歴史談義用掲示板過去ログ4

Last-modified: 2025-11-01 (土) 21:26:01
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  • 石亭の戦いや曹真の蜀攻めの司馬懿って急に記述消えるけど何してたんだろ。 -- 2024-08-25 (日) 02:52:55
    • 石亭の時は「漢水を下って侵攻」「江陵より進ませた」「張郃が合流したが冬で船を進ませられなかった」「曹休の敗退により司馬懿らも撤退した」なので牽制なのかあわよくば橋頭堡を取ろうと目論んだかはわからんがあまり交戦してないと思われる、子午の役については多分曹真と似たような理由か蜀の防衛ラインにかかって引き上げたと思う、なお晋書に山を開いて進み、現在の重慶市最北東辺りを攻め、安豊県(間違いなく安康県、酷いと安富県の誤記)を落とした後、丹口に駐留とかあるが、前述の誤記だろう箇所含めてもヒゲの千里行並の迷走の末に恐らく昔でも繋がってないとこ越えて子午道に現れたことになってる、ていうか漢水を遡るんだろ、横道行くなや……流石晋書様ですわ -- 2024-08-25 (日) 04:32:31
  • 日本の戦国大名が後継者の明確化とかのためによくやる、当主が息子に家督を譲って形だけでも引退するムーブは不思議と中国ではあんまり聞かないけどなんでだろう。中華皇帝の場合は天命思想との兼ね合いが、三国時代の軍閥の場合は、軍閥を率いる根拠がトップ個人の名声や官職などで、「家」に紐付いたものではなく、また本来州牧などの官職は世襲できるものではないというのがネックだったのだろうか -- 2024-08-31 (土) 07:15:11
    • 最後の、官職が世襲じゃないのが一番大きかったんじゃねえかな。なんだかんだで官の影響力は大きいし。 -- 2024-08-31 (土) 15:33:59
    • そもそも役職と財産は別物ですしおすし、これは古今東西でそう(役職が財産に直結してる場合、結果的に両方世襲するはあるかと思うが)大臣とかにあたるまで役職を世襲出来ちゃってた中世日本が異質、王(中国の場合は皇帝も)は役職ではなく、国の祭事や運営という財産かつ役割を世襲してるから世襲が成り立つというイメージかなあ、研究とかじゃなく素人のイメージね -- 2024-08-31 (土) 21:24:55
    • クーデターなどによるものではなく、自発的に帝位を譲った皇帝もいることはいるが、「皇帝の座をほっぽって遊びほうけたい」(北周の宣帝)、「国が滅びそうだけど、自分が最後の皇帝になるのは嫌だから息子(一族)に帝位を押しつけたい」(金の哀宗・北宋の徽宗)とどれも理由がろくでもないのが…  「祖父・康熙帝の在位年数(61年)を超えるわけにはいかないから」と治世60年で退位した乾隆帝も理由はまだまともだが、こっちはこっちで退位後にヘシェンとかいう奸臣を重用して大問題を起こしてるし、きれいな形で身を引くって難しいんだな… -- 2024-09-13 (金) 07:16:07
  • 孫権は曹叡、諸葛亮、公孫淵と三者三葉に馬を求めていて、本人の要求水準に対して馬が全然足りてなかったんだろうって事が察せられるけど、蜀はそういう話見ないな。繁殖で自給できてたのか羌とやりとりなどして確保できてたんだろうか -- 2024-09-01 (日) 21:50:56
    • 秦嶺山脈超える負担を考えると、騎馬隊はほとんど運用してなかったかもね。羌族が多少騎兵を貸してくれた可能性はあるけど。 -- 2024-09-01 (日) 23:34:55
    • 単純に魏とは交渉できないから外交的な話として残ってないだけでは。まあ、呉と比べたら立地的に得易かっただろうし、実際姜維とか騎兵隊使ってたから相当数保有していたんだろう。 -- 2024-09-02 (月) 00:26:34
      • 記録にない=やってない、その考えはない、ではないもんな、たまに記録にそんなのないよマンいるけど -- 2024-09-02 (月) 01:23:24
      • もともと姜維が涼州の人かつ馬一族の皆様の関係もあったから北伐時の馬は山の向こう側で調達してましたってなっててもあんま不思議ではないかも -- 2024-09-02 (月) 02:11:00
      • 孫堅は酒席で周泰をひん剝いたけどその後で服を着せたとは書いてない、つまり周泰は剝かれたままだ!という笑い話があったな。 -- 2024-09-02 (月) 18:52:26
      • 呉だって曹操曹丕の代はともかく曹叡の代は完全に敵対国家同士ではあったけど交易はしてるし、魏でも蜀錦は珍重されたようだから蜀魏間で交易等での交渉ができなかった訳ではないと思いますがどうでしょう。魏とは交渉出来ないから記録として残っていないのではなく、魏とは明記するような交渉が必要無かったと考える方が妥当ではないだろうか。 -- 2024-09-02 (月) 20:51:33
      • 晋の勝ち確がはっきりすると呉に避難してた住民が大量に中原へ帰還したとあるし、分裂状態と言っても緩い感じだったかもね -- 2024-09-02 (月) 21:00:48
      • 馬に関しての記録についてはやはり軍需品にあたるから交易ができないと見るべきだね、特に呉は持ち込むなら荊州からこっそりと降らせるか、建業方面で土下座して貰うなりしなきゃ船のせて交易葉まぁ無理だろ -- 2024-09-03 (火) 02:15:09
      • 馬は軍需品だから交易できない?呉志孫権伝の本文中に魏からの交易の求めがあって、珠、翡翠、タイマイと馬の交易をしたという記述があるのですが。 -- 2024-09-03 (火) 06:22:26
      • それは逆に言えばわざわざ記録するくらいには平時の馬の確保が大変だったと自白してるようなもんでは? -- 2024-09-03 (火) 12:12:56
      • 南船北馬って言うぐらいだしそれはそうなのでは。北の方が馬の技術は進んでるし質も違うだろうし普通に交易対象になるでしょ。 -- 2024-09-03 (火) 12:35:37
      • まず木の時点で呉は正史内での複数の記述から馬の確保が大変だったのが察せられると言ってるから、それは話題として周知の事かと思ったけれど、自白っていうのはどういう趣旨の発言なんだろう -- 2024-09-03 (火) 20:28:09
      • 呉の馬事情についてはまさにそのものずばりの論文があるんだけど、読んでみると南中が馬の産地だったそうなので蜀はそこから馬を得ていたんじゃないかな。中原や北狄の地のものとは品種が違うだろうけど -- 2024-09-03 (火) 23:06:09
      • 夷陵の劉備軍も騎馬率高くないからやはり直接仕入れられる蜀漢側からしても生産数も程々なんだろうな、まあ単に永安から西陵辺り抜けるのに大規模な騎兵運用が向いてないってのもありそうだが、そういう意味では孔明の北伐も馬の大規模な確保目当てもありそうね -- 2024-09-04 (水) 01:26:09
      • 河北を制してた袁紹ですら『世語』の記述だと歩兵五万に対して騎兵八千の比率だからなあ。巴蜀に割拠してた劉備が歩兵四万に騎兵三千ってのは言う程に少ないわけでもないような。中原の群雄だった鮑信は歩兵二万に騎兵七百で、孫策配下の武将が兵を授けられる時の定番が歩兵二千に騎兵五十だしな。 -- 2024-09-04 (水) 02:22:44
      • 元々貴重な上、寒冷化で馬の供給も激減しただろうからなぁ。戦や飢饉で死んだり食われたりも相当してただろうし、馬にとっても後漢末は地獄。 -- 2024-09-04 (水) 06:22:19
      • ↑4これはいい論文を教えて貰いました。蜀の馬事情の一端や孫権の幾つかの行動にも納得のいく話です。感謝です。 -- 2024-09-04 (水) 12:36:12
  • 諸葛亮は元戎、偏箱車、神刀、筒袖鎧とか色々作ってるけど蜀って工業力高かったのかな。孟幹も弩を上手く作れることをアピールしてるし -- 2024-09-10 (火) 02:46:00
    • 鉱物資源は豊富だったはずだが、筒袖鎧は前漢からあるし、神刀は金を鋳型にして鋳造されたファンタジックアイテムやぞ -- 2024-09-10 (火) 19:37:06
      • ちなみに金の融点は鉄の融点より500℃ほど低い。 -- 2024-09-10 (火) 19:38:50
      • ググって出てきた内容をそのまま書いたんだろうけど、鉄の融点が金の融点より500℃高いのは純鉄と純金の場合だけな。あの時代に純鉄が武器として加工されるようなケースはあり得ないと言っていい。ちなみに現代ですら鋳鉄に使われるような鉄はそれだけで300~400℃は融点が下がる。 -- 2024-09-10 (火) 22:18:55
    • 金といっても純金ではなく合金だった可能性が高いし(コスト的にも強度的にも純金とは考え難い)、鉄も現代の鉄鋼の様に質の高い物でなければ融点は数百℃単位で大幅に下がるから、別に言う程の不思議技術でもないけどな。 -- 2024-09-10 (火) 22:05:04
    • 巴蜀は春秋戦国の頃から斉や楚と同じく工業の盛んな地域だからね。天下一と謳われた蜀錦を見ただけでも、その技術水準は窺い知れる。蜀漢で制作されたとされる竹製の弩が呉の地域で発掘されたというから、三国時代も工業技術は全国トップクラスだったんじゃないかな。ちなみに筒袖鎧も原型とされる物は前漢からあるけど、晋代以降に広く普及した物は諸葛亮によって考案・改良された物とされてる。 -- 2024-09-20 (金) 21:24:14
  • 孫策が于吉に異常にあたりがきつかったのって、于吉が張角Mk-IIになりかねないと警戒してたせいかしら。まあ考えてみたら、10歳そこらで黄巾を目の当たりにして、宗教勢力の祖郎に殺されかけたわけだし、宗教家そのものがトラウマになっててもおかしくないか -- 2024-09-17 (火) 06:39:00
    • シンプルに面目丸つぶれにされたせいじゃないかな。支配下の街で于吉>孫策って示されたわけだし。 -- 2024-09-17 (火) 18:29:16
      • あんなの宗教とか関係なく一刻も早く始末しないとかなわんだろうね。孫策の権力が盤石だったらなびいた家臣も纏めて粛清してもおかしくないレベル -- 2024-09-17 (火) 19:25:10
    • ことさら張角の再来を警戒した訳ではないと思うな。家柄や地位と言った支配権を支えてくれる要素に乏しかった孫策は被支配層に影響力を持つ人間に過敏に反応したのだろうというのと、短気で血の気の多い孫策本人の気質からでは。 -- 2024-09-17 (火) 19:55:05
      • そもそも中原と違う独自の土着信仰なんかもあるうえに定期的に宗教的な反乱起きてるしな、徐州や呉越方面って。この時期、長江北岸もおおブッダよ!な事になっちゃってるし…… -- 2024-09-18 (水) 01:23:05
    • 裴松之も突っ込んでるように「時代間違えてね?」なのはともかく、百年後の江表伝に書かれるくらいには民間で孫策側が悪いと言わんばかりに見る人もいたってのが割とヤバい -- 2024-09-18 (水) 01:33:43
    • ぶっちゃけ于吉やジモティーからしたら、孫策の方が勝手にやって来た余所者の征服者だからのう。 -- 2024-09-18 (水) 23:14:35
  • よりによって曹爽を倒した249年に、程喜から「杜恕が鮮卑族の子供を勝手に斬りました」と報告された時、司馬懿はかなり焦っただろうな… 最悪の場合杜恕のせいで鮮卑族が暴発しててもおかしくなく、その場合クーデターを起こした直後で、国軍を掌握しきれたかも怪しい状態で鮮卑討伐をやらされる事になるわけで、罰ゲームってレベルじゃねえぞ! -- 2024-09-20 (金) 18:44:16
    • 司馬懿は73で死ぬ間際にも王淩の反乱鎮圧に奔走してるし、握った権力は逃がさないっていう姿勢は見えるけど、それはそれとして滅茶滅茶苦労もしてるな…って思うわ。 -- 2024-09-22 (日) 00:09:18
    • 杜恕のしくじりポイントはただただタイミングが悪いというのと、せめて報告くらいはしっかりしろよ…の二点だな。異民族といえど、法を犯したら容赦しないと毅然とした態度を示すのは悪いことじゃないし、この頃の鮮卑は軻比能を殺られて弱体化してたから、仮に暴発したところで十分対処できたはず、何なら司馬家の威信を稼ぐボーナスステージにできたはずなんだ。ク ー デ タ ー の 直 後 で さ え な け れ ば -- 2024-09-22 (日) 07:54:05
    • そもそもの原因は魏が権力バリ強な方面都督(≒親族)が不足&この時期にはさらに立場暴落なうえに、元々から北方管区が扱い悪いのも一因だろうがなあ、音頭取る偉い人がいねえからか何年間身内で主導権争いしてんだよってなる(これは流石に曹丕が悪い、曹彰辺りをあのまま置いとけたら…)。魏の権限は征〇将軍が都督も兼ねるケースが多く、他人落としたネタが目立つものの、程喜からしてもマジで笑えないんだよなこれ。 -- 2024-09-23 (月) 01:57:46
  • ゲームだと呉の武将って孫堅時代の将から水上戦に関する技能持ってたりするけど、揚州荊州出身の孫堅や黄蓋はともかく程普韓当なんかは思いっきり北の人間だけど、彼らは水戦の心得なんてあったのだろうか?ゲーム的にはもう呉将のお約束的な物として受け入れてはいるけど。 -- 2024-09-22 (日) 00:51:24
    • ぶっちゃけ、実際に操船するのは配下の地元の人間だから、水上戦の指揮になれればいけるじゃろ。 -- 2024-09-22 (日) 01:06:06
    • 程普や韓当は騎兵として優秀そうな記述が多いけど、ゲームにはあんまり反映されないな。 -- 2024-09-22 (日) 03:16:31
      • 13だとBとAだから、呉だと高い方だよ。 -- 2024-09-22 (日) 05:34:39
      • Ⅸでも2人とも騎兵と弓騎の戦法は持ってたな。 -- 2024-09-22 (日) 12:38:36
      • 5の頃はまだ陸戦って感じはなかったかな、典型的The孫呉って記憶…まあ演義要素99%くらいからの過渡期だったし仕方ない、リメイクだと韓当は騎射持ちになってた -- 2024-09-22 (日) 16:18:39
      • Ⅸだと呉将で騎兵・弓騎系を持ってる人があんまりいなくて微妙に持て余してたな…<程普・韓当の騎兵・弓騎系兵法 特に弓騎系が激レアで、主力級だと他に太史慈しかいない -- 2024-09-22 (日) 16:53:12
      • 14でも韓当の方は鋒矢錐行に突撃と騎兵イメージの性能だと思うよ -- 2024-09-22 (日) 16:59:04
  • 司馬懿の孟達討伐は華陽国志や晋書だと呉も援軍に来ていたらしいけど本当かな?孟達が油断せずに諸葛亮や呉の援軍を受けてれば司馬懿を撃退できたんだろうか -- 2024-09-23 (月) 08:10:19
    • 上庸の位置的にもし蜀と呉の両方から援軍が間に合ったなら魏軍は挟まれる形になるから、撃退できた可能性はあるとは思う。ただ僅か8日で急行というのはあまりも常識を外れた速度なんで、孟達が史実より油断していなくても備えが間に合ったどうか、援軍が間に合ったかについては怪しいんじゃないかな。 -- 2024-09-23 (月) 15:04:07
    • 諸葛亮が援軍送らなかった事が全てでは?少なくとも蜀から簡単に兵を送れる場所じゃないし、北伐に支障をきたす可能性も考えたらあのタイミングで兵は出せないだろう。元々仲悪い申儀や離反する連中も出て来る事から、内部的にもまとまってなかっただろうし、それで長期間戦えたとは思えないな・・・。 -- 2024-09-23 (月) 23:17:55
    • 魏興の申儀が同調しないなら漢中から上庸のど真ん中で妨害かけてくるのは明白で、そら孔明からしたら「孟達くんはダメだね」って言われるのも当然だし、援軍なんて出せるわけもないな(襄陽からも当時も陸路使えるならあちらのほうが近い) -- 2024-09-24 (火) 01:40:26
    • 援軍を送れなかった理由は分かるけど、費詩の反対を押し切ってまでして自分で煽ったのにそりゃないよ…とも思う。自分で調略を仕掛けた相手を見捨てたら以後の調略の難易度が爆上がりして良いことなんか一つもないし、相手を助けられる見通しもないのに調略かけんなと -- 2024-09-24 (火) 07:39:16
      • 「まあ孟達やし別にええか・・・」と思われていた説。その後の北伐での涼州諸郡の調略には成功してるわけだし。蜀に全BETだ!みたいなのが激減するのは涼州の彼らを孔明が見捨ててからなので。 -- 2024-09-24 (火) 12:30:34
      • 劉封殺したのも諸葛亮だし荊州失った恨みだとしたら面白い。 -- 2024-09-25 (水) 20:02:30
    • 援軍を送らなかったからといって送る気が無かった(見捨てた)という事にはならないのでは?孟達は反乱表明から魏が行動起こせるまで1月はかかると見ていたから、普通はそれ位はかかるんだろう。そこを8日で急行されて電撃鎮圧されたから援軍を送りたくてもその余地すら与えて貰えなかったという可能性もあるのでは。 -- 2024-09-24 (火) 15:31:32
      • それが費詩伝に「諸葛亮も亦た孟達に款誠の心が無いと考え、ゆえに救助しなかった(原文:亮亦以達無款誠之心、故不救助也。)」とあり、孟達が信頼できないからとはなから救援する気がなかったかのような記述なのよ -- 2024-09-24 (火) 16:13:21
      • 前に司馬懿のコメント欄でも話題になったけど、宛から上庸までの主要な道を進んだ場合の距離は約330km。これは歩兵の(強行軍ではない)通常の行軍でも12~13日で到達する距離。強行軍で進めば日数はより短くなるし、騎兵だけ先行すれば(騎兵の質にもよるが)6日程度で到達できる。晋書のデタラメだらけな記述を真に受けすぎだよ。 -- 2024-09-24 (火) 18:08:45
      • 上2 枝の人ではないけどそりゃ安易には信用しねえだろ、費詩の言い分はあんなやつ当てにしてはいけないであって、孔明の判断は当て推量だが、その費詩の指摘に上乗せする形でなら出戻りに足る成果を持って来るならワンチャン与えとくかくらいのもんじゃないかと、でもって蜀がほぼ無縁の涼州とはちがって孟達は本人が離反しますってくらいじゃ足りるわけもない(上庸に地縁があるわけでもないし) -- 2024-09-24 (火) 23:37:03
      • ↑2 晋書では単純な行軍日数じゃなくて、宛と洛陽の間のやり取りで1月かかるという事を言っているように見えます。行軍日数の話はまた別なのではないでしょうか。 -- 2024-09-25 (水) 03:08:50
      • 宛から洛陽までは急使を送れば3~4日で報告できる距離しかない。往復しても6~8日。先に書いた宛から上庸までの距離なら、歩兵・騎兵の混成軍でも強行すれば8~10日で到達するので、合わせてもせいぜい半月程度しか余裕はない。そもそも晋書を信じるのなら、「諸葛亮は孟達を憎み、災いとなるのではないかと危惧していた」とあるので、最初から魏によって孟達を排除させる気で救援する気は全くない様な書かれ方なので議論の余地もない。 -- 2024-09-25 (水) 04:25:47
      • 晋書では救援送ってるぞ -- 2024-09-25 (水) 07:26:52
      • 蜀はともかく、呉が上庸を通り越して西城に救援してるとかいう出鱈目な記述だけどな。同時代や直近に書かれた魏略や三国志に無い話が急に出てきて、内容も出鱈目というのがまさに晋書らしい。 -- 2024-09-25 (水) 13:23:33
      • 張郃伝にある劉阿を破ったというのがそれだろう。 -- 2024-09-25 (水) 14:38:13
      • それは226年に孫権が諸葛瑾と襄陽・江夏に侵攻した際の記述だろう。あるいは孟達討伐後の魏による三方面侵攻の際の記述が前後して書き込まれたのかもしれないが。 -- 2024-09-25 (水) 15:54:40
      • ↑3孟達は宛からの軍は問題ないと思ってて、とりあえずの敵は西城の申儀だから -- 2024-09-25 (水) 19:22:18
      • だとすれば、なぜ晋書以外の諸書にその記述がないのか。逆になぜ晋書では張郃伝と同じ記述がないのか。 -- 2024-09-25 (水) 22:21:54
      • 孫権が誘って内通した所までは華陽国志にもある。劉阿の話は晋書で言えば帝分諸將以距之がそれなんじゃない -- 2024-09-25 (水) 22:58:44
      • 劉阿の件は先にも書いた通り孟達の造反とは別件だろう。基本的に張郃は関中諸軍に配置されていて、大規模な作戦行動を行う際に限って荊州へ援軍として派遣されている。もし張郃伝の記述が孟達の件なのだとしたら、曹叡は随分前から孟達の反乱時期を予測していたことになり、他の諸書の記述と辻褄が合わない。 -- 2024-09-25 (水) 23:44:05
      • 孟達は曹丕の代から蜀呉と連絡を取り合ってるけどね -- 2024-09-25 (水) 23:57:00
      • それは華陽国志のみにある記述だな。それ以外の諸書ではいずれも孟達が背いたのは曹丕の没後となっている。だが、華陽国志の記述を信じるのなら、蜀や呉は孟達に救援を差し向けなかったということになるだろう。昨日から薄々感じていたことではあるが、各種の史料の記述から都合の悪い記述を無視して、自論に都合の良い記述だけをつまみ食いばかりする様な議論の仕方はやめないか? -- 2024-09-26 (木) 02:15:19
      • 費詩伝の話も225年だし上庸~宛~洛陽でやりとりに一ヶ月かかる話も華陽国志にある -- 2024-09-26 (木) 07:09:28
      • 費詩伝の記述だと南征の帰還時に李鴻から話を聞いた事が発端とされてるが、諸葛亮が南征を終えたのがこの年の秋なのだから、その帰還時となれば冬に差し掛かる季節になる。その後、発言通りに帰還し終わってから孟達に書簡を送って、その後も幾度かお互いに書簡を送っていたのであれば、魏への叛意を決意したのは226年になってからだろう。その頃には曹丕の死病も隠せなくなっていただろうし。そもそも同時代に書かれた魏略に曹叡が当初は孟達の謀反を信じなかったことが明記されている以上、曹叡が事前に孟達の叛く時期を予測して張郃を荊州に配置していたという主張は成り立たない。晋書と華陽国志の記述が共通しているのは晋書・宣帝紀を編纂する際に華陽国志の記述を一部丸写ししたからだろう。 -- 2024-09-26 (木) 10:06:56
      • 曹叡が当初は孟達の謀反を信じなかったことが魏略にしかないなら他の諸書の記述と辻褄が合わないんでないの -- 2024-09-26 (木) 13:38:07
      • 張郃を荊州に呼んだ理由が孟達への対応だけとは限らんやろ。代替わりすれば呉が攻めてくる可能性は高く、実際攻めてきた。 -- 2024-09-26 (木) 16:18:06
      • ↑2 そもそも君が主張してる蜀や呉の救援は他の諸書と明確に矛盾しているから辻褄が合わないが、魏略の曹叡の反応は他の諸書に記述こそないが、辻褄が合わないわけではない。魏略の通りだったとしても、申儀の密告を孟達が知らなかったとすれば他の諸書の記述と特に矛盾しないからな。というか君の立場でそれを言い出したら議論にならんだろ。魏略にしかない記述を信用できないなら、魏略より成立年代が遅い上に評価も低い晋書にしかない救援なんかもっと信用できないね、で終わりだわ。 -- 2024-09-26 (木) 18:05:33
      • だとすれば、なぜ魏略以外の諸書にその記述がないのか。 -- 2024-09-26 (木) 18:20:46
      • 右将軍の徐晃が襄陽で諸葛瑾を防いだ後に亡くなってるから、左将軍の張郃が来たんだと思う。 -- 2024-09-26 (木) 18:40:46
      • ↑2 そりゃ紀伝体の筆法として個々の紀・伝での主となる人物について記すからだろう。宣帝紀や費詩伝でそれぞれの評価に繋がらない曹叡の細々とした反応なんぞ記す理由がない。三国志に関して言えば陳寿の記述が省略し過ぎてて簡素という事情もあるけど。 -- 2024-09-26 (木) 19:10:43
      • 呉の大侵攻を撃退した直後に張郃を荊州で備えさせる理由がないだろ。あのタイミングでそこまでの備えが必要なら、曹休が揚州側で大敗して、司馬懿が荊州側で失態をしでかした石亭の役の直後という、深刻な危機的状況であっさり張郃を関中に返したりするのは説明がつかない。 -- 2024-09-26 (木) 19:19:22
      • 諸葛亮の第一次北伐前の魏は蜀に備えてないから -- 2024-09-26 (木) 19:30:49
      • ↑2援軍の件とかもそうだよね。大本の孟達を討ったことは記されてるし、三国志に司馬懿伝はないし蜀呉は敗北は記さない -- 2024-09-26 (木) 19:38:27
      • 蜀への備えが必要ないと考えていたから、徐晃の没前から張郃も荊州に配置してて、張郃の伝にある呉の別将を撃ったというのも226年の孫権の大侵攻の話だろうね。 -- 2024-09-26 (木) 19:45:01
      • 晋書でも諸葛亮は孟達を憎んでいたとあるので時期を合わせての決起は一旦諦め、郭模の工作が成功して孟達の挙兵を確認してから姚静・鄭他らを送ったってところかと -- 2024-09-26 (木) 19:48:46
