手は恐いっつーのに、俺、マンツーマンで舎兄に説明しなきゃいけないのかよ!


     ……オワタな、俺。 


     諦めに近い気持ちを抱きながら、シャツのボタンを留める。無事に帰れるかなぁ、俺。

     溜息をついてワタルさんに視線を送る。気付いたワタルさんは俺にウィンクしてきた。追い詰められいるワリには余裕の表情。もしかしてこの状況、楽しんでるんじゃないか?

     微苦笑を零して、俺はワタルさんに歩み寄ってこっそり耳打ち。「喧嘩。連れてってくれてありがとうございました」


     そしたらワタルさんは大笑いしてきた。

     ヨウ達が怪訝な顔を作るくらい、大笑いして俺にこう言ってくる。


    「ケイちゃーんって変な子だねぇ。あー可笑しいおかしい。ケイちゃーん変な子、変子、へんっこ~、じみっこ~」


     いつものウザ口調で俺をからかうワタルさんは、「変っ子地味っ子」って口ずさみながら軽く駆け出した。オレンジ色の長髪が走る風に靡いている。それが妙に印象的だった。目立つ色のせい、それも勿論あるんだろうけど、訳もなく目に焼き付いちまった。


     「ちょっとー!」弥生は走り出したワタルを追い駆け始めた。

     途中で捕まったワタルさんは「逃げたんじゃないってぇー」って言い訳してたけど、弥生に何度も容赦なく叩かれてる。呆れ笑いながらハジメが二人の背を追った。「逃がさないって」ワタルさんの背中を叩いているハジメの言葉に、ワタルさんはニヤニヤ笑うだけ。楽しんでるな、あの人。


     

     でも今のはワタルさんなりに、俺のお礼、受け止めてくれたって思っていいよな。夜狼神




    「んじゃ、俺等も行くか。ケイ。たっぷり話、聞かせてもらうぞ」


      そうでした。俺も、追い詰められている立場でした。

     「ごめん!」俺はヨウに向かって謝った。これは勝手な行動をした詫びじゃなくて、これからすることに対しての詫び。


    「あのさ、ちょっと寄って行きたいところがあるんだ。先に行っててもらえないか?」


    「先に、だと?」


     関節を鳴らして拳を作るヨウ。殺気を感じるのは俺の気のせいじゃない!


    「ッ……に、に、逃げない逃げない逃げねぇーから! ほんとほんとほんとに! あああっ、んじゃあついて来て下さい! 寄るところがあるんです! お願いします! お願い致します! ついて来て下さい!」


     俺の情けない声が廊下中に響き渡った。

     カッコ悪い……、そう思っても舎兄の怒りを買うよりかはマシだ! 俺は全身全霊を尽くして舎兄にお願いし倒した。


     




     美術室を覗き込むと部員らしき男女が数人、キャンバスに絵の具を塗りたくっていた。独特のニオイが何とも言えない。俺は好きになれそうになれないな。

     部員達が部活をしている中、ひとりだけ上の空になって窓の向こうの景色を見ている奴がいた。透だ。良かった、部活に来てた。

     俺は部員のひとりに声を掛けて、透を呼んでもらうように頼んだ。透は俺の登場に驚いていたみたいだけど、重たそうな腰を上げて、俺のもとに直ぐ来てくれた。俺と傍にいるヨウの姿に、透はどっか決まり悪そうな顔を作っている。


     そんな透を廊下に連れ出して、俺は取り戻した三冊のスケッチブックを差し出す。「え……、」目を見開く透に俺は肩を竦めた。ヨウは気遣ってくれてるのか、少し離れた場所で携帯を弄るフリして視界に入れないようにしてた。


    「拾ったから届けに来た。これ、お前のだろ? 大事なモンなんだろ? 中の絵、一枚だけ汚れてるけど他は無事だから」


    「拾ったって……でも、これ……これッ……」 


     上擦った声を出す透の手にスケッチブックを押し付ける。

     「拾ったんだ」繰り返しくりかえし伝えれば、透の目からボロッと涙が零れた。ブレザーで目元を擦るけど、涙が止まらないのか次から次に涙が落ちていく。「ありがと。ごめん」蚊の鳴くような声で礼と詫びを口にしてくる透は、俺に何か言いたいみたいだけど何を言えばいいのか分からないみたいだ。


     正直、何も言わなくていいって思ってるんだ。俺は。 

     だから笑ってやる。


    「泣くなって。これで解決しただろ? も、なーんも心配ねぇんだからな」 


     透と、少しだけ距離を感じた今日の出来事。

     それはスッゲェ寂しくて、スッゲェ違和感があって、スッゲェ虚しい気分になった。

     しょーがないよな、俺、不良とつるんでるんだ。一緒にいる時間が減ったなら、距離ができることだってあるし、ソイツの知らない面だって出てくるし、前まで無かった“疑われる”ことだってある。


     でも正直、疑われた時は腹も立ったよ。なんで疑うんだ。俺の性格知ってるだろ。ってさ。

     だけどやっぱ、お前といる時間、それなりに長かったんだ。これからもそれなりに付き合っていきたい。同じ地味仲間としてさ。

     そう思うのは俺の我が儘かもしんねぇけど、少なくとも俺、透から詫びとか礼とか、そういう言葉を口にして欲しくないんだ。聞きたくも無い。むず痒いっていうか、ハズイし、言わなくても分かってるから。


     だからな、透。お前が俺達にしてくれたことも、礼、言わなくていいかな。

     生徒会にチクれば先輩不良たちに何されるか、バカでも分かることを、恐怖が無かったわけじゃないだろうに、俺達のためにお前のしてくれた行動に、礼、言わなくていいかな。


     面向かって礼言うの、照れくさいし、お前だったら言わなくても分かってくれると思うから。


     「今日のことはおわりだ。な?」その言葉に、透は何度もなんども頷いた。

     明日からの俺との関係が不安だったのか(実を言えば俺もかなり不安だった)、それとも今日のことがよっぽど悔しかったのか(ボコされた気持ち、すっごく分かる。一方的に負けるって悔しいもんな)、廊下だってことも忘れて感情を吐き出し始める。俺は苦笑いを浮かべて背中を叩く。


     なあ、透。

     昼休み(さっき)は以心伝心できなかった俺等だけど、きっと今はできてるって信じてる。信じてるよ。だから礼も詫びもイラナイし、逆に俺も何も言わない。そう思ってもいいだろ、なぁ透。


       「―――…ワタルの野郎と勝手な行動しやがった上に、チャリ漕げねぇから俺に運転させた挙句、全治二、三週間の怪我。しかもテメェ、どういう了見だッ。財布に千円ちょいしかねぇって! ケイ、テメェは俺とタイマン張りてぇか!」


     整形外科の近くにある、子供ひとっこひとりいない寂れた公園。俺はアスレチック遊具(揺れる橋とか滑り台とか一緒になってるヤツな!)の上で、ヨウに怒鳴られていた。

     胸倉を掴んできそうな手を避けながら、俺は必死こいてヨウに頭を下げる。頂点3000


    「ご、ご、ごめんって! 普段から金、千円しか入れてないことスッカリ忘れててさ。いやぁ、助かった。悪いヨウ。ちゃんと返すから」


    「ッたりめぇだ! 返さなかったらぶッコロスぞ!」


    「ギャアアア! 返すッ、返します! ほんと助かりました兄貴!」 


     怒鳴り散らすヨウに何度もなんども頭を下げる。生きてきた人生の中で1番頭を下げたんじゃないかってほど頭を下げた。


     俺、田山圭太は今日ほど舎兄の怒りを買ったことはありません。

     何故ならば、怒らせた理由、


     その1:俺とワタルさんの独断で勝手な喧嘩に出た。(非常に申し訳ないことをしたと思うけど、でも後悔はしていません! …うそ! 今になって薄っすら後悔!)


     その2:生徒会から呼び出しを喰らい散々生徒会長に嫌味を垂れられた。(だけど、約束を守ったにしろ嫌味は言われたと思うんだ!)


     その3:左肩を負傷したせいでチャリが漕げず、舎兄にチャリを運転してもらった。(俺、ちゃんと『チャリ押して歩くから大丈夫』って遠慮したんだぜ! だけどヨウが『病院閉まるだろうが』って文句言ったから仕方がなく…、これって怒られ損じゃね?)


     その4:左肩の怪我が全治二~三週間、下手すりゃ1ヵ月掛かるかもしれないって医者に言われた。(これは心配してくれている故に怒ってくれてるんだと思う。たぶん)




     ファイナル:財布に千円ちょっとしかなく、舎兄に出してもらった。(ちーん)


     

     以上、5つの理由を持ちまして俺、田山圭太は舎兄を盛大に怒らせました。やっちまな、圭太! お前ならいつかやっちまうと思ってた!

     とか思ってる場合じゃなく、なんでこう……怒らせちまうんだよ。地元で名を上げております、かの有名な恐ろしい不良さまを。俺、舎弟じゃなかったらヨウにフルボッコされてたような気がする。そんな気がする。


     身震いしながら、俺はこれでもかってくらいヨウに謝った。

     だけど不機嫌そうに鼻を鳴らして、「聞き飽きた」詫びを突っ返される。こりゃ相当、ヨウのご機嫌取りしないと俺の命、危ういぞ。俺は右手を出して(左は上がらないんだ)、謝る代わりにお詫びとして俺のできることを提案する。 


    「今度、ヨウの好きなモノ奢るから。一日、お前の好きなことに付き合ったりもするから。機嫌直してくれって。あ、そうだ。俺、今からコーラでも買って来てやるよ! そんくらいなら奢れるぜ! んじゃ、いってきまッ、イテテテテ!」


    「なーに逃げようとしてんだ、ケイ? 舎弟テメェは舎兄の俺に、まず、何をしねぇとイケねぇんだあ゛ーん?」


     何をしないとイケない、そのナニは分かっています! 分かっていますけど、まず耳っ! 耳が千切れますっ、千切れちゃいますからヨウさん! 手を放してくれー!


     ギリギリ右耳を抓まんで引っ張ってくるヨウの手の強さに喚いて、放してくれるよう何度も頼み込む。

     やっと解放してくれた時には耳がヒリヒリ痛んでいた。このヒリヒリ感が地味に痛い。地味な俺が言うのもなんだけど地味に痛い。右耳を擦りながら俺は刺す視線に耐えていた。ヨウの目が訴えてる。早く説明しろって。


     説明も何も、あれだもんな。無意味な喧嘩をしてきたんだもんな、俺。本当のことを最初っから最後まで報告しても、今さらだよな。

     だから簡単に説明することにした。


    「とある先輩不良たちのせいで、友達との仲が危機になった。カッチーンきた俺は弱いくせに喧嘩を売りに出かけた。偶然俺達のやり取り現場を目撃したワタルさんは面白半分に喧嘩に参戦。そんなとこデス、兄貴」


     嘘は言ってない、全部ほんとうのことだ。すべてのことを話してないだけで。


     「さっき美術室に寄っただろ? あいつと不仲になりそうになった」ヨウに視線をやれば、淡々とした説明にまったく納得していないヨウがそこにはいた。立てた膝に肘ついてヨウは軽く溜息。「そんだけじゃねえクセに」図星を突いてきた。 

     なんで鋭いんだよ、いつもは俺の心情を全然察してくれない疎い奴なのに! そんなに鋭かったら俺が舎弟になりたくないって気持ち、察してくれてたんじゃねえの?!


     けどヨウは諦めたのか、俺にこう問い掛けてきた。精力剤


    「どーせ収穫の無い喧嘩だったんだろ?」


    「ん、収穫の無い喧嘩だったー……へ?」


    「やっぱテメェ等、ヤマト達に関係する喧嘩してきやがったな。収穫の無い喧嘩は報告しねぇ、ワタルの考えそうなことだしな」


    「え゛?」


    「あー、何となく今回の経緯が見えてきた気がするぜ。そういうことか」


     

     や っ ち ま っ た !


