20 Years
20 Titles

プロデビュー20年目で記念すべき四大大会20勝を挙げたロジャー・フェデラー。スイスが誇る名プレーヤーは、いかにして史上最高の選手になったのか。過去の全試合のデータを元に軌跡をたどった。

ランク123101005002004201020171998年7月、 プロ初試合の相手は アルゼンチンのキプロン。2セットを 取られ負けた初の世界ランク1位ナダルがフェデラーの 世界ランク1位連続保持記録を237週で破るフェデラーが3位 ジョコビッチが 優勢に立つ腰痛に苦しみ、 世界ランクの トップ5から陥落ひざのけがで 半年休養し、 カムバックを果たす

全豪オープン
ハードコート

全仏オープン
クレーコート

ウィンブルドン
グラスコート

全米オープン
ハードコート

6185
F
F
FF
FF
F
F
FF
12310100500頂点へ頂点へ無敵無敵陥落陥落カムバックカムバック

頂点へ

ゆっくりと、着実に勝者の階段を上る

「持久力」というスポーツがあったとしたら、チャンピオンは間違いなくフェデラーだろう。フェデラーは、19歳で全仏オープンを制したラファエル・ナダル(スペイン)のように彗星のごとく現れたのでもないし、アンドレ・アガシ(米国)のようにプロ転向後10年経ってようやく世界ランキング1位を手にした遅咲きの選手でもない。持久力、謙虚さ、そしてハードトレーニングに代表されるフェデラーの美徳は、まさにスイス人そのもの。米国の伝説的なテニスプレーヤー、ビリー・ジーン・キングがこんな言葉を残している。「それが正しいと証明されるまで戦い続ける、それがチャンピオンだ」

«フェデラーがテニスに専念したのはかなり後のことだった»

ベルンハルト・シェアフェデラーを長年取材してきたスイス公共放送(SRF)のスポーツジャーナリスト

フェデラーはゆっくりと、だが着実に勝者の階段を上っていった。プロ転向後、数年を掛けて少しずつ自分のテニスを作り上げていった。障壁はないが、一気に花開いたのでもない。それは時の経過と共にゆっくりと開花していった。フェデラーの武器はそのプレースタイルと自信だった。他の選手は大会で負けるときもあれば勝つときもあり、ランキングはヨーヨーのように上下する。対してフェデラーは、ただ上に昇るだけ。初めて頂点に上りつめたのは22歳のときだった。

ゆっくりと、 しかし着実に 勝ち進む
年齢ごとの ATPランク (フェデラー, ナダル, ジョコ, マレー)
1520253012310100500ランク年齢ナダルは若干19歳で 世界ランク2位に なったが、 その後長い間フェデラーが 頂点に 君臨していたフェデラー、ナダル、 ジョコビッチの トップ争いにより、マレーの台頭まで 長い時間が かかった
2003年のウィンブルドン選手権で優勝し、グランドスラムのタイトルを初めて手にしたフェデラー。珍しく感情をあらわにしたKeystone

グランドスラムと呼ばれるテニスの四大大会(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープン)は、テニスプレーヤーを栄光の座へと導く王道だ。若きフェデラーは他の大会で好成績を残したものの、グランドスラムで勝利を飾ることはなかった。2001年の全仏、ウィンブルドンではいずれも準々決勝で敗れ、その後も7度、涙をのんだ。批評家たちはそんなフェデラーを「ブロック」を持った選手だと揶揄(やゆ)した。決してグランドスラムのタイトルを手に出来ない選手だと。

転機となったのは2003年。22歳の誕生日を間近に控えたフェデラーは、5度目のウィンブルドンの舞台に立った。このときのフェデラーは違った。優勝の栄冠を手にしただけでなく、この大会の全試合で落としたのはたった1セットだった。

それ以降、フェデラーは破竹の勢いで強豪を下していく。その中にはアンディ・ロディック(米国)もいた。もともと高い技術力が武器だったフェデラーだったが、このグランドスラムを制したことで長年の重責から解放されたのかもしれない。優勝トロフィーを高々と掲げたフェデラーの目からは涙がこぼれていた。

