男女が同じ部屋で暮らす社会は、たかだか100年の実験である
序:畑で草を抜く男たち
札幌市西区。四方を濃い緑の山に囲まれた高台の一角で、六十代から七十代の男が七、八人、重機で土を起こし、雑草を抜いている。
彼らのほとんどは初対面である。元会社員、元公務員、自営業。共通点は何もない。「面白そうだ」という理由だけで募集に応じ、週に何度か集まって、かつて段々畑だった土地を耕している。
時折、言葉を交わす。「一週間も来ないと雑草があっという間に伸びるね」。それだけだ。彼らは向かい合っていない。並んでいる。互いの顔を見ていない。見ているのは土である。
これは「メンズ・シェッド」と呼ばれる取り組みの、日本における実践例のひとつだ。シェッドとは英語で小屋、物置を意味する。一九九〇年代半ばのオーストラリアに始まり、現在は世界三千か所以上、十万人を超える男たちが参加する国際的な運動になっている。イギリス、アイルランド、デンマーク、カナダ。日本にも近年、いくつかの拠点が生まれ、東北大学と北海道大学の研究者が科学技術振興機構の助成を受けて効果検証を進めている。二〇二四年には、アメリカ合衆国の医務総監——全米の公衆衛生を統括する立場の人間が、わざわざ愛知県の山あいまで視察に訪れた。
この運動には、たったひとつのスローガンしかない。
Shoulder to Shoulder.
肩を並べて。
そしてその由来として、運動の関係者が世界中で繰り返し口にする一文がある。
「男は面と向かって話さない。男は肩を並べて話す」
——ここから始めたい。
なぜ「話し合う会」ではなく「畑」でなければならなかったのか。なぜ世界十万人の男たちが、相談窓口でもカウンセリングルームでもなく、木工と農作業とガラクタの修理に集まっているのか。
その問いを、統計と、進化心理学と、そして民俗学の三層で掘り下げていく。行き着く先は、おそらくあなたが予期しているよりずっと不穏な場所である。
Ⅰ 孤独は、男に選択的に降っている
まず数字から入る。感傷を排して、事実だけを置く。
内閣府が令和二年度に実施した「第九回 高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」。日本・アメリカ・ドイツ・スウェーデンの六十歳以上を対象としたこの調査で、日本の男性は「同性・異性の友人がいずれもいない」という回答が約四割を占めた。四人にひとりではない。五人にふたりである。男女いずれについても「同性・異性の両方の友人がいる」と答えた割合は、他の三か国よりはるかに少なかった。
同居家族以外に頼れる人として「友人」を挙げた日本人は一四・九%、「近所の人」は一五・〇%。いずれも四か国中最少である。単身高齢者で人との会話が「ほとんどない」と答えた割合は二五・四%で四か国中最高、「ほとんど毎日」は二三・七%で最低だった。
二〇一七年のISSP国際比較調査では、悩みを相談できる友人が「いない」と答えた割合は男性が女性の約三倍。年代別では男性の五十代以降で跳ね上がり、七十歳以上ではおよそ五割に達する。
そして、警察庁が令和六年に初めて集計した数字。全国の警察が取り扱った遺体のうち、自宅で亡くなった一人暮らしの者は約七万六千人。うち六十五歳以上が五万八千人で全体の約八割。そして——その約七割が男性である。
孤独は、男女に等しく降ってはいない。男に選択的に降っている。
だが、私がこの記事で最も重視したい数字は、実は上のどれでもない。国立社会保障・人口問題研究所が二〇一七年に行った「生活と支え合いに関する調査」の、ある二段構えの設問である。
「愚痴を聞いてくれる人がいるか」という問いに対し、「いない」と答えた男性は九・五%(女性は三・四%)。これは予想通りだ。だがこの調査には、もうひとつ別の選択肢があった。
「そのことでは人に頼らない」
こう答えた男性が、八・六%(女性は二・九%)。
両者を足すと、男性全体で一八・一%。およそ五人にひとりが、愚痴という最も軽量な感情の吐露に関して、頼る相手がいないか、あるいはいても頼らない。