     まさかあのヨウに、こんな頭脳プレイ(?)で白状させられるとは。田山圭太、油断していたぜ! ……じゃなくて、やっちまったよ。俺のお馬鹿。今さら誤魔化したって後の祭りだろ、これ。

     額に手を当てる俺に、してやったりとばかりにヨウが口角をつり上げてきた。


    「残念だったなケイ。俺の勝ちだ。全部白状しちまえ」


    「説明も何も、さっきの説明とお前の言葉ですべて白状したつもりなんだけど」


    「だったらあの生徒会長との意味ありげな会話は何だ?」


    「あれはー……」




    『“おサボリ”お疲れさま。怪我の治療は早めに。特に田山くん、左肩、お大事に。今日中に病院に診せた方が君のためだ』




     会長の言葉が脳裏に過ぎる。

     俺は身震いをした。忘れていた悪寒が今になって戻ってくる。なんでアノ人、俺が怪我したって知ってるんだ。俺達の喧嘩、始終見ていたわけじゃあるまいし。

     自然と左肩に手が伸びた。ゆっくり怪我した箇所を擦りながら思案に耽る。アノ人は何者なんだろう。味方じゃないのは確かなんだけどな。


    「あいつ、疑いがありそうか?」


     口を閉ざした俺に対して、ヨウは物静かに質問をぶつけてきた。ヨウも疑ってるんだろうな。須垣先輩が日賀野達と何か関係してるんじゃないかって。

     俺は首を左右に振った。「俺もよく分かんね」


    「ただ……、会長は俺が怪我負ったことを知っていた。この怪我はワタルさんと、喧嘩した不良先輩しか知らないのに」


    「見ていた、わけ、ねぇな。誰かに監視させてたか、それとも情報を伝達してもらったか。なんにせよ、あいつは危険視しとかなきゃイケねぇってことか」


     ヨウは立ち上がってアスレチック遊具の低めの柵に腰掛けた。ポケットに手を突っ込んで思案するヨウの顔は険しい。

     ふわっと吹く風にメッシュの入った髪を靡かせて、「こっちも仕掛けてみっか」不意に物騒なことを口にしてきた。突然の言葉に俺は目を瞠る。ここでまさか、そんな言葉が出るなんて思わないじゃないか。


    「仕掛けるって日賀野達に、喧嘩を?」


    「喧嘩っつーよりも宣戦布告。あいつ等の“ちょっかい”にヤラれっぱなしなんざ、俺の気が済まねぇ。向こうがナニ企んでるか知らねぇが、このまま“ちょっかい”出されっぱなしなんざ真っ平ごめんだ」


     惨めに敗北を味わうくらいなら、こっちから仕掛ける。あいつ等にヤラれっぱなしなんて我慢なら無い。ヨウの言葉は決意の塊だった。

     これはやる気だな。ヨウ、日賀野達に喧嘩売っちまうな。ってことは、俺はまた日賀野に会うかもしれないわけで。下手すりゃ一戦、いやそれ以上、日賀野やその仲間達とぶつかるわけで。恐い思い……するわけで。


     だけど俺がどうこう言ってもヨウはやる気、止めたって無駄だと思う。付き合いの短い俺が止めても、付き合いの長いワタルさん達が止めても、無駄だって思う。

     付き合い短い方だけど、お前がそういう奴だってこと、俺、知っている。だから俺は苦労するんだよな。荒川庸一の舎弟ってのも楽じゃない。


     「まずは相手を探るのも手じゃないか」苦笑いを浮かべながら、俺はヨウに助言した。 


    「なーんも知らないまま、真っ向から突っ込んでもダメだって俺は思うんだ。痛い目見るかもしれないし、勝ったとしてもこっちも痛手を負うかもしれない。だったら、向こうの様子を探ってみるってのも手だって思う。相手を知って、真っ向から突っ込む・突っ込まないじゃ大違いだと思わないか?」


    「ケイ……まさかテメェがそんなこと言うなんて。てっきり止めてくると思ったけどな」


     俺がヨウの性格を知り始めたように、ヨウも俺の性格を知り始めている。

     まったくもってそのとおりだよ。本当は止めたい。やりたくもない。喧嘩なんて。しかも相手は、俺をフルボッコにした日賀野大和含む不良グループ。喧嘩なんて、絶対したくないさ! 舎弟だって、いまだに白紙にしたいって思ってるさ! 平凡な生活が戻って来て欲しいって片隅で願ってるさ!媚薬 

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    2013年04月09日

    教える人と教わる人

    朝からがちがちに緊張していた。

    武者震いを通り越して、もう既に膝が笑っている。頭は妙に冴えていて、これから起こり得るさまざまな事態について、ともすればネガティブな方向への想像を巡らせてしまう。動悸が激しく、呼吸さえ苦しかった。男宝

    九月も半ばで、ようやく暑さも和らいできた頃。なのにやけに汗をかいている。それも手のひらにだけ。


     出勤してすぐ、営業課で顔を合わせた石田主任に聞かれた。

    「小坂、お前大丈夫か」

    「だっ、大丈夫です!」

    すぐに威勢よく答えたものの、その声さえ不格好に上擦っている。きっと内心が顔に出ているんだろう。平然としていられない自分が情けない。

    主任は私の反応を見るなり、きゅっと眉を顰めた。

    「緊張してますって顔に書いてある感じだ」

    「もしかしたらそうかもしれません」

    「しかもあんまり寝てないんじゃないか?」

    「あんまりと言いますか、あの、実はほとんど……」

    昨日の夜はまるで眠れなかった。明け方にどうにかうとうと出来たくらい。それまでは緊張のあまり目が冴えてしまって、ちょっとした運動並みに寝返りを繰り返したりもした。一晩でかなりカロリーを消費したような気がする。疲れた。

    「ああ、失敗したな」

    主任が溜息をつく。少し悔やんでいるような顔で続けた。

    「昨日言うか今日言うか、実はちょっと迷ったんだよな。今朝抜き打ちでってのも考えたんだが、小坂にも心の準備が必要かとも思ってな」

    気を配ってくださったことはとてもうれしい。私は感謝を込めて、声を張り上げる。

    「お蔭様で、心の準備だけは現在も継続中です!」

    「まだ準備中かよ」

    すかさず突っ込まれたけど、実際その通り。この心の準備は永遠に終わらないような気がする――現実にタイムリミットが来ない限り。

    そしてタイムリミットが来ないはずもない。もうじき始業時間だ。朝礼が終わればいよいよ、私にとっての初陣がやってくる。

    「かえって緊張させただけだったか? もしかして」

    苦笑いの主任が首を捻って、

    「やっぱ抜き打ちで言ってやった方がよかったかな」

    何だか済まなそうにしている。

    私としては、不意打ちみたいに言われるよりは前もって言ってくださった方がありがたいだろうなと思う。今朝いきなり宣告されていたら、緊張度合いもこんなものでは済まなかったはず。だから昨日のうちに言っていただけてよかった、と思いたい。

    「でもお蔭で、心の準備以外にもいろいろ準備が出来ました」

    背筋を伸ばし、私は石田主任に告げる。

    「寝つけなかった時間を利用して、ビジネスのマナーについての本を再読したんです。ですから今日は、粗相のないように頑張ります!」

    それで主任が何とも言えない表情になった。不安の中でも笑いを堪えようとしているみたいな、微妙に引き攣った顔。

    「何だか俺の方が緊張してきた」

    「え、そんな、主任にまで緊張していただくようなことは!」

    「するだろ普通に。目の前でそこまでがちがちになられたらな」

    そう言って肩を竦める主任は、やっぱりとても優しい方だ。

    だから今回も、前もって私に教えてくださったんだろう。


     昨日の夜、終業後に石田主任に呼び止められ、その場で私は告げられた。

    翌日――つまり今日から、一人で営業先回りをするように、と。

    九月の半ば。入社してから半年になろうかという頃で、時期的にもそろそろ、一人前にならなくてはいけない頃合だ。しばらくは得意先を回って顔を覚えてもらうことから始め、そこから徐々に新規の注文を貰ってきたり、新規の営業先を開拓出来るようになるのが今後の目標。面通しだけなら以前、主任と一緒にあちらこちらを回ってきたので、今日は改めてのご挨拶とご機嫌伺いがメインの巡回になる。

    それでも当然、緊張はする。一人で他社の方と接するのだから、もし失礼なふるまいがあれば、それはそのまま我が社の印象へと直結してしまう。私一人のミスが顧客を失ったり、我が社の信用を傷つけたりするようではいけない。責任は重大だった。

    だから昨夜、帰宅後にみっちりとビジネスマナーを頭に叩き込んだ。敬語の使い方から他社を訪ねていく場合の礼儀作法などなど、これ以上は入らないくらいに繰り返し繰り返して読んだ。寝不足の頭は既にぱんぱんで、まともに回転するかどうかさえ怪しい。それでなくとも日頃からトルク低めの頭なのに。

    でも、失敗は出来ない。初日からミスって主任や皆にご迷惑をお掛けするのは絶対に嫌だった。今日まで散々お世話になった恩返しとしても、ルーキーとしての一年間をきちんと終える為にも。今日の初陣はしっかりやり遂げてみせる!


     タイムリミットがやがて訪れた。

    いつもより短く感じた朝礼の後、いざ出発という時に、霧島さんにも声を掛けていただいた。

    「頑張ってくださいね、小坂さん」

    「は、はいっ! 頑張ります!」

    ドアの前、直立不動で答えると、気遣わしげな笑い方をされる。

    「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。新人さんの挨拶回りに手厳しく当たる人なんてそうそういませんから」

    それはこの営業課でも、社内でも同じことだった。皆、新人にはすごく優しい。もちろん甘いばかりではなくて、たるんでいればすかさず注意もされるけど、ルーキーの特権は確かにあるんだなと日々思っている。

    私だっていつまでもルーキーでいられる訳じゃない。皆の優しさに甘えてばかりもいられない。そう考えると、やっぱりどうしても緊張してしまう訳だけど。プレッシャーだってあった。来年の三月までに、私はどうしても立派な一人前の社会人になっていたかった。

    「いざとなったら『女は愛嬌』だ」

    とは、石田主任のお言葉。

    「にっちもさっちもいかなくなったら、とりあえず笑って乗り切れ。お前なら何とかなる」

    そうなんだろうか。膠着した状況でへらへらしていたら、かえって信用を損なうんじゃなったりしないかな。笑い方にもよるのかな。主任のお言葉だし、もしかすると本当に何とかなるのかもしれない――笑顔大作戦は、営業でも果たして通用するだろうか。今日はそれの見極め時でもある。

    私はあれこれ考えた後で、深く頷いた。

    「お言葉、心に留めておきます!」

    にっちもさっちもいかなくなったら、笑おう。なるべく真面目に。

    「……と言いつつ、もう既に顔が笑ってないんだよな」

    苦笑する主任が私に近づいてきて、目の前に立つ。

    「ほら、笑えって」

    いきなり頬っぺたをつつかれた。男根増長素

    「わあっ」

    とっさに声が出た。

    無理無理絶対無理。そんなことされると余計に笑えません。今、心拍数の桁が飛んだ。面積にしてほんの一平方センチメートル前後の接触にも思い切り動揺した。それでも、主任の人差し指温かいな……なんて一瞬の感覚を反芻する余裕はあったりする。勤務中だって言うのに!