無敵

何人も寄せ付けなかった最高の5年間

フェデラーは確実に勢いづいていた。最も輝かしい年となった2004年、出場した全74試合で負けたのはたった6試合。トーナメント戦では17戦11勝、うちグランドスラムでは3勝を挙げた。フェデラーが世界ランキング1位の座を手にしたのは疑いようのない事実だった。

快進撃はその後も続く。その後2年間で出場した試合の95%は勝利を収め、世界にその名をとどろかせた。同じ期間で勝ち星がフェデラーより多かったのは、1984年のジョン・マッケンロー(米国)だけだ。

フェデラーはその後、動きや体の作り方に目を向けるようになる。フェデラーはプロテニス選手としては初めて、理学療法士のパーソナルトレーナーを雇った。このトレーナーはいま、フェデラーに付いて世界中を回っている。

レコード・ルーレット

グランドスラム20勝
ATPワールドツアーファイナル6勝
メジャー53冠(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
ハードコート66勝
グラスコート17勝
ハードコートのグランドスラム11勝
グラスコートのグランドスラム8勝
ハードコートのメジャー38冠(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
グラスコートのメジャー8冠(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
ATP250大会で7冠(ハレ)
グランドスラム決勝に30回出場
ツアーファイナルに10回出場
マスターズファイナルに46回出場
メジャー決勝に87回出場(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
ハードコート決勝に90回出場
グラスコート決勝に23回出場
屋外コートの決勝に109回出場
ハードコートのグランドスラム決勝に14回出場
グラスコートのグランドスラム決勝に11回出場
ハードコートのマスターズ決勝に30回出場
ハードコートのメジャー決勝に53回出場(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
グラスコートのメジャー決勝に12回出場(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
シングルス決勝(バーゼル)に13回出場
シングルス決勝(ウィンブルドン)に11回出場
ATP250の決勝に9回出場(ハレ)
グランドスラム準決勝に43回出場
ATPワールドツアーファイナル準決勝に14回出場
五輪準決勝に2回出場
主要大会準決勝に119回出場(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
ハードコート準決勝に125回出場
グラスコート準決勝に28回出場
室外準決勝に143回出場
シングルス準決勝(バーゼル・ツアーファイナル)に14回出場
グランドスラム準々決勝に52回出場
ATPワールドツアーファイナル準々決勝に14回出場
五輪準々決勝に3回出場
メジャー準々決勝に147回出場(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
ハードコート準々決勝に148回出場
グラスコート準々決勝に34回出場
室外準々決勝に171回出場
四大大会に72回出場
ATPワールドツアーファイナルに15回出場
マスターズ選手権に127回出場
五輪に4回出場
メジャー218回出場(グランドスラム、全ツアーファイナル、マスターズ、五輪)
ATP250で13連勝
ハードコートで9連勝
グラスコートで10連勝
シングルス決勝(ウィンブルドン)5連覇
10回連続グランドスラム決勝出場
マイナー決勝に16回連続出場(ATP500、ATP250)
グラスコート決勝に13回連続出場
室外決勝に15回連続出場
シングルス決勝(バーゼル)に11回連続出場
ATP500のシングルス決勝に8回連続出場(バーゼル)
ATP250のシングルス決勝に9回連続出場(ハレ)
グランドスラム準決勝に23回連続出場
マイナーの準決勝に18回連続出場(ATP500、ATP250)
グラスコート準決勝に13回連続出場
シングルス準決勝に13回連続出場(ハレ)
ATP500のシングルス準決勝に8回連続出場(バーゼル)
ATP250の男子シングルス準決勝に10回連続出場(ハレ)
準々決勝に29回連続出場
グランドスラム準々決勝に36回連続出場
五輪準々決勝に2回連続出場
グラスコート準々決勝に19回連続出場
シングルス準々決勝に15回連続出場(ハレ)
ATP250のシングルス準々決勝に12回連続出場(ハレ)
ツアーファイナルの最年長優勝記録(30歳3カ月12日)
最年長五輪ファイナリスト(30歳11カ月17日)
四大大会制覇の最長記録(14年7カ月17日)
ツアーファイナル制覇の最長記録(8年10日)
マスターズ制覇の最長記録(15年4カ月26日)
ツアー1勝以上で終えたシーズン:15年連続
マスターズ1勝以上で終えたシーズン:14年連続
ハードコートで1セットも落とさずに勝った大会:14
グラスコートで1セットも落とさずに勝った大会:4
グランドスラムの出場試合数:384
ATPワールドツアーファイナルの出場試合数:68
マスターズ出場試合数:449
五輪出場試合数:18
ハードコート出場試合数:849
室外出場試合数:1077
グランドスラム332勝
ATPワールドツアーファイナル55勝
マスターズ350勝
五輪13勝
ハードコート710勝
室外890勝
トップ5に101勝
トップ10に213勝
ハードコート年間59勝
グラスコートの勝率87%
ハードコートの年間勝率98%
グラスコートの年間勝率100%
室外の年間勝率95.7%
室内の年間勝率100%
ATP250で68連勝
ハードコートで56連勝
グラスコートで65連勝
トップ10に24連勝
世界ランク1位通算302週
世界ランク2位通算492週
世界ランク3位通算656週
世界ランク4位通算725週
世界ランクトップ10入り通算797週
世界ランク1位連続237週
世界ランク2位連続346週
世界ランクトップ10入り連続734週
世界ランクトップ20入り連続876週
世界ランク2位で終えたシーズン:11
世界ランク3位で終えたシーズン:13
世界ランク2位で終えたシーズン:連続8年
室外73冠

