前回の奈良編④は、強烈にやめた方が良いと言われて、泣く泣く削除となりました…
私のようなド素人が気楽に足を踏み入れられる領域ではなかった…(~_~;)ウーン
せっかく、いいね&リブログ&コメントをして下さった方々には大変失礼なことをしてしまったと深く反省…(>_<")
この場を借りてお詫びさせて頂きます。
申し訳ありませんでした🙇
でも…
「キ」を追い続けると、キに対する凄まじい圧の力を感じざるを得ず…
その圧の背景を探ると、とてつもない禁断の領域に踏み込むことになる…ということを前回の投稿で知りました。
そもそも「キ」とは?
ここで、そもそも「キ」ってなんのことを言ってるの?と、思われる方もおられると思いますので
整理をしますと…(あくまでも私の勝手な解釈ですが…)
そもそもは、歴史道楽の祖父と日本の歴史について色々調べていた時に、人名地名、建造物名、遺跡名などに「キ」という文字が濡れ落ち葉のように蔓延(はびこ)ってついてくるのが本当に不思議で…(ケ、カも含む。ケ、カはキの隠語?)
そこで、色々調べたのが始まりで…
そして、分かったのが、「キ」とは、人類の命の母、大地の神、赤大蛇蛇神のことだった…(蛇は、古語では「カカ」と言い、それが「母」の語源となった!?)という私なりの結論に達したのです。
そして、大地の神「キ(ペトログリフ文字:ヒ)」は宇宙神アヌ(ペトログリフ文字:○)と結ばれ、天と地が1つとなった。
↓それが、この隼人族のマークに集約されているのかも!?
それはイサナキとイサナミに繋がり、日本の本来の皇族はそこから始まっている思っています。(あれ?もうアウトか?)
そして、日本にはもう1つ後からやって来た勢力というものがあって…(注:後からやって来た勢力も元々いた民族も同じ日本人。後からやって来た勢力も元々日本の先住民族で世界に散って行き戻って来た人たち。なので、日本民族のパターンは大きく分けて3パターン①元々ずっと日本にいる人たち②世界に出て行ったが早くに日本に戻って来た人たち(多神教)③世界に出て行ったが遅くに戻って来た人たち(一神教)→どれも同じ日本人。私は①②を日本の先住民族キ一族と捉えていて、③を今現在も日本を支配している侵略者側と捉えています。非常に大雑把ですが…)
その「後から侵略して来た勢力」は、古代の先住民族日本人…「キ一族」の存在をなかったものとして隠そうとし(古事記日本書紀を書き換えたり)、徹底的に弾圧。(自分たちの権威がなくなり正統性が脅かされるから!?)
そして、それは、なんと驚くべきことに今も尚、力を持っていて、日本国(にっぽんこく:VIVIANT風。昔はハヒフヘホがなかった。)を支配しているという…
なので、キ(蛇神)の痕跡を探すのは非常~に難しいのですが…
歴史学者の磯田道史先生によると、
「時の支配者たちが覆い隠そうとしても、真実は端から漏れ出るんですよ~」
ということらしいので、頑張って探してみることにしました
今回の奈良編⑤は、そんな漏れ出たもののお話です
また、長いですが、お付き合い頂けたら嬉しいです
天太玉命神社
今回の奈良旅で、私がどうしても行きたかった神社がありました。
それは…
「天太玉命神社」
天太玉命(あめのふとたまのみこと:「あめのふとだま」と濁点を付けて表記するのは、天太玉命の力を弱めるための侵略者側藤原の策略)は、祭祀・神事を司る神様で、天照大神が天岩戸から出てこられた時に、もう二度と岩屋に入らないようにと立入禁止のロープ(注連縄:しめ縄の始まり)を張った神様としても知られています。
そして、この天太玉命は、朝廷において祭祀・神事(神祇制度)の重要な役割を担った忌部氏の始祖神でもある…
忌部氏は、物部氏と並んで古代から続く日本の名門有力豪族でしたが、物部氏と同じく藤原氏との勢力争いに敗れ、神祇官(しんぎかん:神様担当官庁)での地位を中臣氏に奪われ、朝廷内で徐々に居場所を失い、表舞台から追いやられてしまった一族です。
私は、物部氏と並んで忌部氏にもとても興味津々で…
忌部氏の祖神がお祀りされているという奈良の「天太玉命神社」にも是非とも行ってみたいとずっと思っていたのです。
いざっ!行かん!ヾ(*´∇`)ノ
…と先を急ぐと、後ろでスカートの裾を踏む人が…Σ( ゚Д゚)
「え~ 橿原に来て橿原神宮に行かないの?