      • ↑3 他の書に記述がないだけなら、些少なりとも晋書の記述を信じてもよいかと思うが、問題は他の書で明確に否定されてることだ(晋書はそんな記述が本当に多い)。ついでに言えば、紀・伝の主の評価に繋がらない様な枝葉末節を省いたり、敗戦の詳細を記さないだけで、敗北した事実そのものは普通に記載されるぞ。 -- 2024-09-26 (木) 19:52:50
      • ↑3両方参加したって考えもあるわな -- 2024-09-26 (木) 20:04:19
      • 元々荊州には夏侯尚・徐晃ペアがいて、226年に夏侯尚と曹丕が亡くなって司馬懿は洛陽から出撃。227年徐晃死亡。司馬懿が6月に荊豫州諸軍事として宛に駐屯。張郃も荊州に駐屯してから戦い出してるしこのタイミングっぽいけどなぁ。 -- 2024-09-26 (木) 23:19:45
      • 晩年の張郃は西側南側と二足の草鞋状態なので、戦の起きた方に派遣されると言う感じだからどっちに駐屯してたか?ってのはあまり考えても無駄だと -- 2024-09-27 (金) 02:42:46
      • 張郃は南に遣わされて荊州に駐屯してるから他の場所から来たのは明らかで、臨時に襄陽に派遣されたならこうは書かれまい -- 2024-09-27 (金) 08:22:58
      • 南征やそちらの防衛なんかのときは基本的に「遣」なんだよね、張郃の動き、そして関中の軍を束ねてるから西側の備えなのだけどそこのトップの補佐として流動的に動いてる感 -- 2024-09-29 (日) 00:53:02
    • 魏略の申儀の密告からの呼び出しにビビって裏切った説が一番有りそうな気がするんだよな・・・油断してたんじゃなくろくな準備が出来て無かった。タイミング的にも、北伐の布石にしては早過ぎる気がするし、本当はもっと直前とかに裏切る約束だったとしたら諸葛亮の塩対応もわかる気がする。 -- 2024-09-25 (水) 06:15:58
      • ありそうっていうか連絡取ってたけど孟達が信用できないから申儀を利用して強制決起させたってのは魏略、費詩伝、晋書で大体同じ。最初はきちんと計画立てるつもりで無理で、でも利用は出来るしタイミングは遅れるたら意味ないしああするしかなかったんだろう。あんな電光石火でやられるとは思わんし。 -- 2024-09-25 (水) 07:55:32
    • 呉から上庸目指して川を遡った場合襄陽の目の前を通ることになる。それはさすがにあり得ないし迂回路として使えそうな川とかもないので少なくとも呉の援軍はガセと見ていいと思う。なら蜀の方はいたかというと、いなかったとは言い切れないがいたとしても大した数ではなかった(せいぜい偵察隊レベル)だと思う -- 2024-09-27 (金) 21:00:39
      • 孟達は江陵から秭帰→房陵→上庸に出て関羽討伐時陸遜が房陵まで取ってるから行けないってことはないよ -- 2024-09-27 (金) 22:10:07
      • 呂岱「大丈夫いけるいける!!」 -- 2024-09-28 (土) 02:46:23
  • 兀突骨ってめっちゃ声に出して読みたいくらいに韻を踏んでて語呂が良いけど、羅貫中さんの時代にはもうそんな言葉遊びみたいな文化があったんだろうか -- 2024-09-26 (木) 13:21:32
    • 中国語の発音だとどうなるんだろ?名前はともかく、南蛮をヤベエ所扱いする文化はあったんだろう・・・。 -- 2024-09-26 (木) 13:50:30
    • ウートゥグゥかな、兀は高くそびえるの意味なので、バカでかい奴くらいのニュアンスで名前付けてる感じがする -- 2024-09-26 (木) 15:01:49
      • おー、中国読みだとそんな違うんだね。それはそれで後の世にこの語呂の良い日本語読みになるってのも面白いもんだね -- 2024-09-26 (木) 15:48:14
    • 羅貫中さんも日本語の音読みでことば遊びしないと思うの -- 2024-09-26 (木) 19:25:46
  • 袁紹が官渡で勝った世界線の劉備は、袁譚擁立を目指してあれこれ引っかき回してそうな気がする。その世界線でも自立を目指すのか、大人しく袁家の配下に収まるのかはわからんが、どっちにしても故吏である袁譚が後継になってくれた方がなにかと都合がいいだろうし、袁譚にしても、幹部クラスの支持が薄い中、袁紹陣営で最高位の左将軍で、本拠地の青州に隣接する徐州に影響力を持つ劉備は是非とも取り込みたいだろうからな -- 2024-09-27 (金) 16:36:54
    • 幹部の支持が薄かったとは限らないのでは?正史で逢紀審配と郭図辛評で割れつつ衆目は袁譚支持だったとあるので必ずしも袁尚有利という感じもしないし、まして官渡で勝った世界線ならもっと多くの幹部が健在だろうし、当時の常識に沿えばむしろ袁譚有利なんじゃないか?沮授とかは長幼の順を重んじて袁譚支持しそうに思える。 -- 2024-09-27 (金) 21:39:04
    • 寄親の勢力滅んだり密詔アタック食らって曹操と敵対させられたりしなきゃ割と普通に配下ムーブやってるので、変な陰謀/派閥争いに巻き込まれなきゃ袁譚配下の重鎮に収まりそうな気もする。 -- 2024-09-27 (金) 22:44:43
    • なまじ袁譚擁立という行動を取ると袁家の内訌に本格介入する事になってフットワーク重くなるので控えめに袁譚支持位はしそうだが劉備はそこまで深入りしないのでは?という気もする。 -- 2024-09-28 (土) 00:20:29
    • あんま後継者争いに積極的に関与するイメージないんだが・・・それより今度は袁家が簒奪するターンになる訳だが、献帝側含めどうするんだろうな。また、はたして袁家で寒冷化が続く国土を復興できるのかどうか・・・。展開次第では劉備にもワンチャン有るし、前倒しで異民族エンドが起こる可能性も・・・・。 -- 2024-09-28 (土) 01:26:26
      • 袁紹は「新皇帝立てようぜ」派だから簒奪は起きなくないかな。袁家に近い皇族誰か立てて終わりになりそう。 -- 2024-09-28 (土) 01:41:24
      • 劉備だと「せや!烏桓や鮮卑やら鮮于輔らを誘って北から袁紹領叩いて乗っ取ったろ!」とかあの男ならやりかねないとほんの少しでも考えてしまう……流石にムリだとはわかってても -- 2024-09-28 (土) 02:41:38
      • ↑×2普通に考えてたらその「袁家に近い皇族」ポジは劉和だけど、公孫瓚が滅んだ後ぱったり音沙汰がなくなるから、ワンチャン劉備がそのポジに来そうだなそれ… まあ劉備が大人しく御輿をやってくれるタマとは思えんが、他に袁家に近い皇族が思い浮かばない… -- 2024-09-28 (土) 05:16:58
      • ↑3 献帝を董卓が擁立していた時代は新皇帝を立てようとしたが、董卓が倒れた後は献帝を擁立しようとする沮授の献策に賛意を示したりしてるので、袁紹が一貫して新皇帝を立てる方針だったかは議論の余地があるような。 -- 2024-09-28 (土) 09:38:06
      • 新皇帝の最有力候補たる劉和は、官渡の前に死んでるっぽいしなあ(鮮于輔ら劉虞旧臣は、官渡前に離反しているので)。↑×2では半分ネタで劉備擁立と言ったけど、劉和が死んでいたとすると割とマジで劉備以外に担げそうな皇族がいなさそうだし、新皇帝擁立を諦めて献帝擁護に切り替えててもおかしくない(簒奪するのは流石に時期尚早なので)のよね -- 2024-09-28 (土) 16:16:23
      • 劉備クラスの属尽は社会問題になるくらい沢山いたんだし、担ぐにしてももうちょいマシ(自前の戦力抱えてないとか)なの見繕うと思うなあ。 -- 2024-09-28 (土) 17:16:29
      • 皇帝に擁立するのであれば、血筋だけではなく、相応の名声もないといけないから、この当時に自前の戦力も持たずに名声だけ高いなんて都合の良い劉氏がいたかどうか。 -- 2024-09-28 (土) 17:42:37
      • 名声要るっけ・・・? -- 2024-09-28 (土) 18:39:00
      • 担ぐ人間に圧倒的実力があれば結局は何とかなるだろうから厳密には必須とは言えないにしても、名声も無い誰だよみたいな人間を担いだら董卓以上に悪名買うのは明白だし、そんな真似は普通はしたくないだろうから、実質的には担ぐ対象にはある程度の名声は必須と言えるんじゃないか? -- 2024-09-28 (土) 19:17:32
      • 該当しそうな人がいても「歴史に関わってないから史書に記述がない」だろうから○○って人がいる、とは言えない系の話だねえ -- 2024-09-28 (土) 20:25:51
      • 官渡で勝った袁紹が新皇帝立てる意味はないと思う… -- 2024-09-28 (土) 20:49:00
      • 全くその通りで官渡で曹操を討つなりIFシナリオ同様に追い散らしたならそのまま献帝を擁立すればいいだけだからな。別にわざわざ献帝を廃する必要はない。それに後漢末の群雄が全員が全員新王朝を樹立する野望を持ってた訳でもないから袁紹が簒奪をするかどうかも謎。 -- 2024-09-29 (日) 04:34:28
      • あれだけ荒廃した国を復興させたら、徳カンストで皇帝なるしか収まりつかないと思うが。まあ、そこの段階までいかなくとも親政やりたがりの献帝とは誰でも揉めるだろ。そうなると献帝側は皇叔を頼るだろうし、袁家も前科持ちの劉備を警戒するだろうから、円満ではいられないと思うな。 -- 2024-09-29 (日) 15:31:09
    • 官途で勝利して袁紹に強大な敵がいなくなったとなると、重臣たちの足の引っ張り合いが加熱しそう。古参潁川組と冀州組で対立して、袁紹がどちらをとるかだな -- 2024-09-30 (月) 19:11:39
  • 龐統が死んだから諸葛亮張飛らが益州攻略に呼ばれたってよく聞くけどホントかね?ここらへんいまいち時系列が分からない -- 2024-09-30 (月) 00:29:03
    • 失敗したら劉備が孤立しちゃうんだし、面子の配分的にも初めから荊州側からも攻める計画だったとは思うけどね。別動隊が動くより先に龐統が死んだって事なんじゃなかろうか。 -- 2024-10-01 (火) 23:08:39
    • 龐統死んでうんぬんは龐統が「周瑜の幕僚だった=孫権の家臣であり、劉備とは主従ではなかった!(ドヤァ)」みたいのが流行った名残だね、孫権の監督として龐統がいたので孔明やらを動かせなかった?というもの -- 2024-10-02 (水) 01:48:55
      • 実際にはというとあれだが(現代のとはいえ)地図や位置関係考えるなら、14でいえば梓潼と剣閣あたりを劉備が保有して残りは劉璋側でスタートかつ民心考えれば数ヶ月徴兵禁止かもっていう状態、龐統の立場はどうでも良いが彼が戦死しなかったら援軍呼ばないというのは些か無理があろうし、孔明らは長江を遡上したとあるので成都に強引に2方面作戦を強いる戦略と個人的には見る(劉備が危ねえけど) -- 2024-10-02 (水) 02:02:27
      • 龐統は荊州の名士として周瑜が南郡太守だった時に幕僚してたってだけで、孫呉に対する帰属意識は無かったようだしな。仮にも孫権を主と思ってるなら、劉備から軍師中郎将に任じられても拝命しないだろうし、劉備の入蜀を知った孫権は激怒した訳だが、その入蜀を熱心に推奨してたのが龐統だという時点で、龐統=呉のスパイ説は成り立たない。今となっては、張郃の戦死=司馬懿の謀殺説と並ぶ世迷言や空説の類だな。 -- 2024-10-02 (水) 04:45:14
      • 単純にその時の土地の支配者(周瑜)に現地民として仕官したってだけで、孫権という勢力に仕官したという感じはないよね。その後に特に特筆する記述無く劉備に仕官してるのも、周瑜の時と同じと考えれば自然。まぁ新しい何かを見つけようと穿った見方になってしまうのは往々にしてある事だからあまり突くのもね。 -- 2024-10-02 (水) 17:03:33
      • しかし土地帰属の名士枠なのにわざわざ益州まで出張ってるのも凄いな。地元の支配者変わる可能性いくらでもあったろうに。 -- 2024-10-02 (水) 18:03:15
      • そこはベタな話だけど劉備に主としての魅力を感じたって話なんじゃないのかな。 -- 2024-10-02 (水) 18:47:11
      • それよりむしろ息子が蜀にそのまま残ったのが凄いんだ -- 2024-10-03 (木) 23:34:56
      • 龐統の息子(龐宏)はたぶん孔明も面倒見てたんだろうから、蜀に残ったのはそこまでおかしくないのでは。一応親戚だし -- 2024-10-06 (日) 10:36:03
    • 先主伝、諸葛亮伝、張飛伝、趙雲伝を見ても劉備が劉璋に力攻めを開始した段階で援軍として呼んでると考えるべきかと。もし雒攻めの最中の龐統戦死後に援軍要請したとなると援軍組の侵攻速度が速すぎるし。 -- 2024-10-02 (水) 03:24:28
      • 伝令が行き来する期間を考えると情報共有にかなりのタイムラグがあると考えるのが不思議だろうな。関羽が敗死した時も益州にいる劉備は「我于禁軍包囲せり樊城陥落寸前」ぐらいしか聞いてなかった可能性がある。 -- 2024-10-05 (土) 15:22:23
      • 不思議 × 自然 ◯ そう考えると、中華全土で反乱を起こすためのネットワークを張り巡らせた黄巾はただ者じゃないな。 -- 2024-10-05 (土) 20:36:11
  • 馬で戦場を駆け巡って武器を振るうなんてのは創作の中だけ、っていう事を戦国時代の話でよく聞きますけど、たしかに臆病な馬を戦場で制御できるのか、高価な馬をあっさり失われてしまうような事をするだろうかと思うので、そうなのだろうなと思うのですが、もしそうならじゃあ虎豹騎もほとんど創作なんでしょうか?そういう部隊がいたのは本当だと思うのですが。 -- 2024-10-05 (土) 10:19:54
    • 顔良が関羽に打ち取られた時は麾蓋(指揮官が乗る屋根付きの馬車)に乗ってたと記載されてる。戦場を俯瞰する時は馬車の方が安定するだろうな。ただ関羽本人はおそらく騎馬隊率いて顔良に殺到したはず。要するにケースバイケース。 -- 2024-10-05 (土) 15:26:46
    • 騎兵がいた事は複数記述があるから騎馬隊は居たでしょう。馬は臆病だから~とかは関係ないと思います。もっと時代の下った古代より確実性のある時代の話でも騎馬で突撃等はしているため、そこは人馬の訓練でどうにかなる所だと思います。鐙の無い時代なので映像作品(漫画等含む)のように縦横無尽に武器を振るうのは難しいという話ではないでしょうか。 -- 2024-10-06 (日) 01:37:03
    • 遊牧民がお隣さんの中国と、日本の戦国時代とは事情が全然違うから一緒には出来ないでしょ。 -- 2024-10-06 (日) 05:43:10
  • 姜維の漢中防衛体制の変更は、それより前に王平劉敏は漢城、楽城に戦力を集中するというやり方を退けてるんだな。実際変えない方が良かったんだろうか -- 2024-10-05 (土) 17:20:42
    • 姜維の北伐でベテランが多数死んだ蜀末期は機動防御のリソースが尽きてたんじゃないかな。王平の作戦はかなりの練度を要する危険なものだし。 -- 2024-10-05 (土) 20:24:47
    • 姜維が劉備時代に魏延の整備した防衛体制を変えた事を愚行だと非難する意見を見た事がありますが、蜀側、魏側共に状況は大きく変化しており、変えない方が良かったという事は無いと思います。 -- 2024-10-06 (日) 01:54:53
    • そもそも曹操ですら張魯に固められていた東回りは避けて、一番遠回りの武都やら陳倉やらルートから攻め入って(もっとも慰撫目的もありそうだが)、それでも苦戦した一方で偶然込みだとしても防ぎ切るには至らない以上、道筋を固めてたら攻め込むのは極めて困難で、張魯視点だと全ての道筋を固めるのはコストなり戦力なりが厳しいんだろうなというのはわかるしねえ、姜維は国力回復した魏を相手に張魯と似たような状態にさせられた感じかな -- 2024-10-07 (月) 00:43:49
    • ネコ耳が救援要請握りつぶしてた時点でどのみち積んでたと思うわ。 -- 2024-10-07 (月) 02:30:36
    • 鄧艾が隴右地方の支配を固めてきた時点で敵の進軍ルートが大きく広がってしまったので、従来の防衛体制では対応できなかったでしょうね。蜀側は兵も将も減っているので従来の体勢に加えて武都方面にも備えるというのは無理だったのでしょう。 -- 2024-10-07 (月) 05:02:05
    • 「漢中の軍が魏軍の主要進行路をピンポイントで食い止める間に成都からの援軍を呼び寄せこう着状態にする」のが蜀の戦略。姜維は漢城と楽城を主戦場に設定したけど魏は「圧倒的な大軍で対処能力を飽和させる」作戦で戦略勝ちしたってことか。 -- 2024-10-07 (月) 14:16:43
      • ・初動対応を黄皓に握りつぶされた。・2城の後詰の関城の守将の蒋舒が戦わずに降伏した。この2点で防衛計画は機能せず自壊した面があるので姜維の防衛計画が間違ってたかどうかは何とも言えないんですよね。もし計画通りに機能していたら263年の攻撃だけは防げたかも。 -- 2024-10-08 (火) 03:47:29
  • 諸葛玄は荊州で病死した説と、西城で殺害された説があるけど、諸葛亮の姉二人が蒯祺・龐山民に嫁いでいることからすると、前者が正しいのかなとも思う。十代後半の若造でしかない諸葛亮が姉と荊州名士との縁組をセッティングできたとは考えづらいし、諸葛玄本人が荊州にやってきてセッティングしていったと考えた方が自然だと思う -- 2024-10-07 (月) 13:12:59
    • 笮融に殺されたは混乱してた時期に流れたデマなのかもね。電話もネットもないので、一度噂が流れると訂正できないまま事実として固まり、伝承として残る地域もあるのだろう。 -- 2024-10-07 (月) 14:12:29
    • 当時で10代後半って若造なのかね -- 2024-10-07 (月) 14:47:36
      • 若造だと思うよ。年長者敬うべしの世界でもあるし。 -- 2024-10-07 (月) 19:51:27
      • なんなら30過ぎてからが本番まである(諡の使い分けに年齢もあるぽいので) -- 2024-10-08 (火) 02:48:17
      • それらはそうなんだろうけど、ここで言ってるのは10代後半だからって若造扱いみたいに軽く見られるもんなの?ってことでは。 -- 2024-10-08 (火) 08:34:55
      • ごめん、そういう10代は甘く見られるとかも込みで、諡でも区別あるように30近くなってからじゃないと個人ではなかなか一丁前には見られないんだろうなと言うつもりで書いた、曹操とか孫堅パッパみたいに後ろ盾込みで中央に挙げられてるとかデカい仕事やってのけたとかが特殊であって、普通に立身出世図ろうとしたらこの話の元にある諸葛亮のような年長や知識人の評も身内の保護もない10代じゃ甘く見られるのはだれでも避けれないだろうなと思う -- 2024-10-08 (火) 11:58:50
      • 葉1も質問意図を汲んだ上での返答よ -- 2024-10-11 (金) 10:35:30
    • 器量良しだったので勝手に売れた説。諸葛亮から積極的に働きかけたとするには相手が名家過ぎる気がするし、そこまで深い関係作っといて仕官は断るってのも不自然な気がする(まさかニートする為に姉を…) -- 2024-10-07 (月) 22:04:11
    • 諸葛玄の経歴を見ると、荊州方面との繋がりは旧知の仲だという劉表以外には見当たらないので、諸葛亮の姉の縁談はがっつり劉表(というよりは蔡瑁主導?)も関わってそうな気がせんでもない -- 2024-10-08 (火) 08:31:46
  • もしも曹昂が生きてたら、その後の歴史に大きな変化はあったのだろうか?まぁ、曹丕からは後継者争いで脅威にはならないだろうと見られてたようだけど… -- 2024-10-11 (金) 09:43:31
    • 次男より10才くらい年長の長男で、当時時点でそれなりに賊退治任せられてるようなのが存命だったら普通に後継として扱われると思う。 -- 2024-10-11 (金) 10:39:13
    • お前年長だから儒者(名士層)に推されたんじゃんていうね・・・まあ別に誰が継いだとしても言える事だが、皇帝にならないか、せめて劉備が死ぬまで待ってたら三国にならず泥沼化しなかったかもとは思う。後、後継者争いなんてなきゃ宗室衰退も無かったかもなあ・・・。 -- 2024-10-11 (金) 13:04:10
      • 劉備が何時死ぬかなんて分からないし、曹氏としても皇帝になる声を退けるのは限界に来てたと思う。むろん曹氏の徳を称えられたというより、早く皇帝になって俺らに見返りくれっていう現実的な突き上げだろうけど。 -- 2024-10-12 (土) 08:30:56
    • 司馬懿が皇帝の側近にならないと思うんよねー。丁氏の親族が重用されそうだけども。 -- 2024-10-11 (金) 16:45:31
    • つっても曹丕だってお前が太子になれたのって年長だからだろ?って感じだし…。才能とか能力で愛されたのは明らかに曹沖、曹植だし。短い人生なりに曹昂の人柄を見るに孝心の強い善良なタイプっぽいし、案外曹丕より良かったんじゃないのかと。 -- 2024-10-11 (金) 19:37:19
    • 曹丕と曹植で曹操が悩んだから派閥対立が発生して、結果として曹丕が跡継ぎになったことで曹植支持者が多かった潁川人士や外戚達が冷遇・排除されて、司馬氏の簒奪に繋がっていくからな。曹丕が跡継ぎでなければ曹叡による画餅事件も起こらないので、曹昂が早期に跡継ぎとして立てられて、この親子に冷遇された人材達が順当に政権中枢に残ってれば曹氏が続いてた可能性は充分あり得る。 -- 2024-10-11 (金) 22:14:31
    • つーかなんもなけりゃ最初の正室の子で長男、なおかつ養母兼正室の丁夫人の離縁もないから、そら黙ってても曹昂が跡継ぎだろうね -- 2024-10-12 (土) 01:29:27
  • 逆に長坂で阿斗ちゃんが逝ってたらどうなってたんだろう。養子の劉封じゃ正当性が薄いし後継者争いの果てに諸葛帝が産まれたりして -- 2024-10-11 (金) 17:15:09
    • 阿斗ちゃんが逝っても、劉永か劉理が代わりになるだけだと思うぞ -- 2024-10-11 (金) 17:23:54
      • 孔明に全部ブン投げる選択を取れたのは彼の性格によるものなので(孔明による洗脳とかなら話は違うけど)、他の皇帝だと普通に皇帝派と孔明派で争いそうな気はする。 -- 2024-10-11 (金) 18:36:00
      • もしそうなったら、どっちが勝っても詰みだなそれ… 皇帝派が勝ったら諸葛亮とその子飼い連中が纏めていなくなって一気に人材が貧弱になる(当然のことながら、蜀漢の中期・後期を支えたネームドで、諸葛亮の派閥に連ならないものはほぼいない)し、諸葛亮派が勝ったら、諸葛亮の意向に関係なく簒奪ルートに乗ってしまう可能性が高い(親政を目指す皇帝を排除したらほぼ間違いなくそうなる) -- 2024-10-11 (金) 19:04:28
      • ↑2といっても劉永や劉理が諸葛亮と衝突するような我の強い性格とも分からないし。正史の記述の無さを見るに劉禅の代わりがこの二人でも問題なかったんじゃないかな。そもそも皇帝としての自覚を持ったうえで諸葛亮の補佐を受けて政務をしたとしてそれで蜀漢が破綻する訳でもなかろうと。 -- 2024-10-11 (金) 19:40:42
      • 李邈じゃないけど、君主より名声も能力も権力もある家臣ってだいたい下剋上コースか猜疑心から処されるかだからなあ。長期間関係性保ててた劉禅諸葛亮が異常なわけで。 -- 2024-10-11 (金) 21:05:01
      • 管仲、晏嬰、蕭何、霍光、王導。君主より名声も能力もある家臣で長期政権を死ぬまで全うした例はいくらでもある。王氏(王莽)や曹氏、司馬氏の様に最初から簒奪する気で多数の一族を高位に就けなければ、まだこの当時はそうそう下剋上など起こるものでもない。特に漢室復興を掲げている蜀漢では、権力闘争があったとしても異なる氏が簒奪できるとは考え難いしな。霍光の前例に倣って、現皇帝を廃位してから新皇帝を奉戴するというのはあり得たと思うが。 -- 2024-10-11 (金) 21:58:06
      • そもそも劉禅ですら孔明が没した時点で25~26歳なわけで、普通に考えれば劉永か劉理が帝位に昇ったとしても、劉禅より更に年少である彼らが父・劉備によって自身の前で直々に託孤された丞相に真っ向から権力闘争を仕掛ける可能性があるとは考え難いしな。孔明が曹氏や司馬氏の様に主君を蔑ろにしたり、劉永・劉理が孫晧の様な異常な人格であれば話は別かもしれないけどね。 -- 2024-10-11 (金) 22:44:24
      • そういや孫権・張昭と似たような感じになるのか -- 2024-10-11 (金) 22:53:11
      • まあ、年齢的に孔明とは揉めないだろうな・・・その後はわからんが。 -- 2024-10-11 (金) 23:39:27
      • 蔣琬以降のメンバーは孔明ほど群臣から支持されてないから、皇帝がその気になれば親政することは難しくないと思う。 -- 2024-10-11 (金) 23:50:00
