WN@imawanokiwano「表現の自由」は国家権力を拘束する法規範です。 表現の自由市場で表現をやり取りする人たちは対等であり、「表現を中止しろ」という意見も表現の一つに過ぎない。道徳的観点からその意見が支持されれば批判された表現の売り場は狭くなる。表現の自由の問題は起きていない。あほうどり@Phoalbatrus8月2日倫理的に考えると、表現の自由は道徳に優越します。というか、表現の自由はその概念が生まれて以来ずっと道徳の支配に対抗して来ました。倫理の勉強が足りない。23:07 · 2026年8月3日3.4万再生数721435
WN@imawanokiwano8月3日「倫理的問題があるからアニメ化すべきでない」という主張は、「規制」ではありません。表現を差し止める法的拘束力はない。当然法治主義に反しない。 あほうどり@Phoalbatrus8月3日返信先: @Phoalbatrusさんそして、あなたの言う「倫理」(私の言葉で言うと道徳)の横暴を許さず、法によらなければ表現を規制できない状態を保つことが、「法治主義」であり「現代の倫理」なんです。正直倫理的考察が足らなすぎます。それ自体は罪ではないが、そんな状態で他人の表現を規制せんとするのはダメです。5101893
あほうどり@Phoalbatrus8月3日返信先: @Phoalbatrusさんそして、あなたの言う「倫理」(私の言葉で言うと道徳)の横暴を許さず、法によらなければ表現を規制できない状態を保つことが、「法治主義」であり「現代の倫理」なんです。正直倫理的考察が足らなすぎます。それ自体は罪ではないが、そんな状態で他人の表現を規制せんとするのはダメです。
WN@imawanokiwano8月3日つまり、みい山アニメ化に反対する意見は、作者の人権を侵害しており、国家権力の介入による排除が必要だというのがあなたの主張ですね? あほうどり@Phoalbatrus8月3日間違い。表現の自由を含むいくつかの人権は民間人からも犯されてはいけない自由であり、民間人Aが民間人Bの表現の自由を冒す時、国家には民間人Bの表現を守る責務が生まれますし、民間人Aは表現の自由を犯してはなりません。これを水平的効力といいます。391628
あほうどり@Phoalbatrus8月3日間違い。表現の自由を含むいくつかの人権は民間人からも犯されてはいけない自由であり、民間人Aが民間人Bの表現の自由を冒す時、国家には民間人Bの表現を守る責務が生まれますし、民間人Aは表現の自由を犯してはなりません。これを水平的効力といいます。