    大体、主任だって私の気持ちをもうご存知なのに、ものすごく気安く接してくるからうろたえたくもなる。そもそも石田主任が私に対してフランクにふるまってくださるのは以前からのこと。つまるところ、主任の態度は何一つ変化がなかった。私の気持ちを知っていようと、私が将来的に告白します、と予告をしていようと。

    これも大人の余裕って奴なのかもしれない。私も、大人になりたい。

    意識まで吹っ飛びかけた私を、霧島さんの言葉がぐいと引き戻した。

    「何だか先輩の方が緊張してません?」

    「してるよ。当然だ」

    主任が即答すれば、霧島さんは眼鏡の端から主任を見る。少し笑った。

    「俺の時もそうでしたよね。初めての営業に出た日は、先輩の方がそわそわしてましたっけ」

    「しょうがないだろ。お前にも小坂にも、営業についてのあれこれを教えてやったのは俺だし。何かあったら俺の責任だ。そりゃ気にもなる」

    本当に気が気じゃない様子で答える主任。そのお言葉を聞いたら余計に失敗なんて出来ない。姿勢を正す私に、主任が視線を向けてくる。

    「そういう訳だから小坂、途中で一回は連絡寄越せよ。昼飯食う時でいいから」

    「了解です!」

    もう一度頷き、それから私は営業課の皆に向けて、まず挨拶をした。

    「それでは、行って来ます!」

    緊張を逃がす為だけに深い息をつき、ドアを開けて廊下へ出る。

    向かう先は駐車場だ。営業先へは社用車で行く。以前、主任に誉めていただいた運転の腕を、今日は慎重に発揮していこうと思う。そしてもちろん、営業先では笑顔と愛嬌を忘れずに。あとビジネスのマナーも忘れずに。当然だけど営業先への最短ルートも記憶の中から掘り出さなくてはならない。それと、途中で一度は主任に連絡を入れること。

    覚えておくべき内容の多さに、歩きながらちょっと眩暈がした。


    オレンジの光が灯る、薄暗い地下駐車場へ辿り着く。響く自分の足音にすらどきどきしながら、宛がわれた社用車に乗り込む。ここまでで既に疲労困憊。溜息が出た。

    途轍もなく緊張する。

    ついた息さえビブラート並みに震えてしまう。

    でも、ためらっている暇はない。胸を張って行かなくちゃ。初日からびびってたんじゃしょうがない。いざ初陣。


     シートベルトを締めようとした直後、こつこつと窓を叩かれた。

    「ひいっ」

    声を上げてから外を見る。――あ、主任。運転席のすぐ横に、こちらを覗き込んでいる主任の姿があった。

    慌てて窓を開ければ、主任は屈むような姿勢で目線を合わせてくる。浮かべている苦笑いが、駐車場の薄暗さのせいか陰って見えた。

    「まだ顔が硬いな。いざって時には笑えるか?」

    そう問われて、私はぎくしゃく顎を引く。

    「はい」

    多分、大丈夫。頑張る。

    それからふと気になって、窓の外へと尋ねた。

    「あの、主任。どうしてこちらへ……?」

    まさか、忘れ物でもしたんだろうかとひやり。だけど主任は苦笑のままで短く言った。

    「見送りだ」

    「え」

    どきっとする。

    「様子を見に来た。だから言ってるだろ、心配してるって」

    ごく当たり前のような口調で、軽く主任が言った。

    その軽さとは対照的に、私は声も出せなくなる。

    こういう風にされると、すごく、複雑な気持ちになる。優しさをうれしく思う反面、自分の底の浅さを改めて思い知ったりする。

    ほんの数日前、飲み会の後で交わした約束が記憶の中によみがえる。あれからまだほんの少ししか経っていなくて、でも職場でお会いしても、主任があの晩の話を口にしたことはなかった。きっと私のことを思って、そういう接し方をしてくださっているんだろう。私がちゃんと仕事に集中出来るように。

    だから私も勤務中は、なるべく考えないようにと思っていた。なのにふとした時、頭の中に詰め込んだ知識を押し退けて現れてしまう。ちょうど今、主任の優しさにどぎまぎし始めているみたいに。仕事のことでいっぱいで、もう何も入らないような頭でも、主任のことは考えられてしまう。怖いくらいだった。

    動揺する私をよそに、主任はスーツの内ポケットから何かを取り出した。開いた車の窓越しに、それを手渡してくる。

    「持ってけ。お守り代わりに」

    「は、はい。えっと、これ……何ですか?」

    いただいたのは、いわゆるポチ袋だった。お正月にお年玉を入れるようなあの小さな袋。暗いから色合いまではよくわからないけど、ポピュラーな白い犬の絵が書いてあるのはわかった。

    「中身は秘密。言っとくが現金じゃない」

    薄い紙の袋の中、引っ繰り返してみてもわからない。主任の言う通り、入っているのはお金ではないようけど――何だろう? 厚紙みたいな平たいもの。

    「まだ開けるなよ。中身を見るのは今日の仕事が終わってからだ」

    主任は言って、少し楽しそうな顔をした。

    「じゃないと小坂の場合、仕事が手につかなくなりそうだからな」

    仕事が手につかなくなるほどのもの……? そう言われるとかえって気になってしまう。本当に何なんだろう。

    「ありがとうございます。帰りに開けてみます」

    ものすごく気になったけど、私は素直にお礼を言って、ポチ袋を鞄にしまった。それから改めてシートベルトを締める。

    「気をつけてな、小坂」

    主任が数歩、後ろへ下がる。

    「はい!」

    私も会釈をしてから、運転席の窓を閉めた。エンジンを掛け、呼吸を整え、ハンドルを握る。

    出発だ。

    駐車場を出る寸前、バックミラーに小さく主任の姿が映り込んだ。距離があるし、薄暗いところだから表情なんてわからない。でもじっとこちらを見てくれているのははっきりとわかった。


     ――頑張ろう。こうして見送りに来てくださった、主任のお気持ちに報いる為にも。

    絶対に失敗なんて出来ない。




    営業に出てみた、初めの日のうちにわかったことがある。

    ルーキーの特権は社外でも通用するみたいだ。

    とにかく、他社の皆さんの優しさにはびっくりしてしまった。今日が一人での営業デビュー日なんですと打ち明ければ、大変だねえと労ってくださったり、頑張れよと励ましてくださったり。行く先々で温かいお言葉を賜り、こちらが恐縮してしまったほどだ。

    昨日、眠れぬ夜に叩き込んだビジネスのマナーも大分役立ったような気がする。着席のタイミングや挨拶の順番、名刺を渡す時の姿勢や名乗り方などなど、完璧とは行かないまでもそこそこ上手く出来たように思う。もっとも、私がマナー本に忠実なふるまいをすると、それを見た他社の方には笑われてしまうことも多々あった。もしかすると何か恥ずかしいことをしていたのかもしれないけど、自分ではよくわからない。家に帰ったらもう一度、マナーについてのおさらいをしようと思う。V26Ⅳ美白美肌速効

    もちろんご挨拶のみならず、営業の人間として業務もいくつかすることとなった。以前の契約についての確認や発注状況の問い合わせ。携帯電話を駆使して確認を取り、得意先に情報を提供する。慣れない業務でとっさに言葉が出てこなかったり、説明一つとっても結構噛み噛みだったり、未だ緊張したままの説明になってしまったり、あまりいいところがなかった。それでもどうにか納得していただけたようだ。帰り際には労いや励ましの言葉までいただいて、ご親切が申し訳ないくらいだった。

    絶対に失敗なんか出来ない。今日お会いした他社の皆さんにも、ご迷惑は掛けたくないもの。

    そんなこんなで暗中模索、無我夢中で営業先回りをこなしているうち――ふと気付けば午後一時を過ぎていた。


     緊張のせいか、空腹よりも軽い胃の痛みを先に覚えた。

    移動中の社用車内、カーオーディオ上部のデジタル時計を確かめる。一時過ぎだと気付いて驚かされた。

    お昼ご飯、どうしよう。午後も何件か回るところがあるので、外で済ませた方がいいのかもしれない。このまま帰社しても社員食堂の営業時間には間に合わないだろうし。あまり食欲はないから、軽いものだけ食べておこうかな。

    ハンドルを握る傍ら、助手席の方へふと目をやる。今は鞄だけが置かれているその席に、石田主任がいてくださったことが何度もあった。その存在がどれだけ心強かったか、今更のように思い知る。

    外回りに連れて行ってもらう際、主任はお昼ご飯を食べる時間にも気を配ってくれた。朝のうちにその日回るコースを確かめて、いつどこでご飯を食べるかをおおよそ決めておくのだそうだ。計画性も気配りも、一人前の社会人ならなくてはならないものだろう。私は今の今までお昼ご飯のことを忘れていたほどだから、時間的余裕のなさは火を見るより明らかだった。明日以降はその辺りもちゃんと考えるようにしよう。

    ああそれと、連絡もしていなかった。主任に、お昼ご飯の時にでも一度連絡をするようにと言い渡されていたはずだ。今朝は緊張ぶりをお見せして、主任にまでそわそわとご心配をお掛けしてしまった。報告も兼ねて連絡を入れておかなければ悪いと思う。


     昼食の調達と電話連絡の為、私はコンビニの駐車場に車を入れる。エンジンを切り、シートベルトを外してから、助手席の鞄に手を伸ばす。社用の携帯電話を探す。そこから石田主任へ連絡をするつもりで――。

    「……あれ?」

    鞄のサイドポケットに、携帯が入っていない。

    手を突っ込んでも何も触れず、空っぽだった。

    おかしいな。携帯はいつもここに入れるようにしているのに。緊張のせいでついうっかり、いつもと違う場所にしまい込んだんだろうか。そう思って鞄を開けてみる。書類の隙間やファイルの中にざっと目を走らせる。

    だけど、ない。

    ないはずがないのに、ない。

    背筋がぞくっとして、私は大慌てで鞄の中を漁った。それでも携帯電話は、あのメタリックブルーの表面塗装は見つけられなかった。スーツのポケットも一通り手を突っ込んだ。お尻の下に敷いてやしないかと、腰を浮かせて運転席も確かめた。まさかと思いつつダッシュボードも開けてみた。最後には鞄の中身を引っ繰り返して、一つ一つ片付けながら携帯電話を捜した。

    でも、なかった。

    影も形も見当たらなかった。

    「嘘」

    思わず独り言が零れる。

    電話をなくしたなんて大事だ。あの中にはお得意先の電話番号も、営業課内の社用電話の番号も一通り入っている。あれがないと仕事が出来ないし、主任と連絡の取りようもない。

    慌てた。鞄をもう一度開けて、今度はより念入りに検分した。だけど見つからない。携帯電話は出てこない。

    運転席と助手席をずらして、その下も探した。使ってもいない後部座席まで捜した。車体の下まで覗いてみたけどやはりない。狼狽しながら再び開いた運転席の足元、主任からいただいたお守り代わりのポチ袋を見つけた。それを拾ってスーツのポケットにしまい、とりあえず呼吸を整える。

    最後に電話を使ったのはどこだっただろう。――気が逸っているせいか、なかなか思い当たらない。さっきの営業先で使ったようにも思うし、その前に回ったところで使ったのが最後だったようにも思う。問い合わせてみたらご迷惑が掛かるだろうか。どうしよう。

    ――電話を掛けて、鳴らしてみるのもいいかもしれない。

    そうだ、そうしよう。その為にまず、公衆電話を探さなくては。

    運転席に座り直し、大急ぎでシートベルトを締める。そして慌しく車を発進させた。


    公衆電話探しは思いのほか難航した。

    昔はどこにでもあったはずの電話ボックスが、今はなかなか見当たらなかった。大きな通りをしばらく流しても発見出来ず、気持ちばかりがじりじりと焦り始める。電話がないって、不便どころの話じゃない。働く上では必要不可欠な、重大な文明の利器となってしまっている。

    それなのに電話を失くしてしまった私は、まるで救いようがない。


     車通りの少ない、寂れた団地地帯の一角で、ようやく公衆電話とめぐり会えた。撤去し忘れられたみたいに古びた電話ボックスへ、軋むドアを力任せに開いて、飛び込む。九月の陽射しを一身に浴びているせいか、中はむっとする熱気が充満していた。

    もたつく指先で硬貨を投入し、携帯電話の番号を打つ。繋がるまでの無音状態がやたら長く感じられる。やがてぷつっと音がして、コールが始まる。一回、二回、三回――社用の携帯電話は、八回目のコールで留守電サービスへ繋がるように設定されていた。

    『留守番電話サービスに接続します』

    無機質な声で告げられ、一旦受話器を置く。もう一度。

    硬貨を入れる。番号を打つ。繋がるまで待つ。やがてぷつっと音がして、コール音が聞こえてくる。一回、二回、三回……――八回目。

    『留守番電話サービスに接続します』

    「……ふう」

    熱っぽい溜息をつきながら受話器を置いた。どうやら私の電話は、誰かが代わりに出てくれるような環境にはないらしい。誰も気付けないようなところにあるのかもしれない。となると、一体どこだろう。紛失したなら回線を止めてもらう必要だってあるし、でもそうなると電話を掛けて捜す手段が取れなくなる。もう少し当たってからにしなくては。

    今まで回ってきた営業先を一件一件確かめるしかないだろうか。でも、あるとは限らない。外で落としたかもしれない。むしろ問い合わせた先になかったらご迷惑をにもなる。ただでさえ営業時間中に話を聞いていただいてるのに、これ以上の手間を取らせるのはよくない。せめて、どこで最後に使ったか思い出せたら。