この二つを分離して読める人間だけが、男性の孤独の正体に触れることができる。前者は資源の欠乏である。後者は選好である。男は、支援のチャネルが目の前に差し出されていても、それを使わないという選択を、女性の三倍の頻度で行っている。
つまり男性の孤独問題は、「支援が足りない」問題ではない。差し出されている支援の形式が、男が使えない形をしているという問題である。
この一点を取り違えたまま、日本の孤独・孤立対策は二十年間、相談窓口を増やし、傾聴ボランティアを養成し、交流サロンを開き続けてきた。そして男は来なかった。愛知県のあるNPOが率直に記録している。年間延べ三千人が利用する高齢者コミュニティサロンで、男性高齢者の参加は一割程度にとどまっていた、と。
九割が女性の部屋に、男が入っていくと思うほうがどうかしている。
Ⅱ 学界が捨てた概念で、世界が動いている
Shoulder to Shoulder という言葉には、学問的な出自がある。
一九八二年、心理学者のポール・ライトが、同性間友情の性差を記述するために対になる比喩を提示した。女性の友情は「face-to-face(対面)」、男性の友情は「side-by-side(並列)」である、と。女性の友人は「ただ話すこと」それ自体を友情の中心に据える。会話は内容の伝達手段ではなく、関係そのものである。対して男性の友人は、「ただ話す」以外の何かを一緒にすることを好む。スポーツ、作業、目的。彼らの注意は互いにではなく、同じ目標のほうを向いている。
きれいな定式化だ。あまりにきれいなので、四十年間、無数の論文と一般書とセミナーで引用され続けてきた。
ところが、である。
ライト自身が、後にこの分類を撤回している。一九九三年、同僚との共同研究のなかで、彼はこの二分法が実証に耐えないことを認めた。さらに二〇〇六年には、友情の親密さにおける性差は統計的有意ではあっても効果量は総じて小さく、男女の友情がカテゴリカルに、本質的に異なるという見方を広めないよう、研究者に繰り返し警告している。社会学の最近のレビューは、この事情を率直にこう記している——「多くの研究がライト(一九八二)の分類を引用し続けている。ライト本人が後にそれを否定したにもかかわらず」。
さて。ここで普通の書き手なら、こう書いて締めるだろう。「したがってShoulder to Shoulderは俗説である。男女の友情に本質的な差はない。メンズ・シェッドの理論的基盤は脆弱である」と。
私はそう書かない。
なぜなら、提唱者が撤回してから三十年経った今も、世界三千か所・十万人の男たちがこの撤回された概念をスローガンに掲げて動いており、そして実際に機能しているからである。
英国では医師が地域とのつながりを処方する「社会的処方」の一環にシェッドが組み込まれている。日本の研究プロジェクトでも、孤独感の軽減、身体的健康感や認知機能の改善、社会的つながりの拡大といった効果が確認されつつある。二〇一八年に世界で初めて孤独担当大臣を置いた英国が、男性の孤独解消策として最も高く評価したのがこの仕組みだった。
ここに、極めて示唆的なねじれがある。
学界が「効果量が小さいから語るな」と葬った概念を、現場が拾い上げて公衆衛生の実装に成功している。
この事態が意味することは、二つにひとつだ。世界中の実務家が三十年間、集団幻覚を見続けているか。あるいは——学界の測定枠組みのほうが、的を外していたか。
私は後者だと考える。理由を述べる。
「効果量が小さい」という批判は、個人を予測する文脈では正しい。目の前の一人の男が並列型か対面型かを、性別から言い当てることはできない。それは事実だ。
だが制度を設計する文脈では、その批判は無効である。制度は個人を予測しない。制度は分布を扱う。国道の設計者は、通行人一人ひとりの歩幅を予測しない。分布の平均と分散を見て幅を決める。効果量〇・三の差は、個人の運命を決めるには小さすぎるが、一千万人が通る施設の仕様を決めるには十分すぎるほど大きい。
そして日本の孤独対策の全施設が、いま対面型仕様で建てられている。相談する。話す。分かち合う。傾聴する。輪になって座る。名札をつける。自己紹介から始める。
