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バームクーヘンなんて火に焚べろ/はるの小説

バームクーヘンなんて火に焚べろ

5,763文字11分

「だからね、純くん。このままだとある日突然、明浦路先生から結婚式の招待状が届くことだってあるかもしれないんだよ」と慎一郎先生にいわれるよだじゅんの話。軽いラブコメです。

主成分
・ラブコメ
・いろいろなよだじゅん
・まだ付き合ってないけど仲良しなよだつか
・気苦労の多い慎一郎先生
・タフなメンタルの慎一郎先生

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夜のスケートリンクに到着したのは、いつもより早い時間だった。
慎一郎が駐車場に車を止めても、夜鷹は助手席から降りずに運転席へ目をやった。
親友がなにか話があるのだろうということはすでに察していたからだ。そのために早めに着いたのだろうということも。
視線に促されるように、慎一郎がこちらを向く。
彼は歯切れの悪い口調でいった。
「明浦路先生のことだけどね……、純くんはこのままでいいのかい?」
問いかけの意図がわからず、夜鷹は緩く首をかしげた。
このままでいい、とはどういう意味だろう? 司なら、今夜はリンクに来れるといっていた。おそらくは先に来ているのではないだろうか。司はいつも到着が早い。
夜鷹の困惑を察して、慎一郎はさらに言葉を重ねた。
「純くんは、明浦路先生とこのままの関係でいいのかい?」
やはり意図がよくわからない。だが、わからないなりに夜鷹は頷いた。無論、いい。司との関係に不満はない。司は都合がつけば夜のスケートリンクにやって来るし、都合がつけば夜鷹のマンションにもやって来る。二人でスケート動画を見ながら夜を過ごすのは、意外と悪くない時間だ。司が途中でうとうとと瞼を重くするときもある。そのときは起こさない。そのまま眠らせてやる。司の寝顔を眺めるのも悪くない気分だからだ。
この関係に不満? そんなものはない。
すると慎一郎は、苦悩するように眉間に皺を刻んでからいった。
「おせっかいだと思うけれど、一つだけ忠告をさせてほしい。───純くん、明浦路先生がずっと今のままだとは限らないんだよ。明浦路先生は真面目な人柄で、誠実で、実直な方だ。コミュニケーション能力も高くて、情熱的で、愛情深い。誰かを好きになったら一途な人だと思うよ」
「知ってる。何がいいたいの、慎一郎くん」
「だからね、純くん。ある日突然、明浦路先生から結婚式の招待状が届くことだってあるかもしれないんだよ」