    焦っているせいか、トルク低めの頭はいつも以上に回転しなかった。次に何をすべきか、それすら思い浮かばない。どうにか考えをまとめようとしても、路肩に停めた社用車のハザードランプにさえ掻き乱される。考えなくちゃいけないのに。胃がきりきりしてくる。

    もう一回、携帯に掛けてみよう。それで駄目なら営業先に電話で確認をするより仕方ない。そう思い、私はスーツのポケットに手を突っ込む。お財布から硬貨を取り出す為に。

    と、その時。

    指先に硬い、紙の角が刺さった。

    主任からいただいたポチ袋だ。中身はまだ知らない。知らないけど、それよりもむしろ――主任の顔を思い浮かべた時に、気がついた。V26Ⅲ速效ダイエット

    あの携帯電話には社名が書いてある。社名と所属の営業課の備品であることが、テープの上に印字されていた。もし、私の電話を見つけてくれた人が、その名前に気付いて、会社の方に連絡をしてくれていたら。

    希望的観測にも程があるのかもしれない。でもそうだったらいい、と思って、私は電話ボックスを飛び出した。一旦車へと戻り、鞄から手帳を引き抜く。再び電話ボックスへと駆け込んで、手帳から電話番号を拾い、電話を掛けた。

    営業課オフィスへ。


     直通の番号へはすぐに繋がった。

    電話に出たのは石田主任の声で、私は安堵よりも強く申し訳なさを覚える。

    「あの、主任! 私、小坂です」

    『……小坂か? ようやっと連絡寄越しやがったな』

    溜息交じりの声が苛立っているのがわかった。まさか、と思った瞬間に告げられた。

    『お前、今どこから掛けてる』

    「公衆電話です、あの実は私――」

    『さっき連絡があったぞ。お前が携帯忘れてったって、取引先からな』

    息を呑んだ拍子、ひゅう、と渇いた喉が鳴る。

    電話、あったんだ。紛失した訳じゃなかったんだ。ちゃんと見つけてくれた人がいた。そう思ったら、たちまち膝から力が抜けた。座り込みそうになって、電話ボックスのガラスに寄りかかった。

    「よかった……」

    思わず呟けば、すかさず主任が呻くような声を立てる。

    『よくない。あんな大事なものを忘れてくるなんて、何してるんだ』

    低く、鋭い言葉だった。

    『たまたまよその会社に置いてきたからまだましだったものの、これが外に落としてたらえらいことになってたぞ。いくら初日で緊張してたからって、不注意にも程がある。しっかりしろ、小坂』

    そして至極もっともなお言葉でもあった。私は慌てて背筋を伸ばす。

    「すみません、今すぐ引き取りに伺ってきます」

    『当たり前だ』

    怒りの色がありありとうかがえる口調で、主任は続ける。

    『行ったらきっちり頭下げて来い。先方だって就業時間中なのに、お前の忘れてった電話の面倒まで見てくれてるんだからな』

    全くもってその通りだ。

    どこもお仕事中で、出向いていった営業の話を聞いてくれるだけでもそもそもありがたいって言うのに、その上忘れ物をしてご迷惑までお掛けしているのは、とんでもない失態だと思う。すごく情けない気持ちになり、私は項垂れた。

    「本当にすみません、主任」

    すぐに、主任には言われた。

    『俺に謝ってどうする』

    「……はい」

    それも、もっともだった。でも主任にだってご迷惑もお掛けしているし、お仕事中に面倒なことを引き起こしてしまったのも事実だ。こう考えると私の罪は重い。非常に重い。

    電話越しに、また溜息が聞こえる。

    『こっちも言いたいことは山ほどあるけどな、とりあえず電話を引き取って来い』

    「はい」

    『詫びも忘れるなよ。お仕事中にご迷惑をお掛けしましたってちゃんと言えよ』

    「はい」

    『得意先に手間取らせるなんて、営業の人間として一番やっちゃいけないことだ。それ念頭に置いてしっかり謝れ』

    「はい」

    情けない。

    私は落ち込みたくなる気持ちをどうにか追いやり、主任から遺失物拾得先の詳細を聞いた。そして挨拶もそこそこに公衆電話の受話器を置く。

    行かなきゃ。行って、ちゃんとお詫びしなくちゃいけない。


     一度行った営業先へと舞い戻る。

    先方は私の顔を覚えていてくださったらしく、受付ですぐに話が通じた。所属先が印字された社用の携帯電話は、ようやく私の手元へ戻ってきた。震える手で受け取る。間違いなく、私の電話だった。

    やはりほっとするよりも強く、申し訳なさと後悔とを覚えた。

    「お忙しい中、本当に申し訳ありません。ありがとうございます」

    お礼とお詫びを告げて頭を下げると、先だって話を聞いていただいた担当の方に、愉快そうに笑われてしまった

    「いやあ、うちにもいろんな営業さんが来るし、名刺やらカタログやらを置いてってくれるけどね。携帯電話を置いてってくれたのは小坂さんくらいのものだよ。お蔭ですっかり名前も覚えてしまった」

    「あの、ご迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんでした」

    何度下げても下げたりないような気がして、私は謝罪を繰り返す。初日からお詫びの為に現れるルーキーなんて、きっと私くらいのものだろう。あまりにも情けない。

    「そんなに謝らなくてもいいよ」

    とは言っていただいたものの、謝らない訳にもいかなかった。石田主任のお言葉通り、多大なご迷惑をお掛けしたのは事実。

    「さっきそちらの会社に電話した時、主任さんからも謝っていただいたんだよ」

    私の電話を預かっていてくださった方は、そういう風に笑っておっしゃった。

    ぎくりとしていれば、更に続けて、

    「こっちが恐縮するくらいに謝っていただいてね、だからお詫びならもう十分。迷惑なんて掛かってないから気にしなくていいよ、小坂さん」

    ――主任。

    空腹の胃に、穴の開くような熱さを覚えた。


     石田主任はそういう方だと思う。

    何かあったら俺の責任だ、今朝、私の前でもそう言っていた。だから本当に責任を感じて、私の代わりに謝ってくれたんだ。今朝はずっと私の心配もしてくれて、とても気に掛けてくれて、出発前にはわざわざ駐車場まで見送りに来てくれたのに。

    私は、主任のそのお気持ちさえ裏切ってしまった。V26即効ダイエット

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    2013年04月11日

    軌道

    生ぬるい風が、暗幕を揺らす。

     窓の外からいつになく賑やかなざわめきが響いてくる。中庭を挟んだ南校舎の向こう、グラウンドに設置された舞台を発信源に、何かの曲とマイクを通した喋り声。時折混じるハウリング音がご愛嬌だ。levitra

     

     待ちに待った、楢坂祭。

     生徒達は夏休み前からその準備にかかる。校内の飾りつけ、模擬店、体育館や野外舞台での出し物、クラブや授業の作品及び研究発表。準備しなければならないものは山積している。一年生と二年生を中心に、彼らは夏休み中は勿論、祭りの一週間前ともなると連日夜の八時まで学校に残って、その支度に没頭していた。

     

     祭りそのものよりも、準備の方が楽しいというのは、どういう事なんだろう。

     展示の関係で、化学室はその開口部を全て暗幕で覆われている。季節感を狂わせる、冷たい蛍光灯の光の下、去年や一昨年を思い返して志紀は口元を綻ばせた。

     化学部は、現部長を中心とした二年生達が頑張ってくれたおかげで、志紀達三年生には申し訳程度の仕事しかまわって来なかった。そのためだろうか、今日が文化祭当日だという実感がいま一つ沸いてこない。

     実験机の、マット加工された黒い天板の上に置かれた小さなラジオからは、校内放送局の特設ラジオ番組が控えめな音量で流れている。

     

     化学室があるのは、北校舎の端だ。廊下は隣の化学準備室で袋小路となっているから、通りすがりの来訪者というものは殆《ほとん》ど期待できない。しかも、ここは学校の敷地でも北西の端に位置しているため、廊下の窓のすぐ傍まで迫った裏山の木々が、薄暗い雰囲気を見事なまでに高めてくれている。

     賑やかな文化祭の喧騒も、ラジオから流れる陽気な放送局員の声と同じように、ともすればスイッチ一つで消え失せてしまうような気がする。去年は欠片も抱かなかった不可思議な感慨にふけりながら、志紀は読んでいた文庫本に栞を挟んだ。

     

     各々の部活とは別に、各学年には仕事が割り振られている。校内デコレーション係の一年生は、準備に燃え尽きる間もなく、初めてのお祭りを楽しむために早々に校内へ散っていった。二年生はクラスの模擬店。当然ながら、こちらは祭り当日が本番だ。

     一方、三年生には特に任務は課せられていない。それを良い事に、学校を休んだり図書室に篭ったりして受験勉強にいそしむ三年生もいるにはいるが、自信があるのか身のほど知らずなのか、大抵の三年生は高校生活最後の文化祭を思いっきり謳歌していた。

     化学部においても、三年生の殆《ほとん》ど全員が祭りに参加していた。他所を見てまわったり兼部先の仕事をしたりする合間に化学室に集まり、展示そっちのけで雑談に花を咲かせている。

     

     ついさっきまで、化学室には志紀を入れて五人の部員がいた。

     丁度時刻はお昼時。腹が減ったな、と一人が腰を浮かせば、ばらばらと皆が立ち上がり、「それじゃ皆何か食べといでよ。私が店番してるから」と言う志紀の声に、渡りに船とばかりに全員が模擬店の並ぶ校庭へと旅立って行ったのだ。

     

     下手な文字で「受付」と書かれた紙を貼り付けられた小机の上に文庫本を置き、志紀は椅子から立ち上がった。ひとけのない室内をぐるりと見回してから、右手で軽く口元を押さえ、何か思案する素振りを見せる。

     それから意を決したように軽く頷いて、志紀は準備室への扉の前へゆっくりと歩みを進めた。大きく息を吸い、扉をノックする。

    「どうぞ」

     どこかくぐもったような声が中から響いてくる。志紀は無言でノブを握る手に力を込めた。

     

     

     長椅子から上体を起こして、朗が伸びをする。

    「もうお昼ですよ、先生」

    「ああ……」

     眠そうに目元を何度も擦る朗の様子に、志紀は思わず目元を緩めた。

     偶さか、朗は子供みたいな仕草を見せる事がある。流石に授業ではそういう事は皆無に等しいが、部活では多少リラックスしているのであろう。皆で放課後にお茶する時、お菓子を食べ終わった後に自分の指についた粉などをぺろりと舐め取る様子などは、多くの生徒達が言うところの「化学の多賀根」という呼び名に付き纏っているイメージからは、かけ離れている筈だ。

     今年のバレンタインに副部長が持ってきた手作りのトリュフを皆で食べた際に、志紀は朗のその癖に気が付いた。後でこっそり理奈にも教えて、二人で「意外とカワイイよね」と盛り上がったものだった。

     

     授業中の、冷たさすら感じさせる「先生」の顔。

     時折見せる、級友達と何ら変わらないような「男の子」の顔。

     そして……

     

     志紀は、そこで思考を必死で止めた。

     思い出してしまったのだ。先週の逢瀬の事を。いつものこの部屋の、いつもの長椅子。膝に座らされてそのまま貫かれた記憶。

     一気に熱くなった頬を朗に見られないように、志紀は慌てて部屋中に首を巡らせた。

     

     

     

     夏休みの後半の二週間、三年生対象の夏期講習が学校で行われた。

     センター対策の物量作戦という触れ込みだったので、最初、志紀は出席するつもりはなかった。それなのに欠かさず学校に通ったのは、放課後の化学室が目的だったからだ。

     

     暇人な化学部員達とだべりながら、志紀は機会を見つけては朗を会話に引っ張り込んだ。

     多賀根朗の事をもっと知りたかった。

     教師としての、部の顧問としての、ではなく、個人としての朗を知りたかった。

     オフィシャルな部分ではなく、プライベートを知りたかった。

     どんな食べ物が好きで、どんな歌が好きで、どんなテレビを見ているのか。これまでも部活を通じて知っている部分は多少はあったが、もっともっと彼のことを知りたかったのだ。

     

     毎日のように顔を合わせる中、週に一度の割合で朗は志紀を準備室に呼び出した。

     

    「後で」

     ただ一言をすれ違いざまに小さく囁く低い声。

     何事もなかったかのように志紀は他の部員達も交えて雑談を続行する。

     それから、先に帰ったフリをして、適当な教室で皆が帰るのをひたすら待つ。

     やがて、マナーモードの携帯電話がスカートのポケットで震え始める。

     液晶画面に映る「R.T」の文字。

     