リスペクトとフェアプレー

フェデラーはその後も次々と記録を塗り替える。コメンテーターたちはその功績をこぞって誉めたたえ、フェデラーを「テニス界の王者」と呼ぶようになった。しかし、コートに立つ当の本人はあくまでも謙虚で居続けた。インタビューでは自分を批判する姿勢を崩さず、己の弱点をきちんと見つめ、それを克服しようと努めた。その姿勢はコート上でも同じで、彼のフェアプレーを誰もがたたえた。当時、フェデラーはよくこの言葉を口にしていた。「Play with respect. Win with grace.(敬意を持ってプレーし、品位を持って勝利する)」

男子プロテニス協会(ATP)がテニスファンを対象に行った昨年のアンケートでは、世界で最も好きなテニス選手ランキング1位にフェデラーが15年連続で選ばれた。また、テニス選手が選ぶ「最もスポーツマンシップにあふれる選手」ランキングの1位にも、フェデラーの名が挙がった。

出典: AELTC, The Championships, Wimbledon Jahr, アニメーション:SRF

フェデラーの最大の武器の一つがサーブだ。フェデラー、ナダル、ノヴァク・ジョコビッチ(セルビア)、アンディ・マレー(英国)の「ビッグ4」と呼ばれる4選手のうち、フェデラーは飛び抜けてサーブが安定している。10のサービスゲームのうち、7ゲーム以上をものにしている。しかも10本に1本のサーブがサービスエースだ。

サービスゲームの取得率(%)
フェデラー, ナダル, ジョコ, マレー
20042010201755%60%65%70%

フェデラーのサーブが特異な理由はスピードではなく、バラエティの豊富さにある。コースなどを巧みに使い分けるその技術によって、対戦相手の的を絞らせない。彼の名テニスプレーヤーとしての真髄はここにある。長いテニスの歴史の中で1万本のサービスエースを決めた選手は世界で3人しかいないが、フェデラーはその一人だ。

最大のライバル

2004~08年、フェデラーはあらゆるゲームで勝利をものにしたが、唯一負けた試合のほとんどは最大のライバル、ナダルとの対戦だった。2005年、ナダルはフェデラーの世界ランキング1位の座をすでに脅かし始めていた。それからおよそ160週間、つまり3年以上にわたり、ナダルはフェデラーのすぐ後ろにぴったりと付けていた。

世界ランク1位
各選手が 世界ランクを 保持した期間
197519801985199019952000200520102015マレージョコナダルフェデラーアガシサンプラスエドバーグレンドルマッケンローボルグコナーズフェデラーは 4年半にわたり、 最も長く 世界ランク1位を キープした