司の、

結婚式の、

招待状。


夜鷹の頭の中で、慎一郎の言葉がゆっくりとリフレインした。
奇妙なほどに、自分でも不思議なほどに呆然としながら、親友に尋ねる。
「それは……、僕と司の結婚式だよね……?」
慎一郎は困り切った顔で、首を横に振った。
「ちがうよ。新郎に招待状は出さないだろう?」
「じゃあ誰となの」
「それは……、この先、明浦路先生が巡り合う素敵な人だよ。もしかしたらすでに出会っている人かもしれないけれど、確実なのは、明浦路先生が心から愛する人だということだよ」
「それは僕じゃないの」
「純くんが今のままの関係を望むのなら、純くんではないだろうね」
ゴウッと、脳内で嵐が吹き荒れた。
司の愛する誰か。顔も知らない誰か。
それが司の隣に立って、生涯を誓うのだという。
司はその誰かを一心に見つめて、もはや夜鷹には目もくれなくなる。
あり得ない。おかしい。夜鷹の中の傲慢な夜鷹も、臆病な夜鷹も、我儘な夜鷹もそろって訴えた。そんなのは間違っている。その誰かとやらは自分ほどに司のスケートの素晴らしさをわかっていないし、自分ほどに司を大事にもしていないだろう。どうせ変な女だか男だかに引っかかったにちがいない。司は流されやすいところがあるからきっと押しに負けたのだ。だいたい変な女だか男だかは自分ほどスケートが上手いのか? いいや、そんな人間がいるはずがない。
「駄目だよ、そんなの。だってその誰かは四回転が跳べないでしょ」
「純くん、結婚するときには四回転が跳べるかどうかは重要じゃないんだよ」
「僕より綺麗に降りられない」
「それは誰だってそうだよ」
「僕よりスケートが上手くない」
「この世の全員がそうだよ」
「それでも司はそんな奴を選ぶの」
「愛していたら、そうなるだろうね」
あり得ない。あり得てはいけない。
夜鷹の中の傲慢な夜鷹がふんぞり返っていった。司は僕を最優先にするべきだと。
臆病な夜鷹は悲し気に目を伏せていった。司がいない人生を想像していないのに、こんなのはあんまりだと。
我儘な夜鷹はイマジナリー携帯を百台ほど叩き潰しながらいった。司が結婚するべきは僕だろう! と。
我儘な夜鷹の意見に、夜鷹の中のありとあらゆる夜鷹が賛同した。そうだ、その通り。僕は司との結婚式の招待状を出す側であって、決して受け取る側ではない。断じて違う。
しかしそうなると現在司の隣に座っているらしい“誰か”が邪魔だ。若干サイコパスみのある夜鷹が呟いた。邪魔だな。邪魔だね。邪魔だよ。夜鷹の中の夜鷹たちは考え込み、一つの結論に至った。
「僕が今夜、司を抱けばいい。そうだよね、慎一郎くん?」
「待ってほしい、純くん。どうしてその結論に達してしまったんだい?」
「司は浮気はできない性格だろう。僕に抱かれたら今の恋人とは別れるしかないし、僕と結婚するしかなくなる」
慎一郎は一瞬、意識を遠くへ飛ばしたような顔をした。しかし彼には銀メダルを獲得した強い精神があった。この場合はいっそないほうが楽だっただろうが、とにかくタフなメンタルの持ち主だった。慎一郎は気をしっかりと持ちなおし、さらには親友を厳しく見つめ返した。
慎一郎は知っていた。この親友が、倫理とか、コンプライアンスとか、そういうものを身につけるのが難しい男なのだということを。これはもう努力でどうにかなる範囲ではなかった。人間には向き不向きがあると評するべき範囲だった。夜鷹は子供相手だろうと暴言を吐くが、あれは夜鷹にとって暴言だという認識がないからだ。認識を持つことも困難だからだ。慎一郎が親しくしているコーチたちは皆令和のコンプライアンスを身に着けているが、夜鷹だけはどうにも装備できなかった。多分最初から倫理との接続部分を持たずに生まれて来てしまったのだろう。
しかし、だからといって何をしてもいいわけではない。当然である。
慎一郎は非常に厳しい顔をしていった。
「純くん、合意のない性行為は犯罪だよ。絶対にしてはいけないことだ」
夜鷹は押し黙った。
コンプライアンスを備えていない夜鷹だったが、自分の倫理観が危ういらしいという自覚は薄っすらとあった。そのため、夜鷹は長年この親友を善悪の基準としてきた。慎一郎くんがいいというのなら問題はないし、駄目だというのなら問題があるのだろう。そんな感じで生きてきた。
司を寝取るのは駄目だと、慎一郎くんがいう。
どう思う? と夜鷹の中の夜鷹たちが話し合った。比較的理性が残っていた夜鷹は、慎一郎くんがそういうのならやめておこうといった。慎一郎くんがだいたいにおいて正しいのだから。ほかの夜鷹たちも渋々頷いた。
