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誰がアポロン殺したの/透野の小説

誰がアポロン殺したの

4,220文字8分

※本誌最新53話のネタバレを含みます。マザーグースの詩のオマージュがあります。私が仇を取ってあげたかったので、夜鷹にとってもらいました。同じ気持ちを抱いた人が居ると信じて投稿します。

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 ──誰が君の事殺したの。
 ──それは俺自身です、と君は答えた。

***

 いつもの慎一郎君との深夜の貸し切り。そこに、もうひとりが──司くんが加わるようになって、しばらくが経つ。最初の頃こそ、何だか委縮したような態度を見せていた彼だったけれど、回数を重ねるうちに、彼はあまり気兼ねなく伸び伸びと滑るようになっていった。僕の滑りを必死に目で追い、見事にトレースしてみせる、その才能。今まで、誰にも見つからなかったわけはないのにな、と思った。だから、スケートリンクの上、ジャンプ練習を重ねている彼に、訊ねてみたんだ。
「ねえ。誰が君の事殺したの」
 司くんの、着氷が乱れる。どうにか転倒はせずに体勢を持ち直した彼は、きょとん、とした表情だった。それから、ちゃんと生きていますよ、とでもいいたげな顔をしてくるので、僕は、そういう事じゃない、と首を左右に振ってみせる。それでも、首をかくりと傾げるばかりの司くん。
「恐らくですが彼は、『スケート選手としての前途を誰に潰されてしまったのか』と、聞きたいのだと思いますよ」
 やり取りを見かねた慎一郎くんが、僕の意図を汲んで補足をしてくれた。そこまで噛み砕いて説明をしなければいけなかったらしい。言葉を操るのは、やっぱりどうも難しい。ようやく、司くんが正しく理解をしたとみえて、こちらへと困ったような、苦しそうな表情を向けてくる。
「誰か、居るのだとしたら……それは、無知で弱くて愚かだった、俺自身に他ならないのだと思います」
「違うね」
 そう答えてくるだろうな、と予感していた通りの事を言われて、彼の言葉尻に被せるように否定をした。
「君の事を無知なままでいさせて、弱くて愚かであれと強いてきた何らかの存在が、絶対にあった筈だ」
「な、何で、そんな……」
「そうでないほうがおかしいから。……動揺してるよね。思い当たる節があるんだろ」
 氷上で、僕は司くんに詰め寄る。ぐっ、と言葉を詰まらせて、彼は俯いてしまった。
「そんなことを、聞き出して……夜鷹さんは、一体どうしようっていうんですか?」
「仇をとってあげる」
「か、たきを……? あの、人殺しとかってその、実は日本の法律上良くなくて」
 また、正確に伝わっていない気配がする。そろそろ苛立ちを覚えてきた僕は、司くんの洋服の襟首を掴みあげた。
「誰? いいから教えて」
「……っ、そんな、こと、してもらう理由なんて無いでしょう!」
 きっ、とこちらを睨みつけてくる司くん。理由、理由ね。それさえあればいいのならば、とっておきのものがある。僕の言葉選びはあまり上手くはないから、最低限伝わって欲しい事が伝わるようにと、あらかじめ、こういう時の為に選び抜いて組み立てておいた台詞が。いっそここで、彼にぶつけてしまう事にした。
「──僕が君のこと好きだから。これで満足?」
「……は? ……そ……えっ、なん、えええ?!」
 おお……、と慎一郎くんが背後で謎の感嘆を漏らす声が聞こえた。これなら誤解の余地は何も無いよね。好きな人の襟首を掴みあげながら、っていうこの状況が、果たして適切だったかどうかはともかくとして。
「ほら、理由ならあるよ。答えて」
「あ、あの……嬉しいです、本当に嬉しいんですけど。……やっぱり、仇なんて、とってもらう必要はないですよ」
「何故」
 司くんは、僕の右肩に手を置いた。その場所を、強く強く握りしめながら、彼は答える。
「最初の、この深夜の貸し切りで、あなたに、『君はいいコーチになれるかもしれないね』って言って貰えました。俺、それだけで……、今までのこと、全部、全部報われたんです。これからの未来に、希望が持てたんです。これ以上、夜鷹さんに何かしてもらう必要なんて、本当に何もありませんよ」
 頬をほんのりと赤く染めて、こちらをなだめる様なとても優しい口調で、司くんはそんな事を言う。彼は復讐を望まない。例えかつて自分を損なわせてきた相手だとしても、傷付けるような選択を良しとしない。わかりきった事ではあったけれど、その事実は、僕を大いに落胆させた。
「じゃあ、僕はどうしたらいいの。君のこんなにも輝かしい才能を、あるかもしれなかった未来を、惜しむ気持ちはどこへやればいいの」
 君の事を大切に思うがゆえの、この腹の底からの怒りを、どこにぶつけたらいいの。そう訊ねれば、司くんは唇を噛んで沈黙した。
「……君は、もっと自分自身の事を大切にして。そうしなければ、君を愛する全ての者たちが、君を通して、傷付く事になるんだよ」
「……今日の夜鷹さん、とっても、お喋りなんですね」
「真面目に聞いて」
 茶化して誤魔化そうとしてくる司くんを、襟首を掴んだ手に力を込めて咎めれば、彼はしょんぼりと肩を落とした。言葉を尽くして年下の振る舞いを省みらせようだなんて、僕には何一つ向いていない事をしている自覚がある。でも、今ここでしっかりとやっておかなければならない事だと感じていた。
「……すみません。ありがとうございます、俺なんかの為に、貴方がここまで言ってくれるだなんて」
「仇は明かさなくて良い。代わりに、その『俺なんか』っていう言い回しを今後一切使わないで」
「わ、かりました」
 僕は、司くんの襟首を手放した。解放された彼は、慎一郎君の所に飛ぶように滑っていって、何故だか頭を何度も下げている。
「すみません、なんというかその……こんなところをお見せしてしまいまして……!」
「いえいえ、とんでもない。大変素敵な場面を目の当たりにさせてもらいました」
 それから、慎一郎くんと司くんは、まるで何事も無かったかのように和やかにスケートの話を始めた。何だか僕に対してよりも饒舌な司くんの様子を目の当たりにして、途端につまらない気持ちになる。もう少し滑ってから、ふたりを残して帰ってしまおうかと思い始めた頃。
「本当に、明浦路先生の滑りは素敵ですから、純くんが惚れこむ理由も分かります。基礎はどなたに習ったのですか?」
「いえそんな……ほとんど独学で。中学から高校までは、とあるスケートの同好会の人達に習ったりもしていましたけれど」
「ほお。それはさぞ、素晴らしい方々だったんでしょうね」
「っ、は……い……」
 ──司くんの表情が、明らかに曇ったのを、僕は見逃さなかった。司くんが中高生の頃に、金をかけず通う事の出来た同好会に所属していた人間。あまりにも特定が容易すぎる。
「慎一郎くん、君って最高だよ」
「応援しているからね、純くん」
「あ! いや、違、違うんです……!」
 油断していた所を罠にかけられてしまったのだと、ようやく理解した司くんが、青ざめてうろたえている。
「お願いです! どうか彼等に酷い事はしないでください!」
「ご期待に存分にこたえてあげたいところだけど、複数人となると難しいのは確かだからね。大したことはできないかもしれない」
「そ、それなら、いいんですが……いやよくはないですが……!」
「じゃあ、これからプランを練らないといけないから、僕はここで」
「おやすみなさい、純くん」
「あっ、ま、待ってくださ……」
 慎一郎くんの夜の挨拶と、引き留める司くんの声を残して、僕はスケートリンクを後にする。腹の奥底で燃え盛る、行き場の定まったどす黒い劫火の熱が、この身体を溶かしてしまうのではないかと思うくらいに、渦巻いていた。

