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コットン・シーリング(木綿の天井)と『マテリアル・ガールズ』の感想

2025年10月20日、「トランス女性がレズビアンのシス女性に向けた『やり場のない性欲』…股間に伸ばした手に『性器への愛撫』を不可能にさせる『木綿の天井』」という記事が公開された。archive https://archive.is/mgGWX

では、時間のほとんどをオンラインで過ごしている少数の人々以外で、「木綿の天井」という言葉を知っている人がどれだけいるだろうか?
この言葉はトランス女性がレズビアンのシス女性〔訳注:身体的な性別が心の性と一致している女性〕に惹かれたときに経験する困難を表現している。

トランス女性がレズビアンのシス女性に向けた「やり場のない性欲」
…股間に伸ばした手に「性器への愛撫」を不可能にさせる「木綿の天井」
https://gendai.media/articles/-/158399?page=2

「木綿(コットン)の天井」!「コットン・シーリング」のことだ!
そういえば1年くらい前にキャスリン・ストック『マテリアル・ガールズ』の感想文とコットン・シーリングについて書いた未公開の記事がnoteの下書きにあったことを思い出し、いい機会だと思ったのでこれを機に公開することにしました。
(前置きはここまで。以下本文)

Kathleen StockのMaterial Girlsは海外のGender Criticalの人たちの間でも評判がよいということで知っていてkindle版が154円というセールのときに勢いで購入していた。

が、読みたい気持ちに英語力が追い付いていないわたしは完全に持て余していた――
さすがに無謀でしたわ~~~🥺

慶應義塾大学出版会から『マテリアル・ガールズ』として日本語訳が出版されて、抽象的で濃いこの本の内容を英語ですんなり理解するのはわたしには無理だということが日本語版を読んでみてよくよく分かったので、翻訳出版していただき本当にありがとうございました🙏🏻
いろんなところに読書実況中継やら気になるところを抜粋した読書メモなどを書き散らしていたのをせっかくなのでここに整理がてらまとめておくことにします。

わたしにとって特に印象的だったところについてそれぞれ言及したり考察する。

レズビアンの定義

「レズビアン」に関する出来事やSNSでの発言

2019年の4月、新宿二丁目のレズビアンバーゴールドフィンガーでのウーマンオンリーイベントにおいて、トランスジェンダー女性が入場を断られたことを抗議した件が話題になった。

Wow drama! My friend was djing in the ordinarily transphobic lesbian party and I was on the list and went, then they wouldn’t let me in (bc gross old school transphobia) and my friend refused to dj and gotnin a screaming match with the organizer ..

then lots of people left in solidarity and the party broke.. everyone traumatized and shaking and nownin some disaster club. tonight was a whole thing and I only hope it will lead to discussion of these issues in the scene as a whole..

but we will organize a new party which is explicitly open to trans people and try to overcome this bs that exists in the scene here. this is an unambiguously good thing so our pain and trauma will yield something good at least

thanks to everyone who left

and also thanks to Dora for refusing to play (though she doesn’t need to be thanked bc it was obvious she wouldn’t be willing to play an exclusionary party). And let me also call out Chiga by name, the owner of Goldfinger, maybe the main Tokyo lesbian venue, as the bad actor.

I pushed down that trauma until I was alone and I didn’t even realize how much it was. I wasn’t going to show my pain to her. happy to be home now where I can cry in peace.

(以下機械翻訳)
ワオ、大変な騒動でした!私の友人がいつもトランスフォビックなレズビアンパーティーでDJをすることになっていて、私はリストに載っていたので行きました。でも、入場を断られました(古い考え方のトランスフォビアのせいで)。すると、私の友人はDJを拒否し、主催者と大声で口論になりました。その後、多くの人が連帯して会場を去り、パーティーは崩壊しました。みんなトラウマを受けて震えながら、今は何か災難のようなクラブにいます。今夜は大変なことになり、これをきっかけにシーン全体でこの問題について議論が行われることを願うばかりです。でも、私たちはトランスの人々に明確に開かれた新しいパーティーを企画し、ここのシーンに存在するこのようなばかげたことを克服しようと努めます。これは間違いなく良いことなので、私たちの痛みとトラウマは少なくとも何か良いものを生み出すでしょう。去った全ての人々に感謝します。そして、プレイを拒否してくれたドーラにも感謝します(彼女は感謝される必要はありません。排他的なパーティーでプレイしたくないのは明らかですから)。また、悪役として、東京の主要なレズビアン会場の一つであるゴールドフィンガーのオーナー、チガの名前も挙げておきます。一人になるまで、そのトラウマを押し殺していましたが、それがどれほどのものだったか気づきませんでした。彼女に痛みを見せるつもりはありませんでした。今は家に帰ってきて、静かに泣くことができて嬉しいです。