ちなみに寝取るという行為に対する忌避感がないのは、古典芸術においてはわりとよくある展開だからだ。それこそクラシック映画の中にだってある。芸術として存在している事を自分が司にして何が悪いのか? と夜鷹は思う。しかし慎一郎くんがダメだというのならば仕方がない。
夜鷹たちは再び頭を突きつけ合って相談した。
「わかったよ、慎一郎くん。明日の朝いちばんに婚姻届を出すことにする」
「落ち着いて、純くん。明日の朝というのは急ぎすぎじゃないかな? 明浦路先生がすぐに了承してくれるかはわからないし、それに大きな決断を急かしてはいけないよ」
「わかってる。ひとまず司のサインは僕が代筆するから」
「それは公文書偽造というんだよ、純くん……!」
慎一郎はうめいた。度重なる心労に身体もふらりとよろめき、意識も彼方へ飛びそうだった。
しかし彼には銀メダリストの不屈のメンタルがあったので、何とか持ち越えた。いっそ不屈じゃないほうが今このときにおいては幸せだっただろう。
「公文書偽造は犯罪だよ。明浦路先生の意志を無視して婚姻届を出すなんて、絶対にしてはいけないことだよ、純くん」
夜鷹は少々苛々してきた。
あれも駄目だ、これも駄目だと慎一郎くんがいう。せっかくの名案だと思ったのに!
短気な夜鷹はイマジナリー携帯を千台は叩き潰した。しかし愛情のある夜鷹がいった。落ち着け、ここで暴れたら明日には司から結婚式の招待状が届いてしまうかもしれない。それだけは何としても阻止しなくては。……いっそ司が招待状を出せなくなればいいんじゃないか? 夜鷹たちは頷いた。
そうだ、司が手紙を投函できなければいいのだ。
「わかったよ、慎一郎くん。今夜は司を連れて帰るよ」
「……純くん? 明浦路先生を純くんの家に閉じ込めるというのも犯罪だからね?」
夜鷹は盛大に舌打ちした。
慎一郎はこめかみをぐりぐりと揉んで頭痛に耐えた。
「じゃあ、どうすればいいの」
尊大に問いかける夜鷹に、慎一郎はようやくホッとした顔になって答えた。
「そうだね。明浦路先生にずっと傍にいてほしいと思うのなら、結婚を前提としたお付き合いを申し込んでみるのはどうだろう?」
「それでうまくいくの」
「これが最善だと僕は思うよ」
慎一郎は控えめな性格なので、わざわざ『僕は思うよ』と付け加えたが、誰がどう考えても真っ当で正しい選択であった。まあ性犯罪と公文書偽造と拉致監禁に比べたら何だろうと大抵は正しい行為になってしまうが、その中でもひときわ輝く金メダル、もとい最適解であるといえた。
そもそも慎一郎から見て司は夜鷹のことが好きである。わかりやすく好きである。好意がわかりにくいのは夜鷹のほうだ。そのせいか、最近では司は何やら後ろ向きな考えに陥って、夜鷹からひっそりと距離を取ろうとしているようにも見えていた。
慎一郎は心配だった。
司は誠実で思いやりがあり、コミュニケーション能力も高い。彼はべつに夜鷹でなくてもいいだろう。その気になれば引く手あまただろう。しかし夜鷹にこの先、司以上に愛と理解を向けてくれる人物が現れるとは思えない。いいのかい、純くん。本当にこのままでいいのかい……!? とハラハラしながら見守っていて、ついにはおせっかいな忠告をする決意までしたのだ。
しかしまさか、夜鷹が色んなもの一足飛びに進めようとするとは思わなかった。
……あぁ、なるほど。これは本当に、純くんは、今の関係のままでも一生明浦路先生は自分の傍にいてくれると信じ切っていたのだなあと、しみじみ思ってしまう。それを傲慢と呼ぶか純粋と呼ぶかは人に寄るだろうけれど。
とにかく今夜、夜鷹が司に結婚を前提としたお付き合いを申し込めば大丈夫だ。純くんには明るい未来が待っている。そう安堵していた慎一郎は、夜鷹の表情をうっかりと見逃していた。
夜鷹は親友に多大な信頼を置いている。
しかし司はもう結婚式の招待状まで用意しているというのに、今さら『結婚前提のお付き合い』なんて申し込んで意味があるのだろうか? 司が困った顔で「すみません、夜鷹さん。俺にはもうほかに愛する人がいるんです」なんていうだけなんじゃ……、うっ……。
司の反応を想像しただけで夜鷹は吐き気がこみ上げてきた。これはまずい。著しい不快感に耐えながら夜鷹は思った。僕以外に愛する人がいるってなに? 意味がわからないんだけど? でも寝取るのは駄目だって慎一郎くんがいっている。理性的な夜鷹はそう宥めようとしたが、ほかの夜鷹たちは納得しなかった。だってほかにどうしたら司の結婚を止められる?
絶対王者の夜鷹がいった。