      • 孫晧も別におかしなことはしとらんよ、身内には。各所に皇族や親族を設置して、その下に実働要員を置くスタイルなのに、それを謀反の旗頭扱いされるようになったら単に国家が限界ってだけなのよ… -- 2024-10-12 (土) 01:20:40
      • 徹底的に皇帝を囲い込んで傀儡化した後漢末の丞相様と違って諸葛亮は劉禅を傀儡化した訳じゃないんで、皇帝がちゃんとやる気があったら独裁じゃなくて輔弼をしたんじゃないのかね。 -- 2024-10-12 (土) 02:53:33
      • 劉永なら黄皓とは相性悪そうだしそこはマシなのかな。 -- 2024-10-13 (日) 01:51:03
      • 言うても、親政とかろくに働いたことも無いニートに政治任す様な物だからな・・・やる気ありゃいいって物でもないのが政治で、だから劉禅が一定の評価されてる訳で・・・。 -- 2024-10-13 (日) 08:25:01
      • 同時代の人間なら曹叡が親政してた訳だけどそれについてはどう思ってるんだろうか。ニート云々とあるけどそれこそ会社勤めの経験があるようなコメントとはちょっと思い難いけれど。 -- 2024-10-13 (日) 08:58:34
      • 曹叡もほとんど実権無かったんじゃないかと思ってるし、我(建設5)を出しはじめたらボロクソ言われてるでしょ。 -- 2024-10-13 (日) 19:11:46
      • 曹叡の事績が宮殿建造くらいだと思ってるならそうなんでしょうね。 -- 2024-10-13 (日) 23:32:28
      • どれだけ事績を重ねてもワンミスでトブのが為政者の常って事だよ。曹叡こそが親政の難しさや怖さを体現してると言える。 -- 2024-10-14 (月) 04:08:02
      • 前漢の文帝や後漢の明帝、清の雍正帝みたいに2代目以降で現場知らずでも名君なのもいるから人によるとしか言えないな。少なくとも劉永が帝なら黄皓によって姜維の援軍要請が握りつぶされる事態は生じなかったかもな。 -- 2024-10-14 (月) 07:20:53
      • そもそも蜀漢には狄道の大勝利を段谷でマイナスに落としたお方がいらっしゃるので、そりゃ非戦派が主流になるわよ…… -- 2024-10-14 (月) 08:20:02
      • あくまで劉永が帝だったらって話なんで、非戦派が主流だったとしても黄皓が専横してない限り援軍要請が握りつぶされることはないでしょ。 -- 2024-10-14 (月) 14:02:00
      • 自分はその考えには反対だからね、劉永だったとしたところでそれ以外は変わらんとするなら、陳祗が没した後は主戦派の次の人材が残ってたと思えないもの -- 2024-10-14 (月) 14:06:29
      • それは劉永自身のスタンスで変わるでしょ。 -- 2024-10-14 (月) 15:39:15
      • 数十年前から√分岐してるのに、結局史実なぞってて末端だけ変るか議論しても意味無いと思うんだが・・・。宦官重用したのも根っこは人材難からだろうから、親政して人材難自体を改善していた可能性も無くは無いだろうけど、逆に荒療治の結果君臣の間に亀裂が入って衰退が早まる事も・・・。荊州失陥や北伐失敗は若過ぎてどうにもならんだろうし・・・。 -- 2024-10-14 (月) 16:24:04
      • 別に黄皓がいなければ蜀漢の政治が回らなかったとかいうわけではないからな。賛成か反対かは別として、黄皓を嫌ってた劉永が帝なら黄皓によって姜維の援軍要請が握りつぶされる事態は生じなかっただろうという仮定に対して、非戦派が主流になる流れは変わらないというのは反論になってない。 -- 2024-10-14 (月) 16:38:26
      • ↑2陳祗がどう劉禅と接するかという方策で黄皓を利用したというだけに過ぎないので人材難は無関係に思えるが -- 2024-10-14 (月) 19:19:34
      • ↑2宦官を皇帝が重用しちゃうのは政治が回らないからではなく、他に頼れる人間が居ないからだから、そういう意味で人材難で合ってるぞ。↑1それは↑2に言うべきでは?黄皓が使われる事自体が無いで答え出てるじゃん。 -- 2024-10-14 (月) 20:50:01
      • 人材難という言葉の意味を履き違えてるように思うが、それは論旨ではないので置いておくとして、↑3の僕のコメントに↑1のコメントをされてもやはり反論になってないしな。↑8から以降、文脈に沿わないコメントしかされないから、君が何を主張したいのかよく分からん。 -- ↑3? 2024-10-14 (月) 21:25:47
      • 「数十年前から√分岐してるのに、結局史実なぞってて末端だけ変るか議論しても意味無いと思うんだが・・・。」<だけど?人の書いてる物を理解しようとしてないのはそちらでは?文脈的にも黄皓の話の方がいきなりでてきてるし。 -- 2024-10-15 (火) 00:12:29
      • それが君の主張したいことだったのなら、返す言葉は1つだね。仮定の話で会話してるんだから、意味がないと思うなら最初から参加しなければいいんじゃないかな。 -- 2024-10-15 (火) 00:15:25
      • それに急に出てきてるも何も、最初から劉禅が帝じゃなかったらって仮定の木なんだから、↑18みたいに蜀漢滅亡の原因の1つとなった黄皓に対して触れる人が出てくるのは自然の流れだろう。その意見を補強する様な論に対して、↑11みたいな全く反論になってないズレたコメント(そこまでは親政の是非が話題で、黄皓との関係が話題になり始めてるところに流れをぶった斬って非戦派云々)をすれば、読んでる方からしたら文脈が読み取れてないようにしか感じないよ。 -- 2024-10-15 (火) 00:24:21
      • ↑1 ↑11(12)は自分じゃないな。それに参加するなも何も、元々黄皓の話だけをしてるスレでは無い。仮定の話をしてる所に、更に個人で勝手に加えた仮定の話をしたいので、他は参加するなと言ってる様な物。こういう所の書き込みで(アンカーは欲しいが)必ずしも文脈を守る必要なんてないし。個別の話題がしたいなら新しい枝を作るなりするべきでしょ(延び延びだし) -- 2024-10-15 (火) 02:06:25
      • 言葉不足があろうと君がかんがえたしょくのれきしに対し、欲しくない意見が来たらキレられても、諸葛亮死後の蜀は人材も出来事も少なすぎて姜維の外征関係とか黄皓くらいしか変更しやすそうなとこねーんだもん、蔣琬らがトップに立たない可能性もあるけど好転するかというと難しいしな、まあなんだね自分の中に劉永即位による蜀の歴史があるなら架空戦記にでもしてなろうなりカクヨムなりに投稿した方が良い、信長の弟やら8男だかや、あと田中みたいに当たるかもしれない -- 2024-10-15 (火) 02:10:38
      • まず別に欠片も怒ってないし、↑14が君のコメントじゃないなら、どこからが君のコメントなのさ?それに流れをぶった切って文脈に沿わないコメントを書き込むなら、それこそ新しい枝を作るべきでしょうよ。 -- 2024-10-15 (火) 02:44:30
      • ↑2いや、変更しやすそうな所ねーんだもんて、そこを色々詰めて考えるスレじゃないの?ネタが無いから黄皓の話しようぜは無いだろ。てか、黄皓そんなに重要か?居なくても多少延命出来るかもって程度の物だと思うが・・・。 -- 2024-10-15 (火) 04:19:10
      • 援軍要請無視が無くなるなら重要でしょ -- 2024-10-15 (火) 15:32:58
      • 黄皓についてはおおむね劉永が即位していて末期を迎えた場合に、黄皓がいなければ(=その代わりの人はきちんと判断するだろう)と考えた人と、黄皓がいなくても(=黄皓と似たようなのが結局湧く、またはそもそも援軍足しても限界過ぎる)と考えた人がいると思うんだ -- 2024-10-15 (火) 23:04:42
      • 黄皓の台頭とか許してる時点で国として詰んでるからねぇ・・・。まあ、言うても30年以上皇帝やってる人に意見するのは相当な覚悟要るだろうけど(年下なら尚更)長生きした君主が老害化するのは儒教の宿命かも・・・。そう考えると、老害化する前に死んで代替わりすればワンチャン・・・? -- 2024-10-16 (水) 00:16:48
  • 姜維・鍾会の乱の犠牲者の中だと、張翼がどの程度反乱に加担してたか気になる。この人姜維との関係はあまり良くないし、息子の張微が普通に西晋に出仕しており特に処罰された形跡もないので、一見すると純粋に巻き添えを食っただけのようにも思える。でも張微が無事だったのは、司馬昭が徳アピール&事態の早期収拾のために、あえて鍾会・姜維の遺族以外の連座は見合わせたからともとれるし、実際には劉璿が反乱を主導していたのなら、姜維と仲が悪かろうが加担するのはありえるからなー -- 2024-10-14 (月) 20:05:00
    • 姜維の方針に反対的な立場といっても張翼にとっても蜀>晋で降伏は不本意だったろうし、計画次第では首謀的立場じゃなくても乗った事は不思議じゃないんじゃないか?張翼の行動を見ても不満はあっても姜維の軍には常に同行してるし、行動ではっきりと反発をしない(できない?)タイプにも見えるし。 -- 2024-10-15 (火) 23:20:08
    • 張翼は地元民なので姜維の国力損耗、てーか地元の人的資源ガンガン使い果たすのには反対してて、なんなら降伏も是としたかもだが、押しの弱いタイプなので反乱にお付き合いって感じなのかなと -- 2024-10-16 (水) 13:05:57
    • 反乱は264年1月16日~18日の超短期間で鎮圧されてるから去就を明らかにした人間が多数いたとは思えない。とりあえず鍾会と姜維のそばにいた人間を皆殺しにした後魔女狩り的に蜀の高官が抹殺されていったんじゃないかな。成都に召還された後の行方が知れない閻宇とかもこの時死んでそう。 -- 2024-10-16 (水) 19:34:27
      • 姜維が参加したので蜀の武将も結構参加してたように思えるけど、鍾会が死ぬ時周りには数百の兵しかいなかったしクーデター宣言時に蜀の官僚も捕まってるし周りの大部分を敵に回してる。張翼も鍾会に捕まって鎮圧されたかと思ったらいきりたった魏の兵に…という悲しい最期かもしれない。 -- 2024-10-16 (水) 19:45:58
      • こう書くと鍾会って馬鹿じゃんって言われそうだが、クーデターは中枢をピンポイントで抑える勝負だから大人数を揃えるのはかえって逆効果だからね。胡烈が外部との連絡を待てなかったら、蜀各地に駐屯する魏軍を参集して司馬昭と一戦交えることはできただろう。 -- 2024-10-16 (水) 19:56:42
      • 仮に連絡は付けられても魏軍の兵は遥か辺境の蜀の地で司馬昭の本隊と戦いたがるかな…?首謀者以外は罪に問わないと寛大さを示した降伏勧告飛ばせば司馬昭の読み通り軍は瓦解しそうにも思える -- 2024-10-16 (水) 22:53:34
      • 当時の技術じゃ、司馬昭の声明が届く前に指揮官を掌握した鍾会から「郭皇后から逆賊司馬一族を討伐するよう遺命が降ったので参陣しろ」と言われるので一度は行くしかないと思われる。(鍾会は決起にあたって郭皇后の遺詔を偽造してる)。数千理離れた敵地じゃ文字通り五里霧中なので指揮官の命令を無視できない。もちろん司馬昭が本格的に討伐を開始すると離脱するものが現れそうだけど一度逆賊になってるので簡単ではない。 -- 2024-10-16 (水) 23:07:57
      • 鍾会本人が剣閣や漢中の山道で散々苦戦してっから、逆に守るポイント理解ってるのもデカいかも -- 2024-10-17 (木) 09:01:21
  • 官渡の戦力差って実際どんな感じなんだろう。曹操軍一万は裴松之が少なすぎるって言ってるし4万くらいはいたんだろうか -- 2024-10-16 (水) 13:47:48
    • 戦乱続きで荒れ散らかしてるとはいえ、中原の大半押さえてる時点で少なくとも額面上の動員力は袁紹に大きく劣るものではないと思う(河北だって荒れてるのには変わりないし)。袁紹の動きが鈍いのを計算に入れて先に後顧の憂いを潰していく方針をとった結果官渡正面に最低限しか置いてなかったという可能性はある -- 2024-10-16 (水) 14:07:31
      • 終盤は少数とはいえ烏巣攻撃のために兵を2分してるし曹軍の兵は袁軍の半数~それよりちょっと多いぐらいじゃないかな。 -- 2024-10-16 (水) 18:55:04
      • 徐州の劉備攻撃ですら群臣達は反対したのを曹操が断行した位なので、袁紹方面に兵を最低限しか置いてないというのは考えにくいかと。 -- 2024-10-16 (水) 22:41:14
    • それまで青洲兵30万とか屯田成功して食糧事情は多少は改善してそうなのに官渡の時だけ兵も物資も妙に劣勢アピールが凄いからな。曹仁、夏侯惇、夏侯淵を雍・荊・揚州方面に置いてたりと後方に備えて兵を分けてはいたにしてもそこまで極端に劣勢じゃなかろうと -- 2024-10-16 (水) 22:38:59
      • むしろ官渡辺りが最底だと思うよ、青州兵取り込んだってようするに老若男女問わず兵士カウントしてるようなもんで、益州の東州兵と同じで扱い大変だったろうし当然対応や定着に手間かかったろうし、中原は袁術や呂布が倒れるまでに荒れた土地に蝗害からの回復に予算ドンッ!なころで、収益が本格的に回復し始めるの官渡終わって中原がメイン戦場から外れた200年代以降だと思う。だから総合力はともかく物資的には多方面においた戦力を流動性持たせにくい程度にはホントにきつかったんじゃないかな? -- 2024-10-21 (月) 01:45:25
    • 守備側って守らなきゃいけない所に分散させなきゃだから、その点で不利になる。この時の曹操軍はそれが二重に発生している訳で、総力的にはトントンでもかなり厳しかったのは事実だろう。もっとも、当然盛ってはいるだろうけど。 -- 2024-10-17 (木) 00:28:45
  • ぶっちゃけ袁紹側も兵糧の欠乏に苦しんでたので、曹操が根負けして官渡を放棄したら一旦戦いが中断されそうな気はする。黎陽の戦いで勝ったけど追撃しなかった曹操みたいパターン。 -- 2024-10-16 (水) 23:01:33
    • どうだろ。官渡を放棄なんてしたら、豫州方面からも一気に食い破られて終わるんじゃないか。豫州は失陥しかけていて、李通の奮闘で無理矢理食い止めてる状態だし、そんな状態で官渡放棄なんかしたら劉備相手にもたんだろう -- 2024-10-17 (木) 05:41:25
      • なんとなくイメージされる官渡の戦い→黄河沿岸が舞台 実際の官渡の戦い→(当時の)黄河沿いに敵の先鋒を倒しつつズルズル下がって支流含めて渡られる寸前、ちなみに官渡は現代の記録との推定で許昌から約100キロ、汜水関からも数十キロの曹操からしたらとんでもねえトコ -- 2024-10-17 (木) 08:57:31
      • だからまあ、自分もそんなとこ放棄したら、間違いなく反乱や朝廷連中やデカ耳さんがヒャッホイし始めるだろうなと思うわわ -- 2024-10-17 (木) 08:59:07
    • 本拠目前の拠点を放棄しながらその程度で済むなら、荀彧さんが必死こいて孟徳さんのケツひっぱたかないと思う。 -- 2024-10-17 (木) 12:34:52
    • 曹操軍には各方面の守備に回してた分の余力はあるけど、同時に静観してた連中が一斉に襲ってくるかもしれないから、まあ負けたらどうなっちゃうかわからんよな・・・(それでも挽回しそう感も有るし・・・) -- 2024-10-17 (木) 22:47:49
    • 袁紹に内通の手紙出してた奴もかなりいるようだしな。実際魏志に立伝されてる中にもいるかもしれん -- 2024-10-18 (金) 01:53:15
  • Xで関羽が過大評価云々みたいなの見たけど、このゲーム見る限り一番の過大評価は曹丕でしょ。短期間の治世で政治軍事いいとこなしなのにあんな高評価なのが分からん。 -- 2024-10-21 (月) 01:50:35
    • 意地悪い見方をすると呉に3回も負けたショックで憤死したみたいになってるな。皇帝になってから死ぬまでの6年間はひたすら呉を攻撃しては敗退してる。 -- 2024-10-21 (月) 12:16:35
      • 第一次南征はともかく第二次・第三次南征は頑なになっていた感があるな。逆に言うと第一次南征は勝ち目はあった。 -- 2024-10-21 (月) 15:59:35
      • 呉軍は連戦になる中、三十万動員して大将格も主力級を揃えて、しかも水戦ではなく陸戦中心という勝ち筋が揃ってるのに敵の抵抗が強すぎて総退却の憂き目に遭ったのはさすがにちょっと気の毒ではある。 -- 2024-10-23 (水) 07:36:56
      • 合肥は双方損害出してたからまだしも朱然がいなかったら多分江陵は落ちててもおかしくないんだよな… -- 2024-10-23 (水) 12:34:29
      • 朱然が粘ったおかげだけど、結局撤退させたのは疫病のおかげだからのう・・・長江バリアと疫病の自動防衛システムがチート過ぎる -- 2024-10-23 (水) 23:16:48
      • 第三回に至っては水路が凍ったからさっさと帰りましたって…。天気の事とは言えお粗末過ぎんか…?(というか天のせいにしちゃうとじゃあ曹丕サマは天に選ばれてなかったんですね的な話にも…) -- 2024-10-24 (木) 21:57:08
      • まあヤベエ寒波でも来てたんじゃないかね。異常気象が起こりまくって運ゲー度上がってる時代でもあるから、曹操や曹丕が繰り返し攻めたのも最早ガチャ感覚だったのかも。 -- 2024-10-25 (金) 01:40:44
      • それ言うと宣帝様も川の水位が落ちて船動かなくて撤退とかしているんで、天のお力を授かるに相応しくないとかなるんで……こういうのを考えるなら、川の水の温度変化とか増減が俺等日本人が想像するより極端なんだろうなと思う() -- 2024-10-25 (金) 04:51:31
      • 三回目のときに蒋済が言ってた水路の交通が困難ってそういうことなんだろうね。蒋済は広陵出身だから、その周辺の地理は熟知してたはずだし。というか、なんで遠征先の地理とか気候もろくに確認せずにつっこむのよ…  -- 2024-10-25 (金) 06:59:21
      • 3回目の極寒で風邪ひく→アボンしたっぽいし裏でクッソ馬鹿にされたんやろなぁ… -- 2024-10-25 (金) 07:37:10
      • こういう曹丕の戦の話見るたびに曹彰と上手くやれてたらまた違う未来があったのかと思っちゃう -- 2024-10-25 (金) 08:31:45
      • 武芸一辺倒すぎて自身の立場を脅かす事は無いと見られてたのか、曹丕兄ちゃんも「手柄の報告は謙虚にしたらパパに褒められるで」ってアドバイスして、彰も素直にそうするくらいには兄弟仲は悪くなかったんよな…やはり最後の最後がまずかったのか -- 2024-10-25 (金) 12:56:38
      • まああの璽綬発言はちょっと擁護のしようがないよなあ… 愛すべき武芸馬鹿だと思ってた弟がそんな事を言ったと知った曹丕の心情は察するに余りあるし、可愛さ余って憎さ百倍になっても責められないよ… -- 2024-10-26 (土) 07:01:38
      • 案外仲違いを狙った曹丕側近の誰かが曹彰に入れ知恵したんだったりしてな。有能な将軍でありながら権力欲を持たず、その上に弟という身内アドバンテージもあるとなれば、曹操が一族を重用したように、いずれ曹丕の寵愛を得る可能性も無きにしもあらず。そうなると自分達が甘い汁を吸いにくくなりかねないわけだし -- 2024-10-26 (土) 11:47:32
      • 曹操の場合一族を重用したっていうか、一族以外信用して無かったっていうか… -- 2024-10-26 (土) 18:22:43
      • ↑7実際司馬さん所の宣帝様は天命受けてないからね。仕方ないね。 -- 2024-10-26 (土) 18:24:21
      • 実際に天命を受けたのは司馬炎くんだもんな!(司馬炎くんの治世でも天災が起きまくってる?(∩゚д゚)アーアーキコエナーイ) -- 2024-10-27 (日) 06:46:17
      • 曹操が本気で曹植立てる為に曹彰呼んでたのならヤバすぎる。 -- 2024-10-27 (日) 19:07:55
      • 記述が事実だとしたら(いやあんな事を作り話として残す意味判らないが)末期の曹操もう朦朧としてボケてたんじゃないかな…って。そして曹植を後継にしなかった事に死ぬほど心残りがあったんじゃなかろうかと。 -- 2024-10-27 (日) 21:44:46
      • 忘れられがちだが、賈逵は賈充パパで賈南風のじいちゃんなのだ、曹魏のトラブルに介入したお話なんて絶好のヨイショポイントなのだ -- 2024-10-28 (月) 00:35:29
      • ちなみに個人的には難しい事はなく、単に曹彰に会いたかった(あと近衛頼みたい)くらいでもおかしくないと思ってるぞ、曹操死んだせいで極めてややこしくなった感じ -- 2024-10-28 (月) 01:31:21
      • ↑6 曹丕くんの三回目の親征は異常気象ってことでまだ言い訳できるけど、宣帝様の場合はただのミスだから天命どうこう以前の問題だろ。冬に水位が下がるのなんて常識なんだから、底が浅い中型船くらい事前に用意しとけよって張郃も思っただろうな -- 2024-10-28 (月) 02:40:53
      • ↑レス先の発言は単に司馬懿は皇帝になってないしってだけの事なので。しかし曹丕にしろ司馬懿にしろわざわざ冬に攻めてるのは何なんだろうね、疫病対策なのかな。 -- 2024-10-28 (月) 04:00:03
      • 孫子は地の利を把握するのは将軍の最も重要な任務だと言っていたというのにあの様なので、たぶん曹丕は親父が注釈付けた孫子をろくに読んでなかったんだろうな… -- 2024-10-28 (月) 05:45:23
      • 曹操も濡須口に進行した時は冬だったんだよなあ……このあたりはなんか事情があるのかもしれないながあるのかもしれないな -- 2024-10-28 (月) 13:26:57
      • 冬が一番長江が安定してるって事じゃないかね。春から雪解け水→梅雨→台風シーズンと続くから、一番マシっぽい・・・のに寒波とか疫病でやっぱり勝てないというね・・・孫権天命あり過ぎ。 -- 2024-10-28 (月) 18:24:35
    • 戦闘面に関しては、ステはいいが悪名高慢の雁行鶴翼って使い勝手は悪すぎるから軍事不得手ってのに納得感はある。プレイヤーが使えばどうとでもなるが、CPUが使う曹丕は弱い。 -- 2024-10-28 (月) 12:44:33
  • 即位まで特に病弱と言われてなかった曹丕が数年で病死しちゃうのといい呉は衛生状態良くなさそうな気がするね。赤壁でも疫病で大勢死んでるし呉側の重要人物も早死が多い。 -- 2024-10-21 (月) 16:39:25
    • しかも呉と戦ったあとに河南や洛陽あたりに疫病流行りましたって書かれてるケースがちらほら… -- 2024-10-22 (火) 01:27:04
    • 中国は気候的に乾燥してる地域が多いが、海風が吹く揚州の辺りは湿潤だから他と同じ感覚で居ると体調崩したり物資が痛んだりしちゃうんだろうな。疫病や寄生虫とかも多いし。 -- 2024-10-22 (火) 02:38:33
  • 昔にコメ欄で見た無双で人気のキャラは高評価ってのは本当なんだろうか。無双やらないからわからぬ -- 2024-10-22 (火) 00:57:09
    • 曹丕はorochiでも何故か神格化武将に選ばれてたし社内に好きな奴でもいるんかね -- 2024-10-22 (火) 08:14:52
      • 他の神格化武将から見ても普通にキャラ人気だと思うよ。無双はキャラゲーだし。 -- 2024-10-24 (木) 12:19:27
    • 関係ないと思うよ。無双で人気の関銀屏とか呂玲綺とか能力普通だし。無双のプレイアブルになるキャラがそもそも、それなりに評価のある武将しかなれないしね。 -- 2024-10-24 (木) 12:25:04
  • たぶん過去にも出た話題かもしれんけど、馬謖が孔明の命令を遵守して街亭死守に専念してたら、蜀が涼州辺りまで取ってたのかな? -- 2024-10-23 (水) 17:13:56
    • 諸葛亮の方が祁山とか落とせず退却する羽目になったりしてな・・・ -- 2024-10-24 (木) 03:36:47
      • 馬謖が泣いて諸葛亮を斬る -- 2024-10-24 (木) 20:36:56
    • 仮に登山してなかったとしても張郃率いる大軍を前軍の馬謖だけで凌ぎ続けるというのは困難だから、一定期間凌いだ馬謖から救援要請が出る→魏延か呉懿に祁山の郭淮を任せて、孔明は主力を率いて馬謖と合流→張郃と決戦(場合によっては曹真が軽騎のみ率いて合流してて、曹真が主将かもしれないが)という流れになっただろうと思う。涼州の帰属は決戦の結果次第かな。正直言って歴戦の張郃の方が司馬懿よりは手強そうなんで、結果までは推測できないし。既に三郡が降伏してたから、勝ってれば祁山を含む隴西一帯が陥落して長安侵攻の橋頭堡を築くところまでは出来たと思うが。 -- 2024-10-28 (月) 18:56:07
