前回からの続きです。
以前から巷間で噂されていた通り、UNRWAに中立性の問題があった事が国連の最終報告書で明らかになりました。しかし私はこの件についてUNRWA事務局長からチーム全体への中立性教育こそ問題であり、国連と異なる中立性・公平性原則を主張する赤十字国際委員会(以降ICRC)出身者の事務局長就任がその発端であった、と考えています。
国連機関における中立性原則後退の波はUNRWAに留まらず、事務総長及び彼と志を同じくする者達により国連全体を覆う現象であったことを記し、今回の文章の締めにしようと思います。
**************
***************
4. 国連で蔓延した二元論の氷山の一角
ただし結局のところ前述した通り、この特別な人事を通じて潘基文らがUNRWAに何を期待していたのかは推測の域を出ません。しかしこの時期の潘基文の特徴的な言動を紐解けば、この当時一貫していたのはまさに国連原則と従来の国連の在り方に対するアンチテーゼ、事務局長の見解を基にする二元論へと国際常識を塗り替えようとことが判明します。
>ある国々から表明された懸念には、これまでも見解を明らかにしてきているが、過去から正しく学ばなければ、未来へ向かって正しい方向へ進むことは難しくなる。過去から学ぶこと、過去を教えてくれる人を探すことが、今回、私が訪中した目的だった(中略)
>国連や事務総長は中立であるべきだとの誤解があるが、中立(neutral)ではありえず、公平(impartial)だというべきだ
2015年9月、中国主催による抗日戦争勝利70周年の記念パレードに参加した際の中立性非難に対する彼の反論です。
過去を学ぶと言いながら現代周辺諸国と対立しインシデントを連発する軍事組織のパレードに出席し、あまつさえ国際指名手配中の人物と交流を持つ愚行については言うまでもありませんが……そもそも彼がいう「中立ではありえない公平」とは「国連の中立性・公平性」とは真逆の概念です。
確かに彼の前任者コフィ・アナンは『公平性は中立性を意味しない』と語りました。しかしその発言内容を確認すれば前述したとおりの「公平性で補完された国連の中立性」、中立的調査のうえ国際規範や原則に基づき公平に判断する努力を続けなければならない、という責任感に基づくものです。
>指導者が平和的な手段でどこまで追い込めるのか、戦争状態に平和をもたらすのにどれくらいの時間がかかるのか、という現実感を持って立ち向かわなければなりません。これは私や私の立場にある人を、定義上道徳的に盲目にするのでしょうか?それゆえ事務総長は善と悪、犠牲者と侵略者を区別できないのでしょうか。
>勿論事務総長には可能であり、まさにそのために粘り強く努力しなくてはならない。国際社会による孤立と遺棄から利益を得るのは、結局のところ被害者よりも侵略者であることが多いからです。公平性は悪に直面したときの中立性を意味するものではありませんし、そうしてはならない。それは憲章の原則を厳格かつ公平に遵守することを意味し、それ以上でもそれ以下でもありません。
繰り返しになりますが国連にも加盟国にも同様に国民・人民に対する義務、そしてそれに基づく正義があります。だからこそ事務総長は加盟国の批判や圧力に直面しながら、彼らと共に行動指針を導き出す努力を続けなければいけない。それがアナンの公平性であり、苛烈な個人的見解 に実効性を持たせようとする挑戦であり、国連の伝統的中立性に基づく加盟国との対立と協調でした。
一方で潘基文は「中立ではありえない公平」を当事国から隠れ、味方に囲まれた場所で主張します。イスラエルとパレスチナ- エルサレムポスト、中国と日本、あるいはモロッコと西サハラ-ロイター……これらの関係を定義づけるため当事国不在を見計らってアクションを起こします。他国からの批判に晒されたくはなく、一方で自らの個人的見解である歴史的被害・加害者論を推し進めたい。アナンのように国連の中立性に沿いながら個人的見解に実効性を持たせるのではなく、各国の批判を賛同意見で圧し潰して事務総長が発信する国際常識にしたい。
