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この作品「夜はさんざん」は「よだつか」「夜明」等のタグがつけられた作品です。
夜はさんざん/ととたの小説

夜はさんざん

13,754文字27分

大朗報:よだつかがお付き合いをする
悲報:始まる前からセックスレス全年齢
悲報2:ヨダジュンの性格が良くない
各方面すべてに都合が良い
原作軸未来時空、よだつかがお付き合いするけどあけうらぴが抱いてもらえなくてかわいそうだったけど仲直りする話です

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「貴方が好きです」
明浦路司から夜鷹純への愛の告白はあっさりとしたものだった。

光といのり、二人の星が散らした火花の色が決まった日から二カ月ほどした夜の事だった。
彼女たちは「これから」も戦っていくと決めたようである。
あとから分かったことだがこの告白は何かの記念日とか、前もって決めていたというわけではないらしい。
彼は「もう隠しきれないと思って」と観念したように笑った、それがすべてだったというわけだ。
彼の気持ちなんか僕はとっくに気づいていたし、慎一郎くんだって知っていた。
着氷のことを考えずただ跳んで、回転数が足りていたかだけを気にする子供みたいな告白だった。
「いいよ」
「ありがとうございます!」
ゴチャゴチャと言い訳をしないまっすぐなその告白は悪くなかった。なので僕は応じた。
水でも受け取るように礼を言われる。
「……ん?ぃぃょ……?ぃぃょってなに?」
彼は何か僕に言葉を足してほしそうだったが、新調したばかりのブレードの具合を確かめたかったのでリンクを一周するのを優先させる。
一周して戻ってきたら、彼はなんだかすっきりとした顔をしてなかったことにしていそうだったので、
「僕が飽きるまでなら」
しかたなく言ってやる。盛大に彼は転倒した。
「ワーッ!」
「明浦路先生!」
仕事の電話を受けていたらしい慎一郎くんがそれを見てリンクサイドから大声を出す。二人の大声が夜のリンクに響き渡った。
この瞬間に僕と彼はお付き合いを始めていた、という事でいいんだろうな。



彼はともかく僕はいい歳だし、回りくどいのは好きじゃない。
だからこれはその日のつづきの話だ。慎一郎くんがとってくれた貸切は3:00からの枠だった、深夜は好き。枠が取りやすいし道も空いている。
退館手続きを済ませた慎一郎くんが僕と彼に送って行こうかと声をかけてくれたが、煙草が吸いたかったので断った。
彼は慎一郎くんにすみません、ありがとうございますと礼を言う。このやりとりは今までに何度もある事だった。遠慮が薄くなったのは悪い事じゃない。
けど僕は彼の腿の裏あたりを軽く蹴った。
「痛っ」
「君は僕が送る」
「えっ」
なんでとでも言いたそうな顔をしているからもう一度、今度は腿の横を蹴る。
慎一郎くんはともかく、まるでわかっていない彼に僕はやれやれとため息をついた。
「……君が僕を送るのでもいいけど」
「アッ!その、えっと」
「彼は僕が好きだって」
「ああ」
納得の顔をする慎一郎くんに彼はぎょっとのけ反った。わかられているとわかったみたい。
「行くよ」

タクシーに乗り込み、彼が居候しているという家の住所を聞きだす。たいして遠くないが歩くには面倒な距離だった。
僕の家を先に行った方がいいと運転手が言うのでそれに従う。
タクシーの中は無言だった、彼は極度に緊張して混乱しているみたい。僕は隣り合う彼の肩に少し体重をかけてやった。ビクンと大げさに跳ねるからおさえつけるように体重をさらにかける。
想定外のことに弱いらしかった。アイスダンスはシングルと違ってリカバリーできないのだから苦労しただろうな。立ち上がる力はあるのだから、やっぱり君はシングルをやった方が良かったよ。
厚手のコート越しでは彼の体の温かさはわからない。
「……っ」
彼が僕の手を握った。僕は笑っていた、笑っていた、というのは彼に向けた顔がタクシーの窓ガラスに映り込んでいたのが見えたからだ。
こんな風に笑うんだな僕は、できたばかりの恋人が手を握って来たという時に向ける顔にふさわしい顔かどうかは知らない。そんなものは僕の人生に必要がなかったからね。
でもそれは間違いなく僕の気分を良くした。

