『星霧』

『星霧』のレイジは、陽炎パレスの管理人である。

 陽炎パレスはディン共和国を代表するスパイチーム『焔』の拠点であり、建物自体が機密事項の塊であるため、それを管理する専門の人間が用意されていた。職務は、任務や生活の補助、建物を探ろうとする外部者を排除、メンバー不在時の管理、建物の修繕など多岐にわたる。

 使命は――国内最高峰のスパイたちが、任務に集中できる環境を整えること。

「ま、正直、重大かどうかと聞かれると困るんだけどなぁ……」

 レイジは『マクメディ清掃会社』の受付でそう考える。

 仕事は多くあれど、人員は一人。自然と独り言が増える。

「……養成学校を卒業して五年。『枷』なんて組織で奮闘していたが、現地で妻と子どもを作っちまって帰国。上司に『あんまりヤバい任務はマジ勘弁』と土下座して回されたのが、この仕事」

 本人にその自覚はないが、実はかなり有能な男であった。

 が、任務より家庭を優先し、あっさり前線からは退いた。港町アランクに一軒家を構え、今日もそのローン返済のために労働している。

 会話相手と言えば、頻繁に出入りする陽炎パレスのメンバーくらいのもの。


「あ、ルーカスさん、ヴィレさん。借金の督促状が届いてますが?」

「えー、マジ? あの闇金共、ここの住所まで特定したの? やるぅ」

「借金取りが来たら追い返しておいてね。大丈夫、数日中に親元を叩くから」

 一番話しかけやすいのが、『焔』の双子。

 当然のように問題事を押し付けてくるが、あまりに爽やかな態度なので、こちらが何も言えなくなる。


「フェロニカさん、昨晩から陽炎パレスの方から爆音がしましたよね?」

「――なぜかしらね。申し訳ないけど、修繕の手配をお願いしてくれる?」

 対して、話しかけにくいのが『焔』のボス。

 悪い人ではないようだが、どこか距離を感じる態度で接してくる。この時はとにかく気まずそうに立ち去った。忙しい人なので、レイジはなんとも思っていないが。


「ゲルデさん、頼まれていた酒が手に入りましたよ?」

「あー、悪いね。今晩はあたしの寝室を爆破した奴らに夜通し説教さね」

 もっとも交流があるのは、この老スパイ。

 常に飲み相手を探しているので、他メンバーの不在時、酒に誘われる。その際『さっさと前線に復帰しな! 修行ならつけてやる』と説教される以外は、人格者。


「あと、ギードさん。気のせいかも、なんですけど」

 仕事上で最も接点があるのは、この『焔』のナンバー2。

 陽炎パレス周辺で異変が起きた際は、ギードに報告することになっている。どうやら細かい仕事は全て彼が担っているらしく、相当の苦労人のようだ。

「どうした? レイジ」と声をかけてくるギードに、レイジは淡々と語る。

「最近、みょーな連中が建物の前を通り過ぎるんですよねー。今更そんな命知らずがいる訳もねぇんですけど、会話の端々に、ビュマル王国で使われる符号が――」

「――ん、よく気づいた。そうだな、あとは爆破犯どもに調べさせる」

 爆破犯、とレイジが首を傾げた時、ギードの背後から二人のメンバーが表れる。

 それは現在のレイジを最も困らせる、問題人物たち。

「構わないよ、師匠。昨晩の爆破がミスではなく、訓練の結果だと証明しよう」

「任せてくれ、お父さん。愛しい弟と任務を果たし、今度こそピザ窯を完成させるのだよ」

 そう誇らし気に告げ、颯爽と建物から出ていくのはクラウスとハイジ。

 レイジは呆れながら、肩を竦めるギードを見上げる。

「もしかして、昨晩の爆発って――」

「――あの二人が庭に作ったピザ窯の火力を補おうっつってな。窯ごと吹き飛んだが」

 詳しく聞くと、フェロニカに出来立てのピザを振る舞いたい一心だったらしい。

 彼女の気まずそうな表情を思い出し、レイジは修繕業者に電話をかけた。


 ◇◇◇


『焔』壊滅後、『マクメディ清掃会社』は『ガーマス宗教学校』に名を変えたが、レイジの受付業務は変わらない。同じように仕事をこなし続けている。

 あくまで仕事上の付き合いだったが、決して『焔』のメンバーは嫌いではなかった。

 珍しく仕事が早めに終わった夕方、こんな時は、ふと過去の思い出がよぎる。