    • 正直馬謖じゃなくて魏延や呉懿が派遣されていても、曹真が大兵を預けて張郃を派遣してきた時点で、遅延できた時間に差はあっても結局抜かれていたと思うんですよね。馬謖の失態で作戦が破綻したと見られがちですが、趙雲の陽動部隊も曹真の大軍を引きつける事には失敗してるんで、馬謖が上手くやるなり別の将が派遣されていても、諸葛亮が大勝利できたかは判らないように思います。 -- 2024-10-29 (火) 20:17:29
      • 上の長江の話でも気候の違いとかが出てたが、南部に比べて北部は乾燥地帯で水源に乏しい。馬謖の失敗は(戦も人生も)経験不足が原因だから、(魏延は謎だが)陳留出身の呉懿なら同じ失敗はしなかったんじゃないか?って所からの人選なのかも。 -- 2024-10-29 (火) 23:57:43
      • 趙雲は普通に曹真釣ってね? -- 2024-10-30 (水) 00:28:23
      • そもそも諸葛亮も指揮官に関係なく、前軍だけで敵を防ぎ続けられるとは考えていなかったと思いますよ。第四次や第五次などの戦況からしても諸葛亮の狙いは一貫して敵軍を撃破して隴右の支配権を確立することにあったと思います。その前提で考察すると諸葛亮が前軍に期待した役割は上邽や南安に残る魏軍に対処する間の時間稼ぎであったろうと思われ、馬謖を選んだ理由も能力や経験より自身の指示に背いて勝手な行動をしない事が重要と判断したのでしょう(時間稼ぎが目的の派遣である以上、魏延などを選んで敵軍と積極的に交戦されるとプランが崩れるので)。 -- 2024-10-30 (水) 02:01:48
      • (続き)そうして稼いだ時間で可能な限り不安要素をなくし、有利な条件を整えて決戦に臨みたかったのだろうと思う。趙雲・鄧芝の陽動もその一環であり、曹真も少なくとも五千~一万程度は手元に残していたでしょうし、失敗とまでは言えないかなと。やはり計算外だったのは前軍が短期間で殆ど壊滅したことであり、隴右に残る魏軍が決戦の邪魔にならないようにする処置も終わらぬまま、想定外の兵力の損耗が生じた状態での決戦は流石に無理だと判断したのだと思います。 -- 2024-10-30 (水) 02:05:37
      • 曹真本人は趙雲に備えてましたが、各地の戦局の推移から麾下の兵の多くは張郃率いる隴西方面への援軍に回されていたように思います。 -- 2024-10-30 (水) 02:26:11
      • うーん、それはどうでしょうか?記述の通り読めば、曹真が郿に派遣されたタイミングと張郃が隴西方面に派遣されたタイミングは同時ですから、趙雲らの率いる兵の実数が定かではない状況下で五千を下回るような寡兵で郿に駐留したというのは些か考え難いかなと思います。 -- 2024-10-30 (水) 02:48:11
      • 万が一抜かれたらほぼ間違いなく長安ないしその近隣に攻撃が及ぶ(陥落しないまでも)ような場所だからな、曹真がここからは行かせねえよって戦力を後詰めに置いててもおかしくない -- 2024-10-30 (水) 09:53:52
      • ↑2推測になってしまいますが、撤退した趙雲の軍がそこまで痛撃を受けていない(兵力差が大きくなかった?)とか、張郃が隴西の三郡を瞬く間に平定している(かなり兵を抱えていた?)、馬謖を撃破した軍に費曜も加わっているので、曹真が督した関中諸軍から張郃に振り分けががされてるであろう事から、曹真の軍は記述より少なかったのではないかと思いました。 -- 2024-10-30 (水) 18:17:22
      • 祁山は長安から険しい山道を300km以上も行軍しなければ辿り着けない程遠く離れた拠点で、逆に郿は↑2さんも指摘している様に同じ渭水盆地にある長安近郊と言ってよい拠点ですからね。張郃を隴右に派遣すれば短期間で戻ってくることは決して期待できない以上、曹真はどんなに少なくとも五千を超える兵は手元に残さざるを得なかったと思います。また、三郡は蜀漢の侵攻を全く予期してなかったのか殆ど戦わずに降伏してますから、蜀漢の撤退後は逆に魏軍に抵抗する様な勢力も殆どいなかったと思いますよ。 -- 2024-10-30 (水) 22:30:05
  • 呂布が漢の忠臣説たまに見るけど実際長安追われて袁術や袁紹の元に身を寄せた辺りは本人も周りからも漢の忠臣だと思われてたんだろうか -- 2024-10-30 (水) 02:03:53
    • 儒者としては失格ですが立ち回りとしてはずっと官軍の将で、并州軍閥として涼州軍閥と敵対→武力で追い出されたとして捉えることができます。特に山東諸侯としては漢室の脅威である董卓を討った忠臣であり、八厨の張邈が取り入れ兗州の大半が寝返ったのも高い評判があったのだろうと伺えます。丁原の件もありますが、資料も少なく張楊や部下の対応を見るに・浮いた噂だったか・悪評でないか・それを覆す評判があったか、などが考えられます。 -- 2024-10-30 (水) 10:29:07
      • 少なくとも、丁原殺しのときに呂布に反発した丁原配下のネームドはおらず、スムーズに丁原軍の兵は董卓に吸収されてるから、割と丁原殺しは支持されてたみたいなんだよね。張楊相手に同じ事やらかした楊醜は眭固にぶっ殺されたというのに -- 2024-10-30 (水) 11:12:09
      • 張邈や張超が呂布についたのもこの辺が関係あるんだろうな -- 2024-10-30 (水) 13:19:47
      • そもそも儒教だの道徳だの忠孝だの、漢王朝が安定化したからこそ建前として浸透しただけですしね、しかも丁原に抜擢されようが本質は漢王朝に従うわけで丁原なんて派遣支店長程度でしかないわけで、そこに朝廷に逆らってまで命懸けで忠節誓う理由が并州や河内辺りで雇われた奴等にはあんまりないしね(丁原の側近みたいのは纏めてコロっといってるだろうし) -- 2024-10-31 (木) 02:42:21
      • だとすると、眭固に仇を討ってもらえた張楊ってかなり慕われてたんだなーと。あるいは楊醜がよほど軍内の掌握でしくじったのか、我々が思っている以上に眭固が野心家のやり手だったのか -- 2024-10-31 (木) 07:49:45
      • それに関しては正直敵討ち云々というより賊軍上がりの内ゲバでたまたま勝ち残っただけのような・・・ -- 2024-10-31 (木) 11:27:45
      • 袁紹側につきたい眭固が曹操側の楊醜を討っただけともみえるが、張楊が慕われるような事績が多いことも確かなのよね。 -- 2024-10-31 (木) 13:58:06
      • 張楊については一旦は帰参しそうなのが結局董承らと揉めてご破産になってるし、そのまま独立勢力保ってたのが曹操袁紹に集約しつつあるとこで、あちこちの愚連隊纏めるのも限界来ちゃったのかなと、張楊死後まもなく公孫続の件もあるから同じように圧力かかってただろうし、かといってどちらともイマイチ仲良くないから張楊本人はどっちつかずだったのかねえ? -- 2024-11-01 (金) 04:47:33
    • 呂布本人の意志の程はともかく、特段漢室を害するような行動はしてませんからねえ。経緯はどうあれ董卓を討ったというのは漢室的にはポイント高いでしょうし。 -- 2024-10-30 (水) 18:27:24
      • 臧洪の袁紹に対する絶交書でも、董卓を討った呂布に対して袁紹が増兵を断って刺客を送ったことを批判してるからね。董卓を討ったことを評価してる人は結構いたんだろうね。 -- 2024-10-31 (木) 14:04:57
  • ニュースで見かけたけど懸賞金かけられて指名手配されたらアッサリ友人に売られた話を見ると、徐庶やら朱家やらの話って法としてはダメだけど人としては凄いよなあとか思っちゃった -- 2024-10-30 (水) 09:55:52
    • 農民でも武装していて官軍とだって戦う世界だからね。侠客とかが称賛される世界でも有るし。凄い事ではあるけど、現代日本で同じことをやるよりかはハードルはずっと低くかっただろう。 -- 2024-10-31 (木) 01:40:30
    • 中国大陸は広大だし中央政府はしょっちゅう滅びるしそりゃ庶民は侠>義みたいな感じになるわな。梁山泊がウケたのもヤクザものがそこかしこにいたから。 -- 2024-11-01 (金) 11:30:05
  • 史実の呂布は統率↓知略↑って感じ。ひたすらずる賢く立ち回る反面武勇はあるけど戦争そのものはあんまり強くない。 -- 2024-10-31 (木) 20:52:10
    • 董卓時代は上司がいて呂布が指揮官やった戦は確か無いんじゃ…?で、独立してからは曹操が相手に黒星付けてる事が多いからその辺割引いて考えてやる必要もあるんじゃないですかね? -- 2024-10-31 (木) 21:53:44
  • 上で呂布後漢の忠臣説見たけど、兗州乗っ取り失敗以降も不義理重ねてるのは周囲も擁護できなかったんじゃないかな…張邈・張超見捨てて落ちぶれたのを保護してくれた劉備を袁術の誘いに乗って裏切りその袁術まで裏切ってるのは流石にやべー奴だわ。 -- 2024-11-03 (日) 00:55:44
    • 陳珪の口車にまんまと乗せられて韓胤を曹操に売り渡したのは擁護できんわな。あの時点で近場で頼れる大勢力は袁術しかいなかったのに、韓胤を売り渡して全方位敵にしてるのは戦略眼がないとしか… -- 2024-11-10 (日) 04:59:52
      • 結局のところ、権謀術数が求められる乱世で国を治めるには致命的に向かなかったんだなぁ…。それでいて本人の軍勢指揮能力が最も活かされるのはこれまた乱世というのも皮肉なもんである -- 2024-11-10 (日) 11:32:55
      • 前にも行き当たりばったりで劉備と同類みたいな話もみたが、劉備は権力者とかジモティーへの売り込み方を心得てるつーか肌でわかってるから呂布と並べたらダメなんよな なんというか呂布の敗因はとにかく自分(と多分直接の部下)さえその場だけでも凌げればええわ!に極度になってるとこかなあ、兗州でのイナゴのダメージもあったのかもしれんけど -- 2024-11-10 (日) 12:07:47
      • 劉備は人からどう見られるかって事は若い頃から意識はしてたように見えるからなぁ。何度も再起できたのはそこが大きいし。呂布の場合はその場しのぎというか目先の事しか見えていないって感じだからそこは絶対的に違うと思うよね。 -- 2024-11-11 (月) 21:30:02
  • 朱績の蜀との密約って荊州取ってくれくらいは言ってたんだろうか -- 2024-11-05 (火) 01:40:22
  • 劉永が黄皓と揉めて讒言されてるのを見るに、蜀漢の皇族はそこまでお飾りってわけでもなく、ある程度の発言力はあったのかな。曹魏の皇族のように雁字搦めに縛られてたら黄皓と揉めることすらできないだろうし、黄皓もわざわざ讒言したりはしないだろう -- 2024-11-08 (金) 06:50:51
    • 黄皓が出世できたのは、阿斗ちゃんに物言える臣下が居無くなったって事。そうすると、黄皓として怖いのは肉親じゃない?雁字搦めだったかはわからないが、少なくとも四相が居た頃は阿斗ちゃんの制御はされていた。 -- 2024-11-08 (金) 13:00:15
  • 陶弘景の『刀劍錄』に劉備が即位年に鉄剣8本を作って皇子3人、諸葛亮、関張、趙雲に渡したとある。なぜ趙雲は緒将を差し置いてこの中に入れたんだろう。南朝梁の書だから人気キャラになるのはもっと後だろうし…やっぱり同床眠臥のおかげか? -- 2024-11-09 (土) 17:35:15
    • そこは昔から人気だった、で良いんじゃないかなあ。ちなみに章武元年(=221年)に関羽張飛に剣を渡している。りゅうび は かんう の ひつぎに てつのつるぎを いれた! -- 2024-11-10 (日) 02:46:55
    • といっても趙雲も古参の臣だしなぁ。正史に記述のある長阪の時を見ても武勇に長けてたのは間違いなさそうだしそこまで違和感ある訳でもない気が。いかな古参と言っても簡雍や麋竺に宝剣下賜するよりは納得感あるかな。 -- 2024-11-11 (月) 21:26:11
    • 趙雲が入ってない7人でも不自然とまでは言えないけど趙雲の枠に他の誰かが入ってたら違和感あるかなあ -- 2024-11-11 (月) 22:45:54
    • 麋竺は上奏にはどうにか名を載せてるが既に病態だしね、ここの剣を授けたのは創業以前から四苦八苦した時代に武の功績があったうちの筆頭格3名+丞相として文武に携わる孔明みたいなものかなと思うので違和感ないと思う。韓当の記述にもあるように誰かの指揮下で暴れた人はどうしても上司の記録に吸収されて記録されるのが常だから、趙雲の場合は劉備にほぼほぼ同行してたとすればまあ伝では記述少なくても戦功は当然多かったんではないかね。。 -- 2024-11-12 (火) 02:19:54
    • トンデモ本扱いされる趙雲伝も、子孫が語り継いできたある程度真実味のあるエピソードの集まりっていうしな。演義のように関羽張飛と並ぶ武の柱だったかもしれない。 -- 2024-11-12 (火) 08:49:02
    • 趙雲別伝がトンデモ本扱いされるような代物だとしたらあの裴松之が突っ込まないわけがない(現に、孫資別伝には容赦なく欠点を隠そうとしてんじゃねーよと言ってる)し、何より別伝を胡散臭いとかいっちゃうと費禕とかにも流れ弾が飛んでいくからな… -- 2024-11-12 (火) 10:54:55
      • 別伝が胡散臭いと言うと荀彧ですら流れ弾を食うからな -- 2024-11-14 (木) 15:58:45
    • 阿斗ちゃん助けたエピソードから趙雲は親衛隊を率いてたんじゃないかって説があるみたいね。関羽張飛は前線で暴れ趙雲は劉備の身辺を固めるスタイルだと歴史書に残りづらいのも致し方ないか。長板の戦いみたいに大きく崩れた時じゃないと目立たない。 -- 2024-11-12 (火) 17:40:28
    • 趙雲親衛隊説も一時から結構見ますが正直一人歩きが過ぎる説に個人的には感じてますね。だったら劉備が益州に行った時に随行してるだろうと。ただ劉備が諸葛亮を援軍に呼んだ時に張飛と並んで表記されてるから、劉備陣営では十分相応な立場にあったんじゃないかとは思います。 -- 2024-11-14 (木) 02:14:48
    • そもそも親衛隊だとするなら逃走中の劉備を放って劉禅なんか救出に向かう意味がわからない。最後まで近侍していざとなったら身を挺して盾にならんといかん立場だろうし、それが必要無くなる程に劉備が安全を確保出来てたとも思えない。 -- 2024-11-14 (木) 06:43:56
    • 「主騎」という三国志の本文だと趙雲の列伝にしかない記述が誤解を招いてるように思う。親衛隊長と解釈してる人が多いが、騎兵隊長が正しいのではないかな。親衛隊長だとするなら典韋や許褚の伝に「主騎」が一切出てこないのも変だし。 -- 2024-11-14 (木) 16:12:28
      • いや、騎兵指揮官も親衛隊長と負けず劣らずいる気はするんだが・・・。あと、当時の劉備に独自の騎兵隊を組織運用できてたかが疑問。 -- 2024-11-14 (木) 21:37:01
      • たぶん徐州に来る時に公孫瓚から与えられた騎兵部隊があって、その指揮官が趙雲だったのでは。その部隊自体は流浪する中で大半が離散しただろうけど、騎兵指揮の経験がある人材は南方だとなかなかいないから騎兵が使える状況では趙雲が引き続き指揮を取ってたのかも -- 2024-11-14 (木) 23:14:50
      • 三国志では曹仁が主騎と似た表現として督騎という言葉で騎兵指揮官とされてるし、百度百科では『新唐書』で主歩や主騎と記述されてる箇所を抜粋して主騎は騎兵指揮官を意味すると解説されてる。また先主伝で当時の劉備は一千強の歩兵と烏丸騎兵を率いてたと記述されてるが、烏丸騎兵は公孫瓚から分け与えられた兵で、当時まだ公孫瓚の配下だった趙雲がその指揮官として随従したと考えると辻褄が合う。 -- 2024-11-15 (金) 02:50:44
  • 呉は魏の投降者が前線指揮官としてバリバリ活躍するケースが多いけど亡命者たちによる部隊でもあったのかな。銀英伝のローゼンリッターみたいな。寿春三叛で相当数の人間が呉に逃げただろうし。 -- 2024-11-12 (火) 22:01:30
    • 孫休伝に魏の新附督(呉から魏に寝返った者たちで構成された部隊を率いる隊長)として王稚という人間が出てくるから、呉にもそういう部隊があってもおかしくないね -- 2024-11-13 (水) 04:33:51
    • 対魏と言っても水の上だけで戦う訳じゃないし、陸戦を考えると魏の投降者が巧みな手腕を持ってたから前線指揮官として活躍したケースが多いという呉の事情的なものもあるのかも -- 2024-11-15 (金) 20:53:58
    • 知識人階級ならともかく兵卒はかなり言葉違うだろうし分けて運用した方がいいだろうね -- 2024-11-16 (土) 08:16:26
  • 先主伝見ると劉備って陶謙から徐州を譲られても徐州牧を称したという記述がないけど豫州刺史のままなのか? -- 2024-11-14 (木) 01:00:17
    • 州牧や州刺史を兼任するという制度は存在しないからねえ。曹操も豫州刺史や豫州牧を名乗ることなく豫州の半分程度を支配してたし。 -- 2024-11-15 (金) 03:13:10
    • 漢中王のときの上奏文での劉備の肩書きは「左將軍領司隸校尉豫・荊・益三州牧宜城亭侯」となっているので、徐州牧とは名乗ってないっぽい -- 2024-11-15 (金) 04:16:26
    • この時の劉備は「正規の州牧である陶謙から要請で」公孫瓚から引き抜かれて豫州に駐屯し、「陶謙の死によってトップ不在になったので助ける」という名目で、越境して豫州から駆けつけて徐州を朝敵から護るという、極めてらしさ溢れる大義名分ぶりなので徐州牧や刺史を名乗るとかえってやばいのだな、知らんけど -- 2024-11-15 (金) 10:12:54
    • 演義のおかげで美談ぽくなってるが、そもそも勝手に譲って良い物じゃないからねえ。 -- 2024-11-15 (金) 12:27:07
    • まぁ勝手に譲って良い物じゃないって事言い出すと子に相続してるのは良いの?ってなるし、力で排除して名乗ったり子に相続させるよりは前任者からちゃんと認められたって考えると印象的にはマシなのではなかろうか -- 2024-11-15 (金) 20:52:27
      • 勿論勝手に子供に継がせるのも駄目なので、単に中央無視して好き勝手やってる人の1人ってだけだよ。この辺、吉川さんが日本人に大名みたいなもんだと誤認させたのは上手いと思う。 -- 2024-11-16 (土) 08:28:47
      • 大義名分としては長安からの正式な人間がくるまで代理で差配するという感じか -- 2024-11-16 (土) 14:01:53
      • そりゃ袁紹や曹操、公孫瓚、孫策みたいに朝廷から任じられた州牧や州刺史から地位を奪い取るよりかは随分マシだわな。 -- 2024-11-16 (土) 15:54:23
  • 曹丕って運命のいたずらで父の後継者になったけど、もし曹昂が健在で息子の内の一人という立場のままだったらどういうポジションだったんだろう。王なり太守なりの統治者にしても、武官として軍を指揮させるにしても、何をやらせても何か不安というか業績に汚点を残しそう…。 -- 2024-11-17 (日) 00:41:06
    • 曹丕がやらかしがちなのって、有能な親父や弟達と比べられて拗らせた部分が大きいんじゃないかと思うんだよな。才能は有るから、コンプやプレッシャーから解放されて健やかに育ったら案外名将になれたかも。 -- 2024-11-17 (日) 04:42:21
    • 若い頃から従軍して曹操のやり方を見てるのに、あの体たらくっぷりなので後継を外れたからといって名将になれてたとは思わないが、領内を大過なく治めるくらいは充分できたのでは?ただ君主じゃなく臣下として生きる場合、あんな性格だと色んな人から讒言されて失脚しそうだと思う。 -- 2024-11-17 (日) 05:12:21
      • 曹昂生存ルートで栄達するであろう(曹昂が健在なら清河長公主との縁談は潰れないはず)丁儀と滅茶苦茶仲悪いからな。史実でも丁儀は曹丕派の崔琰と毛玠を讒言で仕留めた男で、そんな男がこの世界線だと史実以上の政治力を手にするんだから、曹丕が勝てるかどうかはともかく、ろくでもない事になるのは間違いないだろう… -- 2024-11-17 (日) 07:55:27
      • トップ以外の統治者になった場合、恣意的で公平性に欠ける政治をして失脚…まで行くかどうかはともかく、不評や上からの不興を買いそうかなと。皇帝ですら後々まで言われるやらかしをしてるので。 -- 2024-11-17 (日) 22:05:17
      • まあ従軍したのもお兄ちゃまが戦死したからで、丁儀とのアレコレも曹操と丁夫人との関係からの延長(縁故関係の拗れ)とも取れるし、中央に呼ばれない世界線ならそこまで人格おかしくもならんのでは?あるいは身内に厳しいのを上手に使われれば外戚とかの安易な台頭は防げる、かもしれない -- 2024-11-17 (日) 22:48:03
      • 曹丕がねじ曲がってるのも、丁儀とのいざこざも半分くらい曹操が悪い気がするので、長男さえ生きていれば意外と真っ当に育つかもしれない -- 2024-11-18 (月) 00:17:43
      • まず曹丕って曹操に愛されてる感が全然無いからな…。まぁ曹丕の方も若い頃の逸話とか見ても可愛げのない性格してそうだからお互い様な感じもするけど -- 2024-11-18 (月) 21:00:03
      • ↑3 曹昂が存命だった頃から従軍してたから関係ないと思うよ。丁儀の件も曹丕が曹操に讒言したのを切っ掛けに丁儀が曹植を擁立する方向に傾いたと書かれていて、それ以前に曹丕と丁氏一門が対立していた様子はないから曹操は関係ないだろう。曹操と丁氏を発端とした縁戚関係のもつれが原因なら、父も母も曹丕と同じ曹植を丁一門が擁立したのはおかしなことになる。単純に曹丕が嫌われたというだけだと思う。正直言って曹丕の数々の問題行動は育ちが多少変わったくらいで改善されそうな程、軽いものには見えないかな。なんか曹操の悪いところだけ抽出して濃縮した感じの性格だよね。 -- 2024-11-18 (月) 22:06:15
  • 夏侯尚は愛人を寵愛するあまり正妻を蔑ろにしたといっても、ちゃんと正妻との間に跡取り(夏侯玄)は作ってるから最低限の義理は果たしてるわけで、愛人が複数いて当たり前の時代の価値観だとそこまで非難される筋合いはないように思える。少なくとも、事前の指導や警告もなしにいきなり愛人をぶっ殺すのはやり過ぎだろう。というか、曹丕に正妻を蔑ろにするなと怒られても、どの口が言うのかって話だし、夏侯尚の家庭に口出しするなら夏侯楙にも言えよ -- 2024-11-19 (火) 11:16:16
    • 現代人的にはごもっともだが、帝国の最高権力者たる皇帝の親族相手に最低限の義理レベルは不味いだろうよ。 -- 2024-11-19 (火) 12:35:46
      • それはそれで、正妻の身分が夏侯尚とはダンチ(曹真の妹と曹操の娘じゃそらね)なのに子供を作っておらず最低限の義理すら果たせてないし、そのくせ上庸制圧など数々の実績のある夏侯尚とは比べるのも失礼なレベルの無能である夏侯楙が怒られてないのはなんで?ってなるのがな -- 2024-11-19 (火) 13:09:27
      • 夏侯尚が「たまたま気になった」「たまたま目についた」とかその辺じゃね?繰り返すが相手は権力のある世代の皇帝なんよ。ある程度の妥当性さえあれば、余程の無茶で無ければ恣意が通る。 -- 2024-11-19 (火) 16:44:57
      • そもそもこの時代の家長なら妾いない方が激レアさんなので夏侯尚にしろ夏侯楙にしろとやかく言うのがおかしい、夏侯楙に関しても230年代と思われるが「50過ぎたおばさんの更年期障害と嫉妬によるヒステリです」とは言えねえからな -- 2024-11-20 (水) 00:21:02
      • 清河長公主は「弟がいらん口出しをしなきゃこんなろくでなしに嫁ぐことはなかったのに…」とずっと怨念を抱えてそうだしな。そこを夏侯楙の弟につけ込まれて唆されて大爆発しちゃった感じか。地味にこの一件は皇帝に嘘をついた事になるから、本来公主の賜死や流罪もありえる大事(要は李厳と同じ事やらかしてるので)である。もっともそんな事になったという記述はないし、曹叡もこんなしょうもないもめ事を粒立てたくはないだろうから、うやむやにされたのだろうが -- 2024-11-20 (水) 04:45:28
      • 夏侯楙、実は親父に似てコミュ力は高かった説 -- 夏侯楙 2024-11-20 (水) 05:11:10
      • つーか曹丕の即位後って夏侯楙はずっと西の方にいたわけで。曹丕とは滅多に接することなかったんじゃないかね。 -- 2024-11-20 (水) 14:31:22
      • 曹丕と夏侯尚は親密(意味深)だったのだが夏侯尚が女にうつつを抜かして相手をしなくなったため嫉妬にかられた曹丕は…杜襲がdisってまでやめとけって言った理由もつく -- 2024-11-20 (水) 18:53:54
      • 曹丕の姉の結婚への口出しは、純粋に良かれと思ってやったのか、姉に対する嫌がらせだったのか。普通に考えれば前者だと思うんだけど、曹丕のやった事だと思うとどうも…。 -- 2024-11-20 (水) 23:09:39
