世界を変えさせておくれよ
いのりさん達が引退してコーチとしての役目を終えた為、一度氷の世界から離れてみようと奮闘する明浦路司とそれに付き合う夜鷹純の話。
※題名はとある歌のタイトルより
- 485
- 616
- 8,828
氷の外でも生きていけると思っていた。
泥に塗れて働いたこともある、幼少期から何もスケート漬けだった訳でもない。スケートに魅了される前はそれなりに毎日楽しく生きていたし、趣味の読書だって俺にはある。そう思っていたのが間違いだったと気付いた時、俺はあの人の気持ちを漸く理解できた気がした。
14歳でスケートに魅了され、紆余曲折ありながらも最終的にコーチとしてこの氷の世界へとしがみ付いて生きてきた。其処で出会ったいのりさんと二人三脚で全速力で駆け抜けて辿り着いたオリンピックは、残念ながら1度目は銀色に終わったけれど2度目のオリンピックで彼女は悲願の金色のメダルを絶対女王から勝ち取った。地響きの様に鳴り響く歓声と花火の様に煌めくカメラのフラッシュを浴びる彼女を見ながら、その時俺はふと思った。これからどうしよう、と。
この大会に出る前に既にいのりさんからは結果がどうであれこのオリンピックが終われば引退するという意思を聞いている。24歳という年齢を考えれば世間からすればまだまだ若い方だが、今後の人生を踏まえればそろそろプロに転向してもおかしくない時期ではある。それに彼女は俺と同じく指導者の道に進みたいと考えているようで、既に次の人生も見据えているらしい。それじゃあ俺は?とふと己を振り返ると何の考えもない事に思わずゾッとした。
無論、結束いのりのコーチとして既に名が知れた今ならこのままコーチとしてやっていく事は難しくないだろう。専属の受け持ちがいのりだけとはいえ今はルクス東山で他の子達にもスケーティングを教えている訳ではあるし、何も彼女が引退するからと言っていきなり無職になる訳でもない。それでも再び彼女の様に新たに教え子を持ちこの華々しいオリンピックの舞台まで導くか、と言われればどうにもそのような気分にはなれなかった。燃え尽きた、とまでは流石に言わないが司は言葉通りいのりに己の人生全てを賭けていた。だからこそ、再びその様なことが出来るかと問われれば直ぐに肯定は出来ないのだ。このまま専属を持たずそれこそスケーティングのみを大多数に教えていくのも良いかも知れない。だが、それは本当に司がやりたいことなのだろうか。
「司先生!」
「お疲れ様いのりさん!表彰式終わったばかりだったけど疲れてない?」
「大丈夫です!今日は光ちゃんと二人のインタビューばっかりでしたし……それより、先生こそ大丈夫ですか?」
「えっ?」
「何だか考え込んでいたので」
大会後の選手に気を使わせるなどコーチ失格だなと最後の最後でやらかした己を叱責しつつ、司は大丈夫だよと何時もの様に快活に笑う。一先ず今はこの自慢の教え子を目一杯褒めて、勝利を喜ぼう。今後の事はそれからだ。