僕の家に着く寸前、軽く僕は握られたままの手を僕は引いた。それは「いくよ」という意味を込めたつもりだった。
別に用は無いけど――君は僕と居たいんじゃないの。
だが彼は慌てたようにパッと離した。身体も離す。違うんだけど。
氷の上では視線一つ、指先一つで相手をすべて分かり合うのがアイスダンスで、彼はその選手だったっていうのに。物分かりが悪い。

何か彼の心臓を握ってやりたくて、まだタクシーが停車していないうちから僕は自由になった手で一万円を出して彼に渡す。
「余ったらお菓子でも買いなよ」
「貰えませんよ!」
言うだろうと想像していた。
「なら、余った分はつぎ持ってきて」
「ハイ!」
「それから」
タクシーが停車してドアが開いた、僕は体を夜明けの空気にあけわたしながら彼に告げる。
「気が向いたら抱くから、毎回準備しておいて」
完璧なタイミングでスライド式のドアが閉まっていく。その短な間に彼の表情は呆気にとられた無から、みるみる真っ赤になる。
タクシーは西の方に去って行った、何故西かわかったかといえばまだそっちは夜だったからだ。夜明けに追いかけられながら彼は帰っていく。

「気が向いたらね」
帰ってシャワーを浴びて寝た。睡眠導入剤も不要なぐらい熟睡できた。



「うう……」

夜鷹と司の性別はどちらも男性である。
人間の肉体は男同士番うようにはできていない。
凸凹の話で言えばどちらも凸凸なので、セックスをするとなると尻の穴を使うことになる。つまり、凹だ。
女性器と違って尻穴は自然に濡れたりしないし、出すことが目的の器官だから閉まっている。
「気が向いたら抱くから、毎回準備しておいて」
あっさりと夜鷹は司に言ったが、それは肉体の理屈をひっくり返してこいと命じたようなものだ。
幸いインターネットで探せばいくらでもやり方は出てくる。だがおふざけみたいな口調の体験談ですら『事前準備なしの肛門性交はガチマジ危険』と書かれている。
先人たちの涙とローションでつづられた失敗談を読み、司は青ざめながらそれを実行した。
括約筋というのは胸筋や腹筋のように鍛えようもない部分なので濡らしさえすればなんとかなると踏んだのだがこれが大きな間違い。
精神的な拒否が肉体に及ぼす影響の大きさ。司もまた脂汗で『勢いだけじゃ無理』と記す。
一カ月とすこし、かかった。なんとか出し入れできるというぐらい、とてもこれで楽しめるとは思えない。
誰かと比べることは難しいが、自分のからだとの向き合い方が上手な司が効率の良いほぐし方を身に着けるまでかかった時間は短いと言っていいだろう。
だが、とにかく、とっても、とてつもなく大変だった。
恋人なので、恋人じゃなくても夜鷹と司は顔を合わせるのだ。
この夜中の貸切の真ん中に居たのは慎一郎だ、慎一郎が夜鷹のために手配し、司を呼ぶというかたち。頻度としては週に一度もしくは二週に一度。
以前と比べれば頻度は上がった。これは実ははじまったばかりの親友の恋への、慎一郎なりの応援だったりする。

氷の上でそれを言うのはどうしても恥ずかしかったので、リンクサイドで司はすれ違いざまに夜鷹に小さな声で言った。
「すみません、まだ体の準備ができてなくて」
夜鷹から「毎回支度しておいて」と言われてしまったのに、達成できていない。
「……そう」
よっぽど気持ちはできています!と言おうかと思ったがさすがに言えなかった。そう言われても夜鷹が困るだろうという司なりの配慮だ。
付き合うという形をとったからには、週に1度は会っている。
つまり司が尻穴の拡張にいそしんだ1カ月の間に4回程、このやりとりがあった。
尻がほぐれてくると同時に緊張もほぐれ、思考もひろがっていく。

さて、準備ができた、司はこれをいつ言おうかものすごく悩んだ。
いつ、どうやって伝えるか。そもそも伝えるべきか?だ。
メッセージアプリで準備できますと送るのが一番楽だろうが、口頭で言われたことなので口頭で言うべきだろう。

「……準備できました」
じつのところ見切り発車もいいところだった。仮に夜鷹の性器がものすごくご立派だった場合「やっぱり無理です」は言いづらい。
だがあまりにもこの「身体がまだです」を言い続ける方が恥ずかしい、もったいぶっているとか思われたくない。
どうしよう、どうなっちゃうんだろう、どうにかなれ、俺!(の尻)
「……そう」
「ッハイ!」
夜鷹は軽く頷いた。そう。司はもう一度ハイと頷く。
「居候してるって言ってたよね」
「え?はい」
「君は今日うちに泊まる、連絡しておいて」
「……お゛ッ……おとまり……!」
準備ができたって言った当日にお泊り、つまりそれって、そういうことだ!?