      • 魏略自体が曹操一族や夏侯氏への当たりが強いので、こんな進言しましたよの細部が丁儀は不細工で曹操は彼の才を知って後悔しましたってのはちょっと疑うべきではあるかな、それに清河公主も兄弟喧嘩を仲立ちしてるんで不仲ならもっとツッコまれてると思う、なんで多分本命は夏侯楙を取り立てる事かなと、別に軍才がなくても経済面の運用がいけるなら無能ともいえんし、夫婦仲も正直職務によって西方派遣されてて一緒いられんかったのかも?って感じのもんだし(まあ、たまたまその西方在職中にリアルチート丞相が攻めてきたけどな!) -- 2024-11-21 (木) 01:14:49
      • 夏侯楙がやってた「金儲け」の内容が分からないので経済面の運用ができたかどうかは何ともいえんな。蜜柑の栽培で財を成した李衡のように、まっとうに事業をやって稼いでいたのならいいけど、地位を乱用した汚職とかをやらかしてたのなら最悪だし -- 2024-11-21 (木) 14:08:46
      • 第一北伐が始まるまで蜀が攻めてくるとは思いもしなかっただろうし、利権を貪れる名誉職でしかなかったんだろうな。 -- 2024-11-21 (木) 23:53:43
      • 家長たる兄とは別に独立運用されているんだから、言われるほど極端に無能だったかは疑問かねえ。交戦実績ないのは確かっぽいが。 -- 2024-11-22 (金) 02:36:47
      • それ実は兄が病弱で、その代打として起用された可能性もある(兄の夏侯充は父の爵位を継いだ以外の事績がない)んで、独立運用されてたとは限らないのでは。いやまあ、夏侯充が病弱という記述は別にないから言ってしまえばただの妄想なんだけど、夏侯惇家と曹操家の縁組で、夏侯惇家の跡取りを差し置いて、その弟にお鉢が回ってくるって普通ありえる? なんか夏侯充に問題があった(病弱とか)のではちょっと勘ぐってみたくなる -- 2024-11-22 (金) 05:15:30
      • 鍾毓や夏侯淵の息子軍団のように別途分家を作っていて、なおかつ長子や継嗣は記録がほとんどないか、他人の記録にちょいちょい載ってる程度なのに別の子らは伝があったり色々活躍が残ってる家は結構あるので、夏侯充も中央または記録されやすい三国の前線には配属されなかったとかじゃないかなあ -- 2024-11-22 (金) 09:58:18
      • 夏侯充がそうして見えないところでちゃんと活動してたとすると、清河長公主の縁談話で名前が出てこないのが引っ掛かるんだよな。繰り返しになるが、家同士の政略結婚で嫡男がスルーされるってある?って思うし。夏侯楙がよっぽど才能を評価されて将来を期待されてたのなら話は別だが、とてもじゃないがそんな人間には見えないし、曹丕と仲が良かったと分かるエピソードもないからな -- 2024-11-24 (日) 04:45:09
      • ありゃ、文帝は若い時楙と親しかった、って諸夏侯曹伝の付記にないっけ? -- 2024-11-24 (日) 11:31:21
      • あ、ほんとだ。確かに「文帝少與楙親」ってあったわ。じゃああの縁談の話の曹丕は、純粋に親友と姉をくっつけようとしてただけって解釈すればよかったのか。夏侯充が病弱だとかちょっと妄想が過ぎたわ -- 2024-11-24 (日) 11:46:09
      • 姉の縁談話は純粋に曹丕の友情話だった訳ですね。イイハナシダナー -- 2024-11-24 (日) 15:20:29
  • 孫策の爵位「呉侯」は孫紹が継いでいたんじゃないか(長男がいるのに、弟に爵位がいくというのは普通ありえないから)と某個人ブログで考察されていたが、それが正しいとすると、曹操から南昌侯を貰う219年まで孫権に爵位はなかった事になる。ただでさえ官職が会稽太守止まりで、朱治ら他の太守たちを従える制度的な正統性がないというのに、爵位もないとかよくこれで空中分解しなかったと思うわ -- 2024-12-03 (火) 21:36:38
    • その「普通はありえない」のまさに普通ではないパターン、一応嫡子はいるがあまりに若いどころか年齢高くても5歳かそこら、って時に死んだのが孫策なんですが……そのブログどこかしらんけど大前提の次男継承が稀なのはそもそも息子がちゃんと成人してる&仮に幼少でも問題ない治世だったりってのが忘れられてると思う(皇帝なりはさらに血統も含む) -- 2024-12-22 (日) 12:45:06
      • 呉は、なるべく幼君を避けようとしていて、そこが幼君が当たり前になった後漢や魏との違いといえます。 -- 2025-01-09 (木) 12:42:03
  • 曹沖が象の重さを量ったエピソードで思ったんだけど、孫権が曹操への贈答品に象を選んだということは、領内で象が生産できたか、輸入できるあてがあった(=士燮からの輸入?)という事だよね。孫権は馬の入手に四苦八苦していたように見受けられるけど、象で代替しようとは思わなかったんだろうか -- 2024-12-15 (日) 12:59:53
    • いやそんな車が無ければブルドーザーに乗ればいいじゃんみたいな事言われても…。根本的に使い道が違うし、馬は戦争目的だけで欲しい訳じゃなかったろうしな…。 -- 2024-12-15 (日) 14:35:26
    • 象が馬の代わりってさすがに無双脳すぎるとおもう -- 2024-12-15 (日) 15:00:40
      • 象の軍事利用については上に乗って戦ってるケースは古代から近世まであるのでそれは言い過ぎ、ただどちらかといえば兵士が一人で乗る馬に対して、櫓や輿を載せて戦車のような運用だから馬の代用にはならんのもたしかだが -- 2024-12-15 (日) 22:42:05
      • 無双はプレイヤーが馬にのるかわりに象に代替できるシリーズが結構あるからね。代替したらいいのにって無双脳っぽい感じある。 -- 2024-12-21 (土) 20:11:40
      • ただでさえ戦での騎乗は馬の数ある用途の一つに過ぎないのに、それすら運用が違うとなったら無双の騎乗アイテムという共通点しか無くなるから「無双脳」というのは言い過ぎどころか非常に適格と言える。 -- 2025-09-01 (月) 09:54:26
    • 象が呉領内にいたとは思えないからベトナムから輸入したものだろうし、軍事に用いる程の数を揃えるのも難しいし、費用に見合う効果は望めなかっただろう。 -- 2024-12-15 (日) 15:28:50
    • 軍事に限定しても馬と象じゃ運用も維持費も生態も違いすぎて代替にならないだろう…。 -- 2024-12-18 (水) 02:28:47
      • 義経「4本足の動物なんて似たようなもんやろ!」 -- 2024-12-20 (金) 09:38:54
      • 崖を駆け下りてくる象怖すぎる -- 2024-12-21 (土) 19:06:00
    • 商のころは黄河流域までゾウが生息し戦象が運用されていた。しかし南朝のころにはまとまった戦象を運用できたのはベトナムらへんまで後退していたようだ。554年の江陵の戦いで戦象が用いられた記録もあるが… -- 2024-12-22 (日) 17:06:48
      • 問題は象をそろえられるかより戦象の調教師がいない事の方だろう。馬だって調教しないと戦場で使い物にならないが、中国で絶滅した時に軍事利用のノウハウは失伝しただろうから、ちゃんとやるなら本場のインド辺りに留学させて戦象使いを育成する所から始めないといけない(ゲームみたく軍事技術ホイホイ教えてもらえる物か不明)。ただ並べるだけだと、直ぐ暴れたり逃げたりするから、ハイリスクなハッタリにしかならない。 -- 2024-12-23 (月) 13:48:45
      • 演義ですら木鹿大王と兀突骨が駆る2頭しか出ないし、過去作で編成可能だった万単位の象部隊なんてのはゲームならではのロマンよね…現実でやろうとするならまだ猛獣部隊の方がマシかも知れん -- 2024-12-23 (月) 18:03:30
      • 象を献上するなら調教師もついてくるしどうにでもなるだろう。また唐代の林邑国に千頭、真臘国には五千頭の戦象がいた。インドシナ半島で広く運用されているのにそこまで遠くまで行く必要はない -- 2024-12-23 (月) 21:55:37
  • 周瑜や孫策、甘寧とかの肖像にある額の先からバネみたいなのがビョーンと伸びてて先端に炎みたいなのがついてるのってなんなんだろう。ずっと気になってる -- 2024-12-24 (火) 00:43:09
    • 京劇で見栄え良くする為のもののはず。本来付けてるわけないわな -- 2024-12-24 (火) 00:57:26
    • あれは孔雀とかの羽根だと思うよ。比較的近代の官吏が帽子に着けてたらしい。 -- 2024-12-24 (火) 01:06:34
    • サンクス、そうなんだ。ちなみに周瑜や孫策のwikiにある画像のやつで、出典を調べてみたら清代?の三国志演義の挿絵だそうな -- 2024-12-24 (火) 01:17:05
    • 遅レスですが、翎子(りんず)にござる。ゲームや小説挿絵などのデザインでは京劇ベースのものが多いですが、後漢~三国時代にも烏林郎などがつけていたようです。 -- 2024-12-24 (火) 07:06:57
    • ありがとうです。でも翎子で検索すると思ってたのと違うのが出てきて、疑問なのは額から前方に向かって一本ビョーンと伸びてるやつなんですよね… -- 2024-12-24 (火) 12:30:06
      • 今作の周瑜にそんなもん生えてるか・・・? -- 2024-12-24 (火) 22:03:01
      • って肖像画って言ってるな。14の顔グラ関係ない話か! -- 2024-12-24 (火) 22:04:12
      • 周瑜のwikipediaにも乗ってる画像の奴ですね。確かにあれは翎子とは違うと思います。羽毛の塊っぽく見えますが…。赤とか白だと冠の飾りとして見栄えは良さそうでアクセサリー的なものではないかと。 -- 2024-12-25 (水) 04:19:47
      • 確かに冠の飾りっぽいですよね。調べてみたら「雉尾」や「詔尾」などという単語が出てきたんですが未だによくわかないです… -- 2024-12-25 (水) 16:37:05
    • あのピロピロフサ毛は諸葛瞻の絵でも付いてたりするから呉特有ってわけでもなさそうねえ -- 2024-12-24 (火) 23:55:58
      • 曹真や黄忠、司馬懿にもついてるし謎は深まるばかりだ。あの挿絵が描かれた時期に流行ったものなんだろうか。そして孫晧は2個ついてるし -- 2024-12-25 (水) 00:25:01
  • 上の枝で意図を読み落としえ翎子と答えてしまった者ですが、aiなどに聞いても正しいのか分からない(花翎な鳳凰などを調べても近い画像が見当たらず)難しい調べ物ですね……。私個人的にもずっと実態が分からないものとして「ヒゲ袋」などがあったりします。当時の価値観なら頭巾や冠同様いろんなヒゲ袋があったと推測できますが、猫しか引っかからなくて苦戦してます(笑) -- 2024-12-25 (水) 07:08:51
    • 確かに「髭袋」で検索すると猫しか出てこないですね…笑 関羽が曹操から貰った、とも出てきますが果たして素直に使ったんだろうか…… -- 2024-12-25 (水) 16:25:48
    • あの飾り?に関しては「江田船山古墳」や「益山笠店里古墳」と「金銅製冠帽」で検索するとこれかな…?というのが出てきますが未だに名前や実態は不明です -- 2024-12-25 (水) 16:32:21
    • ヒゲ袋って演義の創作じゃないの?演義では関羽が自分の髭の抜け毛で困ってたから曹操が作らせたって流れだった気がするし、関羽の専用アイテムじゃないのかな -- 2024-12-25 (水) 16:41:42
      • 関羽が曹操からヒゲ袋を貰ったという話が演技の創作だったとしても、突然ヒゲ袋なるアイテムを出されても当時の読者も何それってなるでしょうから、ヒゲ袋というものは当時割と一般的な物としてあったんじゃないでしょうか -- 2024-12-25 (水) 18:18:34
      • 髭にこだわる関羽のために髭用の袋を曹操がわざわざ用意させたってだけで【ヒゲ袋】が当然あるかのようにでてくるわけじゃないよ。 -- 2024-12-25 (水) 18:21:23
      • 原文では髭袋なんて名称そのものがでてこないし日本人の読み手の誰かが勝手に命名しただけよ。スラングみたいなもん。 -- 2024-12-26 (木) 12:09:51
      • というか吉川英治三国志だと思うよ、つまり日本における三国志の原典のようなもんからそうだったといえる。原文だと関羽曰く黒布の嚢で包んでいる、髯を護る紗錦の嚢を贈ったとしか書いてなくて、吉川英治先生は髯嚢(ひげふくろ)と書いてた、そういうのが現代に近付くどこかの演義の訳版でひげ袋とどこかで変わったんじゃないかと。 -- 2024-12-26 (木) 12:44:38
      • 髭じゃないけど髪袋は日本にもあるみたいだし、そっから着想したのかも -- 2024-12-26 (木) 14:03:54
      • なんにせよ架空の物だったのか -- 2024-12-26 (木) 16:01:18
  • 呉末期見てるとなんか帝政ロシア末期と結構重なる気がするなぁ。国が滅んだのが外敵に滅ぼされたか革命で滅んだかの違いみたいな感じで。 -- 2024-12-26 (木) 20:08:13
  • 李傕がはまってた邪教ってなんだったんだろう。とりあえず、巫女がいて牛や羊を捧げていたって時点で仏教系や道教系じゃなさそうだし、西の方の文化や宗教が混ざってそうな雰囲気は感じる -- 2024-12-27 (金) 10:21:42
    • 普通に道教系ぽいけど。太平道とかもそうだが、陰陽思想とか神仙思想とか色々ごっちゃになってるのもまた道教の側面。 -- 2024-12-27 (金) 23:56:37
    • 動物を生贄に捧げるのは古今東西のアニミズム的な原始宗教で見られる特徴だし、鄴における西門豹とか第五倫の会稽太守の頃の逸話からも分かる様に古代中国でもその手の土着宗教や迷信はあちこちで例があるので、特段西方の文化や宗教の影響があったわけではないと思うよ。 -- 2024-12-28 (土) 01:36:51
      • そもそも周の会盟の時点で牛が生贄 -- 2024-12-28 (土) 06:48:10
  • 臧覇が食客を率いて役人に護送されていた父を奪い返したエピソードがあるんだけど、もしかしたら、この時の食客の中に孫観ら臧覇ファミリーの皆様がいたのかもと思った。泰山出身のはずの孫観らが、なぜか徐州にいたのも、臧覇と一緒に東海へ亡命していたからだと考えれば筋が通るし。昌豨がなぜここまで苦楽をともにした臧覇と袂を分かつことになったのかは気になるところだが -- 2024-12-29 (日) 17:29:42
    • 別に長年共闘してようが情勢変われば彼にしかわからん褒章が不満とか領地関連とか単に仲違いとか関係性なんて変化するのは当たり前だろとしか言えないんだが……日本の戦国だってそんなもんだろ -- 2024-12-30 (月) 11:31:39
      • 先の2人だけじゃなく呉敦や尹礼もどこが任地とかの記録があるけど昌豨1人だけはっきりしないから、もしかしたらその辺りで何かあったんかねえ -- 2024-12-30 (月) 13:33:12
  • 蜀漢は桟道焼き払って引きこもったら史実より長持ちしたんだろうか -- 2025-01-01 (水) 01:08:31
    • 蜀漢は所詮益州ではよそ者でしかないし、外征を諦めたら漢の後継としての求心力や正統性もかなぐり捨てることになるから、逆に内乱やらなんやらが起きて保たないんじゃないかな… -- 2025-01-01 (水) 09:56:27
      • これ、丞相が軍を率いたまま長年辺境に滞在し続けたのって首都から反乱分子を遠ざけておくって意味もあったのかなと思った -- 2025-01-01 (水) 20:16:06
    • 魏と敵対していた事と人や物の流通がないのも別の問題だしねえ、それに東州兵の制御が効かなくなったように閉塞することで持て余した軍事の行き場もなくなるし -- 2025-01-01 (水) 16:03:53
    • 単純な防衛面ではいいかも知れないけど、蜀内だけで世界が回った訳ではない以上、民間レベルの物流や往来的な意味ではやはり桟道は必要でしょうし、焼き払った場合に行き詰って破綻した可能性もあるから、そうですとも言えないんじゃないかなあと。 -- 2025-01-01 (水) 22:03:46
    • 第一次北伐前にそれやってたら長いこと放置される気はする。北伐によって、僻地に逃げた連中の本拠地から面倒な賊の本拠地にクラスアップしたので。 -- 2025-01-02 (木) 00:18:27
    • ただまあ、たとえ北伐を諦めて引き籠もっていたとしても早いとこ潰しときたい相手には違いないから、言うほどほっとかれるかね?とも思う。なにせ、漢の後継を自称する蜀漢は存在するだけで自分の帝位の正統性や権威にしゃれにならないデバフをかけてくるやつらなので -- 2025-01-02 (木) 08:07:58
      • 魏としては南に既に交戦中かつ征服したら立地的にも美味しい敵がいるんだから、そっちに注力するんじゃないかなー。 -- 2025-01-02 (木) 09:29:28
      • 司馬懿は蜀と呉だと呉を先に討つべきと考えていたようだし、仮に蜀が完全に引きこもり体勢を取ったなら、攻勢のしやすさとしても、荊州方面から南下して攻撃拠点を持てる呉の方から先に叩いた気がする。 -- 2025-01-02 (木) 14:55:07
      • 司馬懿はともかく曹真や曹爽は蜀征伐をしているので魏にとっては蜀のほうが武功を求める人たちには価値があったのは間違いなさそう。あるいは呉は曹操以来のゲンの悪さで忌避されてたとか -- 2025-01-03 (金) 01:25:35
      • 曹真に関しては西部の軍事が自分の担当だっただけじゃないかなあ -- 2025-01-03 (金) 03:26:42
      • 益州にしろ揚州にしろ、天険に阻まれる北からより荊州取って東西から攻めた方が楽ってのは周知の事だったろうし、二国を分断する事にもなるので出来ればまず荊州とりたいってのは有ったと思う。しかし、荊州は荊州でパンデミック多発地帯だったもんだからややこしく・・・。 -- 2025-01-04 (土) 12:21:17
    • 北伐は呉とより戻す条件でも有ったろうから、引きこもるなら呉とも絶縁して鎖国するしかない。 -- 2025-01-02 (木) 14:43:14
      • 司馬懿は陸続きの江陵や廬江辺りの征伐したかったんじゃないかなと、そこ取れば呉が攻めてくる可能性ほぼ潰せるからな、なお司馬懿存命中すらなせない模様 -- 2025-01-02 (木) 23:10:59
      • ↑それっていつ頃?言うて司馬懿はずっと国内の政争に忙殺されて干されたりもしててそんな事考えてもいなそうなイメージ -- 2025-01-03 (金) 01:21:27
      • 司馬懿が蜀と呉のどちらを先に討つべきかの話は晋書に記述がある。孟達を討って洛陽に凱旋した時の皇帝の下問に対する返答だから、明帝の即位後割とすぐの頃かと -- 2025-01-04 (土) 01:33:29
      • 挿入タイミングとしても石亭の戦いに関するやり取りだね、年数はないが前後からしてもその年代しかなく、二虜(蛮族とか賊軍=呉と蜀)どちらを先に討伐すべきか?に対して、呉はこちらが水戦が苦手と見て舐めて孫権は東関にいます(恐らくかなり前線の武昌が本拠なことを指摘してる)、陸は皖城を攻めて孫権を引き付け、水軍は夏口を狙えば敵の急所=本拠を突くのも容易くなります、なんてのを負けた後から進言しないだろうし、以前にも話題にあったが水軍で立ち往生してたらしいから司馬懿は少なくともこの頃は呉を優先してたと思われる -- 2025-01-04 (土) 03:59:42
      • 曹叡(戦前)「曹休だけやなく司馬懿も自信満々やし、こりゃ最低でも江北一帯はいただいたでぇ!」→曹叡(戦後)「はあ?曹休は惨敗して、司馬懿は用意する船間違えて河岸で眺めてただけやってぇ?あいつら、あれだけ自信満々やったやないか!何がどうしたらこうなるんや!」 -- 2025-01-04 (土) 15:50:03
      • 表向きは慰労してたけど、あの時の曹叡の内心は絶対こんな感じだったろうなと思う。 -- 2025-01-04 (土) 15:53:51
      • そんな感じだったら司馬懿&張郃のずっこけコンビを昇格させて対蜀最前線に投入しないと思うけど、魏には他に人材がいなかったのか… -- 2025-01-04 (土) 17:16:03
      • 張郃は命令通り関中諸軍を率いて荊州に行ったら、用意してた船だと河が渡れないという事実を知って宇宙猫状態になっただけなんで、あまり関係ないし。第四次北伐については、当時の魏だと健在な方面司令官は司馬懿しかいないからな。 -- 2025-01-04 (土) 19:19:18
      • 寿春合肥方面なんて満寵「引退したいんですけどー」曹叡「アンタより頼もしいのいないからムリ」だもんなあ -- 2025-01-04 (土) 19:27:09
      • その満寵ですら度々消極的な撤退策を上奏してきて、曹叡からすると全幅の信頼を置けなかった感があるしな。 -- 2025-01-04 (土) 23:00:38
      • 第四次北伐で張郃が上官である司馬懿を些か軽んじてる感があるのは、年齢差とか軍歴の差だけではなく、関中諸軍を率いて荊州まで出張ったのに無駄足を踏まされた事が頭に残ってたからなのかもしれんな。 -- 2025-01-04 (土) 23:22:43
  • 前にここの書き込みで知った朱のチーリン、ラスボスっぽい感じで司馬懿が出てきたな。姜維が主人公なんだからラスボスは司馬昭なんだろうけど楽しみだわ -- 2025-01-01 (水) 04:45:46
  • 後漢の霊帝は皇帝直属の常備軍を作ろうとしていたと再評価する向きもあるようだけど、そのための手段が売官って普通にダメだしやっぱこいつ暗君やな…と思った。それもやる気だけはある一番タチが悪いタイプの。「無上将軍」を名乗っていたのもなんか宇宙大将軍と同じ匂いがするし、そもそも皇帝が軍を率いるのにいちいち将軍を名乗る必要ないだろと思うし -- 2025-01-04 (土) 11:09:57
    • 曹操の護軍領軍系統が強力な近衛の中核になって晋以降にも継承されたけど、後漢の近衛は九卿(光禄勲、衛尉、執金吾)だけでいいのかな? -- 2025-01-04 (土) 21:22:17
    • 後漢の財政構造上、皇帝が自由に出来る金が多くはなかったのでしょうね。 -- 2025-07-19 (土) 22:57:55
  • 架空の人物のはずの周倉や鮑三娘の墓が実在すると知ったときはなんじゃそりゃと思ったけど、考えてみたら現代日本でも力石徹やマーグ、ラオウの葬式が行われているし、そういうノリで作ったやつがいたと考えればそこまでおかしくないのか -- 2025-01-07 (火) 06:14:19
  • 馬謖は敗戦のせいじゃなくて逃亡の罪で処刑されたんだって説最近見るようになったけど配下の何人かも処刑されてるのは連帯責任なんですかね それとも孔明は最初部下に敗戦の責任押し付けて馬謖悪くないよで押し切ろうとしたけど逃亡やらかしてかばえなくなったとかなのか -- 2025-01-07 (火) 19:46:43
    • 最近(25年前)みたいなのはやめなされ、インターネッツ黎明期の掲示板や個人サイト隆盛のころからの三国志オタクくんの話の種だぞ、それ 逃亡自体は向朗伝にバッチリ記載されてるんで馬謖が敗戦以外にやらかしたのは事実と見做してよく、向朗の逃亡幇助がどんな形なのか?というのがポイントなのよね、自分は助命嘆願かなんかのために一時的に匿ったか身を隠させたと思ってる(向朗は成都に還されたとあるので漢中帰還後かなと推測したので) -- 2025-01-08 (水) 01:29:51
    • 兵を置いて敵前逃亡説なら、幕僚も一緒に逃げたんだろうから同罪で処分は特に不思議じゃない。 -- 2025-01-08 (水) 02:12:06
      • そもそもボコボコにされて負けたんなら街亭で馬謖死んでそうだよな。 -- 2025-01-19 (日) 14:33:43
    • 街亭で王平が散兵を収容して還ったという記述と合わせて考えると、馬謖と幕僚は敗北した時に指揮を執り兵をまとめるべき場面で逃亡した(だから王平がまとめた)ので馬謖共々誅された。向朗は馬謖が戦場で逃亡した情報を掴んでいたけどその件で検挙しなかった。それを知った諸葛亮は背任行為として免官した。とこういう話ではないかと。 -- 2025-01-08 (水) 05:00:03
  • 芍陂の役の時、州兵のほとんどが休暇を取って出払ってたせいで揚州刺史の孫礼がかなり苦戦して、孫礼自ら陣太鼓とバチを持ちながら奮戦してやっとのことで全琮を追い払ったというエピソードがあるんだけど、これで思ったのはちょっと孫礼が油断しすぎてねえか。州兵に休暇をとらせるのはいいけど、なんで一気に纏めてとらせるのよ。こういうのって、普通グループ分けして休む日をずらして、最低でも半分ぐらいは残るようにしねえか。シフト管理が下手な店長かよ -- 2025-01-12 (日) 09:06:55
    • 今の普通は昔の普通とちゃうしなー。 -- 2025-01-12 (日) 11:43:57
      • 父母の喪に年単位で伏す時代だからな。今の時代に両親亡くなったから1年喪に伏す人とかおらんやろ -- 2025-01-19 (日) 14:39:06
