「なぜ父親がいないのか」説明するために判決文を残したい…「独身」とウソつかれ妊娠、妻子判明した女性が提訴
[ルポ裁判]
よちよち歩きの長女(1)が道端の植物に手を伸ばす。
うだるような暑さも、ものともしない。「好奇心が旺盛なんですよねえ」。今月1日、東京都内の自宅近くを散歩する女性が小さな背中を見つめ、うれしそうにつぶやいた。
女性は30歳代のシングルマザーで、デザイナーとして働きながら育児をしている。長女の父親である男性に独身だとウソをつかれ、長女の妊娠後、妻子がいることを知った。それでも、自分の子どもだからと思って、出産に踏み切ったのだった。
夫、父親がいないハンデを負わされ、心を殺(あや)められたと思っている。長女は将来、本当のことを知ったら深く傷つくかもしれない。そう思うと、胸が苦しい。
なぜ父親がいないのか、説明をしなければいけない日が来るだろう。何があったのか判決文に残すことで、長女が苦しみに立ち向かえるのではないか。ことの重大性を訴え、二度と同じような事態が起きないようにしたい。そう考え、昨年6月、男性の責任を問う裁判を東京地裁に起こした。
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男性とは2022年8月に、友人の女性が開いた食事会で出会った。四つ年下で、気配りがうまく社交的だった。すぐに打ち解けて、「両親とも仲良くしてくれそう」と思った。
数日後、男性から電話で交際を申し込まれた。「不倫は絶対に嫌」と念押ししたところ、バツイチだと言われ、その言葉を信じた。
結婚に向け、男性は前向きな振る舞いを見せた。出会って2か月後、「交際開始1年の記念日にプロポーズする」と宣言した。翌月には、女性の両親と食事して「真剣に交際している」とあいさつ。子どもをもうけるため、妊活も始めた。幸せな家庭が築ける――。そんな喜びに満ちていた。
雲行きが怪しくなったのは、23年夏頃からだった。約束のプロポーズは「指輪が完成しなかった」として延期された。男性の両親には「疎遠だから」と言って会わせてくれない。男性から頼まれて、計80万円ほど用立てたが、なかなか返してもらえなかった。
24年7月、男性の同意を得て行った不妊治療の末に、長女を妊娠した。いよいよ結婚の話が進むと思ったが、男性は煮え切らない様子で、「両親が妊娠に怒っている」と言い出した。
何かがおかしい。女性は10月、食事会を設定した友人と一緒に、男性を問い詰めた。すると、思いもしない答えが返ってきた。
本当は離婚していないこと。生後10か月の子どもがいること。そして、開き直ったように言われた。「慰謝料払えばいいんでしょ、200万円くらい?」
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国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、夫婦が知り合ったきっかけは、1982年の調査で「見合い結婚」が最多の29%だった。2021年の調査ではこれが9%に減り、代わりにマッチングアプリなどの「ネット」が増えた。18年7月~21年6月に結婚した夫婦では14%に上り、見合い結婚を上回った。
「独身偽装」の被害も顕在化している。被害者らが24年に設立した「独身偽装被害者の会」が今年5~6月にインターネットで行った調査では、被害の訴えが207件寄せられた。
同会代表の女性は「アプリの普及によって対面以外で出会う機会が増え、独身偽装がしやすくなっている。被害の実態に注目が集まり、声を上げる被害者が増えている」と説明する。その上で、「妊娠・出産など女性たちにとって身体的、精神的負担は非常に重く、問題の重大性について社会の認識を改める必要がある」と訴える。
ネット時代だからこそ、食事会で出会った男性を信じたという女性。裁判で「独身だと信じ込まされた」と訴え、婚約破棄への慰謝料などを求めた。これに対し、男性は「本当の夫婦になろうという意思で求婚した事実はなく、婚約は成立していない」と反論した。
東京地裁は6月の判決で、男性が指輪を贈った24年3月には婚約が成立していたと判断し、男性に約466万円の賠償を命じた。「独身だと偽り、子どもを出産させた」と非難し、女性について「精神的苦痛の大きさは計り知れない」と述べた。男性は判決を不服として控訴し、代理人弁護士は取材に「コメントは差し控える」とした。
7月中旬。女性は取材に、「裁判官に正確に判断してもらえてすっきりした部分もある」と語った。それでも、判決で認められなかった両親への慰謝料などを求めて控訴し、裁判で戦う覚悟でいる。
娘に恥ずかしくない母親でいたい。娘のために戦った証しとして、娘に恥じない決着をつける。真夏の中、懸命に歩く小さな背中に固く誓った。(松下聖)