@elinmccreadyの2019年4月20日の投稿
archiveより原文と機械翻訳 https://archive.is/eAXYN

2022年に2月に発行されたエリン・マクレディさんの著書『エリンとみどり』ではゴールドフィンガー事件のことがこう書かれていた。

みどり
抗議メールには、パスポートに<female>と書いてあるのに見た目というか、あなたの判断で男性だから入店させない、というのはおかしくないですか?どういう基準なのですか?IDで判断できない場合、毎回、体を見せて手術の跡などを確認するのですか?見た目が女性ならば、もしかしたらシス男性でも入店できるってことですか?その差別化はなんだ!など怒りに任せてすごい勢いで書きまくりました。
エリン
ここでいう「女性」とは「ステレオタイプ」に当てはまる女性ということです。トランス女性だけじゃなく、ブッチレズビアン(男性的なレズビアン)の方とか、男性のステレオタイプのルックスに見える女性の方とか、そういった人はどうなるの?という問題があると思います。
みどり
性別はパスポートで証明されている、ということを伝えたかったのですが、まったく返信がありません。

『エリンとみどり』p.75

エリンさんとみどりさんはパスポートのIDに<female>と書いてあるため、トランスジェンダー女性はレズビアンバーでのウーマンオンリーイベントに参加する資格があると考えているようだ。

2022年の8月、「ペニスのある女性を好きな女性は『レズビアン』ではない」という表現に対して以下のような反論がされていた。

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https://archive.is/ekBHv
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https://archive.is/GGkKO

発言者(@anarchist_nekoさん)が2023年1月6日に書いたブログ記事によると、どうやらレズビアンの定義に肉体は関係ないらしい。

レズビアンを「まんこラバーズ」と言ったのではなくて、レズビアンを「まんこが好きな人」と「定義」する人を「まんこラバーズ」と言っている。レズビアンとはまんこを好きな人のことを指すのではない。

anarchist_nekoさんのブログ記事「まんこラバーズ
(魚拓 https://archive.is/hjy6H)より

わたしはレズビアンの定義のことを生まれながらの性別を重視した意味だと認識していたので、なぜわたしの理解と違った方たちがいるのか不思議に思っていたところ、『マテリアル・ガールズ』にその疑問についてまさしく解説してくれるような記述があったので少々長いが引用する。

セラーノの定義による「同性愛」の意味の変容

セラーノの『ウィッピング・ガール』が影響力を持ったもう一つの側面は、性的指向とは何かという文化的理解の大きな変化と関連している。つまり何をもってゲイやレズビアン、バイセクシュアルやストレートであるとみなすかの理解である。かつて性的指向はきわめて単純に分類されており、ある人の生物学的な性別と、その人が魅かれる相手の生物学的な性別の間に存在する関係によって決まっていた。それによって、同性指向(ホモセクシュアル、ゲイ、レズビアン)、異性指向(ヘテロセクシュアル、ストレート)、両性指向(バイセクシュアル)のいずれかであるかが決まった。従来の理解では、「トランス女性」であるセラーノは、生物学的な女性に魅かれる生物学的な男性になるのだが、『ウィッピング・ガール』で自分を「レズビアン」と称している。この結論は、ジェンダーアイデンティティの論理から導かれるものである。まず女性のジェンダーアイデンティティを持つことが人を女性にする。そして、女性のジェンダーアイデンティティを持つ人が、同じく女性のジェンダーアイデンティティを持つほかの人びとに常に性的魅力を感じるとする。レズビアンとは定義上、女性に魅力を感じる女性であるから、その人はレズビアンに違いないという論理である。それと同様にゲイとは、男性のジェンダーアイデンティティを持つ人が、別の男性のジェンダーアイデンティティを持つ人に魅かれることであり、それぞれの割り当てられた性別は関係ないと理解される。男性異性愛者とは、男性のジェンダーアイデンティティを持つ人が女性のジェンダーアイデンティティを持つ人に魅かれること、といった具合である。「トランス男性」のマックス・ウルフ・ヴァレリオは、セラーノの本の前年に出版された自伝、『テストステロン・ファイル』のなかでこう書いている。「女性としての私の性的指向は、表面上レズビアンであった。男性としての私のそれは異性愛である」。