そして、司は抱かれなかった。
「……あれ?」
司は夜鷹に抱かれなかったのである。そして、今も抱かれていない。

「…………あれ?」
始まる前からセックスレスになってしまった。


僕は彼を抱かなかったし、今も抱いていない。
「そのうち気が向いたら抱くから毎回支度しておいて」
嘘をついたつもりはなかった。
少し勢いで言ってしまったというのはある、でも抱く気はあった。

「すみません、まだ体の準備ができてなくて」
彼が律儀に報告してくるから、その都度ああそうだ抱くんだったなと思い出す。
「……準備できました」
そうこうしていたら来るべき日が来た。できたんだ、それならとりあえず部屋に呼ぶことにした。
繰り返しになるけど抱く気はあった。

それにしても、部屋に呼んだ時の彼の緊張の仕方といったらすごかった。
タクシーから僕に手を引かれたまま、おとなしくついて来ていると思えば、エレベーターの中で突然「俺の心臓の音聞こえてないですか」などと言い出す。
そんなことを言われたから握っていた手首の袖口から指を入れて、脈を確かめてやろうとすると、「ヒャイ」と哀れな声を上げた。
自分の声とおそらく激しい脈動が僕に知られたことで、彼はいよいよ真っ赤になる。
この時はまだ、抱くつもりがあった。
玄関先で「本日はお日柄もよく」などと言い出したあたりで、僕は少し面倒くさくなってきていた。
自分の部屋に人を呼ぶことだって滅多にないので、服を脱ぎ散らかしていることを思い出したのだ。シャワーで使ったタオルもその辺になげている。
物は少ない部屋だが散らかっていると言っていいだろう。
慎一郎くんにも見られたくないけど、この子にはもっと見られたくない。
「靴だ……」
玄関なんだから靴ぐらいあるに決まってる。僕のすべてを好きすぎて、僕のすべてにおどろくなこの子。
どうやって彼に見られる前に部屋を片づけるかを考えているのに、うるさいな。

とにかく彼を浴室に引きずり込んだ。
「ひえっ」
のけ反りかたから見るに僕と入る想像でもしたらしい。しないよ。僕は片付けがある。いつかしてあげたら喜ぶのかな。
「シャワーを浴びてきて」
「はひ」
「タオルはあるものを好きに使っていい」
「は、い」
コクコク頷く彼はとんでもない――とんでもなくかわいい顔をしていた。
眉をへなへなにして、口元がゆるくて、目がうるっとしていた。三十に手がかかる年の男がしていい顔じゃない。
恋人の部屋に呼ばれて、シャワーを浴びろと言われる――僕だってそれは、そう言う事だと思う。
だけど僕はそのとんでもなくかわいい顔を目の当たりにして、それをいつものように天秤にのせた。
シャワーの間あくせく部屋を片付けて、買ってあるローションとゴムをどんな顔で出して、寝室の明かりはつけたほうがいい?
それとも少しは語り合ったほうがいいのかな?キスは?などなど。
そこでひどく、面倒になってしまった。

「あがりました」
シャワーの温度だけではなく上気した頬、着て来た服をそのまま身に着けている。
何か着替えを貸してやるべきだったなと思った瞬間、天秤は面倒がわにはっきりと傾いた。
「寝室はあっち、先に寝てて」
「は、はい」
彼の期待と不安に満ちた目はとても良かった。
そして面倒だった。尊敬も含めれば僕に人生の半分以上を捧げて来た彼に応えると思ったら。

いつもより長くシャワーに時間をかけたと思う。髪の毛もそれなりに乾かした。
寝室に入れば、彼はベッドの隅に大きな体をちょんと浅く腰かけて身を固くしている。
寝ていろと言われて寝ていられる人間じゃないことぐらいはわかっていたし、なにしろ今日は初夜といっていい夜だった。
軽い舌打ちが出た。静かな部屋にその舌打ちはよく響く。
彼はびくりと肩を震わせて僕を見上げた、怯えが混ざっているものの期待と喜びの方がその目には色濃い。
寄せられた期待の分だけ僕は与えられるのかな。やっぱり面倒だ。

