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あの子を射止めたのは誰/柿ノ木の小説

あの子を射止めたのは誰

7,237文字14分

前回の記憶を持ったまま逆行したスケート関係者達。然し其処には何故か明浦路司だけが居なかった。皆が意気消沈していた最中、彼等はとある動画を見つける。其処にはスケートを始めたばかりの司の姿があった。唯一前回の記憶がない司を何とかスケートの世界に留めようと皆がその動画を通して奮闘する一方、夜鷹はそんな司の姿に次第に焦がれていく。

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例えば冬の日に凍った水溜り、例えば友達が自慢げに見せてきたローラースケート。幼い頃からそんな物を見た時には何故かいのりの心の中で目に見えない炎が揺らいでいた。
だから、思い出すのもきっと必然だったのだ。

母と共にテレビを見ていた際に、それまで興味もなかったスポーツのニュースに何故か心惹かれた。そうして氷の世界を目にした瞬間、まだ言葉も辿々しい年齢の筈のいのりの口から突如として流暢にその言葉は漏れ出ていた。

「私、スケートがしたい」

まるでそれは自分の意思ではなく自分の中にいる誰かが体を乗っ取って話しているかの様な心地がした。でも間違いなくそう思ったのも口に出したのもいのり自身だ。だって、いのりはかつてメダリストだったのだから。そう、いのりは突如として自分の前世を思い出した。スケートの選手として金メダリストになった輝かしく温かく幸せな過去の思い出が。応援してくれた家族、得難い友人達、選手人生を賭けて戦い続けたライバル、支えてくれた優しき大人達、そして何よりいのりにとって人生で一番大好きで大切で信頼している人、

「司先生ともう一度スケートがしたい」

あの美しき日々をもう一度送る為ならいのりは何だってする。前世では司にかけてあげられなかった多くのメダル達を得ることも、今のいのりなら可能かもしれない。もっともっと世界にあの素晴らしいコーチの名前を広めることだって。そう興奮し期待に胸を膨らませるいのりはハッと隣の母を振り返った。しまった、母にとっては突然娘が突拍子も無いことを言い出したと思ったら、見知らぬ人の名を呼ぶのだから意味が分からないだろう。何と誤魔化すか焦るいのりを尻目に、何故か母はその眼を見開いて顔を赤らめている。

「えっとね、お母さん」
「いのり貴方……思い出したの!?」
「えっ?」

奇想天外、摩訶不思議、この世は全くもって訳のわからない事ばかりだ。いや先ずこうして何故か人生2周目を送っている事自体が謎なのだけれど。それでもどうやら不思議なことに前世の記憶があるのはいのりだけでは無かった。家族もまたいのり同様に前世の記憶があったのだ。ならこの世界の人間は皆そうなのかと言うとそれは違う。どうやらこの世界でも前世というものは未だに立証されていない不可思議なものとして扱われているので、この現象が起こっているのは結束家のみということになる、だがまぁこれも探せば他にもいるのかもしれないけれど。兎にも角にも、無事全員前世を思い出した結束家は早速家族会議となった。議題はこれからについて、とはいえまぁ前回同様の人生を歩むも良し、折角の2回目だからまた別の人生を歩むもよし、二人は好きにしなさいという父と母の言葉にいのりは間髪入れず自分はもう一度スケートがしたい!と宣言した。無論、結束家はスケートに対するいのりの情熱を本人同様に理解していたので、いのりが生まれた瞬間から何時かこの子が記憶を取り戻した時の為にと密かに準備を進めておいたのだ。遂に訪れた待ちに待った瞬間に、クラブ調べてあるぞ!スケート靴のパンフレット見る?と楽しげに準備を始めた家族にいのりは呆気に取られ、そうして再びこの家に生まれてきた幸運に泣いた。

はてさて、記憶を取り戻したのは良いがいのりには問題があった。先ず己がまだ4歳であるということ。スケートを始めるのなら若いに越したことはないのでそれは良いのだが、恐らくこの年代ではまだ司はコーチになっていない。つまりまだ司をコーチとすることが出来ない。だがいのりにとってのコーチは生涯明浦路司であることは例え生まれ変わろうとも変わらない不変事項であるので困った。更にもう一つの懸念事項、この世界は前回と全てが同じではないということ。例えば前回は母は父よりも年下だったのに、今回はそれが逆転している。更に実叶は前回は姉であったが、今回は何と兄である。中身が変わらない以上特に困った違いではないのだが、事司に関しては仮にいのりと同年代なんてことになればコーチをしてもらうことは不可能である。いやでも同年代の選手としてスケートするのも良いな。
兎に角、先ずは明浦路司を見つけることからだといのりは早速ルクス東山に突撃した。其処では前回も大変お世話になった瞳や洸平に再会し彼らもまた記憶がある事を知れたが残念ながら司には会えなかった。
いのりは盛大に落ち込んだが、直ぐに切り替えた。伊達に前世でメダリストになった訳では無いし、レジリエンスは司と身につけたいのりの特技でもある。いずれ彼に再会できることを信じていのりはスケートに打ち込んだ。その過程で理凰や光、そしてかつての友人やコーチ達とも再会し皆前世の記憶がある事を知った。どうやらこの現象が起きているのはスケート関係者が多いらしい。しかしその誰も司を見つけられていないというのだから流石にいのりは参った。だって記憶を取り戻してもう何年も経ち既にいのりは立派なスケート選手になってしまった。いや司の事は何時までだって待つつもりだけれど、でもあの太陽の様な存在がいないリンクは慣れなくて、いのりにとってはとても寒くて寂しかったのだ。
そんな折、明浦路司捜索同盟を結んでいる理凰から一件のLINEが届いた。