  • 外戚と宦官の害に悩まされ続けた後漢が、外戚と宦官が悪魔合体したかのような曹一族に止めを刺されることになったのは、後漢という王朝の業の総決算という感じがして感慨深いものがあるな… -- 2025-01-16 (木) 07:27:25
    • その曹一族が皇族を冷遇して家臣に滅ぼされ、取って代わった司馬一族は皇族を厚遇して一族による内紛で滅びるというのは、いずれも臣下でありながら主家を滅ぼした報いを受けたかのような感がある。 -- 2025-01-16 (木) 08:50:24
      • まあ内紛は大国の滅ぶ原因の代表例だからなあ・・・。犯罪者の3割は朝食にパンを食べていましたみたいな感じに聴こえる。 -- 2025-01-16 (木) 12:48:38
      • 今の価値観だと粛清は名君のご乱心みたいに評価されることが多いけど、初代の粛清が上手いと治世が長くなる感はあるよね。下手だと滅ぶし、粛清も政治力。陳寿の三国志に関しても、「だから最終的に德のある司馬氏が天下を治めた」っていうことを暗に示さなきゃならないので、劉禅が極端な暗愚だったりするけど、だからこそ孫権の乱心も已むに已まれぬ事情があったんだろうなとも思う。 -- 2025-01-16 (木) 14:06:48
      • 粛清の程度にもよるかなー。劉邦くらいなら理解できるけど、孫権や朱元璋なんかは流石にやり過ぎの感がある。 -- 2025-01-16 (木) 14:26:31
      • 孫権や朱元璋がやった粛清は、結果的には害しかなく、後継者を地獄に導いただけだからな… 奇しくも、二人とも本来の後継者(孫登・朱標)に先立たれてるのよね… -- 2025-01-16 (木) 14:59:58
      • 40数年の内半分ぐらいが傀儡だからな曹氏。大臣まで宮殿建設に駆り出すとかやってりゃ支持もなくなるか -- 2025-01-17 (金) 01:36:24
      • 西晋もまともだったのは50年の内半分くらいだな。呉が滅ぶと間もなく司馬炎が堕落して外戚が蔓延り始めて、その後は八王の乱に突入するし。 -- 2025-01-17 (金) 02:19:09
      • 楚漢戦争は「1,前王朝が瞬殺」「2,中華ほぼ全域が戦場にもかかわらず期間がめっちゃ短い」の相乗効果で項羽すら秦の゙統一前生まれだったはずなくらい、当代の統治層が戦乱勃発から流れを全部見てきてるのが大きいと思うわ -- 2025-01-17 (金) 04:18:25
      • ↑2結果論にしか過ぎないけど、呉の征伐に消極的だった賈充は正解だったようにも見えちゃうという。まぁ何時までも統一しない訳にもいかないから司馬炎の代の統一は避けられないと思うけど。 -- 2025-01-17 (金) 09:32:17
      • 曹叡とか孫休とかもだけど、目先の問題がなくなると気が抜けて趣味に走っちゃう皇帝多いしな・・・。いや厄介な問題一つでも解消してるだけかなりマシな方ではあるんだが。 -- 2025-01-17 (金) 10:48:11
      • 趣味は仕事です!を地で行きすぎた始皇帝くん -- 2025-01-17 (金) 13:14:36
      • ↑3 どうだろうね、重臣の反対で討呉が決行されないままの状態が長々と持続したら、それはそれでやる気が失せて堕落した気もするし。 -- 2025-01-17 (金) 22:27:51
      • 何が原因か1つに絞るのは難しいけど、100年以上続いたまともな統一王朝と比べると、曹ファミリーにせよ、司馬ファミリーにせよ、天下統一の過程でグダグダとまごつき過ぎて、皇帝としての権威を強化しきれなかったのは大きかった気がするな。ただでさえ魏や晋の臣下達には皇帝といっても元々は同じ漢臣・魏臣として同輩の家だったという意識がどこかにあっただろうから、元々権威や求心力は低かったんだろうし。 -- 2025-01-17 (金) 22:40:22
      • 魏も晋も皇帝に力が無ければ傀儡にして蔑ろにしてもOKってやってきて成立した王朝だからな。群臣はそういうの見て育って行く訳でそりゃ短命で破綻するわって感じ。開祖の因果が子や孫に報いてるといえばそれまでだが。 -- 2025-01-18 (土) 00:35:05
      • 西晋はそれに加えて曹髦殺しで中華皇帝の権威そのものに痛恨の一撃を与えちゃったからな。曹髦本人が意図した結果ではないだろうが、ある意味、曹髦は自らの命をもって司馬家に復讐を果たしたともいえる -- 2025-01-18 (土) 05:09:00
      • 漢の頃から大概そうだったからあんま関係ない気はする。中華王朝は傀儡にならない皇帝をいつまで立て続けられるか勝負な感じ。 -- 2025-01-18 (土) 15:04:27
      • 皇帝本人が挙兵して配下に討たれたのは稀少例。暗殺された例は多いが -- 2025-01-18 (土) 21:08:55
      • 漢代も外戚の専横はあったけど、魏晋レベルで皇帝やその一門が蔑ろにされた例は殆どない。ラインを超えるか超えそうになると呂氏の様に粛清されてたし、暗殺ですら両漢合わせても実行したとされてるのは王莽と梁冀、董卓くらい。梁冀は粛清されたし、董卓も反発を受けて地方政権に追い込まれた。曹一族や司馬一族の様に帝室を散々蔑ろにして帝位を奪ったのは王莽くらいで、その王莽が建てた新も魏晋と同じ様に失敗して短命で終わった。 -- 2025-01-18 (土) 21:45:20
      • 今までの皇帝殺しの先達(?)たちは、殺すのを帝位から引きずり下ろしてからにしたり、病死()させたりと多少なりとも外面は取り繕ってたのに、曹髦殺しでは白昼堂々殺ることになった(それも奸臣討つべしと立ち上がった皇帝を)のがライン越えてる -- 2025-01-19 (日) 09:05:32
      • こうしてみると、荀彧の魏公反対って正しかったのかもな。まあ劉備取り逃がした時点でどっちを取っても短命になりそうだけど -- 2025-01-19 (日) 14:31:45
      • 漢代は傀儡化はあってもそこから禅譲という名の簒奪までは至らなかったから皇帝の権威は最低限保たれてた。そこから追い落として奪ってもいいんだってやったのは魏だからそこは大きいんじゃないかな。 -- 2025-01-19 (日) 23:32:13
      • ↑2曹操に自分が統一しきる気概があれば正しかったし曹操も従ったと思うが、あの時期は自分の代での統一はもう無理って思ってただろうし、その場合次の代が魏公(王)の後継か〇〇侯の後継ぎかは大分変わっちゃうし、配下の地位のキャップ問題も深刻化するからどうなんでしょうね…。 -- 2025-01-19 (日) 23:45:51
      • ただ、最大で武平侯として陳国内の武平・陽夏・柘・苦の4県を領していた(210年に陽夏・柘・苦は返上。時期的に赤壁の引責と思われる)曹操が、魏公になったとたんにいきなり10郡もがめるのは色々露骨すぎ、がっつきすぎてみっともないという印象は否めないので、荀彧が嫌がったのはそれが理由じゃないかなと思ったりする -- 2025-01-20 (月) 07:12:21
      • 漢代や唐代でも外戚や権臣による騒動は色々あったけど、曹操の魏公授爵による十郡接収とか司馬家による魏皇族の監視・監禁や曹髦殺害とか、曹家と司馬家はやり方があまりに露骨過ぎて野心が透けて見え過ぎたのも尾を引いたかなと思う。荀彧の魏公反対については露骨過ぎるのに加えて、曹操が十郡を領すると他の群臣もそれなりの所領を与える必要が生じてしまって、結果として天下統一前に群臣が肥え太り過ぎるのを懸念したんじゃなかろうか。実際、司馬懿没時の司馬家の所領は八県・二万戸と群臣としてはかなり過大なものになってしまっていたし。 -- 2025-01-20 (月) 20:17:55
      • その点については曹操の時代は他の群臣は結局碌な所領貰ってなかったから杞憂でしたな。曹丕が皇帝に就任するまでは曹操本人とその子と他の群臣の領土格差が酷すぎて…。 -- 2025-01-21 (火) 00:46:48
      • そもそも曹操時代は中原抑えてたと言っても皆にたんまりお支払いする余力ねえもん、鼎立時代に段々と食邑の加増が多めになっていくあたりで国力回復や領地の安定が見えてくると思う -- 2025-01-21 (火) 08:47:19
  • ゲームじゃ賊の統領とされている人物はほぼほぼやらかし武官みたいな能力になってるけど、もう少し人間社会そのものについて考慮すれば、少なくとも魅力や統率くらいは高かったと思うんだよな。無能二世みたいな能力にするのはなんだか失礼な気がするなー。あと南蛮人が猛獣並の知力しかないの、雲南周辺の少数民族に対して失礼だとも思う。演義で怪物扱いされているなら仕方ないかもだけど。 -- 2025-01-21 (火) 12:59:07
    • まあゲームなんで。失礼とか言い出したら、能力査定して数値つけとること自体失礼だし。 -- 2025-01-21 (火) 14:43:35
    • 能力は相対評価だからある程度は仕方ないかと。魅力についても、誰視点かで変わると思います。例に挙げてる賊の統領についてなら、徒党を組んでいる時点でその兵隊視点ならある程度は高さも感じたでしょうが、民やその徒党外の視点なら低くなるのも妥当でしょうし -- 2025-01-22 (水) 02:18:08
      • 徒党組むにしても頭とウマが合って進んで従った奴、嫌いだけど利益優先してついた奴、そもそも選択肢自体が与えられなかった奴など色々いただろうし、細かく考え出したらキリがなくなっちゃうからなー。 -- 2025-01-25 (土) 12:12:53
      • 作品によってどういう視点かって変わってると思うんですが、14については概ね民視点(為政者としてどう見られてるか)の視点での魅力の能力査定に感じます。といっても為政者視点で査定しようがない武将も多いので素行とか振る舞いなんかも加味されてそうですが -- 2025-01-28 (火) 20:06:20
      • 確かに、ゲームだと、魅力は民と武将両方を惹きつける能力になっているし、政治は農作(おそらくよく治めるから荒れずに収穫が上がる?)と外交に影響するけど、例えば派閥政治が上手くて皇帝含めた周囲を固め、権勢薫天で民を恣にした人物は、ゲーム的な武将を惹きつける魅力は高いけど、民からは絶対に嫌われている。派閥政治手腕は抜群だけど国内は荒廃する。両面があるから「この人物はこっちで評価する!」って決めないと、極端な人物は設定が難しいのよね。董卓の評価が今作の魅力と政治の設定基準になるのかな。簡単なのは武力と知力くらいかしら。統率も戦争の上手さでいいのかな。 -- 2025-01-29 (水) 11:32:55
      • 統率が地味に範囲狭い気がするんよな。「数千~一万人くらいのモブを使って部隊同士での殴り合いとか力仕事させる能力」って感じ?武将クラスの人を纏めるとか管理するってのは魅力とか人間関係とかに行ってそう。 -- 2025-01-29 (水) 16:47:38
      • 査定の仕方は武将ごとにバラバラで統一されてないと思う。そんなことできないだろうし。武将を纏めてたでいうと趙儼なんかは統率魅力はそこそこで、被親愛や個性の補佐でそのあたりを表現されてるし。 -- 2025-01-29 (水) 19:19:56
      • もっと評価高く出来そうなマイナー武将も多いけど、手間的にそんなの一人一人細かく評価してられないっていう事情もありそうだしね -- 2025-01-31 (金) 16:41:48
      • 三国志3の時なんかそれだからすごくわかりやすい、当時でもメジャー(※ただしまだ演義準拠のみ)というか出番が物語の盛り上がるとこや重要シーンの反董卓連合軍関連の面々とか范彊張達なんかは優先して設定してたのか、明らかにゴミみたいなステータスなのに、恐らく後々数合わせとばかりに登録されたのか五関の奴等とか袁紹軍のモブキャラは似たりよったりだったからなあ -- 2025-02-01 (土) 01:08:07
    • アイツ王族なのにケチとかうわーないわー!って言われたが理由で賊徒並の魅力にされた人もいるしな -- 2025-01-22 (水) 12:55:59
    • 華歆は8リメイクで魅力が大幅に上がった…といっても51止まりだが、これは正史華歆と演義華歆がフュージョンした結果なのか、正史準拠でもそんなもんなのか判断に困るな… -- 2025-01-25 (土) 05:51:27
      • 史書ベース(曹瞞伝除く)なら徳のある人なので、足して2で割ったくらいじゃないかしら -- 2025-01-25 (土) 15:14:17
  • 中国ってデカすぎるから、転勤族になると移動距離がとんでもないことになるんだよな。中国全土をほぼ縦断するハードな転勤人生を送りながらも、70近くまで生き延びた吾彦にはそれだけで「頑健」を付けてあげたくなるし、あっちこっちで便利でこき使われ続けて、最後は70近い高齢者でありながら毛布にくるまって崖を転がり落ちる無茶をやらかした鄧艾には、どんだけ元気なんだよこのジジイwと言いたくなる -- 2025-01-26 (日) 07:45:57
    • 外征組はみんなそんなもんよ、まだ後漢が生きてた時なのに朱儁なんかもなかなかのものだし、だけどその朱儁を取り立てた度尚なんかはもっとヤバい -- 2025-01-27 (月) 11:44:34
  • 于禁って陳蘭・梅成討伐(209年)から樊城の戦い(219年)までの10年間どこで何してたんだろう?正史の于禁伝だと梅成達らの件の記述の後は、他の五子良将と並び称された事や朱霊との逸話などを挟んで樊城の戦いに飛ぶし。 -- 2025-01-28 (火) 21:25:39
    • 于禁伝に書いてある通り、その期間の曹操の諸々の征伐に同行してたのでは。推測の一つとしては、曹操が特に信頼を置いて曹操本隊の切り札として傍に置いて投入していたから個の記述が埋もれてしまったとか(ナポレオンの古参近衛兵的な) -- 2025-01-29 (水) 03:05:34
      • 起用法的には虎の子の親衛隊って感じよね。左将軍で夏侯惇を除けば配下随一の筆頭。そんな凄い人が関羽に降ったのだから衝撃凄いやろな。本多忠勝が関ヶ原前に西軍に降伏するようなもんだな -- 2025-01-29 (水) 17:38:41
      • 于禁は軍の保持が厳格で、敵(賊)を討って財物を得ても懐に入れてガメたりしなかったから賞賜が特に重かったとあり、この辺りの記述からは曹操からの信頼の篤さが推測できるから、手元に置きたかったのではないだろうか。 -- 2025-01-30 (木) 21:39:27
      • 仮節与えられたのに前線行った形跡がないので、この時は後漢の軍を率いる曹操の代わりに魏公国の領軍を預かってたとか考えたり -- 2025-02-03 (月) 10:07:00
      • ↑2 むしろ普通は掠奪や横領をしない武将こそ現地の民心を掴むことが重要になる外地の任務に使いたい筈だがなあ。逆に素行の悪い武将こそ自身の近くに置いて制御しておきたいだろうし。于禁は兵から支持を得ていなかったとあるので、その欠点が前線の駐屯任務に向かないと判断されたのではないかと思う。 -- 2025-02-03 (月) 12:40:21
      • ↑兵の統率が出来ていたという事で、戦の場で曹操の指示通り、期待通りの働きが期待できたから手元に置いておいたという見方も出来るのではないだろうか。あと書き方からして敵の財物を奪っていない訳ではないと思う。自分の懐に入れてないだけで組織のあがりとしたのだろう。 -- 2025-02-04 (火) 02:28:08
    • 基本的に記録ない=どこかの下で働いてる、って考えたらええねんな、魏だと曹休曹真あたりもそうね -- 2025-01-29 (水) 09:21:35
  • 車冑は徐州刺史だったわりに、劉備に殺されたという記述しかない謎人物だが、同時期に揚州刺史を務めた厳象が荀彧に抜擢された京兆尹の名士ということを考えると、この人も似たような出自だったのだろうか -- 2025-01-29 (水) 06:33:25
    • 名前すら残ってない牧や刺史も結構おるからなあ。名士だったのは多分そうなんだろうけど判断材料なさすぎる -- 2025-01-29 (水) 16:41:55
      • 中国史に登場する車姓のネームドはまあまあレアで、三國志に出てくるのは他に車浚(孫皓に斬首された会稽太守。「蛍雪の功」の車胤の曾祖父)ぐらいだけど、揚州豪族(推定)の一族が190年代の曹操陣営と繋がるラインというのも考えづらいし、多分無関係だよな… -- 2025-01-30 (木) 06:20:36
      • あ、でも曹操は揚州で募兵した事もあるし、その時に参入した可能性もあるのか。ただまあ、車冑の情報がなさ過ぎて妄想しようにもとっかかりがないのがなあ… -- 2025-02-01 (土) 05:22:57
      • 避諱の都合で名前や字が省かれたっぽい人が結構いる。特に『晋書』は避諱がよく使う字だから被害者が多い。 -- 2025-02-03 (月) 05:53:25
      • 車胤の本貫を確認したら南平郡(孫呉を滅ぼした西晋が、南郡の江南を分割して設置したもの。作唐・孱陵・南安・江安の4県を管轄した)で、車胤の親父も南平郡の主簿をやってたから、このゲームでいうと武陵と長沙の境目あたりの豪族で、揚州豪族というのは誤りだったわ。あのあたりじゃ揚州以上に曹操との縁が薄いし、やはり車冑とは無関係かな… -- 2025-02-04 (火) 07:37:51
  • 「蛍雪の功」の孫康は孫資の末裔だが、讒言で曹爽の専横に導いた奸臣の家が、灯りの油が買えないほどに落ちぶれていたことに諸行無常を感じる。しかも、孫盛の代でも西晋末期のごたごたで没落していたようなので、二度も落ちぶれたことになる。八王の乱のせいでほぼ族滅同然になった劉備の末裔に比べたら、劉宋の時代まで名を残せただけ恵まれていたのかもしれないが -- 2025-02-03 (月) 06:33:01
    • 「蛍雪の功」もう一人の車胤は、呉の会稽太守で孫晧に斬首された車浚の曾孫。こちらはさらに不利な環境からの出世なので大したものだが、終わりが……。 -- 2025-02-04 (火) 03:58:16
      • 東晋の末期は、皇帝(司馬徳宗)がお飾りで、曹爽Mk-Ⅱみたいな皇族の実力者(司馬道子)が好き勝手やって、そいつを司馬家Mk-Ⅱみたいな実力者(桓温・桓玄)が倒して乗っ取るという流れで、思いっきり曹魏の轍を踏んでるのがアレやな。曹魏との違いは、司馬師ポジの桓玄も滅び去って、別のやつ(劉裕)に取って代わられたということか。なんというか、桓玄の事績って、しくじった司馬師の世界線を見てるみたいだよな -- 2025-02-06 (木) 06:14:23
      • 司馬道子、人材登用とか軍備強化とかそれなりに意欲も見せてるのだが(そしてそれが門閥貴族の反感を買って政争のタネになったのだが)、兄貴の孝武帝(司馬曜)と酒宴ばかりして二人ともアル中になってるのが何というか。曹爽ポジであると同時に司馬攸ポジでもあったので、孝武帝と対立はしたが皇帝の方も粛清までは踏み切れなかった模様。なお、孝武帝は側室の張貴人(30)に「お前もそろそろお役御免だな」と軽口を叩いて暗殺されてる。その次の司馬徳宗は、会話すら出来ないガチの知的障碍者…… -- 2025-02-07 (金) 00:14:41
      • 側室に殺された(正確には、宦官を買収して召使いを忍び込ませて暗殺した)皇帝というのも前代未聞だし、会話すらできない知的障碍者の皇帝というのも他に例があったかどうか。 -- 2025-02-07 (金) 00:17:39
      • 即位直後に脳溢血をやっちゃって言語障害になった皇帝はいる(唐の順宗)けど、ガチの知的障害者の皇帝は司馬徳宗が唯一無二かな… 司馬徳宗の人生は見てて可哀想の一言に尽きるし、徳川家重における大岡忠光みたいな人がいればなあ… -- 2025-02-07 (金) 06:12:03
      • 世界史ならイヴァン5世みたいな例もあるけどね、流石に意思疎通すら不可能じゃないだけマシだけど -- 2025-02-07 (金) 09:09:16
      • ここで名前を挙げられた皇帝たちが全員悲しいことになってるのを見ると、徳川家重ってかなり恵まれてたんだなあと思う。江戸幕府が良くも悪くも幕閣の集団指導体制で安定していたのと、大岡忠光という忠臣がいたのが勝因か -- 2025-02-07 (金) 10:08:15
      • 司馬徳宗(安帝)は、弟の司馬徳文(後の恭帝)がつきっきりで世話をしていたが、徳文が席を外した隙に、劉裕の意を受けた王韶之が毒殺。司馬徳文も禅譲させた上にきっちり暗殺。陰湿というしか無い。 -- 2025-02-08 (土) 02:46:48
      • そんな陰湿な始まり方をした劉宋は、延々一族内で殺し合った末に、順帝の「生まれ変わっても帝王の家にだけは生まれたくない…」という悲痛な叫びと共に終わるのが因果応報というかなんというか… -- 2025-02-08 (土) 04:07:34
      • 劉宋の功績って、文帝が裴松之に正史三国志の注を書かせたことくらいな気がしてきた。 -- 2025-02-08 (土) 06:00:04
      • 倭の五王の遣使を受け入れて、我が国に貴重な5世紀の記録をもたらしたという功績もあるゾイ -- 2025-02-08 (土) 06:05:06
      • なぜ劉宋が地獄になったかといえば、劉裕が自分のようなやつが二度と現れないようにと軍権を皇族に集めすぎた結果、皇族たちがその軍を基盤に抗争を繰り広げ、勝ち上がって皇帝になりおおせたやつが自分の血統以外の皇族を粛清して、残った皇族も抗争を始めて…というのを延々繰り返したからである。譜代の家臣がおらず、自分と身内以外を信用しきれない成り上がり者の悲哀とともに、皇族に与える権力の匙加減の難しさを考えさせられる -- 2025-02-16 (日) 06:06:16
      • 裴松之は劉裕の近臣になりながら、零陵に飛ばされているから晋宋革命にはたぶん消極的だったのだろう。文帝(劉義隆)の代にようやく宋のために働く覚悟を決めたと考えると、まあ不朽の業績を残せただけよかったのだろうか。 -- 2025-02-17 (月) 14:18:29
      • そもそも2代目が10代のガキンチョという時点でもう終わってる(同姓の2代政権ながら持ち堪えた国から目を逸らしつつ) -- 2025-02-18 (火) 15:08:29
      • そういや劉宋には諸葛誕の一族っぽい(本籍地が同じ琅邪郡陽都県)諸葛長民とかいう孔明のなり損ないがおったな… まあ3代目はそこそこ優秀だったし多少はね? なお檀道済粛清と皇太子 -- 2025-02-19 (水) 06:16:59
      • 隋の頃にはカニバリストまで出たからな、諸葛氏… -- 2025-04-25 (金) 21:49:54
  • 孫峻って、後継の孫綝がクソオブクソだったから、巻き添えでイメージが悪くなってるところがあるよなーって思う。なんだかんだ言っても能動的に始末したのは諸葛恪の一党だけで、あとは自分を殺そうとしたやつを返り討ちにしただけだし、露骨に自分の身内を厚遇したりもせず(孫綝は孫峻存命中は偏将軍止まり)、滕胤とも協調できてたようなので言うほど専横を振るっていたようには見えない。諸葛恪暗殺も、独断でやったわけでもなく、孫亮もしっかり噛んでるし、個人的には二宮の後始末を生涯やり続けた人って印象。もっとも、孫魯班と密通し、魯班の意を受けて宮女を犯していたという記述もあるので、俗物・悪党寄りの人物だったのは否定しないが -- 2025-02-18 (火) 07:16:46
    • 権力もってからは、驕り高ぶって多くの人々を処刑したとか恐いから誰も反対意見を言えないとかあるし、返り討ちっていっても何度も身内から暗殺計画が起こるのも普通じゃないけどなぁ。 -- 2025-02-19 (水) 10:06:39
      • 権力持ってたら逆らえねえは孫峻に限らず誰でもなのでー、何なら大帝様がまさにそれなのでー……「権力を恣にし多くの官吏を処刑した」と書いたら悪どく見えるし「奸臣を排除し宮中の体制を是正した」とか書いたらまともに見える、孫峻が良いとか悪くないとかではなく、単によくある権限の奪い合いの一環でしかなくて煮え湯を飲まされた側の恨み辛みみたいなもんかなと -- 2025-02-19 (水) 23:54:09
      • 確実に成功しないことをやろうとしてるのに誰もなにも意見できないなので、単にそれだけでは無いような?唯一意見できた滕胤の反対も聞き入れなかったみたいだし協調できてたともいいがたいかと。そもそも反対意見=逆らうではないし。 -- 2025-02-20 (木) 01:29:09
      • 少なくとも自派閥の統制に関してはかなり上手くやってる印象はある。というのも孫峻の北伐では荊州方面担当の呂拠も同時に動いているのが確認できて、揚州・荊州が協調して動いてる呉の北伐って案外珍しい。加えて後継の孫綝に反逆した面々が多数いたってのも、孫峻は彼らをしっかり統制してたとも取れるからね。 -- 2025-02-21 (金) 02:34:23
      • 官女犯したり罪もない人を処刑したりってのは史書悪人テンプレなんで、個人的には盛られてる気はするなー(孫峻孫綝は孫休にめっちゃ嫌われてる&呉志は呉の史書である呉書ベース)。権力闘争と暗殺カウンター除けば処刑された人って誰やねんってなるし。 -- 2025-02-21 (金) 12:26:15
      • 実際孫休は呉書の編纂者の1人である周昭を、華覈の助命嘆願を蹴ってまでして処刑してるからな。周昭が韋昭のように、曲筆を断って処刑された可能性もなくはない -- 2025-02-21 (金) 17:20:46