分布の片側が丸ごと使えない仕様で建てておいて、使わない側を「相談できない男たち」と呼ぶ。それを二十年やってきた。
より頑健な理論的枠組みも、実は存在している。ロイ・バウマイスターとクリスティン・ソマーが一九九七年に提示した「二つの帰属圏」仮説がそれだ。彼らの主張は「女は社交的で男は非社交的」ではない。男女は等しく社会的だが、投資する社会圏の大きさが違う。女性の社会性は少数の二者関係の深度に向かい、男性の社会性はより大きな集団の広がりに向かう。攻撃性、援助行動、権力への欲求、独自性の追求、自己表象の様式——これら諸々の性差が、この一本の軸で整合的に説明される。
二〇一五年には、より即物的な実証が出た。デイヴィッド=バレットらは、世界九地域のSNSプロフィール写真、約十一万二千枚を分析した。人が自分の社会関係を自分で選んで世界に掲示するとき、何を選ぶか。結果は明瞭だった。女性は二者関係の写真を選び、男性はより大きな同性クリークの写真を選ぶ。九つの地域すべてで、である。
彼らはその進化的背景をこう推定する。男性の仲間集団的社会性は、狩猟、集団内での優位をめぐる連合形成、そして集団間闘争における防衛のために形作られた。女性の社会性は、繁殖への投資の大きさと、父方居住社会へ嫁入りして少数の血縁者しかいない環境に統合されていく必要から形作られた。父方居住はチンパンジーでもボノボでも規範的であり、ヒト系統を通じて女性の移動が標準だった可能性を示唆する。
なお公平を期して書いておくが、この進化的説明は決着していない。頼れる非血縁の親友の数にほとんど性差を見出さない研究も複数ある。私はこの枠組みを根拠のひとつとして採るが、それ以上のものとしては採らない。
私がこれから提示する主張の本体は、進化生物学ではない。人類が実際に何をして暮らしてきたか、という記録のほうにある。
Ⅲ 人類はずっと、男と女を別の部屋に置いていた
ここから話が変わる。
もし男女の社会性に構造的な非対称があるのなら、その痕跡は理論の中ではなく、実際の建築と制度の中に残っているはずである。
残っている。それも、うんざりするほど大量に。
韓国:家が二つに割れている
朝鮮王朝の伝統家屋、韓屋を見てみよう。上流階層の家では、男女の生活空間が物理的に分離されている。門をくぐると、まずサランチェがある。男性の棟だ。彼はそこで生活し、学問を修め、客を迎える。この棟は他の建物より一段高く建てられ、家の主人の権威を象徴した。
その奥に、アンチェがある。女性だけの居住空間であり、外部の者は勝手に立ち入ることができない。
これを支えていたのが「内外法」「男女分別」という儒教規範である。注目すべきは、これが単なる女性の隔離ではないという点だ。男もまた、自分の棟から出られない。サランチェは男の特権であると同時に、男の持ち場である。家という建築物が、二つの独立した社会圏を並置する装置として設計されていた。
メラネシア:男の家
視点をニューギニアに移す。ここでは分離が、人類の記録の中でも最も極端な形をとった。
メラネシアの多くの社会には男子集会所(men's house)が存在する。パプア沿岸から高地南面にかけては、男女関係の分極が特に激しい帯状の地域が広がっていた。
集会所は単なる溜まり場ではない。そこには機能が集約されている。軍事訓練。少年たちに対する男性領域での教育。狩猟の呪術と戦士の伝承の伝達。狩猟の組織化。そして男女の差異の分離と承認。聖なる笛やブルローラー(うなり木)といった儀礼具は、この建物の中でのみ扱われた。
イラヒタ・アラペシュの男たちは、儀礼の際に全身衣装をまとった。女たちには、それは実体化した精霊であると伝えられていた。自分の村の男だと気づかれないよう、隣村の男に衣装を着てもらい、代わりにヤム芋と椰子を渡すことすらあった。
一見、これは女に対する壮大な欺瞞に見える。だが構造として見れば別のものが見えてくる。男たちは、女に見られない空間を確保するために、ここまでのコストを支払っていた。衣装、儀礼、秘密、他村への謝礼。それだけの資源を投じてでも、男だけの領域を維持する価値があると、彼らは判断していた。
そして日本:若者宿という制度
さて、本題である。