勝者こそが正義だ。奪い取ればいい。僕ならできる。

ほかの夜鷹たちも深く深く頷いた。夜鷹の人生は常に戦いだった。そして必ず勝利してきた。今度も同じようにすればいい。
だいたい、と、悪びれない夜鷹がいった。

司は最初から僕のものだった。僕のものを取り返して何が悪い。

ほかの夜鷹たちもそうだそうだと声を上げた。これは寝取りじゃない。取り戻すだけだ。慎一郎くんもそう認めるにちがいない!



夜のスケートリンクに向かって真っすぐに進む。
予想通り、司は先に来ていた。氷に乗らずに待っている。『参加させてもらっている立場で先に滑るのは申し訳ない』という意味のわからない理屈だ。いいから滑ってなよと夜鷹はいったし慎一郎も丁寧な言い方でいった。しかし司は上座を気にするタイプの青年だったので今夜も律儀に待っていた。
好都合である。今のうちに話をつけてしまおう。
そう思った夜鷹は、「こんばんは」と笑う司の顔をじっと見つめていった。
「今夜、司を抱くから。いいね?」
「……はい?」
司が『なにをいい出したんだろうこの人』といわんばかりの顔をした。
しかし夜鷹は構わず圧力をかけた。全身から発せられる重力のような何かだ。夜鷹の威圧を前に、司がびくっと震える。そこにすかさず夜鷹は低い声をねじ込んだ。
「いいよね?」
「はっ、はい……! わかりました!!!」
何もわかっていない顔で司は大きく頷いた。
なんなら司の顔には『抱くってなんだろう? ハグかな? あ、俺を湯たんぽ代わりにしたいってことか? 今夜は泊まっていきなよって意味かな!』という納得すら浮かんでいた。誤解しかなかった。司は夜鷹が言葉足らずであろうと察する能力を持っていたが、しかし同時に常識的な思考の持ち主でもあったので、いきなりいわれた『抱く』が『今夜君を裸にひん剥いてあれこれするからね、覚悟しておけ』という意味だとは察せなかった。当たり前である。

ハッと我に返った慎一郎が「純くん!!!それは合意とはいわない!!!」と叫んだが、夜鷹はすでに氷に乗っていた。傲慢な王者は一人でさっさとジャンプを跳んでいる。司から了承を得たので晴れ晴れとした気持ちで四回転ルッツを跳んだ。それは司が今また心を奪われるには十分なほど、とても美しかった。



なお、その晩、夜鷹は司とベッドでひと悶着あった。当たり前である。

とはいえ夜鷹のもとに司から結婚式の招待状が届くことはなかった。

性犯罪者になることも、公文書偽造罪を犯すことも、拉致監禁のニュースが世間を騒がせることもなかった。

やがて月日が経って、慎一郎のもとには司からの結婚式の招待状が届いた。しかしやはり夜鷹のもとには届かなかった。新郎に送るものではないので当たり前だった。



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コメント

  • ai
    5月23日
  • かくとん(千鶴子)
    5月23日
  • サキ
    5月18日
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