p.28~p.29 第1章 ジェンダーアイデンティティの簡潔な歴史
局面5 ジュリア・セラーノが「ジェンダーアイデンティティが人を女性や男性にする」と言った

要するにジュリア・セラーノさんによると
①女性のジェンダーアイデンティティを持つことが人を女性にする
②レズビアンとは定義上、女性(=女性のジェンダーアイデンティティを持つ人)に魅力を感じる女性(=女性のジェンダーアイデンティティを持つ人)である
③女性のジェンダーアイデンティティを持つ人が、同じく女性のジェンダーアイデンティティを持つほかの人びとに常に性的魅力を感じるならば、その人はレズビアンに違いない
という三段論法になるらしい。
たしかにこの論理だと先ほど言及したさまざまなレズビアンの定義とは矛盾しないようだ。

トランスジェンダー女性とパートナーになる生得的/生物学的女性のレズビアンもいるだろうし、そうでない生得的/生物学的女性のレズビアンもいるだろう。
両者を同じく「レズビアン」という呼称にしたことによる混乱は「コットン・シーリング(木綿の天井)」という単語で端的に表現されている。

コットン・シーリング(木綿の天井)

『マテリアル・ガールズ』では、レズビアンとトランス女性の関係についてどのような見解が出されていたかが書かれていた。

昨今、トランス運動は「コットン・シーリング」というきわめて不快なイメージを世に送り出している。職場で昇進を望んでもうまくいかない女性たちの「ガラスの天井シーリング」という発想を言い換えているのだが、ガラスをコットンつまり下着に置き換えて、女性に魅かれる「トランス女性」がしばしば「乗り越え」られない「天井」〔セックスに持ち込めない壁〕を表現している。似たようなことでは、二〇十六年にヴェロニカ・アイヴィーが「トランス女性」との性的関係に関して、「シスのレズビアンは性器への不安を乗り越え、うまく対処できることに気づくこともある」とツイートしている。二〇十九年、ブライトン大学での会議、「クィアな時代に同性愛者であること」では、公式の論文募集の一環として、「どのようにすれば同性愛者のスペースをよりトランス・インクルーシブにできるか」という問いかけがされ、インクルージョンの可能性のある場所として「寝室」が提案された。さらに二〇十九年にオックスフォード大学の哲学教授アミーア・スリニヴァサンが『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』誌に寄稿し、「トランスフォビア」を「『個人的な嗜好』という一見無害なメカニズムを通じて寝室に入り込む抑圧的なシステム」と表現した。一部の法学者は、「騙しによる性行為」についての法律を改正し、たとえば「トランス男性」や「トランス女性」が性的な出会いを求める際に相手と自分は同性だと積極的に偽っても、違法な行為として扱われないようにすべきだとまで主張している。ストーンウォールもどうやらこれに賛同しているようで、二〇十五年には「『騙しによる性行為』の事例を司法上明確にし、どのような場合がジェンダーに基づく騙しによる性行為に該当するのか法的立場を確定して、トランスの人びとのプライバシーが確実に保護されるようにする」べきだと主張している。

これらのことが意味するのは、レズビアンが「トランス女性」と寝ることを拒んだり、ゲイが「トランス男性」と寝ることを拒んだりする主な理由は、トランスの人たちに対する偏見や嫌悪感でしかありえないということである。しかしこれは、もっと明白な説明、つまり「単なる性的指向の問題だ」を無視したものだ。先のような見解が、権威あるリベラル派や左派の声のように語られるころで、より身近なレベルで、それに対処する能力のない若者、とくに若いレズビアンに対して、道徳的な圧力がかかっていると感じている。

p.112~p.113 第3章 なぜ性別が重要なのか
性的指向

冒頭で紹介した現代ビジネスの記事でも「進歩的な人々の多くは、自分の性欲が中途半端にしか受け入れられず、ときには政治的信念に左右されることを、身をもって学ぶのである」と書かれており、性的指向の問題が政治的信念によるものとしてすり替えられている。

日本における「コットン・シーリング」への言及とそれを批判する東京大学関係教員有志による声明

日本では2019年5月14日に三浦俊彦さんが以下の記事で「コットン・シーリング」について言及している。(archive https://archive.is/kVbDe

バイのMtFはパートナーとして女性を求める傾向にあるそうなので、〈アセクシュアル〉〈ストレート〉を除いた75%のMtFのうちかなり多くが女性パートナーを求めていると見ていいでしょう。いわゆるMtFビアンは「MtFの中の特殊な人々」ではなく、「普通のMtF」だということです。ここ、押さえときましょう。

 ここでもう一つ、近年の定説を三段論法で確認しておきましょうか。

①トランスジェンダーは差別されてはならない。 (←当たり前!)
②人を差別しないとは、当人が自認する属性のとおりに認めることである。 (←はあ??)
③したがって、MtFを女性と認めなければならない (←①②から確かにこれが導き出されますけどね!)