     化学準備室の扉を開けて、閉める。

     鍵をかける。

     

    「ようこそ」

     そう言って、朗は志紀に微笑むのだ。カーテンの閉まった薄暗い部屋の中で。

     

     

     

    「先生、分厚い方のカーテン、開けますよ」

     秘め事の記憶をも陽光に霧散させるべく、志紀は勢い良く深茶のカーテンを引き開けた。背後から、まだ眠そうな、唸り声ともつかない抗議の声が聞こえる。

     志紀はその声を無視して、反対側のカーテンにも手をかけた。窓際に置かれた机の上の物を落とさないように気をつけながら、カーテンの裾を持ち上げ気味にして滑りの悪いランナーをそろそろと動かした。

     二学期が始まるまでは綺麗に片付けられていた筈の机の上は、今や小さな魔窟と化している。几帳面な人だと思っていたけれど、常にそうと言うわけではないようだ。自宅の部屋なんかも、もしかしたらスゴイ事になっているクチかもしれない。

     朗が知ったら絶対に嫌な顔をするであろう事を、つらつらと考えていた志紀だったが、ふと、机の上の本立ての向こう側、窓との隙間に一冊の本が落ちている事に気が付いた。

    「先生、こんなところに本が。傷みますよ」Motivat

     季節が季節ならば、結露で大変な事になっていただろう。ハードカバーのその本を志紀が摘み上げると、細かい埃が宙に舞った。しっかりと本を持ち直して、薄いカーテンの隙間から窓の外に両手を真っ直ぐ突き出して埃をはたく。

    「ああ。そんなところに紛れていたのか」

     もう一度大きな伸びをしながら、朗が長椅子から立ち上がった。首を何度か大きく回してから、志紀の方へと近づいてくる。

     本を手渡された朗は、なんとも表現しがたい複雑そうな笑みを浮かべていた。

    「この本は、確か君も持っているんだったね。……自分でレジに?」

    「ネットで買いました。そのタイトルは、流石にちょっと恥ずかしいから」

     その一瞬、朗の眉が大きく跳ね上がった。

    「へえ、君でもそんな事を思うんだ」

    「当たり前ですよー。やっぱり、あまりにストレートだし。でも、皆のはちょっと過剰反応のような気がするけどなあ。雑念が入り過ぎてるんじゃないかな」

     志紀は、丁度二ヶ月前、放課後の化学室でこの本が話題に上がった時の事を思い出していた。

    「君が特別なんだ。そうそう竹を割ったようには割り切れないものだよ」

    「そうかなあ」

     眉根を寄せる志紀の背後にゆっくりと回り込みながら、朗は声のトーンを落とした。

    「……君だって、スイッチが入ってしまえば、そんな余裕など吹き飛んでしまうくせに」

     びくん、と志紀の身体が震えた後、硬直する。

     すぐ後ろで、朗の気配が静止した。

     

     微かな衣擦れの音とともに空気が動き、何か――多分、指――が、志紀の髪を揺らした。

     右へ、左へ、かき分けるようにして髪を弄び、その、さらさらと流れる感触を楽しむかのように指は蠢く。

     志紀は思わず生唾を呑み込んだ。全身の感覚が首筋に集中する。

     揺れる髪の先が肌を撫でる感触に混じる、ほんの僅かな違和感は、おそらくはうなじを掠める朗の指が生み出すものだろう。彼の指先が肌に触れる時間が徐々に長くなってくるのを、彼女の身体は敏感に感じ取っていた。

     そして、ついに、朗は志紀の首筋をゆっくりと撫で始めた。うなじを上下にねっとりとなぞり、それから右の方へと這い進む。そのまま耳朶に到達した指達は、柔肉を優しく挟み込み、こねるようにして動き始めた。

    「どうだ? 君の言う『雑念』が、今、君の頭の中を犯しているのではないかね?」

     耳にかかる、熱い息。

     

     くらくらする。

     耳の奥で、金属音が鳴り響く。

     耳鳴り?

     いいや、違う。これは校庭から響くスピーカーのハウリング……!

     

    「ち……ちょっと、先生っ」

     必死で意識を背後から引き戻し、志紀は飛びずさるようにして朗から身を離した。

     肩で息をしながら、自分を睨みつける志紀を見て、朗は声を上げて笑った。心底楽しそうに。

    「冗談だよ。こんな状況で一体何が出来ると言うんだね。安心し給え、私はそこまで愚かではない」

     その言葉を聞いた志紀は、次の瞬間、見事なまでのふくれっ面となった。それから勢い良く踵《きびす》を返して、開け放たれていた扉から化学室へと出て行った。

     

     

     少し調子に乗り過ぎたか。

     残された朗は、まだこみ上げてくる笑いを抑えようと大きく息を吸った。

     

     それにしても、なかなか良い反応を見せてくれる。

     自分の指が、自分の声が、彼女を女へと――いや、単なる女ではない。この自分が開花させた、自分しか知らない女へと変貌させるのだ。これに勝る喜びがあろうか。

     

     セクシャルに翻嬲される事など、これまで志紀は経験した事がなかった筈だ。怒るのも無理はない。だがそれもまた、自分が彼女を支配しているという証左の一つだ。

     とは言え、彼女の機嫌を損ねたままという状態は、後の逢瀬にも差し障る。ご機嫌を取っておいた方が良いだろう。

     そう考えた朗の奥底で、違う自分がなじるような声を上げた。

     

     そうじゃないだろう。

     どうして、そう一々斜《はす》に構えるのだ。

     彼女を抱くためだけに、ご機嫌取りをするというのか。

     不機嫌な志紀を見ている事が、つ……

     

     朗は頭を振って雑音を追い払った。まだ手に例の本を持っている事に気が付き、机の脇に置いてあった鞄の中に仕舞い込む。

     

     この本が、最後の引き金だった。

     あの時、あの瞳に気がついてしまったから。

     

     そう、あれは七月に入ってすぐの出来事だった。


    週に一度の実験日以外は、化学部の部活は実質、有って無いようなものだ。部員達は、好きな時間に化学室に集まっては、本を読んだり、ゲームをしたり、だべり合ったり、要するに好きな事をして過ごしている。

     集まる面子も大体決まっており、せいぜい六人、多くて十人。名簿上の部員はその数倍存在するのだが、文化祭やSSH関連行事などのイベント前に申し訳程度に顔を出す以外は、完全な幽霊部員がその殆《ほとん》どを占めていた。

     

     その日の放課後も、五人の部員が化学室で談笑していた。勿論、その中には志紀の姿がある。紅一点という事に何も頓着する様子もなく、彼女は相変わらずユニセックスな調子で、他の部員と朗らかに言葉を交わしている。

     朗は、六時間目の授業の後片付けをしながら、彼らの会話に耳を傾けていた。かつて自分があの立場だった時を思い返しながら。他愛もない会話に教師が闖入する事は、決して歓迎されるものではないだろう、と。

     

    「あ、そうだ。先生、借りてた本、返します」

     前副部長の柏木陸が、そう言って鞄からハードカバーの冊子を取り出した。

     比較的マイナーな出版社が出している、一般書と言うには少しだけ専門的な科学読本のシリーズの一冊だった。金欠で、という彼の求めに応じて、朗が自分の蔵書を一巻から順に貸し出していたのだ。

     そのタイトルを思い出して、朗は慌てて振り返った。まさか、と危惧したとおり、その本は袋などに入れられずに剥き出しのまま差し出されている。

    「えええー? なんだよ、これ」

    「『せっくすはなぜたのしいか』……って、先輩、そりゃないでしょ」

    「おいおい、いいのかー、こんなの持ってきて。ってか、これ先生の本かよ」

     案の定、蜂の巣をつついたような騒ぎが持ち上がった。朗は大きく溜息をつく。それから、少し不安になって、目の端に志紀を捉えた。

     いくら「あの」有馬志紀だといっても、男子生徒に囲まれた状態で、この話題で会話がエスカレートしていくのは、不快であろう。朗は、話を切り上げようと口を開きかけて……、躊躇した。

     

     恥じらい困惑する彼女を見てみたい。

     

     しかし、朗はすぐに思い返した。

     そうだ。ここにいる彼ら――特に原田嶺――にまで、そんな美味しいものを見せてやる事は無い。

    「言っとくけどな、真面目な本だぞ」

     差し出された手から本を奪い取るようにして、朗は弁解した。それを受けて陸が、至極冷静に解説する。

    「このシリーズ、宇宙からバイオまで色々扱ってるんだ。そのうちの一冊。結構おもしろいよ」蒼蝿水(FLY D5原液)

     学年一、二を争う秀才は、涼しい顔でぐるりと一同を見回した。

     その視線が、志紀の上で少しだけ長く留まっている事に、朗は気が付いた。

     嫌な予感が、する。

    「真面目っつっても、そのタイトルはスゲーだろ」

    「なぜ楽しいか、ってさー、そんなの……なぁ?」

     会話を打ち切らせようにも、あまりに強引に割り込めば余計に雰囲気が悪くなる。何より、自分の胸裏を知られてしまいそうで、朗は躊躇っていた。

     どうしたものか、と逡巡している間にも、男子生徒達の声からは徐々に遠慮が無くなっていく……。

     

    「うーん。でもさ、結局良く解んなかったよ?」

     志紀が会話に加わってきた事に、残る全員がぎょっとして動きを止めた。

    「……は?」

     嶺が素っ頓狂な声を上げる。

     朗は心の中で、大きく肩を落とした。やはり、彼女はどこまで行っても彼女なのか。

    「その本、前に読んだ事あるけど、結局、なんで楽しいかという根幹的な理由には届いてなかったと思う」

    「……って、有馬先輩……、そんな、真顔で……」

    「ふぅん。有馬さん、読んでたんだ」

     陸の声に、落胆の色が潜んでいるように思えるのは……朗の気のせいだろうか。

    「うん、このシリーズ一応全部持ってるから。でも、この著者、別の歴史ネタの本の方が、断然面白かったけどなあ」

     

     歪みかけていた場の雰囲気が、一気に平静に引き戻される。

     返ってきた本を準備室に置きに行こうとした朗は、陸と嶺の会話を耳にした。

    「原田、お前すごいな。尊敬するよ」

    「は? 何が?」

    「何でもない」

     

     振り返った朗は、陸の瞳に込められた光に気が付いた。

     あの瞳に、見憶えがある。

     

     

     準備室の小さな洗面台。ふとした事で湧き上がる衝動を抑え込むには、冷たい水での洗顔が一番だ。白衣の袖を捲り上げて、飛沫を散らすのも厭わずに顔面に水を打ちつける。

     タオルで雫を拭いながら顔を上げた目の前、古びた鏡に映る世界は裸眼のためにぼやけている。だが、それでも、おのれのぎらついた瞳だけは嫌なぐらいに明瞭に朗の目を、朗の心――おそらくは罪悪感といった類のもの――を射抜いていた。

     

     あの、獣に似たおぞましい光。

     

     級友と笑いあう志紀の柔らかそうな唇に、

     雑談の合間に組みなおされる足首に、

     硝子器具を洗う指先に、

     片肘をついて文庫本を読む時の、髪の隙間から覗くうなじに、

     かき立てられた汚らわしい欲望を抑えるために冷水を浴びせても、なお、ぎらぎらと光を放つおのれの瞳。

     

     

     再び和気あいあいと会話を始めた部員達を残して、朗は準備室の扉を閉めた。

     掌が汗でぬめっている。

     あの瞳は自分と同じ、獲物を渇望する牡のものだ。

     

     原田だけなら、何とかなると思っていた。今手にしているポジションを失う事を何よりも恐れているあの臆病者は、何かきっかけが無い限りは卒業までは行動を起こせないだろう、と。

     だが、柏木は……油断ならない。

     半年前、深夜の邂逅で彼が語った言葉を、朗はまだ憶えている。

     

     ――先生だって、同じ条件下におかれたら、同じ事をしたんじゃないですか?――

     

     もしも彼が志紀を狙っているというのなら、原田を出し抜こうとするために、おそらくは本気でかかってくるだろう。そう、私ならそうする。間違いなく。

     待てない。

     このまま春を待つわけにはいかない。

     

