「狼嵜選手は勝つために何が必要だと思う?」
「才能?努力?執念?それとも犠牲?」
いままでにこにこと笑みを浮かべていた表情から一瞬で表情がなくなる。私ともコーチとも色味の違う金色の瞳には光がなく汚泥のように暗く淀んでいる。
「答えはお金だよ。お金があればリンクに通えるしクラブに所属できる。貸し切りだってできる。スケート靴や衣装も買えるし優秀なコーチや振付師も雇える。才能があってたくさんの努力を続けて氷への執念があってもお金がなければ何もできないんだよ」
目の前の男──明浦路司は、14歳でスケートと出会い20歳で本格的にスケートを始めると快進撃のような活躍を続けた。軽やかな4回転ジャンプと息を吞むような美しさのスケーティングで他の追随を許さず表彰台の一番上を引退まで譲ることはなかった。メディアのインタビューにも明るく朗らかな表情を向けることが多く発言もいつも前向きであったと記憶している。夜鷹純の再来と言われながらもその明るいキャラクターでお茶の間でも人気だった。
その彼が自分に対しては憎悪にも似た感情を向けている。恐怖で立ち竦む私に対し言葉を続ける。
「君こそいのりさんの邪魔しないでね」
学校から帰ってリビングにあるテレビの電源を入れる。普段であればしない行動。映されていたのはフィギュアスケート──黒髪で前髪を一部あげており生え際の白い髪が流れ星のようだ。黒い衣装はたくさんのスパンコールがついているのか照明の反射で一番星のようにきらきらと瞬いている。
目が離せなかった。一瞬で夢中になった。特集番組だったのでその男が滑っているのは一分にも満たなかっただろう。けどその短い時間だけで魅了された。
幼いころから割と何でもできた。できなかったことも少し練習すればすぐにできるようになったし、勉強だって要領よくできた。だからこそ逆に興味を惹かれることやしたいことが何もなかった。
初めてできた己のやりたいこと
あの男性のことをもっと知りたい。あの氷の上で同じように滑ってみたい。氷の上で生きていきたい。
あの男性は夜鷹純という名前ですでに引退をしているらしい。出場した大会すべてで金メダルを取り、20歳で出場したオリンピックでももちろん金メダルを取りその後引退をした。彼やその周りの選手、コーチのことはたくさん調べた。そして調べるうちにだんだんと違和感を覚えるようになった。知らないはずなのにジャンプの見分け方が分かる。ルールを覚えている。たまに頭をよぎる見覚えのない茶髪で前髪を編み込んだ少女。
きっとこれは“前回”の記憶なのだろう。断片的ではあるが少しずつ思い出す。アイスダンスのこと、唯一の教え子のこと。そして、雨の日に長髪の黒い髪と金色に光る瞳の少女に言われた言葉
「あなたが夢を叶えられなかったのはまだ捧げられる犠牲があったのに手放す勇気がなかったからじゃないんですか?」
犠牲を払っても勝負に負けることはある。知っている、経験した。でも、“前回”払うことのできなかった犠牲を払えば──
中学生ではバイトができないため陸トレと筋トレを重点的にしながらも、決して多いとは言えないお小遣いとお年玉をやりくりしながら何度かスケートリンクへ行った。記憶と感覚のずれがあり最初は何度もこけたが徐々に“前回”と同じように滑れるようになった。ジャンプは夜鷹純や鴗鳥慎一郎の動画と“前回”の記憶を頼りに練習を続けた。
高校生になってからはアルバイトを始め以前よりスケートリンクへ行く回数を増やせた。“前回”より洗練されたスケーティングをするため、“前回”はできなかったジャンプを跳べるようになるため。