「……接点は多くなかったが、オレってあの人たちに貢献できたんかなぁ?」

 帰り支度を始めながら、つい呟いている。

 当然答えなど戻ってこないので、自身で肯定する。

「分かんねぇけど、だったらいいよな。受付という業務も決して悪くないんだが――」

 直後、どおおおおおおおおおおん、という異音が響いた。

 足元に伝わってくるのは、地震のような振動。

 直ちに異変を察したレイジは足を止め、冷静にタバコを咥えた。本来は異変の状態を確認せねばならないが、もはやその気力も湧かない。

「……なんでウチの建物は、定期的に爆破すんだ?」

 受付の傍らに置かれた電話が鳴り始める。

 溜め息と共に受話器を取ると、聞こえてくるのはクレームの数々。

《ちょっとおぉ! またおたくの宗教学校の方角から異音が――》

《おい! オレの子が、テメェの学校から火が上ったって――》

《アランク新聞社です。常に火薬の臭いが漂ってくる件に関して見解を――》

 全て「知りません」という言葉で一蹴し、電話を切る。

 残業が確定したな、と諦めていると、隠し通路から楽し気な声が聞こえてきた。


「俺様っ、すっげぇ花火を発明しましたっ」「屋根がちょっぴり壊れたの!」「離島での任務……緊急のSOSは花火で伝えるしかありませんからね……」「隣の島からでも目視できるわよ、アレなら」「名前をつけようぜ、『灯』キャノンで」「ほ、砲弾みたいなネーミングっすね」「いいんじゃない? 威力と音だけならボクが認めてあげる」「最悪、敵にぶち込みましょうっ! 『灯』キャノン発射ああぁ!」


「『灯』のみなさあああああああぁん?」

「「「「ひいっ」」」」

 問題行動が通常運転の新しい入居者たちを、レイジは強く睨みつける。

 陽炎パレスの隠し通路から宗教学校の出入り口から出ようとしていた少女たちは、激怒するレイジを見て、慄いた。そこでようやく自らの失態を自覚したようで「さすがにヤバかったか⁉」「これには深い訳があるの!」と言い訳を始める。

 レイジは、彼女たちが手に持つ旅行カバンを見つめ、首を横に振った。

「ま、今回はいいや」

「「「え?」」」

「よく考えたら、『焔』時代の方がうるさかった。これから任務か? 爆発の件はオレが揉み消しておくから、任務に集中してくれ」

 レイジは受付用の机に深く腰をかけた。

「――生きて戻ってこいよ」

 前線を退いた自分の代わりに世界に飛び出す同胞へ、祈りを伝える。

 少女たちの先頭に立つリリィが、呆然と口を開けた。

「それ……」ちょっと意外そうに。「クラウス先生も任務前に必ず言ってくれます」

 同じ言葉を、レイジが口にした事実が意外だったようだ。

 やがて彼女は溢れんばかりの笑顔と、ガッツポーズを向けてくる。

「生きて戻ってきますよ! 次は『焔』を超える爆発をやってみせます!」

「対抗意識をもつな!」

 やらんでいい、とレイジは手を振って、彼女たちを見送った。

 その二分後、少女たちの後を追うように、クラウスが隠し通路から現れる。

「クラウスさん」

 レイジの方が年上ではあるが、出会った時、既に十八歳以上の風格を纏っていた彼には、つい『さん』をつけている。確かな敬意だ。

「どうした、レイジさん。いつものように僕の部下が迷惑を――」

「『生きて戻ってこい』ってフェロニカさんが任務前、言っていたよな」

 レイジがその言葉を聞いたことは一度だけだ。

 それでもフェロニカが隠し通路を出た先で発した言葉は印象的だった。必ず言っているのだろう、という願いと優しさに富んだ声音。

「たまには、オレからも言ってやろうか?」

「いや、いい。今の僕は、もうその言葉をかける番だ」

 歩き出したクラウスの背中を、レイジは笑顔で見送った。

「戻ってこいよ。屋根の修繕費の見積もりでも出しておくから」

 そう見送りながら、彼は胸に湧き起こる感情を再確認する。

 ――なんだかんだ、この仕事が気に入っている。

 スパイたちの変化を見届けられる、特別な居場所。


コードネーム「ひーちゃん」さんより 

『管理人レイジの日常』

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