     朗の内部でくすぶり続けていた荒唐無稽な妄想が、ゆっくりと表層に浮かび上がってくる。

     シミュレーションに必要な材料は、全て揃っている。

     時期と、舞台と。リスクと、成果と。朗は静かに計算を始めた。

     

     その計略が実行に移されたのは、十日のちの雨の日だった。

     

     

     

     半時間ぶりの希少な客が、展示を一巡して退出していく。

     皆が昼食に出てから、二十分が経っていた。化学室には未だ誰も帰ってきていない。

     

    「柏木君が、何か?」

     来客の直前に、朗が自分に投げた言葉を思い出して、志紀は怪訝そうに問いかけた。

     あまりにも唐突に話題が戻ってきた事に、朗は心中密かに狼狽しながらも平静を装う。

    「あ、いや、彼は我が校きっての期待株だろう? 同級生から見てどんな奴なのかな、と思ってね」

    「どんな奴ってったって……。一言で言うなら、ヘンな奴、かな。わざわざ変人を気取って、変人って呼ばれて喜んでいるあたり、物凄く変人かも」

    「言うねえ」

    「だって、ほら、今年のバレンタインのあのトリュフ。お菓子作りが趣味なんだ、ってびっくりしたら、『今回が初めて』だなんて言うでしょ。じゃあ、なんで突然? って訊いたら、『びっくりしたろ?』って。普通、ウケを取るためにあそこまで情熱をかけるかなあ」

     しかも、むっちゃ美味しかったし。ぶつぶつとそう呟く志紀を朗は複雑そうな表情でじっと見つめていた。

     その視線に気がついたのか、ふ、と志紀が朗を見やる。暫《しば》し、二人はお互い見つめあう形となった。

     一呼吸のち、先に目を逸らしたのは志紀の方だった。照れを誤魔化すかのように、少し慌てて会話を再開する。

    「そうだ。柏木君って、先生に似てますよね」

    「何故、そう思う?」

    「興味のある事にはマメなのに、そうじゃないと全然動かないところとか」

     見事なまでにおのれの本質を突かれて、朗は思わず苦笑で返した。

    「成る程。他には?」SPANISCHE FLIEGE

    「んーと、他には特に……無い、かな……」

     そう言った志紀の口調は、不自然なほどに歯切れが悪かった。

     朗の眉間に皺が寄る。

    「とぼけるのはナシだ。三つ四つぐらいは思いついただろう? たった一つの条件で、似ているという結論を口にするほど、君は非論理的ではない筈だ」

     容赦の無い突っ込みに、志紀は降参のポーズを作った。それからおずおずと口を開く。

    「……怒りませんか?」

    「努力しよう」

    「ん、と……、何を考えているのか微妙に解らないところとか」

     朗は、両手を腰にあてて大きく溜息をついた。

    「普通、他人の思考なぞ簡単に覗けるものではないぞ」

    「そうなんですけど……。そうだ、奥行きの深そうなところ、と訂正」

    「ものは言いようだな。他には?」

     まだなにかしつこく逡巡している志紀に向かって、朗は目線で続きを促す。

     ややあって、観念したかのように志紀は肩を落とした。それから、少し躊躇いがちに視線を外し、訥々と言葉を吐き出していった。

    「……そのー。えっと、なんて言うか、その、見た目カッコイイのに、ちょっと近寄り難い雰囲気があるところ、とか……。って、私は別にそう思わないんだけど。って、うわ。思ってない、というのは勿論『近寄り難い』って部分だけですよ。その、カッコイイっていうのは、どちらかと言えば私の主観と言うか……。あ、でも、そんな感じの事を言っている子が多いのは確かで……、いや、別に、怖いとかそんなんじゃなくて、多分眼鏡のせいじゃないかなーっと思うんだけど……」

     その内容の不躾さを自覚したのだろう、志紀は言葉を重ねながらわたわたと慌てふためき始めた。自分で自分の暴言をフォローしようと足掻きつつ、どんどんと深みに嵌っていく。

     その様子が非常に可笑しくて、朗はわざと無表情で志紀を見つめ続けた。その視線に動揺した志紀は、さらに地雷を撒いては自分でそれを踏みつけ続けている。

    「いや、冷たい、とか、そんなんじゃなくて、……なんと言うか、ツッコミキャラと言うか……苛めっ子キャラというか……」

     

     だめだ、もう限界だ。こんなにも美味しい言葉を、ただ黙って聞き流す手はない。

     朗は、口の端《は》を軽く上げると、志紀をねめつけたまま、殊更に低く囁いた。

    「……という事は、彼も彼女とのセックスでは責める側なんだろうね」

    「…………!!」

     志紀の頬が一気に真っ赤になった。

    「せっ、先生っ、なんて事言うんですかっ。誰かに聞かれたら……」

     慌てて周りを見回し、押し殺した声で抗議しようとした志紀が、台詞半ばで動きを止めた。

    「え? 彼女? 柏木君、彼女いるんですか? それとも一般論?」

     

     本当に、切り替えが早い。めまぐるしく変わるその表情は、いくら見ていても一向に飽きがこない。

     せっかく盛り上げようとした雰囲気は、すっかりぶち壊されてしまっていたが、まあいいだろう。もとより、いつ誰が入ってくるか分からない白昼の教室で、何か出来るとは思っていなかったのだから。

     

    「気になる?」

    「気になりますよ! だって、あんなヘンな」そこまで言って、先刻までの話題を思い出したのだろう、志紀は慌てて咳払いをした。「あんな個性的な奴の彼女ですよ、どんな子なのか気にならないわけないじゃないですか」

     

     ――セフレ、だそうです――

     ――彼女がそれでも良いって言うんだから、仕方がないでしょう?――

     夜の闇を背景に、年齢不相応に醒めた瞳が、朗の脳裏に閃く。

     

    「春休みにね、デートしているのを見たよ」

    「マジですか」

    「喰い付いてくるねえ」

    「だって、これ凄いスクープですよ。楢坂生? それとも他校生?」

    「そこまでは解らないね。ちら、と見ただけだから」

     

     本命は、まだ片想いだと言っていた。

     その時はまだ、奴の視線には気が付かなかった。

     

     気が付いてしまったから、だから先手を打ったのだ。

     

    「へー。あの柏木君がねえー。ほー。そうかー」

     ひたすら感心して唸り続ける志紀を横目で見ながら、朗は一人微笑んでいた。

     静かに、そして至極満足そうに。SPANISCHE FLIEGE D9

     

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    2013年04月13日

    平安

    「…ん…、」


    朝の日差しを感じ、ゆっくり目を開ける。

    背から抱き寄せられているので、体全体が温かい。

    日を追うごとに大きくなる腹に王の手が回されている。蟻力神

    寿は体を動かし背後に顔を向けようとしたが、更に強く抱き込まれそれを阻まれた。

    まだ寝ていろということだろう。


    庵にいた時と同じで王はいつも寿より早く起き、以前と違う所はと言うと寿が目覚めた時横にいてくれることだ。

    共に食事を摂り、共に眠り、共に起きる…これだけで寿にとっては至福の喜びだった。

    寿の部屋で過ごすより王の私室で過ごすことの方が多くなってきた。

    今いるのも王の寝所である。

    王は身支度を侍女に任せず、殆ど自分でしていたのだが、今では寿の仕事になった。


    「陛下…、そろそろ起きましょう。」


    寿は体をクルッと動かし、王と向き合う形になる。

    平たい胸板に手を添え頬を寄せる。

    トクン…トクン…と彼の鼓動がなりつづけるのを感じると思わず笑みが零れる。

    王は手を寿の背に回し、腹を潰さないよう気を配りながらそっと抱き寄せる。

    顔を合わせ、朝の挨拶をし軽く唇を合わせる。

    それからゆっくり起き上がった。


    「気分は。」

    「悪くありません。」


    王は安堵したように息を吐き、寿の膨れた腹に手を当てた。

    何度も撫でる。その瞳のなんと柔らかで優しげなことか。

    生まれる前から腹の子を愛しているのだと、寿にも伝わってきた。


    朝餉を取る前に、王の身支度を整えなければならない。

    寿は重い腹を抱えながら忙しく動き回る。

    王は「無理しなくていい」と寿を気遣いながらも、「旦那様にお仕えするのが妻の務めでございます。」と言うと、満更でもなさそうな表情を浮かべた。

    今では足袋さえ自分では履かない。

    流石の寿も呆れてしまったが、何も言わずに足袋を履かせてやる。


    (無口で、強引で、しかもよく分からない所もあって…難しい方。)


    でも優しい。

    表に出さないその優しさが愛おしい。

    だがとりあえず、もっと腹が大きくなったら自分でやってもらおう…寿は心に決めた。


    ようやく王の身支度を終わらせ、神奈の手を借り自分の身支度も終わらせた。

    その後、運ばれてきた朝餉を二人で食べる。


    「今日のお戻りは?」

    「出来るだけ早く戻ろうとは思うが…何故?」

    「いえ、特に理由は。

    お帰りをお待ちしております。」


    早く帰って来て欲しい…そんな事を言ったら、重いと思われるかもしれない。

    だからそれを言わずに、王に微笑みを見せた。

    すると一瞬、彼の顔が僅かに赤く染まったように見えた。

    いきなり立ち上がり「行ってくる」と振り返らず部屋を出て行った。

    寿は慌てて腰を上げ、部屋の外でその後ろ姿に向かって頭を下げた。


    「早く…お帰りになって下さいまし。」


    誰にも聞こえない程小さな声でそう呟いた。


     




    「なんとお気の早い。」

    「本当ね。」


    神奈はそれを見て、呆れるように笑う。

    二人が見ているのは、昨夜かの方から渡された品々だ。

    寿はその中からでんでん太皷を取り出し音を鳴らしてみた。

    軽快な音が鳴る。

    生まれてくる我が子の為にと、王が用意したものだ。

    先程王の侍女により届けられた。

    自分で寿に渡さない所が彼らしい。

    今夜きちんと礼を言わなくては。


    「陛下はこの子が出来たことを大層お喜びなのだと最近分かったわ。」


    今でも「よくやった」とか「授かって嬉しい」などと言われた訳ではないが、その表情や行動をきちんと見てみると、実は如実に表れていた。

    分かりにくいようで、本当は案外分かりやすいのかも…と寿は失礼なことを考えていた。

    何の反応もしない神奈を振り返ると、彼女は複雑そうな表情を浮かべていた。


    「私は…今でも許せませぬ。

    陛下が寿様になさったことを。」

    「神奈…。」


    神奈は勢いよく顔を上げる。


    「当然ではありませぬかっ。

    権力に物を言わせ貴方様を手篭めにし、妊娠させ、城に監禁したのですっ…そんなことが許されるわけっ、」

    「神奈っ、声を抑えて。外に聞こえてしまうわ。」


    今でも部屋の外に侍女や護衛が控えている。

    「逃げたりしない」と王にやめるよう言っても取り合ってくれない。

    安全の為になどと言っているが本当は、寿が逃げないように見張っているのだ。


    神奈は肩を落とす。

    寿は神奈の隣に座り、肩をさする。


    「何故寿様は…、」

    「え?」

    「何故貴方様はあの方をお許しになるのですか?」


    神奈は不思議で仕方が無いのだ。

    何故酷い事をされても、辛い思いをしても寿が王を許すのだろうと。

    寿は「そうね…」と軽く息を吐き、遠くに目を向けた。


    「好きだから。」


    答えは明確なのだ。


    「好きになってしまったから。

    どんな非道な事をされても…許してしまうのだわ。」


    神奈には申し訳ないという気持ちで一杯だ。

    彼女には多大な迷惑をかけた。

    その事を謝ると、神奈は「そんな事はどうでも良いのですっ。」と言った。


    「あの方は私を愛している訳ではない。芳香劑

    それでも子を授けてもよいと思う位には気に入って下さっていると思うの。

    それだけで十分。私はそれだけで幸せなの。」

    「寿様…。」

    「約束して下さったわ。生涯私だけだと。

    その約束さえあれば…それでいい。」


    女嫌いの王にとって世継ぎの問題は頭の痛い問題だったのだ。

    寿が生む事が出来れば、全てが解決する。

    愛されていなくとも大事にされている実感はある。

    だから王にどんな意図があったとしてもそれはそれで構わないのだ。

    側にいられるだけで幸せなのだから。


    「貴方に言っていなかったことがあるの。

    かなり前のことなんだけれど…、」と寿は恥ずかしそうに切り出す。




    「名を…差し上げたの。」

    「なんと…。」


    神奈は驚きで目を見開く。

    女にとって名を差し出すという事は、差し出した相手に全てを委ねると言ったも同じ事なのだ。

    人前では決して口にしてはいけない真名を主人は男性に差し出してしまったのだ。

    神奈は動揺を隠せない。


    「何という事をっ…、それではもう王のものになるしか、道はありませぬっ…。

    御名を差し出すとは…、」

    「覚悟して差し出したの。ずっとお側に…この城で生きていくつもりで。」


    この子と一緒に…寿は腹を撫で幸せそうに笑う。

    神奈は悟った。残酷な運命を辿らせた張本人である王を寿が心から愛してしまったのだと。

    普通の人間なら、憎むだろう相手を想っているのだ。

    そしてそれを幸せだと言った、許すと言った…全て愛故なのだろう。


    「恐れ多くも…陛下の御名を賜ったの。」

    「陛下の…、」

    「私などに教えて下さったわ。」


    御子の母だからかしら?なんでもいいわ、ただ嬉しい…寿は本当に嬉しそうに笑う。

    神奈は深い息を吐いた。

    寿を悲しみの淵に追いやれるのも、幸福に導くのもたった一人の男性だけなのだ。

    神奈としては主人であり、唯一の家族であった寿を取られた気がして、悔しさと切なさで一杯になった。

    それでも、


    (貴方様がお幸せならば。)


