銀盤のルサールカ
(あらすじじゃないあらすじ)
『人魚姫は愛する王子を殺し、彼の幸福を壊すことができずに死を選びました。海に身を投げて泡へと姿を変えた。けれど、司はちがう。消えることを、消されることを許されるわけがない──僕は、たった今、そう確信した』
「は」
『だから、僕は二人の行く末が楽しみでなりません』
唖然とする司をよそにして、ひらひらとロシア人は手をふった。
出逢ってから四年後──クワドが飛べるようになった『ただのコーチ』が天才振り付け師にしごかれて、夜鷹さんがガチ切れする話。
*非情に捏造な未来設定になります。
*途中で修正が入ることもありますこと、お許しください。
*鯖はフィギュアスケートがまったくわからない鯖です。
*コミックス派なので、最新巻までのネタバレを含みます。
*また既存の設定および口調について誤謬があることがあるかと思いますが、広いお心で許していただければ幸いです。
(あとがき)
白状しますと、鯖は某フィギュアスケートアニメのがちオタクです。全巻ボックスもってます、いまだにまっかちんのティッシュケースも使ってます。。今回のフリーはその作品内のジャンプ構成からきていますね。
5月に別ジャンルにてイベント出るが・・・これ、本にしたらおもしろいんじゃないかと思う鯖でした。いや、そんな余裕が・・・あるのかいかい?
▶️こちら、友人に表紙制作許可がとれたため5/3のスパコミにて本になりました。
https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031234354/
イベント詳細は下記の旧Twitterにてお知らせとなるかと思います!
感想や旧Twitterはこちら⬇️(不定期で消えるやもやも🐟)
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(1)
司は、ルサールカって知っていますか──そうレオニード・ソロキンに問われたのは、深夜の貸し切り練習のときだった。静謐な白銀の盤上へと、現役時代……いやそれよりも美しく夜鷹純が着氷する。
『ルサールカはロシアの言葉で人魚。夜鷹純の滑りには、それがあります』
唐突なロシア語を翻訳したのは、当たり前だけれど翻訳アプリ。というか、なんで今日に限っては……貸し切り練習に、レオニード・ソロキンまでいるのだと明浦路司は目眩がするようだった。
鴗鳥コーチからの懇意もあって参加した貸し切り練習は、四年経った今となっては形を変えている。主だって変わったところは妻子のいる鴗鳥コーチに代わり、貸し切り練習での日程調整などを明浦路司が行うことになった。多忙な夜鷹と連絡をとって、日程を決めて、彼が自由に盤上で滑れるよう──息ができるように、司は手を貸している。
春は三月、シーズンも終わってからの新たな季節。屋内では季節感はともなわないが、それでも春先の空気は心地良い。
ルカールカ、人魚、魚か。水を得た魚というのは表現はおかしいけれど、貸し切りのリンクのなかで優雅に滑り、ときにはクワドまで決める彼を見てしまえば、レオニードが言わんとする意味はわかる気がした。
「人魚……えーっと、人魚姫とかは童話で読んだことがあります」
偶然にも海上で難破した船より王子を助け、彼に焦がれた人魚は海の魔女と契約して、美しい声と引き替えにして人間の足を手に入れる。
慣れない手足は酷く痛んだ、王子に愛を語るべく言葉もなく声は空虚にも零れるばかり。けれど、そんな人魚姫の犠牲にもかかわらず──最後には王子は別の女性と結婚し、人魚姫は泡となって消えていく……ような、たしかそんな話だった。氷上からは目を離さずにレオニードに伝えれば、彼はにっこり笑って頷いた。
『そうです。彼は正に人魚から人間になりました。沢山のものを犠牲にして、彼は──この氷上を自由に駆ける手足を得たのです』
沢山のものを犠牲にしたという表現は誤りではない。ノービスB時代に三回転ルッツ+三回転ループと三回転アクセルを覚えて、ノービス四連覇。それだけではなく二十歳の若さで金メダリストの称号までを揃えた。沢山のことを犠牲にした。司自身がコーチをしているからこそわかる。指導する結束いのりが、自分自身の全て、あらん限りの時間の全てを競技にあてたように……いや、それ以上に、夜鷹純は全てを盤上に捧げてきたのだ。
