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曖昧だった甘さ/ちちゅうの小説

曖昧だった甘さ

6,399文字12分

バレンタインの二人の話です。素敵な表紙はかんたん表紙メーカー様よりお借りしました!
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 胸元で数度振動音がした。スマートフォンを開き、メッセージの部分を押す。横から視線を感じたが、会話よりも優先すべきはこちらか。そう算段をつける。補助監督の、謝罪を含んだ文面に問題ないとだけ返した。遅れるのも無理はない。基本的に遅くなることはあれど、任務が予定通りに終わることは珍しい。それが今日は、いっそ異様とも取れる速さで目的の呪霊を祓えてしまった。あまりにもあっさりとしすぎていたから、日下部と他の呪霊はいないのか手分けして探した程には早かった。結局何も見つけることはできなかったが。
 決戦後の人手不足は深刻だ。それこそ俺のような者にも圧をかけるくらいには手薄らしい。それは術師もだが、補助監督らも同様だった。現に彼らは、数分単位のスケジュールであちこち送迎に向かっている。それを考えれば現場でこのまま時間まで待つ方が良いか。そう話がまとまりかけた所での雨。帳は雨までは防げない。日下部に帳を解除してもらいながら、どうにか手近な建物に二人で駆け込んだ。
「なんか分かったか?」
 スマートフォンをしまったからだろう。日下部が俺に声をかけてきた。
「あぁ。後30分程で到着するらしい」
「……なんつーか微妙な時間だな。このままここで待機でいいだろ」
「そうだな。今からどこかで休憩、というのも難しいだろう」
「にしても、どいつもこいつも騒いでんなぁ」
 見渡す限りの人、人、人。混み合う一角を眺めながら日下部が呟く。特に俺に聞かせる気はなかったのだろう。声自体は大きくはなかった。それでも、隣に立っているこちらには聞こえてはしまうのだが。呆れと感嘆とが絶妙に混ざったような声音だ、と思った。恐らく、この捉え方は間違ってはいないだろう。彼は意外と、顔よりも声に感情が出るタイプだ。それに彼の言う通り、制服姿からスーツまで様々な格好をした人々が、同じ目的のためにこうも押し寄せている様は、視覚的にも聴覚的にも中々に迫力のある光景だと思う。
「最近では自分のために買う、というのも一般的になってきているらしい。ターゲット層が広くなれば、それだけ賑わいも増すのだろう」
 彼にとっては独り言のつもりだったかもしれない。そう思いながら言葉を返す。脳裏には、かつての部下の姿が浮かんでいた。―頑張ってる自分へのご褒美ですよ!ご褒美!確か清水は、彼女はそう言っていたか。あ、ついでに日車さんの分も買ってきました、お礼期待してますね!そんな言葉と共に笑っていた顔も、連動するように思い出す。あの時は、何を返せば良いのかかなり悩んで、結局彼女が自分用に買っていたブランドのものを渡したんだった。
「ふぅん、自分のためねぇ」
 俺にはよく分からねぇわ。そう言って、日下部は目線をピンクと赤で彩られた場所からそらした。彼に倣って俺も目線を外す。派手な色のせいか。バレンタイン、と大きく天井から垂れ下がった広告がやけに脳裏にこびりついた。
「これからの時期、フラれた恨みだとか妬みだとかで呪霊が出るのだけは勘弁だな」
「………そんな事があるのか?」
 チョコレートを模した呪霊が頭に浮かぶ。攻撃はどのようなものになるのだろうか。そもそも固体なのか、液体なのか、案外両方の特性があるかもしれない。魅了の類いの術式を持つ可能性は?チョコレート自体、媚薬とされていた時代もあったのだから可能性は0ではないだろう。そもそも俺の術式は有効なのかも考える必要性がある。チョコ自体に意志はない。現象としてただあるだけの存在に、俺の術式は通用しない。かといって液体ならば殴ったところで大した意味もなさそうだ。
「なぁ、今何考えてます?」
「チョコレートの呪霊はそもそも固体なのかどうか考えていたが」
「チョコの呪霊………」
 口元を手で覆った日下部が、ゆっくりとしゃがんだ。自然と俺の目線も下を向く。何度か声をかけても、彼は何故か一向に立ち上がろうとしない。先程の戦闘で負傷でもしたか。記憶を辿るも、特に怪我を庇う素振りは無かった。仮に遅効性の攻撃があったのだとしたら、俺にだけ影響がないのも妙だ。俺も何度か敵の攻撃を受けている。今すぐ補助監督に連絡を取るべきか迷いながら、彼の様子を再度伺った。……肩が小刻みに震えている。嫌な予感は、よく耳を澄まさずとも聞こえてきた笑い声で確信に変わる。
「………君、俺をからかったな?」
 我ながら酷く低い声が出た。顔が熱い。睨み付けるようにしゃがみこんだ男のつむじを見るも、笑いは全くおさまる様子を見せない。君の方が呪霊について俺より余程詳しいのだから、てっきり存在していると信じてしまうのも当然じゃないか。そう言いたくなったが、益々笑う日下部しか頭の中では想像できず、結局口を閉ざした。沈黙は金だ。今何を言ったとしても墓穴を掘る予感しかしない。
「いや、そんなクソ真面目に考えてっとは思わねぇじゃん。……チョコの呪霊ね」
 あ゙ー、笑いすぎて腹痛ぇ、と悪びれもせず日下部は立ち上がった。楽しそうな声に、緩んだ目尻。それを間近であびてしまって、笑われている恥ずかしさよりも何だかむず痒い気持ちになる。それから補助監督と合流する前まで、彼は時折思い出したかのように「チョコ……」と呟いては笑っていた。