「日本にはそういう文化はなかった」と思っている人が多い。とんでもない。日本は、村落単位で、公認の男性専用施設を制度として運営していた国である。
若者組。地域の一定年齢に達した青年を集める組織で、若者衆、若者仲間、若衆組など地域ごとに呼び名が違う。集まる場所は青年宿、若衆宿、若者宿、寝宿、泊り宿——これも地域によって様々に呼ばれた。近世において地域社会の教育機関として確立し、明治以降も地方では広く引き継がれていた。
男性のみで構成される若者組に対して、女性のみの娘組が存在する地域もあった。娘たちが集まる場所が娘宿である。
彼らはそこで何をしていたか。夜なべ仕事をしながら、村人として必要な知識と技術を学んだ。祭礼の神輿を担ぎ、村の警備と消防を担当し、共同作業の段取りを覚えた。宿頭や宿親と呼ばれる年長者が監督し、村での生活にかかわる義務と権利を教えた。若者組は村落の実働部隊であり、同時に成人男性を製造する装置だった。
そして重要なのは、寝宿の存在である。結婚前の青年男女が集団で寝泊まりする宿舎で、寝屋、寝部屋とも呼ばれた。分布は東日本より西日本に、農山村より漁村に濃かった。愛媛の中島地方では、学校を出た若者は全員が若者組に加入し、二十五歳になるか妻帯するまで、夜だけ泊まり宿で合宿生活を送るのが習わしだった。娘たちも同様で、小学校を終えた娘に親が布団を持たせて娘宿に出す家がほとんどだったという。
男女別々が通例である。
一日の労働が終わると、若い男は男の建物へ、若い娘は娘の建物へ移動して眠る。そこで数年間を過ごし、結婚とともに卒業する。三重県の答志島には、この寝屋子の制度が現代まで残っている。
つまり近代以前の日本において、青年期の男は、実家でも学校でも職場でもない、男だけの物理的な居場所を、村から公式に与えられていた。
それは慣習ではなく制度だった。宿を提供する家があり、監督者がおり、加入と卒業の年齢規定があり、村落経済の中で果たすべき役割が定められていた。
そしてこの制度は、明治末年以降しだいに衰退し、消滅した。公教育の普及と、戦後の都市への人口流出によって。
Ⅳ 私たちは、それを自分で壊した
歴史の教科書は、若者組の消滅を近代化の一エピソードとして数行で処理する。学校が村の教育機能を代替した。都市化で若者がいなくなった。以上。
だが、機能で見れば、これは男性専用空間の国家的解体である。
そして正確に言えば、消滅していない。移設されていた。
昭和の日本は、村が担っていた機能を丸ごと別の場所に移し替えることに成功していた。会社である。部活である。サークルである。寮であり、合宿であり、社宅であり、喫煙室であり、飲み屋であり、銭湯であり、碁会所であり、釣り堀であり、パチンコ屋である。
これらに共通する構造を、私は自分の身体で覚えている。
学生時代の部活動を思い出してほしい。あるいはサークルでもいい。あそこで交わされていた会話に、内容はほとんどなかった。誰かが誰かの失敗を茶化す。道具の話をする。明日の練習の段取りを確認する。それだけだ。深刻な相談を持ちかけた記憶などない。
にもかかわらず、あの数年間で形成された関係は、その後に築いたどんな関係より強度が高かった。何年会わなくても、会えばすぐ元に戻る。理由を説明できる人は少ないだろう。
説明はできる。あそこには、沈黙が許される共有空間があったからだ。
同じ方向を向き、同じ目的を持ち、同じ時間を過ごす。互いの顔を見なくていい。何も話さなくても不自然にならない。誰も「今日はどうしたの、元気ないね」と顔を覗き込んでこない。そして、そこにいることそのものが所属の証明になる。
部室というのは、若者宿の縮小コピーである。合宿は寝宿だ。喫煙室は男子集会所の残骸である。銭湯は——説明するまでもない。
昭和の男は、若者組が消えたことに気づかなかった。気づく必要がなかった。代替インフラが、意識されないまま、社会の隅々に自然発生していたからだ。
その代替インフラが、この二、三十年で同時多発的に消滅した。
喫煙率は激減し、喫煙室は撤去された。飲みニケーションは害悪と認定された。終身雇用が崩れ、会社は所属の場ではなく契約の場になった。社宅と寮は経費削減で消え、部活動は地域移行と体罰批判の中で希釈され、銭湯は潰れ、地縁は蒸発した。
