『呪縛』

「以上が、俺が知ってしまった全てだ」

 長い話が終わった時、クラウスは今自分がいる場所を見失った。

 一つ一つを確認しなければならなかった。

 場所は、陽炎パレスから遠く離れた街。そこがクラウスとギードが初めて出会った場所だと、説明されるまでは分からなかった。復興が後回しにされ、スラムと化した路地。深夜だろうと街灯などあるはずもなく、身体に染み込むような夜闇が一帯を支配している。

 ギードはそこで全てを語ってくれた。世界の裏で進行している《暁闇計画》と、それを成し遂げようとするフェロニカ。なにより大量虐殺兵器の管理者として社会実験的に作られた、家族愛で結ばれたスパイチーム『焔』の真相――。

 このままならば『焔』は大量虐殺の加担者――どころか導き手に堕ちる。

「クラウス、『蛇』に来てほしい」

 食い止めることを願うならば、全てを破壊するしかない。

 それこそが『蛇』であり、ギードが『焔』を裏切って向かったチームという。

 懇願する師匠の瞳に、クラウスは拒否の言葉を紡げなかった。

「分かった。他の選択肢もないようだからな」

「本当か?」と目を見開くギードに、クラウスは「ただ、いくつか条件はある」と補足する。自然と言葉は早口になった。

「僕が『焔』を裏切るなら、ボスの死亡後だ。それから他メンバーと一度、話を通させてほしい。ルーカス兄さん、ヴィレ兄さんだって話せば分かってくれるはずだ。対立するからと言って、殺す必要はない。ハイジ姉さんやゲル婆だって、師匠が頼めば――」

 全てを言い終えることはできず、尻すぼみになっていく。

 向けられたギードの瞳は、どこか憐れむような労わるような、黒く濁っていた。

「バカ弟子、無理はするな。やっぱりお前は『焔』のまま――」

「――いや」

 自らの甘さに恥じ入り、思わず拳を握り込んでいる。

 ルーカスやヴィレと話して、断られた場合はどうするのか。フェロニカの遺志を継ぐ、と宣言されたら、結局争いになる。ギードの話が正しければ、彼らはフェロニカ側に付く可能性が高く、正面から闘えば、クラウスと言えど勝てるビジョンが浮かばない。

『焔』を取るのか、『蛇』を取るのか――半端な決断は身を滅ぼす。

「……師匠の言う通りだ」

 拳を握りしめながら吐き捨てるしかなかった。

「僕は『焔』を愛するからこそ、何も言わずに去らねばならない」

 その夜、クラウスはディン共和国を去った。

 以降、彼がフェロニカと出会うことはない。


 ◇◇◇


 なにかの歯車がおかしくなっているのは気づいていた。

 朝目覚めても夢を見ている心地が消えない。足で踏みしめた地面が、常に揺れ動いているように感じる。なにを口に入れても、味が感じられない。

 それでも身体は、勝手に動いた。

 ギードに命じられるがままに敵を打倒した。『白蜘蛛』という男と組まされ、世界中で協力者を探した。しかし途中で『白蜘蛛』は足を引っ張り、見殺しにする決断を下した。その後組まされた『黒蟷螂』という男は『白蜘蛛』を見捨てた事実が不服だったらしく、互いを信頼できないまま、殺し合いに発展した。辛勝し、彼の命を奪う結果になった。

 身体の不調は続いたが、それでも『蛇』は躍進を続けた。

 ――ムザイア合衆国首都ミータリオでのスパイ殲滅。

『紫蟻』が大量展開する暗殺者と連携し、世界各国の諜報機関に大打撃を与えた。世界的に名だたるスパイを討ち、《暁闇計画》の進行に大打撃を与えた。

 次は屋台骨を破壊した諜報機関を乗っ取り、《暁闇計画》そのものに干渉する。

『藍蝗』の計画通りに事は進んでいるが、とある訃報がクラウスの心を一層蝕ばんだ。

「バカ弟子、お前が見ない方が良い」

「いや、この心の痛みを、師匠一人に背負わせる訳にはいかない」

『紅炉』のフェロニカがミータリオの地で命を落としたのだ。元々重病で衰えていたという彼女は、『紫蟻』の暗殺者たちに抗えなかった。『紫蟻』の残忍な手法に対してギードは強く反発していたが、最終的にはクラウスと共に間接的にサポートした。

