宿題やったのか。
本読んだのか。
漢字覚えたのか。
ゲームばっかりやるな。
YouTubeばっかり見るな。
自分でも完全に親みたいなことを言ってるなと思う。
でも最近、
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
と聞かれて、少し困った。
昔なら簡単だった。
いい学校に入るため。
いい大学に入るため。
いい会社に入るため。
そうすれば安定した生活ができる。
勉強しておいた方がいいと言われた。
中学で成績を取って、
高校受験して、
大学受験して、
就活して、
会社に入った。
そして働き始めて20年くらい経った。
振り返ると、
選択肢は増えた。
仕事にも就けた。
給料もそこそこもらえている。
「勉強しておけば将来困らないよ」
と言いたい。
でも、その言葉を口にしようとすると、
本当にそうなのか。
まだ十数年先だ。
その頃、
今ある仕事がどれくらい残っているのか、
文章を書く。
翻訳する。
プログラムを書く。
資料を作る。
調べ物をする。
計算する。
絵を描く。
動画を作る。
昔なら、
だと思っていたことを、
AIがどんどんやり始めている。
しかもまだ始まったばかりだ。
じゃあ俺は、
いい大学?
大企業?
その大企業は、
今と同じ人数を雇っているのか。
資格?
少し前までなら、
今でも無駄だとは思わない。
とは、もう言い切れない。
英語もそうだ。
英語はできた方がいい。
絶対できた方がいい。
でも機械翻訳がここまで進んで、
なんだか、
勉強する。
偏差値を上げる。
大学に入る。
就職する。
途中で脱落する人もいるし、
それでも、
「とりあえずこっちに進めば大事故にはなりにくい」
という道はあった。
今の子どもに、
同じ道を示していいんだろうか。
この前、子どもに、
「勉強できると何になれるの?」
と聞かれた。
医者とか、
研究者とか、
エンジニアとか、
いろいろあるよと答えた。
すると、
と言われた。
答えられなかった。
計算も負ける。
暗記も負ける。
文章を作る速度も負ける。
なのに学校では、
相変わらず正しい答えを早く出す練習をたくさんする。
九九を知らなくていいとは思わない。
知識がなければ考えることすらできない。
でも、
という世界は、
かなり怪しくなってきた。
じゃあ何を身につければいいんだろう。
好奇心?
創造性?
主体性?
でも、どれも急にフワッとする。
「主体性を身につけろ」
なんて、
小学一年生にどう教えればいいんだ。
「AIにできないことをやれ」
というのも無責任だと思う。
AIに何ができなくなるのか分かってない。
むしろ毎年、
「そこまでできるようになったの?」
と言っている。
それなのに子どもには、
と言う。
無茶苦茶だ。
最近は、
昔は、
勉強する
↓
いい学校に入る
↓
いい会社に入る
↓
幸せになる
だと思っていた。
今は、
勉強する
↓
世界について少し分かる
↓
知らないことを自分で調べられる
↓
何かが変わったときに学び直せる
くらいしか言えない。
たぶん、
一度覚えた知識で40年食っていくなんて無理なんだと思う。
何を覚えたかより、
怖がらず触って、
理解して、
使えるようになること。
そっちの方が大事なのかもしれない。
そう考えると、
むしろ重くなっている気もする。
ただし、
「この問題の答えを覚えなさい」
ではなく、
という意味で。
「宿題やったの?」
と言う。
子どもは嫌そうな顔をする。
俺も昔、
親に同じ顔をしていた。
あの頃の親は、
少なくとも勉強した先に何があるのか、
今の俺よりは信じていた気がする。
俺にはそれがない。
でも本当は、
何を勉強すれば正解なのか、
俺の方が教えてほしい。
AIに聞け