米軍の統治下にあった沖縄で、県民の祖国復帰への機運は徐々に高まり、やがて県民一体となっての復帰運動に取り組むことになる。
その先頭に立ったのは教職員たちだった。県教育委員会関係者によると、教職員たちは、昭和22年に、「(戦争で)荒れ果てた戦禍を取り戻すには教育しかない」を合言葉に、「沖縄教育連合会」を結成した。27年4月1日、「沖縄教職員会」と改称され、沖縄群島政府文教部長だった屋良朝苗氏が会長に、指導主事だった喜屋武真栄氏が事務局次長に就任した。
「日本人なのだから日本の教科書を使おう」
当時の教職員会のメンバーの一人は私に、「われわれは日本人なのだから日本の教科書を使おうという親睦団体だった。そもそも、根底には反米思想があった」
教職員たちは、資金を出し合って、本土の学校で使われている購入するため「文教図書株式会社」を設立、その子会社の「文教商事」を窓口として東京から教材を〝輸入〟した。それほどまでに親日本だった。