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夜を喰らう太陽/柿ノ木の小説

夜を喰らう太陽

9,210文字18分

匠先生にも加護家にも出会えず夜鷹純を唯一の道標として一人孤独にスケートをしていた明浦路司がいのりさんに拾われて新たな人生を歩み出している一方で、彼が選手を終える最期に放った光線に今も尚灼かれたままな夜鷹純。

※これはif世界線の司先生です
※司先生が過去にちょっと酷い目にあっています

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人生を変える程の出会いをした事はあるか。
見ただけで呼吸を忘れてしまうような、心臓が脈打ち自然と涙が零れ落ちるような、身体が震え崩れるような、この喜びを恐れを感動を獣の様に叫び出したくなるような、そんな衝動に襲われたことはあるだろうか。
司にとって夜鷹純は正にそれだった。彼の演技を見た瞬間に規則正しいレールに乗った自分の人生は、あっという間に線路外へと弾き出されてしまったのだ。

司の人生はその時から一転してスケートに染まった。家族思いで家事や弟の面倒を進んで担う真面目な優等生だった明浦路司は、あの日に死んでしまったのだ。衝動に駆られるまま始めたスケートは、生憎と14歳という年齢に差し掛かった少年にとっては決して優しいものでは無かったけれど。年齢のせいでクラブへの入会を断られ、そもそもお金がないと両親に断られ、それでも諦めず図書館で借りた本や動画を頼りに独学で試行錯誤する日々は先の見えない洞窟の様であった。気が狂ったようにスケートに没入する次男を兄だけは応援してくれたけれど、両親は司のそれが本気なのだと悟ると何を考えているのかと呆れ、嘆き、怒り始めた。それでも司は止めなかった、いや止めれなかったと言うべきかもしれない。それだけあの日司を灼いた衝動は凄まじかったのだから。
中学を卒業すると幾つもアルバイトを掛け持ちした。高校は結局行く時間さえ惜しくて行かなかった。将来どうするのだ、選手になんかなれる筈もないのに、そんな両親の言葉は尤もだと思ったし、あの兄でさえ高校は行っておけと言ってくれたけれど司には時間がなかった。14歳という年齢でさえクラブへの入会を渋られるのだ、今の司には一分一秒だって惜しかった。
その内家では腫れ物の様に扱われ、生産性もない自分が実家にいることが申し訳なくて司は早々に家を出た。正直生活は厳しかったけれど何とか住み込みの仕事を見つけて、余った残り少ないお金を全てスケートに注ぎ込んだ。スケートが上達しているのかは分からない、本に書いてあったことは全てやったし、動画は何百回と再生した。転ばず滑れるようにはなったが、それだけであの日見た彼には到底追いつける筈もない。同じリンクで練習している選手であろう人々を見ながら、何とかその技術が盗めないものかと毎日考えた。司にとっての理想のスケートは夜鷹純だ、だからこそ彼の演技は何度だって見直したし指先の一本に至るまで完璧にトレース出来るように幾度も繰り返して身体に覚え込ませた。それでもそれが正しい道程なのかは結局分からない。自分がやっている事は正しいのか?これに何の意味がある?だって本にも書いていなかった、この指先は、このステップは、このエッジの角度は?
あの日衝動のままに飛び込んだスケートの世界は依然として暗闇のままで抜け出せる光さえ見えない。ずっと暗闇の中でもがいて一歩も進んでいないかの様にさえ思える。司にとっての唯一の正解は夜鷹純だった。幸いにして彼の映像は山程あった、だからノービスからジュニア、シニアになるまで全ての映像を頭に刻みつけた。彼のエッジの角度、重心の置き方、指の角度、それは最早模倣の域を超えていたけれど司にとって正しいスケートを教えてくれるのはそれだけだったので。ジャンプでさえも司は夜鷹の演技を見て覚えた。当然数え切れないくらい失敗したけれど、1mmの狂いも無く彼の再現をしていくうちに着氷まで出来るようになっていた。それでもまだ足りない、彼のスケートは、司にとっての正解にはまだまだ程遠い。誰も助けてくれない、誰にも期待されない、誰も見てくれない、それでも司は氷上にいた。