二人は男子テニスのトップの座を独占した。フェデラーが全豪で4回、全米で5回、ウィンブルドンで5回優勝する一方、ナダルは全仏を4連覇し、クレーコートで無敵の強さを見せる。この期間中、二人は16回対戦。そのうち13回は決勝戦だった。

ラファエル ナダルとの直接対決
○は クレーコート, グラスコートハードコート
 2004 2010 2017フェデラーが ナダルに負けた 試合の大半は クレーコート。ナダルが トップスピンショットの 威力を 最大限発揮できる場所だウィンブルドン選手権の 決勝。5時間に 及ぶフルセット(最終セットは12-10)の 死闘の末、 ナダルがフェデラーに歴史的な勝利を収めた5敗してから、 フェデラーは ナダル攻略の 手がかりを得たのか、 それ以降は負けなくなった

ナダルほどフェデラーを打ち負かした選手はいない。とりわけクレーコートでは、ナダルの左から繰り出される強烈なショットがフェデラーを苦しめた。

ナダルは本来右利きだが、ナダルの叔父でコーチのトニ・ナダルが左利きの選手に育て上げた。結果的にそれが功を奏した。ベースラインから繰り出されるナダルの飛び抜けたスピードと強烈なトップスピンのショット。フェデラーはバックハンドで返すしかなかった。これが最大の敗因だった。

最もつらい敗北

フェデラーはスピードが出るコートを好んだ。とりわけ得意とするのがグラスコートだ。グラスコートのウィンブルドンで2008年、ナダルと対戦したとき、連続で40ゲームを勝ち取った。フェデラーは自信を強め、声援はフェデラー一色だった。スタンドは世界のセレブで埋め尽くされ、スペインのフェリペ国王とレティシア王妃の姿もあった。ただ、試合を有利に運んだのは、フェデラーではなくナダルだった。ナダルが2セットを先取すると、観客席は驚きに包まれた。 フェデラーはそこで奮起した。第3セットを5―4のリードで迎えた時、雨で試合は中断。その後コートに戻ったフェデラーは人が変わったように試合の主導権を握る。第3、第4セットを立て続けに制し、その後再び中断をはさんで第5セットに入った。日はすでに傾き始めていた。

«彼にとっては最もつらい敗北だった»

ベルンハルト・シェア

この試合は果たして終わりを迎えるのか、そんな疑問すら浮かぶ死闘だった。だが2人のプレーはそれを凌駕していた。観客席にいた誰もが、試合の行く末を固唾を呑んで見守っていた。フェデラーは視界の暗さに四苦八苦していたが、試合は続いた。4時間48分の激闘の末、最終セットを9-7でもぎ取ったのはナダルだった。勝利の魔法はもろくも破れた。フェデラーはグラスコートで再び涙をのんだ。

2009年の全仏オープンで念願の優勝を手にした瞬間のフェデラーKeystone

当時、フェデラーがまだ手にしていないトロフィーが一つだけあった。クレーコートの全仏オープンだ。フェデラーは全仏で3度決勝に進出しているが、いずれも敗れている。フェデラーの前に立ちはだかったのはいずれもナダルだった。

この経験はフェデラーを苦しめた。クレーコートではいまだ世界2位の選手だった。ナダルさえいなければ、フェデラーはとっくに全仏のトロフィーを手にしていただろう。その瞬間まで、まだじっと待たなければならなかった。

2009年、チャンスは訪れた。全仏で負け知らず、さらには過去5年無敗を誇ったナダルが準々決勝進出をかけた第4試合で第25シードの格下、ロビン・セーデリング(スウェーデン)に敗れる波乱が起きたからだ。

フェデラーはこのチャンスを見逃さなかった。決勝で当たったセーデリングを圧倒しストレート勝ち。長年夢見た全仏オープンのトロフィーを、ようやく手に入れた瞬間だった。

陥落

トップの座を明け渡す

フェデラーはその後、世界の主要大会を席巻。フェデラーは勝って当たり前、誰もがそう思うようになっていた。フェデラーを唯一打ち負かせそうなのは、ナダルだけだった。2010年、その時はやってきた。