「寝てろって言ったよ」
「す」
すみませんを言わせたくなかった。
「疲れた、今日はもう寝よう」
「…………はい」
疲れた、を強調すると彼は理解したらしい。今日は「しない」のだと。頷いて、彼はベッドから立ち上がった。
なぜ?
彼はどうやらしないのなら寝室に居るのもベッドに居るのもおかしいと考えたらしかった。
ソファでも借りようと思っている?まさか帰るなんて言い出すんじゃないだろうな。
「おいで」
「……」
「早く」
寝室は眠る部屋でベッドは寝具だと教えてあげなきゃいけなかった。二人分の体重を受けて、ベッドは喘ぎもしなかった。

彼は一睡もできないようだった、何度も忍び足みたいな寝返りを繰り返す。どこを向いていいのかもわからない、ベッドの中ですら迷子みたいな子。
僕は天井を仰向けに目を閉じていた、視界を遮断することで脳の疲労は大きく抑えられる。
となりの彼の身じろぎ一つ、息遣いひとつ、全部が目を閉じていてもわかった。
つまり、僕も眠れていなかった。

明け方、彼は体をむくりと起こす。トイレなら場所を教えないといけない。だけど彼はしばらく動かない。
もしかして我慢できなくて僕を強姦するつもり?彼は僕よりずいぶん若いのだ。僕は若い性欲を知らない、自分の事ですら覚えがない。
だが彼がしたことと言えば、雲を踏むみたいにかすかに僕の上に覆いかぶさると、僕のひだり胸にそっと耳を当てた。
僕の心臓の音を彼は聞いているのだ、ことん!と一つ心臓の音が跳ねた気がする。心臓ばかりは僕の自由にならない。



僕は彼を抱かなかったし、今も抱いていない。

彼は部屋に呼ばれるたび、少しの不安と大きな期待に満ちた顔をしている。
もの言いたげな顔を赤らめては隠そうとしてうつむく彼の横顔を僕は見逃さない。
抱かない理由はただ面倒だっただけ。他に理由はない。強いて言えば抱く理由もなかった。
彼はひどくがっかりしたようだった。僕に抱いてもらえないのががっかりで、悲しいのだ。
それでも彼は僕の隣で眠る。ベッドはそれなりに広いけどお互いに手足を伸ばせば簡単に触れられる位置に居ながら、彼は丸まって眠った。
僕が知る彼は大の字にぐうぐう寝そうなイメージがあったけど違った。どこまでも僕の妨げにならないようにできている。
そして、明け方に目覚められた時は僕の心臓の音をただ聞く。
しばらくして、あの期待と不安によろよろ満ちていた顔はいつのまにか笑顔で包まれるようになった。
でも僕が何か言葉をかけたり軽く触れるだけで包み隠していた冷静の顔は剥がれて、あっという間にまたあの期待をのぞかせた。
ちゃんとそこにある。彼は僕が好きなままだ。
僕は何度も彼に自ら包み紙を破かせるよう仕向け、欲望の中身を見て、そのまま手付かずでほったらかした。
泣いたら慰めてあげなきゃいけないから、面倒だな――などと僕はその時思っていたぐらい。
自覚があるが僕は自分と自分のものに対してはどこか冷たい。
彼が見せてくれる欲望はそのまま、僕への期待のあらわれ。
彼は何回かこの肩透かしを経験するとまたしても落ち着いたようだった――僕に性欲が無いと判断したのかもしれない、僕は「気が向いたら抱く」と言ったよ。
僕は嘘はつかない。なのに君は僕を疑ったね。
罰のように、見せつけるように、僕はわざと処理に使ったティッシュをゴミ箱に残した。
部屋のゴミを集めて捨てる役目をせめて何か、と請け負った彼がそれを見つけて固まっている。棒立ちの後ろ姿。よれたTシャツは彼のくしゃくしゃの包み紙みたい。
知らなかったけど僕は性格が悪かった、彼の哀れが愉快だった。
それで?次は、対人相手には勃たないとでも思って自分に言い聞かせるのかな。
我慢ができなくなって、僕にしがみつけばいい。欲しいなら欲しいと言いなよ。
少し、勝手だったかもしれない。


