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岩屋毅前外相が29日に日本国際貿易促進協会会長に選出されたとの報に接した。写真は岩屋前外相(資料写真)。
岩屋毅前外相が29日に日本国際貿易促進協会(国貿促)会長に選出されたとの報に接した。まさに最適の人選であり、心からお祝い申し上げたい。
その理由は、岩屋氏が前外相として注目すべき外交経験を有するだけでなく、石橋湛山精神の継承者の一人だからだ。2023年は石橋湛山没後50年に当たり、同年7月に超党派の「石橋湛山研究会議員連盟」が発足し、年末までに国会議員約100人が参加した。岩屋氏は自民党共同代表として、その中心的役割を担った。
戦後の日中関係を振り返ると、日本は三度にわたり関係改善の大きな機会を逸してきた。
第一は、1956年の石橋内閣誕生の時だ。当時、中国では周恩来総理と廖承志氏が日中国交正常化に向けた準備を進め、石橋政権に大きな期待を寄せていた。しかし、石橋首相は病に倒れ、わずか65日で退陣を余儀なくされた。その後、岸信介内閣が発足し、国交正常化への流れは途絶えてしまった。
第二は、村山政権後の首相選択だ。元神奈川県副知事の久保孝雄氏が河野洋平氏を追悼した文章によれば、村山富市元首相は退陣に際し、副総理兼外相だった河野洋平氏を後継首相に推そうとした。しかし、河野氏が一瞬ためらった隙に、橋本龍太郎氏が「私にやらせてください」と名乗りを上げ、そのまま橋本氏に決まったという。もし河野首相が誕生していれば、歴史認識問題をはじめ、日中関係にもさらに前進が見られた可能性があり、惜しまれるところだ。
第三は、石破茂前内閣が短命に終わったことだ。石破・岩屋コンビによる外交は、対米一辺倒からより自主性を重視する外交へ転換し、日中友好関係を前進させる可能性を秘めていた。しかし、高市早苗政権の発足によって、その流れは途切れることとなった。とはいえ、日本の政界や知識人の間には、石橋湛山の「小日本主義」「平和主義」「自主外交」の理念に学ぼうとする流れが奥深く存在している。
国貿促は1954年の設立以来、民間貿易の促進を通じて日中国交正常化に大きく貢献してきた。現在の日中関係は極めて厳しく、25年11月以降は悪循環に陥っている。しかし私は、岩屋会長の下で新たな国貿促が、その悪循環を好循環へと転じる原動力となることを期待している。そして、近く予定されている岩屋会長率いる訪中団がその第一歩となることを心から願ってやまない。
■筆者プロフィール:凌星光
1933年生まれ、福井県立大学名誉教授。1952年一橋大学経済学部、1953年上海財経学院(現大学)国民経済計画学部、1971年河北大学外国語学部教師、1978年中国社会科学院世界経済政治研究所、1990年金沢大学経済学部、1992年福井県立大学経済学部教授などを歴任。
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