こうして、「MtFの女子更衣室使用、女子トイレ使用を認めない者は差別者である、トランスフォビアである」ということになってきた。そういう道徳の流れに乗って、MtFは次のように主張し始めたのです。

「Lの方々。私もLですから、コミュニティに入れてくださいね? 分け隔てなくデートしてください? リラックスして下着も脱いでね? 私がペニス持ちだからって避ける人は差別者ですから。よろしく?」
※レズビアン

 呼びかけられている「Lの方々」は、この要求を突っぱねることができるでしょうか。差別者にならないためには、MtFの求愛に応じなきゃならないのでしょうか。

https://tocana.jp/2019/05/post_95219_entry_2.html

三浦俊彦さんの記事に対して「同記事の主張は、トランスジェンダーに関する、そして性的同意に関する不正確な理解を多く含んでおり、トランスジェンダーの人々やレズビアン女性に対する差別や偏見を助長するもの」と批判する東京大学関係教員有志声明が発表された。
(archive https://archive.is/AVZiE

1’.「トランス女性を女性と認めるかどうか」は、社会的、法的な制度設計に関わる問題です。いうまでもなくそれは、ある個人が別の個人との性行為に同意するか否かという個人間の性的同意の可否を決めるものではありません。
(中略)
このような主張は、よりインクルーシブな社会を目指したいと考える学生たちに性的同意の重要性を見失わせかねず、非常に危険です。同時にこの主張は、トランス女性の社会的承認がレズビアン女性の性的合意の自由と引き換えであるかのような偽の構図を提示してもいます。これは、マイノリティ女性(トランス女性)を別のマイノリティ女性(レズビアン女性)と対立させて前者の抑圧の責任を後者に帰す、女性嫌悪的で有害な主張です。

https://statementontgarticle.mystrikingly.com/

たとえば性的同意が必要な場面においてトランス女性と生得的女性が対峙した際に体格や筋力の違いを考慮すると、トランスジェンダー女性とパートナーにならない生得的/生物学的女性のレズビアンが果たして生得的女性同士の場合と同じように振る舞えるだろうか。
ましてや権威あるリベラル派や左派が同性愛者のスペースをよりインクルーシブな場にしようと積極的に主張しているような状況では、かなり困難でないかとわたしは思うのだが。

ちなみに三浦俊彦さんは東京大学関係教員有志声明に対して以下の記事で反論している。
(archive https://archive.is/UVbM1

BBCの記事「トランス女性とのセックスや関係を持つよう圧力を感じるレズビアン」

2021年10月26日、「The lesbians who feel pressured to have sex and relationships with trans women(トランス女性とのセックスや関係を持つよう圧力を感じるレズビアン)」というタイトルのBBCの記事が発表された。
(archive https://archive.is/xIRen
注意:この記事には強い表現が含まれています。

↓てててああさんによるBBB記事の翻訳

※2022年5月31日の更新においてBBCの記事の見出しは「We're being pressured into sex by some trans women(一部のトランス女性から性行為を強要されている)」から「The lesbians who feel pressured to have sex and relationships with trans women(トランス女性とのセックスや関係を持つよう圧力を感じるレズビアン)」に変更されている

ジェニーはレズビアンです。彼女は、生物学的に女性で膣を持つ女性にのみ性的に惹かれると言います。そのため、生物学的に女性である人とのみセックスや関係を持ちます。

https://www.bbc.com/news/uk-england-57853385より
peplexityを用いて機械翻訳

「私には彼らの男性の声帯が聞こえます。男性的な顎のラインが見えます。服の下には男性の性器があることがわかっています。これらは物理的な現実であり、女性が好きな女性として、単に無視することはできません」
エイミーは、たとえトランス女性が性器手術を受けていたとしても(一部の人は選択しますが、多くの人はしません)、同じように感じるだろうと言いました。

https://www.bbc.com/news/uk-england-57853385より
peplexityを用いて機械翻訳

やはりどうしてもトランス女性のことをパートナーとしてはみることのできないレズビアンも存在するようだ。

このBBC記事に書かれているような、生物学的に女性である人とのみ関係を持つ生物学的女性レズビアンたちの意見を無視するのは、トランス女性のみを優遇することになるのではないだろうか。