僕は彼を抱かなかったし、今も抱いていない。

「そのうち気が向いたら抱くから毎回支度しておいて」
嘘をついたつもりはなかった。
少し勢いで言ってしまったというのは自覚してるけど、抱く気はある。
ただ面倒で抱かなかっただけ。



「うーん……」
司は悩んでいた。
これを男女のありふれた揉め事にするとするとなんだろう。
いつも勝負下着で居ろと言われてたのに毎回勝負下着が無駄になったようなことだろうか。
司はちょっと違うなと思う、下着はつけないという選択肢はないだろうけど、尻の準備をするのはわざわざやっていることだし。
食べもしないのに毎食作らされて、手付かずの食事を捨てているお母さんの気持ち?うーん。
比べようとしている時点で思考は不健康にぐんぐん歩み出している。
一度もしない状態でもセックスレスって言うのかな。始まる前から終わってしまった。うーん。
ある時、ローションのボトルを手にした瞬間「支度するの面倒だな」と司は思った、思ってしまった。
どうせ使わないのになあ。魔が差した。何か決定的な事があったわけでもない、いつもより疲れていた、それで、それだけ。
面倒だな。面倒、うん、面倒だ。
その日はちゃんと支度して、夜鷹の部屋に行った。だがそれからしばらく司は夜鷹の部屋に行かなかった。
「毎回支度しておいて」
なによりも優先されるべきはスケートだ、だから司は貸切を断る事もしないし、夜鷹を愛しているのも変わりない、毎回と言われたからには尻の準備もする、ただ部屋に行かなくなっただけだ。これは優先順位の話である。
だけど眠る夜鷹の心臓の音は聞きたかった。それはだいぶ惜しかった。



彼が部屋に来なくなった。
「すみません、明日早くて」
「今日は走りたい気分です、最近なまっていて」
「腰が痛いので車移動避けてるんです」
「おつかれさまでした!」
タクシーから手を引いても彼が降りてこなくなって、気づけばタクシーにすら乗らない。
僕が言えば言われるままタクシーに乗って、降りて僕の部屋に来ていた彼だったのに。
最初は申し訳なさそうに断っていたのが、今日なんか「おつかれさまでした!」で済ませられた。
僕は腹を立てていた。認める。
彼が部屋に来ると僕はまあまあ退屈が紛れる、彼は僕を楽しませようとするし、僕の事をなんでも聞きたがって、僕が何をしても嬉しそうにしてくれる。
何もないはずの僕の部屋が、急に賑やかに感じられた。
ああこの子は確かに僕が好きなんだと信じられる。これで嘘なら彼は詐欺師でも始めた方がいい。
『ヴェ!この水なんですか、変な味がします。』
『冷凍庫しかない!なんで!?』
『このバケツなんですか?え?料理に使う?料理?』
『高層階なのに水圧が強い!すごい!』
最後のはさすがにどういうこと?と聞き返してしまった。高層階は水圧が弱い事があるなんて考えたことも無かった。
安い漫画喫茶なんかひどいものですよ、彼は苦笑する。

とにかく、自分が断るのはいいけど彼に断られるとなんだか腹が立つということ。
別に僕は世界が僕のために回っているとは思っていない。
慎一郎くんとだって都合が合わないことだってある。通院したい時や髪を整えたい時にちょうどいい予約がとれなかったこともある。
自分の都合が通らないことは好きじゃない、だから「なんだ」と思いはする、でも、彼に断られると腹が立つ。
彼が部屋に来ない。
金メダル。たぶんクローゼットのどこかに金メダルがしまってあるはずだから、そのうち見せてあげてもいいと思っていたくらいには。
きっと彼は喜ぶだろうな。泣くかも。でも探すのが面倒だから――面倒。

彼が来ない部屋はうるさくする人間が居ないので静かで何もない。さっさとシャワーを浴びてベッドに入った。
放り投げていたスマートフォンのメッセージアプリが、リンク前で別れたばかりの彼から『おやすみなさい』というメッセージを受信している。
目を刺すブルーライトが忌々しくない。おはよう、おやすみ、そんなことを彼は喜ぶ。
おやすみと返事するとすぐに既読がついて、にっこりと笑う犬のスタンプが送られてきた。
この犬くらい――この犬よりかわいい男の顔を思い出す。
部屋は静かだ。居心地は悪くない、眠るのに適している。