あり得ないよ!」
と、一緒に行った奈良在住の友人があまりに強く勧めるので、仕方なく先に「橿原神宮」にも寄ることにしました。
橿原神宮は、「天照(アマテル→アマテラスとは違う)派(日本古来からの皇族)」の天敵、神武天皇…つまり、侵略者側の「神武派」の総本山なので興味がありませんでした。(←しかし、これが後に大変な読み間違いだったと気づく時が…!アホな私…)
本当に、侵略者側の神社は立派で、これでもかという位壮大でした。
いつでも、大きな顔をして大手を振って歩けるのは、侵略者側…
従った物部や忌部も結局は中央から追い落とされ…
あまりにもひどい弾圧から逃れるために名前まで変えたのに…(物部は、石上、三上。忌部は斎(鉄の意味も)部、三木)
それでも苛められるので、僧侶になったり、遠い地方に逃げ延びたり…
忌部氏の神様をお祀りする神社…「天太玉命神社」だって、端っこの遠くのスミに追いやられている…
橿原神宮とは雲泥の差…!(>ω<。)
あまりにもへんぴな場所なので、たどり着くのがとても大変でした
そして、更に参道の傍らにある末社から、なにやら視線を感じて見てみると…
もうピタピタやん~
そして、私は気が付かなかったのですが、手水舎にも盃状穴があったらしい!
すごい!
見たかった~
しかも、水溜めの形が意味ありげに舟の形をしている…
古代日本に来ていた海洋民族を示しているとか!?
はたまた、補陀落渡海(聖徳太子と秦氏がタッグを組んで、弾圧されるキ天皇家を助けた制度。聖徳太子→送る側、秦氏→迎え入れる側)の舟を表しているとか!?
もう、天太玉命神社は花巻さんではないですが…
「わかるやつだけわかりゃいい」の宝庫!
秘密多すぎ~(^o^;)
ともかく…
今回の天太玉命神社の訪問は、忌部氏の神社が、古代日本の祭祀に重要な関わりを持つ「盃状穴」をひっそりとお祀りしていた…ということが分かっただけでも本当に大収穫です!(勝手に決めつけてますが…)
恐らく、忌部氏も古代日本の先住民族キ一族であり、そのため藤原侵略者側からひどい迫害を受けたのだろうな…と、思わされました。
「これからの時代は、天太玉命さまの出番です!」…と、Googleマップのコメントに書かれていた方もいらっしゃいましたが、侵略者側に支配されて来た悪しき時代が終わって、ついにホンモノの神様が天岩戸からお出ましになる日が近いのかも…などと、妄想を膨らませました
発見!「キ」の正体
色々な思いを胸に、名残惜しく天太玉命神社を後にして、今度は「奈良県立橿原考古学研究所附属博物館」へ向かいます。
ただ、縄文時代の土器が見たいな~という軽い気持ちで入ったのですが…
ここで、なんと世紀の大発見をしてしまうのです!(あくまでも私にとっての話ですが…(;^_^A)
大大興奮!!!*。・+(人*´∀`)+・。*
それが、こちら!
蛇っぽい!
このキャラクター生物は、注意深く見ると、土器や土偶によく描かれています。
ここら辺の話は、非常に長くなるので、また次回に…
ここまで、ご覧いただきありがとうございました
また、次回もお読み頂けたら嬉しいです
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ポン太ねーさんのコメ欄読みましたが北海道、行かなくてはですね🤣
次回を楽しみにしつつリブログさせていただきます~🥰
kuro
2026-08-03 14:07:48
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