    大恩ある寿の父と約束した。

    寿を幸せにすると、そして神奈自身幸せになると。

    神奈は寿の幸せは自分の幸せと同義だと思っている。

    だからもし主人が愛する人を許すと言うならば、それにより幸せが掴めると言うならば自分も…許すことはやぶさかではない。




    二人で玩具を手に取り、楽しく会話していると、部屋の外からパタパタと足音が聞こえて来た。

    一人の侍女が部屋の中に慌てた様子で駆け込んで来た。

    寿に向かって深々と頭を下げながら息を整えようと必死になっている。

    驚き、寿はその女性の側に腰を下ろし背を撫でてやる。


    「どうなさったの?」

    「お、お、」

    「お?」


    侍女は一度深呼吸してから、顔を上げた。


    「王太后様がっ…こちらにいらっしゃいますっ。」


     


     


    着物の端まで目を配り、乱れている所はないか確認する。

    寿は袷を何度も整え直し、緊張しながらその時を待つ。

    部屋の外から「いらっしゃいました。」と声をかけられた。

    返事をし、襖が開かれたのを見てから、畳に手をついた。

    畳を打掛の裾が引き摺る音が聞こえてくる。

    その人物は寿の向かい側に腰を下ろした。


    「顔をお上げなされ。」


    重いが優しい声だった。

    顔を挙げた先には、上品な笑みを浮かべる婦人がいた。

    その笑みからは高貴さがにじみ出ている。

    この人物こそ大国の王太后であり、


    (陛下の御母堂様…)


    じっと見つめてしまっていたが、はっと我に返りもう一度畳に手をついた。


    「お初にお目にかかります。寿と申します。

    王太后陛下におかれましては、このような所までお越し頂き、」

    「よいのです。私こそ急に押しかけたこと許して下さい。」


    王太后は徐に立ち上がり、寿のすぐ目の前で腰を下ろした。情愛芳香劑

    寿の手を取って顔を上げさせる。

    暫く寿の顔を見ていると、だんだん表情が歪み出した。


    「申し訳ないことをしました。

    陛下の…いえ、愚息のした事を許してやってちょうだい。」


    全て知っているのだと寿は悟った。

    寿が微笑み首を横に振る。


    「陛下の為に生きると決めました。」


    王太后は目を潤ませ、こくりと頷いた。

    それ以上言葉はいらなかった。

    そして寿の腹を見て嬉しそうに手を伸ばす。


    「おぉ…陛下の御子ですね。

    もうこのように大きくなっていたとは、」

    「元気な御子でございます。よく動くのです。」

    「それは何より。」


    王太后は先程座っていた場所に戻った。

    寿の脇に置いてあった籠の中に入っている玩具が王からの贈り物だと寿から聞き、「陛下が…、」と信じられないというように驚いている。


    「貴方が愛おしいのでしょう。

    連れ去ってしまう程焦がれていたと見える。」

    「いえ…陛下は私の事など、」


    寿は首を横に振る。

    王太后は寿が護り刀として身につけている小刀を指差した。


    「その小刀は世継となる者が持つべき物。

    何故貴方が?」

    「陛下が…初めて私の元にいらした時、授けて下さったものでございます。

    …まさか、そのような物だとは知らず。」


    家紋が入っているから王族が持つべき物だと漠然と思っていたが、まさか世継の証となる物だったとは露ほどにも思っていなかった。

    王太后は「やはり」と笑みを浮かべる。


    「最初から…陛下は貴方に世継を生んで貰いたいとお思いだったのでしょう。

    だからこの小刀を授けたのでは?

    子の母となるであろう貴方に。」


    寿は信じられない想いだった。

    王太后の言う通り、王が最初から子を授ける気でいたとしたら…。

    寿の意思を無視して抱いたあの日、既にそう思ってくれていたとしたら、これ程嬉しいことはない。


    『悪いようにはしない』


    確かに王はそう言っていた。

    寿は小刀を抱きしめる。


    「恐れ多いことでございます。」


    初めて出会ったあの日から、この小刀が寿の側から離れたことはない。

    どんな時も傍らにあった…別れを告げたあの時も王は小刀を置いていった。

    もし王が王太后が言うような気持ちで、渡してくれていたとしたら…。

    寿の顔に自然と笑みが零れる。


    「それで、今日は話があって来たのです。」

    「はい。」


    王太后は改まってそう言った。

    寿は背筋を伸ばす。


    「私の実家の養女になる気はありませぬか?

    そうすれば貴方が王妃となるのに障害が少なくなります。」

    「養女…。」


    王にも以前そう言われた事があったので、そこまで驚きはしなかったが、まさか王太后から提案されるとは思わなかった。

    だが寿の答えは決まっていた。


    「私の処遇は陛下に一任しております。三體牛鞭

    あの方のご命令に従います。」

    「判断は陛下にお任せすると?」

    「はい。」


    この城にいる限り、自分の事は全て王に任せると決めていた。

    あの約束さえ守ってくれるならば、後は王の心のままにすればよい。

    王太后は「そうですか。」と安心したように息を吐く。


    「貴方は陛下を恨んでいるかもしれないと思っていましたが…杞憂だったようです。」


    その後話して行くうちに、王太后は寿の父が神宮の前宮司だと知ると驚き、更にその死に様を知ると目を潤ませた。

    「私が不妊で悩んでいる時にとてもお世話になった。」と当時の事を話し、以前の王と同じように都に墓を建てようと言った。

    だが王に言ったのと同じ理由で丁重に断ると、納得してくれた。

    王太后は退室する前に、最後に寿の手を取った。


    「体を大事になさい。私に元気な孫を抱かせて。」

    「はい。」


    それから…と言い王太后は切なげに笑う。


    「陛下…あの子は昔から何でも器用にこなせました。

    勉学でも武道でも。」

    「…。」

    「でも、本当は誰よりも不器用なのです。

    好きな物を好きと、欲しい物を欲しいと言えぬのです。

    貴方のことについても同様でしょう。」


    言えないから強引に手に入れた…。

    王太后の言葉の意味を寿は身に染みてよく分かっていた。

    器用なのに実のところ誰よりも不器用。


    「もし辛くなったら私の所まで逃げて来なさい。

    流石の陛下も私の所までは手出しする事は出来ないでしょうから。」

    「…ありがとうございます。」


     


    王太后が帰り、暫くすると入れ違えのような形で王が寿の部屋に現れた。

    どうしたのかと聞いても「早く終わっただけだ。」としか答えない。

    今朝寿がいつ帰るのかと聞いたのを王は覚えていて、それ故に早く帰ってきたのだと寿は気づいた。

    王は寿の手を引いて私室に向かう。

    周りの目を気にせず廊下を歩き進む。


    「お早いお帰り…嬉しゅうございます。」


    すると手を握る力が強まった。

    それを感じ、寿もそっと握り返した。中華牛鞭

     

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    2013年04月17日

    終わる暁

    砦の前にはかなりの数のオーク達がたむろしていた。だが城壁からは距離を置いてうろうろしているだけだ。おそらく矢の届かない距離から威嚇でもしているんだろう。


     オークがこちらに気がついて叫び声を上げた。だが、砦の方でも既に気がついていたようだ。城門が開いて、部隊が出てきた。男宝


     挟撃の形になって矢や魔法を使うとあちらの部隊にも当たりそうだ。冒険者達が一斉に馬車から降りて突撃している。ここはもう彼らに任せておけば余裕だろう。おれはサティの様子を見に後ろの馬車に飛び移った。


    「サティ、大丈夫だったか?」


    「はい。沢山倒しました」


     メニューを開いてみる。1つレベルが上がっていた。自分のも見てみると1つレベルが上がっている。


     魔力増強をレベル3、MP回復力アップをレベル3に上げる。これで使えるポイントはなくなった。サティの分は迷ったけど肉体強化を3まで上げて5Pを消費した。

     

    スキルリセット ラズグラドワールド標準語 時計 

    体力回復強化 根性 肉体強化Lv2 料理Lv2

    隠密Lv3 忍び足Lv2 気配察知Lv4

    盾Lv3 回避Lv3 格闘術Lv1 

    弓術Lv3 投擲術Lv2 剣術Lv4

    魔力感知Lv1 高速詠唱Lv5 魔力増強Lv3 MP回復力アップLv3

    コモン魔法 生活魔法 回復魔法Lv4

    火魔法Lv4 水魔法Lv3 風魔法Lv3 土魔法Lv3


    スキル 1P


    頑丈 鷹の目 肉体強化Lv3

    料理Lv2 家事Lv2 裁縫Lv2

    隠密Lv3 忍び足Lv2 聴覚探知Lv4 嗅覚探知Lv3

    剣術Lv4 弓術Lv5 回避Lv3 盾Lv2


     


     スキルを触っているうちに戦闘は終了したようだ。そして馬車の列はゆっくりとゴルバス砦に入っていった。


     ゴルバス砦は砦とは名がついているが、実際のところ要塞都市とでも呼ぼうか。城壁こそものものしいものの、内部は普通の町並みだ。ただ、魔境への防衛と出撃の拠点となっているため冒険者や軍のための施設は非常に多い。俺たちはそういった軍の施設の庭か訓練場のようになっている開けた場所に案内された。




     馬車から降りた冒険者達が集まる。軍曹どのは一人の兵士と何やら協議している。少しすると話が終わった。


    「聞け!日没まで2時間ほどある。その時間を使って砦周辺の敵をできるだけ殲滅する!」


     おーーーーっと声を上げる冒険者。


     明日か明後日には第二陣も到着する。その安全を確保しておかなければならない。


     簡易の部隊が組まれていく。おれもどこかにいれてもらおうと思ったら軍曹どのに呼ばれた。


    「おまえはこっちだ。まずは物資を出してもらわないとな」


     そうだった。物資を抱えたままだったな。軍曹どのとサティと共に、兵士に案内されて物資の集積場に行く。指示された場所にどんどん物資を吐き出していく。


    「これを全部一人で……」


    「ああ、うちの隠し玉でな。スカウトはしないでくれよ」


    「分かってる、ヴォークト殿。それよりも空間魔法が得意なら転移は使えないか?」


    「残念ですが」


    「そうか……一人でも転移術士が増えれば連絡も楽になるんだがな。いや、すまない。物資を運んでくれてありがとう。これで少しは楽ができそうだ」


    「あ、あの。聞きたいことが!開拓村はどうなりましたか?」


    「壊滅した」


    「!?」


     足元がふらついて、サティに支えられた。


    「開拓村にいた人たちは!?暁の戦斧というパーティーを知りませんか?」


    「襲撃の時になんとか脱出してきたが半分近く死んだと聞く。生き残りは防衛に当たっているはずだ。暁というのは知らないな」


     そうだ、神殿騎士団だ!神殿騎士団なら一緒に居たから知ってるはずだ!


