明浦路司というコーチ
司先生は絶対モテてたと思う。
男女問わずの魔性の男、明浦路司。
2025.04.07追記
2年前書いたお話に1000⬆ブクマありがとうございます!すごいなアニメ化……
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「はう〜! チョコ美味しい〜!」
至福の表情で焦げ茶の甘味を次々に口にする姉に、いのりはくふふと笑う。
「お姉ちゃん、美味しい?」
「んふふ、のんちゃんが買ってきてくれたお土産だもん! 美味しすぎてほっぺ落ちちゃう!」
歳の離れた姉はいのりをとても可愛がってくれている。赤ん坊のいのりが寝ているベビーベッドに侵入して添い寝したり、母親と喧嘩して家出をする際に大事なものだからといのりを拉致したりと、記憶に残っていないほど幼い頃のことなので話に聞くだけだが、当事者のいのりからしてもなかなかの愛の重さではと思っている。
そんな姉だから、妹が買ってきた、ただそれだけで地方土産のお菓子が、有名パティシエ制作の一点物のショコラと同等の高級品に早変わりである。
「そういえばのんちゃんはバレンタインはどうするの? 誰かにあげるの?」
「へ? なんで?」
あからさまに虚をつかれたいのりの顔つきに、恋に縁遠そうな感じを受け、まだまだ私ののんちゃんは汚れなき天使で可愛いと内心思っていることは露ほどにも外に出さない姉である。
「あけ……あけうら……司先生にチョコはあげないの?」
「? この前一緒に遠征に行ったのに?」
キョトン、とする妹に、実叶ははぁぁぁ、と溜め息を吐きながら、いのりの丸い頭を抱きしめ撫で回した。
「GOEプラスさんびゃくまんてん……のんちゃん超可愛い……そのままで居てね……」
「う、うん?」
「ほら、私がスケートやってた時は、いつもお世話になってますって感謝を込めてこの時期は竜宮コーチにあげてたから」
「え!?」
「あー、でもクラブでそういう袖の下的なのはダメってところもあるかな〜」
名城クラウンはOKだったけど、と懐かしむ顔をする実叶に対し、いのりは更に困惑を深めた表情になっていた。
「お、お姉ちゃん、ソデノシタってそれ、そちも悪よのぅってやつじゃ」
「それは相手との関係性にもよるよねぇ。だって今ののんちゃんとあけう……司先生は便宜図ってもらうとかそういうのじゃないでしょ?」
便宜と言うなら、もうそれ以上にしてもらっている。司といのりの目指すところは一緒だから、司の行動は全て、必要不可欠ではあるのだけれど。
いのりは唇を引き結び、ぎゅっと服を握りしめた。
◆
瞳は頭を悩ませていた。
以前にあったいのりに対するやっかみを持った保護者たちは、光の威嚇といのりの爆発的成長の前に口を噤んだ。
それはいい。それはいいのだが。
「なんでまた理凰くんが来てるのかな……?」
「今リンクは貸切練習の時間では無いですよね? 瞳先生」
夏に一週間預かった元オリンピアンの息子は、むすりとした顔でスケート靴の紐を結ぶ。
内心の引き攣りを大人の尊厳で総動員し、どうにか表に出さずに瞳は理凰に問いかけた。
「いいんだけどね、鴗鳥先生はなんて」
「父と僕は別個体です。それに、父にはここに来ることは話済みですので」
「ああ、そうなの……」
取り付く島もない小学五年生の返答に、瞳は顔がひきつるのをどうにかこらえた。
気まぐれのようにふらっと滑りに来る鴗鳥理凰という少年は、年齢に対し大人びた言動をとる。両親が名の知れたスケート選手だったことで大人に囲まれた生活を送っていたこともあるだろうし、ちょうど思春期に入った頃合の男子の難しさもある。
しかし、それ以上に。
「世界で戦っていたフィギュアスケート男子シングル元銀メダリストの先輩に逆らえるわけないでしょうが……!」