そこで彼が採ったのは「被害者の人権」を絶対不可侵な価値へと推し上げ、その過程で被害者と加害者の関係を固定させることでした。俗に市民社会と呼ばれる市井の専門家をかき集め、国連を中心としたコロニーを作ったことはその根幹です。実務で直面している環境社会問題を専門に「被害者の人権」から判断し、優先救済を訴え国家を糾弾するタイプの専門家です。そして「被害者」の不可侵性は潘基文個人の歴史的二元論の中核でもあります。
国際問題を貧困・環境・不平等の面で捉える専門家が「被害者の人権」的に正しい、しかし全世界の国家国民に対し非中立的な判断を提示し、国連がお墨付きを与える。この手の会合において加盟国は市民社会の代弁者となるか、事務総長に擦り寄りお目溢しを頂くか-UN News、あるいは自国の安全保障や国家主権に基づく政策の自主性を訴えたすえ被害者の人権からの逆行を糾弾され、議論のメインストリームから取り残されざるを得なくなりました。
>潘基文(パン・ギムン)事務総長は本日「私たちはこれらの過ちを正さなければならない」と誓い、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(LGBT)の人びとに対する差別を非難。宗教・文化・伝統が彼らの基本的権利を否定する理由にはならないと宣言した
ここに至り、潘基文と彼のコロニーによる二元論の自己正当化は完成しました。あとは被害者の固定化のため誰も取り残さないと言いながら、最も 被害を受けていると彼らが認定する対象への偏向を延々と継続すれば良いだけです-SDG Indicators。そしてこの被害者の固定化こそ、自らが作ったルールによる新たな被害者の発生を研究対象外とする専門家たちと「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」-東亜日報という独特のメンタリティを故国と共有する事務総長の最大の共通点であり、中立でも公平でもないが故に共通の敵を持つ彼らがお互い手を結んだ理由でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
潘基文時代の国連評価として具体的な紛争解決は停滞する一方で理論面では人道的介入から3つの柱に基づく「保護する責任」への整備 -UN News、また従来の国連より環境問題や不平等問題への活動のシフトが見られたと言われています。更に人事では彼の強権に基づく縁故主義・自国優先主義を揶揄され続けました。しかし加盟国すべての平等な主権に基づく国連の中立性・公平性を蔑ろにした彼らの二元論を顧みれば、これらを包括する大きな特徴が見て取れるのではないでしょうか。
高邁な目標と未達の尻拭いを歴史的加害者に押し付け、加害者の側でありながら脱落する者を執拗に糾弾する議論の進め方は、環境・不平等問題でイニシアティブを握る際には有効です。逆に議論のイニシアティブを握る事自体が目的である潘基文らの現地活動が、紛争の場では一方の側に空約束と内通、もう一方には二元論による世論からの束縛と反感の形で事態の混乱を招くこともまた自明でしょう。
一連の文章の初めに記したように「紛争地域=大国対立に巻き込まれた歴史的被害者」という冷戦以来の国連及び各国の認識は、今世紀初頭の国際テロリズムを境に変化しました。世界各国は自らもテロリズム被害の当事者と気づき、無差別支援ではなく国際規範への回帰という篩にかける必要性を認識する契機となりました。
この篩を拒否し「紛争地域=被害者」への無差別な人道支援を絶対視するICRCのキャリアを、同様の歴史的二元論を押し付けようとする潘基文が前例を無視してまでUNRWAに組み込んだのは必然だったと思われます。
ただし、勿論なのですが……国連職員としてキャリアを積み中立性と公平性の遵守を学んだ人間の思想が、潘基文時代を通じて歪まなかったという保証はありません。UNRWA人事は即効かつ最悪の形でゆがみが表に出ただけでしょう。
そうでなければSDGsだってもっと早く軌道修正してるでしょうよ……。
**************
**************