『取り敢えずコレを見ろ』

そんな端的なメッセージと共に送られてきた動画へのリンクを押した瞬間、いのりは家に響かんばかりの奇声を上げた。何事かといのりの部屋に駆け込んできた家族にスマホを持った震える手を向けて言葉にならない声を上げながら画面を指差す。
そこにあったのは閑散としたリンクで踊る一人の青年の姿。画質も悪く一箇所に固定されたスマホで撮られているであろうそれは動画としてはかなり見にくい。それでもあの陽の光を浴びて輝く金髪と金眼、表情一つとっても美しい踊り、いのりが恋焦がれたステップ、それは見間違う事なく明浦路司だった。最早瞬きも忘れてジッとその動画を見守る。しかしふと、いのりは違和感に気付いた。

(何か…辿々しい?)

相変わらず丁寧なスケーティングだけれど、それでも前世の司と比べると何処か未熟さが見れる。それに首を傾げ、そしてふとある可能性が頭を過ぎる。もしかして司先生には前世の記憶が無い?慌てて動画の備考欄を見てみると、そこには『練習①』という簡潔なタイトルだけがあった。前世の知り合いに見つけてもらう為ならもっと分かりやすい文章やタイトルにするだろう、と言う事は本当に司には記憶がないのだ。無論、残念に思う気持ちはある。だっていのりは司と再会して彼にコーチしてもらうことを何よりも待ち遠しく楽しみにしていたから。でも、それよりも何よりも今回の司もスケートをしていたという事実が嬉しかった。またこの人の美しいスケートを見ることが出来るのだと知って安心した……のも束の間、ハッといのりは気付く。

(いやでも司先生って前回……)

かつて恩師より聞いた壮絶な過去が頭を過りヒュッと息を呑んだ。本人は気にしていないと言っていたがいのりにとっては憎き同好会、誰にも指示出来なかった過去、お金がなくて続けられなかった選手人生。いのりは盛大に頭を抱えてその場に蹲った。この動画を見るに相変わらず司の置かれているスケート環境は良いとは言えないのかも知れない。あぁ神よ、何故いのりの大好きな先生にこんな苦難を与えるのか。今回くらい大富豪の元で盛大に派手にスケートさせてあげろよ!見る目ねぇなチクショウ!等と叫ぶ娘に両親は若干引きつつも、でもまぁ自分達も司には恩も情も大いにあるので一先ず頷いた。そしていのりは再びハッと顔を上げると素早く動画が投稿されたアカウントを確かめる。アカウント名は端的に『司』でその他のコメントは『スケート練習中』の一言、そしてコメント欄は解放していないので此方からアプローチも出来ない。正に詰んだ。せめてもの思いでいのりは即座にチャンネル登録していいねを押す。本当はこの込み上がる思いを長文にして送り付けたいけれどそれが叶わないのが何よりももどかしい。いのりは既にスポンサーが付いている選手でもある。まぁぶっちゃけて言うとそれなりに今は資金力があるのだ。それがどう言うことか分かるだろうか、

「今なら司先生をいくらだって養えるのに……!!!」

ちょっと自分達の娘が危ない方向に行きかけているのを両親は察したが空気を読んで口を閉じた。いやまぁ前世からいのりの司に対する執着は目に見えていたし、それが今世では何年もかけてグツグツと時間をかけて煮込まれてきたのでそりゃあ濃厚な味にもあっているだろうと素知らぬ顔で目を逸らした。ちょっと司先生にこのいのり会わすの怖いなとかは思っていない。多分。

コメント

  • かくとん(千鶴子)
    7月19日
  • とってもとっても最高な設定です!!! 恐縮なのですが、続きなど、、、

    7月5日
  • miyabi

    とっても続きが気になる作品!想像してニヤニヤしちゃう...。楽しい!!

    3月15日
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