男子テニス界ではその頃、ナダルのほかに若きノヴァク・ジョコビッチが台頭していた。フェデラーはこの6年間で初めて、世界ランク3位まで落ちる。ナダルは2010年、四大大会3冠の偉業を成し遂げたが、その翌年、グランドスラムの王座を独占したのはジョコビッチだった。さらにアンディ・マレーも好調で、世界ランク4位まで追い上げる。「ビッグ4」と呼ばれるこの4人が激しくトップを争う時代に突入した。新たな強豪の登場に男子テニス界は沸き、そして一体誰が次の王者となるのか、予測がますます難しくなった。それはフェデラーも同じだった。

出典: ATP Media, アニメーション:SRF

ナダルがクレーコートで無敵の強さを見せ付ける一方で、ジョコビッチは研ぎ澄まされたテクニック、スピード、高い身体能力を兼ね備えたマルチなプレーヤーとしてその名をとどろかせた。

ノヴァク ジョコとの直接対決
○は クレーコート, グラスコートハードコート
 20102010年まで、 フェデラーは ナダルに対して勝ち星が多かったしかし それ以降は ジョコビッチに 軍配が 上がるようになる

ナダルより1歳年下のジョコビッチは並み居る強豪を次々に押しのけていく。全試合の9割が勝ち星と、勢いはとどまるところを知らなかった。一方、フェデラーは2011年、グランドスラム無冠でシーズンを終える。彼のテニス人生で異例とも言えるできごとだった。

«私たちはフェデラーの計り知れない勝利の上にあぐらをかいていた。彼がもし準決勝で負けたら、それはいかにも大事に見えただろう»

ベルンハルト・シェア

2000~2015年、フェデラーはのべ1200試合以上に出場した。年間およそ80試合。これは、実は非常に難しいことだ。彼の選手としてのすごさは、選手としての「質」と「量」の両方を兼ね備えていることにある。フェデラーが自身のテニス人生で負けたのは全試合のわずか18%、これが質だ。そして量の面で言えば、フェデラーはこれまで計1389試合を戦っているが、ただの一度も棄権していない。

出場試合vs勝利試合
量と質の観点で言えば、 フェデラーは間違いなくトップだ
65%70%75%80%200400600800100012001400全出場試合数試合の勝率サンプラスボルグマレーアガシマッケンローレンドルコナーズエドバーグフェデラーナダルジョココナーズは今よりも トーナメントが 多かった 1970年代に プレーしていたナダル、ジョコビッチは 勝率ではわずかに 勝るが、試合数はフェデラーより ずっと少ない

ファンの見解は分かれるだろうが、フェデラーはこの期間も、非常に質の高いプレーをしている。たった一度、フェデラーが戦線を離脱したのは2016年、子供と水泳中にひざを負傷したのがきっかけだった。プロ人生の中で最も深刻なけがで、半年間の休養を余儀なくされた。そして14年間で初めて、フェデラーは世界ランキングのトップ10から脱落する。多くの批評家がフェデラーの選手生命は終わったと口にし、引退するのではないかとの憶測が飛び交った。

カムバック

年齢との戦い

フェデラーは2012年以降、四大大会のタイトルを手にしていない。専門家のフェデラーに対する見方は悲観的だったが、当の本人は違った。

半年間の休養ののち、フェデラーは再びテニスコートに戻った。最初は小さなラケット、重いラケット、そしてだんだん大きなラケットに持ち替え、慎重に体をならしていった。

«人生最悪のときも、フェデラーは自分を信じることをやめなかった»

ベルンハルト・シェア

2017年1月、フェデラーはついに全豪オープンの舞台に復帰。復帰後の初試合とあって、フェデラーのプレーに観客の期待が集中した。出だしは好調。フルセットにもつれ込む試合が何度かあったものの、準決勝では強豪スタン・ワウリンカ(スイス)を下し、まだトップレベルでプレーできることを見せつけた。