 テーブルの上に鎮座する小箱を見下ろす。ベージュの包装に緑のリボンが飾られたそれ。彼がよく付けているネクタイの色に、リボンの色味はどことなく似ていた。だからだろうか、何となく目についたそれを買ってしまったのは。「チョコ」と、からかうように言われ続けたのもあるかもしれない。そもそも日下部は普段から飴を食べているのだし、そこまで甘味が嫌いな訳ではないと思う。それに学生達だって、性別関係なくお互いに渡すのだとも小耳に挟んだ。なら俺が、普段の礼も兼ねてこれを彼に渡すのだって特段妙ではないはず。どうにも言い訳めいたことばかりが脳内に浮かんでくる。友人に渡すことが今までの人生でなかったからだろうか。緊張、しているのかもしれない。落ち着かない気持ちのまま、鞄の中にそっと小箱をしまいこんだ。

「日下部さんも食べます?伊地知さんのおすすめっすよ!」
「あー、あんま甘いの好きじゃねぇからパス」
 あっさりと断るのを聞いて、思わず鞄を隠しそうになった。俺に向かって言っている訳でないと分かっているのに。
「え?!いつも飴食べてんのに苦手なんすか?」
「禁煙のためで食ってるだけだ。別に甘いのが好きな訳じゃねぇ」
「なるほど、おしゃぶりみたいなもんすね!」
「どこをどう考えてのなるほど、なんだよ。はったおしていいか?」
「パワハラ!それパワハラっすよ!」
「俺のがパワハラならお前のは完全にセクハラだろうが!」
「おしゃぶりがセクハラなわけないじゃないっすか……何言ってんすか……」
「そのどん引いた目ぇやめろ」
 日下部と新田の騒がしいやり取りも、普段なら笑いを堪えて聞いていただろうが、今日に限ってはどこか薄膜一枚隔てたように聞こえる。理由は分かっている。わざわざ苦手と知ってしまったものを、渡すにはいかなくなったからだ。これなら無難に酒にしておけば良かった。そんな苦々しい思いを抱きながらなるべく机の下、彼の視界に全く入らないように鞄を奥に隠す。かさ、と乾いた音が鞄から聞こえた気がした。日下部達に聞こえていないことだけが救いだ。
 休憩の隙を見計らって空いた部屋に入り、包装を破いて小箱を開く。中には、シンプルな四角のチョコレートが敷き詰められていた。それを無造作に掴み取っては口の中に放り込む。一刻も早くこれを処理してしまいたい。それだけが頭にあった。甘い。舌の熱であっという間に溶けるのに、いつまでも口内に甘ったるさが残る。喉にこびりつく甘さを飲み下せない。……これを彼に渡さずに済んで良かった。甘いものが苦手な彼に、これは酷だろう。妙な気を遣わせてしまうよりは、何もしない方が余程マシだ。彼には折を見て別のものを渡せばいい。故郷の地酒なら、礼としてもふさわしいだろうか。沈む思考を裂くように、がらり、と開いた戸に肩が跳ねた。
「あ、こんなとこにいた。ほらこれ、次の任務だってよ」
「日下部」
 紙の束を手元で揺らしながら、日下部が近づいてくる。彼の歩みを止める理由が思いつかない。気づけばその視線は、俺の手元へと向かっていた。
「……ふぅん。あんたも隅に置けねぇなぁ」
 ニヤニヤとした顔で日下部が話しかけてくる。からかうつもりなのが明らかな表情だ。
「………誤解だ」
「へぇ?」