「そのうち気が向いたら抱くから毎回支度しておいて」
――ああそうだ。
暴いてやろうと僕は決めた。


「今日は家に来て――いいね」
僕が強く言って、手首を掴んで、目をじっと合わせる。
「は、はい」
ほらね、彼は断らない。僕を拒めない。慎一郎くんの前でわざわざ言ったのもあるけど。
「……」
タクシーの移動中も、運賃を支払う間も僕は彼の手首を掴んでいた、彼はまたキスクラで採点を待つ時みたいになっている。
早く着かないかな。ドアを早く開けて欲しい。まさかはいと言っておきながら駄々をこねたりはしないだろう。
「あのお釣り!」
「受け取って」
彼が運転手に「片手ですみません」とわびながらぎこちない体勢でお釣りを受け取る声。
背後のやりとりを聞きながら僕はもう、これからの事しか考えていない。


「――お酒?」
「貰ったけど僕は飲めないから、君が飲んで」
僕が持ち出したのはお酒の瓶だった。名前も知らないし何で出来ているかも知らない、ただ書かれている数字から度数の強いものであることはわかる。
「飲まないなら捨てるけど」
「もったいな!さすがに全部は無理ですけど、じゃあ、少し」
「うん、どうやって飲むの」
「えっと、これウイスキーでいいんですよね、ウイスキーならお水や炭酸水で割ったりすることが多いみたいですけどきっといいものだからそのまま飲むのがいいのかな……俺もあんまり詳しくなくて」
「ふうん」
この家は窓以外にガラスは極力置いていない。理由は僕が叩き割ってしまうし、割れたら後が大変だからだ。
だけどこのお酒は――誰が寄越したのか思い出せない、僕がお酒を飲めない事を知らない人間だろう――捨てるのも面倒で置いてあった。
「嗅いでみます?」
「うん、お酒の匂いだね」
「俺もそれぐらいしかわかりません……」
「たくさん飲みなよ」
きれいなボトルには褐色の液体が入っている。
カフェインレスのお茶を飲むのに使っているオレンジ色をしたマグカップにドボドボと注いですすめた。
このマグカップは服だか鞄だかを買った時についてきたノベルティだ、オレンジ色はわざわざ選ばないが、厚手の頑丈なつくりで結構長い間使っている。
「絶対そんなふうに飲んでいいお酒じゃないはずですよこれ!」
「いいから」
いいから。
僕がすすめるのを彼は断れず、パカパカと飲んだ。水も忘れずに飲んではいるけど焼け石に水だ。
あっという間に彼は酩酊する。
「うぃっく」
彼がひとつシャックリをした。自分のシャックリに腹を抱えて笑い出す。
「あはっ、あは、うひ」
「何がおかしいの」
「ヒックって、ほんとに酔っぱらうとシャックリするんだなって思ったらおかしくて、漫画みたい」
「ふうん、」
「漫画って読みます?」
「読まない」
「俺は結構、ヒクッ、ありますよ、流行の漫画ってアニメになるから、その曲を生徒さんが使いたがるので……」

お酒で酔わないようなら普段使っている睡眠導入剤を駄目押しに砕いて水に混ぜてみようかと思っていたが出番は無かった。



意識のない人間は重いが、ベッドに転がった人間の服を下だけ脱がせて脚を開かせるくらいはわけはない。
「……さて」
夜鷹は自分の手のひらにローションをぶちまけて温めた、ものの、もともと司と比べて体温が低い。
びっくりして飛び起きるかもしれない、そうなったらそうなったで夜鷹は別に構わない。
固く閉じていたら𠮟りつけて、ただしくほどけていたら褒めてあげればいい。
わきおこった好奇心のままに夜鷹は司を暴いた。答えはすぐに得られ、そしてそれは夜鷹を満足させるものだった。
暴き立てたあと、いくらか手や唇でなだめてやれば司は眠ったままあっけなく果てた。
夜鷹はじぶんひとりきれいに手を洗って、司の下半身は汚れたまま下着とスウェットを戻しただけ。
雑な隠蔽だ。面倒だったからではない、目覚めた司がどんな顔をするのかが見たかった。
アルコールによる入眠は急速だが浅い、夜明けよりずいぶん早く司は覚醒した。
下半身の違和感にもすぐに気づいたらしい。
「……なんで」
まさに呆然という声だった、予想通りの反応に夜鷹は笑いと欠伸を小さな顎でかみ殺す。
夜鷹が使ったローションは司が普段使っているような安物とは違い無香料で低刺激なこともあるだろうが、この時とにかく司は冷静さを欠いていた。
司にとっては散々な夜だったろうが、夜鷹にとってはたまらなく愉快だった。
まったく夜鷹を楽しませてくれる男である。