    • 国が崩壊したら自分達の富貴も潰えちゃうって事は理解してたから一定の配慮とか協調が出来てただけじゃないかな…。逆に孫綝がアレ過ぎるから孫峻って結構マシだったんじゃ?という見方がされているとも考えられるかと。 -- 2025-02-19 (水) 20:48:16
      • 孫綝は自分の権力基盤・正統性すら理解してなかったみたいだしな。仮にも皇族なのに、仮節持ちの朱異を正当な理由なく殺して皇帝の権威を傷つけたらいかんでしょ。これが孫峻なら、朱異を殺すにしても、何かしら理由を付けて呉本国に送還してからにする配慮をしてたと思う -- 2025-02-21 (金) 05:50:46
      • 孫峻がまともだったとは思わんが、かなりしたたかではあるしな。 -- 2025-02-21 (金) 10:50:22
      • 孫壱の粛清も、孫峻なら側近を買収するなりしてちゃんとやりきったんだろうなあという謎の信頼感はある。なんというか、孫綝って悪党としても底が浅いし小物くさいのがすげえ嫌だわ。まだフィクションの哀しき悪役のような人生と見れなくもない孫皓のほうがマシ -- 2025-02-23 (日) 11:35:15
  • 素朴な疑問?避諱ってあるけどもし晋に太師が立ったらどんな官名になると思いますか? -- 2025-02-27 (木) 09:50:43
    • 『晋書』の職官志によれば、晋では太師は司馬師の避諱で「太宰」と呼ばれていたみたいよ -- 2025-02-27 (木) 10:26:16
      • 迂闊でした、志を見ればわかる内容でしたね……もし考えるなら現実に無い人で考えるべきか。王国が僭称してたら相国も相邦に戻ったんだろうなとかは想像もつきますが、袁尚とか夏侯尚なら尚書周りは大変そうですね(笑) -- 木 2025-02-27 (木) 12:34:42
      • 避諱には同じような意味を持った別の文字に置き換えるパターンもあるから、その場合だと「尚」と同じように使われることもある「猶」に置き換えて「猶書」にでもなるんかね? 漢文とかはあまり詳しくないから断言はできないけど -- 2025-02-28 (金) 08:56:49
  • 「忠烈なる慷慨の士との評判高く、犯し難い節義を持っていたという」 審配の若い頃の評判がこれだが、これを見てると本当人が人を評価するって難しいんだなって思う -- 2025-03-01 (土) 06:23:47
    • 若い時と年食った時とで、性格立場その他はいろいろ変わって然るべきじゃろ。 -- 2025-03-01 (土) 23:56:51
      • それを含めて、人って変わる生き物だし、それを評価するってむずいねーって話よ。俺もさすがに審配が陳球の下で働いていた時から不正をやりまくる人間だったとは思ってないし(そんな人間だったら、陳球の性格からして容赦なく処断されてそう)。 -- 2025-03-02 (日) 05:38:22
      • それでも評価して数値化しなきゃならんというゲームの業 -- 2025-03-04 (火) 23:16:15
    • 落城時に財貨を蓄えてたよーってのは中国史名物、読み手の学を試されてるやつで同じ地域の事と言うことで平原君の邯鄲籠城の逸話に対して審配一族は財貨を貯めてたカスだから死ぬのは当然とか貶めたかったんではないかと(審栄みたいな身内の裏切り者なんかもいるから平原君ほど身内の財を出させられなかったのかもしれんし) -- 2025-03-05 (水) 02:18:23
    • 最大限無理にでも審配を擁護するなら、霍光のように本人は清廉潔白でも、身内がやらかしまくるのを止められなかったとかかなあ。罪人を匿ったり、亡命者の首領になったりしたのはあくまでも審配の親族であって本人じゃないし、鄴が落ちたときに見つかった財産は審配本人ではなく親族のものだった可能性もゼロではないし。それでも袁紹の遺言の偽造だけは擁護できないが… -- 2025-03-05 (水) 08:20:49
  • 唐の武将の名前に異民族臭さを感じるのは、五胡十六国時代に民族が入り乱れたから?歴史好きな人の話を聞いてみたい。 -- 2025-03-02 (日) 17:03:48
    • そもそも唐の皇室自体が鮮卑系だからそらね。凌煙閣二十四功臣の中にも、異民族の出だと確定してるのが2人いるし(長孫無忌は漢化した鮮卑貴族の名門出身、屈突通の一族は騎馬民族の庫莫奚に属する氏族とされる) -- 2025-03-02 (日) 18:36:13
      • 李孝恭:唐の皇室、高士廉:北斉皇族(鮮卑または鮮卑化した漢人)、尉遅敬徳:鮮卑尉遅氏?、長孫順徳:無忌の一族・鮮卑長孫氏、劉政会:匈奴独孤部あたりもいる。房玄齢、魏徴、蕭瑀、殷開山、虞世南、唐倹らへんは漢人だろう -- 2025-03-08 (土) 09:05:30
      • ただ”漢人らしくない名前”が多いのは唐の征服事業によるところが大きい。李世民の代でも阿史那社爾、阿史那忠、阿史那思摩、執失思力(突厥人)、契苾何力(鉄勒人)などが唐に仕えた。彼ら自身も外征に多大な貢献をした。 -- 2025-03-08 (土) 09:41:16
    • この頃になると漢人っぽい名前をしてても自称に過ぎず、血筋としては夷狄な連中も少なくないだろうしね。唐の帝室だけでなく、前身となる隋の帝室もそうだし。現在の中国人は自分達のことやその文化を指して華夏人や華夏文化と言ったりするが、実はこの「華夏」という言葉も初出は五胡十六国時代で、一説によると匈奴や鮮卑が漢人を支配するにあたって「華夏人」と自称したのが始まりとされている。客家なんて人達が最も大量発生したのも五胡十六国時代だし、五胡十六国以降の中原や河北の「漢人」はどの程度漢代と同じ「漢人」なのか、かなり疑わしいところがある。明末の張献忠の虐殺も大部分は清朝、つまり北方の女真族が自分達の所業を張献忠に押し付けたのではないかと言われてるように、五胡十六国以降の中原や河北の漢人は大虐殺をされたり、江南に逃げ延びていて、明末の四川と同様に文化的にはともかく血統やDNAとしては入れ替わったと言っていいくらいの変化があったのではないかと思う。 -- 2025-03-09 (日) 22:40:05
      • ないです… -- 2025-03-10 (月) 08:31:18
      • 張献忠の殺人趣味と大量虐殺行為は清の史書だけでなく、彼に同行してたイエズス会の宣教師も記録しているので…。強引に言い訳するなら、張の腹心で後に清で高官に上った孫可望が自分の罪を免れる為に当時の親分に全部押し付けた可能性はある -- 2025-05-08 (木) 18:29:44
  • 曹嵩の死って初平四年と興平元年のどっちだろ?なんか史料によってまちまち -- 2025-03-08 (土) 15:25:28
    • 三国志武帝紀だと興平元年より前、資治通鑑では初平四年なんでまあ初平四年でいいでしょう -- 2025-03-08 (土) 21:03:19
  • 十四年夏四月,後主至湔,登觀坂,看汶水之流,旬日還成都。後主伝にあるこの話ほんわかしてて癒される。じゃなくてこの時の劉禅は何しに行ったんだ……巡察とかでもなく本当にただ遠足しに行っただけなのか -- 2025-03-09 (日) 14:13:52
    • 劉禅は皇太子時代にもあっちこっち遊び歩いて譙周に怒られた事があるから、ただの遠足じゃねえかな… まあ時期的に、この頃の蒋琬は政権の引き継ぎやら地盤固めやらで忙しかっただろう(前年に楊儀を失脚させている)から、そこで劉禅にいらんことされないようにあえてほったらかしてた可能性はある -- 2025-03-09 (日) 15:54:53
  • 孫夫人が劉禅を誘拐しようとした話があるけど、これ絶対に孫権の意向じゃないよね。この時期はまだ劉備との決裂は望んでなかったはずだから劉禅を攫う動機があるとは思えないし、そもそも呉本国にいた頃から素行が悪かったであろう孫夫人にそんな国家の大事を託すとも思えない。劉備が息子を攫われたくらいでどうにかなるタマとも思えないし、この女なにがしたかったんだ… -- 2025-03-09 (日) 15:43:33
    • 法正伝では諸葛亮が「北の曹操、東の孫権、内の孫夫人」と脅威を並べてるから相当厄介な存在だったんだろうと思う。趙雲が監視につくぐらいだし、素行の悪さのレベルがすごいんだろう。 -- 2025-03-09 (日) 18:03:01
      • 孫夫人が同時代の人間から見ても厄介者だったのは間違いないと思うけど、孫夫人の視点から見てもまったく劉禅を攫う動機が見えてこないのが謎なのよね。劉禅を攫ったところで得られる利益なんてないし。案外、劉備のガキを攫ってあのいちいち口うるさい趙雲の野郎に嫌がらせしたろ!みたいなくっだらない理由だったりしたんだろうか -- 2025-03-09 (日) 18:30:47
      • 政略結婚とはいえ結婚していた以上は義理だけど自分の息子って意識があっただけでは?息子だし連れ帰ったろってだけと思う -- 2025-03-09 (日) 19:19:11
      • それは儒教的にすごいヤバいやつになるでしょ -- 2025-03-09 (日) 21:02:30
      • どうであれヤバいやつなのは間違いないやろ -- 2025-03-09 (日) 21:09:50
      • 孫権は何のつもりで孫夫人なんか送ってきたんだろう。さすがに親族にもっとまともな女いるでしょ -- 2025-03-09 (日) 23:25:09
      • 孫権が張裔(雍闓によって呉に拉致されたが、講和で帰国を許された)を引見した際、孫権「蜀の卓氏の女は司馬相如と駆け落ちしたが、それが蜀の風習なのか」、張裔「朱買臣の出世が待ちきれずに離婚した呉の女よりはましでしょう」というやり取りがあって、張裔の台詞は孫夫人を揶揄したものらしい。朱買臣の元妻は、会稽太守に出世した元夫を見て後悔したのか自害している。……演義通りの理由では無いにしても、孫夫人が自害したのは本当だったり? -- 2025-03-10 (月) 03:38:10
      • しかも正史『三國志』の流れ通りなら、張裔の返しが孫権にウケたっぽいんだよな。よほど呉国内でも札付き扱いだったのだろうか。 -- 2025-03-10 (月) 03:42:13
      • そんなやつを本来監督・監視するべき甘夫人は既に亡くなってたんだろうな… その穴埋めに畑違いの趙雲が起用されるあたりに、劉備陣営の奥向きの人材の薄さが察せられる。あんだけ家族を捨てながら流浪してたらしゃーないけど -- 2025-03-10 (月) 06:54:27
      • 人材が厚い薄いとか以前にもう常識的な範囲に収まる相手じゃないんだろう。 -- 2025-03-10 (月) 09:40:53
      • まあ結局孫権はなんでそんな札付きの女送ってきたんだよって話に行き着くんだけどな。実の娘を送るのは年齢的に厳しい(下手したらまだ生まれてない)のは分かるが、上の方でも言ってる人がいるけど誰か適当な親戚の子を養女にしときゃよかったのに… -- 2025-03-10 (月) 10:50:28
      • お兄ちゃん並に長生きしたら怖かったな。歩夫人あたりは -- 2025-03-10 (月) 13:22:56
      • 孫権「いくらなんでも嫁に出したら上手くいかないまでもちったあ落ち着くだろ」→「相手の息子拐かしってなんだよ、酒だ酒!」ってなってそうだし、呉の側の記録ないのもやらかしてていなかった人扱いなのではないかと疑うレベル、夫人側が帰国のために船用意したならまだしも、孫権も迎えに船出したらしいしマジでヤバい案件だもんな -- 2025-03-10 (月) 13:25:46
      • 諸葛亮から曹操・孫権と並べられるくらいには蜀の脅威になってるし、内からいろいろやらかしてもらおうって魂胆じゃないのかね。対曹操を考えると親善的な意味で無下にはできないし。そもそも孫権も並べて脅威としてる以上、諸葛亮は純粋に友好的な関係とはとらえてないだろうし政略結婚自体がそういう存在なのでは -- 2025-03-10 (月) 14:11:08
      • 普通の政略結婚だと孫夫人は脅威でなく人質なんよ -- 2025-03-10 (月) 18:24:11
      • 政略結婚した時点では劉備の方が格下だし、内の脅威になるものを無理やり押し付けられたって感じでは -- 2025-03-10 (月) 18:45:34
      • だとしても結局その「内の脅威になるもの」は孫権の元に帰ってきちゃったわけだが… 呉サイドの記録もなく、上の方で言ってる人がいるけど張裔の皮肉も朱買臣の妻の末路を込みで言ったのだとすると、孫夫人は帰国後に自殺()したのかもな… -- 2025-03-12 (水) 07:55:54
  • 途中送信してしまった。歩夫人あたりは良いが、他の呉の女性陣は色々と癖のある人多そうだし。 -- 2025-03-10 (月) 13:24:26
  • >「華夏」という言葉も初出は五胡十六国時代で、一説によると匈奴や鮮卑が漢人を支配するにあたって「華夏人」と自称したのが始まりとされている。 ええ…三国志本文(注除く)でも荀彧伝、関羽伝、周瑜伝ほか多数で普通に使われているが何の目的でこんなゴミみたいなデマを流布するのか -- 2025-03-10 (月) 18:01:38
    • そもそも「華夏」という語だけでいえば「春秋左氏伝」の時点で出てくるからな。調べたら五胡十六国が初出とかいうのはNHKの後藤多聞ってジャーナリストが1990年代に言い出したらしいぞ、迷惑やな。それを静岡大学モンゴル人教授がわざわざ昨年12月に記事にしてるのも意味わからん、「春秋左氏伝」も引用してるくせに「華夏」は五胡十六国が初出とかいってるし。 -- 2025-03-10 (月) 18:43:36
      • モンゴル人研究者とやらのツイッター見たが反中ヘイト垂れ流して飯のタネにしてるカスだな。日本巻き込むな祖国でやれ -- 2025-03-10 (月) 19:28:55
    • 仮に華夏が後年の写本なりで書き換えたものであっても、間違いなく「中華」の範囲拡大に伴い、元々の周の領域と呉楚や山東なんかの追加範囲とを区別した呼び名はあったのは明白だしなあ…… -- 2025-03-11 (火) 01:39:53
  • 遼東公孫氏って晋書地理志だと領域の戸数は二万にすら満たないんだな。司馬懿の虐殺のせいなのか、避難民が青州あたりに帰ったのか -- 2025-03-14 (金) 22:51:50
    • その辺の数は戸籍として把握できてる分だけですし -- 2025-03-14 (金) 23:55:39
      • なんならどこからどこまでカウントしたかにもよるしな、漢書には遼東郡の領有する縣は18とあるし高句麗の台頭等で支配領域から外れた城があるんだろう -- 2025-03-15 (土) 09:20:57
      • 高句麗が伸長する前の戸籍だよ -- 2025-03-15 (土) 18:29:38
  • 桟道を焼き払って味方の撤退を妨害した魏延が族滅されたのは残当だが、魏延を敵地に置き去りにした蜀の諸将も決して褒められたもんじゃないと思う。あれ魏延がそのまま魏に投降しちゃったら大惨事だったぞ。魏延の知る漢中の地理や防衛ラインなど蜀漢の軍事機密がそのまま魏に筒抜けになるんだから。魏延を排除するにしても、あのやり方はハイリスク過ぎると思う -- 2025-03-20 (木) 06:12:56
    • 魏延が魏に寝返ることは無いと踏んでの行動なら亡国のクズ、投降のリスクを考えていないのならただのバカ。どちらにしても碌なことはありません。 -- 2025-03-20 (木) 16:39:43
      • あんま孔明を悪し様に言うとまた荒れるで -- 2025-03-20 (木) 20:15:05
    • 逆に伺いますが、丞相の遺命を伝えられてなお拒否した魏延に対して楊儀や姜維はどうするべきだったとお考えなのでしょうか? -- 2025-03-20 (木) 23:59:08
      • 遺命違反を理由に、その場で魏延を討伐する、史実での魏延の末路を見るに、明確な反逆行為に兵士を従わせるだけの人望はないから、意外と容易に討てるだろう…って思ったけど、これはこれで魏軍の追撃リスクがある時にやる事じゃないな… 魏延置き去りはハイリスク過ぎるって言っちゃったけど、下手に内輪もめをやってる姿を魏軍に見せつけて、追撃されて全軍壊走するぐらいなら置き去りにした方がマシ、魏延の性格的に魏軍には降らないだろうという計算ならあながち責められないか。言われてみれば他にどうすりゃ良かったのよって話だし、後知恵で言うもんじゃないなって反省してる -- 2025-03-21 (金) 04:55:08
      • 魏延は遺命知らないのに遺命違反も何も無いと思う。 -- 2025-03-21 (金) 11:49:28
      • 費禕が伝えてるよ -- 2025-03-21 (金) 16:17:54
      • 事前に諸葛亮から知らされていない、費禕とはいえ楊儀からの使者として来ている。これで遺命だから従えって言われても信じられんだろうとは思う。しかも費禕は「楊儀を説得してきまーす」って嘘ついて、魏延が探りにいったらさっさと全員で撤退準備してるんだし。 -- 2025-03-21 (金) 16:42:00
      • 大将が死んだから撤退するっていうほど信じられないか? -- 2025-03-21 (金) 17:32:36
      • 政敵の楊儀主導、何故自分の身分で知らされていないっていうのが前提としてあるからな。政敵の楊儀が勝手に撤退を主導していると思い込んだからこそ投降ではなく南下して妨害したって考えられもする。楊儀の思惑通り進んで後継楊儀ともなれば魏延に未来はないしな。事実がどうであれ、魏延目線からはそう見えても仕方ないかなと -- 2025-03-21 (金) 18:05:51
      • 武官トップが方針決定の場からハブられるってのは普通ないからな。疑うのもしゃーない。 -- 2025-03-21 (金) 18:59:40
      • 魏延は撤退命令の存在自体は疑ってないけどね -- 2025-03-21 (金) 19:29:09
      • 楊儀が魏延の様子を探らせに行ってる時点で何の思惑も無い方が不自然だな。楊儀を守るために殿つとめるなんてできんて言ってるし、撤退命令をどう伝えたのかも怪しいもんよ。 -- 2025-03-21 (金) 20:51:04
      • 諸葛亮が魏延が命令に従わないときの命令も出してるんだからそりゃ様子ぐらい探らせるでしょう。 -- 2025-03-21 (金) 21:05:44
      • 楊儀じゃなければただ様子を探るだけだろうけど、楊儀と魏延は明確に政敵なわけで。こんな絶好の排除できるタイミングがやってきてなんの思惑もありませんってわけないだろう。 -- 2025-03-21 (金) 22:54:02
      • 演義の描き方もあって、諸葛亮が陣営内で一定期間は臥せってたイメージもあるけど、正史本文のみ読むと8月になって急逝したっぽいような書かれ方なので、そもそも魏延に遺命に従うよう根回ししてる時間もなかったのかもしれないな。 -- 2025-03-21 (金) 23:27:09
      • ↑2素直に遺命に従ったのが楊儀で、楊儀を軍から排除しようとしたのが魏延なわけだが -- 2025-03-22 (土) 00:16:28
      • 軍の総大将で国家としても柱石の人間が死んだら撤退するというのはごく常識的な事で、伝えてきたのが誰だろうが命令自体は妥当な話なのだからそれに従わないという魏延の判断は問題視されてしかるべきだと思いますね。 -- 2025-03-22 (土) 03:03:44
      • まあ陳寿のいうように「本人自体は謀叛ではなく権力争いだろうから単に悪いとは言えないがぶっちゃけ自滅」ってのが的確なんだろう、珍しく -- 2025-03-22 (土) 04:56:02
      • 置き去りにされた時点でさっさと魏に投降してればなあ。黄権を見れば分かるが、敵地で孤立したため降伏するというのは決して世間から後ろ指を指されるような振る舞いじゃない(味方に意図的に置き去りにされたのなら尚更)んだし。もっとも、そんな融通が利く人間ならこんなことにはならないか… -- 2025-03-22 (土) 06:15:38
      • 撤退を拒否したってのは一緒に伝わるだろうし普通に批判されるだろ。 -- 2025-03-22 (土) 07:31:20
      • たしかにこれに関しては陳寿正しい感じよな。謀叛ではなく権力争いって魏延は考えてたってなるとしっくりくるし。 -- 2025-03-22 (土) 11:32:53
      • たとえば楊儀が戦に参加してなければ丸くおさまったんだろうか?結構ありそうではあるか -- 2025-03-22 (土) 11:50:02
      • 無理じゃない?魏延は撤退すること自体に反対してるから -- 2025-03-22 (土) 12:10:30
      • 孫権ですら二人の確執が蜀の問題になってると認識してるし、費禕がいなけりゃ諸葛亮ですらまともに二人を扱えなかっただろうともあるし。たんに撤退を反対だけでなく楊儀の指揮部隊で撤退行動なんてしたくないってのも魏延は言っている。 -- 2025-03-22 (土) 21:25:28
      • 誰々が嫌いだから撤退しないとかまかり通るわけないし、それで置いてかれてもお前が悪いとしかならん。 -- 2025-03-22 (土) 21:50:33
      • だから楊儀との権力争いに負けたって話よ。魏延が正しいとかそういう話をしてるわけではない。撤退拒否させるだけで魏延を排除できるんだから楊儀からしたら政敵を消す好機でしかない -- 2025-03-23 (日) 10:26:33
      • 魏延は①天下の事だからやめられない②楊儀の指図は受けたくない、と言ってて②がなくなっても①は残るんだが -- 2025-03-23 (日) 10:56:57
      • ↑2 撤退拒否させたんじゃなくて魏延が勝手に拒否したんだろ -- 2025-03-23 (日) 11:05:51
      • ①にしろ②にしろ命令の伝え方次第でしょ。はなから説得する気なんて楊儀にあるわけないんだから反対してくれればなんだっていいわけで。政敵の魏延を消せるのに楊儀が何も手を打たなかったってほうが不自然に見えると思うけど?少なくとも楊儀の指揮下に入れって命令はされてるわけで -- 2025-03-23 (日) 11:06:19
      • ちなみにあくまでそうかもってだけだぞ?絶対そうだってわけじゃないからな。 -- 2025-03-23 (日) 11:15:02
      • 魏延が楊儀の指揮下に入るなら消す必要ないしあえて反対させるなんて危険過ぎるし不自然だとは思わないかな -- 2025-03-23 (日) 11:23:19
      • 遺命からして正当性は楊儀にあるし魏延以外は味方につけてるから置き去りにして終わりだよ。さすがに南下して妨害してくるのは想定外でしかないと思う。 -- 2025-03-23 (日) 11:38:25
      • 楊儀がもしいなかったらって仮定はかなりありだと思う。魏延は味方が忌避するほどプライドの塊だし、楊儀の指揮下に入るなんて絶対に受け入れられなかったはず。 -- 2025-03-23 (日) 11:45:24
      • 正当性が楊儀にあるんだから変に手を打つ必要はない。魏延の部隊が魏に撃破されたら蜀にとって損失なんだぞ。 -- 2025-03-23 (日) 11:50:36
      • 楊儀と魏延の確執って蜀がどうこう以前のレベルでしょ。他国の孫権ですらあの二人の確執はやばいっていってるぐらいだぞ。 -- 2025-03-23 (日) 11:50:36
      • 本当に魏延がいなくなったら蜀の損失だと考えるなら置き去りにする命令なんてする必要がないし、撤退に向けてわざわざ嫌いな楊儀の話題を出す必要もないような。とくに費禕は二人の関係を一番知ってる人物だろうし、本当に魏延を撤退させたいなら極力楊儀の話題なんて避けるべきだと思う。指揮下に入ってほしいなんてもってのほかでは。 -- 2025-03-23 (日) 12:27:14
      • 従わないなら置き去りにするのは孔明の遺命だが -- 2025-03-23 (日) 13:09:12
      • 魏延をあえて命令違反させるなんてしたら蜀に居場所のなくなった魏延は楊儀らを攻撃するか魏へ投降するしかないわけで楊儀らは漢中に帰れるかも分からなくなる。魏延に謀略をかけた楊儀は魏延にどう動いて欲しかったと思うワケ? -- 2025-03-23 (日) 15:31:00
      • 費禕は楊儀を説得すると嘘ついて魏延から離れており、魏延が察知したから費禕の裏切りが発覚したに過ぎない。そのまま魏延が費禕を信用してたら撤退に追いつけなかっただろう。蜀からいなくなってくれるなら魏に投稿したって楊儀からしたら構わないだろうし。 -- 2025-03-23 (日) 16:14:41
      • とりあえずこれ以上楊儀の陰謀説唱えるんなら木を新たに立ててそっちでやったら?木や枝の話題と盛大にズレてるんで -- 2025-03-23 (日) 16:25:17
      • 魏延が魏に投降したって構わないと楊儀が思ってたんだとしたら、それは流石に自分の保身だけしか考えてない奸臣としか言いようがないな… -- 2025-03-23 (日) 16:27:53
      • 枝の質問の話題としては楊儀がいなければ丸くなったかもってことなのでは?楊儀がどうにか魏延を立てるなり歩み寄れたならそれが一番よかったんだろうけど…2人の性格からして無理そうだし -- 2025-03-23 (日) 17:41:00