 彼の顔に浮かぶ笑みが、ますます深くなっている。わざわざ隣にどっかりと座って、頬杖までついてこちらを見てきた。これではどう足掻いても逃げられない。ため息が自分の口から漏れたが、日下部は全く気にする様子はない。そんな自分の息すら甘く感じて、それもまた気分を落ち込ませた。誤解を解くしかないのだろう。が、それはひどく骨の折れるものに違いない。そんな嫌な予感がひしひしとする。こんなことになるなら家に帰ってから食べてしまえば良かった。見つかってしまった今となれば、それはあまりに遅すぎる後悔だ。
「君は恐らく、誰かから俺がこれを貰ったと思っているのだろうがそれは違う」
 余計な詮索をされる前に、端的に事実を述べる。紛れもない事実だ。これは間違いなく俺が買ったもので、誰かに貰った訳ではない。
「へぇ、貰ったんじゃねぇなら何?」
「………自分で買ったんだ」
「あんた、そんな甘いの好きだったかぁ?」
 意外そうな声に、いたたまれない気持ちになる。彼の指摘は間違っていない。反転を回しでもしない限り基本的に甘味は食べない。
「俺だってたまにはそういう気分になる」
「わざわざ今日?そんでこんな人目につかねぇとこで?」
 何故だろうか。今日の彼は普段よりもしつこい。人をからかうにしても、いつも線引きはきちんとしているのに。不快に感じる手前で必ず一歩引く、それが出来るのが彼だ。……彼も彼で、案外校内の空気にあてられているのかもしれない。
「本当に、偶然だ」
 君に渡すものだった、なんて言えるはずもなかった。言うタイミングは、今この瞬間を目撃された段階で逃した。後はいかに会話を素早く終わらせられるかにかかっている。
「じゃあ一個もらっても良いよな」
「は、おい、君」
 甘いものは苦手なんじゃないのか。そう言う前に日下部の親指と人差し指がチョコレートを一粒摘まんで、そのまま口に含んだ。うわ、甘ぇ、という言葉と共にちらりと覗いた舌。それを認識した途端、カッと身体中の血液が沸騰したような錯覚に陥った。手の内側にもじわじわと汗が滲んでいるのが自分でも分かる。こうなって初めて、明確に自分の感情を理解する。いや、本当はとっくに気付いていたのだろう。俺は日下部に恋情を向けているのだと。気付いていて、それ以外のものであって欲しいと願っていた。俺が彼に抱いているのは友愛だと信じていたかった。彼の、気の緩んだような顔を見れる今の関係を俺は壊したくなんてないのに。それなのに顔の熱は引くどころか、ますます酷くなっていく。
「は、おま、顔」
「っ、用事を思い出したので先に失礼す、るっ!?」
 気づかれた。もう真横の男の顔をまともに見るのも難しい。逃げたい、逃げるべきだ、逃げよう。もうここから離れる事しか頭に浮かばなかった。机に置いたままの箱も、鞄のことも、後の俺がきっと何とかするだろう。人間頭が回らないとこうも言い訳が典型的なものになるのか。うっすらそんなことも頭を掠めたが、今はとにかくこの場所から一刻も早く立ち去りたい。ガタ、と椅子に足が当たるのも構わずそのままドアへと向かった、はずだった。がくりと腕が引っ張られる感覚、何故か一向に前に進まない足。何事かと振り返れば、ぐっ、と手首を日下部の手に握りしめられていた。力が強い。痛みを自覚して顔が歪む。それを察したのか少しだけ手首への力が緩んだ。それでも、振りほどけない程度の力で握られ続けている。
「離してくれないか」
「逃げねぇなら離す。とにかくまず座れ」