美しいアウトサイドイーグル、そこからスピン。回る回る、銀盤の上で回り続ける。現役時代と遜色ないままに……彼の演技には強さを知る者だけの傲慢と恍惚が滲んでいた。頭のなかで反復するようにも夜鷹の動きを確認すれば、おもわずも息が零れてしまう。いや……本当になんでこんなことが目の前で起こっているのだろうか。間近に神様がいるかのような非現実感には、いまだに慣れることがない。
でも──と、自分自身を鼓舞するようにも司は盤上へと踏み出した。線を引くようにしてリンクへと踏みだして助走をつける。アイスダンスとはちがったシングル用シューズ──夜鷹から無理矢理に押し付けられた。総額いくらになるのかは恐ろしくて聞けずにいる──から踏み出したのは、三回転アクセル、そこからの三回転ループ。体の軸が振り回されるような感覚を堪えて、着氷。回転数、そのあとの姿勢も……とれた、とれていたはず。遠くでリンク上の司を見ていたレオニードからは手放しにも拍手が飛んだ。ロシア語でなにか言っているけれど、あれは何を叫んでいるのだろうか。先月から取り組んで、ようやくの成功。というか……これをノービス時代に滑っていたというのだから、やっぱり夜鷹純は天才だ。
はぁと息を吐き出せば──ねぇ、そう神様から声がかかった。
「三回転のコンビネーション、飛べたね」
「……えーっと」
「次はクワドだね」
「なんで⁈ というか……四回転ですよ、っていうか、俺はただのコーチでっ……!」
「やって」
「……はい」
このひとを前にして、俺に拒否権というものはあるんだろうか。自分よりも背が低いはずだが、夜鷹の金色の眼差しに射貫かれれば縮こまるしかない。無茶苦茶すぎる。四回転だぞ、クワドジャンプだぞ。オリンピックのメダリスト並の人達が飛ぶようなジャンプ技術を、なにが、どうして、只のコーチである司に求めてくるのか。本気でわけがわからないとばかりに困惑していれば、ふとしたようにも夜鷹が口の端をあげた。
「君は見ていて飽きないよね」
「え……いや、コンビネーションできるまで、こんな時間かかったのに」
「司が時間のかかったという、それを、できない人間がどれくらいいると思う? 君は自分が希少な才能を持っていることは自覚していても使いかたを知らない。だからいいよ。それは──僕を見て、やって、覚えればいい」
そう言って、司の手を離すと、夜鷹は盤上の中心へと足を踏み出した。助走までの加速の早さ、そこから悠々と体が回った。いち、に、さん、よん、四回転ルッツ着氷。あまりにもナチュラルすぎて……なんというかテクニックのありがたみが全く伝わってこない。すごいとか、身体能力の高すぎるとかの前に、まず美しい、好きだ、そういった感想がまろび出てしまうのだ。
あんまりな事態に引きぎみでリンクサイドに戻れば、レオニード・ソロキンが慰めるようにも司の肩を叩いた。
『人魚は美しく傲慢です。ギリシア神話では航海者を美しい歌声で惹きつけ難破させる魔物としても描かれます』
「ちょっ……なんですかそれは⁈」
『キミも彼の同族だ。今日この練習についてきて確信しました』
レオニード・ソロキンは面白がるような目付きで、司を見た。
『人魚姫は愛する王子を殺し、彼の幸福を壊すことができずに死を選びました。海に身を投げて泡へと姿を変えた。けれど、司はちがう。消えることを、消されることを許されるわけがない──僕は、たった今、そう確信した』
「は」
『だから、僕は二人の行く末が楽しみでなりません』
唖然とする司をよそにして、ひらひらとロシア人は手をふった。このひとは、今、なんと言ったのだろうか。いや、たぶん翻訳アプリの変換ミスだ。けれど、言語化された端末上の単語を見ても、文字にされたぶんだけ生々しさが募る。
いや、そんなわけが──と言いかけた、その声は遠くは司を呼ぶ声に掻き消された。
「遊んでないで、やってみせて」
「だからっ……俺はただのコーチだって言ってますよね⁈」
深夜のリンクで木霊した二人の奇妙な掛け合いにを見守る天才振付家は──沈黙のなか、静かにも思考の歯車を回し始めるのだった。