プレッシャー下でのパフォーマンス
フェデラー, ナダル, ジョコ, マレー
200420102017150200250
この指数は、決定的な場面(ブレーク、タイブレーク、最終セット)で取ったポイントを示している

決勝の相手はナダルだった。ナダルもけがから復帰したばかり。最初の4セットは両者2セットずつ取り、試合は拮抗。大きく動いたのは最終セットだった。ナダルが3-1とリードしていた場面で、フェデラーがナダルのサービスゲームを2度もブレーク。6-3でひっくり返した。

努力を怠らないフェデラーは年齢のハンデをものともせず、バックハンドの精度を再び向上させていた(下記のビデオ参照)。これがナダル戦を制した最大の決め手だった。

ほとんどの選手がバックハンドを両手でするが、フェデラーは片手だ出典: ATP Media, アニメーション:SRF

メンタル面でもフェデラーは世界トップレベルだ。ナダルが君臨するクレーコートを捨て、グラスコートに集中。それが功を奏し、昨年のウィンブルドン選手権(グラスコート)では2度目の栄冠を手にした。奇跡的なカムバックは成功に満ちあふれていた。

プレースタイルはより攻撃的になってきた。ラリーを非常に短く抑えている。2017年の後半は、トーナメント12戦で7勝。辛口だった批評家たちはすっかりなりを潜め、専門家は36歳という年齢でこれだけのプレーが出来るフェデラーのすごさに、ただうなずくしかなかった。だが、この年齢でどうしてあれだけのプレーが出来るのだろうか?

ポイントごとのラリーの時間
フェデラー, ナダル, ジョコ, マレー
200420102017456

カムバックが成功した秘訣の一つが「時間」だ。一般的に、ある選手が四大大会をフルセットで優勝するためには、平均148分かかるとされる。一方、フェデラーは同じ条件だと123分だ。ジョコビッチ、マレー、ナダルはいずれも平均値に近い数値が出ている。

グランドスラム優勝にかかる平均時間
平均

それより重要な要因がある。コートでの守備位置だ。フェデラーは、ボールをすばやく、そして的確なタイミングで返せる守備位置を常にキープしている。フェデラーはパワフルというより、非常に優雅なプレースタイルが持ち味だ。高度な技術に裏打ちされたこのプレースタイルは、他の選手ほど高いフィジカル面を必要としない。それが最大の強みだ。

栄光は続く

ATPのランキングは過去1年間の出場大会の戦績で加点される仕組みだが、このポイントを全て加算したら、ダントツのトップはフェデラーだ。フェデラーはこれまでに20年間、ATPのツアーに出場している。20勝目のグランドスラムタイトル一つで、すでに次点のナダルやジョコビッチに2千ポイントの差を付ける。

ATPランクの累積ポイント
ATPの 生涯獲得ポイント (フェデラー, ナダル, ジョコ, マレー)
203040050000100000150000ATPのポイント年齢レンドルコナーズマレーマッケンローフェデラージョコエドバーグサンプラスナダルアガシボルグナダルとジョコビッチは フェデラーに遠く及ばないが、 もしフェデラーを上回るとするなら、 あと5年は今と同じレベルの プレーを続けなくては ならない。簡単ではない
このチャートで 表示した ATPのポイント数は、 現在のランキングシステムを元に 算出した。 算出方法は 2009年に大きく変更され、 選手の獲得ポイントはほぼ倍増。 比較の精度を上げるため、 09年以前のトーナメントも 計算しなおした。 国別対抗戦のデビスカップは 含まない。

フェデラーはテニスの長い歴史に、彼だけしか成し得ない足跡を残した。そして、その栄光はまだ終わりそうにない。卓越したテクニックと身体能力で、勝利を次々と手にする。テニスというスポーツをフェデラーが楽しんでプレーする限り、引退の文字はないだろう。全てのシーズン、全てのトーナメント、全てのセット、そして全てのポイントを取るたびに、フェデラーは自身に与えられた生涯のタイトルをより確かなものにしていく。キング・オブ・コート。テニスの王者という名のタイトルを。

«彼はただテニスが好きなだけ。彼の家族と同じくらいに»

ベルンハルト・シェア