***

 あの夜の貸し切りから、数か月が経つ。
 あれから。俺と夜鷹さん……純さんは、正式にお付き合いをさせていただく運びになったり、だとか、色々な事があったのだけれど。気がかりなのは、やっぱり純さんが実行をほのめかしていた『仇をとる』という言葉だった。どんな発端があろうとも、過去の俺の愚かさや弱さは俺だけのものだから、他の誰かが、それを理由に傷つけられてほしくはない。俺は、大須のスケートリンクに立ち寄る度に、かつての同好会の人達の影を探すようになった。
 ……ところが、やはり何事かが起こってしまったようで、以前と比べてなかなか彼等と出会う機会が訪れない。ようやく今日、かつての同好会のメンバーだった男性の姿を視界に捉えることができたので、俺は急いで、彼のもとへと駆け寄ったのだった。
「こんにちは! ご無沙汰してます!」
「おお、司じゃん。久しぶり」
「最近お姿を見かけないので、心配してました。……ええとその、大丈夫ですか?」
「いやあ、最近ここでまた新しくスケートの同好会が立ち上がったみたいでさ。その同好会が貸し切りしてる時間と、俺の立ち寄れる時間がまあまあ被ってて。単に滑れる時間が減ったってだけの話だよ」
「新しいスケートの同好会、ですか」
「そう。その同好会、面白いんだ。主催が誰なのか不明らしくって。隔月に一度くらいの頻度で、凄く優秀なアドバイザーがテレビ通話機能使って、短時間だけど指導してくれるんだってよ。すげえよな」
「凄く優秀な……アドバイザーが……」
「なんでも、その同好会に所属して指導してもらったことがきっかけで、アイスショーへの出演が決まった奴もいるって噂だ。それなのに無料だっていうんだから、もう皆がこぞって入会したがってるよ」
「……それは、凄いですね」
「俺も先月、入会できないかって打診してみたんだけどさ、何か入会基準があるのか何なのか、選考漏れしちまったよ。所属できたやつが羨ましいよなあ」
 じゃ、俺もう帰るわ。またな。と、軽い挨拶を残して、男性は去っていった。俺は手を振って、それを見送る。
「──俺みたいな人間を、もう取りこぼさないように。あなたがここで見守ってくれているんですね、純さん」
 これが、『仇をとる』ということなのだとしたら。それは何て優しくて、希望に満ちあふれた形なのだろうか。今夜、純さんに会ったら、俺にも手伝える事がないかどうか、訊ねてみよう。きっと、いや確実にしらばっくれられてしまうだろうけど。不器用に黙り込んでふいっと顔を逸らす姿が、ありありと思い浮かんで、俺は思わず笑ってしまう。頬を伝いおちていく涙が、なんだかとても、あたたかかった。

***

 ──空の上から大きな夜鷹が、ためいきついては、こちらを見てる。
 ──みんなが聞いた。鳴り出す鐘を。かわいい天使への、祝福の鐘を。

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コメント

  • El
    4月19日
  • Lilith
    2025年4月26日
  • のぞみ
    2025年4月25日
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