そして残ったのは、家庭と、職場のデスクと、スマートフォンである。
すべて、並んで沈黙することが許されない場所だ。
メンズ・シェッドとは何か。ここまで読んだ人にはもう分かるはずだ。
それは輸入品ではない。日本が自分で壊した土着インフラを、行政とNPOが人工的に再建しようとしている試みである。
愛知県のNPOがこの取り組みを立ち上げるとき、彼らは奥三河地域に古くからあった「おやじ講」——男たちがほったて小屋に集まり、火を焚き、五平餅を食べながら地域や家族のことを共有した場——を掛け合わせている。彼らは無意識に正解を引き当てている。海外から来た概念だと思って輸入したものが、自分たちが百年前まで持っていたものだった、という話なのだ。
Ⅴ 規格の話をしよう
ここからが本題である。
なぜ再建が必要になったのか。単に古い制度が寿命で消えただけなのか。
違う。置き換わったのだ。
現代日本社会には、人と人がつながるための標準規格が実装されている。その仕様書を読み上げてみよう。
対話する。傾聴する。気持ちを言語化する。相手の目を見る。共感を示す。輪になって座る。自己開示を促す。心理的安全性を確保する。何でも相談してくださいと呼びかける。困ったら声を上げる。
これらはすべて正しい。私はひとつも間違っているとは言わない。
同時に、これらはすべて対面型仕様である。
そして先ほど見た通り、この規格を最も自然に使いこなす分布の側は、統計的に明らかに女性の側である。
職場は対話とハラスメント配慮の規格で再設計された。学校は共感と言語化の規格で再設計された。地域の福祉は傾聴とサロンの規格で作られている。家庭では「話し合わない夫」が問題として名指しされる。孤独対策は相談窓口として実装された。
過去三十年間の日本社会の再設計は、ほぼすべての領域で、女性型の関係様式を人間関係の標準規格として採用する方向に進んだ。
繰り返すが、その規格が悪いのではない。その規格が唯一の規格になったことが問題なのだ。
規格が一本化された社会では、規格外は欠陥になる。
だから今、男性性の中核的な特徴は、ほぼ例外なく矯正対象として記述されている。感情を言葉にしない。弱音を吐かない。人に頼らない。競争する。序列をつくる。群れる。黙る。
これらは「有害な男らしさ」と呼ばれ、更生プログラムの対象になった。
そして男は、この規格の下で正確に振る舞っている。「そのことでは人に頼らない」を、女性の三倍選ぶという形で。
これを弱さと呼ぶな。規格不一致と呼べ。
対応可能な形式で差し出されなかったものを、受け取らなかっただけだ。畑を用意されれば、彼らは来た。初対面の七十三歳が車で三十分かけて通い、真夏に汗をかいて雑草を抜き、「外でみんなと汗を流す作業は実に心地いい」と言った。相談窓口には二十年来なかった男が、である。
問題は男ではなかった。ずっと部屋の設計だった。
Ⅵ 不快な処方箋
ここから先は、多くの読者を不快にさせる。承知の上で書く。
メンズ・シェッドは有効である。だが、これは対症療法にすぎない。孤立してからの高齢男性を、行政予算と研究助成で拾い上げる仕組みだ。しかも日本の研究者自身が認めている——日本ではこうした活動は五年を超えて継続すること自体が難しい、と。
対症療法ではなく原因療法を求めるなら、話は制度設計に戻る。
そして原因療法の内容は、ひとつしかない。
男女で空間を分けることの正統性を、社会に再インストールすることである。
言い換えれば、男性専用の場、男性だけの規範、男性にとってのみ自然で女性にとっては不快な様式を、「差別」ではなく「設計」として復権させることである。
ここで、あなたの頭の中に自動的に浮かんだ言葉があるはずだ。男尊女卑。前近代。イスラム的。
その反射こそが、私たちの手足を縛ってきたものだ。
過去百年の日本が行ったのは、「分離」と「差別」を同一物として処理するという操作だった。男女で場を分けることは、それ自体が女性の従属を意味する。だから分けてはならない。同じ部屋に、同じ規格で、同じ様式で、同じ言葉で。
