第4話

「ご無沙汰してます! 『救国者』のお三方!」


 そう朗らかに笑いかけてきたのは、マイヤーハーム。

 できる限りの接触は避けていたが、さすがに逃げだせなかった。


「特務諜報課も使節団にいるんですね……」とジビア。

「私どもは、総理の知覚神経。総理がいるところには常に」


 どうやら彼女も現在、やることがないらしい。

 宮殿の奥の部屋に入ったのは、首相や外務大臣、そして通訳のみ。大使や他大臣をはじめとする使節団も同じく応接室で待機している。


「さすがに、あの件を相談する空気ではありませんね」


 マイヤーハームは苦笑を漏らし、丁寧に頭を下げた。


「ただ、ご挨拶だけでも、と。失礼ながら、退屈されているようにも見えましたので」

「『退屈』って表現は問題ありますけど……予定よりも会談が長引いているので」


 実は、首脳会談の時間はかなり押していた。

 午後三時に始まり、現在は午後七時。

 本来ならば、午後五時までに首相たちが方針をまとめ、大臣同士で諸般の調整も進めていく予定となっている。首相たちが出てこねば、何も動けない。


「よくあるんですか?」

「いえ、首相たちのスケジュールは常に分刻み。ここまでの延長は珍しいです」


 応接室には、張り詰めたような緊張が満ちていた。使節団には陸軍の将軍や各省の事務次官なども参加しているが、一様に応接室で固唾を吞んでいる。

 マイヤーハームもその緊張を受け止めるように唇を噛んでいた。


「果たして軍事や経済、文化――過去に旧王国と結んだ条約は引き継がれるのか」

「え……」

「国際慣習上、あってはなりませんけどね。ですが絶対にないとは言い切れない」


 目を丸くして固まるジビアの前で、マイヤーハームは口元を引き締める。


「会談の次第によっては――ディン共和国の平和は潰えます」


 自身で言いながら、悪い想像が膨らんでいるのだろう。

 彼女は指先が震えていた。リップクリームの蓋がうまく開けられず、そのまましまう。


 応接室に視線を向ければ、ジビアたちも知っている陸軍の参謀長官が険しい顔で腕組みをしていた。最上階で待機する公使から連絡がないか、今か今かと靴を鳴らしている。


 ジビアは瞬きをして「あー、なるほど」と呑気な声で頷いた。


「この緊張、そういうことだったんですね」

「なにを今更」


 さすがのマイヤーハームも呆れたように目を細める。


「まさか、この会談の重大性を分かっていないわけではないでしょう⁉」

「すみません。使節団なんて初めてで。この空気は普段通りとばかり」


 ジビアが苦笑を漏らし、応接室全体に響くような声で口にした。


「――大丈夫ですよ。全部うまくいくんで」


 リリィとモニカは一瞬目を見開いたが、止めはしなかった。

 この政府の重鎮らが集う場に、身分も明かさぬ護衛の小娘が能天気な言葉を発している。完全に職務を逸脱した行為だが、それが彼女らしさと知っていたからだ。


 政府の代表者たちが視線を向ける中、ジビアが笑う。


「条約の破棄だなんて、心配しなくていい。皆さんだって、手を尽くしてきたんでしょ? なら、もっと気を抜きましょうよ。この後もまだ仕事があるんですから」

「そうは言っても」マイヤーハームが息を呑む。「やはり万が一は――」

「――ありえません。万が一も」


 唖然とする、使節団の大臣や官僚たち。

 そんな場の空気を一切読むことなく、ジビアは得意気に頬を緩めた。



――



 ◇◇◇



 首脳会談までの三か月間、『灯』は奔走し続けた。

 もたらされた哀しみを振り払うように、胸を焦がす使命に殉じるように。



 革命後、ライラットの新政府には、三つの勢力が渦巻いていた。

 革命で台頭した、民主的な政治を目指す『自由派』、しぶとく政権に縋りつく保守の『旧王党派』、そして、混沌の中で新政府に潜り込んだ、私欲を求める『無党派』――。


 ディン共和国は『自由派』を応援しつつも、一部の『無党派』と連携。

 一方、依然影響力の強いライラットの諜報機関『創世軍』は『旧王党派』を支持。

 その対立は、スパイ同士の全面戦争に突入しかねない危機を孕んでいた。


 一触即発の状況下、対立を回避したのはティアの奮闘と――とある人物の遺言。

 ――『オレが死んだら、ディン共和国と連携しろ』と。


 今は亡きライラット旧王国の諜報機関の長『ニケ』は、この状況を予見していた。

 ――『本当の敵は、そこじゃない』


 あくまで両国の繁栄を願い、『無党派』の完全排除で利害は一致した。


 それでも新政府には、親ディン共和国派の議員が多く含まれていた。それは革命の真なる立役者を知る者、感謝する者、警戒する者――なにより『灯』と関わった人物だ。


「ここで、まさかの大活躍! 元スーパーメイド・リリィちゃん‼」


 中でも思わぬ役割を果たしたリリィは、後々誇らしげに胸を張る。


「わたし自身、驚きました。まさか元・ご主人様が新政府の要職に就くとは」


 彼女はとある政治家のメイドとして一年間、潜伏してきた。

 幸運なことに、その主人である政治家が新政府の閣僚に加わったのだ。


「ゴッリゴリの保守派のくせに、新政府に寝返る判断は実に見事!」


 本来、国王にすり寄り甘い蜜を吸っていた男は、今では、市民の仲間と言わんばかりに自由派議員として外務大臣を務めている。これを見逃す手はない。


「が、こっちは! テメェの脱税も、不倫も知っているんですよぉ!」


 作戦会議の場でリリィは怒鳴り続けた。


「特に娘の悪行とか、娘の悪行とか、娘の悪行とかあああぁ‼」


 サンドラという娘から日々、折檻を受けていたリリィの勢いは凄まじかった。

 彼女はすぐさま、サンドラと再会。相手からは『乳メイド‼ アンタ、収容所から脱獄したの⁉』と驚かれたが、エルナの仲間だと匂わせると『エ、エルフィン、本当に死んじゃったの? 会えない? なんでもするから!』と頭を下げられた。

 娘を完全に手中に引き込み、父も脅迫し、親子を中心に裏工作を展開。


 ゆえに『灯』はこの首脳会談の結末を疑ったことはない。

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