より建設的で有意義な対応とは

「第5章 何が人を女性にするのか」で、“ある概念の一般的な理解に対して大きな変更が提案されている場合には次頁のような「フローチャートが使える」”とp.177で紹介されているフローチャートに沿って考察したうえで、従来のレズビアンの定義と区別して「トランスジェンダー女性ともパートナーになれるレズビアン」という従来のレズビアンの概念を拡大する言葉を新たに作るほうが、そうでないレズビアンを「TERF」「トランス排除的ラディカルフェミニスト」「トランス嫌悪」などと責めたてるよりも建設的で有意義な解決策であるように思う。

「ジェンダー」という言葉のさまざまな意味

<ジェンダー1>男性と女性の区別を表す丁寧な響きの言葉
<ジェンダー2>「男らしさ」「女らしさ」に関する社会的なステレオタイプや期待、規範を表す言葉
<ジェンダー3>男性と女性を分割するための言葉
<ジェンダー4>「ジェンダーアイデンティティ」を短縮した言葉

p.44~p.46 第1章 ジェンダーアイデンティティの簡潔な歴史
「ジェンダー」の持つさまざまな意味 の要約 

このあたりの「ジェンダー」という言葉が複数の意味で使われていることに対する分析のところは、古川直子さんの論文「バトラーはボーヴォワールをいかに誤読したか――『規範としてのジェンダー』と『自由としてのジェンダー』」を思い出した。

なお古川直子さんの論文はここで紹介したものも含めて『ポスト構造主義フェミニズムとは何だったのか』にまとめられて2025年の6月に出版されている。

トランス活動家の予想反論集

「第3章 なぜ性別が重要なのかについて」ではSNSでよく見るトランス当事者やアライの詭弁が端的に整理されてて著者に反論されてたのが面白かった。

①ホワイトやドラトウスキーのような性犯罪者は「本物のトランス女性ではない」
②すべての、あるいはほとんどの「トランス女性」が性犯罪者であるとでも言うのか
③そっちこそどうなんだ論(例:女性専用スペースにおいて女性を性的に襲う可能性のあるレズビアンはどうなんだ)
④男女別スペースが、曖昧な外見の人びとにとって屈辱的な「ミスジェンダリング」(あるいは性別間違い)という出来事を引き起こすことが多い

p.123 ~p.124 第3章 なぜ性別が重要なのか
異性愛の社会的影響 詭弁部分の抜粋要約

男女別スペースを維持してほしいことを批判するトランス当事者やアライの論点はだいたいこの四択だし、いつまでも同じような屁理屈こねるの不毛すぎるからいい加減にやめてほしい。

ほんとそれな~って思ったところ

こうした背景のもとで、女性のジェンダーアイデンティティを持つ生物学的男性をあらゆる場面で女性として扱うことは、政治的に敵意を煽る行為だ。すでに自分たちの利益が不平等な扱いを受けていることを意識している女性たちに対して、事実上、侮辱的に見下すメッセージを送ることになる。そのメッセージはこう言っている――女性のジェンダーアイデンティティを持つ男性の利益の方が、生物学的女性の利益よりも重要である、と。

p.187~p.189 第5章 何が人を女性にするのか
利益のヒエラルキー?

本に「いいね」ボタンがあったら100回くらい押したかった。

辛口で面白かったところ

逆ヴォルテール格言

このような道徳的レトリックを前面に出すことは、ここでの目的が真実の追求ではなく、フィクションの強化であることを示唆している。私の主張の傍証になりそうなもう一つの興味深い学術的現象は、哲学者のメアリー・レンが「逆ヴォルテール格言」と呼ぶもので、「あなたの言うことに同意するが、あなたがそれを言うのを防ぐために命がけで闘う」というものだ。つまり、一部の学者は、強く尋ねられれば、生物学的性別が存在すること、それが「ジェンダー」とは異なることを認めるが、トランスの人びとを不快にさせる可能性があるかぎり、それを口にすべきではないと主張するのだ。このためかれらも多くの場合、没入状態にあるように見える。

p.238 第6章 フィクションへの没入
制度レベルでの没入のリスク――他人への没入の強制

「逆ヴォルテール格言」、草。なにかに使いたい。
まんまそうだし、だから裸の王様状態になってしまうんよ……
もしトランスの人びとを不快にさせる可能性があるかぎり、それを口にすべきではないんなら「パス度が高い」という自己申告があっても客観的な基準としては信用できないことになるよね。