 日下部の指が机を数度叩いた。かつ、かつ、と爪が当たる音がする。彼はよく、俺に対してこんな動作をする。反転を過剰に回して戦った時や、怪我を隠した時、彼は特に表情を変えずに、ただ数度机を叩く。そして、座れよ、と必ず言う。怒りが込められている時も、呆れたような声の時もあった。だが、こんなにも静かで、意図の読み取れない声は初めてだった。逃げたい、という気持ちがぶり返す。俺の足に力が入ったのが分かったのか、また手首に加わる力が増した。力の差は歴然。再度彼が気を抜く、もしくは手を離してくれる、というのは考えるだけ無駄だろう。仮にここでどうにか逃げたとして、この先ずっとこの男から逃げ続けられる訳もない。同じ場所で働いている上に、任務によっては同行する事もあるのだ。ならば、どう足掻こうが俺に与えられた選択肢は一つしかない。彼の言う通りにするという選択しか。
「………分かった」
 手首を掴まれながら、渋々椅子に座り直す。先程の言葉は嘘ではなかったらしく、すぐに彼の手が外された。上手く逃げられなかった気まずさを誤魔化すように、強ばっている右手を開いては閉じる動作を繰り返す。ピリピリとした痺れは直ぐに四散したが、手を気にする素振りをし続けた。今は日下部の方を向くまでの時間を少しでも引き延ばしたかった。彼の視線が明らかに俺に向けられているのも、気付かない振りをしている。
「ほんとにそれ、自分用?」
 不謹慎にも程があるが、自白を強要されている気分とはこういうものなのかと感じた。さっき俺の顔を見ただろうに。察していてそれを聞くのは幾らなんでもルール違反ではないのか。とん、とん、と未だ一定の間隔で机を叩かれているのも、こちらには最早圧力にしか感じられない。
「………それを聞いて、一体何になる」
「は?」
「これが俺用かどうか、君に何か関係があるのか、と聞いているんだ」
「あんのかって聞かれたら、まぁ、ねぇわな」
 あっけらかんと返されて、眉間に皺が寄る。なら何故俺を逃がしてくれなかったのか。暴くだけ暴いておいて、なんてそんな理不尽な苛立ちが抑えられない。
「なら、」
「ねぇけど、理由が俺だったらな、くらいは思ってる」
「君、それは」
 真横から聞こえた言葉が信じられず、地面を見続けていた顔を上げる。視線が彼とかち合った。
「それ、残ってんの全部くれんだったらちゃんと教えるけど。どうする?」
 言うと同時に、あ、と開かれた口は食べさせろという事なのだろうか。混乱しきった頭の中、恐る恐るチョコレートを一粒摘まんで彼の口元に近付けていく。下唇にくっつけるように押し付けると、ささくれたような唇の感触が指を通して伝わってきた。もご、と彼の口が動く。そういえば距離が、近い、気がする。
「あ゙ー、あっま」
「……なら、食べなければいいだろう」
「嫌だとは言ってねぇでしょーが。ん、もう一個」
 再び口を開いた彼に、チョコレートを入れる。箱にはもう、一つしか残っていない。
「甘いものは好きじゃないのだろう。無理に食べるな」
「さっきの聞いてたのか」
「あの距離で聞こえない方がおかしい」
「そりゃそうか。……だから自分で食ってたの?」
「…………」
「なぁ、ん、ぐ」
 喋り続ける彼の口の中に強引に最後の一つを押し込む。
「全部渡したぞ。君が教える番だ」
 そう言えば、無言のまま彼の顔が徐に近づく。少しがさついた日下部の唇が俺の唇に触れて、互いの境界線を同じ甘さが溶かしていった。




コメント

  • ユージ
    3月2日
  • 車田
    2月17日
  • とかち(でな)
    2月16日
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