      • 諸葛亮自身もまさか自分が病で急逝するとは思ってなかったんだろうけど、結果として諸葛亮がいない状態で2人を同時に起用することになってしまったのがかなりしんどい状態ではある。どちらかを切り捨てないと収集つかないから魏延ってなったんだろうか -- 2025-03-23 (日) 17:45:36
      • 軍を持ってる厄介者(魏延)と持ってない厄介者(楊儀)だったら、そりゃ最優先で排除するべきなのは前者だよな -- 2025-03-23 (日) 19:00:12
      • ↑6魏延は既に出ている撤退命令を打ち消そうとしているわけで楊儀らの撤退にすぐ気付くと思うよ -- 2025-03-23 (日) 19:08:40
    • あれ実は北伐反対派の陰謀だったんじゃないかとも思うんだよな。そう考えると、物凄くあやしい人物が浮かび上がってくる。諸葛亮の死後に魏延と直接会話したのあいつだけなんだ。 -- 2025-03-21 (金) 05:11:19
      • わかる。魏延の言い分に対して承諾したフリするのも意味わからないし。そもそも魏延は置き去りにするって話を魏延がいないところで決定してるのも意味わからないけどな。戦前の時点で諸葛亮没後は撤退するって伝えとくだけで結果は違ったはずよ。魏延視点だと自分は何も知らないまま味方が自分を騙して撤退してるわけで -- 2025-03-21 (金) 11:48:39
      • 承諾したフリしないと逃げられないし、命令に従わない想定なんだから魏延のいないところで決めるにきまってるじゃん -- 2025-03-21 (金) 23:45:06
      • 楊儀は魏延さえこの世から取り除けば実権を握れると思っていたように見えるが、実際に後継指名されたのは蒋琬であって、結果的に魏延ともども楊儀の方が取り除かれている。すると、「蒋琬後継」路線を伏せることで、楊儀と魏延の両方を塡めたようにも見えてくる。あるいは、蒋琬後継自体が後付けだったのか。 -- 2025-03-22 (土) 02:04:15
      • そんな無根拠で複雑な陰謀があったとするよりは、書いてある通り命令違反をし出した魏延の元から機転を利かせて逃げ出したけど少しして気付かれたから戦うことになったとする方が自然だと思うけどね -- 2025-03-22 (土) 10:36:44
      • 他のとこでも言われてるけど殿を任せたのはともかく後退すらしないのはまずいし(孔明が死んでもなんか戦果あげたいとかあったのかと思うけど)そりゃ魏延暴走してます!ってなるし、やはり何より権力争いに全軍巻き込む桟道関連が致命的、単に政敵排除とかじゃなく完全に友軍への敵対行為になるし、そら蔣琬達もどっちもどっちだと思ってたって擁護しねえわ -- 2025-03-22 (土) 10:56:07
      • 暴走の原因は騙して逃げたからだろうけどな。楊儀は明確に敵だったろうけど、費禕は味方ではないにせよ敵でもないと考えてたろうし。それが、自分を騙して楊儀についたとなると排除される未来しか考えられないからな。 -- 2025-03-22 (土) 11:30:58
      • んで、騙して逃げる結果になったのは魏延が撤退命令を聞こうともしなかったからで。 -- 2025-03-22 (土) 11:39:37
      • 楊儀が絡んでるんだからそう仕向けたとも考えられるけどな、命令聞かない方が排除できて都合いいわけだし。上の枝にもあるけど単なる暴走やら反乱やらじゃなく権力争いって感じが強い。 -- 2025-03-22 (土) 11:43:58
      • なんで楊儀守るために殿しなきゃならんのだって魏延が怒ってたりもするわけで -- 2025-03-22 (土) 11:44:57
      • 楊儀が丞相府長史なんで当たり前だろう。どれだけ魏延を馬鹿だと思ってんだ -- 2025-03-22 (土) 17:42:18
      • 魏延は楊儀を守るためなんて言っていないと思いますけれど。撤退も不満だが撤退指揮を楊儀が執るのも気に食わないという事を言ってると思う。本人が自負するように実績能力共に高い魏延が殿を務める事自体は妥当な話なので、役目そのものより過程や構図が気に食わなかったという事でしょう。 -- 2025-03-22 (土) 17:55:39
      • 枝への話だと北伐消極派の費禕が積極派の魏延を陥れる為に魏延に話を伝える際に話を歪めた、あるいは余計な作文をした(例えば以後楊儀が軍の総指揮官に決まったとか嘘を吹き込んだ)という可能性はあるかもだけど、それを示すような物はないから陰謀論にしかならないよなぁと。状況を見ると北伐積極派で軍部の要職の魏延、楊儀の失脚に直接関係している上に蒋琬の失脚にも関与して後釜に座ってるから怪しく感じてもしかたない面もあるけど。 -- 2025-03-22 (土) 18:11:05
      • 魏軍の目の前で魏延と楊儀を仲違いさせる陰謀とかリスキー過ぎるだろ…… -- 2025-03-22 (土) 19:51:11
      • ↑両者は既に仲違いしているので…。状況的には楊儀含めた多数派と孤立した魏延という図式なので、これを好機と魏延の背を押しつつ梯子を外して破滅させたという程度ならそう大がかりな陰謀でもないかなと。まぁ実際にそうだったとは自分も思ってなくて、あくまでこういう事も考えられると言った与太話ですが -- 2025-03-23 (日) 02:22:43
      • ↑陰謀の大きさとか成功率じゃなくて費禕自身が危険すぎる -- 2025-03-23 (日) 08:39:51
      • 魏延目線では費禕は裏切りが発覚するまでは中立なので。むしろ魏延と楊儀は費禕が間に入らないと諸葛亮も扱えなかったといわれてるぐらい調整役だったので、あの時点ではかなり中立には見えたでしょう。 -- 2025-03-23 (日) 11:51:39
      • 魏延と魏軍に挟まれたんだけど? -- 2025-03-23 (日) 12:13:19
      • 事実として騙してるんだからリスクはあるでしょ。 -- 2025-03-23 (日) 12:16:51
  • 上の論争見てても魏延って所業の割には妙に庇い建てというか擁護論唱えられる武将だなぁ。楊儀が歩み寄れという話もあるが、軍議の場で同僚に刀抜いて脅しつけたなんて蛮行する相手に歩み寄れとか無茶云うなと思うけど -- 2025-03-23 (日) 23:17:52
    • 魏延を仮に生還させるifを達成させるにはってことなのでは?それぐらい無茶なレベルであの時点の魏延は詰んでると言えるが -- 2025-03-23 (日) 23:29:23
      • 諸葛亮が病になってから魏延の都合の悪い展開にしかならないからな。それが例の占いの結果だと言われたらそうなのかもしれんが。 -- 2025-03-23 (日) 23:37:35
      • ちゃんと撤退命令聞いて撤退してればそれで終わりでしょ。 -- 2025-03-24 (月) 00:04:56
      • つまらんな。だったらそもそも戦争に勝ってたら終わりだろ。こういうif考える時にそんな考えなら参加すんなよって無粋なこと言い出す奴いるよなぁ。 -- 2025-03-24 (月) 06:16:20
      • 簡単に行える撤退と口で言うのだけ簡単で実行が難しい戦争に勝つのを同列に語る時点で… -- 2025-03-24 (月) 07:24:20
      • 将兵が魏延につかなかったのは別に楊儀に人望があったからではないので魏延が変わらないと無理だろうな。 -- 2025-03-24 (月) 08:37:11
    • 上の論争は魏延どうこうから逸れてほぼ楊儀の陰謀論になってるので、擁護とも違うと思う -- 2025-03-24 (月) 07:14:50
      • 楊儀はどうするべきだったって枝なんだから、楊儀がいる時点で無理って話なんでしょう。仮にできることがあるとするなら楊儀が歩み寄るっていう無茶なことぐらいしかないっていう。 -- 2025-03-24 (月) 09:08:53
      • 陰謀論とは言うけど楊儀の策略だっていうのは一応魏略には書かれていることだからな。裴松之は一蹴してるわけだけど、陰謀論っていうほど出典ないわけでもない。 -- 2025-03-24 (月) 09:30:50
    • 所業の割にっていうけど、最後だけ見ていうのは違くないか?それまでの功績があるから擁護もあるんでしょ。 -- 2025-03-24 (月) 09:15:25
      • 最後は無関係に魏延の平素の素行が問題あり(他人から忌避される人望皆無の振る舞い、軍議で抜刀して脅す、上司への反抗を隠さない)の割には…と。蜀の関羽なんかは性格でボロクソに言われる事が多いのに魏延には妙に支持的な声が今回のに限らず見られるなと。魏延が擁護される裏には諸葛亮の采配や人材起用の批判の受け皿的な面もありそうですが -- 2025-03-25 (火) 02:50:55
      • 確かに、楊儀が歩み寄れって意見はあるのに、魏延が歩み寄れって意見は全然ないからな。剣突きつける魏延の方が悪質なのに。 -- 2025-03-25 (火) 10:09:32
      • そりゃ魏延はそのままと仮定した状態で楊儀や姜維はどうすればよかっただろうかって話題だったからな。 -- 2025-03-27 (木) 10:57:59
      • 元々は魏延に対してもっと他のアプローチがあったんじゃないかって話題なわけで、魏延が変われって言いだしたら議論として成り立たない。まあほとんどは一人の魏延下げが荒らしてるせいで話題がとっ散らかったせいなんだが、それにつられてる方も悪くはあるか -- 2025-03-27 (木) 11:01:53
      • 諸葛亮の命令に問題があるかないかの認識の違いだと思う -- 2025-03-27 (木) 11:24:50
      • ↑3 魏延がそのままっていう前提なら、楊儀に一方的に歩み寄れってのもおかしな話だし思っても引っ込めると思うけどな。 -- 2025-03-28 (金) 00:55:27
    • 魏延の件だけでなく五丈原は腑に落ちない点が多いからな。あんだけ異常な事が起きて無事撤退できたのは奇跡に近く、そんな事態を招いた諸葛亮の責任は重い。ある意味陰謀論は、諸葛亮への擁護でも有る。 -- 2025-03-24 (月) 15:06:21
      • 二人の関係を改善せずに重用し続けた結果よなぁ。これも裴松之が一蹴してはいるが、襄陽記での孫権も「二人を重用しつづけた状態で諸葛亮が没したら災いになるぞ」って言ってるからな。これが本当なら、没した後のことを直前に決めてる諸葛亮どうなんってなるが。 -- 2025-03-24 (月) 16:07:33
      • その記事の中で董恢が私忿だって言ってるじゃん。後継者は蔣琬にしたし、なんの正当性もなく魏延が退路を絶って攻撃してくるとは思わんだろ -- 2025-03-24 (月) 17:26:12
      • それが両者を重用し続けた結果なのでは。私怨だとして放置していい状態ではないし、正直結果としては私怨じゃなかったよね。野心があったからこそ楊儀は失脚することになってるのに -- 2025-03-24 (月) 17:37:28
      • 陳寿も、魏延が魏に降らず味方の攻撃に向かったのは反逆目的じゃなく諸葛亮の後継になれるし認められると思ってのことだと言ってるから野心しかない。こう見ると後継蔣琬を伏せてたのも悪手でしかないわな。 -- 2025-03-24 (月) 17:42:39
      • 結局魏延の兵は散ってしまって魏延に勝算はなかった。勝算のない行動に出るなんて予想出来ないしどう考えても魏延の責任の方が重い。楊儀も閑職に回したてそれ以上何も出来ないだろ -- 2025-03-24 (月) 18:04:22
      • 今は魏延楊儀のどっちの責任がとか関係ないよね。こうなる前にどうにかできただろって話よ。2人の仲を改善せず重用し続けたことに変わりは無いし、それを危惧されてたのに対策が疎かだったのでは?って話な -- 2025-03-24 (月) 18:21:49
      • 董恢の言を鵜呑みにして本当に2人に野心がないと思ってたんだとしたら軽率すぎ。才能あるからって問題を先延ばしにして重用し続けた結果が魏延の暴走とその後の楊儀の高慢な態度なわけで -- 2025-03-24 (月) 18:25:30
      • で、具体的にどうすれば正解だったんだ? -- 2025-03-24 (月) 22:51:03
      • 関係を改善させる、できないならどちらかの重用を諦める、それもできないなら同時に起用しないとかじゃないか?この諦める決断を自分が死ぬ直前まで問題を先送りにしてただけ。才能あるからって問題を見ないことにした結果が二人とも最終的には使えなくなるっていうね。 -- 2025-03-25 (火) 00:31:40
      • 魏延も楊儀もそれぞれに替えのいない有能な人材だった訳で、この両者を使うなというがその場合の損失はどうするの?という話にもなるけど -- 2025-03-25 (火) 02:45:21
      • 史実でもこの2人がいなくなった後、国政に支障がでたわけでもないし、別にいなきゃ困るってことはないと思う。どんなに能力が高くても、性格がクソで職場で軋轢を生みまくるやつはいらんだろう -- 2025-03-25 (火) 08:07:59
      • それを急逝する直前に決めるんじゃなくて早めに対応しとけば没後の騒動は防げたって話でしょ。 -- 2025-03-25 (火) 09:17:48
      • 急逝なら早めの対応なんて無理でしょ。 -- 2025-03-25 (火) 10:09:31
      • 二人の確執なんてとっくに分かってたよね。戦が始まって急に発覚したことじゃないでしょ。ずっとそうだけど適当な反論するの仮想の話するのに邪魔なだけなのでやめてくれ。 -- 2025-03-25 (火) 10:31:46
      • 蜀側の人間はここまでの大問題になるとは思ってなかったし、能力があるから外せないとも言っている。二人の能力の高さについて疑う余地はないと思うが -- 2025-03-25 (火) 10:53:43
      • 適当に魏延を下げてるだけのコメントはもう無視していいと思う、話がそれるし邪魔なだけ。二人の能力が高いのは勿論で、ただそのままの状態で重用し続けるのはずっと危惧されてた。それを対処しないまま諸葛亮が病になってしまい、急遽魏延を切り捨てることにしたって感じよね。 -- 2025-03-25 (火) 11:19:05
      • 李厳の時もそうだけど、能力あるから悪いところを見ないことにするっていうのを諸葛亮はよくやって失敗してるんよな。人材面に関しては問題を先送りにしがち。 -- 2025-03-25 (火) 11:21:44
      • 性格に目を瞑って登用するというのは乱世なら珍しくないし、戦う以上は勝つつもりで、勝てば別方面に配置するなりしたと思うよ。最後も普通に撤退すれば問題ないわけで別に魏延を切り捨てもいない -- 2025-03-25 (火) 11:36:56
      • 普通は置き去りなんて発想そのものが出ない気がするし、武官トップに対する処遇ではないと思う。蜀の人材難からしても重用せざるを得なかったんだろうとは思うが結果としてはどれも失敗だったわけで -- 2025-03-25 (火) 11:47:32
      • 二人の性格に関してはずっと問題だったんだから自分が没したときのことをもっと考えとくべきだったのかもな。まだまだ死ぬつもりじゃなかったにせよ諸葛亮亡き後の二人への命令なり処遇なりは決めとけば違う未来があったかも -- 2025-03-25 (火) 11:52:20
      • 諸葛亮は自分が死んだら撤退と言ってるけど生きてる間に撤退を開始はできなかったんだろうか…。そのほうが問題なく進みそうな気がするけど、生きて勝つ未来がまだ見えてたんだろうか。 -- 2025-03-25 (火) 11:56:50
      • 病に倒れてからどの程度で亡くなったのか分からないからなんともだな。倒れてから3日とかで急逝したのであれば撤退しようもなかっただろうし。個人的には劉備や諸葛亮以外の人物に魏延や楊儀が従ったとは思えないし、かといってトップに立てる器とも思えないので、自分が生きてる間は使い倒して、死後に自分の遺命や後継者に従わないなら切り捨てるのもやむなしという諸葛亮の判断は正しいと思うけどな。 -- 2025-03-25 (火) 18:48:49
      • 魏延は命令を聞かなくなったんだから生前に命令しても大して変わらないと思うよ。 -- 2025-03-25 (火) 18:54:05
      • 散々不満を言いつつも諸葛亮の言うことは聞いてたんだよな。明確に上がいなくなったことが原因ではあるよ。意図的に切り捨てるしかなかったってのもわかるし -- 2025-03-25 (火) 19:12:14
      • 置き去りではなく魏延が残ったと言うべきだし、きちんと撤退命令を伝えているので、諸葛亮は魏延に撤退して欲しかったというのが第一だろう。 -- 2025-03-25 (火) 19:12:27
      • もちろんそうだろうね。これでいうことを聞かないようなら自分しか制御できなかったって判断なんだろう。そうすると余計に生きてる間に撤退してほしかったな。 -- 2025-03-25 (火) 19:30:11
      • 少なくとも、敵と対峙しておりいつ攻撃されて事態が急変するかも分からない状況で事前に撤退の指図を決めておくのは困難だっただろうな -- 2025-03-25 (火) 20:47:54
      • トップを失ってから撤退始めるよりは楽でしょ。やっぱり勝ちの目をまだ見てたから撤退しなかったんじゃないかなぁ。これも枝の五丈原の腑に落ちない点でもあるかな -- 2025-03-25 (火) 22:16:28
      • 慎重で魏延が命令を聞かなくなることも予測していた諸葛亮が撤退しなかったということは、そういう病状だったということだろう。 -- 2025-03-25 (火) 23:07:10
      • ↑19国政に支障が出なかったから居なきゃ困るなんて事はない。というのも大分暴論なような。その理屈でいうなら曹操や諸葛亮が死んでもその後の魏や蜀の国政に混乱や支障が生じた訳ではなかったですが、だから彼らが居なくても困らない人材だったとは言えないでしょう。 -- 2025-03-25 (火) 23:57:16
      • たぶん魏延を下げたいだけで適当に貶してるだけの人だからスルーしたほうがいいよ。一連の流れ見てもただ貶してるだけで中身がないのが多々あるので多分同じ人 -- 2025-03-26 (水) 00:11:13
      • 関係を改善させるっていうのもなー。それができれば苦労はせんというか、張裔への書簡とかを見ると魏延とか楊儀にも孔明は慰諭したり訓告したりはしてたんだろうけど改善しなかったんだろうと思う。上手くいった例だと光武帝が賈復と寇恂の関係を修復してたりするが、あれは光武帝が名君中の名君で、家臣の2人も魏延や楊儀とは器の大きさが段違いの名臣だったから上手くいったのであって、魏延と楊儀とか、甘寧や凌統とか、高順と陳宮とか(他にも多数)みたいに多少上位者が言って聞かせたくらいじゃ、どうにもならないのが普通なんだろう。 -- 2025-03-26 (水) 01:17:08
      • こうやると李典と張遼とか持ち出されそうだけど、あれもピンチに喧嘩してる場合じゃねえ!って話だしなあ -- 2025-03-26 (水) 02:23:12
      • 現代社会でも本当に仲の悪い同僚なんて上司が仲介したくらいじゃ、どうにもならないケースが殆どだしな。これで両方とも能力もプライドが高いというのが一番困るのよな。引き離そうにも自分以外の奴の言うことは聞きそうにないから、下手に自分の下から外して別々の場所で用いるってのも不安が残るし。 -- 2025-03-26 (水) 02:59:36
      • 魏だと張遼と楽進の不仲が有名だけどこいつらに加えて于禁の3名もお互い仲悪かったみたいだからな。もしも魏も蜀みたいに1方面で同じ指揮官の元で運用せざるをえなかったら、魏の方も大概人間関係での酷い逸話が増えてた可能性も -- 2025-03-26 (水) 21:56:31
      • だからこそ孔明が撤退命令を遺したんだろうけどねえ。孔明が死んだこととその遺命で揉めてる場合じゃないと判断できてれば魏延のその後もだいぶ違ったかもしれない。 -- 2025-03-28 (金) 01:07:46
    • 魏延が攻撃してくるとは思わなかったって言うが、逆に置き去りにされた魏延がどう行動すると思ったんだ? -- 2025-03-24 (月) 18:29:30
      • そりゃ殿だろ -- 2025-03-24 (月) 18:34:06
      • なんで味方に騙されて置き去りにされてるのに素直に殿するんだよ。 -- 2025-03-24 (月) 18:34:02
      • 諸葛亮は騙せなんて言ってないからな。費禕は命令書に連署して言質を取られてしまったから少しへまをしている。まあ魏延は会議中に刀を抜くような奴だから仕方ないかもしれんが。 -- 2025-03-24 (月) 18:44:24
      • 置き去りにされた時点で投降するか暴走するかしかないような。早めに気づいたから暴走したけど、遅かったら投降してたんじゃないかな。いずれにしても殿なんてしないよ。 -- 2025-03-24 (月) 18:51:57
      • 魏延は序列はあれど丞相府の外の存在で、別部門の長だから正式に命令を出せるのは皇帝だけで、北伐命令を受けている魏延がそれを遂行しようとしている限り、魏延の部隊は勅命がなければ撤退させられなかったのだろう。魏延にも諸将を指揮する権限はなく、命令系統からいって楊儀らの撤退は止められないし、諸葛亮は魏延隊単独では戦えないので撤退すると考えたのだろう。魏延は遅れて撤退しても皇帝の命令には違反していないので勝算のない暴走をするとは予測できず、北伐には積極的だったので投降するとも予測しづらかった。 -- 2025-03-24 (月) 19:11:37
      • 華陽国志って案外蜀の政権について褒め称えてるわけじゃないんだな。絶賛が諸葛亮、高評価が劉備と李雄くらいで他はけっこう厳しい -- 2025-03-26 (水) 09:46:27
      • 華陽国志はなんだかんだ地元の人の思い出の伝承みたいなとこあるから、下り坂になった時期の連中はポジティブには見られてなくても仕方ないかと -- 2025-03-27 (木) 08:55:36
    • ざっと見た感じ、擁護がどうこうと言うより魏延を悪としないと許せない方が議論の邪魔をしてるような。その人が論点をずらすから関係ない話にシフトしてIFの話の腰を折ってる感じする。自分はそう見えたってだけだけどね。 -- 2025-03-25 (火) 09:19:57
      • 論点ずらしてるのは楊儀が魏延を排除しようとしているとか費禕が怪しいとか、むしろ魏延を悪とするのとは真逆な意見によるものばかりなんだが。まあ個人の見え方なら仕方ないが。 -- 2025-03-28 (金) 00:45:25
      • 個人の見え方で言うなら「魏延を悪としないと許せない方」とまで明確な意思の伝わる意見自体が自分には見当たらないなあと。あと今回の話の発端の撤退時のやり取りについて言えば悪いのは魏延だろうとも。 -- 2025-03-29 (土) 07:42:54
  • 廉頗はなぜ馬謖を嫌っているのか? -- 2025-03-25 (火) 13:26:40
    • 趙括の同類という事で嫌いなんだろう -- 2025-03-25 (火) 13:34:31
  • https://x.com/syansyan2023/status/1904296361404842219 関羽の政治についての面白い意見、あまり統治は上手くいってなかったのかな -- 2025-03-25 (火) 22:12:45
    • 呉の簡牘だからそのまま鵜呑みにもし難いが、一つの視野ではあるのかな。しかしXだから仕方ないとはいえ酷いリプライが目立つな(冷静な意見もあるけど) -- 2025-03-25 (火) 23:51:58
    • モンゴル「おっ、そうだな!」というのはおいといて、ぶっちゃけこれ現代までいつの時代でも当たり前のことしか書いてなくない?いわゆる高額納税者とエリート層、底辺と同じで、地域の長老や豪族の当主とか知識層と労役者とか奴隷とかで経済力見たらそら8割は極貧に決まってるじゃん、てか土地の有力者が口煩い呉の奴等が言うなというかなんというか…… -- 2025-03-26 (水) 00:44:05
      • あ、関羽がこの貧富差を明確にしちゃったのが当時としては不味かった、とか、このランク付けを租税や兵役の参考にしてそこのバランスが悪かった、とかとかありえるので問題ないとはいってないので、念の為 -- 2025-03-26 (水) 00:48:48
    • ぶっちゃけ大洪水起こってんだから兵士は自分の家や家族は無事なのか心配になるし、その上呉に占拠されたってなったら戦争どころじゃねえって誰でも逃げるだろ・・・。 -- 2025-03-26 (水) 06:34:48
    • まあ走馬楼呉簡は後漢の建安から呉の嘉禾にかけてのものだけど、関羽に統治期のことだと断定できる記述あるんか?とおも思うが -- 2025-03-26 (水) 07:50:08
      • 過去に触れてた時の話と違うのはどういう事?って突っ込み入ってるな。 -- 2025-03-26 (水) 21:53:05