時を置かずして夜鷹はまた、部屋に司を引き込んだ。
夜鷹はそろそろ抱いてあげるつもりになっていた。気が向いていた、いや、向きかけていた。
だが眠る前の他愛のないおしゃべりもそこそこに、司は夜鷹へ背中を向ける。
「おやすみなさい」
おや、すぐに夜鷹は違和感を覚える。
同じベッドで眠るのに、司と夜鷹の間には分け隔てる見えない線が引かれていた。
遠い、夜鷹は指を伸ばしかける。
「すみません、触らないでください」
背中を向けたまま司が言った、すみませんと一応詫びを入れつつも明確な拒絶である。
「気づいてましたよね」
何をとは言われなくてもわかる。この間の事だ。
気付いていることに気付かれていると思いもしなかった、これではまるで司の恋情だ。
「あれ、貴方がなにかしたんですよね」
「うん」
バレていた。しらばっくれるのも面倒なので夜鷹はあっさりと罪を認める。
夜鷹は嘘をつかない。
「……俺が焦ってるの面白かったですか」
「別に」
夜鷹は嘘をついた。
嘘だった、夢精したと思い込んで軽いパニックになっている司は面白かった。
「……その気もないのに触られるとまたああなりそうです、みじめなので、触らないでください」
「その気はあるよ」
「そうですか」
そうですか。怒りとか苛立ちはもうそこにない。かわいたあきらめがそこにある。
「嘘じゃない」
「……」
「ただ面倒だったんだ」
「貴方は正直な人ですね」
「……」
「褒めていません」
いつかのやり返しみたいだなと、司は夜鷹の見えないところで笑顔のかたちを作って言った。
「貴方は俺のために嘘もついてくれない人だって言ってるんですよ」
「……」
「おやすみなさい」


夜鷹は知らなかった。
司はあきらめの上手な人間だと言えば、そんなことはないと夜鷹は否定するだろう。
かつて氷の上に生きたいと熱望し、教え子の未来に夢や希望で満ちている司の顔しか知らなかった。
司は自分自身の事となると、そうなのだ。
これには彼の生い立ちも関係している、四兄弟の次男である彼は、幼い頃から『誕生日にはどこそこへ連れてってあげる』や、『今回はお兄ちゃんの希望だけど、次は司の番だからね』と言う果たされない言葉に傷ついた。
明浦路家の両親が特別に悪人とかそういう話ではない、こんなことは日本で世界でありふれている。
幼い頃からの積み重ねで、彼は「そういうものだ」を身に着けていたのだ。

夜鷹は浮かれてもいた。
一生の半分を費やして貴方だけを見ていたと叫ぶ若者が自分に溺れている姿に、知らない情緒が掻き立てられた。
頭を撫でると司はとても喜ぶ、キスをされると息を止める、唇だけくっつけて腰を離そうとするのがいじらしかった。