    「神殿騎士団はどこにいるか知りませんか!?」


    「神殿騎士団なら神殿の屯所にいる。場所は……」


    「神殿の場所ならわしがわかる。案内しよう」と、軍曹どの。


    「神殿には元々行くつもりだった。貴様には治療を担当してもらおうと思っているのだ」


    「はい」


     答えながらも気もそぞろだ。エリザベス、エリザベス。無事でいてくれよ……


    「だが、暁の戦斧の居場所ならギルドのほうでも把握してるかもしれんな。どうする?どちらから先に行ってもいいぞ」


     う……確かにそうだ。どっちが確実だ?いや一緒に居た人のほうが把握してるかも。


    「神殿に行きましょう。それでわからなければギルドへ」


    「わかった」


     


     軍曹どのを先頭にして駆け足で神殿に向かう。おれが焦っているのをわかっておられるのだ。


     ほどなく神殿についた。神殿は魔境側の城門近くにあり、シオリイの町にあった神殿と作りは同じですぐにわかった。三體牛鞭


     神殿の内部は怪我人だらけだった。治療院の待合室になっているようだ。すまん。治してあげたいがまずはエリザベスだ……


     神官らしき人が怪我人の世話をしていたので声をかける。


    「あの。ここに金剛隊の方はいませんか?」


    「金剛隊でしたら城壁の防衛に当たっておられますよ」


     くそっ。はずれだったか。


    「でも怪我をしておられる方達なら何人か残ってますが」


    「あの、その人達に会えますか!?」


    「失礼ですが、あなたは……」


    「ああ、すいません。シオリイの町で冒険者をやっているマサルと言います。金剛隊の方には一度命を助けてもらって。今度の話を聞いて心配になって」


     司祭様の名前を出そうかと思ったが、この人が知ってるとは限らないし勝手に名前を出すのもどうかと思ったのでそういうことにしておいた。


    「そういうことでしたら。ご案内しましょう」


     


     神殿を裏から出てるとすぐに他の建物があった。


    「ここが神殿騎士団の宿舎でして。少々お待ちを」


     常駐してる騎士団とは別に金剛隊には専用の宿舎が割り当てられてるらしい。ちょっと入り口で待たされたが、すぐに誰かをともなって出てきた。


    「おお、マサル殿のことは覚えてるよ。あの時は野うさぎの肉をありがとう」


     隊員の人はおれのことを覚えていてくれたようだ。こっちは全然覚えてないんだけど。だって100人もいたし。


    「はい。それで開拓村が壊滅したと聞いて……」


     騎士団の人の顔が曇る。


    「あれは酷い戦いだった。開拓村からはなんとか脱出できたんだが、砦に入る前に敵の大集団とかち合ってな……」


    「あの!暁の戦斧を知りませんか?」


    「そうか、確か師匠の人がいるんだったな。暁の戦斧もちゃんと一緒に脱出できたはずだ。ただその時は混乱してたからよくはわからん。隊長なら何か知っているかもしれないが」


    「そうですか。金剛隊の方達は大丈夫だったんですか?」


    「半分やられた」


    「それは……」


     言葉に詰まる。こんなときなんて言ったらいいんだ……


    「いや、いいんだ。俺たちは殿を務めていたしな。犠牲も覚悟の上だ」


     あのハーピーを楽々蹴散らした金剛隊が半数もやられる戦い。ちょっと想像できない……


    「すいません。暁の戦斧メンバーが心配なので探しに行きます。また来ます」


    「ああ、師匠の人が無事だといいな」


     


     次はテシアンさんを探しに行くか?いや、ギルドが先だな。


    「ギルドに行きましょう」


    「わかった」


     また軍曹どのに案内をしてもらう。ギルドも魔境側の城壁に程近い神殿のすぐ近くにあった。


     


     ギルドに入ると職員らしき人がやってきた。


    「おお、ヴォークト教官。よく来てくれました。先ほど連絡がありまして、冒険者達は周辺の掃討にあたっているとか?」


    「うむ。ここも中々大変だったようだな。明日以降も増援が続々と来る予定だ」


    「ありがたい!一時はもうだめかと……」


    「それで今、暁の戦斧というパーティーを探しているのだが」


    「ちょっとお待ちを」


     そういうと職員の人は他の人と少し話、すぐに戻ってきた。


    「暁の戦斧はここの隣にあるギルドの宿舎にいます。2階の4号室と5号室ですね。男性のほうが4号室です」


     さすが、軍曹どの!ギルド幹部なだけはある。おれだったらそう簡単に情報が聞き出せなかっただろう。住んでるところなんか普通はこんなにあっさりと教えてはもらえない。


    「聞いたな?マサル。わしはもう少しここで用がある。そっちの用が終わったらここに戻ってこい」


    「はい、軍曹どの!」


     


     ダッシュでギルドを出て、建物を回りこむ。あった!ここだ!


     扉を開けて中を見る。ホールになっていて冒険者が何人か駄弁っている。階段は……あった!冒険者達はこっちを見てるが気にしない。エリザベス!!


     階段を一段飛ばしで上がっていく。5号室、5号室。あった。


     逸る心を抑えてノックをする。


     ガチャリと扉を開けてナーニアさんが顔を出した。ナーニアさんは泣きはらした顔をしている。それを見て心臓の鼓動が跳ね上がる。まさかエリザベスに何か……


    「マサル殿……」


    「あ、あの……エリザベスは……」


     扉を開いてすっと部屋へと通してくれる。ナーニアさんはぐすぐすと泣いている。


     ベッドにはエリザベスが寝ていた。


     いつもの黒いローブを着て。お腹の上で両手を組んで。青い顔をして。まるで死んだように――


     おい。おい。狼1号


     冗談だろ?


    「エリーは……ずっとマサル殿に会いたがって……」 


     よろよろとエリザベスに近寄る。


    「エリザベス……」


    「エリザベス様?」


     確かめるのが怖い。ナーニアさんを振り返ると椅子に座って泣いていた。


    「わたしの……わたしのせいで……」


     机に顔を伏せ、そう泣きながらつぶやいている。


     遅かったのか?くそっ!話を聞いた時にすぐにフライでも使って飛んでくればよかったんだ!!


     さっさと空間魔法でも覚えていつでも迎えにいけるようにすればよかったんだ!!!


    「エリザベス……エリザベーーース!!」

     

    「なによ、うるさいわね?あら、マサルじゃないの。やっぱり来たのね」


     むくっと起き上がってエリザベスが言った。


     呆然とする。え?死んで?え?どういうこと?


    「ナーニア、また泣いてるの?大丈夫よ。オルバは許してくれるわ」


    「あ、あ、いけませんエリー。魔法の使いすぎなんですから寝てないと」


     魔法の使いすぎ?


    「私の心配はいいのよ。マサル。マギ茶持ってる?あの濃いやつ」


    「ああ、あるけど……」と、アイテムから出して渡す。


     濃縮マギ茶をぐっと飲むエリザベス。


    「効くわね。相変わらずまっずいけど」


     エリザベスはなんだか元気そうだ。濃縮マギ茶を飲んだせいか顔色も心なし良くなっている。とりあえずほっとした。


    「あの、ナーニアさんはなんで……」と、泣いてるナーニアさんを見ながら小声で聞く。


    「撤退する時にね。オルバがナーニアをかばって足を……」


     膝のあたりで足を切る仕草をする。オルバさんの足が切断?


    「それでわたしのせいだってずっと泣いてるの」


     それでわたしのせいって……エリザベスが会いたかったというのも言葉通りの意味か。なんと紛らわしい。だが怒るに怒れない。


    「他の人は?」


    「オルバ以外は無事よ。ルヴェンが結構酷い傷だったけどしばらく休養すれば治るわ」


    「それでオルバさんの傷の具合は?」


     首を振るエリザベス。


    「怪我はもう平気だけど、冒険者は廃業ね」


    「わたしの……わたしのおおお」と、ナーニアさんがまた泣きだした。


    「ほら、ナーニア大丈夫よ。オルバは許してくれたでしょう?ナーニアの好きな男はそんなに心の狭い男じゃないわよ」


     エリザベスはナーニアさんのところへ行って慰めている。


    「でも……でも……」


     どうしようと思っていると、エリザベスにしっしっと追い払われたので廊下に出た。


     とりあえずエリザベスが無事で良かった。マジで良かった。ほんとうに良かったよ。あれは心臓に悪かった。ふと、おれを見ているサティに気がついて、ぎゅっと抱きしめる。


    「エリザベスが無事でよかったな。ほんとに良かった」


    「はい」


     


     しばらくそうやっていると落ち着いたので隣の部屋を尋ねることにした。


     ノックをすると、暁のメンバーのタークスさんが出てきた。タークスさんは暁の戦斧の斥候的ポジションの人だ。あまり話す機会がなかったのでどんな人かはよくは知らない。


    「マサルか。入ってくれ」


     中ではベッドに並んでオルバさんとルヴェンさんが寝ていた。


    「おお、マサルじゃないか!じゃあシオリイの町からの応援が着いたんだな」と、オルバさん。


    「はい。第一陣で来たんです。他の人達は今頃砦周辺の掃討にあたっています」


    「そうか。これで持ち直すな」


    「あの、傷のほうは……」


    「まだ動けないが寝てれば平気だ」


    「来たばかりで魔力は十分ありますから治療しますよ」


    「助かる。治療院は一杯でな。エリザベスは城壁の防衛に回ってそんな余裕はないし」


     ルヴェンの方から頼むと言われたのでそちらの方にまわる。巨根


    「ああ、マサルすまんな……ゴホッゴホッ。この程度で倒れるとは俺もまだまだだ」と言って体を起こそうとする。


     いやいやいや、無理しないで!寝ててください。あんた咳き込んでるじゃないですか。体中包帯だらけですよ!重症です!重症なんです!今!今すぐ治しますから!【エクストラヒール】!!


    「おー、やはりいい腕だな。ありがとう、マサル」


     ルヴェンさんが起き上がって礼を言う。


    「いえ。じゃあ次はオルバさんを」


     足を見せてもらう。傷はふさがっているが、右足の膝から下がない。アンジェラは欠損した部位は治らないと言っていた。だがエクストラヒールで治らないだろうか?


    【エクストラヒール】詠唱開始――――――発動。


    「ありがとう、傷が治った」


     だが足は治らない。


    「もう一度やってみましょう」


     魔力をさっきの倍込める。【エクストラヒール】発動!だが足はそのままだ。


    「もう一度……」


    「もういいんだ、マサル。魔力を無駄に使うな。こうなったらもう、もとに戻すことは誰にもできないんだ」


    「でも……」


    「何。悪いことばかりじゃない。金は十分に稼いだし、引退して故郷で農場でもやろうと思ってるんだ。もしナーニアも来てくれるなら一緒にな。Aランクになれなかったのは残念だが、命があるだけマシだ。この足も義足でも作ってもらえれば、すぐに歩けるようになるだろうしな」


    「暁の戦斧は?」


     エリザベスはどうなる?


    「そうだな……ルヴェンかタークス。リーダーをやってみるか?」


    「いや。そうなったらおれはオルバと一緒に村に帰るよ」と、タークスさん。


    「おまえにはいつも付きあわせてばかりだな」


    「ふん。子供の時からの腐れ縁ってやつだ。だが、今までの冒険者の生活も悪くなかった。決しておまえに付き合うだけでやってきたんじゃないさ」


    「ルヴェンは?」


    「おれは。ほんとはおれは魔法使いになりたかったんだ。もし暁がこのまま解散するなら魔法を習いに行くよ」と、ルヴェンさん。


    「へえ。初めて聞いたな」


    「誰にも言ってない夢だから。子供の頃適正検査を受けたんだけど丸っきり才能がないって言われた。だけど、エリザベスに教えてもらって小ヒールだけは覚えられた。もう一度夢に挑戦したい」


    「そうか。魔法使い、なれるといいな」


     


     その後、少しだけ話をして部屋を出て、エリザベスに声をかけてギルドに戻った。エリザベスはまだナーニアさんを慰めていた。話をしていきたかったが、軍曹どのをもうずいぶんと待たせている。


     暁は無事とは言えなかったけど、とにかく生きて再会はできたんだ。半数死んだという金剛隊に比べると運がいいのだろう、そう思った。勃動力三體牛鞭

     

    posted by NoName at 14:53| Comment(0)TrackBack(0)未設定