瞳もアイスダンスで頭角を現した選手ではあったが、シングルとアイスダンスの競技人口を比べれば、比較するのもおかしいほど。その中でのトップ選手、自分より年上ともなれば一歩引くのは当たり前。父と鴗鳥に交流があったとはいえ、自分が同様に付き合えるはずもない。
そもそも貸切外の時間は、一般客も普通に入るのだ。それは経験者でもスケーターでも、正規の手続きを踏み支払いをしている以上、拒否はできない。
たとえそれが他のクラブチームの男子エースだとしても。
「あれ? 理凰さん、どうしたの?」
どよんとした空気を吹き飛ばす爽やかな風のような声に、理凰はぴっと背筋を伸ばし、死んだ魚のように澱んでいた目をキラキラと輝かせながら、エッジカバーをドスドスと響かせ声の主の元へ一直線に走った。
「明浦路先生! こんにちは!」
少し目を見開いたものの、司は太陽のようにまばゆい笑顔をうかべ、身をかがめて目線を合わせる。
「こんにちは。今日クラブの練習は?」
「あの、少しステップが上手くいかなくて、先生に少し相談したくて」
もじもじと指先を合わせながらそう言われて、司と瞳は顔を見合せた。
「えーと? 理凰くん、鴗鳥先生はなんて?」
「アイスダンス出身の明浦路先生の方が理凰の力になると思う、というので」
それは色々大丈夫なのだろうか。
「あーー!! なんで理凰くんがいるの!」
高い天井に轟々と響く少女特有の高い声に大人二人が振り返れば、口を尖らせた前髪を編み込みにした生徒が怒りの仁王立ちをしていた。
結束いのり。
司の初めての教え子であり、この東山ルクスFSCの今やトップ選手である。
「あ、こんにちは、いのりさん! 今日も頑張っ」
「司先生は私のコーチなの! 今は理凰くんのコーチじゃないから!!」
「今は時間外じゃん。それに先生の拘束時間もまだですよね?」
どうして知っている。
司は困ったように笑いながらも、まあ、時間外だし……とユルい。
そう。目下、瞳を悩ませている問題はこれだった。
鴗鳥慎一郎は他クラブの代表であり、いのりが超えたいと願う選手のコーチでもある。その彼の一人息子が他のクラブに入り浸り、一時期師事していたとはいえ、今は関係の無いコーチに懐いている現状。
そして、瞳のクラブで今一番の出世頭であるいのりとは司の取り合いをするライバル同士……
「頭痛い……」
「えっ、瞳先生、風邪ですか?!」
「誰のせいだと……」
オロオロとする司は全く頼りない。氷上でペアを組んだ時には、燃えるような情熱になんの不安もなかったというのに。
半ば投げやりに、瞳は乾いた笑いをうかべた。
「……まあ、確かにまだ貸切の時間では無いですしね。司くんも」
「じゃあ、そういうことで。明浦路先生、ステップのタイミングなんですけど」
「ちょっとー! 勝手に私の司先生のレッスン受けないでよ!?」
「『俺の』明浦路先生」
「違うよ! 私の!」
ギャー!! とひびきわたる怒号に、瞳は考えるのをやめ、痛む頭を擦りながら事務所へ足を向けた。
「瞳先生!?」
「司くん、二人の相手よろしくね」
「え。ちよっ」
「明浦路先生」
「司先生!」
バチィ……と見えない火花が散ったようだった、と後にルクス東山所属の某男子選手はゲームをしながら語ったという……
閑話休題。
いのりは司のジャージの裾をきゅっと握った。
「今日早く来たのは、先生に渡したいものがあって」
「? 俺に?」
もじもじとするいのりの姿に、司は首を捻り、反して理凰はピンと来たらしい。ハッ……と鼻で笑い、見下すようにいのりに冷ややかな視線を向けた。
「袖の下か」
聞き覚えのある単語に、いのりはどきりとする。
「な、なんでそんな難しい言葉理凰くんが知ってるの!?」
「お前よりは頭がいいからだ」
「ムキー!!」
「ま、まあまあ……ええと、いのりさん、渡したいものって?」
そう改めて司に言われ、いのりはおずおずと小さな箱を取りだした。
金のリボンと赤い包装紙でラッピングされた、少し拠れたそれを司の大きな手に押し付ける。
「あの、その……今日はバレンタインだから」