夜鷹は認めた。司を愛している、手離すつもりはない。
だがただでさえ少ない夜鷹の言葉はきみに溺れていないと自分の足元を固めることばかりに費やされていた。

『好きにしたらいい』
『僕には関係ない』
『僕が飽きるまでなら』



この期に及んで、いや、ここまで来てようやくと言うべきか。
純が差し出せるものはやはりスケートだけだった。そして、司にとってそのスケートがどんな意味を持つのかもわかっている。
「ねえ」
「……」
純は呼びかけた。純の呼びかけに司が返事をしないのはおそらく初めてだ。
「……君が見たい僕の過去のプロ、なんでも滑ってあげる」
背中に向けて言葉をかけると、司は肩を震わせた。くすりと笑ったらしかった。
障子みたいな、薄く透けたへだたりはまだそこにある。
「貴方はそれを出せば、俺が許すってわかってる」
「君にゆるされようなんて思わない」
言い当てられて思わず言い返した、ふりかかるものとさしのべられるもの、判別するよりもすべて跳ね除けるようなやり方しか純は知らなかった。
夜鷹純は決してごめんねが言えない人間ではない、優しくない人間でもない、足を踏んだりぶつかったときにごめん、と言える人間だ。
「そうですね」
そうですね。肯定があった。司は純と違って会話がとても上手だ、受け止めて、膨らませて、弾ませる。
その司がただ受け止めて、そのまま投げ出している。
「……喜んで欲しかった」
「そうですか」
そうですか。肯定も否定もない、ただ受け取られない。という事が夜鷹にもわかってきた気がした。
わかったからといって退けない。
「嬉しくないの」
「嬉しいです」
司の回答は短い。
「だって俺は貴方のスケート好きですから……」
嘘のない言葉だったが、さみしい響きが隠し切れていなかった。たださみしいとだけいうには複雑で、純にはわからなかった。
司の顔が見たかった、その表情と視線にこたえがいつだって書いてあるので。こっちを向いてほしかった。
「全部あげるよ」
純はもう一度差し出した。ごめんねの代わりに純が差し出せるもの全部だった。
もっと若かったらキスして抱いてなにもかも有耶無耶にできたのかな、若くないし何もないから。
持っているものといえば何もかもを費やしたこのスケートとたった1人の親友と重い金とくたびれかけたこの身体くらい。
それから最近手に入った君。
「あの、どうしたんですか急に、何かあったんですか」
司の声にとまどいが滲んだ、真っ先に純を案じてしまうところに司の素朴な人となりが見えてしまう。
「あげたくなっただけ」
沈黙は長かった。
「……はー、あーあ、俺はこうやってずっと、貴方に振り回されるんだろうな……」
「ゆるしたくなった?」
「俺なんかの許しはいらないんじゃなかったんですか」
司がもぞもぞと身じろぎをして純の方を向いた、ようやく視線が合う。あかりのないこの部屋に情報は少ない、集中すればわかるし見える。
司は笑っていた、苦笑だ、やはりあきらめとさみしさがあった、でも優しい顔をしていた。
「……」
「そうですね、Lzが見たいかな……2回転の」
「2回転?」
「いのりさんは今Lzに苦戦してるんです、長期間ルッツに悩みすぎて苦手意識が芽生えてしまっていて。いのりさんは憧れが原動力になるので、2回転のきれいなルッツをたくさん見せてあげたくて」
「……」
「狼嵜選手の4Lz見てからどうも、上ばかり見てしまっていて。ものにする前に、まず好きになってもらいたい」
「僕は君に見せてあげるって言ってるんだよ」
君のため。純からすれば、差し出したプレゼントを別の人に横流しにするような行為だ。ずいぶんないがしろにするんだねと憤慨した。
他の人間の話を持ち出すのはマナー違反なんじゃないの。
「……うーん、それならこういうのはどうですか、俺のために何か新しいプログラムを作ってください、2Lzを入れて」
「いいよ」
純は二言なくはっきりと頷いた。もったいもつけなかった。
「えっ」
「なに」
「いいんだ」
言い出した司の方があっけにとられている。選手でもプロでもない純に、過去でなく今をくれと言ったのに等しい事だったのに。
「君が言ったことだ」
「…………」
司がうつむいた。純は司のふたつあるつむじをじっと見つめる。この子はつむじがふたつある。
「どうしたの」
「…………嬉しくて。幸せです」
枯れ木を絞るようにちぎれかけた声だった。奥底にじわっと滲むのは喜びと涙。司の砂漠へ海が戻ってくるのを純は待った、
「あは、」
司が顔を上げて笑った。惜しげもなく涙がにじんでいる。
純は思い出した、そういえばこの子は笑うととてもかわいいんだった。
「曲は?」
「貴方が選んでください」
「いいよ。ああ、どうせなら君も踊れるものにしたい」
「わあ!それなら……!」
ああでもないこうでもない、構成の話ばっかりして夜は更けていく。


明け方までそんなことをしていたので二人とも眠かった、だがこの話を打ち切って眠るのも惜しかった。
「……ねえ」
「はい」
「それから、来週抱くよ」
蒸し返された司は黙りこくった、ごそ!遠慮のない寝返り。夜鷹はふたたび背中を向けられてしまう。
だが、あったかいふくらはぎがするりと伸びてきて夜鷹の冷えた爪先を挟んだ、脈がある。
「……」
「……言っときますけど、俺今まで毎っっ回ちゃんと準備してましたからね!」
「知ってるよ」
「……なんで?」
「あ」

今度こそ司はめちゃくちゃ激怒した。始まってもいないセックスレスはまだ終わらない。

コメント

  • お団子
    2025年9月7日
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