司に転機が訪れたのは20歳の時だった。スケート選手を目指すには遅いにも程がある年齢だが、それでも司は未だ氷上にしがみ付いている。当然クラブに入り選手を目指そうと何度も考えた。それでもまとまったお金がなければ一度入会できても其処に居続ける事が出来ない、借金をするにも未成年では不可能。ならばと寝食を削って幾つも仕事を掛け持ち資金を貯めるも気付けばこんな歳になってしまっていた。
それでも漸くそれなりに貯まった資金を糧に司は漸くクラブに入り選手を目指すつもりでいたのだ。例え今更だと、何を考えているのだと嘲られようとも構わない。そう決心していたつもりだったが、想像以上に司の前に立ちはだかる壁は高かった。先ず年齢を言えば入会さえさせてもらえない。趣味なら構わないが今から選手を目指すとなると此処では難しいと一概に厳しい反応を返された。それもそうだろう、スケートというのは大抵が10にも満たない年から始める選手が殆どだ。20歳を超えて本気で選手を目指そうなどと気が狂っているとでも思われたっておかしくは無い。それでも司は幾つものクラブを巡って交渉し、やっと地方の小さなクラブに入ることが出来たのだ。名前も知らない、入会者も司以外には殆ど居ないようなクラブだったけれどそれでも漸く夢に向かって一歩踏み出した司にとってはどうでも良かった。既に20歳の司に残された時間は多くない。司は此処に全てを賭けるつもりで全資金を注ぎ込んだ。
コーチは司と同年代くらいの若い男性だった。初めて得た指導者に浮かれていたのかもしれない、彼のアドバイスはなんだって聞いたし彼が駄目だと言えばそれが正解なのだと思うようにした。それでも時折彼の指導が夜鷹の正解とは外れていて司は混乱したが、きっと自分が間違っているのだろうとコーチの言う通りに訂正した。その男は実に親身だった。スケートの技術にばかりかまけて、試合に関して何も知らない司に懇切丁寧に説明してくれたし、面倒な手配は自分がやるからと進んで請け負ってくれた。何も知らない司には、彼の言うことが全てだったし純粋にスケートの事だけを考えていれば良いと言う彼の言葉が救いでもあったのだ。

だから、司は簡単に騙された。

今思えば実に馬鹿だったと思う。試合の参加費、衣装代、リンクの貸切代、受講料、それを男の言う通りに司は払い続けていたのだから。これでは1年も持たないと苦悩する司に男は試合で結果を残せば直ぐにスポンサーが付く等と甘い言葉で言いくるめた。自分は何を信じたかったのだろう、男が見せる魅惑的な幻想に縋ってしまう程疲れていたのだろうか。
この試合で結果を残せば全て取り返せる、そんな試合の会場に男は来なかった。何度コールしても繋がらない電話に、何かあったのかと心配する一方で冷静な頭が現実を突きつけていた。きっと何処かで司も怪しいと気付いてはいた、それでも今見ている夢が余りにも楽しくて醒めたくなくて必死に見ないふりをしていた。試合にはちゃんとエントリーはされていた、だから司は男が寄越した金額の割に薄っぺらい衣装を着て大会に出場した。まぁ、結果は散々だったけれど。全てのジャンプを失敗した瞬間、これで自分のスケートは終わるのだと思うと何だか可笑しくて仕方がなかった。だから司は笑った。笑いながらあの男が宣った全ての言葉を忘れて滑る、司の脳裏に在るのはあの日見た“正解”だけ。彼のスケートをなぞる様に、ただただ氷の上を駆け巡った。スケートを始めてから久しぶりに楽しいと思えた。それが、明浦路司というスケーターの最期だった。
演技が終わった瞬間、観客は静まり返っていた。それはそうだろう、散々な演技を見せたと思えば突然狂ったように笑い出したのだから不気味だと思われても仕方ない。周囲に礼をして司は素早くリンクから降りてその場を後にした。結局拍手は貰えなかったけれど、自分にはそのくらいが丁度良い。

コメント

  • 最後の運命の女神様についての文章、、本当に甘美でした、、、

    7月9日
  • 伊藤
    3月7日
  • きる(もと哀歌)
    2月25日
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