そう言われてようやく、ああ! と司は合点した。ぱあっと笑顔が更に輝く。
「うわ! そうか、ありがとう! そういえばうちでも羊さんに貰ったっけ、そうか、そういえばそうだった!」
「ああああ、あの! ソデノシタじゃないんです! ただ、いつもお世話になってるから」
「俺はいのりさんのコーチなんだから、そういうの気にしなくていいのに。でも、ありがとう!」
ほっと息をついたいのりだったが、横からの不穏な空気を察知し、はっと動きをとめた。横目でそれを見遣ると、世にも恐ろしい表情の男子小学生が舌打ちをする。
「女子は狡い、合法的に好意を知らしめさせることが出来る日なんかつくって……某菓子メーカーの策略に安易に乗るなんて腹が立つ……」
ブツブツと呪詛を呟く不穏な理凰に、いのりはゴクリと生唾を飲み込む。
「……明浦路先生」
「ん? なんだい、理凰さん」
話をよく聞くため身を屈めたところをガシッと腕を掴まれ、至近距離で理凰と目を合わせることになり、司は瞼をぱちぱちと瞬かせた。
「今日の仕事が終わったらうちに来てください!! チョコフォンデュでおもてなししますから!!」
「チョコフォン……えぇ??」
「うちにタワーがあるんです」
「お店かな?!」
「是非、我が家で焼いたマシュマロにチョコフォンデュの滝をくぐらせましょう!」
「ちょっと理凰くん!? 先生にだって予定が!」
今度は司の反対の腕をいのりが掴む。小学生二人が左右から腕を引っ張るが、司は全く体幹がぶれることなく不動のまま、オロオロと二人を見下ろす。
「なんだ。お前のレッスン終わった時間外なら問題ないだろ?」
「そうだけどそうじゃなくて!」
「じゃあ何?」
「今日は女の子から男の子にチョコを贈る日で!」
「は? そんなのせいぜい昭和時代から発生した菓子メーカーの戦略じゃん。男から男に日頃の感謝を込めてバレンタインにチョコを贈ったって、何もおかしなことは無いね」
ぎゃあぎゃあとリンクサイドで言い争いをし、百八十五センチオーバーの巨体の男性を取り合う小学生男女を、みなが固唾を飲んでーー内心、男から男へ感謝を込めてバレンタインチョコを贈ることはあまりないのでは、とツッコミながらーー見守る。
理凰はふう、と息をついた。
「俺は誰がなんと言おうと、明浦路先生を尊敬してるし、感謝してるし、一番好きな大人なんだ。もてなすことに、エビフライ頭にそんな指摘されるいわれは無い」
「ま、またエビフライ言った! 違うもん! 編み込み可愛いもん!!」
「はいはいはい、終了〜」
エキサイトし額を突合せて言い合いをするいのりと理凰の間で、ぱんぱん、と手を叩いた司を、二人はばっと見上げ、叫んだ。
「「先生はどっちの味方なの!!」」
「味方も何も……理凰さん、ありがたい申し出だけど、時間だからここまでね」
司の指が指し示すリンクの壁にかかる時計は、十七時を指していた。
「……はい」
そう言われるとそれ以上食いさがれず、しゅん、としょげかえる理凰の頭を、司は優しく撫でた。
「突然伺ったら鴗鳥先生がびっくりする。理凰さんのうちには、またきちんと事前に連絡して訪問させてもらうから」
「本当ですか!? 遊びに来てくれますか!?」
「あそ……? うん。約束する」
ぱあっと表情が明るくなった理凰に、今度はいのりがムスッと口を引き結ぶ。そんな弟子に、司は苦笑して逆の手でこちらもゆっくりと頭を撫でる。
「いのりさんもチョコをありがとう。家に帰るまでの楽しみに取っておくから」
「先生……!」
「二人の気持ち、すごく嬉しいよ。ありがとう」
ぽんぽん、と頭を優しく柔らかく撫でれば、二人は顔を赤らめ、照れ照れとしている。
そんな光景を遠くで見ながら、瞳は既視感に苛まれる。自分と彼が組んでいた時の、周囲の女性達から与えられた様々なーーそれはもう、胃が痛くなるような視線を思い出し、溜め息を吐いた。
「……司くん、昔から無自覚天然タラシなのよね……」