1963年、当時のアール・ウォーレン米最高裁長官は、「電子通信分野における目覚ましい発展は、個人のプライバシーを著しく脅かすものである」との見解を示している。以来、その発展の勢いと脅威はとどまるところを知らない。今日、インターネットを介して提供するサービスや広告を各消費者に合わせてカスタマイズする「パーソナライゼーション」の普及に伴って、個人情報の不正収集が横行している。プライバシーという概念そのものが危機にひんしている。
数年前、コンピューター・コンサルタントのトム・オワド氏が、ネットを介していかに簡単に個人の秘密情報が取得可能であるかを確認する実験を行ったところ、その結果は背筋の寒くなるようなものだった。
オワド氏はまず、オンライン小売り大手の米アマゾン・ドット・コムのサイトに公開された、利用者が購入を検討中の商品やプレゼントとしてもらいたいと考えている商品をリストアップした「ほしい物リスト」をダウンロードするシンプルなソフトウエアを開発した。ほしい物リストには通常、リストの所有者の名前や住んでいる都市などが含まれている。
オワド氏は、標準的な市販のパソコンを2、3台使用し、1日かけて25万件を超えるほしい物リストをダウンロードすることに成功した。次に、オワド氏は、カート・ヴァネガット・ジュニアの『スローターハウス5』やイスラム教の聖典、コーランなど物議を醸す、あるいは政治的に微妙な問題がつきまとう書物や作者に関するデータを検索した。次に、ヤフーの「People Search(ピープル・サーチ)」サービスを使用して、それらリストの所有者の多くの住所や電話番号を突き止めることに成功した。
最終的にオワド氏は、ジョージ・オーウェルの『1984年』を含む、特定の書物や思想に興味を持つ人々の居場所を示した米国地図を作成することができた。オワド氏は、同じようにして、例えば、うつ病の治療や養子手続きに関する書物に関心を持つ人々の居場所を示す地図をネットに公開することもできた可能性がある。
「以前は、個人や団体の監視には正当な理由が必要だった。だが今や、思想を監視し、個人を突き止めることは日に日に簡単になっている」と、オワド氏は述べる。
オワド氏が手動で行った上記のような一連の処理は、今や、データマイニングソフトを使用して多くのサイトやデータベースからデータを収集することで、自動的に実行されるようになっている。ネットの本質的な性質の一つは、多様な保存情報を相互に関連付けることにある。
そうしたデータベースの「開放性」こそが、ネットの強みであり、有用な点であるのは確かだ。だが一方で、ネットによって、広範囲に散らばったデータの断片の隠れた関連性が、簡単に見つけられてしまうのも事実だ。
米ミネソタ大学の研究者チームが2006年に、データマイニングソフトによって、たとえ匿名で公開された情報からであっても、いかに簡単に個人の詳しいプロフィールが作成できるかについて論文を記している。データマイニングソフトは、人は往々にして、自身に関する多くのちょっとした情報をウェブの至る所に残しているものだというシンプルな原理に基づいている。
高度なアルゴリズムを使用して、それらデータ間の対応性を特定することで、極めて正確に個人を特定できるという。そこまで行けば、その個人の名前を割り出すことは、それほど難しくはないという。研究者によると、郵便番号と生年月日、性別さえ分かれば、大半の米国人の名前と住所は割り出すことが可能だという。それら3つの情報は、ウェブサイトでの登録作業で多くの人が入力する情報だ。
ネットがわれわれの仕事や私生活に深く浸透すればするほど、われわれは危険にさらされる確率が高くなる。ここ数年、「Facebook(フェースブック)」や「Twitter(ツイッター)」といったソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が普及するにつれ、それらサイトに、より細かい個人情報を預ける機会が増えてきている。
また、携帯端末への衛星利用測位システム(GPS)機能の搭載や、「Foursquare(フォースクエア)」などの位置情報追跡サービスの台頭により、人々の移動記録を逐一収集することが簡単にできるようになってきている。
さらに、紙の印刷物から「Kindle(キンドル)」や「Nook(ヌック)」といった電子書籍へと読書形態が移行するにつれ、たとえウェブを閲覧していないときであっても、綿密に読書嗜好(しこう)を監視できるようになってきている。
1999年に当時サン・マイクロシステムズの最高経営責任者(CEO)を務めていたスコット・マクニーリー氏は「プライバシーなど無いも同然だ。それに慣れるしかない」と述べているが、つい最近も、他の複数のシリコンバレーの経営者が同様の意見を表明している。
