沖縄県名護市辺野古沖で船2隻が転覆し、同志社国際高(京都府)2年の武石知華(ともか)さん(17)ら2人が死亡した事故をきっかけに、昭和30(1955)年に旧国鉄の宇高連絡船同士が衝突し、修学旅行中の小中学生100人を含む計168人が死亡した「紫雲丸事故」がクローズアップされている。この事故で関係者は有罪判決を受け、国鉄総裁は引責辞任した。校外行事の安全管理が厳格化されるきっかけにもなった。
船長死亡、相手側は有罪判決
「昭和30年に紫雲丸事故という有名な事故があった。すごく大勢の修学旅行生が命を落とした」「修学(研修)旅行を行う場合には計画をきちんと立てなければならないということは、紫雲丸事故のときから分かっている」
武石さんの遺族が7月30日に記者会見した際、同席した代理人の唐沢英城弁護士が、こう指摘した。
30年5月11日早朝、濃霧の中、高松港を出て宇野港(岡山県玉野市)へ向かっていた紫雲丸と、高松に向かっていた貨車積載連絡船「第三宇高丸」が衝突し、紫雲丸が沈没した。
死者のうち100人は修学旅行中の小中学校4校の児童・生徒だった。愛媛の小学校と高知の中学校が大阪、京都方面へ向かう途中、島根と広島の小学校は四国からの帰りだった。紫雲丸の船長は船と運命を共にした。
国鉄は前年の青函連絡船洞爺丸事故に続く海難事故となり、長崎惣之助総裁が引責辞任した。海難審判は両船の過失を認定し、刑事裁判では、業務上過失致死傷などの罪で第三宇高丸の船長が禁固1年6月、執行猶予2年、乗組員2人は禁固2月、執行猶予1年の有罪判決が高松高裁で確定した。
安全計画策定の契機に
事故の責任が国鉄にあると明らかになったが、国会などでは学校への疑問の声も上がった。愛媛の小学校と高知の中学校では引率教員が全員助かり、そのうち愛媛の小学校は児童を助けたPTA会長が犠牲になったため、教員批判が高まった。小学生に船旅を含む過密な修学旅行をさせるな、といった指摘もあった。
文部省(現・文部科学省)は修学旅行での安全計画策定を学校に義務付け、現在の「学校保健安全法」につながっている。また、水難事故から命を守るために水泳教育推進の機運が高まり、学校プール整備も進んだ。
事故を契機に本州四国連絡橋計画の具体化が進み、昭和63年に岡山県と香川県とを結ぶ瀬戸大橋が全線開通した。
辺野古沖転覆事故は誰が責任を負い、どんな教訓を残すだろうか。(渡辺浩)