 その遺体を前に立った時、身体の異変はピークに達していた。

 膝から力が抜けた。二度と立ち上がれないほどに。

「もう一度『焔』をやり直せないだろうか?」

 譫言のような言葉が、口から零れ落ちていた。

 ギードはフェロニカの遺体を静かに見下ろし続けている。

「バカ弟子、お前まだ――」

「大量虐殺兵器の管理者――そのボスの野望さえ挫ければ、『焔』は再生できる。他のメンバーは僕が説得しよう。分かってくれるはずだ」

 それが現実と乖離した楽観だと、クラウスはもう自身では分からなかった。フェロニカを追い詰めた加担者を、他のメンバーが許すはずもない。

「お前は、誰だ?」

 当然、唐突に言い放たれたギードの言葉の意味もクラウスには理解できなかった。

「……どういう意味だ? それは」

「いいや、違うか。お前をここまで導いたのは、俺なんだ。ありがとうな、クラウス」

「どうして突然、お礼なんて」

「汚れ役を担うのは、俺だけでよかったのに。お前は自分を殺してきてくれたんだ」

 ギードはその場に膝をつき「さすがだぜ、ボス」とフェロニカの手に触れた。


「俺じゃ、アナタがクラウスにかけた呪縛を解放できなかった」


 その言葉がかけられた時、背後に人の気配がした。

 クラウスとギードがいるのは、ウェストポートビルという高層ビルの屋上庭園。深夜という無人のはずの時間帯に、何者かが猛スピードに接近してくる。

 刀を取り出したギード、襲撃者の長槌を受け止める。

「人の女に手ぇ出して、生きられると思ってんのか?」

 凄まじい威力の一撃が、ギードの身体を大きく弾き飛ばした。

 クラウスはその突如現れた襲撃者を察して、息を呑んでいた。

「『ニケ』……っ」

 ライラット王国に君臨する、常勝無敗の謀神。

 思わぬ強敵はギードを吹っ飛ばし、直後にはクラウスに狙いを定めたようだ。長大な槌を大きく振りかぶり、クラウスの脳天に襲い掛かる。

 いまだフェロニカの死から立ち直れないクラウスは反応が遅れた。

「おう。長生きできそうだ――」

 次の瞬間、クラウスは落下するニケの腕を見る。

 それは神速で距離を詰めたギードの太刀筋で成された光景。すぐさま体勢を取り戻したギードがニケに接近し、刀で素早く腕を切り落としたのだ。

 骨さえもまるで意味を成さず、ニケは右腕の肘から先が落ちていく。

 ニケが左手一本で槌を振るった時、ギードが皮肉げに笑った。

「――迫ってきてんのが、アンタだけだったらな」

 槌で弾かれたニケの右腕が大量の血を撒き散らしながら、ギードに飛来する。

 ありえない目潰しを喰らった瞬間、屋上庭園に新たな人物の気配を察した。ニケと連携し、何者かがギードを拳銃で射殺しようとしている。

「師匠っ‼」

 せめて、と願いながら、ギードを庇おうとクラウスは駆け出した。

 銃弾程度なら自分が弾ける。ナイフを取り出し、銃撃に備えようと目を見開く。

「ダメだよ、クラウス。それは読めすぎる」

 呟きが聞こえた直後、完全な死角から一撃が脳を揺さぶった。

 首元に命中した銃弾だと理解する頃には、身体の自由は失っていた。脳を揺らす衝撃。倒れゆく身体を感じながらも、無理やり頭を働かせる。声の持ち主。そして、師匠を庇おうとした動きを先読みした上で、未来の自分を狙撃するように放たれた弾丸。

 有り得ない、と否定しながらも、屋上庭園からの声で突きつけられる。

「占い師と」「ゲーム師の」「「敵にさえなれねぇよ」」

 ルーカスとヴィレ――弟分の自分にさえ見せない実力を隠していたか。

 ギードの予言通りだ、と理解する。フェロニカが亡くなった時、ルーカスは全ての信念を排して、フェロニカの望みを叶えようとする。

 視界の先では、ギードがニケの槌に肩を粉砕されていた。

 既に彼の手は負傷している。ルーカスかヴィレの弾丸に撃たれ、負傷したのだ。

「いい夢が見れた」と絶命する彼の口元が見えた時、自然と身体の自由が戻った。

 今ここでニケ、ルーカス、ヴィレ、三人を制圧しなくてはならない。

 首から血をとめどなく流しながら、クラウスは走り、ギードにとどめを刺したばかりのニケを蹴り飛ばした。彼女の顔面を足で破壊し、続けてギードの刀を手に取り、彼女の喉元に刃を立てる。

 絶命したニケを確認し、次にルーカスとヴィレの行方を探した。彼らは、屋上庭園の暗がりに潜んでいる。姿は見せない気か。

 どこだ、と刀を構えた時、背後から足音が聞こえてきた。

 振り返った先にいたのは双子のどちらでもない――クラウスの知らない、銀髪の少女。

「養成学校から連れてきたんだ」

 姿を見せないままのルーカスの声。

 恐れることなくクラウスに走り込む少女を、クラウスは知らない。なぜ怯まないのか。いかなる特技があるのか。瀕死の自身で立ち向かえるのか。

 クラウスの脳裏には、これまでルーカスが駆使した千変万化の奇策がある。

 その奇策の中から答えを探したのは、コンマ数秒。しかし、あまりに致命的。

 あまりに堂々と、大胆不敵に笑う少女の笑みがクラウスの判断を鈍らせる。

「コードネーム『花園』――咲き狂う時間です」

「クラウス、一人で答えを出してんじゃねぇよ。知らねぇこと、山ほどあんだろうが」

 クラウスがまるで知らない特技と強心臓。

 ルーカスと少女の声が同時に響いた時、クラウスは意識を失った。


 ◇◇◇


 たとえ何度やり直しても、クラウスはギードに付き従えば破滅の一途を辿っただろう。『蛇』に加わった彼はその力を完璧に発揮できず、『蛇』の仲間の命を奪ってしまう。フェロニカの呪縛ゆえ、『蛇』の仲間を『焔』の仲間のように愛せるはずもない。戦力を失った『蛇』は、ニケ、ルーカス、ネイサン、ハイジという名だたるスパイに狩られ、最終的にクラウスは師匠ともども命を落とす。

 ギードは一人で『蛇』に行かねばならなかった。

 その覚悟こそ、汚れ役を一人で背負う涙こそが、一人の女性の心を動かしたのだから。


「クラウス、アナタはね――【いつか一人で立たなくてはならないの】」


 彼はこのフェロニカの言葉に辿り着かねばならなかった。

 それは彼の心を支配する『家族愛』という呪縛からの解放。

 いかなる契約よりも重く、いかなる約束よりも残酷な枷から逃れられない限り、何度やり直そうと、『焔』から離れゆく彼に悲惨な末路を与える。



コードネーム「鳳華」さんより 

『もし、ギードがクラウスをビュマル王国に派遣せず蛇に勧誘していたら』

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