あと生物学的性別が存在してそれがジェンダーと異なることが分かっているんなら、結局「TERF/トランスヘイター/トランスフォーブ」かそうでないかは、たとえそう呼ばれても自分の主張を貫いて発言を怯まないかそうでないかってことじゃないの?
わたしにはただ自分がそう呼ばれたくないための保身で他人を「TERF/トランスヘイター/トランスフォーブ」と断罪しているようにみえる。

「特権」という言葉の使われ方

「特権」という概念もまた、あらゆる立場の人びとによって武器化され、真剣な分析の道具としてではなく、子どもの喧嘩レベルの悪口として使われ、あるグループの人びとが、同じ経歴、学歴、経済力を持つ別のグループの人びとを、「特権」を理由にして非難するという笑える光景をしばしば生み出している。同時に、「トランスフォビア!」や「ミソジニスト!」という非難が自由に飛び交っている。

p.290 
第8章 今後のよりよい運動に向けて

辛辣だけどこういうの嫌いじゃないです😂

バトラー批判

バトラーはジェンダーに関する仕事全体において、比較的少ない経験的観察しかしていないが、それにもかかわらず、生物学的性別は存在しないと多くの人びとを説得することに成功した。比喩的に言えば、バトラーは聳え立つ高みから論じているのだ。概念・言語・現実、そして思考全般に関する壮大な主張から論じているのであり、性別についての具体的なデータから論じることはほとんどない。バトラーの主張とその帰結は、「エビデンス」や「経験主義的な正当性」といったありふれた概念を超えると考えられている。なぜなら、まさにバトラーは、そのような概念に疑問を投げかけているからである。

p.323
第8章 今後のよりよい運動に向けて

わたしがこのnoteで引用した部分だけではなくて
p.70~「性別は社会的に構築されている①」
p.75~「性別は社会的に構築されている②」
p.145~「クィア理論モデル」でのクィア理論への批判
など、バトラーの言説に対する批判がちょくちょくあったのでストックネキはよっぽど腹に据えかねてるんですね💦と思った。

疑問に思ったところ

『マテリアル・ガールズ』では全てに同意するわけでもなく疑問に思った点もいくつかあった。

女性というステレオタイプに魅かれること

だが、女性に対するステレオタイプの多くが、実際に非常に逆行的で役に立たないというのはその通りだろう。そうであっても、非常に多くのトランスでない女性が女性に関する逆行的なステレオタイプに魅かれているのに、「トランス女性」がそれに魅かれることを責めるのは奇妙に思える。忘れないでほしいのは、この時点で私が話しているのは、何が人を女性にするのかではない、ということだ。この問題があまりにも複雑に絡み合っているため、その点についての議論は先送りにする。(これは次章で論じられる)

p.156~p.157 第4章 ジェンダーアイデンティティとは何か

そもそもが男女平等とはいえない、女性差別がいまだ残っているこの生得的男性がデフォルトとされる社会において、同じく女性のステレオタイプに魅かれる状態であったとしてもトランス女性(=生得的男性)と生得的女性とでは置かれた立場≒権力勾配が違うので簡単には並列できないんじゃないでしょうか。

法的フィクション

法的フィクションとは、法律が、ある明確な法的目的のために、実際にはそうではないのに、なにかがそうであるかのように﹅﹅﹅﹅﹅みなすときに生じるものである 。このような場合、事実ではなく、フィクションが関与している。たとえば、法律が会社を「人」として扱ったり、養子縁組のために子どもを手放した実の親を子どもにとって「他人」として公式に扱ったりする場合、それはフィクションを作り出し、法律上、あたかもそうであるかのように扱う。法的フィクションとは、別の言い方では次のようにも言われる――「虚偽またはその可能性があるにもかかわらず、何かを真実であるとする法的仮定、公正な利益を増進するためになされる無害で有益な性格の仮定」。

p.212~p.213 第6章 フィクションへの没入

日本の場合で考えると、特例法によって戸籍に記載されている性別を変更するのは「法的フィクション」に該当するのだろうか。
生物学的な男女の違いは胸や性器の形状だけではないのに「外観要件」は胸や性器以外の違いを無いものにしているのでは。