個人のプライバシーの減少によって、最終的に利益を得るのはインターネット関連会社だ。したがって、そうした流れに彼らが無頓着なのはある意味仕方ないが、われわれ利用者側には警戒が必要だ。そこには、真の危険が潜んでいる。
まず最も起こり得る可能性が高いのが、個人データが犯罪者の手に渡ってしまうことだ。強力なデータマイニングツールを持っているのは、何も合法的な企業や研究機関だけとは限らない。詐欺や窃盗集団の場合もある。
ネット上で収集・共有される個人データが増えれば増えるほど、データの不当な傍受が行われる危険性も高まる。個人のID情報は、組織的犯罪集団によって盗まれ、金融詐欺に利用されたり、位置情報はストーカーによってストーカー相手の場所の特定に利用される可能性がある。
第1の防衛手段は、当然ではあるが、常識を働かせることだ。サイト登録の際に提供する個人情報に対しては、各自が責任を持つ必要がある。
だが、どんなに注意を払ったところで、情報は知らないうちに収集され、拡散するものだ。どのような個人情報がネットから収集され、それがどのように利用されたり、やり取りされているのかが分からなければ、情報の乱用を防ぐことは難しい。
次に危険なのが、個人情報が、われわれには分からない形で、われわれの行動や思考に影響を与えるために利用される可能性があることだ。パーソナライゼーションは「マニピュレーション(操作)」と紙一重だ。
数学者やマーケティング会社によるデータマイニングアルゴリズムの高度化が進めば進むほど、人々の行動や、オンライン広告をはじめとする電子広告媒体を目にしたときの人々の反応を、より正確に予測できるようになる。
つい先日も、米インターネット検索大手グーグルのエリック・シュミットCEOが、アルゴリズムを使用して、個人のメッセージや動きを追跡することで、正確にその人の次の行動を予測できると認めている。
宣伝文句や品ぞろえが、われわれの過去の行動様式と密接に関連するようになればなるほど、それらが、われわれの未来の行動に与える影響は大きくなる。
今や広告会社は、ウェブの閲覧履歴を監視することで、極めて細かい個人情報を推察できるようになっている。それらの情報は、広告キャンペーンを特定の個人向けにカスタマイズするために利用される。
例えば、肥満に関するサイトを閲覧した人に対して、減量治療に関する宣伝・広告メールが送信されたり、不安症に関する調査を行っている人に対して、製薬会社の広告が大量に送り付けられたりするのは、このためだ。
パーソナライゼーションとマニピュレーションを分かつ一線はあいまいだが、1つだけ確かなことがある。企業が具体的にどのような個人情報を有しているのかが分からなければ、われわれには、その一線が超えられたかどうかを知る由はないということだ。
ネット上でのプライバシーの保護は、とりわけ難しいものではない。ソフトウエアメーカーとサイト運営者が、利用者は個人情報の保護を望んでいるということを常に忘れないことだ。
プライバシー設定は標準でオンにしておき、公開する個人情報を利用者が自分で管理できるようにすることだ。また、企業がメッセージのパーソナライゼーションのために個人の行動を追跡したり、個人情報を利用する場合、それがわれわれにも簡単に分かるようにする必要がある。
プライバシーの継続的な減少がもたらす最大の危険性は、社会がプライバシーという概念を軽視するようになり、プライバシーを時代遅れのささいなものとみなすようになることだ。いずれ、プライバシーは、ネット上での効率的な買い物や交流を妨げる障壁でしかないとみなされるようになりかねない。そうなれば悲惨だ。
コンピューターセキュリティーの専門家、ブルース・シュナイアー氏は、プライバシーとは、単に何か後ろめたいことや恥ずかしいことをするときに背面に隠すコンピューターの画面を指すだけでなく、「自由という概念の本質的な部分」であると述べている。人は自分は常に見張られていると感じるとき、自己依存感覚や自由意志と共に、個性も失い始める。この状態をシュナイアー氏は「監視の目にさらされ、拘束された子どもになる」と表している。
プライバシーは、人生や自由にとって不可欠であるのみならず、広範かつ深遠な意味において幸福の追求にとっても不可欠である。われわれ人間は、単なる社会的創造物であるのみならず、私的創造物でもある。共有しない情報は、共有する情報と同じく重要だ。
公的な自分と私的な自分とを分かつ境界線をどのように引くかは、個人によって大きくことなる。したがって、各自が好きなように境界線を引く権利を守ることに、これまで以上に慎重になることが重要だ。
(ニコラス・カー氏は作家。直近の著書に『What the Internet Is Doing to Our Brains』がある)