その等式が、若者宿を葬り、部活の合宿を葬り、喫煙室を葬り、男だけの飲み会を葬った。そして跡地に残された男たちが、七十歳で友人ゼロになり、七万六千体の遺体の七割を占めている。
だが人類史を見渡せば、分離と序列は必ずしも同じものではない。韓屋のサランチェは主人の権威を象徴したが、同時にアンチェは外部の男が立ち入れない女の領土だった。若者宿と娘宿は対になって存在した。どちらの側にも、自分たちの規範と自分たちの言語で運営される自律的な社会圏があった。
分離とは、二つの規格が並立することである。統合とは、片方の規格が他方を吸収することである。
そして日本が過去三十年間に達成したのは、統合だった。標準規格が一本化され、規格外だった側は矯正対象になった。
これを平等と呼ぶのは、言葉の乱用である。
同一規格の強制は平等ではない。それは、たまたま標準に選ばれた側にとっての最適化にすぎない。真の意味での平等とは、複数の異なる規格が、それぞれの領域で、それぞれの正統性をもって並び立つ状態を指す。
私は、昭和的な男性中心社会の復権が必要だと言っている。あるいはイスラム圏の社会が今も維持しているような、空間分離の原理の復権が必要だと言っている。書斎があり、集会所があり、女が入ってこない部屋があり、そこで男が男の言語で沈黙し、序列をつくり、群れ、黙って共同作業をすることが、逸脱ではなく正常として扱われる社会が必要だ、と言っている。
その社会は、女性にとって不快だろう。閉め出されていると感じるだろう。前近代への逆行だと言われるだろう。
だが、その不快さは、いま男が全領域で味わっている不快さと、質において何も変わらない。違うのは、男が味わっている不快さには名前が与えられていないという点だけだ。
そして皮肉なことに、この分離こそが、結果的に本来の意味での男女平等をもたらす。なぜなら現在の統合状態は、男から居場所を奪ったのと同時に、女に対しても不当な負荷をかけているからだ。
男が男同士でつながれなくなった社会では、男の情緒的支援の需要はすべて女に流れ込む。妻に、恋人に、母に、女友達に。西洋の臨床家が繰り返し指摘している通りだ——男は男に助けを求めず、女に求める。それは男の選択肢を狭めるだけでなく、女に対して、彼の唯一の相談相手であり続けよという過大な負担を課す。
男が男の部屋を失った代償を、いま払っているのは女でもある。
分離とは、男を女から解放すると同時に、女を男から解放することである。
Ⅶ これは、まだ助走である
最後に、数字に戻る。
一九八〇年、日本の五十歳時未婚率——いわゆる生涯未婚率は、男性二・六〇%だった。四十人にひとり。結婚しない人生は例外だった。
二〇二〇年、それは二八・二五%になった。四十年で十一倍である。
そして政府の推計によれば、六十五歳以上の単身男性の割合は、二〇二〇年の一六・四%から、二〇五〇年には二六%を超える。
いま孤独死している七万六千人の大半は、かつて結婚し、家庭を持ち、少なくとも一度は誰かと同じ屋根の下で暮らした世代である。にもかかわらず、七割が男だった。
その後ろに控えているのは、一度も結婚しないまま老いていく、男性の三割である。
彼らには、離れて暮らす子も、疎遠になった妻もいない。会社は所属を提供しない。地域は存在しない。部活も合宿も喫煙室も銭湯も、彼らが青年だった時点ですでに消えていた。
現在の孤独死の数字は、社会関係資本を持っていた世代の数字だ。
あれは助走である。
本番は、これから来る。
札幌の高台に戻ろう。
七十代の男たちが、初対面のまま、黙って雑草を抜いている。彼らは互いの人生を知らない。悩みを打ち明けてもいない。感情を言語化してもいない。心理的安全性についての研修も受けていない。
ただ、並んでいる。
そして秋にはそこで採れた蕎麦を打って、一緒に食う予定になっているらしい。
それでいい。
男に必要なのは、語る場ではない。
黙っていても許される、共同作業である。
百年前まで、この国のすべての村がそれを持っていた。
私たちは、それを自分の手で壊した。
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