客体化とオートガイネフィリア

ラディカル・フェミニストのシーラ・ジェフリーズはオートガイネフィリアとシシフィケーションが「女らしさ[……]に対するトランスジェンダーの見方」を理解する鍵を与えてくれると述べているが、この単純化しすぎた説明も私は否定する。ジェフリーズがここで明らかに「トランス男性」を無視しているという事実は措くとして、これは間違った因果説明に焦点を当てているように見える。オートガイネフィリアを持つ人のなかにはジェンダー移行しない人もいるし、「トランス女性」の多くはオートガイネフィリアではない。オートガイネフィリアが理由でジェンダー移行をすることは、ジェンダーを移行する理由のなかで最も「悪い」わけではない。それは個人史の一部であり、個別のケースでは、本人が幸せな人生を送るために必要なことかもしれない。むしろ、オートガイネフィリアとそれに関連するシシフィケーションの実践が私たちに与えてくれるのは、私たちの文化が女性を非道にも客体化し、非人間化する一般的な方法についてのもう一つの洞察の源であると言いたい(女性の客体化と非人間化は、そのなかで育つ女の子と男の子の両方の性的発達に不慮の結果をもたらすものである)

過去一〇年間、オートガイネフィリアとトランスの関連性を過度に強調し、汚名を着せてきた多くのラディカルフェミニストは、このような考えに憤慨することだろう。しかし、これらの指摘は、私が好むエビデンスに基づいたフェミニズムに完全に適合するものだと考えている。

p.280~p.281 第7章 なぜこんな事態にまで至ったのか
客体化とオートガイネフィリア

この部分はだいぶオートガイネフィリアに対してだいぶ同情的にみえた。
そもそもオートガイネフィリアとは内的動機によって定義されるので、他者が勝手にオートガイネフィリアだと決めつけることはできないと個人的には思っている。
まだこのくだりに対するモヤモヤとした違和感や反論を自分のなかでうまく言語化できないので、オートガイネフィリアについて言及されている『クイーンになろうとする男』(日本語版)を読んで掘り下げたい。

“パス度が高い”「トランス女性」

最近、ストーンウォールのようなトランス運動団体は、全国にある多くの組織の女性専用施設に関する社会規範を変え、ジェンダーアイデンティティという内的感覚だけに基づいて、男性が女性専用施設を利用できるように働きかけている。つまりいまや、多くの組織の現在の方針に示された明確な条件では、女性専用スペースにいる女性は、そこにいる男性のように見える人に対して正当に異議を唱えることができない。なぜなら、もしかしたら、男性のように見える人はそこにいることを認められているかもしれないからだ(「その人のアイデンティティを尊重せよ」「気にせず一日を過ごしなさい」)。

これは直接的には、“パス度が高い”「トランス女性」が女性専用スペースに入ることに関する問題ではない。なぜなら、そういう「トランス女性」たちはまさしく「パス」しているのであり、それを統制することが事実上不可能であるだけでなく、女性専用スペースにいることを気づかれないため、社会規範を覆すことは何もないからである(この意味で、トランス活動家が時々言うように「『トランス女性』は何年も問題なく女性専用スペースを利用してきた」というのは事実である。かれらはパス度の高い「トランス女性」のことを言っており、その意味では正しい)。しかし、異性のジェンダーアイデンティティを持っていることを理由に、パス度の低い「トランス女性」を(さらに、可能性として、外見に何の実際上の変更も加えていない「トランス女性」さえも)女子更衣室に入れるよう促すのは、まったく別問題である。それは一般的な社会規範を大きく乱すことになる。それは事実上、すべての男性に――「トランス女性」であろうとなかろうと、異性のジェンダーアイデンティティを持っていようといまいと――女子更衣室に入ることを認めることになる。なぜなら、トランスであることの基準は内面的で目に見えない感覚であり、肉眼では検出できないため、ほかの利用者が異議をとなえることは不可能だからである。