氷の上で生きていくためには大会に出て自分の才能を証明しなければならない。そのための時間とお金が足りない。時間さえあれば証明できる、それは“前回”のときに匠先生のお墨付きだ。今より練習時間を確保するためにはもっとお金が必要になる。大金を得るためには何をしたらいい。宝くじは?当たる確率が低すぎる。臓器を売る?今はよくても今後支障が出る可能性を否定できないし精密検査をしたときに何か言われると面倒くさい。身体は?いいかもしれない。目に見えて何か減るわけでもないし、相場はわからないがバイトよりは稼げるだろう。すぐに出会い系アプリをダウンロードしアカウントを作った。男受けするような写真を撮り、プロフィールにはどんな人でも大丈夫なことを記載した。俺は意外と男受けがいいらしい。アプリを登録した直後には連絡がきたし、ほかの人からも頻繁に連絡が来る。最初は気持ち悪くて仕方がなかったが、慣れればどうということもない。相手のお願いを聞いたり、少しサービスをしたりすれば最初に提示してきた金額に上乗せしてくれる。深夜のアルバイトよりよっぽど稼げる。
目標金額まで貯めるのに20歳までかかってしまった。そこから急いでクラブを探した。あまりプライベートに関わってこなくて練習にもあまり口を出してこないところ。年齢のことがあるから断られるかと思っていたが、あっさりと入ることができた。そこからはバッジテストを受けながら出ることのできる大会にはすべて出場し、表彰台の一番上に乗り続けた。そしてオリンピックという舞台でもいつもと変わらぬ滑りで金メダルを取り引退をした。引退する直前にネットニュースで俺が身体を売っていたことについての記事がでて、騒ぐ人たちもいたがメディア対応の成果か信じる人が少なく大ごとになることもなかった。
神様に出会った。
夕暮れの人気のない公園で踊っていた。軽やかなステップに緻密に計算されているだろう指先や足の角度。当たり前のように跳ぶ3回転のジャンプ。夕日に反射してきらきらと光って見える金髪はまるで後光がさしているようだった。
私はお願いをした。「私だけの神様になってほしい。」と
神様は私の勢いに押されてはいたが苦笑しながらも了承してくれた。そこから私のスケート人生は一変した。お母さんにスケートをやりたいこと本気で一番を目指していることを伝えた。神様みたいなスケートを目指すためにスケーティングの練習がたくさんできるルクス東山に所属することにした。
バッジテストを受けながら大会に出場した。初めて出場した名港杯では優勝することができた。神様は基本的に陸上でしか教えてくれないがこのときは氷上でフライングシットスピンとブロークンレッグを教えてくれた。級が上がるにつれ氷上でジャンプも教えてくれるようになった。学校が終わってからクラブの練習が始まるまでの短い時間だけだが的確にできていないこと意識するべきことを教えてくれた。自分を客観視できる目の使い方も。大きな大会に出るときはついてきてくれて外でウォーミングアップをしているときに細かい振り付けの調整やジャンプの踏み切りのタイミングなどを伝えてくれる。
神様がどれだけすごい人物か私は知っている。その神様が私だけを指導してくれている。その優越感と神様の名を汚すわけにはいかないという責任感、それが私を強くしてくれる。
「狼嵜選手は勝つために何が必要だと思う?」
「才能?努力?執念?それとも犠牲?」
ギラギラと光を放つ瞳が発言の真意を探ろうと疑いの目を向ける。穢れなど何も知らない純粋でとてもきれいな瞳だ。
「答えはお金だよ。お金があればリンクに通えるしクラブに所属できる。貸し切りだってできる。スケート靴や衣装も買えるし優秀なコーチや振付師も雇える。才能があってたくさんの努力を続けて氷への執念があってもお金がなければ何もできないんだよ」
“前回”と同じであれば目の前の少女は、狼嵜家に養子になった後夜鷹純と出会いスケートを始める。バッジテストをすべて一発で合格しノービスの女王といわれその後も世界で活躍する選手になるはずだ。
彼女はスケートを始める環境そして続ける環境が当たり前に存在していてそのための費用がどれだけかかるのか、お金を稼ぐのがどれほど大変なことなのかを本当の意味で理解できない。そして与えられるものを素直に受け取り自分の糧にすることのできる俺とは真逆の少女。
学校を早退して練習することを己の犠牲と信じあまつさえいのりさんにそれを伝えた。いのりさんはそんなものがなくたって大会に勝つことができる。それに今回は世界一になる方法は現役時代の経験から理解している。そして”前回”の記憶もある。
「君こそいのりさんの邪魔しないでね」