しかし、それとまったく同じ意味で、女性専用のトイレや更衣室にパス度の高い「トランス男性」(つまり定義上、男性と見分けがつかない女性)がいることが許可された場合、それもまた社会規範を破壊することになるだろう。なぜなら、その規範に基づけば、男性に見える人に女性が異議申し立てするのは当然だからである。また、パス度の高い「トランス男性」に、そんな誤解が生じかねないスペースに足を踏み入れる心理的ストレスを背負わせることを期待するのも無理があるだろう。よって、ラディカル・フェミニストやジェンダークリティカル・フェミニストは、女性の利益に関心をもっているのだから、「トランス男性」の政治的利益にも関心を持つべきなのであり、そのかぎりで両陣営がすべきことは、「第三」のスペースを求めるロビー活動を行なうことである。すなわち、本人が属している生物学的性別に属しているようには見えない(あるいはそれに違和感を持つ)女性および男性がより快適に利用できる施設の設置を求めることである。

p.295~p.296 
第8章 今後のよりよい運動に向けて

「第三」のスペースを求めるという最終的な結論にはわたしも同意している。しかし途中にある

これは直接的には、“パス度が高い”「トランス女性」が女性専用スペースに入ることに関する問題ではない。なぜなら、そういう「トランス女性」たちはまさしく「パス」しているのであり、それを統制することが事実上不可能であるだけでなく、女性専用スペースにいることを気づかれないため、社会規範を覆すことは何もないからである

再掲

という箇所は、むむむむ!?!?!?と思った。女性専用スペースを利用している生得的女性たちにバレなきゃいいんかい。
百歩譲って女性専用スペースの入り口に「パス﹅﹅しているトランス女性(生物学的男性)も使う可能性があります」ってデカデカと表示してからじゃないと同意を得ていることにはならないのでは?!?!
っていうか「パス」しているかどうかは本人の主観にすぎないのだから、女性専用スペースに入る指標としてはふさわしくないと思う。トラブルを避けるために居合わせた女性たちが見て見ぬふりをしていたとしても本人にとっては「パス」していることになってしまうのだし。

おわりに

特に印象的だった「第3章 なぜ性別が重要なのか」は他称TERF(トランスヘイターと罵倒される側)が医療・スポーツ・性的指向・異性愛の社会的影響で性別による区分けが必要な理由について延々とTRA(トランス活動家やトランスアライ)に反論してきたことが整理されていた。

「第6章 フィクションへの没入」はフィクションへの没入が個人レベルから制度レベルになると他人への没入の強制になるってくだりが興味深かったのと、「トランス女性は女性です」と唱えてるアライたちは演劇をみてるようなノリでそう言っていて没頭している「トランス女性は女性です」という世界観に水を差されるから反論しているの……?えぇ……と困惑した。

全体的には他称TERFがXでやんややんや批判していたことがアカデミックに整理されていた。 わたしの理解できた範囲では9割くらい納得&同意できたのであまりツッコミどころがなかったかも😅
著者のキャスリン・ストックさんは“パス度が高い”「トランス女性」に同情的だったり、最後の章で他称TERFやGC側の発言を諌めていたので結構穏健な方だと思う。 これでキャンセルされてたってマジすか……

著者のキャスリン・ストック教授自身が、本書を出版したことを一つの契機として、イギリスのサセックス大学を追われている。学内の政治抗争があったようだが、学生たちから猛抗議を受け、殺害予告も受けていた。ボディガードなしでは出校できず、大学への地下道は、ストック教授の解雇を要求するビラで埋め尽くされていたという。

p.328 解説 千田有紀

わたしはトランスジェンダーに関する問題に関心を持ってここ何年も集中的に情報収集をしていたので、この本で言及されている抽象的な話を(ああいうことね、Xでさんざんみた議論だわ)と具体例を思い浮かべやすかったのだけれど、まだ関心を持って間もないご新規の方にとってはちょっと専門的で内容に歯ごたえがありすぎるかもしれない。

具体例のヒントとしては『TERFと呼ばれる私達』にも過去のトランス活動家の投稿が掲載されたり分類されているので参考になると思う。

『マテリアル・ガールズ』はアカデミックな場で作られた理論が現実に反映されるとき、なぜ摩擦を生み出してしまうのかを考察する手がかりになるので読んで損はないと思います。

大変長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。


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コメント

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赤井キツネ

数年前、ツイッター上でどなたかがコットンシーリングの話題を出した時に、「そんな主張をしているトランス女性は存在しない」とアライから平然とデマを吐かれたことを未だに忘れておりません。BBCの記事などを差し出してコットンシーリングの証拠を提示しても、皆ダンマリです。都合の悪い状況になる…

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Gwen いいね
関心があるトピック→TGism・買売春・ポルノによる女性客体化の弊害・代理出産・Reproductive Health and Rights・母性神話・女性の資源化・魔女狩り
コットン・シーリング(木綿の天井)と『マテリアル・ガールズ』の感想|Gwen
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